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1月8日、イランの出身地で埋葬されるスレイマニ司令官(写真:ロイター/アフロ)

まず筆者は、アメリカの暴挙も、非民主的な宗教的独裁国家も、両方反対であることは最初にはっきり書いておきたい。

その上で、スレイマニ司令官殺害の騒ぎを見ていて、ずっと思っていたことを書きたいと思う。

「スレイマニ氏殺害は、そんなに変わった事件だろうか」。

筆者には、歴史上、実によくあることに見える。

この問いを考えることは、なぜスレイマニ司令官は殺されたのかの答えと同じになる。

一言で言うのなら、アメリカとイランの共通の敵、アルカーイダやイスラム国の脅威が薄れてきた今、こうなったのは当然ではないのかと思うのだ。

まずは、大変おおざっぱにこの地域の最近の歴史を見ながら、説明していきたい。

伝統的な関係とは

アメリカは、サウジアラビア等と仲が良い。友好国である。理由は主に石油である。

そして、サウジアラビア等は、イランと大変仲が悪い。理由はイスラム教の宗派である。サウジアラビア等はスンニ派、イランはシーア派だからだ。かつて欧州で、カトリックとプロテスタントが血で血を洗うほどいがみあったのと似ている。

それなら、アメリカはイランと仲が良いのか。昔は仲が良かった。かつてイランのパフラビー(パーレビ)国王は、米英の強い支援を受けて統治できていたからだ。

しかし1979年、イラン・イスラム革命が起きた。これは、イスラム教で国をまとめ、アメリカの支配を排除することが目的の革命である。この革命を機にがらっと変わった。このときから、アメリカとイランは犬猿の仲、敵同士となっていた。

つまり単純化した公式で言うと、アメリカ+サウジアラビア等(スンニ派) VS イラン(シーア派)となっていた。

これを変えたのが、イスラム過激派の台頭である。

過激派と親米国がつながっているという疑惑

重要なのは、過激派の人達はほとんどがスンニ派であるということだ。

もともとスンニ派とは多数派という意味だと説明されることがある。過激派は多数派の中から生まれたという、単純な事実を見たほうがいいだろう

最初は、アルカーイダだ。


敵の敵は味方

アメリカにとっては、頼りのはずの中東の親米国家が、信用できなくなってきた(公式には相変わらず「友好国」なのであるが)。

ここでアメリカが頼りにしたのが、シーア派のイランだった。頼りというよりは、利用したというほうが正確だろう。

スンニ派仲間でグルになっているという印象を与える人達よりも、彼らの敵、シーア派のほうが頼りになると思えたのだろうか。

一方でイランにとっては、スンニ派の過激派もサウジアラビア等も、どちらも敵のようなものだ。イランにとっても、アメリカは接近する価値がある国となっていた。

イランにとってアメリカは「敵の敵=味方」となった。これはアメリカにとっても同様だろう。

ただし――ここが大変ややこしいのだが――アメリカは親イラン国になったわけではない。親サウジアラビア等の公式ポジションを止めたわけではない。イランも、反米国家の看板はそのままである。公式(?)には、相変わらず敵同士ということになっている。

それでもお互いの利益になるし、共通の敵をもっているのだから、共に協力できるところはしよう。ただし間接的な形で――ということである。

ここで活躍したのが、スレイマニ司令官である。

全文はソース元で
1/9(木) 13:11
https://news.yahoo.co.jp/byline/saorii/20200109-00158050/