【地域】ある村で子ども30人以上が無残な死……恐ろしすぎる「岩の坂もらい子殺し」事件とは 板橋区
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「ワーキングプア」「子どもの貧困」……。格差や貧困が社会に広がっている。
今回の新型コロナウイルス感染拡大による広範な自粛と経済活動の落ち込みで、貧富の差が一段と広がるのは間違いない。
いまからちょうど90年前の東京は現在以上に貧しい人が多かったが、違うのは「貧民窟」あるいはスラムと呼ばれる地域がいくつも存在したことだ。
その一つ、板橋区の「岩の坂」で発覚した事件は世間の度肝を抜いた。
もらった子どもを殺す犯罪が地域ぐるみで行われ、当時の報道では被害者は40人以上ともいわれた。
しかし、そのほとんどはうやむやになり、地域の存在もいつか忘れられた。そこにはメディアの責任を筆頭に、さまざまな理由があった。
今回一つお断りしておかなければならないのは、文中にいわゆる「差別語」や「使用禁止語」が登場する。
聞き慣れない職業名もある。言い換えはできるが、それでは当時の社会の雰囲気や報道の問題点が分かりづらくなる
そのため、あえて当時の用語をそのまま使おうと考えた。ご了解いただきたい。
◆ ◆ ◆
「聞くも身の毛よだつ 府下板橋の殺人鬼村 」
「貧民窟」という言葉を聞かなくなって久しい。「貧民(貧しい人々)の多く集まり住む所。
大都会の恥部」と「新明解国語辞典」にはある。幕末、幕府軍と官軍との戦争を避けて江戸を逃げ出した町民が明治維新で首都となった東京に逆流。
住み着いて集まった街などが貧民窟になったといわれる。
その中でも「4大スラム」と呼ばれたのが(1)四谷鮫ケ橋(2)芝新網町(3)下谷万年町(4)新宿南町(ただ「日本残酷物語5近代の暗黒」中の「東京の奈落」では新宿南町の代わりに「神田橋本町」が入っている)――。
塩見鮮一郎「貧民の帝都」に基づけば、(1)は現在のJR信濃町駅の東側に広がる一帯。
(2)は現JR浜松町駅から南西の一角。(3)は現JR上野駅の東側。
(4)は現JR新宿駅南口から甲州街道を隔てた地区。「
神田橋本町」は現在のJR馬喰町駅の北西の一角とされる。
しかし、それらは1923年の関東大震災でほぼ消滅。
「その代わり、三河島、日暮里、南千住、西新井、吾嬬、板橋などに貧しい者が集まった」(「東京の奈落」)。
その板橋の岩の坂と呼ばれた貧民窟で事件が起きたのは1930年4月。
「聞くも身の毛よだつ 府下板橋の殺人鬼村 こじきや人夫等共謀して もらひ子殺し常習」
「一年間に三十名の変死 全村民の検挙を断行」。こんなおどろおどろしい見出しで報じたのは4月14日付東京朝日朝刊。
もらい子周旋人が世話した11人のうち生きている者はわずか2人
「13日午後6時ごろ、市外板橋町下板橋にある細民村、俗称岩ノ坂2番地、人夫小倉幸次郎の内縁の妻、念仏行者の尼小川きく(34)が、
もらい子である菊次郎(生後1カ月)を乳房で誤って窒息死させたとて、付近の永井医院に手当を受けにきたが、死因に疑いがあるので、
医師は板橋署に届け出たので、原田署長、岡村司法主任及び東京地方裁判所から柴田予審判事、戸沢検事らが出張して検視のすえ、同夫婦を引致、
取り調べの結果、同細民村の恐るべきもらい子殺しの事件が判明するに至った」。これが記事のリード(前書き)だ。
「きくはさる3月12日にも同じくもらい子勇蔵(1歳)を風呂場で取り落としたとて殺害したほか、一昨年以来、女1人、男4人のもらい子を同様過失致死の形で殺していることが分かった」。
記事は以下、多摩川村の無職男性の妻村井こう(32)が板橋町の産院で菊次郎を出産したが、同じく妊娠して入院していた煉瓦商の内妻出谷こよの(37)が
「大家に世話するから」と言い、夫も失職していることから渡りに船と、養育費など18円にたくさんの着物を付けて子どもをやった。
ところが、こよのは細民村のもらい子周旋人の「よいとまけ人夫」福田はつ(40)に子どもを渡し、はつからきくに10円をつけて渡し、残りの金で女ばかり数人集まって酒を飲んで騒いでしまった、という。
「はつは付近でも有名なもらい子周旋人で、大正15年以来11人の子どもを世話しているが、そのうち現在生きている者はわずか2人で、
それも乞食の手引きをしているが、あとはいずれも無残な手にかかったらしいことが分かった」。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200419-00037270-bunshun-soci
4/19(日) 17:00配信
https://nakano3bono.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2018/10/01/cimg0256.jpg
岩の坂(板橋本町
https://pbs.twimg.com/media/DWmY7R_U0AAn7Gf.jpg これ最近完全にクリアランス終わったとこかな、終わったから触れることが出来るようになったか いいねぇ、こういう話大好き。
小塚原の話とか、どんどん聞かせてよ 記事は「嫌疑濃厚な数名を召喚、取調べ中であるが」としたうえでさらにセンセーショナルに。
「同村には子どもを連れて街頭に立つ乞食は70名いるが、いずれもこの種のもらい子ばかりで、1年に30人くらいが悲惨な死に方をしており、
全村ほとんどがもらい子を殺していたらしく」「これを機会に同村全部の総検挙を行うことになった」と続く。
記事で描かれた通り、これが「殺人鬼村」という見出しの“根拠”だろう。
ちなみに、当時の18円、10円は2017年の貨幣価値でそれぞれ約3万5000円と約1万9000円。
「よいとまけ」とは、美輪明宏さんの「ヨイトマケの唄」で知られる、建設工事の地固めのために重い槌を上げ下ろしする作業員のことだ。
裏付けのない報道が目立つ
それにしても、すさまじい“飛ばし記事”だ。同紙は続報の4月15日付(発行は14日)夕刊でも「ますます怪奇的な 殺人鬼村の暗黒面」
「もらひ子が手に入ると 成金気分で浮れる部落 自暴自棄の世を送る二千名 上流婦人の私生児も犠牲に」と見出しも書きたい放題。
本文では「岩ノ坂にある太郎吉長屋、お化けの清さん長屋、北海道長屋、トンネル長屋、木賃宿などの主人や関係者7、8人を取り調べている」とある。
対して同じ夕刊で東京日日は「貰ひ子の死は 布団で圧殺 ほかの三名の死にも疑ひ 板橋の恐ろしい夫婦」とややおとなしい。
しかし、取調べと遺体解剖の結果、「幸次郎、きく両人が共謀し、前夜ふとんで菊次郎の鼻を圧し、窒息死亡させたことを自白した」と本筋の捜査情報を載せている。 「自分の出自が岩の坂にあることを口外したがらない」
「東京の奈落」によれば、岩の坂は中山道の宿駅として栄え、人馬が引きも切らず往来。
明治初年ごろまでは江戸に上下する旅籠屋(馬宿と言った)や雲助小屋があり、遊女屋も軒を並べて板橋宿繁華街の中心だった。
しかし、上野―高崎間に開通した鉄道がここを外れて赤羽に出たので、にわかに火の消えたようにさびれた。
いままで景気のよかった馬力、雲助などは職を失い、その日の糧にも困るようになって、遂に乞食に転落した。
「これが岩の坂の貧民窟の始まりであるが、特に関東大震災以後、都心近くの貧民がここに移動して地区を広げた」という。
西井一夫「新編『昭和二十年』東京地図」には「エンツキエノキから志村清水町へ下って行く坂を岩の坂といい、
『縁が尽きるいやな坂』としゃれたものだったという」と書かれている。そこで生まれ育ったフリージャーナリスト小板橋二郎氏は著書「ふるさとは貧民窟(スラム)なりき」の中で
「私には異父兄弟を含めて5人の兄姉がある。そのうちの誰もが、いまだに自分の出自が岩の坂にあることを口外したがらない」と書いている。
東京朝日夕刊の記事は「岩の坂」の現状と事件の背景を詳しく書いている。「岩の坂部落には木賃宿が、小川きくが泊まっている原田旅館ほか11軒、
長屋は福田はつの太郎吉長屋を筆頭に奇怪な名なのが十数軒ある。
ここに住む人はチンドン屋、遊芸人を上層階級として、よいとまけ人夫、くず屋、念仏修行者(押し掛け乞食)、たわし行商、おなさけ屋(街頭乞食)など70世帯2000余人」
「養育費付きのもらい子があると、たちまち男女が寄ってたかり、成金気分になり、酒、たばこ、食物に数日間もドンチャン騒ぎを続けるという怪奇な光景を呈するありさま」。 >>7
要らない子引き取るよ、14円(今だと14万円)ね。
子供10人引き取れば今だと140万円。
100人引き取れば今だと1400万円。
引き取って殺すだけの簡単なお仕事でウハウハ 愛児を手放すのは「身の不始末によるものが実に8割の多数」
もらい子についてはこう書いている。
「最も多いのは八王子市、桐生など機業地の女工の私生児で、その次は悪産院や周旋人の手を経たり、よいとまけがもらってくる東京市内外の上流社会未亡人や令嬢の子、
中には八王子方面から女教員の子が今年中に3人も来ているが、女給、芸者の子は一人もない。
これらのもらい子は大正13年ごろ17、8名だったのが、近年では年々3、40人に増え、そのうち、生活難から愛児を手放すのは約1割の少数で、家庭の事情や義理に絡むのも約1割。
身の不始末によるものが実に8割の多数に上っている」。養育費周旋料はたいてい50円以上100円ぐらいまでで「周旋人が大部分を取り、部落民には10円ほどしか渡らない」という。
紙面には、生母村井こうの談話も載っている。
「世話してくれた人がまじめとばかり信じきって、いまごろは大家の子として幸福に暮らしていると思いましたのに、
死んだ子どもと、鬼のような尼さんの顔を見比べたときには自分が殺されたような思いで、涙も引っ込むほどの驚きでした」。
これまでも遺体を持ち込まれていた永井医院の医師の発言も。
「いつもいよいよ死に際になってから連れてきますが、もらい子とは言わず実子だと頑張って、もし私がそれを看破すると、この死児をここへ置いていきますと脅迫するありさまです」。
だが、状況からみて、どちらの言葉もそのまま信じるわけにはいかないようだ。 同情を引くために「子を借りて収入を得る」
記事にはもらい子の「運命」も書かれている。
「数日間、形式的に育てたうえ、結局栄養不良、乳房の窒息死、過失などの形式で、巧みに法網をかいくぐって片付けてしまう。
5歳から10歳で死んだものは私立医大の解剖研究用に売り、育て上げたものは乞食の手引きにして、
15、6歳を過ぎると、男なら北海道の監獄部屋に、女なら娼妓に売り飛ばすという、食人種そこのけの言語道断な処分だ」。
「乞食の手引き」といっても分からないかもしれない。
「東京の奈落」には子どもについての恐るべき実態が載っている。
「宮寺の境内や門前、あるいは橋の上で縁日などに大地に座り込んで同情者を待つのを、彼らの仲間では張り店といっている」。
「ことに小さい子どものあるのが一層おもらいが多い。
ところが、この子どもというのが自分の子ではない。
たいてい借りっ子である。彼らの仲間には子どもを貸すのを営業にしているものがある。
『きょうは上を貸しておくれ』『きょうは中でよい』『きょうは銭がないから、下にしておこう』と言って借銭を払って子どもを連れて行く。
上というのはめくらの子どもである。これが一番同情を引いてもらいが多いので上物という。
1日の借銭は80銭(2017年換算で約1500円)である。中というのはピイピイとよく泣く子、よくお辞儀をする子である。
下というのは何も芸のない普通の子である。中は30銭(同約580円)、下は20銭(同約390円)。
この子どもを借りて1日3、4円(同約5800〜7700円)の収入を得て、乞食を唯一の得意として朝から飲み暮らす者があるなどは何人も想像し得ないことであろう」
もらい子の“需要”はここにもあったということだ。
岩の坂の捜査が進んでいたさなか、東京市社会局嘱託だった「浮浪人研究の権威」(東京朝日の記述)草間八十雄は岩の坂を現地調査。
結果などをまとめて1936年に「どん底の人達」を出版した。その中で「明治初年には、隅田川畔で乞食の使う子どもの市が立ったという話です」
「数十人の乞食たちが集まり、『1銭』とか『2銭』とかと言ったように、だんだんとせっていったものだそうです」と書いている。
さらに「子どもを借り出した乞食は、それだけの効果があるかと言いますに、実は驚くほどの効果があるのです。
わけても子どもを失った親御たちにぶつかろうものなら、一人で意外なる収入があるそうです」とも。 >>12
引き取る方が金もらうのかよ
それも意味分からんけど ヨイトマケって男に混じって力仕事をする女の人夫のことじゃなかった? つーかこんなんいくらでもあるでw
たとえば田園調布なんてのは高級住宅地で知られるが
実際はその昔、東急線の鉄道敷設に駆り出された韓国人が当時多く住み着いて
今に至るんやで。実際今でも韓国人が多く済んでる。そもそも大田区やぞ大田区w
町工場が多いことで知られる大田区。下町ロケットのロケ地で知られる大田区www
にも関わらず高級住宅地として知られるのはそういうイメージにしたかった勢力がいたってこと
つまり――あとはわかるな? >>20
一括0円キャッシュバック付き案件
維持費かかるから即解約
スマホか人間かの違い 中国だと物乞いさせるために手足を切り落とすらしいな
その方が同情引いて金をもらいやすいから 日本人は元々子供を譲ったりする習慣が階級を問わずにあった
それは悪いことではなく各家庭の必要性を満たす調整機能として存在してた
坂の上の雲に出てくる秋山兄弟だって他家へ養子に出した兄弟が他に3人ほど居たが
養子に出した以上は完全にその家の子になるから以後兄弟として付き合っていない
その習慣を悪用した事件 >>30
これな
第二次世界大戦後のベビーブームのおり、大量の嬰児が寿産院に預けられていたが、同院では嬰児に対する虐待が常態となっており、
また、凍死、餓死、窒息死などさまざまな死因で亡くなっていた。
寿産院を経営する夫婦は乳幼児を貰い受けるなどとした新聞広告などによって200人以上の乳幼児を集め、親から1人につき4000円から5000円の養育費と東京都からの補助金と配給品を受けとりながら配給品を
闇市に横流しするなどして食事をろくに与えずに100人以上を死亡させた。 つーかこれってアカヒの捏造じゃなかった?w
この売国五流紙は当時からデマばっかし流してたんだな >>31
あっちは凄いぞ
纏足もそうだし、芸者のような職に就かせる女の目を、盲目の方がピュアっぽいからって理由で潰すからな >>38
バカはいいよな
そうやって否定して思考停止できて なんだよ都民って先祖は津山30人殺しクラスの
集まりかよ そういう地域は何十年経っても
なんとも言えぬ気持ちの悪さがあるよ
住民の質とかに出る
引越先探しでいろんな街に行くと分かる >念仏行者の尼小川きく(34)が、もらい子である菊次郎(生後1カ月)を乳房で誤って窒息死させた
ゲームセンター嵐の母ちゃんもビックリの巨乳ちゃんかな? (´・ω・`)? 板橋本町の大和陸橋あたりの裏って確かに陰気くさいんだよな
営業で回った時に思ったわ 戦後、一家全滅焼け野原に親戚ですよか言って縄貼って自分のものにしたのが東京人だからな。朝鮮人は大田区ほとんどかってに住み着いてるし >>29
それなら子供を売り飛ばすまでがデフォじゃん >>35
割りと有名でしょ
横浜は歴史が浅い割りに闇を感じる土地が多い 日本の大量殺人事件でググればすぐに出て来る内容ではある >>48
どうせなら高村光太郎とかの文豪を思い出せよ
野口英世が国から出された留学費を全部吉原遊郭で使ったとかさ 写真にモザイクかけろよw
縁切榎の刃物は撤去されたんだよな
板橋⬅区じゃなくて橋 は桜の名所
これ以上掘ってはいけない
某外国人学校とか 今の板橋駅は、板橋宿自体とは全く違う場所に作られてしまったからなぁ。
家の曾祖父さまは、新撰組の近藤勇が捕まって打ち首になるところを刑場まで見に行ったと言っていたな。
その刑場跡地が○京病院になったんで、爺さんは「彼処の病院は縁起が悪そうだから、行きたくねぇな。」と言っていたわ。 これを見ると漢方向け人体臓器売買は日本でもあったろうね >>1
人権屋などが組織的に犯罪を繰り返してたんだな >>32
俺の一族も横浜川崎辺りにずっと住んでたから今の横浜住民の選民意識が分からない >>27
いや元は沼辺という地名だった田園調布
その中で所謂、高級住宅地としての田園調布は
世田谷区と大田区のほんの一部だけ
これは地元民ならば誰でも知っている
そもそも多摩川沿いの低地の貧相な町並みを見れば誰でもわかる >>30
名古屋のもらい子殺しと大正時代の都内もらい子殺しだけが犯人が死刑になってる
寿産院と岩の坂は無期以下だったような >>1
おもしろかった。
この板でスレ立てすべきソースじゃないけどね。
かわいそうだが、来世は昭恵に生まれ変われますように。 当時の板橋に住んでた<丶`∀´>の悪行だと聞いたことがあるな
それを機に一掃されたとかなんとか
しかしなぜか今こんな都市伝説レベルの古い話が汚鮮ヤフのTOPになるとは
何か裏が有りそう・・・ 俺の祖祖父母も息子が二人いたのに女の子の貰い子を二人育てたらしい
二人とも成人して同じ村の別の家に嫁いでるわ 柳田国男の何の本だったかな都会でも夕暮れ時に隠れんぼすると子さらいに連れていかれるとかあったなそいや。 >>74
これは子供育てられない連中から養育費貰って引き取った子を
育てず殺して処分してたって話だから
人さらいとはまた別の話だと思う 言い換えるとチンコロするようなマトモな連中が多少はいたって感じだよね。
たしか東京大空襲まぬがれてんだよねここいら
アメさんもあの時代にこっちの弱者事情を調べてたかとおもうと脱帽でしかない 新聞に 子供あげます という欄があったの知らないだろ?
昭和の話だよ。
私も売られたもん。 ウトロとか今でもこういう面影あるんじゃね
話変わるけど血と骨のモデルになった家見に行ったら現存してて人も住んでるのな >>67
そそ。川向こうのすぐお隣はうんこマンションで知られる
あの武蔵うん小杉だもんなぁ。推して知るべしだ 俺が幼い頃はまだ物乞い居たな婆ちゃんとか金を入れてたよ >>40
纏足は最近までやっていたよね。
ガードルや圧力スパッツみたいな感覚。 縁切り榎のあたりか
今は三田線が通って慶応大や白金高輪まで一本
高そうなマンションができてるな 生まれも育ちも東京だけど、こんなの知らない
おとぎ話みたいだ 昭和のバブルぐらいまではこういう闇が結構残ってたね子供が近寄っちゃ行けない場所 >>1
砂漠のマスカレードは、まじめなネット工作員
決して、無職ではありません 俺も親父も縁切り榎のあたりの生まれだが
爺さんが軍人で厳しかった曾祖父さんの反対を押しきって
婆さんと駆け落ちして流れ着いた 板橋って変なとこだもんな 外れのクセに農地ってワケでも無いし
何の特徴も無い土地だよ 23区の中ではTOP5くらいに「ない」エリア アメリカ行くといるよね
こういう子供連れて物乞いするひと
すげえ剣幕で親子で1ドルくれいうから出した
アメリカは日本の90年前かなあ 東京って今は清潔な住宅街だったり整然としたビジネス街だったりするけど、歴史を紐解くと闇が深い地域が多いんだろうな。そういう実名を出した街歩き番組とかあったら面白そう。住民からクレームの嵐になるだろうけどw 今は病院で殺して貰って生まないから、貰い子がいない。
中絶は母親から殺されて、この事件は里親から殺された。
今は母親による、病院での殺しが主流だが、殺し方が違うだけ >>77
ちょっと待ってよ
何書いてんのよあんた。 >>81
数年前にその手のサイトで見た覚えがあってググったら出たわw
つーか文面とかほぼ同じ。よほどネタ切れらしい。くだらねー 柏木ハルコの花園メリーゴーランドってマンガが面白かった
昭和末期くらいでも田舎には夜這いとか若者に年長者がセックス指南をしたりする習慣が残ってたという話
マンガの話は創作らしいが、似たような話は実際にあったらしい 昔板橋に少しだけいたがあの辺が貧民窟の名残だろうなっていう地域あったな
中流階級しかしらなかった自分には衝撃だった >>95
全然違う
記事を全部読んでみろ
産みの親は子供がちゃんと育てられる思って金銭をつけて渡している >>12
馬鹿、糞安いだろww家畜以下だよw
当時はな人口の半分以上が未成年だよ。
だから代わりはいくらでもいた。
現代の家畜が当時の子供より高い理由はだな、
牛400万頭、豚1000万頭、だから。
カネかけてるしなw
鳥よりは高いだろ、3億羽は居るからなww
この時代の人口は7000-8000万人くらいかな。
未成年4000万はいたろ。未就学児だけで1000万かな。
スターリンの感覚なんてのは当時では普通なんだよ。
馬鹿は民主主義や自由主義が聖人君子の国と勘違いしているけどなw
戦後も労働力過剰で棄民してただろ。
北朝鮮を夢の国なんてほざいていたのも社会主義だからなんて
名目でな、過剰な労働力は切り捨てたかったから。
近年ではドミニカ移民訴訟で小泉内閣が和解したな。
国が騙して中南米に棄民だよ。
北欧で障碍者に強制的に断種させていたのも戦前だな。
ヒトラーのユダヤ人に対する感覚なんてそれほど当時は異質なものでも
なかったと思うよ。いいとは言わないけどな。
そう言う時代だ。
今の先進諸国にも貧しくて無学なやつがごろごろしていて
医療も年金もろくな福祉も無い時代だよ。
米兵にもかなり文盲が居たはずだ。 なんでよりによってこんな陰惨で辛気くさい記事?って思ったが
バカチョン汚鮮ヤフだし東西分断煽り工作かwなるほどね
>>106見て腑に落ちてすっきりしたw >>105
ドミニカ棄民について
和解案を見たが
200万円や50万円ていどのはした金で和解しているんだな
それ以上は無理と判断したんだろうけれど
小泉純一郎も含めて日本政府の姿勢の糞さに笑ったわ >>1
>多摩川村の無職男性の妻村井こう(32)が板橋町の産院で菊次郎を出産したが、同じく妊娠して入院していた煉瓦商の内妻出谷こよの(37)が
「大家に世話するから」と言い、夫も失職していることから渡りに船と、養育費など18円にたくさんの着物を付けて子どもをやった。
ところが、こよのは細民村のもらい子周旋人の「よいとまけ人夫」福田はつ(40)に子どもを渡し、はつからきくに10円をつけて渡し、残りの金で女ばかり数人集まって酒を飲んで騒いでしまった、という。
すまん2回読んだけどわからなかった 現代でうちに預けてくれれば金要らんし、子供を育てたのになあ >>62
やべえな区画整理ってか整地されていないじゃん 戦前の日本、ネトウヨが美しい大和魂と日本人とうっとり酔いしれて語る昔の日本 その真実の姿は >>100
あれは何気に名作だよな
かなり面白かった 旧中仙道の宿場町には大体この手の話は付き物よな
子育て観音とか無縁仏とか水子供養の寺が多い場所はそういう事 東京はヤバイ人率がめちゃくちゃ高い
実際には毎年数万人殺されてる これなら戦後の寿産院事件の方が上だろ
あっちは百数十人の子供が殺されてるし 乞食 よいとまけ 人夫 念仏行者 ・・・ 全部Bだろw >>100
作者名で検索したら健康で文化的な最低限度の生活の人なのね
これ若い人が描いてるのかと思ってた
50か
いい絵を描くなあ こんなの発覚しないのも含めたらもっとたくさんあった。寿産院事件が一番有名かも こんなの、当時世界中の貧民窟で行われてた話じゃねぇか。w 東京でこれなら地方は想像出来ない凄い事起きてるやろうけどな >>95
そういう事だよね
産みの親だって本当にその子の行く末が気になるなら親戚筋とか知り合いとか信頼できるところに里子に出す
もうとにかく厄介払い料として渡す金でしょ
金は渡したからあとは何とかしてくれるだろうって
欺瞞だよね 板橋に引っ越して来たんだが石神井川沿いってやばいのか? >>94
東京だからってことではない、どこでも闇はあるし特に西日本は今も引きずっている
山村では姥捨てや間引きも当たり前だった
貧しい時代だったってこと なるほど。
望まない子どもを産んだ人からその子を引き取って、引取賃をもらう。そして世話するのは面倒くさいので殺してしまうというわけか。 >>45
アッコら辺は磁場が狂ってるし、気の流れが悪い。 >>62
今は改良住宅が建ってなかった?
つまりアレな地区 >>138
1と62に書かれている所以外だとどこですか? 今の「板橋本町」の辺りかよwww
坂町商店街一帯にあったらしい 俺なんか、>1の文章からして読みづらいっていうのに、
みんな普通に>1の件とかを解説してて、
一体年齢いくつなんだ?って話。70とか以上だろ? 信濃町駅の東側って、今創価学会が牛耳ってる所ら辺? スラム=悪の巣窟、貧困の極み、弱者の拠り所っていう、
ステレオタイプの見方こそ差別だと思うね
好きでスラムで暮らしたいっていう人もいるんだから >>2-5
養育費目当ての殺人事件なんて今でも転がってるだろ
虐待内容は今のほうが残酷かもな あの辺り、確かに区画整理が全くできてない迷宮みたいなところあるしねぇ 今でも雰囲気でヤバそうなのは千住辺りだな。
荒川区、足立区、葛飾区辺りは何か嫌な雰囲気 貧民窟(ひんみんくつ)でググると日本のスラムの歴史見れる ネタがないから今後はこんな記事ばかりになるんだろうw 口減らししたいけど我が子を殺すのは流石に忍びないから
子供を交換して〆た後で美味しく頂いた系の話? ネトウヨのアサヒガーフィルターによる捏造妄想全否定がなくて笑ったw >>67
俺が知ってるのは山王かな海苔で儲けた地主が多くいたとか。 日本人は日本語を短期間で変え過ぎだとよくわかる。90年なんて言語の歴史からしたら殆ど変化は無いとわかるのが海外の新聞記事の文章 間引き口減らし
子供は性欲の捌け口の結果でしかないからな
今も中絶件数は多い 三田線の板橋本町の少し先に西台って駅があるがココもなかなかキてる
詳細は怖くて言えない・・・ >>塩見鮮一郎「貧民の帝都」に基づけば
有名居酒屋ブロガーの「塩見なゆ」さんの御父上です! >>157
関東大震災後貧しい者が集まったとされる地域に朝鮮部落があるからw 日本の おじろくおばさ
ほんの50年前まであったじゃんか。
知ったときはゾッとしたわ。 人の闇とは恐ろしいものです
どうしてこう鬱々としているのか >>115
川が暗渠になってその上に家が建てられた? >>92
よくよくあそこら辺の地域を知ってれば、金積まれても住みたいとも思わない >>1 現在のJR信濃町駅の東側
そうかそうか 昔はスラム部落 今はカルトブラックの巣窟かよ
〇立憲から公明まで 夜の性務に大忙し エロ議員たち
http://yamatox9999.blog.fc2.com/blog-entry-287.html >>164
都営地下鉄が通ってる路線は、アレな傾向 >>89
育てる為の足しにと託されたお金を
大人どもの飲み食いに流用
当然子供はさっさと「処分」
上のレスにもあったけど、託した側はその後の事を詮索しないので
そっち方向からバレることはまずない >>77
「赤ちゃんポスト」なんてものがあるわけだからね
(その方がまだマシなのか) 「縁切り榎」が何のために在ったか考えるいい機会だね >>1
>いまからちょうど90年前の東京は
なんか凄い作文だな。 東京の産婦人科跡地から多量の人骨が出てきた事件はこわかった 関東は災害による行政の失態、民の不満の矛先を何かに向ける癖があることが分かった
関東大震災の朝鮮人虐殺
昨年の台風15号の時はマスゴミ総出で大阪人叩き
簡単に虐殺を行う臆病な関東人気質 >>119
針小棒大に騒ぎ立てる方がまだマシなのかも知れないな エンジェルメーカー事アメリア・ダイアー事件を思い出した >>125,128
アレは一つの事件として「ニュース映画」で放映されちゃったからなぁ 似たようなのが戦中戦後にかけての「寿産院事件」だな モノも食料も高価で人は無学 まだ昭和あたりだと名残があった
今の子だと何がなんだかわからん事件だろう >>169
あー暗渠の上の不法占拠家屋だね
杉並区の沖縄商店街の近くにもこういうのある まあ、そうは言っても人口増加率は今より高かったんだろ?見方によっては今のほうがすっと悲惨では? >>186
当時は旧字体だったから「壽産院」と更に怖いイメージに >>1
時給900円
勤続50年
目指す社会も、結構ぎりぎりだから、あんまり、他人にも親切にするほど
時間もないし
お金もない
先がないのは、全国探せば、いっぱいありました。 多分当時だと中絶は禁止されてるから
問題のある子どもの出産は生まれてから業者に頼むしかない
それでなんだろう 要は、引取り親も斡旋人とグルで
斡旋料の分け前をせしめて子供を殺してたということ? 新聞にたくさん子供あげますとか妻あげますとかの情報欄が載ってた時代 出産って事に対して無頓着と言うか
(ほんとはそうでも無いけど)安全に管理される様になったのが戦後の話で
それまでは母体にとっても乳児にとっても命懸けだったとか
ましてや中絶や避妊さえ困難だった当時の状況は
中々、今となっては推量れない訳よ
輸血さえままならない当時は
ちょっと大量出血が起きれば即座に命に関わるし
ましてや抗生物質も無いのだから… >>7
つまりこういうこと
昔は育てられない子供を斡旋人に金や着物と一緒に渡すことがあったが
斡旋人が中抜きしたり
着いてくる金や着物目当てで子供を引き取っては追い剥ぎして殺す奴がいたってこと
捕まらないからと次々引き取っては殺してた奴がいて犠牲者が数十人でてやっと発覚したと >>197
そうだよ
下手すれば預ける親も薄々気づいてる者もいたかも
本人達には社会正義みたいな感覚もどこかにあったりする
神の意志を代行してるような感じ 人夫小倉で思い出したが山梨キャンプ場のミサキちゃんはどこ行ったのやら >>24
朝鮮関係ない
なんでも朝鮮のせいにしてるとスレタイの時代に逆戻りする 大学に貧村出身の教授がいて
昔は人が僅かな金で売られる時代だったとこぼしていた
話の流れからして性風俗に売られる人を見たのかも >>181
治安の悪さ、暴力団の数は関西の右に出るものはいない
せいぜい反社と仲良くしてどうぞw 日本でも人身売買が一般的だったのはつい40年前まで。
集団就職で東京で売春婦なんてコースが東北に会ったのよ。 >>85
区役所前や板橋本町近くだと新築マンション5000〜6000万が相場
上流までは行かないがそこそこの稼ぎがないと買えない (1)は現在のJR信濃町駅の東側に広がる一帯。
(2)は現JR浜松町駅から南西の一角。(3)は現JR上野駅の東側。
(4)は現JR新宿駅南口から甲州街道を隔てた地区。「
神田橋本町」は現在のJR馬喰町駅の北西の一角とされる。
しかし、それらは1923年の関東大震災でほぼ消滅。
「その代わり、三河島、日暮里、南千住、西新井、吾嬬、板橋などに貧しい者が集まった」(「東京の奈落」)。 生まれ育ちが東京の年配者たと
B地区以外のヤバい地域とかも知ってる >>211
足立ヤバいレジェンドのスタートはここから。
もう100年前 関西の部落とはちょっと違うのよね。東京の貧民窟の歴史は スラムドッグミリオネアでも集められた孤児達を街角に立たせて物請いするのに
脚を折られたり目を潰された子供がでてきたよね・・・
その方が哀れんでもらえるからだと・・・ 記録が残ってるだけマシかと。
東北や九州四国なんかだと、何が起きてたかさえ分からない部分もあるし。
今の東京の部落地帯は高級住宅街、住むのは無理でもあそこを歩いて見れば分かる。かなり歪な世界に気がつくはず。
横断歩道で歩行者を守る警備員などは、住民や子供に声かけ禁止になってたり、ヨネスケの隣の晩御飯のロケなど到底不可能な地域。 西日本だと自治体によっちゃBなとこにはガッツリそういう施設が建ってて自治体のHP見りゃ一目瞭然なんて所もあるんやけど・・・まぁ総てを網羅しとる訳やないんやろうけどな これは、17号を北へ進んで川越街道より北へちょっと行った所を
左折した、あの辺り
かな? >>177
お前らの両親や、お前らのジジ・ババや、お前らのひいジジイ・ひいババアwww >>1
板橋岩の坂って・・・
地下鉄板橋本町駅付近にある旧中山道のあたりか
あの辺りって仲宿商店街の活気のある通りから環七を超えて北にわたると
途端に陰気な雰囲気が漂ってて怖いなと思ってたら
元々からスラム街だったんだな
これからは気を付けよう >>224
町は戦災で焼けたが住んでる連中は貧民窟だった頃から住んでる人間やその子孫が多いらしいから ソビエトロシア帝国オカルトのアメリカナダソビエトの黒魔術呪術マルクス主義の
黒魔術呪術などやオカルトロシアメリカナダ大英帝国ソビエト経営で
人体実験や天候兵器などのための魔術魔法呪術をする巫女や巫同だの
魔法使いや呪術使いを朝鮮シャーマンや韓国国家巫堂の家でやるのに、
ロシアオカルト地域で勝手に魔術や魔法使いや巫女や呪術師にして
日本人の親より30才も0才も年取ってる何も知らない日本人に祟ったり
呪詛させたりするのをやめ
うちも父親や母親を早く北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国ソビエトに拉致されたり
殺され代わりに子供の私を人体実験台にするようなクローン母親に
人体実験台にされた
そしてその母親の北朝鮮クローン諜報員は自由アメリカ合衆国の反共産政権の時に事故で殺された後も北朝鮮でクローンとして読みがえり朝鮮シャーマンや韓国国家巫女¥堂の巫女やシャーマンとして日本人や日本を攻撃する黒魔術呪術の使い捨てマスクとして使い魔にされている >>1
板橋の創価学会を脱会しといて本当に正解だったわ >>37
今も昔も補助金目当てはクズ下衆野郎ってことか こけし(子消し)になって箪笥の上でほほ笑んでいるのですね。 こけしには手がありません、簀巻きに
して手を巻いてあるからです、復讐防止です、よほどに後ろめたいのでしょう。 >>1
何か文章の組み立て方とか
結末をはっきり書かないとか
何でこう最近の馬鹿若者は
日本語ガヘタクソなのか。
何を言ってるのかさっぱり分からん。 >>93
短い距離でも車に乗るのはそれもあってのことか。
いざってときは車で追っかければ相手は逃げるわけだし ここ出身でこれをテーマに本も出してる小板橋二郎氏、20年以上前にすでに朝日をボロクソに書いてたり、暴力団の在日問題触れたりしてて面白いね
もう執筆活動はされてないのだろうか >>35
韓国ソウルに今もこんなバラック街ある
タワマン街の数百メートル離れたとこに乞食バラック街があって引いた これって犯人の処分が甘すぎるって国会で野党が騒いだ事件だっけ? もしや肉体労働者が差別されてた理由ってこういう事が知れ渡ってたからじゃねーの
当時は貧民が多数派だった訳で多数派が虐められるのは不自然なんだよ
日雇い労働じゃ食っていけないから子供殺して酒飲んでることで忌み嫌われたのでは ここと特定してたかどうかは忘れたが
永久保貴一さんの漫画で読んだなぁ >>171
信濃町駅の東というか四谷との間の谷底地域だが、
以前聞いた話だと、便利よくて家賃安いってことで
ガイジンが住み始めた、みたいなのをどこかで読んだな
四谷は電車でどこ行くにも便利いいからな 取材や読者投稿に基づいてヤングアニマルで描いてた「F/E/A/R 」って作品
2巻まで出てどっちに載ってたかまでは思い出せない >>125
しかも犯人たちは死刑にもならずに
事件後はこの世の春を謳歌したわけで
ネットもなく追求も有耶無耶などうしようもない暗黒の時代だった >>244
部落差別はお茶を濁してるようだな
下には下をだけじゃ言い表せん さすがに昔すぎてどうでもいいわ
それより15年後の東京大空襲で何十万人も死んでんだもん >>92
向原のあたりはごく普通の畑だったっぽいが練馬との境界だからか >>40
盲妹やね
客が不細工でも文句言わないし綺麗な簪を欲しがらないし逃げるのも無理って見たけどそれでも若い娘の眼を潰すとか無理だ… 確かに道が細くて古い木造が密集してる場所が点在しているよなあ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています