マツタケが絶滅危惧種に指定される……このニュースが世間を駆け回った。

 指定したのは、野生生物の専門家などで組織されるIUCN(国際自然保護連合)だ。絶滅の恐れのある野生の動植物を記載したレッドリスト最新版で、マツタケを世界的に生育量が減少していることから絶滅危惧種に加えたのだ。もっとも、正確には絶滅危惧2類(危急)への分類であり、危険度から言えば、上から三番目。「絶滅の危険が増大している」種という位置づけだ。

 このため、もうマツタケは採れない?食べられない?と日本のマスコミは大騒ぎである。そしてマツタケが減った理由を、取りすぎたか、森が荒れたからか、という声が広がっている。

 だが、IUCNがわざわざ日本のマツタケ生産状況を心配して指定したわけではない。マツタケは世界的に分布している(だから日本の食卓に上がるマツタケも、多くが中国産やカナダ産、ときにモロッコ産、ブータン産などだ)が、世界的にマツタケが育つマツ林が減っていることを勘案して指定したものだ。
 一体、世界の森で何が起きているのか。

 まず知ってほしいのは、採り過ぎということはない。キノコは地中に広く菌糸が広げていて、地上に出てくる子実体は一部にすぎない。ここを採取したからと言って絶滅するものではないし、そもそもマツタケを狂奔して採って食べるのは日本人ぐらいのものだ。

 そこで報道では「健全なマツ林が減っているため」と解説している。

 が、これも誤解を招きかねない表現だ。どんな状態を「健全なマツ林」と呼ぶのか。
 まずマツという樹種は、痩せた土地に生える。戦前マツばかり生えている日本の山を見て「赤松亡国論」という言葉流行った(アカマツばかり生えているのは山が荒れている証拠で国力を失っている、という意味。林学者の本多清六の意見に対してつけられた言葉)ことがある。

 なぜ、日本の山が痩せていたのか。それは江戸時代から過度な草木の搾取が続いたからである。
 当時は建物だけでなく多くの道具の素材を木材に頼り、またエネルギー源もほとんどが木質だった。大量の薪や木炭を消費したのだ。日々の煮炊きや暖房から産業に供する燃料まで、何もかも木々に頼っていたのである。大坂の町で使われる薪は、遠く四国や九州から運ばれていた記録もある。江戸も同じく東北・関東一円からエネルギー源として薪や木炭を集めていた。
 さらに農業でも、落葉だけでなく草や枝葉を切り取って堆肥にした。むしろ草の方が堆肥に向いていると、木々を切り払って草山にするほどだった。

 かくして山の土壌は栄養分を失い、末期的状況に陥った。そこに生えられるのはマツぐらいしかなかったのである。
 そしてマツタケ菌は、生きたマツの根に菌糸を伸ばして生育する菌根菌の一種である。非常に繊細で弱いため、ライバルとなるほかの菌がいない土地を好む。マツ林の中でも、常に地表の落葉が取り除かれて貧栄養状態にならないと、生育できない。
 つまり「亡国」とさえ言われた荒れた山の状態が、マツタケの生育にぴったりだったのだ。おかげで昭和初期までの日本の山には多くのマツが生え、マツタケが大量に育ったわけだ。

 だが、戦後の日本は、化石燃料に頼るようになり薪や木炭の需要は激減した。

続きはソース
https://news.yahoo.co.jp/byline/tanakaatsuo/20200711-00187648/