【起源】「神社」の社殿は日本古来のものなのか? ★4 [樽悶★]
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全国各地に点在する神社。初詣や七五三、合格祈願など、訪れる機会は多く、我々日本人にとって非常に馴染みのあるものといえよう。
ところで、普段あまり意識したことはないかもしれないが、そもそも神社の社殿は日本古来のものなのだろうか。
「教えて!goo」にも「日本の『神社』は日本古来のものか、日本化されたものなのか、外国のものなのか?」という質問がよせられている。そこで今回も、日本宗教史研究家である渋谷申博さんに、神社の歴史などについて尋ねてみることにした。
■神社の社殿の歴史
まず、神社にある社殿はもともと何だったのか、その起源について話を伺った。
「社殿の起源については、諸説あります。かつての説では、古くは社殿がなく、聖地に神籬(ひもろぎ)のような仮設の依り代を置いて神祭をしたとされていました。しかし最近では、弥生時代の巨大神殿の存在が知られるようになり、社殿の起源をそこに求める説も出ているようです」(渋谷さん)
神社には多くのロマンがありそうだ。
「もっとも、山や滝、巨石を御神体とする神社は、これを社殿に入れるわけにはいかないので、露天祭祀(ろてんさいし:青空の下で神や祖先をまつること)が起源の神社も少なくありません。現在も大神神社(おおみわじんじゃ、奈良県)や金鑚神社(かなさなじんじゃ、埼玉県)などは、本殿を持たない神社として知られています」(渋谷さん)
本殿すら持たない神社が存在するとは……。御神体の形もさまざまあるようで、実に興味深い。
■神社の造り(配置)の意味
次に、本殿や宝物殿、鳥居、狛犬、手水舎(てみずや/ちょうずしゃ)といったものに、どんな意味があるのか聞いた。
「もともと神社においては祭祀が行なわれることが重要で、社殿の有無は二次的なことです。そのため、鳥居や聖地を結界する瑞垣さえあれば、神社としては成立可能といえます。また、社殿配置に決まりはなく、寺院のような四天王寺式伽藍配置(してんのうじしきがらんはいち)・飛鳥寺式伽藍配置といったものはありません。なお本殿は、南向きが多いのですが、北向きなどの場合もあります」(渋谷さん)
社殿がなくても神社が成立するというのは驚きだ。神社の主要な施設について改めて説明してもらった。
「神社の主要な施設としては、以下のようなものが挙げられます」(渋谷さん)
本殿:御神体を奉安する社殿。神社でもっとも重要な建物
拝殿:本殿を礼拝するための社殿
摂社(せっしゃ)・末社:境内にある小さな神社(本殿だけのことが多い)。摂社は本殿の御祭神にゆかりの神を祀る社で、末社より大きいことが多い
神楽殿(舞殿):神楽・芸能などを神に奉納するための社殿
手水舎:手と口を清める(禊の代用)ための施設
社務所:神社の事務などを行なう場所、神札・朱印などの授与所を兼ねることも
狛犬:正確には獅子・狛犬。境内を守る霊獣。稲荷社の狐は神使(しんし)といって神のお使い。天神社・天満宮の牛なども神使
宝物殿:神社の宝物を納める施設。参拝者に公開する博物館のこともある
鳥居:聖域との境界を示す象徴的な門。神社のシンボル。起源などは謎
神門:神社の門。二階建てのものは楼門という。脇間に随神(随身)像を置くものは随神門ともいう。すべての神社にあるわけではない
改めて見てみると、非常にたくさんの施設があることに驚かされる。また、鳥居の起源が不明というのも意外だった。
■「寺」の様式はやはり伝来?神社との違いは?
最後に「寺院」いわゆる「寺」についても聞いてみた。
「寺院は仏教とともに伝わったもので、言うまでもなく外来です。神社が神のための空間(施設)であるのに対し、寺院は修行し悟りを得る人間のための空間になります。寺院建築は柱を礎石の上に立て、丹(に)などの塗料を使い、瓦を屋根に載せるなど、同じ木造建築でも社殿建築とは大きな違いがあるのです。法隆寺が千年以上持ちこたえたのは、寺院建築であったことが理由になります。いっぽう、神社に式年遷宮(しきねんせんぐう)の制度があるのは、耐久年数が短いことも理由のひとつです。仏教は日本に建築・工芸などの最先端技術を伝えました。神社はこれに対抗するために、あえて古代の建築様式を保ったという説もあります」(渋谷さん)
(続きはソース)
2020年5月14日 12時0分
https://news.livedoor.com/article/detail/18258752/
https://image.news.livedoor.com/newsimage/stf/f/6/f6128_314_d0520d64_0c14901c.jpg
★1:2020/05/14(木) 22:03:58.45
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1589497671/ 我々日本人が現代において、一般的な神道と認識している神道、つまり神社本庁傘下の神社の神道は日本の神仏混淆の伝統宗教に朝鮮朱子学が背乗りしてできた。
江戸時代半ばにできた新興宗教。
大義名分論を強調した李退渓の学説は、その系統を嗣ぐ姜(カンハン)という学者が、
16世紀末に日本の捕虜となって日本に連れて行かれ、後に京都に招かれて藤原惺窩と交流し、強い影響をあたえた。
藤原惺窩によって取り入れられた朱子学は林羅山らによって江戸時代の公認の学問とされることになった。
そして儒教側からも「儒家神道」と呼ばれる合体論が多く生まれたのである。江戸初期の朱子学者である藤原惺窩にはじまり、その門人の林羅山によって、
神道と儒教の一致を説く思想が積極的に提唱された。羅山はその著『本朝神社考』の序文において、
従来の本地垂迹説や神仏混淆説を批判し、
「日本が神国であり、神武天皇が天神(あまつかみ)のあとを継ぎ、その道を広めた。
これがすなわち神道であり、王道である」とし、この王道こそはシナの聖賢の道と同一のものであることを唱えた。
この「神道即王道」の観念によって神儒一致論を主張した羅山は、その考えを『神道伝授』において一歩進め、自らその神道説を「理当心地神道」と名づけたのである。
http://www.heisei-shin.com/writings_box/religion_page/religion_26_3.html アカ族の鳥居
https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/12/c4fbdf3806d00eb721dcae38c2b4c4aa0d895efd.17.1.12.2.jpeg
アカ族は、中国チベットや雲南省に居住していたハニ族が、南下ミャンマーやタイ、ラオスへ移住してきたとされています。
ハニ族は、世界遺産にもなっている棚田(哈尼梯田)を開墾した稲作文化を持ち、味噌や納豆などの発酵食品、茶の栽培や歌垣の文化も持っています。 そんな事はないニダ!
神社の起源は古代朝鮮にあるニダ
神主にあたる人物が神に祈りを捧げている様子が手搏図に描かれている
https://i.imgur.com/gbyN1TT.jpg >>5
アイゴー!
兄の国からの有難い送りものでしたか!
ありがとうございます。
一生頭か上がりません。
とか言って欲しい流れ? 京都の八坂神社は新羅系。
当社は慶応4年(1868)5月30日付の神祇官達により八坂神社と改称するまで、感神院または祇園社と称していた。
創祀については諸説あるが、斉明天皇2年(656)に高麗より来朝した使節の伊利之(いりし)が
新羅国の牛頭山に座した素戔嗚尊を山城国愛宕郡八坂郷の地に奉斎したことに始まるという。
http://www.yasaka-jinja.or.jp/about/
http://i.imgur.com/NfonxPW.jpg
八坂氏は朝鮮渡来系。
。 開封のユダヤ教徒は、現在の中華人民共和国河南省開封市に数百年間存在したユダヤ人(ユダヤ教徒)のコミュニティー。
現代の中国ではユダヤ人を中国語で 犹太(簡体字)・猶太(繁体字)(地名「ユダヤ」 יְהוּדָה の音訳)と呼ぶが、
周辺の漢民族からユダヤ教は挑筋教とも呼ばれていた。これは、「腱を取り除く宗教」という意味で、
ユダヤ教の食事規定カシュルートで動物の大腿の腱を食べてはいけないと規定されていることに由来する。
開封のユダヤ人コミュニティーは遅くとも宋代(960年-1279年)には成立し、19世紀末まで存続していた。
明代(1368年-1644年)には、ユダヤ人は皇帝から
艾、石、高、金、李、張、趙
の7つの姓を授けられ、これらは今日でも見識することが出来る。
これらの姓は本来のユダヤ人の氏族の姓 Ezra, Shimon, Cohen, Gilbert, Levy, Joshua, Jonathan をそれぞれ中国風にしたものであるという[2]。
面白いことに、これらの姓の内の2つ石と金は、西欧のユダヤ人の姓に多く見られる Stone (Stein) やGold と一致している[3][4]。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%96%8B%E5%B0%81%E3%81%AE%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E4%BA%BA >>16
ゲイバーで出会った二人を描いているように見える。 長野の田舎の神社でラジコンヘリ飛ばしてた
鳥居をくぐらせたりw >>1
起源を唱えたい方々が 蠢いているのが見える
刺青は半島が起源だったのになぜか黙っているんだが何故だろう >>16
これは完全に相撲のルーツは韓半島にあったと言えますね 「神社」は渡来系弥生人の末裔が始めた
縄文とは無関係 >>17
∧_∧
<ヽ`∀´> お前は見所あるイルボンニダ!
( )
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〈_フ__フ >>33
ハハハ、 オマエのようなチョンがいつも同じ寝言いうよなww 日本人は朝鮮朱子学の害を知るべき。
ブラック企業も特攻も朝鮮朱子学の害。
朝鮮朱子学は「格物致知」で、
「世襲で、格上の上級国民は何もしなくてよく、何を言っても、何をしても正しい。
格下の下級国民は死ぬまで奴隷労働当然」
という謎道徳。
だから、「息を吐くように嘘をつく」のは、上級国民の当然の権利。
なぜなら、上級国民の嘘は真実になるべきだから。
だから、安倍はやたら変な閣議決定をする。
本来の儒教には、放伐があるのだが朝鮮朱子学ではなくなった。
「ある人が格上である理由は、格下より徳があるから」のトートロジーになり、簡単に言えば、「長い物には巻かれろ」になった。
これが無為徒食かつ無能な両班による李氏朝鮮の衰退を招いた。 社殿の中覗いたらちょっと大きめの石だったのでそのへんに落ちていた同じぐらいの石と変えてみたけど、大丈夫だったよ ・
建物を造るようになると、宗教は堕落する。
建物という装置で、無知な民衆を勧誘するからだ。
そしてそんな建物は、「本当の神」が繰り出す火・水・風・地震・人間の欲であっけなく崩壊する。
・ >>1
左系マスコミ「日本古来のものはすべて潰して存在させなくしてやる」 まあネトウヨみたいな現代日本人そのものが
先祖をたどれば兄の国である偉大なる大韓からやってきた
渡来弥生人なわけでw その渡来弥生人の後裔がこさえた建築様式は
そりゃ理の当然として偉大なる大韓の起源にあることは当然なんだよwww
だいたい原初日本人こと縄文人、1万年も生活していながら
竪穴式住居以外の建築様式、とうとう自前では編み出せなかったでしょ?
神社建築でしばしば参照される高床式倉庫とか
そういうのは偉大なる大韓からの渡来文化だからwww
そもそも「建築」という営為そのものが大韓由来の先進文化だからねえ。 長州人が、多様性のあった全国の神社を自分達の都合のいい形に無理やり矯正した
長州人は日本人の敵 >古くは社殿がなく、聖地に神籬(ひもろぎ)のような仮設の依り代を置いて神祭をした
これは日本書紀か古事記に書かれてある天照大神を最初に祭った檜原神社のことだな
今でも鳥居しかない >>41
古来からだと思っていた物事が実は戦後生まれだったりするんだよね >>42
あほやな。
仏教も漢字もお茶もうどんも大陸南部からだ。
なぜなら呉音で仏教用語は渡来してる。
因みに天皇も呉音。
漢音ならてんこう。 ところで神社で思い出したが
仏像ほど一般的ではないが神像(not晋三www)ってのもあるにはあるんだよ。
それを拝んでる神社ってのはどれほどあるか知らないけれどもね。
で、まあ本朝における神像の何たるかは適宜調べてほしいんだが、
少なからずは仏像のコピーみたいな感じなんだけど
たまにね、これは前衛だなあ、プリミティブアートかと思う
人類始原の記憶の活写のような神像、これあるんだよ。
よくネトウヨのバカどもが偉大なる大韓の古代芸術を
トーテムポールといってバカにするが
(そして何気に日本でもトーテムポールは出土してるがw)、
よく考えれば日本人の先祖が偉大なる大韓にあるとすれば
その古代美術の様式も大韓調でいささかも不思議はないよな 今の神道と江戸中期までの日本の伝統的な宗教との違いは、
キリスト教とイスラム教以上ぐらいある。
祭神が変わっているからだ。記紀神話の天皇につながる神以外祭神変更されたんだよ。
合祀令で検索!
神仏判然令で検索!
大小神社取調書についても読んで欲しい。
神道の神はスクリーニングされた。
http://www.mkc.gr.jp/seitoku/pdf/f13-3.pdf >>1
答えは古事記に書いてある
渡来人の秦氏が秦から逃げてきたヨーゼフ(徐福)一行 ●「日本人とユダヤ人の先祖は同じである」という説を日ユ同祖論という。これを最初に言い出したのは、日本人でもユダヤ人でもなく、スコットランド人のノーマン・マクラウドという人物が言い出した説である。
このノーマン・マクラウドなる人物のことはよくわからない。一説にはイギリスでは売買を商っており、日本や韓国では宣教師として活動ながら「イスラエルの失われた十支族」を探していたという。
マクラウドが日ユ同祖論を展開したのは、イギリスに元々あった「イギリス・ユダヤ人同祖論」を日本とユダヤに当てはめたものであるらしい。
内容は、日本の天皇、宮家、公家の儀式とユダヤ教の儀式が似ているからというものであった。
ちなみにアメリカの黒人は「イスラエルの失われた十支族」である説。
ネイティブアメリカンは「イスラエルの失われた十支族」である説 。
韓国人は「イスラエルの失われた十支族」などなど世界中にあるらしく、特にめずらしいものではないようだ。
日本の場合、ノーマン・マクラウドの講演を聞いた日本のキリスト教指導者数人が、明治から昭和初期にマクラウドの説をさらに解釈を加えて日ユ同祖論を作っていったらしい。
なぜか?
明治〜戦前の日本はまだまだ二等国だと思っており、なんとか一等国に欧米のキリスト教国に思ってほしかったのである。そして日本は偉大な国であり、神の国であると日ユ同祖論者は口をそろえる。
例えば、「日本は神の国である。ゆえに蒙古襲来の神風から日清日露戦争にいたるまで負け知らずであったのは、我々日本人がユダヤ人と同じく神に選ばれた民だからだ」
とか、「旧約聖書に数か所「日の出る所から、その沈む所まで」という聖句があるが、この中の「日の出る所」とは地球の中央であるエルサレムから一番東にある「日いずる国」である日本のことだ」
とか、『日本は神に選ばれた国であり、日本民族は神に選ばれた民族である』といういわゆる神国ニッポンの皇国イデオロギーと同じなのである。 近所のそれなりの神社の江戸時代の古地図をみろ。
名前も祭神も違う可能性が高い。
あなたの知識は改変後の神道を古来の神道とする捏造されたものでしかない。
品川神社が牛頭天王だった話。
http://www.city.shinagawa.tokyo.jp/hp/page000010700/hpg000010623.htm ●ユダヤ人は日本人のことをどう見ているのか?
ユダア人研究でも有名な神戸女子学院大学の内田樹教授によると『エンサイクロペディア・ジュダイカ』という、全26巻におよぶ英語で書かれた百科事典がある。
『エンサイクロペディア・ジュダイカ』は文字通り『ユダヤ人の百科事典』という意味で、その厖大な百科事典に、日本についてのことがどれくらい記されているかというと、0.009%、ページ数にしてわずかに2ページ程度であるという。
日ユ同祖論に熱心な日本人には申し訳ないが、イスラエルを含む英語圏のユダヤ人は、日本や日本人にほとんど、あるいは実質この程度しか関心がない。
Wikipediaによると、一時滞在も含めて日本に住んでいるイスラエル国籍者は802名(2005年末)であるそうな。
ユダヤ系アメリカ人など他国のユダヤ人を含めると2000人ほどいるらしいが、極めて少ないといっていいだろう。
よって日本にユダヤ教のシナゴーグ(集会所) もほんの数か所しかなく、そして開国してからあまりユダヤ人は日本に住みつかず、
もっといえば第二次世界大戦前に日本に横浜や神戸、長崎にあったユダヤ人コミュニティーも、戦後になるとみんなアメリカに移住しちゃってなくなってしまうありさま。
どうやらほとんどのユダヤ人にとって、日本については関心もなく、また世界のあらゆるところに移り住んだユダヤ人だけど日本はあまり魅力的ではないのかも知れない。 神田明神に平将門が居なかった話。
明治七年(1874)、明治天皇の行幸が決定。
すると、明治政府が天皇が参拝する神社に逆臣である平将門が祀られている事を問題視。
この事により将門公が御祭神から外されてしまう。
代わりに少彦名命が茨城県の「大洗磯前神社」から勧請される。
以後、長年、将門公の御神霊は
境内摂社に遷されたままとなっていた。
http://www.news-postseven.com/archives/20121228_162646.html ◎日ユ同祖論の年代矛盾。
ダビデの星がユダヤの象徴になったのは十七世紀から (イエズス会製)。
伊勢神宮のダビデの星がある石灯籠の設置は戦後。
ユダヤ・カバラで生命の樹理論の元型ができたのは12世紀(盲人イサク)から。
クリスチャン・カバラ(生命の木中心)は15世紀にピコが創始。
◎日ユ同祖論の方位矛盾。
メルカトル図法は方位が不正確。
方位が正確な正距方位図法ではイスラエルの東北の果てが日本であり、東の果てならニューギニア島あたり。
聖書が根拠の失われた十支族に考古学的証拠なし。
イスラエル中心の正距方位図↓
http://ronbarak.tumblr.com/post/39738833512/online-map-creation-using-azimuthal-equidistant
◎日ユ同祖論は縦書きの漢字とヘブライ語(横書き)の子音表記を無視。
公にしない支配者層の文章ですら漢字と漢字の変形(仮名)。
漢字否定の為に神代文字を捏造。
ヘブライ語は子音表記で母音記号(ニクダー)がないと正しい読みは不明。
都合よく読めばどんな言語とでも同祖論を作れる。
◎日ユ同祖論は仏教と道教を無視。
本地垂迹説(神の正体は仏)で神の実体を否定する仏教が国教(寺が神社を管理)。
天皇も側近も仏教徒。
日本語に仏教用語は多いが神道用語は少数。祇園は仏教用語。
昔の神道=和風道教。神道・神器・天皇は道教用語。
天皇は道教最高神・天皇大帝(北極星)の略。
◎日ユ同祖論はユダヤ教の最重要教義を無視。
神道は多神教で安息日がなく(十戒=最重要事項違反)、
バルミツバ(13歳でする成人式)もない。
祇園は仏教用語。シオン祭というユダヤ教の祭りは存在しない。 RiekoPiano@RiekoPiano • 7月23日
ユダヤ教徒の妻ですがシオン祭などというのは見た事も聞いた事もないですね。日本独自の都市伝説です。そもそも7月1日がロシュハシュナでシオン祭の初日という記事もありましたが今年のロシュハシュナは9月24日から26日です。
RiekoPiano@RiekoPiano • 7月23日
ネタとしては青森のキリストの墓と同じで面白いなあとは思うのですが(笑)、世界のどこにいても伝統行事を大切にしているユダヤ教徒に話したら「なんじゃそりゃ」と笑ってました。ユダヤ教の行事カレンダーも7月は空白です。
RiekoPiano@RiekoPiano • 7月24日
何度も言いますがシオン祭と言うもの自体が存在しないのです。ユダヤ人は古代の行事伝統をすべて大事に今でも行っている民族ですがそのユダヤ人たちの間でこのような祭りが存在しないのです
RiekoPiano@RiekoPiano • 7月24日
シオン祭で検索してみてください。祇園祭に関連する記事以外何も出てきません。本当に存在する、あるいは存在したものなら、たとえユダヤ教やユダヤ人の文化の記事として必ず英語か日本語でみつかります。それが何もないのです 。
RiekoPiano@RiekoPiano • 7月24日
ユダヤ人たちは、世界のどこにいても、その多くが子供の時からヘブライ語を学び、自分たちの民族の歴史や伝統をしっかりと教え込まれます。そのための学校も必ずあります。その彼らが「シオン祭?何それ?そんなもんないよ」と言っているのです。
RiekoPiano@RiekoPiano • 9月5日
それで、伝統をこの上なく大事にして何千年も多くの行事を続けているユダヤ人たちが知らないシオンの祭典って何ですか?
ユダヤ人の祭り
http://www5f.biglobe.ne.jp/~jesus/NT-intro_festivals.htm
ユダヤ教 ━ ユダヤのお祭り
http://myrtos.co.jp/info/judaism03.php >>48
仏教用語の読みについては国語学やら漢文学やら言語学やら仏教学やら
いろいろ参照せにゃならんからむつかしいぞ。
漢訳仏典の流入史まで参照せにゃならんからね。
で、もちろんウリにはそんな知の体系はないから語る術がないがね
神道起源と偉大なる大韓の古代文化についてはもう少し考えられてしかるべきと思うね。
その途上において現生日本人の祖先が偉大なる大韓の渡来弥生人、
すなわち地上最強の戦闘民族、大韓民族の征服王朝にあることも
これまた分明になるだろうしねえ
>>39
福翁兄貴オッスオッス ユダヤ人由来だろ?
入り口の周りを血かなんかで赤くしたのが鳥居として伝わった 。
トリイはヘブライ語で門という意味。
カタカナもヘブライ語と瓜二つ、君が代もヘブライ語由来。
昔の日本人は彫りが深かったというし、
そこに今で言う韓国、中国が流れ込んできて顔面が平たくなったんだな。 >>60
小中華思想はやめろ。
迷惑だ。
日本人は李退渓の朝鮮朱子学で酷い目にあってる。 >>5
韓国人は山陰地方で神社破壊してたよな?バチがあたればいいのに。 >>8
お前の書いてることはずーっと間違ってるけど、仕事か何かで書かされてるのか?
そもそも神社本庁なんて朝鮮戦争の頃にできたような組織だ。
神仏習合はそれこそ飛鳥時代、聖徳太子ですらやってる事だ。 鹿児島の廃仏毀釈
江戸時代には,幕府の仏教保護政策の影響もあって,
仏像をもって神体とする神社があるなど神仏混淆の傾向がありました。
王政復古によって祭政一致をめざす新政府は,1868(明治元)年神仏分離令を出し,神社からの仏教的色彩の払拭に努め,
旧幕時代,僧侶より低く位置付けられていた神職は,神仏分離に止まらず,寺院・仏像の破壊,経典・仏具の焼却を求めました。
多くの地方では神仏分離のみで廃仏毀釈には至らなかったが,鹿児島藩は廃仏を断行し,数年間は藩内に
一つの寺院もなく一人の僧侶も見られなかったといいます。
鹿児島藩において廃仏毀釈が実施された理由としては,鹿児島では,寺院と民衆の結びつきが薄かったこと,
廃寺により職を失った僧侶の生活の保障に努めたこと,藩が廃寺によって得た財源を軍備充実に充当しようとしたことなどがあげられます。
この措置により,大乗院,福昌寺など県内の名刹(めいさつ)はことごとく廃されることになりました。
http://www.pref.kagoshima.jp/ab23/pr/gaiyou/rekishi/bakumatu/haibutu.html >>64
あってる。
日本人を朝鮮朱子学から守るのがおれの目的だ。 鎌倉の廃仏毀釈
神仏分離自体は江戸時代から藩によっては行われており、単純に「分離」するだけであればあまり問題はなく、
1868年(慶応4年)の神仏分離令も仏教の破壊を意図したものではありませんでしたが、これに端を発し、
日本の貴重な文化と文化財を数多く破壊した廃仏毀釈運動が起こります。
数年後の1871年(明治4年)には全体として終息したものの、その間に日本全土において仏堂、仏像、仏具などが破壊され、
数多くの歴史ある寺院が廃寺に追い込まれました。
大阪住吉神社神宮寺に大伽藍はほとんどが破壊され、奈良興福寺でも食堂が破壊、
千葉鋸山の五百羅漢はすべてが破壊、伊勢神宮のお膝元である三重県では100か所以上が廃寺となったといいます。
鎌倉でも、鶴岡八幡宮にあった数々の仏堂や塔頭、仏像が破壊され、
源頼朝が創建し700年に渡り神仏双方が護持されてきた鶴岡八幡宮は全く違う姿になってしまいました。
鎌倉に大量にあるやぐらにはよく仏像が安置されていますが、首の折られているものが多数あります。
これももしかすると廃仏毀釈の行いかもしれません。様々な変遷を経て今日残っている歴史ある日本の神仏を少しでも大切にしていきたいものです。
(江ノ島/江島神社 全5回 おわり)
https://kamakura-guide.jp/enoshima_enoshimajinjya-5 >>1
そもそも神道には必ずしも神社なんか要らない。
多くは寺院の真似してつくったもの。
大半は明治以降だしな。 >>52
なぜ紀元前200年の人物が期限後400年ころに日本に渡来するのかな? >>52
>答えは古事記に書いてある
>渡来人の秦氏が秦から逃げてきたヨーゼフ(徐福)一行
あとはハイジとアルムおんじかな? もともと、神道は自然の脅威を恵みにかえるため象徴的自然物(山とか太陽とか)を祀ったアニミズム。
この延長で祟りそうな人(平将門や菅原道真とか)を祀った。
中世には仏教と習合。
江戸中期以降、神道は朝鮮朱子学ベースに再編された。
結果、必然的に徳の高い偉い人が神になることになった。
そして、明治には廃仏毀釈と同時に天皇陛下につながらないアマテラス系でないアニミズムの神さまは合祀または廃祀。
古代神道と今の神道は別物w >>71
申し訳ないが記紀の年号はまったく当てにならない
が、実際の人物や実際起こった出来事をもとに描かれていると仮定すれば なぜ安倍政権下で恥知らずな朝鮮化が進むか教えてやるよ。
安倍が理想とする大日本帝国は、列島と半島からなる多民族国家だった。
安倍は、再建するつもりだ。
統治理念は格物致知で「偉い奴は何もしなくてよく、何をしても正しい」朝鮮朱子学。
朝鮮の李王家は大日本帝国では王公族となり皇室とほぼ同じ権利義務を得た。
実は、大日本帝国はオーストリア・ハンガリー二重帝国のような
日本朝鮮二重帝国が正体。
殖民地の王が宗主国の皇帝とほぼ同じ権利義務とかありえない話だ。 神道が朝鮮朱子学の後裔なことを、ブリタニカ国際大百科事典をソースに説明してやるよw
儒家神道
江戸時代に儒教によって解釈,組織された神道説の総称。
中世の神道説は儒教や老荘,さらに陰陽五行説の術語や論理をかりることもあったが,その中枢においては仏教教理によって解釈,組織されていた。
江戸時代に入り儒教運動の隆盛をみるに及んで,仏教的潤色を洗い落し,儒教によって神道説を再組織することが企てられた。
この場合儒教のなかでも朱子学の思想が有力に作用した。朱子学は太極を根源とする理気二元論の高遠な形而上学を有するが,
これが古学派,陽明学派の非難攻撃を招来するところであったとともに,深遠な仏教哲学に対抗して神道説を再組織する要因でもあった。
林羅山の理当心地神道は天皇の道である神道は儒教における聖人の道つまり王道であるとし,太極理気説によってそれを説明した。
羅山は儒教の立場から神儒一致を唱えたが,神道の立場から神儒一致を唱えたのは吉川惟足の吉川神道 (→吉田神道 , 吉田兼倶 ) および度会延佳の伊勢神道 (度会神道) である。
前者は理学神道とみずからも称しており,いずれも儒教の教理によって自説を基礎づけているが,朱子学的色彩が濃い。
この両者をも広い意味で儒家神道に含めてもよかろう。
延佳に伊勢神道,惟足には唯一神道の伝授を受け,
深い儒教の学殖をもって神儒一致を主張したのが山崎闇斎であり,その神道説を垂加神道という。
神秘性の強いその所説はこじつけも多いが,尊王愛国を説く熱情と非合理性のゆえにかえって多くの共鳴者を得て,
門流は大いに栄えた。闇斎の神道説は,古学神道と並んで近世尊王思想の理論的支柱をなして全国に普及し,幕末維新に際しては多数の行動家を輩出した。
https://kotobank.jp/word/儒家神道-77650 >>77
大学の時に韓国からの留学生に
「日本と韓国がまた同じ国になったらイイですね」
って言われて寒気した 天皇崇拝および日本崇拝(忠君愛国教)は、その日本の新しき宗教であって、もちろん自発的に発生した現象ではない。
二十世紀の忠君愛国という日本の宗教は、まったく新たなものである。
一般の人民はなおも仏教に対して愛情を抱いていたし、一般の祭礼も仏式であり、死者を葬るところも仏寺であった。
しかし支配階級はこのすべてを変えようとした。天皇は太陽女神の直系の子孫であり、彼自身は地上の生き神 (現神 あきつかみ)で
あって、自分の臣民に対して絶対的な忠誠を当然に要求できるものである、という神道の教義を主張した。
神話と古代史と称するものが同一の書物に記載され、どちらにも同じようにありうるべからざる奇蹟が麗々しくでて
いる。年代記は明白に虚偽である。古代の天皇の口から出たという勅語は、中国の古典から抜粋した寄せ集めである。
日本国民は、その支配者の超自然的美徳にあやかるところがあって、『武士道』と称して、
劣等の国々には知られて
いない高尚なる騎士道によって特に秀でていると主張している。
官僚階級があらん限りの力を
用いて組み立てようとしている思想の構造は、以上のごとくものである。
『日本事物誌』 調べれば調べるほど色々混ざってるんだよね
そこが面白い まーだやってんのか、稲作起源だとか縄文文化だとか、日本黎明の話になると
韓国起源がどうこうとまぜっかえしてマトモな話ができなくなるのがどうにかならんか。 日本古来ではないと思うなあ。
社殿(しゃでん)は、訓読みがない、大和言葉ではない。 >>85
今の言葉だって明治期に大きく変わっている。
でも、日本という国はその前からあるだろ。 >>87
大事なものならば、音としての大和言葉で残ると思うんだ。
漢字流入以前に存在した音が。
日本(やまと)という音が今に伝わっているように。 なるほど、カミを祀るこころ・慣習の始まりと「社殿」の起源とは分けて考えんとな、という噺家。
社殿は伝来かもと思っていたが、三内丸山遺跡あたりには、そのはしりとなる造営物があった可能性は否定できないし、それと大陸からあるいは南方から伝えられた知識と経験とがごちゃまぜになってるかもしれん。 >>76
秦氏が渡来したのは応神天皇の時だから紀元後に制作されたことが確実な七支刀が送られた年代よりも後だよ。
七支刀はその前の神功皇后に送られてるから
つまり4世紀
徐福は紀元前2世紀の人物 >>85
「御社(オヤシロ)」あるいは単に「社(ヤシロ)」と言わんか? 銅鏡が日本古来のものでないのだから、それを保管する社殿も銅鏡が伝来したより後に制度化されたものだよ。 『神社の起源と古代朝鮮』(平凡社) ←神社の起源を知りたい方はこれ
神社信仰の成り立ちには、渡来人の痕跡が拭いがたく刻まれている。近江から敦賀、
出雲、三輪、韓国の慶州までを歩きながら、古代朝鮮半島に日本の原始神道の起源
をたずねる。 日本固有のものとされてきた神社信仰だが、その起源においては、新
羅・伽耶を出自とする渡来人の痕跡が拭い難く刻まれている。好評の前著『原始の
神社をもとめて』に続き、日本海沿岸から韓国の慶州へと至る旅路のなかで、原始
神道における始まりの謎に迫る。
日本と古代朝鮮をつなぐ信仰の知られざる系譜。
『伊勢と出雲(韓神(からかみ)と鉄)』(平凡社) ←神社の真実(日本の本当の神)を知りたい方はこれ
古代朝鮮とのかかわりから神社の起源を探り、沖縄、済州島、韓国・慶州を経巡って
きた著者が渡来人の足跡=「鉄の道」を辿り直して行き着いたのは、国家神道の中枢
だった。両者とも日本の起源が刻まれた地でありながら別物とされてきた伊勢と出雲
を、「韓神と鉄」をキーワードにつなぎ直す思索の旅の物語。
>>92
言う。
ミヤ、ヤシロ、カミ、漢字や仏教の流入以前から存在する言葉だろうね。
だが「社殿」は仏教の影響下で、「古来の信仰」を発見する過程で作られたものだろうね。 古代朝鮮とのかかわりから神社の起源を探り、沖縄、済州島、韓国・慶州を経巡って
きた著者が渡来人の足跡=「鉄の道」を辿り直して行き着いたのは、国家神道の中枢
だった。両者とも日本の起源が刻まれた地でありながら別物とされてきた伊勢と出雲
を、「韓神と鉄」をキーワードにつなぎ直す思索の旅の物語。
https://www.heibonsha.co.jp/book/b239700.html
神社信仰の成り立ちには、渡来人の痕跡が拭いがたく刻まれている。近江から敦賀、
出雲、三輪、韓国の慶州までを歩きながら、古代朝鮮半島に日本の原始神道の起源
をたずねる。 日本固有のものとされてきた神社信仰だが、その起源においては、新
羅・伽耶を出自とする渡来人の痕跡が拭い難く刻まれている。好評の前著『原始の
神社をもとめて』に続き、日本海沿岸から韓国の慶州へと至る旅路のなかで、原始
神道における始まりの謎に迫る。
日本と古代朝鮮をつなぐ信仰の知られざる系譜。
https://www.heibonsha.co.jp/book/b163652.html 国家神道の研究でも知られる歴史学者の故・安丸良夫氏は、著書でこのように書いている。
〈伊勢神宮と皇居の神殿を頂点とするあらたな祭祀体系は、一見すれば祭政一致という古
代的風貌をもっているが、そのじつ、あらたに樹立されるべき近代的国家体制の担い手を
求めて、国民の内面性を国家がからめとり、国家が設定する規範と秩序にむけて人々の内
発性を調達しようとする壮大な企図の一部だった。そして、それは、復古という幻想を伴
っていたとはいえ、民衆の精神生活の実態からみれば、なんらの復古でも伝統的なもので
もなく、民衆の精神生活への尊大な無理解のうえに強行された、あらたな宗教体系の強制
であった。〉(『神々の明治維新』岩波新書) 926名無しさん@1周年2020/01/14(火) 12:41:50.48ID:4Ufwtfj+0
>>906
最古の大壁建物跡か 奈良・高取の遺跡で発見
https://www.sankei.com/west/news/181128/wst1811280010-n1.html
同町では、朝鮮半島式の床暖房装置「オンドル」を持つものを含めて約40棟見つかっている。
以上、記事より一部抜粋
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