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「『ノモンハン』血ノ教訓」 大阪・難波宮跡から旧陸軍機密文書見つかる
8/11(日) 19:23配信

 飛鳥〜奈良時代に一時的に都が置かれた難波宮跡(大阪市中央区)の発掘調査現場から、1939(昭和14)年に旧満州(現中国東北部)とモンゴルの国境付近で旧日本・満州国軍とソ連・モンゴル軍が武力衝突した「ノモンハン事件」に関する旧日本軍の機密資料が見つかっていたことが11日、分かった。終戦時に米軍の接収を免れるため焼却処分された燃え残りとみられ、文書には「『ノモンハン』血ノ教訓」などの記載もあった。事件から今年で80年。戦争遂行に際しノモンハンを教訓に戦略を立てようとした状況が分かる貴重な資料になりそうだ。

 発掘調査は難波宮の遺構がある国立病院機構大阪医療センターの建て替え工事に伴い、大阪文化財研究所(現大阪市文化財協会)が平成28〜29年に実施。同所には戦前、陸軍歩兵第三十七連隊の本部があり、戦時中に同連隊が使っていた防空壕(ぼうくうごう)も十数基発見された。

 防空壕は深さ1〜2メートルほど。天井や壁などに張られた板が一部残っており、中から10丁以上の機関銃や小銃のほか、焼け焦げた冊子や文書などが見つかった。

 発掘後に調べたところ、焼け残った資料は冊子15冊分で、ノモンハン事件の戦法や考察などが記載されていた。焼け焦げて判読は困難なものが多いが、一部に「『ソ』軍戦法ノ特色ヲ考察」「國軍ノ傳統的精神力」などの記述があった。

 日ソ両軍の兵器の比較一覧表には「大隊砲」「迫撃砲」と記され、それぞれの機種や性能を列挙。マシンガンとみられる「MG」の文字の下には「日 九二式 ソ マキシム」などと記されていた。部隊の訓練内容や兵士の軍籍といった個人情報なども確認された。

 防衛省防衛研究所(東京)によると、一部文書にはノモンハン事件についてまとめた当時の書籍名が複数記載されていることから、日本軍が大打撃を受けたノモンハン事件を研究することで部隊の強化を図ったとみられるという。

 大阪市文化財協会によると、複数の防空壕は土壁が赤く変色していることなどから、終戦時に陸軍が各部隊などに命じ、防空壕内で機密文書の焼却処分を行ったとみられる。

 防衛省防衛研究所戦史研究センターの花田智之主任研究官の話「日本は1941(昭和16)年にソ連と日ソ中立条約を結んでおり、ソ連との中立関係を意識して大戦に突入していった。今回の資料では、その一方で対ソ連を意識し、精強部隊を作るためにノモンハン事件を教訓にしていたことが分かり、興味深い」