【食文化】江戸は蕎麦、京坂はうどん!: 東西の麺文化の違いを克明に記した『守貞漫稿』 ★2 [首都圏の虎★]
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略
だし汁は関西は薄味、関東は辛いのが今では定番だが、守貞は「どちらがうまいか?」のジャッジは下していない。だが、盛りつけた器を詳細に記していることから、関西のだし汁は「飲む」ため、関東は(蕎麦を)「浸ける」ためと、守貞は考えたようである。
なお、守貞によると蕎麦や温飩は、かつては「慳貪」(けんどん)と呼ばれていた。慳貪とは仏教用語で、「物惜しみする、けちで欲深い」様子(または人)を指すが、それが転じて「安っぽい食事」という意味だったらしい。
幕末には慳貪という言葉は姿を消し、わずかに蕎麦などを持って運ぶ提(さ)げ箱を「けんどん蓋(ふた)」と呼んでいた。
ご覧になればお分かりだろうが、出前用の岡持ちのことであり、現在も岡持ちを「倹飩箱」(けんどんばこ)と呼ぶことがある。
江戸で屋台の蕎麦屋が発展した理由
京坂の繁華街には「四、五町には一戸ナルベシ」(4〜5区画に1軒あった)、江戸では「毎町一戸アリ」(どの区画にも1軒はあった)だったという。江戸のほうが、ニーズは高かったということだろう。
それには理由があった。江戸の住人は、圧倒的に男が多かった。諸説あるが、男1.8に対して女1ほどの割合だったらしい。市中には地方から職を求めて来た者が多く、大抵は一人暮らしだった。参勤交代で江戸詰めの武士も、妻を国許に残していた。
つまり、江戸の男たちには、食事を作ってくれる人がいなかったのである。
そこで、外食の需要が高まる。江戸の蕎麦屋は、その点で重宝だった。蕎麦屋の多くが、屋台で営業していたからである。これを「夜鷹(よたか)蕎麦」といった。
夜鷹とは、娼婦のこと。吉原遊郭の娼婦は幕府公認の「公娼」だが、夜鷹は非合法の「私娼」であり、目立たない場所で客を引いていた。
その娼婦たちが腹を空かせているだろうと考えた者が、屋台で蕎麦を提供し始めた。この屋台の出店も、違法である。明暦の大火など、市中を焼き尽くすような火災に見舞われた経験から、幕府は調理に火を使う屋台の出店を貞亨3年(1686)に禁止していたのである。だが、無許可にもかかわらず、夜鷹蕎麦は繁盛した。
そこに目をつけたある蕎麦屋が享保の頃(1716頃)、正式に屋台で蕎麦を売ることを願い出て許可される。それを契機に我も我もと、夜な夜な、屋台蕎麦が営業を開始した。
すべての屋台がきちんと許可を受けていたとは、到底考えられない。だが、さまざまな場所に現れ、夜遅くまで営業してくれる。ヤモメ暮らしの男たちにとって、これほどありがたい存在はない。現在のコンビニのような役割を、江戸の蕎麦屋は担うことになった。
屋台は当時、「屋體見世」(やたいみせ)といわれ、次第に江戸の日常風景として定着していく。屋體見世は「必ズ一ツ風鈴ヲ釣ル」と守貞は書いている。上方育ちの守貞にとって、チリンチリンと風鈴を鳴らしながら行き交う光景は、興味深かったに違いない。
さらに、屋體見世が提供する食事は蕎麦に止まらなかった。寿司(すし)、鰻(うなぎ)、天ぷらを出す屋台が庶民の食欲を満たし、現在の東京の食文化を形作っていく。
次回は、屋台で売られたさまざまな「食」を紹介していこう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/7dd661b0ed238319be98db4554a026de89c480d4?page=2
https://amd.c.yimg.jp/amd/20200915-00010003-nipponcom-000-1-view.jpg
★1 2020/09/16(水) 01:04:51.53
前スレ
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1600185891/ ライ麦パン文化の貧しい食生活のドイツ
でも金さえあれば豊かなフランスの白いパンが買える
コロナで国境閉鎖されてもパンを買いに来るドイツ人
https://youtu.be/dFIKF3oW4EI
白い小麦というのは万国共通で豊かなハイソ社会の象徴
その白い小麦が食べられずに代用で蕎麦を食ってただけなのに
なぜかこじつけてさもハイソのように振る舞おうとする醜いトンキン人には笑う >>84
関東でも埼玉や群馬はうどん優勢だよね
西日本でも福井や島根はそば優勢だと思うし、単純に東西に分けられないんじゃないかな 天ぷらは長崎
うなぎは埼玉
トンキンはよその名物パクるのやめろ! 江戸でそば流行ったのは脚気予防に効果あったからだしねえ >>102
大阪・京都の料理が、日本料理
それだけ。
地方名をつけるのは、田舎の料理 >>70
東京は人口多いから不味くても一見相手で商売になるから
地方はそういうわけにはいかないからね
東京の旨いもんは地方から進出して来た店や人が多いやろ >>94
>関東人って出身で人を選ぶん?
それを日本で一番やってるのが京都だと思うんだが
まあ京都なんてただのど田舎だしな 関西人は東京の醤油蕎麦をあえて食べようとは思わないよね 人口の多さは正義
田舎で開店して100人のうち1人しか来ない店は潰れるけど
これが東京にあるだけで10000人のうち100人来れば潰れない >>108
出雲蕎麦旨くなかった
あれがそばの美味しさなのかな
出雲大社の前の店で食べたけど >>107
時代的に、「上方」が正しいという突っ込みは、やはり必要か >>102
確かにB級グルメのように必死に食で町おこしをしようとする文化は羨ましいですね
関西に足りないのは田舎っぽさというのは同意します >>68
京都一の人気ラーメン店の第一旭と、その隣の新福菜館という、スープが醤油で真っ黒のラーメンを喰ってから、その言葉を言ってみろ 将棋の藤井くんが有馬温泉で食べた肉うどんは牛肉だったな
関東の肉うどんや肉そばは豚が多いよね うどんはだし。そばは粋。
この粋をうまいと感じたら東京に馴染んだ証拠だ。 >>118
だからあんなに不味い店が大量にあるのか >>123
時代劇で、浪人がベロベロに酔っ払ってるのが蕎麦屋
昔の飲み屋イコール蕎麦屋 >>91
船場の地下街で食べたけつねうどんは別に美味しくなかったな
平均以下と思った >>129
味じゃないんだよね
雰囲気
だからどんなものでも高い方が良いとされる
見栄っ張りの関東文化 >>73
寿司はもともと箱寿司で上方、東京発祥は江戸前でしかも江戸時代と最近の話
麺類はどうみても関西やろ
天ぷらも関西、確か安土桃山の堺商人だったか?
おでんくらいかな?関東で確立されたのはw >>130
厳密には競争相手も増えるから単純に人口差のままってわけにはいかないが
人口が多いとリピーターにはならない一回だけの客も増える >>124
ラーメンは、サブカルチャー、B級グルメ枠 >>86
そうかぁ
じゃあ単純に外れを引いてないだけかもしれない HISが、蕎麦屋のチェーン始めるんだっけ
世界進出するかもな、代理店暇だから >>131
時代劇に出てくるテーブル式の飲食店は江戸時代には存在しなかったそうだ
あと 車輪がついたそば屋の屋台も明治以降 >>128
嘘やろ
肉うどんで豚ってオエッとなる
それはないよ
肉そばで豚とか冗談キツすぎ >>138
あんな濃い醤油味のラーメンは、東京の人間だって残したくなる >>143
関西の食って本当ろくなのねえな
まあソース舐めてりゃ満足の味障だからなあいつら 関西で江戸前寿司が広がったのは関東大震災で多くのすし職人が移住したことが大きいらしい >>143
それにしては、関東は牛肉が流行らなかったみたいだな。
未だに肉といわれたら豚が主流なんだろ、関東は。 >>140
個人的にきしめんは大好き
名古屋メシの中では最も美味いと思う
でも味噌煮込みうどんはもう食べなくないかなw >>128
関東で肉といえば豚肉なんだってね
肉じゃがやカレーも豚肉らしいじゃん >>146
逆に天ぷらは関東も関西風
江戸風はごま油であげた黒いものが基本 あの茹で汁を飲むのとかギャグでやってるのかと思うくらい野暮ったい文化だよな
あんなので関東人は通だと気取って関西人をヘイトするんだよ
何というかあれだよね、文化って「人間性が出る」よね >>151
塩気だけ入れてれば満足するのが東の田舎者というのは、古来からの常識 >>46
宇治茶があるのは京都がお茶の本場ではない田舎だからということでいいか? >>155
カレーで豚肉はココイチで慣れたけど
肉じゃがは厳しいな 大阪うどん
京都うどん
和歌山うどん
なんでないの?wwwww >>156
あれもおいしいけどねー、浅草の大黒屋とか。
だけど毎日あれってなると困るなw >>157
通の人は蕎麦湯がうまいんじゃないの
知らんけど >>161
広島に広島焼きがないのと同じ理由w
大阪で大阪うどんなんて言っちゃだめだぞw 江戸でソバが流行ったのは、家康が信玄マニアだったから
信州武士を讃え、信州武士を多く抱え、信州文化を取り入れた。
徳川譜代が転封された国でもソバが推奨された >>17
俺が生きてたときは「ほんとん」って言ってたけど けんとんになってたんか
これで成仏できるわ 基本的に、塩か醤油ブチ混めばそれでいいのが、関東
昆布でダシを取ったり、野菜からのダシを引き立たせたりあれやこれやするのが、上方大阪京都 そば派だけどこの先一生どちらかしか食べられないと言われたらうどん
アレンジが効くのは大きい >>164
その理論なら
宇治茶がある関西はお茶の本場を名乗れなくなるな(笑) >>155
肉じゃがは砂糖使わないのが関東風
みりんでほんのりとした甘さ >>83
和食料理はほとんど上方やで
まあ、あんたがまともな料理食べたことないなら知らんがなぁ 出せば売れる
こんなレベルだと飯屋が不味いのは納得だわ 江戸の食文化は維新と関東大震災の時にかなり変わってる
握りずしも今は戦後の冷凍冷蔵庫が普及した後の寿司だから江戸時代の寿司とはだいぶ違うし 世界的にみて蕎麦食べるところは食文化が貧しい地域なんだよな。小麦粉は肥沃な土地しか栽培できないけど蕎麦は貧しい土地でも栽培できるからね。 >>161
主流だから。
わざわざ地名をつける必要がない 無知な東京人本当に多くなったね。
リアルで大阪は一地方の田舎だと思ってるのいるから。 うどんは讃岐じゃねえの?
京都と大阪のうどんって何? >>176
宇治茶があるってことは
関西はお茶の主流ではないんだな >>174
開拓地など米が作れなかった地域での主食が小麦
小麦も作れない痩せた土地ではトウモロコシだな >>169
宇治だけじゃないからじゃないw?おいしいお茶。
もし宇治茶だけが飲まれてるなら、
宇治茶とは言われてないと思うw
広島に広島焼きがないのと同じ理屈 >>174
ヨーロッパ一の農業国フランスでガレットとか食うのはどうなの?
ロシアも麦の生産量は世界トップクラスだがソバは普通に食うな 関西は薄味って言うけど、京都に遊びに行ったら食事が全部しょっぱくてビックリした。
色が薄いだけじゃん。 >>175
基本的に料亭はすべて
例えば?とか言って知らんこと自体まともな和食料理食べずに生きてきたってこと >>181
いや、そばの生産量って小麦に匹敵しないか? >>169
関西が茶の本場なんて思ってるのはお前くらいだ ◆
デマ、捏造、偽装、粉飾、談合、改竄、隠蔽、わいせつ
ジャップの国民性
◆ >>173
亡くなった作家の佐藤雅美も、維新で江戸料理は大きく変わったみたいなことを書いてたな もり蕎麦 ざる蕎麦を贅六風の色の薄い
出汁では食べた気がしないだろね
抑々 粋な食べ方を関西人に望むのが☓(笑) >>182
宇治は街はずれ、上方ではない。
有田みかんとか言ってるのと同類
街中で茶は育てない 東京の食を、昭和30年代の認識で、ドヤ顔で語ることの憐れさ
起源を主張する、半島人マンセーの哀しさ 東京人だがおっさんになって、うどん派に変わった
うどんの方が食ってる感があってうまい >>189
料亭ねえ
関西人って船場吉兆の生ゴミ食ってうまいうまい言ってたんだろ? >>179
まあいきっとる奴はたいていおのぼりさんとその子供やら
代々東京すんでる人は東京を自慢しない
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