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【元寇】モンゴル軍が用いた「てつはう」に殺傷能力はあったのか

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0001樽悶 ★
垢版 |
2019/10/11(金) 19:01:22.09ID:WfJZY3fQ9
■たった一つの武器の誕生が、日本の歴史を大きく変えた!

※省略

今回は、蒙古襲来の折、モンゴル軍が鎌倉武士を苦しめた「てつはう」をご紹介します。

■「てつはう」に殺傷能力はあったのか

「てつはう」を、漢字で書けば「鉄炮」となる。だが、モンゴル軍が使ったのは火縄銃などの弾丸を発射する火器ではない。現在でいうところの、手榴弾に近い武器だ。

文永の役の戦いの様子を写した『蒙古襲来絵詞』という絵巻物には、肥後(現在の熊本県)の御家人・竹崎季長が単騎でモンゴル軍に突撃するそばで、「てつはう」がさく裂している光景が描かれている。

また、鎌倉時代後期から末期にかけて成立したとされる、八幡神の霊験を説いた寺社縁起『八幡愚童訓』にも、「てつはう」についての短い記述がある。

ただ、「てつはう」に関する記録は、このふたつ以外にほとんど残されていない。

形状としては、鉄製または陶器製の丸い容器に火薬をつめ、導火線に火をつけて使用したと考えられていた。

しかし、中国にも実物がひとつも残っていなかったため、実際に殺傷力があったのか、それとも爆発する音と煙や光で周囲の敵を脅すだけの武器だったのかは長らく謎とされてきた。

ところが21世紀になって、長崎県の鷹島海底遺跡から元の軍船が見つかり、「てつはう」の実物が3つ発見された。

この「てつはう」は陶器製であり、鉄サビの痕跡もあった。

容器の中に鉄片を入れ、爆発する際に鉄片が飛び散るしかけになっていたためと考えられる。

もしそうだとすれば、それなりの殺傷力はあったと推測される。

■長弓 vs. てつはう

実物の「てつはう」が見つかっても、まだこの武器に関する謎は残されている。その謎のなかでも最大のものは、どのようにして投擲(投げること)をしたのかということだ。

鷹島海底から引き上げられた「てつはう」は4キログラムほどの重量であった。これを手で投げる場合、どんなに腕力に自信がある者でも20メートルほどしか飛ばすことができない。この程度の射程では、鎌倉武士たちが主力武器とする長弓に対抗できるはずもない。そもそも、日本の兵にまったく近づくことができないからだ。

攻城兵器としてモンゴル軍が使った投石機などで発射した可能性もある。

だが、巨大な投石器を船で輸送するのはかなり困難であるし、蒙古襲来でモンゴル軍が投石器を使用した記録も残されていない。このように、「てつはう」の実態については、まだわかっていないことのほうが多いのだ。

10/11(金) 12:18配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191011-00010000-php_r-pol
https://amd.c.yimg.jp/amd/20191011-00010000-php_r-000-3-view.jpg
0978名無しさん@1周年
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2019/10/12(土) 00:40:07.19ID:swJ33ZBC0
中国に現物が残されてなく、謎の兵器になる程度しか普及しなかった
ようは当時の新兵器だけど、それほどの効果はなかったんだよ
目新しい兵器を使われた日本側は印象が強かったので記録を残したが
それでもそこまでたくさんの記録が残らん程度にしか効果なかった
0979名無しさん@1周年
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2019/10/12(土) 00:40:52.97ID:gB1t51J5O
虚船の蛮女だっけ
あれ不思議だね
このスレ見てたらなんか思い出した
0981名無しさん@1周年
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2019/10/12(土) 00:41:28.47ID:ii6xL1oz0
>>912
>ヨーロッパ騎兵の突撃はすべてこれらの爆発物で阻止された

ヨーロッパの騎兵といえば重装備だなあ
それで素早く動けるのは巨大なペルシュロンやシャイヤーなどの
1tクラスの重量級輓馬用ウマのお陰だ
それの足をてつはうの轟音で止めるんだから合理的だね

鎌倉武士にそれは効くのかね?w
0982名無しさん@1周年
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2019/10/12(土) 00:41:38.82ID:QBqGtPVO0
>>542
> モヒの戦いでも橋の向こう側から投石器を使われてもたもたしているうちにモンゴル軍
> 別動隊に回り込まれたわけだから。

そうやってハンガリー軍を包囲したあと、殲滅する段階になってモンゴル軍がとった戦術も巧妙で
なかなかのものだ。むやみに正面から攻撃するのではなく、意図的に包囲の一部を解いて、
ハンガリー軍のうち逃げたいやつは逃げ出せるようにしておいて、敗走するところを討ち取った。
0983名無しさん@1周年
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2019/10/12(土) 00:43:36.56ID:rw8mBpia0
てつはうでイチコロのはずだったが、鎌倉武士は想像を超えたキチガイであった。
0984名無しさん@1周年
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2019/10/12(土) 00:46:06.09ID:uT0JBoTJ0
敵陣に着く前の爆発、暴発が多過ぎて、使われなくなった気がする。
0985名無しさん@1周年
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2019/10/12(土) 00:48:37.32ID:BJ3BCtSI0
いくつか指摘あるけど
着発信管なんてない時代に投石機で陶器製のてつはう投げても爆発せず
着弾した途端に割れて中の火薬が燃え燻るだけで終わるだろ
0986名無しさん@1周年
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2019/10/12(土) 00:50:10.28ID:swJ33ZBC0
>>983
実際にキチガイ集団だよ
弥生時代にはクロスボウが入ってきてたのに、結局は誰でも扱えるクロスボウは廃れて
技術が必要で他国では流行らなかった長弓が、射程や曲射の利点から主力兵器になった
専業で軍人やってる戦闘狂の集まりが全盛期の侍
0987名無しさん@1周年
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2019/10/12(土) 00:52:59.06ID:L0gArTlz0
>>964
それは鎌倉時代の当時は火薬の知識もほぼなく、当然製造もできなかったからだろう
特に重要な原材料の一つ硝石は当時の日本では手に入れることができず、後に南蛮貿易で手に入れる以外に無かった
本願寺門徒の間で汲み取り便所周辺の土から硝石を取り出す方法が発見され、量産されるようになるまで200年くらいかかる
0989名無しさん@1周年
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2019/10/12(土) 00:54:19.13ID:0TQbHLBy0
>>985
海から引き上げられたものが陶製だっただけで
てつはうの一番ベーシックな殻は鉄製の模様
0990名無しさん@1周年
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2019/10/12(土) 00:55:01.36ID:7iTdsJfA0
風向きによって火攻めに使うはずが、風向きがころころ変わって使い物にならなかったとか?(´・ω・`)
0991名無しさん@1周年
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2019/10/12(土) 00:56:15.76ID:uT0JBoTJ0
>>985
絵は爆発してるから、地雷みたいな使い方かな?空中で破裂はまず無理だし。
0993大島栄城 ◆n3rBZgRz6w
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2019/10/12(土) 00:56:35.81ID:7xyOtlgw0
なんで俺まで薩摩なんだろな

もう氷河期世代とか言うのヤメレ

死の軍団だから、実際
0994名無しさん@1周年
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2019/10/12(土) 00:57:58.91ID:ezNt6sTc0
>>32
夜襲を嫌ったんだろ。
昼間休んでいた別動隊に寝込みを襲われたらひとたまりもない。
0997名無しさん@1周年
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2019/10/12(土) 00:59:06.62ID:xf5k7oRi0
>>987
その必要がないからだろ。必要性が出たら量産まで一直線
0998名無しさん@1周年
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2019/10/12(土) 00:59:30.73ID:uT0JBoTJ0
>>995
後で盛ったかも…
10011001
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