人口減少の局面になり、厳しさが増す不動産投資。今後、どこが投資エリアとして有望なのか。不動産投資には欠かせない要素である「人口」や「不動産取引の現状」などをもとに、検討していく。今回紹介するのは、東京都「町田」。
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「西の渋谷」の実態は…「町田」に襲いかかる人口減少の波


大型の商業施設が並ぶ「町田」駅前

11月1日に開業した「渋谷スクランブルスクエア」は開業4日で来館33万人を記録するなど、大規模な再開発計画が続く渋谷が盛り上がっているが、そこから西に25qほどいったところに「西の渋谷」と称されている街がある。「町田」だ。

「東急百貨店まちだ店」(現町田東急ツインズ)や「109 MACHIDA」(現レミィ町田)があったり、若年層から支持される店が駅周辺に集積していたりする様子から、メディアが渋谷と例えただけ、という意見もあるが、「町田」駅周辺は、平日も休日も常に多くの人賑わっている。

町田は、東京都の西部、多摩地域南部に位置する、人口40万人都市。細長い市域が神奈川県方面に大きく突出しているため、「町田=神奈川県」と間違えている人が多いが、歴史を遡れば、廃藩置県が行われた1868年には神奈川県に属していた。東京都に移管されたのは、1893年のことだ。

理由はいくつかあるが、水問題はそのひとつ。江戸時代、江戸(東京)の飲用水は玉川上水から供給されていたが、明治政府も玉川上水を重要視し、その水源流域となる町田を含む三多摩を東京に移管した、というわけだ。

町田市役所によると、町田の名前の由来は3つの説がある。1つ目が(「町」は田んぼの区画のことを指し、「町田」で区画された田んぼという意味になるが)今の「本町田」あたりから田がひらかれ、それがきちんと区画されるようになったからという説。2つ目が (「まち」と「いち」は同じ意味で使われていたが)この地で「市」が盛んだったからという説。3つ目が祭りに使われる田んぼを「祭り田」と呼び、これがなまって町田になったという説である。

市制を施行したのは1958年で、当時の人口は6万人ほどだった。その後、東京のベッドタウンとして人口流入が続き、1970年には20万人、1982年には30万人、2004年には40万人を突破した。

町田の中心となるのは「町田」駅で、小田急小田原線とJR横浜線の二路線が乗り入れる。「新宿」駅へは通勤時間帯で40分弱(平日の日中は30分強、ともに快速急行利用時)でアクセスできるほか、「横浜」駅にも通勤時間帯で40分(平日の日中は30分弱、快速利用時)程度。2社合算の乗降客数は51万人/日と、多摩地域全駅でトップとなっている。

駅周辺は、多摩地域有数の商業地を形成。前出の「町田東急ツインズ」や「レミィ町田」のほか、小田急小田原線「町田」駅と一体となった「小田急百貨店町田店」、「ルミネ町田店」、「町田マルイ」、「町田ジョルナ」、「町田モディ」などの百貨店やファッションビルが充実するほか、「ヨドバシカメラ マルチメディア町田」、「ドン・キホーテ町田駅前店」など大型店が集積する。

多くの買い物客でにぎわうなか、異質な存在感で人気なのが「町田仲見世商店街」。全長100mほどの狭い路地におよそ40軒が集まる名物商店街で、昭和レトロな雰囲気は観光客にも人気だ。

また町田は学園都市としての側面もあり、市内には「桜美林大学」「国士舘大学」「玉川大学」など、多くの大学が点在している。

以下ソース先で

11/29(金) 12:51
幻冬舎ゴールドオンライン
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191129-00024394-gonline-bus_all
https://lpt.c.yimg.jp/amd/20191129-00024394-gonline-000-view.jpg

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