【遺跡】なぜマチュピチュは到達しにくい場所に造られたのか インカ帝国の遺跡「マチュピチュ」の謎がついに解明
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https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191005-00029955-forbes-int
インカ帝国の遺跡で最も有名なのは、マチュピチュ山とワイナピチュ山の間に位置するマチュピチュ遺跡だろう。
約500年前に造られたマチュピチュは標高約2400メートルの場所に位置している。
ウルバンバ渓谷を見下ろすように岩壁の上に作られた段々畑では穀物が育てられ、1000人の人々の暮らしを支えるのに十分な湧き水も湧いていた。
しかし、なぜマチュピチュはこのような到達しにくい場所に造られたのだろうか。
宗教的に重要な場所だという説もあるが、米国地質学会の会合で発表された研究論文で新たな事実が判明した。
リオグランデドスール連邦大学が現地調査と航空写真の分析を行った結果、この遺跡は断層が交差する場所にあることが判明した。
マチュピチュは、北東から南西に伸びる断層と北西から南東に伸びる断層が交差する場所に建てられている。個々の寺院や建造物も断層に沿って並んでいるという。
これは偶然ではなく、マチュピチュの人々は、2億5000万年前に発生した地殻運動で砕かれた花崗岩を、建造物を建てるために利用したのだという。
しかも、花崗岩を掘り起こした後の溝は、2000ミリメートル近い年間雨量を記録するこの土地で、地下水を排水する役割を果たしたという。
排水することで落石や地滑りが起きることを防いでいたのだ。
他にもこの地域の遺跡では、オリャンタイタンボやインカ帝国の首都があったクスコ、ウルバンバ渓谷の村のピサックなどが、大断層の上に造られたことが
航空写真の分析で明らかになっている。 マチュピチュとかマンコカパックとか不謹慎極まりない 横浜にはマチュピチュみたいな分譲地がいっぱいあるぞ 到達しにくい場所に造られた理由になってない気がするんですけど あそこはリマとアマゾンを結ぶ 単なる峠の宿場町ですよ。 >>1
マチュピチュって、たぶん
天空の城ラピュタのモデルなんだろうな >約500年前に造られた
意外に新しい遺跡なんやな
もっと古いのかと思ってた
日本のマチュピチュ竹田城とほとんど同じやね 周辺のは壊されて最後に残った箇所が行きづらいところだったんだろ(´・ω・`) ずっと前にNHKの番組で外敵を寄せ付けない為だって言ってたぞ? 意外と
インカ人の避暑地、リゾート施設だっただけだったりしてな 建材が重くて運搬するのが大変だから、採れる場所に街を作ってしまえってことか
・・・って、麓には木材がたくさんあるのに、どうしてわざわざ石なんだ? えっ、たった500年前なのに謎が多いの?
2000年前くらいのイメージだったわ >>2
(‘人’)
スペイン語のrrの発音よりましだよ(笑) 到達しにくいって海岸住民基準でしか考えられんのか
現地人は昔から住んでたんだよ
マチュピチュ住人に「なんでお前ら到達しにくい海岸なんかに住むの?」と言われるようなもの 旅行で行ったが兎に角遠かった…
飛行機の隣の外国人の匂いで酔って本当にきつかった 中国の殷、インカ。
日本の飛鳥、アステカ、アラスカ
邪馬台国がマヤ 1の内容を読む前に占ってみた
Qなぜマチュピチュは到達しにくい場所に造られたのでしょうか?
「爆発的に解放された、根底的な意志をもって、もう一度物質的な生活が組み立てられる」など
正解→マチュピチュの人々は、2億5000万年前に発生した地殻運動で砕かれた花崗岩を、建造物を建てるために利用したのだという。
意志→石 >>13
ガリバー旅行記の天空の城ラピュータじゃないのけ >>21
石は重くて腐らないから石で壁を作って壁の上に木材をわたして屋根にする
雨が多くて地震がない地域では割とポピュラーな建築 >>30
(‘人’)
まあ流石にチョンタル人の起源を叫ぶのはおらんよな(笑) それより何故言い難い名前なのか、そちらが気になるわ。 マチュピチュの標高は2430m
実は首都のクスコの標高(3399m)の方がずっと高かったりする スペイン人に見つかりにくい山奥に作ったんじゃねーの? ディスカバリーチャンネルで見た。
世の謎とされてるものは案外謎じゃないんだよな。 >>36
なるほど
木材があるっていっても含水量が多いと建材として使いにくいか。 断層が交差するところでは花崗岩が破壊されていて、建築資材を得やすかった、という
こと?
それでけではないよな?
高い所に造ったのは外からの侵略を防ぐためでもあったでしょ?
日本でも古代に高地集落ってあったよね。 この辺の何ちゃら占いにハマってる女がすごい昔の遺跡と勘違いしてたので放置して笑い者にしてたな
日本だとぼちぼち鉄砲で撃ち合いしてた頃? >>1
お前らがインカ絶滅させといて「なぜ?」ってアホなのかな?
先代のやったことを一生後悔しろや インカの人ってこの時代に作られた石造りの
築500年の家に住んでいたりするらしい
こういう国では食料品にも課税しないと
税収はさっぱり伸びないだろうね? なぜ到達しにくい場所かって?そりゃあ新幹線も高速道路も無いからじゃね?あれば行きやすいでしょ 要するに高地であっても断層が交差して色々住みやすい利点がある
ということだろ、人間は本能で住めるところには住んでみる性がある。
つまり特別な理由は無くて住めたから住んだ、ということだな。 >>17
これ
百人でじゃんけんして勝つ確率は低いけど
逆に必ず一人、勝つ人間が存在する
この時間軸ではそれがマチュピチュだったというだけ >>36
こういうレスいいね
「お前バカだろ」ってスキあらばマウント取ろうとするレスより遥かに気持ちいい > 約500年前
人としては十数世代前なんだろうけど、100歳台の方も珍しくない昨今じゃなんか近く感じる >>10
ほんまに、フォーブスの記者はアホでもなれるとしか思えんな
こんなまとめサイト並みの釣りタイトルと、中身の無い記事で仕事になるんだから
けど給料は相当いいんだろう >>17
そうそう
行き難いからそこだけ破壊されずに残った マチュピチュって名前が卑猥だから古代風俗だと思うよ
チュパチュパやったたんだと思うよ 敵が自分らを殺そうと狙ってきてるのに、到達しやすい場所に街作るバカはいないだろww 虐殺で文字の解読ができなくなったのが残念
この世界は生物も人間も多様性を失う世界なんだよな >>66
大多数のインカ人はスペインに下って普通に生き残ったよ 住む場所を追われてたどり着いたのがその高地だったんでしょ
人間って留まる人より追われて逃げたりした人の方が優秀だよな
アメリカも結局世界を動かすような国になってるわけだし。
日本人も大陸や半島の野蛮な連中が嫌で逃げて来たのではと言われている
それで温厚で「和」を大切にする人間性なんじゃないかと。 マチュピチュ→行き辛くて近代まで発見もされずに残された。
イースターのモアイ像→沢山の人が住んでたが資源を取り尽くして島ごと放置された。 >>11
インカ道の建造が先だとしたら、途中の適当な場所に集落を作っただけなのかも。
下界から見るととんでもない山奥だけど、元々下界には人が住んでいなかった。 >>39
(‘人’)
印欧語やコーカサス諸語の子音の多さと子音連続の方が肝いよ(笑) >>1
コレ説明になってないやん
花崗岩でも断層でも山の上のをわざわざ使う理由が知りたいんだわな
交通の不便な山の上ってことは外界と閉ざされることを望んだかドローン持ってたか
しか思いつかない >>62
文字もないのにあの精密な建築技術ってのも不思議だよな >>78
(‘人’)
あのさ日本の城だって高い所に造るし城下町って意味知ってるのかよ?(笑) 500年前は石を削る程度の文明しかなかった。
人類が知的生命体として宇宙に誇れる文明はほんの100年ほど前に生まれた 南アメリカ大陸には身長5メートルの巨人が住んでたらしいぞ
大航海時代の船乗りの日記によると >>82
高いところに陣取ったほうが軍事的に有利だしね
メインの武器がスリングならなおさら ピラミッドをどうやって作ったのかは全く分からんわ
機械があるならまだしも人力という・・・
あれだけの数の石を削るだけでも相当な労力だろうに。 >>59
夜明かしドキュンがぞろぞろ出てくるからな 人類の起源が数万年前というのは嘘で
実際の人類の歴史は高々数百年しかないとしたら全てのつじつまが合う 空中庭園、空中都市、空に浮かぶ城などと聞いて
ガキの頃ワクワクしてたら、実際は高地にあるだけの物だったという
ラピュタが理想 >>78
「防衛に適してるから」ってのが前提になってるんじゃないかな。
防衛に適してるとはいえなぜ:こんな僻地に都市を作ったのか→水や建築素材が現地調達できるから、みたいな感じ 中国や周辺国の高地に住んどる民族って凄いな〜と思うと同時にもっといい環境あっただろ!って思う。 マチュピチュでググったら埼玉県越谷市のキャバレー『マチュピチュ』が出てきた
なぜあんな場所にキャバレーを・・?
それはともかくマチュピチュでも5t〜10tの石を積み上げてるようで
一体どうやってそんな事をやれたのかは今でも謎なのだとか
不思議だよね 世界的歴史建造物を
地球儀で線を結ぶと一直線に並ぶ件について 新しい!と驚いている人も多いか
日本も500年前はそう変わらんよ
産業革命前はどこもそんなん
生活様式は江戸時代くらいの日本と変わらん
ただ個性的な記述方式や記録方式だった位で
日本にもその頃は人柱の生贄文化あったしな
古代のイメージなのはアニメのせいじゃないかなと思われ
生活様式はあれが古代だったら大事だという程度には進んでる
農耕も建築も国のシステムもな >>92
エジプト古王国の王権は、その労働力を数十年動員できる権力と財力、加えてその間他国からの侵略を跳ね除ける軍事力を有していた いろいろ試行錯誤した結果、この場所が一番安全だったってことか >>108
一直線に並ぶ遺跡だけを選択していて
一直線から外れる遺跡はあえてスルーした結果かも知れなくない? >>114
(‘人’)
国立音ノ木坂学園の宣伝乙(笑)
そうそうアイドルグループにも坂が多いね >>120
宇宙船の発着所でここから宇宙に飛び立ったんだね
その後の消息は知らん。 >マチュピチュ
浦安鉄筋家族のフグオがたまに口ずさんでたよな >>121
人名
緒方ケンがインカ文明紹介の動画でそう発音している ペルー料理って美味しいんだよなぁ
南米は料理がおいしい所が多い 初めて鉄砲を見たインカ人は驚いた。
そして鉄砲を扱うスペイン人を神の使者と驚きもてなした
一方、同時代の日本人は鉄砲を見て驚愕した
そしてそれを譲ってくれと懇願して大金を支払った
大金をせしめて調子に乗った異国人が再度日本に来た時
鉄砲を売ろうとしても大した額では買ってくれなかった
調べてみると既に日本では鉄砲の量産が始まっていた >>9
土地に傾斜ありすぎ。つくば市方面なら
坂ないのに。 >>127
鉄砲をマネして作るといっても超大変だぞ。
クワや刀を作るレベルとは全然ちがう。 >>106
マチュピチュの石積みは
クスコのに比べれば雑 >>122
マジレスすると環太平洋ぐるっと同系統の民族がおそらく陸伝いや海伝いに
拡がってたから、北米南米の太平洋側にいた先住民が日本人な訳じゃなく
彼らの祖先と日本人の祖先(というか縄文人)が同じ >>10
> 到達しにくい場所に造られた理由になってない気がするんですけど
岩がいっぱいあって調達に便利だから、
岩場にとりあえず神殿作ってみた、
岩を切り出したら意外と治水効果あって、
人が集まってきた、以後ループ。 >>132
実はどうやっても出来なかったのがネジの部分
ネジの仕組みは分かったがどうやっても当時の日本の技術では
おネジとめネジの溝が作れなかった
ここだけは他の外国人から聞いて作った
残りは全部分解して調べたら作れた
火薬とかは軒下に溜まる硝石から作れたし >>89
アフリカなら、ンから始まる発音が
いっぱいあるよ。 >>132
横レスだが127は史実を述べてるだけだけど・・・
中学校の歴史で種子島の事は習わなかった?
でも幕末には大砲の性能で苦労して色々買ったね マチュピチュかなんかで見つかった
クリスタルでできた骸骨のほうが不思議だよ
当時の技術じゃぜったい無理らしいから >>1 約500年前に造られたマチュピチュ
意外と日本より新しいんだね マチュピチュの近くで作られる珈琲豆が凄く美味しい。コクがあって甘い >>141
なんかあれバレてなかったか
最近作ったもんだとか インドに鉄砲が伝わったのは日本より少し前だけど、やはりインド風にアレンジして
多く製造されたようだね。しかしムガール帝国によるインド侵攻では鉄砲より大砲の
ほうがよほど重要だったようで、同様に火力重視の時代に入ったとはいえ日本とは
力点の置き方がちがう。 >>141
あれ作って100年も経ってないってばれたんじゃなかったっけ >>138
ネジは、まず雄ネジから作る。オスネジ=いわばペニスの方ね。
これは、ヤスリで溝を削ってつくる。
ようやく完成したら、銃身(これは鉄棒に、鉄の板を
巻き付けて赤熱させて叩いて円筒を作り、あとで、鉄芯を叩いて抜き出す。)
の端に、雄ネジをはめて、叩いて密着させる。これも赤熱状態でやる。
そのあと、オスネジを抜きとる。これでメネジ(いわば、マムコの方)ができる。
銃身の中は汚れ易いことと、不発もあるので、
オネジは一応外せるようになってる。 >>34
ディオ様が吸血鬼化するために決まってんだろ? >>1
500年前とかマチュピチュって割りと最近のものだったんだな… >>145
まじかよ
ガキの時に学研の世界7不思議とかいうの
読んで驚いたのに
イランで見つかった電池とかも偽物なのかな >>132
火縄銃なんて簡単だよ
技術力の無い朝鮮人でもあっさり量産したんだからw >>138
ネジの仕組みを知らないのにそれを外せたのか?
その方が驚きだわ >>148
ああ、なるほどね
クイズ面白ゼミナールでもここは問題にされてたが
作り方までは教えてくれなかったからずっと疑問だった >>155
だから当時の日本人は仮止めみたいな簡単な止め方しかしてなくて
それで銃を撃つと暴発を繰り返して相当な死者が出たんだと >>154
幕末に日本の横浜から出航して朝鮮半島にちょっかいを出しに行ったフランスの海兵隊1個中隊を
李氏朝鮮が1万丁とも見積もられる火縄銃で撃退してたな。 カピバラの襲撃から逃れるために高地に住まざるを得なかったとみた。 >>151
日本が戦国時代のころだもんな。欧米人も
アメリカ大陸に到達したころ。
ちょうどそのころにマチュピチュで
せっせと石積みをやってた。
だからインカのぴったりした石の積み上げ方
というのも宣教師が見てる。
あの多角形の石をどうやって組んだのかというと、意外と単純で、
石をいったん組む。スキマや余剰部分がわかるので、
また外して、拳ぐらいの石で叩いて削っていく。
また、大石を持ち上げて、目的の箇所にセットする。またズレとかが
あるので、また外して、また石同士を叩いて削る。
何度もやってから、ようやく完了。ぴったりはまる。
でもこんな手間のかかるのをやったのは、神殿など宗教的な
特別な場所のみ。 ネジは本来旋盤でつくるものだが、旋盤は地中海文明の発明品だからね。 >>114
立ちこぎの若尻を楽しむためだと思ってる インカ帝国の首都はクスコで初代皇帝がマンコ1世
最後の皇帝もマンコ 水があって日当たりがいいんだから不便もクソもないだろ
山の上といっても赤道近くで暖かいし
寒いクスコや乾燥してる海沿いよりよほど住みやすい >>152
クリスタルのガイコツは、
顕微鏡で見たところ、一方方向に
流れる多数のすじを発見。これは回転機械に
よる研磨の跡。ドイツで作られたらしい。
でも発見者が存命中の間は、あまり真相究明しないようにして、
亡くなったあとに精密調査をうけて、あっさり解明。
ごく最近のことだよ。 平地にあったけど物理的ポールシフトで山になっただけやで >>161
マラリアの蚊から逃れるために高地に住んだのは事実。 頑張って作ってみたけど
ミイラ作りに適してないから(゚听)イラネ
で廃村 >>146
インドではなぜかロケットが気に入られた
設計は非常に優秀で、密集したイギリス軍歩兵に打ち込んで、大混乱させている
イギリスは入手したロケット弾を研究して、自軍にも導入した
このロケットは、イギリス海軍によってアメリカ軍の砦に打ち込まれ、アメリカ合衆国国歌に登場することになる >>122
日本の太平洋沖の海流は、南から北に進む。大航海時代以前の和船(丸木舟も含む)
は漂流しようが意図的に向かおうが、これに逆らって南太平洋を突っ切って直接
ペルー(南米)に到着するすべなど無い
ユーラシアと北米を陸路で往来できた時代には、どのみち日本人の先祖は居ない
あとインディアンの部族には、意外と多くのコーカソイドの遺伝子が混じっている
のが居る。むろん近世以前からのものだ。太古の移動中に混血したらしい >>10
到達しにくくてもそこで生活が完結できた、
ってことでしょ
水も建材もあって、暮らしには困らなかったと思う ドラクエでも山に囲まれた城とかあるな
天馬みたいのに乗らないと到達できない >>127 >>132
驚いたのは鉄砲じゃなく、馬だよ
インカに馬はいないし乗馬技術がなかった
何かに乗っている人というのが驚愕だったんだ
それとインカには製鉄技術がなかった
日本にはあった
インカは手術のようなことまで行う超大国だけど石器文明だった
戦闘に鋭い宝石のような武器を使った
いずれ対立したスペイン人たちを殺しまくったが、騎馬戦術と火砲で逆転された
それとインカには車輪が無かったので、輸送・補給・移送に人力しかなかった
日本はメチャクチャ幸運だった
文明の差というのが如実に表れたのが大航海時代 >>129
TXが地獄と化してるので都内に逃げてきたよ… >>173
ググってみた。
おお、見ゆるや 夜明けの淡き光を受け(おお、言ってくれ、あの旗をまだ見ることが出来ると)
先の夕暮れ 陽が落ちる時 我等が歓呼したもの
其は太き縞と輝く星条旗を我々は目にした 危き戦の間
城壁の上に見た 勇壮に翻りし 彼の旗/
狼煙の赤き炎立ち 砲音宙に轟く中
↑ロケット マチュピチュって日本だと天下統一じゃーって戦ばっかりしてた頃か
もっとエジプト文明ぐらい古い時代のものかと思ってた >>174
アメリカ大陸でのインカ文化は、
メソポタミアやヨーロッパ文明とは
全く関係なく独自に発達したのだから、
紀元前3万年前とかでもいいのに、
西暦1500年ごろというわりと近世になってから
なんだよな。 スリランカにも中国にも高い所の宗教的な建物はあるでしょ
理想で作るんだけど現実には維持が大変で長くは続かない
困難な場所だから壊されないで残るというのもあるな >>177
てか卑弥呼の時代には鉄器が大陸から入って来てたしなあ
そもそも卑弥呼は魏と外交をやってたわけだし
こういうのを考えると日本人ってやっぱり最初は遅くとも
すぐに追いつくだけの能力があると思う >>174
最近インディアンより前に日本人がアメに到達してたってニュース見なかったのか
北へ向かう海流はそのままアメ沿いに南に向かう
あと、ペルー辺りに縄文文化の形跡があるってのも有名 >>189
日本では邪馬台国どこかも現代に伝わってない時代に三國志として誰がどこで戦ったとか残ってるって昔の中国人はスゲーよな >>177
スペインは同時期に北米にも進入したけど、馬を知らないインディアンに打ち負かされて撤退した
インカだけ弱すぎなんだよなぁ たまたまでしょ
地質調査する技術なんかなかったろうし 到達しにくい場所であったし岩が崩れていて都合が良かったからか マチュピチュの全景ってどの写真見ても
同じ方向からの同じような写真ばっかり
他の角度からの写真は無いのか? >>198
あれより高い場所ってのが一方向なのかもね >>193
どういうこと? スペインは北米のアステカを滅ぼしたけど
その後はイギリス・オランダなどと戦争して、北米に入られてしまったけど >>127
インカの言い伝えに、神様がそのうちあらわれて、それは白い人だってのがあって
たまたま白人がそんな感じだったから
インカの人たちは神様だと思い込んで
なんでも言うこときいてるうちに
殺されるわ
欧州の伝染病が広まって自然に人が死んでくわ
で、ほろんじゃったって
4Kのインカ帝国から生放送でやってた
気がする(違う番組かも) >>174
大陸が離れたのはかなり古代だけど、上を氷が覆ってたから陸続きとほとんど同じだよ。 >>189
卑弥呼の時代には、馬はまだ入っていなかった。
でも、纒向遺跡というか箸墓古墳からは馬具が
出土してしまったので、卑弥呼や邪馬台国とは
関係ないことが判明してきて畿内説は窮地に。 比叡山延暦寺も地質学的な理由であそこにできたとブラタモリで言ってたな >>203
いや氷が覆ってた時代は通れなかったらしい
その時代に遺跡が見つかった
一万六千年前ね 一度でも行ったことがあればすぐわかるけどあれは避暑の館だよ
一般人は谷底のウリャンタンタイボに住んでるけどそこは厚いから
下には今でも温泉があるんだけど、偉い人は下で温泉に入って上で休んでた
温泉の後で涼むための施設がマチュピチュ
と俺の中では結論が出てるんだけどな >>198
現地に行くと、他の角度からも
見えるよ。うちの親戚がマチュピチュ
まで行ってた。写真飾ってあったな。
有名な写真は、そこが撮影ポイントだから。 >>204
そうかそれで必死に機内邪馬台説を唱えてんのか
なんか最近焦ってるなあっておもったんだがw
九州に決まってるだろう、アホなのかね 都合よく割れた花崗岩と治水だけで暮らし易いとは言い難い。他の理由もあるでしょ? >>207 その番組見たよ。
比叡山延暦寺は山の上にある、という印象だけど、
じっさいに比叡山は山頂が平らな部分が広いので
多くの建物を建てることができた、という解説だったね。 >>201
アステカはメキシコや
フロリダに上陸したスペイン人はインディアンにぼろ負けして全滅 マチュピチュでは暮らせないよ
写真だけだとわかりにくいのかな
有名な段々畑とか超狭いし数も少ない
数家族とかなら別だけど長期的にまとまった人間が生活するのは不可能
今でも下に温泉があってちょっと栄えた保養の村になってる
でもそこは谷底でとても暑い
だから上で休んだ
そんなところだよ
行けばすぐ判る >>213
クリスタルのガイコツと同じでね、
大きく広まった話を今さら変更できなくて、
生きている間は押し通すしかないんだよ。
死後に子孫が「じつは・・・」とやるのを
期待するしかない。 スペイン人が下で大虐殺をしていた時もここだけ平和な時間が流れたってのがすごい やばい
インカ、マヤ、アステカ、バージニアの話が混ざってて混乱してきた >>204卑弥呼や邪馬台国という当て字を見てシナの作り話と分らんのはバカ以外何物でもないんだが 現在のペルーのクスコ地方でマンコ・カパックが興した国がマチュピチュで有名なインカ帝国へと発展していった
つまりクスコでマンコ・カパックしたらマチュピチュになったということである ずっと古代遺跡だと思ってて500年前と知ってびっくり え、マチュピチュって500年前のものなの?
つい最近じゃんよ
日本とか戦国だぜ
なんであんなローマ帝国の遺跡みたいに古びてんだよ >>13
こういうバカの妄言を他のバカが安易に信じてデマが広がるんだろうな マンコ・カパックがいかに偉大な王だったかはつボイノリオが歌にしている おれぐらいになるとペルー人の友達がいるけどね
名前?
書けるよ
カシミア・ナスカくん >>229
だんだん文明が進化していって、
最後に滅んだのが500年前ってことで。 >>130
こないだ+にスレたってたよ
あちらの土器が縄文土器そっくりさんだったとイギリス人?だかが発表 >>235
当て字なのは当たり前だし。
倭人使節の発音に漢字をあてただけだし。 >>198
そのうちドローン空撮とかより良く見える角度からの画像がでるんじゃね オリャタタナイインポ、チンポ帝国の首都クスコに見えてしょうがない 以前NHKでインカ帝国特集があったんだが、マンコ・カパックの肖像画が映ってる場面であるにもかかわらず
ナレーションは「伝説上の初代皇帝が・・・」とか言うだけでちゃんと名前を言わなかった
これはモンゴル帝国で言うならチンギス・ハーンの名前をスルーするに値する非礼である
NHKは反省しろ それを言うなら、オンナ村のインブだろ。
日本の地名な。(沖縄) >>229
今北にわかだけどインティ伝説によるとマンコは太陽神インティ (Inti) が地上に使わした息子で彼がクスコに現れる以前は神話時代だったみたいだよ。
あたまクラクラする 500年前から観光客目当てにして作ったんだから先見の明が有るな マンコ・カパックは伝説上の存在だとしても世界史の教科書ではたいていアタワルパが最後の皇帝となってて
マンコ・インカ・ユパンキはスルーされている
名前を載せることにいったいなんの問題があるのか? >>137
それを当時の人間がなんて知ってたんだよ
ってこと >>248
緑の芝生で綺麗な遺跡になってるよな。
観光の撮影のために
アルパカとか放し飼いにしていたら、
(インカ帝国の当時はそこにはいなかったらしいが。)
草を食っていくうちに、芝生になってしまった
とのこと。 >>243
北条政子も、本来は まさこ じゃなくて
ま○こ と発音したらしい。
政所(まんどころ)という例もあるし。 もともと平地だったのが地殻変動で盛り上がったんじゃないの >>1
理由になってないよ
太陽に少しでも近い場所を探した結果とかの方が説得力がある 防衛のために攻めにくい場所に町を作った
とかじゃないの >>251
マンコカパック空港が在るだけでいいじゃない 殷、稲荷イネカ、インカ、色々共通点がある
若、【ワカ】
インカ帝国では、【ワカ】は川や泉などと結びついた聖なる存在
アイヌ語で【ワッカ】は清らかな水
インカ帝国はy染色体ハプロタイプはQ系
殷もQ系だったらしい
日本にもQ系は1%弱いる
インティはインカ帝国の太陽神
殷の王族は太陽の末裔
殷の王はシャーマンであり鬼神を崇拝していた
稲荷はイネカ→インカ
【若】宇加能売命、稲荷は殷系の渡来人と関係あるのだろうか?
殷の文化
獣の肩甲骨を使った卜占、動物や人の生贄、殉葬、酒を使ったトランス状態で神託をきく、太陽神の末裔、
殷では女性は巫女として政治に参加し、戦争の最前線で活躍するなどその地位は非常に高く、飲酒は神事であった
古代の日本、邪馬台国の記述とそっくり これ飛行機で上空を通ったパイロットが見つけたんだよな
で現地に調査に行ったら麓の現地の人たちは山の上になにかあるのは知ってたって
なんだろね?って感じで誰もそれが何かは知らなかったって
ちょっとおもしろい マチュピチュの【マチュ】
インカ文明、ケチュア語のマチュは年老いたという意味
【アイヌ語】のマクは奥、時間的に奥、古い、年老いた
全く同じ
松とも関係あるのかな 単なる当時のリゾート地、観光地。日本にもあるでしょ、深い意味はないよ。 >>10
到達しにくい場所だけれども>>1の理由で都合が良かった という事じゃないか >>252
物好きが登って「丁度いい岩がいっぱいあったぞ」じゃね 古代文明とばかり思ってたけど
たったの500年前なのか
江戸時代のちょっと前ぐらい
ならば石組みの技術や治水技術に驚くほどのことでもないな >>252
ギリシャやエジプトだって石切場の近くに色々作ってるわけでな ふーん、それなりに合理的な意味があったと言うことか
昔に世界ふしぎ発見で
スペイン人の侵略から避難したんだ、的な解説してたと思うが
しかし、採掘した花崗岩を他の場所に持っていく発想はなかったんかな
水はけが良いと言っても
山の上に作ってしまっては他の事が色々と不便であろうに >>79
文字はあったんだけど、スペインの宣教師が焚書坑儒して焼き尽くしたんだよ
中南米もそう
ヴォイニッチ手稿はそれを逃れたアステカ文明のもの説があるよ
実際、その絵図の花や草は中南米独特のものだから
でも、それは認められない
論文を認定する機関が、欧米の支配者たちに牛耳られているからね 到達しにくいてことは何か敵とかから逃げてたんじゃねて思ってた >>224
卑弥呼→日巫女
邪馬台国→大和国
だよ。
古代シナは蛮族にはあえて野蛮な当て字をする。
本来の漢字にすれば、大和の巫女ってことだよ。 >>269
でも鉄器どころか青銅器も碌に作れなかった 城塞都市で防衛兼ねてたんだろ、別に驚く事じゃない
欧州にはこういう町や修道院沢山あるよ、カノン砲で壁が陳腐化したから以後消えていったけどね >>271
山の下って、南米のジャングルなんだよな
岩山に住むか、ジャングルに住むかと問われれば
岩山のほうがいいかもしれない >>276
近代日本という国がその字を使い続けているのも意味がある
その気があればいくらでも変えることは出来るからね その後の変化で行きにくい場所になっただけじゃねえの? 16世紀といえば、ヨーロッパではルネサンス盛んな
サン・ピエトロ大聖堂とか作られてた頃だろ
それを思えば、ガッカリ遺跡だなマチュピチュ 北アメリカに文明がなかったことの方が不思議 もっと早く日本人が流れ着いていたら金鉱も日本のもんで世界制覇出来てた >>284
世界中、他のどこにもない
石器文明の究極なのだが
理解できんやつにとってはガッカリなんだろうな >>284
日本で言えば信長の頃だろうしな 石垣作るくらい日本もやってたところだろうしな >>284
大坂城レベルのものが作れない文明は、
ジェノサイドされたか、植民地になった時代。 >>290
進歩に取り残されているだけだろ。
爬虫類や哺乳類の全盛期に「究極の両生類」とか言ってるようなもん。 利便のいい土地を争う愚を犯さず「なら誰もこない場所に住めばいいじゃない」
の発想はあったのかな >>292
中央アメリカになるんじゃないの しかもそれもどちらかといえば新しい >>294
究極の魚類も究極の両生類もあり得るだろ 白人がやってきた頃のアメリカ大陸は
時代区分で言えばまだ古代の段階だった
みたいなことをどこかで見た気がする マルクス史観に囚われている奴は文明の発展度でしか歴史を語れない >>290
なにが石器文明だ
土人の文明だろ
日本では巨大な石垣組んで城を作っていた時代 >>279
なるほど生活の場所が山の上で
狩猟や採集は下でやってたんかな
下にも集落はあったけど
階級が上の人たちがマチュピチュに住んでたとか マチュピチュ行った事あるけど、入場料五千円くらい
取られた
ちな麓の村からマチュピチュまでバスが出てるんだけど、それも
往復で24ドルという暴利・・・
年々値上がりしているらしい。おまいら今の内にマチュピチュは行っとけ
いずれ入場料一万とかになるぞ > 2000ミリメートル近い年間雨量を記録するこの土地
半端ないなと思ったら自分の住んでる所の方が降水量多かった 日本だって山の上のほうに住んでたんだろ うちの近くに竪穴住居の遺跡あるけど山の上の方だ >>288
インディアンが流れ着いた日本人が祖先なら早すぎたか… 日本人と同じ遺伝子
岩をキレイに切っていた
重たい岩を運んだ
未だ豊富な水が出続けている
天文学
太陽信仰
規律が厳しい
品種改良していた
糞白人に滅ぼされた 日本人がアメリカにたどり着いていても
白人みたいにアメリカ大陸を活用できなかったような気がする
先にたどり着いていたとしても
後からやってくるであろう白人に取られて終わりだと思う >>290
そら紀元前とかならともかくたった500年前にあの程度のもんしかできんような
土人文明を見て、ああやはり土人なんだなあと思うしかない場所だからな 言いにくいんだよマチュピチュって。
きゃりーぱみゅぱみゅの次くらいに言いにくいよ。 >>315
モアイはもうちょっと後だがそんなもんだよな >>308
ググってみたら日本の降水量平均1757mmなのね
マチュピチュもたいした事ないな!w >>162
大阪城のタコ石の凄さもあるよ!
さてはこの時代何かあったな >>320
でたー
辻褄の合わないことは
全部宇宙人説〜
でも全部人間がやったこと >>312
なんか
日本人とは微妙にずれてる気がする どこの県にも○○県のマチュピチュとか言われて馬鹿にされる山を切り崩した団地がある >>274
マヤ、アステカとインカは全然別なんだが
前者には文字があったが後者にはない
文字の代わりに名前忘れたが紐で編んだものは存在する >>324
おれは古代宇宙飛行士説の信奉者だからな
正統派・主流派の学者共には騙されんぜ! >>330
古代宇宙旅行士説の提唱者はそのとおりだと言う 温泉からマチュピチュまで登って、更にワイナピチュまで登った俺は最後息ゼエゼエだった。
頂上の巨石の下で出くわした日本人数名と雨宿りした思い出。
プーノで走り回って夜中頭痛でうなされたのとともに南米の思い出。 単に虫が少なく作物もよく育つし過ごしやすいからだったりして >>276
でもな古代中国語じゃ邪馬台国をヤマタイコクって読まないんだぜ
ちなみに現代の中国語でも読まない
それ日本語の発音
訳した日本人の学者さんが邪馬台国をヤマタイと読んだだけ
だから邪馬台ーヤマタイだーつまりヤマトー大和!は日本語だからそうなるだけ
魏志倭人伝は中国語で書かれた書物で読み方も中国語
だから邪馬台国も中国語読みで読まないといけない 空中都市が魅力ってこともあるけど、
古代にしては、石材の加工技術の高さが魅力なわけだろ。
鉄がない時代にしては、
カミソリの刃すら入らないといわれる加工技術がすごいし
10トンもある巨石が石組みに使われているからな、
頭が良ければ良いほど、現地に行けばすごい知的興奮を得られるだろ
阿保には、良さが判らない遺跡 温泉から徒歩で上ったのか
そりゃご苦労なこったな、足つる
立地を見れば分かるように、下の村に温泉があって保養地になってる
クーラーがない当時は偉い人なら下で温泉に入って上で休むだろ
下はジャングルで蒸し暑いし上は高地でとても涼しい
温泉後の休憩ためのちょっとした施設に過ぎないのをハイラルヒンガムとかが偉く持ち上げただけだろ
行けば分かる
あそこは今の健康ランドの休憩室的な場所
実際はかなりしょぼいし
あんんたところに夢を見すぎ こことかクスコとか世界的遺跡が同じ緯度上だか経度上に点在する理由は? マチュピチュって500年前かよ
全然古くねーじゃん 山の下はジャングルでとても蒸し暑くそこに温泉がある
上は涼しい
インカの偉い人なら温泉の後に籠かなにかで上に行って寛いだんだろ
施設は写真で見ればすごいけど実際に行けばしょぼくてとても要塞にはならん規模だし
マチュピチュの神秘とかムーとかの作り上げた幻想
行けばすぐ判る単純な話 ジャングルの中に自動車サイズの頭部だけの石像がゴロゴロしてる文明なんだっけ? >>342
インカ帝国が滅んだのが500年前なんだから、もっと古いに決まってんだろ
アホか >>1
妙に説得力ある説だな。
交通インフラまで整備してた国だから土木技術の知識は相当あったろうね。 >>348
まあね、でもそれだから、活断層が一番怖いのを知ってるわけで…
直上なんてとても>< >>1
>宗教的に重要な場所だという説
わからんととりあえず「宗教」って言っとけはいいから便利だよな >>351
宇宙人的に便利だったから
ってのもある >>18
それもあるだろうね。中国だといまでもマチュピチュみたいな暮らししてる人結構いるね >>336
>上は高地でとても涼しい
>>343
>上は涼しい
そうか?
俺は去年6月末頃にマチュピチュへ行ったが、物凄く暑かったぞ。
空に一片の雲とて無く、全天360度の青空。
太陽はギラギラで、背中を炙られながら、陰を捜しながら観光をした(いや、陰は無かったが)
「太陽の門」までインカ道を往復したが、フラフラになるくらい暑かった。
どこをどう押せば「涼しい」という感覚になる? >>162
よくこんな大きい石をどうやって運んだのでしょうなんて言うけど
マチュピチュ造った場所は石切り場の中なんだよな
不思議でもなんでもない
エジプトのピラミッドだって基本的に石切り場内に建てられている 朝晩は涼しかったろ、寒いくらいに
上は直射日光の熱で下の蒸し暑さと全然違うはずだけどなあ
感じ方の個人さなのかな >>10
とにかく優先順位は石材確保が一番でラッキーな事に水も湧くからそこに祭壇施設兼住居拠点作った
平地から遠いかどうかなんて後世の疑問でしかないって話だろ
文盲+展開思考の無さは致命的だな 石積み的には普通やが一枚岩の中を直角に掘った30cm角くらいの
隧道っぽいのががあるんじゃなかったっけ
日本にも熊本のトンカラリン遺跡やったかが同じく
日ペの繋がりは知らん
勘違いやったらスマンこ >>363
なんかそれ、Civilizationの都市出し立地みたいだなw
まぁ、他の都市との位置関係やアクセスし易さより、建材の確保とか造成の手間とか
の方が重要だったんだろうなぁ。付近に何か高級資源があったのかもしれんけど。 >>1
え?
ちょっと待って
500年前って、、、
全然神秘的じゃなかったのね
なんの不思議もないサヨウナラ >>363
そのとおり
マチュピチュはあの場所が石切り場なのである
到達するのが難しい場所なのではなく
石切り場の中に建てられたからあの場所なのである 日本で言う戦国時代あたりか
その時代ならこんなの馬鹿でも作れるわ
むしろ馬鹿しか作らないわ
これが1万年前とかなら色々と気になる遺跡だったのにな
色々とガッカリだわ そんなことより
なんでマチュピチュなんて変な名前にしたかの方が大事 このスレは>>363を読んどくといいよ
超古代文明の謎とかいうのに対して>>363が実に簡潔で分かりやい回答だ >>370
そんな貴方には、ギョベクリ・テペ遺跡!
ストーンヘンジよりも7千5百年も遡る紀元前1万年、農耕文明以前の新石器時代に
建てられた人類最古の神殿やで。 >>374
2億5000万年前に出来て、それ以後の活動実績のない断層なら、別段危険はないだろ。 >>334
国の読み方はどうでもよく、違うのは当たり前
重要なのは邪馬台であり、ヤマトだよ civシリーズでのマチュピチュは優良遺産な事が多い 到達しにくいって完全に海岸や平地に住んでる視点だよね。
建材も水も畑になる場所に住んで貿易の必要なければ到達もなにも無いだろう >>379
しかも主食がジャガイモだっけ
動物性タンパク質は近くのチチカカ湖で魚が釣れたはず(たぶん)
服も飼ってるリャマの毛を紡いで作れば出来るだろうし
完結した町だよね
あまり深く知らないから合ってるか分からないけどw 石組が精巧と言われるがそれは表面の話だろう
俺が気になるのは石組みの内側だよ
小石や砂利を詰めてるのか? そこらの情報が皆無なんだよね 山の頂きというのは、元々は聖なる地ではあったからね パンダも元はただの熊だったのがグループ内の餌の奪い合いに辟易して
ちょっと上に移動し、またそこで争いを経て上に移動し
で、四川省だか誰も寄りつかないような山の上で生活するようなったんだろ?
あんな大きな身体で竹なんか栄養足りるかよ。だから朝から晩まで食ってんだよ
それでもそんな植物しかない環境でもパンダは選んだのよ
他の仲間と争いたくないその理由でな。
だからパンダはああも可愛らしい。ゴロゴロぐねぐね。かわいらしい そもそも赤道直下は熱いんだよ。
軽井沢に住む様なもんだ。 崖の上とか丘の上とか行きにくい高い所に住んでるのは大抵は防衛のため
略奪や惨殺から逃れるため
頭上の理ってやつだ
早く見つけた方が有利、高い方が見張りに有利、下から攻めるより上から殺す方が有利 >>70
人類史上もっとも「追われた」ヤーガン族をみると結構残念だけどね
毛皮を縫い合わせるのに必要な針と糸を発明できず酷寒のパタゴニアで全裸だった
ただボディペイントが特撮みたいで格好いい >>396
ガンバレ原ちゃんみたいに無抵抗だったのかな 大海を渡ってきた文明人からすればこっちにビビり倒してる半裸の蛮族なんざさほど脅威でもないでしょう マンコカパック
首都 クスコ
なんかすごいよな(´・ω・`) >>397
伝染病でも持ち込まれたんじゃねえの
今でこそワクチン打ったりして防衛できるけど昔は無かったからな
他所から持ち込まれたインフルエンザだか麻疹だかで島民ほぼ全滅とかあったらしいぞ
宣教師は辺境まで行って梅毒撒き散らしまくりだったし >>5
イメージだと古代だけど、実際は江戸時代という(笑) マチュ・ピチュがスペイン語だと知ったときの複雑な気持ち >>402
ミャンマーのパゴダもかなり新しい。
江戸城なんて日本の建築技術のはるかに高度なこと 一度仕事で行ったことがあるけど
天気が悪かったという思い出しかない 古代においては陸の中心が全ての中心だったわけで
今のように海運など存在しない。中華の都も古代ほど内陸にあった。
今では廃墟の中央アジアの各都市もラクダで運んでた時代は華やかで先進的な国際交易都市。
それが大航海時代に全てが一変したわけだね
海辺に都市があるはずというのは中世以降の常識なんだよね 6世紀や7世紀を「古代」なんて言ったら世界で笑われるぞ
同じく奈良や京都を「古都」なんて言っても世界で笑われる
お前ら覚えとけよ その前に、なぜ言いにくいネーミングにしたのか?が重要。 >>1
宇宙人が造ったので、到達しにくいとか関係ないのかね? >>409
地中海は海沿いに都市があるのが当たり前だった
海が穏やかで内海交易で発達できるから
一方中国やインドやエジプトは大河による内陸交易が発達したし
中国の海禁政策は貿易で力を付けられて反乱勢力になるのを防ぐための人工的な政策
アダムスミスの「諸国民の富」に書いてあることなんだけどな
やっぱり古典って神だわ >>401
屋根の藁(トトラ)に弓矢で火つけられたような
攻め込んだスペイン人の放った火がマチュピチュ全体を炎に包んだと
なるほど!ザ・ワールドか世界ふしぎ発見かNHKインカ帝国特集で見た ちょっと差別的ですが面白い話を
主食に関する話でね
小麦を食う民族→小麦を栽培するのには広大な土地がいる→領土戦争をたびたび起こす(ヨーロッパ)
トウモロコシを食う民族→トウモロコシは収量が良いが地力を使いすぎて土地がだめになる→短い期間しか繁栄できない(インカ等)
イモを食う民族→収量が多く、工夫しなくても食うことが出来る→文明はあまり発達しない
米を食う民族→定置農業が可能である→おとなしく、戦争はおきにくい(アジア諸国)
まあ、一理ある
世界で主食にされている植物を挙げると・・・
穀物(イネ科)
イネ、アフリカイネ、コムギ(パンコムギそのほか含む)、オオムギ、ライムギ、
エンバク、カゼクサ(アフリカの一部、世界一細かい穀物として知られる)、ヒエ、アワ、キビ、
トウモロコシ、モロコシ(コウリャン)、シコクビエ、ワイルドライス(マコモの仲間、インディアンが食う)
穀物に近いもの
バンバラビーン(マメ科)、レンズマメ(マメ科)、ダイズ(マメ科)、ルピナス(マメ科、通常は毒がある)、キヌア(アカザ科)、
センニンコク(ヒユ科)、アマランサス(ヒユ科)、トンブリ(アカザ科)、ソバ(タデ科)、ダッタンソバなど(ソバ科)
芋など根・茎を食うもの
サツマイモ(ヒルガオ科)、亀甲龍の近縁種(ヒルガオ科)、キャッサバ(トウダイグサ科)、サトイモ類(サトイモ科)、ジャガイモ(ナス科)、
ナガイモ類(ナガイモ科)、カシュウイモ(ナガイモ科)、キクイモ(キク科)、ヤーコン(キク科、南米で食う)、アチラ (カンナ科)、
アヒパ(マメ科)、アラカチャ(セリ科)、マウカ(オシロイバナ科)、オカ(カタバミ科)、オユコ(ツルムラサキ科)、ナシュア(ノウゼンハレン科)
実を食うもの
バナナ(バショウ科)、パンノキおよびその近縁種(クワ科)、ソテツ(ソテツ科)、デーツ(ヤシ科)、ココヤシ(ヤシ科)、カボチャ(ウリ科、準主食と呼べるかどうか・・・)、トチノキ(
トチノキ科、ほとんど救荒作物)、クリ(ブナ科)、ブナ科のどんぐり(クリと並び、日本では稲作が到来するまでは主食であった。ただし大規模な栽培が困難なため衰退)
例外としてデンプンを取るものや、飢饉のときに食べられた作物(救荒作物という)
ヒガンバナ(ヒガンバナ科、日本で)、クズ(マメ科、葛餅に利用)、カタクリ(ユリ科、片栗粉)、ワラビ(イノモトソウ科、ワラビもちなどが例)、サゴヤシ(花穂からでんぷんが取れる)、
ソテツ(ソテツ科、幹からもでんぷんが取れる)、キャベツヤシ(ヤシ科、幹からデンプンをとる)、バオバブ(パンヤ科、もはや主食といえないが、根を利用したり葉を利用したりする)
主食になるにはデンプンとちょっとのたんぱく質、繊維質が理想
そうなると、意外と幅は狭い
イネ科ではおそらく20種無いであろうし、イモ系も20は行くまい
以外に少ないのはマメ科で、これは毒があるものが多く、脂肪分が多すぎるものが多いため主食になりにくいのである(例:ピーナッツなどを食いすぎると油で下痢になる)
上記のものは主食になりうるものや主食としての研究が進んでいるもの。また、複数の食材と共に主食に近い感じで食べられているものを含むことをあらかじめ断っておきます
あと、穀物は食べる際に粒で食う「粒食」とパンやパスタなど、一旦粉にする「粉食」の2タイプがあり
それぞれまた面白い利用法があるので注目
また、民族によって腸の長さや強勢微生物の構成などが違うため、他の民族の食事を真似ても良い結果を得られるとは限らない だって築造から星座観測まで空から現れた鳥人に教わった文化なんだろ? 単発でID切り替えて擁護してるやつがいるけどアホだろ
ガッカリ極まりないな >>415
そんな言葉狩りみたいな反論はどうかと思うね
大文明は全て大河のほとりに発展してるから古代から水路は需要だよ
でも古代の都市は海辺ではない、大河の中流あたりにある。
中華の海禁政策は大航海時代になってから。時代をごっちゃにして語っちゃいけない。 現地に500年前の建造物です
って看板たてとけよ
詐欺遺跡 >>424
古代エジプトや古代ローマに敵うわけないだろ
はるかに進んでるよ 旅行とか全然興味ないけどマチュピチュとアンコールワットには行ってみたい かわいい娘や美しい人を侵略されにくい場所に行かせてのどかに暮らしてもらったりとか スペインの鉄砲や大砲から逃げるには山の上しかなかったんだろ 因果関係逆じゃね?
水や地形効果がその都市を大きくし残しただけなんじゃね?
最初から狙って作ってない
まあこの場合はインカ関係逆転か >>423
知らんかった。
安土桃山時代・・ローマとかと同じイメージやったわ。 権力者が若い女の子と閉じ込めてあんなことやそんなことを
するための場所だったんだろ
最近もそんな島があったって事件になってただろ マチュピチュの問題は近くに空港建設が持ち上がり
大規模な自然破壊なんだよ。行きづらいからマチュピチュであり簡単に行けると価値が下がるだろ 人は食料のある所に集まるから元々高山に自生してたジャガイモ食ってたから高山に住むのが普通なんじゃねとしか思えない
稲作してる民族なら平地の方がいいだろうし アホほど雨が降る地域だし、水はけの良さを求めたら断層のある高地になったんだろうな ああだから日本の原発は断層の近くに建てられているのかw >>390
ヤーガン族ググッたら凄かった
ボディペイントはもちろん奇抜でカッコイイが
貫頭衣とか角的なものを頭につけてる人もいてるのな
美術的なセンスがぶち抜けてて感動的だ
誰も服を着ないうちに地の果てにたどり着いたのか
それとも服を着る人達に追い立てられたのか
もしかしたら極寒のパタゴニアに着いてから服を脱ぎ捨てたのか
もしも服を発明する以前にたどり着いてたとしたら
逆に物凄い人達じゃない
尊敬するわ 一度行ってみたいけど予算はどれくらいだろう
移動時間と日程も合わせて教えて貰えると嬉しいな >>319
イギリスとアメリカからしたら
スペインは目障りなのか、
インカはスペインが滅ぼしやがった
とやたらめったら強調しまくってるね >>3
こんなところでようやく俺の跡継ぎが見つかった… >>450
日本のマチュピチュに行けばいいし。竹田城だったか
一応、実際のマチュピチュはグーグルビューで見えるけど、傾斜きつい。体力いるね >>14
上水は圧倒的な降水量
下水は急勾配による自由落下 >>455
竹田城だってふもとから登る道は結構きついぞ。
道路経由は楽だけど。 いや、調べてみたら竹田城は1443年築城とある。
こ、これはマチュピチュはインカの竹田城と呼ぶべきじゃあるまいか? >>454 南硫黄島
https://i.imgur.com/xrwshHO.jpg
いつも荒れている大海原の中に孤立している島で
古代から独特の動植物が形成されているのが、ちょっとラピュタっぽい。 >>332
おれも温泉から山道を歩いて登り、その勢いでマチュピチュ山まで登ってしまった。
マチュピチュの遺跡まで降りてきたら疲れ切って芝生で昼寝してた。 >>460
>>444の道を歩いて登るなんて無謀だな。
登山道よりはマシだけど。往復3000円のバス代は妥当な額かも。 >>65
救世主がやって来る伝承に基づき自ら侵略者を首都に招き入れた文明があってだな >>461
車道を横切る形で登山道があって、傾斜はこの写真で感じるほどにはキツくないよ。
グッバイ・ボーイはその道を駆け下りてバスの前に何回も先回りするんだ。
帰り道を歩いていると、後ろからものすごい勢いで走ってくる少年がエクスキューズミー
と言いながら俺を追い抜いていく。 マチューテを持ったピチューみたいで
なんかカワイイ! モロコシ食うひと
イモ食うひと
当時の技術ではアマゾン開発ベリーハード
馬や豚も外地から
オワタ >>464 グッバイ・ボーイって何じゃ?
物乞いか? 南米=麻薬なのは
居住地と耕作地の標高差が600mあって毎日登り降りしてきたから
ゆえに身体に備わった安全装置の鍵を解除する必要があった
当然の事ながら長生きなんて無理だろう
その土地の古老が大切にされる理由が解る >>429
そういう願望や妄想は昔からあって、
マチュピチュは女子ばかりの宮殿で
生け贄の祭壇では処女が殺されただの
そんな説が以前は実際に書かれていたよ。
実際の骨分析からは男女比半々だし、50才ぐらいの
高齢者もかなりいて、生け贄祭壇は
太陽観測の場だし。 >>469
麻薬というか、高山病のせいで頭痛がするから
コカの葉をかんで痛み止めにしてただけだろ。
今のコカインははるかに高濃度だけど。 >>471
手を振る、という仕事なのかな。
マチュピチュへの道路映像がリアルだな。サンキュー。 >>474追記
赤い服をきた少年が、かけおりて、
バスに何度も声を聴かせて、
その音色?に対価としてチップをもらう
ということか。
同じ少年だったとは気付かなかったよ。 マチュピチュって見つかったの1900年代に入ってからなのか
ずっと知られずにあったのとかと思うすごい話だな >>177
中国文明は偉大だからな
みんな流れ込んでくる >>479
アンコールワットなんかも何世紀か忘れ去られてたみたいだね
もうそういう遺跡はないかもね 卑弥呼なんか居なかったのに居たと思ってる人達も居るからな >>370
日本野山に500年前の都市遺跡が残ってて
1900年代に入ってから見つかったって考えてごらん
凄い話でしょ いきなり数百人規模で移住して来た訳では
なかろうよ。
最初は湧き水が出るという周辺あたりに
猟師が山小屋でもおったててたんだろう。
そのあと小さな集落となり、
その後利水や地盤、豊富な建築材料等の
ポテンシャルに気づいたそこそこの規模の
麓の部族か何かがニューフロンティア建造を実施。
本体だった方の山の麓では戦争や天災でゴタゴタ歴史を
積み重ねていくうちに、
分家であったマチュピチュ民は山岳都市と呼べる規模のものを造り上げるに至った。
やがて集落の下界、平地部で強大な国家が誕生し、
その中心都市は繁栄。
マチュピチュにも細々とながらそんな情報が伝わり、
おら東京さ行くだ、と若者を中心に山を降りる者が続出し、
幾ばくかの時を経て消滅都市となった。
まぁペルーの歴史なんざヨーわからんがまぁそんなとこだろう。 インカ帝国って文字が無かったんでしょ
やはり交流が無いと文明って行き詰りやすいな ちんちんぶらぶらソーセージ
とか言いたくなるのは内緒 >>486
行き詰まって滅んだんじゃなくて攻め込まれたんだよ
脳外科手術やったり天体観測やったりと高い知能を持つ者もいたのに
脳外科手術された人は術後しばらくは生きてた形跡もあったみたい
(まともな状況かは判らないけど) 保養所説はさあ、したの温泉で火照った躰で
また汗だくになりながら山道登るか?
て疑問をなんとかしてくれ。 >>459
2000万くらい
携帯の電波が入る
本土に近い(できれば干潮時に歩いて渡れる)
飲み水は確保できる
という無人島なら欲しい 脳外科手術とゆーより、頭蓋骨に穴を開ける土人の呪いがあっただけだろ? 日本にも3世紀頃には瀬戸内海エリア周辺に高地性集落はあったけどな。
大体戦乱続きで見晴らしのいい高台、山頂を城塞としたか山岳信仰、天孫信仰に由来する。
遺跡に残る風俗から太陽神への生贄儀式があった様だし人間心理として古代人の天体信仰は万国共通でありそこに一番近い場所を聖域としたんだろう。 こんなセコい遺跡を見に地球のウラ側まで行くやつの気がしれん シトペテクのあの顔の彫像が
最近のメキシコ麻薬マフィアの抗争で
顔の皮をはがれて殺された人にくりそつでびっくりした >>496
ねつ造という言い方が適当かどうかともかく
内容が正確なものである保証がない上に
そもそも内容が正確なら邪馬台国は海の上なわけで
ソースが魏史倭人伝しかなく
他の文献でも物証でも確認できるものが何もないんだから
卑弥呼の実在を確かなものとすることはできない
否定する材料もたいしてないというだけ
だから検証できない邪馬台国についてはまともな考古学者は
研究の対象にしない
ていうかできない 建造物を建てやすいということだけだとあんな不便な場所に切り開いた理由にならないだろ
なにかそこでしか生きていくうえで不可欠なものが獲れないとかじゃないと合点がいかないわ >>490
偉い人は自分の足で登らないだろ
観光案内とかだと山の上の謎の都市的な紹介がされるけど実際は館みたいな感じ
規模がとても小さい
だから温泉付属の貴族専用保養施設だと思う
食糧を自給しつつ住むならせいぜい数家族
ペルーにしてみたら貴重な外貨収入源だしムー的マスコミも煽って本を売りたいだろ
だからこぞって謎の都市にするけど行くと小ささにびっくりするよ
でもマーライオンほどのがっかり感はないから機会があったら訪れてみたらいい マチュピチュで思い出したが、「きゃりーぱみゅぱみゅ」は
ドラえもんが道具を出すときの口調で言うと簡単に発音できるぞ 破砕帯を逆手に使う国あれば
無理やり穴掘って地下水漏れ訴えられる国もあると
そういや日本の天空の集落も中央構造線に並んでるらしい https://suido-ishizue.jp/nihon/takase/03.html
中央構造線の集落は
鉱物、塩が出る
焼畑しやすい
湧き水が豊富
こういう地勢を活かしていたのはほぼ同じだな >>363
5ちゃんだからって無理に煽り入れなくていいんだぞ >>410
こういう嘘を信じてしまうバカってまだいたんだ >>344
マケマケ様だっけ
にわのまことの漫画で読んだ
メキシコのタバスコ州 部族間の争い
白人による侵略
どちらかしか、無い。 >>500
魏志は捏造と言うより原文の草書を興した誤記を近畿説が無理やり解釈してるだけだからな。
邪馬台の存在は魏志だけではなく隋書を併せてその存在が肯定されてるわけで三国史記を併せれば
寧ろ記紀編纂以前の前史を口伝文化とし史実を抹消した現万世一系天皇史に国家利権が触れないようにしてるだけだけどな >>89
ケチュア語発音しにくいよな
アステカのナワトル語も凄いぞ
時々爆発してて有名なポポカテペトル火山とか綴り長すぎ 数千年後にキトとかラパスとかの都市についても同じようなことが言われてそうだな >>10,35,60
つ この記事の元ネタ
Geologists May Have Finally Solved The Secret of Machu Picchu's Strange Location
BY DAVID NIELD
SEPTEMBER 26, 2019
https://www.sciencealert.com/geologists-have-figured-out-why-machu-picchu-is-built-in-such-a-remote-spot/amp
フォーブスの記事はこの記事の一部をパクっただけなので意味不明になってると思われ
(グーグル翻訳)
マチュピチュのように美しいので、行くのが最も簡単な場所ではありません。アンデスの高地にあり、三方がウルバンバ川に急降下しています。 現在、研究者はサイトが選ばれた理由を知っているかもしれないと考えています。
秘密は、この象徴的なインカの街の真下、構造プレートが出会う断層にあるかもしれません。 これらの断層は数百万年にわたって豊富な石を生み出し、最終的にインカに必要な建築材料を与えました。
マチュピチュの建物や寺院を構成する石細工の一部は、すり鉢がなくても接合部に隙間がまったくないよりもうまくまとめられています。 これらの石の生産は、場所がどこにあるかにより、時間とエネルギーが少なくて済みます。
「マチュピチュの場所は偶然ではない」とブラジルのリオグランデ・ド・スル連邦大学の地質学者ルアルド・メネガットは言う。 「基質が割れていなければ、高山にそのような場所を建設することは不可能でしょう。」
メネガットと彼の同僚は、衛星画像と地上で収集された野外測定から取得したデータを混合して、古代インカの要塞の下の割れ目をマッピングしました。 研究者が特定した欠陥のいくつかは、長さ175キロメートル(109マイル)まで伸びています。
これは文字通り、Xがマチュピチュのスポットであることを示しています。Xは、北東-南西および北西-南東を走る割れ目の合流点です。 研究者によると、オリャンタイタンボ、ピサック、クスコを含む他のインカの都市は、同様の交差点に位置しています。
マチュピチュ市の建物や階段でさえ、その下の障害をある程度反映しています。
「レイアウトは、サイトの基礎となる破壊マトリックスを明確に反映しています」とMenegat氏は言います。
そして、2,430メートル(7,973フィート)の山の尾根にあるマチュピチュの場所にインカを引き寄せたのは、豊富な建築材料だけではありません。 石を提供したのと同じ骨折は、優れた排水にもなります。
これは、この地域で発生する激しい暴風雨の際の悲惨な洪水を市民が避けるのに役立ち、マチュピチュ遺跡が今日も非常によく保存されている理由の1つである可能性があります。 年。
13世紀から16世紀の間に南アメリカに広がった文明の起源を含め、インカの人々について私たちが知らない多くのことが残っています。
私たちが知っていることは、彼らがマスタービルダーであるということです。エジプト人を含む他のいくつかの古い文明と同様に、彼らはおそらく今日でも建設について多くを教えることができました。
さて、この地域の基礎となる地質は、マチュピチュが現在ある場所についてのヒントを与えてくれたかもしれません。そして、インカはこれ以上息をのむような景色を選ぶことはできなかったでしょう。
「マチュピチュは、インカ文明が割れた岩の帝国であったことを明確に示しています」とメネガットは言います。
この研究は、米国地質学会の年次総会で発表されました。 >>449
世を襲う事ならいくらでも出来るのにな。 その到達しにくい場所にスペイン軍が攻め込んで滅んでますが・・・ >>522
自分で考えた珍説か?
インカ人が放棄したんだよ
スペイン人も知らない遺跡だった 中国も広範な乾燥地帯があるけど、
あれ昔は森林だったのに木を伐りまくった結果なんだよね
日本人と違って中国人は木材を伐りまくったので人の住めない土地が増えた >>402
いやさすがにそれは大雑把。室町時代だよ。 >>525
日本も明治くらいまではげ山が多かったのが記録にも残っている
建材だけじゃなく製鉄のための炭を作るため >>36
> 雨が多くて地震がない地域では割とポピュラーな建築
地震がすくなかったわけないよね 貯水槽として利用するのは分かるけど地殻変動が多い場所に作ったのは理解出来ない >>459
砂浜がほとんどないな
急に水深も深くなりそう
一週間くらい過ごしてみたいな >>529
そして杉を植林しまくって花粉症が日本人の間で蔓延・・・・ で、結局こんな不便なところに出来た理由はなんなの?本文読んでもよく分からないんだが >>536
最近はもともと山に生えてた木を植えるってのが推進されてるそうだから気長に待とうず
育った頃には死んどるがまあ気にすんな たかが500年前の遺跡だろ
あまりに不便すぎて当時の人ですら放棄していったんだから相当だぞ 日本の道も断層上に沿って作られることが多い
糸魚川や白馬、大町のあたりのフォッサマグナ上の街の道もそうだね
断層にそって、整地されて平らになるからであって
単純に平地になってるから整地の手間がいらないのでそのまま建てた
道を作った。そういうツマラナイ理由なんだよ 断層上で地震が頻発して断層上に道ができているように見えるので
断層に沿った稼働があったから、この場所に導かれた
断層の交点に都市を作ろうとしたのは、その場所を中心として放射状に道が出来ているからであって
どの道を通ってもそこに集まるようにできるから
たとえば弘前市の弘前城みたいなもので、迷ってもだいたいそこに行きついてしまうような利点がある
宗教的に利用されるようなときは神社などがそういう役目を果たしているね マチュピチュ行ったけど、あのへんはアンデスの急峻な斜面か、
その間の狭くて深い谷しか土地が無いよな。畑と住居は川が流れてる谷底に、
それ以外の施設は斜面にって感じで、わりとフツーにマチュピチュみたいなの
建ててる感じ。 家たてるのに丁度良い石がマチュ・ピチュ周辺にあった
運ぶの面倒になってマチュ・ピチュに家たてた
とかでいいんじゃね? 外敵から守るためだろ。
この山自体が根元から城塞になってて登ってくる勢力は先ず勝てない。 どうしてもピチューがいっぱいいる謎の遺跡しか浮かんでこない
月夜の晩にはピチューが祈りながら踊って進化を願うのだ…って感じ >>10
たしかにそんな事は関係無しに、その場所に水も食料も建造物資も調達出来る場所だからって話だよな。他の都市と交流があったかとかは謎 >>517
数千年後になら
俺の家が残ってても遺跡扱いだわ 実際はいつ作ったなんかわかりゃしねえんだけどな
記録がないから wikiだと王族とかの避暑地って書いてあるな。
wikiには真実しか書かれないからこれが答えだな 下の方は危険な虫や動物がいて住みにくかっただけかも 記録がないからどこにピラミッドがあるかさえわからなかった
現地人が何の歴史もわからんとは哀れなことよ
上空からレーザーを当てることで密林に隠された地形を描き出し、長らく埋もれていた古代文明の遺跡を浮かび上がらせることができる。 アンデス文明(アンデスぶんめい)とは、1532年のスペイン人(白人)によるインカ帝国征服以前に、現在の南米大陸、ペルーを中心とする太平洋沿岸地帯およびペルーからボリビアへつながるアンデス中央高地に存在した文明。 南米は500年前に歴史記録が抹消されたから何もわからん
顔みたいな文字見てこれは水の神に違いないとか言っとるバカがおるだけ 100年前の事も分からんのにそれ以上前の事が分かるわけが無い マチュピチュの歌考えたので聞いてほしい
「おふろもいっしょねーるのもいっしょ、
いつも一緒のマチュピチュっ!」 ヨーロッパ人の宝物になりそうなもの以外は何も残ってない
新しく遺跡を調べれば何か出てくるかもしれん 石とか金属とか陶磁器とか永く残るから良いよね
こういう過去の遺物から何か力を得られんもんかね? 俺が知りたいのは
こういう過去の遺物から何か力というか情報とかいうか得られんもんかね?
美術工芸作品というのかな
そういうのは延々と残ってるから >>459
荒波で島の周囲がかなり浸食されている。
そのうち消滅する。 インカトレイルが巡っている周りの標高はさらに高いじゃん。
到達困難なうちでもイージーな方なんじゃね?
まあこれ以上高くなると穀物の自給とかが困難になるのかもだが。 普通、落人の村、と考えるよね。
古代は侵略の歴史だから、落ちて行く集団が何時も発生。
中国なんかそれが顕著で、今じゃ観光地でにぎわう秘境も落ちて行った集団の集落
平家落人の里は全国で観光化されてるでしょう。
大抵棚田が有って、ヒガンバナ祭りとかがある。 「到達しにくい」ってのは 以外の文明からみた主観だろうが 断層まで知ってたかは不明だが
水と日光があれば住居に適していたのは間違いない
勝手な予想だがあの山の形といい
神殿的役割だったんだろうなと
夏至や五穀豊穣や雨乞い厄払いとか
年に数回しか使われてなかったのでは
未だにケチュア語を話して暮らしてる人々が居るから
いろいろ口伝で残ってる可能性がある
アイヌ語との共通点も調べたら面白そう マヤやインカがスペイン人に滅ぼされたのを知った秀吉は、
キリスト教を欧州人を脅威に感じてキリスト教を迫害して鎖国をした
それまで日本人が大量にキリスト教の宣教師によって奴隷にされて外国に売られてた マチュピチュなあ、まあ期待を悪い意味で裏切らない、写真そのまま。それ以上でも以下でもない。ただとにかく高い。標高もだけど費用が。わざわざゆく所じゃないね。 クスコの街とその近くの遺跡をいくつか見て、そしてマチュピチュを見るのがいいんだよ
時間のある中長期旅行者ならアレキパに滞在するのもいい 人類は緯度の高い場所や高地で文明が育つ時代があった
マラリアという悪質な病気があった
アレクサンドロスもマラリアで死んだかもしれない >>57
うちのお爺さんも95くらいまで生きたからよくわかるw
今長生きの人の一生に換算したらたった5世代分じゃん、みたいになるよね >>594
ネトウヨはすぐに個人的な感情を歴史認識に持ち込むからなあ。韓国を馬鹿に出来ないよ。 日本人は洞穴に住んでたのにマチュピチュとか作る古代人の技術はすごい >>10
欲しい石が豊富にある場所に
そのまんま家建てたら便利だったよって話じゃないのかな これさ「そこを選んで建てた」んじゃなくて
「あちこちに建てたけどそこだけが残った」んじゃないの? >>584
高さは富士山並みと思って頑張っているけど天保山並みってことだろ? >1000人の人々の暮らしを支えるのに十分な湧き水も湧いていた。
えっ気になる
なんでこんな山の上で湧いてたの?
近くにもっと高く大きな山があるのかな? >>5
あるある
アトランティスとかに匹敵する実在もあやふやな紀元前の文明かと思ってたら、
室町時代の文明なんだよな
あの時代になんで文字がない文明だったんだろう… >>605
(‘人’)
チチェンイツアマヤ語のスペイン語対訳文法書あるよ!(笑) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています