(前略)今年3月初め。海外ツアーの派遣添乗員として20年以上のキャリアがある40代の男性は、スーツケースを持って自宅を出ようとしていたところに登録する派遣会社から電話がかかってきた。

 「空港には行かなくていい」

 直前になってツアーを主催する旅行会社がキャンセルを決めたのだ。続いて3月後半のイタリアツアーも中止に。その後も4月に3件、5月に1件の海外ツアーが全て取りやめになった。男性はこう嘆く。「1カ月丸々日本にいるなんて20年ぶり」
 いま、いろんな仕事が失われようとしています。飲食や宿泊、観光などの業種では倒産や解雇も目立っています。とりわけ厳しいのが旅行業界です。国内外のツアーは大型連休を含め軒並みキャンセル。ツアーを支えてきた派遣添乗員たちからは「収入ゼロ」の悲鳴があがる。ツアーの期間だけ雇用契約を結ぶ不安定な働き方が、問題をより深刻にしています。(中略)

 旅行業界ではこうしたケースが相次ぎ、かつて花形だったツアーコンダクターが追い詰められている。背景にあるのが、仕事があるときだけ派遣会社と労働契約を結ぶ「登録型派遣」という働き方だ。

 添乗員の派遣会社約40社でつくる日本添乗サービス協会(東京)によると、添乗員は全国に1万人弱いる。多くが派遣会社に属する登録型派遣。旅行会社が企画するツアーなどの期間だけ派遣会社と雇用契約をして、旅行会社に派遣される。

 海外ツアーの場合、登録する派遣会社から出発の1〜2カ月前に予定が割り振られる。添乗員たちは事前にスケジュールを空けておき、雇用契約に備える。(中略)

 (添乗員派遣で最大手の旅行綜研(東京))石井社長は、2〜4月にツアーがキャンセルになった添乗員に、予定の日数分の「休業手当」を支払うことを決めた。4〜6月については、過去の実績をもとに働いたとみなして、支払おうとしている。(中略)

 派遣という働き方ができるまでは、添乗員などは自社の正社員が担っていた。業務を外部委託することもあったが、発注業者は受注業者の社員にあれこれ指図することができず、企業側にとっては不便だった。

 国は1986年、専門性が高い仕事だとする13業務に限って労働者派遣を解禁。「添乗」もこの業務に入っていた。旅行会社は外注していた添乗員の仕事を、派遣できるようになった。(中略)

 「日雇い派遣」に象徴されるように、不安定な働き方である登録型派遣の見直しは、これまでも議論されてきた。2008年のリーマン・ショックをきっかけに「派遣切り」が社会問題化。製造業を中心に一斉に雇い止めが起き、仕事や家を失った人のための「年越し派遣村」もできた。旧民主党政権は登録型派遣の原則禁止をめざしたが、当時野党だった自民党などの反対で実現せず今に至る。

 登録型では常用型よりも待遇は改善されにくい。派遣添乗員は旅先で拘束される時間が長く、実質的に最低賃金すれすれで働く人も多いという。棗弁護士は「年収300万円以下の添乗員を多く生みだし、使い潰してきたのが業界の実態だ」と話す。

 好きな仕事を選んで働けるとメリットがPRされている登録型だが、実際は派遣会社の立場が強く振られた仕事は断りにくい。前出の40代の女性は「派遣会社に労働条件の向上を求めたら回される仕事を減らされた。派遣会社に言われるがままの働き方だ」と言う。(以下略)

朝日新聞デジタル 2020年5月6日 12時00分
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