かつて母親に深夜連れ回された大阪・梅田の繁華街を見つめる北川幸(仮名)。「どこに行くんやろ、いつ帰るんやろ、早く帰りたいなって、我慢していました」=大阪市北区で2020年3月6日、平川義之撮影
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 ヤングケアラーの「ケア」は物理的な介護や世話だけを指すわけではありません。大阪府の北川幸(さち)さん(仮名)は、統合失調症を患った母親を小中学生時代から見守りました。偏見にさらされやすいこの病気の知識も当時はなく、母との意思疎通や生活に悩む日々でした。「今思うと、母なりに親の務めを果たそうとしていたのかな」と振り返ります。(本文は敬称略)【ヤングケアラー取材班】

 「どこいくん」。大阪・梅田。西日本最大の繁華街で2011年1月の深夜、母子はあてもなく歩き回った。統合失調症を患う母ミユキ(仮名)に連れられた中学1年の北川幸(同)は目的地を知らない。

 デパート、銭湯、レストラン。ミユキはブツブツと独り言を言いながら同じ道を行ったり来たりする。帰宅はいつも深夜0時過ぎ。明日は学校なのに。いきなりタクシーに乗せられ、約130キロ離れた和歌山県串本町まで行った時も母とひたすら歩いた。宿はたまたま取れたが、楽しいことは何もなかった。

 「いつ終わるの? こんな生活もう限界や」。絶望でいっぱいだった。それが母なりのコミュニケーションだったのかも、と思ったのはずっと後のことだ。

 大阪市で生まれた幸は幼稚園の時に両親が別居し、母と2人で暮らしていた。多趣味なミユキはお出かけが好きで、小学校のママさんバレーにもいそしんだ。仲良しの母は幸のひそかな自慢だった。

 ところが小学校高学年になると、ミユキが家で寝込むことが多くなった。

 明らかに違和感を覚えたのは小学6年生の時。ミユキは聞き取れない小さな声で独り言を繰り返し、虚空を見て笑うことが増えた。呼んでも答えない。

 「お母さん、私を無視してるの?」。統合失調症の知識など幼い幸にはなく、家に相談相手もいなかった。母のつぶやきが嫌で、イヤホンでずっと音楽を聴いた。

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 幸が中学に入ると、ミユキの行動はさらに予測できなくなった。得意だった料理や洗濯、掃除をしなくなり、幸が下校すると「行くよ」とスーパー銭湯やレストランに連れ出された。

 「これを食べなさい」。食欲のない幸に、ミユキは一方的に注文した。帰宅は深夜。幸がそれから宿題や洗濯をし、布団に入るのは午前4時ごろ。連日の不眠で授業中の居眠りが増え、勉強にもついていけなくなった。

 スーパーのレジでは付き添った幸が会話のおぼつかない母に代わり、店員とやりとりをする。買いだめされた雑貨や食品、ゴミを入れた大きなポリ袋が家の廊下を占領した。食事を作ってもらえない日、その中のインスタント食品や菓子で空腹をしのいだ。決められたトレーナーやスエットを何日も着せられた。

 「しっかりしている」とよくほめられた幸だが、思春期に「汚い自分」は耐えがたく、ミユキのふるまいが理解できなかった。

 今は思う。「家事ができないから、外食や銭湯で母親の務めを果たそうとしたのかもしれません。ちゃんとしないと、という気持ちが強い人だから」

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 学校は唯一、心が休まる場所だった。友人と談笑する間だけは家を忘れられた。ミユキのことはほとんど話さなかった。「言われたって友達も困るよね」

 しかしミユキからの束縛は増えた。朝、登校の準備をしていると「今日は行かなくていい」と怖い顔で言われた。幸が一人で外出することもミユキは嫌がり、逆らえなかった。当時、外で遊んだ記憶はほとんどなく、自由な同世代がうらやましかった。

 「もう無理。助けて」。携帯電話のメールで親族にSOSを出した。祖母が児童相談所に相談したが改善しなかった。幸はミユキに「気持ち悪い」と言い放つ自分に心が痛んだ。「お母さんが心を許しているのは私だけなのに」。母を思う気持ちと拒絶したい気持ちが葛藤していた。

 中学を卒業する直前、親族が集まり、拒むミユキを入院させた。力ずくで連れて行かれるミユキを見るのがつらくて、幸はその時間に家を空けた。ミユキは統合失調症と診断され、幸も初めて知ったその病名について学ぶようになった。

 ある日、卒業アルバムのクラス写真の1枚に自分の姿がないのに気がついた。「あ」。私、この日休んでたんや。(続きはソース)

毎日新聞 2020年4月2日 11時30分
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