国家神道は明治期に創設された神道系の新興宗教
明治政府は教育勅語(儒教に国家神道を継ぎ足したもの)を用いて、政治と教育と宗教の一体化を目論んだ
明治天皇、大正天皇、終戦までの昭和天皇はこれらの「作られた祭祀」「偽物の伝統」には冷淡だった

明治政府は国家神道を国教化するために神主の世襲を禁じて神社の乗っ取りを謀り、記紀系統に属していない
神々や神道以外の伝統的宗教に対して弾圧を加えた
国家神道は日本の民俗信仰の敵であり、伝統破壊者

【明治政府の宗教弾圧】
「神仏分離令」そのものが、伝統的な神仏混交・民族信仰に対する宗教弾圧。
「世襲神官の禁止」→一子相伝の秘儀が途絶える
「講の禁止」
「六十六部の禁止」
「普化宗の廃止」
「修験宗の廃止」
「僧侶の托鉢禁止」
「梓巫・市子・憑祈祷・狐下げなどの禁止」
「小祠・淫祀の廃併合」
「寺領上知の令」→寺院の困窮により仏像・寺宝が流出
「社領上知の令」
「天社神道(陰陽道)の布教禁止」
「神社合祀」
市神、寄り神、石神、姥神、産土神などが記紀系の祭神に置き換えられた。

神殿と皇霊殿を撤去して歴代天皇の位牌を宮中に戻し、明治期に創設された祭祀は廃止して、伝統的な形に戻すべき