【歴史】「元寇」はなぜ失敗した? 神風が日本を救ったのか、それとも元軍が愚かだったのか=中国 ★2
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日本の鎌倉時代に中国を支配していたモンゴル帝国(元)による日本侵攻は「元寇」と呼ばれる。1回目の侵攻は1274年の文永の役であり、2回目は1281年の弘安の役に当たるが、いずれも失敗に終わっている。
日本が元寇を退けることができた重要な要因の1つに「神風」が挙げられるが、中国メディアの捜狐はこのほど、中国の歴史上で唯一、日本を征服しようとした元による試みが失敗した理由について考察する記事を掲載し、「神風が日本を救ったのか、それとも元軍が愚かだったのか」と疑問を投げかけた。
記事はまず1274年の文永の役について、3万の元軍が九州北部に攻め入り、「震天雷」と呼ばれる火薬を用いた武器の前に日本側は劣勢を強いられ、大きな損害を被ったと紹介。しかし、元軍が夜に船で休んでいると暴風雨によって海は大荒れとなり、撤退を余儀なくされた伝え、これが1回目の侵攻であると紹介した。
さらに、1回目の失敗を受け、元軍は20万もの兵を率いて再び日本に攻め入ったとし、これが1281年の弘安の役であると紹介。日本側は激しく抵抗し、元軍は1カ月以上も沿岸での戦いを強いられたと強調する一方、時期が夏であったことから台風が九州北部を襲い、元軍の船は壊滅的な被害を受け、2回目の侵攻も失敗に終わったと指摘した。
記事は、日本では元寇を退けることができた要因がいずれも「暴風雨」であったことから、この風は「神風」と呼ばれていると伝える一方、元軍の侵攻が失敗した最大の原因は元軍が1回目の侵攻で優位にあるうちに上陸し、進軍拠点である橋頭堡を設置しなかったことであると主張。また、日本に侵攻した元軍は元に降伏した南宋および高句麗の兵士たちが中心になって構成されており、士気は決して高くなかったと強調し、「神風が元寇を退けたというのは語弊がある表現であり、元軍側のミスと日本側の激しい抵抗、そして暴風雨という3つの要素が重なった結果である」と主張した。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:123RF
2020-01-05 22:12 サーチナ
http://news.searchina.net/id/1685690?page=1
★1 2020/01/06(月) 09:27:15.75
前スレ
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1578270435/ 朝鮮半島で作った船
まあ、モンゴル人に船造るノウ・ハウは無かっただろうけどね さっさと、「電通、パソナへのクールジャパン機構からの不正還流」スレ立てろボケ 逆に考えるんだ
「どうしたら元は日本に勝てたか」と 使節を殺して元に屈しない姿勢を見せた鎌倉政権も、戦後敵味方分け隔てなく慰霊するお寺を建てたんだよな。 >>5
おまえ凄いな。
終わっちゃったじゃねーか。
元史に高麗が日本を攻めるべきと言ってきたから攻めたってあるよね。高麗軍が雑魚だったんやろうね。 武士という戦闘集団がわんさかいるんだから、攻め落とすのは困難だろう。 侵略戦争なんて大抵失敗する
「成功」するのは、民族虐殺とか大規模移民とかそんなのをやった場合のみ 蒙古の船に死体や馬の死骸投げ込んだとか聞いたけどどうやってやってたんだろ
揺れる船から投げ込むとか、どんだけ馬鹿力なんだ
3〜4尺くらいの鎌倉武士の刀が奉納されてんの見た事あるけど、皆んな力持ちだったんだろうか 元が強いかったのはあくまでも騎馬隊であって海を渡って戦うノウハウはなかったからね
しかも主力が朝鮮軍では失敗するのが順当 日欧は天皇、将軍、教皇、神聖皇帝が無事で
主要都市、京都、鎌倉、ローマ、コンスタンティノープルが無傷だった
一方、イスラームだけボロ負けで
カリフは処刑され、帝都バグダードは灰燼に
この違いって、何だかな >>16
>侵略戦争なんて大抵失敗する
元は侵略戦争で大帝国を築いたのでは? 純粋に記録を調べていくと武士がバーサーカー過ぎて元軍ほとんど勝ててない
最後は皆殺しに近い形で逃げた島で殲滅されてるじゃん >>18
鎧つけて迫ってきた武士を船から海にたたき落としたのに
泳いだ上にまた船に上がってきたなんて証言も >>18
>蒙古の船に死体や馬の死骸投げ込んだとか聞いたけどどうやってやってたんだろ
>揺れる船から投げ込むとか、どんだけ馬鹿力なんだ
バラバラの肉片にしてから放り込めばいいじゃん
そもそも一匹丸ごと放りこんでもすぐに海に捨てられるだけだから
肉片を大量に放りこんだ方が効果的だよ >>1
中国?元が?新春初笑いってやつだな
モンゴル人が「漢民族」だったのかよ?
まあ、「漢民族」自体ファンタジーだしな 単なる偶然にすぎない
ニホンスゴイデスネはみっともないからやめたほうがいい 一度目は全くの運で台風が来て撃沈したが。
二度目の元寇は最初ので危機感を抱いた九州勢が海岸に元寇防塁堤って言う石垣を築いて弓矢で反撃したはずだが。
上陸できない元寇側は食糧も尽きて撤退するしかなかったのが実情だろ。 馬を駆りながらの弓矢の技術も高く、かなり有効だったと
数か月前にNHK様でやってたけどな。 >>32
なるほど、まさに敵の嫌がる事をやってたわけか 1ヶ月も上陸を阻止されてる時点で軍事的に完敗だよ
台風が来なくても疫病で負ける
日本側で戦ってたのは太宰府の戦力だけで六波羅から援軍が向かってるところで終戦
鎌倉幕府本隊は動員中だった
どう考えても元に勝ち目が無い 鎌倉武士団が精強だったのと、モンゴルの強さは大平原の騎馬戦。船で出掛けてって上陸、侵攻ってのが不得手だった。
あと朝鮮兵士がとんでもなく使えなかった。 >>10
対馬占領して、屯田しつつ数年かけて物資、兵員の中継拠点を作る
それでも厳しいけど 中国人と朝鮮人は軟弱のイメージしかない
項羽の頃から北方民族にボコられてたじゃないか 防備を固めてる海岸に上陸とか愚の骨頂
各個撃破されるだけ >>34
生首ゲットしたら報酬もらえるからみんなやる気満々だからなw >>25
>武士がバーサーカー過ぎて元軍ほとんど勝ててない
だって、元の真骨頂は騎兵による電撃作戦じゃん
馬なしでしかも、主力が高句麗軍でどうしろって話だ 騎馬は無敵だったが海軍は畑違いだってだけっしょ
それに退けこそしたが、その後も幕末まで異国警固番役を続けて御家人の不満貯めてたからなぁ あと日本海が良い仕事した。さすが国境警備兵士三百万人分。 【元寇】元寇による日本脅威論の形成
元寇では、日本刀は戦場で大きな力を発揮した。南朝遺臣の鄭思肖は日本刀を評して「倭刀はきわめて鋭い」と指摘し日本征服が難しい理由の一つに
日本刀の存在を挙げ、クビライに仕えた王ツもまた元寇を受けて「刀は長くて極めて犀なるものを製り…」と評すなど日本刀の鋭さに言及している。
浙江大学教授・王勇は弘安の役での敗戦とその後の日本武装商船の活動によって中国における対日本観は大きく変化し、凶暴で勇猛な日本人像および日本脅威論が形成されていったと指摘している。
例えば、南宋遺臣の鄭思肖は「倭人は狠、死を懼(おそ)れない。たとえ十人が百人に遇っても、立ち向かって戦う。勝たなければみな死ぬまで戦う。戦死しなければ、帰ってもまた倭王の手によって殺される。
倭の婦人もはなはだ気性が烈しく、犯すべからず。倭刀はきわめて鋭い。
地形は高険にして入りがたく、戦守の計を為すべし」と述べ、また元朝の文人・呉莱は「今の倭奴は昔(白村江の戦い時)の倭奴とは同じではない。
昔は至って弱いと雖も、なお敢えて中国の兵を拒まんとする。いわんや今は険を恃んで、その強さは、まさに昔の十倍に当たる。
さきに慶元より航海して来たり、艨艟数千、戈矛剣戟、畢く具えている。その重貨を出し、公然と貿易する。その欲望を満たされなければ、城郭を燔して居民を略奪する。海道の兵は、猝かに対応できない。
士気を喪い国体を弱めるのは、これより大きなことはない。しかし、その地を取っても国に益することはなく、またその人を掠しても兵を強めることはない」と述べ、日本征服は無益としている。
また、明の時代の鄭舜功が著した日本研究書である『日本一鑑』では、元寇について「兵を喪い、以って恥を為すに足る」と評すなど、後の時代にも元寇の記憶は批判的に受け止められていたことが窺える。
元寇の敗戦を通してのこういった日本軍将兵の勇猛果敢さや渡海侵攻の困難性の記憶は、後の王朝による日本征討論を抑える抑止力ともなった。
元の後に興った明による日本征討論が、初代皇帝・朱元璋(洪武帝)、第3代皇帝・永楽帝、第12代皇帝・嘉靖帝の時の計3回に渡って議論された。
そのうち、朱元璋は軍事恫喝を含んで、明への朝貢と倭寇の鎮圧を日本の懐良親王に要求した。
ところが懐良親王は、もし明軍が日本に侵攻すれば対抗する旨の返書を送って朱元璋の要求を受け付けなかった。
この返書に激怒した朱元璋であったが、クビライの日本侵攻の敗北を鑑みて日本征討を思い止まったという。 ベトナムも水上戦にもちこんで撃退しているしモンゴル帝国に水上戦での戦術・戦略が欠けていたのだろう。 竹崎が苦戦するシーンあるけどあの絵の要点はモンゴル軍の副将の背中に
矢が命中する場面なんだ。蒙古襲来絵詞は検索すると見れる >>16
元は素直に降伏したところは生かしたけど抵抗したところは皆殺しにしてますけど?
あれだけ大帝国作って失敗はないだろ 年がら年中戦争してた武士にアホみたいな事ばっかりやってた元が勝てるかい
話にならんわ 今もいい仕事してるじゃん?日本海www
北チョン軍の漁民叩きつぶしてくれるしな。 >>25
武士っていうか、
我慢の限度を越えた日本人はバーサーカー
日本への侵攻は金も兵士も桁違いに大量に必要 川を挟んだ曹操ですら失敗した
海を挟んだフビライが成功する方が難しいだろ 北条時宗って日本を救った英雄としてもっと讃えられていいと思うんだが
やっぱ戦後GHQから禁止されたりしたんかね >>64
戦争つうかこの頃の武士はリアル野蛮人で景気づけに浮浪者とかを狩ってた時代だからw 対馬であれだけ虐殺した時点で日本が降伏する決断はない。 元に数で圧倒されてたっての嘘じゃね
馬の餌やりしかしないボンクラも戦力にカウントしてた説 >>10
あと、北方ルートかな
地味にアイヌと小規模衝突起こしてるから
そこまで北じゃなくても、海に流されれば、北陸から秋田までは上陸可能地点
ただ、上陸先の兵隊が少ない=人口が少ない=食料が少ない→上陸させて活動させられる兵隊が少ない
で、人口が多い日本の征服はやっぱり無理だな 高麗主導ってのも「どうせ岳父(フビライ)には逆らえないのだから」と
せめて遠征軍の主導権を取って少しでも負担を減らしたいという意図があったから
なんだが、そこに監察役として洪茶丘を送り込むフビライの辛辣さ^^ >>22
ついこないだも、アメリカで自動車満載の大型貨物船を転覆させてたよな。
セマウル号とか伝統なのかよ。 >>64
>年がら年中戦争してた武士にアホみたいな事ばっかりやってた元が勝てるかい
その時代、日本は戦もなく平和だったじゃん
年がら年中戦争っをしてたのは領土を拡大し続けていた元の方
もっとも、元寇の主力部隊は高句麗軍だったけど フビライの文字がエビフライハンに見えて来るお昼前のひとときwww 朝鮮兵がメイン
海を超えるのが大変だった
サムライが普通に強くて敵わなかった
そんなこんなの最中の嵐
全方位的に勝てそうな感じなかったんだよね
半島に近い対馬はやられたけど、本土はサムライ真っ盛りの時代で戦慣れしてたし >>58 サイコパスの朱元璋が日本国征服を目論んでたんか。そんなだから後々、明は秀吉にコテンパンにされて滅亡が百年早まったんだよ。 チンギス・ハーン→朝鮮半島を支配下に置いて元寇で敗北
大日本帝国→朝鮮半島を支配下に置いて第二次世界大戦で敗北
アメリカ合衆国→韓国を味方にしてベトナム戦争で敗北
この圧倒的負けフラグ感 ナマの木材で新しい立派な船舶を建造するのは理解できるんだが
ナマ材が水を吸わないように下処理をコピー出来なかったとか?
案外、途中で水を吸い過ぎて沈没したとかw 元寇っつーと、NHK大河で元寇をやってたが
攻めてくるモンゴル軍に頭悩ませる北条時宗に
その住んでる屋敷に忍び込んで「時宗様は人殺しじゃ!!」と叫ぶ
変人の忍者女を思い出すなー
NHKを見限るきっかけになった一番の代物かも
今思い返してみても一方的に攻めてくるモンゴルにいかに立ち向かうか
苦労してる時宗に、人殺しじゃ人殺しじゃ叫ぶキチガイ女を
なんで毎週観させられてたのかわからない >>83
鎌倉武士は全国で権力闘争してて武装闘争がやむ年はないくらいだ
族滅なんてことがほいほい起きてたのは鎌倉時代くらいしかない日本ではね
要するに当時の武士は野獣 東日本人=縄文文化、日高見国、真の日本人
九州人=関東甲州豆州人と気質、形質の類似する真の日本人
関西人=倭人(笑)、韓国朝鮮人に類似する畿内人(笑)
徳川家康の神号を朝廷の1人が提示した案が面白い
・東照大権現
・日本大権現
日本(ヒノモト)は東国の勢力が日高見国、、、日ノ本と言っていたのを大和朝廷がパクったらしい。
伊達政宗を日ノ本一のナンチャラと称えますが、東北地方が日本(ヒノモト)王国だった事を念頭(奥州=日ノ本)のモノ?との説も。
世に東海道と称するは、伊勢国鈴鹿より初まり、奥羽・常州の界なこその関にて終るなり。
海内を日の本と号するも、この常陸国より称え初めしといえり。
常陸国東方の限りにて日立と書き、これによって日の本とも称せし名の、いつとなく海内に弘まりたるなり。
(東洋文庫『東遊雑記』古川古松軒/地理学者/岡山県出身)
剣豪の故郷として歴史上で先行するのが東国の地である。関八州は古来尚武の地であった。
武技の伝統は鎌倉、室町時代を通じて、この地に脈々と生き続けた。その脈絡の一つの中心となるのが、古来から軍神ととして崇敬された鹿島、香取の両神宮の鎮座する常総の地であった。
(思文閣出版『原田伴彦著作集1』原田伴彦/大阪市立大学名誉教授/佐賀県出身)
山背大兄王事件、大化改新、壬申の乱等一連の、政治的要因を等しうする事件において、天皇または皇子が旧来の豪族に対抗するときに、東国にそのより所を求め、
その兵力に頼らんとしていることは甚だ興味あることであって、それは大化前代の親衛軍の基礎が東国にあったことからきているのである。
(岩波現代文庫『日本古代内乱史論』北山茂夫/立命館大学教授/和歌山県出身)
帰化人たちは、そのほとんど全部が奈良盆地、大阪平野、京都盆地と、その周辺地域である播磨平野、紀ノ川流域、近江盆地あたりに根をおろしたといってよい。
この点はこののちずっと古代を通じてたいしてかわらない。
(吉川弘文館『古代の帰化人』関晃/歴史学者/熊本県出身)
畿内古代人は韓国朝鮮現代人に類似する畿内現代人と同じグループに属し、縄文人から最も離れている。
(朝日選書『日本人のきた道』池田次郎/京都大学名誉教授) モンゴルが支配して荒れ果てて
明になって知識層大弾圧した
この辺で人々がすさんでいった結果が今の状況かも? >>42
鎌倉の本隊が来る前だから勝てたんでしょ?
土地勘の無い上に1000キロ移動してきて疲弊している、しかも、肩書は立派
という無能が合流してたら、足引っ張りまくりで日本負けてたわ >>73
そういう習慣て江戸時代の生類憐みの令が出るくらいまであったって聞いたぞ
それまでは割と普通に武士が浮浪者をぶっ殺してたりしたらしい 元は騎馬民族なので海戦の知識がないから、朝鮮に船を造らせて
朝鮮人主体で日本に攻めてきたが、朝鮮人の船は中国船のパクリで
浮いてるの精一杯の代物
台風の風でセウォル号みたいにひっくり返りましたとさww ガサツ下品の福岡土人に攻め込んだのがまずかった。まずはアイヌから攻めておけば 棄民政策だから
帝国外縁部の反乱予備勢力の殲滅の為 >>83
いや小競り合いはしょっちゅうだから現役兵は常に居る状態
そして浮浪者とか素性不明者とか保護の対象じゃないからよく殺戮の対象になってたよ
そうやって現役兵を常に保持していた時代 数の力押しで勝てると思ったから負けたんじゃない?
情報集めて上陸地点変えただけでも日本側はヤバかったんじゃない? そもそも鎌倉武士がモンゴルに負けず劣らずの残虐だったのにw
本隊も来ないで勝てるわけないだろう。 まあお国を守らなければいけないという気概もあっただろうし、
やはり常日頃の日本人の行いがあって、神サンが日本を心から好いたんだろうね ネットでも昭和の教育で知識が止まっている人がいる怖さ モンゴル=元が中原からヨーロッパまで勢力を伸ばしたのは、圧倒的な騎馬軍団による。
モンゴル騎乗軍団を止められる国は無かった。
日本には海が有って、最大の強みの騎乗軍団を陸地みたいに運用できない。
諸国を圧倒した量の馬を運べる船もない、餌も運ばなくてはならない。
戦い重ねる内に鎌倉武士団も侵攻軍の戦術に慣れてきて、地の利を活かした戦いで
戦果を上げるようになってきた。
広大な陸地で無類の強さ発揮した騎馬軍団も、山、谷だらけの日本では勝手が違う。
日本側も闇討ちかけたりして、侵攻軍が船に逃げて帰るように追い込む。
鎌倉武士もよく戦った。 >>72
朝廷から権力を奪った北条執権は戦前から否定的な評価だった >>93
>日本支配してもあんまり旨味がないから
旨みのない日本を執拗に狙っていたからジンギス・ハーン=源義経なんて説が生まれた 当時の日本は国内で戦いまくってたから強かったからかな >>88
地味に木材調達の影響も大きいと思う
中国って案外良い木材が少ない
清盛の時代だと主要な輸出物の一つが木材だったくらい >>17
これね。つかやつら大陸人だから、海さんの怖さをなめてた。特に台風。 >>60
蒙古襲来絵詞のモンゴル軍の前方で矢を放っている兵士って後で書き加えられたという説があるらしいね
実際、他のモンゴル軍兵士と比べるとまるでタッチ違うし。
前方の弓兵がいないと、退却するモンゴル軍を日本軍武士が追撃しているシーンになる。 >>1
あれは、日本を占領出来てもよし
失敗して、朝鮮人と漢人の兵士が減ってもまたよし、の
拡大中の侵略国家に有りがちなイベントだったのでは?
要は、それほど本腰でもないし主戦線でもないという 鎌倉武士って今のおとなしいジャップとは似ても似つかない
反グレキチガイ集団やからね
ヤクザ映画みたいな世界ですわ
そんなもんに喧嘩売ったらあきまへんわ やはり思うでしょう・・
実力だけでもダメ、努力だけでもダメ
運がなければいけないのよ
皇室とか王室とかそういう類のものが、人々に畏怖の念をもたせるものであるのも、
やはり強運と言う事に尽きるのではないかしらね? この時代に20万人は本当なのかな
20万も来たら日本側は阿鼻叫喚だろうな >>103
>そもそも鎌倉武士がモンゴルに負けず劣らずの残虐だったのにw
>本隊も来ないで勝てるわけないだろう。
高句麗軍も残虐だと聞いたが? 歴史を学んでる中国は自国の軍隊がまばらで統一されないってわかってるから
絶対アメリカと戦わない 負けるってわかってるしね >>115
押し返されて拠点を確保できなかったから >>95 中華は定期的に大虐殺が起きるよなぁ。特に文化大革命は数千万人が犠牲だろ?大陸は桁が違うわ わかる?
人々は努力もするし、実力までは良いのよ・・
ただ運。これはとても難しいものであるのね 朝鮮人の考え方:高句麗が日本を攻めたという事実は隠ぺいするニダ、ウリは常に被害者セヨ
チャイニーズの考え方:チャイナを占領していたモンゴルの領土はチャイナの領土アル >>102
波任せ風任せの操船技術でどこに上陸するんだよ(笑) 一次進攻の時にも沿岸部までしか進攻出来なかった上に二次進攻までの間に巨大な塀作られて突破できなかった
船内の衛生環境も悪くて厭戦気分蔓延で士気は最悪状態
そんなんで勝てる訳がない
台風云々の話以前の問題 ZAQ東大阪のハゲちゃびん=自称ヒロシマン
>関東武士=映画やドラマの主人公のような武芸に秀でたモテ男
>広島武士=ところで広島ってなにがあるの?木?
関東武士に憧れる中世西日本人
↓
『田植草紙』は安芸・石見の山間部に濃密に分布しておりました田植歌の書き留め、同じような写本、田植歌本とか歌本と申しますか、そんなものがたくさん残っております。
『田植草紙』は田植歌本を代表する最も優れた一本でございまして、我せられた歌謡はほぼ中世小歌圏の中で醸成された田植歌であるという定評を得ております。
(友久武文・広島大学名誉教授)
・坂東殿ばらは弓は上手なるもの 空立つ鳥を射て落といたり さても上手や空飛ぶ鶴を落といた 若い殿御が翔け鳥射たる弓手は さても射たのふ見事や弓の姿は
→坂東武者は弓の上手、空かける鳥を射落とすそうだ。え、落したのは鶴だろうなんて冗談は無し。ほんと素晴らしいんだから。
・宮仕ひをせう坂東方へ 武士の奉公好むと人や思ふらう 武家奉公なんぼう見ては好いもの 殿に参らせ塗籠籐の弓おば
→弓と矢があれば坂東方へ赴き、武家奉公をと男の願い。女も意に添いたい風情。
→なんぼう…「何ほど」の変化形。今も関西方言に多い。どんなにか、とても多く。
・重籐巻いたる弓の振りをしてな 坂東殿原の肩に掛からばやな 弓のふりして坂東殿御に惚れたよ 何と言ふても思ふに寄らぬ我か身や いつくしいは坂東殿御の姿よ
→弓は女の暗喩として用いられることが多く、女として自分を殿の傍らに置いて欲しいの意を含むか。
(『田植草紙』新日本古典文学大系/岩波書店)
「さても上手や、空舞う鶴を落といた……見事や弓の姿」と鶴に結びつけて(坂東殿御の)弓上手を謡っている。
更に「武家奉公、なんぼう見ては良いもの」と坂東武士への憧憬につながって、「思ふ弓や、御前引かば……」と、
この憧憬が具体的なかたちに変わる。
田植歌謡圏(中国地方)に種々導入された話から、恰も映画やドラマの主人公に憧れるのと似たような形態で、
坂東武士(関東武士)に憧れたものであったろう。
「面影ばかり残して、あづまの方へ下りし人の名は、しらじらといふまじ」(『閑吟集』)とか、
「吾妻下りの殿は待たねど、嵐吹けとはさらに思はず」(狂言小歌・虎寛本・靱猿)などの気持ちである。
(『田植歌謡と儀礼の研究』、坂東憧憬と弓矢の章) >>110
相手が朝鮮人だから見た目をコピーするしか考えられない種族だから
本質をコピー出来なかったんだろ
ナマ材船舶の寿命が約7日間だったとか?
そのまま沈没だったりしてw 橋頭堡が築けなかったのは何でだろうか
日本が焦土作戦にでた?
元軍が略奪しまくって基地をぶっ壊してしまった? うんこを船に投げ入れる攻撃が効果的だったそうだ
精神的につらい >>93
黄金、硫黄、南宋包囲網説色々
それとクビライは弘安の役の時に、出陣前の将軍たちに
もしも民を尽く殺したなら、徒に土地だけ手に入れても何に用いるのか、と語ってる
日本の民を生かしておいて何かに用いたかったのではないかと思われる
それが何かはわからないけど あの当時に海わたって侵攻したのがそもそもの失敗では。
当時の日本の武士のバーサーカーっぷりもやばいけど 『かくして、明・清の時代には道教や仏教は急速に衰退し、教団も発展せず腐敗した。』
http://www2s.biglobe.ne.jp/~xianxue/DandX/DandX2-7.htm
モンゴルが原因かわからんけど >>125
一番やばいと思うのは唐末から
5代までだな
人肉を食する文化が広がり料理本まで出る始末
両脚羊=人肉の時代 漫画アンゴルモア 読んで以来 金田城をいつか見てみたいと。 チョンて昔から無能やったんやなw
今も変わらない万年奴隷民族w 悪意ゆえか能力不足ゆえかわからないが
朝鮮人と南宋人の作った船が不良品だったから チョンの理屈ならこれは日本に謝罪と賠償しないとダメなんじゃねw 昔から追い込まれるとバーサーカーになるのが日本という物 >>102
だから情報与えないために最初の元寇以後は使者全部殺してる
学者はアホだからこれを批判してるがねw >>115
周りが敵だらけでおちおち寝てられなかったから
一般市民含めて敵しか居ないところを攻めるには数が圧倒的に足りなかった
それでも物資や人足があれば簡易的な要塞作って宿営も出来たんだけど、それがないから船を宿営地にするしかなかった
それが渡海攻撃の難しさの一つ 運を考察した本は古今東西色々とあるものよ
とりわけ東洋は熱心ではないかしらね?
風水だってそうでしょう
倖田露伴の幸福3説だって色々と考えさせられるでしょう
誰でも、実力があり、努力があれば続くのであれば良いのだけれども
実はそうではないのね。実力があって努力をしても報われない方がいる
何故なんだ?と思ったら「運」なのね >>87
チンギス・ハーンの時代は西ぱっり攻めて、攻め取ったのは中央アジア方面だよ。
金の皇太子と会談した際、あんな阿呆でも支那の皇帝になれるくらいなら取って代わると豪語してたけれど、実際に取って代わったのはオゴダイ・ハーンの時代。
クビライ・ハーンの時代に支那全土の制圧にのりだして、宋を攻略する一環として高麗も攻め取った。 >>140
おまえみたいな漫画に影響される奴は口だけ
一生見ることはないだろう 日本
戦国時代直後の島原の乱での原城の決戦でも大勢死んだよね。
幕府軍人1万2千人が戦死
天草四郎軍は3万8千人戦死で、婦女子・乳幼児も皆殺し。
水攻めでモタモタして居たイクサを知らない原城攻略軍に、戦国の雄で鬼公方と言われていた老雄を起用。
爺さんが殲滅戦を命令して皆殺しの惨劇。
此の凄惨なイクサを見ていた侵略の先兵宣教師達の、腰が抜けてしまい這いながらも本国に連絡。
東洋で日本だけは諦めてください、いくら軍艦の大軍を派遣しても必ず皆殺しにされます。と報告。
半端じゃない鉄砲の数、老若男女の全てが死を恐れない民族性、戦闘に特化した階級の全国に居る多数の武士軍団。
其の後綱吉が鎖国を決めた時に、反対をして軍艦を派遣する筈の欧州諸国が、ヒタスラ怯えてしまいタダの一か国も無かったそうだ。
以来、日本に侵略に来た軍隊は、清国の北洋大艦隊の支那清帝国と。
ロシアロマノフ王朝ニコライ二世の、バルチック艦隊と満州のロシア陸軍36万人。
両国ともに日本兵に返り討ちにされた結果亡国。
滅亡を招き、歴史の舞台から日本兵に退場させられて消えてしまいました。 >>32
皆の💩を集めて投げ込んだら病気が流行ったんだろ?
日本人の💩は最強兵器 ほんま運が良かったよな
それで神の国とか調子に乗るから戦争に負けるねん >>112
>この時代に20万人は本当なのかな
昔の戦記なんてたいてい水増しされとるからな
古代中国の戦記なんて50万、100万といった数字が平気ででてくる >>141半島など眼中になかったろ?
大陸を欲しただけ。
半島なんざ通過点あっというまに蹂躙したろ。
半島狙いなら明まで兵を進めないでソウル、平壌に拠点おいて統治進めるだろ。 >>125
文化大革命の場合は知識層を狙って虐殺したらしい
同時の政権の悪辣さを暴いたり、民衆を扇動したりする可能性を嫌ったと思う
一方、明朝は余裕が無かったのか鎖国・愚民政策だって
あ、愚民化の為に知識層を弾圧したなら毛沢東と同じ?? >>125
世界の殺人王
毛沢東:7600万人
スターリン:2700万人
ヒトラー:1500万人 >>155
朝鮮がいたからだ
アメリカすら勝てなくなったし >>154
武士「いや、まさか食うとは思わなかった」 >>23
カリフの血筋はマムルーク朝に逃げた
そして元を撃退するバイバルスとかいう化け物が居たので生存 それでね、やはり神風ではあるのね
この世のものとは思えない存在が、この世にいらっしゃると言うね・・
太古、女神信仰だったのよ
何でだと思う?
男の神サンだと、これはこうでないといけない、でしょう
だけど人生はそのようなものかしら?
肝心の運は女神様なのよ・・ まあ地続きなら3日でやられていただろうが東海があったからな。 >>160
ポル・ポトもベスト3に入るんじゃなかったっけ? >>147
文永の役以後も、殺したのは翌年の(7回目の)使者とその次の(8回目の)使者で、
弘安の役以降に来た(12回目と13回目の)使者は殺されてない
けどまあ、帰国もさせなかったから情報与えない措置という点では同じだね ハンニバルがいかにヤバい敵だったかローマも違う意味で凄いが >>156
人口1億に達してた宋代以降の元だから
20万は動員はできる 江戸中期成立の『本朝食鑑』より
馬は関東の産がよい。
したがって奥州(東北)・常州(茨城)の産が第一で、信州・甲州・上野・下野・上総・下総の産がそれに次ぐ。
関西の産は劣弱であって関東産に及ばない。
ちかごろ九州にやや良い馬がある。就中薩州の産が高大強捷で関東の産に劣らない。あるいは、古来よりこのようであったともいわれている。
【明治19年における国別牛馬飼育頭数(第三次農商務統計表)】
騎兵戦に秀でた馬産地域
▽馬50,000頭 牛1,000頭
北海道、宮城、福島、茨城、栃木、群馬、埼玉
▽馬50,000頭 牛10,000頭
青森、岩手、秋田、千葉、長野、新潟、岐阜、宮崎
▽馬10,000頭 牛1,000頭
山形、東京、神奈川、山梨、愛知、富山
▽馬50,000頭 牛50,000頭
熊本、鹿児島
戦場では役立たずの牛産地の弱兵他域
▼馬1,000頭 牛10,000頭
滋賀、奈良、大阪
▼馬10,000頭 牛50,000頭
兵庫
▼馬1,000頭 牛50,000頭
京都、和歌山 台湾の原住民だって、もし山で戦えば元に勝てるだろ。
元にとっちゃ、得られる物は少なく、犠牲ばかりが増える。
都市定住型のサマルカンドの王国なんかの方が、そう意味ではずっと騎馬民族の突入に脆弱。 モンゴルは海を渡るとてんで弱いな
あと密林も
騎馬が展開できないからか
ジャワ遠征(約2万)も失敗してる 今の常識ではどう考えても無理だろうけど
昔は台風の知識もないし、上にやれと言われたらダメだと思っていてもやるしかない時代なんだから
愚かって言い方はちょっと、今の視点で考えすぎだな >>134
味方の町でも焼き払うのが当時の戦争
その上で、
情報が足りない
人手が足りない
現地民の協力者がいない
補給がなく持ち込み物資のみ
こんなんじゃ、柵作って宿営地作るどころか、雨風凌ぐのさえ厳しい >>高句麗の兵士たちが中心になって構成されており
これです。 【日中】朝鮮半島問題研究家・元通産省技官 [3/18] 2ch.net 【明の衰退】
冊封体制を理解しない翁長知事の姿勢
ここで翁長雄志知事は、沖縄の歴史を正しく認識できていないことを露呈した。それは、琉球王国に明王朝が何故に冊封体制を求めたのか、という史実である。
黒色火薬は漢族の三大発明の一つに挙げられている。その黒色火薬の製造原料は、木炭、硝石、硫黄であった。混合比率は木炭が10〜20%、硝石が60〜70%であり、硫黄の比率はおおよそ木炭と同じであった。
漢族居住地域で黒色火薬が発明されたのは硝石を豊富に産出したからだ。しかし硫黄の産出は少なく、明は琉球王国の版図内から供給を受ける必要があった。
豊臣秀吉の朝鮮への軍事進出(文禄・慶長の役)に対して、宗主国の明は軍事支援を行うが、その時の主要武器は大砲であった。秀吉軍の武器は火縄銃であり、火薬の使用量が異なった。
秀吉軍の朝鮮半島支配が成就しなかったのは、明に対して火薬の使用量で劣ったからでもある。
その明王朝の火薬製造が九州南端の火山島に依拠していることに気付いた薩摩の島津家久は徳川家康の許可を得て、薩摩武士団を沖縄へ派遣する。
その際に奄美5島を割譲させ、与論島以北を琉球王朝から引き離して島津氏の直接支配地域とした。硫黄の産地を琉球王朝から引き離したのであった。
秀吉の野望を阻止できたのは琉球王朝から貢納される硫黄に負うところが大きかった明だが、その火薬の原料・硫黄の供給地である火山島が島津氏に領有されると、
明の軍事力は低下していき、ついには明王朝は滅亡、漢族を支配下に置いた清王朝が成立する。
硫黄を産出しない琉球など清はお呼びでなかったが、島津藩の命令で琉球は清の冊封体制に入る。唐物(絹・漢方薬材など)を島津藩が欲したのである。
今度は島津藩が清の必要とする物産を仕立てて、琉球経由で輸出入を行った。これがいわゆる「進貢貿易」であった。清の要望する物産は琉球に産出しなかったので、島津藩の指示下で琉球は貿易した。
実質的に冊封体制から外れたのは、琉球に清の欲する物がなかったからだ。だから、同じく「冊封体制」に入ったからといっても、明と清では大きく内容が異なる。明は琉球王朝へ冊封を求めたが、清の場合は島津藩の指示に従って入ったのであった。 上陸作戦は基本的に防御側が有利
攻撃側の数少ないメリットは攻撃する箇所を自由に選べるということ
元軍はそれを活かすべきだった
日本海側なら九州近辺ではなくもう少し北の富山か新潟あたり
もしくは中国の南海岸から出港し黒潮に乗って和歌山あたりの太平洋岸
こういう地点を攻められたら日本側もキツかったのでは 神風なくても、日本軍の本隊6万以上が合流すりゃ勝てただろ
日本は更に第二陣移行も送れる余力ある一方で
元の方は、他の地域への侵攻や内乱等で
全戦力を日本へ向けることは無理だ >>151
経済でも戦争でも半島の人がプロジェクトメンバーに居ると失敗する
これ検証の価値あると思う 台風が来るなんてのは、朝鮮半島側の地元民だって常識として知っていたはずだ
だから侵攻の際に考慮に入れないはずはない
それが軍事だ
でも、電撃的に侵攻して上陸するはずが、手間取って台風がくるほどに長引いてしまったんだよ >>167
あれは200万人くらいで大したことない
だってカンボジアの国民が800万人程度しかいないからねw
割合で言ったらぶっちぎり1位だと思うけど >>99
元寇よりも前に樺太に攻め込もうとしてアイヌと対戦コテンパンに負けてるで。 東海地方とか元寇には関係ないんだが?
日本海ならあったけど 鎌倉武士が強かっただけだよ
攻めきれず一か月も海上にいれば
そりゃ台風にも襲われる どのみち元が負けてたろ
兵站をどうやって維持するんだよ 男の神サンだと「こいつは努力もしているし、実力もあるから〜」でシンプルなのね・・
ただね、運ともなればお話は別なのね・・。どうも普通の男の神サンよりも別の動きがみられるものでしょう?
「え?なんであんなのが・・」とかね
それはね、きっと天の上で、女神サンが「嫌よ。あの男つまんないもの。傲慢なところが嫌い」とか言っているのよ 結構、北九州で暴れまわったらしい
北京でハーン同士の揉めあいが会って
日本に構ってられなくなった
らしいよ 海を越えて侵略とか単純に無理な時代、兵站の維持が困難、たとえ一部占領しても駐屯する兵士を往復輸送するコストで赤字になるわな。 >>179
海流を無視すんなよ(笑)
季節風の助け無しに行けないから
その後1年は増援を送れない孤軍を配置してどうする >>194
ヒトラーをサヨクって言うとパヨクが怒るよ 実にシンプルなようであり、そうではないのね
複雑でもありシンプルでもあるといえる・・
そういうところを意識しながら生きると運に近づけるから、
せっせと運の研究をする人らがいるんだろうね >>37
1回目も台風じゃないぽいね
船で寝ていた、てのが問題
橋頭堡作れなかったって事で 幕府は九州国守を中心に防塁構築してたからな。迂回して山口・島根に来てたら負けてたかも。
もっとも、この場合は待機場所も無ければ攻略可能な季節も短い。よく分からん国へ攻めるのは
難しいってコト。 海渡る時点で、今なら太平洋超えて戦うようなもんだろ。
どんなにいても送れるのは限られるし、海戦も守るほうが有利な時代。
神風がなくても厳しいだろ。
まぁ戦ったのは朝鮮侵略軍だけど。 普通は橋頭保築いてそこに寝起きするんだろうけど、
怖いから沖まで毎日撤退してたというからなw >>192
何度来ても一緒
こっちは待ち構えてんのに >>44
対馬から九州じゃなくて長門のほうへ向かったらどうだったんだろうな? >>115
上陸して略奪含めて拠点を確保しようとしたら、すでに鎌倉武士によって上陸地点はすべて略奪済みで拠点を構えれなかった。 >>1
一次は、大宰府行く手前の赤坂で反撃してる
日本は団体戦予定で集結してたのに、抜け駆けの連続で元の指揮官負傷ww
しかも元は矢戦がメイン戦術なのに膨大な矢の備蓄を枯渇してしまう
双方騎馬での戦いも当時の日本騎馬は矢戦に特化した装備と戦術
船に逃げ帰って撤退中に嵐www
たなみに大宰府焼けた記述は焼け跡の年代測定で寺院勢力の嘘が確定してる 神風を強調したのは実は鎌倉幕府
恩賞の領地がなかったから
神風のおかげにした 秀吉も失敗したけど海挟むと兵站が極度に難しくなる
今も戦争海越しだと占拠するの大変 >>186
鎌倉に上陸したと勘違いしている奴がいるんだよ
例えば >>166 のような 船酔いでフラフラのところを武士団にヒャッハーされた >>197
国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP、ナチ党)
でもでも
(´・ω・`) 上陸させなかったのが日本が防衛できた理由だろうけど
そもそも中国軍じゃなくてモンゴル軍なはずじゃね?
少なくともトップは
まあ実働部隊が中国人で異民族政権だからやる気ゼロだったのも大きいとは思う >>1
負けたのは朝鮮人と一緒に攻めて来たからじゃね? 対馬の島民は玉砕に近いくらい虐殺されたし、博多でも虐殺があった。
もっと歴史で詳しく教えるべき。
左翼が嫌がるんだろうけど 武士が台頭する時代で良かった
その前の時代なら確実にやられてたわ >>194
ウヨが書くからそうなるんだろ
第二次世界大戦で日本軍も
1千万以上は中国で殺害してるらしいよ 鎌倉武士が予想外に強いのと夜襲が効いたらしいな
朝鮮人は相手舐め腐る所あったとかもか
とりあえず神風云々は僧侶や神官が言ってたまやかしっぽい >>10
平安時代だったら勝てたかもね
武士政権になってからは到底無理
そもそも九州勢だけで元軍追い払っちゃったんだから >>219
しっているよ
手それなのに韓国に媚びている対馬ってバカなん >>213
国家社会主義だし、選挙されてるわけだし 会田雄次が上陸に成功して内部に侵略しても結局負けただろうと論考してたけど結局調査不足
辺境なので調査が行き届かなかった >>169
兵員の動員力は、GDP(当時はほぼ石高と同義)に比例するから、食糧生産力を見れば良い。
たとえば、朝鮮出兵時の秀吉軍20万人超は、当時の大名の総石高が、3000万石位あるから妥当。
華中の中原エリアの穀倉地帯ぶりは、三国志の時代から相当のポテンシャルがあるよ。世界最大の穀倉地帯。
動員兵力数百万は誇張だけど、数十万単位は普通の数字。 >>211
多分信長はちゃんと鎌倉〜足利への歴史もちゃんと学んでたんだろうな。
で、それに秀吉が乗っかったと。 それで男の神サンが「君・・そうはいってもね、彼はとても努力をして、才能もあって〜」とか言ってもね
何と言っても気難しい女神サンだからね「嫌なものは嫌だって言ってんでしょ?」って感じで
頑張っても頑張っても報われない方がいるのだろうと・・ 当時の船旅ってさ食糧とかどうやって保管してたんだろ?お腹ピチピチやねんになりそうだ 文永の役は、小学館の日本の歴史漫画でも、ナゼ勝てたかぼかされてるな。
弘安の役では、間違いなく台風が来たのだと思われるけど。その描写もある。 >>211
そして武士への恩賞不足で不興を買い、鎌倉幕府の崩壊につながる。 そういえば元って日本以外に海渡って攻め落とした国あるのか? 台風シーズンなんて海の関係者は知ってるに決まってるだろ
もうわかるな >>216
国家社会主義と社会主義は対極軸
極右と極左
当て字がよろしくないんだろうねえ >>223
というかマジ弱かったから
アイヌ集団にも勝てない >>23
ヨーロッパはポーランドを焼き尽くしてドイツに攻め込むまえに親分が病死したから帰った 鷹島とかいうモンゴル人の死体が無数に埋まっている地 >>33
漢民族の定義って時代と共に変わってるからね
元の侵攻後は南宋の民は漢民族から外されてるw 上陸したら修羅の国だったから
「ドコ中やキサーン?」 78 名前: ヨーロッパオオヤマネコ(千葉県)[sage] 投稿日:2012/08/13(月) 21:45:01.81 ID:jcT90reZ0
網野善彦『歴史を考えるヒント』新潮社(2001年)
もともと列島東部では狩猟が非常に盛んであり、それを背景として東国には広大な「牧」が設定されていました。
ですから人々は家の厩のような身近なところで飼育された牛馬ではなく、牧場を飛び跳ねる野獣に近い馬と接していました。
東の王権、鎌倉幕府はその馬に乗って戦闘する武士の集団によって支えられていたのです。
それ故、東日本の人々は獣を殺し、その肉を食べることについて、
西日本の人々のように敏感ではなかったということが出来ると思います。
ケガレの問題については列島東部の社会が鈍感であると前に述べましたが、
その背景としてこのような社会の実態があったことが考えられるでしょう。 >>179
当時の船じゃ厳しいだろう。和歌山とか攻めたところで補給が続かず終わり 手柄は神風オンリーで弱小日本軍は壊滅寸前とアカ教師が騒いでたなw >>221
それってその後の内戦の死者数も入ってるやろ >>240
円を反対方向に半周回ると同じ地点に辿り着くのさ >>243
残ってた元軍と高麗軍の奴らは全員処刑したからな >>245
確かに当時の日本は本物の修羅の国だったかもしれんなぁw まあそもそも、1+1=2になれば人生はシンプルなんだけれどもね、
そうではないから、皆さん、色々と考えるものよ・・ >>18
鎌倉時代の日本人は、なぜか現代に次いで体格が良かったらしい。
そして、骨が湾曲するぐらい弓の鍛練をするモンスター集団だったようだ。 >>235
どっちも普通に戦って日本が勝ってる
てかそもそも高麗も南宋も勝てると思ってないし戦う気もなかった
元でイキってた高麗人の洪茶丘と金方慶がクズすぎたんだよ
南宋の范文虎は最初からやる気なかったからさっさと逃げた 二度目は特に一回目を教訓に準備してたからだろ。あと純粋に侍強かった。 コリアンという由来が高麗、キチガイを自称してりようなようなもん 文永の役の時の元軍撤退の神風原因説って歴史学者によってとっくに否定されてなかったけか。
真相は上陸後、陸上戦で苦戦して橋頭堡の確保が出来なかったのでいったん船に戻って
軍議の結果、撤退を決めただけと。 >>256
修羅の一族は奥州に引っ込んで修行してただろいい加減に >>179
上陸は出来るけど維持ができない
上陸して維持して後続を継続的入れることが出来ないと意味がない
ドアに例えると
ドアは開けられる
だけど開けた状態維持して仲間を引き入れないと無意味
引き入れるには上陸に適した場所(多くは発展してる=すぐに敵が来る)が必要
そのためには大軍が必要
大軍を維持するには食料が必要
食料を得るには人口が多い場所を支配する必要がある
人口が多い場所は強固な守備がなされている
強固な場所を攻略するには大軍が必要
渡海して大軍を受け入れるには適地の港が必要
(一番上に戻る) >>175
元寇の前には偵察の役目もあった使者が日本へ送られていて、
そのうち5回目と6回目の使者だった趙良弼は
「まして舟師(水軍)の海を渡るは、海風に期なく、禍害を測ることもなし。」
と報告して元寇に反対意見を述べていたり、
クビライに対しての元寇の反対をした人はいたし
風の危険も少なくともクビライには伝わってた >>212
補給の問題は当時は相当難しかったろうね
それこそインパールみたいに現地調達みたいな感じだったんじゃない? >>249
だよな
結局、見通しが甘すぎたとしか思えない
ついでに馬も持ち込めないだろうし >>173
日清戦争の勝利で、日本に割譲された台湾。
山岳民族高砂族の日本軍に対する抵抗は、物凄かったそうだよね。
其れまでの支那人とオランダ人に散々な目に遭わされて来た歴史から、日本人に皆殺しにされると怯えたそうだ。
直ぐに、オランダ人や支那人とは違い、台湾に治山治水工事を始めて、豊かな農業国に改造されてビックリ仰天。
以来日本軍の一員として、共にww2を戦い抜いた強力な戦友に成ったのは有名。 >>1
2度の失敗の2度とも神風(台風)は事が終わった後なのでほぼ関係ない 馬鹿ジャップは直ぐ調子乗るもんな。
ホントにチョンと歴然としてたら
ウンウン唸ったり咳き込んだり「音を立てる無作法」はやらんよ。
白人が主犯じゃない証拠だな。よくまぁ騙し騙し10数年もうるさくしてくれたもんだ。 六波羅探題の兵6万が到着してたら大合戦だったのになあ 今年は霊光殿天満宮に行かないと
元寇のときに神風を吹かせた神社だからな
天神さんを拝んで、天下無敵になるんだ >>201
樺太経由で侵攻だと実は殆ど海無しなんだよな。
北東北辺りに拠点を作れれば、かなり良さそうな気もするが、この時代、奥州藤原氏も滅んでるし、鎌倉の勢力はほぼ東北全土に及んでいたかな。 >>11
死んだら負け(敵でも味方でも) by 鎌倉武士 蒙古襲来絵詞の後世の「修正」を除くと鎌倉武士が一方的に蹴散らしてる。シナ朝鮮には武士階級
に相当する「社会階層」が無いんだろうな。 >>269
国家社会主義はナショナリズムの極致
社会主義はグローバリズムの極致
じゃなかったかな 鎌倉幕府があったから執権が全国の武士を指揮して組織な防衛が出来た
100年前の平安京の院政の時代が続いていたら、元の侵略は成功してただろう >>240
国家社会主義は社会主義カテゴリの中の一つだから
対局とは言えないような気もするがな…。 日本も煮たう○こを投げ込んで攪乱したんだけど朝鮮兵には逆効果で苦戦したんだよ 馬鹿コリアンに無慈悲な
北条時宗は一万円札に相応しいだろ ウンコ爆弾はヤル気を萎えさせるコスパ最強の武器。
そんなときに夜襲やら刀持った武士が乗り込んできたらアンタ >>267
補給予定地に行っても相手がいないからな
加藤清正なんて当初の予定と全然違う場所に攻め込んでる
石田三成も予定にない行軍をされてるのに補給が来ないって文句言われても大変だったんだろうな
連絡を取る手段が難しい よくまぁ喉奥で音鳴らすとか汚い行いを平気で出来るよねジャップは。
その辺の抵抗無い時点でカスレベルなんだよ。
大化の改新の現代版が起こったら海外に移住してくれや。 中国って冷や飯とかだめじゃん。食事って士気低下したんじゃね?
日本は前線にまー補給できるだろう。おまけにあの民族が船やら食材手配させられてたはずだから。 そもそも敵前上陸なんてやった戦いは日本侵攻くらいじゃないの?
いくら陸で強くてもね >>10
鎌倉武士を甘く見ちゃいけない
この時代、海の兵站は難しいし、無理だな
日本は統一国家としてすでに数百年の歴史を持っていたから
どう転んでも結果は同じだよ >>248 いや、執権、、、侍所と政所の別当を兼ねた役職や 小舟で馬まで連れてこれると思えないな
絵でも馬に乗ってたのは武士だけだろ
爆弾で馬がびびってる絵だた 朝鮮を味方につけた時点で元の敗北が決まった。
つか日本征伐を元皇帝にそそのかしたのが朝鮮王だから最初から最後まで朝鮮が悪い。 >>278
あれなんなんだったんだろうな?当時の教科書って
やっぱり戦争で実力で勝つというイメージ良くなかったのかね? 海岸での戦いのように思われるけど、第一回目だったか
大宰府のほうまで来て散々暴れまわっている。
けど城塞を作る職人を連れてきてなかったんだろうね。一晩で博多湾まで撤退して
そのまま暴風雨。 >>256
梶原氏 族滅
比企氏 族滅
和田氏 族滅
畠山氏 族滅
激しいですね >>244
今に唐とか随も漢民族になるぞ
間違いない >>106
モンゴル帝国の強みは、モンゴル人だけではなかったこと。
偵察と本隊はモンゴル人・トルコ人の騎兵だけれど、先鋒切り込みは蛮勇に優れたタタール人、城砦の攻撃には支那や中央アジアのオアシス都市からかき集めた兵員、
占領地の統治にはペルシャ人と、得意分野に応じて軍隊を編成している。
城壁のある都市どうしで戦争していた支那人なら、城砦都市の弱点も良く知っているし、城壁の攻略の仕方もモンゴル人より上手い。
馬や駱駝を駆って人や物を運ぶのが得意なモンゴル人・トルコ人が、バラした城砦攻撃武器を運んで、支那人や中央アジア都市民が現地で組み立てる。
騎馬兵団が都市の補給・通商・通信を絶って城塞都市が弱体化したところで、本格的な城砦の破壊だ。 >>1
まぁ複数の要因があるのは間違いないが
暴風雨は長引いた結果の副産物だから元側のミスと同じ
どっちにしろ負けてた、日本側の被害が増える程度だろう 引っ掻き回す糞コリアンなど無視しておけ
ってこったな
ーー
Q,
元寇について、高麗が元に日本を攻めるよう進言したと聞いたが本当か。そのことがわかる資料はあるか?
A
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000131369 壱岐や対馬や上陸された周辺は蛮行を極めたことを忘れるなよ 当時はまだ日本にも
チョンアヘが少なかったからだろう... モンゴル人の本気度の低さと海
大陸の王朝は日本列島を攻めることが物理的に困難 チョンとは民族的に別だろ?
この後から混じりだして、李氏朝鮮時代に、
どうしようもない民族が完成したんじゃないの? >>248
モンゴル2回跳ね返す指揮をとり、
恩賞金よこせよと数十万人の武士に責められ
今後攻めてこられないように防衛費の工面と
めちゃくちゃハードワークさせられ32歳で死亡
ほんとかわいそう
もっと時宗を国を救った英雄として祀ればいいと思う 朝鮮人が用意した船舶が2回に渡り水没
今度は大丈夫と語っていたが、それでも水没すれば
3回目の進軍は行われなかったと仮定する
船舶が水没したのは正しいのだろう
水を吸った木材だから、ふやけて原型が保てなくなったと思う >>267
当時の常識としてそう
だけど朝鮮半島が予想以上に貧しかった
貨幣経済も未発達だから「乏しい食べ物を略奪された」って住民も抵抗を始める
朝鮮を日本の感覚で攻めたんやろうね >>254
馬鹿じゃねーの
サーチナは何も知らねーという書き込みばかりだろ
但し無知な馬鹿朝鮮人の煽りは除く >元に降伏した南宋および高句麗の兵士たちが中心になって構成されており、士気は決して高くなかった
宋と日本はすごく行き来があったし、高句麗も朝鮮半島でまんざら知らない仲でもない、
両者とも仲の良い日本を攻め落とすのは嫌だったり、
少なくともモンゴルのいいなりになって命懸けで戦う気にはならなかったってことか
中国と朝鮮に感謝すべきか 毎回思うけどさ、喉奥でゲロゲロ音鳴らして威嚇するにしても
それで喉から出て来たタンとか色々はどうしているの?
答えてくれる?
お上品に処理してんのかよ 1回目で夏に台風来るってわかってたのに
なんで2回目も夏に来たんだろう? >>321
田植えが終わって稲刈りまでの間じゃないか? >>140
只の山だよ
アクセスも無茶苦茶悪いし、そもそも元寇関係ない
まあ…こんな山奥に城構えて唐の侵攻に備えるって、どんだけビビっててんだよって感想は持った >>72
civilizationじゃ最近日本代表になってたが 当時の人らもわかっていたのか最後の殲滅戦でも南宋人は生かしたがモンゴル人と高麗人は皆殺しにした >>314
戦前は秀吉と時宗が二大傑物だった
〜これ、時宗の生まれし地〜
〜これ、秀吉の生まれし地〜
って歌詞がある >>40
朝鮮人がそもそもやる気なかった
俺らジンギスカンの言う事なんか聞いてられっか!! モンゴル人が海をわたって来るわけないからな
そういうことだ 局地的に勝てても補給が続くわけがないのに
常識的に考えればわかるだろ >>288
喉奥で鳴らす音を言語にしてるだろチョンは
濃音と言ってな 二度目は移住する気満々で無慈悲な返り討ちで皆頃し、痛快すぎる 元寇って実際に日本に攻めてきたのは
元の支配下にあった朝鮮人がメインだろ?
戦意低かったんじゃね? >>314
確かになあ
恩賞金なんて出せるわけないもんなあ
ただ守っただけだからなあ、責められて辛かったろうな
英雄も英雄なんだけどさ、なんか神風に全部持ってかれたよね、おまけに当時の武士は無能扱いだったもんね、最近まで >>318
朝鮮人は一番下の奴隷になるのが嫌だから「海の向こうにチョッパリがいます、ウリが奴隷にしてくるので一番下にするニダ!」
って攻めてきたんだぞwww >>296
チョンが元の皇帝をそそのかしたのが事の始まりだから、どうしてもチョン日本攻略軍の中心になるよ。 九州武士を撃破して太宰府占領
海賊あふれる瀬戸内海を突破
上陸戦後に京都で首都攻略戦
防衛特化の武士の本拠地鎌倉で真の決戦
東北でゲリラ化した武士ともう一度遊べる
勝利条件コロコロ変わって難度上げるクソゲーにありがち 朝鮮の秀吉軍はあっという間に進んじゃったから補給が間に合わない >>1 あのなあ
日本人はチョンコちゃんに対して好きとか嫌いとかそういう感情すらなく
大抵の日本人は
チョンコちゃんかわいいよチョンコちゃんという感情しかねーから
日本人がなぜチョンコちゃんが可愛いという認識になったのか?
そりゃ元寇の内情はチョンコちゃんランド人が占めてて無計画な補給で
台風で全滅しちゃうような侵略なら必然と可愛いという感情が芽生えるだろ。
チョンコちゃんが可愛いと感じるから侵略に対しての賠償要求もしない訳で
ようするに
チョンコちゃんランド人が日本好きです。とアピールされても日本人は
チョンコちゃんかわいいよチョンコちゃんという感情しかなく
同様に
チョンコちゃんランド人が日本嫌いです。とアピールされても日本人は
チョンコちゃんかわいいよチョンコちゃんという感情しかない訳で
N即でチョンコちゃんランド記事にするのすら無駄だから
チョンコちゃん関連ニュースうざいから東アジア板か痛いニュース板へ移動お願いします。 >>156
記録されてる船の数が正しいのならある程度の推測は出来る >>97
食い詰め者を受け入れても、まともに働くとは限らない。
数が増えれば凶徒と化す可能性も高い。
それを目当てに他国の間者も紛れ込んでいるだろう。
そう考えれば浮浪者狩りは必然的・合理的。 朝鮮王朝の圧政のせいで朝鮮の民衆がむしろ味方した、挙句の果てには民衆が略奪し始めたという酷い状況だったからな >>323
うらやましいな。遺構好きとしては興味持たずにいられない雰囲気なんです。 高麗との戦闘で疲弊してたんだろうなあ
韓国は今も昔も日本の防波堤になってくれて感謝しかない >>333
まあ恩賞出せないから仕方ないのかもしれんけど、神風を大いに吹聴して
戦禍を意図的に過小に評価すれば憎まれそうだわな。 >>311
へー、賢いからレスするんだ!
で、どこに賢いレスあるの? こんな大昔に海またいで戦争すること自体無理がある
逆に日本も朝鮮出兵で敗戦して帰ってきた このスレを読んだ奴は今夜はジンギスカンが食いたくなる >>321
まず九州のクソ地形に苦戦することは必至なので
たっぷり物資もっていこうぜ、台風でもいける船あるやん
って計画だったんだけど
輸送船のほとんどが波にクソ弱いフラットボートで
しかも粗製乱造だったので物資が死んでナムアミダブツです まぁ橋頭堡さえ確保できれば、中国人は昔から有能な工兵だから、ある程度の野戦築城でそれなりに持久できたんだろうがな >>280
鎌倉幕府の最盛期ではなく、
@源平争乱の時期。
A承久の乱。
B奥州合戦の時期。
C建武の新政期。
だとどうだっただろ?
日本側が、朝廷vs幕府、武士vs武士で内輪揉めしてるからなあ。 NHKのETV特集で、朝鮮半島で高麗王朝の残党が元を軍事攻撃したおかげ
との斬新な説を紹介していたなw よくよく考えればさ、義経の戦なんかみてればゲリラはやるわ、壇ノ浦で漕ぎ手を殺すはで成功法の戦いなんかしてないんだよな。
それなのに武士は同格としか戦はないとかなあー 正解は「タン諸々、全部ごっくん」でした。
流石、タンかけ御飯マイウー民族は違うな。
ネバネバした鼻水みたいな食い物大好きだもんな。 >>339
報奨として朝鮮の土地をもらうのが嫌だったらしいから戦果を上げ無かったらしい
土地も人も・・・魅力が・・・・・ってことで里心がついたってことらしいが・・・ >>1
元は朝鮮人と一緒に戦ったから負けたんだろ?
常識だわ。 >>200
いややってる
つか太宰府への援軍が遅れてたのはそういう事態を恐れて全方位で守備してたから
つまり当然撃退されている 中国にしては客観的だな。
神風なんてのは侍の手柄を横取りしようとした寺の生臭坊主の戯言だからな。
祈祷して神の力を使って退けられた!っていうイメージ戦略。
実際は侍がガチ戦闘民族過ぎて引くレベルだったから上陸出来なかっただけ。
しかも船に居ても夜中に乗り込んで斬り込んでくるんだから生きた心地しなかっただろう。 元寇から100年くらい後にモンゴル帝国が滅亡するのだが、
帝国の最後の皇帝は2人の兄弟で
その兄の方が高麗人を母に持つハーフっつーのが凄い
どうしてもあの法則を思い出してしまう >>345
高麗が元にご注進して一緒に攻めてきたって話だぞ?
秀吉でひたすら被害者ヅラしてるけど。 外人にもわかりやすく
高麗じゃなくコリアと書いてやれ 神風とかデカイ声で言い出したのは水戸学あたりの連中だろw >>358
陶芸家を根こそぎ持って帰ってるだろ
あれは十分な恩賞だよ
地方の焼物って当時の朝鮮の職人のおかげだったんだから >>258
本当にそうだったのかは知らんけど、三人張りとか五人張りとか言う
一人では弦を掛けることが出来ない強弓があったって言うね。
普通の弦じゃ張力で切れちゃうから、何本も縒った弦張ったとか。 攻め手がサムライ見てびびったんじゃない
で海で対策協議してるうちにやられたと 朝鮮人はモンゴル人を侮って服従するのが遅かったからな
扱いは最低だったから挽回するために攻めてきた >>365
そのまえに新羅の入寇で暴れまくってるからね
朝鮮人は
倭寇も秀吉の征伐も復讐戦 台風に助けられたな
兵力では向こうの方が上だったらしい 鷹島に待機中の元の将官と元南宋兵団に九州武士が小舟で乗り付け
斬って斬って斬りまくった!
元の将官は逃げまくり
元南宋兵は降伏した
日本の武士強えーって話し
嵐が無くても勝ってた! 朝鮮人がいたから。朝鮮人に造らせた船が、尽く浸水し沈没していったから。 朝廷が元に返書しようとして幕府に止められた文章の内容が凄い
日本は天照大神の時代から今の天皇まで続く万世一系の神の国だ。蒙古など聞いたことがない。
なんでお前らの支配下に入らなければいけないのか。よく考えろ
みたいな内容 > 失敗した最大の原因は元軍が1回目の侵攻で優位にあるうちに上陸し、進軍拠点である橋頭堡を設置しなかったこと
大陸の軍勢が船に引き上げたってことは敗色が濃かったということ >>2
被害者が納得するまで謝り続けるのが真の謝罪だって言ってたしな。そういや俺の祖先レイプされて身体中を切り刻まれて惨殺されたんだったわ。証言が何よりの証拠って言ってたし早く謝罪と賠償しろやバカチョン。 >>4
東京新聞が記事書いているよ
ttps://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2020010690071012.html
んで明日明後日 東京が雨なんだがどうしてだかわかるよな?
マトモじゃない新聞社がまともなこと書いているからだよ >>3
川用の船だったらしいw
底が平ら
そら日本海で荒波を
受けたら転覆する >>366
Koreaってのはそもそも高麗が元だしな >>369
逃げ込んだ鷹島で日本軍に皆殺しにされました
高官は早々に脱出して本国に逃げ帰ったが 上陸軍は敵軍がどれだけいるかわからないんだから
局地で勝ってても怖気づいたと思うよ >>318
逆に言えば、モンゴル人はほとんど被害を被ってない。
反乱分子になり兼ねない捕虜を始末できただけ。 >>368
陶芸家が日本が気に入って帰らなかったって言うのが最近の学説じゃなかった?
つか、中国では職人や武人は徳の低い人とされて下等人種扱いされてて
日本は職人が尊敬されててびっくりして居ついちゃったとかで・・・ さすが実戦経験者の元将校・新野先生!
・防人
防人を廃止しようという問題が起こった時に、大宰府の方では、防人が廃止されちゃうと守備力が
弱まるということを非常に強くいっておりますから、簡単にいえば非常に坂東武者が強かったという
ことしかその文章表記の上からはとれないですね。
・蝦夷
エミシの問題といえば、坂東武者はいわゆるエゾ征伐という言葉でいつも動員されているわけです。
ですから日本中でこれだけ熟練された戦闘人はこの段階では現実の問題としていなかったのです。
西日本の方では外国との戦争でもあったら別ですけど、そうでなかったら畿内やその辺では
戦争などないのですから、実戦の形態などもわからなかった。
しかし坂東の住民はしょっちゅう鎮兵として動員されまして、東北の山野を駆け巡って戦闘していた。
ですからそういう経験というものがやっぱり防人を徴集する場合に相当評価されたんじゃないか。
大体鎮兵として動員されるのは東北の人間じゃないんですね。
東北地方にだけ鎮兵という鎮守府将軍の掌握する独立兵団があります。
その鎮兵には誰をするかというと、中部地方まで行く場合もありますけれども、坂東から徴集された
兵隊なんですね。ですから平安時代の中頃になって元慶の乱という反乱が起こりますけれども、
その時でも、東北の兵隊は陸奥からも動員しますが一夜で逃げ帰っちゃいます。
どうにもならなくなって、やはり特別に動員されたのは関東、中部地方の精兵です。
(新野直吉、秋田大学名誉教授、日本古代史、東北地方史) >>348
朝鮮出兵の頃には、航海のノウハウや技術が進んでおったからね
秀吉急死なかったら、やり続けたと思う・・・ >>365
ご注進したのは高麗王朝じゃなくて元に仕えていた高麗人な >>370
壇ノ浦の両岸から射て
真ん中まで弓が届いてるんだが
今そんなことできる人はいない 海を越えて統治する能力なんか当時なかったんだから
ほっとけばよかったのに チョンが作った船が酷すぎたからって話聞いた事ある。 >>387
そうなの?
デカイ船は最近出てきたじゃん 1回目は台風のおかげ
2回目は侍が徹底的に対策とったおかげ
1回目の時の時期さえ合っていれば勝てた チョンと関わったから
元寇 日本(勝) : 元+高麗(負)
文禄の役 明(勝) : 日本+朝鮮(負)
慶長の役 日本(勝) : 明+朝鮮(負)
明滅亡 清(勝) : 明+朝鮮(負)
日清戦争 日本(勝) : 清+朝鮮(負)
日露戦争 日本(勝) : 露+朝鮮(負)
シベリア出兵 ソ連(勝) : 日本+朝鮮(負)
大東亜戦争 アメリカ(勝) : 日本+朝鮮(負)
ベトナム戦争 ベトナム(勝) : アメリカ+朝鮮(負) >>347
ID:+6mbUa+l0のレス見たら流石に知能の高さを示すレスばかりで卒倒したw 補給線が切れてるからだろう
北から攻めるべきだった >>156
2回の襲来の総計で20万だから
20万が一度にってわけではないよ 日本が大陸に侵攻するのはほぼ成功(除く白村江の戦い)
大陸から日本に侵攻したのは失敗だらけ
結論、あの半島が協力した方が負ける >>370
当時の鎧とか発掘される人骨とかでわかるらしい。
ついでに
日本人の体格が最も悪かったのは江戸中後期くらいだっけか(うろおぼえ)。 >>1
>元に降伏した南宋および高句麗
ここ重要!テストに出ます 補給の問題については
一次の搭載物資目録でわかる
農具多数ww
超長期戦前提 >>381
上陸直後はかなり戦えてるんだけど
彼ら山岳での戦闘がまったくウンコなので
奥地で待ちゲーされた時点でゲームセットなんだよな
福岡は今も昔も魔境なのだ 朝鮮出兵なんてやらなければ徳川なんかに負けなかったよな >>292
同じ時代、東南アジアの今トラスマトラパサイ王国やらチャムパ王国やらマバャパヒト王国の隆盛した時期だな。
元のお姫様がイルハン政権下のペルシャまでお輿入れする際にのマルコポーロが随伴していったときに、チャムパに用立てしてもらった船で
マラッカ、パサイ、セイロン、コーチンを経由した海路でペルシャに至ってる。 攻める側は守る側の3倍の兵力が必要だからね
●攻撃三倍の法則(こうげきさんばいのほうそく)とは戦闘において有効な攻撃を行うためには相手の三倍の兵力が必要となる、とする考え方である。
よく「アメリカ本土を攻撃できないと意味がない」
とか言われてるがアメリカ軍の3倍の兵力が必要
アメリカに勝つのは無理だ >>380
それ知ってるけど
蒙古〜はお前の創作だろ 攻めてくる情報入手して
浜辺に石垣を作って阻止
上陸しやすい所も作ったんだよな
攻めやすい所にw 中国・朝鮮による侵略記念館を作れば良い。習近平を案内してやれ。 >>2
兄である朝鮮は弟である日本に何しても許される
これが儒教だ! >>387
伝統の中国のジャンク船。
平底だが、当時東南アジアと交易していた。
この後の明の時代では、鄭和がアフリカまで遠征している。 社会科の先生が授業で言ってたけど
当時の日本の合戦と同じように「やぁやぁ我こそは〜」と敵の目の前で自己紹介しだした名だたる武将が撃たれまくって死んだらしいね
少し笑ってしまった 神風のお陰にしておかないと、
鎌倉幕府が恩賞を出さなければ
いけなくなるから…。 鎌倉時代は御恩と奉公で結びついた御家人の時代じゃね?
歴史家を自負する強者が集まるこのスレで、さらりと御家人
というワード出してるのは
>>55さん一人だけというのには驚いたなw プレステ4の今度出る最新作の
元寇をモデルにした「つしま」の宣伝ですか? >>413
山まで行けたの?
ってか山に行くなよw >>376
それを言ったら朝鮮半島に干渉して度々戦役を起こしてた日本に対する半島側の復讐なんで新羅の行為も正当化されるわな >>430
ないよ。
今の朝鮮人を見れば判る。
強いものには弱く、弱いものには強い。 >>318
日本遠征総指揮官はヒンドゥさん。
日本語に訳すとインドさん
この人がよくわかってないw >>432
でも、戦国時代になると大名格が戦場で死んだ例は
ほとんど無くなるんだけどね 《軟弱だった古代九州男児》
九州出身の防人たちはどうも役に立たなかったらしく、早くも七五九年に大宰府の官僚が
「東国の防人を罷めしより、辺戍日に荒散せり」と、防備体制がなっていないことを政府に訴えている。
七年後の七六六年にも大宰府は「筑前等六国」で徴兵された防人たちの不適さを指摘し
「人勇健に非ずは、防守済まし難し」という理由で、「東国の防人旧に依りて戍に配せむ」ことを願っている。
このとき朝廷は妥協策を講じ、任期を終えた防人にはそのまま筑紫に残っている人が多いはずなので、
かれらを使って地元の防人の補強となすことを大宰府に命じている(『続日本紀』)。
(ブルースバートン『国境の誕生』大宰府から見た日本の原型、NHKブックス)@@ 一日や2日じゃなくて一月もいたらしいからな。
そりゃあそれだけいれば台風に遭遇する機会も増えるわ。 >>430
漫画にはあるな。
ただ、旧南宋軍と高麗軍なら、国内の不穏勢力すりつぶしたと
考える方が妥当かもしれんけど。
高麗人のプランてのがミソな。 >>419
初回は現在の11月だから
台風シーズンは終わってるな >>395
慶長の役は翌年に予定されてた大規模侵攻の準備だからね
秀吉が生きてたらもっと行ってたな 日本が陸続きならわからん
思考も中国朝鮮風になるw
滅ぼされなかったのは間に海があったから >>1
朝鮮では元寇を教えません
だから歴史上侵略行為をしたことがないとか嘘を言ってる >>294
義和団事件に介入した際に日本が連れて行った軍馬が鉄砲の音にびびりまくりで制御不能になって、欧米諸国の笑いものになってたとも伝わる。 >>455
応永の外寇や新羅の来寇・刀伊の入寇もおしえてないだろ >>442
今川家は鎌倉以来の伝統に固執したのかもね
塩貝坂は戦国時代じゃないけど 1回目は元が全力じゃなかった
2回目は日本側が本気で準備してた その頃って日本史上でも一番荒くれ者が多かった時代だろ
やられたらやり返す!皆殺しだ!くらいの勢いだったんじゃないの 日本は源平合戦によって、世界一優れた弓と刀と騎馬戦法があったので、
元の上陸一日目から少数で優位に合戦を進められ、
元は撤退に次ぐ撤退で、拠点を築く余裕は一秒たりともなかった。 そもそもモンゴルは日本みたいな何も無い島国に侵攻したんや?
土地も資源も何もないで
占領できてもメリットないだろ
占領するだけ金や人浪費してデメリットしかないじゃん >>460
サラッとでるが詳しく教えてたら時間足りんわ
そんなん興味ありゃ勝手に調べりゃいいレベル >>432
日本のは武士同士のいくさだからね
向こうはただの戦争で殺し合いをしにきた
前でて名乗ってたりしたらころちまうわな、いい的だしw
戦を、殺し合いにしたのが義経らしい、闇討ち、がけ降り、民間人殺しetc・・ >>1
鎌倉武士が鬼畜キチガイ揃いだったから(褒め言葉 元が攻めて来たというより韓国(当時は高麗)による侵攻だろ
兵も船もこちらで用意します、大元ウルスの看板だけ貸してくださいって執拗におねだりして実現した訳だからな >>430
あるぞ
韓国人の説だが
なお朝鮮作成の船のが沈没率は低い模様w 元をシナと主張すんなら
中国はムンに謝罪と賠償求めたほうがいいぞ モンゴル人は日本人にそっくりとか外見だけで言うなや
白鵬見てみ
日本人的な感覚はモンゴル人には皆無だから >>468
新羅の来寇はともかくとして、刀伊の入寇と応永の外寇は日本史じゃ当たり前に教えるぞ >>457
んなわけねーだろ。
明治になってから、西南日清日露と戦争だらけ。
銃声にビビる軍馬がいるか。 元軍じゃないよな
高麗軍だわ
婿の高麗王がどうしてもていうからやる気になったわけで >>466
騎馬の集団機動戦では元は世界最強なんで
そこは無理ポ。
そういうことのできる戦場じゃないし、相手の主力でもないから
有利だったてのはあると思う。 相手の政治体制がよほど脆弱じゃない限り
アウェイの侵略戦争はたいがい負けるよね
特に海を渡るときはさ
ナポレオンも秀吉も負けてる >>432
戦国期の前の合戦は
お互い示し合わせて昼休憩があるような
合戦風景だったらしいね
はいー今から昼休憩ね!攻めるのなしね
的な そもそも日本が元と戦うことになったのは
南宋の顧問のせいだぞ 外国のことはこいつの知識に頼るしかなかったのだ 沿岸防御陣地に強襲をかけ、上陸したは良いが海岸堡に封じ込まれて戦力を損耗して叩き出され、洋上で台風ってコンボでしょ?
着上陸阻止戦の教科書みたいな話だと思うんだがな 大陸と違って補給線が繋がってないから、物資はおろか援軍は望めないし撤退もできない
だから鷹島に取り残された元軍は一部の南宋兵を除いて皆殺しになってる さっさと上陸されて拠点作られてたら歴史はかなり違ってたんだろうな >>1
モンゴルといってもチョンだから弱かったWWWWWWWWWWWWWWWWWW 刀伊の入寇も結構な大事件だけど
相当な規模で侵略に来てるし >>199
上陸しても夜襲奇襲の嵐だろうしな
草原生まれの戦略では、山と森林がほとんどでベースの戦略がゲリラ寄りの日本では疲弊する一方 白村江での敗北後、太宰府を拠点に防衛網を敷いてたのもでかい。
日本は後方支援の準備ができてたから1回目を乗り切れたし、2回目を完封できた。 >>413
平野部に上陸して、とりあえず支配領域を作って、自給自足できるようにしなきゃな。
関東平野とかに上陸してる方が、元的には戦いやすいだろうが、当時の船団で太平洋側に行くのは無理だな。
下手をすると、偏西風に流されて、アメリカ大陸までサヨウナラだし。 >>467
朝鮮人がそそのかした
元としても侵略したばかりの高麗と南宋が反乱しないように
口減らしができて好都合 >>488
そもそも迎撃されて橋頭保作れなかったってのが事実だから 揚陸作戦の難しさだろ。日本ほどのでかい島を攻略する知識と経験と技術が無かっただけ。 >>462
ここは歴史の大家だらけだよw
経済スレには億トレや大物ディーラー
大物経済学者がわらわらと集まるし
ただし自称なんだけどな
そういう俺も例外じゃないというw 元の騎馬戦よりも、南宋の工兵部隊がいるから
ローマと一緒で、大規模会戦の野戦築城は三国志の時代から中国の十八番だから、一旦橋頭堡築かれたら鎌倉武士も長篠の戦いの武田軍みたいになっていたかもしれん 世界一威力の有る長弓を馬上で集団で操るのが当時の戦いのスタイル。
これにモンゴル騎兵が全く太刀打ちできなかったたために、
連敗に次ぐ連敗であった。 そもそも何で元はわざ日本なんか攻めたんだろ
南部を攻めた方が農業的にいいだろ 鎌倉時代の元寇は モンゴル人が北朝鮮の
元高句麗人をつかって 侵攻した
台風の季節を知らなかったのでしょう
モンゴルは海がないから
それ以前に壱岐 対馬のひとを
それは残酷に虐殺をした
高句麗人は残酷な気質だから
モンゴル人の(中国)元がつかった >>504
2戦目は更に防衛力を増すために防塁を作ってたからそんな余裕もないだろう
夜襲に次ぐ夜襲で陸上に上がったら寝れなかったし 読んだ限りでは2回目の時に上陸を一ヶ月間しのいだ結果、台風に味方された感じだな。 秀吉の朝鮮征伐って、負けてたか?
途中で秀吉が死んで、侵攻する理由が無くて
朝鮮ではなく、明と講和条約を結んで撤退。
日本側で死んだ武将、皆無。 >>331
日本を侵略後に日本人を殺害した後で使う、農機具や百姓達も連れて来ていたんだよ。
最近の海中からの引き上げで、農機具が沢山発見されて笑いの種にされていたw 弘安の役はモンゴル軍の上層部が台風で被害を受けなかった船で逃げてしまい
取り残された大半が、武士たちの餌食にw
あまり知られてないが一方的な大虐殺で終わってる… >>492
ちなみに数世紀に渡って
隣近所レベルの家集団で毎日のように殺しあった伊賀国の気風が
戦国期に流出してルール無用になったのではないか
ってのを何かで読んだ 朝鮮人を味方にしてはね。
神風は朝廷のプロパガンダ。 >>483
明朝は脆弱だったから秀吉は攻め滅ぼそうとしたんじゃね? >>483
太平洋戦争もあれでいてアメリカがアウェイだったのは硫黄島と沖縄くらいで、
勝ってるもののとんでもない被害出しているしね。 時宗は元寇のために
産まれてきたような
保守神だな
18歳で首相になり
チョンが進言した元寇を退け、苦労しまくった上あっとう言う間にこの世去る >>1
そんなもん、法則発動しただけのことや無いか。 >>1
普通に補給が維持できないと思うが。
まず上陸して橋頭保築く必要があるが、最初は略奪による現地調達で凌げても
地元民が逃げた後は継続的には無理だから半島や大陸からの補給に頼らざるを得ない。
大宰府を占領するまで補給を維持して、大宰府を拠点に継続的な現地調達が可能な体制を整えるまでになっても
それから本格的に京都や鎌倉に向けて進軍せにゃならないわけだが、
戦国時代に織田信長が尾張から上洛するのだって苦労してるし、
他の大名は皆夢半ばで終わってるってのに
外国勢力がそれをやり遂げるのに何年かかるんだよ。 >>493
ハンガリーやウィーン近郊の森では、侵攻速度こそ遅くはなったが、モンゴル軍もそれなりに善戦はしてる。
当時の中世ヨーロッパ軍は、日本の武士のような、ゲリラ戦への対応はできなかったのだろうか? >>506
その南部と交易してたから日本を屈服させて孤立させたかったのだと >>513
ウリナラが勝ったに決まってるニダ!
亀甲船はすごいニダー! 日本が元軍の配下になってたら日本の武将が遠征行って世界史に絡んだりしてたんだろうね
鎖国にも繋がりにくかった気がする >>513
負けたのは朝鮮だけで明も秀吉軍も引き分けぐらいの感じだね >>10
海がある間は勝てないだろ
馬じゃ海は越えられない >>506
南宋と同盟してたのと降伏勧告に従わなかったから
水上戦は苦手なので南宋を先に孤立させる必要があった 2回目の時は寧ろ日本の反撃やばかったらしいよな
防衛どころか夜に相手の船に斬り込むとかで
ガンガン削られまくったらしいし 劣勢て頭湧き過ぎだろう。橋頭堡確保できずに上陸阻まれて睨み合い、
を続けてたんだから台風が来なかったら兵站切れで餓死してただけだろうに >>11
使者殺してたのかよwさすが武士w
スパルタかよ >>502
倉山とか三橋も2ちゃんにコテハンで来てたもんな アイヌを懐柔して樺太北海道を拠点に東北を攻めるべきだったな >>499
牛の腐乱死骸を元寇の船に投げ込んだんだよなぁ >>509
元が侵略してきた後には壱岐も海渡って
龍造寺らが奪回してるからね
総力戦で普通に勝ててる 東欧や中東にモンゴル系のDNAがあるってんだからすごいよな 敵国の女どもを片っ端から妊娠させたんんふぁから モンゴルによる高麗侵攻を調べたら、高麗の全面降伏って40年以上かかってるんだな。
最初のうちは高麗もモンゴルと戦ったり使者をころしてる。
(何度もやってるのを見ると、モンゴルは反抗したからといって皆殺しってわけでもないよう)
多分、元寇も二度で辞めるつもりなくって三回、四回の派兵を考えてたろう。
それで最終的に日本側が朝貢してますといえばそれでよしというつもりだったんだろうね。
(支配層にとって兵隊なんて捨て駒だから全滅してもまた徴兵すればいいと思ってたろう) 台風の時期を外すと、海に落ちたら即凍死のハードモードだし >>506
南は普通にベトナムに侵攻して失敗してる
最初の元寇は南宋と貿易してる日本をけん制するのが目的だろ
元は南宋も手こずってるし 文永の役は武力偵察でもとから進攻する気は無かったのでは? >>541
そもそも北海道に渡れるんだろうか?
そして、アイヌは小派閥が多いけどまとめることができるのか?
あと、蝦夷をその戦力でどうにかできたんだろうか? 長江河口の寧保を出た艦隊が、朝鮮半島経由の艦隊と玄海灘で合流するはずが
朝鮮方面軍が遅れ、結局台風シーズンになってしまった。
対馬の決死の抵抗が、遅延させたともいえる。 半島が味方だったのが、元の敗因
日本もWW2でその愚を犯した。
上手い具合にジョーカーがこちらを嫌って
どんどん離れてるので、絶対に離したままだ。
WW1では勝ち、WW2では負けた。
WW3では勝つぞ 鎌倉武士の強さとは
戦国の雄と言われる島津が端っこにいる事。 水際で叩くのか、上陸後に叩くのかの違いだよ
ノルマンディー上陸作戦はなぜ成功したのか? >>556
安倍はその対馬を見捨てようとしてるけどね 単に当時の海運技術では鎌倉幕府側の守備を破れる程の兵站を実現できなかっただけだろ >>546
朝鮮人の王様は民衆を見捨てて逃げ回るのが常套手段
民衆は拉致虐殺されるが降伏は長引く 【都市伝説を科学する】
九州の武人は最強か?
https://www.sankei.com/region/news/140930/rgn1409300030-n1.html
>広く流布した話ではないが、関係者に根強い伝説がある。いわく「九州の将兵は強い」。
九州は古代から、わが国防衛の最前線であり、先の大戦をはじめ、勇猛ぶりは敵将をさえ驚かせた。
現在の自衛隊を見ても、「最強」の呼び声も高い部隊が集まり、南西防衛を担っている。「九州最強説」はどのように生まれたのだろうか。 >>313
行き当たりぱっりの嘘による保身なんて戦争で使い物になりますか? >>546
更なる派兵は考えてたけど元内部の問題で先送りからの有耶無耶だよ
そこから海外派兵どころじゃなくなるので >>544
あいつら他所の歴史や文化を溶かし込んで己の物にする
日本もそうしたいんだろう >>552
懲罰戦争ならともかく威力偵察では規模が大きすぎる >>548
あれは奮闘とは言わん。完全に英国側の茶番に薩摩が突き合わされただけだからなあ
英国側が「脅したら言うこと聞くだろう」と思ったら、オランダ製の武器使ってたから
それを見て速攻でテノヒラクルーして「おっ、商売相手になるじゃん。うちのが性能いい武器あるから買ってよ!こっち負けってことでいいから特産品の公益権よこせな!」
って凄いクソオブクソなムーブしてるよな… >>1
>元軍の侵攻が失敗した最大の原因は元軍が1回目の侵攻で優位にあるうちに上陸し、
>進軍拠点である橋頭堡を設置しなかったことであると主張。
「しなかった」では無くて、出来なかった >>439
隣国同士でそんなこと言い出したら鶏玉子でキリがない。それは朝鮮目線に過ぎん
元々倭国は朝鮮半島に領地があったが、大帝国の唐を担ぎ出した勢力に白村江の闘いで百済と共に半島から追い出されて恨みに思ってる。 本隊は船の長旅で到着した頃には疫病とかで皆死んでたって話もある >>554
道案内の朝鮮人が、当時そのルート知らなかった
なので無理だな
つか、朝鮮人が案内したルート攻め込んでる
という事は、もしかしてあいつた貿易先を
売ったのか? >>533
海賊が水軍としてやりたい放題だったようだな
むしろ狩りの対象にしかなってない 半万年負け犬朝鮮土人は兵士としては無能だから仕方ないニダ >>545
チンギスハンの子孫は1600万人いるとか
スゲーわ >>565
北九州はそんなに強くないだろう、
強いのは薩摩。 >>573
結局文永の役でも戦力集結前の御家人相手に海に押し返されてるからな >>83
>>92
鎌倉時代中期には当時のコメ耕作の北限(青森辺り)まで開墾しちゃってて
土地が足りない状況だった。難癖付けちゃ争って奪うという小競り合いが日
常茶飯事の時代。ただ,戦国時代のように大集団での争いでなかったので,
外形的には「平和」というか大事なしといってもそれはあながち間違いでは
ない。 >>561
連合軍がカレーに侵攻するって偽情報を流してドイツ軍が信じたから >>533
日本側は交代で夜通し大きな音や雄叫びあげて、元側を寝かせなかったそうな。
そして「どうせ音だけだろ、疲れたもう寝る」と油断したタイミングで夜襲。
絶対そんな戦場嫌だ。 西欧、フェニキア方面、アラビア半島、アフリカ全土を領有する国と
日本、北アジア、台湾、東南アジア、インドを領有する国で
旧大陸三国志化しても良かったなあ >>577
進言は朝鮮側から、という記録があるからそういう形になるね
ただし、日本の征服自体は元の悲願とされてる文書が散見される
「そのうち絶対リストの最上位」だったのは間違いなさそうだ >>580
ロシア人は結構な確率でチンギスDNAが入ってるみたいだしね もともと、忠誠心が低かった朝鮮の将兵を捨てるつもりでやってる戦だから、海に没してくれたらそれはそれでOKだった。
じゃなきゃあんないい加減な攻め方しない。 水軍というものに対する認識が甘かったのは間違い無いでしょ >>577
元寇の司令官の高麗人たちはそもそも高麗を売ってる
高麗人だけど元の将軍や官吏だからね 普通に日本の兵隊の方が強かったしなあ
元に勝ち目はなかった ていうか、元軍は戦略の基礎が全然できてないし
日本なんて海岸線ばかりだから
兵の薄い適当なとこに上陸して防戦しつつ砦を作って
それから本格的に侵略すればいいのだよ これが平安時代だったら征服されてただろうよ
結局軍事的に弱いと国は終わるんだな
戦後の日本はチョン同士の争いと冷戦開始に運良く救われただけだからな 早良郡から上陸して赤坂に陣を構えて以降、
元が勝ったという記録がない。
赤坂の戦いでは抜け駆けしたわずか数百騎で撃退。
九州上陸以降、元が勝ったという痕跡がない。
橋頭堡を築く余裕が一秒たりともなかったと言うのが歴史の事実。 モンゴルはインドネシアにも負けたし、インド、ベトナムには負けた。
騎馬が活かせない土地では勝てなかったのも事実。 >1
が正解だろ!
当時の日本は名乗り合ってからの先頭だからな。
武士はいても実践的じゃなかった。 文永の役で物資や親族ごと筥崎・博多を奪われて水城まで撤退
籠城するところまで追い込まれてる
ここで元軍が撤退しなければ輸送路を確立され防御陣地構築されてかなり危うかったと思う 騎馬民族は海軍持って無いだろうし、圧倒的に海渡ってくる方が不利だよね。
勝てるとでも思ったのかな あともう2回日本攻めしたら確実に落とせたと思う
恩賞がないから御家人のモチベーション落ちたし
元の体力がそこまでなかったのかな >>575
神風は神風だけど、上陸出来ない様に粘った
のもあった。
最初から諦めて抵抗してなければ
神風吹いても、既に上陸済みなら
陸地で台風耐えるだけで海に沈んだり
してなかった。
人間の努力も重要。諦めない事も重要。
努力しなけりゃ神風吹いても無駄になってた。 >>514 いやいや推古期に任那に倭府が在ったのも
百済を支援するのに一度一度有事になってから兵糧も船に乗せて海超えて助けに行くのは負担が大き過ぎるから
日本の皇族の誰か知らんを百済王の臣下に叙する建前でヤマトの領土化して百姓に食糧を作らせて兵馬を養う為だったんだぞ >>546
1回目1年で降伏
2回目流れ矢で大将死亡ラッキーヒット
3回目3年で降伏
4回目皇帝死亡で退却(1年)
5回目3年で降伏
6回目6年で焦土化(三別抄撃破)
正味15年程度だよ
最後の焦土化除けば9年 >>541
樺太侵攻失敗してアイヌにコテンパンにやられたのに? 鎌倉日本を征服したところで奴らにとってメリットって何よ >>582
薩摩は勢力としては当時は弱いほうだぞ、最後の最後まで生き残った程度には世渡り上手だったが
というか、九州は防人の大地なので基本的には薩摩を平均に見て前後が一般的な質だと思ったほうがいい
戦国時代の時以前から凄い修羅の大地だからなあそこ…龍造寺とかキチガイすぎる >>601
航空兵力なんてない時代の遠征上陸戦で
兵が薄いところなんてわかるんだろうか? >>617
水上戦に慣れてる兵士が欲しかったらしい
もし征服されたらそのまま南宋攻撃の先鋒になってた >>540
倉山は暗いオタク
三橋は十勝花子
そういう印象しかないけど
来てたんだなw >>546
侵略した元にとって、侵略された高麗や南宋の軍隊の生き残りは捨て駒と言うより将来の反乱軍。だから日本と戦わせて、勝てば日本に反乱軍を追っ払えるし、負けても反乱軍がなくなるからどちらにしても都合が良い。
戦争に負けた国の軍隊は別の国の侵略に使われるのは中世以前の歴史では常識だよ。 >>601
弘安の役ではそれをやって上陸には成功してるが
そこからさっぱり進軍出来ず追い落とされて
その後も壱岐島まで追撃されてる
江南軍と合流し上陸した後も砦に篭る
最後は台風が来て十万人以上残してトンズラ 疫病神の朝鮮人が絡むと絶対に負けるからな
鎌倉武士も拍子抜けだったかもなw 上陸作戦は初日失敗したら撤退して良いレベル。
1日目ですでに負けてる。 侵略進言しまくった
馬鹿コリアンと違い
南宋は鎌倉嫌いじゃないだろw 冷静に考えて、兵量に対する補給線が全く機能していなかったってとこだろ。 >>620
そもそも当時の航海技術だとちゃんと確立された航路以外は行けん
大船団となればなおのことよ。どこでも好き勝手上陸できるわけではない >>588
室町末期の戦国時代は
鉄砲の数世界一
戦経験者数世界一
だったからね >>555
モンゴルはローマ帝国みたいに現地の兵を味方にして戦わせて領土を広げてたから交渉と報酬次第だろう >>409
宗教的な理由で動物性たんぱく質取らなかったら平均身長下がったって説あったな。
獣の肉食べてた頃は体格良い人もいたんだろうな。 >>25
赤坂の戦いで勝ったくらいで後は筥崎 博多までとられて水城まで逃げてる
強かったってのは元に撤退報告する上での理由作りのために話を盛ってるだけ 神風はモンゴルが負けた言い訳。
日本は対策をしっかりやったから勝てた。 >>621
よく調査しなくて戦争したのがよく分かるな・・・ 九州の武人は最強か? >>582
https://www.sankei.com/region/news/140930/rgn1409300030-n1.html
>熊本県境にある鹿児島県西北端の城下町、出水市は薩摩・島津藩の時代から武道や武勇を重んじる「尚武の地」として有名だ。
九州以外の出身者に怒られるかもしれないが、やはり、日本男児といえば、九州男児、九州男児といえば薩摩隼人、薩摩隼人といえば出水兵児(へこ)というほど「男の中の男」を自認する。
その薩摩藩最強の武士団が幼少時から骨の髄までたたき込まれたのが、「出水兵児修養掟(しゅうようおきて)」だ。兵児とは男性、特に青年男性を指す。
鹿児島出身の陸上自衛隊幹部は、戊辰戦争を共に戦った長州藩と違い「薩摩武士は明治維新後も政治に首を突っ込まないところが長所でもあり短所である。
だが、武士、軍人としてはその分強いと思っている」と胸を張る。 >>611
大量の船造りで元の山だいぶハゲたらしいね。
木材運搬も、あの時代に千kmとか超えたら
とんでもない重労働。
この前、たった4km歩いただけで足の裏めくれ
たのに。いや、もうトラックもない時代
ろくに舗装もされてない時代だと
もう本当に大変だよ 昔の日本なら神様は 守ってくれていたと思う。間違いなく神様のご援だ。
けど今の日本守ってくれる神様いてくれるかな? >>467
黄金の国って噂を信じたんじゃなかったか? >>632
それこそ世界最強だよね。
あの当時に侵略()をしていたら世界制覇もありえた。 元元元は大草原の軍隊だから、揚陸なんか知らないし、
強みを発揮できなくて当たり前だ。 >>637
一応上陸だけなら途中から航路を変更して可能、ではある。
一度それで一部が上陸してる。が、橋頭堡を築く事もできずに撤退してるはず
理由は完全な山の中で移動すらままならないからだったか 防人って待遇がめちゃくちゃ酷かったらしいな
奴隷以下やん >>258
明治の頃の飛脚や行商人の写真見ても現代の日本人より明らかに体力も体型も良いから鎌倉武士も戦闘に特化した身体になってたんだろうね この時代、征服後の略奪・陵辱で士気を上げていた
高麗征服後の略奪・陵辱がしょぼかったんだろ 武器や食料を現地で獲得できないと
長くは戦えない
補給を考えるとどうしても長期戦戦えるとは思えないんだよね 今では当時世界最強と言われてる鎌倉武士が準備して迎え撃ったからな
夜中に小船で戦艦に乗り込んで暴れまくるとか恐怖でしかないわ >>633
船で渡るのが北海道で大変なのに
報酬をどうやって用意するんだか・・・ 歴史秘話ヒストリア 「蒙古襲来の真実 鎌倉武士 最強の秘密」
放送日時 2018年09月19日(水)
午後10:25〜午後11:09
鎌倉時代の大事件「蒙古襲来」!今、絵巻物「蒙古襲来絵詞(ことば)」の研究や相次ぐモンゴル軍船の大発見から、鎌倉武士にまつわる意外な事実が明らかになってきた。
とくに疾走する馬の上から矢で的を射ぬくスゴ技「騎射」は、モンゴル軍を何度も後退させたという。さらに「蒙古襲来絵詞」の主人公・竹崎季長を救った、敵がもん絶する意外な「秘密兵器」とは!?「神風」の奇跡が誇張されてきた「蒙古襲来」に最新研究から迫る! >>655
あそこで死ななければ落とせてたんだろうがな…。 >>513
秀吉の朝鮮侵攻は、20万人。
しかし、徳川家康まで参戦させられてれば、30万人規模にはできた。
家康には、関東ではなく、朝鮮半島を開墾してもらえたら。
なんなら、征夷大将軍ではなく、征戒大将軍として、朝鮮幕府を開いてくれても良いよ。
ただ、秀吉は、華中の平原部までを押さえないと、いずれ明軍の反撃に遭ってダメだろう。
華中を押さえられれば、豊臣大名連合3000万石→数億石になるから、流石に、ここまで貰えれば、各武将達からは不満も出ないはず。 >>647
ええ加減なことを、明軍に海に追い落とされたじゃないか。 この頃には武士がしっかり組織化されて士気も高かったから
たとえ上陸できても中央アジアを征服したようにはいかなかっただろ
戦国時代が終わるまでの日本はまさに戦闘民族サイヤ人みたいな感じだったし 元軍は食糧は現地で強奪するにしても、補給線が長すぎて武器弾薬の補給ができんだろ
結局、物資が払底したら撤退 戦国時代や秀吉の時代も
内弁慶だもんな
朝鮮出兵ではさんざんな結果だったし
大陸には勝てんよ >>636
赤坂て追い落とした後、鳥飼潟、百道原・姪浜の戦いで勝ってるだろ、日本側は集結前だから水城に引き上げたぢけ モンゴル兵は家族を連れて遠征する風習があるが、元寇でもその記録が残っているな
将軍の妻の辞世の句も残ってたはず 日蓮「法華経を信じなければ、日本は外国に滅ぼされる(キリッ)」
弟子「滅んで無いですよね」
日蓮「次この話題に触れたら破門だからな」 >>649
いや上陸可能かどうかではなく
戦力が希薄な上陸地点が航空戦力のない時代に
把握できるかのかって話 >>546
高麗はかなり抵抗したが結局負けて属国になった
しかし>>362に書いたように高麗から差し出された高麗人貢女の産んだ子が
モンゴル最後の皇帝(正確にいうと最後から二番目)になるんだよな
日本も属国にされてたらこういう運命を辿っていたかも >>655
朝鮮出兵のことをいいたいの?
あれは朝鮮のアホ共が無理矢理追い返しただけだよ。
なんならそのままスペインに侵略されればよかったのに。 >>1
>震天雷」と呼ばれる火薬を用いた武器の前に日本側は劣勢を強いられ、大きな損害を被ったと紹介
これって対馬大虐殺じゃなくて?
殆ど武力を持たず数も少ない島民に対して蹂躙しただけだろ? 辺境の島国と高を括ってたら修羅の国だったって事だろ こういう理知的に敗戦を振り返る習慣が日本にはないよな >>620
>>631
それは調査不足だろうな
例えば松江の辺りとかいけたと思う
連戦連勝の元にしては斥候をきちんとやらなかったのは不思議な話だが >>667
当時武器、弾薬の補給なんて補給全体の大した量を占めんぞ
近代に入ってからや >>664
全員が?
一部を取り上げてそれが全てというのはどうかと思う。 むしろ元ぐらいしか日本上陸を狙ってこなかったのが不思議なんだよな
明も清も朝鮮まで取って満足してるし >>588
> 鎌倉や室町の日本人は結構強かった
いや弱い。
天皇のために働かないから弱い!
最強は皇軍さ。 >>662
秀吉本人がおらんと軍がまとまらんからいずれ終わる
本人が元気かつ半島まで行ってたらまだわからんけど >>646
噂っつーか、平泉がかつて黄金の都だった事は間違い無いだろ。
所詮は小説とは言え、大河の原作になった炎立つや時宗を読んでみると、なかなか面白いぞ。 >>680
責任者の責任問題になるからだろうな
責任者ってなに?ってなるが >>674
それ自体はまず無理だね。諜報活動っていう意味では、
全くしてなかったわけじゃないようだが
あんまり知られてないが元軍って実は全部が軍人じゃなくて、
かなりの数の非戦闘員が同乗してた。つまりそのまま移入する予定の集団だったよね
それも含めて上陸可能な場所が限られてたってのもあるんだけど >>662
落しても負債にしかならないから皆引き上げる そのころチョンは何してたの
モンゴル帝国に占領されてたの? また、当時の日本は宋と盟友関係にあり、
亡命した高僧等から、モンゴル軍の戦い方を聞いて熟知していた。
その時生まれたのが驀直進前という故事であり、
禅の思想が悪に打ち勝った歴史の瞬間であった。 >>664
留守部隊にコテンパンに負けとるやんけ、明軍 >>676
抵抗したのは軍人の三別抄だけで王様は即降伏に近いんだが?
その王様も元軍が戻って入った後三別抄に脅されてそっちに降伏してるが >>641
元寇前には博多まで普通に元の人が視察にきてるから知らなかったわけない
亡きチンギス・ハンの遺志を守るために行けるところまで行く もしくは中国に朝貢してた国までは攻めるつもりだったんじゃないかな? >>611
鎌倉幕府から出ない恩賞は敵から奪う。
元寇の50年後には倭寇として高麗史に記録されているだけで500回を超える襲撃を行って朝鮮全土を蹂躙してる。 >>1元ってモンゴルだからモンゴル史じゃねえのか? >>525
当時のヨーロッパは都市国家で攻城戦が主流だった
町は教会を中心に城塞で囲って人はその中だけで生活していた
城を落として征服しないと領地も、財産も奴隷も女も得られなかった
平野で戦って勝っても、得られるのはしたいと馬と武器程度じゃね? >>39
なんだかな
仕組みが分からなくても、人間も動物も子孫を増やしてるんだが
経験や、本能的な勘を考えない人なのかな >>2
>元寇の武力侵攻の事をチョンは謝罪しろよ
返り討ちにしてやったのだから、謝ってもらう必要は無い。
それともオマイはチョンに日本が負けた、とでも? 名乗りとか向こうにはイミフだったみたいだな
まぁぶっちゃけイミフよなw
「我こそはー」
「なんか言ってるが仕掛けるわ」
「ちょまてよ」 >>617
南宋を抑えたい元
最初は結構穏便だったらしい
朝廷は講和で話を進めようとしたら
幕府は徹底抗戦で対立
幕府に押し切られて戦争 >>682
戦略的諜報部隊とか当時の観念としてあったんだろうか? >>663
日本の総兵数は当時54万人な
明より多かった >>611
3回目の侵攻を兵力30万で準備していたが
日本軍の沿岸防塁や船団がさらに強化されているのを知って諦めた
元の指揮官は海戦が苦手だった >>686
たまに「最近中国が攻めてくる 攻めてくると言うが歴史的に攻めてきたためしがない」
って言う人もいる 日本全体だと外国との戦争の歴史というのはピンとこないと思うが
国境である福岡は外国との度重なる戦争や抗争が起きていて、神社もこれ
https://pbs.twimg.com/media/EGMmcu0UwAMqFHo.jpg >>632
戦国時代で鉄砲が全ヨーロッパの約2倍だったよね >>703
あれは敵に対する名乗りじゃなくて味方の記録に対する名乗りなので
きちんと名乗っておかないと恩賞もらえねーんだよ >>506
出遅れ降伏した国の王子が信頼回復の為に元に虚を吹聴する事数年の成果と書いてる考察本もあったで >>691
それは何か記録で残ってるやつ?
具体的に >>641
マルコくん黄金あるっていうし
むかつく南宋と貿易してるし
婿の高麗王が見せ場つくりたくてやる気まんまんだし
捕虜も処分したいし
日本とは国交ないし
というわけで考えなしでもないよ
攻めるメリットあんまないて言われてたけどね >>15
> 日本が強かったからだよ。
> 話はそこからだボケ
鎌倉時代は弱かった。
ただもっと弱かったのがチョンコ、というだけのこと。 >元軍は20万もの兵を率いて再び日本に攻め入った
20万もの兵を船に乗せようと思ったら、タイタニック号何隻よ >>686
それだけ海を越えるのは厳しいってことだよ
朝貢国レベルの国を海を越えて侵略する意味はあまりない
友好的に貿易した方が旨味は大きい >>684
そうも言っていられまい
弓一つ刀一つ形が違えば慣れるまでに時間もかかる
てっぽうも無いし
防具も違う
馬も死ぬ、馬も日本の馬とはサイズが違うし調教の仕方も違う
食料は我慢すれば手にはいるかもだが手には入らない物もたくさんある >>702
女の手の平に穴あけて鎖で数珠繋ぎにしてたらしいがな >>25
二回目の時は防塁を築いて備えたけど、防塁を背にして浜辺に布陣した猛者とかも居たからね…
大陸の平原で鎌倉武士団とモンゴル騎兵が同数ぶつかったらどっちが勝ったんだろう… >>616
狩猟民族のアイヌと戦っても得るものが少ないだろ
アイヌとは融和して日本を攻めるべきだった >>712
ほほう!なるほどなぁ
後で口だけじゃアレだしな
ありがたき 古来から朝鮮人が関わるとろくなことは無いけど、日本は助かった >>714
明側の部隊というか編成一覧みたいなのが明側の資料にあって、
それに記されてたはず。戦力としての兵力数にはこの場合言われてるようなのにはカウントされないけどね >>707
というか、前二回は失敗して全滅だからな。
誰だって嫌だろう。 経済力、軍事力に余裕のあるほうが攻める側になる。
この時代はまだ大陸側から日本に攻め込める経済軍事パワーがあった。
秀吉の時代にはすでにこれが逆転していたという事だな。 兵はチョンばかりで弱すぎ
上陸しても武士が強すぎて直ぐに船に戻される
で台風が来てボロボロ
でもそれだと、話としてつまらないから
敵はすごく強かったと脚色 元寇が成功してたらいまごろここは中国で日本省とかだったか むしろ、元軍が太平洋側に出張ってきて、台風で軍団がバラバラなり、偏西風で漂流していったら、ある意味面白かったかも。
10万人規模の軍団の大半は、漂流中に死ぬだろうが、そのうちの一部はアメリカ大陸にまで漂着して、農機具を持った開拓民がアメリカに住み着いていたかも。 >>717
実際作ったんやで
お陰で朝鮮半島は今でも森林資源が少ない >>670
前線の博多に妻子置いて後方の水城に集結っておかしいでしょ
>大将の少弐景資を始め、大矢野種保兄弟、竹崎季長、白石通泰らが散々に防戦に努めたが、
元軍は日本軍を破りに破り、佐原、筥崎、宇佐まで乱入したため、
妻子や老人らが幾万人も元軍の捕虜となったという。
日本軍は水城に篭って防戦しようと逃げ支度を始め、逃亡するものが続出する中、
敗走する日本軍を追う左副都元帥・劉復亨と思われる人物を見止めた少弐景資が弓の名手である馬廻に命を下して劉復亨を射倒すなどして奮戦したものの、
結局、日本軍は博多・筥崎を放棄して水城へと敗走したとしている。
10月21日の朝になると、元軍は博多湾から撤退し姿を消していたという。 敵の領地を切り取った訳でもない防衛戦
功労者の武士に与える恩賞をケチるため
「神風」のおかげで勝てた。祈念した坊さんたち偉いって話にしたんだろう
昔から上級国民が成果を横取りする国だったんだよ >>657
馬の上から、敵に健気(けなげ)に自分の名を名乗ってから
突っ込んでいく男らしさは、まあ世界最強だろうな
あちらさんの騎士(ナイト)も男らしいけどな >>429
周辺オス国の妾売女である朝鮮はどう考えても女、兄とかそういうのはない
そもそもシベリアの身無し子であるし >>26
> 朝鮮人が属する方が絶対に負ける
> 絶対にだ
それで大日本帝国は負けたのか―― >>686
明も清も後期の元も基本重農主義。
自前の領土で農業やってれば、国民を養う事ができた。
外に向かうのは重商主義。
市場を分捕らなくてはならないから。 >>731
いや民間移民ではなく
諜報部隊の記録のほう >>717
高麗がひいひい言いながら作ったや
なおそれで森林がなくなったとか >>664
正確じゃ無い。
李舜臣が船舶テロで無防備な補給船をズタボロ
にして弾薬が尽きて、前進困難になった。
だけど朝鮮軍がやる気無かったのと、食糧は
何とかあったから悲惨だけど守って現状維持は
出来て膠着状態。その内秀吉が死んだので
明と日本が同意して撤退した。
WW2と同じ補給不足
ちなみに日本兵は約16万にして
死者2-5万で大半が餓死か疫病死
戦死者は少ない。
厳密には戦闘で負けたんじゃない。
補給不足で負けた。
ここら辺の情報が正確に伝承されずに
WW2に突入したから経験が活かされずに
酷い目にあったんだよ 高麗の船は頑丈で船同士がぶつかっても壊れなかったが
江南の船は船同士がぶつかると壊れてしまった
という報告がされているそうだな
あと嵐対策で船を離していた部隊は無事に帰還できたという資料もあるとのこと >>722
現地確保は当時の基本、弾薬の確保で困るようになるのは
ずっと後の時代、当時補給で困るのは馬の糧秣など
馬については日本も血統は蒙古馬なんだが?
輸出もしてたし問題になるとら思えんな >>708
中国が欲しいのは本土じゃなくて沖縄、今も昔も、海の玄関口だからね つか歴史的にも一番バーサーカー多い時代に攻め込んで勝てるわけないってな 高麗って王族は若い頃は元の都に住んで嫁さんはモンゴル人だし
高麗の高位高官はモンゴル人が必ずいるし
高麗の時代でもなかなかのハードモード >>723
船にも打ち付けて干乾しにして食べたとも モンゴル民族はそこにある資源を求めて移動していくわけで
食料ふくめた資源をうみだしているわけじゃない
面的に広がる動機はあるが、いつまでもそこにいる理由はないよね >>432
それ今でも教えてるんかねぇ
今はもう学説的には否定されてる内容だが… >>734
大名の力を削ぐために無理やり攻めたという説もあるんやで
結果行かなかった家康が特をしてしまったが >>1
侍が予想外に強かった
あと、法則だよ
朝鮮人が原因だろw >>725
モンゴルの弓は射程が短いから負けないかも?
塹壕掘らないと蹂躙されちゃうだろうけど >>726
アイヌって対人用の武器がないんだよね、狩猟オンリーだったはず
人間もただの獲物って位置づけだったのかも・・・ 第二次世界大戦時
日本の船舶は60万トン、内30万トンが民需用、15万トンずつを海軍、陸軍で
運用して、陸軍の揚陸できる師団数は10個師団だったとか。
その様子では国力半端なんだよ。 >>752
陸の王者、海を知らず。
まぁ、わかる訳無いな >>582
当時の主力は地元の豊前に肥前と肥後の武士
豊後の武士団は様子見
薩摩は国人の禰寝氏が強いくらいで大軍は動かせなかった >>723
>女の手の平に穴あけて鎖で数珠繋ぎにしてたらしいがな
それ対馬のチョン♀じゃん 元寇を退けたのは我々の先祖が侵攻を遅らせたからとか訳の分からない事を韓国人が言ってたな
でも日本征伐をフビライに進言したのは朝鮮人なのだが >>26
そのイメージの強い朝鮮でも歴史上対外戦争に勝ったこと一回や二回はあったんじゃないの?
小競り合いは抜きにしてガチの全面戦争で…
歴史あまり強くないから思いつかないけど >>741
それ何の出典?八幡愚童訓なら当てにならんぞ >>717
20万の兵のほとんどは戦う機会が無かったんだよな
上陸すらできなかったから船にすし詰めのまま暴風雨で沈んだ 日本は自然災害が多い
今じゃ常識だろ 神仏を持ち出す前に気象や災害を学べよシナ畜生 >>762
戦争がなくなったら武士の活躍の場も、恩賞を与える戦働きもなくなるから
そのために出征したという説もあるな 陸上戦が得意な元も海上戦は苦手だっただけ、地中海でのペルシャみたいなもんだ ナポレオンもヒトラーも海を渡れなかったし
イギリスもアメリカ抜きじゃノルマンディー本土上陸できる力は無かった
それだけ海を航海するのは難しい >>722
つ現地生産
拠点の確保ってのはそういう人材の確保も含まれる >>749
諜報部隊というか、諜報活動って意味では誰それからの報告とかを
元に軍議録とか勅命とかが出てるからねー
程度の程はあれ、諜報、情報収集って概念はあるはずよ
その確度の程や正確な内容までは見た覚えがないが >>705
モンゴルって必ず斥候も兼ねて降伏勧告の使者送って来なかったか?
まあ、日本は斬っちゃったのだけどさ
それが良かったのかな >>725
そりゃ草原じゃ間違いなくモンゴル軍だよ。 >>390
ばかだろお前
降服した対馬から何もかも聞いて攻めてんだよ 朝鮮出兵ってその先の支那がスペインに進行されそうだからとめにいったのに、よくわからんアホがファビョったって話でしょ。 >>774
十万以上上陸してるぞ、台風で船団が壊滅して
首脳陣が逃げ出した後も残って戦い
その結果全滅してるんだよなあ 一度目は準備してないから そら押されるだろ
2度目がお互いの本当の実力だよ >>742
ケチるんじゃなくて「無い」んだよ
それまでは負け側の領地を分け与えてたからな
元寇時は防衛戦だから与えるものが無い
強いて言うなら捕虜を奴隷にするくらい 平安時代に、もっと軍事優先で
外征して領土を広げ、皇族や貴族ももっと武闘派だったらなあ
幸い、この時は武士中心の軍事政権だったから良かったけど
平安時代により、国力が増大していたら報復戦争も出来たんじゃ? 南宋人は戦う気がない朝鮮人も弱すぎ
あいつらは民間人を虐殺&拉致しただけ
あれ?今やってることと変わってないような・・・ >>760
モンゴル帝国はすぐに霧散したな
ローマ帝国で暴れたフンと同じ、ただの蛮族 つかモンゴルって上陸戦成功したことあるのか?そもそも
東南アジアかどっかも追い返したんじゃなかったか? 元は中国ではない
朝鮮人が領土ほしくて
私たちが征服しますと言った。
朝鮮人のことだから負けた >>780
いや戦術的諜報部隊ではなく
戦略的諜報部隊の話 我不知道的元軍敗因
ξu` 八´) `皿´>σじゃ Pは高麗軍に謝罪と賠償しる二ダ
★中国とロシア イラン支持陣営を形成
米国側52カ所 イラン側35カ所 互いに攻撃予告
https://blog.goo.ne.jp/axxxxxa0000/e/368b1ec204e2fa2be4a7db1f59fc2029 >>785
退路がなくなったから只管数で押し込んで上陸したんだよね
そりゃ水際で七面鳥撃ちにされるわ >>748
むしろ中国なんて昔から億の人口を囲えるチート穀倉地帯だもんな
故に内では奪い合いが起き、外からは日本軍含め蛮族に侵攻され、飢饉には戦乱になる 何を思って日本に攻め込んだんだろ
当時の日本なんて支配したところで特に旨味ないっしょ >>790
分裂して各地をしばらく支配してたしゲルマン人の大移動的な影響あったんじゃ? >>772
一応、統一新羅時代ってのが有ってだな… >>789
いうて高麗は元相手に粘りをみせてたぞ
韓国よりタフな国よ >>751
いや、李舜臣の12隻で大した損害など出せんよ。
むしろ民兵まで動員し陸戦で抵抗を続けた権慄の方が功績は大きい。 いや詳しいだろ、侵略提言したのは馬鹿コリアンだし、南宋の高僧は鎌倉に来て注意促してたろw >>790
いやいやモンゴル帝国は陸の交易路
ガンガン整備して世界経済を発展させている 元は中国じゃねーだろ
何でも自分のところにすんなや >>778
あの辺りは、バイキングに度々上陸されては荒らされまくったが。 >>467
マルコポーロの東方見聞録には黄金の国ジパングとかいう記述がある
マルコポーロは実際に日本に来たことはなく、中国で聞いた噂話でそのような記述をした
その噂話に乗せられたのかもな >>791
モンゴル帝国はいわゆる陸軍国家で海戦経験はない。なので海戦に長けた高句麗兵に任務を与えた。 >>636
それを言ったら元史では博多戦はそっくりなかったことにされてるんだが >>686
百済が唐に滅ぼされた際は、唐は陸路ではなく海から百済に侵攻し攻め落とした
ついでに日本にも攻めて行きそうなもんだけど、何もなかったね 太平洋戦争ではなんで神風が吹かなかったのか
七不思議の一つだよな >>791
ジャワのマジャパヒト王国初代王がシンガサリ王国潰すために引き入れて全てが終わったらそのままお帰り頂いたという流れ
利用されるだけ利用されて何も得られなかったというある意味日本やヴェトナム以下の状況 >>808
元が乗ってたのは小型のポニーみたいな馬だったとか >>791
ベトナムはモンゴルに勝ってる、あそこ草原じゃないだろ。 橋頭堡作ろうにも日本の夜襲にビビって船で寝てたんだよ >>778
ナポレオンもヒトラーも雪に負けたんじゃね
海渡るとかローマでも海渡って征服してたやん 負けた後、南宋出身者は許してもらえたのに、蒙古人と一緒に皆殺しに
された高麗人が気の毒ではありませんか 日本ではモンゴルとの歴史と言えば、日本に侵略してきた元寇の事しか話題にならないけど。
実はモンゴルでは、ノモンハン事件(実際は日本軍VSソ連・モンゴル軍の戦争)を日本軍による侵略として捉えている。
モンゴル人は中ロと言う乱暴者大国2つに挟まれた国家と言う側面から、親日的と勘違いしてる日本人が多いが、彼らは彼らで日本を実はそういう目で見ていると言う事を日本人は知っておいた方が良い >>429
北の刈り上げは実兄の正男をやっちまっただろw
この嘘吐きグック >>98
いやむしろ朝鮮船の方が沈まなかったらしいぞ
これはマジ >>60
あの絵って教科書に掲載されてる部分はトリミングされてるのね。
武士が苦戦してる状況を説明するのに引用されてる。
全体を見たり作成経緯を調べたけど、
「オレ、こんなに頑張ったんだぜ」
と言う説明図だと言う事が分かって、教科書との違いにびっくりした。 >>810
バイキングは海戦強いから楽勝だったろうなw あの国に船を造らせたから!
・・・・・
・・だと思う!? 昔から朝鮮を仲間にした方が負けるから
1.元
2.日本
3.アメリカ >>798
そんでもモンゴルの襲来で中国全土の人口は5,000万人から900万人程度まで激減したという研究結果を見たことあるぞ。 >>431
それをもっとやってたら
その後のヨーロッパ1強はなかったのになあ
明の馬鹿 >>804
権慄はホント凄いよね。あの状態で、
部下が使い物にならないのによくやる気になったもんだw そもそも本気で日本を占領しようと思ったら南宋攻略で活躍したバヤンを総司令に任命しているし
戦術面では確かに犠牲者の数は多いが
失った大多数が南宋、漢族、朝鮮兵で占められているから
戦略面ではこういう結果も想定内で
損害も限定的 >>791
そもそも完全敵地へ根回しもなにもなしで上陸戦しかけるのが無謀 >>814
高句麗を優先した
その後新羅も潰そうと思った頃に武イの禍発生して新羅が朝鮮半島統一という流れ
そして新羅は唐が怖かったのでこの時期日本に朝貢して臣従していた >>773
捕虜とられたのも嘘ってこと?
ならそれを証明する他の文献あるよね? >>725
モゴカス雑魚やからなぁ・・・普通に圧勝ちゃうか? 1回目の時は超ウケただろうな
さんざんにやられて、明日も上陸されて皆殺しかも??と思ってたら
翌朝敵船が全部沈んで消えてたんだから抱腹絶倒だったろう >>831
それでなくても皆さんおなじみの三国志の時代とか、
全盛期の1/5程度まで人口が激減してたという話もあってだな
あの地方は度々そういうことが起きる >>798
特に長江流域は。
世界で似たような場所は、アマゾン川流域位かな。
あの辺りも、人類の南米到達があと数千年早ければ、今頃開発されていた可能性あるね。 >>800
ゲルマンの移動時期と全然違うだろ
そもそもモンゴルは間接支配しかしていない。行政は現地任せ。また派遣されたモンゴル貴族は極少数。数世代で同化した。 >>13
元につくか、独立を守るか揉めて、
元につく奴がクーデター起こしたんだろ >>582
1回目の襲来の時に、救援の要請受けて島津軍が博多に到着したのが3日後
前日に大雨がああり川越えに時間がかかり到着したら元寇は退却後だったらしい >>841
平原での騎兵戦は馬の性能で決まる
モンゴル軍圧勝だろう >>545
元寇と近い時代、エジプトのバフリーマムルーク政権って、中央アジアから連れてこられたバイバルスが首領やってた時期あったよ。
元寇より前なら、遼の王侯貴族がペルシャまで流れ至って領主になってたりした。ケルマーン・ヒターイーと言われてる。
その前、10世紀とか11世紀とかの頃、ロシアと中央アジア系キプチャクとやりあっていた。戦争もすれば個別に同盟したり、婚姻関係があったりした。
アレクサンドル・ボロディンの楽曲で有名な歌劇「イーゴリ公」のモデルのキエフ公イーゴリ・スヴャトスラヴィチも生母と最初の妻がキプチャクの首領の娘。
キプチャクの一派、クマンはマジャール人と同盟して、今でいうとルーマニア・スロバキア、ハンガリーあたりに入り込んで定着。
更にその前、日本が倭の五王、支那が魏晋南北朝の時期には、突厥が日本海から黒海に至る支配域を持っていた。突厥の碑文は今でいうとボスニアから出てくる。
中世の回教徒の宿願は、お金を貯めてメッカ詣でをすること。実際に、支那、中央アジア、東南アジアからもメッカへやってくるけれど、
路銀が尽きたり、その土地の人に気に入られてに居ついたりして、帰らなかった人も多い。
モンゴルの侵攻が一段落した時期には、モンゴルの反主流派の遊牧民がポーランド等に部族単位で多数亡命。騎兵での参戦義務と引き換えに族長たちを貴族待遇で迎え入れてる。
モンゴルから再独立したロシアも貴族は半分くらいの家系がモンゴル人・トルコ人起源に入れ替わっていた。
ロシア貴族を介して、ヨーロッパ中の王侯貴族にモンゴル人の血が入る。イギリスののウィンザー王朝もジンギスカンの子孫だよ。
ちなみに、ヨーロッパでジンギスカン直系の王様の治める国は、18世紀前半まであった。 弘安の役の際には元寇防塁にビビって上陸できず、
日本の水軍にボコボコにタコ殴りされた。 >>796
空いてるところに上陸したよ
ただすぐに御家人側も駆けつけるから
引きこもりになった >>807
朝貢国であり属国扱いは事実だが攻められたことないかと
古代日本だって、朝貢国だったし(たかりまくってたけど いやいくら台風の時期だったとしても
2回とも暴風雨にやられて転覆するなんてありえないから
神風だったとしか言いようがないよ 本職の本郷和人
「鎌倉幕府といわれるモノは簡単に言うと御家人の御家人による御家人のための政体」
「頼朝以外は将軍は基本的に御輿です」
「鎌倉武士団の恐ろしいところは『殺られたら殺り返す』『親分に楯突いたら親でも子でも殺る』この二つだけが掟で成り立っている」
「承久の乱では当時の親分を殺ろうとした瞬間、朝廷ですら、天皇ですら敵にしてしまう、というところ」
「朝廷を完全に敵に回して朝廷をぶっ潰す暴力を持つのが鎌倉幕府」
「簡単に言うと北斗神拳と南斗聖拳と元斗皇拳と北斗琉拳の無いHOKUTOのの世界。カリフのいないイスラム国、それが鎌倉時代。それを統べたのが北条一族です」 >>818
モンゴルは一人に二頭の小型馬を連れていた、
片方疲れると乗り換えていた、食料不足の時は
一頭は食べても良かった、
そして逃げながら後方に騎射するのも得意だった。
当時最強の騎馬軍団。 >>821
ブリテンは国や敵がほとんどない状態
ポエニ戦争は陸続きみたいなもんだろ、あれ >>855
台風の時期どころか4ヶ月も博多の沖にいたら
そら台風のに遭う、船も腐り始めてた
上陸阻止された時点で勝ち目無いのよ >>855
船はチョンが作ったからね
少しはべんきょうしろ 一回目の元寇は南宋攻略のため
二回目は南宋兵の働き口と口減らし 鎌倉〜戦国末期までの日本の個々の兵の質は間違いなく世界TOPクラス
戦術は強い、戦略はダメだが
明治は逆、昭和は両方駄目 >>857
そしてに文永、弘安の役の主力は
南宋と高麗軍 イギリスとフランスと対戦の歴史見てると
海峡程度の海の距離なら割かしあんまり支障がないな >>862
相撲取るわけじゃねーからなw
それにモンゴル人なんて人口少ないからこの頃はどこに行っても生粋のモンゴル人なんて少ししかいねーぞw >>816
あの状況を覆すには、台風の1つや2つじゃ足りないな
超巨大大地震や巨大隕石衝突、スペイン風邪以上の伝染病が蔓延、
イエローストーン国立公園周辺の火山が破局噴火レベルなら、いけるかもしれんけど、
日本人含む地球人類全体がやばいことになる 九州武士団が強かったからじゃボケ。日本国民は九州人に感謝するべき。朝鮮征伐も九州人が主体だし、南京攻略戦も九州人主体。 >>854
面倒臭い奴だなw
中国が欲しいのは今も昔も沖縄という海の玄関口であって、かつては自分たちの領土だったとすら認識してるだろうし
今後攻めてくる可能性は十分あるよって話だろ、尖閣までもう来てるわけだし だいたい台風で撤退とか、、嘘だとわかれよ
台風ならなおさら「陸に逃げる」だろうが
郷土史と一般的な歴史が全然違う
日本の兵が見栄をきって戦おうとする間に取り囲まれて惨殺されまくり
祖原の丘で勝鬨を上げた元軍は、海岸沿いの街に火を放っていったんただよ
疫病で元兵が死にまくった二度目はともかく、
最初は日本は負けてる。 高麗軍は日本を守るためわざと手を抜いた
手加減することで日本を守ったというのが元寇の真実
日本では神風なんてオカルト信じてる馬鹿ばっかりだが韓国では常識
にもかかわらずアジアを侵略する恩知らずな弟 台風を過小評価しすぎだろ
現代の船でも台風直撃すれば沈むわ
船の強度とかの問題じゃない。
高句麗水軍の敗因は気象レーダーがなかったこと。 >>862
日露のときもメチャクチャでかいロシア兵に素手で飛び掛ったりしてたんだろ? >>10
日本が強すぎて雑魚モンゴルじゃどうやっても無理 そりゃ1か月も洋上に留まってりゃいつか台風くるわ。モンゴル人は知らんかったとしても高麗軍は知らんはずないのに >>876
大宰府制圧できなかった時点で負けなんだわ >>863
調査によると沈没率は高麗のが低い
韓国人が俺たちが手を抜いたから助かったていってたけどね
嘘だったw >>869
朝鮮戦争でもやってるね
穴開けて数珠繋ぎ >>876
このまえチョンの酋長がタラップ下りる時も
神風吹いてたやん 中国官民の日本研究の姿勢は敵ながらアッパレである。
お前らは中国を小馬鹿にしてるだけだが、「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」
中国は好きになれないが、かなり手強い相手だと言わざるをえない。 松林に逃げた日本兵だけが生き残れた
今も地名に名残りがある、生きの松原。 >>72
どうでもいいけど、北条時宗のイメージが和泉元彌なのはなんでやろ?(´・ω・) >>843
三國時代に漢民族の90%は死亡した
今の漢民族は似非漢民族だろ 神風と言ったのは、大きな神社による報奨金欲しさの宣伝なのでは? 九州のどっかに上陸して、
拠点を作ればいいって、
それが鷹島だった訳だよ。
身動きできずに船が暴風雨にやられて、
その後は日本刀の餌食になった。 >>871
あそこは距離も短いし波もゆるいからボロい船でも十分渡海できちゃう
海軍が充実するまでは軍事的障害にはならんな
海軍が充実すると精強なイギリス海軍倒さないと上陸できないから海はかなりの障害になった
典型はナポレオンとヒトラー あまり日本人で元寇に詳しい人いないだろうな
結局征服されず跳ね返して終わったからな
このスレには詳しい猛者だらけだけどw
戦地になった福岡には元寇史料館なんかもあって、福岡に用がある人は
ちょっと寄ってみても面白いよ
モンゴル兵の鎧なんかも展示されてる
http://bunkazai.city.fukuoka.lg.jp/sp/cultural_properties/detail/78
こういうのみて、あっ本当にモンゴルが攻めてきたんだと思う人も多いだろね >>886
元は漢民族の国ではなくモンゴル民族の国だがな >>883
でも南宋人とは違って皆殺しにされたんだよねw >>804
李将軍の戦果は740隻。一番被害受けたのは島津で400隻以上失ってる 元の戦い方は機動力を活かして敵の弱点を叩く
もし敵の方が強かったら機動力で逃げる
追いかけてきたにしめたもので逃げながら戦って敵の兵力を削いでいく
渡洋攻撃ではこの戦い方が使えない >>1
現在も続く台風と暴風雨
『 龍の守る国 』 日本 日本に来た雑兵は
奴隷朝鮮人だから弱いにきまってる >>871
イギリスとフランスは30キロ
日本とチャイナは50キロ 高麗も文永、弘安の役二回も、大型船を大量造船し、糧秣と兵士を徴発し
国力的に大変だったみたいだ。 >>876
最強騎馬と言いつつ陸地に陣地構えられずわざわざ船に帰って寝泊まりしてる時点で負けだろ >>892
第二次大戦の場合は
ダンケルクでなんとか残兵回収できたからよかったけど
あれ成功してなかったらジリ貧で上陸されてただろうし
ギリギリだとは思う 上陸戦がそれだけ難しいなら、
秀吉の時代よくあれだけ奥地まで兵が入り込んでたよな >>886
これ
中国って旧日本軍も評価してたり軍事面では良い点も悪い点も日本を参考にしてるから手強い >>884
朝鮮戦争でも!?それは初耳
ソースあるの? >>30
チョンメチャクチャびびっとったんやろうなwww
半泣きで小便漏らしてた光景が目に浮かぶわw >>906
元が6年かけて徹底的に焦土化したのもでかいぞ
あまりにも即降伏→反乱の流れがウザすぎて徹底的にぶっ潰したみたいだから >>10
北九州から攻めたのが間違い
人口が多い地域だし、昔は防人もあり他国からの防備意識が高い地域
東北や北陸など攻めいやすい地域を一部占領し
そこからジワジワと攻めたらどうだったのか?
元寇前後にアイヌに負けてるので、これも成功しなかったかもしれんが >>906
戦果出さないとと必死よ忠烈王は
なんせ先代、先々代と領土は荒廃どころやないからな
元に抵抗しすぎて >>909
秀吉の兵站能力が異常に高いんじゃないの >>909
1回目のみならず2回目も簡単に上陸されてるんだよね
海岸防衛がどんだけザルなんだよ 結局、数万の軍勢が、数百騎に負けちゃうんだから、
勝てる要素がまるで無い訳だ。 >>904
海峡程度の話ね
あと当時は現フランスから渡航はしないよ >>519
ノルマンディー上陸とかも凄い被害だよな >>882
これは同意
祖原の丘か、鴻ノ巣山(当時は山じゃなく丘程度かもしれん)から
遠く望む太宰府に畏怖したのかもな 元寇よりも日本の武士が強かったと言うだけの話
最初は鉄砲などで驚いたが元寇の弓の射程と日本の長弓の射程が違うので蹂躙できた
実際文永の役では元寇の将軍クラスの首を馬上から撃ち抜いて撤退させてる 元寇は守る側で勝った戦いだからめちゃくちゃ熱くなれる
朝鮮出兵もオールスター感あっていいけど 秀吉と戦った明はともかく
元とか清は漢民族は単に支配されてただけだろ
さも自分たちが日本と戦ったような言い方すんな >>908
バトルブリテンでヒトラーが建物主体の爆撃に方針転換したのも痛いね >>862
その両名、どちらかというと政治方面に長けているんだと思う
大相撲界の中で部屋を超えたナイラ同盟を作って
モンゴリアンハッタリと自分の犬に餌をやれよろしく、うまいこと君臨 >>892
泳いで渡れるしね
それに対岸のカレーとはセット
カレーがイギリス側だった頃は大陸側への輸送になんの問題も生じないわな
逆にフランス側からイギリスに渡るのは一苦労
ノルマンコクエストみたいにブリテン側に味方がいればいいんだろうけど
カレーがフランスの勢力圏になってたからはイギリスも手出しが困難になってはいるわな ふつーに考えて海の上で泊まろうとする心理がわからん
海が得意なら別だが騎馬民族だろ
初日に陸地に陣地取れてない時点で戦術的に負け
と小学生の時に言ったら先生に嫌な顔された
今思うと扱いにくいガキだなって思う そもそも元寇は本当にあったのか?って話しだよな
20万人とか盛りすぎだろwwwwwwwwww
せいぜい2千人規模とからしい そもそも、心優しい
遊牧民族を
戦争へと駆り立てたのは
周辺の農耕民族
農耕民族の搾取が
遊牧民族を立ち上がらせた >>909
航海技術が進歩したからな
地中海でも中世の海戦はグダグダなのが多い、秀吉の時代は大航海時代だからね >>1
神風台風も効いたが、それ以上に元軍襲来の九州・山口武士団や
応援派遣の鎌倉武士団が損害を出しながらもi非常に奮戦したせい。
元々日本侵攻の意志が薄かった元軍フビライに日本侵攻を具申しそそのかした
高麗王も居たが、そこの兵隊がまた腰抜け揃い、元軍のかなりの部隊が
配下の高麗兵だったが、真っ先に崩壊したり命令無視で撤収しようとしたので
全軍総崩れとなった。元が高麗に発注した木造軍船も造りが悪く、少しの波で
穴が開いたリ浸水沈没に繋がった。北京を造りし元軍は二度の日本侵攻作戦を
高麗のおかげで敗退。3度目を企画するが国が持たなかった。ベトナムにも
元は3回侵攻したが、川辺の闘いで敗北。ついでに侵攻した東南アジアでも
敗北した。
兵隊と船は良いものを揃えましょう。 >>702
返り討ちにしたらおkなんて論理はないわけだがどういう理屈だw >>930
じゃあ漢民族って日中戦争や白村江含めて日本に勝った方が多いなw
ジャップ自爆ワロタw >>886
150年前から20年ぐらい前の中国は
日本を下に見る意識が高いようの思えた
田中角栄の日中和平後もそんな意識があったみたいで
ようやく自分がいかに日本を差を広げられてると悟り
そこから躍進が始まったと思う
今の日本はというと。。。 >>909
秀吉は、上陸し終わって、陸戦に完全に移行してるじゃん。 >>93
これフビライに言ってるけどもしかして日本の味方だったんじゃね 高句麗人、つまり現韓国人がモンゴルに入れ知恵して日本進行の資金を調達した >>590
アメリカもイラクを攻めるときに夜通し花火揚げてたよね >>539
そりゃ降伏して国を明け渡せなんて言ってくる使者をおめおめと帰すのも情けないしな >>875
めんどくさいも何も間違った認識してるので…
台湾だって、自分の領土と思ってないし、薩摩による琉球侵攻も黙殺してる
過去の中国は歴史的に中国大陸の外に対してほとんど野心をいだいていなかったという話
もちろん、今は別だけど >>945
南京でズタボロにされてるよ
チョンモメン発狂ww モンゴルは
外交交渉で和平を求めてきた
何故なら、遊牧民族は
心優しい性格だからね >>956
南宋の坊さんがブレーンになってるからな 想像以上に日本の武士が強かった。
すなわち中国(元)が愚かだった。 >>954
いい場所がなかったんだろ
地の利は重要
弱いのは上陸されてる日本 てかなんであんな機能的じゃない鎧なのかね
装飾は特にいらんやろ 朝鮮って中国に支配されたり
モンゴルに支配されたり
日本に支配されたり
忙しいね 日本の弓のほうが強いと言う結果も出てるし、
それを集団騎兵で操った事もわかっている。
それも、待ち構えるのではなく、
先駆けでやっちゃえ〜で、やられてる訳で、
拠点を築く余裕など一切無かったという歴史の事実がある。 >>945
白村江の戦いは
百済が日本に助けを求めて
日本も加羅に権益を持っていたので
唐新羅連合軍と戦いに行ったのだが
百済人は戦いを放棄して逃亡。
これって朝鮮戦争と同じ。
米軍に戦わせて朝鮮兵は逃亡。
ちなみにこの戦いの後の新羅、
唐に侵略されてどうしようもなかったんだとか。
結局唐にズタズタにされ高麗に滅ぼされたんでは?
朝鮮には関わらにこと。 >>941
山口の武士団って誰々だよwww
さらっと混ぜんなwww >>926
ハンニバル戦記なんか見ると一目瞭然だけど、敵方の技術って、捕虜を獲得すると、すぐに相手方も模倣するんだよね。
日本の優れた長弓があったなら、元軍はそれを次に生かす工夫とかはしてるのかな。 >>594
突厥、キプチャク、ノガイ、大ブルガルとモンゴルよか前に中央アジア系の政権になんども攻め込まれたり支配されたりしてますがな。
ジンギスカン裔の王朝なら黒海沿岸のギレイ王朝が18世紀の露土戦争まで生き残ってたぞ。 わざわざこういう分析するその裏には
上陸戦ワンチャンあるって思ってるってのがあるんだろw >>957
南京大虐殺は民間人相手だろ
弱いものにしか相手にできないジャップだせえw お前らがそうやって相手を見くびった結果、日中戦争が泥沼化して敗戦に繋がったんだけどな モンゴル軍も本隊は東欧やイラン高原を侵攻していた部隊で
日本に向かわせたのは高麗兵や旧宋軍混じりだから弱かったのもある >>949
朝鮮人を尖兵にして皆殺し、もしくは忠誠心を確かめる
それだけのためだよ >>973
ボロカスに負けたシナ人を弱いというのはやめようよ ×元寇
◎朝鮮襲来
元の名を使った朝鮮が日本に攻めてきたんだからこうしないと >>963
どっちの鎧?
昔の軍隊は目立つのも大事だから派手になる傾向はあるよ >>937
壁も見張り台もない、四方を敵に囲まれた場所で寝るなんて自殺行為
襲撃に気がついた時には死んでるわ >>965
>日本の弓のほうが強いと言う結果も出てる
どこで?
ていうか強さなんて一概に言えないだろw
連射性能や命中率とか比べんと >>981
日本
派手にする理由って目印みたいなもんかね? >>973
>>983
お前元寇で失敗したチョンみたいだなw やっぱ朝鮮人がいたからだろ、キムチ船に積んで重すぎ、で、まあ、韓国馬鹿だし、
ノーベル賞取れないし、儒教は馬鹿の国。 >>962
そうだね
だだっ広い平原で逃げ回るいつもの戦法が取れないんじゃ怖くて寝てられないよね >>967
自分から関わってるくせに関わらないこととか言い訳ださすぎるぞ
しかも誤字ってるしw >>967
朝鮮人とはかかわらない方がいいね
日本国籍を持っている朝鮮人ともね >>983
和弓もモンゴルの短弓も当時と同じの残ってるよ >>871
500キロか600キロか離れてるデンマークから攻め込まれてイングランドの国丸ごと取られてた時期あったよ? >>978
ああ、日中戦争は確かに日本のボロ負けで終わったな
何十万も死んで満州も台湾も喪失〜
失地王ヒロヒト哀れ〜笑 鏃および矢柄の重量は発射される矢の飛行速度に大きく関係するが、
両軍の使用する矢の重量はほとんど差はなかった。
矢の速射性に関しても、引く矢の長さが同じため、
運動量も同じであり、差はなかったものとみられる。
以上の点から射程距離、威力に関しては和弓が若干
優位であったと森俊男は結論付けている 鎌倉武士は刀と槍と弓を装備した騎兵のような全部乗せユニット
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