【奈良】「土葬の村」発見!なぜ、今も、村人は土葬を選ぶのか? 「焼かれるのはかなわん。熱いやんか」「故郷の土に還りたい」
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現存する南山城村の土葬墓地。ふだんはお参りしないので、野草が生い茂っている。
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湯かん専用の盥。遺体を座らせ、このなかで洗い清めた。
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田原地区の野辺送り。白いのぼりがたなびき、棺を載せた輿車を、近親の女性が引いている。写真提供/十輪寺
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日本の伝統的な葬式である「土葬・野辺送り」が姿を消したのは、昭和の終わり頃とされている。入れ替わるように火葬が増え、現在、日本の火葬普及率は99・9%以上に達する。
土葬は、日本の風土から完全に消滅してしまったのだろうか。筆者は「土葬・野辺送り」の聞き書き調査を20年以上独自に続け、平成、令和になっても、ある地域に土葬が集中して残っていることを突き止めた。それは大和朝廷のあった奈良盆地の東側、茶畑が美しい山間にある。剣豪、柳生十兵衛ゆかりの柳生の里を含む、複数の集落にまたがるエリアだ。
日本人の精神生活を豊かにしてきた千年の弔い文化を、まだ奇跡的に残る土葬の村の「古老の証言」を手がかりに、明らかにしたい。
■土葬の森
近鉄奈良市駅から東へバスで1時間、そこに柳生の里がある。ここにもまだ土葬は残っているが、さらに南へ山中を歩くこと約30分、大保町(おおぼちょう)という集落では今もほぼ100パーセント、遺体は土葬されている。この村で生まれた老人が、数年前、自分が埋葬される山を縁先の窓越しに眺めながら、老妻に看取られ、亡くなった。
※省略
「土葬をなぜ続けるのですか?」と50歳代の村人に尋ねた。「焼かれるのはかなわん。熱いやんか」とおどけながら、「死んだら故郷の土に還りたい。それだけや」。彼はそう答えた。
■死霊を魂送りする無言劇
柳生の里の北側、奈良県との境に接する、京都府下の南山城村(みなみやましろむら)にも、今なお土葬が残っている。南朝の後醍醐天皇が立て籠った笠置山にほど近い場所にあり、地図で確かめると、現存する土葬の村は、柳生の里から同心円状に広がっていることがよくわかる。
南山城村には、土葬・野辺送りにかかわる古い風習が数多く残されている。13年前、老母を亡くした男性も土葬で故人を送った。70歳代、喪主夫人である跡継ぎの嫁の不思議な証言――。
「みんなが野辺送り・土葬から帰ってくると、空のひしゃくで水甕の水を汲む動作をし、玄関に置いた空の盥(たらい)に、水を入れる真似をしました。これを3回繰り返しました。水汲みの儀礼と言います」
女性の所作は死者の魂とひめやかに対話しながら行う無言劇のようだ。「南山城村史」には「家の内から外へ死霊を送り出そうとする『魂送り(たまおくり)』の儀礼ではないか」と書かれている。
そのあとも無言劇は続く。
「野辺送りから帰ってきた人たちは、空の盥の中に足を交互に入れて洗うマネをします。さあ意味はわからへんけど。ただアシアライと呼んでいました」と夫人は語る。こちらは死のケガレや死霊を恐れたタタリ封じのような無言の動作である。
※省略
島ヶ原から土葬がなくなったのは、昭和50年代半ばという。同村から東西に走るJR関西本線の隣駅には、今も土葬が残る奈良市月ヶ瀬村(つきがせむら)、さらに隣の駅には、前述の南山城村がある。土葬の村が集中するエリアにありながら、比較的早めに土葬がなくなったのは、このお棺割りの風習の凄絶さゆえといっても過言ではない。
※省略
こうした野辺送りに必要な葬具は、ふだん十輪寺という真言宗の寺に大切に保管され、出番を待っている。野辺送りの総勢20〜30人の近親者は、手作りされたそれらの葬具を持つ役を与えられる。松明や灯籠、飾り用品など葬具のいくつかは、冒頭で紹介した仮門のように、村人自身が竹細工や紙細工で、通夜、葬儀までの間に作り上げる。町の葬儀会館で葬式を出すのに比べると、はるかに手間がかかっている。
なぜ、そうまでして土葬・野辺送りにこだわるのか。
「長い間村で生きてきた人を、一瞬で送るのは私にはどうしてもなじめません。“無駄”をいっぱいして故人を送ることが供養になると思うのです」と老住職は語る。
2019.09.05
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/66905 土深く埋めるだけちゃんとしているじゃないか
九相図を見るのは誰だって嫌だろう そこ出身の人同僚いたけど
マジで土葬って言ってた
ほんとに山なんでイノシシとか猟師からもらうと
匂いを抜くために一旦土に埋めるって言ってたな
面白い習慣だと思ったわ >>55
微弱脳波は火葬場でも検出されているらしいな。
その脳波は棺に火をつけて2分後に急激に強くなり、30秒くらいでゼロになるらしい。 死体には全く意味がない
そもそも供養も無意味
輪廻により単なる物体でしかないわけで
そもそも遺骨も意味がない 土葬じゃないけど船の仕事してて3回位散骨したいって人来たことある
詳しくないから市と葬儀会社通して話してくれっていっても折れないしきつかったわ >>90
江戸時代以前の日本庶民の葬制はそんなもの
人が死んだら桶に入れて埋め、木製の卒塔婆を建てる
墓標が朽ち果て、土饅頭が平らになり、草が生い茂る頃には
故人のことを覚えている人はもう誰もいない
草葉の陰ってのはそういう意味で、眉唾もののの家系図や
先祖代々の墓なんてものを有り難がるようになったのは
すべて明治以降の話よ >>3
まず疫病で死んだ死体を用意出来てから考えろ 古式ゆかしい伝統を大切にしてる野がすごいな。普通時代に流されると思うけど。
友達が最近父親を亡くしたが、死んだとたんに故郷の墓を捨てて、
東京のマンション墓地に両親を入れちゃった。「めんどくさいし田舎は嫌いだ」そうです。 奈良の吉野だけど爺ちゃんは土葬で婆ちゃんは火葬だったわ。
奈良で土葬はもうないんじゃない。十津川や下北山ならまだある? >>63
土葬した骨は、その場所の土の湿気具合による。
水分の多い土なら骨は残らない。土に返る。
残るのは、髪と歯だけ。
ちなみに火葬した骨は、水分が多かろうが少なかろうが
一生残る。 遺骨にはそもそも意味がないので捨ててもOK
そもそもブッダは遺骨を供養せよなどと一言も言ってない
むしろ死後の供養を聞いたアーナンダを叱り飛ばしている >>116
別に古式ゆかしくない、庶民の個人の墓なんかいちいち作らないのが伝統 >近鉄奈良市駅から東へバスで1時間、そこに柳生の里がある。
柳生十兵衛ゆかりか たこわさっていう有名な超イケメン固定がこんな話してたな
家が奈良のガス屋で山の中にある墓から土葬のご先祖を運ぶのを手伝わされたと愚痴ってた
墓の移設か何かだったか >>115
奄美や沖縄の洗骨のほうがずっときついわ
髪の毛や肉の名残りが残る土を素手で洗い清めて骨壷に納めるんだぞ うちはじいちゃんまで土葬
覚えとらんけど
ちな和歌山 >>6
バーベキューの匂いがするって言ってしこたま怒られたガキの頃 土葬は法律で禁止されてるって聞いてたのに、在日イスラム教のスレで
嘘だったのか >>84
変に形を残されるよりも何も残らないほうがむしろいい >>19
その子の野辺送りのニュース見たけど、親族たちが白い着物着て行列してたり、棺桶が木製の樽みたいな、まさに桶の棺だったり
平成になってもまだこんなんあるのかって驚いたわ ウソばっかり書くな、その地域出身だけど俺の祖父母ぐらいからは仮想が普通だ 朝廷では後光明天皇から昭和天皇まで15代続けて土葬だったけど
上皇さまから火葬に戻るんだよな 土葬は違法ではない
ただ埋葬する場所(霊園など)が許可しないケースがほとんどなので地方の一握りの地域に限られる あ? 離島で火葬場がないからだよ。
それとも定期便待って皆で本島まで焼きに行けってのか? 福岡市からちょっと離れた田舎に行くとわりと最近まで
弥生式土器みたいな素焼きの甕に入れて埋葬してた >>124 都会のアパートに一生住んでると解らないだろうよ 親の田舎が月ヶ瀬村
今でも土葬が残ってる
祖父母の葬式だったから孫の自分は棺桶担ぐ係らしい
だが女なのでその役目は夫に
夫はわらじ履かされ、数人で担いで1キロほど運んでた
あの時はすまんかった
びっくりしてたな都会育ちの夫 宗教的には日蓮宗系は土葬なんだが そんな時代じゃ無いんだな イスラム教徒が多数入植してきそうだな。
そう言えば月ヶ瀬村の近くじゃね? あのあたりって独特だよな。
どす黒い風習が今も残ってるって感じで。 あの月ヶ瀬村か…
鮮人をイジメ抜くだけの事はある。
グンマーコピぺぐらいの古い日本が残ってるんだな。 >>126
出身地の人の話だと
土葬で満杯になるから満杯なったら掘り起こして移動させるんだと 東日本大震災ときに火葬場が稼働しなくて土葬にしたときの遺族や掘り起こした人らの手記読んだけど涙無しじゃ読めなかったわ
とくに幼い子を亡くして土葬にしたあと掘り起こすやつとかキツいわ。 土葬のほうがいいな
昆虫や微生物に分解してもらいたい 土葬の習慣は儒教から来ているのをネトウヨは否定する >>137
土葬の許可は霊園ではなく都道府県知事による認可制だったと思う たまに、ひきこもり・ニートの息子が自宅で親を風葬にして逮捕されてるな。
今も日本のどこがで誰かが自宅で・・・ >>148
死体が腐るからメタンなんかが発生するんだよ。
で、そのメタンに火がつくと、いわゆる「ひと玉」になるわけ。 >>26
東京の離島は火葬
土葬が残ってるのは、意外な事に都内の都市部 >>146
あーそうなんだ
移動させられたご先祖はどこに行くんだろ
寺かな ここ読んでたら焼かれるの嫌になってきた
土葬もよいかも エジプト見習ってミイラに出来ないかなあ
あれって天日で干すのか 自分の死体の処理にあれこれ注文付ける奴はアホなんだと思う。
どーでもいいだろ。 普通に土葬は合法
ちなみに昭和10年くらいで土葬と火葬は半々
昭和50年頃で土葬が15%
20年前でも、1.5%くらいは土葬だった
今は年に3000件くらい >>11
婆ちゃん、集落でも最後の土葬だったな
まさにその頃、その辺り
鈴鳴らしながら運んだの覚えてる 関西の福井寄りだけど、昭和45年ぐらいまで土葬してた村があったみたい 電話は交換手呼び出しだったとか 茨城の知人があと土葬4人分しか残ってない、という謎の焦り方をしていた
今は統合されて市だけど、ちょっと前は村だった所出身の人 >>122
雨が多い地域はPHが下がりやすく骨が残りやすいとかもあるのに適当な事書いてんなよ 火葬場で収骨の時に職員が得意げに喉仏とかペースメーカーの焼け跡とか説明するの何なの?
「この黒くて丸いのが棺にお供えされたメロンですねぇ。」とか >>125
そいで但馬守が月ヶ瀬の女を使って魔界転生するんですよね >>1
>70歳代、喪主夫人である跡継ぎの嫁の不思議な証言――。
>「みんなが野辺送り・土葬から帰ってくると、
>空のひしゃくで水甕の水を汲む動作をし、
>玄関に置いた空の盥(たらい)に、水を入れる真似をしました。
>これを3回繰り返しました。水汲みの儀礼と言います」
>女性の所作は死者の魂とひめやかに対話しながら行う無言劇のようだ。
>「南山城村史」には「家の内から外へ死霊を送り出そうとする『魂送り(たまおくり)』の儀礼ではないか」と書かれている。
>そのあとも無言劇は続く。
>「野辺送りから帰ってきた人たちは、
>空の盥の中に足を交互に入れて洗うマネをします。
>さあ意味はわからへんけど。ただアシアライと呼んでいました」と夫人は語る。
>こちらは死のケガレや死霊を恐れたタタリ封じのような無言の動作である。
非常に興味深い
なぜ昔の人は、あの世とこの世をつなぐ媒介として「水」を選んだのだろうか
これはおそらく日本に限らない >>123
でも日本以外の仏教国って仏舎利大事にしてるよね >>1
駄目だよ、ばらしちゃwwwwww
屍鬼の外場村みたいに、吸血鬼の沙子ちゃん達に目をつけられるなwwwwwwww 骨壷に入れられて半永久的に保管されるのは嫌だわ
やはり四元の作用で土に還りたい >>166
どうでもよくないだろ
死後のことがそこで全て決まり、自分の意思では永遠に変えられないのだから 何代も自宅の敷地内の山とかに埋葬してたな。
日本人で知り合いだがマジでアラブ系の顔だった。 うちの爺ちゃん樽に正座の土葬やったわ
今から30年前位の徳島池田町 まだ日本には秘境ってあったんだな
こういう所だったら妖怪が要るかもしれん >>158
それは嘘な
仮にメタンが出たとしても自然発火などありえない
リンの化学反応という説もあるが実際のところは不明だ 死体遺棄罪やろ
村人全員逮捕しろよ
村人全員飯塚か? >>167
そうして件数で示されると、多いと思ってしまう… 今は海へ散骨希望する人多いけど
全く縁のない地域の海に撒かれるより
地元の土に埋めて欲しいてのがやはりしっくりくるなあ
ちなみに漁師で海散骨希望する人はあまり聞かない >>55
血液止まれば脳は即ダメになるよ。
そんなに丈夫だったら脳梗塞やっても経過後も血流再開すれば麻痺残らんことになる。
でも実際はそうならんもんね。
ニューロン死滅するから麻痺残ったまま。 土葬が多いのは、数では神奈川県とか川崎市
米軍かな? >>146
墓守ってのがいて、腐敗が進むと土が陥没するから足してやったり、時期が来たら掘り起こして墓の区画内の一部に骨を纏めてやってスペースを作ったりしてくれてる。 >>180
自然に還してもらいたいよな
供養するのは気持ちの問題だから
墓とか遺骨とか自分の場合は残してもらわなくてもいい >>171
Ph下ったら酸性だから余計ヤバイのでは? >>140
えっマジで?
古代史好きなんだけど近年まで甕棺の風習があるとか初めて聞いた
差し支えなければ大体どのあたりの市の風習なのかお教えいただければm(*_ _)m ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています