今、私たちはこれまで経験したことのない新型コロナウイルスという魔物に脅かされる日々を送っています。

しかしこれまで人類は、幾度となくこうした疫病と戦い乗り越えてきました。世の中が騒がしくなると、さまざまな信仰がうまれ、各地で祭祀が営まれていきました。疫病や死に対する恐怖から、各地でしきたりや迷信がうまれ、慣習として今日まで伝承されているものも数多くあります。

もちろん昔の慣習が現代にそのまま当てはまるわけではありませんが、「なぜそのように言われているのか」という考え方はどこか今に通じるものがあるような気がします。

村八分から「火事」と「葬式」が漏れた理由
村八分とは、村社会の秩序を維持するために行われた処分のことで、共同決定事項に違反したり、共同労働を行わなかったり、あるいは犯罪行為をはたらいて秩序を乱した場合など、その家に対して交際を絶つなど人付き合いが制限されました。

八分とは冠・婚・建築・病気・水害・旅行・出産・年忌の8種のことで、これらは制裁が加えられる対象となるわけですが、残りの2種である火事と葬儀は別とされていました。

火事は、村全体へ火が回ってしまったら自分たちの生命や財産が危うくなるから、葬儀は村人への疫病の伝染を防ぐため、やむをえずであっても助け合わなければいけないというものです。

家族は、臨終から通夜等を通じて故人の側にいるため、感染症が原因であれば「濃厚接触者」である状態です。自分たちで葬儀の準備等を行い家の外に出ることによって、感染が拡大してしまうことも考えられるでしょう。死体の処理ができず放置されてしまったら、さらに事態は悪化してしまいます。

若い男性は墓穴を掘り、女性は台所でまかない仕事などを分担します。こうして死穢(しえ)を遠ざけようとしていたのでしょう。

なぜ塩が「穢れ」を払うのか?
『古事記』にはイザナギノミコトが海で禊祓い(みそぎはらい)をした神話から、塩は民間信仰のひとつとして「清め」のシーンで多く使用されていました。

塩そのものに殺菌性や防腐性はありませんが、塩を使うことによる作用により殺菌・防腐の効果が認められることもあります。そのため、昔の人は葬儀を終えた後、疫病を遠ざけたいという意味で塩を身体に振りかけたり、塩を踏んだりしてから家に入っていたのかもしれません。

他にも米、味噌、大豆、魚、餅、団子などを食べることで「清め」とする地域もあります。また小豆も赤飯や煮豆、粥といったものに形を変え、葬送儀礼のシーンでは広く食されていました。これらを食することで残された人がしっかり力を蓄え、免疫をつけておきたいという願いが込められていたことも伺えます。

土葬の場合、埋葬するためには穴を掘る作業が必要となりますが、穴掘り役は多大な労力を費やすだけではなく死体に接することから、身体を守るためにさまざまな工夫がなされ、そこからしきたりが生まれました。

穴を掘る人は、精力をつけるため握り飯や豆腐などを持参したり、届けられたりもしたそうです。酒を持っていくところもあるのですが、これは消毒の意味もあるのかもしれません。また、必ず火を焚きながら掘るというところもあります。

なお、持参したり届けられた握り飯や酒は、残さず食するか、そのまま置いて帰ります。穴掘りに使用した道具も持ち帰らずに、そのまま墓地に一週間程度置きっぱなしにするそうですが、これも感染症対策と無関係とは言い切れないような気がします。

ちなみに現在でも、火葬場に持っていったものや、火葬場で購入したものを持って帰ってはいけないと言われているところもありますが、こういったしきたりの名残ではないでしょうか。
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