【歴史】誤解だらけの「元寇」…日本と元、戦争直後に貿易が空前の活況を呈した理由 [首都圏の虎★]
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今の世界では、国際的な経済関係は政治と切り離せない。
たとえば、米中貿易摩擦だ。米国のトランプ大統領は中国について「巨大な市場障壁や手厚い国家補助、為替操作、製品ダンピング、技術移転の強制、知的財産と企業秘密の大規模な窃盗に依存する経済モデルを受け入れている」と昨年9月の国連演説で非難。中国からの輸入品に対する追加関税措置を正当化したのは、記憶に新しい。
さらに政治の意思が鮮明なのは、経済制裁だ。米国はイランに対し、同国の核開発を理由に、エネルギーや金融を含め経済取引をほぼ全面禁止。これは事実上の戦争行為といえる。制裁には日本なども追随している。
政治的に対立し、戦争の可能性さえある外国との商取引を国家が禁止するのは、当たり前だと思うかもしれない。しかし歴史的にみれば、それは必ずしも当然ではない。戦争によって政治的に敵対関係となった国の間でも、民間では貿易が可能だったし、事実行われていた。しかもその実例は日本にある。日元貿易だ。
戦争した敵対国と活発な民間貿易
前回の本連載でも取り上げたように、鎌倉時代、皇帝フビライの下、中国を支配していたモンゴル帝国(元)が2度にわたり日本に来襲した。蒙古襲来(元寇)である。ところが、この元との戦争以降、日本と元との貿易(日元貿易)は空前の活況を呈する。
日本の鎌倉幕府は、元と国交を結ばず、朝貢(貢物の献上)もしなかったが、それにもかかわらず、博多などの商人は積極的に元と交易をした。
日本だけではない。東南アジア諸国も、次々に元と交易関係を結んだ。とくにチャンパー(ベトナム)やマジャパヒト王国(インドネシア)などは、日本と同じく元寇を受けたにもかかわらず、元との交易を望んだ。
その理由について、こんな説明がよくされる。フビライの遠征は、もともと征服ではなく通商の拡大と交易路の確保が目的だったので、遠征後にはほとんどの地域が元とのつながりを強めたのだ、と。
しかし、アジアの海の歴史を踏まえると、別の見方もできる。
中国では875年の農民反乱(黄巣の乱)をきっかけに唐帝国が滅亡に向かい、国家の統制から自由になった中国商人が南シナ海に進出し、民間交易が活況を呈する。
東アジア海域でも、9世紀に中国の民間ジャンク船(大型木造帆船)が日本にやって来て、日本人商人も中国沿岸で自由に取引するようになった。894年に遣唐使が停止されたのは、政府間の行き来がなくても、民間交易が十分に機能し、それを通じて情報も入ってきたからだ。
唐の衰亡以来、周辺の国々は数百年にわたり、帝国の支配に入らない自由な海の繁栄を享受してきた。だから元帝国の海洋支配に対して激しく反発し、海洋の自由を守り切ったのである。神戸学院大学准教授の北村厚氏は「自由な海が守られ、フビライもそれを容認したので、彼らはもとのように自由な海で活発に交易をおこなうようになった」とみる(『教養のグローバル・ヒストリー』)。
沈没船から大量の陶磁器や銅銭
日本には日元貿易を通じ、唐物(からもの)と呼ばれる舶来品が大量に流入し、唐物ブームが起こった。1323年6月ごろに中国の寧波を出港し、博多へ向かったジャンク船が韓国・新安郡の道徳島沖で沈没した。1975年に発見され、話題となる。積まれていたのは、1万8000点を超える陶磁器、800万枚の銅銭(28トン)、1000本余りの紫檀材、青銅杯など驚異的な量だった。
この沈没船は長さ30メートル余りで、当時の唐船としてはとびぬけて大型船というわけでもなく
2020.05.16 17:50 全文はソース元で
https://biz-journal.jp/2020/05/post_157191.html
https://biz-journal.jp/wp-content/uploads/2020/05/1485261.jpg 日本って鎖国してたって言うけど薩摩とかはフツーに貿易してたよな?
連邦政府がどんなにご禁制いうても地方の実力ある大名がそんなの守るわけないw 日本人の文章ってタイトル、看板に偽りあり、というかどんどん横道にそれて何がいいたいのか
よくわかんなくなる、あるいはわざとよくわかんなくなるようにするのが多いね だから中国と積極交易しろって?
チャンコロナショックで打撃受けてまだこりんの? 戦争があると当然軍需産業が儲かる
第一次世界大戦で戦地になったヨーロッパは誰も得してないが
戦地にならず武器を売りまくったダメリカが大躍進w
朝鮮戦争も日本が復興するのに大いに潤ったw だから中国、韓国とこれから仲良くしよう!
とはならへんで
直近でいうなら戦争したのはアメリカとだし >>10
米中戦争や、北チョンと南チョンの争いで一儲けしよう!じゃね? 日本人の象徴蒙古斑がなぁ
蒙古襲来がどうも納得できん・・ 元寇って、源義経がチンギス・ハンやったんやろ?
とか、
なんか酔っぱらって言ってみるw 昔の話なのになんで「中国」って表現が出てくるの?
1949年まで存在しない国だろ?
また、 技術やノウハウ を中国に盗まれたのか、
永遠にかぎりが無いネ 馬鹿なんじゃね、
いずれ いまの日本の若者たちは、 売春(少女売春・ホモ売春)
が主体になる観光業で 外貨を稼いでいかねばならなくなる。
よく稼げるよう早めに 用意、始め!
>>7
してなかったっけ?
日宋貿易では刀もしてたらしいね 攻めてきたのは元なんだけど派兵したのは朝鮮だから朝鮮激怒ですよw 左翼史観だと元の無礼でもない国書を無知で野蛮な日本が無視したのが原因って言い張るからな 元って今のモンゴル地方だろ?あんだけ領土あったのになんであんなに領土失ったんだよ。もう少し残っててもバチ当たらんだろう >>3
寄り合い所帯の封建制だから藩によって法も税も身分制もそれぞれ
全国一緒くたにしてる教科書が悪い >>5
よくわかんなく
そりゃそんな言語力じゃ理解出来んだろうよ 元が軍事的に海洋進出をしようとしたが
周辺国がそれを嫌がったというのは面白いな
欧州まで攻め込んだ巨大軍事国家だったが海は苦手だったもんな >>21
その論理は仰る通りかなり無理があるんだけど使者を撫で斬りにしてるんでそこをつけこまれる ヨーロッパにペストまき散らしたのもモンゴル帝国>>1 まぁ政治が中共のヤバさに気づいて経済交流やめようとしても、利益に釣られて密貿易とかする奴は出るだろうな。そういう意味で>>1の記事は間違ってない
ただ、唐末期とか南宋みたいに政治が経済に比較的自由を与えた時代の後に来たのは、結局元寇だったという見方もできるけどな >>31
元って俺のイメージで占領した国とか地域はあまり興味なくて
内政もしないから経済も人も疲弊しまくりでそりゃ派兵しろ言われても反発するわなw >>22
日本に到達した船はほとんど無い事は史実である
また中国や朝鮮の軍属以外には日本海を超える能力はなかったというげんじつも
考に無い捏造が大半だろう
ほとんど朝鮮半島で消えたもしくは略奪されたと言えそうだ!! >>7
刀って研ぎ師がいないと保たんしサビのある海に弱そう 1272年、高麗の王世子・椹(後の忠烈王)は「惟んみるにかの日本、未だに
聖化を蒙らず。故に詔を発して軍容を継耀せしめんとせば、戦艦兵糧まさに須い
る所あらん。もし此事を以て臣に委ねなば」「王師を小助せん」とフビライに
進言しているわ。要約すると「日本は野蛮で文化の無い国なので、モンゴル様
の威光を知らせて教化してやる必要があります。だから私に軍をお貸し下さい」
と言っているの。それに、実際に動員された高麗兵の士気も高く、釈円鑑は
「東征頌」で、「鼓ヘイ巨浸に轟き、旌旆長雲を払う。驍勇皆死に趨き、英雄競
いて勲を立てんとす。」と日本侵略を鼓舞していた」
だから韓国教科書や韓国人が言っているような“蒙古の強要”“倭寇の征伐”
というのは嘘である。事実は、モンゴルに占領されてしまった高麗で、
高麗王は「モンゴル様の領地を増やして差し上げましょう」とおべっかを使い、
また朝鮮庶民の不満を逸らすために外敵を攻めようとしたのである。
元国が日本を属国にしようとしたことは事実であるし大使を何度も日本に
送ったのも本当である。直接の原因は、当時の日本の幕府が過剰な態度で
断固として元国の要求を拒絶したことにあるだろう。
しかし韓国人の言う『反対したが無理矢理させられた』は、弁解に過ぎない。 >>21
「大蒙古帝国皇帝」なんて署名してある国書は当時の東アジアの常識からすれば無視するしない以前に親書の体をなしてない代物だったんだけどね
フビライからの“国書”と称する作文を受け取って和訳させられた公家衆の困惑は察するに余りある >>21
>>1の記事中にも前の記事へのリンクがあるけど、
前の記事で国書が穏やかで修好を求めてきてたって書いてるね
けど下のスレでも反論されてるけど、実際にはクビライは
その国書持ってきた使者が帰国する前から
もう「朕、宋と日本とを討たんと欲するのみ」と言ってたんだよね
【日本史】元寇、神風でモンゴル軍退散との“虚構”は、なぜ生まれたのか?
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1585574319/
>フビライ政権は、朝鮮半島の高麗を仲介役に立てて日本と交渉をもとうとした。
>いくどか使節団が送られ、使節団が携えてきた国書が九州の大宰府から鎌倉幕府と京都朝廷に転送されたが、
>日本側は返事を出さなかった。これまで、その書状が無礼きわまる文面のうえ、
>日本を脅す内容だったから、日本側の対応はやむをえなかったといわれてきた。
>ところが専門家によれば、じつは文面はたいへん穏やかであり、修好を求めているにすぎなかったという。
>モンゴル史が専門の杉山正明氏(京都大学名誉教授)は、交渉の経緯をみても、
>フビライ側に初めから交戦する意思があったかどうか、はなはだ疑問という。
>「鎌倉幕府が大陸情勢をよく理解して冷静に対応さえしていれば、開戦は回避できたのでは」と述べる(『大モンゴルの世界』)。 >>21
似たような調子で日本が南北朝鮮に送ったら、間違いなく激怒されるよな、あれ
日本が元と冊封関係にあるならともかく
あと元との貿易は、元王朝自体が管理する気がなかったのが正解じゃないか?
どっちにせよ元にはまともな海軍がなく、素人海賊に惨敗するレベルだから、やりようもない 中国は海上戦力の増強をもって米国に対抗し、太平洋の西側に覇を唱える気満々なんだから、インドと東南アジア、環太平洋国家郡は海上交易の自由のために中国と戦わなければならないってことだな! 侵略すればいいって言ってるのか?
日本が中国を滅ぼしたら経済は発展するよ 船で日本まで行くだけでも大変なのに、そっからさらに上陸して日本軍と戦うなんて無理げーだろ
まあペリーくらいの技術があって戦力もあるなら別だけどw イヤイヤイヤイヤ、元寇の対として倭寇ってあるの知ってるか??
幕府が高麗征伐にストップかけやがったから、
民間で征伐しまくった。ソレがこの時代の交易。 日本侵略だった。それが活況を呈したとか言っても意味が無い
大軍で攻めて来て、ライトな感じだったとかふざけてんのか
どうも日本の歴史に浸透して、日本の侵略は侵略と声高に刷り込むが、日本への侵略は大したことなかったとかにずらそうとしてる勢力が居る
狡いし不正だよね、秀吉の朝鮮侵略、文禄慶長の役が侵略ダッタで構わないが、元寇も日本侵略ときちんと言うべきだよ
元寇の時には「日本侵略」って言わないんだよね、日本の文科教育は 『ゴースト・オブ・ツシマ』2020年夏に発売決定!
侵略者、高麗棒子を切り倒せ! もう文系のアホ分析は必要ねえから引っ込んでろよw
昔と今を同列に語るなよw 国際情勢は日に日に変化してんだよw 明治時代の勝海舟へのインタビュー記事に
北条政府は偉かった
モンゴル人の元が嫌で逃げだす中国人富裕層の
受け入れ政策を上手くやって国力をつけた
鎌倉が仏教寺院に力入れたのもそれが目的
みたいな事が書いてあったな
本当かどうか判らないけど 元寇のときに女を奴隷として連行するときに手に穴あけて縄でつないで逃げられないようにしたとか
イラストみたいなのあったけど、さすがチョンてえげつないことするよね。黒人を船に身動きとれないくらい満載にして運んだ欧州もクソだけどw あと、宋とは盟友関係にあったので、
宋が滅ぼされた後、
宋のモノが大量に日本に渡ってきた。 >>21
日本が悪いになんとか移動させようとし続けてるよ、高麗王国への反乱軍でしかない三別抄からのシグナルがどうたらこうたらとか、
侵略されたのに「ムクリコクリ」などの差別意識が広がっただの、やられた方の日本史の解釈でどうもNHKが韓国史観を垂れ流させているみたいだしね
では本当に鎌倉幕府が三別抄に加担していたら、内乱に付け込んで侵略したと今も声高に糾弾しているであろうに、ダブスタこの上ない史観を流行らそうとしている そりゃ、征服したかったろけど、出来ないなら商売だろ そもそも、政治体制からなにから
現代と違う元寇当時と比較してもなぁ...そもそも
今の中共はどう見ても
「自由の海」(というか海の自由) を守る気なんか
さらさらないじゃんw 茶器なんかは唐物と呼ばれる一級品の名物はこの宋の時代の宝物が渡ってきた。 今の教科書は侵略と書いてないのか、昔の教科書は攻めてきた元の船が台風で海の藻屑と消え攻められなかったと書いてたが お寺とかの宮大工もそもそも中国からの技術だよな。きっちり組み上げないで隙間作って仕上げる
このおかげで地震がきても揺れを吸収するから何千年も持つ。漢民族ってすごいよね 高麗王国軍も司令官の金方慶将軍が、元軍司令官に戦意の高さから賞詞されている
やる気満々で攻めてきたが負けたされだけだ。
日本の豊臣秀吉が攻め込んで負けたのと一緒だ、撃退されたんだよ。それ以上でも以下でもない
けども、恩賞が無く九州は荒廃して没落した武士などが土地などを失ったりして倭寇へと流れていった >>33
使者を斬ったのは元が一方的に攻めてきて壱岐対馬の住民を
皆殺しにしたり連れ去ったりした後だ
てのを左翼は隠すよねw
なぜか元の攻撃前に使者斬ったと思ってる人がいる ざっと主文書いた人を要約すると 中国の戦争行為は通商目的である。
誰も迷惑はしなかったと だとさ。 中国人の歴史観そのままで ウイグル人から見たら卒倒する。 >>72
元に「いけ!」って命令されて嫌々だからね。 キングダム休んでる間に
アンゴルモアとアルスラーンと蒼天航路とグインサーガの続きやれよ。 元寇に限らずどこの世界でも経済関係ができるのは当たり前や。
元のユーラシア支配シルクロード、パクス・ロマーナ、アメリカ
戦争の99.9%は経済が原因なんだから 元々宋と交易が盛んだったからだろ
宋兵以外の捕虜は皆殺しの話もあるし >>73
対馬民を殺戮蹂躙されたのだから当たり前だ。 >>75
息を吐く様に嘘を付くな、朝鮮人がそそのかしたんだろが >>75
兵士レベルではどうかわからんが
「日本を討ったほうが...」って勧めたのは
高麗王だったハズだが? >>77
太平洋戦争はダメリカが急に原油売らないもーん!って言われて日本が切れた感じかな 実際、鎌倉幕府が滅亡したのも、
高麗征伐をストップした為に、
求心力を失ったからが正解。
で、倭寇で力を付けたヤツらが、
鎌倉幕府を滅亡させた。 そんなお上と民間の距離が遠かった昔の話なんて現代に適用できないと思うけど
つまり中共の圧政が終われば、貿易が盛んになるってことですかね
中共はすぐ輸出入停止だの旅行禁止だの制裁かけてくるもんね >>67
豊臣秀吉の朝鮮侵略は文禄慶長の役とは言わずに「朝鮮侵略」で、
逆に元高麗軍の日本侵略は「元寇」とだけの用語的表現にしてるところは多いんじゃないかなあ?
日本を跪かせたい歴史学で糾弾会を実質やってるのと同じだよね、侵略行為を客観的にそれぞれつきはなして教えるのではなく、日本の場合は侵略を強調、日本への侵略はスポイル
もしそういう形態ならそれは日本人への占領政策的差別に他ならないが、近隣諸国条項で日本人は日本国の日本人への差別的な扱いをしていないかもっと疑うべきだ 高麗王国軍司令官の金方慶将軍は、奮戦して元軍司令官から賞詞されたというから高麗王国軍がやる気が無かったとか言うのは疑わしい
誤導が目的ではないかな? 日本は交易には国が口出さず自由にやらせてたんだよ
今の中国は逆
国が口出して全部管理してる
つまり中国とはまともに交易しない方が良い 九州・博多から侵略する2万人にのぼる元・高麗連合軍は、兵の数の優位と鉄炮
(てっぽう)なる新兵器、集団戦法などを駆使し、日本の武士団を撃破しては町
を焼き払い、逃げる民間人を殺すなどやりたい放題。また、捕らえた女性をひも
で数珠つなぎにし、日本の攻撃から船を守る盾(たて)にしたほか、拉致した
子供を奴隷として高麗国王に献上するなど、残酷で非人道的な行為も数限りなかった。
侵略される町々
文永11年10月20日、船で博多湾に集まった元・高麗連合軍の兵は早朝を
期して上陸を始めた。日本側は鎌倉・北条時宗と京都へ敵襲来の知らせと援軍を
求める急使を送ると、大宰府に本陣を置き、至急集まった周辺の御家人ら総勢
5千数百人で待ち構えた。
最初に戦闘状態に入ったのは午前10時ごろ。場所は上陸地点のひとつ、
百道(ももち)原をさらに進んだ麁原(そはら)。相手はキム・バンギョン率
いる高麗軍約4500人で、迎え撃つ日本側は約1300人とも。
前日に元軍のホン・ダク率いる先遣隊が占拠した小高い「麁原山」周辺をめぐる
攻防戦とみられるが、数で劣るのに単独で突っ込んでいく日本に対し、鉄炮など
の新兵器と集団戦を展開する高麗軍にじりじり押される。
日本側の大将・少弐景資の放った矢が、元軍に2人いた副司令官のうち1人を
射抜き、負傷させる戦果もあったが、博多の息浜(おきのはま)まで攻め込まれ
るなど、やりたい放題に暴れられる。
この戦いで箱崎(筥崎)神社が焼失する。博多の中心部でも元や高麗の兵によ
る殺害や略奪、放火などが横行したことで地は血に染まり、空は炎で真っ赤に染
まったともいわれている。
相次ぐ残虐行為
このような行為は博多の前の戦場だった対馬と壱岐でも同様で、高麗の歴史書
には、「入対馬島、撃殺甚衆」と、キム・バンギョンの高麗軍が対馬で島民を
皆殺しにしたとする記録が見られる。
生け捕りにされた女性は手のひらに穴が開けられ、ひもを通されると数珠つ
なぎにされ、日本の攻撃をかわす盾として船壁に並べられたという記述は残酷
で生々しい。
奴隷の手に穴を開ける行為は高麗以前から朝鮮半島にはあったとして、日蓮
はこれを高麗の仕業と断定しているが、伝聞をもとにした記述のため、異論も出てる。
ただ、山に逃れた島民をしつこく捜す元と高麗の兵士が、赤ん坊の泣き声などを
たよりに見つけ出すと全員を殺害し、赤ん坊も股裂きなどにした残虐な話は数知れず。
壱岐でも同様の行為があり、元・高麗連合軍が暴れ回った後は武士だけでなく
一般島民の死体の山で埋まり、生存者はわずか65人だったともいわれている。
さらに、元の総司令官が帰還後、日本から連行した少年・少女200人を奴隷と
して高麗国王と妃であるフビライ・ハンの娘に献上するといった拉致同然の行為が
高麗側の記録で確認されている。 >>85
倭寇ってどのあたりの時期のことを言ってるんだ?
後期倭寇の構成人員は
中国人、朝鮮人が日本人よりもはるかに多かった、って
常識は知ってるよね? 誤解だらけのってフレーズ見ると車選びって連想してしまうw >>73
NHKですら大河ドラマで
対馬壱岐の住民虐殺しといて謝罪も補償もなく相変わらず
高圧的な要求するとは何事だ!つって使者を斬らせてたぞw ヨーロッパはまだモンゴル帝国への嫌悪が残ってて
同じく侵攻されたくせにチンギスハーンを英雄とみてる日本人が変って言ってた人がいたな
アメリカ人が俯瞰した感じで書いた歴史書にはモンゴル帝国が統一された通貨・交易制度ひいては、今の国際社会の始まりってまとめてた 現代社会で、自由な海を不自由にしようとしているのは中国だよ。 主文の筆者いわく 政治と経済は別ですよと・・・・・一緒ですよ。 >>94
チンギスが英雄?たんなる光栄のゲームの印象だけだろw なんか日本を必死に擁護してるバカウヨがいるけど、元寇の原因は100パーセント倭猿にあるのは歴史家の常識だぞ? 概説 中国思想史(ミネルヴァ書房)
久米裕子(京産大文化学部准教授)という学者が日本が悪いって唱えてたな
要旨は5度も粘り強く丁寧な低姿勢で接したフビライ相手に幕府と朝廷の二元体制で決定できなかったせい
「兵を用いるに至っては、それ誰が好む所ならん」を勝手に日本が威嚇と受け取ったのも悪い
文永の役の戦後半年も立たないうちに使節を送る寛大なフビライの使者を処刑したのも日本のせい
更には日本遠征の拠点となってる高麗侵略計画を立てる鎌倉幕府
そして4年後にやってきたまたも元使節を処刑した日本の態度は開戦の意志があったと取られて仕方ないんだって 日本が敗戦した時の行政組織は既に用意されていて「征東等処行中書省」または「征日本行省」と呼ばれていた。
元帝国が長官的ポスト、高麗王国が副丞だから副官だね、税の徴収などを扱うから、実際に日本国での占領地が拡大していけば、現地日本でこの省が税の徴収を行うことになった。
元帝国が負けたから、占領中の一時的な北九州以外では税的徴収は掠奪と連行以外は無かっただろうけども。 倭国征伐の間違いだろ
クソジャップは高麗からの和平の使者を野蛮に斬首していたらしいね。
これは明白な戦争犯罪だし、倭寇、秀吉、日帝36年に加えてクソジャップが韓国に謝るべき項目だよな。 >>100
どこの歴史家がそんなこと言ってるのか詳しく
ってか具体的に日本の何が原因なのかと シナチョンパヨさんのテキトーな歴史弄り、ムカつくだけだわ >>101
そんな低能は相手にする必要なし
お前は使者をスルーされたら軍事的に攻撃するのか
と聞いてやれ >>98
ナポレオンやアレクサンドロスが英雄扱いされるのと同じじゃね >>103
君が無知なだけ、元寇に関して後代の倭寇・秀吉・日帝はまだ発生してないよ 釜山とか朝鮮半島からもきてるし
朝鮮人は奴隷として船の漕手や
矢避けの的にされたんだろうな
朝鮮人がモンゴルと戦ったって話ないよなww
ほんと負け犬奴隷民族だよなw 日本の侵略は侵略で構わないが、
他国の侵略だと平定・進出とか、ユーラシアの大帝国の規模が凄くてロマンとか言う歴史学者、滅びればいいのにな >>98
>>15みたいな
源義経と同一視する伝説が昔からあったし
司馬遼太郎とか遊牧民族自体に幻想出来な雰囲気を感じ取ってだ人も多い
その人らも光栄の影響ですね 交易したいって言ってきた使者を殺した時点で、元に日本を懲罰する大義名分ができるわな。 >>110
日本は占領されたマッカーサーや開国を強引に迫ったペリーですら英雄だもんねw >>100
ホルホルするなら
お前の祖国を、心配しろ
wwwwww チャンコロは もうすぐアメリカによる大虐殺されるから
食料封鎖による兵糧攻めの餓死 >>67
左翼的には戦時中の神風カルト史観の元凶として扱いたいから、大嘘かましたんだろ
それに、きちg…屈強な鎌倉武士が撃退しましたでは、武人(軍人)による対外戦争の勝利を称揚してしまう
身の程知らずの小国が使者を殺して大国に攻め入られたが、天候のおかげでなんとか命拾いした、というストーリーにしたかったんだろう
教科書に掲載していた絵も、わざわざ元の兵士が逃げている部分をカットして、鎌倉武士が押されていたように見える部分だけ使って印象操作してたからな >>16
それどころか、
漢民族とやらが大陸を支配したのは、漢と明しか無いんだよなあ… >>1
これ、密貿易の話じゃんwww
馬鹿じゃねえのw ホラズムでもモンゴル軍の使者を斬り殺してるな
その結果、ホラズムは王族も平民も平等に皆殺しにされた
日本は撃退できて良かった >>16
中国と中華は同義語で
中華は春秋時代から使われてるから
別におかしくは無いよ ビジネス読み物すぎてどうしようもない。歴史読み物を期待していた。 当時の日本は元からやってきた外交使節を皆殺しにするような野蛮国だろ
報復で攻め込まれても仕方ない 日本が使者を斬り殺したのは「文永の役」の後だからな
あんだけの侵略戦争仕掛けておいて実力をもって撃退された後、図々しくも服属求めに来たんだよ
わざとなのかバカなのか両方なんだろうが、スレ内でも意図的に混同してるのが多いし 李氏朝鮮
李成桂による建国
高麗はモンゴルに完敗してしまう。そして元国の属国になる
これは、日本への元寇に高麗が積極的に関わったことでも証明されている。
そして高麗が李氏朝鮮に変わるんだけど、
元国が衰退して行き、紅巾族(後の明国)が跋扈し始めた。
そのとき元国は高麗に派兵を要求した。この派兵に応じた高麗は、
李成桂を将軍とした軍隊を派遣したが、李は途中で軍隊を引き返して高麗王朝
を攻め滅ぼしてしまった。この裏切り行為によって成立したのが、
朝鮮王朝最後の李氏朝鮮である。
李氏朝鮮、通称・李朝は明国に事大し、国名まで明皇帝に決めて貰ったほど。
その後、明は清に滅ぼされるんだけど、李朝は最初は明に事大していたけど
清が勝ち始めると途端に寝返って清国に事大し、明国の残党を大喜びで虐殺
し始める。『大中華の明国が滅びれば、素晴らしい中華文化は小中華の我が
国が正当後継者となる』と言って
韓国の教科書ではいっさい教えていないこと
その元主人への虐待ぶりは、新主人の清国も呆れたらしい。
他にも元寇に高麗が積極的に関わったことも“モンゴルに強制されて仕方なく”
と書き、さらに“倭寇を討伐するため”と嘘の美化をしている。
さらにさらに“高麗の残党がモンゴルに抵抗したから、元寇は遅れた。
日本は半島に感謝しろ”と大まじめに言う韓国学者も居る。
本隊の高麗が日本侵略に積極的だったのに、一部が反対したからって何ほどの
ものだろうか? 結果的に高麗がモンゴルと結託して日本を攻めたことには変わりない。 文永の役で船に逃げ帰るしか出来なかったのに
よくまた攻めようと思ったなw
バカじゃね >>36
フビライは皇帝になる前から中国で内政頑張ってたぞ >>134
まず「攻め込まれる前」に元からやってきた使節を皆殺しにしたソースは? 元の手先になって 悪事だけを働き 負けて以来 こいつらと組んで勝った国は一つもない
という情け無いジョーカーになった朝鮮民族。 元寇のあと、報復として海賊を行ったのが倭寇の始まりだと言われてるな >>135
使者を斬ったタイミングをズラすイメージの拡散は意図的なものでしょう >>137
不穏分子であった南宋の降伏兵なんかの始末も兼ねていたという話もあったな >>134
日本の住民虐殺しといて平気で使者送ってくる野蛮国だからな
使者斬り殺して教えてやったんだよ
お前は交渉の仕方知らん野蛮人だってな >>141
恩賞が無く武士などが落ちぶれたからだろう 元寇3度目の襲来が無かったのは、2度目の時に上陸した高官が日本を見て
「日本は山と川しかない狭い土地だから、南に進みましょう」ってフビライに進言したから
確かに中国の南方と比べても平野は少ないし、当時の農業をするには不便な貧困地帯だから
高官が言うように小さな島国には価値がなかった。 >>1
鎌倉の外港である横浜側の六浦湊で
日元貿易は行われていたよ >>144
かなりの回数を使者のやりとりして
最初の侵略以後でないと斬ってない筈だと思ったが そもそも使者が行きたくないと何度もごねてる時点で、通商を求めるだけの「穏当」な国書じゃないことを知ってたとしか思えない 宋の時代まで日宋貿易で日本刀は輸出されてたんだけど
宋がモンゴルに負けて、モンゴルが攻めてきた鎌倉時代に刀の製造法が進化したのか
そこから戦国時代が始まって、鎖国になったのか(´・ω・`) >>100
何も言わなくても朝鮮人だとわかるwww
本当に出鱈目な歴史教育をしてるんだなwww
自称元慰安婦が慰安婦団体を銭ゲバ詐欺師だとバラせば
慰安婦団体も元慰安婦を偽物だとバラす始末w
韓国人は歴史の真実を受け入れる準備ができてい無かったろうなwww >>143
戦争で降伏した国の元戦力を先陣として侵攻させるのはよくあること
当時の戦争観からしておかしなことではない どっちを信じる?
高学歴な左派良識派
「元寇の原因は全面的に日本にある」
低学歴バカウヨ倭猿
「元寇は大韓民国が悪い!」 鎌倉幕府が高麗征伐やめちゃった代わりに民間が朝鮮を襲いまくりというw >>146
教科書レベルの常識じゃないか。
元寇で生活基盤を破壊されたから、生きていくために略奪行為するしかなかったって。 鎌倉幕府はリアリストの集団
高麗出兵やるはずない
遠征費がかかる >>100
そう、その通り。
秀吉の韓国侵略や倭寇の残虐行為を問い詰められたネトウヨが見苦しく逆ギレしてるだけだよな。
そもそも日本征伐なんて古すぎてまだ被害者ヅラしてんの?って感じ。 日本が蒙古に対して強硬な態度だったのは
南宋の亡命民が日本に大量に来ていたからだよ
幕府はそれらの進言を先に聞いていた
蒙古に対する情報は予め被征服者の南宋人から聞いていたし
そもそも出兵の要請までされていた。まあ断っていたわけだけど
そんなこんなで最初から敵対状態でした 勝海舟は九州の武士に防衛させて悠々としてた
と元寇について言ってたな >>161
つまり日本侵略は事実だと言う事ですよね?
否定されてませんし、それと私は秀吉の李氏朝鮮侵略(文禄慶長の役)を否定などしたこと無いですけどね あと、経済圏間で通用する銀での地域内取引の少額の銅貨を使うシステムが
広がったのが貿易を促進した気がする。
日本に銀が入ってきたのかは知らないけど。 >>155
生きていたら確実に不穏分子だから、最前線でコキ使ってすり減らすのは一石二鳥。 >>92
それは「間違いだらけ」じゃなかったっけ? 対馬侵略しといて 今更何言ってんの 住民虐殺してんだろ >>158
元を滅ぼした朱元璋も最初は塩の密売組織と組んでたよな。
かなり沿岸部の統制は緩んでいたんだろうね。
同じく日本も鎌倉幕府が末期だったから、そういう両国の事情で密貿易が盛んになったんだろうね。 でも高麗の人がわざと壊れやすい船を作ったおかげで
元寇は防げたんだよね?
当時の朝鮮の方々には感謝こそすれ恨む理由はないよ クビライは日本を服属させようと試みたが交渉は失敗し、
1274年と1281年に二度の日本侵攻(元寇)を行った。
『高麗史』には忠烈王がモンゴルに日本侵攻を働きかけたとの記述がある。 冊封体制から日本が離れても中国とは民間貿易やってたし
新発見みたいに書いてるけど、国と民間は違うってだけの話だ 元人の高僧も鎌倉にいたよ
無学祖元は違うがごつたんふねいとか言うのがいた
元人なんでいづらくなって帰った言われてたっけ
文永の役の時には南宋と元が戦争中でその南宋と日本は仲良かった
元につくはずない 日本が宋を交易で支援してたけど、モンゴルに負けて、おめぇも従えって攻めてきた
準備する期間があったのかもね(´・ω・`) >>134
いきなり小国は大国に従えとか従わないなら戦争になるけどとか最後通牒突きつけるとか
素敵な外交使節だな >>115
まあ司馬はモンゴル語学科卒だし満州で戦車兵をやっていたから
ああいう騎馬民族的な雰囲気に凄い憧れがあるんだろ。
戦車兵は騎兵から発展したしな。 ウリナラの三別抄が蒙古を防いだからこそ、倭国は助かった。
感謝シルニダ >>155
朝鮮戦争の中京義勇軍も反共産主義者が前線に送られたと聞いたな 元寇は博多に居る大陸本国で抵抗勢力の明を援助してるシナ人を壊滅しに来たんで有って日本制圧が主目的じゃなかったんだよね 金も南宋も高麗も最終的には攻め込んできてるという情報があるなかで、文面を信じるのは平和な時代の人間だけだろ
>>172
旧南宋人は命だけは助けたけど、旧高麗、金人は処刑してる時点で、ただの侵略者という認識じゃね 三別抄って、元が済州島に作った官営牧場に左遷されたモンゴル人の反乱だったって説もあるらしいけど?
確かNHKでやってた。 貿易といっても私貿易だろ。清なんて江戸時代の日本とは国交がなかったが、清商人が普通に長崎に来ていただろ。別におかしくない。 >>182
そんな話は初耳だ。
交易&植民したかったんじゃね。 >>141
松浦党の連中が初期の倭寇の主力だったのは事実
というよりほかにそれだけの水軍持ってて半島やらに行ける連中がいないw
四国の水軍連中よりも気性荒いし
渡辺党の連中だから血気盛んというか獰猛
長崎あたりの連中はそんな感じ
後期になると日本人よりも半島やシナの海賊がメインになるけど >>134
>>135の通りなんだが、聞いた話だと日本以外の国は最初の使者から斬っていたらしい >>98
あんだけでかい帝国築いたんだから英雄に違いないだろ
チンギスハンが英雄でなく虐殺者だというなら
アレキサンダーもカエサルもナポレオンも虐殺者だわ >>182
なるほど。
それも目的のひとつであってもおかしくないよな。
初めて目にした説だ。 殖民?交易?
日本征服後の統治行政機関が『征日本行省』って名付けられていたのに? >>8
今回のコロナも被害が少ない国が大儲け!って患者数・死者が先進国で圧倒的に少ない国はってなるな 貿易っていうか、運よく勝ったから、モンゴルにちょっとよこせみたいに言ったんじゃないの?(´・ω・`) >>182
クビライは文永の役の何年も前から日本と宋を討つと言ってるから
攻撃目標ははっきり日本だよ >>186
182さん正しいと思うよ。
モンゴルはそういう方針であちこち暴れてたらしいて説ある。
ただ、南宋だけど。 >>145
落ちぶれた武士とか悪党ってよりも
元々貿易とかもメインにしてた海賊連中が
報復に始めた感じ
落ちぶれるも何も技術や経験がないと半島や大陸に強奪に出かけるとか無理だから >>194
それは誤解。
織田信長はいきなり虐殺はしていないんだよ。
何とか和解の道を探ってるんだよ。
長島の一向一揆に対してもずっと甘い顔をしてきたから実の兄まで一揆勢に討ち取られちゃってるしな。
最後に仕方なく皆殺しの道を選んだに過ぎないんだよ。 >>3
いつの時代の知識だよ
今じゃ「四つの口」をあわせて教えてるよ
松前藩・対馬藩・長崎・薩摩藩 >>198
使者の手紙にはそんなこと全然書いてないから違うよ
要求してないじゃん >>176
宋を併合してから官僚機構が出来て国の動きが遅くなった結果負けだした公務員原因説みてさもありなんと思ってる まあその頃は日本国内に元のスパイはゼロに近かっただろうけど
今の日本はチャイナのスパイがウヨウヨもしくはパヨパヨいるってことが違うところだな >>198
南宋を攻めるためにその前に、大理国を征服するみたいな路線だよね >>24
ローマ帝国→イタリアは?
オスマン帝国→トルコは? >>188
使者に選ばれるということは、 命がほぼなくなるということだったのか
特攻隊に志願したのと同じだよな。 >>197
クビライの日本に対する執着はなんなんだろうな
帰国した使者が「戦闘意欲旺盛な民族で山地が多く海は荒いから侵攻不可能」と進言してたのに無視して侵攻したからな >>198
面白いから情報源だせや
何を支援するんだよ銅銭でも送るんか?
必要なもん硫黄か金属くらいしかねえけどそんなもん大陸南方の方が早いだろ >>34
ヨーロッパで猛威を振るったペストは中国発症
昔も今も変わらないなー >>1
強姦された時の味が忘れられず自分から股を開くようになったと・・・ >>195
今回はコロナで儲けた国は中国だろう
武漢で変なウイルス流行って、WHOに人から人に移ることを黙らせて
世界中から医療用品買い集めて、世界が騒ぎだしたら5Gのファーウェイと一緒にその買い集めたのと抱き合わせw >>161
倭寇は元寇の復讐という側面があったんだよアホ。
途中から倭寇の殆どが朝鮮人だがな。
その朝鮮人が朝鮮人に残虐行為を繰り広げていたことすら知らない情弱w
流石朝鮮の教科書で育っただけはあるw >>205
松浦党が奇襲かけたり鎌倉武士が防塁乗り越えて突撃したり
スカッとする中で赤マフラーが
嵐がくる!停戦して元の兵を上陸させろ!
と説教するすごい作品だぞ >>204
今は鎌倉時代より圧倒的に不利だよね
国内が反日だもの >>209
宗と日本の間に通商があって、宗をやっつけるためにも
日本を攻めることが必要だったんじゃないの?
知らんけど >>161
チョン半島なんか明に出兵する通り道にしか過ぎんよ。
そもそも朝鮮はあっけなく首都に攻め込まれているじゃん。
侵略というには手応えが無さすぎる。
徳川時代はずっと日本に朝貢(チョン流に言えば朝鮮通信使が文化を教えらですかw)して
将軍家に拝謁してんじゃん。立場的には琉球王国と同じ。
倭寇は国家に縛られない日中(チョンも?)の海洋自由民の集団で
国際貿易を担った、いまでいう多国籍企業の武装商社マンだよ。
大英帝国の海賊みたいなものだ。もう少しやる気になれば倭寇が
アメリカやオーストラリア大陸を発見していたかもしれんな。 >>161
お前の身体の中にも、
BCG「日本株」がおるんやで。 手に穴を開け紐を通した島民を盾に
「仲良くしよう」とかあるわけねーだろ死ね >>197
宋と友好関係にあってその上亡命者とか受け入れてるんだから
当然敵国同士
どっちかというと南宋からの亡命人とかが日本利用して復興運動とか
やろうとしてたように思えるけどね
>>209
マルコポーロのせい?
平泉とかの話が誇張して伝わったせいとも言うけど >>209
貿易貿易貿易のための戦争で最後に来たのが海上貿易
あと南宋この辺は倭国の頃から変わらん
吹っ掛けて松浦党が金印でも貰っとけばよかったんだわ 日本は大陸から銭を輸入してたから交易は絶対に必要だった 元は中華地域も含め支配下に置いた諸国から税金取れれば税率こそ高かったにせよ後は放任主義だったからそれらの諸国と日本との貿易が盛んになってても不思議は無い
当時のモンゴル語は現在の英語の如き位置付けだったので当然にそれらの交易圏には言語も文字も普及して居た
そう朝鮮半島にもね
15世紀朝鮮では世宗大王はそれまで勝手にモンゴル語や日本語や好き勝手に方言方字が用いられて居たのを
朝鮮国内を交易圏として一つに纏める為や防諜を目的として標準明語読法ハングルを制定したが
記号の作成に際してモンゴル語を参考にした為に中産階級の台頭を嫌う奸臣に明への謀叛を讒言されてしまい
結果的に漢字もハングルもそれまで有った方字も全て庶民から没収して文盲に陥れてしまった
以後朝鮮は1910年に至るまで世界最貧国への坂道を転げる様に墜ちて行ったので在りましたとさ モンゴル帝国は征服しきって
独立国として隣接しているのはベトナムと日本
だから来たと言うだけでは?
先祖の偉業を前にアリクブカを倒しただけでは自己権威の証明にならないと考えていたのかもしれんが >>209
降伏させたばかりの南宋の兵士を大量に日本に送り込んで棄民したかったんだとか。
反乱の芽を潰すと同時に上手くいけば日本も領土に組み込める一石二鳥の作戦だと思ったんだろうね。
誤算は、小さな島国の兵力が想像以上に強かったこと。 >>224
昔も今もこいつらものづくりに向いてないなw >>228
仮に台風が来なくても日本は勝てたんかね。 >>172
お陰ではないw
元軍が武力で負けて上陸出来なかったのが全て
上陸出来てれば船の出来なんて関係ない >>210
ゴメン。ちょっと違った。
日本がメインターゲットだった南宋とてを組まないように、
俺たち友達になるよな?みたいな手紙を送ってたようで、
南宋支援をたたせる工作だったらしい。
確かその手紙をガン無視決め込んだので武力行使が起こった?
釈迦に説法かと思うけど使者の手紙、モンゴルとかでググってください。 >>209
金、銀
当時、日本は金銀の鉱物資源の産出国 謝國明が貿易を行い、北条時輔は死んだと偽って元の内情を探り、クビライ・カァンの計画を突き止めました 元寇自体、九州の御家人だけで余裕で勝てたので、
幕府はどういう戦いだったのか、
把握していなかった。 マルコ・ポーロの黄金の島ジパングって、
有名だろ?? >>230
そもそも征服なんて無理だろう
モンゴルの基本的なやり方は遊牧民式で対馬や壱岐でやったような
住民全員殺すか奴隷にして根こそぎ強奪
そんな目的で日本に派兵する時点で秀吉のあれと逆パターンの誇大妄想w
十数万とか動員して得るものはほとんどないし
ほっといても帰るしかないからどの程度国土が蹂躙されるかの違い
秀吉のあれにしても統治能力なんてないんだから限界点に来たら
その時点で詰む >>227
秀吉のは別にその通りだから
元寇は日本侵略だけどね マジャパヒト王国にも確か遠征していた、海の征服にも乗り出したのは確か >>237
日本人には有名だけどな。
海外ではどれくらい有名なのか分からん。 中国だって全く別民族だしモンゴルも今のロシア人みたいなタイプだよきっと >>235
後詰だよ、いまみたいに鉄道も無いし、動員して駆けつけるまでに時間差があった
たしか宇都宮を大将に称して5万ぐらい送ったはず
到着する前に決着がついた >>21
元って投降勧告して 投稿してきた敵を皆殺しにするようなヤツなんだよ 軍事政権だったからな日本
戦のプロだからサクサク対応できる
公家政権だと危ない
陰陽師から始まりそう 貿易が目的なら中国は圧えるだろうが大モンゴル帝国なんて作る必要なかったんとちゃうかと思うけど
チンギスは途中で死んでるし もともと樺太アイヌ同士の紛争に介入した元と安東が戦い安東が破れた。
和国襲撃の機会を高句麗が唆し元寇に至る。 >>225 「カネさえ入って来れば好いんじゃん!?(´・∀・`)」と云う
近現代のアングロ=サクソン的帝国主義経済にも連なる
パラダイムシフトに気付いたのが足利義満で勘合符貿易を始めた 日本は長い戦乱の中で、
集団騎馬戦法を確立しており、
世界最大の長弓を馬上で集団で駆使できたし、
接近戦になれば、
日本史上最高の切れ味だった日本刀で滅多切りして
モンゴル軍を虐殺した。 >>90
高麗が行った残虐行為と、韓国人が主張する日本軍の残虐行為って似てない?
それってもしかして >>1
ダラダラ長文書いて、挙句「チョンを助けるニダ」かよ。
マトモな文章ってのは問題提起の直後に結論を書き、以降分析なんだよ。
命題を放置して論点をすり替える「朝鮮論法」は日本人に通用しませんよ。 モンゴル帝国の出現によってマルコポーロが東方まで旅して、黄金の国ジパングについて記述している
その頃の日本からの交易品は金銀で、代わりに陶器や銅貨をもらっていたw なんか九州の方言で元寇がくるぞみたいな言葉があった気がするけどド忘れした
なんだっけ? >>246
遊牧民で土着化するかそれ拒否するかの二択だし
軍事力だけなら世界最強だったからおとなしく引きこもるのは無理だろう
モンゴル自体が不毛の地だからわざわざ世界中に打って出たわけで
その逆にいえばモンゴルの地なんてどの国も奪いに来ないような不毛の地 >>1
当時の中央に地方の民間取引を取り締まるほどの力は無いんだよ
国対国で取引していたわけではなく、地方の海賊崩れが勝手に取引していただけだ そもそも鎌倉時代は宋銭が貨幣として流通したくらいだから
日本から貿易止める訳がない、止めたら確実に損する 旧南宋民を殖民するのなら、征日本行省には、勝って占領していたら遠征軍から
ヒンドゥ、クドゥン、アラテムルあたりが領土を与えられて、その上に征日本行省みたいな構図になったんじゃないですかね 当たり前
九州人が鎌倉土人目の当たりにしたら元の方が遥かにマシってなるだろ >>24
北元が後金に滅ぼされた時
モンゴル族(今のモンゴルと中国の内蒙古)以外の首長が降伏をよしとせず
なお抵抗を続け、結果として清(のち中国)以外の国
(キルギスなど中央アジアやロシア)の支配下に入ったから 元と貿易してできたのが京都の天龍寺だろ。商人だけじゃなくてできたばかりの室町幕府も貿易してたって。 13世紀にはモンゴル軍って攻城戦なれてきて、サマルカンドとか落としているけど
宋の釣魚城とかは30年くらいかかってかつハーンが病没しても落ちないんだよな。
当時の築城技術って漢人のテクノロジーがずば抜けていたのかね 無学祖元もそうだが、南宋末期には南宋の文化人など上層階級がけっこう亡命してきてるんだよな
禅の抹茶文化なんか中国では滅んでしまって日本にしか残っていない >>200
むしろ割とさくっとなで斬りにするの秀吉ってイメージがあるな 壱岐、対馬、五島の島民が高麗や元に出向き、
商人したり略奪して元寇の恨みを晴らしたりを滅ぶまで繰り返したのが倭寇だね。
対馬の早田左衛門太郎なんか朝鮮南部の三浦地方を実行支配し朝鮮王朝成立後は官位を認められてるし。 >>230
元軍は、馬と弓矢が有効に使えなかったからね。
モンゴル騎兵の最大の武器が使えない以上、日本を長期間占領するほど勝利は無理でしょ。
湿地帯と山岳地帯の日本で騎兵の威力は激減してしまう。
モンゴル騎兵が使う短弓は動物の膠で接着されているから、高温多湿の日本の気候では数日でバラバラに。 誤解されてる可能性としては、神風なんか関係無くて2回とも素で撃退してる事実だね。
2回目に至っては、襲来対策に設立した騎馬機動部隊が到着する前に
九州の現地防衛部隊だけで壊滅させ、仕返しに準備してた大陸侵攻直前まで至ってた事。
可哀そうなのは住民全員が防人として人柱になった対馬・隠岐の住民。
井手上獏君はもっと評価・尊敬されるべき。 >>76
なんだそのパンが無いならお菓子を食えばいい理論は? そういえばアンゴルモアは今博多編やってるな。
天草衆が出てくるとは思わんかった 何で元時代は高度な技術持ってたのに
李氏朝鮮は車輪すら作れない国になっちゃったの? この時代の交易は、松浦党などの壱岐・対馬・五島の豪族が商船団を作って交易を行いつつ、略奪もしていた。
大きな理由として元寇で敗れた元の兵士は奴隷として日本経済を支えており、継続的に補充の必要があったから。
倭寇は朝鮮半島を史書に記録されているだけで500回以上襲撃し物資や奴隷を調達していた。 元視点でゲーム的に言うなら全九州勢相手にしつつ政治経済軍事の中心の太宰府を落とした後どうするか
陸路より海路が早いしそれなりに船にも慣れてきてるので瀬戸内海に行って海賊に襲われる
なんとか突破したらもう京都が近いんでいよいよ首都決戦だがなんとか制圧する
これで終わりかと思いきや実質的な首都の鎌倉に本家本元の武士が要害の地でひしめく有様
大会戦の後、万一鎌倉落としたとしても各地であったように武士はゲリラ戦を東北で繰り広げ出血を強いてくる
後知恵とはいえ日本侵攻は無理ゲー 南宋が降伏しての軍人失業対策だから本気で攻めるつもりなかったとか >>43
>ところが専門家によれば、じつは文面はたいへん穏やかであり、修好を求めているにすぎなかったという。
と聞けばああそうなのかと思わされるけど実際の文面は
「強大国であるモンゴルにまだ挨拶に来ないってどういうこと?小国は分をわきまえろよ
俺を親だと思ってさっさと来い、そうしないと軍を送るよ」
https://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/mouko_kokusyo.htm
大陸の情勢を聞けばモンゴルが要求してるのは単なる修好通商ではなく
服属か皆殺しの二択であるのは明白、文面の穏やかさは形式的なもので要旨は高圧
宋とは盟友関係だったので、
元を攻める倭寇に宋人が居るのは必然。 >>279
宋朝の方がはるかに日本と往来あったのにねぇ
元朝なんて天竜寺船以外の往来あまりない
日本側で蒙古を警戒してたから 北条家は承久の乱以来、朝敵扱いだったが、国威奮発のため、1902年に北条時宗には従一位追贈でござる 確かにグローバルの枠組み自体がグローバルを阻害してる気はするね >>284
お蔵入りになった朝廷が作成した返信の内容を見ても、鎌倉だけでなく朝廷も脅迫と受け取ってるのは明らか >>230
台風が来るのは戦略のうちだからな
元寇については遊牧民がなぜ強いのかもわからず
海戦の戦略もわからずで一体なにを論じてるのかしばしばわからない
なんの強弱を話してるの?
ドラゴンボールみたいに個々にはそれぞれスカウターみたいなものがついてて
絶対数値で強弱が決まってるとでも思ってるの?
環境も武器そのものなんだが 鎌倉時代、俺の先祖は征夷大将軍候補だった
ネウヨの先祖は半島で何してたん? >>294
当時だと半島の将軍候補とどっちが偉いかわからんな 元の記事を読むと
南シナ海のほぼ全域を
自国支配下に置こうとしてる中共はクソ!って
結論にしかならんような気がするんだが...何が
言いたいんだろうか?w 黄巣の乱
これ初めて知った、黄巾の乱といい中国は黄色が好きなのか? >>116 >>134
なんか使者派遣と元寇の銃版を間違ってる人が何人もいるんで、使者派遣〜第一次元寇〜使者処刑までの順番まとめた
1266年8月 一回目の使者・K的、殷弘が選ばれ、高麗経由で日本に行くが途中で引き返す
1267年6月 クビライは再びK的、殷弘に日本行きを命じる
1267年9月 高麗王は「海路は危険なので皇帝の使者が行かなくても」と自分の側近の潘阜を二回目の使者として派遣する
1267年1月 大宰府に潘阜が到着、クビライの国書「大蒙古国皇帝奉」を日本に届ける
1268年5月 クビライが「朕、宋と日本とを討たんと欲するのみ」と発言
1268年7月、潘阜が高麗に帰国、日本からの返書はなし
1268年10月 クビライが「或いは宋、或いは日本、命に逆らえば征討す」と発言
1268年12月 K的、殷弘が三回目の使者として日本に向かうも、対馬で拒まれ引き返す
1269年6月 四回目の使者・高麗人の金有成が来日、国書を届けて大宰府に長期滞在するが日本からの返書はなし(金有成は弘安の役後の十二回目使節)
1269年12月 五回目の使者、元の秘書監の趙良弼が派遣され国書を届ける
1271年9月 返書はなかったが趙良弼は弥四郎ら使節団を連れて帰国
1273年6月 趙良弼が六回目の使者として再来日、大宰府まで来るが帰国する
1274年10月 第一次元寇・文永の役
1275年2月、七回目の使者として杜世忠が送られる
1275年9月、杜世忠処刑
以上の通り、元高麗からの使者は元寇までに六回送られているが、六回とも殺されてない
またクビライが「日本を討つ」と明らかにしたのは最初に日本に来た使者・潘阜の日本滞在中で、
使者への対応でクビライが戦意を抱いたわけでもない
殺された七回目の使者・杜世忠は第一次元寇・文永の役の翌年に来日した使者なので、
当然のことながらこれは文永の役の原因にはならない >>282
攻めてきた時点の元にはそういう具体的に
大宰府落としたら次は〜、そこをどうやって〜
みたいな長期的な計画性はなかっただろうしな
元寇の前、使者は地形など日本の偵察をしていたが、
日本も警戒してか使者を九州に留め、先には行かせなかった
日本の地形も、首都や軍事拠点が何処にあるかも、おそらく元は大して知らない
九州制圧してからそこで情報集めるつもりだったのかもしれないけど >>147
いや、フビライは三度目の元寇も計画して船まで作らせてたよ
ところがベトナムの抵抗が頑強で日本向けの軍資金や兵力をベトナムに充てざるをえなかった
そうこうしてるうちにフビライが死んで元寇は潰えた 当時の大陸人て日本をどのくらいの国土だと認識してたんだろ
正確な地図なんてないだろうし、沖縄よりちょいでかいくらいの小島みたいな認識だったんじゃないか >>18
数うちの粗悪品だけだろ
下賜されるような名刀は皆家宝として大切にしてたから
皮肉にも現代に残った古刀新刀は名刀ばかり >>187
そら日本は勝ってるからな
勝者の余裕だよ 簡単に省略すると
元寇(モンゴル)は外交的に
日本の様子をみるため奴隷だった
元寇(韓国)に行けと命令した。
ここでいろいろな勘違いが起こった。 >>225
元は決して放任主義じゃないよ
何故か税だけとってあとは放置の寛大な支配だと思ってる人もよくみるけど、
高麗を見てもわかる通り、元の戦争には支配下に置いた国の兵士は
次の戦争への物資へ兵の提供を要求されるし、戦時以外にもそういう要求がある
さらに高麗ではしばしば内政にも元が介入しているし、
歴代の王妃は元の皇族で、元寇の時の高麗王の王妃もクビライの娘
当然高麗国内でも父親の威光を盾に強大な権力を持つ まあ、大宰府を落とせたのも菊池や島津といった九州の主力が川の氾濫で到着が遅れたからだけどね。 そもそも日本に来たのは精鋭じゃなくて大半は明から徴発した連中だろ 2度にわたり日本に来襲→ 日本に対する国家侵略の謝罪と賠償を求める。 朝鮮と中国は
土下座謝罪を生涯すべき。 ペリーの黒船も決して紳士的
ではなかったし、野蛮なのは
外交文化の違いだが、聖徳太子に
始まり、
神風、アヘン戦争、日本は一度も
侵略されなかった >>67
文永の役でも弘安の役でも、台風(文永の役では台風ではない説あり)が増えたのは「攻められた後」
文永の役では元高麗軍の撤退中に、
弘安の役では戦争中だけど開戦から二か月後に吹いてる
当然その二か月の間、元高麗軍は攻め込んで日本軍が防戦してる >>251
まあ挑戦は置いといて
論旨が不明な悪文の典型だよなw
理科系の作文技術とか実践してる人には受け付けないw >>5
けどまあこのスレ見てると、タイトルの前半部分はあってるな
今は全部神風のおかげ!みたいな古い誤解はかなり払拭されてきてると思うけど、
その代わり元寇は日本が元からの外交使節を斬ったせい、みたいな新たな誤解が生まれてるし >>280
儒教の影響だろうな
儒教の理想は徳を持った王の采配が絶対で民は無条件に従属することが徳に繋がるという、
古代中国の徳治政治なる独裁政治を体現するもの
同じく儒教を重んじた徳川幕府が銃器の発達を禁じり城の改築を許可制にしたように
李氏朝鮮はあらゆる技術の発達を恐れ禁じたり軽んじたりしたんだろうな
例外的に活版印刷だけは相当高度なレベルだったがそれで大量印刷したのが儒教の教本だった 元寇とは、実は朝鮮が仕組んだこと。ちゃんと学校で教えろよ。 黒船来航の時、日本の外交官は超絶有能で
他のアジアの国とはまったく違う対応をしかけてきたので
ペリーはそれを最初見抜けなくて
のらりくらりと翻弄されてしまい、その間、時間を稼いでいるすきに
日本側は、その次の対策を練ることができたんだよ
たしかその外交に当たった日本人が
日本でいちばん最初に写真撮影を経験した日本人だったはず
豊富な知識と英語と話術でペリーの野蛮人まるだしの
強引な要求、交渉をのらりくらりとかわしたことから
こんにゃく問答と呼ばれて、賞賛された。 >>68
宮大工についての知識がないんだけど中国に今でもいんの? >>314
明はじゃなくて南宋な
ただし戦力の主体は高麗兵でモンゴル兵は指揮官とその他僅かな兵員だと思う
そもそも一次の時はまだ南宋が落ちてない
二次の時に送られてきた旧南宋兵は農具まで持参してきてたので実態は片道切符の棄民だな 準備出来てなかった文永の役の時の元軍より、迎撃準備整ってた弘安の役の鎌倉武士達の方がもっと鬼畜なのを知って引いた。 北条時宗は若いのに立派だったと思うのだが、どうも和泉元彌の顔を思い出してしまうんだよな。 さっぱり要点を得ない文章だな。
結局、どんなに貿易が多かろうと戦争の抑止力には成らないと言う事じゃん。
つまり米中は戦争に向かうと言っているのか? 朝青龍が吐き捨てた汚い言葉は
まだ慣習で残っているのかと
思った >>209は文永の役の前の五回目と六回目の使者の趙良弼の言で、
南宋降伏させたのは第一次元寇の文永の役の後だから、
それも文永の役の動機にはないないんだよな
クビライが最初にそこまで日本攻めたがった理由は未だにはっきりしない >>317
太平洋戦争の結末と、現在にまで至る米軍駐留 >>314
精鋭だよ。
全てが明兵高麗兵だった訳では無い。
そもそも元はワザワザ日本攻略の為の省まで作っているし遊びで30万もの軍勢を送る訳がない。
省まで作った相手は日本だけ。
日本攻略には凄い金を注ぎ込んでいる。 >>335
それなら日本の大勝ち
要は元の最初の目的かな 何馬鹿なこと言ってるのか
元寇が鎌倉時代の日本の対馬に来た際日本はヘブライ人達の倭寇の海洋民族であるからこそ
海上での戦略は日本が元寇より圧倒的に優位に立つことで元寇を二度と渡って追い払ったのが実際の歴史
台風の影響で元寇が逃げ去ったわけではない
事実その後瀬戸内海の中村水軍の将とかは全て海運にたけた元倭寇
その後元が日本との貿易つながりで栄えたのは元々日本の大型船があったからで
中国元に大型船があったわけではない
日本の大型船は遥か2500年以上前から
イスラエルのキリスト十二支族のユダ族がアラビア海から大型船で沖縄に渡来してるわけで
日本には太平洋を渡る大型船が昔からあったからこそ
太平洋の島々や東南アジアのインドネシアやベトナムやタイやカンボジアなどへ日本から貿易船行ってた歴史があり
日本人がいた証拠も沢山あるわけで
時代背景が全く違うデマ記事ばかり
大体元の時代は今のシベリアエベンキの中国人達ではない
ウイグル人達の中国で唐や隋は全てイスラム教徒のウイグル人達の中国だったからこそ中央アジア諸国との貿易つながりで栄えたわけで
元の時代背景がモンゴル人達の元とは
シベリアエベンキの中国人達や朝鮮人達が同化してただけで
元が支配してるの地域にはモンゴル人達が住んでたわけでなくあくまで貿易圏の確保
元がウイグル人達の中国支配してたことで中国人達がシベリアからなだれ込み中国支配をウイグル人達から領土を奪った形に
ヘブライ人の日本の朝鮮半島の歴史の百済や新羅になだれ込み乗っ取ったシベリアエベンキの朝鮮人達の高麗
元が朝鮮半島に入るな否や朝鮮半島高麗は朝鮮都合で勝手に独立国家のような形の歴史にしてるが
朝鮮人達は怖じけずいて戦わずして降参し元に従って高麗は消え去り元の領域に
朝鮮都合のデマ歴史で高麗の時代になってるが実際は元そのもの
高麗が独立国家として残って元の属国であるような朝鮮都合のデマ歴史に勝手にしてるだけ
中国人達の中国歴史は明と清のみのわずか1000年ほど >>282
モンゴルの伝統的な攻撃手法としては
まず使者を立てて相手の情報を掴む一方で死者が殺されたり侮辱された場合は開戦の口実にする
戦闘前あるいは戦闘中に対象都市に助命と引き換えの降伏勧告をして降伏すれば職人や一部の市民を除いて皆殺し
そうして降伏した市民に貧弱な武装をさせてモンゴル軍に組み込み前線に送って相手の士気を下げるの繰り返し
だが日本は使者に情報を与えずに送り返し、攻められる前にあらかじめ自分達で都市を略奪・焦土化し
モンゴル軍が人質を立てれば人質を射殺し指揮官を殺されれば逆に戦意を高揚させて死体を取り返しに来たりと
対日戦では得意技が空振りに終わってるのが面白い >>336
それがわからんのよな
クビライはそもそもなんで日本を攻めようとしたのか
コスト高いし危険だからって反対を押し切ってまで >>317
WWU以降、偽ユダ金マフィアの手先の韓国に支配されている。 当時の元が友好的な通商を望んでたってホラ吹く奴定期的に沸くよね >>339
フビライハンは周辺国制覇の野望に取り憑かれていたんだよ
伯父たちの巨大帝国と比較してのコンプレックスから出発してるからな
側近らは日本出兵を再三制止してるのにフビライが独走したのが真実だよ
ちなみに日本出兵2度失敗したのが元の滅亡にも大きく関係してる
自業自得で滅びたのがフビライ帝国だな なぜ日本を、って東南アジアの諸王朝も大体攻めてるだろ。大体失敗してるけど >>338
しかも当時の日本武士は死ねば家名が上がると考え全く死を恐れず突然襲撃してくると元側資料にある
常識外れの奇襲突撃戦法で元側は大混乱、多数首を取られ慌てて船に逃げ帰ったら台風が来ちゃったのが事実だね
ちなみにその船ですら日本武士が夜中に小舟で奇襲して首を取りに来るのでガクブルだったらしいw 後の世代は、支配に安住し内紛に明け暮れるだけの糞雑魚だけど、フビライくんは殆ど本気で世界征服を目指したモンケくんの弟にして片腕なんですよ?
そこに日本があったから攻めた、ベトナムもビルマもジャワもあったから攻めた、それが全盛期のモンゴル人。 1000本の紫檀材
700年海水に漬けた製材って
どんななってたんだろ?
画像ヒットした人、貼ってよろしく モンゴルが渡海していくのは無理があったんだわな。
馬で進軍するのに、海がそれを困難にする。モンゴルは白兵戦が得意なわけでもないから、戦略としては九州に上陸拠点を必ず作り、物資を集積させて地上戦をするべきところ、一番難しい上陸でやはり失敗したというところだな。
しかも九州だから、東からも援軍可能だから、かなりの戦力を長期で上陸に費やさないと拠点確保が難しかったんだな。
モンゴルが海を渡って征服は経験がないから、難しかったんだろう。
そういうこと考えると、アメリカの対日戦は圧倒的戦力を投入して、全滅まで戦い抜く日本軍を排除した、成功事例だよな。日本軍も凄いけと、アメリカ軍も凄い。 戦いが身近だった当時と、現代の戦争に対する感情を一緒くたにすること事態がおかしいと考えないとな >>351
アメリカの後半戦ははただの物量で押し切るだけなので作戦としての評価は低い >>339
中国人の価値観じゃね?
大きい=偉い。
古くは万里の長城も同じだし、
現代だって同じじゃん。
コスト高いし、危険で軍事的にも経済的にも殆ど意味が無い南シナ海に大金作って基地作っている。
あんな本国から遠い場所に基地作るなんていざ、戦争になれば自殺行為で何の役にも立たない。
でも中国人は行うんだよ。 この頃の蛮族同然だった日本の武士すこ
捕虜にした日本人ごと斬りつけて
襲いかかるとかやべー奴ばかりの国と
思われたに違いないw
その後の倭寇もそうだけど
一番日本が荒れてた血の気の多い時代よな 元の方の報告書で野蛮過ぎる、あんなやつらがいるとは聞いてないみたいに書かれてるんだろ?
引かれてるじゃないか鎌倉武士 >>354
そもそも補給線考えないで
戦線拡大しまくった日本軍の失態がデカいしな
まあ朝鮮出兵ふくめ、日本が他国に戦争に行って
失敗するのだいたいこれなんだけど
大体これだけど >>357
略奪の限りを尽くし、モンゴル軍が通り過ぎた後にはペンペン草も生えないと言わしめた元軍を恐怖に陥れてたのか、やるな日本軍 一般のイメージと違って巨大帝国ほど支配は緩いんだよな
当たり前だけど非支配層の割合が大きくなるほど
締めつけると世界中で反乱祭りが起こってしまう 昔の人ってジャンク船なんかで
よく海外行けたな
怖くなかつたのかな 元寇持ち出して中国擁護かよw
中国はどんだけ金ばら撒いて工作員を確保してんだ? >>361
1000年後の世界の人から現代を見るとあんな脆弱で墜落すれば、確実に死亡する航空機でよく人々が恐怖も感じず移動していたなと言われそうだな >>355
大きい=偉いの価値観は日本人も世界中もそうだろバカw 単にモンゴル軍が負けて制海権を日本が握ったから
海上貿易もし放題だっただけの話じゃねーかw
>>361
弥生時代前から
丸木舟の大型なやつで黒潮を乗り切ってきてるからなぁ
ジャンクなら全然マシ 高麗みたいな卑小で貧弱なのが尖兵で切り込めるワケなかった
そもそも元がやって来た
排撃爆勝ちしたのが鎌倉日本
台風はほとんど無関係 元寇での恩賞が全くなかったんだから貿易(略奪)で賄わないとね
ヒャッハー! いまの基準で考えたら
あんな木の船で、ってなるけど
当時はもっと死が身近だったろうからなあ
病気になれば死ぬし、
戦争が起これば死ぬし、
なんなら悪漢に襲われても死ぬ ネトウヨ脳は何でもかんでも
日本擁護日本スゴイなんだな
歴史の多元性と民間交流の大切さ
を説いてるだけなのに >>369
モンゴル帝国崩壊はペスト流行が一因だった?
https://toyokeizai.net/articles/-/348001
モンゴル帝国もペストのパンデミック起きてたらしいね
日本には元寇や貿易でペスト来なかったんだろうか? >>370
それだと中国凄い、中国共産党凄いとか言ってるのはネトシナチクなのかなw >>360
実際モンゴル帝国もクビライの時も反乱起きてたからなあ
南宋人やらもとからの臣下やら火種は多かった >>339
フビライの人生は若い頃から身内との内部抗争に終始した
元寇の頃は弟や有力者が中東や中央アジアで事実上の独立国を建てて
元の影響力が西方に及ばなくなっていた
それもあってまだ身内の制圧していない日本や東南アジアを征服して
西方の身内にマウント取ろうとしてたんじゃないかな >>351
1回目はそれほど本気じゃなくて、南宋攻略のついでに、
協力してる日本を叩いてみただけだった。
2回目は防御を固めた日本が、上陸させなかったことと、
旧南宋からの船団は碌に武器も持たない移民船で、
兵力は、前回とかわらんかった。
3回目は、東方三王家の反乱とフビライの死で中止になった。
3回目はガチ本気で攻める気だったらしい。 教科書には朝貢貿易って書いてあるけど、実際は民間の方が多かったってことか
そりゃそうだよな
沖縄とか対馬とかは貿易で栄えていたわけだし >>358
朝鮮出兵なんてあったか?
中国はわかるが 元は統治じゃなくて支配だからね。別に治める気はないし、反乱起こしたら潰すだけだし、駄目なら帰るだけ
後代の清が康乾盛世をもたらしたような治績はないが、清のように中国にかぶれることもなかった
散々好き勝手して、身内同士で殺し合った挙げ句、なんかうざい宗教がでたので北に帰った >>358
将校は手柄を立てたいから勝てばドンドン進撃するからな
そういや秀吉の朝鮮出兵も補給線切れて失敗してたな >>377
三回目でも元が勝てるとは思わないね
一時的な侵攻ならともかく
騎馬民族が、海を渡って勝ち切るのは無理やろ
江戸時代末期でさえ欧米はインドみたいに日本の占領をもくろんだが無理って結論だった >>1
政治と経済を密接につなげてる、むしろ直結してるのは中国共産党だろ
日本やアメリカはまだ全然マシだぞ?
だのにトランプのすることが悪いことのように結論づけてるのは意図的? 貿易が空前の活況(代価を支払ったとは言っていない) じゃあなんで元と戦争になったのさという
2回どころか3回もわざわざ攻め込んできてるんだが >>382
なんとも。
元の主力をガチで動員した場合はかなり怪しいことになった可能性も捨てきれない。
南宋を接収したことで造船技術も上がってるし、
侵攻も三方向とか、やられたら、どっかは上陸拠点作られるだろうなあ。
まあIFの話だから。 なんとなくだけど元をそそのかした
クズ野郎がいるんじゃないのかな >>56
手に穴を開けて縄を通して繋ぐだけでも想像を絶するが、更に船には乗せず、海に落としてその縄で船から引っ張って行ったんでしょ。
生き残った人を奴隷として使ったとか。 >>386
3回目の元寇は準備中に中止したはず
まあ貿易が目的なら最初から普通に貿易するなり、
南宋征服してから改めて貿易するなり、他に方法はあったよね
南宋との貿易で宋銭含め色んなもの入手してる当時の日本からすれば
南宋健在なうちはともかく、元に征服されちゃったら元とも貿易するしかないし >>1
なんだこのクソ妄想記事は
朝鮮日報かよwwwwwwwwwww 刀も鎌倉時代が名刀が多いらしい。室町以降は数は多いけど、質は鎌倉時代に劣るとか。その刀の製法も失伝したために、鎌倉時代の刀を超えることが今も難しいとさ。
戦国期でも一刀両断したというから、鎌倉刀なら、丈夫でよく切れただろうな。 戦争してる勢力と商売してる勢力が、国家という名のもとでのつながりが薄ければ関係ないよね、戦争してようがしてまいが。
今は貿易が武力衝突の原因にもなるし抑止力にもなし代わりにもなる、時代の違いだよ。 >>388
どうも船が足らなかったみたいだな
高麗は二次の造船で既に国内に木が残っておらず禿山ばかりだったらしい
しかし確かに物量に任せれば例え造船技術が未熟でも日本の陸伝いに様々な地点に上陸できただろうに
なぜ馬鹿正直に対馬経由で博多に突っ込んでくるのかよく判らない 大使を送りこみながら三回目の侵攻を何度も計画してんだよな
その度に木材がただただ無くなっていくというw >>394
悪そのものだな。
しかもそれで国内が戦費調達で苦しみ、兵の主力にもされたあげく、ほとんど全滅するというw
暗愚過ぎる。 >>397
1回目、2回目とも、そっち方面の軍を主力として構成してるので、
侵攻経路が同じになってるんじゃね? 鎌倉武士は武勇を競うところがあるんだよな。自死するときにも馬上から喉に刀を立てて馬から飛び降りて突き刺して死んだとさ、何かの古典であったろ。そんな死に方は戦国武士でもしないわな。 >>24
日本だって大戦全盛期はめちゃくちゃ領土あったんじゃね モンゴル人は主力にはならず、捕虜にした南宋人と朝鮮人が主力だから、まぁ負けても元には打撃ではないんだよな。南宋人は助命されて、朝鮮人は皆殺しにされたというのもまた朝鮮人の業の深さか。
本気で日本攻略をしようとしたら、何十年もかけてでもやるかもね。まぁそこまで攻める価値があるのか、という問題もあるけど。東アジアは大体生産物の多いシナを奪い合う争いだから。シナは豊かだからこそ、常に争いの標的にされてきたわけだから。 >日本の鎌倉幕府は、元と国交を結ばず、朝貢(貢物の献上)もしなかったが、それにもかかわらず、博多などの商人は積極的に元と交易をした。
これは南宋も同じでは?
別に元寇の影響じゃなく、単に南宋が元に征服されたから
貿易相手を元に移しただけなんじゃ >>408
朝鮮が日本ではなくロシアに併合されていたら朝鮮人はドイツの重機関銃に向かって突撃させられていただろう。
後ろから撃たれながら。 誤解だらけって中身じゃないし、内容も無理やり昔の話に結びつけてるだけで一貫性に書く記事 貿易っていっても海賊などの略奪経済のことだろw
元寇でボコられたお返しに倭寇でやり返したったてお話だろw >>410
朝鮮人は日中戦争でもアイゴーとか叫び始めて突然逃げ出したらしいから、多分鎖の方だろな。トーチカとかで逃げ出さないように鎖かけられて死ぬまでさ。ロシア人でも容赦なしだしな。 じゃあ元時代の貿易量に戻そう
もちろん相手はモンゴルで
元の時代に存在しない中華人民共和国とは断交で …しかし一方、日本は朝鮮を植民地化し中国に侵略した…と続く
左翼史観w 領土欲に駆られたフビライが無謀な周辺国併合を狙った戦争
元側も逃げ帰るほど凶悪な鎌倉武士たちが居て本当に良かった
モンゴ人の民度は最低だよ >>172
わざと壊れやすい船作ったなんて証拠はない
高麗王の忠烈王はフビライに対して積極的に日本遠征への協力を表明してるし、
文永の役で高麗船団は撤退中の暴風雨で大打撃受けてるが、
その文永の役で高麗の将軍の金方慶は撤退に反対して進軍を求めている
(撤退の決断は総司令官の忽敦)
弘安の役では台風の損害が大きかったのは南宋船の方 最近中国と日本の結び付きとか、関連スレが色々多いよね 元寇にモンゴル人はいなくて
トルコ人みたいな奴がいっぱいいたらしい >>420
反中世論が高まると、懐柔のために非政治的な話題を通じて嫌悪感や距離感を抑えようとする、いつもの工作。
ずっとこのパターンで何年もきてるね。 単に中央政府が細かく規制できない時代だっただけだろ。 >>1
「てつはう」の弾が日本軍側から元軍側に飛んでるのはどうして? シナ人は
ゴキブリのように繁殖するので
もうすぐアメリカは
シナ人のものアルヨ >>135 >>142
>日本が使者を斬り殺したのは「文永の役」の後だからな
それであってるんだけど、近年は元寇の前から使者殺害してたとかそれが元寇の原因とかいう話が、
歴史の勉強する時に参考にするような歴史関係の本やらHPやら教材やら動画やらにいくつも載ってしまってるらしい
からそういうのを使っての勉強で覚えてしまった人もいるのかも
↓これとか
946 名無しさん@1周年 ▼ 2020/03/31(火) 02:05:10.93 ID:uS6hTEkT0 [1回目]
>>777
日本が元寇の前に使者斬ったって話や、それを元寇の発端という話は、
歴史が専門の学者とかが書いた本では全く読んだことないけど、
歴史学者じゃなくて歴史好きの実業家の出口治明という人物の
「「全世界史」講義 I古代・中世編」と「全世界史 上巻」と、
子ども向けの歴史漫画シリーズの事典だけど
「学研まんがNEW日本の歴史」の「人物学習事典」では読んだことあったなあ
『「全世界史」講義 I古代・中世編: 教養に効く!人類5000年史』 出口治明
『全世界史 上巻』 出口治明
>クビライは海外の事情に通じており、日本と交易をするつもりで使節を送りました。
>ところが鎌倉幕府は、国際情勢も外交上の儀礼も知らずに使者を斬ってしまった。
>それが文永の役(一二七四)の発端でした。元寇については後述します。
『学研まんがNEW日本の歴史』の『人物学習事典』 大石 学 (監修)
>国書を受け取った幕府は、要求を無視する決意をかため、十八歳の時宗を執権職につけて、
>幕府内部の体制を新たにして、危機にのぞむことにしました。
>その後、何回か元の使者が来ても、時宗は、求めをことわり、使者を追い返したり殺したりしました。
>そして西日本の御家人たちを九州にまとめ、守りをかためました。
>一二七四年、フビライは兵力二万五千人をこえる大軍をおくってきました(文永の役)。
ただし、『全世界史』は2016/1/18の発売で、『学研まんがNEW日本の歴史』の『人物学習事典』は2013/4/1発売、
ネット上ではその十年以上前から広まっているようだから、これらの本が発というわけではないだろうし、
出口氏は『全世界史』の前書きで
>僕は、歴史を専門として学んだわけではありません。
>この本は、一人の歴史好きの市民の趣味が高じたものに過ぎません。
と書いてるように歴史学者というわけではないから、それを前提に読むべきだろうけど。 モンゴルを唆して矢面に立たされた民族があったと聞く >>135 >>142
これとかね
しかも十年以上前からそんな風になってるらしい
344 日本@名無史さん ▼ 2020/04/18(土) 17:29:13.24 [0回目]
本じゃないけど、有料販売されてる教材にも2008年(Google日付)の時点で既にあった
Google日付は実際より後の日付になってること多いからもっと前かもしれないけど
学校で使われてるのかなこれ
>[解説]元のフビライ・ハンは高麗を征服した後,日本も従うようにと使者を送ってきた。
>幕府の執権北条時宗は使者を斬って,これを拒絶した。
>1274年,元軍3万が九州の博多湾に上陸し,集団戦法とすぐれた火器によって日本軍をなやましたすえ,内紛や暴風雨のために引き上げた(文永の役)。
>さらに,1281年 ,約14万の大軍で,襲来した。幕府軍は,博多湾沿いに築いた石塁を利用して戦った。
>元の大軍は上陸できないまま,暴風雨に襲われて大損害を受けて退却した(弘安の役)。
【FdData 高校入試:中学社会歴史:鎌倉】 Fd教材開発(2008/01/16)
http://www.fdtext.com/dan/fdn_sr04_kama.pdf
345 日本@名無史さん ▼ 2020/04/18(土) 17:41:03.48 [0回目]
古いのを探したら、玉川大学・玉川学園制作・著作となってる「鎌倉時代の勉強をしよう」ってHPにもあった
Googleの日付だと2002、2003年のもので、こんな昔っから、しかも大学のHPに歴史の勉強用に載せてるものにすらあったんだな
しかもこのHP、「元寇」で検索すると2番目に表示されるから、元寇について調べようとした時にここを見る人多そう
二番目と三番目の方ははっきりと日本が使者を斬ったからフビライが怒って日本を攻めたように書いちゃってるし、
一番目の方にしても、朝廷が返書しようとして幕府が反対して取りやめになったのって金有成の時のことなら、
その後に来た使者って趙良弼のことになるから殺されてるわけがないんだけど
でも別の元寇の解説にはちゃんと使者殺害を文永の役後、弘安の役の前としてるものもあったりして
なんか所によって書いてることが違うなこのHP…
>その当時の日本人には国と国の付き合いかたが分からなかった.
>朝廷は返書を出そうとしましたが幕府はそれを握(にぎ)りつぶしました.
>そして,その後に来た使者を殺してしまったのです.
>本やテレビでは「日本の決意を示すため」としてありますが,
>冷静(れいせい)に判断(はんだん)すればそんなことはしないはずです.
>国際的な常識ではたとえ戦争中でも使者を殺すことは許されません.これは昔も今も同じです・・・
小学生とゲンボー先生のページ19(2002/02/01)
https://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamakura/el19.html >>417
対馬人の男は全員皆殺しで
女子供は手に穴開けて
術つなぎにして捕虜
鎌倉武士もブチ切れて当然 >>227
> ちなみにここは佐賀県立
元 地元民だがその博物館 「先方」にだいぶ気を使った展示になっててな。
連中がバスで見学にくることも想定して(実際ツアーが組まれている)
摩擦が起きないよう配慮されてるんで字面通りに受けとるのはやめとけ。 >>421
中国人や朝鮮人の兵が殆どでモンゴル人は司令官くらいだな。 >>1
左側の槍持ってるやつは、戦ってるふりしてるだけに見える。
一人だけ笑顔w >>430
使者殺しは神話の時代からやってるから別に珍しくもないのにな天若日子 日米だって、太平洋戦争のあと貿易が空前の規模にまで伸びたんだけど…… >>209
マルコ・ポーロのジパング黄金伝説だよ
それにフビライの側近に居たイスラム商人達による焚き付け
彼等はフビライ庇護の元、海のシルクロードの安全な航海と開拓に躍起になっていた
砂漠ルートはコスパ悪いから 別に民族が入れ替わったわけでも無いし
モンゴルは戦争だけでしょ >>1
国の支配下にない貿易って、そりゃ密輸入は儲かるからな >>56
しかもヤリまくりで死んでしまったら喰うとか。先遣隊の朝鮮軍は子供の生首を旗印に挿してとか、、、。そりゃあ鎌倉武士もブチ切れるわ。 魏志倭人伝の記述が1060年の新唐書で間違いだと
広く知れ渡るに至らなかった状態で元寇が起きたんだろう
つまり魏志倭人伝の記述のとおり
倭国は点在する島国で沖縄台湾あたりが首都で
それほどちゃんとした苦にではないと思われてたのよ
それが戦ってみたらめっちゃ強くて
聞いてた話と違うんじゃね?
文化とかちゃんとした国じゃね?
貿易したらおいしいんじゃね?
て元寇で国力がはじめて確認された
たしかに飛鳥時代に隋の裴世清がきたり
多くの外国使者が来てるんだけど
残ってる大陸の文献の記述をみるとちゃんとは書かれてないんだよね
元寇によって倭国現地に多くの人が来たことで
卑弥呼が使者をだしてから1000年とかかかって
多くのことがやっと確認された >>442
第二次世界大戦の日本に似てるな
フランスだったか、イギリスだったか
戦艦が沈められて
「こんなに強いのならなぜ言ってくれなかった?
戦いなんか仕掛けなかったよ」
と嘆いたという
日本は本当にギリギリまで牙見せないもんなw >>403
歴史上の帝国の最大領域ランキング
18位:大日本帝国。英語版wikiだと12位になっている
https://ja.wikipedia.org/wiki/帝国の最大領域一覧
1位:大英帝国
2位:モンゴル帝国・・・【元寇】 神風により日本勝利 (鎌倉時代)
3位:ロシア帝国・・・【日露戦争】 日本勝利 (明治時代)
4位:ソビエト連邦
5位:スペイン帝国
6位:大清帝国・・・【日清戦争】 日本勝利 (明治時代)
13位:ポルトガル海上帝国
14位:アメリカ植民地帝国
18位:大日本帝国・・・英語版wikiだと12位になっている
20位:ローマ帝国
■第1次世界大戦
日英同盟で戦った相手がドイツで日本は戦勝国5大国に
■第2次世界大戦
日独伊三国同盟で戦ったが最後は連合国軍に降伏して敗戦国に
日本軍 vs アメリカ軍、イギリス軍、オランダ軍 など
第2次世界大戦、タイにある日本の捕虜収容所にて
イギリス人捕虜が虐げられるネタを題材に作られたイギリス映画が
『戦場にかける橋』(第30回アカデミー賞作品賞)
http://www.youtube.com/watch?v=HFWPW789Q6I
栄光の大英帝国が被害者ヅラできる相手が日本とは、光栄! 945年の旧唐書で 日本國者倭國之別種也 なんて書かれるほど
大陸は正しく日本のことを理解していなかったことがわかる
ずっとヤマト国が首都なのに
まあこの間違いは1060年の新唐書で訂正されるんだけどね
10世紀の大陸の日本の認識が適当なものだということもわかるね
それほど貿易が盛んではなかったんだろう
それが13世紀の元寇によって多くのことが確認されて
1404年足利義満によって勘合貿易が始まる 昔々の607年、隋の時代、暴君で有名な煬帝に
「日が昇る国(日本)の皇帝が、日が沈む国(中国)の皇帝に手紙を送ります」
という書簡を送った古代の日本人の心意気! それに比べて現代の弱腰外交の日本・・・
前述の随の時代の件について、2015年の中国メディアの分析
https://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20150821/Searchina_20150821018.html
まず古代において、日本は一度中国を頂点とする冊封体制の中に入ったものの、
西暦607年には聖徳太子が遣隋使の小野妹子を介して隋の皇帝・煬帝に対し
「日出ずる処の天子が日落ちる処の天子に・・・」とする書簡を送り、
翌608年にも日本側が「東の天皇が西の皇帝に敬白す」として日本と中国が対等であることを示す文書を送ったと解説
日本は非常に自覚的に中国との対等な関係を保つことに注力し、中国に対して決して屈服しない心理を持つに至ったと説明。
日本人は遣唐使を派遣して中国の文化を学ぶ一方で、決して中国に対して自らを「臣」とは名乗らなかったとした。 >>130
中国と中華は別物だろ。
強引に同一視してるのはチャイナチスだけ。 中国最後の王朝「清王朝」
ソウルにある「大清皇帝功徳碑」
清の皇帝に対して朝鮮国王は3度ひざまづき9度頭を地にこすりつける臣下の礼をとり
その象徴として1637年に清が建立させた記念碑である。このように朝鮮は清に服従。
その清に日清戦争で勝利したのが日本
その後、時代は流れ・・・
日中戦争で満州の帰属を日本と中華民国が争っていた時代のこと
革命により幕を閉じた清の最後の皇帝は日本と組んだ。
清王朝は満州族によってできた王朝。ラストエンペラー溥儀を満州国の皇帝に立てた日本は満州の独立を主張(満州国の実権は日本)
皇帝の弟(溥傑)の嫁には日本人。嵯峨侯爵家の令嬢、浩さん。
第2次世界大戦での日本の敗戦(1945年)により皇帝兄弟は中国で捕まり牢獄生活も経験。後に解放され中国で市民として生きることを許された。
皇帝弟と浩さんの間には娘がいて、戦後に日本人と結婚し子孫は日本のどこかで暮らしている。
この日中戦争で日本が争った国は「中華民国」
内戦の末に中華民国を潰したのは「中華人民共和国」という今の中国。中華民国は追い出され台湾へ。
今の中国(中華人民共和国)の建国は戦後の1949年
2019年10月1日には「建国70周年」イベントも中国で開かれ、もちろん中国人も了解事項 >>26
瀬取りじゃん....北朝鮮以下だったのか 元寇ひとつにとっても
解釈いろいろできておもろいな 江戸時代の鎖国でも半島に倭館があって
確か数百人単位で滞在してたはず。正式国交がないだけで
各国とも民間では貿易継続だよな >>447
東夷、西戎、北伐、南蛮と四方を蔑みみずからは中華の国と呼んでいたのは漢の頃から確認できるよ
元とかは明とかは国号として名乗ったわけだし 戦争の時はやったりやられたりだ。
半島への倭寇は日本人が主体だし、
朝鮮出兵の時は数万人ぐらい南蛮に売り飛ばして
耳鼻削ぎもばんばんやってたし
半島人で初の欧州の土を踏んだのはこの時売り飛ばされた連中って言われてる。 >>422
でも客観的に見て中国との方がつながりが深いのは事実。
日本人一番殺して領土奪ったのもアメリカだし。
幕末の頃に何兆円もアメリカや西欧列強に奪われたって
教科書でも教えないのもいけないよな。
反日勢力を取り除いてアメリカの対日攻撃をしっかり認識させるべき 元寇は東路軍と江南軍に別れて九州を攻撃したが江南軍の南宋人約十万人のうち
生き残った二万人は殆ど全員が日本に帰化して博多に住み着いている。
博多は元寇前から大勢の南宋人が暮らしていて日本人とも仲良くしていたそうだから
差別があったとか聞いた事が無い。 近くの町にある部落は鎌倉に連行中の
捕虜らが逃げ出して作った集落が祖と言われてる
被差別部落だが、どこの馬の骨かもわからない俺なんかより
よほど由緒正しい部落民 >>257
だったらやっぱり日本だって征服する気だったんじゃないのって話
そばにある日本だけ貿易目的とか辻褄が合わない >>442
元の前に日宋交易が盛んだったから貿易したらおいしいんじゃね?ってのはもっと前から知られてるよ
それに元寇の前には元からクビライの国書持った使者が送られて、そのあて先は「日本國王」で、
その国書持った使者は沖縄でも台湾でもなく九州に上陸しているし、
中でも元寇直前の使者は一年も日本に滞在して詳しく偵察してる
元寇までの大陸も元も、そこまで日本に無知だったわけではない 現在なら相手国の全権大使を死刑にするようなもの
そりゃ日本に非があるし戦争になるわ >>462
元の使者の死刑のことなら、それで戦争になったんじゃないよ
戦争になった後に来た使者が死刑になった 日本の規模が理解出来て無かったんだろうな
日本の規模が分かっていれば15万程度じゃ絶対に勝てない事くらいは理解できたはず
豊臣秀吉が九州を取るのに動員したのが20万なのに 戦争中でも使者を処刑するのはどうかと思うが、
それも現代的な感覚なんだろうな。 元寇の投入兵力って日本を制圧するには少なくね?と思ったが
ホラズム朝の征服も20万の兵力で行ったからそう少なくもないのか >>463
大蒙古国皇帝奉書に書かれている内容はは当時の価値観をおおいに想起させる文面だけど
使者を即刻切り捨てる程激高させるって果たして伝聞の通りだったのか興味あるね。 >>466
>>461にも書いたけど、元寇前の使者は日本を偵察するもの目的だった
日本もそれを警戒して九州から先へは行かせなかったものの、
その九州を詳しく偵察され、持ち帰ったその情報は文永の役で元の侵攻に役立った
文永の役後、日本は防塁の建造などをみても次があるのは既に見越して準備してる
再び使者に偵察されてその情報を持ち帰られて、次の戦争が不利になるのを避けるためじゃないかと
文永の役で攻め込んだ上に対馬などの虐殺もあったのに謝罪もないからキレたって説もあるけどね
>>462
まあどっちにしろ、元は文永の役で「使者を殺してなくても」戦争になる国だってわかってるし
弘安の役に限っても、使者を死刑にしたから戦争になったのか、生かして帰したら戦争にならなかったかは疑問
使者を殺さなければ戦争にならない国だったらそもそも文永の役は起きてないわけだし >>468
大蒙古国皇帝奉書を持ってきた使者は別に使者を即刻切り捨てられてないよ
この使者は元が送った使者としては二回目、日本に最初に来た使者にあるんだけど、
半年日本に滞在したけど返書を貰えず帰国してる
それ以降、元はさらに四回の使者を送り、対馬が引き返した一回を除く三回が九州に着いてるけど、
一年滞在して偵察しまくった使者を含め、その三回の使者も殺され帰国してる
その後に文永の役が起きて、その翌年に元から七回目の使者がやってきた
切り捨てられたのはこの七回目の使者と、さらにその次に来た八回目の使者 その三回の使者も殺され帰国してる→その三回の使者も殺されず帰国してる
スマソ逆になったw
>>439
同じモンゴル人でも、クビライは結構貿易とか内政とか戦争以外も視野にいれて行動してるし、
元は支配地域の人を武官も文官も登用してるから、戦争だけってわけでもない
>>469の偵察しまくった使者の人も、元の文官だけど出身は金、女真族 >>467
元の問題は主力兵器である馬を使えなかったことかな
騎馬兵力で大陸制覇してきたのに、元寇の絵では騎馬兵いないんじゃ
いわば機動部隊に歩兵だけで戦おうとしたみたいな
島国は防衛には有利だな >>470
その反復において主旨が同じ(平和的に帰順せよ)ということなら丁重にお断り
という程度で済んだかもしれないなあと考えているんよ。オリジナルも大概失礼ではあるが。
欄外に P.S 田舎サルがイキってんなや くらい書いてあったかなと。
>>468
ただ大蒙古国皇帝奉書を読んだ幕府は使者を斬りこそしなかったものの、
即クビライが日本を狙っていることに気づいて警戒してる
国書の文面からだけじゃなく南宋当たりから伝わった情報もあったのかもしれないけど、
幕府が国書を好意的に受け取らなかったことは確か
そして高麗史ではこの時期のクビライは既に日本との戦争について言及していて、
その警戒はこの時点でも当たってた >>337
それならハワイや米東海岸にもユダヤの痕跡があるんじゃね? 鎌倉武士団の野蛮っぷりは大陸で暴虐を尽くしたモンゴル兵ですらドン引きしたという話はパヨクの捏造なの? >>473
元寇の絵ってのが竹崎季長の蒙古襲来絵詞のことなら、騎馬兵居るよ
よく貼られてる竹崎季長が負傷した騎馬で奮闘してる場面の
左側には竹崎と向かい合う元高麗軍の兵(後に書き加えられた説あり)や逃亡する兵が書かれてるけど、
さらに左側には密集した元高麗軍が描かれていて、騎馬の兵もその中にいる
それに副司令官の劉復亨は、騎馬の状態で少弐景資の矢に射られて落馬してる >>4
韓国は日本から輸入したいものがあるかもしれないが、日本は韓国から輸入したいものはないから活況にならないような気がする。ちなみに個人的に欲しい韓国製品は全くないし。 >>456
当時の可耕地や食料生産を考えると、一気に二万人も人口が増えたら食っていけないんじゃないのか?
順次帰国させたと考えるのが妥当だと思うけどね。 鎌倉の北条政権って歴代でも最強クラスに強いよな
何で将軍にすらならなかったのか不思議 元の記録だと南宋人は助命して奴隷にした
朝鮮の記録だと南宋人の技術者だけ助命とかだったはず アホかいな
もともと日宋貿易はさかんだったでしょ
二度の元寇の間に南宋が滅びて元に代わった
日宋貿易が日元貿易になっただけ
実態は変わらない >>3
普通にはしとらん
結果、調所広郷は切腹した >>426
元寇兵と破裂しているてつはうと武者の出血は後から書き加えた
矢であんなに出血するわけがない
実際は元寇兵がみんな敗走していた場面の描写
矢が元寇兵側に多数飛んでいるのかその証拠
>>457
面白いな。被差別部落の成り立ちについて説得力があるな。日本各地にあるから、異民族の戦争捕虜とかが一番ありそうなんだよな。 へえ、興味深いスレだな
まあ元寇と言いながら地上最強の戦闘民族である
偉大なる大韓の征倭軍団である東路軍が徹底的に鎌倉武士団を蹂躙し
最終的には鎌倉幕府を内紛からの滅亡まで追い込んだ戦争だからね。
日本史に縷々爪痕を残すようにやはり兄の国である偉大なる大韓は最強なんだよ。
>>438
マルコ・ポーロ? ほら吹きポーロのこと?
あの、東方見聞録とか見たことある?
ジパングは黄金が道路に敷き詰められている人食い人種って話だぜwww
フビライだって馬鹿じゃないんだから偵察を兼ねて外交官派遣してるっての。
未開なジャップに斬られた使者もいるが、帰ってきているのもいるからねw
それがインチキってことはわかっているんだよwww アニメでアンゴルモア
gameでghost of Tushima
だれか、小説も出せばいいのに
時代は対馬の真実 >>492
アンゴルモア元寇合戦記には小説あったな
元寇を描いた小説も既にあるよ
有名な所では、大河の北条時宗の原作にもなった高橋克彦の「時宗」とか >>482
流石に北条氏が将軍になろうとしたら反発大きかっただろうね
源家の男系こそ断絶したけど、鎌倉御家人には
同じ源氏で頼朝の親戚を祖とする足利氏など源氏の御家人もいるし
女系で頼朝妹の血を引く摂家将軍や皇族将軍ならともかく
北条氏が将軍になるのを御家人が受け入れはいなかったんじゃないかと
それに元寇の頃になるともう皇族将軍はお飾りで実権ないし、
あえて将軍になって猛反発くらうよりも執権のままの方が良かったのかも >>483
元の記録だと「奴」にしたとしか書かれてなかったけど、
当時の日本だと多分奴隷というか奴婢じゃないかな
南宋人は助命されたってのはその助命された南宋人が
脱走して帰国して証言したものだから、こっちの方が正しいと思う >>16
中国と言う名前は国号でも無いし中華人民共和国の略語でも無い
古くは中原と呼ばれ文明が始まった黄河周辺の事を指してた
それが広がり中華文明圏の事を中国と呼ばれる
だから中華人民共和国であろうと中華民国であろうと清であろうと明であろうと
王朝や政体変わろうが中華文明を破壊せず継承してきてる国を中国と呼ぶ
中国4000年の歴史と呼ばれるのも確認出来る最古の王朝である紀元前17世紀ごろの殷から始まり
そこから現在まで中華文明継承されて来てると言う意味 >>477
ああいう野蛮で未開な鎌倉武士団最強説みたいなのは
最近やたらネトウヨ系の連中がネットでイキっていってる感もあるけど
確かに蒙古方でもドン引きしながらの述懐が
史書に残っているってのはこれはガチみたいね。
とはいえ、よくウリも知らんけどそれって*個人の感想です*じゃないのかね。
個人の感想が史実的評価になるならそりゃなんでもありな気がwww
>>482
勝海舟先生もいっているんだけど
北条執権家の官位って存外低くて従四位程度なんだよね。
これを海舟先生は「かくいう俺より下じゃないか」といってるが
実際「陪臣国命をとれば即ちホロンぶ」とかなんとかいわれながらも
あそこまで国をうまく運営したのは大したもんだね。
まあ承久の乱とかで朝廷をアレしたんで皇国史観や今日びの歴史じゃ
あんまし評価されていない感もあるが、それでも何でも大したもんだよ。 >>497
単に中国大陸の略だよw
中華文明() 何度も破壊民族も入れ替わってるからw 隔壁で船体を区切り、造船に.は世界初のボックス工法が用いられた中国のジャンク船は近代造船の基礎です、日本船は浸水すると其れで終わりの時代だった >>87
ナポレオンのロシア遠征
アメリカのハワイ併合
中共によるベトナムへの懲罰(中越戦争) >>500
中国大陸なんて言わんと
支那大陸て言ってたのとちゃうの >>97
お前らバカだろw
中国って意味には国名と地域名など何種類かあるんだよw
ほんと最近はこの手のバカが増えた >>495
まあ征夷大将軍は源氏長者に限るなんて慣習も当時はなかったけど(北条氏は平氏)
やはり北条氏にとっては御家人筆頭っていう地位がよかったんだろうね。
なんせ既に国家運営の実権という「欲しいものは戴いた」わけで、
ここでガチにトップでございって始めたらチャレンジャーがでかねないわけでね。
なんせ鎌倉時代は最初も最後も御家人同士の血で血を洗う闘争の歴史なわけで。
それにトップである将軍の実権や権威を
わざわざなくさせたのも他ならぬ北条氏なわけでね。
陰謀で仮にも北条氏の血族である将軍そのものを消しちゃうんだから。
まあ、そういうことやってるから御内人だの内管領だの
党内党ができちゃって、それが幕府をホロンぼすことになるんだけどね。
平氏を滅ぼすものは平氏なり、北条氏を滅ぼすものは北条氏、ってことさwww
>>494
なんだ必死チェッカーくんか。最近よく邂逅エンカウントしますなw
こんな時間に現れるのも驚くがなにかね、チミは歴史に関心があるのかねw
そんならちょっと勉強していきなよwww 元寇を舞台にしたPS4ゲーム、「ゴースト・オブ・ツシマ」の発売が近づいきて
なにやら焦っている連中がいるようだな
https://www.youtube.com/watch?v=QO6fChKB20Y >>505
いいから反日キチガイ朝鮮人は日本語使うのやめて
さっさと祖国に帰れ >>509
お前みたいなネトウヨはどちらかというと東朝鮮人だよねw まるで当時の国家が交易活動を管理制限できたみたいな誤解を広めるのは止めろ >>510
ネトウヨ、ジャップ連呼してる反日キチガイは祖国に帰れ言うとるだろ チョンが元をけしかけて戦争起こした結果
チョンがハブにされたってことでおk? 見目麗しい若武者や憎らしげな悪役が大活躍する漫画元寇が一番混乱の元 >>486
最近の歴史教科書じゃ鎖国のところで4つの窓って習うらしいけどね。
一つは長崎出島のオランダ&清の貿易
二つは対馬宗氏の兄の国である偉大なる大韓との貿易
三つは北海道松前藩のアイヌ貿易
そして四つめこそが薩摩藩の琉球貿易ですな。
交易独立国である琉球の貿易ってことは
そりゃ事実上の世界貿易みたよなもんだwww
>>474
外国は大人だからねw
その点ジャップ国は結構子供じみた外交文書を出すんだよな。
だいたい大和朝廷の時代から「日のいずる国の天子」でんでんいっちゃうわけでねw
その極北が豊臣秀吉が世界帝国・明とか
日の沈まぬ国イスパニア帝国(フィリピン政庁)に出した
降伏勧告文で「オデは太陽から産まれたナチュラルボーン世界の支配者だぎゃー」みたいな
誇大妄想みたいなこと書かれているわけでねw それにも大人の返書が来てるよwww
「蛮位の書、またもって聞するなかれ」みたいな
聖徳太子国書を読んだ煬帝っぽいこと、言わないんだねwww >>515
その点、アンゴルモア元寇合戦記の主人公は
最近のアニメキャラによくあるキラキライケメンじゃなかったね
小説の「時宗」も漫画化してるが、ゴルゴのさいとうたかおの渋い絵w 元寇で日本に来てそのまま日本にいついた人も少なからずいるんだろうな >>55
鎌倉時代にはお寺を建てる費用を捻出するのに貿易してたんだよ。
元はモンゴル人至上主義政策とってたから日本に逃げ出した漢人は
かなりいると思うよ。 >>371
明治以前の日本にペストが来た記録は無い、とどこかのサイトに書かれていた
明治後に少し感染者が出たみたい、中世欧州と比べたら大した被害ではなかったが
幕末明治の頃に外国から来た伝染病といえばコレラ
数年の間隔を開けながら第二波第三波が来たらしい
モンゴル軍の欧州侵攻によるペスト
アメリカ大陸発見でインカ帝国を滅ぼした天然痘
遣唐使で日本に入ってきて大被害し、奈良の大仏建設で悪霊退散願った天然痘
民族の移動によって伝染病が流行るのよくある事だった
戦国時代の南蛮貿易でも、何か伝染病が入ってきてもおかしくないと思うが
聞いたことないな なんにせよ、日本が鎌倉時代の頃は
中国と朝鮮はモンゴル帝国の使いパシリだった訳だ
なにが中国四千年、朝鮮五千年の歴史だよ >>477 >>499
文永の役前に来日した使者さんの報告より
「臣、日本に居ること歳余なり。
その民の俗をみるに、狼勇にして殺をこのみ、父子の親、上下の礼あるを知らず、その地、山水多く、耕桑の利なし。
その人を得るも役すべからず、その地を得るも富を加えず。
いわんや舟師の海を渡るは、海風に期なく、禍害も測ることなし。
これ有用の民力を以て、無窮の巨壑をうずむるがごとし。
臣おもう。撃つことなきが便なり。」
*個人の感想です* >>504
ごちゃごちゃにならないように シナと言った方がいいよね スレタイおかしい
>>1では、元寇の直後に貿易って書いてないだろ >>428
出口かよ
あいつの本全く面白くないんだけど誰が買ってんだろ
社員に買わせてる疑いがあるわ >>516
元寇の前に来たクビライさんからの外交文書より
「いわんや我が国は、祖宗(チンギスハーン)が天命を受けて区夏(中国)を領有し、
遠方の異域に対して、我が威を畏れ、徳に懐くものは枚挙に暇がないほどである。」
天命とかでんでんいっちゃってるわけでねw >>503
そうそう
従来どおり支那、朝鮮もしくはグローバル化でチャイナ、コリア 元寇は勝者が作った偽りの歴史。
事実を言えば、日本は元の侵攻軍に征服された。
元の武将が幕府の執権となり、名前だけ北条を名乗って既存の幕府の統治機構を使った。
朝廷もすげ替えられて、モンゴルから呼び寄せられたフビライの孫の一人に皇位が譲られた。
だから今の皇室は、チンギス・ハンの正統な子孫。 >>532
そんなこと元史にだって書いてないよ
元が勝ったならそれを偽る理由がない 我田引水
そりゃあ国家の支配力が現代とは違うんだから。
国境線も曖昧だろうし、無理矢理日中友好に持って行きすぎ
鎌倉幕府が直接支配出来た土地ってどれくらいあるのよ
鎖国政策をとった明も民間の密貿易を防げなかったよね >>491 >>516
朝鮮半島では北が男で兄、南は女で妹
故に韓国が兄というのは間違ってるぞ
さらに正当朝鮮人である半島北部の者はこうも言う
「南の奴ら(韓国)はパンチョッパリ」と
パンチョソンではなくパンチョッパリな
妹南チョソンが、倭寇秀吉日帝チョッパリジャップに犯されて産まれたのが韓国なんだそうだ
わかったかカスどアホ >>532
おじいちゃん、朝のお薬まーた捨てちゃったでしょ?
ちゃんと飲まないと、また妄想ばかり掲示板に書き込むことになるでしょ? おっと>>55 くんが氷川清話を読んでおったか、
これは>>55くんを評価する。確かに書いてあるね。
そして明治政府なんて天皇親政の時代に堂々と北条氏評価を縷々論じられるのは
やはり海舟翁の胆力はタダモノではない。
それいえば有名な西郷評価もそうだし、日清戦争の時代においても反戦論を唱え、
大中華や偉大なる大韓を公然評価できたのは実に大したもんだ。
世情におもねるのは君子のやることじゃないっていうのを
ウリはこの値千金の名著で学んだね。
>>524
あははははははは、いってらあw 夜郎自大で結構なことだwww
その偉大なる大韓や大中華に75年前から
普通に占領されていたジャップ国がほたえるなやwww
言うまでもなく戦犯国ジャップはナチスと組んで世界を征服しようとした
愚行の当然の懲罰として1945年から1952年まで占領下にあった。
どこの国に? そう戦勝国たる連合国にだ。
そしてその連合国たる戦勝国に大中華も偉大なる大韓も軒を連ねていたのは当然。
ジャップ国はね、歴史上何度も偉大なる大韓や大中華に占領されてきたんだよwww
まあその鼻祖は縄文弥生戦争で、先住民族縄文人は渡来弥生人である
偉大なる大韓人にホロンぼされたわけで(そしてその大韓弥生人の子孫が、チミらw)、
最初から最後まで偉大なる大韓には勝てないんだよwww >>533
だから歴史は勝者によって常に書き換えられると言ってんだよ。
元の歴史も後で書き換えられて、お前が言ってるのは修正後の偽りの元史。 >>532
名前だけ○○を名乗るって、チョソンネームで呼びかけられたら泣きべそかく、名前隠しの通名在日の発想やろ
もっとしっかりしろやボンクラどアホ >>538
日本が元を征服したわけでもないのに、
大陸の国が元史のその部分を書き換える必要性どこにあるのかと
そもそも元に征服されてたら文化や服装などに
元の影響が強く残っても良さそうなもんだけど
実際にはそんなことやんけ 似たような主張の歴史番組をNHKがやってたな。
元は日本を侵略しようとしたわけではなくグローバル社会への参加を呼び掛けただけとかいうお花畑満開な内容だった。
中央アジアで都市ごと虐殺で無くなったりしてるのによく言うわ。 国交は最低限
貿易はする
基本移民は認めない
今もこれでいいだろ
不都合があったらパイプを細くしていけばいい モンゴルに支配された中華だったらドルジと白鳳を親善大使にして大いに貿易しようじゃないの。 >>537
奴隷チョソンがほたえていて笑える
早よ堂々とチョソンネームを名乗れる身分になれよ
そんなんだから周りからアホにされてんだよボンクラ >>537
しょうもない嘘をつくな
第二次世界大戦の連合国に朝鮮なんか入っとらんわ
日本語使うのやめてさっさと祖国に帰れ
ほら吹き反日キチガイ朝鮮人 Ghost of Tsushima - State of Play
https://www.youtube.com/watch?v=Ur0pQblaZcE
発売まで一ヶ月以上あるのに早くも140万再生突破という盛況ぶり
ゲームオブザイヤー2020は「ゴースト・オブ・ツシマ」で決まりだな >>541
そんなに超理想的な国家だったら、どうしてあっという間に瓦解したんだろうね。
っていうところを突き詰めないから、イヌhkはいつまで経っても日本国内でしか通用しない三流の番組しか作れねえんだよな。 >おっと>>55 くんが氷川清話を読んでおったか、
>これは>>55くんを評価する。
Ahad7++O0 の厨二病は重症。 >>540
お前だけだ。真面目に反応したのはwww >>518
と、いうより中華史上最強の文人国家だった宋朝が
北方の元に圧迫され、ホロンびる途上で
色々文人墨客やら坊主といった知識人がドヤドヤと亡命しているくらいだ。
そういうわけで鎌倉五山だかなんだかが流行ったわけでそ。
そういうわけで元朝とのちの清朝もそうだが成立前に
亡命漢人が日本に来るんで真の中華精神は日本にあり、なんてゆうてたのも
江戸期にいたな。誰だったか、徂徠だったか篤胤だったか、ちょっと忘れた。
>>525
あ、それじゃなくてウリが言ったのは蒙古方の交戦者の記録のはず
なんか箇条書き(だっけ?)で、人質とっても人質ごと射かけてくる
あいつらは人の心がない、みたいなさんざんなdisが書いてある奴。 >>497
しれっと書いてるけど、支那って呼ばれてた頃までは中国と言えば中国地方を指していたはず。 戦国時代の尼子が没落した理由に、手持ちの明の貨幣価値が急落したからとか
それまでは日本海貿易で巨万の富を手にして、中国地方の覇者だったが、最後は毛利に滅ぼされた >>537
なんで中国系の渡来人も日本にいるのに奴隷チョソンが支配者になれるという妄想ノイローゼに陥ったのかな? >>541
その呼びかけの使者が帰るより前にもう
「ボク南宋と日本討ちたいんよなーw」って言ってんのに
参加呼びかけただけはないわ
つうかそもそもの疑問として、参加を呼び掛けただけwとか
貿易したかっただけwとか友好的だったwとかいうなら、
なんでその後に侵略して虐殺までしてるのかと >>544
失敬なw
チミらこそ正しく自らの歴史を学び
偉大なる大韓民族の末裔という栄誉を自覚し
正しい大韓式の名に創氏改名シタマエwww
>>545
しかしその連合国の後裔である国連、国際連合の事務総長、
つまり世界大統領に偉大なる大韓の人士がはいっておるではないかw
このような栄挙壮挙快挙は旧敵国の戦犯国からは
1万年まっても実現することはないだろうねえwww
>>548
Still Young!
Still Crazy!!
and
Still CHUU2 state of mind!!! >>448
満州皇帝は、戦後ソビエトに連れていかれて
死ぬまで日本の悪口を書かされ続けたと聞いたぞ 鎌倉時代に中国から宋代の鉄砲が輸入されて日本でテストされたが評価は、重い、弓矢のほうがとりまわしがいい、雨が降ると無用物、あたらねえ、操作ややこしい、火薬つくれねえ、と散々だったという ID:Ahad7++O0 はもう少しちゃんとした本を読んで勉強しろ。
カッパブックスや書店平積みの本じゃないぞ。
中学生ならまだお受験には間に合うぞ。
>>550
なぜ狂信的国粋主義の走りである平田篤胤が「真の中華精神は日本にあり」と書くことがあり得ると思うのか?
>>537
どういう思考の乱れで、韓国が第二次大戦の連合国に名を連ねることができたと思ったのか?
>>537
>そして明治政府なんて天皇親政の時代に堂々と北条氏評価を縷々論じられるのは
>やはり海舟翁の胆力はタダモノではない。
馬鹿か?
維新の当事者たちは明治天皇に頭が上がらないなんていうことはそもそも無い。彼らが持ち出した飾りだから。西郷も木戸もまだ少年の明治天皇をばんばん叱ってる。勝海舟にとっても同じ。
>値千金の名著で学んだね。
氷川清話は、勝本人が書いたのではなく弟子が適当に書いたもの。
名「著」というなら著者は誰? >>474
国書の文面は伝わってないけど、
同時期に平行して次の戦争準備に入ってたし、
従うかどうか見極めるのが使者派遣の意図だから、
主旨は同じか、その前の文永の役でびびったと勘違いして
もっと高圧的なものだったかもな 元寇って、もともとはあまり島国に興味なかった元に、占拠されて国もメンタルもボロボロの朝鮮人支配者層が日本列島への侵攻をそそのかしたのが発端でしょ? >>308
三蔵法師はスパイではなかったけど、
帰国したら唐から呼び出されて西国の
ことをいろいろ聞かれたらしい。 >>551
中国という語は、中国本国にも昔からあるし、日本人も昔から使ってたよ。
ネトウヨの妄想もそこまでいくとオカルト並。
逆に聞くが、もし「中国」という言葉が無かったのなら、中国の連中は同時代の国号ではなく連綿と続く中華文明の地域を何と呼んでいたと思うんだ?
自分達で「支那」と呼んでいたのか?w >>561
発端ではないし、クビライが日本に興味なかったわけじゃない
むしろクビライは文永の前より宋と日本を討つと公言してたくらい
最初から興味というか日本侵攻意欲を持っていて、
それは文永と弘安の役の後も続いていて三度目の日本侵攻も計画してた
高麗王が日本侵攻への協力的な態度をとったのは
クビライが日本への日本侵攻意欲を公言してから
だから日本侵攻意欲のもともと、発端でいうと確認できる限りクビライ フビライの侵略の目的は国王の前でその嫁と娘を犯すことだろう 平安時代に、もっと戦争して領土拡大し、外国の技術ももっと取り入れ
唐がガタガタになったなら、再び朝鮮半島などに軍事進攻しろよ
江戸時代も同様
国内は安定しているが、海外で適度に戦争を繰り返してる方が良かった >>516みたいなのがコロナで死者出しまくりのアメリカとか
ガチ独裁の中国を崇め奉ってるんだろうなwww そもそも主力は高麗軍
元来モンゴル人は平和の民で
戦争を好まない穏やかな民族
本来は日本と貿易したかっただけ >>567
だから本来は日本と貿易したかっただけ、なら何故攻めてきたのかと
そして何故宋と日本を討つとか物騒なこと初期から言ってたのかと >>568
戦争を好まない民族がヨーロッパ人にまで恐れられるか >>568
ううううそそおおおおおおつうううううけええええーーーーーー。
対馬住人女子供もを虐殺して手に穴開けてひもで吊るしてたやん。
忘れたの? 元寇後の日本や大陸の各地勢力による私的貿易って
それ、倭寇って呼ばれてきた私掠船貿易じゃん >>563 メインランドという意味で中原という言葉も古くからあるよ。
一番肥沃な中原を取れなければ、中国大陸の王朝とはいえない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%8E%9F >>16
ゆとりには清がとこかわからないらしいから現代語で翻訳してあげる優しさ
さらにいえば、ロシアとソ連もよくわかってない 中国共産党は
あれこれつかって
1800年前から日本列島は中国領土
というやつを流布しようとしてるからなー モンゴル人というか遊牧民族の視野は広大だからなあ。モンゴルの草原に居た時から中国イランは既に視野に入っていたらしい。ましてや中国からイラン中東ロシアまでがモンゴル支配下となったならばイランに至るまでの海路商業圏への接近活用は必然、かな。 自分松浦党のいた地域の末裔でもあるが
あの一帯クジラ漁が盛んなところでな。
気性もだいぶ荒かったということだが、周辺海域では
しばしば高麗の連中とやりあったという話も伝承されとるよ。 いまだに学校の社会科の教師たちは「日本は元に攻められて滅亡寸前だったところを台風に救われた」と教えてる世紀末状態なのがなんとも。 >>452
倭館?
っていうか江戸時代も偉大なる大韓とだけは国交とかあったからね。
出島貿易していた清朝やオランダとは国交がなかった。これは差だよ。
だから徳川将軍の代替わりのたびに朝鮮通信使という宗主国勅使が下向するわけだね。
そんで随行の大韓の学者と日本儒者がホモホモ論争を大真面目にやったりするwww
もちろんジャップ国がホモホモ擁護派でいかにホモがいいかということを力説するわけだwww
自称愛国者のネトウヨくんは大抵ガチホモなんだけど、その淵源はここにもあるわけだねw
>>563
然り。中国という国は中央の国という意味もあれば間の国って意味もある。
記紀なんかはで中国(中つ国)なんていったらこれは日本本邦そのもののことでね。
さらにはこれは天国と地獄の間、つまりこの世(転じて日本)という用法もあるし
畿内(近畿)と西国(九州)の間って意味もある、中国地方って今もゆうでしょ。 まぁ、あれだ。
ガチで殴り合えば国交正常化できるが、戦ってもいないのに戦勝国面する詐欺国家とは分かり合えない。
つまり、イギリス、アメリカ、台湾とは分かり合えるが、中共、ロシア(旧ソ連)、南北朝鮮、ドイツ、イタリアとは永遠に分かり合えない。 >>567
いや? 偉大なる大韓の徳を奉じる親韓左派のウリが崇めるのは
普通に考えれば兄の国ではないのかなあwww
>>566
平安時代?
宮中に犬が迷い込んできたり4んだ鳥が落ちてきただけで
死穢だ怨霊だとパニクる連中が身に火の粉がかかるような事件でもなければ
戦争の指揮なんかできるもんかいwww
あれでも貴族様の中には左近衛大将だの中将だの
形式的には武官がいたんだからまったく恐れ入るw
>>573
私掠船、といっていいかどうかはわからないが
海は広いな大きいな、だからねw
商船はすべからく武装商船なわけで、
海で出会って彼我の実力が拮抗していればビジネスをするし
雑魚と思えば海賊に変わるって、そういうもんよw
海禁政策がしかれりゃ全員密貿易船にかわるし、
飢えたりチョロいと思えば弱そうな沿岸の村落にもニーハオするしねw
つまり多義的な存在なんだw 昔の海の人たちってwww >>581
いいからジャップ、ネトウヨ連呼の反日キチガイ朝鮮人は
日本語使うのやめてさっさと祖国に帰れ >>583
そうでしたそうでした
今でいう中部地方あたりがそうだったっけ。
あの中部地方ってのも面白い呼び名で
今では東京と大阪の間だから中部だろうって感じもあるが
歴史的には本邦の中原たる京都からの上方目線なんだよなwww
自称帝都だって自称首都だって東京武蔵の遠国なんて東夷は
それこそ文明以前のアウトオブガンチュだったわけでね、都人にとってはwww >>579
元に攻められて滅亡寸前だった⇒客観的に見れば間違ってない
無抵抗で負ければ滅んでたろう
台風に救われた⇒これも間違ってない
台風100%てのはおかしいが台風が元の侵攻を押しとどめたのは理由の1つ 中高の歴史の教科書何か細部はデフォルメされるのが仕様なんだから
「元寇は鎌倉武士の奮戦と台風によって侵攻が押しとどめられた」
で何も間違ってないと思うぞ 地元に根付いている見え方としては高麗(韓国・北朝鮮)人の印象は
「良くはない」かな。人的交流もあるけれど居ついた連中は被差別部落にいて
少なくとも昭和50年代までは同和問題が残っていたし、小学生(漁師の子)が
使う方言にすら穢多(えた)という文言が使われてもいた。
交易と呼んで平和的活動みたいな印象を持つのは誤解の元だと思う。
もうなんていうか殺生略奪含めて交易みたいな無茶苦茶な構図だったんじゃないか。 元寇の頃にはとっくに前期倭寇が始まっていたしな
平和的交易圏とか無理がありすぎる >>73
博多の防御を本国に通報されたらアウトだからな。スパイはいつの時代も殺される運命。 クビライの国書をそのまま本音と解釈したり
使者送って交渉してるから戦争じゃなく交渉目的と考えるのも
誤解というか疑問のあるものだよね
現代だって仕事上のメールに本心なんか書かないし
まして外交なんて言葉は飾っても本音はどうなのかってことはあるある
クビライの国書の解釈自体も穏やかという解釈も疑問あるけど、
仮にそうだとしてもそれでそのままクビライの本音ととるのはね
使者送って交渉するのもクビライは普通に戦争準備と同時に行うし
戦争するつもりあっても使者送るだけで従属させられるなら
そりゃその方がいいからそれも試してるってだけで戦う気がなかったってことにはならない
せいぜい「大人しく従属すれば」って前提がつく程度 >>73 >>592
アウトというか実際元寇前の使者には偵察されてそれを帰国後に報告された
それでも文永の役までは殺さなかったけど、
文永の役で事前偵察後に戦争起きたらどうなるか、っての身に染みたのかもね >>579
日本側でも、日本は神国だから神風吹いて外敵を撃退したと言う神風神話を盛んに喧伝したからなぁ
鎌倉時代から戦前まで言われてた >>591
元寇前の元との外交に限って言えば、クビライからの最初の使者が来て国書が届いたら
日本はすぐに「蒙古が凶心をもって我が国をうかがってる!」と察知して警戒心抱いてるから、
友好的な外交しなかったことが単に外交音痴とも言えない部分もある >>587
都合のいい事実だけを伝え、意味を逆転させる詭弁もあるからな。 最近はやりのサヨク教授のデッチ上げ新日本史の中では元寇はマシな方
まだ経済とか新事実の掘り下げや物証追おうと生産的な事してるからね
物証なしの坂本叩きとか醜悪だからな
あれよりかはまだマシ 倭寇始まって半世紀以上たってんのに日中朝の平和交易圏とか笑っちゃうよねw
政治的な結論があってそこに向けて無理やり話を向けようとするから
支離滅裂になるのさw 【俳優】元劇団四季・望月龍平Twitter『原爆は落とされたんじゃなく打ち上げたのです。それを爆発させたのは日本ですよ。本当の悪は誰でしょ???』★3
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1589689682/ >>3
バカなくせに歴史に興味を持つとこんなアホな書き込みをする羽目になる >>587
無抵抗を前提にしたら、いつ攻め込まれても滅亡だから成立するわけないだろ
そもそも弘安は橋頭堡確保できてておらず、船内は勝手にボロボロになってたんだから
台風なんて原因にならない >>603
台風がきたのは事実
ボロボロなんて当時の遠征海軍なんか世界中みんなそうだよ
攻め込まれたら滅亡するには国家の規模が必要でその要件をそなえてるのは
数少ないよ
何も間違ってない >>598
尖閣で中国魚船にぶつけられた時の民主党政権の話? そもそも中華が日本本土へ上陸したのは史上初めてのことだからな 戦争なるくらいなら大人しく従属しておけばよかったのに
元寇後に全国の御家人たちが困窮したんだろ >>596
あれは、武士に恩賞を与えたくなかった当時の偉い人が、神仏のおかげと言い張ったらしいね あれは戦争かな、一方的に侵略して来ただけだろ
で、何輸出して何輸入してたんだろうな >>607
従属すれば困窮しなかった、または困窮するよりマシだったと思ってる?
従属した高麗は元寇のために人間含めて多大な要求されて
民衆も造船負担と男手の働き手が戦争行って死傷したので困窮したんだけど
戦う前、文永の役前だと元はまだ南宋と戦争中だから
日本だって南宋と戦わせたり南宋との戦うための資金や物資を山ほどとられたかもね >>607
従属してたら悲惨なことになっただろう
アメリカに抗戦せず、ソ連に降伏しとけば良かったって言うくらいあほすぎる発言 チョンも白村江の戦いで戦わず降伏してたら
長く1等国民の先進国としての暮らしができたのになw >>604
台風が来たのは事実なのかも知れないが
台風のおかげで撃退したわけではない
10万単位の遠征海軍なんて当時の世界中どこにそんな事例があるんだよww
滅亡寸前の定義として、無抵抗なら滅ぼされたから滅亡寸前ってのはおかしいだろってこと >>606
中華本体ではないけど、
満州方面から刀伊の入寇てのが平安時代に壹岐・対馬、北九州を荒らしたことはあった そういや氷川清話を読み返していて思ったが
文永弘安戦争において天皇はおろか鎌倉将軍も執権北条時宗も
別に鎮西太宰府まで親征していないんだよな。
まあ鎌倉から参謀は派遣したか知らんが
現地司令のレベルで闘争したわけで、こりゃ大したもんだ。
>>606
刀伊の入寇をどう評価するかって問題はあるけど、まあそうだなw
ちなみにその後は明治時代に長崎清国水兵暴行事件という
国辱事件がおきているし、WW2の敗戦後は連合国の一員として
普通に大中華にも占領されているぞジャップ国www
>>608
まあ元寇において朝廷やら貴族様やらは勅旨をもって
寺社なんかに加持祈祷で朝敵退散を祈らせることくらいしかしてないんで
それで勝ったってことは逆算してその祈りが通じた神風だと
そういうことにしないと平仄があわないよなwww
まあ、今でいうアベノマスクでマスクの市価が下がったみたいな
荒唐無稽な話でもソンタック公務員はそれで通さなきゃいけないって
そんなもんかもしれないなw >>4
どこの国の人?
日刊関係でしょ
まちがい
肉感関係
あ、またまちがい
日韓関係ね >>604
台風が来たのは事実と言われても、攻め込んできてから3か月後だからなー
上陸戦で負け続けて3カ月も夏の九州北部の海上を漂っていたら、そりゃ台風の一つも来ない方がおかしいわ >>615
オスマントルコのコンスタンティノープルの攻略戦
おまえは本当に物を知らん男だな
もっと勉強してから書けよw
船乗ってたら台風が関係ないわけねーだろアホなのか?
それで説得できる奴なんか
何でもYESしか言わない手下の准教授と講師くらいしかいねーよw 高麗史によると一次はモンゴル軍の司令官が負傷して撤退したがってるから撤退したことになってる
常識的に考えて台風の被害を受けたのはこの撤退時だろう >>619
そうだし、台風がこなくても橋頭堡とれなきゃ、
船内の疫病と食料の不足で撤退してることは間違いない。
守り切ったことで台風がきて撤退ってのが台風のおかげってのが通るなら、
兵糧が尽きて撤退したら、食料様のおかげで勝ったってことになるのかよって感じだよなあ >>616 >>617
刀伊は中華ちがうぞ中華と混ざる前の満州人だ
どっちかつうとチョンに近い >>622
橋頭保とれなくてかつ台風が来たからだろう?
100%神風が全てを撃退しました何か誰も言って無いし
中高の教科書にも書いてないぞ
おまえは持論を押し通すためにあえて話を曲げているから
論理が破綻して滅茶苦茶になるのだよ
総じて勉強が足りない 元は日本より数百年も前から鉄砲を使ってたんだよな
そりゃアジアやヨーロッパを征服するわけだ >>39
誰もレスされてないのは意味不明とされたからだな
蒙古
猛虎←なぜか変換できた >>625
現代の鉄筒と弾丸、弾薬を使う榴弾砲みたいなもの想像してるとしたらとんだ間違いで
鉄の器に破片と火薬を詰めたものを投石機で投げるシロモノで命中率なんてお察し
主力は弓矢だった時代だぞ。 >>623
日本側では昔に新羅の入寇てあったんで、今回も高麗人なのではないか、
と高麗に使者を派遣すると高麗でも刀伊に荒らされてたんで、
高麗とは別種の国だと把握したとか >>628
てつはうの外殻は石だったみたいだな
鉄製の外殻の手榴弾が登場するのは15世紀っぽい >>608
本来なら北条時宗とか竹崎李長とかは
織田信長や豊臣秀吉を超える偉人とし
て名を残すはずだったんだよねえ。
尊敬する偉人ランキングの100位にす
ら入らない。
竹崎なんか名前すら知られていない。 馬鹿だなあ祈りの力で台風を呼び寄せて退治したに決まってるだろ >>620
コンスタンティノープル陥落って15世紀
元寇 13世紀
2世紀も違うぞ >>620
コンスタンティノープル包囲なんて年代がずれまくってる上に
基本的に陸から包囲してて橋頭堡がどうとか関係なく、普通に上陸してんだから海洋遠征ではないだろ、一見関係ありそうにみえて全く無関係で、何故引き合いにだしたのか不明すぎる
相手が不勉強とか言い出したし、詭弁の上にレッテル貼りとか、やばすぎるだろ >>7
日明貿易じゃ日本刀と扇子が人気ある輸出品だったけどな >唐の衰亡以来、周辺の国々は数百年にわたり、帝国の支配に入らない自由な海の繁栄を享受してきた
>だから元帝国の海洋支配に対して激しく反発し、海洋の自由を守り切ったのである
なんかこの見解ズレてね?
モンゴルがあれだけ急速に発展しえたのもイスラム商人を味方に付けたからだし
モンゴル帝国下で治安が良くなり商人の安全と通商の自由が保証されたからだろ?
モンゴルの海洋支配があったとしてそれが逆に商人の自由を損なうものであったかのようなミスリードをしてる >>631
さすがに竹崎は、当時参加した武士の一人、って程度だし
時宗や信長・秀吉と比べられるレベルじゃないような
自分の武功を幕府にプレゼンした
プレゼン力は凄いんだと思うけども そりゃ当時の「国」は近代国家じゃないもの
国同士の喧嘩の影響が民衆に与える影響なんて限定的よ >>631
竹崎個人が歴史に与えた影響なんてほぼ無いんだが >>116
殆ど同時期に、ミャンマーのバガン王朝も元の使者を斬首するという、北条時宗と全く同じ対応をしている
世界情勢に疎い野蛮人はどっちかって話
バガンは地続きなのが災いして滅亡してるけど、日本も状況によっては3度4度の侵攻を被っていただろう >>201
そうなんだ
教科書でもそういう風に教えているのだとしたら良いことだね
それぞれアイヌ(蝦夷)、朝鮮、南蛮、琉球に対応した交易網だよね >>617
お前はまだ氷川清話で日本史を理解してんのか?
あれは講談本だ。
やめとけと午前中に書いただろ。
あれからずっとここにいるのか?
中学生ならまともな本を読め、本を。 >>632
当時は日蓮上人
現在は池田大作先生の法力で
日本は護られている >>610
筥崎宮が自軍たちの功績をことさら強調するために、武士が苦戦したという文書を残したんだよね
そこから>>596の流れ
武士の苦戦を強調するために、有名な「竹崎季長絵詞」も加筆されたって説もあるね
実際見直してみると、逃げる蒙古兵と追撃する武士(竹崎)の間で
武士を迎撃する弓兵は明らかに他とタッチや色彩が異なる >>645
勝ったけど、領土が増えたわけじゃないんで
恩賞問題で幕府への求心力が落ちて、それで倒幕運動につながったっていうね この>>1で言ってる元寇後の民間交易って平たくいえば倭寇のことだよね
なんか論旨が破綻してるように思うなあ
仮に元によって日本が征服され海洋支配が行き届いていたらその方が交易は盛んになったと思うのだけど >唐の衰亡以来、周辺の国々は数百年にわたり、帝国の支配に入らない自由な海の繁栄を享受してきた。だから元帝国の海洋支配に対して激しく反発し、海洋の自由を守り切ったのである。
>神戸学院大学准教授の北村厚氏は「自由な海が守られ、フビライもそれを容認したので、彼らはもとのように自由な海で活発に交易をおこなうようになった」とみる(『教養のグローバル・ヒストリー』)。
つまり「航行の自由作戦」を強力に推し進めよ、と >>646
日本が宗教家によって守られていたら、太平洋戦争で300万、3.11で2万人近くも死者がでんし、
朝鮮に竹島を盗られんかったわな >>521
>戦国時代の南蛮貿易でも、何か伝染病が入ってきてもおかしくないと思うが
>聞いたことないな
梅毒・淋病・水虫といった感染症が、
南蛮人に依ってもたらされたそうだよ。 地球上の陸地の約25%を支配していたモンゴル帝国が日本だけ特別扱いする訳ねーだろ
ちっぽけな島国だと思ってナメ腐ってたろうよ >>521
>>653に書かれてしまったが、梅毒はコロンブス一行とともに新大陸から欧州にあっという間に広がり、16世紀にはもう日本に来ているよ。
ただし、感染経路は、南蛮人経由なのか、中国や朝鮮経由なのか、それはわからん。多分全部だろう。 >>653
梅毒は南米から1年で地球を一周(東廻り)して日本まで来たんだよな
遊女から町人から大名まで梅毒で死んでるし今のコロナどころじゃない不治の病であり「梅毒後の世界」をもたらしたかも知れない
まあすることしなきゃ伝染らないから社会生活上の脅威にはならなかったろうけど 文永の役の時は、台風なんて吹いていないよ。
蒙古、高麗軍来襲時は、陽暦11月末の頃だった。
大規模な威力偵察で、日本武士団の戦法、戦力
地形を知るために、襲来した。戦闘帰還も二日程度で、
すぐに引き上げていった。
台風が吹いていたのなら、博多湾に元軍の難破船も
多数打ち上げられていた筈。
愚童八幡記にも大風が吹いたなんて記載されていない。
戦闘があり、箱崎宮が焼かれた翌朝、元の軍船が博多湾から
居なくなったと書いてあるだけ。要するに、文永の役は
元軍が予定通り、撤退しただけ。元の主攻勢方面は
南宋だった。 モンゴル帝国は分割相続されて以前、北アフリカ、中近東、南アジアに割拠したとか? >>660
アフリカまでは行ってない
エジプトのマムルーク朝に阻止された 元寇の真のクライマックスは、弘安の役における鷹島掃討戦。異論は認めない
台風で数万人が溺死。生存者10万人が伊万里湾の鷹島なる小島に避難するも、すでに
糧秣も兵器もない。そこを完全重武装の武士団が強襲。戦闘ではなく一方的な虐殺
生きのこった捕虜は2,3万人程度とされる。奴隷として使役されたのだろう
そんなわけで鷹島は16平方キロの小島だが、剣呑すぎる地名の宝庫
首除(くびのき)、首崎、血崎、血浦、刀の元、胴代、死浦、地獄谷、遠矢の原、
前生死岩、後生死岩、供養の元、伊野利(祈り)の浜・・・ 元寇の手先で日本を侵略しようとしたからチョンは併合されたのです 元寇で戦ったのは鎌倉武士と書いているが実際は九州の武士団で鎌倉から
応援が駆けつけた時にはすでに戦いは終わっていた >>481
日本に帰化しているのに何故返す必要があるのか?そんな事をしたら殺されて
しまうし、博多を支配していた南宋人が黙っているはずが無い、バカも休み休み言え。
元寇当時の博多の町を支配していたのは謝国明と言う南宋人だ この当時の貿易ちゅうのは海賊行為も込み込みなのをこの記事は隠しとるからね
そもそも相手側だって船員ぶち殺して積載品を略奪する気なので
貿易交渉失敗したら即時戦闘開始なんてごく当たり前
この300年後のマゼランやコロンブスだって半ば海賊みたいなもんや
元寇があろうが無かろうが貿易に乗り出す蛮勇のヤカラは沢山いたし
その多くは私設の軍隊みたいなもんよ 元寇っつっても実働部隊はちょんだからなあ。
そんな事言われてもなあ。w これプロパガンダ記事だぞ
ソースのビズジャーナルはサイゾーのビジネス記事班
サイゾーは朝日新聞から円満退社したグループが作った別働隊
つまり朝日新聞の一派が日本と中国との歴史をネタに日中友好を訴える記事を書いてる
意図はわかるね? 高麗の忠烈王が「兵も船もこちらで用意するんで大元ウルスの看板だけ貸してください」って日本侵攻したのが元寇の実態だろ
有史以来朝鮮半島国家による対日武力侵攻は数え切れないほどある
むしろ半島が日本に有害行為を行っていない時期のほうが珍しいくらいだ >>662
『高麗史』金方慶伝によると、元軍は対馬に入ると島人を多く殺害した。
また、高麗軍司令官・金方慶の墓碑『金方慶墓誌銘』にも「日本に討ち入りし、
俘馘(捕虜)が甚だ多く越す」とあり、多くの被害を島人に与えた。
対馬に続き、元軍は壱岐島の西側に上陸。
日蓮は、この時の壱岐の惨状を「壱岐対馬九国の兵並びに男女、多く或は殺され、
或は擒(と)らわれ、或は海に入り、或は崖より堕(お)ちし者、幾千万と云ふ事
なし」と記している。
モンゴル人と朝鮮人によって残酷非道な虐殺が繰り広げられた。 >>670
クビライも蒙漢軍派遣してるし、決して元の看板だけ貸したわけじゃなく
クビライも戦う気ありまくりだったよ
高麗王が日本侵攻に協力的だったのは事実だけど、
でもクビライが日本侵攻に関心なかったとかさして元が関わってないってことにはならない
どちらか片方だけが日本侵攻に熱心だったわけじゃなく、どちらもそうだった >>669
そうとしか思えんな。
政冷経熱にしようという企みだな >>657
神風は、
武士の奮闘を認めたくない
貴族による捏造だったのだ。
後にそれを
武士ともいうべき海軍陸軍に強制していくんだから
おかしなものだww 神風説ってどっかの公家だか坊主による捏造のはず
そもそも台風で勝手に全滅ならば恩賞で揉めるはずもなく
神風説は論理的に破綻してる
恩賞とは相手の首を取った武功への報酬の領地な訳である
つまりモンゴル側の首を山ほど取った凶悪な武士が山ほど居たちゅうことだ それにしてもモンゴル帝国は凶悪で民度も低い
世界史全集でモンゴル帝国・元を読んだら激しい侵略と内部抗争だらけで唖然としたわ
こんな血なまぐさい歴史はここだけや
こんなヤバイ奴ら目を付けられて撃退した鎌倉武士は歴史の奇跡と言えるだろう
しかも元側が小便ちびって2度も船に逃げ帰ったのだから痛快だわ 海無し国のモンゴル政権だから民間が海洋交易を自由に出来たんじゃない >>657
高麗史には文永の役でも、夜に大風雨に遭い崖に接触して溺死者も出たことが書かれてる
けど高麗史では撤退前の軍議も書かれてて、ここではなおも進軍を主張する高麗の将軍金方慶に対して、
総司令官の元の将軍忽敦は疲弊した兵士を率いて日々増える敵と戦う不利を説いて却下して、
撤退する途中の夜に風雨にあってる
軍議の様子をみると将軍たちにとっても撤退は予定通りのものではなさそう
元史の矢が尽きたという記述といい、元高麗軍の戦いは兵を疲弊させ補給の矢を射ち尽くすような
かなり無理をしてのもので、早くも無理がたたってきたところに、
他の地域からの援軍も集まってきて日本軍は増強されていったので不利になり、
不利な状況でこれ以上戦い続ける愚を避けて撤退した、って所じゃないかな
難破船については、撤退中だから博多からはかなり離れた所で台風ではない風雨にあったのかも >>678
いや、それはそれとして神社仏閣もこぞって幕府に恩賞を求めてる
ウチの神さまのおかげだ! いいやウチの僧侶が祈ったおかげだ! みたいな感じ >>678
神風(台風もしくは暴風雨)が吹いたことと、
台風で勝手に全滅したり武士が戦ってないことは=ではないんだよね
文永の役でも実際に参加した竹崎季長が描かせた蒙古襲来絵詞をみても戦いは起きてるし、
暴風雨やその損害があったとしても撤退中だから、撤退自体は暴風雨のおかげではない
弘安の役にいたっては開戦から台風が吹くまで二か月が経ち、
その間に元高麗軍は日本を攻め、日本軍は防戦して持ちこたえた末のことで、
台風で大損害を受けて将軍たちが逃げ帰った後も十万ともいわれる兵は置き去りにされ、
さらにその兵への掃討戦も行われてるから台風後にも戦闘は継続してる
台風が役に立った面はあっても、それだけで勝ったわけではないし
武士はちゃんと戦ってるし、それもちゃんと勝因になってる >>680
モンゴル帝国は海あるよ
日本とも海路で繋がる地域を含めて、元々宋だった地域も
モンゴル帝国に組み込まれてるから >>662
東路軍、江南軍の内、蒙古兵、高麗兵の捕虜は悉く首を刎ねられたが、
旧南宋兵は命を救われ日本に帰順を許された。
彼らの子孫は、北九州に残っているだろう。 >>672
飢饉による農民反乱の首領・朱元彰が南京を首都にして明を建国
北伐軍を派遣してモンゴル人をゴビ砂漠の向こうに追い出した >>10
詐欺師と貿易してもデメリットのが大きいからな。
てか、通名制度と外国人生活保護を廃止すれば、中国とは今よりまともな貿易はできると思う。韓国は無理だけど。
今回のマスクの件で、健康に関わるもので中国製は絶対に買わないけどなw >>683
まぁ今の感覚で見れば何だかなぁ、な話ではあるんだけど
当時はマジで神頼みや祈祷が敵を退けると広く信じられていた時代だし
幕府も諸国の神社仏閣に敵の退散を祈るよう命じてたから
コトが勝利で終われば払うモン払え!となるのは仕方ない >>685
元々のモンゴル人が
>>683
当時の有力寺社のトップはどこも天皇家や貴族の子息 雲南省から始まって、中世欧州まで席巻したペスト菌は日本に来なかったの? 元側のフビライ側近の諫言が面白い
いわく日本は貧乏山国でろくな産物はない上に野蛮勇猛な武士が占拠しており戦いの損害は計り知れない
賢帝はこのような蛮族の地には関わらぬことが肝要に御座いますと。
最狂のモンゴル元帝国をして野蛮武士に関わるなと言わしめる鎌倉武士とは何者だ、という話だわなw >>692
それ以前に天然痘が日本全国で奈良時代から戦国時代まで猛威を振るっていた >>672
元々遊牧民族ってまとまりづらいんだよ
権威や組織に従う意識が小さくて実力主義だから
リーダーは常に実力を示さなきゃいけないから安定した王朝になりにくく部族単位の小集団が割拠するのが普通の姿
チンギスみたいな強大な支配者が例外的存在なんだよ
それによって統合され方向性を与えられた凶暴な力が吹き荒れたってのが元帝国という現象の本質
カリスマを失ったら元に戻るのが自然な姿 >>692
他に日本ではペストの保有生物であるネズミは穀物を食う害獣なので、
家で猫を買う事で駆除していたから、
大規模なペストの流行は日本史の教科書では余載っていない もともとモンゴルは末子相続で上の子は自分で縄張りを拡張するので
チンギスの子たちも自分で別の領土を征服する必要があり
遠くロシア近辺まで侵略する破目になってしまった
こうして世界史上最大の中央アジアの領土を収めたが
もともと領地経営のノウハウもないので現地勢力を軍事と官僚に起用した訳だ
こうしてチンギス一族を頂点に現地勢力が貴族及び軍人というモザイク体制を組んだので
スグに反乱内乱だらけになりニ百年ぐらいでほぼ全滅しちゃったと 元、高麗、漢軍の生き残りは敗戦を伝える為に数名は殺さずに、残りは全員
志賀島と鎌倉で斬首されたが、江南軍の南宋兵は博多との繋がりが深かったから
殺さずに日本に残るのを希望する者は帰化させて、帰国を希望する者は返す方針だったが
殆どの者が日本に帰化を望み博多近辺に住み着いている。当時博多を支配していた
謝国明の影響が大きかったんだろう。 >>680
という妄想で結論ありきで書いたのが1の記事 >>672
女性が権力もったり、フビライ以降に勢力を伸ばした傭兵系軍閥が権力もったり、
さらに飢饉が来たりと、元末期は大変だった。
皇帝権力が形骸化してしまったんだな。
で、南の反乱勢力を討ちに行った執政に対し、皇帝がクーデターを起こすという
訳の分からん話で、南征が失敗して朱元彰が生き延びたこと。
(勢力的には朱元彰は3番手くらいなので、南征が成功してれば明はなかった) 当時の博多は実質的に謝国明が支配していたからな
イギリス領香港のようなもので南宋人の治外法権の海外分領あつかい
だから南宋の禅寺が福岡市内に沢山ある 鷹島の漁師の間では秋に季節風が急に吹いて海が荒れる事が知られているよ 元軍 正社員
漢軍 非正規社員
南宋軍 パートアルバイト
高麗軍 下請会社
こんなところか 安東五郎とか前寇の朝鮮半島への侵攻調べると日の本将軍ってすげえ >>5
執筆者の名前を確認しろ。
キムらだ。
ご都合主義のグローバリスト親中派にありがちよ。 >>557
清の最後の皇帝かつ満州国皇帝は、ソ連軍に捕まり中国に引き渡され>>448の流れ
中国の収容所から解放された後は中国で市民として生きていくことを許された。皇帝弟も。
1994年まで生きた皇帝弟の遺骨は日中双方に分骨 >>703
11月は一応台風シーズン外とはいえそれでもたまには来るし、
台風じゃなくても風が危険なところだし、
弘安の役のように戦闘が長引けば何れ台風シーズンに入るし、
戦闘を長引かせず橋頭保築いて征服できるほど容易くもないし、まあ詰んでるよね
日本側も最初の使者が来た時点で侵略の意図には気づいてるから準備もするし
(よくクビライの意図を穏便とか友好的とか解釈して理解できなかった日本を叩く論調があるが、
高麗史でこの頃のクビライははっきりと日本を討たんと欲すると言ったと記述されてる)
かといって使者も送らず偵察もせずいきなり攻め込んだら情報なさすぎて困難だろうし おっと、このスレ、まだあったのかwww
>>644
まあね、確かにチミの言う通りウリの大好きなまさに枕頭座右の書である
勝伯の『氷川清話』を大学の歴史の授業で典拠にだしたら
史学科卒の諸君がネットでよく喚いている「史料批判がー」でんでんといわれて
2秒でリポート書き直しの単位不可になるだろうねえw
ついでにいえばそりゃまたウリの大好きなディオゲネス先生の事績が書かれた
『ギリシャ哲学者列伝』というとても面白い逸話集もそうだな
(どうでもいいが岩波文庫でこれ、復刊しないかなwww)
でもまあねえ、ここは2ちょんねるでしょ。
アカデミズムとは対極の床屋清談を楽しむ浮世床なわけで
そんなゴリゴリのリゴリズムで臨むこともなんじゃないっすか?w
あとどうでもいいけど元寇には天皇も鎌倉将軍も執権も
別に北九州まで参陣していないってのは勝伯の言う通り史実ってことで
これは別にいいとおもうけどねwww なぜ日本は被害者としてのモンゴルを恨み続けることをしなかったの? なんか急にPCの調子が悪くなった初夏の怪
まあ白亜紀の地層から掘り出した年代物だからねw
三葉虫がちょこっとカジってたりなんかしてwww
>>711
いくつか仮説を思いついたんだが
ひとつには日本側が勝ったからw
ふたつめは元もまたホロンびたから
みっつめは皇国史観じゃ北条家は承久の乱で皇室を蔑ろにしたろくでなしだから
よっつめは、これがちょっと大事な仮説なんだが
ジャップ民ってさ、民族的に外国から攻撃されたり占領されること、
そんなに苦にしない民族なんじゃないかって気がするんだよなwww
これは「日本の偉人」になぜかペリーやマッカーサーが出てくるところとかw
(それいえば「拝啓マッカーサーさま」ムーブメントもそうだ)
自称愛国者ネトウヨや自称国家の軍師ネトウヨ軍オタどもの
北方領土割譲ウィンウィンブームもそうだろう。
さらにいえばソ連の参戦やシベリア抑留といった蛮行に加え
米軍の原爆投下や無差別市街地爆撃といった惨劇、
国際法上明らかな非違行為に対する自称愛国者ネトウヨどもの
奇妙な理解なんかもそうなのかもしれないな。
日本人はひょっとしたらスベカラク占領ウェルカムなマゾヒズム民族かもしれないな。
実際どんな現在進行形のろくでもない苛政にも声上げないしね。
そこを考えるとジャップマゾ説は平仄が合うなw まさに家畜人www >>681
撤退は予定通りの軍事行動だと思う。
来襲軍勢は3万人と、橋頭保を構築するには
少ないし、糧食の用意や矢弾の補給、兵站線の確保も
していなかった。高麗への撤退途上に、大陸からの
初冬の季節風を真っ向から受けて破損した軍船も
あっただろうが、高麗では凱旋パレードを行っている。 そりゃいくさはじまると思ってお互いにつけを踏み倒す気満々で取引してたから
そりゃ量も増えて往来も頻繁になるわってはじまる前でなくてあとのはなしかい
ああそれ元王朝が今のアメリカみたいに各地侵攻のために財政破綻して
日本みたいに札を刷りまくれってのほんとにやっちゃって経済が怪しくて現物経済化したり
王朝が短期で終わるくらい疫病流行りまくったからね
それで次の明になって土地はあるけど死にまくって人がいないので
全員に土地を与えて役人でも耕作させたりね >>711
室町幕府の時に明からの使者が来た時に、
元寇の前に使者が偵察してってその後戦争になったことから
またかと相当警戒されて疑われたそうだから、
恨みというか大陸への警戒心は世代が変わってもあり、
元のやり口(最初は使者送って色々口で言っても偵察してその後戦争)
がどういうものかも子孫に伝わっていたらしい >>657 >>713
威力偵察説でよくわからないのが、次の戦争を見越しての物だとすると
文永の役1274年から弘安の役1281年までが間が空きすぎでないかなってことなんだよな
7年もあったら偵察した当時よりも変わるし、
しかも先に攻められてるからそのせいでより迎撃準備整う可能性高くなるし
この7年だって南宋攻略がもっと長引いたら再度日本侵攻も長引いただろうし
実際日本はその間に防塁建造とかの迎撃準備したんだから、
威力偵察の意味そんなにあったかわからないし、
逆に日本側を警戒させて本格的な侵攻に対する準備期間を与えただけになってね? >>697
猫なら大陸でも飼ってたんじゃ?
でも大陸でもペストは猛威を振るったし 九州で残虐な行為を働いたと習ったぞ
ひたすら破壊と殺戮で捕らえた女を船の周りに吊るし軍艦を攻撃できないようにしたと >>692
中世欧州で猛威を振るった黒死病が、本当に今でいうペスト(腺ペスト)だったのかどうかは、まだ完全に決着がついていない。
死者の遺骨のDNA解析でペスト菌の痕跡を見つけたという研究はいくつもあるんだが、数百年以上前の人骨から正確なDNA再現は現在の技術じゃ無理という反論も多い。
腺ペストだとすると、今の腺ペストに比べて中世の黒死病は、記録された症状に少し変だし、死亡率が高過ぎる。
だから、黒死病は、エボラとかに似た凄いウィルス感染症だったんじゃないかという説も根強い。 >>704
>島の人達は大虐殺にあったんだが
元々>>1にあるフビライが戦争をする気は無く、て前提が眉唾だからなぁ。
嫌ったのは漢民族官僚なだけで、モンゴル族自体は非常に好戦的で踏み躙り掠奪するのが大好きなんだし。 真の愛国保守者は外国との交易や交流は一切合切否定する
純国産品のみで生活出来ない奴は例外なく反日パヨク立憲朝鮮人だから日本から出て行け >>721
眉唾ってか史書ではっきりと、最初の使者が日本にいるうちから
戦争する気をクビライ自身の発言で表明してたことがわかってる 西ではイスラム帝国アッバース朝のカリフ一族皆殺しにして、
バグダッドを完全破壊したモンゴル人が平和的な訳ない しかしよく当時は世界最強だったモンゴルを2回も撃退できたよなぁ >>726
>しかしよく当時は世界最強だったモンゴルを2回も撃退できたよなぁ
フビライのやる気無し&徴用された民もやる気無し、だからねぇ。
騎馬民族としては大陸を支配するのが夢であり、小さい島国なんて眼中に無かったんでしょ。 >>704
『手に穴を開けられ、ロープを通され、船べりに吊るされた』って話か。見て見たかったな。
面白そうだ。何だったら、穴を開ける役をやりたかった。 >>727
クビライにはやる気があるよ
クビライは1回目の元寇のずっと前から日本を討つと表明して、
元寇前に日本に来た使者は偵察の結果海の危険などのリスクの高さを理解して
それを詳しく説明した上で中止するよう忠告したけどクビライは強行した
大敗した2回目のさらに後も3回目もクビライはやる気だったし、
その時も国内の疲弊を理由に重臣が反対してるのに強行しようとしてた
かろうじてベトナムとの戦争や国内の反乱など
もっと優先しないといけないことが起きたから中止になったけど
そうでなければ続けるくらいにはやる気があったのがクビライで、
そもそもの元寇の発端はクビライのこのやる気
昔の大陸がそこまで小さな日本に興味、それも征服欲があったわけじゃないだろうし、
実際同時期でも南宋だって日本と繋がる東シナ海に面して巨大な海軍も持っていれば
日宋貿易で日本が銀や硫黄の産出国で旨味があると知ってもいたけど
それでも南宋は日本に攻め込んだりせず貿易で稼いでたから、
クビライの征服欲は当時の大陸としても騎馬民族としても例外的なものではあるだろうけど
それと参加した方も末端の民や兵レベルではわからないけど、
高麗の将軍には元寇の為の造船を送れると処罰までするくらい熱心にしてた将軍や、
文永の役で撤退反対してまだ戦おうと意見する人もいたくらいには戦意があった >>727
それとクビライは騎馬民族の従来の価値観や統治からはかなり変化した人物で、
従来の騎馬民族の価値観で図れない所が多い
内政でも貿易でも、本来の騎馬民族ならあまり興味ないような所にかなり手をつけてる
ただしたまに見かけるクビライの意図を友好的や穏便に解釈して
クビライの意図が貿易やそのための国交だけだったというのは
それを踏まえてもさすがに無理があるけどね
クビライは日本に6回使者を送っていて、1回目が引き返したので
2回目の使者がクビライの国書を日本に伝えた使者になるけど、
この使者が日本にいる間にクビライは日本を討つと表明してるから、
この時にはもうクビライは日本への侵略にやる気があった >>727
>>731誤字った
×高麗の将軍には元寇の為の造船を送れると処罰までするくらい熱心にしてた将軍や、
○高麗の将軍には元寇の為の造船監督を遅れると処罰までするくらい熱心にしてた将軍や、
だからやる気のない高麗がわざと壊れやすい船作って〜とかサボって〜ってのもかなり疑問がある
この将軍はクビライの忠臣といってもいいほど忠実で、
一方で高麗には昔の親の恨みから王も同僚も民も軽んじた態度をとっていたので、
高麗では裏切者扱いされてるような人物なんだけど、
だからこそ高麗人が造船サボることなんか許すような人物じゃない
むしろサボってたら容赦なく厳しく罰して許さないような人物
そういう造船監督がいた状態でそうそうサボれるほど甘い環境じゃない >>728
手のひらに釘を打っても自重で手が裂けて落っこちるから
キリストの磔は本当は手首に釘を打っていたはず 朝鮮人って昔からほんっとに卑劣なクソ野郎だったんだね
映画に出て来るクソな奴等は朝鮮人がモデルだなってくらいテンプレ状態だわ 朝鮮人がモンゴル人と組んで対馬の島民食人してた事実は変わらない >>730
いや、継承争いと南宋攻略、さらに中央アジアでの混乱と、
フビライも問題を抱えてたので、
1回目は、それほどやる気でもなかった。なので、あっさりと軍は引き返してる。
南宋攻略のついでだな。
2回目は、移民(棄民)主体なので、南宋移民の船が沈んだので目的達成みたいなもんだな。
なので、実際の兵力は1回目とあまり変わらない。 日本史以外しらないんだがなんでモンゴル帝国の進撃はヨーロッパで止まったの?
世界征服はできなかったのかな? >>159
馬鹿だろ
元との貿易が盛ん=沿岸部分の治安が維持されてる
→元が衰退→沿岸部分の治安が悪化
→貿易商が武装化=倭寇
倭寇と元寇は時代がずれてる >>693
実際鎌倉から室町にかけてと戦国時代の日本人は蛮蛮蛮族だからな
特に九州は土豪どもが千年殺し合いしとるし >>185
元と清の前後の宋と明だが
日宋貿易、日明貿易(勘合貿易)と習ったはずだけど
宋と明は形式は朝貢貿易、互いの政府直轄貿易
元と清は貿易港などを指定するだけの政府の管轄しない民間貿易
貿易量で言えば元と清が圧勝 >>694
だから、人質に取られたら人質ごとぶっ殺してたんだよな >>679
なのに北条時宗は全くとは言わないが
評価されていない。
本来日本のヒーローNo1なのに >>740
ドイツ辺りまで進撃したが、大ハーンの死去が伝えられて引き返した
跡目争いなどもあって、ヨーロッパ遠征は取り止めになった 日本は中韓朝とモンゴルに対し元寇に対する謝罪と補償を要求しろ 鎌倉時代、日本に大量の宋銭か普及し、貨幣経済に突入するわけだけど
その宋銭の輸入元は元です。宋ではないんですね。 1回目の威力偵察説は何も物証がないのがな
元側に単に情報が足りなくて戦力差を誤っただけのような気もするしね
威力偵察しても相手が警戒して防備固められるだけだし意味は無いような >>739
三回目もする予定だったから、おそらく目的は達成してない
あるいは目的は複数あって、739のそれも目的のひとつだったとしても
まだ他に目的があったのかもしれないけど
まあその目的が何かは知らないけどね
単に負けたことでメンツとか気にして勝つまでやる気になっただけかも >>7
攻め込んできた相手に武器を売るのはちょっと怖いな >>745
北条時宗が不遇なのが、もっと前に承久の乱で朝廷を敵に回して戦ったことで、
北条氏と鎌倉幕府自体への見方が厳しい時期があったのと、
最近ではクビライの国書や意図を穏当なものと解釈したり、
最初から戦う気があったわけではないと友好姿勢とみる説が出てきてることから、
日本の対応を外交音痴や、日本がクビライの気持ちを察していれば、
外交努力によって避けられた戦争だったとまで批判する見方が出てきてること
(ただしそれらの説は日本に来た一度目の使者の日本滞在中に
クビライが既に日本を討つことへ意欲を見せていることと矛盾するし、
戦争前の外交に関しては基本朝廷の担当なので北条時宗に全責任があるわけではない)
さらに今ではこのスレでも誤解している人がいるように、
どういうわけか北条時宗が元寇の前から使者を斬ったというデマが流行ったことで、
(使者を斬ったのは一度目の元寇の後で、戦争前の使者を斬ったことはない)
それが(戦う気のない、友好的な)クビライを怒らせて戦争になった、
とまで誤解をもとにして叩かれることまである
ほんとにこれ言い出したの誰なんだろうな… 歴史上の帝国の最大領域ランキング
https://ja.wikipedia.org/wiki/帝国の最大領域一覧
1位:大英帝国
2位:モンゴル帝国・・・【元寇】 神風により日本勝利 (鎌倉時代)
3位:ロシア帝国・・・【日露戦争】 日本勝利 (明治時代)
4位:ソビエト連邦
5位:スペイン帝国
6位:大清帝国・・・【日清戦争】 日本勝利 (明治時代)
13位:ポルトガル海上帝国
14位:アメリカ植民地帝国
18位:大日本帝国・・・英語版wikiだと12位になっている
20位:ローマ帝国
■第1次世界大戦
日英同盟で戦った相手がドイツで日本は戦勝国5大国に
■第2次世界大戦
日独伊三国同盟で戦ったが最後は連合国軍に降伏して敗戦国に
日本軍 vs アメリカ軍、イギリス軍、オランダ軍 など
第2次世界大戦、タイにある日本の捕虜収容所にて
イギリス人捕虜が虐げられるネタを題材に作られたイギリス映画が
『戦場にかける橋』(第30回アカデミー賞作品賞)
http://www.youtube.com/watch?v=HFWPW789Q6I
トップクラスの侵略者である栄光の大英帝国が被害者ヅラできる相手が日本とは、光栄! 記事読んだけど何がどう誤解なのかよく分からんな
要はこの著者が「無政府の自由貿易バンザイ」」って思想なのか クマン人(キプチャク)怖い!
ヨーロッパでも言われてだと思う 元寇は鎌倉武士団の容赦ないガチ戦法が笑える
勝利は鎌倉武士団の凶悪な戦闘力の結果
神風で勝ったとか言うのが誤解とか言う話なら分かる >>733
高麗の将軍や兵士の真意は、日本侵攻なんて気が進まなかっただろう。
強大な元の属国だっただから、表面的には勇ましい恰好を
示しただけだろう。高麗は人員、物資の負担が重すぎた。
日本でも、桶狭間の戦いの後、松平元康が今川氏真に
尾張への復讐戦の先陣を願っている。これもポーズだけだった。 高麗が主犯だ!とかいうことを言う人もいるけどそれも誤解だろう
当時の高麗の状況は何度も元の攻撃うけて瀕死の上に、三別抄の乱を鎮圧して貰ったりして元の言いなりになるしかない
日本遠征に向けた元の過大な要求に泣きが入ってるからな
忠烈王の遠征を進める文書とかも言わざるを得ない状況で言わされてる形
属国は大変だなと思わされる
服属したら骨の髄まで搾り取られて苦しめられることになる
そう考えると徹底して元の服属要求を突っぱねて独立を勝ち取った北条時宗の功績はデカいと思う >>749
文永の役はどう考えても日本どころか征服に足りないんだけど、
元はそもそも日本の国力、面積を正確に知らず実際より小国だと思ってたって説もあるし、
偵察した使者は九州で留められて他地域の偵察はできなかったら、
舐めてかかって痛い目を見て慌てて帰ったって感じだったのかもって気もするんだよね >>761
末裔の国民性からみれば、尻馬に乗ったって言い方が適切だろうよ。 >>749
文永の役と弘安の役の間が開きすぎてるからね
7年も開けたらそりゃ相手も防備固めるよ
これじゃ威力偵察の意味が無い 壱岐対馬の被害がよく言われるが、地味に松浦党も壊滅してるんだよな
その後普通に復活して源平合戦から南北朝どころか戦国期まで生き残ったしぶとさを見せつけてくれるが
今の当主は東アジア史の教授だっけか >>760
元にポーズのつもりで忠義のほどを示すための日本侵攻を意見具申したら、もともとノリノリだったフビライが大いに乗ってきて、しかも先陣までやらされたってか?
属国なんてなるもんじゃねえなw
まあ今の日本が言えたセリフでもないけどさ。 高麗の状況を考えたら積極的なわけないよね
元の攻撃でボロボロ
でも王はモンゴルの後ろ盾で即位したし、三別抄の反乱を鎮圧して貰って逆らえない
オマケに王子は人質
文永の役の準備で農地も農具も兵糧も取られて、揚句に女性まで献上する羽目になる
窮状を訴えるけど無視される
そもそもモンゴルは高麗の弱体化+南宋と関係の深い日本を潰すと言う一石二鳥を意図していて高麗にとっては害しかない
使者も何とか誤魔化そうと日本へ行かない理由を作っては誤魔化している
これで高麗が主犯扱いはあんまりだろうw >>558
火薬は致命的だな。
戦国時代初期は輸入に頼っていたし。 >>767
主犯は無理があるけど(そもそも高麗王には元寇をするかどうかを決める権限もない)
共犯または従犯としての積極性はありえると思うよ
それと高麗の負担はあくまで民の負担であって、高麗王がそれをどの程度気にしてたかどうか
元寇前の高麗王ならともかく(使者派遣をごまかしてた時期の王はこっち)
その息子で元寇直前に即位した王の方は(元寇に積極的と言われるのはこっち)
長年元に人質として暮らしていたので高麗国内を離れているし、
帰国した時に服装髪型まで元のそれに染まって民を嘆かせていたほどだから、
高麗の民衆の負担よりも元、クビライに阿ることを優先したんじゃないかって見方もある
属国の立場のリスクのひとつとして、王位継承者が長年他国で人質として暮らすことで、
生まれた母国よりも育った他国の方に親しみを持ち、自国への親しみは薄れてしまうということもあり、
元寇の時の王だけじゃなく以降の王にもその傾向はみられる 高麗王は民の負担を超気にしてるよ
何度もモンゴルに「勘弁して!高麗死んじゃう!」と訴えてる
でも無視されてる
船を何百隻も作っておけ!農地も農具も食料も軍隊に差し出せ!あと女もな!美人の処女に限る!
とかやられてんだから
たまらんわ
日本征服を勧めた事になってる忠烈王も弘安の役の時には「高麗の負担があったらもうやめます!」と要望を提出してる
その甲斐もあってか弘安の役の時は高麗はほんの一部だけ
ついでに金方慶と言う人を将軍に押し込めてモンゴルのヤリタイ放題にさせないようにできてる
かなりやり手だと言える
弘安の役の時はもう高麗が主力じゃないから「逃げるとか無いわぁ最後まで戦えよぉ(ニヤニヤ)」状態で笑う >文永の役で撤退反対してまだ戦おうと意見する人
10年前オバマ侵略が始まったばかりの時に撤退していった統一教会系アメリカユダヤ侵略系の使い魔で
日本で奪った資産や土地をもらえるとかいう朝鮮共産党本家のコミンテルン共産とは別系統らしい」ですか?
やる気満々だよなあ、戦後の日本侵略の連合側メリカソ連中華民国の先っぽかつぎだったな いい加減にしないと日本が時空間転移して朝鮮半島攻めに行くよ神功皇后みたいになw 私貿易を好き放題やらせたから倭寇の土壌が出来上がった感じもないでもないよね・・・。オランダがスペイン船
襲いまくって黄金分捕りまくったのと同じことが海上で起きてた可能性も否めない。だから永楽帝は勘合貿易なんて
手のかかるものを編み出したんではと思うんだが・・・・ 実際に高麗じゃ負担がきつすぎて反乱起こされてるし
それもモンゴルからの過大な負担の影響
分かってるけど止められなくて四苦八苦してる
属国なんてなるもんじゃ無いわ
時宗サンキュウ超サンキュウ >>769
ローマのやり方でもあるねそれ
属国の王族や有力貴族の師弟をローマで生活させローマの教育を施し、
10年後20年後には立派なローマシンパになってしまうという
民族浄化したり言語宗教を圧殺するよりもずっとコストが低く有効な侵略の手段だ >>765
松浦氏は江戸期も平戸藩主として生き抜いて、
明治には子爵か伯爵ぐらいになってる 殺戮とかは大陸の方がえげつないな。
戦争に敗北=略奪、強姦、人さらい被害に合うのは日本の内戦も同じ。
大陸は民族間の殲滅戦だから、非戦闘員でも容赦なく殺すのが違う。
盾代わりに舟の舳先に捉えた人の手に穴空けて縄で吊す元も鬼畜だが、構わず弓を射かける九州武士団も同類。
違いは非戦闘員を殺しても恩賞に与れないから、武士はあまりやらないだけか。 当時の武家でない一般の人なんて
喋る家畜程度にしか思われてないだろう
なんて残酷な!と思ったか、てめえうちの家畜盗みやがって
と思ったかはわからんな 意図的に日本が先に使者を殺したように混同させて書く教科書は紛れもない悪 元寇=在日の祖先
おまえら日本人は敵に侵略されたゴミ
皇族や総理すら暴力団や電通に逆らえねえ >>782
現在いてる在日朝鮮人の大半は朝鮮戦争や済州島の虐殺
から逃げてきた連中とちゃうの あれだろ?
漫画でよくある対立する不良同士がガチで喧嘩して互いを認め合うパターン
互いに手を出さず、歪み合ったり悪口陰口の応酬じゃ無理だわなw >>779
首だけだと(とくに腐ってたり焼けてると)首実検でもそれが誰だか分からないから
大坂夏の陣の後で家康側に集められた首には恩賞目当てで多くの町人の首が混じってたと聞く >>4
政府同士は敵対したままで問題ないってことだしな。 >>6
需要があれば民間は勝手に貿易をする。だから政府が無理に友好関係を結ぶ必要は無いってことだろ? >>785
雑兵が恩賞欲しさに女首を持ち込むがノーカウントの上、首は持ち帰りですごすごと帰ったとなんかの本で読んだ気がする。
乱戦で服を剥ぎ取られた死体は訳が分からんから、あわよくばで切って持ち込んだのだろな。
雑兵は男なら何でもよかったのかな?それはそれで恐ろしい。 >>789
女はあからさまに非戦闘員だから女の首持ち込んでも不正が露見するだけでリスクしかない
なので恩賞狙いで不当に持ち込んだのは市井の男の首だろうな
それっぽい首ならある程度何でも良かったんだと思う
非戦闘員ではないが島原の乱後にも天草四郎の首と称するたくさんの子供の首が集まったらしいし >>755 そういう屁理屈ならベトナムの方がずっと凄い 弘安の役で感心するのは武士団が非対称戦の戦術を忠実にこなした事。
真正面からのぶつかり合いじゃなく、相手がグーを出せばこちらはパー、チョキを出せばグーと。
中射程の騎馬弓に対し、4倍の長射程の長弓でアウトレンジ攻撃。
白兵戦が苦手な騎馬兵に対し強行接舷の夜襲で近接戦闘、刀でばっさばっさ斬り込み。
文永の役で「やぁやぁ我こそは」の失敗を、キチンと戦訓として次にフィードバックしてる。
ここは帝国陸海軍を始め、臨機応変っぷりの無さを大いに反省すべし。
先人はここまでフレキシブル。 【元寇において定着した電波】
・台風で救われた→日本武士ヨエーw、九州はちっとも被害が無かった
・鎌倉武士団の活躍が窮地を救った→東国武士が防人に、西日本人情けねーw
大宰府まで攻め込まれて博多市外は焦土化だし(当時日本最大の経済都市)、東国武士団は到着が遅かった。 まあ飽くまでも小説なんだけど、陳舜臣さんの耶律素材は面白いよ。
無論、作者の主観が強いだろうけど。 >>781
教科書は知らんけどネット塾?のオンライン授業?にはあるらしい
347 日本@名無史さん ▼ 2020/04/21(火) 14:11:53.83 [0回目]
今は映像授業サービスとWEB予備校の動画にもあるし、
学校といいオンライン授業といい、そう勉強してしまった人も増えたんだろうな
・トライイットという中学生・高校生向け映像授業サービス
【中学歴史】「元寇 文永の役と弘安の役」 映像授業のTry IT (トライイット).html
https://www.try-it.jp/chapters-2878/lessons-2898/point-2/
>日本に興味を持ったフビライ・ハンでしたが、いきなり軍隊を送ったわけではありません。
>まず日本に使者を送り、降伏して元の支配に下るよう要求しました。
>当時の執権である 北条時宗 は、フビライの要求を拒否するだけでなく、元の使者を処刑してしまいました。
>この行為に激怒したフビライが、日本に大軍を送ってきたわけです。ついに戦いが始まります。
・無料WEB予備校・塾 チノポスの授業動画
竹内睦泰 元寇と得宗専制政治
https://www.youtube.com/watch?v=b4_azPkG7-o
>元の皇帝フビライは、日本に服属要求。家来になれといいました。
>日本側は北条時宗、家来になれと言ったモンゴルの、フビライの、使者を、二人の首を刎ねます。拒否。元寇でございます。
>まず文永の役。元高麗軍三万人が来ます。博多湾に上陸。 元は日本の規模を理解していなかった
当時の軍事技術で日本に送り込める兵力では日本を占領するには圧倒的に数が足りない
日本を占領するには蒸気船以上の船が必要 完全制圧じゃなく武力を見せつけて属国化したかったんじゃないか?
日本の前の高麗ですら簡単に落ちたわけじゃなく
拠点を取ったり取られたりで手を焼いていたしな 基本、モンゴル人は平和を愛する遊牧の民
それを唆して日本に攻め込ませた国がある
実働部隊はその国の連中だし
モンゴルは日本と平和的に貿易がしたかっただけなんだよ
戦争が無ければ、モンゴルは日本へ羊毛を輸出、日本からは浮世絵など工芸品を輸出したかも知れない。 モンゴルはただの狂暴なホームレス軍団なだけだから
飯が食えればそれで言い訳。
各国の主権者を打ちのめして飯が食えればそれで終わり。
ただ、各国はホームレス国家じゃないので、ボスのいなくなった国をモンゴルに取り入って盗んだだけ。
当時地上最強のモンゴル軍も海に入れば糞雑魚ナメクジだったとだけ モンゴルが自分たちが飯食えて安泰なら他はわりとどうでも良かったので
元と友好的だったというより、元に適当な支配されながら各地が自由にやってたってだけ
元襲来も高麗があっちよい食いっぶちありやすぜと元に御注進して、
元もどうでもいいけど、食えるとこなら行けってやっただけ。
盗賊団の元締めみたいになってたのが元 >>172
単純に造船技術が低かっただけ。
高麗人は積極的に対馬や壱岐の人たちを殺して回った事実を認め、日本に謝罪しろ。 モンゴル人と朝鮮人は人類に害悪しか無いので皆殺しした方が良い >>480
確かにその通りなんだがその場合日本が困る事になるぞ
事実韓国には大幅な貿易黒字なんだからな モンゴル人てモンゴル帝国だけの一発屋
モンゴル帝国崩壊後は鳴かず飛ばず >>808
ティムール帝国
ムガール帝国
モンゴル人の子孫が建てた国を知らないの? >フビライの遠征は、もともと征服ではなく通商の拡大と交易路の確保が目的だったので、遠征後には
>ほとんどの地域が元とのつながりを強めたのだ
通商の拡大なら、儀礼を尽くした外交でいくらでも交易を拡大できる。
武力は必要ない。
武力制圧できなかったから、民間交易を黙認せざるを得なくなっただけだろ。
何も奪い取れなかったので、結局交易に頼るしかなくなった。 >>810
日本は貿易の話を無視して
モンゴルの外交官を処刑したからな
もし日本と貿易してたら
もっと日本は乳製品を食べる食文化だっただろう
欧米列強と肩並べる体格になって
日露戦争の時の列強兵士記念写真でも
あんなチビじゃなかっただろう >>809
ティムールもムガールもイスラム化して、
本来のモンゴル人から離れてる
容姿も混血でティムールはトルコ人化、ムガールはインド人化した
チンギスハーン時代のモンゴル人とはかなり違う 高麗は元に征服されて陥った謂わば滅亡期百済ポジションから脱する為に
日本を攻めれば日本が百済役になり自分達は新羅ポジションになれるかもと
過去の新羅の成功体験に縋って元に対して対日侵略を進言したんだろうけど
反って苛烈な徴発を招いて詐欺の償いをさせられたと云う事か
元の方も四代目で嘗て先代が其の様な奸計に乗せられて自前の軍勢を消耗した事でも有ってとっくに懲りてたんだろうなw >>811
記念撮影でチビだったらなに?
体格は小さいところは太平洋戦争も精神力で十分対抗出来ていた
そもそもそんな歴史のタラレバを言っても意味がない 歴史上の帝国の最大領域ランキング
https://ja.wikipedia.org/wiki/帝国の最大領域一覧
1位:大英帝国
2位:モンゴル帝国・・・【元寇】 神風もあり日本勝利 (鎌倉時代)
3位:ロシア帝国・・・【日露戦争】 日本勝利 (明治時代)
4位:ソビエト連邦
5位:スペイン帝国
6位:大清帝国・・・【日清戦争】 日本勝利 (明治時代)
13位:ポルトガル海上帝国
14位:アメリカ植民地帝国
18位:大日本帝国・・・英語版wikiだと12位になっている
20位:ローマ帝国
■第1次世界大戦
日英同盟で戦った相手がドイツで日本は戦勝国5大国に
■第2次世界大戦
日独伊三国同盟で戦ったが最後は連合国軍に降伏して敗戦国に
日本軍 vs アメリカ軍、イギリス軍、オランダ軍 など。日中戦争も同時進行。
第2次世界大戦、タイにある日本の捕虜収容所にて
イギリス人捕虜が虐げられるネタを題材に作られたイギリス映画が
『戦場にかける橋』(第30回アカデミー賞作品賞)
http://www.youtube.com/watch?v=HFWPW789Q6I
トップクラスの侵略者である栄光の大英帝国が被害者ヅラできる相手が日本とは、光栄! >>798
文永の役でも大宰府すら落とせてないから、
全然武力を見せつけた結果になってないと思う
元は事前に使者を送って九州で偵察させて九州の情報だけは持ってるし、
大宰府にも行ってるから知ってたと思うんだけど
撤退が計画的ならマジ何しに来たのかわからんレベル >>799
日本以外にも攻め込みまくりだったのにそれはないわ
大体最初の国書送った時点でモンゴル人のクビライ当人が
日本を討つと言ってるから最初からモンゴルも最初から日本と戦争する気満々だよ
クビライの国書を平和的に解釈する人ってこのことはスルーするんだよね フビライはその後も日本侵略を計画し続け、遂に部下の反逆に遭い、国が滅びることになった。
元は中原を捨て、モンゴルに帰っていった。 >>811
>日本は貿易の話を無視して
>モンゴルの外交官を処刑したからな
モンゴル外交官って使者のことなら、処刑したのは文永の役の後だよ
貿易の話ってのが元寇の前のクビライの国書のことなら、
それ持ってきた使者は普通に生きて帰ってるし
日本が元の外交官を処刑したから元が武力を用いたんじゃない
元が先に武力を用いた(侵略した)、しかも対馬などで虐殺もした
その後に外交官が処刑された、順番が逆
何故か元寇の前から使者殺してたとか、使者殺したから元寇が起きたとかの出鱈目が流れてて
このスレでもそれ吹聴してる人が何人もいるけど、
元寇の前の使者が生きて帰ってることは歴史書にはっきりと記録されていて
もちろん殺された記録も殺されたと疑うような記録もない >>818
元寇の後でクビライは反乱に遭ってるけど、それは討伐してる
元が滅んだのはクビライの代じゃなく、もっと後 >>364
日本人は中国人のように無意味な大きさを求めないけどな。 >>811
日本はクビライの国書を読んで、蒙古が凶心を持って本朝を狙っている、と察知した
言葉は飾っても侵略が目的だと気付いたから無視したんだよ お断りしたら攻めてくるから無視することにしたんだよね
南宋と戦争中の元と結ぶなんて有り得んし
空気読めってとこ
で攻めてきて返り討ちにあったという >>823
従属した国は次の戦争で前線送りまたは大量の収奪、が当時の元のやり方だからね
南宋と戦争中の元と結べば、日本が南宋を攻めるのに
兵士や物資や船や女性を提供しろと要求されたかもしれないリスクもあるんだよね
現に高麗は元寇の時、兵士や船員、造船のための人手や木材、
さらには兵士の妻になる女性までも要求されてる
文永の役の時には悪天候だったこともあって、
働いたり戦える人手=畑耕したりする働き手を大量に奪われて、
労働力不足で飢餓に繋がって惨いことにもなったらしい >>802
元は支配地域や従属国への厳しい収奪も、兵士や女性などの要求も、
さらには内政干渉もあって、『元に適当な支配されながら各地が自由』というほどでもないよ
高麗は元寇の時は>>824で、それ以外にもたびたび女性を差し出すように要求されて、
高麗国内では年頃の女性の厳しい捜索がされ、隠しても勝手に家に入ってきて寝室まで調べられる、
家人や使用人が捕えられて厳しく尋問されるような有様だったので、
元からの使者がくると妻や娘を連れていかれるのではと怯え、
連れていかれて残された家族が自殺することすらあったそうな
これに限らず、元から派遣された使者は高麗でかなり横暴にしていたらしく、
高麗王が元の使者に暴行され捕縛され連行され流刑になったことまである
(一応、原因はその王が暴君だったことだけど) >>820
朝鮮から貢納された女を皇后にした皇帝が最後だよね。
その皇后は現在韓国では英雄視されててドラマにもなってる。
どう考えても下げマンなのになあw >>826
ってか彼女は息子に高麗を攻めさせてるんだよね
その動機は、彼女の一族が高麗で元の皇后や皇太子の親族としての権勢を振るい横暴になってたのを
反元政策をとっていた高麗王が嫌って処分したから仇討ち的なものではあるし、
元々高麗から元に差し出された女性だから高麗を恨み理由はあるけど
高麗にとっては元からの侵攻の一因になった人物でもある >フビライの遠征は、もともと征服ではなく通商の拡大と交易路の確保が目的だったので
じゃぁあの巨大帝国はどうやって築いたの? >>825
>元は支配地域や従属国への厳しい収奪も、兵士や女性などの要求も、
>さらには内政干渉もあって、『元に適当な支配されながら各地が自由』というほどでもないよ
高麗の場合は完全に従うまで、
度々抵抗・反乱を起こしてたからね
早々に下って恭順した他国と比べれば、
支配がより苛烈に行われたのも仕方なかった >>36
戦国時代の記述も戦ばかりで、各々の大名の内政についての話が乏しい気がする。 >>825
女を献上したのは、それしか財産がなかったから。 >>103
斬首された文永の役後の使者は、日本が従うかどうかの見極めに送ったもので
和平の使者でもなんでもないよ
打線コピペで和平の使者6回も斬ってたとかなんとかいうやつを真に受けたのなら、
あれ使者の時期や回数と完全に矛盾した捏造コピペだから >>103
ってか文永の役前に使者送ってた頃もそうだけど、
文永の役後も元は使者派遣と戦争準備を同時に行ってる
使者派遣=和平や友好の意図と勘違いしてる人が多いのかもしれないが、
戦争準備しつつ、戦わずに従わせられるかの見極めに使者を送る、
というのがクビライの手法であって、使者派遣は和平や友好の意図を意味しない チョンは新羅の時代、チャンコロとは元の時代から険悪。 >>697
14世紀のペストのパンデミック。
雲南省から始まって、華北やモンゴル高原、キプチャク・ハン国へと広がり、
エジプトのカイロ、コンスタンティノープル、イタリアの諸都市、西欧各国、
アイスランドやグリーンランドへ至る。
ポーランドのように免れたところもある。
世界人口が激減して、モンゴル帝国内の通商路が寸断し、
各地域のモンゴル人勢力が孤立、
順にモンゴルの各政権が崩壊した。
日本では建武の新政や室町幕府の開始前後だと思うが、
日元間の民間貿易が盛んだったら、
日本に入っていてもおかしくないと思うが、
資料は残ってないのかしらん?
ポーランドのように免れた? >>839
原作は博多編連載中だけど、まだ二期のストック溜まってないんじゃないかな >>103
高麗ってモンゴルの使者を殺害したことで攻められてなかったっけ…? >>497
漢民族以外が支配していたのって元と清くらいか
>>575
ボクちん偉いね >>103
元寇のとき率先して日本を攻めようとしたのは朝鮮人だよな
てめえらだけでは来る勇気ないけど大国の後ろ楯で侵略しようとした虎の威を借る狐野郎 元軍ってドルジや白鳳みたいなやつらが馬に乗って突っ込んで来るんだろ?
勝てる気がしねえわw >>841
ポーランドはアルコール消毒の効果だとすると、当時の日本が日本酒でそれしてたとは考えにくいなあ
それに日本の昔の酒ってそんなに酒精強かったっけ? >>811
もし日本と貿易してたらも何も、貿易自体は日元間でも行われてるよ >>103
使者殺害よりも先に、高麗軍も参加した文永の役の
侵略と民間人含む虐殺と拉致が起きてるんだが… >>826
実際、コンギラト部族など同じモンゴル系部族の女性を皇后にして皇太子を産ませなかったことで、
皇帝とモンゴル系部族との繋がりが薄れてしまった、って見方もある >>5
「日本人」と言うより「誰」が書いてるか、に注目しておいたほうが良いかと >>826
そりゃあ蔑まされてきた高麗人から、
皇太子生母にまで成り上がった人物が出たなら、
もう民族の英雄扱いになるやねw 高麗軍は普通に御家人に結果的に負けたわけだけど、結構やる気出してがんばってた
頑張って攻めてもなかなか勝てないところに、煮たてた糞尿攻撃を喰らって心が折れた
しかし志の高い高麗軍は、次こそはと、糞尿にひるまぬよう、普段から糞尿に慣れる努力をした
便と酒を混ぜて飲むなども、その高い志の名残とも言えよう >>847
てつはうや刀剣も使われたけど当時の戦の主体はやはり両軍ともに弓矢
大陸を席巻したモンゴルの弓矢は速射と(曲射なら)射程に優れるが威力が弱く大鎧は貫けない
(絵巻のような豪華な大鎧が本当に当時の武士の標準装備なのか俄には信じられないが)
毒矢を使ったという話もあるが当てても貫けないなら何の意味もない
ちなみに同時期の高麗軍の弓もモンゴルの弓と同じような動物性材質の複合弓だったらしい
一方の和弓は射程は比較的短いが一撃が重く近距離なら鉄製の鎧が相手でも致命傷を与える
元軍や高麗軍の多くが着ていた皮鎧や綿入りの布鎧なら容易に貫く >>857
そういう分析好きだけど、
いくさ場での弓矢の運用で大事なのは単純な威力・射程距離じゃなくて、
いかに集団で一斉に射れるかだよ
後の時代の戦列歩兵がそうだったように、
銃器でさえ、
まだ命中率の向上に限界のあった頃は密集して大勢で放ち、
相手の陣形を崩すことに意味があった
実際に当たるかかどうかより、
相手に「当てられるかもしれない」という恐怖感を与えて、
士気を落とすことこそが重要 >>857
元軍が着ていたあの鎧は裏に薄い鉄板を貼り付けてあって、
見た目よりも防御力は高い
まあ武士の矢に耐えられたかどうかは知らんけど 野戦じゃ日本に勝ち目なかったから卑怯な手ばっかり使った
正々堂々や潔さがウリのサムライを誇る日本人としては
実質負けだったしあまり思い出したくない黒歴史 >>860
いや、今一般的に知られてる武士道は新渡戸稲造の半創作であって
史実・・・とりわけ鎌倉時代の武士には当て嵌まらない
人質として晒された自国民を積極的に狙って殺したり
略奪に遭いそうな自国の街をあらかじめ略奪しておくくらいが嗜みよ
結果的にそれであの凶悪な元軍を追い返したのだから恥じるのではなく誇っていい 元郡と戦ったのは九州の武士だけだから鎌倉武士と書くのは間違っている。 中国人的に元は自分達の歴史なのかね?それとも侵略の歴史なの? >>864
海外の掲示板とかのコメント見た限りだと、
南宋の方に親近感があって、
それを征服した元には複雑な感情が見られるように感じた >>868
そうだな
日本のおかげで朝鮮と中国は経済発展したわけだから
朝鮮併合と日中戦争には何の問題もなかったわけだな
慰安婦とか南京虐殺とかは朝鮮人と中国人のねつ造的逆恨みだな >>868
侵略の意図がどこにあろうと、侵略(と虐殺や拉致)が
あったことは事実なのに問題ないわけなかろうに >>863
鎌倉時代の武士って意味で使ってる人もいるんでないか >>868
どこに元寇に問題なかったなんて書いてあるんだよ
そもそも日宋交易時代から大陸との民間貿易は盛んだったわけで
元寇の後に貿易が盛んだったことは別に戦争の効果じゃない
南宋と日本は一度も戦争してなかったけど盛んに貿易できてたんだから
クビライの狙いが交易路の拡大にあったなら、戦争なんて必要なかったのに
無意味な戦を起こして十万人以上死なせたってことになる >>868
日本からすれば無意味な戦を理不尽に起こされたんだから
(七百年以上前のこと恨むかどうかはともかく)充分恨む理由にはなってるし、
最近よくクビライのグローバルな政策から元寇を再評価する論調の記事あるけど、
むしろそういう目的なら必要がなかった戦を無意味に起こしたって
クビライの失策だったってことになってむしろ評価が下がる
戦争を起こしたのは日本じゃなく元、クビライなんだから
元寇の失敗も恨みもまずはクビライに向けられるわけで >38
昔、海中から発見された日本刀がそこまでサビてなかったって話題になってた。
手入れが良いと油の膜で大丈夫みたいな。 >>862
そういう話もネットではよく聞くけど実際の史料ってあるんだろうか?
割とソースの怪しい鎌倉武士蛮族伝説もひとり歩きしてる気がする(全部とは言わないが) >>823
ほんとそれ
南宋と友好的な国に南宋健在なうちに服属しろってのが無理
南宋につくか元につくかはっきりしろってことなのかもしれんけど
結果として別に日本服属させなくても南宋征服できてるんだから
南宋攻略のためだったらやっぱり無駄なことしたなと まあ元寇の解釈山ほどあっても、侵略を正当化できるようなものなんて出てきてないしね 船べりに捕虜を縛り付けて攻撃してくるなんて惨いことしやがる。
それをものともせずに、船ごと焼き払いに行ったんで「やつら人間じゃねえ」とか、ふざけた事抜かしてたらしいが 元寇は真偽不明なネタも多いのであまり鵜呑みにはしない方がいい
上でも何人も勘違いした人が何度も出てる元寇の前に日本が使者殺したってのも嘘だし >>73
使者はどんな思いで日本にやってきたのだろう。
やっぱり家族を人質に取られていたのかな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています