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【大分】「邪馬台国は別府温泉だった!」日本史最大のミステリーに新説 「距離・方向ともに魏志倭人伝の記述とぴったり一致するのです」 [樽悶★]
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0001樽悶 ★
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2020/09/15(火) 11:33:25.01ID:cMEbwiGB9
 邪馬台国はどこにあったのかー? 日本史最大のミステリーにこの夏、新たな説が登場した。タイトルはずばり「邪馬台国は別府温泉だった! 火山灰に封印された卑弥呼の王宮」(小学館新書・840円税別)。

 著者は、従来の学説にとらわれない柔軟な思考で古代中国の文献「三国志 魏志倭人伝」を丁寧に検証している。別府温泉の湯煙を思い浮かべつつ読めば、大分県人の夢広がる一冊だ。

 著者の酒井正士さん(64)は東京都出身。東大農学部卒業後、ヤクルト本社に勤務し、脳機能改善や老化予防のための医薬品・食品開発などに力を注いだ。

 邪馬台国の「謎」に興味を持ったのは約10年前。「邪馬台国の秘密」(高木彬光著・カッパノベルズ)がきっかけだった。歴史には門外漢の酒井さんだが、邪馬台国に関する文献を読みあさり、在野の研究者が集う「全国邪馬台国連絡協議会」の会員になって独自の研究を進めてきた。

 着目したのは、魏志倭人伝に残された「距離と方向」に関する記述だ。多くの学説は、古代中国の使節がまず日本に上陸した「末廬国」(まつろこく)を現在の松浦地方(唐津市)としている。これは「まつろ」と「まつうら」という、地名の類似からきており、邪馬台国研究の“元祖”である、江戸時代の朱子学者・新井白石が提唱したことも大きい―と酒井さん。

 同じように、使節の行程記録にある伊都国(いとこく)は糸島市とする説が多く、「九州説」「畿内説」のベースとなっている。しかし魏志倭人伝には、伊都国は末廬国の南東に位置するとの記述があり、2都市の実際の位置関係である「東」とは方向が異なる―と、酒井さんは指摘する。

 「高い測量技術を持ち、古くから正しい方角を重視してきた古代中国人が書き残した魏志倭人伝は、距離や方角について正確に記載されていると思います。現代に残された“生データ”を分析し、私は末廬国を北九州市として、その他の国の場所を推定していきました。すると、現在の日向街道を別府方面に進んだ道筋が、距離・方向ともに魏志倭人伝の記述とぴったり一致するのです」。

 酒井さんは実際の地図や地形図、航空写真などの資料をインターネットなどで入手し、魏志倭人伝の記述を照らし合わせた。そして、最終的に邪馬台国は別府市街にあった―と結論しているが、その遺跡は残念なことに、貞観9年(867年)の鶴見岳・伽藍岳の大噴火によって火山灰の下に埋もれてしまったのではないか―と考察している。

 「別府市街地の海岸部をのぞく一帯は奈良時代と平安時代の2回の噴火によって火山灰に埋め尽くされた―と考えます。地下には、イタリアのポンペイ遺跡のように、古代の遺跡が手つかずのままに残されているのでは―。調査したら遺物が出てくるかもしれません。

9/11(金) 11:37配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200911-00010001-mjikenbo-l44
https://amd.c.yimg.jp/amd/20200911-00010001-mjikenbo-000-1-view.jpg
0464不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 05:05:17.14ID:0mnohm9Z0
ねーよ。
別府なら温泉にまつわる記述が残ってないわけがない。
0465不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 05:09:12.17ID:RbbPmKkA0
神話では道後温泉と地下で繋がってるんだろwwwwwwwwww
0466不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 05:09:54.94ID:mnEPjKll0
>>450
伊都国(糸島)に一大卒が居て帯方郡使が常駐してるとあるので、
そこまでだろ。
0467不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 05:11:05.53ID:3bCB3kgc0
歯冠サイズの地理的変異 長岡朋人2003
https://i.imgur.com/68g8Cjx.png
現代 近畿----関東--北九州
近畿は歯が大きく、北九州は歯が小さい。関東はその中間。

両地域の相違は、短頭傾向を持つ近畿の集団と長頭傾向を持つ九州の集団との違いにみられるように、頭蓋計測値でも認められている(Nagaoka.2003)
したがって、両地域の相違は歯冠サイズに限定した現象ではない。

同心円的構造の背景として、外来集団の渡来は不可欠ではあるが、もう一つの重要な要因として近畿の歴史的・社会的環境要因を考えた。
近畿は歴史時代における政治・経済・文化の先進地域であり、そうした地域に特有な社会環境が遺伝子頻度の変化、例えば渡来人遺伝子の増加をもたらした可能性があると指摘した。

本研究の結果は長岡・熊倉(2002)の結論と矛盾しない。
近畿地方の特異性の解明にはさらに近世以前の資料の蓄積を待たないとならないが、本研究の結果は、日本人形成史の研究に寄与する重要な知見であると考える。
0468不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 05:15:26.78ID:cupKyPa50
別府温泉で卑弥呼フィギュア販売!?
0469不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 05:16:08.60ID:NjZ8jg0m0
>>1
こういうインチキばかり言うのやめろやボケ

九州チョンコどもしばくぞボケ
0470不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 05:16:23.62ID:0mnohm9Z0
>>429
材木に関しては時代を遡るほど伐採されていない大木が残っていたから大きなサイズのものが取れた。
現代の木材を基準にサイズを類推するのは愚か。

出雲大社の本殿は現在は高さ24m程度だが、平安時代は48m、上古には96mあったと言われる。
過去には屋久杉のような樹齢を経た大木が豊富にあり、それを使って建造物や船を作っていたのだ。
0471不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 05:22:34.48ID:3Hhy6j5R0
>>463
吉野ヶ里は国営だからな
国土交通省とかが、東大京大の学者集めてやったことだから地方民は関係ない
佐賀の議員なんかだと口出しできただろうがな
0472不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 05:24:34.52ID:RbbPmKkA0
九州はやっぱりおもしろいよね
0475不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 05:31:05.05ID:gl9SRlxo0
>>465
伊予の松山 名物名所 三津の朝市 道後の湯
音に名高き五色素麺 十六日の初桜 吉田さし桃
小社若(こ かきつばた) 高井の里のていれぎや
紫井戸や片目鮒 薄墨桜や緋の蕪(かぶら)
チョイト 伊予絣(がすり)

「ていれぎ」和名オオバタネツケバナの松山地方での方言
0476不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 05:43:49.38ID:T+Kt1e1Q0
えー?
別府温泉の宣伝じゃないの
0477不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 05:47:02.21ID:pB+TPSw90
>>380
高天原を北部九州にした方が自然だな(-_-)
0478不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 05:50:43.59ID:gl9SRlxo0
>>426
>ヤマユイが訛った

ユイなんていう2重母音は邪馬臺國時代の日本語には無かった。
後漢書「其大倭王居邪馬臺國(案今名邪摩惟音之訛也)」
【惟】はワ行イ段音ワィ=ゐ コロナwirusのwiだ。
昨日放送の放送大学日本語学入門第5回で言及してた。
0479不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 06:01:56.81ID:iawuZC3C0
>>413
九州に統一王朝と呼べる物はなかったんじゃないかとは思ってるけど、
僕も6世紀九州北部併合→数十年後大和朝廷発足説で似た感じだけどな。
4世紀末の仲哀の事件から、とても大和政権が九州北部を掌握してたとは思えん。
0480不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 06:04:58.74ID:tmEl5Gs50
九州説の致命的な欠陥はいろいろあるが、 そのなかでも分かりやすいのが、
九州には自慢できる温泉が腐るほどあるのに、九州に在る温泉への天皇行幸が明治天皇行幸まで一切無いこと。
なんで九州各地の風土記に天皇の行幸記事が無いのだろうか?
九州に倭王権があれば、有り得ない話である。   @阿波
0481不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 06:06:02.97ID:iawuZC3C0
>>465
断層群みたいなもんがつながってるかもな。
0482不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 06:08:39.09ID:iawuZC3C0
>>480
仲哀みたいに何されるか分かったもんじゃなかったろうからな。
何かされた時報復が難しい力を持ってた証拠なんじゃね?
0483不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 06:09:53.63ID:tmEl5Gs50
九州説の致命的な欠陥はいろいろあるが、 そのなかでも分かりやすいのが、

九州には自慢できる温泉が腐るほどあるのに、九州に在る温泉への天皇行幸が明治天皇行幸まで一切無いこと。

なんで九州各地の風土記に天皇の行幸記事が無いのだろうか?

九州に倭王権があれば、有り得ない話である。   @阿波
0484不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 06:12:03.90ID:xHInF7/i0
ファンタジーですね。ポエムですね。別府最高、すね。
0485不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 06:12:48.72ID:Kk7KE4FP0
なんで邪馬台国と天皇を結びつけるんかね 不思議
結びついてるなら記紀に載せるでしょ そう思わんか?
0486不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 06:13:03.43ID:iawuZC3C0
>>451
財宝を乗せてたであろう船がなぜ帰ってこなかったのかは
必ずしも難破が原因とは限らんかもしれんけどな。
0488不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 06:29:03.26ID:gl9SRlxo0
>>485
思う
日向から出発した神武
神武の子孫が筑紫の事も知らないで
卑弥呼を魏略や後漢書倭伝で知りながら
記紀を書いたのは矛盾してる。
奈良時代から本居宣長のような排外攘夷思想があったかどうか
0489不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 06:35:55.71ID:gl9SRlxo0
>>453
さすがは九州チョンwwwww
一班を見て全彪を占う
木を見て山を見ず
鹿を追う者は山を見ず
0490不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 06:38:24.76ID:tmEl5Gs50
>>485
>結びついてるなら記紀に載せるでしょ そう思わんか?

北史倭国伝
「正始中、卑彌呼死、更立男王。國中不服、更相誅殺、復立卑彌呼宗女臺與為王。其後復立男王、並受中國爵命」
>正始中、卑彌呼死
「卑彌呼」とは「天照大御神=大宜都比売(阿波の神)」
>卑彌呼死、更立男王
その男王とは「須佐之男命」
>卑彌呼宗女臺與
その臺與とは「神武天皇」の祖母(または母)にあたる「豊玉比売命」
>其後復立男王
その男王とは「神武天皇」   @阿波
出雲狗奴国王「須佐之男命」 の息子「大国主命」は、卑彌呼宗女「壹與」と同世代である。   @阿波

これが魏志倭人伝と記紀との整合性。   @阿波
0491不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 06:40:47.80ID:Oe/RpOJ20
>>453
おまエラはエベンキだろが

九州チョンコ死ねやボケ
0492不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 06:42:12.61ID:oEeinMgX0
言っておきますが、東大と京大で意見が違うときは99.999%京大の方が正しいから。
0493不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 06:42:34.61ID:Qe8516SD0
卑弥呼って卑しい女だったのー?
0494不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 06:47:56.69ID:ZHo2B4qV0
別府より由布院が好きです
でも福岡からそっち側へ行くのって山があるし距離も意外とあるし昔の人は大変だったと思うわ
0495不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 06:52:45.77ID:QVxW9uOZ0
( ・ω・)( ・ω・)( ・ω・)
いまだに別府にちかづくに連れて強烈ないわゆる硫黄臭がする

古代の人間たちからすれば別の府
地獄の入り口の匂い
冥府への入り口
その先は死国

そんな場所にヤマタイ?

馬鹿じゃねえのか?
0496不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 06:59:51.60ID:yEMSrDqw0
>>13
今の温泉そのままじゃないけど噴き出ていただろう
ほぼ燃料が不要で相当過ごしやすかったと思うよ
0497不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 07:00:55.23ID:ma+UK6Ch0
>>488
邪馬台国が神武東征より後なら機内にせよ九州にせよ記紀に記載があるはず
邪馬台国があったのは神武より前
で直接的に関係無い
0498不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 07:05:27.62ID:Kk7KE4FP0
>>490
はぁ なかなか楽しい物語っすね 卑弥呼はアマテラスなのに死んだのね
スサノオも出演するなら、ちゃんとツクヨミも出してあげないと拗ねるぞ

スサノオはちょっと泣くだけで海は割れ山は枯れはて川は干上がると
書かれてるとんでもない超人?なんだけど、それでも人間に負けちゃったのねw
0499不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 07:07:02.68ID:ma+UK6Ch0
神武即位年は西暦280〜290年
0500不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 07:11:35.22ID:ogGClYvE0
>>466
一大率は女王国以北の諸国に置かれていた
伊都国で常に一大率を使って女王国以北の諸国を治めていた
と魏志倭人伝には書かれている
>伊都国(糸島)に一大卒が居て
漢文が読めないのかよ?
0501不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 07:12:09.39ID:gyhkSRs50
温泉か。
医療が発達してないから
温泉の近くに住んでて疫病とかを偶然防いでたかもね
地形が今と同じなんてないだろうし
うまい具合に住みやすかったとかな。
最後は火山で大打撃喰らって
温泉の優位を捨てて衰退とか。
0502不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 07:12:47.30ID:tmEl5Gs50
>>498
>スサノオも出演するなら、ちゃんとツクヨミも出してあげないと拗ねるぞ

「卑彌呼」とは「天照大御神=大宜都比売(阿波の神)」

「男弟」とは「月読尊」

「卑彌弓呼」とは「須佐之男命」の3兄弟。  

「壹與」とは神武天皇の祖母(または母)にあたる「豊玉比売命」

これが魏志倭人伝と記紀との整合性。   @阿波
0503不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 07:16:08.04ID:Fsa7zkbq0
あんな山と海の間が狭い稲作もしづらいところに邪馬台国があるかよ

まだ宇佐平野や中津平野と言われた方がうなづける
0504不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 07:20:28.14ID:Kk7KE4FP0
>>502
あらま アマテラスは大宜都比売も兼任してんのね
じゃスサになんか食い物出した時下品な出し方して
殺されたんじゃなかったっけ?違ったかな ま、どっちゃでもええわ
作り話に突っ込んでも得る物がないw
0505不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 07:27:58.55ID:tmEl5Gs50
卑彌呼宗女「壹與」の時代に邪馬台国(粟国)と狗奴国(長国)が統一された。 これが記紀に言う、「出雲の国譲り」  

記紀の「天の岩戸神話」における、天照大御神が岩戸に隠れたというのは、倭人伝に言うところの「卑彌呼の死」を意味する。

そして、天照大御神が岩戸から出てきたという記事は、倭人伝に言う「卑彌呼宗女 壹與」の登場を意味する。   

なお、魏志倭人伝に云うところの「更立男王」は、須佐之男命。   

出雲狗奴国王「須佐之男命」 の息子「大国主命」は、卑彌呼宗女「壹與」と同世代である。   @阿波

これが魏志倭人伝と記紀との整合性。   @阿波
0506不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 07:30:17.14ID:cP49DIpf0
>>83
座長芝居で卑弥呼劇やればもっともらしくなるかもね。
0507不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 07:30:45.01ID:ShQJo1QW0
>>503
別府は天然の要害に囲まて守りやすいとも言える
食料はよその支配域から運ばせればいい
30国を従えていたそうだし
0508不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 07:30:52.71ID:tmEl5Gs50
@「倭國亂相攻伐」して、卑彌呼を立てた。

A卑彌呼死後、狗奴国の男王卑彌弓呼が卑彌呼の後釜として倭王となった。

B「國中不服更相誅」して、壹與が立った。 「壹與」とは神武天皇の祖母(または母)にあたる「豊玉比売命」   

C「其後復立男王」として、「神武天皇」が立った。   

出雲狗奴国王「須佐之男命」 の息子「大国主命」は、卑彌呼宗女「壹與」と同世代である。   @阿波

これが魏志倭人伝と記紀との整合性。   @阿波
0510不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 07:32:35.14ID:ZP1rmYDj0
なんで考古学って在野のど素人が適当ぶっこける学問だと思われてるんだろうな
0512不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 07:33:09.80ID:tmEl5Gs50
「壹與」とは神武天皇の祖母(または母)にあたる「豊玉比売命」   

出生地はもちろん「阿波」

天孫三代目、彦穂々出見命(=山幸彦)の后・「豊玉比売命」を祀る二社が、全国唯一、阿波国にのみ配祀されている。

豊玉比売命は海神(わだつみのかみ)の娘で、神武天皇の祖母(または母)にあたるが、

当該二社の式内社は、神武天皇の出生地が阿波であることを強く伝えている。

一社は「和多都美豊玉比売神社」で、夫となる天孫彦穂々出見命(=山幸彦)と出逢った和多都美宮の井の上の地(旧井上郷・現徳島県国府町和田)が鎮座地。

もう一社は徳島城城山の東斜面に鎮座する豊玉比売命の葬場「天石門別豊玉比売神社」である。   @阿波
0513不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 07:36:37.69ID:s8zG/odH0
> 「高い測量技術を持ち、古くから正しい方角を重視してきた古代中国人が書き残した魏志倭人伝は、距離や方角について正確に記載されていると思います。

ここは割と同意
0514不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 07:41:37.93ID:tmEl5Gs50
>>513
その通り。   

帯方郡(沙里院市)
↓【南】海岸水行7000里( 直線距離 500km)1里=71m
狗邪韓国(順天)
↓【南】海渡1000里 (70km)1里=70m
津島国(方400里、千戸)(対馬の上対馬町)
↓海渡1000里 (50km)1里=50m
一支国(方300里、三千家)(壱岐の郷ノ浦町)
↓海渡1000里 (対馬→壱岐と近似)(70km)1里=70m
末盧国(四千戸)(福津市辺り・万津浦)
↓【東南】陸行500里 (25km)1里50m 福津市→八木山峠越え→直方
伊都国(千戸)※大率が置かれる (直方辺り)
↓【東南】100里 (15km)1里150m
奴国(二万戸)(田川辺り)
↓【東】100里 (25km)1里250m
不弥国(千戸)(築上町辺り)
↓【南】水行20日
投馬国(五万戸)(土佐国宿毛辺り)
↓【南】水行10日又は陸行1月(旧土佐街道)
《邪馬台国》女王・卑弥呼(七万戸)
↓【東】海渡(紀伊水道)1000里(50km)1里=50m
女王国東渡海千余里復有国皆倭種 (阿波から東へ1000里 紀伊水道渡海→奈良周辺)

帯方郡(平壌)→女王国(阿波)万二千里( 直線距離 900km)1里=75m

∴1里=70mは、概ね妥当。   

狗邪韓国(順天)は、豊臣秀吉の死後、小西行長らが朝鮮脱出の出航地でもある。

因みに、釜山は対馬海流を利用して渡った、対馬からの朝鮮着岸地である。   @阿波
0515不要不急の名無しさん
垢版 |
2020/09/16(水) 07:52:30.72ID:YsL91zse0
大韓帝国
0517不要不急の名無しさん
垢版 |
2020/09/16(水) 08:20:14.52ID:oHeX4FM00
宮崎市だと思う。
天孫降臨、神武東征、伝説も多い。
西都原古墳群
昔からこれだけの規模の古墳群があってなぜ教科書に取り上げられないのか謎だった。
0519不要不急の名無しさん
垢版 |
2020/09/16(水) 08:23:10.97ID:y3V7ymij0
>>480
倭王権が九州に及んでいなかった、ということは、邪馬台国九州説の欠点ではなく、畿内説の欠点じゃないのか
0520不要不急の名無しさん
垢版 |
2020/09/16(水) 08:27:02.82ID:/UvYPW2n0
九州に邪馬台国があり、奈良の大和とは親戚関係にあった。ただそれだけだろう。
0521不要不急の名無しさん
垢版 |
2020/09/16(水) 08:27:29.86ID:+x7/PCSU0
帯方郡から
>狗邪韓国に到る。七千余里。
>始めて一海を度る。千余里。対海国に至る。
>又、南、一海を渡る。千余里。名は瀚海と曰う。一大国に至る。
>又、一海を渡る。千余里。末盧国に至る。
>東南陸行。五百里。伊都国に到る。

帯方郡から伊都国まで全部足すと1万500里だが
4ヶ所○○余里とある
この「余」の平均を400里くらいにすれば
>郡より女王国に至る。万二千余里。

張政が問題ない範囲で多めに書いた可能性
0524不要不急の名無しさん
垢版 |
2020/09/16(水) 08:34:06.14ID:KDoGCO3Z0
>>519
奈良の高天原は、出雲から朝鮮に渡っていたけど?
奈良の高天原から追い出されたスサノオも、出雲から

14年 倭人が兵船百余隻で新羅の海辺に侵入。
アマテラスから奈良の高天原を追放されたスサノオが
出雲から新羅に行き帰ってきた
その後、建速須佐之男命はヤマタノオロチを退治して、
出雲の根之堅洲国にある須賀(すが)の地(中国・山陰地方にある島根県雲南市)へ行き
娘の婿の大国主が、新羅の渡来人スクナビコナと共に、出雲を中心とした葦原中国を創る

そして奈良の天照大神が出雲を平定(桓帝・霊帝の治世の間146年 - 189年)
173年 倭の女王卑弥呼が使わした使者が出雲から新羅を訪れ、出雲は私のモノになったからと通告
0525不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 08:37:05.34ID:+x7/PCSU0
1万二千里の原文はこうなってる

>南、邪馬壱国に至る。
>女王の都とする所。
>水行十日、陸行一月。
>官は伊支馬有り。
>次は弥馬升と曰う。
>次は弥馬獲支と曰う。
>次は奴佳?と曰う。
>七万余戸ばかり。

>女王国より以北、その戸数、道里は略載を得べきも、
>その余の旁国は遠くして絶へ、詳を得べからず。

>次に斯馬国有り。次に(略)
>次に奴國有り。
>ここは女王の境界尽きる所。

>その南、狗奴国有り。
>男子が王と為る。
>その官は狗古智卑狗有り。
>女王に属さず。

>郡より女王国に至る。
>万二千余里。

奴国は邪馬台国からもっとも離れた北の端にあると読める
あと陳寿は奴国の南にある狗奴国の説明を途中に挟むが
これを飛ばして読むと

>次に奴國有り。
>ここは女王の境界尽きる所。

>郡より女王国に至る。
>万二千余里。

帯方郡から女王国の北の端に奴国まで1万二千余里で
なにも問題はないということになる
0526不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 08:39:40.75ID:f3qGhqci0
いいと思う
温泉大好き
今は中韓も少なそう
0527不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 08:40:13.81ID:KDoGCO3Z0
>>477
残念

高天原のアマテラスが、葦原中国(出雲)を武力併合し、高天原(奈良)からアマテラスの孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)が出雲に降臨

そして出雲から邇邇芸命(ににぎのみこと)が転封したのは
高天原ではなく九州の高千穂と記載している

高天原が北部九州ならば

高天原から出雲に降臨したアマテラスの孫の邇邇芸命(ににぎのみこと)は、その後高天原に戻ったと書かれるはず

つまり、高天原は九州には無い
0528不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 08:41:30.94ID:+x7/PCSU0
九州説が実際の距離に当てはめようとするけど
それは現代人がゆがめようとしているもので
○○余里の余を多めに設定すると万二千余里は
当時の中国人が読んでも問題がない ここが重要
0529不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 08:44:33.00ID:KDoGCO3Z0
中国の魏志倭人伝に邪馬台国の記述があるのに
日本最古の書物の古事記日本書紀に邪馬台国の記述がないところから

邪馬台国は大和王権にとって都合の悪い歴史だったんだなと気づけよw

九州の海神国の筑紫城から出兵し、近畿を平定して天皇を名乗った天皇家

にとって都合の悪い邪馬台国ってどういうことか考えれば

近畿にあったとしか考えられないだろwww
0530不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 08:45:14.51ID:y3V7ymij0
「〇〇里」が「その国の入口まで」かどうかはわからないな
だって境界説だと「至〇〇国〇〇里」が意味をなさなくなる
0531不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 08:45:42.34ID:D3vrLa/i0
入れ墨いれて夏も冬も暖かくて
生野菜食って漁してた
というとこは無視すんの?

邪馬台国は沖縄〜奄美大島 種子島あたりだよ
(´・ω・`)
0532名無しさん@1周年
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2020/09/16(水) 08:48:11.43ID:vwdQTIdz0
スサノオやスクナ彦が朝鮮人だって?www

日本の権威に乗りたい図々しい国民性がここでも炸裂だなw
0533不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 08:49:53.08ID:+x7/PCSU0
帯方郡から奴国までの行程を足して万二千余里になってない場合
陳寿のクビがヤバイが陳寿は三国志編纂後もくつか書物を出して生きてる
つまり当時の中国人が読んで帯方郡から奴国までの行程や
「余」を足せば万二千余里で問題ないと解釈したということ

伊都国から1500里の距離に邪馬台国があるとかは
理解が足りないバイアス思考の現代人が重箱の隅をつついてるだけ
0534不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 09:02:28.76ID:9JXUo+5Z0
>>288
移動でめちゃくちゃレス遅くなったけどありがとう!
参考にさせて頂いて今日は別府堪能致します
0535不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 09:03:54.96ID:ShQJo1QW0
要するに邪馬台国は九州にあったってことだろ?
0536不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 09:06:04.43ID:KDoGCO3Z0
>>532
九州 海神(ワダツミ)国 筑紫城 天之御中主神
九州 海神国 筑紫城 高御産巣日神
九州 海神国 筑紫城 神産巣日神
九州 海神国 筑紫城 宇摩志阿斯訶備比古遅神
九州 海神国 筑紫城 天之常立神
九州 海神国 筑紫城 国之常立神
九州 海神国 筑紫城 豊雲野神
九州 海神国 筑紫城 宇比邇神・須比智邇神
九州 海神国 筑紫城 角杙神・活杙神
九州 海神国 筑紫城 意富斗能地神・ 大斗乃弁神
九州 海神国 筑紫城 淤母陀琉神 ・阿夜訶志古泥神
九州 海神国 筑紫城 伊邪那岐神・伊邪那美神
九州 海神国 筑紫城 大綿津見神(豊玉彦)

ここで伊邪那美神の死亡後に、伊邪那岐神に
天照大御神・月読命・須佐之男命の三人の子が産まれ

天照大御神は、奈良の高天原を統治することを命じられ(これが邪馬台国)
月読命は、その天照大御神の補佐をすることを命じられ
須佐之男命は、大綿津見神(豊玉彦)の後継ぎとなり、九州 海神国 筑紫城に留まるように言われる

しかし須佐之男命は、大綿津見神(豊玉彦)がおっかないと逃げ出して、奈良の高天原の天照大御神の元に行き

そこで暴れたので天照大御神から奈良の高天原を追い出されて出雲に行き、出雲から朝鮮の新羅に渡るも出雲に帰国

ヤマタノオロチを退治して、出雲の根之堅洲国にある須賀(すが)の地(中国・山陰地方にある島根県雲南市)に居を構える
0537不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 09:06:40.39ID:6qq/s0iS0
卑弥呼=鬼道=道教=不老不死=温泉
この流れで攻めたらいいのに
0540不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 09:13:16.49ID:vwdQTIdz0
朝鮮人系の右翼がウザい
0543不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 09:19:29.47ID:KDoGCO3Z0
>>536 つづき
その後、須佐之男命の娘と大国主が結婚して新羅の渡来人スクナビコナと共に、出雲を中心とした葦原中国を創る

奈良の高天原から須佐之男命を追い出したは良いけれど、出ていったのは須佐之男命のみで、
奈良で産まれた須佐之男命の三人の息子は奈良に残されたため
天照大御神は、その子をどうするか処遇に困っていた

そこに、須佐之男命の一族が出雲に葦原中国を建国したことが耳に入り
「なら出雲に追い出しちゃえばいいんじゃね?」ということで、

奈良の高天原の天照大御神は出雲に国譲りを迫り、
奈良で産まれた須佐之男命の三人の息子を出雲に大卒として追っ払う
0545不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 09:24:19.51ID:KDoGCO3Z0
>>544
朝鮮人にもわかりやすいように、日本の記紀を教えてるのに
0547不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 09:34:39.47ID:mfAa+SCp0
>>1
東大卒で仕事にも必死で取り組んで来た人が、
定年後に一生取り組める生きがいを見つける

邪馬臺国論争は一部の学者のものではなく歴史と考古学を愛するみんなのロマン
これでいいんじゃないかな

学問的には何とかで決着とか野暮だし邪馬臺国論争に関係ない気がしてきた
0548不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 09:35:23.82ID:KDoGCO3Z0
>>543 つづき
そして奈良の高天原の天照大御神は、出雲から難升米等を魏に派遣、生口10人、班布二匹二丈を献上、親魏倭王となる

そうなると、出雲に追い払った須佐之男命の一族が再び邪魔になり、須佐之男命の一族は出雲を追い出されて九州の高千穂にたどり着き
そこで火闌降命と彦火火出見尊の息子が出来る

兄の火闌降命は成長して海幸彦に、弟の彦火火出見尊は山幸彦となり
弟の彦火火出見尊(山幸彦)は、九州 海神国 筑紫城 大綿津見神(豊玉彦)の娘と結婚し、海神国王を継承

海神国王を継承した彦火火出見尊(山幸彦)に天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲)が産まれ
その第4皇子の神武が九州 海神国 筑紫城から出兵

葦原中国(出雲)、高天原(奈良)邪馬台国を次々に武力併合し天皇を名乗る
0549不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 09:35:57.97ID:b7BexMJd0
1980年代に朝鮮半島の南部に14基の前方後円墳が発見されました
前方後円墳は日本に固有のものと考えられていましたから
韓国の学者は韓国が発祥の地だと大喜びました。

ところが、調べると造営年代は日本のほうが古く、韓国のぬか喜び、から騒ぎに終わりました。
その後、韓国は前方後円墳を削って円墳にしてしてしまったのですw
自国有利のためには歴史的遺物の破壊、改ざん、でっち上げなど、何でもアリの民族性なのです。
0550不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 09:37:54.65ID:JY5VQ03I0
ニギハヤヒが高天ヶ原から大和に降臨してるのに、大和が高天ヶ原とか
なんでも大和にしたいんだろうけど、そんなトンデモ解釈、大和政権すら想定してなかっただろうな
0551不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 09:39:10.57ID:KDoGCO3Z0
>>546
そんなんだから

邪馬台国は九州

とか言うんだよ

長い記紀をきちんと読む頭脳があるひとは

国立歴史民俗博物館

Q3.邪馬台国はどこにあったのですか?

Answer 大多数の考古学者は大和説です
http://www.rekihaku.ac.jp/contact/faq01.html#c
0552不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 09:40:31.05ID:ShQJo1QW0
>>551
バカな奴らだな
0553不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 09:41:31.57ID:AWeCb5+10
>>1
水行だとか陸行何日とかいう記述を考えずに
距離だけで考えてみればいい
最初に帯方郡から邪馬台国までは1万2000里と書かれているんだからさ
そのうち帯方郡から狗邪韓国までが7000里
残り5000里、狗耶韓国から対馬まで1000里、残り4000里
対馬から壱岐まで1000里、残り3000里

壱岐までは誰も異議はないんだから
壱岐を中心として残り3000里の距離の
内側にあるってことだよ
3000×80m=240Km
グーグルアースで壱岐を中心に半径240Kmの円を見てみればいい?
奈良なんて到底届かない
四国も愛媛県くらい、中国地方も広島市に届かない
南は鹿児島まで

こうやって考えると九州以外無さそうだろう?
少なくとも畿内説なんて、魏志倭人伝に書かれている
帯方郡から邪馬台国までの総距離で見れば、あり得ないってことになるよな
0554不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 09:42:23.58ID:vwdQTIdz0
大陸の正史である「史」の権威と「伝記」に代表されるような「記紀」ってのは権威が違う

そもそも史レベルのものが、極東の小国に遠慮する必要も必然もなく、曖昧にする理由はないだろ

日本だって他国を南蛮と言うように、当時は他国を蔑称で呼ぶことは習わしだった。

中国に朝貢して日本の歴史はこれだよって出したのが古事記。つまり「記」なんだよ

「記」だからね、って出したんだよね。その意味を真面目に考えるべきだわ。もともと作為のある記に一生懸命当てはめても無駄。
0555不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 09:43:25.79ID:pB+TPSw90
>>200
まあ、厳密な出所は確定できないとしても九州のどこかから出たことには間違いないだろうな。
邪馬台国が九州のどこかにあったのはこれだけでもほぼ確定では、何でそうならないのかな。
それ以前にこの曹操の鏡自体あまり一般レベルではクローズアップされないね、何でだ。
畿内派は意図的に無視してないか(-_-)
0556不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 09:45:59.17ID:pB+TPSw90
>>195
卑弥呼の話自体は伝承レベルでも日本のどこにも残ってない。
神社も卑弥呼にまつわる物は全くない。
なんでだろう。
0558不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 09:48:15.74ID:AWeCb5+10
>>556
神話化して伝承されるときに
名前が卑弥呼から天照大神に変わったからだろ
0559不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 09:48:47.41ID:KDoGCO3Z0
>>550
ニギヤハギは高天原から降臨なんかしてません

昔、天つ神の子が天の磐船に乗って降臨した

天つ神とは

九州 海神(ワダツミ)国 筑紫城 天之御中主神
九州 海神国 筑紫城 高御産巣日神
九州 海神国 筑紫城 神産巣日神
九州 海神国 筑紫城 宇摩志阿斯訶備比古遅神
九州 海神国 筑紫城 天之常立神
九州 海神国 筑紫城 国之常立神
九州 海神国 筑紫城 豊雲野神
九州 海神国 筑紫城 宇比邇神・須比智邇神
九州 海神国 筑紫城 角杙神・活杙神
九州 海神国 筑紫城 意富斗能地神・ 大斗乃弁神
九州 海神国 筑紫城 淤母陀琉神 ・阿夜訶志古泥神
九州 海神国 筑紫城 伊邪那岐神・伊邪那美神
九州 海神国 筑紫城 大綿津見神(豊玉彦)
0560不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 09:51:22.33ID:+x7/PCSU0
>>553 そのこぴぺを否定したんだけどね
「余里」と陳寿が処分されてないので
帯方郡から奴国までの距離の計算はあってて1万2千余里

壱岐から3000里とかそんなふうに考える余地がないのよ
計算はあってて当時の中国人はおかしいと思わなかったんだから
0561不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 09:52:54.86ID:vwdQTIdz0
ヤマトを乗っ取ろうとした大陸の朝貢国家(都万国)が、自分たちの国はヤマトですって答えて始まったのが物部東征(神武東征)

当初、徐福は日本に来て、部下である千家の先祖、あめのホヒを陰中として派遣する。
出雲王朝第八代は、主王である大国主が八千鉾。副王少名彦が、八重波津身

その二人をぶっ殺して国を作ろうと思ったら、死の汚れを嫌う出雲族が奈良に引っ越しをしてしまう。
後を追って海幸彦が奈良までくるが、奈良の出雲の分家と海幸彦が連立して政権を担うまでに国は成長する。これが葛城国(磯城国とも)

つまりは、権威の中央が出雲から奈良に移動してしまったわけだ。乗っ取り連中はそれじゃあ困るわけだ。

故に、二度目に日本に来た徐福は饒速日の名を名乗り、もう一度出雲の分家の宗像氏から嫁を貰う。それが山幸彦

山幸彦の物部氏はツクヨミを奉じる宇佐族系の豊国の豊玉姫(今は宇佐八幡宮の姫宮鎮座)を連合とし、東征を始める。

結局、男の王様だけじゃ人気が出ないので、姫巫女(大陸蔑称が卑弥呼)。政治には神と対話ができる姫巫女が必要だった
0562不要不急の名無しさん
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2020/09/16(水) 09:52:58.89ID:7Sa8WeDH0
この邪馬台国がどこにあったか。これいい加減にしたら。
だから、どうって。
0563不要不急の名無しさん
垢版 |
2020/09/16(水) 09:53:41.86ID:vwdQTIdz0
だいたいね、自分らの国の要職に「卑弥呼」なんて卑しい名前を自ら付けるかっつーのw
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