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 京都アニメーションの事件から8月8日で3週間です。事件の犠牲者の多くがアニメ業界屈指のクリエイターで、中には20年以上にわたり京都アニメーションを支え唯一無二とも言われるキャラクターや背景の「色彩」を担った女性クリエイターがいました。

 事件から3週間。8日も多くのファンらが献花に訪れていて、今も悲しみに包まれています。

 「まだ信じられなくて、ただただそれだけです。ここに来て感謝を述べたいが、お別れを言いに来たようで、それが辛くて…」(献花に訪れた人)

 事件で犠牲になった石田奈央美さん(当時49)。20年以上前、京都アニメーションがまだ小さな下請けのアニメ制作会社だった頃から支えてきました。石田さんの母親は…

 「最初の仕事はドラえもんでした。社長がポスターを描かせて、そのドラえもんを持って東京に社長が行って、そしたら向こうの人から新人が描いた絵とは思われへんと言われたと褒められたんやね。それは聞いている。はっきりと。」(石田さんの母親)

 石田さんは高校卒業後、一旦、看護師になりますが、周囲の反対を押し切り大好きなアニメの世界へ飛び込んだといいます。

 (母親)「これ(涼宮ハルヒの憂鬱の名場面線画集)部屋に置いてあったんです。」

 (父親)「出せへん色やって言うのね、この色が。」

 アニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」や高校生たちのほろ苦い青春を描いた「氷菓」など、数々の人気作品で登場人物や背景の色を決める「色彩設計」を担当していた石田さん。京アニ作品はストーリーだけではなく、こうした絵の美しさでもファンを魅了しています。

 「『氷菓』というアニメ、一番は絵ですかね。本当にきれいだと思って、光の情景とかも本当に好きで、背景に関しては京アニが一番だと思う」(京アニのファン)

 石田さんにしか出せない色。その色彩センスの原点は父親にありました。

 (父親)「(自分は)染色っていう糸染めやった、西陣の。糸染めってことは色を使う。それが娘に伝わった。」

 (母親)「細かいことがとにかく好きで、とにかく絵をコツコツ描いていた、机の上で。」

 元々石田さんは第1スタジオとは別の場所で働いていたため、両親は娘は無事だと思っていました。しかし、事件があった日…

 (母親)「夜9時すぎに『安否がわかりません』と電話がかかってきた。あの(建物の)中にいるのかなと思った。一瞬のうちに苦しくなって息絶えたと思う。それを思うと悲しいです。」

 同居する両親に自分から仕事の話はほとんどしなかったという石田さん。2人は亡くなって初めて、娘の功績を知ることになりました。

 (母親)「こんなに皆さんから支持され、すごいと言われているのを初めて知った。」

 (父親)「石田奈央美がいたなんて知らない。ただただアニメを愛している人が世界中から来てくれたら、親からしたら奈央美ってこんな人やったんやと。そういう仕事をしていたのかと、誇りに思いました。」

 取材に伺った8月6日は石田さんの50回目の誕生日でした。

 (父親)「犠牲者とちゃうぞ、殉教者やぞと。アニメに捧げた。命を捧げたと一緒やと思う。それでなんとか胸の内に収まっている。たとえあの世に行っても、俺の心とつながっていると思う。」

8/8(木) 17:19配信
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