【歴史】上杉謙信が武田信玄と戦った「川中島の戦い」めぐる新たな書状発見 5回目の戦いの3年後に謙信が出したもの 新潟
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戦国武将、上杉謙信がライバルの武田信玄と戦った「川中島の戦い」に関する新たな書状が、このほど新潟県内で見つかりました。「川中島の戦い」は5回あったというのが通説ですが、専門家は、その後も信濃の領土をめぐって合戦があったことがうかがえる「原本」で、貴重な記録だとしています。
見つかった書状は、戦国時代の永禄年間(1558年〜70年)に、上杉謙信が自分の領土だと考えていた、今の長野県北部、北信濃の7人の武将に宛てたもので、新潟大学名誉教授で、郷土史に詳しい冨澤信明さんが、およそ15年前に骨とう品を扱う関係者から購入し、保管したままになっていました。
冨澤さんが上杉謙信研究の第一人者で、上越市公文書センターの福原圭一上席学芸員に調査を依頼したところ、花押と呼ばれる、謙信のサインなどから、原本であると確認されました。
北信濃をめぐって謙信と信玄が戦った「川中島の戦い」は、通説では5回あったとされています。
学芸員の福原さんによりますと、近年の研究で、謙信と信玄の対立がその後も続いていたことは明らかになっていましたが、見つかった書状は、明治時代に残された写しの原本で、5回目の戦いの3年後の永禄10年に、謙信が出したものだということです。
書状では、信濃を北進する信玄の侵略を防ぐため、7人の武将に対し「皆々在陣あり、堅固の仕置専一に候」。つまり、「みんな、陣所のそれぞれの持ち場でしっかり守るように」と指示しているということです。
福原学芸員は、ほかの研究の成果も合わせて考えれば、5回目の合戦のあとも、合戦があったと考えるべきだとしていて「戦国時代の人は、今回が何回目の合戦と思って戦っているわけではないが、江戸時代に軍記物として書かれたときに、5回までをセットにし1冊にして残された。しかし、永禄10年にも戦っているということを念頭に見直したほうがよいのではないか」と話しています。
書状の持ち主の冨澤さんは「本物だと思って購入したわけですが、謙信の書状で間違いないということが確認できてうれしいです」と話していました。
2019年9月7日 4時25分
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190907/k10012067361000.html
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190907/K10012067361_1909062241_1909062244_01_02.jpg 天と地との映画は最後謙信と信玄が
「お前、なかなかやるな」
「お前こそ。見直したぜ!」
とか言ってマブダチになるのかと思った >>3
チンギス・ハーンは信長だった並に有り得ねぇ 謙信が信玄の陣に突入して大将同士が…ってホントにあったのか
互いの組織の引き締めのためのプロレス
勝っても負けても困るので引き分けが丁度良い 写しの原本で花押が謙信のもの? おかしくないか?
なんで写しに花押があるんだよ、コピーの無い時代だよ 信玄って戦術の天才だったかもしれないけど大局的な戦略眼はなかったよな
どうでもいい北関東や川中島や木曾とかにこだわって何十年も無駄にした この時湯沸かしのナベに矢が当たってカーン ヤカーン
こうしてヤカンと呼ばれることになりました - 劇終 - >>18
上野下野とかはともかく川中島は重要戦略拠点やろ みこすり半劇場の人が描いた信玄と謙信は今思うとよく出来てた様な気がする 天と地とは内容はスッカスカだったけど雰囲気は邦画の中ではトップクラスに素晴らしかったな
あの謙信に比べたらガクトなんか学芸会以下だわ >>5
まず鎌倉と室町の時空を歪めるところから始めないとな
因みに謙信女性説は江戸時代からある俗説 15年も前に買っておいて放ったらかしにしとくなよ、富澤さん。 >>1
本物だからといって謙信本人が書いたわけではないよね?
しかし、威厳ある書状だな >>18
信長が上洛とか考えれたのは自国をその近隣がが滅茶苦茶豊かだったから
尾張と伊勢くらい収めた時点で信玄が一生かけて盗った石高に大体匹敵する ポケットの中の戦争
謙信も信玄も日本史には影響を与えていないよね >>5
信長がチンギスハーンであるためには時空を超えなきゃいけないけど、
謙信が女説は時空こえなくていいからな。全然違う。 >>9
川中島の合戦場跡には、馬に乗った謙信が馬上から斬りつけ、信玄が軍配で防ぐ銅像まで建っている。
史実より伝説の方が面白い。 >>24
同意
ガクトの謙信なんか小物すぎて
見れないレベルやで >>33
信玄がガチでなかったら鉄砲も必要なかっただろう この二人のやっていることは「単なる勢力争い」に過ぎない。
下世話に言えばヤクザのシマ争いと同じ。
山口組と任侠山口組の抗争と変わらない。領民(市民)が困るだけ。 >>13
原本なんですが。今までは写しだけが確認されていて、今回、原本が見つかったということでは? >>29
自称第一人者と幼稚な学芸員による見解だから、
ちゃんと学会を通してから発表してね >>31
謙信公には女性説もあるからまだいいとして信玄にはホモだるまのイメージしかないな 謙信女性説は「子供がいなかった」っていうこと以外に支持できる要素あんの?
状況証拠が弱すぎてファンタジー >>22
門前町の収入はかなりあっただろうしな
信玄も謙信もどっちも譲りたくないわな 歴代大河でベスト配役を選ぶと
謙信:阿部寛
信玄:中井貴一
じゃないか? 甲斐も信濃も何もない。
謙信も信玄も人を売買して戦費調達してた。 皆が知っていながら口に出さない真実!
生涯、女と接しなかった謙信はインポだった。 信玄は場所的に本当に厳しいな
土地は貧弱、海は無い、北条と今川に挟まれて勢力伸ばせそうなのは信濃のみ
で、伸ばした先には謙信 >>55
甲斐には金山が何箇所もあった。それが軍資金だった。
金山は徳川時代の初期まで掘られていた。 >>32
だな
加えて畿内には謙信や北条氏康のような有力大名は存在せず
三好と松永も分裂状態で本願寺と一向一揆さえなければ各個撃破が可能な情勢だった そこいらの骨董趣味人ならともかく
郷土史に詳しい()名誉教授が15年も放っておく程度の興味しかない物を買って保管
それが今頃歴史的発見扱いとかどうなのよ
個人保管のまま埋もれてる貴重な資料なんてザラにあるんだろうな >>58
義信死なせて今川と対立
景虎死なせて北条と対立
上杉は内乱で力を失い、
織田、徳川、北条に囲まれた挙げ句に滅亡
全部裏目に出てるな >>49
あるから言われてるんだよ。
月に一度、不調があったらしいが
生理痛じゃないかと言われてる。
>>33
ゲームの信長の野望でどれだけの人が
お世話になったと思ってるんだよ。
戦闘力100のマックスだぞ。 上杉 謙信は、戦国時代の越後国の大名。関東管領(1561年 - 1578年)。山内上杉家16代当主。
後世、軍神や越後の虎、越後の龍と称された。
謙信は、他国から救援を要請されると出兵し、「依怙(えこ)によって弓矢は取らぬ。ただ筋目をもって何方(いずかた)へも合力す」
(私利私欲で合戦はしない。ただ、道理をもって誰にでも力を貸す)『白河風土記』と述べている。
信玄との生涯に亘る因縁からか、それが転じて二人の間には友情めいたものがあったのではないかと現在でも推測されることがある。
信玄は永禄10年(1567年)に同盟国の駿河今川氏真との関係が悪化し塩止めを受けているが(「萩原芦沢文書」)、
武田氏の領国甲斐と信濃は内陸のため、塩が採れない。これを見越した氏真の行動であったが、謙信はこの氏真の行いを
「卑怯な行為」と批判し、「私は戦いでそなたと決着をつけるつもりだ。だから、越後の塩を送ろう」といって、信玄に塩を送った
という。この逸話に関しては信頼すべき史書の裏付けがなく、後世の創作ではないかとも考えられているが、少なくとも謙信が
今川に同調して塩止めを行ったという記録はない。
この時、感謝の印として信玄が謙信に送ったとされる福岡一文字の在銘太刀「弘口」一振(塩留めの太刀)は重要文化財
に指定され、東京国立博物館に所蔵されている。
『日本外史』では信玄の死を伝え聞いた食事中の謙信は、「吾れ好敵手を失へり、世に復たこれほどの英雄男子あらんや」
と箸を落として号泣したという。『関八州古戦録』でも同様の話を伝えられている。
また、『松隣夜話』では信玄の死後3日間城下の音楽を禁止した。理由には「信玄を敬うというより武道の神へ礼を行なうため」
と挙げている。「信玄亡き今こそ武田攻めの好機」と攻撃を薦める家臣の意見を「勝頼風情にそのような事をしても大人げない」
と退けている。
一方で謙信は信玄をかなり嫌っていたとも伝えられている。信玄が父親を追放したり、謀略を駆使して敵を貶めたりするのは謙信
に言わせるところの道徳観に反しており、謙信は信玄の行いに激怒したという。信玄との利益を度外視した数々の闘争は、
謙信が純粋に信玄を嫌っていたことが原因だという説もある。 >>36
その川中島が新興住宅地みたいになっててビビった
深夜甲冑の武者がそこらを徘徊とかしないんだろうか >>69
いかにもやりそうだからな
毘沙門天の加護を受けてる
俺は大丈夫!って
触っちゃいけない
基地外だって、みんな避けそうだし >>49
たくさんあるぞ
教科書にも載ってる僧侶みたいなおっさんの絵
あれは謙信の死後、江戸時代に描かれたもので
生前に描かれたとされるものとは別人 川中島なんて、かなり辺鄙な場所だと思ってたら、今の長野市なんだね。要するに、信州で最も経済力のある一帯を巡って戦争したんだね。
あの辺りを旅行したとき、海津城跡のベンチで昼寝したのはいい思い出だわ。 毎回お互い睨み合いで終わったのか
力が拮抗してたんだろうな >>21
第1部というか、第一次上田合戦に至るまでは最高でしたね。 上杉謙信って安い酒を飲んだくれて死んじゃったんだろ? 大雑把な地図と限られた書物しかなかった時代に、
多数の味方と敵の武将を把握して戦ってた戦国武将ってすごくね 再来年は「上杉謙信伝」をやって欲しい
「天と地と」はフィクション多杉だし、川中島で終わってしまっていた。
手取川の戦いとかもちゃんと描いて欲しい。
配役は、上杉謙信:松本潤 武田信玄:綾野剛 で頼む。 >>9
北条軍?が取り囲んでいた城に
力士の様な巨体の男を十数騎だけ従えて突入して
入城したっていう逸話があるくらいだからな。
20年以上前に読んだ津本陽?の甲陽軍鑑とかいう
本でうろ覚えだけど
北条軍?はあっけに取られて手出しできなかったらしい。 >>84
晩年の肖像画が太っていて、「脚の腫物が治らない」といった記録が残っているので、糖尿病だった可能性が高いんだと >>18
戦国武将でそんな人信長くらいしかいなかったんじゃない
せいぜい地方統一とかそんなもんだった >>5
成吉思汗=義経は
日本人が言い出した事では無くて
シーボルトかなんかなんだよ。 >>72
趣味で集めていた旦那が亡くなり価値の分からない妻に焼却された書物とかもあるかもな。残念だよな。 長野なんてさっさと分割して2人とも他の領地攻めればよかったのに 謙信がガチホモでも女でも
思い込みの激しい
関わったら負け系の基地外なのは
変わらんのだから
それでいーじゃねーか >>85
三方原の家康って後世の我々から見たら間抜けの極みだけど
あんな大軍が即座に反転して待ち構えてるなんて普通は有り得ないんだよな
無線とかある訳でもないんだし 天と地の本来の配役
謙信は、渡辺だつたんだよな
もしも白血病で倒れなかったら
厠で 下から槍で串刺しにされて
絶命するシーンまでやってくれたろうな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています