【歴史】「白村江の戦い」大敗が残した教訓から… 最高の国防体制を構築、敵の侵攻に備え
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福岡県八女市にある「大伴部博麻呂碑」。玉垣に「尊朝愛國」「賣身顕忠」と刻まれている
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前稿までの日朝関係と日中関係がクロスする、古代東アジア史のクライマックスの1つが「白村江の戦い」(663年)であろう。
隋に代わって中国を統一した唐が高句麗(こうくり=朝鮮半島北部を支配した国家)を圧迫するのを見て、百済(くだら=同南西部にあった国家)と抗争中の新羅(しらぎ=同南東部にあった国家)は唐に臣従した。
やがて唐は新羅とともに百済にも侵攻し、西暦660年に百済は滅亡、百済の遺臣たちが日本に救援を求めた。
これに先立ち、第37代斉明天皇の重祚(ちょうそ=譲位後の再即位)翌年(656年)、高句麗・百済・新羅がそろって日本に朝貢してきたことも『日本書紀』に記されているので、半島情勢はいよいよ“複雑怪奇”である。
さて、日本は百済再興を支援することを決め、斉明天皇の遺志を継いだ中大兄皇子(のちの第38代天智天皇)が即位せぬまま政務を継いで2年目(663年)大軍を朝鮮半島に派遣した。
しかし、日本・百済連合軍は白村江の戦いで、唐・新羅連合軍に大敗した。西暦668年に高句麗も唐に滅ぼされ、675年には新羅が唐の冊封(さくほう)を受けたまま朝鮮半島を統一した。
百田尚樹氏の著書『日本国紀』(幻冬舎)などで広く知られるようになった大伴部博麻(おおともべの・はかま)が唐軍の捕虜となったのは、この白村江の戦いでのことである。博麻は同じく捕虜となった同僚を、自分を奴隷として売らせた金で帰国させ、唐の日本侵攻計画を知らせた。
博麻が帰国できたのは、第41代持統天皇の即位から4年目(690年)であった。持統天皇は「朕嘉厥尊朝愛国売己顕忠(=朕は、朝廷を尊び、国を愛し、おのれを売ってまで忠を顕したことを感謝する)」と詔し、褒美を与えた。このくだりは「愛国」の語源である。
幕末には博麻の故郷とされる現在の福岡県八女市に、日清戦争直前には久留米市の篠山神社境内に、顕彰碑が建立されている。昭和戦前期の少年向け読本にも博麻は取り上げられており、戦前日本において戦って死ぬことばかりが美徳とされたわけではないことがうかがえる。
そして、白村江で大敗を喫した7世紀の日本は“戦後”どうしたか。
『日本書紀』には、中大兄皇子が白村江の戦いの翌年、対馬(現・長崎県)・壱岐(同)・筑紫(現・福岡県)などに守備兵と烽火(のろし)台を置き、筑紫に大きな水堀を擁する(=遺構が一部現存)を築かせたことが記されている。
都のある東へは高安城(たかやすのき=現・奈良県平群町)まで、南へは鞠智城(くくちのき=熊本県菊池市)まで「山城リレー体制」を構築した。すなわち、大陸からの敵がどこへ進攻しても、そこから烽火のリレーで、都や大宰府(現・福岡県)へすぐに報告が届く。一大公共事業で、当時考えうる最高の国防システムを構築し、敵の侵攻に備えたのである。
大東亜戦争終結直後には、昭和天皇が白村江以来となる敗戦の奉告と復興祈願のため、天智天皇を祀る近江神宮に勅使を差遣したことが知られている。しかし、1300年後の日本人には、白村江の教訓はまだ届いていないのかもしれない。
■久野潤(くの・じゅん) 歴史学者、大阪観光大学専任講師。1980年、大阪府生まれ。慶應義塾大学卒、京都大学大学院修了。これまで、複数の大学で、歴史や政治、外交関係の授業を担当するほか、戦争経験者や神社の取材・調査を行う。著書・共著に『新島八重』(晋遊舎新書)、『帝国海軍と艦内神社』(祥伝社)、『決定版 日本書紀入門−2000年以上続いてきた国家の秘密に迫る』(ビジネス社)など多数。
10/3(木) 16:56配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191003-00000000-ykf-soci はくすきのえ と言ったり はくそんこう と言ったり、どっちがいいの。 青山里戦闘(せいざんり(チョンサンリ)せんとう)は、間島出兵中の1920年10月21日から26日にかけ、満州の間島和竜県(現・中華人民共和国吉林省延辺朝鮮族自治州和竜市)の青山里付近で、日本軍と朝鮮人の独立運動武装組織及び中国人の馬賊との間で行われた戦闘。
日本軍の損害
韓国系の文献は、青山里戦闘を「青山里大捷」と呼び、独立軍の大勝利であったとしている。
「青山里大捷」は韓国が言うところの「韓民族の独立運動」の中で重要な部分を占めており、大韓民国の「建国神話」の中核をなす。韓国とは対照的に、北朝鮮版の「独立運動史」は青山里戦闘に言及していない。
韓国側の日本軍の損害についての見解は、朴殷植の『朝鮮独立運動之血史』(1920)は「加納連隊長以下900余〜1,600余人」、
韓国中央選挙管理委員会編刊『大韓民国政党史』(1964)は「千余人」、
韓国国防部戦史編纂委員会『韓国戦争史』(1967)は「死傷3,300人」、
趙芝薫『韓国民族運動史』(1975)は「加納連隊長以下3,300人」としている。
年を経るごとに日本軍の損害は誇張されていっている。同時に、日本軍の兵力、独立軍の兵力も膨れ上がり、戦闘の主役が金佐鎮から李範奭に移っている。
日本側の史料によれば[3]、青山里戦闘で受けた日本軍の損害は、戦死11、負傷24のみで将校の死傷は見当たらない。
この報告は靖国神社の合祀名簿によって裏付けられている。また、間島出兵後の第19師団の備蓄兵器調査においても、日本軍の戦闘損耗はきわめて軽微だったことが確認されている。
韓国側の文献に唯一実名が挙げられているのが「加納連隊長」である。
『朝鮮独立運動之血史』は、日本領事の秘密報告書が加納連隊長の戦死を報告していると主張している。
しかし、そのような領事報告は確認されていない。「加納連隊長」に該当する人物として考えられるのは、
騎兵第27連隊長の加納信暉大佐であるが、加納信暉の名前が戦死者名簿にないだけでなく、間島出兵後の1922年(大正11年)まで連隊長を務めていたことが判明している。
抗日運動にも参加していた金学鉄は、市民団体の機関紙の取材に対し「鳳梧洞戦闘や青山里戦闘の戦果は少なくとも300倍は誇張されたもの」と答えている[4]。 >>7
俺はしらすきのえとも言うときいたな
個人的にははくそんこう推し むしろ、半端に強かったら、警戒されて討伐対象にされてたかもしれない 人は記憶型と思考型に大別できる
統一中華を相手にしては半島を守りきれない
これを認識したんじゃね
これにより日本は防衛ラインを海にしたんじゃ >>7
日本書紀の大和言葉では「はくすきのえ」
今の教科書は大和言葉ではなく、漢字はストレートに読むので「はくそんこう」
まあ「はくすきのえ」でいんじゃね?
正しくオシャレなのは「ペクサンチェ」ニダ Japan seaを経路として用いる補給は
チョウセンを経路として用いる補給より遥かに貧弱で、とても部隊を維持できない 韓国は当時の新羅のようなもの
ちゃんと国防を考えましょうね その後700年間攻められることはなかったので
無駄な軍備に終わった >>17
備えなければ憂いなしやで
安心して生活できるし抑止力にもなる この時代に大軍を送り込めるもんなの?
秀吉の時代ですら結構苦労してるのに >>13
おれはボケ損なったのか
どう見ても「はくすきのえ」だよなぁ 半島の領土が無くなって日本としての統一ができました。 >>12 の続き
なのに半島に出兵する輩が後に出現する
秀吉の朝鮮出兵、豊臣政権はやがて滅ぶ
明治に大陸へ出た日本帝国、これも滅んだ >>20
そういうこと
はくそんこうも昔からあった >>19
倭は元々朝鮮海峡を跨いだ海峡国家だったんだよ。 >>4
合ってるやん
はくすきのえって読んだりもするけど 今月買った羅騎士専門雑誌で百済をひゃくさいとルビ振ってるんだが
今はひゃくさいになったの?学会的に >>17
だってそれ以降は朝貢して支那国家の属国になったんだもん。 日本で鉄が取れなかったらあ何回でも朝鮮に攻め込んでたけどな これ、黙殺してたら日本にも侵攻して来てたんだろうな >>25
ちなみに豊臣軍は連戦連勝して女真族の国にも攻め込んで城を陥落されてるけどな
現在の満州だぞ >>1
チンケな距離を必死こいて移動して遷都して
水城とかいうチンケな溝に囲まれたチンケな掘っ建て小屋を大量に作ったんだっけか >>17
何度も来てただろ義務教育だと伏せられているけど >>17
無防備だったら攻められた
竹島だって戦後で無防備になったとたん侵略されたじゃないか >>37
一時的な勝利はできるんだ
だが長期になると必ず負ける 歴史から学ばないとな。盲目的に、戦争反対、隣国と友好、
みたいに、敵のスパイの使い走りやってる連中がいちばんタチが悪い。 >>37
ジャップ伝統芸の卑劣な襲撃ぐ決まったからな
なお2回目は不意打ちが決まらずに便器にこびりついたうんこの様に半島の最南端にこびりついていただけだったという >>37
おい!
脳筋清正のせいで撤退の際に女真族の騎兵に追い回されてとんでもない目に遭ったんだぞ!!! 釜山攻防戦ラクトウコウでは、キタ朝鮮軍が敗退したね >>45
女真は明の敵だからありえない。
女真の酋長は朝鮮に援軍を打診したが、断られている。 つうか、倭人系だろ?
百済って
現代の韓国政府が証拠隠滅しちゃうよな 前NHKの番組でやってたな
「日本書記」で唯一無名の人とか 【元寇】元寇による日本脅威論の形成
元寇では、日本刀は戦場で大きな力を発揮した。南朝遺臣の鄭思肖は日本刀を評して「倭刀はきわめて鋭い」と指摘し日本征服が難しい理由の一つに
日本刀の存在を挙げ、クビライに仕えた王ツもまた元寇を受けて「刀は長くて極めて犀なるものを製り…」と評すなど日本刀の鋭さに言及している。
浙江大学教授・王勇は弘安の役での敗戦とその後の日本武装商船の活動によって中国における対日本観は大きく変化し、凶暴で勇猛な日本人像および日本脅威論が形成されていったと指摘している。
例えば、南宋遺臣の鄭思肖は「倭人は狠、死を懼(おそ)れない。たとえ十人が百人に遇っても、立ち向かって戦う。勝たなければみな死ぬまで戦う。戦死しなければ、帰ってもまた倭王の手によって殺される。
倭の婦人もはなはだ気性が烈しく、犯すべからず。倭刀はきわめて鋭い。
地形は高険にして入りがたく、戦守の計を為すべし」と述べ、また元朝の文人・呉莱は「今の倭奴は昔(白村江の戦い時)の倭奴とは同じではない。
昔は至って弱いと雖も、なお敢えて中国の兵を拒まんとする。いわんや今は険を恃んで、その強さは、まさに昔の十倍に当たる。
さきに慶元より航海して来たり、艨艟数千、戈矛剣戟、畢く具えている。その重貨を出し、公然と貿易する。その欲望を満たされなければ、城郭を燔して居民を略奪する。海道の兵は、猝かに対応できない。
士気を喪い国体を弱めるのは、これより大きなことはない。しかし、その地を取っても国に益することはなく、またその人を掠しても兵を強めることはない」と述べ、日本征服は無益としている。
また、明の時代の鄭舜功が著した日本研究書である『日本一鑑』では、元寇について「兵を喪い、以って恥を為すに足る」と評すなど、後の時代にも元寇の記憶は批判的に受け止められていたことが窺える。
元寇の敗戦を通してのこういった日本軍将兵の勇猛果敢さや渡海侵攻の困難性の記憶は、後の王朝による日本征討論を抑える抑止力ともなった。
元の後に興った明による日本征討論が、初代皇帝・朱元璋(洪武帝)、第3代皇帝・永楽帝、第12代皇帝・嘉靖帝の時の計3回に渡って議論された。
そのうち、朱元璋は軍事恫喝を含んで、明への朝貢と倭寇の鎮圧を日本の懐良親王に要求した。
ところが懐良親王は、もし明軍が日本に侵攻すれば対抗する旨の返書を送って朱元璋の要求を受け付けなかった。
この返書に激怒した朱元璋であったが、クビライの日本侵攻の敗北を鑑みて日本征討を思い止まったという。 日本が誕生したのは明治維新以降
それ以前は存在しないんだけど、国防って何だ?
これでは1945年に日本に勝ったと喜ぶ韓国を笑えない >>51
隣国からお前のところの賊なんとかしろよと言われてる無視するとか流石はジャップ >>29
つしまは朝鮮のハングルを発明した大王にせめられたことがあった。
ちょうど主力が倭寇として中国沿岸にでかけていたから、奇襲に成功したんだが
対馬の守備軍はゲリラ戦で対抗した。
上陸した朝鮮軍は、その1/3が奇襲で全滅し以降上陸を諦めて海岸線の戦いに終止した。
朝鮮軍は海上生活で疲れ破損し、 何よりも中国から日本倭寇が帰還するという情報に
おののいて引き上げた。
韓国では大勝利となっているが、事実上の韓国水軍の破損消滅という結果に終わった。 山城を作ったり水城の堤防を作ったりしたがそれを設計指揮したのは百済人の技術者だった
要するに当時の日本人よりも百済人の方が頭が良かった事になる。 >>55
『学ぶ』の語源が『真似る』のナマモノですから
真似する相手がいなけりゃそんなもん まとめ
チョンと中国とロシアが攻めてくるから備えろ >>37
白村江でも先行上陸して戦ってた陸戦隊は健闘してた
朝鮮出兵でも同じで、李舜臣率いる朝鮮水軍に惨敗して
撤退せざるを得なくなった >>56
ジャップが押し掛けて行って皆殺しにされただけなのに 【白頭山大噴火の兆し】黙示録的大噴火が朝鮮人に伝承がない。文書も伝説も昔語りもない。当時半島にいなかった傍証【朝鮮半島災害】 2ch.net
2014
“黙示録的な大噴火だったのに朝鮮人には何の伝承も伝わってない。文書も口伝も存在してない。伝説も歌謡も昔語りもない。これけっこう重要なこと。
当時朝鮮人が半島に生息していなかったことの傍証”白頭山に大噴火の兆し
RT ああ、十世紀の大噴火で以前までいた朝鮮先住民は絶滅した。その後に素姓の解らない漂泊民がシベリアからやってきて住み着いた。それが現在の朝鮮人の原型
RT エベンキ族というやつだな
RT 新羅、百済、高句麗など古代半島民族が滅亡し、シベリアから南下してきた石器狩猟民族の朝鮮人と置き換わった
白頭山が10世紀に巨大な噴火をしていることは明白な事実です。
これは有史以降最大級の噴火で、古代都市ポンペイを滅ぼしたとして知られるヴェスビオ火山の噴火と比べても同じかそれ以上の噴火規模と見積もられています。
しかし、10世紀といえば中国は五代中国期、朝鮮は高麗が国家としてあり、史実を記録する文化があったにも関わらず、噴火の時期や推移についての記述を一切見つけることができないのです。
この10世紀の中国では,唐(618−907)末を経て、五代十国の変動期、すなわち、後唐(923−936)や南唐(937−975)と呼ばれる地方政権乱立の混乱期にありました。
また、東北アジアでは、渤海(698−926)が滅び契丹(遼)(916−1125)が興り、東丹国が成立するという変動期にあったと考えられてます。
この時期、白頭山に最も近い地域を領域支配していた国家は、契丹族が建国した遼です。しかし、契丹文字で記録された資料は少ない上に、未解読文字も多いのです。
しかも、一部の漢文資料は正史の形で残されているものの、その後の女真族による金やモンゴル族による元の支配によって、10世紀当時の資料は隠滅され、あまり残されていません。
この時期、この地域で比較的安定した国家としては、新羅王国末期の後三国時代の混乱を制して朝鮮半島の中部地方を中心に成立した高麗(935−1392)ですが、
10世紀初めのこの時期には東北アジアとの国境線はあいまいで、現在の中国・朝鮮の国境線よりもさらに南が高麗の支配地域でした。
それゆえにこそ、先の高麗成宗10(991)年の記事では、前後の脈絡もなく女真族支配に関する一行のみが記載されています。
言葉を変えて言えば、この時期、白頭山への関心は存在するものの、実効的な支配は行われていなかったと考えられます。10世紀の白頭山が大爆発を起こしたとされるこの時期には、
「正史」に記録を残せるような安定した王国や政権が中国側には存在せず、仮にそのような記録が残されたとしても、文献資料としては残りにくい環境にあったようです。
いわば文献資料的には東北アジアの10世紀は、ある種の資料的な空白期となっています。
白頭山は917年に過去2000年間で世界最大級とも言われる巨大噴火を起こし、その火山灰は偏西風に乗って日本の東北地方 にも降り注いだ
また最近9世紀 にもかなりの規模の噴火があったことが明らかになりつつあり、この噴火と渤海 滅亡との因果関係が指摘されている。
滅亡の原因に農民の反乱が基因していることは火山灰による農業被害が長期に渡り、農地としても適さない不作の地として残るので、契丹はこの地を手放したのだろう。
当時は高麗もこの地方にあったが高麗の領土は白頭山のある威鏡道地方に及んでなく,火山灰の分布軸からも外れている.
このため,鳴動の原因を知るには至らなかったようだ.なお,『高麗史』と『朝鮮史』をみる限り,10世紀前半に他の鳴動・降灰事件の記録は見られない. >>17
授業中、居眠りしてたの?
白村江の戦い(660年):唐と新羅の軍が百済に侵攻
新羅の入寇(812年〜):新羅人が九州や対馬に侵攻
>811年・12月:新羅の賊船が対馬近海に出没
>813年・2月:新羅人百人余、肥前小近島に来て島民を殺傷
貞観の入寇(869年):新羅の海賊が博多〜豊前まで侵攻
寛平の入寇(893年):新羅の賊、肥後国飽田郡に於いて人宅を焼亡
>894年・4月:新羅の賊来る。大宰府に討たせる。
長徳の入寇(997年):高麗人が、対馬、肥前、壱岐、肥後、薩摩、大隅など九州全域を襲う
刀伊の入寇(1019年)高麗人と女真族による壱岐・対馬、筑前に侵攻
元寇(1274年、1281年):高麗人、南宋人とともに尖兵として日本に侵攻
応永の外寇(1419年):朝鮮国王の世宗の軍が対馬に侵攻 >>15
壬辰倭乱を無かったことにするんじゃない倭猿 >>60
それに謝罪と賠償を要求するのがお前らの国の流儀だろ >>53
壱岐対馬五島の海賊に滅ぼされそうになる程弱い国があるとは思わないじゃないですかー。 百済って今の日本人のことだ。
百済と今の朝鮮人の関係は皆無。 【歴史捏造】「古代朝鮮人からその歴史の強奪することに他ならない」
■朝鮮の歴史は、
百済・新羅・高句麗・任那等の古代朝鮮がその祖ということになっている。(これも捏造)
しかし実際には、
元寇のあった時期に、
朝鮮在住人のDNAが激変したという歴史的事実がある。
(埋葬された死者のDNA鑑定・分析結果)
これは、
半島で古代朝鮮人が絶滅し、
エベンキ族と推定される他民族が成り替わったことを意味する。
つまり、
「古代朝鮮」人と現在のいわゆる朝鮮民族はDNA的にほぼ他人である。
それをあたかも継続しているが如く語るのは、
「古代朝鮮人からその歴史の強奪することに他ならない」。 古事記や日本書紀が記された年代からしてもぶっちゃけ百済のが本国だった可能性が高いような・・・ 日本史でも世界史でもさらっとしかやらないよね
朝鮮出兵も元寇も。 だから、日本書紀の記述を根拠にするのは
檀君紀元を流行らせようとするのと同じレベルなんだって気が付けよ
分かっててやってるのか? >>64
現代の真新しい紙の古文書に書かれてるんだね(笑) 白村江の戦い敗北 → 豪族多数死亡 → 中央集権 → 日本誕生 そもそも当時の唐は日本列島の存在を知らない
魏志倭人伝の記述を本当だと信じてたから
中国が日本列島や奈良の存在を知るのは新唐書(1060)の普及後
>その道里を計るに、まさに会稽、東冶の東に在るべし。
その道のりを計算すると、まさに会稽、東冶の東にある。
>有無する所は?耳、朱崖と同じ。
持っている物、いない物は?耳、朱崖(海南島)と同じである。
>倭地は温暖にして、冬夏生菜を食す。皆、徒跣。
倭地は温暖で、冬でも夏でも生野菜を食べている。みな裸足である。
>倭地を参問するに、絶えて海中の洲島の上に在り。
>或いは絶え、或いは連なり、周旋五千余里ばかり。
倭地を考えてみると、遠く離れた海中の島々の上にあり、
離れたり連なったり、巡り巡って五千余里ほどである。
唐に日本を攻める計画あって仮に実行していたとすると
全然別の場所を攻めた可能性が高い >>5
日本には百済人の子孫が大勢住んでいるということ 実際日本は何度か外敵に攻められるが
対馬、壱岐、九州北部で略奪してすぐ帰る
日本列島の存在を知らないから 白村江の戦いでは海陸ともに惨敗したが陸戦で負けた1番の原因は日本軍は馬が無かったし
馬に乗れなかったと言う事で、これを反省した大和朝廷は敵国の新羅から軍馬の飼育
調教の為に新羅人を群馬県に招待した訳だ。当然彼らは日本に帰化している。 3世紀半ばから1060年まで中国人が考えてた日本地図こんなの
半島
○
○ 対馬
○壱岐
○奴国(倭国の極南の界 後漢書)
○○
○○亶州(沖縄?漂流者がたどり着く 呉書)
○○夷州(台湾?衛温と諸葛直が数千人連れ帰る 呉書)
○○首都ヤマト国はここにある 魏志倭人伝
○○
○○ >>81
当時百済は日本の属国だぞw
まぁ逃げてきた王子の声に中大兄がほだされるような良好な関係ではあったにせよ。 >>78
日本が朝鮮利権を手放したことによって朝鮮半島は陸の孤島になった
その後明治の時代が来るまで朝鮮半島は中国諸王朝の尻尾 >>81
1000人単位でいたみたいやな
推古天皇9年(601年)、対馬に到った新羅の間諜迦摩多を捕えて貢上し、上野に流す。
斉明天皇6年(660年)、百済が唐俘100余人を献上する。今の美濃国不破郡・片縣郡の唐人等である。
天智天皇5年(666年)、百済人の男女2000人以上を東国に移住させる。凡そ緇素(出家者と非出家者)を択ばず。癸亥年より3年間、同様に官食を給賜する。
天武天皇13年(684年)、百済人の僧尼及び俗人の男女23人を武蔵国へ移す。 倭はそれなりに大軍だったが、軍制が唐軍に比べてて圧倒的に遅れていた
それと百済が軍と王との間で連携が悪く、険阻な地での防衛を放棄して自滅的に滅んでしまった まあ半島人の歯軋りはウザいだけだが
大国を唆して攻めて来る時は十分注意しないとならないと言う事だ 問題は百済は朝鮮だから
韓国、北朝鮮と同一視しようとする人がいること
別の民族ですから 仮に唐が倭国の都だと思って攻めても
そこは沖縄か台湾だったってことね
支配しても得るものがなく兵を出す価値がない
ただ日本側は唐が正確に日本列島を知っていると考えて
九州北部や瀬戸内海周辺に防御施設を作る
その多くが当時日本にはなかった朝鮮式山城であることから
滅亡した百済の亡命者たちを倭国がコキ使ったことを示してる 元寇ではやすやすと敵の上陸を許してるジャップwwww
太平洋戦争と一緒で下痢等で嫌がらせするしか能が無い 白村江の戦なんて、記述があるのは日本書紀だけで、中国の歴史書にも韓国の歴史書にも記載がない。
仮にそのような戦争が本当にあったとしても、唐帝国におっては記録する価値もない小競り合い程度のものだったのだろう。 日本史でも「応永の外寇」は教科書に載せていないのか?
李氏朝鮮の世宗が、対馬侵攻を計画。倭寇を退治するという名目で
2万の軍勢を対馬に差し向けたが、宗貞盛の率いろ660人の守備軍に
大敗北。朝鮮軍は将軍4人、兵員1300人近くを失い、漁村を焼いて
遁走。世宗は糞も漏らして逃げ帰ったという。でも、古文書には
ウソの記述をして「勝ったニダ」と記す。今も昔も「負けたくせに勝ったニダ」w
WTOの敗訴でも負けたくせに勝ったニダは今も昔も同じ。
それが、後に秀吉の朝鮮出兵に遠因になる。
朝鮮は弱いの何のって、敵前逃亡をし捲り、朝鮮王は首都「漢城」の民を
見捨てて遁走。秀吉軍は朝鮮軍があまりに弱すぎて兵站が大変になった。
韓国で有名な「李舜臣」も日本統治下で朝鮮に英雄がいないので
無理やり英雄に仕立て上げられた卑怯者w あれはひどい戦だったな
犬の首を被って野犬のふりして日本に逃げ帰ったわ 元寇で攻めてきたのはやる気のないチョンやシナだからな
2回の戦いの後でシナの抵抗が大きくなって日本どころではなくなる >>72
元寇もだけど、日本は陸上での戦いは強くて大きな敗北は無い
でも海での軍船同士の決戦は弱くて敗北ばかり >>1
で何を言いたいの?まさか「最高の防衛体制を敷いていないのは政府の怠慢だ」と?
これ以上増税に耐えられないし、社会保険料を削ったら老人のデモが起きてマスメディアが大バッシングだ。
最高は何か、仮想敵と防御重点も防衛施策案も示さない意味の無い記事だな 鏡見て喋ってんなよゴミ
朝生でこいつ朝鮮人って荻生チキに言われて睨みつけた差別主義者津田大介
>>5 >>5
「これからミサイルとヒコーキいっぱい買って空母も作るから、お前ら下民共はおかずを一品減らして愛国に励め」 まぁ、朝鮮人が一応朝鮮半島のは、この新羅が最初で最後だな。唐の属国なので主権国家ではないが、朝鮮人王朝ではある。
それ以降はもう、只々北方のエベンキ等ツングース系騎馬民族に蹂躙される1300年。更にそのエベンキも、漏れなく中国の属国www 百済人技術者は東大寺や法隆寺を設計し、大仏の建立にも関わっている。日本人技術者?
だけでは奈良時代は無かっただろうな。 てうはうとか集団戦法とか通じたのは初戦だけだからな
2回目以降の戦いでは日本側も適応して抵抗した
その結果元軍は陸地に陣をおくのをあきらめた
そして矢が尽きたとか言って帰った >>90
て事に修正したのかな・・・本国ほろんじゃったから・・・ >>106
その頃唐はもう、北だ南だで戦続きで大変だったのよ。日本は本当にラッキーだったが。 支配しても得るものがないと考えたんだろう
唐で有名なのはシルクロードだが
日本を支配して通路としても太平洋には交易相手がいない 倭国よりも高句麗を攻めるのを優先したというのもある
その間天智天皇は遣唐使を再開して唐に侘びを入れる >>113
中国の史書とも整合性が有るから、そういう歴史には出来ない 新羅は、唐と連携して高句麗も滅ぼすが、その後は唐帝国の圧迫を受けてつよい圧迫を受け容れるように成る 百済(ひゃくさい)、新羅(しんら)
昨日買った歴史人にあったが、呼び方変わったの? 元寇は、第1次元寇では、元の指揮官しかおらず、高麗軍2,6万人で
対馬と壱岐の島民を虐殺。奴隷にした。博多侵攻の際には船べりに
対馬の民を人間の盾に使い上陸。でも、博多に布陣した武士団を
撃破できずに膠着状態になり、船も沈められて博多の街を焼いて
撤収。
第2次元寇では、高麗軍4万、降伏した南宋の兵士と元軍の混成軍団
「江南軍」10万の14万の大軍勢で押し寄せるが、日本軍の防塁を
突破できずに久留米に移動。疫病が流行り、元の総指揮官は撤退を
考慮するが高麗軍の将軍らは日本侵攻を主張して台風の時期になる。
久留米湾の鷹島の島陰に避難した大軍船は鎖で船同士を固定するが
久留米湾独特の地形で南風が吹き、大軍船は次々に沈没。生き残った兵士も
日本軍により壊滅。逃げ帰った兵士は僅か数千人。
その後、第3次元寇が計画されるが、ベトナムで元軍が大敗北。
クビライも死去した事で中止になる。
そんな元寇でも、日本は死んだ者を供養した。志賀島に今も元寇の碑がある。
歴史を知らないチョンは困るなあw 唐が高句麗と戦うために新羅と組もうとして新羅は条件として百済侵攻を持ちかけたという流れ
唐は高句麗を滅ぼした後は中央アジアやらなんやらと戦って疲弊して衰退しちゃうけどね 白村江の戦いで敗れた後、中大兄皇子(天智天皇)は
飛鳥から近江大津宮にみやこを遷した >>116
海を渡る遠征はとても大規模な兵站が居る
唐帝国だから出来たことだろう、それより陸路を選んだのは合理性がある 天智天皇が侘びを入れる遣唐使を繰り返した際に初めて倭国は中国に
日本列島や奈良の存在や筑紫32代や初代神武の説明をする
ただ中国民衆には伝わらず
唐が滅亡して五代十国の争乱のせいで資料が集まらず
中途半端な資料で作った旧唐書では邪馬台国とは別種とされたが
宋が建国して資料が揃って再度ちゃんとした新唐書(1060年)を作る
このとき集めたちゃんとした資料でやっと邪馬台国と大和政権は同一で
日本列島というのがあるのを中国民衆は初めて知る 白村江の戦いはくすきえのたたかい
百済くだら
読めないよ 白村江の戦いを題材にして作られたのが
江 〜姫たちの戦国〜である なるほど
昨今の外国人移民は白村江の戦いに学んだものだったのか 日本に文化を運んだというのは百済ではない。
中国の古文書「隋書」には「倭の国の兵士は鉄の矢じりを持っていたので
百済、新羅の民は大いに尊敬した」と記されている。
「三国志・新羅本記」では新羅4代目の王は、日本の丹後但馬の豪族と
記されており、古代朝鮮の「安寧王」は佐賀県の出身である。
その証拠になる日本式古墳がソウル近郊た光州近郊にあったが
日本式古墳だと分かると埋め戻して隠している。
古代日本では寧ろ、中国大陸を経由した渡来人の力が大きい。
製鉄技術も「多々良」氏と言うタタール人だと言われ、秦氏は
機織りの語源になったと言われ広隆寺の建立にも関わっている。
蘇我氏はペルシャ系だったという説もある。
日本が戦後、韓国に遠慮して「日本府」「任那」の事を教科書から
省いた事で韓国が勝手な歴史を作っているだけ。
中国の古文書を見れば、韓国の歴史が捏造だと分かる。 >博麻は同じく捕虜となった同僚を、自分を奴隷として売らせた金で帰国させ、唐の日本侵攻計画を知らせた。
幕末の水戸藩もそうだったけど、
戦で一番重要なのは、情報だよな。
ナチスがポーランド侵攻を決めたのは、
米国と同盟を結ぼうと考えていたからだし、
そもそも英仏がナチスを支援したのは、
開戦しないと思っていたわけだし。
日本も上層部が情報音痴でゾルゲにやられ放題だったが、
諜報の前線は超一流だったりする。
開戦前のデトロイトを一週間火の海にした中根中とかな。
結局、情報をもっとも生かした米国が圧勝した戦争だった。
白村江でも、もっと情報を正確に把握していたらなあ。 >>107
軍事独裁国家を賞賛するわけじゃないが、ごちゃごちゃと言い訳しながら増税して無駄に使われるより、理由が明確なだけマシだと思ってしまった 遣唐使でさえ帰る保証の無い命がけの旅なのに
数万の兵士を送る輸送力とか兵站補給ラインを維持するとか本当なのか
古代のロストテクノロジーか 660年に百済が滅亡して
人質として30年日本にいた百済の王子扶余豊璋の訴えを
斉明天皇は聞き入れて百済奪還の兵を挙げる
そして人質チョン王子豊璋は倭国の軍とともに百済に帰国するが
臨時百済政権で実権を持っていた百済の王族で将軍の鬼室福信と
30年人質チョン王子豊璋との間で確執が生まれる そえでも新羅には勝ってたんだけど
唐の救援がきた白村江の戦いで負ける
そして新羅は唐に高句麗も攻撃させて高句麗が滅亡したところで
いろいろあって唐から朝鮮半島の支配権を奪う恩知らず新羅チョン この辺の歴史はよくわからない
武田鉄矢がおそらく今週藤原家は朝鮮人説を放送すると思う
先週は聖徳太子は百済人の操り人形いううとった >>99
中国にはそうであっても
日本の方はそうではなかった
百済人が藤原氏として朝廷で絶大な権力を持つようになった
というのが関裕二氏の主張
これはだいぶ受け入れらてるのかな それより大東亜戦争でアメリカに負けたのに
何故片務的にアメリカに軍事機密をオープンにしてアメリカと再戦したら秒殺されるようなマネをしてるんだよ >>138
百済人と今の朝鮮人とは無関係だ、ということは言わないと 斉明天皇や斉明天皇の死後その意志を継いだ天智天皇も
百済奪還にこだわる
その結果が662年白村江なんだけど
強国唐に逆らってまで守りたかった何かがあったと思うんだよね
でも負けた天智天皇は手のひらを返して和平を望む
665年第5回遣唐使 高宗の即位式参加 関係改善
667年第6回遣唐使 戦後処理で百済へ 関係改善
669年第7回遣唐使 唐の高句麗平定(668年)の祝賀 関係改善 学ぶべきは天智天皇の和平のための遣唐使だったと思うわ
名を捨てて実を取る いい武器用意しとかないと首領様に怒られる。
って事かと。 >>147
倭が高句麗に大敗したと好太王碑文に書いてある 万葉集の防人の歌を習ってた頃はあんな大昔に
いったいどこから誰が襲撃してくるというのだと
思ってたけどその備えがあったから元寇を防いで
今の日本があると思うと感慨深い。 大昔から日本とチャイナは朝鮮半島で覇権を争ってたのね 騙し合いの韓国の歴史 1400年培われた騙しのテクニック手ごわいぞ 原爆1発でアウトだけどな この話は千年前に終わってる。
火山噴火で古代朝鮮は滅亡した。 >>138
は?ないない
天皇家自体がヘブライの10氏族の系譜で以前から
日本に定住している南方系とヘブライ系の混血が日本人の祖よ
藤原氏の祖先が鎌足で鎌足の没後に春日大社が建立されたんだから藤原氏=朝鮮人はない
それに春日大社で祀ってる藤原氏の「祖神」は天児屋根命であって
朝鮮説の根拠にされてしまっている鹿島の神武甕槌命は「祖神」じゃなくて「守護神」だし
ちなみに天津神は大陸経由のヘブライ人だから天児屋根命もその系譜で半島経由じゃないからね
半島経由のヘブライ人は秦氏とか百済からの亡命者だけど混ぜすぎだわ
聖徳太子が操り人形ってそら教師やってたのが百済系だったって話じゃん
2010年代から日本神話に朝鮮系混ぜ込んでるくそ学者のデマじゃん 優秀な百済を滅亡さした戦犯負けウヨ!!!!!
切腹しろクソウヨ! >>161
百済はヘナチョコだったから。
自業自得。 >>121
お前の元寇の講釈では久留米湾と書いているが久留米は海に面してはいないんだが
久留米湾を訂正する気は無いのかな? >>161
朝鮮人が切腹とか文化侵略されててワロタ
お前らには石打の刑がお似合い >>133
「意見を言おうと言うまいと、国民は常に指導者たちの意のままになるものだ。
簡単なことだ。自分達が外国から攻撃されていると説明するだけでいい。
そして、平和主義者については、彼らは愛国心がなく国家を危険に曝す人々だと公然と非難すればいいだけのことだ。
この方法はどの国でも同じように通用するものだ。」
by ヘルマン・ゲーリング いずれにしても謎を解く鍵の一つは
長野の善光寺にあるだろうな アニメですまんが
白村江の戦いで倭国が大敗したのは
鬼の生物兵器みたいなのが出てきて
負けたーってやつをやってた。
他にも渡辺の綱がその鬼を利用して
反乱を起こそうとしたり、歴史の節目に
その鬼が常に関わっているていう話。
史実や伝承、エンタメ・フィクションの部分が
ごっちゃになって自分のツボにはまったが
名前が思い出せない。 >>149
百済から救済の申し出があった時、朝廷には百済派と唐派に分かれたのだと思う。結果は百済を支援するのだが、まあ、ああなってしまったのだと。 >>170
鬼というのは古代史ファンにはおなじみのキャラで
ようは都合の悪い相手を絶対的な悪にしたいときに使うトリック
つまりは反体制派の人たちだよ 白村江の戦いの大敗を反省して装備を整えて攻め込んだら中国まで行っちゃった加藤清正とかいう脳筋 >>174
中国は長城の内側だ
オランケは中国じゃないぞ >>170
全然記憶に無かったけどガサラキだったよ、ガサラキ平安編
テレビシリーズは最後まで見た筈なのに覚えてないのはOVAなのかな >>149
和平どころか実質唐のGHQ支配だけどな
新羅が唐と戦争になったから唐役人が帰って日本が独立できた これ百済人が介入してるからな。
天智が近江へ逃亡した時も百済人引き連れて武将に城郭建築の指揮させてるし 百済民衆は倭人では無い、馬韓、弁韓、辰韓の三韓の国民が百済人となった
だから言葉も三韓人が話していたものを喋っていた。三韓人も元を辿れば中国東北部
出自のツングース系民族だろう。 >>161
ジャップは白人なイズされるまで対外戦争で勝った試しがないんで そりゃまあ偉大なる大韓は地上最強の戦闘民族だからね
そんな楽浪海中の半魚人倭人ごときに負けるわけがねえべさwww
栄光ある大韓民族の戦勝記念碑オベリスクとして
丸都、今の大中華には好太王碑文があるが、
どうだい、立派なもんじゃないか広開土王。
古くは白村江、長じては後期倭寇、そして李舜臣将軍の縦横の活躍と
海上戦において偉大なる大韓海軍は常に倭寇のそれを凌駕してきたんだよwww >>150
あと、唐と新羅の対立関係を把握して、うまく立ち回ったその後の外交力も見事。 >>176
そのアニメです。
渡辺の綱の反乱は映像になっていたけど
白村江の話はフレーバーテキストみたいな
台詞での表現だった気がした。 レッドクリフくらい金かけてこういう対外戦争モノアクション大作作ってくれ。
これもいいし、秀吉の朝鮮出兵も大きいスケールで見たいわ。 >>180
やってみたらそうやったけど、初の大概戦争だから勝手は分からんだろうw
戦略としては悪くない。朝鮮半島を防波堤にして本土防衛やるって言う明治維新後もやってた戦略w >>174
中国まで行ってないだろ、今で言う北朝鮮がやっと >>184
一体どんな歴史を学んだらそんなに馬鹿になれるんだ。 >>181
もうその頃には百済人に政権を乗っ取られてたんだな >>1
四国連合艦隊下関占領事件と薩英戦争は敗戦じゃないのか??
わけわからんな
日米和親条約も修好条約も負けだろが、日露戦争もな
秀吉も負けたし >>150
対米従属する代わりに安全保障されて経済大国になってアジア唯一のG7入りした現代にも活きてるな 天皇殺せば?
一般人が使えない神社とか何の意味もない 敗因は1つ!シンプルな1つだ!
百済(Kudara)と組んだため『Kの法則』が発動した 高宗と則天武后という唐代最大版図の折に戦ったのはなかなかの物
太平洋戦争も捨てたもんじゃない 百田の本を引き合いに出してる時点でこのスレの>>1読む気が失せたわ
ふざけんなよ
あんなも歴史書じゃねえだろ 日本が朝鮮半島に関わろうとすると上の国は絶対に見逃さない、絶対に
放置すると元寇になって日本の存亡に関わる
朝鮮戦争はアメリカが代わりに戦ってくれて、米軍からすれば自業自得とはいえ割と理不尽 おれもはくすきのえで習ったがなんで白だけ音読みなんだろう 古代に2回も大敗北してるんだよなぁ
× 倭_百済 vs 高句麗_新羅 ○
× 日本_百済 vs 唐_新羅 ○
で3回目の大敗北がコレ
× 大日本_韓国 vs 連合国軍 ○ 白村江を「はくすきのえ」って読ませるのは、
熊川(こむなり)、嶋君(せまきし)みたく
古代朝鮮語の音訳なんかね ほんとはすぐに駐留軍がやって来て
武則天でゴタゴタしてそれどころじゃなくなるまでいたんだけどね
で遣唐使廃止でさすがにもうどこからも文句来ないだろで日本書紀改訂 大負けしといて国家土木プロジェクトとかとんだブラック政権だな
っていうか当時の人たちはよく言うこと聞いたもんだね >>171
和平派の蘇我氏をクーデターで暗殺して主戦派が権力をにぎってしまった
その結果が白村江での大敗という
それが今の皇族や藤原氏の先祖なんだよ >>214
百済だよ
文さんと皇族や藤原氏はつながってるかもね 歴史で習ったけど、白村江ってどこだよ。
朝鮮か?
百済、任那、あとなんだっけ。
どうでもいい歴史。
俺、歴史大好きで結構詳しいけど、興味ない。 >>217
朝廷はいつも民衆を苦しめるだけのブラック政権だからね
武士と庶民のための政治をめざした鎌倉幕府の偉大さを称えようよ 歴代天皇は自分と身内さえよければいいという傲慢な態度で民衆を苦しめてきた
悲しいね
武士と民衆のためにがんばった鎌倉幕府は立派だよね >>181
当時は攻めばかりで城とか不要だったからな
蘇我氏が築城提案したら「誰が攻めてくるんだよ馬鹿」と責められたろ
信長の野望第1ターンで城作りするような詰んでる百済ゆえに築城のノウハウはある 百済は韓国のような国です。
百済に関わってはいけなかったのです。
「白村江の戦い」はよい教訓になりました。 蘇我氏が健在だったら白村江の敗戦なんて100パーセント無かった
そんなアホみたいな戦争を蘇我氏はやってない
蘇我氏を滅ぼしたテロリストが日本の道を誤らせた
徳川政権を転覆した過激派テロリストがいらない戦争を連発して
日本を無条件降伏に導いたのと同じ 「朝鮮に関わるな」「朝鮮に構うな」
これが白村江の敗戦から得られた教訓であり
実際に日本の国是になった。明文化はされてないが。
この国是を破って朝鮮に関わったのが豊臣秀吉であり、徳川を乗っ取った近代日本なわけだが
その両政権とも結局破滅した >>227
しかもテロリストどもはみんな半島を取り込んで失敗してるよなあ 日本で戦争なんて起きないよ
戦争は起きないけどもっと恐ろしいことは
絶対起きると思ってるいつかはわからないけど >>33
同盟してる唐にある旧高句麗百済領に新羅は攻め込んだけどな >>13
げ、
はくすきえのたたかい
とずっと読んでたよ 白村江(はくそんこう)が正しい読み方。はくすきのえとか音と訓を混ぜて
読むのは間違い。 >>224
元寇で頑張って戦った武士に恩賞を出せずに不興を買って
結局は打倒された鎌倉幕府が何だってwww >>241
国内勢同士の争いなら、勝った方が負けた方の領地を分配して賞与として
与えられたんだろうけど、
外国勢が相手となると、勝って外国勢を一蹴したとしても、一片の領地も
獲得できるわけではないからね
恩賞が無いとなると、そら身銭を切って兵を集めた武将どもも不平を漏らす
忠義、忠心は殿へではなくて、領地に向けられる概念だ
江戸時代に儒学を強要するまでは、君に対する忠義とかは「斬新」な発想で
本来は、切り取り自由、下克上、が武士道の主流だったのだ >>241
>>242
最近の研究では、元寇は関係なくて鎌倉幕府が貨幣経済への移行に耐えられなかったんじゃないかと言われてる。
鎌倉幕府が滅亡したのは元寇の約50年後で3世代は入れ替わってる事
鎌倉幕府の滅亡時に反乱を起こしたのは主に東日本の御家人で
元寇時に動いた西日本の御家人と重ならない事など >>244
西日本のほうが中国との貿易で先進的かつ京都などの消費地を抱え貨幣経済が発達していると思うが、どうして東側が貨幣経済で反乱の中心になるのか教えてほしい。 白村江の戦いとは、現代史的には、筑紫の君サチヤマに比定できる九州王国が JR 九州、
JR 西日本みたいなもんと想像できても、大和朝廷は、JR 東海みたいな政権ではないので、
比較が難しい。
朝鮮半島史は、もともとが、倭の支配領域であって、魏書東夷伝倭條の項では、特別扱いさ
れているのは、背景に秦代の徐福の五〇〇〇ペアーの男女の童の移民があり、漢族という扱
いになっている。済州島もそうだろう。
任那が、三四県あるので、百済・新羅が、言ってみれば、ヨーロッパ的には、任那がベルギーで、
百済がドイツ、新羅がデンマークか。高句麗が、ドイツ。中国が、フランス。
しかしながら、イギリスのスチュワート朝は、もともとがフランス人で、百年戦争をするまでは、
フランスの半分以上が、イギリス領だ。
だから、イギリスの歴史から類推して、日本の古代史を紐解くことが出来ない。
中国をフランスに比定すると、イタリアとか、スイス、ハンガリー、オーストリアに比定する国がない。 司馬遼太郎 「街道をゆく2 韓のくに紀行」
さらには船である。
東アジアでもっとも極東にあたる日本だけが、遠洋用の大船をつくる技術の面で遅れていた。
理由のひとつは、日本が農業の適正度の高い地域であったため商品流通の必要が少なく、
さらには漁業といっても海浜で魚介を漁る程度でよかったこと。要するに大船の必要がなかった。
いまひとつは、軍事用の超大型の船は国家権力が官僚機構でもってつくりださねばつくることが
困難なことである。
日本は「大化」の年号によって形式上の統一国家の体はなしたとはいえ、実体はなお部族連合
国家の状態にあり、北九州あたりの部族程度の規模では軍事用の超大型船はつくれず、つくる
必要もなかったのである。
新羅などは、早くから国家権力による官船建造をおこなっていた。新羅は随・唐への朝貢のために
朝鮮海峡を縫って黄海を横断してゆく船が国家として必要だったのである。
唐の帝室は華北から興って海上には知識も関心もなかった。しかし華南(江南)では、すでに
海上貿易が発達しはじめていたから、華南を併呑したときに航海術も造船技術もあわせ獲た。
さらには海を経ての高句麗や百済への数次にわたる遠征で水軍経験も十分積んでいたし、以上の
ような諸点からみて唐は対日戦に大きな利点を持っていた。 これって唐に占領されたも同然の状態になったんだっけ? 韓国が北朝鮮に併合されて武装難民が海を渡ってくるという予言ですね この年になって、大化の改新こそが日本の歴史の最大級の出来事だったことに気付く
学生時代は聖徳太子の後のちょっとした出来事ぐらいの認識だったのに 負けて防備に夢中になる
攻めてこないから緊張の糸がきれる
荘園など律令国家体制崩壊
地方人が自警のため武士化
鎌倉政権誕生
こんな流れのはず 九州倭国は新羅派
近畿日本は百済派
よって日本視点で作られた記紀は新羅が敵となり
旧倭国勢力自体を新羅系や渡来人として書いている
列島の殆どの神社が祖神を渡来人系とするのはそのため >>241
恩賞でてるんだよな。むしろ支持を集めたことで騒乱となった。
支持を集めたのは恩賞を差配した御恩奉行の安達安盛であって北条家ではなかった。
さらに、寺社への恩賞は寺社系武士を御家人に取り込むことになった。
この元寺社系武士はまるまる安達安盛派となった。
安達安盛に危機感をもった北条家が、
新参の寺社系御家人と紛争を抱える関東の御家人を煽って安達を族滅したのが霜月騒動。 司馬遼太郎 「街道をゆく2 韓のくに紀行」
もともとこの独立運動は、王族の鬼室福信(クイシルボクシン)がひとりでおこしたのではなく、
日本と縁のふかかった僧道?(トチム)の援助によって可能になった。道?は僧の身ながら福信
の副将格になってよく働いたが、しかしその存在の大きさがしだいに鬼室福信に憎まれるように
なった。道?にもあるいは憎まれるような所行があったのかもしれない。朝鮮人は一般に多くの
美質をもっているが、その致命的な欠陥というのは、仲間を組んで仕事をする場合に相互の協調性
に欠けていることであった。困難なときはよく協調する。しかし、一陽来復すると苛烈な内輪もめ
をおこす。僧道?は、あわれにも鬼室福信に殺されてしまった。
自然、鬼室福信の独裁権が確立した。
福信のふるまいは専横になった。それに対して愉快でなかったのは、福信によって日本から迎えられた
王子豊璋である。正しくは、この時期、かれは新王になっていた。福信のおかげで王になりはしたものの、
それを恩とは思わなかった。王はわずかな手兵をひきい福信の不意を襲い、これを殺してしまったのである。
独立運動の闘将はみな内紛のためにたおれた。残ったのは、軍隊統率のできない新王豊璋のみであり、
独立運動軍の士気はにわかにおとろえた。
すでに日本の主力である第三次派遣軍が博多湾を発して海上にあった、かれらは百済独立運動軍の内情を知らない。
─すべてうまく行っている。
とおもっていたであろう。この第三次派遣軍の将は蘆原君(いおはらのきみ)を司令官とし、兵一万余であった。
日本軍の兵力はすでに韓半島に上陸している部隊をふくめて四万くらいであったというから、この当時の人口を
察してみてほぼ国力のありったけという人数である。 >>241
防衛戦だからね
日本を守った代償に滅んだ鎌倉幕府と執権北条氏だよ
そんな北条氏を日本人なら称えこそすれ貶めるなんてできないはずなのに
そしてそういう理由で弱ってた鎌倉幕府を攻めた後醍醐は卑怯者のクズだよ 唐に負け北条政子に負け足利尊氏に負け、
歴史をよく知れば天皇の軍はしょっちゅう敗北している事に気付く
なのに錦の御旗を掲げた皇軍不敗神話などという幻想にとりつかれ、
天皇を頂く大和民族は偉大だなとと勘違いし、
アジアを日本が統べるべきだと思い上がって明治維新以降侵略戦争を繰り返した結果が、
おびただしい犠牲者を出した挙げ句の先の大戦の大敗北
そんな国全体が狂気に取り憑かれていた大日本帝国が滅んで本当によかった >>256
この鬼室福信に親戚の鬼室集斯を祀る神社が滋賀県にある。
日本書紀
福信の近親者と思われる鬼室集斯は天智4年2月(665年)(即位元年起算よると天智10年正月)に福信の
功績によって天智天皇から小錦下の位階を与えられ、百済の民男女四百余名と近江国神前郡に住居を
与えられたが、天智8年(669年)男女七百余名とともに近江国蒲生郡に移住させられた[3]。
鬼室神社 滋賀県日野町
https://goo.gl/maps/uoQTEvg6Hf6xWKqB8 あの恐ろしい騎兵をそろえている高句麗が滅んだことのほうが歴史上の大事件で、
倭はまだよく分からん辺境の蛮族。 >>265
倭の文化を同等と認めた魏や晋も蛮族やな >>266
すでに現代だというのに、倭の心は古今かわらず夜郎自大である。 >>5
日本を守るのは日本人
平和ボケしすぎって意味だろう >>224
鎌倉時代は歴史上かつて無いほど人心が荒廃した時代だぞ
墓荒らしが当たり前のように行われそれを幕府が取り締まる事もしなかった >>222
鎌倉幕府の成立から承久の乱の流れは事実上の革命。
大陸との価値観の違いができた決定的出来事だし。 最高の国防体制の名の元にどれだけの搾取と強制徴収が行われたのかも教えろよ >>271
日本はヨーロッパよりも何百年もはやく革命を達成していたんだね
日本すごい!鎌倉幕府すごい! 私たちは皆勝者の子孫です。
勝者しか子孫を残せません。 日本の古代に大軍送るような
造船操船技術があったか疑問だな >>68
くだらない、は本当に百済を指しているらしい >>270
平安時代も荒れていたが上同士の権力争いが主
地墓荒らしも無かったわけではないけど
荒らせばちゃんと処罰されてたし古墳の盗掘被害の多くは鎌倉時代のものだ 百済はそもそも日本から大陸に進出した勢力やからな
だから守ろうとした
ただ、海があったし日本とは勝手が違い過ぎた >>4
163 名前:動け動けウゴウゴ2ちゃんねる[sage] 投稿日:2014/01/17(金) 23:14:55.36 ID:+B5o6dy1
>>161
日本の学校は、何時の時代だろうが「はくすきのえ」と教えるよ。
帰化のチョン系の左巻反日教師でも居れば、「はくそんこう」と
教える所も有るかもしれんがね。
164 名前:動け動けウゴウゴ2ちゃんねる[] 投稿日:2014/01/17(金) 23:19:57.13 ID:uKtXY2/H
朝鮮学校「はくそんこう」
日本の学校「はくすきのえ」 白村江の戦いスレなのに「阿曇比羅夫」の名前が出てこないなんて…(´・ω・`) 百済の造船技術はそれなりのもんだった。東シナ海でさかんに交易もしてただろう。 百済王、新羅王、高句麗王は日本人
隋帝、唐帝は中国人 >>278
それなwww
戦国時代でも風が悪ければなかなか渡れなかった対馬海峡。
古代日本が何度も大軍を送り込んでるのがすげえ不思議なんだよね。
やっぱ日本人の祖先は、春秋戦国時代の呉の末裔なのだろうか。
南方の海の民の子孫なら、小型船でガンガン輸送することも可能でしょ。 >>132
>ナチスがポーランド侵攻を決めたのは、
ポーランドの国家を和訳のある動画で見ると良く分かる。大国に蹂躙されていた。
ポーランドは、1918年に再建されるまでは、200年間、地上より消えていた。ポーランドの割譲
問題とは、大昔は、スエーデンから、蹂躙されており、ドイツのプロシア(プロイセン王国)、ロシア
等に分断分割されていた。
従って、敗戦国ドイツから言わせると、ポーランドは、庭に過ぎない。隣国のロシア、
>結局、情報をもっとも生かした米国が圧勝した戦争だった。
情報戦というよりも、知能が低かった。当時の軍部は、仏教日蓮宗の一派の法華経カルト
石原莞爾に洗脳させられた陸軍と、同じく法華経カルト里見岸雄に洗脳された海軍が、精神力
・観念で、哲学的に非科学的に決断した、完全な背水の陣という自滅戦。
かたや、ドイツは、アメリカ合衆国と戦う意欲は当然ない。国民の希望は、ポルシェの設計した
カタツムリ型自家用車。アメリカ合衆国は、馬車並みの大きさの車で、スタインベックの「怒りの葡
萄」状態になるものの、工業生産力は、粗鋼生産力が、日本の30倍。(因みに、今や中国は、日本
の粗鋼生産力の約8倍を山九が設計した高炉で作っている。)タングステン、モリブデン、ニッケル、
クロムは、日本では産出できないが、アメリカ合衆国では、産出するので、成層圏よりも上を飛ぶ
B29 の四発エンジンのそれぞれに、二機のターボ過給器を搭載していた。日本では、紫電改など
が自爆攻撃で、体当りして墜落した B29 から、ターボエンジンを削り出して、
「こんなものどう遣って作れるのか不思議!」
と嘆いていたらしい。いまや、セラミックターボタービンであるが、一時期は四〇年間ぐらいは、タン
グステン、モリブデン、ニッケル、クロムでタービンを作っていたらしい。今は、チタン合金製のター
ビンは、石川島播磨重工(IHI)製がノサバッているが。だが。 久しぶりに、エンコリ思い出したわw
(まさか、半島系工作員が日本で、同じこと
やり出すとは、当時は思いもせんかったがな) そもそも白村江の戦い自体が創作
日本書記を読めば分かるがあんな大型の船を量産できる技術は当時の日本には無い
せいぜい三、四隻で百済の要人の救出が精一杯だったのが真実 >>64
白村江以外は高校でもやった記憶ないなぁ(@20年前)
大学の教養にゃ日本史はなかった 基本、天皇を戴いた「日本」という体をずっと続けてきた日本人としては
「国」や主体となる民族がコロコロ変わってる過去の歴史を自分の地続きの歴史として誇る感覚がよーわからん 白村江の戦いに勝ってたら朝鮮は日本のもの(^^)
倭国は大日本帝国の原点(^^) 白村江(はくそんこう)をはくすきのえとか書く生徒がいたら他の答えが正解でも
零点にしているwww 日本人ならば日本人らしく(はくそんこう)と書きなさいと
優しく諭している。 その時につくった山城が今、地元のゆるキャラになって踊ってます 白村江で大敗の後って曖昧な記述しかないけど
唐のお偉い官僚が外交使者として来日してるのは確かなようだが
実際は太平洋戦争後のGHQほどじゃないにせよ、唐の占領政策下にあった時代があったのか?
あるいは「力づくで占領可能だが一丁前に防備体制整えてて時間かかり面倒くさそうだから逆らわなきゃ捨て置けばいい」
と友好的外交を与えて帰ったのか
>>138
天智と天武って最近までやってた左翼漫画では中臣(藤原)鎌足は百済王子という設定になってる 唐と新羅が高句麗の領地を争い始めて倭どころじゃなくなるんやろ >>302
半島経営が忙しくてわざわざど辺境の蛮族を統治する手間隙も旨味もないからな >>59
朝鮮海軍に完敗して武田信玄と織田信長と上杉謙信と毛利元就が討死したんだよね 修学旅行は対馬に行って飛鳥時代の国防をみるのがよいと思う
本州にも岡山に当時の大規模な山城が残ってる >>281
それは嘘
そもそもクダラって読みは百済の人が移住した久多羅村から逆輸入的に付けられた呼称
この村の名前は仏教の阿耨多羅三藐三菩提から付いた名前
河内国風土記の逸文にある
由来からしてそれなんでその話もただの作り話 半島攻略のための唐水軍13万・新羅軍5万ってマジ? バツグンに弱いジャップ軍
そりゃそれ以降、宣戦布告せず奇襲攻撃ばっかりになるわな この頃の百済って他力本願で韓国みたいな国だな。
自主防衛って大事だわ。 国の防衛体制だと教訓は元寇の方じゃ?
白村江は戦場は半島だけだったような
唐が攻めてくるかも!ってビビって色々作ったらしいけど >>302
あの漫画は天智天皇と天武天皇と蘇我入鹿が
三つ巴のホモホモしいメロドラマを繰り広げてるような話だし
歴史的事実を書いてるわけではないんじゃ
いや漫画としては面白かったけど >>296
元寇はさすがに習わなかったっけ?
まあそのころとはかなり違ってて、今は鎌倉武士の再評価進んでるらしいけど >>142
それかなりのマイナー説では
ってか百済人って官位とかみても別に優遇されてないよ 朝鮮出兵でも朝鮮の女子供の耳鼻削いで戦果水増ししてたジャップ軍は世界最弱といってもいい >>297
歴史書や公文書に「天皇」って呼称が出てくるようになったのは白村江からずっと後のことだぞ
それまでは単に「大王(おおきみ)」と言っていた >>37
結局、文禄・慶長の役や太平洋戦争もそうなんだけどさ。
戦線を伸ばして結局、それを維持できないのがな。 >>106
単純に唐ってか中国の王朝は日本に興味なかったんじゃ?
何々の入寇みたいな小規模なものはともかく
本格的に大陸から攻め込まれたことって元寇までなかったし
その元寇も異民族王朝の元だし
それか渡海して地の利のない異国へ攻め込むとか
いくら相手が小国でも難しいとわかってたか
中国は孫子をはじめてとして兵学発達してるしな
元寇は何故かそれ無視して攻め込んだわけだけど >>331
新羅に滅ぼされた時百済の貴人たちが全部日本へ逃げてきて、ヤマトと同化してるからな
今の半島人の祖先じゃないけど >>331
一応、桓武天皇の生母の高野新笠という女性の実家の和氏が
百済の武寧王の王子の子孫だという記述は続日本紀にある
んだけど、高野新笠から武寧王まで200年以上経ってるの無視して百済人扱いしたり、
母方の先祖の話なのに父系で継承されてきた皇室のルーツの話にすり替えたり、
全然違う話に利用されまくりなんだよね
5chでも古代の話になるとそういうレスだらけ >>331
ゲノム調査で去年判明したのは
今の日本人の90%以上が渡来朝鮮で縄文由来は7%以下だから
日本人=ほぼ朝鮮人ってこと 朝鮮渡来人が日本に大量流入した時期に縄文男性が激減してたのが去年判明した。
ようするに鉄器で武装しテクノロジーに優れた朝鮮渡来人が土着の縄文人を大量虐殺したって事
スペインがインカ帝国を虐殺して滅ぼしたのと同じようなもの 白村江の戦いでの日本の戦略戦術
とにかく先を争えば敵はおののいて逃げる
マジでこれw 新羅人、百済人、高句麗人は蕃人と呼ばれて差別された >>335
日本人はウラルアルタイ系、今の半島人はスキタイ系(トルコ系)で全然別って習ったんだけど
従来の説は間違ってたってこと
もちろん混血、同化もしてるから厳密に別なんてことはありえないが >>336
いやその時期に大規模な戦争の痕跡がないことや、
ちょうど気温が下がって食糧危機になった時期にあたること、
減少が男女両方にみられることなどから、
単に食糧危機によるものだという見方がされてるけど
戦争やその後の民族浄化的なものだったら男の人口の方が偏って減る
あと渡来人って半島だけじゃなく大陸からも来てる ID:ea8KVGQT0って都合の良い知識だけ集めてるのかな >>278
縄文時代の10,000年前から世界中を航海する技術を持っていた日本人。 >>335
日本人の90%が縄文人だぞ嘘つくなよ。 中華が伝統的に水軍が弱くて日本は助かってるよね
強かったら何度か侵略されてるだろう、で王朝が倒れる度に独立ってなってるはず
強かったのは明代の鄭和艦隊くらいだからな、それでも倭寇がボコボコにしてるし >>59
李舜臣はシナ人だぞwww
しかも日本軍にフルボッコされてる。
捏造映画を真実と思ってるあほかww ここで唐・新羅に勝てるくらいの軍事力や外交力がありゃ、
その後日本が世界の覇権国家〜地球統一くらい出来たかもなあ >>344
南宋も強力な水軍持ってるし東シナ海に面しているけど
日本に侵略したことはなかったし、水軍の強弱だけではなさそう 世界的な英雄がいる中国、モンゴル、韓国に比べて
何故日本にはいないのだろうな >>42
日中戦のときもそうだけど強いけど線でしか制圧できないんだもん
そりゃ長期戦になったら分断されてやられますわ >>346
まず渡海して大量の軍を送ったり補給線維持する時点で無理じゃない?
それは外から日本へ攻め込む場合にも同様だけど >>346
だなー
唐がどれくらいの大国なのか正確にはしらなかったんだろうな 朝鮮系遺伝子が濃い日本人は平気で古代史を塗り替える、特に関西人に多い 白村江=しらすきのえ(ハクソンコウ) と学校で習ったが、
最近は、学会の重鎮たちが戦後世代で、韓国に忖度、
ハクソンコウ(はくすきのえ)になった様だ。
「はくすきのえ」?? 何それw 訓読みになってないw
大和言葉がタブーになったようだなwww >>37
局地戦で勝てることを誇るしか能がないのは日本のお家芸ですね >>344
ジャップランドには頑張って侵攻するほどの何かがあるわけでもないしw >>344
水軍の強さとか以前に、わざわざ海越えて日本まで侵略するメリットなんか無かっただけでw
陸続きの朝鮮半島でさえ、侵略してみたものの
直接統治のメリットなんて皆無で、ただ赤字がかさむだけって放棄
海南島も同様の理由で放棄
台湾なんぞ明清のころまで基本スルー
そんな状況で、わざわざ日本侵略とか計画する馬鹿はいない
いや、後の時代にモンゴル人という例外はいたけどw >>357
昔の日本は資源大国だよ
大陸との取引にも使ってたように金銀の産出国でもあるし
確か、元寇の原因もそれだとされてなかったっけ?
フビライハーンが黄金の国の噂を聞いて食指を伸ばしたって話
(硫黄説や南宋包囲網の一貫説もあるけど) でもまあ、レスつけておいてなんだけど、黄金とか入れても
困難な渡海侵略するほどのメリットかというと微妙だよね…
資源は大陸や陸続きの国にだってあるし
別にわざわざ日本に攻め込まなくてもそっちの方が攻めやすそうだし >>360
あれは鎌倉幕府が蛮族過ぎただけだからなぁ
資源より面子の問題 >>285
それは無い
百済人の名前からして当時の日本人とは全然違う 仏教は百済から入ってきたけど、華厳宗は総本山が新羅にあって新羅経由なんだよね
たしか日本の最澄・空海みたいな存在の偉い坊さんが2人いたはず
名前忘れたが >>360
日本が銀の産出国として知られるのは数百年後の話
資源大国として見られてたなんて無い無いw 自分から攻めておいて、反撃されるのが怖いから防人をかき集めてただ働きさせたことは忘れない 防人の歌は、今のブラック企業に対する愚痴に通じるものがある >>367
あれは攻めたんじゃないでしょ
百済から防衛戦力をよこして一緒に戦ってくれと請われたから
白村江の戦いの前の時点で実質百済は滅んでいたから、無駄な派兵ではあったね >>359
しかもクビライは文永弘安の役で敗走したにも関わらず
何度も日本侵攻計画練るんだよなw
でその都度重臣の諫言にあって中止にするという 百済は日本の一部みたいなものだったからな。
てか九州の一部か。
熊本あたりににも大量に逃げてきてる。
古墳もある。
トンカラリンは俺が思うに百済系の人たちが作った、襲われたときの脱出ルート。 >>369
上級国民が加担したのが悪いな
犠牲者はいつも下級国民 >>362
使者スルーは無礼ではあっても蛮族ってほどではなくないか?
念のため、幕府が使者殺したから元がキレて元寇が起きた話ならデマだぞ
というか元寇より前に日本が使者を殺した事実自体が存在しない
よく鎌倉武士BANZOKU伝説として挙げられてるけど
使者殺したのは文永の役、元が侵略した後のこと
>>366
日本は日宋交易で金銀を支払いに使ってるから
元寇の時どころかその前から黄金の算出自体は知られてるはず >>369
当時は日本に限らず、朝鮮諸国も
南北朝の分裂統一して、中国に唐って超大国が出来たってことに危機感感じてたからなあ
百済が完全に滅んでしまえば、次は日本に矛先がって恐怖感があったんだろうよ >>1
1300年後の日本民族は1億平和ボケ温泉に浸かってしまって脳みそ溶けちゃったからな
外からのもんに対しての防備なんか消えちまったよ 白村江戦は倭国はそもそも新羅に加勢する予定だったし九州には相応の貢物がわんさか出てくる
ところが百済に加勢することになったのは、国内で倭王権の要でもある蘇我氏が百済の調略に落ちた中大江一派に暗殺されたからだろう。
邪馬台より続く天氏倭国はこの蘇我氏滅亡で求心力を失い多利思比孤の弟でもある薩夜馬を最後に邪馬台倭国史を歴史から消し去り天智即位後大化改新を以って架空の天皇一系史を創作したんだろうな。 >>377
つーか中臣が意味分からんのよな
日本書紀に新羅討伐の件が出てるけど
そこで中臣国子は新羅を討伐して任那を百済に付けようって言ってるしw
以前からこの調子 >>326
初代天皇は天武天皇こと大海人皇子だからね 白村江の敗戦のあと唐は日本の支配を検討して諦めてる。
しかし日本は瀬戸内海の要所に砦を築き、
奈良を最終決戦の地と決めて防衛体制に入ってる。
つまりそれまでは瀬戸内海連合を主とする
緩やかな連合国家で良かったわけだ。
日本史の一番謎な部分 日本を守った北条氏のことをネトウヨが貶めている
ネトウヨは「ウヨ」と名乗る資格すらなかった
ネトウヨこそ反日じゃないか 半島の国と組してはならない、半島の国を助けてはならないという教訓だよ >>25
海挟んでの兵站築かないといけないから厳しいでしょ >>384
なぜネトウヨ?
北条氏批判レスの右左わかるようなレスなんかあったっけ >>25
日本の上級は学習能力ゼロの無能だから
そいつらが1500年以上日本に居座って、下級国民を奴隷のように扱ってる 浜薫明 著『東洋政治学』によると、自民党は覇道っぽい。 大化の改新、壬申の乱、記紀編纂 これ以降が日本の歴史
それ以前の歴史と思っているものは全て神話 ほんとチョン半島は洪武帝や忽必烈汗の威嚇に屈しなかった日本のような独立国を見習ってほしい。 >>383
天氏の後ろ盾が蘇我とすると邪馬台から続く外交使は一大卒以来続く血統でもあり歴史的大陸儀礼を熟知した存在になる。
そうなると裴清と同伴した蘇因高が蘇我氏であって何ら問題もなく収まってしまう。
日本書紀に存在しない煬帝の返書が蘇我氏貯蔵物として焼却されたとしたら、天智天皇はその内容を知ることもなく書紀に於いて記述を誤魔化すしかなかったのだろう。 >>391
たかだか1300年前のことだから神話じゃないよ
神話にしておきたい人はいるようだけどちゃんと科学的に検証しなきゃね >>347
日宋貿易やってたり宋と仲よかったからね たかが千数百年前の歴史を神話と言ってしまえば長い歴史を持つ中国から
笑い者になる。 浜薫明 著『東洋政治学』によると、
「一、己は強大の勢を持して弱敵を選び、二、敵勢を弱め、三、強大を援けて弱小を攻むる、」
と勝てるらしい。
日本はこれを実践しなかったから負けたんだよ。 神武天皇どころか聖徳太子も蘇我入鹿も神話なのだよ 結局何者なのかわかっていない 歴史の長さでは文明発祥の地・西アジア&南アジアには敵わないよ。 ちゃんとくだら、しらぎって書いてあるな
今の教科書は朝鮮読みさせるんだろ?
気持ち悪い ちなみに、百済(くだら)・新羅(しらぎ)にあたる読みは高句麗(こま) こうくりではない >>403
日本全国の高句麗人が帰化したと思われる地方に
「駒(こま=高句麗)ヶ岳」という名前の山があるね
山梨県の「巨摩郡」とかも露骨に朝鮮人の帰化地 >>395
そのせいか知らないけど、2回目の元寇の戦後処理では
宋人だけは命を助けられたらしいね
他はモンゴル人はもちろん、高麗人もみんな処刑されたとかなんとか
>>362
鎌倉幕府が野蛮なのと元寇の原因に何の関係が? >>403
狛犬は高麗犬で「高麗は日本の属国」の意味 >>366
マルコポーロの東方見聞録のジパングを日本とするなら知られてる
家が金でできてるってのはほら吹き過ぎだけど >>371
ってか元寇の直前に、日本を見聞した使者が元寇反対の諫言してるんだよなw
その時点で中止にしていればどっちも被害出なくて済んだのに
1 :名無しさん@おーぷん:18/10/06(土)22:05:20 ID:Y4y主 ×
一年ほど日本に居た第五回&第六回使節の趙良弼さんの報告より
・獰猛で殺を嗜む
・親孝行を知らない
・上下の礼も知らない
・土地は山水が多くて耕作に利がない
・日本人を得ても役に立たない
・日本の土地を得ても富まない
・舟で海を渡るのも風は不定期で、損害を測ることもできない。
・日本征服なんて有用な民力で底なしの巨大の谷を埋めるようなもの
・結論、(元寇)反対
ここまで言われてなんで攻めてきたんや… >>410
攻めたんじゃなくて集団棄民だからw
特に2度目はその傾向が強い >>302
だからそれが原因で遷都してるし太宰府あたりの遺跡もその関係
鬼ノ城とかの防人狼煙遺跡もぶっちゃけ半島横断し長安までの壮大なルート
唐と新羅が喧嘩したので唐の役人が取り残される恐れが出たので帰国
んで仕事の残りを整備したのが大宝律令って流れなんじゃね?ってとこ
GHQよりもっと強かったかと
完膚なきまでに白村江で粉砕されたんだし >>377
中大兄皇子(天智天皇)が即位したのは白村江の戦いで敗れて
飛鳥から近江大津宮にみやこを遷してからとちゃうの?
乙巳の変、大化の改新で皇極天皇(天智、天武の母)は弟(孝徳天皇)に譲位して
中大兄皇子、孝徳天皇らは飛鳥板蓋宮から難波長柄豊崎宮に
みやこを遷したが中大兄皇子らは孝徳天皇を難波に残して飛鳥に帰ってもうた 白村江の敗戦には厳しい評価が下されているが、当時常時大戦争だった唐新羅と大戦争経験皆無の日本をそのまま比較されても、とは思う。それと天智天皇は白村江の敗戦も何のその、負けたら負けたでまた新たな政治の開始だと見なす恐るべき政治マシンであった。想像です。 >>415
天皇は、遣隋使あたり?
日の丸も日本も遣隋使からでしょ 隋の統一辺りからかなり緊張感が高まってるのが分かって面白い
今まで南北に分裂してたから比較的余裕を持ってたが超大国の誕生でにわかに情勢が変わった
黒船が来た時くらいの衝撃が日本に走っている
国がどうなるかを決める瀬戸際だからな
この時期の歴史は見てて面白い アメリカが「アメリカに従うべきだ」「アメリカに従い過ぎだ」で割るハンドラーで、
中国が「中国に擦り寄るべきだ」「中国に擦り寄るべきではない」で割るハンドラーで、
アメリカや中国という2つの漢の中原にしてみたら、
匈奴を見た時に「アレ少々割っとこうぜ」で上手いこと(?)行くと思いそうなもんではあるし
内側と対馬海峡あたりとがまあオモシロそ〜なところを、
「我こそはこの地域のハンドラー(どこの国の?)」するヤツが出て更にオモシロくしてるターンだろ?
どう動きそうかなどを読もうとしてはいけない 新羅が唐に対して反抗を選択したのがツイてたな
新羅が唐の圧力を止める壁になった
この時の新羅は大国の倭、唐、高句麗を相手にかなり巧みな外交をして統一と独立を果たしている
大したもんだと思う
日本としては新羅が統一されて上手い事唐を防いでくれて助かった >27
考古学でわかってることだと読んだことがある >>420
同時に裏切りが正義の国になってしまうことに ・唐の本命が高句麗だった事
・吐蕃が強力な抵抗を行い唐軍が敗戦し日本どころじゃなくなっていた事
・新羅が高句麗、百済の残存勢力を上手く利用して唐をかく乱して事実上の独立体制を確立した事
・渤海国が成立した事
これらの情勢の変化によって日本は唐からの進行を受けずに済んだ
敵対勢力ではあったけど半島に中国と別の国があるってのは日本にとってとても大きな意味がある
今も昔もこれは変わらない
直接手を出すよりもこの方が都合がいいと分かる この時の新羅は中々凄いと思う
三国最弱で倭、高句麗、百済の圧迫を受けてかなり危険な状態になってた
ここで高句麗が唐と対立すると見るやすかさず唐と結んで百済を滅ぼし、高句麗を滅ぼし、倭を駆逐する
そして唐が吐蕃と戦いだすと高句麗と百済の残存勢力を躍らせて唐に反抗させる
自分はそれを利用しつつ唐に対して有利な形で独立を約束させる
そして出来上がるのが統一新羅
情勢を上手く利用して超大国の唐を翻弄して最弱国でありながら統一と独立を果たすんだからな
素直に手腕を褒めたい 日本というのは畿内王朝、倭国というのは九州王朝
唐、新羅、九州王朝Vs隋、百済、畿内王朝
負けた畿内王朝は近江大津に逃げ込んだ 白村江の戦いなら熊本の菊池家に文献が巻物で残っている 八女は邪馬台国と対立していた狗奴国の首都
狗奴国が東征して畿内王朝ができた 春秋時代の呉は滅亡の際熊本の菊池に移住し菊池一族となりのちの狗奴国となる。
西郷隆盛は菊池一族 久野潤とかネトウヨのトンデモだなw」
話があるちょっとこい 畿内王朝はもと小国日本であったが倭国の九州王朝を併合した。
これが大化の改新である。 >>417
その頃は天皇など存在せず隋書にはオオキミと書かれているし
日本書紀が捏造された物だと明確に分かる部分。
書紀に書かれる推古天皇、蘇我氏自体担に朝鮮に起源を持つ任那吉備勢の臣氏と読んで字の如くあきらかに傍系の中大兄によるクーデター暗殺だろう。
蘇我氏自体書紀で改竄された可能性もあり本来蘇氏ではないだろうか。
中大兄の即位が白村江敗戦後近江でのことから
それ以前の国政は太宰府が中心であり倭王はそこにいたんだろう。 三橋貴明が九州で邪馬台国ツアーするとか言ってたな
まだ申し込めるのだろうか 間違いがあった。
八女は邪馬台国の所都、八代は狗奴国 思うけど、八女、八代、八がつく
八つというのは平氏の蔑称
四つというのは源氏の蔑称 百済は畿内王朝が作った
権力者の墓である前方子円墳は畿内のほうが古い なぜ畿内王朝は半島に百済とい国を作ったのか?
それは応神東征が原因である(川内政権 >>425
大国を引き込みつつ戦わせて
自分だけが生き残る
まさに朝鮮人という感じだな 白村江の戦いで勝った唐や新羅は九州へきて東征した
そして壬申の乱で勝利、天武政権である >>454
俺の投稿をよく読め!!!
百済ん奴だな >>410
元寇の主力は新たに支配した高麗と南宋
高麗と南宋の力を弱めるのも目的だから負けても元にはメリットしかない 白村江の戦いは創作
第一派の規模は人員が一万人に船が百六十だぞ
お前らは唐軍と互角の船でもあったのかと言いたいね
誇張されたおとぎ話だ 歴史は時の権力者によって操作されるもの
権力が動くときに都合よく書き換えられる
歴史の真相なんて永遠にわからないしどうでもいいこと でもその後も刀夷の入寇とかもあったし万全の備えが常にあったかってのは微妙
隙あらば襲ってくるのは間違いないわ モンゴルだけで
よくよく考えたら中国から侵攻されたこと無いだろ? >>425
新羅や百済は日本に従属しているとみなされた
新羅が独立を犠牲にして、年号や服装も唐の制度に従い、
人名も民族的なものからから中国風のものにかえるといったことにして同盟関係を結び、
日本・高句麗・百済の圧迫から逃れた外交革命が起きたのである
唐は新羅の援軍も得て、百済と高句麗を滅ぼして領土を奪い羈縻国(自治区のようなもの)とした。
さらに、新羅も同様の扱いをして新羅王は王でなく自治区の長官にされてしまった。
新羅はこれには反発し、日本に対する従属関係もある程度は復活するなどして、唐と争った。
唐にとって深刻な脅威となったので、唐は新羅が渤海との戦争で唐の助太刀をすることを条件に、
百済の旧領のすべてと、高句麗の旧領のうち平壌の南を流れる大同江以南を領土として得たのである。
新羅という唐に従属する半独立国による支配にかわったのが7世紀から8世紀に半島で起きた事件なのである。
そして、その後のコリアン国家は、李氏朝鮮のように、中国の皇帝からの任命行為(冊封)が終わるまでは国王ですらなく、
中国の年号を使う半独立国となって日清戦争までそれが続いたのである。
ttp://agora-web.jp/archives/2030535.html >>465
刀夷の入寇とか正に清国の女真族なんだけど支配民族の入れ替わりが多い中で中国の定義ってどうすりゃいいの? 新羅が唐を利用して百済・高句麗を滅ぼし朝鮮半島を統一したまでは敵ながら見事だと思うが、
朝鮮半島が中国化してしまったのは残念だ。 >>467
それ海賊集団でしょ
王朝が明確に占領目的で戦争しかけて来たこと無いだろう >>469
それは室町時代の日明貿易の時ですら朝貢の形をとらされてるんだから中国の方では日本は自分の領土のつもりじゃないの? 新羅の「金春秋」は李氏朝鮮の「李舜臣」なんか比べ物にならないほどの偉人だと思うんだけど、あまり話題にならないな。 >>468
ずっと属国?
ぐぐると
百済新羅は大和王朝が支配
新羅という唐に従属する半独立国
元の属国
明の属国 明から権知朝鮮国事(朝鮮王)
豊臣秀吉数ヶ月で朝鮮全土が制圧された
朝鮮は明に支援を要請
秀吉は明に勝った明は秀吉に勝ったで
秀吉激怒日本軍は再び侵攻
泥沼も秀吉死後撤退
結果明滅亡
↑
秀吉って強かったん?
その後は清の奴隷 >>461
そもそも白村江の戦いは日本書記にのみ書かれていることだ
三国史記にも中国の文献にも載っていない
つまりは創作だ
百済人の生き残りが書いた妄想と負け惜しみの結晶が日本書記なのだよ 大和朝廷あるいはそのルーツはもともとは北九州地方に首都を構えていたが、
半島との戦争でかりに半島からわずから距離の海を越えて大群で攻め込まれたら
全滅をするリスクが高いと考えて、瀬戸内海を越えて近畿地方付近に居を移して
構え直したのが大和の国だ。近畿地方に本拠があれば半島を海を越えて敵が
北九州に上陸してきても、まずはそこで防人で防ぐ。それが全滅しても
敵は直ちには近畿にまではこれない。当時は山陽道などないから、陸路ではなくて
海路を取らなければ大軍は進めないが、途中の食料や水をどうやって補給や
供給して手にいれるか。また侵入路の距離が長くなれば、瀬戸内海であるいは
陸地からの攻撃で勢力を分断されてしまい、なかなか奥地の近畿地方までは
攻め込めない。挟み撃ちになる可能性もある。つまり、大和朝廷は穴熊戦略を
とるために奥地に引っ込んだのだ。半島からの侵攻を恐れて。
古事記などにはそんなことはもちろんかけない。 ぐぐると秀吉の朝鮮出兵にびびってカトリック勢力が攻めてこなかったらしい
黒船もペリーが兄を尊敬して平和主義者だったから
幕府と接待合戦やってたんだよ >>472
> 新羅の「金春秋」
唐に気に入られた点が如才ないだけでは。 >>474
日本書紀は百済史観
古事記は新羅史観
基本である。 秀吉の朝鮮出兵は百済の地奪還であった。
秀吉は平氏を名乗っていた(百済は平氏 おまえらはくだらんこといってないで俺の投稿をよく読んで感想書け
ふーーーーーーーけもん! 【とらのもんニュース】10/9(水)上念×ケント×居島
https://www.youtube.com/
・北朝鮮船衝突 自民部会 水産庁にビデオ映像開示要請
・ウクライナ検察 バイデン氏息子 元在籍企業の捜査見直し
・不自由展再開 河村市長が座り込み
・日米 貿易協定に署名 農産品関税TPP水準に
・BTOのニュースター・玉川徹
・今週の青木理
・新潟県警と陸上自衛隊が共同訓練 有事に備え 大阪観光大学か。どこが危機に陥ったことを教訓に、どのように戦っていくのであろうか >>477
戦国時代には
世界の鉄砲の半分が
日本に有ったんだから
どこも手が出せないw >>19
朝鮮戦争で中国軍は100万の
大軍で南下して
アメリカ軍なんか蹴散らしてやるぜ
と思っていた時期がありました 白村江の戦いは百済が新羅にしらじらしい奴と言い新羅が百済にくだらん奴と言って
戦いになったという説がある。
あくまでも説だからなW 日本の戦国時代は、インド・中東・ヨーロッパだと大砲が大活躍してる時代だね。 >>487
奇襲の要素があったからこそ、長津湖の戦いでは人民解放軍が国連軍を敗走させたんだろうね。
かりに待ち構えてるところに人海戦術で押していたらどうだったか分からん。 「敵は国内にあり」
パヨクと9cmの真の目的って、
憲法9条を変えさせないことと、
沖縄、尖閣、竹島、北海道を日本から切り離すこと、
米軍を日本から撤退させること、
日本の軍事力を落とすこと、
日本が外交で遅れをとること、
日本の若者を軟弱にさせること、
そして極め付きは日本人に愛国心を持たさないようにすること。
だから自分達の疑惑の数々や悪事の数々を棚に上げて、
モリカケやセクハラを延々やって国会停滞させたりしてるわけで。
教育現場、メディア、政界、ありとあらゆる場所で反日工作員に入り込まれてる。
スイス民間防衛という本に書かれてる国乗っ取りの手順を日本はまんまとやられてるわけだね 🌟新羅本紀🌟
弥生後期〜古墳時代
高句麗が調子乗り出すまで 百済を瀕死にまで虐め抜いた残虐新羅が
当時の日本国にボッコボコにされている様子、朝鮮半島側の記録
戦後長い間、韓国忖度が続いてだれもが議論しなかっただけで
当時の百済人に呪われるほど憎まれた新羅が倭国人からボッコボコ状態
14年 倭人が兵船百余隻で海辺に侵入。
57年 4代王「脱解尼師今(一云吐解)立。時年六十二。姓昔。妃阿孝夫人。脱解本多婆那國所生。
其國在倭國東北一千里」脱解は多婆那国で生まれ、その国は倭国東北一千里にあり。(注:中国の1里は約400mであるので、一千里は400kmとなる。)
59年 夏の五月に倭国と友好関係を結んで修交し、使者を派遣し合った。
73年 倭人が木出島を侵して来たので、王は角干羽鳥を派遣して、これを防がせたが、勝てずして羽鳥が戦死した。
121年 夏四月に倭人が東の辺境を攻めた。
123年 春三月に倭国と講和した。
158年 倭人が交際のために訪れた。
173年 倭の女王卑弥呼が使わした使者が訪れた。(「二十年夏五月。倭女王卑彌乎。遣使来聘」)
193年 倭人が大飢饉となり千余人にも及ぶ避難民到来。
208年 夏4月、倭人が国境を侵す。奈解王は将軍昔利音に反撃させた。
232年 夏四月に倭人が金城を包囲。
233年 五月 倭兵が東辺を攻めた。
249年 夏四月に倭人が舒弗邯、昔于老を殺した。
287年 夏四月に倭人が一礼部を襲う。1千人を捕虜にして立ち去った。
289年 夏五月に、倭兵が攻めてくるということを聞いて、戦船を修理し、鎧と武器を修理した。
292年 夏六月に倭兵が沙道城を攻め落とす。
294年 夏 倭兵が長峯城を攻めて来た。
295年
春 王が臣下に向かって
『倭人が、しばしばわが城邑を侵して来るので、百姓が安じて生活することができない。
私は百済と共に謀って、一時海を渡って行って、その国(倭)を討ちたいが、皆の意見
はいかがか?」ときいた。
これに対して、舒弗邯、弘権が
「われわれは海戦に不慣れでございます。冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを恐れます。いわんや百済は偽りが多く、常にわが国を呑み込もうと野心をもっておりますから、かれらと共に謀ることは困難だと思います」と答えた。
王はこれを聞いて「それもそうだ」といった。
これに対して、舒弗邯、弘権が、
▶「われわれは海戦に不慣れでございます。
冒険的な遠征をすれば、不測の危険があることを
恐れます」
※当時から海に不慣れな新羅人が明確。
この後も新羅、百済の両国とも人質を日本に差し出し朝貢する日本の被支配国である。 >>493
日本の敵は横田幕府である
ネトウヨ、ネトサポは横田幕府の工作員 >>495
多婆那国は山口の土井が浜
千里とは一日航海千里の規定を適用 百田のハゲは井沢元彦の逆説の日本史の影響を受けてたな >>500
白村江で負けたのは畿内王朝である
俺の投稿をよく読め、ばかたれ!!!!!!! 昔から、朝鮮人は日本に頼って来てたんだな
それで日本がその気になって助けにいったけど、例の法則発動して負けてしまった
つまり、あそこには関わらないのが1番 >>504
くだらんこといってないで俺の投稿をよく読め >>503
あんたの投稿は長すぎる
誰がどう言ったかなんてどうでもいい
三行でまとめろ >>256
在日韓国人には気の毒だがな
戦後期時代モノはまだマシだが、近年古代モノが到底学術レベルでない司馬遼が
批判されてるな
それに日本書紀の本文の百済の箇所には、わざわざ、扶余と記されていてだな
まる穢族扶余系の半島蕃族の種類を説明するような文脈だ >>465
以前、元寇は中国が日本を攻めた内に入るのか?みたいな話題が日中両方であったが、
当時のコメントとか見ると中国人にとっても中国は南宋で
元はかなりイレギュラーでしかも南宋滅ぼしてることで複雑らしいね
まあ当時の鎌倉日本人も、捕虜をモンゴル人か南宋人かで扱い分けてるし
当時の人もそうだったのかもね バカなにいきってんだこのいかさま野郎
おまえのブログでやれくず
他人がおまえのごみレスをみるはずねーだろこの低能老人 >>503
よく読むほどの内容がないだろ
タバナが土井ヶ浜とかただのバカだろw >>512
倭国とは北部九州のことであるということはよろしいでしょうか
志賀島あたりからほ北東千里、水行で千里でしょう
水行は一日航海千里の規定を適用
ゆえに土井が浜あたりになります。
多々良は多婆那 狗邪韓国から対馬、壱岐、末蘆国の間は千里
実際には距離にばらつきがございます。
しかし船で一日航海の距離だから便宜上一日航海千里の規定を適用 >>513
なに反応してんだど素人のくせに
臭いぞ >>518
地図をみたら同じ距離ではないことは明白ですが、、、、
ならなぜ同じ千里なのか >>506
ここで匿名者にレスを読めというのは
まったく根拠もなく道理も通らない >>519
おまえが人様の参考になることなどかけるはずないのにそういうのはメンタルに問題あり
百歩譲っておまえごときが役にたつとはまえの勘違いだよね >>519
意味がわからんのは
おまえがバカだからでしょう
そんなことも理解できないのなら能力は犬並み >>520
投稿を読めと言うのは荒し
さっさと黙って消えろバーカ >>503
まともな知識欲ある人間は
こんなとこでおまえのような
キチガイレスからは学ぶはずない
だからおまえの行動はまったく的外れ >>492
ciaの工作員かどうかを
おまえごとき素人が知ってるはずない
不明な事柄を言うだけで
まともな人間はおまえは素人とわかるするんだけど
息してる?理解できてる?低能児 >>524
ウヨ爺さん発狂しすぎですよ
議論する気はないのですか 大陸軍の最初期の侵攻目標になる太宰府を守る水城、大野城、基肄城などの防衛体制はなかなか大規模。
最近の調査では太宰府周辺を全周する羅城だったのでは?って話もあるみたい。
他にも福岡県始め当時の文献に載ってないいわゆる神籠石と呼ばれる同時代の謎の城址もあって面白い。
しかしなんで神籠石はあんな大規模なものなのに文献に載ってないんだろうか? >>488
でたらめ野郎うざ
おまえみたいなど素人は迷惑 >>526
どこが違うか具体的に指摘がないとわかりませんが >>483
浅学無教養のおまえの落書き
を読むヤツいないから
このアホンダラ >>527
CIAの工作員は実際に存在しますが、私の妄想ではありませんよ >>6
ちうごくからGHQみたいの来て少なくとも九州の半分が占領されたらしいね >>528
意味不明
全然違うけど
あてずっぽなおまえのいい加減さがよくわかる >>532
ではあなたの歴史認識を遠慮なく披露してください
議論しましょう >>536
考古学のお偉いさんでしたか
倭国は北部九州のことですよね? >>478
金春秋は人質として日本と唐に行った事があるらしい。 日本は唐新羅と組んでいたのに、日本に百済王直系が移民し京都を支配し、
半島戦争に日本軍を出させた 任那人が日本に帰化した記録が少ないのは、なぜだろう? ここで匿名者にレスを読めというのは
まったく根拠もなく道理も通らない
これは認めたw
効いてるwww おまえが人様の参考になることなどかけるはずないのにそういうのはメンタルに問題あり
百歩譲っておまえごときが役にたつとはまえの勘違いだよね
こっちも認めてる
効いてる効いてるw >>546
すこしは歴史に興味を持っていただければ幸いです。 宮内庁の歴史認識は天皇は天智系という認識だったような(百済やな
ゆかり発言で桓武天皇の生母は百済とかいってたしな >>547
考古学者や歴史学者が絶対に語らない歴史の真実を語っていますよ。
その証拠に徐福や九州王朝についてはだんまりを決め込んでますねW これ途中で百済の残党同士で諍い起こして
王子が将軍殺したりしてたんだっけ
何やってんだかマウント取りも大概にしろっで感じ >>539
苦労人だね。新羅の徳川家康か。
たしかに日本書紀に
「新羅が上臣だいあこん金春秋(のちの武烈王)らを遣わして、(日本から迎えに行った)博士
しょうとく高向黒麻呂、しょうせんちゅう中臣連押熊を送り、孔雀一羽・鸚鵡一羽を献上した。
春秋は人質として留まった。春秋は容色美しく快活に談笑した。」
とある(宇治谷孟『日本書紀』講談社学術文庫、1988年、p.183(西暦647年))。 関が原の戦いは西軍百済と東軍新羅の戦いでもあり東軍新羅が勝ち
新羅の江戸時代に新羅を自称する両班がやってきた >>424
戦前の日本は併合したのが運のつきだったな >>470
明は倭寇と使節を征西将軍に斬られても報復できない不満から朝貢を強調しただけじゃないかな。
明皇帝が征伐を言い出したけど勝てないから思いとどまった。
そも、あちらは外交は全部冊封の体裁をとる。清が英国に対してでさえ。
もともと、天皇宛てでは交通が成立しなかったので、
天皇を外交の枠外に置いて、太政大臣藤原氏を日本国王として冊封の体裁をとってた。
国書の文言が無礼だったら太政大臣は「読んでない」といって、太宰少弐が使節を追い返していた。
室町期は征西将軍懐良親王それから征夷大将軍足利義満を日本国王ということにした。 >>379
100年以上前から任那は赤字で割にあわないから百済にくれてやってたから。
損得勘定なら蘇我でなくとも中臣だって百済は放置で任那の小国は放棄だったろう。
素直に日本書紀通り読んで、斉明天皇の「助けてあげましょう」で天皇への忠義と義理で派兵しただけだろう。
それなら中臣の考えは「派兵はするけどその後の面倒までは見てやらない」ということで筋が通る。 >64
刀伊の入寇はチラッと高校歴史(教師のレジュメかな?)で習った。
やたら詳しく教える教師だったからかな?
名前が書いてあるていとだけど。 >>549
桓武天皇は百済王氏が住んでた畿内の河内国交野郡(現在の大阪府枚方市、交野市辺り)と深い関わりがあった >>556
自分は高校の日本史しかやってないレベルの人間だから純粋に疑問なんだけど
その頃の明って勢いがあって中国の歴史上最も領土が広かったって習ったような記憶なんだけど日本に勝てないという判断は倭寇を押さえられないって所から来てるの? 枚方市、、、継体天皇か
継体天皇は北百済の皇子であった(騎馬民族 明治政府の韓国併合の理由のひとつは百済はもと日本の領土、
白村江のことですね 武則天には敵わなかったということだな
天皇のルーツは武則天にある
日本書紀を書いた連中は武則天の傀儡だぜ >>568
全然聞いたことないが、トンデモ説ということだけはわかる。 >>562
その頃の中国は独立国家や国境と言う概念はなく、世界の中心で明の皇帝は世界の王より偉かった。
だから、中国皇帝は部下の日本国王に倭冠を退治しろと命令をしただけ。 >>569
調べもせずトンデモ説というのはいかがなものか。
可能性はなくもないかもW 白村江の戦い
文禄慶長の役
よく考えてみると朝鮮には負けっぱなしなんだな
日本も元軍を2度も撃退してるし
渡海作戦はやっぱり難しいのかな >>571
調べるもクソも、普通に考えておかしいでしょ。
天武生年は不明だが、かなり遅く考えて640年。武則天はその時期には太宗の后としてすでに入っているので天武は太宗の子ということになる。高宗だと無理がある。
仮にそうだとして、子どもをなんのために日本に送るのか全くわからんが、少なくとも大津が生まれた661年には天智の娘を妻としてるのだからその時期には日本にいないといけない。唐が勝利する白村江より前だ。
戦争前に高宗、あるいは武則天がそんなことをする意味がないし、したとして、歴史の残らぬわけがない。
もしも、「武則天の息のかかった天武天皇一味」というストーリーなら、日本書紀でもっと武則天の話を書くのでは? >>563
継体天皇が即位したところは樟葉宮だね
仲哀、応神、仁徳、履中、反正この一族の陵とされてるところは
藤井寺市、羽曳野市、堺市の辺りに偏ってるけど
応神から間に4代空いてる継体の陵は北側(茨木市の太田茶臼山古墳ということになってるが
実際は高槻市の今城塚古墳か)にあるな >>575
継体天皇の墓は今城塚古墳ですね
でも宮内庁は認めません、何故か?
お馬さんの埴輪がいっぱいでてきたからか?騎馬民族が嫌いなのかW >>572
どちらも不安定な朝鮮内で戦ったから
日清戦争はそれ踏まえて中国側で戦いようやく勝利出来た >>562
勢いがあったのは永楽帝一代でその後は皇帝がモンゴルの捕虜になったり、親征中に溺死したり、阿片中毒になって30年政治を放置したり、側室に布団蒸しにされて殺されかかったりと暗君のオンパレード。
よく300年ももったなという王朝。 白村江の敗戦の後、防人制度ができた。ネトウヨらは防人屯田兵として
対馬に移住せよ。 >>574
ネトウヨが 天に向かって 唾を吐く
ああ、ブーメラン 朝鮮半島のあり様は日本の国防にとって重要
ただ直接進出して統治するのはリスクが増えるだけと言う事だな
歴史が証明してる
半島は敵対勢力だろうがなんだろうが中国と同じくでさえなければそれでいい
新羅は敵対国だったけど唐の圧力を封じ込める防波堤として役に立っていた
日本が白村江の後に攻撃を受けずに済んだのは半島が良い感じに障壁として機能してたからだからな
現代の日本でも考えたい要素だと言える 白村江の戦いはフィクション
日本書紀以外に記述がない 古代史に例えると
ネトウヨは百済でパヨクは新羅ということか 日本書紀は百済と新羅が逆しまに書かれた
捏造本です。天皇も百済王と新羅王をごちゃ混ぜに
書いて万世一系ということにしてあります。 >>583
日本から見ても中国から見ても共通して「汚いし要らない」のが韓国だね
日中の違いはあれどそういう意見の一致があるのは面白い 反論があるまで書く
白村江の戦いとは、唐、新羅、九州王朝vs隋、百済、畿内王朝 >>578
かねよし親王の時代は太祖洪武帝、建文帝、世祖永楽帝あたりだから、まだまだ余裕あったんだけどね。 韓国の味方って
「韓国の韓国人」か「外人のふりしてる韓国人」のどっちかしかない
好かれる要素ゼロだもんな、ある意味すごいと思うよ
韓国痔んの才能なんだろうね >>584
唐は新羅も併合しようとしてたから場合によっては九州まで脅威が迫ってたかも。 >>593
あなたは九州王朝をご存知でないのですか? >>594
エベンキが新羅や百済のふりしてお遊戯してるのは笑えるなぁ
水車も作れないカスなのに鉄器の起源主張してんの(笑) >>591
名君は治世が短く暗君が長命という難儀な王朝でしたな。
鄭和以降は内部抗争に終止してくれたんで周辺国は助かりましたわ。
一番迷惑したのはベトナム。 >>161
唐の蘇定方将軍がわざわざ百済を滅ぼしたのは俺だとソウルに碑文まで建ててるのに日本人の手柄にするの? 春秋時代の越は滅亡の際南にも移動した、越南、ベトナムである。 旧唐書によると小国日本が倭国を併合した。
新唐書によると倭国が日本を併合した。
逆になっているのはどういうことか?
旧唐書は大化の改新のことであり、新唐書は壬申の乱のこと 隋や唐の大型軍船には遠距離兵器として大型の石弓(バリスタ)
近接兵器として船そのものを打ち砕いてしまうクレーン型の大型打撃兵器が搭載され
さらに水兵たちが小型の石弓(クロスボウ)や弓矢で攻撃した
そんな相手とまともに戦えないので、高句麗は隋水軍を上陸させて首都におびき寄せ
略奪に夢中になっている隋軍を城に閉じ込め焼き殺したという話しが
韓国の教科書にはホルホルして載せられている
でも高句麗って朝鮮族系じゃなくて満州族系の国家なんだけどねw 歴史捏造大国ベスト3
第一位、、韓国
第二位、、日本
第三位、、中国 >>607
はくすきのえって習ったよな
いつの間にハクソンコウになったんだろう 故国を喪失して大和王権は大和王朝へ変化していくきっかけになった事件ですね そもそも作戦が、「みんなで我先にと突撃すれば
敵は逃げていくだろう」という杜撰なものだったという >>572
両方ともチョンに負けた訳じゃない。チャンコロにやられんだ。 ヤマト王権とは呉の復興であった。
戦艦ヤマトは呉の水軍の魂の結晶である(きたね、これW
レッドクリフ 九州王朝は魏、ヤマト王権は呉
九州王朝は新羅、ヤマト王権は百済
九州王朝は北朝、ヤマト王権は南朝
意味がわかる方は片手でたりるでしょう
ヤマト王権、、、桜井市のちょび髭寺澤の言い方か >>611
しかしながら、退却時それほど混乱はなく、百済の貴族や知識階級も日本に来たことから、慶長の役のような退却をしたとの説もある。 >>603
日本とは饒速日が命名したということなので物部系の国号だとおもうが
大化の改新で特に物部氏が躍進したという話は聞かない。
それ以降も躍進したという話は聞かない。 壬申の乱で東海の勢力(尾張氏などの饒速日系)が天武に味方したということでそれで日本なら分からんでもないが >>549
天智天皇は百済再興に出兵しただけで百済の血筋なわけじゃないよ?
桓武天皇の生母は百済人じゃなくて、二百年くらい前の先祖が百済王ってだけの日本人
それに百済人子孫の女性を側室にしたのは桓武天皇の父親の光仁天皇だから、
その代で百済の遠い血筋が入ったとしても、
それ以前の先祖まで百済の血がてことにはならないから
光仁天皇以前の天皇である天智天皇の血統には関係がない話 >>549
ってか桓武天皇の生母と百済って、時代が違うよ
桓武天皇の生母の高野新笠は750年に早良親王を産んでるから、
高齢出産だったと仮定してもせいぜい710年前後の生まれ、百済滅亡は660年
高野新笠が生まれる約50年には百済は滅亡してる
高野新笠、の実家の和氏という一族の家系は
武寧王の王子の純陀太子から出たと記されているけど、
この武寧王にいたっては462年から523年の人物
高野新笠からは二百年前の、百済滅亡よりさらに150年前の人物ということになる しかし百済の役立たず&恩知らずぶりは凄いよな
何度も危機に陥ったり、滅んだりするたびに日本が支援して再興させてる
それなのに隙を伺って任那の領土を侵略したりして仇で返すんだからな
揚句に日本の藩屏として半島を維持する仕事も出来ずに悪政で自滅して日本に泣きついてくるという
あいつ等を味方にしても足を引っ張るだけというのはもう歴史の確定した事実だな >>573
ってか仮に唐がそんなに日本に支配を及ぼしてたというなら唐書に記されるだろうしね
流石に支配したという側の史書に残ってないこというのも無理がある >>605
異議あり
一位 韓国、いうまでもない
二位 イスラエル、旧約聖書から始まる邪悪な捏造プロパガンダ超大国
三位 中国、漢字の発生ともに歴史記録無茶苦茶にした捏造改竄超大国
四位 米帝、自分たちは神に選ばれし国、逆らうやつはみんな悪魔という二元論的史観超大国
五位 EU、反省だけなら猿でもできる
六位 アルメニア、去年まで200万人虐殺説を唱えていたが、今年から300万人になったw、嫌がらせの銅像を建てまくった最初の国
七位 日本、左右を問わず都合の良い歴史を作りまくるオナニー史観大国
日本なんてまだまだ甘い甘い 歴史を見てわかる日本の防衛
・自分で朝鮮半島に進出してもリスクしかない
・中国と近くで向かい合うのは危険なので、何でもいいから適当な国が半島にあれば良い
・朝鮮半島の国を味方にしても役に立たないばかりが足を引っ張られるのでむしろ敵対くらいで良い
・朝鮮半島とは特に交渉せず直接中国と交渉する
これが一番いいのが分かるな
自分で半島に手を出したりしたのが失敗の元 白村江は日本的には伝統的な半島支配の体制の崩壊と、唐進出の脅威でかなりの衝撃だっただろうけど、
肝心の唐からすると大したことじゃなかったみたいだな
あくまでも高句麗を倒すついでに百済を倒した
その時に倭から援軍が来た
そして首尾よく高句麗を滅ぼせたから百済相手の局地戦はどうでも良い
って感じ
その後の日本と唐の交渉とか見ても百済に味方したことは全然問題にされてないからな >>579
防人は関東人中心なのでそちらからどうぞw 百済を滅ぼしたのは高句麗を滅ぼすついでだからな
元々唐としては大した問題じゃなかった
そして日本は高句麗を滅ぼし後にすぐに慶賀使を送ってるしこれで修好したんだろう
これで唐は話を終わらせてる
この時点で唐は吐蕃にボコられて、半島では新羅が高句麗、百済の遺臣を扇動して反唐活動を行っている
友好的な態度で来てる日本とイチイチ事を荒立てる気はないんだろう
日本的には伝統的な半島支配の体制が崩壊したのと、唐の侵出の脅威と言う点で大事件だから大きく記事にしてる
別におかしなことは無いな 大化の改新〜白村江の戦い〜壬申の乱
大河ドラマになったら絶対観るのに 日本書紀の記載通りだったとしても4万くらい?
唐が13万、新羅が5万出してる戦争だから局地戦の一つ程度の扱いだろう
本命は高句麗なんだし
中国側の記載が小さいのは当たり前
その後に日本が即座に修好の態度を見せてるんだしな
日本側にとっては大事件だった
記載の差はそういう背景の違いから当然だろう
別におかしな陰謀も何もないわな >>227
当時の右大臣は蘇我連
左大臣は当時いないから人臣では実質最高位 >>618
ニギハヤヒは九州から磐船に乗って畿内にいきましたね >>619
古田説によると壬申の乱は熊本の大津だそうですが、これはどうかなと思います 天智と天武は兄弟ではないというのは有名な説
百田ハゲの本でも匂わせていた 日本側が止めるのを聞かず、日本に留学していた百済の王子が勝手に軍を動かして
敗戦してしまったって戦いなんだよな
おかげで日本の半島における権益は消滅
亡命者を受け入れて、その後は半島とは距離を置く
今の朝鮮人は亡命者として受け入れる価値も無かった残留者と異民族との混血で、
やつらが日本との歴史を語るのは滑稽なんだよなあ >>624
手厳しいですねW
いや〜あなたはなかなかの歴史通です。 尾張氏をニギハヤヒ系と言う人は物部氏史観の人だと思う。 >>549
あとゆかり発言ってその部分を引用すると
>私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,
>続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。
だから、ゆかり発言でも生母が百済じゃなくて、百済人の子孫
何故かこの「子孫」の部分がスルーされて百済人とか百済の王女扱いされてるのをよく見るけど 日本の半島経営は任那の消滅で事実上終わってるけど200年の間維持してたわけだからな
手を引くタイミングを逸した感があるな
百済なんて全く役に立ってなかったんだし放置しておけばそれでよかった
唐側の都合で大した問題にならなくて運が良かった 第一次安倍内閣の頃か、NHKのそのとき歴史が動いたで白村江の戦いをやった会があった
曰く「中大兄王子と鎌足のとんでもないタカ派の政策によって日本は戦争を起こし負けたのでした」
という内容で、海戦を再現したCGは、公園の手漕ぎボートみたいな船に乗った日本の水軍が、ガレオン船みたいな唐軍の巨大木造船に蹴散らされる様子を描いていた
タカ派の政権だとこうなりますよ、というNHKの強力なプロパガンダだったんだろうな >>644
そもそも任那日本府の証拠はどこにもない
任那が地名や建物の名前かそれすら分かっていない
日本と朝鮮の交易箇所であるのは間違いないけどな 倭の五王は「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭国王」に任命されている
中国側が朝鮮半島の支配権を認めている記載に任那、加羅も含まれている
ちなみに百済の支配権をずっと求めているがこれは毎度却下されている
この事から中国が朝鮮半島情勢を理解しているのが見えてくる >>636
天孫降臨の途中でとび降りたのになぜ九州から大和が途中になるの? >>637
壬申の乱て発行時つい10年くらい前の出来事でしょ
そんなものごまかせるわけないじゃん
天皇が大笑いされるよ >>630
天上の虹でだいたい1つに収まるな
ちなみに持統天皇メインだから大津を罠に陥れたり暗殺疑惑ある高市への扱いが甘め >>648
>そもそも任那日本府の証拠はどこにもない
嘘つけ
超賤カス野郎 >>626
まあ唐にとっては高句麗や新羅よりさらに東の海の先の国なんてそんなものだろうね
大国唐の近隣国は他にもたくさんあるし、日本寄り重要視してた国もあるだろうし
東の海の先の国に海を渡って攻め込むほどの興味持った元王朝が例外的で、中華王朝は大体そんな感じ
元寇の何年か前に、日本と誼を通じるようにクビライ・ハーンに勧めて使者出すきっかけ作ったのは高麗人の官僚だったっけ? >>654
高麗人の趙イって人が勧めてる
ただネットで言われてるような日本征服をさせるために高麗人が扇動したってのは嘘
高麗は征服されたばかりで酷い搾取を受けて疲弊してた
日本遠征なんてしたくないから反乱が起こってるくらい
フビライの国書でも征服された高麗をネタにして「こうなりたくないだろ?」と脅してる
元寇に関して高麗は完全に被害者 >>656
フビライの国書って高麗との関係を家族に例えてたと思うが、
そんな疲弊させてて家族アピールされてもな…w
当時の日本人に高麗の疲弊なんかわからないと思ったのかもしれないが、
日本が高麗で情報収集してた説もあったし
もし知ってたらクビライの国書の調子のいい言葉に呆れてたかもな >>644
直轄経営終わってるだけだよ
意外に知られてないが、遣新羅使や遣高句麗使がいた
遣渤海使もいる
新羅との外交関係が悪化したが、平安中期まで続いてる
そのあと半島側の戦乱で途絶えて、高麗になってからは朝貢しないってことで廃止
そして元寇があって、明代に李氏朝鮮できるけど海禁政策だから日明貿易までお預け かつて英国も大陸フランスに領土を持っていたんだよな >>657
朝鮮が兄で、日本が弟って関係に辟易して疲労するだろ?
それと同じだよ、元からの高麗の扱い方
なにせ、それまでに銅銭使ってたのが、モンゴルとの戦争を界に物々交換に戻るほど。 >>657
「隣人は大国の元で家族になるのが道理、それに反したらどうなるかわかるよね?(遠回しの脅し)
高麗も今じゃすっかり家族の一員だよ?知ってるよね?(脅し)
で、家族になれないというなら武力と言う事になるけどそれじゃ君が困るじゃん?(直球)」
という心温まる手紙w
というか日本は最初の使者から何かやる気満々だったからな
国書送っても無視
もしくは使者殺害と言う
かかってこいやこのモンゴル野郎!みたいなノリ
もうやだ鎌倉サイヤ人 防人が現代日本に復活!
その名もオリンピックボランティア!
参加は自己負担!滞在費用も自己負担!しかも特権なし!
武器防具自弁で貢納も免除されず、帰りは自己責任の防人そのもの! >>659
逆だな
フランスの大貴族がイングランドを征服した
ノルマンコンキュエスト
まぁ、バイキングなんだけどね 大和朝廷の軍団は民を徴用する形だから大して戦意もないだろうからな
わざわざ異国の救援のために遠征してもさほどやる気もなかっただろう
鎌倉武士は勝てば恩賞だから鬼のような強さだったという
やっぱり得しないとね >>644
百済からの渡来系が大和朝廷で実権を握ってたから仕方ないよ
お人好しなアホな戦争だった 半島の南部は緩衝地帯にしときたいってのはあったんだろうな
日本の朝鮮併合は、その意味では大間違い、必要なのは焼け野原になっても良い緩衝地帯、守るべき日本の領土は半島には必要ない 半島の弱さは異常。対馬に大敗して隠蔽工作w
独力で戦争に勝った歴史がないw >>663
あ、そうか
三銃士とダルタニアンの物語では英国の腹黒い領主がフランスにちょっかいだしていたイメージ >>635
いや、既に蘇我氏は滅ぼされて親百済派の藤原鎌足の天下になってる >>638
つまり天智と天武の間で王朝交代が起きてる
万世一系は作り話 本当に百済はクソの役にも立ってないからな
領土も維持できずに何度も滅んでそのたびに助けてやったのにコソ泥みたいに人の領土かすめ取っていく
壁の役にも立ちやしない
揚句に日本が唐に攻め込まれる危険まで
味方にしても役に立たないとはよく言ったもんだなと 韓国も日本にとっては緩衝地帯の位置づけに留めないといけない
北が南進して来たり、北と統一とかいいだしたら、爆撃しまくって灰にしないと
それが緩衝国の定め むしろ統一新羅になって敵対勢力一色になってくれた時の方が緩衝材として役に立ってた
助けてやっても役に立たない上に味方面して裏切る
自分で手を出すと大損害
これが歴史の証明する半島との関係だな >>670
父 舒明
母 皇極・斉明
父母同じ兄弟いうのは嘘だったのか 兄弟だったからこそ天智が兄弟継承の慣例を破って起こったのが大友vs天武 >>661
無視はしたけど使者殺害は元の方から攻め込んだ文永の役の後から
むしろ鎌倉武士にしては攻め込まれるまで無視だけだったのは抑えた方かもしれないw
同時期の他国では攻め込まれる前から殺されたこともあるしな元の使者w 白村江って何時からハクスキノエからハクソンコウに成ったんだ? 白村江の戦いの真の教訓は「負けるような侵略戦争をするから、報復攻撃におびえなければならなくなる」
日本が現在、中露朝韓に怯えなければならないのは、過去の報い。
ここ2,30年の時間だけ切り取って「我々は一方的なか弱い被害者だ!!」と訴えたところで、世界史的には意味がない。
残念ながら、「一世紀以上前に奪われた川向こうの領土を取り返すため」世界を巻き込んだ大戦を起こすのがグローバルスタンダードなんだよね >>664
上毛野の軍隊が投入されてたから関東から朝鮮へ派遣されてた。 白村江の戦いは幻。
シナの歴史書と日本の歴史書で内容が矛盾している。シナの歴史書では戦闘後は海が赤くなったとのことらしいが、どう見ても信じるに足りない。
海だし、いくら死体を投げ込んだって赤くなるなんてありえない。
さらになぜか4回も戦ったことになっているとか。話が盛りすぎで典型的なシナの歴史書としか思えない。
おまけに白村江で大敗したはずの阿倍比羅夫は無傷で日本に帰ってきており、この戦いで死んだ豪族はほとんどいない。
本当に戦闘なんて起こったのか?
ちなみに日本書紀はほとんど渡来系に書かせており、彼らはシナをルーツとしていた。
自らの出身国への忖度があった可能性がある。
自らの出身国の歴史書に書いてある内容を無批判に再録したのだろう。
とにかく、大敗食らったはずの日本はその後もほとんど敗戦?とやらの影響をまったく見せず、白村江後数年の壬申の乱では平気で大軍を運用してる。
敗戦などというのはほとんど幻想だろう。 >>679
思考が片寄ってる人の歴史談義って右だろうが左だろうが全くつまらないのは何で? 尾張氏の祖は天火明命で天孫、物部氏の祖は饒速日命で天神、一緒にするのは失礼だよ。 >>682
多角的な話になっていかないから。
つまり浅い。
唐と新羅の視点が完全に抜け落ちてるよね。
>>679は唐軍が漢人ではなく韃靼人だったのもわからないだろうし、どうでもいいと思う。 明治時代の流行言葉で「またも負けたか八連隊、それじゃ勲章九連隊(くれんたい)」
と言うのがあったが歩兵八連隊は大阪の第八連隊で九連隊は京都第九連隊の事
流行らせたのは西南戦争の西郷軍の兵士だった、八連隊は連戦連敗と言うか敵を見たら
戦うどころか全員逃げ出すほどの腰抜けだった、ここの書き込みでも百済人などの
腰抜けぶりが書いてあるが大阪人の祖先は百済人だから腰抜けばかりなのは遺伝と言える >>661
割と当時でもモンゴルに喧嘩売るような対応してる国見かけるな
高麗もそうだったし、南宋も周辺のいくつかの国も
使者殺害したり無礼な対応もされまくり
モンゴルってあまり恐れられてなかったのか >>691
京大の杉山正明ってのとその師匠が文献からかけ離れたデマを広めた >>692
杉山正明の本ってデマなん?
電子書籍のポイントが余ってたから買っちゃちた所なんだけど >>661
北条時宗だったかが最初の使者からもう戦争警戒してて
「蒙古が我が国狙ってるぞ!」と公布してたんだっけ?
若年なのにさすがは鎌倉武士って所かキレッキレやな
まあ朝廷が4回目だかの使者の時に送ろうとした返書もキレッキレだってから
武士だけじゃなく当時のデフォかもしれないが…
承久の乱の後鳥羽天皇もかなりの武闘派だったしな >>684
一説によると、大物主に婿入りしたから生まれは天孫でも天神らしいよ。 先代旧事本紀的には饒速日はニニギの兄のアメノホアカリなんだが
記紀的にはニニギの息子のホアカリ命の子供が饒速日
先代旧事本紀は自分らがニニギ系より上だと言いたいんだと思うが
それだと神武と饒速日は4代くらい離れてしまうので戦えない。 この時代の半島人はまともな民族だったんだな。
なんで今の半島人は外基地なんだ? >>661
文永の役は日本を脅して降伏させる目的だった説あるけど、
ビビって降伏するどころか徹底抗戦!防塁建造!使者殺害!で
前よりやる気満々かかってこいや!になっているという
途中で日本より大国の南宋が征服されても日和らない
鎌倉サイヤ人マジ戦闘民族 >>698
当時の百済人全体がどうだったかは知らないが、
日本が支援した百済王はかなりの困ったちゃんで自滅してる この時代から海洋勢力と大陸のサンドバッグだもんな
半島国家は辛いよね >>1
ふざけんな!
安倍総統閣下さまが一生懸命トランプ様のケツ舐めてるだろ! 百田尚樹を推してる時点でただのネトウヨ御用達学者か 国防体制を構築って、世界大戦で日本の軍隊は消滅、解体してるからな
局地戦にすぎない白村江の敗戦と、国家存亡をかけた戦いの敗北を同じように考えてるコイツはなんなの?
結局戦後の専守防衛を否定したいだけにオチしか頭にないから主張の筋は陳腐で矮小化してる。
百田尚樹も同じタイプだしいつまでたっても成長しないのなネトウヨって >>698
全然まともではない件
701の指摘通り百済は滅茶苦茶して滅亡してるし、
唐の力で半島統一した新羅は唐を裏切って戦争吹っ掛けるというオチ 教訓とすべきは「半島に手を関わることなかれ」だったのに
馬鹿な為政者たちが… チョンを助けない
スワップ再開すんなよ
在日も祖国へ帰らせろ >>656
元寇のちょっと前の高麗の反乱って元寇したくないからだっけ?
軍事貴族と王の対立だと思ってた
日本でいう承久の乱みたいな >>681
クジラやイルカ漁の時に海面が赤く染まってるよ >>681
> 白村江で大敗したはずの阿倍比羅夫は無傷で日本に帰ってきており、
この「阿倍比羅夫」は「後将軍阿倍引田臣比邏夫」のことだよね。
「大将軍大錦中阿曇比邏夫」はどうなったんだろう? チュンチョン見てると、こんなひどい王朝がと思うようなのが2,3世紀平気で続く
中共も以外と粘るかも それまで無敗で向かうところ敵無しのモンゴル軍であったが、
日本侵攻計画で大敗退を喫して無敗の神話は崩れ去り、けちが
ついたのか、運が落ちてしまい滅びる遠因になった。 ノコノコ侵略軍送って白村江で惨敗した日本wwwww というか、遣唐使船をみると死ぬほどしょぼいつくりで造船技術の彼我の差
ものすごいのによく海戦で勝てると思ったよなぁ >>715
百済を侵略したのは新羅と唐だよ、知らないの? 朝鮮半島は日本列島の首に突きつけられたジャックナイフやからな。2000年
日朝間半島闘争史として日本人は、よくよく肝に銘じるべし。 大和は唐新羅と同盟だったのに、日本に百済支配層が来て百済支援しない幹部を次々暗殺しまくり、無理やり百済を支援させられ案の定共倒れした
蘇我入鹿、中大兄皇子から 高句麗も百済も新羅も、今の朝鮮人とは関係ない
中央アジアの民族や女真族系やそして倭国人がそれぞれ王家についていた 高麗(こま)
高句麗から逃れてきたやつらが今の埼玉県に移住 >>711
安曇比羅夫様は戦死されて穂高神社に祭られています。 >>192
>>19
半島から九州 山陰には行き易く
逆は難しいような気軽するんだが
海流と季節風に帆掛け船とか考えると >>1
教訓?朝鮮には関わるなってことでしょ
朝鮮は日本を戦争に引きずり込んだ責任取らないとね
千年経ってないわよ >>714
告げ口大好きだし
民族性って変わらないのね これを読むと、勝手に殺し合って死に絶えろと思うよw
チョンには絶対関わるべきじゃない
『結論! 朝鮮半島に関わってはいけない 東アジアと世界のトラブルメーカー』
石平 (著) >>723
白頭山が大噴火して当時の朝鮮国家が大打撃受けて、それを遠くで発見し見物に来た女真が今の朝鮮人だったか
それまでの日本人に近しい朝鮮国家と違い残虐で弱ってる者大好きな下衆民族女真
それにより大打撃に重ねて大虐殺で命からがら日本へ逃れてきた当時の朝鮮国家
こうして今の朝鮮人らによって半島が奴らの手に落ちた >>716
白村江の唐の軍船は平底で小型だよ
白村江は河口にある浅瀬だったので、喫水の深い日本のくり船は座礁した
NHKが唐後期の大型船にすり替え、CGでは更に1万トン並み超巨大船に仕立ててた 東北騎兵1>関西歩兵10
弓馬戦闘、夷リョウ生習、平民之十不能敵其一(続日本後紀)
東北兵1=関西兵100
夷種衆多、逓相合従、賊徒数万、窮寇死戦、一以当百、難与争鋒(藤原保則伝)
関東武士1=関西武士1000
戦士勇山東之民一兮当千、豈以皇畿近州之嬰児、対東関蛮夷之勇健乎(吉田定房奏状)
夷リョウ→差別用語
夷種→差別用語
蛮夷→差別用語
佐治敬三「仙台遷都などアホなことを考えてる人がおるそうやけど、(中略)東北は熊襲の産地。文化的程度も極めて低い」
大阪サントリー→東北&九州差別 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています