【英】ハリー王子、王室離脱「女王・英連邦に仕え続ける望みは不可能になった」…不満を表明 ★6
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【ロンドン支局】英国のヘンリー王子は19日、今春をめどに夫妻が公務を引退することが決まったことに関し、「他に選択肢がなかった」と述べた。ロンドン市内の演説で語った。英BBC放送(電子版)が伝えた。
ヘンリー王子は、引退の意向を表明した“王室離脱”問題で、「女王や英連邦、軍に仕え続けることを望んだ」と説明。そうした自身の希望について「残念ながら不可能だった」と述べ、今回の王室の決定に不満を示した。
一方、「英国を愛していることは変わらない」などとも述べた。
2020.1.20 09:26 産経新聞
https://www.sankei.com/world/news/200120/wor2001200007-n1.html
https://www.sankei.com/images/news/200120/wor2001200007-p1.jpg
関連スレ
【英】王室の一員として半公半民希望も…ヘンリー王子夫妻の「称号返上」に英社会衝撃 「エリザベス女王が鉄拳を振り下ろした」 ★3
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1579489790/
★1が立った時間 2020/01/20(月) 11:10:25.20
前スレ
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1579520024/ >>87
おばあさん死んじゃうんじゃない?
バカ息子のチャールズでは重しにならんわ。 今頃カナダに居る嫁に『もっと上手く交渉しろバカ』って怒られてそう >>84
まああと5年以内かもな
まさか2年で公務放棄希望するなんて思わなかった >>101
先に女王が死ぬか嫁が死ぬかで賭けてる奴いそう >>40
そんなに厳しいのか
元王子ってだけで通用するもんかと思ってたわ >>105
嫁が殺されるケースが現実的かwww
ダイアナの例があるからな。世界は凄いわwww 王冠を賭けた結婚で有名な大叔父のウィンザー公は、王室に忠誠誓いながらも、結局は妻の存在を認められたのは三十年後だからな
王室を捨てたメーガンは一生認められることは無いし、その子供達が王位継承権を持つことも無いだろうよ サセックス公爵でなくHRHを取り上げられること、メーガンも深く考えずにいたと思うね
一切の特別待遇をどこの国も認めないってことだって後になって気付いた感じ もう王族でなくなったんだからカナダも公費でこいつら警護する必要もなくなった
ほんとの意味で私人、一般人になったんだから本望だろうよ
名誉職でしか働いたことない糞ボンボンにどんな死語とがあるか知らないがせいぜい頑張れとしかw ノブレスオブリージュに反するやっぱり王室から破門。クソ嫁を捨ててから土下座しろ。 クサンティッペ、M子妃とともに、
世界三大悪妻として歴史に名を残すであろう。 >>118
女王の素早い決断で王室の面子が保たれた。さすがエリザベス女王陛下。 >>121
本来は首相が助言する立場なんだけど、彼はそれどころじゃないw 王室から追放されて、ただの不動産収入だけのボンボンになっちゃったw
金はあるだろうから、嫁さんとカナダで暮らせよ。
と、エゲレス国民は思ってるはずw 王位継承権はそのままだよ。順位は変わらない。
ヘンリー王子の子供にもあるのが英王室 >>1
いいから日本人に向けて謝罪しろ
オランダといいカスしかおらんなぁ
【 ハクジンと特定アジアンは同種の民族 】
【 セカンドレイプ&ユスリタカリのカリスマ!オランダ王室!! 】
終戦後の1948年、バタビア臨時軍法会議でBC級戦犯として11人が有罪とされ、
裁判では、慰安婦にされた35人のうち25名が強制と認定(一方的リンチ裁判なので真実はもっと少ない)
罪名は、強制連行、強制売春(婦女子強制売淫)、強姦とされた。
当時合法の公娼制や売春に対して、強制やレイプ(Raped)や人権侵害(人道)や
ホロコースト(ナチスの国家関与600万人大虐殺)という言葉を冠して仕立て直し、
現代(後世)の道徳で遡り糾弾、新に、現代(後世)社会道徳の共感を得ようと謀っているからである。
それは伝統的に売春制度があるオランダのような国でも、大きな効果を果たし、
歴史無知の人々の洗脳に、絶大な効果を発揮したからである。
しかしこれは、遡及(事後)法と同類、無法無条約の、弱肉強食時代への逆行で、
人類の英知(法秩序で、復讐の連鎖切断)の、破壊である!
人道を冠し遡及(事後)法のごとく延々としつこく続くオランダの難癖 >>129
英国の場合、1000番台まで王位継承権が公表されてたりする・・・ >>130
1951年のサンフランシスコ講和条約と1956年の日蘭議定書で、日本は、
「オランダ国民に与えた苦痛に対する同情と遺憾の意を表明するため」、1000万ドルを
「見舞金」として「自発的」に提供。こうして、日蘭間の戦後処理は、平和条約と、
さらに日蘭議定書において、オランダ政府はいかなる請求をも日本国政府に対して提起しないことが確認された。
ところが、1990年(平成2年)、条約締結担当者すでに亡き34年後のオランダは、
対日道義的債務基金(JES)を結成し、日本政府に対し、その法的道義的責任を認めて
一人当たり約2万ドルの補償を支払うよう求める運動(条約破り)を始めた。
JESは慰安婦問題も取りあげ、償いに直接に責任をとるべきは日本政府である、という立場をとった。
さらに催促、1991年(平成3年)に来日したオランダベアトリクス女王は、
1951年のサンフランシスコ講和条約と1956年の日蘭議定書で国家間における賠償問題が解決されているにもかかわらず、
宮中晩餐会において、「日本のオランダ人捕虜問題は、お国ではあまり知られていない歴史の一章です」と発言し、暗に賠償を要求した。 >>133
さらに、1992年「Cry of the Raped :A Story to be Told1992(レイプされた女の叫び1993年5月邦訳)」
出版(上記証言者ジャン・ラフ・オハーンが著者)。ジャン・ラフ・オハーンは、
白馬事件(スマラン事件)当事者なのだが隠蔽、オランダ人強制慰安婦被害者と自称し、出版、証言開始。
さらに、1992年12月、上記証言者ジャン・ラフ・オハーンが来日し、
東京での日本の戦争犯罪に関する国際公聴会で、証言している。
さらに、1993年オランダ政府の、「日本占領下オランダ領東インドにおける
オランダ人女性に対する、強制売春に関するオランダ政府所蔵文書調査報告」
※アジア女性基金(監督不行き届きのお詫びと支援)は、二年後の1995年から。
※リンチ裁判では、慰安婦にされた35人のうち25名が強制だったと断定したが、白馬事件の裁判全記録は、2025年まで非公開。
1994年オーストラリアで、ジャン・ラフ・オハーンの手記「50Years of Silence(50年の沈黙)」
出版(邦訳1999年木犀社・オランダ人『慰安婦』ジャンの物語)。断罪済み事件を再度蒸し返し扇動。 >>33
メーガンだってたかがTV女優だししかも脱ぎ要員みたいなもんだったし
最初はこれ関連で需用ありそうだけどそのうち消えそう >>134
1995年に、日本は応えてアジア女性基金(条約破りに加担)により、
総額2億5500万円の医療福祉支援を、79名の個人に対して実施し、
すべての償い事業(監督不行き届きのお詫び)が終了したため、2007年3月31日をもって解散。
ところが、2007年2月15日被害者自称のオランダ人女性米国下院証言は「白馬事件」を隠蔽し、
1年半(真実は2ヶ月未満)も被害者であったかのような印象操作、上記のように隠蔽捏造。
なんともまあー、あつかましい証言をしている(書籍や他所の証言では3ヶ月)。
またまた「日本叩き」の今度は、59年前に解決済みの事件に、「人権侵害と正義」を冠し、
「忘れられたホロコースト(大虐殺)」と証言し「蒸し返し」、「戦争を扇動」した!
人類の英知(条約や法での復讐の切断)を破壊しての遡及難癖。
何が「世界平和と和解への貢献」だ!矛盾に満ちた証言は、常軌を逸している。 ハリーは単なるニックネーム。
ヘンリーが正式名称。 >>136
さらに、2007年11月20日「溺れる犬は棒でたたき殺せ!」とばかりに
「米国下院121号決議(米韓捏造条約破り)」に追随!オランダ下院決議採択。
さらに、さらにである。2008年(平成20年)に来日したマキシム・フェルハーヘンオランダ外相は、
「法的には解決済みだが、被害者感情は強く、60年以上たった今も戦争の傷は生々しい。
オランダ議会・政府は、日本当局に追加的な意思表示を求める」と述べた(毎日新聞 2008年10月25日 東京朝刊)。
何ともあつかましく惨めな、オランダのエンドレス要求である!
子孫は、こんな没落民族には決してなるな!人としての尊厳も価値も無い!まさに唯物(パンを食うのみの物欲)である。
傀儡マイケル・ホンダを使い、捏造してまでも「日本叩きの」凶産中国韓国の狙いは、
ネット普及であばかれ溢れた「同胞大虐殺(真実)」の、矛先そらし!
決議国家(米加蘭豪EU比韓)は、ネットであばかれた真実、「自衛戦争日本」、払拭目的で便乗したのである! (真実史観 >>126
フィリップはもう98歳と高齢のため公務からは完全に引退してるので
サンドリンガムの家族会議にも出席せず
しかしたいそうご立腹だったそうな
年末入院してたらしいのに祖父ちゃん泣かせな孫だよまったく 要するに、
真子様が、
小室圭と結婚するために、皇室を離脱したら、
風呂無し4畳半の
「むつみ壮」に住むことになって、
不満ということか、、、
そして、
子どもが生まれたら、、、
「なんで私が、スーパーのパートでレジ打ちなのよぉ。
本当だったら、本当だったら、
私は、
世界の王室との懸け橋よ。。
なんで、
「私は、こんな道を選んだのか」
>>40
大卒だと思ってた
にいちゃんは卒業してるよな >>138
官報号外、昭和28年2月27日に載った第15回国会の社会党の藤原道子議員の質問の議事録ではこのように書かれてある。
「米軍の暴行事件は、昨年十二月まで独立後、
八ケ月間におきまして千八百七十八件を数え、なお泣き寝入りになって
おりまする件数は膨大な数であろうと想像されております」
いまだ数々の戦争犯罪に対して、一度も謝罪したことのない米国に、
なぜ毅然とした態度で挑まぬのか。
米国は、日本を非難する前に、ワシントン国立公文書館や米軍公文書館で調査してみよ。
慰安婦非難決議の第4頂にこうある。
「現在と未来の世代にわたり、このようなおぞましい犯罪があったことを教育せよ」
この言葉、そっくりそのまま米国にお返しする。
占領初期のGHQ1945年9月『月例報告』では、
『日本人は米兵に協力的であり、占領は秩序正しく、流血なしで行われた』
などと記載されています。
また、GHQ外交局長W・J・シーボルトは
『(米軍)戦闘部隊兵士の行動は、特に感銘すべきものであった』
『米兵達は、ジャップの女なんかには、手を出す気もしない』
と記しています。しかし、これら米国側の記録は真実ではありません。
>現代イギリス蛮族「強姦被害国日本が捏造詐欺娼婦に謝罪し幾度にも渡り金を渡す事を歓迎する!w」
>現代アメリカ蛮族「慰安婦は甚大な人権侵害!レイプセンター!性奴隷を要求し計画的日本人女性強姦も実行したアメリカは仲介役しゅる!w」
>現代ロシア蛮族「偽証と偽娼婦と米英豪蘭シナコリアの影に隠れて強姦魔の俺らはコソコソしとこう!w」
>現代シナコリア蛮族「強制連行性奴隷!大量の強姦被害に遭った日本はこんなに酷い!金くれw」
>日本人「ヨーロッパ蛮族とシナコリアンはサイコパスのレイプマン」 チャールズも仕送りやめたらいいのに
それが本当の経済的自立 >>40
ビザを取りに行く元王子…
王族ってその気になれば外国でビザ無しに暮らせるの?
タイの放蕩王はドイツで暮らしてたよね >>1
◆ルーズベルトの嘘と偽善
1940年の大統領選挙の終盤になって、民主党首脳は、
平和支持者の票が強力であることを恐れて、
ルーズベルトに平和への強いアピールを行うことでこれに対処するよう進言した。
これがルーズベルトに歴代大統領の中で他に類を見ない、
最もショッキングで、卑劣かつ真実に反する 国民向けの発言を行わせるもととなった。
それは、大統領選挙投票の一週間前の1940年10月30日、
ボストンにおいて行われた。
「私は、母であり、あるいは父であるあなた方に話すにあたって、
いま一つの保証を与える。私は以前にもこれを述べたことがあるが、
今後何度でも繰り返して言うつもりである。“あなた方の子供たちは、
海外のいかなる戦争に送り込まれることもない”」
とルーズベルトは発言した。
さらに、ウェンデル・ウィルキーを破り、三期目の大統領に選出される数日前
の11月3日、ルーズベルトは次のように付け加えた。
「われわれの外交政策の第一の目的は、米国を戦争に参加させないことである」
米国津々浦々の市町村の選挙民は、合衆国大統領によってなされたこれらの
公然たる和平の約束と保証を信じ、これに拍手喝采を送った。 何がしたかったんだ?
言ってる意味がよくわからない。
離脱ならそうなるだろう。 >>149
選挙前に、米国の父親と母親に対し、彼らの子供たちは、海外のいかなる戦争に送られることもない、
という約束をしたその二ヵ月後に、
ルーズベルトは、無二の親友であるハリー・ホプキンスをロンドンに送り、
この約束とは違うことをチャーチルに伝えた。
「われわれが共同してこの戦争を勝ち抜くことを大統領は決意している。
これを間違わないでいただきたい。大統領はいかなる犠牲をはらっても、
あらゆる手段を用いてイギリスを勝利達成まで援助する、
ということをあなたに伝えるために、私をここに派遣した。大統領は人事のすべてをつくす」
・・・略・・・
事実、駆逐艦50隻のイギリスへの貸与、アイスランドへの軍隊駐留および、
ルーズベルト自身による臨戦体制の指令発出の時点から以後の
彼の外交政策のすべては、議会の承認を得ずして遂行された。
ルーズベルトが1941年1月6日に議会において行った
米国国民向けの演説内容と、実際の彼の政策との間に一貫性を見出すことはむずかしい。 >>147
カナダは、英連邦で、エリザベス女王の国。
王室は別格。
でも、王室を追放されたヘンリーは、ただの英国人。なので、ビザがいる >>151
◆秘密裡のハルノート
1941年11月26日、ルーズベルト大統領は、日本に対し最後通牒を送り、
日本軍のインドシナおよび中国(満州)からの全面撤退を要求した。
この最後通牒により、日本を開戦に追い込んだ責任が
ルーズベルトにあるというのは、歴史的事実である。
対日懐柔策に徹底していたイギリス政府は、ヒットラーのロシア侵攻後、
またたく間にその政策を変更したが、
これは、チャーチルがルーズベルトから、
極東における英国の権益を擁護するとの約束をとりつけたことによる。
かくして、チャーチル、スターリン、オーエン・ラティモア、
スティムソン、およびロックリン・カリーは、いわば“裏口”から
米国を第二次大戦に参戦させることを促す役割を果たした。
日本に対し秘密裡に最後通牒を送ることに関与した人物の行動は、
情け容赦なく調査され、暴露のもとにさらされるべきである。
キンメル提督およびショート将軍は、職務怠慢または、
誤った判断を行ったというようないかなる責にも問われるべきではなかった。
ハルゼー提督がいみじくも述べたように、彼らは、上層部のために
「スケープ・ゴートとなった殉教者」であり、この上層部こそが、
パールハーバーの悲劇における3000名の米水兵およびその他の米軍人の死の責任を負っている。 >>153
何年か後になって、キンメル提督は、歯に衣を着せることなく、次のように述べている。
「ルーズベルトなどの指導者たちは、パールハーバーにおける米軍を故意に裏切った」(『ニューズ・ウイーク』1966年12月12日号)
「ルーズベルトがすべての計画の責任者であった。彼はおそらく“マーシャル以外の者は
日本艦隊の動きに関しパールハーバーへ一言も連絡してはならない”旨指令したと考えられる。
その後マーシャルに対しては、いかなる連絡もしないよう命令した」(『ニューヨーク・タイムズ』1966年12月7日号)
※↑そもそも全てのアメリカンは侵略者であり被害者ではない。
アメリカ軍がハワイに居座っている事自体が非人道的犯罪である。アメリカンが攻撃されない理由は無い。 でも、
別に、
はっきり言って、
英国が滅んだほうが、
世界は喜ぶ。 というか兄貴のウィリアムが突然変異的に良い奴に育っただけで
英国王室基本みんなクズだぞ しかし警備費どうすんのだ?
父ちゃんの仕送り3億あっても警備費用に消えそうじゃね? 日本も陛下がこれくらいはビシッとやって下さっていいのに。
特にkk >>42
そうだな
公務さぼりまくって不満タラタラ言っても天皇皇后になれるからな >>157
年間10億掛かるとかいう話もあるし
カナダは移住は概ね歓迎するけど警備費負担はお断りってスタンスだから
どうするんだろうね >>157
王室を追放されたからなあ。爵位はあっても、タダの貴族。 ようは平民。 警備はいらんだろ だいたい、
英国とは、
中東のいざこざの戦争の素を作ったのに、、
英国王室は、
楽しそう。
そろそろ、英国も死なんといかん。
警備費なんかガードマン雇って年2千万でも多すぎなのに
薄汚えクロンボ女と世間知らずのバカ王子なんか丸裸で暴漢から襲われでもすりゃあいいのに
軍隊にいたんだろ一応 >>152
ジョオーの国はどこも悲惨だなぁ
【カナダの先住民虐殺と強姦】
過去30年間で殺害された先住民女性の数を1049人、行方不明者を172人。
だが「悲劇の規模はさらに大きい」と指摘。
ある女性人権団体は、実際の人数は4000人にも達するという見方を示している。
後頭部を撃たれて死亡した女性や、両手を後ろ手に縛られた状態で死亡していた女性が、
いずれも自殺として処理されていた例を挙げている。(c)AFP
>>1
戦前〜戦後の日本人被害者も同じだしな
殺害強姦加害者はまだ存命してる奴もいるというのに犠牲者を悼みもせず
必死に連合各国政府や軍、ゴミメディア、非人権団体が保護してる状態だ >>147
結局、VIP扱い、特別待遇しだいじゃないのかなー
金とか王室間のつながり、別の同盟国の庇護下とか。
詳細が公表されていないけど、他国で遊び暮らしてた将軍様の親戚一家とかいたよなw
バックは、米国だった。 女王陛下からロイヤルの商標に不快感とかが発表されて、パパからのお小遣いも罷り成らぬとかなったらハリー君詰んじゃう? >>164
しかし誘拐とかはありえるからな
テロとかもあるわけで。
王室じゃないとはいえ孫だからしらんふりできんし。 「アジア隷従人民が日本に対して抱いていた高い尊敬のため」
アジアの諸国民が日本は自由でなければならないということに
関心をもっているのは何故でありましょうか。
それは日本とわれわれの長年の関係のためであり、
そしてまた、アジアの諸国民の中で
日本だけが強力で自由であり日本を保護者にして
盟友として見上げていた時に、アジア隷従人民が
日本に対して抱いていた高い尊敬のためであります。
私は、アジアに対する共栄のスローガンが隷従人民に魅力のあったこと、
そしてビルマ、インド及びインドネシアの指導者のあるものが
かくすることにより彼等の愛する国々が解放されるかも知れないという
希望によって日本人と同調したという前大戦中に起こった出来事を思い出すことができるのであります。
「共栄のスローガン」とは、
日本が大戦中に唱えた「大東亜共栄圏」のことであり、
実際に欧米諸国の植民地支配からの独立を目指す国々の代表が
東京に集まって、「大東亜会議」が開催されている。
さらにビルマ、インド、インドネシアでは、
日本が支援して設立された独立軍が、
これらの国々の独立戦争に大きな役割を果たした。 エリザベス女王は兵糧攻めにしてお金の有り難みを教えるんだろう
メーガンがとんでもない浪費家だしハリーも嫌気さすんでは
今になってくどくど弁解恨み節はもうあほうとしか思えん >>156
ダイアナの事も彼女にも落ち度があったってかなり冷静に見てるよな
それがヘンリーの逆鱗に触れたみたいだが 西洋の植民地支配400年
スリランカとは「光り輝く島」という意味で、
その美しい豊かな自然から「インド洋の真珠」とも呼ばれてきた。
北海道の8割ほどの国土に、現在では2千万人の人々が住んでいる。
紀元前5世紀に北インドから移住したシンハラ人が王国を作り、
紀元前3世紀に仏教が伝わると、それ以降、現在まで仏教国として信仰を守ってきた。
しかし、スリランカはインド洋交易の重要拠点であり、
そのため、早くから西洋諸国の侵略にさらされた。
1505年にポルトガル人がやってきて、約150年間、沿岸部を支配した。
1658年からは今度はオランダが替わって約140年間、植民地支配を続けた。
さらに1796年にはイギリスが全島を支配下においた。
イギリスは、スリランカ全島を紅茶の生産基地とし、
米まで輸入しなければならない状態にしてしまった。
独立を求めて大規模な反乱が三度起きたが、いずれも武力鎮圧された。
イギリスは南インドから移住してきた少数派のタミル人を優遇し、
彼等を教育して役人とし、多数派のシンハラ人を治めさせた。
この巧妙な分割統治が、現在も続く民族闘争の原因となった。
同時にキリスト教徒を優遇し、仏教を抑圧した。
シンハラ人のほとんどは仏教徒で、教育を受けることも難しかった。
イギリスの植民地支配のもとで衰退した仏教を再興しようと
19世紀末に立ち上がったのが、スリランカ建国の父と呼ばれるアナガーリカ・ダルマパーラであった。
日本は大国ロシアに対して戦いを挑み、これを打ち破った。
日本の勝利にスリランカの人々は熱狂した。
ダルマパーラも「こんな素晴らしいことはない。
皆さんは気づいていないかも知れないが、皆さん日本人によってアジアはまさに死の淵から生還したのだ」と語っている。 「次に生まれるときには日本に生まれたい」
大正3(1913)年、ダルマパーラは最後の訪日を行い、帰路満洲と朝鮮も訪れた。
日本はこれらの地に惜しみない資本投下を行って、急速に近代化を進めていた。
ダルマパーラは「日本が2、3年の内にこの地で完成させたことを、
イギリスがインドで行ったならば優に50年を要していただろう」と、
植民地を搾取の対象としかみないイギリスとの違いを指摘した。
ダルマパーラの活動によって、仏教に根ざしたシンハラ人の民族主義運動が高まっていった。
イギリスの植民地当局はこれを警戒し、おりから発生した暴動の
首謀者としてインドで5年間もダルマパーラを拘束した。
弟も捕らえられ、半年後に獄死した。
それでもダルマパーラは運動をやめず、昭和8(1933)年、
69歳でスリランカ独立の日を見ることなく、生涯を終えた。
「次に生まれるときには日本に生まれたい」とよく話していたという。
1921(大正10)年3月、日本の巡洋艦『香取』がスリランカを訪れた。
「外国の統治の下では、人々の信仰や言葉、
慣習などはほとんど消え去りそうになっていました。
このことから、私達だけではなく、西欧の帝国主義の下で
同じような運命によって苦しんでいる全てのアジアの国民達は日本を称賛し、
尊敬していたのです。
先の80年の間、日本はアジアにおいて
独立国として立ち上がっていたのです。
西欧の列強が、その軍事力と貿易力によって世界を支配していた時に、
あなた達は彼等と競い、匹敵し、時には打ち負かしていました。」 >>148
簡単に説明すると
黒人嫁と一緒にワガママ言ったら
王室を追放された 都合のいい時だけ王子様しまーすとかそりゃ通らんだろ
どこの世間知らずのお坊ちゃまだよ全く >>157
これからなんで貧しい設定なんだよ
むしろ大金持ちになるから最後は自腹だろ エリザベス女王は寝耳に水な感じだったというけど本当は報告を受けてたんでしょ
でも知らんぷりしてた
無視し続けられるのに耐え切れず業を煮やしてハリー王子が発表してしまった
そこでエリザベス女王が「急に発表するなんて!」と驚いた振り 王室の名前を借りて自由に商売をすることは、王室のモラルに反するということ。
王室は資本主義の道具ではなく、国民の慈善に奉仕しなければならない。
女王の選択は正しいと思うよ。
いつもこの婆さんは賢いと思う。 >>180
死ぬ前に謝罪の言葉をはっきり述べるべきだよな
ヒトとして^^
>>181
「私達は日本に、このことを感謝しなければなりません」
日本の終戦日は「Victory over Japan Day(対日勝利の日)」と呼ばれ、
大きな都市では記念式典が開かれた。
デヴェンドラ氏が住んでいたラトゥナプラでも式典が開かれ、
イギリス側代表の後で、氏の父親がスリランカ側を代表して演説を行った。
「この日は、私達が日本に対する勝利を祝うものです。
しかし、私達は日本によって得られたものがあります。
それは愛国心という心でした。
それは、日本によって全てのアジアの国々にもたらされたのでした。
戦争によってアジアの国々、インドネシアやインド、スリランカ、
ビルマなどは自らに対する自信と民族主義の意識を得たのです。
私達は日本に、このことを感謝しなければなりません。」
「対日勝利の日」に、英国側の前で、
日本に感謝する演説を行うとは、まことに大胆な言動である。
それだけ強い気持ちが籠もっていたのだろう。
1948年2月4日、スリランカは独立を果たした。
日本が設立を支援したインド国民軍の指導者たちを
イギリスが「反逆者として軍事裁判にかけようとした事に対して、
インド全土に暴動、ストライキが広まり、それがきっかけとなってインドは独立を勝ち得た。
それとともに、イギリスはスリランカからも撤退したのである。 アメリカ人と結婚したエリザベス女王の伯父さんみたいなもんだな
恨み節がすごかったようだけども [真実はプロパガンダに対抗する最良のワクチンである]
日本軍残虐説にタイからの異議申し立て。タイ人が建てた親日的な戦争博物館
首長カレン族の娘が日本軍を歓迎し
村人と日本兵との交流をテーマにした戦争記念館
入り口にはこんなメッセージが掲げられている。
「第二次世界大戦には多くの残忍な思い出があるでしょう。
でも、私たちタイ人は違います。
この戦争はタイ人と日本軍兵士との間に愛と絆を同時にもたらしたのです。
私たちは、決して忘れることはないでしょう・・・」
メッセージからもわかるように、ここは中国などでよくみられる日本軍の残虐さに焦点を当てた反日的な戦争博物館ではない。
日本兵と地元の人々との交流をテーマにした親日的な戦争博物館なのである。
この博物館を開設したのは、タイ政府でも地元の役所でもなく一人の民間人であることだ。
館長であるチューチャイ・チョムタワット氏がかつて警察署長としてこの村に赴任してきた当時、
村人が日本兵の遺留品を大切にしていたことに感銘し、後世に伝えようとそれらを集め始めたのがきっかけだという。
背景には住民と日本兵との温かい交流が
ここクンユアムは、戦時中、ビルマ作戦の後方支援基地となった場所である。 太平洋戦争勃発後の翌年42年頃から日本兵が駐屯し、タイ人労働者らとともに道路建設にあたっていた。
前線であるビルマとの輸送網整備を目的としたもので
いわゆる泰緬鉄道計画の一環でもあった。
泰緬鉄道を題材にした映画『戦場にかける橋』で描かれている残虐な日本兵とは違い、
ここにいた日本兵は現地の村人との間にとても友好的な関係を築いていた。
チューチャイ・チョムタワットさんは、記念館設立のいきさつを記した著書のなかでこういっている。
「日本兵は村の人に何でも出来ることをいろいろと手伝った。
たとえば米の脱穀精米作業とか、農作業のときの赤ちゃんの子守などやってくれた。
クンユアムの人たちは、日本の兵隊さんのことをいやだとは思わなかった」
またタイの元運輸大臣だったジャルーン・チャオプラユーンさんは、
「私はクンユアムに進駐してきた最初の日本兵から、帰還する最後の一兵までを知っている。
クンユアムの日本兵は村人と共に働き、お互い協力して生活していた。
カンチャナブリの博物館で宣伝される日本軍とは違う。優しかった日本兵を私は忘れない」と振り返る。
インパール作戦後、多くの日本兵が命からがら逃げてきたときも、住民は温かく迎え入れてくれた。
インパールからの敗走路は、行き倒れた日本兵の遺体が散乱し、白骨街道と呼ばれた。
ようやくたどり着いたクンユアムにも無数の遺体がよこたわっていたという。 >>148
ヘンリー君とその嫁が不義理を働いてその上に良いとこ取りをしようとしたらエリザベス女王が冷静に王室からヘンリー君を破門した。 クンユアムの人たちは、そんな傷ついた日本兵を介抱し、食べ物を与えた。
日本兵の方も、クンユアムの人たちならきっと自分たちを助けてくれると考えていたようだ。
親日国タイから世界へ発信される等身大の日本兵の姿
それにしても敗残兵といえば、極限状態にあり、気が立っていて何をしでかすかわからないと恐れられるのが普通である。
それなのに恐れられるどころか温かく迎え入れてもらった上、手厚い介護までしてもらったことは、
施しを善とする仏教国であることをさしひいても、
当時の日本兵がいかに現地の人たちから信頼されていたかをしめすものであろう。
ここにあるのは、「残虐非道な日本兵」という戦勝国の色眼鏡を通して
ねつ造されたステレオタイプの日本兵ではない。
日常生活を通して現地の人々が見ていた等身大の日本兵の姿である。
よく日本兵は残虐だったというが、
それは日本兵が戦場でいかに強かったかということの裏返しでしかない。
戦争というのは、殺人である。戦争に強いというのは、それだけ多くの敵を殺せるということである。
そんな強い日本兵が時として残虐なものとして敵の目に映ったのは当然であり、ある意味仕方のないことであろう。
しかし、戦場では鬼神のごとく恐れられた日本兵もいったん日常生活に戻れば、
連合軍のどの国の兵士よりも優しく、規律正しかったのである。
この記念館の存在はそのことを何よりも雄弁に物語ってくれている。
この記念館を通してより多くの人が、戦勝国史観というこの世界をいまも覆う
巨大な欺瞞のシステムに気づくきっかけになってくれたらと願うものである。 >>187
まだ200レスも行ってないのに一人で50レス近いレスをする
依存症だぞ >>173
でもなあ。英国は王位継承権が1000番台まで公表されてて、
王位継承権ある奴が、パブで飲んだくれて倒れてたりする国だからなあ。 メーガンはヘンリーが母親を神格化してるのに漬け込んで
彼女と自分をダブらせるのに成功したんだろうな
このままじゃ私は貴方のお母様の二の舞になってしまう!となかんとか言っちゃってさ 年間100億は稼げると皮算用してるみたいだけど、
最初の2、3年はともかく年取ったらそんなには無理だと思う
商標登録の商品もこの夫婦じゃさして売れないよ
あとは父親の遺産その他も期待しているだろうけど、
プライベートジェットだなんだと贅沢してるし年間20億ぐらいは使いそう
メーガンは骨の髄までしゃぶりつくすだろうな 典型的な銭ゲバ女に引掛kったお坊ちゃまって感じだなw
数年後には醜聞が発覚して慰謝料ゴッソリとられて離婚しそう。
そのネタはもうとっくに仕込んであるんだろうなぁ・・・ >>191
成る程、ドイツの真似をしたいのかw
上書き好きのクズが好むやり方だなぁ
>>1
『南京安全区国際委員会ジョン・ラーベ代表』(正統史観
安全区国際委員長だったラーベは虐殺を1件も目撃しませんでした。
ラーべの日記や手紙の中では
ラーべ本人が殺人現場を見た記述は一つもありません。
ラーベは、1937年12月17日に、日本軍による破壊や犯罪が極めて少数で
秩序が回復した旨の『第6号文書』を日本大使館宛に送っていました。
ところが、東京裁判で検察側書証として提出された
「1938年1月14日付のドイツ上海総領事宛のジョン・ラーベの手紙」
(ジーメンス社社長マイアー宛の手紙)には、
「約2万の婦女子を冒し、数千の無辜の市民を殺害」と書いていました。
さらに、『ヒトラーへの上申書』には、
「中国側の申し立てによりますと、10万の民間人が殺されたとのことですが、
これはいくらか多すぎるのではないでしょうか。
我々外国人はおよそ五万から六万と見ています」と報告しました。
ラーベの報告は、数千だったり5〜6万だったり滅茶苦茶です。
もしも、本当に日本軍が市民大虐殺をしていたのなら、
日本軍憲兵隊に通報したり日本大使館に抗議するのが
安全区国際委員長の責務であるのに、それをせず、
南京の外(上海やドイツなど)に向けてのみ、
日本軍の犯罪を発信していたのは、
彼が嘘の宣伝工作をしていたとしか考えられません。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています