週刊新潮 2019年12月5日号掲載

晋和会の秘書代表

 資産家だったという仁士の祖父は安倍晋三首相の父・晋太郎元外相の秘書だった――。

 これは、伊藤家について取材をする中で遭遇した驚きのエピソードである。先の叔父にこの点を尋ねると、

「仁士の祖父は五十男(いそお)と言います。会社員です。確かに安倍晋太郎さんの秘書は10年ほどやっていました」

 会社員? 10年ほど秘書? ならばと安倍家と親交のある元山口新聞東京支局長の濱岡博司氏に聞くと、

「伊藤五十男ですよね。安倍家は親族が少ない分、秘書がしっかり支えていました。当時の安倍陣営の拠点は永田町のTBRビル5階の『晋和会』、同6階の『晋友会』、そして赤坂のホテルニュージャパンの隣にあったビルの『安倍晋太郎後援会』。それぞれ古参の私設秘書が取り仕切っていて、最も集金力のあった晋和会の秘書代表が伊藤だった。ガッチリした体躯でね。金儲けが上手で金庫番と言って差し支えないでしょう。会社員? う〜ん、もともと山口の農協トップの秘書を務めていて、頭角を現して晋太郎さんの秘書に収まったんです」

 その息子、つまり仁士の父親については、

「確かに愛知医科大に入りましたよ。当時、私立大学振興政策のため、自民党の代議士は各私大の担当を持っていました。晋太郎さんは71年にできた愛知医科大を受け持っており、その繋がりもあって、72年に秘書の息子が2人そこに入学します。そのうちの一人が伊藤五十男の息子(仁士の父)です。ただ、医師国家試験になかなか受からず、いろいろあって自殺されたと聞いています」(同)

仁士の叔父は事故死だと言っていたが、自殺?

(抜粋記事により全文は週刊新潮さんへお願い致します。)
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