【邪馬台国】被葬者は卑弥呼率いるヤマト王権の対抗勢力の首長? 高尾山古墳保存を議論 文化財協議会、静岡・沼津で全国大会★2
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
シンポジウムには4人が登壇した文化財保存全国協議会=静岡県沼津市で
https://cdn.mainichi.jp/vol1/2019/06/18/20190618ddlk22040172000p/9.jpg
文化財保存の全国的市民団体「文化財保存全国協議会」の全国大会が16日、「駿河・伊豆の初期古墳の保存と活用」をテーマに沼津市立図書館で開かれた。約120人が参加し、高尾山古墳(同市東熊堂)の保存・活用を巡って議論した。
高尾山古墳は全長62メートルの前方後方墳。230〜250年ごろの築造とされ、この時代の古墳としては弘法山古墳(長野県松本市)と並び東日本最大級。被葬者は卑弥呼率いるヤマト王権の対抗勢力の首長と考える専門家もいる。2015年5月、日本考古学協会が保存を求める会長声明を出す中、沼津市が道路建設を理由に取り壊しを発表。市民運動の盛り上がりで、市が同年8月、取り壊しを白紙撤回した経緯がある。
大会のシンポジウムで、渡辺康弘・元静岡市教委学芸員が「立派な古墳を造るだけの経済的・政治的なバックボーンがあったことが重要」と指摘。橋本博文・新潟大名誉教授は「『ヤマト文化圏』の西日本に多い上方作(しょうほうさく)系の鏡が『狗奴国(くなこく)文化圏』の高尾山古墳に副葬されている点が非常に気になる。古代国家形成過程を知るうえで非常に重要」と評価した。
保存を巡っては、笹原芳郎・田方農高教諭が「かつて城と言えば石垣のある城が人気だったが、今は土の城がブーム。百舌鳥(もず)・古市古墳群が世界遺産登録を勧告される中、古墳を巡る旅がブームになるかもしれない」と発言。小笠原好彦・滋賀大名誉教授が「高尾山古墳の発掘調査でこの地域の夜明けが解明されてきた。歴史的意味は大きい」とまとめた。【石川宏】
毎日新聞:2019年6月18日
https://mainichi.jp/articles/20190618/ddl/k22/040/104000c?inb=ra
午後は、記念講演「『卑弥呼の時代』は何時代か」(橋本博文・新潟大名誉教授)▽報告「沼津市高尾山古墳発掘調査の成果」▽報告「高尾山古墳の保存運動と課題」がある。
毎日新聞:2019年6月13日
https://mainichi.jp/articles/20190613/ddl/k22/040/183000c?inb=ra
関連動画:
19/06/16 江藤幹夫基調報告録音動画「高尾山古墳の保存と課題」
https://www.youtube.com/watch?v=Bxm38sLWeRI
★1:2019/06/18(火) 20:01:17.10
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1560855677/ >卑弥呼率いるヤマト王権
ちょwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
正気かよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww こういう文言をタイトルに使うメディアもゴッドハンドの共犯者と言えるよなw
>卑弥呼率いるヤマト王権 >>525
たしか畿内説の学者が九州の現場を見学してたよ。
錆で真っ赤に染まった地層を見て衝撃を受けてたな。 >>527
それはw
半島や中国と整合していなければ邪馬台国なんて語れなくなるぞw >>526
邪馬台国は魏志倭人伝には1回しかでて来ないし
都とは書かれていない、都のある所と書かれている
女王卑弥呼の都のある国が邪馬台国
女王卑弥呼の都の無い投馬国
七万戸が小国?
>>528
君は女王国が伊都国と奴国の事であるとして魏志倭人伝を読まないから内容を理解出来ないんだよ。
>>528 邪馬台国静岡説が名乗りを上げたか。
おらが街の邪馬台国、良い観光資源になるぞ! >>527
九州説に基づくであろう古代史学者の反論の一つを引用して、迷惑とは
まともな論理的思考を持っているとは到底思えない >>444
周旋は
列子.湯問:「其山高下周旋三万里,其頂平処九千里。」
一周すると3万里の山
他に春秋左氏伝には戦争の意味で使われてる。
礼記には礼儀作法の名前として「周旋」が使われている。
まあ群盲像を撫でてる感があるのは否めない。 チョンの定義、時代が問題だが、基本、韓人は近畿だぞ。 >>537
魏志倭人伝の周旋は奴国から奴国まで北部九州の傍国を一周だな。 倭人の国だから倭国だよ、唐は倭人じゃない奴が来たから別種なんだよ。 >>537
やはり周るという意味なのか。
これで奴国が2回出現する謎が解けそうだなw ・3世紀頃は鉄は通貨として使えるほど貴重だった。
・九州では武器や農具に鉄を利用していた。
通貨として使える鉄を武器や農具に利用していたという矛盾に気が付かない九州バカは
死ななきゃ治らない森の石松w 基本は物々交換だろ、用途が色々あるから、通貨のような役割にもなったってことだろ、何の矛盾だよ >>535
静岡に会ったら美しい富士山も記録に絶対残るねwww
ありえません >>542
それだけ鉄が潤ってたということだろw
その頭の固さは土器で鍛えられたのか?w 先日、九州説スレで見たけど長崎県大村市の遺跡では鋼鉄を使っていたらしい。
ちゃんと刃物の刃の部分に鋼鉄を使ってたらしい。
あと埋葬形式が火葬だったというのも異質。
九州のシュメール人か?w >>541
魏志倭人伝に謎なんて無いんだけどね
脳足りんが読むから意味を掴めない。 >>546
古くは富本銭や無文銭もあったな
清盛の時代になると宋銭を大量に輸入して関西も貨幣経済が発達した
外国貨幣でも銅としての価値があるから日本国内でも流通した
だから輸入した殆どが一文銭だった。 畿内で出土した絹というか繊維って・・・棒に付いてた糸クズだけじゃなかった? 対馬のシゲノダン遺跡や壱岐の原ノ辻遺跡、糸島市の御床松原遺跡などから弥生時代の貨泉が出土してるね。 邪馬台国は吉備か伊勢の斎宮を大和と勘違いしたかどちらかだと思うぞ >>547
鋼鉄なら5〜6世紀で卑弥呼と関係ないな
朝鮮舶来の鉄は鋳鉄だから >>553
富の原遺跡
弥生遺跡だね。
気になる個所
「磁鉄鉱が用いられ、錆分析から推定される鋼の炭素量は0.5から0.6パーセントで、刃部には真鍮を削れる程度の硬度」 >>465 もと歴博の館長もやった佐原真いわく、
> 「近畿圏では鉄は溶けやすいので、残っていないのだ」
やはり、こんなこと言っておったのかw
一度、テレビで見た顔、金縁眼鏡の奥でにニヒルに笑っている目つきは詐欺師のそれだった >>555
これは結構有名な話だよ。
最近纏向でカエルの骨が出土してたが、あんな小さな骨が溶けずに出土するのにw 魏志倭人伝なんてのは出鱈目だよ。
中国人が日本の正確な事情なんか知っている訳がない。
万が一知っていても正確に記述するわけがない。
そもそも魏志全体が晋に都合の良いように作った半歴史半小説だろ。 >>497
あー恥ずかしい
ご迷惑かけてすみません(>_<) >>552
卑弥呼=日巫女で斎王の原型だわな
斎王はヤマト王権の文化だから
もし邪馬台国が九州にあったとするなら、どのように畿内に移ったのかを考えないとな
果たして勘違いなのか混同なのか?
そんな単純な間違いなら女王国の定義すらおかしくなる 畿内派は、あれだけ日食で卑弥呼が天照大御神言ってたくせに
日食が九州でしか起きてなかったと知ったら、急に日食言わなくなったよな
日食を持ち出せば九州有利になったからかね
畿内派は自分達さえ有利になれば、歴史の事実はどうでもいいんだな
どこが論理的なのかね? >>559
邪馬台国が九州にあったんだよ
畿内に移ったのは8世紀初頭だよ。 神社は祟りを鎮めるために作られるとか漠然と思ってたけど
伊勢神宮は天照の祟りを鎮めるために作られたらしいぞ
>伊勢神宮は最初から伊勢にあったわけではない。アマテラスはもともと宮中で
>祀られていたが、あまりにも神威が強いので、崇神(すじん)天皇は別の場所で
>祀ることとした。
>アマテラスの神霊は、崇神の皇女の豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)に
>託され、姫は理想の鎮座地を求めて各地を巡った。さらに、その役目は垂仁(すい
>にん)天皇の皇女、倭姫命(やまとひめのみこと)に引き継がれ、二人の皇女合わ
>せて26か所を巡って、最終的に伊勢の地に鎮まることとなる。 >>554
鉄の技術や鉄剣製造だって古代中国の方が進んでたし
中東インド経由で東南アジアの山奥にも鉄の民族がいるんだよ
日本の鉄集団がどこから流れ込んだかは判らないが
鉄の原料を朝鮮半島から輸入してたからって
鉄の技術まで朝鮮半島からだけってのは見識が狭いのかもしれない 昨日超ムーの世界の再放送でネタになって道どうなったか気に入っていたけど 魏志倭人伝の内容のポイントは
卑弥呼は伊都国に居た
女王国は伊都国と奴国のこと
邪馬台国とは女王卑弥呼を共立した北部九州地域の国邑の連合体
これだけだな。 >>568
倭は日本列島全体
倭国は邪馬台国とほぼ同じ 最近>>569のようなエセ考古学を語り、デタラメな畿内説を吹き込もうとする悪質な歴史捏造屋が出没していますので、ご注意下さい。 >>569
日本の考古学は素人が専門家ぶってやつてるだけだからな。 >>561
紀記の記録上では3世紀に実在したとされる祟神天皇の時にトヨスキイリヒメが斎王の原型で次のヤマトヒメが最初の斎王と言われてるな >>534
あなたが読むような読み方はしないからあなたが理解するような仕方では理解しないな >>542
青銅器時代に銅銭を使ったら矛盾だ・・・と・・・ >>569
考古学が血液型性格診断とか江戸しぐさとかと同じカテゴリーになってきたな 562、成る程、伊勢神宮ではなくて、日向だなその話は、倭人の焚書した本にはそうなってたんだな。天地開闢の流れからまた引用するからな、その本の作者わ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています