ダイヤモンド・オンライン
11/23(土) 6:01配信
なぜ、あの時代に「鎖国」ができたのか?

● なぜ、「鎖国」ができたのか?

 次に、なぜ江戸時代の日本が「鎖国」をしたかという話をしましょう。

 みなさんが、昔、習ったのは、島原の乱(1637‐1638)を経験した徳川幕府が、
「キリシタンを放っておくと怖いよなあと思って、鎖国をした」
 ということだったと思います。

 でも、僕が考える鎖国の理由は、

 「徳川幕府を永続させようと考えたら
 鎖国が一番合理的だったから」

 です。

 当時は石高で国を仕切り、統一していたのですが、最も石高が大きいのが、江戸時代に加賀、能登、越中の3国の大半を領地とした加賀藩の「100万石」。
 一方、徳川幕府は450万石ぐらいでした。

 徳川幕府は、大名同士の結婚や同盟を厳しく管理していました。

 江戸時代は、お城をつくったり、修理したりしただけでも改易(大名・旗本などの武士から身分を剥奪し、その所領や居城・陣屋・屋敷などを没収)されていました。

 豊臣秀吉が改易を考えつき、徳川家康が踏襲したのですが、鎖国をして貿易をしなければ、徳川幕府に勝つ大名はいない。

 ところが、各地の大名が海外と貿易を始めてしまったら、あっというまに彼らが金持ちになってしまう。たとえば、仙台の伊達氏や福岡の黒田氏は、海外との交易に興味津々でした。

 徳川幕府としてはその焦りがあったと僕は思います。

 次回は鎖国の時代に活躍した名学者・平賀源内の興味深いエピソードを紹介しようと思います。

 過去の僕の『哲学と宗教全史』全連載は「連載バックナンバー」にありますので、ぜひご覧いただき、楽しんでいただけたらと思います。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191123-00217612-diamond-soci
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