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 中野市上今井にある南大原遺跡の弥生時代中期(約2千年前)の集落跡で、鉄を加工していたとみられる痕跡が、
県埋蔵文化財センター(長野市)の調査で見つかった。
同時代の鉄の加工場の跡は九州など西日本では複数確認されているが東日本では少なく、県内では初めてという。

南大原遺跡では1950(昭和25)年以降、5回調査が行われ、2011〜13年の4回目では鉄製おのが出土。
煮炊き用ではないと思われる火床、鉄をたたくことに使える石の道具も見つかっていた。

県道改良工事に伴う昨年4月〜今年1月の5回目では、鉄器の一部(長さ約5センチ、幅約2センチ)も出土。
さらに、簡易的な火床があった竪穴住居跡の床の土から、加工した際に飛び散ったとみられる長さ1センチほどの鉄片が見つかった。
同センターは「小規模な鉄の加工が行われたと考えられる」とし、集落外から持ち込んだ鉄や鉄器を2次的に加工していたと判断した。

国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)副館長の藤尾慎一郎教授によると、鉄器は弥生時代前期(約2300年前)に中国大陸から九州に伝わり、
その100年後に朝鮮半島からも伝わって、同時代後期に当たる1世紀に普及が本格化したという。

鉄の加工には高温を得られる炉が必要で、中期の加工場跡の確認例は西日本でも九州などに限られることから、
「日本海側から千曲川をさかのぼり、比較的早く長野に技術が伝わったという考察は成り立つ」と藤尾教授。
同時に、従来考えられてきたよりも早い時期に全国的に技術が広まっていた可能性も考えなければならないと指摘している。