【大分】「邪馬台国は別府温泉だった!」日本史最大のミステリーに新説 「距離・方向ともに魏志倭人伝の記述とぴったり一致するのです」 [樽悶★]
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邪馬台国はどこにあったのかー? 日本史最大のミステリーにこの夏、新たな説が登場した。タイトルはずばり「邪馬台国は別府温泉だった! 火山灰に封印された卑弥呼の王宮」(小学館新書・840円税別)。
著者は、従来の学説にとらわれない柔軟な思考で古代中国の文献「三国志 魏志倭人伝」を丁寧に検証している。別府温泉の湯煙を思い浮かべつつ読めば、大分県人の夢広がる一冊だ。
著者の酒井正士さん(64)は東京都出身。東大農学部卒業後、ヤクルト本社に勤務し、脳機能改善や老化予防のための医薬品・食品開発などに力を注いだ。
邪馬台国の「謎」に興味を持ったのは約10年前。「邪馬台国の秘密」(高木彬光著・カッパノベルズ)がきっかけだった。歴史には門外漢の酒井さんだが、邪馬台国に関する文献を読みあさり、在野の研究者が集う「全国邪馬台国連絡協議会」の会員になって独自の研究を進めてきた。
着目したのは、魏志倭人伝に残された「距離と方向」に関する記述だ。多くの学説は、古代中国の使節がまず日本に上陸した「末廬国」(まつろこく)を現在の松浦地方(唐津市)としている。これは「まつろ」と「まつうら」という、地名の類似からきており、邪馬台国研究の“元祖”である、江戸時代の朱子学者・新井白石が提唱したことも大きい―と酒井さん。
同じように、使節の行程記録にある伊都国(いとこく)は糸島市とする説が多く、「九州説」「畿内説」のベースとなっている。しかし魏志倭人伝には、伊都国は末廬国の南東に位置するとの記述があり、2都市の実際の位置関係である「東」とは方向が異なる―と、酒井さんは指摘する。
「高い測量技術を持ち、古くから正しい方角を重視してきた古代中国人が書き残した魏志倭人伝は、距離や方角について正確に記載されていると思います。現代に残された“生データ”を分析し、私は末廬国を北九州市として、その他の国の場所を推定していきました。すると、現在の日向街道を別府方面に進んだ道筋が、距離・方向ともに魏志倭人伝の記述とぴったり一致するのです」。
酒井さんは実際の地図や地形図、航空写真などの資料をインターネットなどで入手し、魏志倭人伝の記述を照らし合わせた。そして、最終的に邪馬台国は別府市街にあった―と結論しているが、その遺跡は残念なことに、貞観9年(867年)の鶴見岳・伽藍岳の大噴火によって火山灰の下に埋もれてしまったのではないか―と考察している。
「別府市街地の海岸部をのぞく一帯は奈良時代と平安時代の2回の噴火によって火山灰に埋め尽くされた―と考えます。地下には、イタリアのポンペイ遺跡のように、古代の遺跡が手つかずのままに残されているのでは―。調査したら遺物が出てくるかもしれません。
9/11(金) 11:37配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200911-00010001-mjikenbo-l44
https://amd.c.yimg.jp/amd/20200911-00010001-mjikenbo-000-1-view.jpg 誤魔化してたところで全て実録資料があるので無意味
まぁ実際見栄っ張りコバンザメ馬鹿チョン
所詮実際は馬鹿チョンの反日全開の元はルーツ文化の誤魔化しから全てが始まってるわけで
日本のヘブライ人の弥生人を馬鹿チョンルーツと言ってみたり
日本のヘブライ人の倭人の国の百済や新羅や高句麗を勝手に自分達の民族ルーツ文化にしてみたり
酷いのは天皇ルーツを馬鹿チョンルーツと言ってみたり
だから天皇家や宮家の人達が激怒するわけで
馬鹿チョン達はなんでも見栄っ張りで自分達のルーツにしたがるが
馬鹿チョンルーツはシベリア黒竜江省のエベンキオロチョン族ルーツ
大体馬鹿チョンの都合の悪いことはなんでも嘘で塗り固めた自分都合のデマ歴史
所詮19世紀までエベンキ語を話し苗字すらない
しかも日本政府からハングルを勧められしよう
石器時代さながらの馬鹿チョン達を救ったのが日本
実際の馬鹿チョン達の歴史は
1万年前〜12世紀→シベリア黒竜江省辺りに居たシベリアエベンキオロチョン族
946年→白頭山噴火の影響で朝鮮半島からシベリアに掛けて無人地帯に
シベリアから朝鮮半島にエベンキオロチョン族が移動し住み始める
1170年〜1259年→武臣政権
1259年→元寇襲来で降伏属国に
1356年〜1392年→高麗
1392年〜1910年→李氏朝鮮時代
1910年〜1945年→日本統治
1948年〜現在→南北朝鮮
馬鹿チョン達の歴史はほとんどがシベリア黒竜江省のエベンキオロチョン族の歴史
馬鹿チョン達が朝鮮半島を乗っ取って高々1000年の歴史しかない
もう何もかも全て嘘で塗り固めた民族歴史でしかないw
生き証人が居なくなると日本へ全て戦争責任転換する馬鹿チョン達
本来実際この歴史事実は現状を知っている日本民族からしたら
馬鹿チョン達や在日馬鹿チョン達へ腹わた煮え繰り返る怒りしかない
馬鹿チョン独立の為に全く関係ない日本人に戦争させ
在日馬鹿チョン組織の明治政府が
日本の国家予算で馬鹿チョン半島を近代化し独立までさせ
生き証人が居なくなると日本へ全て戦争責任転換
腹わた煮え繰り返り怒り爆発
元々在日馬鹿チョン達が半島馬鹿チョン達を中国属国から独立させる為に日本に戦争させてたのが
そもそもの理由
ロシアの南下
中国属国からの独立
日本からの独立の為のアメリカとの戦争
全て在日馬鹿チョン達の計画のもと関係ない日本に戦争させ馬鹿チョン達を独立させる為の明治開国
馬鹿チョン達が在日馬鹿チョン達と組んで満州国を無理矢理独立させ乗っ取るつもりだったのが満州国
馬鹿チョン半島と満州国の統一した馬鹿チョン国の統一国家として
馬鹿チョンが作ったのが現在の南の馬鹿チョン国歌
まぁ馬鹿チョン達の国歌は旧満州国の国歌
満州国を馬鹿チョン国の領土として乗っ取る為に作った国歌
高句麗は馬鹿チョン達の民族歴史でもないのに
馬鹿チョン半島と満州国の統一して満州国の国歌として馬鹿チョンが作ったのが現在の馬鹿チョン国歌
アメリカ政府の対応でアメリカ公文書館にも全て実録資料として残ってる
誤魔化して切り替えたところで全て実録資料があるので無意味 >>6
逆に、別府では市営の温水プールにフルチンで入ろうとしてた狂人見かけたことあるわ
「温泉なんだから!でも温泉だろ!?」みたいな、日本語喋ってるのに日本語が通じないヤツって初めて見たんで怖かった >>12
唐揚げはレモンをかけない派、という所までは判っている まぁ結局実際この邪馬台国はマタイの国と読みヘブライ語
マタイのヘブライ語の意味はキリスト十二支族
邪馬台国はヘブライ人のキリスト十二支族の国
邪馬台国は四国剣山
今もキリスト十二支族の祭りがある
既にアメリカGHQの戦後の発掘調査で仁徳天皇陵とこの邪馬台国のあった四国剣山の遺跡がアメリカへ持ち帰ってる
邪馬台国が四国剣山にあることを天皇家や宮家の人達も知ってる
今も天皇家と親交のある四国剣山の麓に秦一族の末裔が証明してる
漢字そのものは古代ヘブライ語のセム語
ひらがなやカタカナは古代ヘブライ語
日本の歴史は古くから沖縄が起源
馬鹿チョン半島から渡来系弥生人のヘブライ人が来たわけではない
沖縄には神武天皇の聖地があり
天の岩戸伝説の天の岩戸の場所も沖縄にある
沖縄の方方言は全てヘブライ語
沖縄の地名も全てヘブライ語
ひらがなやカタカナは古代ヘブライ人達神武天皇達が日本へ伝えたもの
渡来系弥生人達が海ルートで船で日本へたどり着いてるわけで
ヘブライ人の神武天皇とて同じ
紀元前711年に南ユダ王国のヒゼキア王の子として生まれたインヌマエル王子の神武天皇とイザヤが船でアラビア海から沖縄へ渡来
その後九州へ渡り近畿で先に渡来したニギハヤヒから大和の地を受け継ぎ
紀元前660年の51歳で大和王権ん建国
既にその事実は遺跡調査で2700年前の巨大な集落遺跡が発見されてる
大体古代ヘブライ語のセム語で書かれた魏志倭人伝
そこに書かれてる邪馬台国の位置は
九州でも無ければ近畿でもないことがわかってる
邪馬台国の説明してる環境から
海へ渡る回数
徒歩で行く日数
それぞれの国を通過してる邪馬台国の位置が九州や近畿では説明と全く違う
邪馬台国ある場所は大きな島にあるわけで近畿ではない
九州からだと海を渡っている回数が全く違う
邪馬台国の位置が四国にある場所を教えてくれてる
四国へ渡り30日数かけて徒歩でたどり着く場所
それが四国剣山
そもそも邪馬台国と大和王権は全く別もの
邪馬台国は大和王権とは別の部落国
邪馬台国はキリスト十二支族のヘブライ人達が住む国が四国にあったわけで
四国剣山でキリスト十二支族の祭りの神事をしてた場所
日本の天皇家の歴史で3〜4世紀の卑弥呼に当たる天皇ルーツはいない
卑弥呼が存在してた同じ時代に大和では天皇がいるわけで
卑弥呼そのものが天皇家の歴史には居ない存在
邪馬台国は四国剣山の山頂でキリスト十二支族の祭りの神事を卑弥呼がしてた場所として残っているわけで
卑弥呼そのものはスメラノミコトの天皇家の血筋では無い まぁ大体実際本来の日本民族ルーツの歴史事実
馬鹿チョン→新モンゴロイドのツングース系シベリアエベンキオロチョン族
言葉→エベンキ語
中国人→新モンゴロイドのツングース系シベリアエベンキ
言葉→エベンキ語
日本人→旧モンゴロイド系トルコ北部の遊牧民アイヌ
言葉→ヘブライ語
ひらがなやカタカナのヘブライ語
ヘブライ語のセム語の漢字
縄文人アイヌ=弥生人南ユダ王国のユダ部族と北イスラエル王国の部族
キリスト十二支族ヘブライ人
紀元前711年に南ユダ王国の生まれたヒゼキア王の息子インヌマエル王子の神武天皇がイザヤと共に海ルートで船で沖縄へ渡来
紀元前660年51歳で近畿に大和王権を建国
イワレピコ初代ヘブライ人の天皇スメラノミコトのインヌマエル王子の神武天皇
ダビデの血筋こそ正当な天皇の血筋
北イスラエル王国の部族は国が崩壊後メソポタミアへ逃れた北イスラエル王国の部族達が中国東北部に移り住み
秦の建国し崩壊後北イスラエル王国の部族達が日本へ渡来
そして高句麗が崩壊後北イスラエル王国の部族達の応神天皇達が馬鹿チョン半島を経て日本へ渡来
三度のヘブライ人達の渡来があるが
秦や高句麗からの北イスラエル王国の部族達の応神天皇達は
南ユダ王国のダビデの血筋の部族でない為正当な天皇家の血筋ではない まぁ大体実際元々馬鹿チョンルーツは
新モンゴロイドのツングース系のシベリア黒竜江省のエベンキオロチョン族
1万年前にヒマラヤデニソワ人との混血で生まれた新モンゴロイド
馬鹿チョンや中国人やモンゴル人達のルーツ
この新モンゴロイドは
北米アメリカのインディアンや南米のインディオも同じ血筋
トーテニズムのトーテンポールや鳥を主体にした天孫降臨は全て馬鹿チョン達新モンゴロイドのシベリア民族のみの宗教感
まぁ元々この新モンゴロイドのマヤ遺跡のインディオの文化で
馬鹿チョンルーツ文化とは関係ない
馬鹿チョンルーツ文化はトーテンポールのトーテニズムのオロチョン族の祈祷文化だから
それは全く違う >>6
ちょっと前の改修する前の別府駅って
韓国人がウンコ拭いたトイレットペーパーを流さず便器の周辺に捨てまくってるので大問題になってたのよ ID:B92CL9Yi0
キチガイ荒らしウザイ、氏ね 卑弥呼さんが選ぶとしたら邪馬台国はここのどれか
川中温泉(群馬)、龍神温泉(和歌山)、湯の川温泉(島根)は、日本三大美人の湯として知られています。 何この邪馬台国=大分シリーズ
樽悶さんって大分県民なん?w 古代から唐揚げと鳥天が食べられていたと思うと凄い事やと思うよ 仮にそうだったとしたら「別府温泉だった」じゃなく「別府だった」じゃないと
そんな大昔に湯が出てたか知らんが温泉なんかねーだろ それなら倭人伝に温泉の記述があるはず
畿内説も、水路が発展していたことを誇ってるが
水路があるなんて倭人伝には一言も書いてないから
むしろ不利な証拠になってる >>44
韓国って下水インフラが未発達だからトイレにペーパー流せないんだよね 別府民だが、ありえねえー
ただでさえ、外人に侵略されてるのに
そっとしといてくれ >>1
グンマーの火山噴火で亡くなった甲冑を着た
渡来人男性首長も火山信仰だったっぽいから
火山が信仰対象の1つになっていたとしたら
別府という立地条件にも十分に意味はあるかも 糞がぁ!大分で決まりかよ。
畿内説は消えた。残念すぎる、完敗です。 奈良出身の二人が「当時は別の政権が当地にあったんだから畿内説はバカげてる」と
一刀両断していました 大体結局実際この邪馬台国はマタイの国と読みヘブライ語
マタイのヘブライ語の意味はキリスト十二支族
邪馬台国はヘブライ人のキリスト十二支族の国
邪馬台国は四国剣山
今もキリスト十二支族の祭りがある
既にアメリカGHQの戦後の発掘調査で仁徳天皇陵とこの邪馬台国のあった四国剣山の遺跡がアメリカへ持ち帰ってる
邪馬台国が四国剣山にあることを天皇家や宮家の人達も知ってる
今も天皇家と親交のある四国剣山の麓に秦一族の末裔が証明してる
漢字そのものは古代ヘブライ語のセム語
ひらがなやカタカナは古代ヘブライ語
日本の歴史は古くから沖縄が起源
馬鹿チョン半島から渡来系弥生人のヘブライ人が来たわけではない
沖縄には神武天皇の聖地があり
天の岩戸伝説の天の岩戸の場所も沖縄にある
沖縄の方方言は全てヘブライ語
沖縄の地名も全てヘブライ語
ひらがなやカタカナは古代ヘブライ人達神武天皇達が日本へ伝えたもの
渡来系弥生人達が海ルートで船で日本へたどり着いてるわけで
ヘブライ人の神武天皇とて同じ
紀元前711年に南ユダ王国のヒゼキア王の子として生まれたインヌマエル王子の神武天皇とイザヤが船でアラビア海から沖縄へ渡来
その後九州へ渡り近畿で先に渡来したニギハヤヒから大和の地を受け継ぎ
紀元前660年の51歳で大和王権ん建国
既にその事実は遺跡調査で2700年前の巨大な集落遺跡が発見されてる
大体古代ヘブライ語のセム語で書かれた魏志倭人伝
そこに書かれてる邪馬台国の位置は
九州でも無ければ近畿でもないことがわかってる
邪馬台国の説明してる環境から
海へ渡る回数
徒歩で行く日数
それぞれの国を通過してる邪馬台国の位置が九州や近畿では説明と全く違う
邪馬台国ある場所は大きな島にあるわけで近畿ではない
九州からだと海を渡っている回数が全く違う
邪馬台国の位置が四国にある場所を教えてくれてる
四国へ渡り30日数かけて徒歩でたどり着く場所
それが四国剣山
そもそも邪馬台国と大和王権は全く別もの
邪馬台国は大和王権とは別の部落国
邪馬台国はキリスト十二支族のヘブライ人達が住む国が四国にあったわけで
四国剣山でキリスト十二支族の祭りの神事をしてた場所
日本の天皇家の歴史で3〜4世紀の卑弥呼に当たる天皇ルーツはいない
卑弥呼が存在してた同じ時代に大和では天皇がいるわけで
卑弥呼そのものが天皇家の歴史には居ない存在
邪馬台国は四国剣山の山頂でキリスト十二支族の祭りの神事を卑弥呼がしてた場所として残っているわけで
卑弥呼そのものはスメラノミコトの天皇家の血筋では無い 結局大体実際本来の日本民族ルーツの歴史事実
馬鹿チョン→新モンゴロイドのツングース系シベリアエベンキオロチョン族
言葉→エベンキ語
中国人→新モンゴロイドのツングース系シベリアエベンキ
言葉→エベンキ語
日本人→旧モンゴロイド系トルコ北部の遊牧民アイヌ
言葉→ヘブライ語
ひらがなやカタカナのヘブライ語
ヘブライ語のセム語の漢字
縄文人アイヌ=弥生人南ユダ王国のユダ部族と北イスラエル王国の部族
キリスト十二支族ヘブライ人
紀元前711年に南ユダ王国の生まれたヒゼキア王の息子インヌマエル王子の神武天皇がイザヤと共に海ルートで船で沖縄へ渡来
紀元前660年51歳で近畿に大和王権を建国
イワレピコ初代ヘブライ人の天皇スメラノミコトのインヌマエル王子の神武天皇
ダビデの血筋こそ正当な天皇の血筋
北イスラエル王国の部族は国が崩壊後メソポタミアへ逃れた北イスラエル王国の部族達が中国東北部に移り住み
秦の建国し崩壊後北イスラエル王国の部族達が日本へ渡来
そして高句麗が崩壊後北イスラエル王国の部族達の応神天皇達が馬鹿チョン半島を経て日本へ渡来
三度のヘブライ人達の渡来があるが
秦や高句麗からの北イスラエル王国の部族達の応神天皇達は
南ユダ王国のダビデの血筋の部族でない為正当な天皇家の血筋ではない 結局大体実際元々馬鹿チョンルーツは
新モンゴロイドのツングース系のシベリア黒竜江省のエベンキオロチョン族
1万年前にヒマラヤデニソワ人との混血で生まれた新モンゴロイド
馬鹿チョンや中国人やモンゴル人達のルーツ
この新モンゴロイドは
北米アメリカのインディアンや南米のインディオも同じ血筋
トーテニズムのトーテンポールや鳥を主体にした天孫降臨は全て馬鹿チョン達新モンゴロイドのシベリア民族のみの宗教感
まぁ元々この新モンゴロイドのマヤ遺跡のインディオの文化で
馬鹿チョンルーツ文化とは関係ない
馬鹿チョンルーツ文化はトーテンポールのトーテニズムのオロチョン族の祈祷文化だから
それは全く違う 結局誤魔化してたところで全て実録資料があるので無意味
まぁ実際見栄っ張りコバンザメ馬鹿チョン
所詮実際は馬鹿チョンの反日全開の元はルーツ文化の誤魔化しから全てが始まってるわけで
日本のヘブライ人の弥生人を馬鹿チョンルーツと言ってみたり
日本のヘブライ人の倭人の国の百済や新羅や高句麗を勝手に自分達の民族ルーツ文化にしてみたり
酷いのは天皇ルーツを馬鹿チョンルーツと言ってみたり
だから天皇家や宮家の人達が激怒するわけで
馬鹿チョン達はなんでも見栄っ張りで自分達のルーツにしたがるが
馬鹿チョンルーツはシベリア黒竜江省のエベンキオロチョン族ルーツ
大体馬鹿チョンの都合の悪いことはなんでも嘘で塗り固めた自分都合のデマ歴史
所詮19世紀までエベンキ語を話し苗字すらない
しかも日本政府からハングルを勧められしよう
石器時代さながらの馬鹿チョン達を救ったのが日本
実際の馬鹿チョン達の歴史は
1万年前〜12世紀→シベリア黒竜江省辺りに居たシベリアエベンキオロチョン族
946年→白頭山噴火の影響で朝鮮半島からシベリアに掛けて無人地帯に
シベリアから朝鮮半島にエベンキオロチョン族が移動し住み始める
1170年〜1259年→武臣政権
1259年→元寇襲来で降伏属国に
1356年〜1392年→高麗
1392年〜1910年→李氏朝鮮時代
1910年〜1945年→日本統治
1948年〜現在→南北朝鮮
馬鹿チョン達の歴史はほとんどがシベリア黒竜江省のエベンキオロチョン族の歴史
馬鹿チョン達が朝鮮半島を乗っ取って高々1000年の歴史しかない
もう何もかも全て嘘で塗り固めた民族歴史でしかないw
生き証人が居なくなると日本へ全て戦争責任転換する馬鹿チョン達
本来実際この歴史事実は現状を知っている日本民族からしたら
馬鹿チョン達や在日馬鹿チョン達へ腹わた煮え繰り返る怒りしかない
馬鹿チョン独立の為に全く関係ない日本人に戦争させ
在日馬鹿チョン組織の明治政府が
日本の国家予算で馬鹿チョン半島を近代化し独立までさせ
生き証人が居なくなると日本へ全て戦争責任転換
腹わた煮え繰り返り怒り爆発
元々在日馬鹿チョン達が半島馬鹿チョン達を中国属国から独立させる為に日本に戦争させてたのが
そもそもの理由
ロシアの南下
中国属国からの独立
日本からの独立の為のアメリカとの戦争
全て在日馬鹿チョン達の計画のもと関係ない日本に戦争させ馬鹿チョン達を独立させる為の明治開国
馬鹿チョン達が在日馬鹿チョン達と組んで満州国を無理矢理独立させ乗っ取るつもりだったのが満州国
馬鹿チョン半島と満州国の統一した馬鹿チョン国の統一国家として
馬鹿チョンが作ったのが現在の南の馬鹿チョン国歌
まぁ馬鹿チョン達の国歌は旧満州国の国歌
満州国を馬鹿チョン国の領土として乗っ取る為に作った国歌
高句麗は馬鹿チョン達の民族歴史でもないのに
馬鹿チョン半島と満州国の統一して満州国の国歌として馬鹿チョンが作ったのが現在の馬鹿チョン国歌
アメリカ政府の対応でアメリカ公文書館にも全て実録資料として残ってる
誤魔化して切り替えたところで全て実録資料があるので無意味 別府なら下は宮崎に上は宇佐。別府でもおかしくない説得力はあるね。 邪馬台国は朝鮮半島です、もうこの議論はやめてください 本当は高千穂や西都みたいな所だろうが
当人たちは何も言わない カラ出張の報告書が正確かどうかは大いに疑問なわけだが まぁ結局大体実際元々馬鹿チョンルーツは
新モンゴロイドのツングース系のシベリア黒竜江省のエベンキオロチョン族
1万年前にヒマラヤデニソワ人との混血で生まれた新モンゴロイド
馬鹿チョンや中国人やモンゴル人達のルーツ
この新モンゴロイドは
北米アメリカのインディアンや南米のインディオも同じ血筋
トーテニズムのトーテンポールや鳥を主体にした天孫降臨は全て馬鹿チョン達新モンゴロイドのシベリア民族のみの宗教感
まぁ元々この新モンゴロイドのマヤ遺跡のインディオの文化で
馬鹿チョンルーツ文化とは関係ない
馬鹿チョンルーツ文化はトーテンポールのトーテニズムのオロチョン族の祈祷文化だから
それは全く違う まぁ結局誤魔化してたところで全て実録資料があるので無意味
まぁ実際見栄っ張りコバンザメ馬鹿チョン
所詮実際は馬鹿チョンの反日全開の元はルーツ文化の誤魔化しから全てが始まってるわけで
日本のヘブライ人の弥生人を馬鹿チョンルーツと言ってみたり
日本のヘブライ人の倭人の国の百済や新羅や高句麗を勝手に自分達の民族ルーツ文化にしてみたり
酷いのは天皇ルーツを馬鹿チョンルーツと言ってみたり
だから天皇家や宮家の人達が激怒するわけで
馬鹿チョン達はなんでも見栄っ張りで自分達のルーツにしたがるが
馬鹿チョンルーツはシベリア黒竜江省のエベンキオロチョン族ルーツ
大体馬鹿チョンの都合の悪いことはなんでも嘘で塗り固めた自分都合のデマ歴史
所詮19世紀までエベンキ語を話し苗字すらない
しかも日本政府からハングルを勧められしよう
石器時代さながらの馬鹿チョン達を救ったのが日本
実際の馬鹿チョン達の歴史は
1万年前〜12世紀→シベリア黒竜江省辺りに居たシベリアエベンキオロチョン族
946年→白頭山噴火の影響で朝鮮半島からシベリアに掛けて無人地帯に
シベリアから朝鮮半島にエベンキオロチョン族が移動し住み始める
1170年〜1259年→武臣政権
1259年→元寇襲来で降伏属国に
1356年〜1392年→高麗
1392年〜1910年→李氏朝鮮時代
1910年〜1945年→日本統治
1948年〜現在→南北朝鮮
馬鹿チョン達の歴史はほとんどがシベリア黒竜江省のエベンキオロチョン族の歴史
馬鹿チョン達が朝鮮半島を乗っ取って高々1000年の歴史しかない
もう何もかも全て嘘で塗り固めた民族歴史でしかないw
生き証人が居なくなると日本へ全て戦争責任転換する馬鹿チョン達
本来実際この歴史事実は現状を知っている日本民族からしたら
馬鹿チョン達や在日馬鹿チョン達へ腹わた煮え繰り返る怒りしかない
馬鹿チョン独立の為に全く関係ない日本人に戦争させ
在日馬鹿チョン組織の明治政府が
日本の国家予算で馬鹿チョン半島を近代化し独立までさせ
生き証人が居なくなると日本へ全て戦争責任転換
腹わた煮え繰り返り怒り爆発
元々在日馬鹿チョン達が半島馬鹿チョン達を中国属国から独立させる為に日本に戦争させてたのが
そもそもの理由
ロシアの南下
中国属国からの独立
日本からの独立の為のアメリカとの戦争
全て在日馬鹿チョン達の計画のもと関係ない日本に戦争させ馬鹿チョン達を独立させる為の明治開国
馬鹿チョン達が在日馬鹿チョン達と組んで満州国を無理矢理独立させ乗っ取るつもりだったのが満州国
馬鹿チョン半島と満州国の統一した馬鹿チョン国の統一国家として
馬鹿チョンが作ったのが現在の南の馬鹿チョン国歌
まぁ馬鹿チョン達の国歌は旧満州国の国歌
満州国を馬鹿チョン国の領土として乗っ取る為に作った国歌
高句麗は馬鹿チョン達の民族歴史でもないのに
馬鹿チョン半島と満州国の統一して満州国の国歌として馬鹿チョンが作ったのが現在の馬鹿チョン国歌
アメリカ政府の対応でアメリカ公文書館にも全て実録資料として残ってる
誤魔化して切り替えたところで全て実録資料があるので無意味 もう大体結局実際この邪馬台国はマタイの国と読みヘブライ語
マタイのヘブライ語の意味はキリスト十二支族
邪馬台国はヘブライ人のキリスト十二支族の国
邪馬台国は四国剣山
今もキリスト十二支族の祭りがある
既にアメリカGHQの戦後の発掘調査で仁徳天皇陵とこの邪馬台国のあった四国剣山の遺跡がアメリカへ持ち帰ってる
邪馬台国が四国剣山にあることを天皇家や宮家の人達も知ってる
今も天皇家と親交のある四国剣山の麓に秦一族の末裔が証明してる
漢字そのものは古代ヘブライ語のセム語
ひらがなやカタカナは古代ヘブライ語
日本の歴史は古くから沖縄が起源
馬鹿チョン半島から渡来系弥生人のヘブライ人が来たわけではない
沖縄には神武天皇の聖地があり
天の岩戸伝説の天の岩戸の場所も沖縄にある
沖縄の方方言は全てヘブライ語
沖縄の地名も全てヘブライ語
ひらがなやカタカナは古代ヘブライ人達神武天皇達が日本へ伝えたもの
渡来系弥生人達が海ルートで船で日本へたどり着いてるわけで
ヘブライ人の神武天皇とて同じ
紀元前711年に南ユダ王国のヒゼキア王の子として生まれたインヌマエル王子の神武天皇とイザヤが船でアラビア海から沖縄へ渡来
その後九州へ渡り近畿で先に渡来したニギハヤヒから大和の地を受け継ぎ
紀元前660年の51歳で大和王権ん建国
既にその事実は遺跡調査で2700年前の巨大な集落遺跡が発見されてる
大体古代ヘブライ語のセム語で書かれた魏志倭人伝
そこに書かれてる邪馬台国の位置は
九州でも無ければ近畿でもないことがわかってる
邪馬台国の説明してる環境から
海へ渡る回数
徒歩で行く日数
それぞれの国を通過してる邪馬台国の位置が九州や近畿では説明と全く違う
邪馬台国ある場所は大きな島にあるわけで近畿ではない
九州からだと海を渡っている回数が全く違う
邪馬台国の位置が四国にある場所を教えてくれてる
四国へ渡り30日数かけて徒歩でたどり着く場所
それが四国剣山
そもそも邪馬台国と大和王権は全く別もの
邪馬台国は大和王権とは別の部落国
邪馬台国はキリスト十二支族のヘブライ人達が住む国が四国にあったわけで
四国剣山でキリスト十二支族の祭りの神事をしてた場所
日本の天皇家の歴史で3〜4世紀の卑弥呼に当たる天皇ルーツはいない
卑弥呼が存在してた同じ時代に大和では天皇がいるわけで
卑弥呼そのものが天皇家の歴史には居ない存在
邪馬台国は四国剣山の山頂でキリスト十二支族の祭りの神事を卑弥呼がしてた場所として残っているわけで
卑弥呼そのものはスメラノミコトの天皇家の血筋では無い まぁ結局大体実際本来の日本民族ルーツの歴史事実
馬鹿チョン→新モンゴロイドのツングース系シベリアエベンキオロチョン族
言葉→エベンキ語
中国人→新モンゴロイドのツングース系シベリアエベンキ
言葉→エベンキ語
日本人→旧モンゴロイド系トルコ北部の遊牧民アイヌ
言葉→ヘブライ語
ひらがなやカタカナのヘブライ語
ヘブライ語のセム語の漢字
縄文人アイヌ=弥生人南ユダ王国のユダ部族と北イスラエル王国の部族
キリスト十二支族ヘブライ人
紀元前711年に南ユダ王国の生まれたヒゼキア王の息子インヌマエル王子の神武天皇がイザヤと共に海ルートで船で沖縄へ渡来
紀元前660年51歳で近畿に大和王権を建国
イワレピコ初代ヘブライ人の天皇スメラノミコトのインヌマエル王子の神武天皇
ダビデの血筋こそ正当な天皇の血筋
北イスラエル王国の部族は国が崩壊後メソポタミアへ逃れた北イスラエル王国の部族達が中国東北部に移り住み
秦の建国し崩壊後北イスラエル王国の部族達が日本へ渡来
そして高句麗が崩壊後北イスラエル王国の部族達の応神天皇達が馬鹿チョン半島を経て日本へ渡来
三度のヘブライ人達の渡来があるが
秦や高句麗からの北イスラエル王国の部族達の応神天皇達は
南ユダ王国のダビデの血筋の部族でない為正当な天皇家の血筋ではない 卑弥呼の温泉宿
あると思います。
卑弥呼の格好で一緒に温泉に入って下さい。 宮内庁的には邪馬台国は捏造なんだっけ
保守層的にはどうなんだろ またもや盗まれた韓国起源
韓国にあった事を証明する記念碑が
大学構内に作られていることは有名な史実ですね 分析と感想の境目がない平和な学問だよな。
それだけに政治力だけでものが動く
糞な世界らしいけど。 >>12
週末の晩御飯はりゅうきゅう丼だったらしい >>1
いや、『宇佐神宮』だろう・・・
大分県内でも最も有力なのは宇佐説。
「宇佐神宮の主神、比売大神こそが卑弥呼で、
神宮の立つ亀山が卑弥呼の墓である」。
鬼道に長けたとされる卑弥呼であれば、
八幡宮の総本山と崇められるのも不思議はない。
推理作家の高木彬光氏は「卑弥呼の跡継ぎは台与(とよ)であることから
大分を豊の国と呼ぶ」と指摘している。
https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2020/09/10/161522486
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宇佐説は有名だけど別府もあるかもね。
少なくとも纒向が邪馬台国説は完全にデタラメ。 九州にいた応神天皇が東征して
畿内を掌握して作った政権が大和朝廷 実は大体のことはわかってるけど現体制を否定しかねない
そういうなにかがあるから小出しにしてる気がするこういうのは 卑弥呼の残した言葉には必ずネコが書かれていたらしいから大分で決まりだな
残念ながら戦乱等で散逸して残っていないが そもそも高床式の集落とかそんなんっしょ?
古代のメソポタミアとかアッシリアとかエジプトみてえな荘厳なもんでもなく
ギリシャやローマみてえなもんでもなく?
要するに、今で言えば、それなりの規模のDQNたちがキャンプして
バーベキューするような施設がいくつか集まってて、ヒャッハーして
踊り狂ってて、ディスコクイーンはあたいだよ!こまかいこたぁ弟、おめえに
まかせるから仕切りな?みてえな木造キャンプで?
それを古代中国のヲタクが聞き知って…あああぁ女王様ぁ!!って
妄想してて >>100
あの黒猫を連れ歩き、ほうきにのって空を飛んだって言い伝えだろ
大分で決まりだな。 偽史倭人伝みたいないい加減な書物で騒ぐの止めろよな 年代をおいて魏と晋それぞれに朝貢してるんだから、割りと正確な位置なんて把握されてそうなものなんだけどな。
天皇制が崩壊したら真実が明らかになるのかもな >>93
邪馬台国崩壊後もかつて北九州を支配した女王の墓ということを後世の人も知ってたのかもね。
トヨが中国に使者派遣(邪馬台国ではなく倭国としか触れられてない)が260年代で、
神功皇后の三韓征伐が広開土王碑から400年前後だから
北九州に勢力伸ばしてた大和朝廷もそのこと知ってて当然か。 もう何でもありだな
じゃあ俺は邪馬台国はムー説あげとくは 魏志倭人伝をそのまま読むと
伊都国あたりから南に水行20日+10日行ったところの
陸行一月できる大き目の島だぞ それ以外は却下 >有無する所は?耳、朱崖と同じ。
>倭地は温暖にして、冬夏生菜を食す。皆、徒跣。
海南島と同じ文化圏で
暖かくて冬でも生野菜を食べてみなはだしの
陸行一月できる大き目の島な
はい九州北部消えた >>104
ぎしぎしアンアン伝で、みんなやりまくりのエルドラドに君臨する女王様!
つう古代中国の話盛りまくり芸人、いや芸人でもなく語るの苦手で
ひっそり薄い本にしました系のやつの話にな?
DQNの川流れみてえな話もいっぱい伝わったが、ボクの脳内妄想には
邪魔なんでカットしました的な 台湾はない 九州北部との直接交流が確認できない
そうなるとムー大陸かラピュタになる
魏志倭人伝はうそを書いてるんだよ! そしてさらに話盛りまくりの除福伝説を古代中国ヲタクが 邪馬台国は九州北部が始まりの地で、勢力拡大後に
東遷して近畿を新たな中心地にしただけだろ
邪馬台国を日本国の始まりとするなら、日本の首都は九州→近畿→関東へと移動 火山性の土地って農耕に向かないのに国の中心があったとかありえん 卑弥呼も浸かった別府温泉!
ってキャッチフレーズで売り出そうとしてるのか・・・?(困惑 〜 女王国(邪馬台国)の位置 〜
■魏志韓伝より
「韓在帯方之南 東西以海為限南與倭接 方可四千里」
韓国はソウルの南に有る4000里四方の国で、東西は海に面し南は倭と接する
■魏志倭人伝より
・帯方郡(ソウル)から南→東と海岸沿いに水行し狗邪韓国(釜山)までの距離が約7000里
・対馬→壱岐→北部九州上陸までの合計が約3000里
・帯方郡から女王国までの総距離が12000里
・女王国起点で紹介されている倭人の国々の方角は北、東、南のみ
・南に4000里航行すると侏儒国(小人の国)がある→種子島
■結論
女王国の位置は倭地の西の端=九州島の何処かである
■参考
1里=100M程度という短い里の単位は日本書紀にも記述されている
崇神記65年「任那者去筑紫国二千余里北阻海以在鶏林之西南」
半島南部の任那から北部九州の筑紫までの距離が約2000里と記されている >>73
俺も宮崎説だわ。
九州北部は倭人伝の記述との乖離が激しいんだよ。 >>116
都合のいい所だけつまみ食いしたってバレるのに何を恥ずかしいことしてるんだよ
帯方郡から1万2000余里とはっきり距離が書いてあるんだよ
そして北九州までで1万700里、のこり1300里しかないんだよ
それ以外は却下だ わかったか 〜 中国の記録に記された女王国の規模 〜
魏志の韓伝および倭人伝に記された領土に関する情報
・三韓からなる韓国領土は4000里四方
・馬韓の国数は50国
・倭の国数は30国
・倭は約5000里で巡回出来る
・女王国の東の海を渡るとまた倭種の国がある
・女王国の南には敵対する狗奴国がある
https://i.imgur.com/yLFScGN.png
馬がいなかった時代なので統治できる領域には限度があったと考えられる 3世紀以前から枯れずに残っているクスノキをみれば、九州は温暖だった事がわかる
樹齢3000年
・柞原八幡の大クス:大分県大分市八幡
・川古のクス:佐賀県武雄市若木町川古 日子神社
樹齢2000年
・衣掛の森(クスノキ):福岡県粕屋郡宇美町宇美八幡宮
・武雄のクス:佐賀県武雄市花島
・老松神社のクス:山口県防府市お茶屋町 老松神社
・阿豆佐和気神社のクス:静岡県熱海市 来宮神社
樹齢1800年あたり
・未確認 >>126
それは「短里」という魏志倭人伝のために作られた単位を使っての話? >>130
日本書紀より
崇神記65年「任那者去筑紫国二千余里北阻海以在鶏林之西南」
半島南部の任那から北部九州の筑紫までの距離が約2000里と記されている
1里は何メートル? ウリは生粋の大分人だけど
邪馬台国は魏の創作だからどこにも無いよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています