調査の結果、3世紀後半にさかのぼる近畿中央部系の物が含まれていることが判明した土器片=三重県大紀町教委提供
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 三重県大紀町の沿岸部で1950年代に発見された土器片の中に、3世紀後半に近畿中央部で作られたとみられるものが確認された。調査に当たった桜井市纒向(まきむく)学研究センターの橋本輝彦・統括研究員は「(現地は)ヤマト王権にとって熊野灘の航行をおさえる重要な拠点だったのでは」と見ている。

 土器片は地元の中学生らが見つけた後、現在は町が所蔵している。橋本統括研究員はうち20点余りを分析。その結果、20点が3世紀後半〜4世紀中ごろの近畿中央部系の「庄内式・布留(ふる)式土器」の破片で、うち5点ほどは3世紀後半にさかのぼると判明した。近畿中央部で作られた土器が、大紀町へ運び込まれたと考えられるという。

 3世紀後半は邪馬台国の最有力候補地とされる纒向遺跡(桜井市)の最盛期に当たる。橋本総括研究員によると、同様の土器片は瀬戸内海や福岡県博多湾沿岸などで見つかっているが、紀伊半島の熊野灘沿岸では初めて。橋本統括研究員は「ヤマトとの関係を示す証拠と言える」と話す。

 調査された土器片は大紀町役場錦支所で公開されている。問い合わせは、大紀町教委。【藤原弘】

毎日新聞:2019年6月8日
https://mainichi.jp/articles/20190608/ddl/k29/040/458000c?inb=ra
関連記事:6/2(日) 11:00配信
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★1:2019/06/11(火) 20:03:48.44
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