【プロペラ機】戦時中 世界最速目指し秘密裏に開発 研究機「研三」の資料発見 S.18年12月時速699.9キロを記録 ※動画
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戦時中 世界最速目指し秘密裏に開発 研究機「研三」の資料発見
第二次世界大戦中、世界最速の飛行機を目指して秘密裏に開発が進められた、「研三」と呼ばれる研究機の映像記録や設計に関する資料が残されていることが分かりました。調査にあたった専門家は「残っていること自体が奇跡のようなもので、当時の開発の様子が分かる貴重な発見だ」と指摘しています。
「研三」は第二次世界大戦中に、飛行機の速度の世界記録を目指して開発が進められた研究機で、昭和18年12月に時速699.9キロという今も破られていないプロペラ機の国内最高速度を記録しました。
開発は秘密裏に進められ、これまで関連する資料は確認されていませんでしたが、国立科学博物館に映像記録や設計に関する資料が残されていたことが分かりました。
岐阜県にある「岐阜かかみがはら航空宇宙博物館」などが調査を進めたところ、映像は国内最高速度を記録した時のものと判明し、「研三」が飛び立つところから着陸してパイロットが降りてくるまでの様子が5分半ほど記録されています。
また、設計に関する資料などがおよそ200点あり、膨大な計算や実験の記録が残されていたほか、さらに速度を出すためにジェットエンジンを搭載する計画があったことを示す仕様書も見つかりました。
岐阜かかみがはら航空宇宙博物館の水野剛さんは「戦時中の研究資料は焼却されてしまうので、こうして残っていること自体が奇跡のようなものです。資料は本当に膨大な計算で埋め尽くされていて、当時の開発の様子が分かる貴重な発見だ」と指摘しています。
これらの資料は今月8日から岐阜かかみがはら航空宇宙博物館で展示されます。
滑走〜離陸〜飛行〜着陸 「映像に感動」
岐阜かかみがはら航空宇宙博物館によりますと、今回見つかった映像には、「研三」が今の岐阜県各務原市の飛行場で時速699.9キロを記録した、昭和18年12月27日の飛行の様子が記録されていました。
映像に記録された機体は、空気抵抗を少なくするために塗装が施されているほか、操縦席を覆う天蓋が取り付けられているなどの特徴があり、撮影日が特定できたということです。
映像は5分半ほどで、エンジンを作動させてプロペラを回したあと滑走路を加速しながら飛び立つ様子や、空を飛んでいる様子、着陸してパイロットが降りてくる場面が記録されています。
博物館の水野さんは「映像を見て感動しました。速度が速いまま着陸を行っていることが一目瞭然で、動画で残っていることは本当にすごいことだと思う」と話していました。
「高速」競争 各国で過熱
「研三」は、第二次世界大戦中に東京帝国大学の航空研究所などが飛行機の速度の世界記録を目指して開発を進めた陸軍の研究機です。
開発は太平洋戦争直前の昭和15年に始まり、昭和17年に機体が完成して飛行テストが繰り返されました。
テストのたびに改良を加えて速度を上げ、昭和18年12月27日、31回目のテストで699.9キロを記録しました。
岐阜かかみがはら航空宇宙博物館によりますと、高速飛行機の開発はヨーロッパを中心に過熱し、イタリアやドイツではすでに時速700キロを超えるプロペラ機が作られていました。
「研三」の開発は、速度の世界記録の更新を目指して進められ、今回見つかった資料からは、ジェットエンジンを搭載させた次の機体の設計が進められていたことも明らかになりました。
しかし戦況の悪化から次の機体の開発は実現せず、「研三」は終戦後、進駐したアメリカ軍によって破壊されました。
※ ソースに動画あります
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200204/k10012271261000.html?utm_int=news_contents_news-main_003
2020年2月4日 5時39分 NHK >>912
時代的にはね。
ME109の先進性は凄いな。 >>916
F型で大改造するまで普通に旧型だろ
先進的な部分なんて無いぞ
エンジンもJUMO210だし
それすら間に合わずロールスロイス ケストレルで代用すらされた
おまけにBf109をメッサーシュミットは気に入っていなかった
設計を担当したのはBf108から引き続いてローベルト・ルッサーという技師だったが
この2機は彼の主義主張が非常に強く出ていたそうだ >>898
海軍は陸上以外に空母や水上で運用する機体の需要もあるから
陸上のみ運用だけの陸軍とは事情が違う
あと鍾馗、飛燕、五式戦は元々予備機の計画で
隼や疾風の開発にそれだけ難航したという事 >>918
重戦闘機の本命とされたキ60は明確に失敗したからな
複座戦闘機のキ45も失敗(キ45を再設計したキ45改が屠龍となった)
それで鍾馗が延命された感じもある
隼も2型で主翼と胴体の両方を改造しており
胴体部分を殆ど変えなかったゼロ戦より手間がかかってる
(ゼロ戦は栄21型の補器類が巨大化したぶん燃料タンクを小さくして防火壁を後退させたのみ) おおぅ
ケストレルこそカーチスD-12の直系
くらべるわかるがとつりつくだから
勿論イギリス人はけっして認めないけどね 日本もDBなんかでなくケストレルから始めれば
ものになっていたのかも えー、ちょっと調べていたら
マーリンもダイムラーも元会社が自動車だから
それで水冷エンジンを作るしかなかっただそうです
うーん
まるでだいはつが航空エンジンメーカーだったらそうなるのか >>917
エーミール「・・・・・」
そりゃ水平尾翼に支柱があったりはするが、全金属製セミモノコック単葉引込脚密閉コックピットといった要素を備えた機体として第一世代だろ?
少なくとも日本にはない
あと、経営者の意向も関係ない >>922
カーチスOX-5水冷V8積んだカーチス号に始まったともいえる本田宗一郎は空冷にこだわって会社傾けたよね >>925
ちなみにホンダが開発するとしていた航空エンジンも空冷倒立V8
実際にはホンダの航空機事業は航空工学系学生を釣る餌としてのみ機能した グループCカーとして有名なポルシェ956は半空冷
それで、ルマン24時間レースを席巻した
ちなみに映画フォードVSフェラーリの舞台、60年代のルマン24時間も
ポルシェは出ていてなんと空冷(ただし優勝せず) 本田さんは戦時中にピストンリングを製造していたんだよな
天才技師といわれて国内でピストンリングを製造できるのら本田さんだけ
といわれた >>924
それは日本人の歴史観だな
実寸大風洞持ってる国は事情が全く異なる
ドイツは空想ではなく現物の気流を見れるので
吸排気まわりの抵抗を減らせるんだよ
日本も模型風洞はあったけど、吸排気は完全な空想で設計した
この部分で欧州、アメリカに大きく劣る
それでも実物を飛行させながら吸排気の抵抗を減らしたと個人的には思う
ゼロ戦21型は外板を厚くして速度が向上したという話だけど
中国戦線に投じられ栄エンジンへの空気導入もフェアリングを使って改造されていった
これが速度に影響しなかったとは思えない
実験ができない日本では実戦や、キ60などの試作失敗でしか吸排気の問題を検討できないが
ドイツは開発段階で改善は可能だった
そしてその辺を踏まえてメッサーシュミット自身が設計したMe209は失敗しちゃうけど
(Bf109Fのラジエター境界層吸出しは成功) フォッケウルフ開発陣は例え艦上戦闘機ではなくとも戦闘機というのは空冷エンジン搭載機が普遍的に有利な立場であると何度もゲーリングへ直訴した そのころにはジェットエンジンの開発がスタートしているから
ジェットエンジンは空冷でも水冷でもないし
なぜだかわかるかな 第一次大戦で空冷星型のほうが水冷よりかるく、壊れにくいと既に評判だったし
リヒトホーヘンも大村ベンツをきらい、オーバーウルセル空冷を支持した
ゲーリングはリヒトホーヘン部隊長なので、いわれずとも空冷ホッケウルフの支持者だよ でも実際DB601系は、ドイツの高い工業力をもってしても精密で凝った造りの為に生産性は悪く
需要に供給が追いつかない状況が続いた、しかしドイツ空軍上層部に太い人脈を持ち
政治力が強かったメッサーシュミットには優先的に供給され、フォッケウルフは冷遇されてた
まあ元々Fw190の扱いはあくまで数を揃える為の補助戦闘機だったので仕方ないとも言えるが
クルト・タンク博士は本心では液冷のD型以降にはDB601系を搭載したかったんじゃないの? >>904
なるほど、空冷バイクが燃費良かったのは同クラスの水冷に較べて馬力が低いからだけじゃなかったのか アメリカがすごいなと思うのは
F100からF106まで昭和20年代から30年代初めに
初飛行させてるんだよな。
B52も初飛行が昭和27年だ。
まだ日本では東京タワーも建ってなかった時代だ。
もし日本が戦争に勝利していても、あれだけの戦闘機を
次々に作れたかどうか。 >映像に記録された機体は、空気抵抗を少なくするために塗装が施されているほか、操縦席を覆う天蓋が取り付けられているなどの特徴があり、撮影日が特定できたということです。
なによこの頭の悪い記事。 Fw190は試作段階ではDB601でBf109より翼面積がちいさい重戦闘機だった
では利点はあるかと言えば、鋭いロールレートと水滴風貌の後方視界
あと頑丈な足でもはや離着陸事故はナッシング、という売り
109は着陸事故でいきなりくるりと一回転してしまう悪評がサクサクだった
ウ-デットが航空機の生産数を水増ししていてバレ、ゲーリングに叱責されて
じさつしたあとミルヒやシュペーアはメッサーの非効率な生産体制にあきれた
これはメッサーシュミット社が業界で一番小さかったせいでもあり
それよりは大手のホッケウルフ社に一枚噛ませることで戦闘機不足は解消
空冷エンジンのほうはBMW社が小さいこともあり、しだいに供給は不足して
それでは業界最大ユンカースエンジンをもらおうとタンクが作ったのが液冷Dシリーズ >>937
戦争やってる最中はどこもすごいよ。 オーパーツみたいなのが出てくる。 >>935 昔は冷却水抜いて定地燃費測定とか荒業があった RB 26は肉薄で市販の状態での高性能軽量を実現しているから
チューンアップするための過給圧をさらに上げるとブローしやすい
チューアップのベースはL 20かVG 30が良いのでは? なんかこのスレではMe109賛美が多いけど、メッサーシュミット社とヒトラーの
関係が近しいことから、フォッケウルフのFw190が本来の評価を得られていなかった
と本で読んだことある。ハインケルなんかは反ナチ組織認定されてたから、かなり
冷遇されたとか。 胴体断面積当たりの馬力を増せば速度を稼げるわけだから
DO 335は正しいなあ >>70
べつに似てないな。 研三の特徴は機体後部側面の冷却系だろ。
液冷はどれもラジエーターの配置、導風に頭を悩ませてたわけで。下手すりゃ前面投影面積が小さいメリットをラジエーターで台無しにしちゃうから。 >>ジェットエンジンを搭載させた次の機体の設計が進められていたことも明らかになりました。
でも当時は、その速度超える武器がなかっただろうしな。ミサイルとか。多分。 ゼロ戦て、外国製のパーツを国内で組み立てただけの代物だと言うから
これもどっからどこまでが日本の研究なんだか ラジエータの凸部を嫌って、表面冷却にトライした機体もあったよな。キ-64とか。 >>52
前より後ろの方が安全に感じるだろ 普通は 2JZは鋼鉄とおなじ強さを持つダクタイル鋳鉄
カチカチに硬い鉄の切加工がコスト高く付くので量産エンジンは
ふつうはRB26のようにねずみ鋳鉄が用いられる
さらにブロックとトランシミッションの結合形状も強化され
極太クランクがRB26とくらべものにならないため
ターボブーストかけ放題の圧倒的強さを誇る
ホンダF1、フェラーリV6ターボのダクタイル鋳鉄ブロックは
2JZと同じ材質が用いられてる
なお鉄製ブロックは設計によってかるく強く出来るので
このころのターボチャジャーF1エンジンに最先端の技術として流行
1000馬力をほこった
ただし、ざんねんながらコストがたかいためフェラーリもホンダも
市販スポーツカーに鋼鉄ブロックは採用しない
バブル時代の日本車の華ということで・・・ >>937
陸軍省には後脚で砂かけるように分離
海軍省フォレスタルは鬱から自殺へ
この時期の空軍には何か憑いてた アメリカでは零戦なんてぜんぜん評価されてないもんな
ぜんぶアメリカのパクリだって笑われる
秋水や橘花なんかはドイツのパクリとか
すごいと思われるのはカミカゼくらい 川崎航空機か
キ60とキ61に影響をあたえてるな
ま発動機同じだし必然か >>953
朝鮮人はなぜ正確に調べずものをいうのか アメリカで今でも評価が高いのは
カメラはニコン
バイクはカワサキ
電卓はカシオ
時計はシチズン
家電はソニー >>957
日本の招き猫がジークハイルと同じポーズしてるって
いちゃもんつけてるドイツ人がいるというニュースを先日見た 燃料に、ニトロベンゼンなどを混ぜたら出力馬力がアップしないかな? 後知恵だがノーマッドみたいにシンプルに
水平対向エンジン、もしくは直列エンジンでターボチャジャーを腹の下につけて
オイルクーラーなどは機首にまとめるのが一番良かったな
まぁ星型9気筒ターボでもいいんだけどそれじゃB17かいなで面白くない P-38は双胴部の機首にラジエターと一体のエンジン本体を積んで
ターボは後部胴体に持っていっている レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。