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【佐賀】鏡から探る邪馬台国の謎…吉野ヶ里歴史公園フォーラムで3氏講演、討論 「年代論の解決が邪馬台国論争の決定的な課題」 ★2 [樽悶★]
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0001樽悶 ★
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2020/10/23(金) 15:56:59.18ID:XRJcanXD9
「よみがえる邪馬台国」をテーマに開催されたフォーラム
https://www.sankei.com/images/news/201020/rgn2010200006-p1.jpg

 吉野ヶ里歴史公園(佐賀県吉野ヶ里町)で「よみがえる邪馬台国」をテーマにした特別記念フォーラムがあり、佐賀女子短期大学名誉教授の高島忠平氏、大分県立歴史博物館主任研究員の越智淳平氏、兵庫県立考古博物館学芸員の種定淳介氏が講演。邪馬台国の女王卑弥呼が魏から贈られたという三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)配布の意味などをめぐって論議を交わした。(九州総局 永尾和夫)

 ◆海指向した人々

 越智氏は「古墳のはじまり〜宇佐地域からみた古墳と首長居館」と題して講演。北部九州と瀬戸内地域に挟まれた大分県宇佐地域、福岡県豊前地域の古墳について説明した。

 この中で赤塚古墳(大分県宇佐市)から出土した三角縁神獣鏡5枚は、石塚山古墳(福岡県苅田町)のほか、京都や奈良など畿内の古墳から出土した鏡と同じ鋳型で作製されていることを指摘。「当時のヤマト政権と九州の関係を知る上で重要」と述べた。また、小部遺跡(宇佐市)のように、海を指向した人々が古墳時代の始まりとともに出現。こうした墳墓や集落の動態を明らかにすることが、邪馬台国時代の解明につながると語った。

 ◆漢鏡7期の変遷

 また、種定氏は「古鏡残照〜漢鏡の図像と銘文を読む」と題して、古代鏡の研究成果を披露した。漢鏡は「文様や銘文が多様で時間の変化に敏感」とされ、前漢から後漢まで、図像と銘文が7期にわたり変遷したと述べた。

 吉野ヶ里遺跡から出土した異体字銘帯鏡は、この中の3期で紀元前1世紀前半の製作と指摘した。銘文は「久しく相見(まみ)えず、長く相忘る毋(なか)らん」と解読。この銘文はなぜか、鏡が製作された時代より百年古い表現とした。内容は主君を慕う臣下の心情を歌ったものとも、男女の愛情表現ともとれると語った。鏡のデザインはその後、儒教や神仙思想の影響を受けて変容、世界観を細かく表現するものになっていったと解説した。

 ◆年代論解決が課題

 最後に高島氏が「考古学からみたこれまでの邪馬台国論争〜青銅器と古墳をめぐって」と題して、畿内説と九州説に分かれる邪馬台国論争の歴史的経過について講演した。

 畿内説では、三角縁神獣鏡など3世紀の銅鏡が多数出土し、纏向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)一帯の前方後円墳が列島では最古とされることなどが根拠となってきたと紹介した。

 これに対して九州説は、吉野ヶ里遺跡で国内最大級の環濠集落などが発見され、魏志倭人伝に描かれたクニと符合する遺構が現れたことが、有力な拠りどころとなったと指摘した。ただ、考古学者の間で、50年から100年の年代観の違いがあるとして「年代論の解決が邪馬台国論争の決定的な課題」と提唱した。

 さらに、卑弥呼が魏の皇帝からもらったといわれながら、中国では一枚も出土していない三角縁神獣鏡について見解を述べた。この鏡は中国南部にあった呉の神獣鏡の系統なので、畿内は呉の地域との結びつきが強かったと考えるのが自然とした。これに対し後漢の系統の鏡が多く出土している北部九州こそ、中国北部の魏とのつながりが深かったと論じた。

 この後、高島氏の司会で3氏が討論した。

 この中では三角縁神獣鏡がやり取りされた背景について論議。「鏡は卑弥呼が下位の首長に下賜したのではなく、下位の首長が上位の首長に鏡を献上することによって、祭祀を委ねるということを表す儀礼用のもの。このため、首長間で大量の鏡が流通した」という見解が示された。

 今後、鏡配布の背景について、さらに細かい研究が必要という点で一致した。

10/20(火) 7:55配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201019-00000003-san-l41

★1:2020/10/20(火) 20:10:13.76
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1603192213/
0002ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 15:57:46.47ID:G1rKD0Nn0
ゴッドハンド合戦ワンチャンあるで!
0005ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 15:59:37.61ID:EQv9Z0Di0
Hello, I am a Mississippian working in Tokyo. The impression which I had got about Asian people during staying in Tokyo
and other Asian cities (Hong Kong, Shanghai and Seoul) was pretty good because in general they keep their face smiley.
From their smiles, at first I guessed that they were gentle and the peaceful lives were lived in Asian countries.
But I dreadfully sympathise with them now that I know that they smile not because they want to smile but they have to smile.

In Asia, it is the most important to be polite and obedient to their superiors. One's failure to smile to his superior is regarded
as very impolite and offensive. Hence, Asians have been expected to remain smiley to those who are superior to them.
Subordinates have to smile to their bosses―likewise, wives to their husbands, students to their teachers, and people to their
monarchs. I shuddered to hear that one who was a little impolite to his superior was doomed to have his head cut literally
in the 19th century Japan.
I hardly need to say that the present situation about Asian people is not so bad as that in the pre-modern era, but their
free emotions are restricted more strictly than those in the Western countries.

Indeed, if you follow anyone, you can avoid being hurt. But what I want to tell you is that you may say "No"
0007ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 16:02:31.51ID:iROOIwn00
どこにあったかすら分からない国w
0008ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 16:04:39.19ID:afgfn1PL0
吉野ヶ里公園行ったけどなんもなくて草
0009ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 16:05:34.88ID:Eptl1cH50
邪馬台国がどこかなんて国民のほとんどが興味も関心もない

騒いでいるのは何にもしなくてもそれだけで観光資源として金落ちてこねーかなーという乞食たちだけ
0010ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 16:06:04.63ID:ku5xf1F30
1世紀 奴国王が後漢より金印を授かる(福岡志賀島)
2世紀 倭国王師升が後漢に朝貢、倭国大乱
3世紀 倭王卑弥呼が魏より金印を授かる、邪馬台国と狗奴国(免田式土器?)が対立
3〜4世紀 奈良の纏向遺跡(前方後円墳発祥?)
おそらく奈良を中心とした出雲・北陸・東海・吉備等の連合政権、北九州との交流は非常に乏しい
5世紀 奈良の大和王権が北九州〜関東を平定
4〜8世紀 熊本の球磨川流域と宮崎の一ツ瀬川流域以南に独自の古墳文化(熊襲)
6世紀 筑紫磐井が大和王権に反乱
7世紀 乙巳の変、歴史書を新たに編纂
8世紀 隼人の乱、藤原広嗣が大和朝廷に反乱
0012ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 16:06:13.16ID:ku5xf1F30
卑弥呼の時代に入った2世紀末には大飢饉が派生し、多くの倭人が半島に避難したとのこと。
九州で出土する畿内式の土器は、畿内から多くの避難民が移住してきたという証拠でしょう。

<新羅本記>
173:倭の女王卑弥呼が使者を送った
193:倭人が飢饉。避難民が新羅へ。

<当時の気候>
https://i.imgur.com/9fKvb8o.png
3世紀〜4世紀は海面温度が下がり、寒冷化だけではなく干ばつにも見舞われたと考えられる。
『名古屋大学の中塚武教授は、卑弥呼登場前の時代は大雨や旱魃が繰り返された不安定な気候の時代であったという。』
0013ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 16:06:29.92ID:ku5xf1F30
半島に渡った畿内からの避難民が戻ってきたのが4世紀末


産経新聞(2018.11.28)
最古の大壁建物跡か 奈良・高取の遺跡で発見
https://www.sankei.com/west/news/181128/wst1811280010-n1.html
〜 大陸から来た渡来人の重要施設とみられる国内最大級の 〜
建築年代は4世紀末〜5世紀初めと推定され、最古の大壁建物跡の可能性もある。
渡来人が入植を開始したのは5世紀後半と考えられていたが、大幅に早まる可能性が出てきた。
〜 省略
白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長(考古学)は、建物の時期についてはさらに
検討が必要としながらも、「(現場に)居館や祭祀施設など渡来系の人たちが営んだ重要な
施設があったことは間違いない」とみている。
遺構は、すでに埋め戻されており、現地説明会は開かれない。
(証拠隠滅)
0014ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 16:10:54.20ID:21GcCUtH0
>>13
開拓地だな。
0015ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 16:11:05.36ID:HBX26qPv0
九州は必死やのう
もうあきらめなさい

「邪馬台国はなかったが、代わりにマルタイ国があった」
でいいだろ
0017ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 16:17:11.31ID:D+rCjwDp0
他に文献がないからと言って牽強付会で記述をねじ曲げるのがいるんだよな。
0018ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 16:19:05.80ID:aiiSslGs0
鹿男あおによし
0019高篠念仏衆さん
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2020/10/23(金) 16:20:16.71ID:bodMkOLn0
朝鮮半島にあったんじゃないの?
南の方は島がポツポツポツポツじゃん?
0020ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 16:21:10.84ID:gi/E0QTT0
>>8
あそこが一番盛り上がったのてトラック見本市の時だからw

九州九州喚いてる奴も行って金落としてやれよとw
0021ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 16:21:31.58ID:fS1YEu6v0
面倒くさいから説明しないけど九州よ
その中から、おまえらとはやってらんないって集団が奈良に移住した
一部の土地の名前が似てるだろ
北海道と同じだよ
0022ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 16:23:31.43ID:ICun+pzO0
つまり、畿内派が年代推定を恣意的に100年ほど古く偽り、邪馬台国が畿内にあったと主張してるとな
確かに、その嘘が暴かれたら九州で決着する

3世紀は明らかに九州までが発達した倭国で、畿内は発達が遅れた倭人の集落でしかなかった
なのに、皇国史観から恣意的に考古学を歪めて、畿内にいた卑弥呼が全国を支配してたなど、荒唐無稽な説を主張してるのが、日本の史学者
アホらしい
0023ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 16:23:40.30ID:zIo3J/8m0
980 ニューノーマルの名無しさん 2020/10/23(金) 15:24:13.59 ID:BBCj/vOK0
畿内厨を黙らすには鉄を出せばおk
九州説が有利なのは火を見るより明らかw
https://i.imgur.com/0g9mgCI.jpg
0024高篠念仏衆さん
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2020/10/23(金) 16:23:46.70ID:bodMkOLn0
人口
縄文時代約27万人
弥生時代約60万人

20万人拉致!みたいな?
0025ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 16:24:05.89ID:zIo3J/8m0
989 ニューノーマルの名無しさん 2020/10/23(金) 15:34:28.17 ID:BBCj/vOK0
畿内厨を黙らすには古事記を出せばおk

国産みにおける九州の地名には、日が付く

山陰がスサノオ、四国がツクヨミ、そして九州はアマテラスの地だと明白w

筑紫島(つくしのしま) - 九州。
胴体が1つで、顔が4つある。顔のそれぞれの名は以下の通り。
白日別(しらひわけ) - 筑紫国。
豊日別(とよひわけ) - 豊国。
建日向日豊久士比泥別(たけひむかいとよくじひねわけ、タケヒムカヒトヨクジヒネワケ) - 肥国。
建日別(たけひわけ) - 熊曽国。
0026ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 16:31:29.62ID:VN+8tXV80
>>12
魏志倭人伝を読め。なんで卑弥呼が即位した?
倭国大乱の当事者が(←ココ重要!)卑弥呼を「共立」した。
要は、邪馬台は大乱で負け、男王(=剣を持つ王)の禁止、
つまり覇権放棄の和議条件を受け入れたという事だ。
邪馬台国の記述を見れば、邪馬台の交易を正体不明の「大倭」
が監理している。正体を隠しているが、これ奈良のことだろ?
そう。大乱で奈良が勝って列島の覇権を握ったという事。
0027ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 16:37:33.85ID:21GcCUtH0
>>26
奈良ではないよ。卑弥呼、台与は、一時的なもん。奴国か伊都国だろー。
0030ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 16:45:34.08ID:0WM+Z4AM0
>>26
奈良のことだろ?と言われても
大倭なんてダイワとしか読めないのに奈良のわけないじゃん
0032ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 16:49:14.92ID:BRDOu5EL0
南至 投馬國 水行二十日 官日彌彌 副日彌彌那利 可五萬餘戸
南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月
官有 伊支馬 次日 彌馬升 次日 彌馬獲支 次日 奴佳鞮 可七萬餘戸

自女王國以北 其戸數 道里 可得略載 其餘旁國 遠絶 不可得詳

次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國
次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國
次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有為吾國 次有鬼奴國
次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國
此 女王境界 所盡

其南有 狗奴國 男子為王 其官有 狗古智卑狗 不屬女王
自郡至 女王國 萬二千餘里
0034高篠念仏衆さん
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2020/10/23(金) 16:52:15.06ID:bodMkOLn0
アマゾン使って北京に金印送ってやれ。
0035ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 16:55:44.99ID:D+rCjwDp0
>>22
同時期に畿内にあった国々が「魏志のいう邪馬台国」とは別モノなのに、強引に魏志の記述を当てはめるなら、それはそれらの国々の独自の歴史を抹殺する愚行ということになるからね。
まあ一度思い込んだら最後という没科学的なアタマの人間は腐るほどいるがね。
0036ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 16:56:08.25ID:UGKajlJp0
たまたまさっきグーグルマップ見てて思ったんだけど、
なんで前方後円墳はあんなに方向がバラバラなんだろう。
0037ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 16:57:20.13ID:UGKajlJp0
>>30
じゃあ「大和」は?
0038高篠念仏衆さん
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2020/10/23(金) 17:01:17.89ID:bodMkOLn0
言葉が違うなら言葉が違うなら
独立させてやらないと!!
アイヌ
0039ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 17:02:25.97ID:gi/E0QTT0
>>36
方向に大した意味ないからな
たまに揃えてるところもあるけど例外的
むしろ作る地形とかの事情で方向決めてる
0041ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 17:03:27.51ID:VN+8tXV80
>>30
は? 大倭(ダイワ)って奈良が後に名乗ったじゃん。
そして倭の字を嫌って大和(ダイワ)に変えた。
倭国(日本語地域)をほぼ統一したから大倭(ダイワ)
と名乗ったんだよ。
4世紀、邪馬台(やまと)を滅ぼしその権威を継いだ後、
大和(ダイワ)と書いて「やまと」と読むことにした。
もちろん、漢語では、そのまま大和(ダイワ)だ。
これを「やまと」と読むのは国内だけの話。
知らなかったの?
0044ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 17:09:03.39ID:QMY1E71P0
■旧唐書
倭国と日本(ヤマト政権)が別記されている。

倭国条:倭国は古の倭奴国なり。

日本条:日本は倭の別種なり。


【参考】倭国の使者と日本の使者がはちあわせ?
遣唐使に参加した伊吉博徳書には、我客(倭国)と別倭種(日本国)の使節団が
中国で争いを起こしたと書かれている


----- 壬申の乱などを経て統一国家「日本国」となる -----

■新唐書
日本は古の倭奴なり。京師を去る万四千里。新羅の東南に直る。
海中に在りて島にして居す。東西五月行、南北三月行。

其の王の姓、阿毎氏。自ら初主を号して天御中主と言う。
彦瀲に至る凡そ三十二世、皆尊を以て号と為し、筑紫城に居す。
0045ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 17:09:05.11ID:UGKajlJp0
>>39
でも、あの方形の部分は祭壇って話でしょ? そこから円丘部を拝むのに、
少なくとも日光とか気にしそうなもんだけどなあ。
0046ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 17:09:55.99ID:QMY1E71P0
はじめての方へ

【基礎知識1】
・倭人伝は中国の史書なので、倭国の地名も倭人の発音に合わせて中国漢字で表記されています

・魏志倭人伝に書いてあるのは邪馬「壹(壱)」国であり、魏の公用語であった呉語で読む「シャマイ」国となる
参考:https://i.imgur.com/YN7VCTk.png

・以降の史書に出てくるのは「邪馬臺」や「邪摩堆」であり、すべて語尾は「タイorダー」と発音する漢字が充てられている

・後世のヤマトは深く考えず邪馬臺=ヤマトだと思っていたが、新井白石と本居宣長が間違いに気付いたのが九州説vs機内説論争の始まりである

・「大和」は、魏志倭人伝では女王国の市場を監視する官職として「大倭」と記載されている
0048高篠念仏衆さん
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2020/10/23(金) 17:13:52.05ID:bodMkOLn0
もまいら!じぶんの近所でも
言葉バラバラやん!
アイヌ語と日本語で
0049ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 17:16:15.71ID:D+rCjwDp0
>>26
>要は、邪馬台は大乱で負け、男王(=剣を持つ王)の禁止、
>つまり覇権放棄の和議条件を受け入れたという事だ。

そういう記述は存在してないぞ?
「倭国は大乱(暦年とあるだけで期間は明記してない)以前から女王が統治していたのではなくて、以前は普通に男王が70-80年ほど統治していた」
「その後に戦乱が何年も続いて始末に追えないから鬼道を良くするカリスマの卑弥呼を祭り上げて戦乱を収めた」
という状況説明しかない。

「大倭」は単に「身分が低い下戸とかではない身分が高い倭人」というだけの意味で通る。
0050ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 17:16:47.55ID:gi/E0QTT0
>>45
前方部の頂上は急こう配になってて歩くのにまったく向いてない
むしろ足を踏み入れにくい構造になってる

むしろ巨大な墳墓だから作れる立地の事情の方を優先してる様子が見えるな
もしくは「領地を一望できる」「外から来る人間に威厳を見せる為」とかそういう構想で作られてる
0051ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 17:21:44.54ID:0WM+Z4AM0
>>41
奈良が名乗ったのはヤマトだよ万葉仮名だと夜露死苦みたいに書くアレだ
倭はワとしか読まんがヤマトに倭の文字をこじつけたのが何時頃なんだろな
その後、8世紀の好字二字令で大くっつけただけだろ
0052ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 17:22:29.94ID:QMY1E71P0
当時の身分制度があったとすれば、こういう感じだ

女王←卑弥呼が政治的判断を担った
士←各勢力の男王であり、実質的なTOP


商←大倭が取りまとめていた
0053ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 17:28:47.21ID:TPNBREmp0
前スレの>>997

@鉄器は交易の量の証明であって、魏との外交成立前からあったと思う。
 三韓との間で交易していたのは公孫氏の時代でも一緒じゃないかな?

A帯方郡制圧と公孫氏滅亡
 景初6年の推移
  4月 魏軍が帯方郡を落とす
  6月 卑弥呼の使いが帯方郡に到着
  8月 公孫氏滅亡

 前に公孫氏滅亡までの記録を調べたんだけど、こんな感じだったはず。
 なんて書物だったか名前が全く出てこないんだけど、公孫氏の歴史書があったはず。
0055ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 17:31:04.32ID:Pn++kgiA0
>>1
みんな記紀を読もうぜ

神武天皇から記紀では年月が記述されている
つまり何年何月と言う風に

じゃあそれ以前はどうか?と言うと年月ではなく日で暦が計算されている
一日単位で暦を計算して年や月の概念がなかったという事

しかし神武天皇から当時の中国と同じ年と月が当てはめられて暦が存在していた
年月は太陰暦で計算されて表示は干支だった

つまりな魏志倭人伝などが指摘するように日本は未文明国家ではなかったという事だ

そもそも魏志倭人伝をみんな目を通したことがあるだろうか?
明らかに方位と距離がデタラメな文章で日本人でもそれをフォローすることはできない
見たまんまの通りで間違いが多い古文書と言う事になる
0056ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 17:34:40.01ID:TPNBREmp0
>>26
その考えだと、卑弥呼の死後また男王が立ってから台与が立ったのが
辻褄が合わないんじゃないかな?
0057ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 17:38:26.39ID:+EFDkiLd0
魏志倭人伝は都市伝説レベルで信憑性に欠けるから話半分でいい
中立の立場の関東側から見ると畿内説が有力なのは事実
0058高篠念仏衆さん
垢版 |
2020/10/23(金) 17:43:08.19ID:bodMkOLn0
別の手法で九州を考える🤔

413年
倭王 讃は東晋に貢ぎ物を献上。←誰?
512年
県・屯倉の設置
607年
法隆寺が建立。
609年
肥後国に百済人80人が漂着したと言います。この頃、日本には120国が存在していました。
645年
大化改新。国造は群領(評造)となりました。
670年から676年
唐・新羅戦争
720年 
南九州地方の隼人が反乱したが、大和朝廷は宇佐宮へ勅使を派遣し先勝祈願した。八幡審は兵を率いて大隅・日向へ向かい隼人を傀儡子の舞で油断させて鎮圧。
769年
道鏡皇位事件発生:太宰主神の阿曾麻呂は、称徳天皇へ“宇佐
宮の八幡神は道鏡を天皇にすれば天下太平の世になると託宣
した”と報告したので、称徳天皇は和気清麻呂を宇佐に勅使と
して派遣した。和気清麻呂は7/11日 呉橋を渡り宇佐宮
(宇佐神宮境内の護皇神社に祭神として和気清麻呂は祭られ
ている)に参拝し、“わが国の天子は臣下がなったことはなく
皇統に繋がる人物を天子に立てよ”との神託を受け上奏したこ
とで国家天皇の正当な継承を救った。激怒した道鏡により足
の筋を切られ大隅へ追放された。
宇佐神宮がある宇佐は、古くから仏教が盛んな地方で、7世
紀後半の新羅系、百済系および法隆寺系の瓦が発掘されてい
る。また、宇佐神宮は八幡大神・神功皇后・比売大神を祭神
とし全国の八幡宮4万社の総本宮であり、ここから京都の石
清水八幡宮や鎌倉の鶴岡八幡宮は勧請されました。
0060ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 17:47:32.12ID:Pn++kgiA0
>>1
BC660年に九州の日向から大分そして北九州そして広島岡山から大阪へと船で進む
その進行速度はゆったりとしたものであり急進はしていない
極めてゆっくりで地方では宴会などが多い
盗賊狩りもたまにするだけ
大阪では饒速日の部下の長髄彦の勘違いで戦闘になる

そしてBC660年に神武天皇は初代天皇に即位する

その時点でおそらくだけれども九州の文化はかなり進んでいた
その状況は神功皇后の時代まで続いたものと推測する

さらに崇神天皇以前の天皇は神武天皇の故郷の九州巡回を欠かさなかった
当時は馬しかなかったのでゆっくりとした巡回で数年をかけた大規模なものだった

(例外は疫病が発生して各地で反乱が発生した崇神天皇の時代でこれがきっかけで
倭国大乱と呼ばれる混乱が生じる)
垂仁天皇の時に混乱が収まり伊勢神宮を建立する

景行天皇の時に九州巡回を再開する
その時に熊襲退治もする
その子のヤマトタケルは九州から東北まで巡回する

実際にはヤマトタケル以降も混乱は続き神功皇后の時代になりようやく混乱が鎮まる

神功皇后=卑弥呼ではないのだが、当時の倭国の女王は神功皇后だった

ちなみに神功皇后は190年付近で仲哀天皇の后となり200年に仲哀天皇を失ってからは
応神天皇の代理となり職務を全うし270年頃に亡くなった
0061ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 17:51:45.87ID:QMY1E71P0
>>55
記紀でも短い里数が使われている

崇神記65年「任那者去筑紫国二千余里北阻海以在鶏林之西南」
半島南部の任那から北部九州の筑紫までの距離が2000余里と記されている

つまり1里=約75m

魏志倭人伝によると、帯方郡(ソウル付近)から女王国(邪馬台国)まで1万2千里と記されている

さてどの辺でしょう?w
0063ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 17:53:39.76ID:7TXj/2qg0
>>57
ないない

邪馬台国は九州にあって
卑弥呼死後再び戦乱の世にもなった状態を見て
イワレビコが神武東征を始めたのが流れ

ヤマト政権誕生は卑弥呼死後ってことだ
0064ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 17:57:32.35ID:TPNBREmp0
>>55
記紀を読むのも面白いけど、邪馬台国関連スレで皆が誤解していることを正したい。

「王」とは
「親魏倭王」の金印や女王卑弥呼から「王」という文字が目に入り
誤解してしまう人が多いが、「王」というのは当時魏からもらった爵位でしかない。

魏の爵位制度では、王、公、侯、伯、子、男、県侯、郷侯がある。
親魏倭王というのは魏の外臣である卑弥呼に与えた爵位であって
その国の統治者なんて意味はない。


「君」とは
同じように筑紫君磐井の「君」も君主的なニュアンスでとらえる人がいるけど
「君」は大和朝廷が設けた姓(かばね)制度の一つに過ぎない。
(日本の爵位的に思ってもいいかも)

允恭天皇が制定した臣連制で設けられた姓(かばね)
公、君、臣、連、直、首、史、村主

王や君に最高統治者的なニュアンスを感じるのは、現代日本人特有の感覚。
実際には最高統治者から与えられた爵位でしかない。
0066ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 17:58:29.24ID:WbQOAeGPO
>>62
四世紀どころか五世紀も六世紀もないだろ
0067ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 18:01:59.05ID:TPNBREmp0
>>61
記紀の成立過程を理解してれば、別に不思議でも何でもないよ。

記紀編纂は奈良時代、平城京が出来上がった後のお話し。

日本書紀は当時残っていた過去の文献を大量に集めて一つにまとめたもの。
その中には中国の史書も含まれていたことははっきりと書いてあること。
つまりは編纂時点で中国の史書の間違った記述を転記しただけに過ぎない。
0069ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 18:11:14.89ID:1q1APQmg0
邪馬台国だけでなく日高見国のあった正確な場所も判明してなかったはず。こっちは実在してたかが怪しいけど。
0070ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 18:13:43.14ID:D+rCjwDp0
>>52
身分の上下はあって、職分の類いもあるにはあっても、細かい身分制度が確立していた状態とは思われないし、あったなら「意外に進んでる」という調子で記述してるんじゃないか。
支配階級の大人と庶民の下戸とかいう差があっただけで、内部的に細かい段階差とかはあっても、明確なものではなかったのではないか?
卑弥呼は政治的な支配者ではなくて宗教的カリスマだから、ま、女王として祭り上げられた統合の象徴みたいなもんだろう。
宗教的なカリスマ自体に実効的な力があると信じられてたはずで、女王様に逆らうと呪い殺されるから言いなりになるとかいう具合で支配はしてたんだろうけど。
0071ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 18:20:45.38ID:BRDOu5EL0
邪馬台国は、歴史上、倭人伝の下記の部分で語られた。

概要=国勢は可7万戸で、次有ー列記21国ーが共立した女王卑弥呼の国である。
自(帯方)郡(南)至 女王國 萬二千餘里 で 其南有 狗奴國 不屬女王
たったこれだけが、なぜ曲解される? 日本学者のご都合主義だろ?

補足情報=参問倭地 絶在 海中 洲㠀之上 或絶 或連 周旋可 五千餘里
倭人から所属21国名を参問出来たのは240年魏の軍船で卑弥呼宮へ来た、建中校尉梯儁。
247年の塞曹掾史張政は倭人船便乗で、積算、萬5百里の伊都迄で伊都に常駐した。
陳寿は、この2回の使譯を記録した。

本文
南至 投馬國 水行二十日 官日彌彌 副日彌彌那利 可五萬餘戸
南至 邪馬壹國 女王之所都 水行十日 陸行一月
官有 伊支馬 次日 彌馬升 次日 彌馬獲支 次日 奴佳鞮 可七萬餘戸

自女王國以北 其戸數 道里 可得略載 其餘旁國 遠絶 不可得詳

次有斯馬國 次有巳百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國
次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國
次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有為吾國 次有鬼奴國
次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國 次有奴國
此 女王境界 所盡

其南有 狗奴國 男子為王 其官有 狗古智卑狗 不屬女王
自郡至 女王國 萬二千餘里
0072ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 18:22:45.54ID:2Ed7Qf3z0
>>67
中国の史書の記録に頼らないとわからないってさ、
大和が邪馬台国は自分たちの国じゃないって白状してるようなもんだろw
0073ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 18:24:17.08ID:Pn++kgiA0
>>1
日本書記からみた魏志倭人伝の卑弥呼

その南に狗奴国あり。男子を王となす、その官に狗古智卑狗あり。女王に属さず。
その八年(正始8年)、太守王頎官に到る。倭の女王卑弥呼、狗奴国の男王卑弥弓呼ともとより和せず、倭の載斯・烏越等を遣わして郡に詣り、相攻撃する状を説く。
魏は張政を倭に派遣し、難升米に詔書、黄幢を授与。

張政が日本に到着すると卑弥呼が既に死(殺されて)に墓が作られた。
(100人余りの卑弥呼の従者が同じく埋葬された おそらく卑弥呼側に加担して殺された従者)

(卑弥呼は狗奴国の男王卑弥弓呼と同じく国を持つ高位の皇族であったと思われる)
男王卑弥弓呼と卑弥呼の名前が似ているのが同じ皇族で極めて近い親族であった証拠だと推測する
当時国を与えられるのは皇族のような地位の高い者であった

故に卑弥呼は神功皇后ではないが皇族でなおかつ皇位継承権にも影響を及ぼす人物だったと推測する

男の王が立つが、国が混乱し互いに誅殺しあい千人余が死んだ。
卑弥呼の宗女「壹與」を13歳で王に立てると国中が遂に鎮定した。
神功皇后の妹に(トヨ)豊姫あり

倭の女王壹與は掖邪狗ら20人に張政の帰還を送らせ、掖邪狗らはそのまま都に向かい男女の生口30人と白珠5000孔、青大句珠2枚、異文の雑錦20匹を貢いだ。

御所(都)の位置は天皇の巡幸の位置によって変化
神功皇后は夫の仲哀天皇につきそい奈良県から山口県そして福岡県そしてその他諸々の県に滞在していた
山口福岡でも熊襲との戦のために御所を作り数年滞在している
0074ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 18:28:24.57ID:ax4t92UN0
>>70
史書には卑弥呼が宗教的存在だったという記述は一切無い
単に問題が発生したら鬼道風の占いで判断していたと記載されてるだけ
宗教に関して葬祭の様子が記載されているがそこに女王に関する記述は無い

つまり卑弥呼は葬祭とは関わりが無かったんだよ
0075ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 18:29:10.79ID:21GcCUtH0
纏向遺跡から3世紀前後までは、開拓地だよ。
0077ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 18:31:20.57ID:aU7HTBPx0
長濱さんが最終結論出してくれたじゃん
やっぱ理系じゃないと無理やで
0078ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 18:32:45.19ID:h6jOQRbk0
でかい古墳を片っ端から掘り返せば
おのずと結果は明らかになるだろ
0079ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 18:33:13.35ID:rHyBQ2OB0
邪馬台国はなぜ九州なのか?
0080ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 18:45:54.83ID:TPNBREmp0
>>78
無理だと思うよ?

まず古墳が盗掘にあってめちゃくちゃになってる可能性がある。
何が出てきたら卑弥呼と断定できるかわからない。

精々高齢女性の骨が出てきたら、卑弥呼かな?程度の結果しかなさそう
0081ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 18:53:26.64ID:D+rCjwDp0
卑弥呼の塚は創建当初の古墳の形で残っているとも限らんからね。
0082ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 18:53:27.95ID:BRDOu5EL0
>>76
三国志としては247年の張政の査察で、
邪馬台国は檄に応えない非同盟国と判断した。

実際、日本は卑弥呼の筑紫統合後、背後から313年高句麗の四郡追討に貢献。
以降、対高句麗戦で、半島進出で百済新羅を建国した。(広開土王碑)

370年代傀儡立国の百済は七支刀献上、中国が属国教化で送った阿直岐も献上。
日本は、より一層の中華理解を深めるため、王仁も招請した。 

で、倭の五王 時代の半島利権、高句麗交戦交渉になる。

邪馬台国が、九州か畿内か? の論争は
歴史の話になっていない。

日本を治めた大倭王が卑弥呼だとは倭人伝には書いてない。
同類の、漢の金印は志賀島公園の王様に送られたんじゃねwww
0083ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 18:55:20.04ID:DU/gG60D0
>>11
8文字目に 以外 が抜けてるで。気ぃ付けや。
0084ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 18:58:26.48ID:D+rCjwDp0
>>79
なぜとかじゃなくて、魏志の記している邪馬台国は半島西岸を南下して、さらに島伝いに南下した先としか読めないから、同じ頃に日本列島の他の位置に類似の国があってもそれは別モノというだけの単純な話。
0085ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 19:01:14.38ID:TPNBREmp0
>>81
ですねー
そもそも現存してるかどうかもわからんしね
0087ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 19:09:27.01ID:Dxreom0Z0
本居宣長「邪馬台国は九州」
新井白石「やっぱり邪馬台国は九州」
現代の学者の大半「九州だよ」
キチガイ学者「近畿ニダ」
纏向「嘘も百回言えば本当ニダ」

もし邪馬台国が近畿にあったら何かしら
朝廷の記録に残ってるだろう。
それが何もないってことは本居宣長の「邪馬台国は朝廷を騙った九州の豪族」ってのが一番しっくりくる。
0088ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 19:12:35.55ID:BRDOu5EL0
卑弥呼の墓は、おそらく日本最初の巨大古墳だけど、制作期間が、
倭 女王卑弥呼 與狗奴國 男王卑弥弓呼 素不和 遣倭載斯烏越等 詣郡 説相攻撃状
の、往復の間であって、せいぜい盛り土1年?

247年の張政は、伊都の北西500里の、糸島半島北岸の松浦から
伊都の東500里以内で、お墓参りさせられて、見て、盛土径100歩を確認した。

博多湾に専用の港が有るであろう、伊都まで500里も歩くとかwww

倭人伝の解釈で、松浦とか大和とか投馬?、
万葉集以降の和名にこだわるのは、ただの馬鹿だぞ?
0089ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 19:19:53.14ID:BnUi+qNY0
>>81
>>88
魏志倭人伝には卑弥呼の冢を大いに造ったとあるが
巨大な冢を造ったとは書かれていないな。
0091ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 19:27:28.69ID:DU/gG60D0
>>57 >>63
ないない。
0092ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 19:29:25.64ID:BRDOu5EL0
>>89
100歩が、どれだけの大きさか? だろ?
15m説なら普通の九州墳墓でどれでも良いし、
大いに作るほどか?

機内古墳の100m以上は、一年じゃ作れない。
卑弥呼の墓は、一年?半年で作った糸島半島の北岸の盛土。
もう無いヨw
0093ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 19:30:41.87ID:21GcCUtH0
天皇陵の調べたらわかると思う。
0094ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 19:34:13.54ID:7TXj/2qg0
すでにイワレビコがいた年代を独自に特定済み
見事に邪馬台国のあった年代に近いことが判明

あるあるの証拠w

772 不要不急の名無しさん 2020/09/17(木) 18:51:53.88 ID:EvDbnueX0
歴代天皇の在位期間は奈良時代であっても約10年と短い

50代 桓武天皇 806年退位

歴代天皇50代×歴代天皇の平均在位期間約10年=約500年

桓武退位806年−約500年=初代、神武天皇の即位(※約おおよそ)

邪馬台国があった3世紀の後半に東征?
これは興味深い
と思ったらwikiに似たようなの書いてあった、、、
0095ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 19:44:51.39ID:BRDOu5EL0
歴代天皇の在位期間って記紀の嘘歴史から700年以降の話なのかな?
稲荷山古墳の470年ヲワケ〜直系8代って、四道将軍の崇神www

統一志向の武力侵攻は無かった本州の銅鐸時代終了って、
200年位じゃないのかな?
0096高篠念仏衆さん
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2020/10/23(金) 19:47:06.54ID:bodMkOLn0
265年
司馬炎が魏の曹奐より禅譲を受け西晋(首都:洛陽)を建国(〜316年)し、魏は滅ぶ。
266年
倭の女王・壱与が西晋に使者を派遣(晋書)。
268年
西晋で、泰始律令が完成する
280年
西晋が呉を滅ぼし、中国を統一。占田課田法を制定
302年
高句麗の美川王が玄菟郡に侵入し、捕虜八千を得る。
346年
朝鮮半島で百済建国
356年
朝鮮半島で新羅が建国
369年
百済と結んで新羅と戦い、任那の支配に成功(『日本書紀』の所伝)
413年
倭王讃、東晋に使者を派遣し方物を献上(『晋書』)
0098ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 19:56:35.30ID:BRDOu5EL0
稲荷山鉄剣の話だけど

天皇の一代って、兄弟相続って、数年在位とか微妙だけど
皇族が武人に下った場合、当主は30〜40年続くだろ?

470年の鉄剣ヲワケの、始祖、皇族オオヒコの宿祢って、何年?
これが、大和朝廷の始まりで、良いと思うぞ。
0099ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 19:58:53.38ID:BnUi+qNY0
>>92
三國志で径は最短距離の意味だから
冢から最短距離で100歩の所に奴婢を100人殉葬したんだ
大きい冢を作ったの説明ではなく
大いに冢を作るの説明だから冢の径ではない。
0100ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 20:01:00.90ID:+/RjJ9rK0
>>53
@について
23にコピペが貼ってあるけど、鉄に関しては時期別に比較するとこんな感じになるだろう

公孫氏時代   九州>畿内
魏との外交時期 九州=畿内
古墳時代前期  畿内>九州

九州優位であったのは公孫氏の時代までで、魏との外交時期には九州の優位性はないよ
鉄は長期間使用されるものだし、入手時期と出土時期にタイムラグがあるから、公孫氏時代のどこかで畿内が九州を上回ったと思うけど

Aについて
>4月 魏軍が帯方郡を落とす

別動隊が帯方郡に派遣されたのは、景初年間のいつかは書かれてないはず
常識的に考えれば、別動隊は司馬懿の軍と同時に動き始めて、公孫氏の背後を攻略したとみなすのが現実的だろう
少なくとも、景初2年6月以前に帯方郡が魏に落とされたという根拠はないよ
したがって、卑弥呼の使い景初2年説は現実的ではなく、通説通り景初3年が妥当だろう
景初3年なら、北部九州から水行二十日、水行十日陸行一月かかる畿内からでも日程に無理はないよ
0101ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 20:01:21.77ID:Zo4BMpR60
>>95
銅鐸時代から鉄時代に移行 九州と逆転する。
欠史八代の時代と思う。
開拓が進み、残土利用して古墳を巨大化。
災害対策、非難地、盛り土と多目的
0102ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 20:01:26.41ID:D+rCjwDp0
>>85
あとで神社にでもしちゃえば分かりようもないし。
現存する古墳という形の物に当てはめるという発想自体が予断そのものでしかないんだよね。
0103ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 20:12:00.83ID:WbQOAeGPO
>>88
卑弥呼の墓が箸墓古墳で日本最初の巨大古墳だとすると、
いきなり最初に日本で五番目に大きなのを造ったことになるけど
そんなおとぎ話を信じる人がいるんだろうか。
0104ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 20:13:08.93ID:BRDOu5EL0
記紀批判として、欠史八代がせいぜい、190年までじゃないと納得いかないけど
卑弥呼が死んだ247年まで、後に大和朝廷になる日本は、九州は統合してない。

これは、歴史の真実だろ?
0105高篠念仏衆さん
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2020/10/23(金) 20:20:54.84ID:bodMkOLn0
本当かなあ?
日本側資料がない記述は
信頼度ゼロ
支那は分裂時代

366年
斯摩宿禰を卓淳国(現在の大韓民国慶尚南道昌原市)に派遣(『日本書紀』)
369年
百済と結んで新羅と戦い、任那の支配に成功(『日本書紀』の所伝)』
371年
百済の近肖古王が高句麗と戦って故国原王を戦死させる。
372年
百済の王が倭王に七支刀を贈る。
383年
淝水の戦い - 前秦が東晋に大敗し、華北は再び争乱状態に陥る。
391年
倭の軍が高句麗・新羅の軍を破る(高句麗好太王碑文)
404年
倭軍、帯方に進出するも高句麗に敗北(広開土王碑)
413年
倭王讃、東晋に使者を派遣し方物を献上(『晋書』)
414年
高句麗で長寿王が広開土王を顕彰する広開土王碑を建立した。
416年
現在の奈良県北部か大阪府南東部で地震が発生(日本で資料として記録されている最古の地震。規模・被害は不明。『日本書紀』)
421年
倭王讃、宋に使者を派遣し武帝より除授される。(『宋書』)
0106ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 20:22:11.51ID:Zo4BMpR60
>>104
大和政権と別ものだよー。
九州あたりの30国の連合、すぐ争いが起こる程度の結びつき。強い中央集権は、ずーと後の話
0107高篠念仏衆さん
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2020/10/23(金) 20:23:58.83ID:bodMkOLn0
🇯🇵日本書記に書かないってどう言う事w
0109ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 20:29:14.10ID:3oIoEe+J0
150mの墓を造ったってあるんだから
それを探せばいいんじゃん!
0110ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 20:34:29.65ID:BRDOu5EL0
>>105
史実は残ってるのに日本側史料って?
考古学学者が認めないと、邪馬台国は無かったのかな?

三国志の魏志倭人伝は、そういう話は、してないwww
邪馬台国は、普通に文献上の筑紫に有りました。

歴史資料の南を東にしないと、
文献のローカル王宮の場所が、畿内にならないの? 
何それ? 無意味。
0111高篠念仏衆さん
垢版 |
2020/10/23(金) 20:44:27.17ID:bodMkOLn0
信頼度不明

425年
倭王讃、司馬曹達を宋に派遣し上表して方物を献上(『宋書』)。
427年
百済の第19代王・久尓辛王が死去し、長男(第18代・腆支王の庶子ともいわれる)が第20代・毗有王として即位。
高句麗の長寿王が、国内城(現在の中国吉林省集安市東郊)から平壌へ遷都する。
438年
倭王珍、宋に使者を派遣。安東将軍に任命される。
443年
倭王済、宋に使者を派遣。安東将軍に任命される。
451年
倭王済、六国諸軍事などに関する号を宋より加授される(宋書)
456年
眉輪王の変(日本書紀)
462年
倭王興、宋に使者を派遣。安東将軍に任命される
463年
吉備田狭の乱(『日本書紀』)
百済から日本に陶工・画工が伝わる
478年
倭王武、宋の順帝に上表文を奏上。「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事・安東大将軍・倭王」に任命される(宋書倭国伝)
479年
倭王武、斉に使者を派遣。鎮東大将軍に任命される(『南斉書』)。
宋の順帝が蕭道成(高帝)に禅譲。宋が滅亡し斉が成立。
0112ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 20:51:52.33ID:52kw9Jcd0
>>100
>九州優位であったのは公孫氏の時代までで、魏との外交時期には九州の優位性はないよ
そうやってすぐバレる嘘をつくから畿内説が惨敗を喫したのだとまだ分からんのかw
当時弁韓からの輸入品だった鉄の流通を支配していたのは北部九州の海人・安曇族で
海人族と縁の薄い奈良盆地内は海人族の来ていた大阪湾岸よりも鉄が少ない


> 825 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 22:55:12.63 ID:d3rkd5G50
> 弥生時代の鉄分布と北部九州を代表する海人族阿曇の分布がよく一致する
> 鉄は海人族とともに九州からやってきたんだな
> http://inoues.net/tango/tango_z1.jpg
> http://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg


> 828 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:01:52.61 ID:yQGATf5S0
> >>825
> 福岡の1621に対して奈良の13が光るねwwww
>
> そこから読み取れるのは、奈良は九州を支配するどころか近隣の山城や河内さえ支配できてなかったってことだな
> そして4世紀以降急に発展するのは九州の海人に征服されてその東国攻略の前線基地になったおかげ、と
0113ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 20:55:07.80ID:dbcI9WNE0
前スレからバカ消してたらこのスレ10レスくらいしか見えなくなってやんのw
大爆笑
アホが張り付いて珍妙なこと叫んでるんだろうなぁ
0116ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 21:18:34.67ID:52kw9Jcd0
>>109
倭人伝(というか東夷伝全体)は1里=75メートル程度で記されている
1里=300歩なので、径100歩は25メートルくらい
0117ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 21:19:22.12ID:lfe2klmj0
>>55
記紀って、天皇が百歳以上も生きたとかいう、あのトンデモ本?
0118ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 21:25:20.57ID:lfe2klmj0
>>1
邪馬台国との位置関係

 【もっと北】   朝鮮半島 (狗邪韓国) 
 【北】      九州北部 (対馬国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国)

 【女王国】   邪馬台国     

 【南】       狗奴国
0119ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 21:28:11.09ID:Zo4BMpR60
>>118
奴国が二度登場する
女王の尽きる所に奴国、その南に狗奴国
と読んでいる。
0120ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 21:46:48.90ID:TPNBREmp0
>>102
実際潰されてしまった古墳も多くあるし、古墳だったことを忘れ去られてる小高い丘もありますからね
0121ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 21:47:28.15ID:BnUi+qNY0
>>100
@実際に鉄に関して時期別に比較すると
公孫氏時代   九州>畿内
魏との外交時期 九州>畿内
古墳時代前期  畿内=九州
出土品から九州に畿内が追い付くのは古墳時代に入ってからだ
願望だけで書くなよw
0122高篠念仏衆さん
垢版 |
2020/10/23(金) 21:50:41.27ID:8U1GeGAZ0
502年
倭王武、梁に使者を派遣。征東将軍に任命される(「梁書」)。
512年
倭が朝鮮半島内の領土・任那4県を百済に割譲
513年
百済から五経博士が来る
527年
近江毛野が軍を率いて新羅に攻められた任那の失地回復に向かう(後述の磐井の乱の始まり)。
筑紫国造・磐井が反乱
528年
物部麁鹿火が磐井の乱を平定
529年
近江毛野を朝鮮半島に派遣
532年
任那の金官伽倻が新羅に降る。
534年
孝武帝が毒殺され、北魏が滅亡する(代わって翌年1月、文帝が西魏を興す)。
武蔵国で国造の地位を巡る内紛があったとされる(武蔵国造の乱)。
535年
諸国屯倉26ヶ所を設置
北魏が東魏と西魏に分裂
537年
大伴磐・大伴連狭手彦らを任那救援に派遣
538年
仏教公伝、百済の聖王(聖明王)、仏像と経論を倭に献上(「上宮聖徳法王帝説」・「元興寺縁起」、552年との説あり)
540年
大伴金村、任那問題を巡り失脚
渡来人(秦氏・漢氏)の戸籍を作成
552年
仏教公伝 - 百済の聖王(聖明王)、仏像と経論を日本に献上(「日本書紀」、538年との説あり)
(上に関連して)蘇我稲目と物部尾輿による崇仏論争が発生
554年
百済の聖王、新羅と戦い敗死(日本は佐伯連が百済救援に参加)
557年
陳が梁の皇帝から禅譲され建国
北周が西魏の皇帝から禅譲され建国
562年
新羅が大伽耶を滅ぼす
0123ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 21:53:17.63ID:9b2fKbT10
>>117
聖書だけじゃなくて世界中の書物の中で100歳以上生きた記述はたくさん出てくるぞ
百歳以上生きた記録がトンデモと言うのなら聖書にケチつけろよ
逆にお前がアホだのバカだの言われるのが落ちだがな
0124ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 21:57:07.58ID:9b2fKbT10
>>89
確かに
100人埋めたんだから大きな穴だったのは間違いないと思うけどね
0125高篠念仏衆さん
垢版 |
2020/10/23(金) 21:57:33.99ID:8U1GeGAZ0
570年
福岡県福岡市西区の元岡古墳群G6号墳に納められた象嵌入り鉄製大刀に、「大歳庚寅正月六日庚寅」の日付が現れる(2011年9月21日、福岡市教育委員会発表)。「大歳庚寅」は西暦570年にあたり、1月6日 (旧暦)は、ユリウス暦の1月27日である。これは暦使用の実例としては日本最古の文字であり、宋からもたらされた元嘉暦だとされている。
574年
中国、北周において、武帝による廃仏が断行される(三武一宗の廃仏の第2回目)。
577年
百済から造仏・造寺工が伝わる
北周が北斉を滅ぼす
578年
現存する世界最古の企業である金剛組が創業。
580年
北周の宣帝が、仏教を復興する
袁聿修は北周の東京司宗中大夫となった。
581年
隋が北周の皇帝から禅譲され建国
開皇律令の成立
『歴代三宝紀』の撰者・費長房が、翻経学士となる
583年
隋で、九品官人法が廃止される
突厥が東突厥と西突厥に分裂
584年
智が陳の都建康に出て、光宅寺で『法華文句』を講ずる
585
4月5日(敏達天皇14年3月1日) - 仏教排斥を唱える物部守屋が、疫病の流行が原因が仏教崇拝にあると奏上。
10月3日(敏達天皇14年9月5日) - 第31代天皇・用明天皇が即位。
後梁の後主が即位。
586年
疫病が流行し、物部守屋が仏殿を破壊
587年
7月 - 蘇我馬子、厩戸皇子らが物部守屋を滅ぼす(丁未の乱、物部守屋の変)
隋の晋王、大運河の一部、邗溝を開削。
隋の文帝、官吏登用試験科挙を導入。
588年
『書紀』によれば飛鳥の邸宅を壊して法興寺を建立した
589年
2月2日(禎明3年/開皇9年1月12日) - 隋が江南の陳を滅ぼし、中国を統一。
0126ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 21:59:18.45ID:BnUi+qNY0
>>116
>倭人伝(というか東夷伝全体)は1里=75メートル程度で記されている

自分も最初は1里=75メートル程度と考えていたが1里=80メートル程度か、それより少し長いかも

>1里=300歩なので、径100歩は25メートルくらい

これには反対だな
径100歩は魏の時代に張政が倭で見て報告したものだから魏の定めた歩で報告しているはずだ
里は公孫氏時代に公孫氏の定めた里で計測した資料を帯方郡で魏が押収し
その中で使われていた数字からの転記だとしか考えられない。
0127高篠念仏衆さん
垢版 |
2020/10/23(金) 22:00:33.84ID:8U1GeGAZ0
日本書記に記述ある項目は
信頼度ある。
0128ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 22:01:09.10ID:9b2fKbT10
>>117
BC660年の初代神武天皇だからな
普通に系図の欠損による年齢の加算の可能性が大だな
つうか普通に日本人が日本人の日本書紀をトンデモ扱いするか?
0129ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 22:01:17.19ID:BnUi+qNY0
>>124
殉葬者を女王の冢に一緒に埋めたのではなく
少し離れた場所に埋めたんだ。
0130ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 22:01:52.80ID:BRDOu5EL0
奴国の重複は
247年張政の行程の伊都常駐までの他に、檄告諭の奴国王と接見の話。

240年建中校尉梯儁が倭人音の国名を聞き、漢字の国名にした
7万戸の、参問邪馬台国構成国、21国に奴国が含まれている、と言う話。

陳寿は、240年と247年の2回の魏の使譯の記録を倭人伝にした。
これは、東夷伝序文と、評曰を読めば判る。
0131ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 22:09:32.21ID:lfe2klmj0
>>128
普通の知能を持った日本人なら記紀がトンデモ本だってことは分かるだろ。
トンデモ本だから、それまでにあった、都合の悪い書物を全て焚書したんだろ。
0132ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 22:11:49.34ID:9b2fKbT10
>>131
トンデモのアホはお前だぞ
系図の損失による年齢の加算の意味わかってんのか?
0134ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 22:19:55.16ID:lfe2klmj0
>>132
系図の損失じゃないだろ。
歴史を古く見せるために、紀元を辛酉革命の年にあわせたら、代数との辻褄がわ無いから百歳以上生きたことにしたんだろ。
0135ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 22:25:16.28ID:9b2fKbT10
>>131
在日のお前はよ、ちゃんと考えてから喋れ、一々日本の歴史に口挟み込むな
645年に発生した乙巳の変において蘇我蝦夷の自害による放火で『天皇記』『国記』は焼失してんだがな
0136ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 22:25:44.73ID:lfe2klmj0
>>128
聖徳太子とかも、旧天皇家である蘇我氏の業績を一人に集約したから、
あんな、トンデモなスーパーマンになったんだろ。近年ようやく見直されたけど。
0137ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 22:27:02.89ID:BRDOu5EL0
現存しない? 
魏志倭人伝は無いので
日本に現存の魏志倭人伝は、ほぼ間違い無く読める。

ほぼと言うのは、一大国は一支国かも? 程度で、
南を東みたいな、ミスリードは有り得ない。

ママで全文解読できないなら、論争が無意味。
おまえらって、マヌケな日本の考古学者なの?
0138ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 22:27:22.94ID:9b2fKbT10
>>134
勝手に決めつけんなよ
そもそもな日本書紀も古事記も元となった原本は焼失しているからな
0139ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 22:27:58.24ID:lfe2klmj0
>>135
そのとき『国記』は消失してないだろ、その後、後世に残すと都合の悪い誰かが焚書したんだよ。
0140ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 22:29:19.56ID:+/RjJ9rK0
>>121
23に県別の鉄器出土のコピペが貼ってあり、ざっくりとした計算だが、魏との外交時期の鉄器の出土数を推測してみる

福岡県は弥生時代から古墳時代にかけて鉄器はほとんど増えないので、
グラフにある3世紀初めから中頃の出土数を単純に4等分する → 100程度

奈良県はほとんどが3世紀中頃の出土なのでグラフの数字そのままと仮定 → 100程度

魏との外交時期での鉄器出土は、奈良県も福岡県も差がないと推測できる
福岡県の数字は奴国や伊都国の出土を含んでいるのでそれらを除いたら、奈良県の方がむしろ多いかもしれん

そして古墳時代前期になるとこうなる
弥生時代の鉄器出土は数の上では鉄鏃みたいな小さなものが多かったが、
このグラフは刀剣類の数だから鉄の総量としては大和が圧倒してることがわかる
https://i.imgur.com/aNlfjez.jpg
0141ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 22:32:19.94ID:lfe2klmj0
>>135
蘇我氏が天皇家だから、国記と天皇記を所有してた。
残念なことに、日本書紀をでっち上げた一族によって、それらの書物は焚書されてしまった.。
0142ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 22:33:49.69ID:lfe2klmj0
日本書紀以前にあったと思われる記録

「帝紀」(「帝皇日継」・「先紀」・「天皇記」)
「旧辞」(「本辞」・「先代旧辞」・「上古諸事」・「国記」)
「国史」(ふみひと)
「四方志」(よものふみ)
「旧本」(ふるふみ)
「日本旧記」(にほんきゅうき)
「譜弟」(かばねのついてのふみ)
「帝王本紀」(すめらみことのもとつふみ)
「帝記」(すめらみことのふみ)
「墓記」(おくつきのふみ)

全て焚書されてしまって、日本の古代史をわからなくしている。
0143ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 22:35:15.49ID:Zo4BMpR60
>>142
墳丘、古墳等から出土するといいね。
0144ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 22:35:56.41ID:BRDOu5EL0
国記、天皇記の焼失は本当に痛い。
でも、これを否定するだけでホントの日本の歴史は消せるか?

700年まであった、古墳に、文字が残せないのか?
記紀の為の、盗掘焚書は、日本全国相当な規模であった。

稲荷山古墳の鉄剣の見落としは致命的なんじゃねwww
0145ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 22:41:29.77ID:BnUi+qNY0
>>142
8世紀の記紀編纂以前の書物が何も無いのは異常だよな
焚書しないとこんな事にはならない
文字の使用開始は紀元前後くらいからで
5世紀には日本列島全体に普及してたみたいだからな。
0146ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 22:42:03.97ID:m3R0c0Zb0
>>141蘇我氏が天皇家って…
0147ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 22:44:08.19ID:+/RjJ9rK0
>>121
>古墳時代前期  畿内=九州

これって根拠も証拠も何もなく、九州説ごり押しするために出まかせの嘘を書いたんだよな?
23に貼ってあるコピペにも、寺沢氏のコメントとして3世紀後葉以降は九州と近畿の鉄器量は逆転すると書かれている
0148ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 22:44:31.67ID:9b2fKbT10
>>139
天皇に献上された国記も焼けて少し欠けていた
そもそも朝廷内の歴史書がほぼ焼かれた状態だった
だから当時の記紀の参考にされた古文書は外部に存在した写しだった
当然完全ではないもの
逆に豪族の古文書には既に朝廷の国記や天皇記を改ざんしたものがあった

だからお前が言うような焚書はないぞ

そして確かに記紀には都合のいいように改ざんされた形跡があるが
それはお前が考えているようなものではないからな
0149ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 22:46:41.13ID:9b2fKbT10
>>145
いやたくさんあるぞ
その存在をお前が知らないだけ
それに日本書記には引用した書物の名前が書かれているケースがあるのをお前が知らないだけだろう
0150ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 22:48:43.98ID:9b2fKbT10
>>142
古い書物は今のようにコピー機があるわけでもないからな
写しがなければ原本が焼失した時点で失われてしまうのさ
0151ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 22:49:07.51ID:D+rCjwDp0
>>133
ややこしい字体の壱と台のはるか後世の誤刻とか周知のはあるね。
他にもありうるけど、不注意な薄らバカがボロボロ書き間違えたとかは無理筋だろう。
0152ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 22:49:39.47ID:l5yDKZsH0
九州でしょ
ヤマト王権と関係あるなら古代の段階で何とか天皇と比定してるはず
むしろ黙殺してるってことは関係ないってこと
0153ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 22:53:46.52ID:BRDOu5EL0
文字の話、
焚書と言うか、古墳は250年以降なんで
57年の金印でも良いけど、文字の存在は、絶対あった。

普及は七支刀、阿直岐の350年以降でも良いと思うけど?
倭の五王の400年以前なのは、間違いないんだよ?

記紀の万世一系の為に
700年以前を焚書って、スゴイよねwww
0154ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 22:56:53.45ID:Pg7z0Ctx0
前方後円墳は中国人の指揮の元築造された物、倭人では当時造れない。邪馬台国と呼ばれた卑弥呼は中国の巫女。
0155ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 22:58:17.14ID:lfe2klmj0
>>152
神武東征の話は、天皇家が、天孫降臨の地である九州から来た、天孫の子孫であるということを主張する重要な部分。
わざわざ記紀にそう書いたということは、倭国の正当な支配者を名乗るには、九州から来たとする必要があったということ。
0156ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 22:58:51.79ID:Zo4BMpR60
>>146
蘇我氏 魏志倭人伝で言う蘇奴国、華奴蘇奴国、討蘇国の出身とか?
0157ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 22:58:59.19ID:BRDOu5EL0
日本史の基礎知識として記紀成立の700年に、
それ以前の文字の焚書が有ったはず、
ってのが、すごく重要。
0158ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 23:00:15.31ID:zQiUhW/n0
> 畿内説では、三角縁神獣鏡など3世紀の銅鏡が多数出土し、纏向(まきむく)遺跡(奈良県桜井市)一帯の前方後円墳が列島では最古とされることなどが根拠となってきた

畿内説の根拠は結局、三角縁と纏向しかないのか?

「三角縁は中国で出土されない=国産」
「纏向の卑弥呼の墓である根拠が
魏志倭人伝の「卑弥呼は死を以て大きく家を作った」
というだけで、そもそも墓だと言ってないし
墓のことだとしても、同時期の古墳なら九州にもある」
で根拠薄弱なんだが
0159ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 23:01:15.93ID:WMgd6guH0
>>157
そうしてそれはタブーに当たるので、まっとうな学者は言及すら出来ないという現状
日本で学問は無理だわなあ
0160ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 23:03:54.07ID:9b2fKbT10
>>153
七支刀は鉄剣だからな
和紙でも寿命は100年以上はあるが1000年くらいだぞ
写しを作成しなければ現代まで持たないだろよ

記紀のための焚書とかそれこそお前の頭の中だけの妄想だろうよ
0161ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 23:07:03.00ID:Zo4BMpR60
その纏向遺跡も3世紀前後までは、土木工事の形跡のみ。桃の種、カエルとか地鎮祭みたいなもん?4世紀で渡来人の居留地。
0163ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 23:13:47.13ID:D+rCjwDp0
>>158
世界皇帝様が属国に下賜するならコテコテの国産品以外あり得ないからね。
明らかに当時の当地のタイプ以外は論外でしかない。
というより、魏から貰った鏡を貴重な物として後生大事に抱え込むことをしてない別の筋とせざるを得ないだろう。
塚については必ず当時のまま保存されて残存してるという根拠はない。
0164ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 23:16:10.67ID:BRDOu5EL0
おまいらには、難しい話かもしらんけど・・・
国産三角縁神獣鏡は、当初九州が作った。

何故、呉の鏡師か? 
半島の公孫氏は呉と結託したから魏が滅ぼした。

筑紫が、中央進出で吉備や淡路や近江に
銅鏡の製造所を持ってくのは当たり前w

魏から卑弥呼への銅鏡100枚は漢鏡。 

魏には、青銅が無く、曹氏は鉄鏡なんだよ?
日田で出た、曹氏鉄鏡が謎なんだろ?
0165ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 23:19:05.78ID:D+rCjwDp0
>>154
中国人が指揮って、中国のいつのどこの様式を写したっての?
0166ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 23:20:05.99ID:yoYO+nTs0
>>164
強いデンパが飛んでますよ
0167ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 23:23:56.51ID:PjvpDp4H0
>>140
>福岡県は弥生時代から古墳時代にかけて鉄器はほとんど増えないので、
>グラフにある3世紀初めから中頃の出土数を単純に4等分する → 100程度

根拠が全く無いw
こんなインチキしか出来ないのが畿内説(笑)なんだよな
0168ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 23:26:23.88ID:DU/gG60D0
>>155
神武東征は古墳時代大和政権内での常識で、消すことができない真実だったと思うかな。
しかし、九州北部勢力が天孫族の本流である事実は消しておきたかったってのが
記紀編纂の目的だったと考えるかな。
九州北部が併合されたのは古墳時代末期で、
それ以前に併合されてた地域はその事実を知らなかったから可能だったとか。
0169ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 23:26:37.28ID:PjvpDp4H0
>>140
>奈良県はほとんどが3世紀中頃の出土なのでグラフの数字そのままと仮定

ハイ間違い
>>112の通り弥生末期の卑弥呼の時代には奈良にはほとんど鉄器は存在しません
年代を捏造した資料を使っちゃ駄目だよ
0170ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 23:28:39.60ID:BRDOu5EL0
>>166
反省を望む。 

倭人伝、原文の解説なら
5ちゃんで、いつでも可能。
聞いても良いんだよw
0171ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/23(金) 23:30:08.26ID:DU/gG60D0
>>156
百済から伝わった仏教を重宝する辺り、
九州北部勢力と太いパイプを持ってた感じするよな。
出雲-北陸勢力と敵対してた感が半端ない。
0172ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 23:31:14.04ID:N/ivybL90
邪馬台国は熊本〜阿蘇のだろ、そこは本来狗奴国の有力な比定地の一つだけど
実は熊本平野〜阿蘇こそが邪馬台国で、熊本平野より南が狗奴国(本拠地は球磨地方)だと思う
それらをふまえると卑弥呼は熊襲の女だね
縄文の古より九州全域を版図していた熊襲が理由は知らんけど北南に割れたんだろな
北熊襲の邪馬台国は主に北部九州の国々を武力を背景に支配
九州より東方の国々は出雲を使っての間接支配、南熊襲の狗奴国は邪馬台国に対抗
姫氏の本家筋も熊本で(分家筋は漢委奴国)やはり九州の支配者は九州の中心にいたんだよ
まあでも邪馬台国と同盟関係にあった投馬国(日向族)が狗奴国に寝返えるまでの間だが
0173ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 23:32:04.84ID:PjvpDp4H0
>>147
>23に貼ってあるコピペにも、寺沢氏のコメントとして3世紀後葉以降は九州と近畿の鉄器量は逆転すると書かれている
寺沢氏は畿内説の人間だから畿内説に不都合なことは無視してるんだよ
その文章には「定型化した前方後円墳からの大量出土により」と書かれているけど
定型化した前方後円墳のうち最古とされるホケノ山古墳でさえ科学的調査では4世紀の古墳だ

http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku277.htm
> 『調査概報』の年代を見た近畿説の考古学者は、ホケノ山古墳の年代をさまざまな理屈を付けて古く持っていき、
> これが卑弥呼の年代と重なると述べるようになった。
>
> しかし、今回の2008年の研究報告書では、ホケノ山古墳についてかなり新しい年代が報告された。
> 今回の報告書は、樹齢が15年ぐらいの細い木を測定対象として、いわゆる古木効果が入らないように注意深く試料を選んだ。
> これだと、再利用したものではないし、風倒木でもないと言えるので、炭素14年の誤差も15年以内に収まる。
>
> 小枝からとった試料No.1の2σ暦年代範囲は250〜400calAD(95.4%)、 試料No.2の2σ暦年代範囲は320〜420calAD(81.5%)と
> 250〜300AD(13.9%)である。
(中略)
> この結果は、ホケノ山古墳の年代が卑弥呼の時代の3世紀中頃よりも、かなり新しく4世紀後半であることを示している。
> 『調査概報』のデータを見て、ホケノ山古墳の年代を卑弥呼の時代まで遡らせる主張をしてきた考古学者たちは、はしごを外された恰好になった。
0176ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 23:37:01.25ID:N/ivybL90
>>175
熊襲は、縄文と楚のハイブリット
0177ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 23:45:03.08ID:p1i3gj870
投馬国 殺馬国 薩摩国になる
0178ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 23:48:04.75ID:D+rCjwDp0
>>173
初めに結論ありで小保方ってたのが致命的だったというこったね。
0179ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 23:48:32.91ID:bL+HpSob0
最近熊本説を見かけるようになって嬉しいねw

道程も放射読みを必要とせず無理がない
弥生期の鉄器も豊富
奈良時代九州最大の人口

熊本説で研究を重ねたらきっとゴールするよ
0181ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/23(金) 23:59:24.75ID:DU/gG60D0
>>179
熊本も放射説でないと厳しい位置だと思うけどな。
0183ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 00:02:58.29ID:12JG1lLm0
伊都国から水行半月くらいで着きそう。
0184ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 00:10:05.81ID:A+GuQaBb0
日本の記紀を素直に読めば

畿内の【邪馬台国】「親魏倭王」と、出雲の【葦原中国】「出雲主王」の連合国を

九州の【倭奴国】「三十二代 漢委奴国王」天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命の四男坊の

天(津)皇(子)の神武が東征した

という話だよ
0185ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 00:15:05.09ID:12JG1lLm0
>>184
記紀を素直に読めば、高天原の連中が出雲になしつけてくれて、
日向の王子一行が奈良盆地の一部に居座っただけのようにしか読めんけどな。
0186ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 00:18:19.36ID:A+GuQaBb0
皇統を重視すると

葦原中国:古代出雲
構成:島根県東部から鳥取県西部の複数の国々
首都:出雲国(伊都国)
初王:大国主
九州海神国王の伊邪那岐神と伊邪那美神から産まれた13番目の子の大山津見神の6世孫
古代奈良の高天原と戦闘の末、天照大神(卑弥呼)に植民地にされる


高天原:古代奈良
構成:紀伊半島を中心に、西は大阪から東は長野までの複数の国々
首都:邪馬台国
初王:天照大神(卑弥呼)
九州海神国の伊邪那岐神と、伊邪那美神ではない誰かとの間に産まれた一番目の子
植民地にした古代出雲「葦原中国」から、240年に魏(220年 - 265年)に朝貢し「親魏倭王」の称号を賜り、「漢委奴国王」に代わって倭国王となる


海神国:古代九州【倭奴国】
構成:九州全土の国々
首都:筑紫城
初王:天之御中主神
日本最初の政権で、全ての政権の祖
何代目かの九州海神国王が、後漢(25年 - 220年)から57年に「漢委奴国王」称号を賜り倭国王となるが
240年に倭国王の座を、高天原(古代奈良)の邪馬台国の天照大神(卑弥呼)に奪われる

その後、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(彦瀲)海神国王(漢委奴国王)の時代に四人の皇子が東征

第4皇子の神武が、葦原中国(古代出雲)と高天原(古代奈良【邪馬台国】)を制圧し
天(津日高日子波限建鵜葺草葺不合命)皇(子)として統治する
0187ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 00:33:10.40ID:v70K5Yq40
最も分かりやすい図

O1b2(L682) 朝鮮人固有の遺伝子
https://i.imgur.com/xCNnz9W.png
0188ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 00:34:00.73ID:A+GuQaBb0
中国の皇帝に、代々【倭奴国】として広く認知されていた、九州の筑紫城王権は、

初代の「天之御中主神」から
 高御産巣日神
 神産巣日神
 宇摩志阿斯訶備比古遅神
 天之常立神
 国之常立神
 豊雲野神
 宇比邇神・須比智邇神
 角杙神・活杙神
 意富斗能地神・ 大斗乃弁神
 淤母陀琉神 ・阿夜訶志古泥神
 伊邪那岐神・伊邪那美神

ときて、

伊邪那岐神・伊邪那美神は、息子の大綿津見神(豊玉彦)に九州の筑紫城王権を譲位していた

のだけれども

伊邪那美神の死亡後に伊邪那岐神は、出雲と伯耆の堺近辺の「根之堅洲國」出身の女性との間に、天照大神・月読命・建速須佐之男命の2女1男の三人の子供を授かって、

歳をとってからの子供は可愛いとばかりに溺愛しだし、
すでに九州の筑紫城国王だった息子の大綿津見神(豊玉彦)よりも

この三人の天照大神・月読命・建速須佐之男命に
【倭奴国】つまり、九州の筑紫城王権を継がせようとしたところから、話がややこしくなっていくんだわ
0189ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 00:36:12.98ID:Csz+TJyZ0
>>173
ド素人の同好会のコピペで、専門家の研究結果に難癖ですか?

『古墳出現期の炭素14年代測定 』
https://rekihaku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&;item_id=1889&item_no=1&attribute_id=22&file_no=1

纒向周辺では100の試料で年代測定をしている
ホケノ山古墳の年代が3世紀中頃というのは、専門家が100の試料の測定結果を総合的に判定した年代と整合性がある

振れ幅の大きい測定方法なので、精度の問題か試料汚染かわからんが、
異常値のような2つを持ち出してきて、残りの98の測定結果を無視しての反論に合理性はない

C14年代測定法は専門性の高い分野であり、知識のないド素人が口出しする分野ではない
0190ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 00:39:14.98ID:5rh9OZDJ0
>>151
「中國哲學書電子化計劃」というサイトで見たんだけど、
『魏書』の「白珠五千」が『太平御覽』では「白珠五十」になっているらしい。
やっぱり、「五千」は多過ぎるよね。
0191ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 00:40:57.34ID:12JG1lLm0
>>187
四国人と同系統の遺伝子が陸奥・道南・道央はもとより
さらに道東から千島列島・アリューシャン列島・アラスカ・アメリカ西海岸まで
伸びてるはずだと思ってたけど、意外な結果やな。
0192ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 00:50:13.18ID:mDmPFSDb0
魏志倭人伝の九州説支持記述

・九州(末蘆国)についてから「渡海」の記述がない
・女王国の東の渡海先に倭人の国があるが
 近畿説だとおかしい
・女王国から東に陸行する記述がなく
 いきなり渡海してるので
 女王国は海に接してるぽいが
 纏向周辺を女王国とするとおかしい
・倭人は酒を好むとされてるが、
 渡来系の多い近畿人は酒に弱く
 縄文系な九州人は強い
・九州(末蘆国)につくまでで
 女王国への旅の8割終了(12000里中、10000里)であり
 近畿説だとおかしい
・倭人が鉄鏃を使ってるとされてるのに
 弥生時代近畿に鉄鏃の出土がほとんどない
 (北九州にはたくさん出土する)
・倭人は養蚕してたとされるのに
 弥生時代近畿に絹の出土がない
 (九州では出土する)

銅鏡以外はほぼ九州説を支持することしかないんだよな
0193ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 00:50:13.29ID:12JG1lLm0
原住民と混血を繰り返す間に薄まってもたんかな。
0195ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 00:57:18.53ID:12JG1lLm0
>>194
陸続きでないことが記述されてるだけで、陸行のことわざわざ書いてないだけちゃう?
0196ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 01:06:34.61ID:v70K5Yq40
古墳を作った勢力と、後の大和朝廷は別勢力。
日本書紀には、古墳を造った記録が殆どない。あんな大事業なのに。
0197ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 01:14:18.41ID:Csz+TJyZ0
>>192
魏志倭人伝は魏志邪馬台国伝ではない
魏志倭人伝は邪馬台国旅行記ではない
したがって、酒や鉄鏃や絹など、倭人の風習や倭国の産物はどの地域のことか不明であり邪馬台国とは無関係
里数は明らかに間違っている
参考までだけど、2000里は約870kmになる

邪馬台国の位置は、魏志倭人伝の中で邪馬台国について書かれた部分を重視して判断しなければならない
0198ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 01:16:16.39ID:12JG1lLm0
>>196
単なる日常業務だったんちゃう?
0201ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 01:21:58.02ID:12JG1lLm0
>>197
距離をちょろまかしてんのは明白やからな。
目的をもってちょろまかしたんなら、その距離に整合するように
他の記述もちょろまかしてる部分がある可能性大やろけどな。
0202ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 01:25:52.25ID:3t877PFk0
>>197
そんじゃ郡から狗邪韓国まで7000余里って書かれてんだけど
その計算だと3000kmほど離れてることになるんだけど
狗邪韓国はどこにあったんだ?それとも数字は一切無視?
0203ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 01:30:34.27ID:Pdt8bBQMO
皇統と邪馬台国が無関係なら話は簡単に繋がる 天皇家が政権を握ったのが継体天皇以降の話であるのなら
0204ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 01:32:00.39ID:12JG1lLm0
>>200
魏の役人が直接自分の目で確認したんなら、伊都国にある可能性が高まるんかもしれんな。
0206ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 01:42:02.48ID:mDmPFSDb0
>>195
その可能性もないとは言えないけど
対馬や壱岐を「国」とするような小規模な社会の時代に
熊本〜九州東岸の間に女王国しかないとは考えづらい

>>197
まあ倭の一地方だけの話をしてるのかもしれないけど
「その道里を計るに、まさに会稽、東冶の東に在るべし」の直後に
「その風俗〜養蚕する、鉄鏃」とあるので、
文脈的に女王国を含んでないとは考えづらい

いくら当時の里数表記がおかしくても
「九州についたら大体、旅は終わり!」と当時考えられてたら
近畿説の可能性は低いだろ
0207ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 01:48:39.90ID:WULK+59V0
オードリー・タン「日本人は未来に住んでいるようだった」。台湾の天才大臣が語った来日時の記憶 【インタビュー全文:その1】
http://koiert.likudliberal.org/h202010/news/15Kva6kLt2.html

「なんで働かないといけないんですか?」と聞いた学生への、とある経営者の回答。
http://koiert.likudliberal.org/202010/news/U6a19DO2w5.html
0208ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 01:50:22.66ID:12JG1lLm0
>>206
既に列挙した国々のいくつかがあると考えていいんじゃないかとも思うけど。
まあ、それ以南に狗奴国を否定するのが難しくなるから、
僕も熊本じゃないんじゃないかとは思ってるけど。
0209ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 01:53:01.53ID:Qgoy/3ss0
「女王国」には、
女王が統治する国=倭国
女王が住んでる国=邪馬台国
の二つの使い方があるんでないの
0210ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 02:02:32.70ID:Csz+TJyZ0
>>206
絹が出るところが邪馬台国の条件なら、弥生時代後期に九州で絹が出るのは福岡市だけ
だがそこは奴国
したがって、九州には邪馬台国候補地さえないことになる
ちなみに纒向からは九州のより高品質の絹が出ている

鉄鏃なら奈良のホケノ山古墳から大量に出る
邪馬台国が魏と外交をやってた時期の九州で、ホケノ山古墳を上回る出土はないだろ?
あるならどこ?

「九州についたら大体、旅は終わり!」と当時考えられてたら、とはどういう意味?
邪馬台国は、不弥国から水行二十日、水行十日陸行一月かかると書かれているんだが
0213ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 02:27:58.31ID:3t877PFk0
なにかと君はド素人と専門家を分けたがるが、専門家でさえたぶん3世紀中ごろから
4世紀前半だろうと言ってるんだが、その専門家も嘘つきってことか
こりゃたいしたド素人先生が居たもんだw
0214ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 02:29:35.48ID:A+GuQaBb0
>>192
国王(天皇)が自ら言うには

初代の国王は「天御中主ヶと名乗り、「彦瀲」に至るまで、およそ三十二代とされている

彼らは皆、尊(みこと)を尊称として、筑紫城に存在していた

を否定できないと九州説は成り立たない
0216ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 02:35:21.73ID:A+GuQaBb0
日本(大和政権)は古の倭奴国(漢委奴国王)である

その国王(天皇)が自ら言うには、

初代の国王は「天御中主ヶと名乗り、「彦瀲」に至るまで、およそ三十二代とされている。

彼らは皆、尊(みこと)を尊称として、筑紫城に存在していた。

彦瀲の子の「神武」が継ぎ立ち、あらためて天皇を名乗り、大和州に移り住んでその地を治めた。

を否定出来ない限り九州説を唱えることは出来ない
0218ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 02:40:30.98ID:A+GuQaBb0
『新唐書』「日本伝」

日本(大和政権)は古の倭奴国(漢委奴国王)である

その国王(天皇)が自ら言うには、

初代の国王は「天御中主」と名乗り、「彦瀲」に至るまで、およそ三十二代とされている。

彼らは皆、尊(みこと)を尊称として、筑紫城に存在していた。

彦瀲の子の「神武」が継ぎ立ち、あらためて天皇を名乗り、大和州に移り住んでその地を治めた。

つまり

九州にあったのは、天皇家の祖先の倭奴国(漢委奴国王)で、邪馬台国(親魏倭王)では無い
0219ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 02:42:50.84ID:mDmPFSDb0
>>210
> 弥生時代後期に九州で絹が出るのは福岡市だけ
> だがそこは奴国

http://yamatai.cside.com/tousennsetu/kinu.htm

これによると福岡市外でも出土はあるそうだが
まあ福岡県中心ではあるな
そのあたりに邪馬台国があったでいいのでは?

> 邪馬台国は、不弥国から水行二十日、水行十日陸行一月かかると書かれているんだが

魏志倭人伝によると
帯方郡〜女王国 一万二千余里
帯方郡〜狗邪韓国 七千余里
狗邪韓国〜対馬国 千余里
対馬国〜一大国 千余里
一大国〜末蘆国 千余里

つまり「末蘆国につくまでで1万里移動している
女王国まで後2千里くらいだ」と
倭人伝著者は認識してるんだよ

末蘆国が九州北岸のどこかなら
「九州北岸についたら、もう旅は8割終わり」
と倭人伝著者は考えてることになるんだよ
0220ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 02:43:41.77ID:Csz+TJyZ0
>>217
はあ?
誤差の大きい測定方法で、一部の試料で4世紀前半を示す測定結果が出たら
その遺跡の年代は4世紀前半と結論づけるのかよ???

それを難癖と言うんだよ
0221ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 02:55:24.47ID:Csz+TJyZ0
>>219
里数は明らかに間違っている
間違っている12000里から間違っている10000里を引いた数に何の意味がある?

10000里と2000里を比較して、実際の距離はどちらが長い?
どちらが長いか不明だよな
0223ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 03:02:06.68ID:3t877PFk0
はぁ、、、こいつは魏志倭人伝一切無視してるね
倭人伝無視して邪馬台国論争してる奴初めてやわ
何言っても無駄な議論やな 12000里の意味さえ知らなさそうやし
0224ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 03:02:31.69ID:Csz+TJyZ0
>>222
その奥山氏はホケノ山古墳が4世紀前半と結論づけたのか?
もちろん、そんなことはしてない
おまえは嘘をついたんだ
0225ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 03:07:06.70ID:3t877PFk0
>>224
どうしても纏向当たりの古墳を邪馬台国時代のものだとしたいみたいだけど
その時代の被葬者はどういう風に葬られてたんだ?
倭人伝で知るしかないやろが、それをおまえは無視してんだから議論の余地なし

ホケノは木槨木棺が見つかってる これは倭人伝の記述とは合わない
その後の古墳時代の様式 4世紀のほうが正しいんだよ
0226ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 03:18:53.22ID:Csz+TJyZ0
>>225
論点すり替えてるが、奥山氏がホケノ山古墳が4世紀前半と結論づけたと嘘をついて文句つけたのを認めるか?
嘘を認めないなら消えろ

倭国の一般庶民の葬制と邪馬台国の首長層の葬制をごちゃ混ぜにした、おまえの曲解などどうでもいい

>その後の古墳時代の様式 4世紀のほうが正しいんだよ

無知丸出し
こんなの邪馬台国どうこうの話じゃなく、日本史の知識の問題
どこの馬の骨ともわからん個人のHPからガセネタしか拾ってこないから、こんな基礎知識のなさをさらけ出してしまうんだ
学問とは無縁の人間だな
0228ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 03:22:43.94ID:mDmPFSDb0
>>221
なんで間違ってると言えるのか分からんが
「九州北岸についてから急に少なめに
里数を書きだした」というなら
どうしてそう言えるのか説明してほしい

多少間違えても近畿説なら
まだ全体の半分程度しか来てない所を
8割に誤認することはないんじゃないか
0229ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 03:24:41.02ID:3t877PFk0
>>226
ここまで無知でよく邪馬台国論争はじめようと思ったなw
お前の大好きな考古学の先生の論だよ 少しは調べてから書けな
あまりにもお粗末
0231ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 03:31:21.28ID:mDmPFSDb0
魏志倭人伝より
>白絹五十匹…銅鏡百枚…を賜い

近畿説の人は銅鏡ばかりに注目してるけど
卑弥呼は魏から絹も貰ってるんだよな
近畿説なら絹が弥生時代近畿から出土しないのはおかしい
(銅鏡よりも絹は残りづらかった可能性もあるが)
0232ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 03:31:51.45ID:Csz+TJyZ0
>>227
見たが、奥山氏が4世紀前半の可能性があると主張したとは確認できない
Wikiの記事のを編集した人間が4世紀前半の可能性と書いただけだ

で、嘘を書いたと認めるか?
0234ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 03:37:01.99ID:mDmPFSDb0
まあ里数の件を置いといても
「九州についてから渡海の記述がない」
「女王国の東に渡海した所に国がある」の説明が
近畿説だと難しいんだよな
(九州説では説明できる)
0235ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 03:40:03.13ID:Csz+TJyZ0
>>228
魏晋里は1里=435mだよ
魏志倭人伝の行程で合ってる場所なんかないでしょ

陳寿は邪馬台国が会稽東冶の東にあると考えていたから帯方郡からものすごく遠くにあると思ってたようだけど
ものすごく遠くにある前提で8割というのはその通り
でも里数が間違ってんだから、実際の地理に当てはめての8割は意味がない
0236ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 03:44:20.68ID:Csz+TJyZ0
>>234
渡海?
北部九州から畿内まで日本海ルートでも瀬戸内海ルートでも渡海はしないけどね

「女王国の東に渡海した所に国がある」は伊豆諸島で十分説明できる
それ以前に、その記事は信憑性がないとみなすべきだけど
0237ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 03:57:55.89ID:A+GuQaBb0
>>234
ついた先が九州とは限らない
ついた先が出雲でも良いんだからな
0238ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 04:00:57.34ID:mDmPFSDb0
>>235
実際の地理に里数が細かく対応してるかどうかは
問題にしてないんだよ

魏の使者の体感上、
「九州北岸についたら距離的に8割過ぎたな」になることが重要

近畿説ではもっと遠くに感じることになるだろ
0239ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 04:01:12.83ID:A+GuQaBb0
どうしても「ついた先が九州」にしたいのだろうが

ついた先が九州ならそこは邪馬台国ではなく
天皇家の祖先の倭奴国(漢委奴国王)なんだけど

『新唐書』「日本伝」

日本(大和政権)は古の倭奴国(漢委奴国王)である

その国王(天皇)が自ら言うには、

初代の国王は「天御中主」と名乗り、「彦瀲」に至るまで、およそ三十二代とされている。

彼らは皆、尊(みこと)を尊称として、筑紫城に存在していた。

彦瀲の子の「神武」が継ぎ立ち、あらためて天皇を名乗り、大和州に移り住んでその地を治めた。
0240ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 04:07:57.51ID:3t877PFk0
>>239
あんたも新唐書好きみたいだけど、専門家せんせは新唐書は
一番当てに成らん史料だと断言してるぞw
その32代ってのも元の史料では23代だったとかなんとか

まぁ読んでておもしろい事書いてあるんだけど、旧唐書以外は
あんまし信じ込まないほうがいいと思うよ
0242ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 04:11:39.09ID:A+GuQaBb0
『後漢書』「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」の記述にある

57年 後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
107年 生口160人を献じ、安帝に謁見した
天皇家の祖先の「倭奴國(筑紫城)」は

九州に150年以上存在し、何度も後漢の皇帝に朝貢している

そこと同じ場所(北部九州)からやってきた邪馬台国の使者に対して、後漢から禅譲された魏の皇帝が

汝所在踰遠
汝の住んでいる所は遠いという表現を越えている

なんて言うかねぇ
0243ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 04:14:33.10ID:A+GuQaBb0
>>240
旧唐書だと、それこそ

九州は

『後漢書』「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」の記述にある
57年 後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
107年 生口160人を献じ、安帝に謁見した

「倭奴国」だ

邪馬台国じゃ無い

と断言してますが
0244ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 04:15:50.07ID:Csz+TJyZ0
>>230
まあ、おまえにとっては、どこの馬の骨ともわからん個人のHPにあるガセネタこそが正しくて
学者や専門家はデタラメだと思ってるわけだろ?

おれは全く逆
だからおまえにとってはおれが無知人間に見えるわけだ
おれもおまえの知識はゼロだと思ってる
学問とは無縁の人間で、教科書レベルの基礎知識さえない人間だと思ってる
ガセネタいっぱい知ってる自慢をしてるアホだと思ってる
0245ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 04:17:45.06ID:A+GuQaBb0
少なくとも

『後漢書』「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」の記述にある

57年 後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
107年 生口160人を献じ、安帝に謁見した

九州に150年以上存在し、何度も後漢の皇帝に朝貢している
天皇家の祖先の「倭奴國(筑紫城)」

よりも、さらに遠くの場所から来たから

汝所在踰遠
汝の住んでいる所は遠いという表現を越えている

なんじゃねーの
0246ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 04:21:21.67ID:3t877PFk0
>>243
おいおい 九州には奴国しかねぇのかよw
そんでいつまでも栄えてるとは限らんだろ?
邪馬台国だって栄えて滅んだんだからな
0247ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 04:21:40.56ID:A+GuQaBb0
あれ?
核心突いちゃったかな?
(笑)
0248ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 04:26:00.78ID:A+GuQaBb0
>>246
ああ、そう思うよ

筑紫城の漢委奴国王(天皇家の祖先)は
対馬 ー 壱岐 ー 東松浦半島 の「最短黄金ルート」を
独占使用していたので

九州には

筑紫城の漢委奴国王(天皇家の祖先)に従属する國しかなかっただろうね
0249ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 04:29:03.77ID:mDmPFSDb0
>>236
渡海なし=沿岸航行のみで
北九州から日本海ルートで畿内にどうやっていくんだ?
関門海峡は渡らんといかんでしょ

> 「女王国の東に渡海した所に国がある」は伊豆諸島で十分説明できる

女王国が三重県沿岸も含んでいた場合、
沿岸航行で行ける名古屋あたりを
無視して伊豆諸島の話を書くか?
当時の人はなるべく渡海したくないだろ

それと「渡海千余里」とあるから同じ千余里である
「対海国〜一大国」(対馬〜壱岐とすると現実では約50km)
くらいの距離感で、
当時でも三重県東岸〜伊豆諸島(約200km)と間違えないだろ

そして九州説だと九州東岸〜四国は50kmくらいなので
整合性が取れる
0250ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 04:30:10.75ID:3t877PFk0
>>248
うーむ 筑紫城の主だというのには同意しかねるが
漢委奴国王はその後の伊都国だと思ってる
伊都国だけが代々王が居て女王国に属していると書かれてるからな
0251ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 04:30:11.25ID:TLa4JA450
神話じゃ宮崎からの近畿へのルートじゃね
最初、九州方面で天然の防波堤がある近畿圏の奈良で拠点を作ったでいいんじゃね?
よーしらんが
0252ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 04:32:25.63ID:A+GuQaBb0
ちなみに

対馬 ー 壱岐 ー 東松浦半島 の「最短黄金ルート」は、もともと

『後漢書』「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」の記述にある
57年 後漢に貢を奉り朝賀し、光武帝から印綬を賜り
107年 生口160人を献じ、安帝に謁見した

九州の「倭奴國(筑紫城)」の漢委奴国王(天皇家の祖先)が使用していたルートである

に異論があるやつはおらんよね?
0253ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 04:32:33.13ID:mDmPFSDb0
>>237
その可能性もありえるけど
当時の航海技術ではそんなに沿岸を離れて
航行するのは難しいんじゃないか

>>241
じゃあどうやって里数をカウントしたんだ?
使者が邪馬台国に行った時に
「それくらいの距離だった」と報告した以外になにがあるんだ?
0254ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 04:36:09.78ID:A+GuQaBb0
>>250
代々いる九州の王

の言い伝えは

筑紫城の天皇家の祖先だけ

ですが?
0255ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 04:37:48.86ID:3t877PFk0
>>254
一つ言っとくがあの代々ってのはずっと続いてる代々じゃないぞ
魏の時代だけの話だ その間だけ代々って意味だからな
0256ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 04:40:10.68ID:A+GuQaBb0
>>253
建速須佐之男命は出雲から、普通に朝鮮半島東部に渡ってるぞ?
0257ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 04:40:43.42ID:2f9/+b000
そろそろジャンケンで決めたらいいと思う
0259ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 04:43:40.22ID:3t877PFk0
>>256
それ絶対無理だからw 帆がまだ発明されてない時代に
海流に逆らって航行は人力じゃ無理
角川春樹が野生号で証明してるw
0260ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 04:45:45.28ID:mDmPFSDb0
やはり魏志倭人伝は九州説とすると
整合性が取りやすい文書になってる

「女王国の東には海しかないような描写」
「九州で多く見つかる絹、鉄鏃、酒好きの描写」
「九州なら整合性が高い里数」

九州でない可能性もあるとしても
積極的に近畿だとすることはほとんど書かれてない
0261ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 04:46:50.48ID:OYw8k/PT0
邪馬台国研究の学者って場所を特定するきないだろw
0264ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 05:28:31.18ID:mud+LYhG0
>>239
別に合っているよ。
元々、九州連合国は、男王だろー。
一時的に、卑弥呼、トヨがなった。
0265ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 05:35:13.78ID:YjtEUw0s0
>>10 大事なところがぬけている。継體天皇即位。大伴氏が半島にあった領土を割譲。聖徳太子が軍隊を半島に派遣
0266ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 05:52:40.87ID:A+GuQaBb0
>>259
のちに、大陸と奈良大和政権の航海を一手に引き受ける
宗像氏の祖先は、出雲6代主王の息子、吾田片隅(アタカタス)
出雲を拠点とした朝鮮半島への航海を司っていた


一方

「漢委奴国王」九州【倭奴国】筑紫城政権の
朝鮮半島 ー 対馬国 ー 一支国(壱岐)− 北部九州 の黄金ルートを一手に引き受けていたのは阿曇氏で
九州 【倭奴国】筑紫城 大綿津見神(豊玉彦)が祖先です
0267ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 05:55:52.19ID:A+GuQaBb0
>>259
それじゃあ

対馬から壱岐にはたどり着けないね

海流に流されて、山口県から島根県の沖合いの島に着いて
その島から、石見国美濃・島根県益田付近に上陸だわ
0268ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 06:00:16.96ID:3t877PFk0
>>267
そう1975年では人力失敗して曳航してもらってる
まぁ古代の人はどうやって渡ってきたのかは謎やね
現在よりすぐれた航海術を有していたことだけはたしかだけどね

数年前に役人がゴムボートで渡ろうとして
死んだ事件あったわな
0269ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 06:01:06.22ID:jzpnWOUO0
前スレでは畿内説でまともな意見なかったけどこのスレでは少しはマシなのあった?
0270ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 06:04:04.50ID:A+GuQaBb0
>>268
結局

『魏志』に書かれている【対海国(つかいこく、對海國)】が

対馬なのかどうかもあやしい

わけだね
0272ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 06:21:35.72ID:hE2v7JYc0
三角縁神獣鏡が呉の系統の鏡というのは中国の考古学者から指摘されていたと思うが
最近は日本でもそういう認識なのか
0273ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 06:21:59.91ID:Y5nAAOV30
旧新唐書に京師(長安)さる1万4千里?
14000×400=5600km。
これもまた越えて海だよー。
0274ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 06:34:23.02ID:Wl9+F0UT0
14000×100=1400km
届かない。???
0275ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 06:35:08.65ID:12JG1lLm0
>>268
長い丸木舟を作って6人ぐらいで漕げば行けるでしょ。
0276ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 06:47:18.55ID:2t0VMl5S0
>>259
「発明されていない」と決め付けるのが
原因かも?
0277ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 06:50:24.83ID:2t0VMl5S0
赤壁の戦い。帆があるよ。
0278ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 06:50:50.25ID:5rh9OZDJ0
「邪馬台国」、後世の書には「耶馬台国」と表記されているから、
特に悪意ある当て字という訳ではなさそう。
0279ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 07:02:14.31ID:Pdt8bBQMO
沿海州の縄文時代の遺跡から日本産黒曜石の石器が出土しとるから昔から交易やっとったんは間違いないからの
0280ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 07:02:51.69ID:3t877PFk0
エジプトじゃ紀元前1000年頃にすでに帆を張るマスト付きの船の絵が
書かれてたらしいからそれに似たような物は有ったのかもなぁ
0281ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 07:04:10.37ID:A+GuQaBb0
>>271
どうかなぁ

「魏志」では対海国のことを【絶海の孤島】と表現しているけれど、対馬は絶海の孤島かねぇ
0282ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 07:04:15.89ID:2ov/P3AG0
>>273
中国人はいつの時代であっても1里が70mだなんて考えた事はないよ。
1里は400m程度あるとしか考えたことはない。

正史であっても誰もちゃんと測量なんてしたこともないし、距離が正しいかどうかなんて検証もせずにそのまま放置していたって意味でしかない。

万里の出どころを遡れるだけ遡ると、魏志倭人伝よりももっと前の中華思想の四夷(東西南北の外夷)にある。
中華畿内(天子)から同心円等距離で外へ外へと出ていく考えが元にある。
中国の皇帝を中心に東西南北1万里が中華世界とする考えに行き着く。

万里=中華の範囲であり、遥か長大な距離という思想。
万里の長城は1万里ではないが、1万里じゃ無いことに目くじらを立てる馬鹿はいない。

距離を一所懸命に考察するのは無駄だよ
0283ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 07:08:46.12ID:cZyPNMVn0
>>282
つまり、距離に関して史書全般は、観念的なもん
0284ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 07:10:58.36ID:3t877PFk0
>>281
対馬自体じゃなく居するところじゃなかったか?
人が住んでるところが山や海に覆われて絶の孤島のようだって
読んでた記憶 どっちゃにしても対馬以外に島は無いんだから
そこは対馬だよ 次は沖ノ島も候補になるかもしれんが(まぁ無いだろうが)
0285ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 07:12:45.00ID:cZyPNMVn0
検知、租税とかもいい加減かも。
律令で定めてなんだろう?
0286ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 07:12:51.40ID:jzpnWOUO0
>>270
対海国が対馬ではない可能性はある
あるんだけど、じゃあ他に魏志倭人伝の記述にあるルートがあるかというとないんじゃないかね
0287ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 07:12:58.92ID:amw6aIHC0
科学する邪馬台国  古代の船と航海ルート
http://inoues.net/science/war.html

この記事だと大阪〜釜山まで手漕ぎの船で1ヶ月ちょっとかかってるな
しかし夜間は他の船に曳航してもらっていたらしい
水行二十日って無理じゃね?
0288高篠念仏衆さん
垢版 |
2020/10/24(土) 07:20:34.70ID:qEUIsW9h0
>>62
四世紀は新羅百済が建国した頃だから
倭の記述無いのか?
0289ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 07:21:47.50ID:Pdt8bBQMO
>>285
春秋戦国時代からちゃんとやっとるやろ 地図が支配権の担保に使われとったんやから
0291ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 07:27:13.70ID:2ov/P3AG0
>>283
海の向こうの野蛮人の国を、わざわざ人と時間をかけて測量してたと思う方が無理矢理だよ。
それができてれば、もっと正確な地図が紀元前からあるよ。
0292ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 07:28:10.40ID:2ov/P3AG0
>>289
ちゃんとやってるのは中華圏内だけだよ。
0293ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 07:40:19.54ID:B8/cIfP20
>>282
つまり九州でも全く問題がないのに
近畿にしたいがために近畿説が必死で距離にケチをつけてきたわけか
0294高篠念仏衆さん
垢版 |
2020/10/24(土) 07:40:57.93ID:qEUIsW9h0
〜宦官がいた国〜
秦、前漢、後漢、蜀、北魏、北宋、唐、明、清
曹操「宦官の弊害は宦官制度そのものに問題があるのではなく、皇帝が宦官に依存しすぎるから引き起こるのである」

( @盆@)っ✄╰⋃╯
0295ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 07:43:58.30ID:imDKrUTU0
>>293
九州だろうと全然問題ない。
ただし短里なんてものの距離を根拠にするのは間違い。
0296ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 07:49:06.92ID:mud+LYhG0
>>295
そう思う。周算径が周基準なだけ。
魏の律令に換算していないだけだよ。
0297ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 07:50:13.25ID:B8/cIfP20
>>287
そう水行なんて風待ち潮待ち天候に左右されてろくに進めない
裴世清は筑紫から難波まで約500kmを2ヶ月
紀貫之は土佐から和泉まで約250kmを1月以上かけてるからね

博多湾から水行30日でいける範囲はせいぜい広島周辺がいいところ
そこから陸行する意味もそんな記述もないしな
0298ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 07:52:36.80ID:mud+LYhG0
>>297
渡航時期もあるよね
夏なら北へ
冬なら南へ
0299ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 07:53:58.21ID:jzpnWOUO0
帯方郡から狗邪韓国に南岸に至るまで七千里
そこから女王国に至るまでが約四千里
女王国を九州(北部)だとしたら無理のない数字だけど、狗邪韓国から
奈良の纏向遺跡までの距離はどう見ても帯方郡から狗邪韓国の南岸までの倍近い距離がある
ここをどう考えてるのか畿内派に聞いてみたい
0300ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 07:57:35.80ID:Wbw9iV610
>>296
周髀算計にしても、実際に周辺で使われてたものじゃないしね
0301高篠念仏衆さん
垢版 |
2020/10/24(土) 08:01:20.21ID:qEUIsW9h0
当時、大人数大陸と行き来するのは不可能だろ
0303ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 08:30:14.31ID:imDKrUTU0
>>299
中国人が短里なんて知らないってことを考えてないっしょ?
0304ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 08:35:04.92ID:jzpnWOUO0
>>303
いや少なくとも距離の基準はあったんだろ
それになぞらえて考えると畿内説はおかしなことになる
0305ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 08:42:27.56ID:HNOxLbZi0
>>273
現代の正確な地図を見て云々するのはナンセンスの極み。
方向音痴では生きて往復出来るわけがないのだから、方位の把握はそれなりに正確でしかあり得ないので、半島西岸を南下して、さらに島伝いに南下した先という地勢だけが肝心。
0307ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 08:47:45.47ID:qvBXmFgt0
縄文時代から日本海側沿岸では東北から山陰まで広く交易した形跡があるし、
弥生時代の初期から日本と朝鮮も普通に人が往来してたんだよね

3世紀の船や航海技術はどんなもんなんだろ
0308ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 08:54:21.79ID:A+GuQaBb0
>>284 >>286
636年に魏徴が書いた隋書では

隋(581年 - 618年)の時代に、朝鮮半島から都斯麻国(対馬)に渡るのに、

一番近い釜山からではなく、遠い耽羅国(済州島)から渡るんだよね

魏志倭人伝の「狗邪韓国」や「対海国」も、一概に、近さで考えてはいけないんじゃないかな
0309ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 08:54:56.03ID:B8/cIfP20
>>307
あくまでも海流に乗ることをメインに発達しただろうね
海流に乗らないならほぼ進まないと考えていいと思う
0310ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 08:56:47.19ID:A+GuQaBb0
636年に魏徴が書いた隋書

百済−竹嶋−耽羅国(済州島)−都斯麻国(対馬)−一支国(壱岐)−竹斯国(筑紫)−秦王国−十余国を経て難波津−奈良
0312ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 09:04:05.68ID:HNOxLbZi0
>>304
そりゃ、距離感覚がデタラメでは生きて往復出来るわけがないんだから、距離の概略は把握できていたということでしかないからね。
半島と対馬、対馬と壱岐の島の間の距離関係が極端に違ってることはないとか、概略の比率は合ってるから、島伝いで渡海したのは事実と推定できる。

また、郡から船で半島西岸を南下して渡海したなら、奈良方面に行くには、瀬戸内側か日本海側をひたすら船で行くのが至便で自然なので、延々と水行した挙句に上陸して陸行して到着したとしか書きようがないはず。
ところがそういう記述になってない。

「魏志の記録は半島から九州を過ぎて延々と水行した先にある土地に行った旅行記ではない」ということでしかない。
0313ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 09:08:18.70ID:A+GuQaBb0
しかも、

一支國 は 都斯麻國 の 東
0314ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 09:09:47.72ID:HNOxLbZi0
>>309
海流と風向がシンクロしたタイミングだと意外に素早く着いちゃうってのね。
半島からは日本海側が至便になるとか。
中国からは九州北西が至便になるとか。

もちろん潮と風の予測を間違えたら何もない方に流されてそのまま海の藻屑だろうけど。
0315ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 09:10:09.27ID:wMxO5bnZ0
>>310
「上遣文林郎裴C使於俀国 度百濟行至竹島 南望聃羅國經都斯麻國逈在大海中 又東至一支國 又至竹斯國 又東至秦王國 其人同於華夏以為夷洲疑不能明也 又經十餘國達於海岸 自竹斯國以東皆附庸於俀」
百済−竹嶋−耽羅国(済州島)−都斯麻国(対馬)−一支国(壱岐)−竹斯国(筑紫)−秦王国−十余国を経て海岸(倭国の端)

「自竹斯國以東皆附庸於俀」
竹斯国(筑紫)から海岸までが倭に付属している。

難波津−奈良とか捏造だな。
0316ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 09:10:36.62ID:A+GuQaBb0
636年に魏徴が書いた隋書

百済−竹嶋−耽羅国(済州島)−都斯麻国(対馬)−一支国(壱岐)−竹斯国(筑紫)−秦王国−十余国を経て難波津−奈良

隋(581年 - 618年)の時代に、朝鮮半島から都斯麻国(対馬)に渡るのに、

一番近い釜山からではなく、遠い耽羅国(済州島)方面から渡る

しかも、

一支國 は 都斯麻國 の 東

魏志倭人伝の「狗邪韓国」や「対海国」「一支國」も、一概に、近さで考えてはいけないんじゃないかな
0317ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 09:12:11.13ID:2Om8rtEe0
>>312
陳寿もそう書いているし、伊都国で滞留しているから当たり前だな
瀬戸内の記述がないのも、九州内部での詳細記述がないことも同じことで、
要は郡使は邪馬台国までは行っていない
所詮短い航海や移動に過ぎず、距離や日数を郡使が間違えるはずもなく、軍人が他国の里数を使うはずもない
よって韓国も含めて距離を変更したのは陳寿自身
0318ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 09:12:36.10ID:A+GuQaBb0
>>315
度百濟行至竹島 南望聃羅國經都斯麻國逈在大海中 又東至一支國

一支国 が 壱岐 だなんて、捏造じゃね?
0319ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 09:13:48.20ID:wMxO5bnZ0
>>310
十余国を経て海岸(倭国の端)
この当時は未だ瀬戸内海航路は通れなかった
瀬戸内海航路を整備して通れるようにしたのは平安時代末期の平清盛
竹斯国(筑紫)−秦王国−十余国は九州内を陸行している。
0320ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 09:14:17.85ID:A+GuQaBb0
>>319
日本海側だろ
0321ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 09:15:44.18ID:A+GuQaBb0
>>319
日本海側だろ

大陸と奈良大和政権の航海を一手に引き受ける宗像氏の祖先は、
出雲6代主王の息子、吾田片隅(アタカタス)

だもん
0322ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 09:16:21.64ID:mud+LYhG0
>>311
殺馬 薩摩もある
0323ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 09:17:57.50ID:imDKrUTU0
>>304
中国人は一里400mとしか考えてないよ。

前漢書地理史には、大月氏国(アフガニスタン)辺りまで、1万4千里とかいてるけど、400m換算ならそんなもん。
中華圏外の測量なんてやってないから、昔から言われてる適当で検証されてない距離を信じ込んでただけ。

1万2千里=4800kmも離れてるから、そんな遠方からなら、毎年来なくてもいいよと言われる。
0324ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 09:20:20.11ID:A+GuQaBb0
つまりだ

済州島方面から対馬に渡り、対馬の東に一支國がある
そこから筑紫に上陸して、日本海側を東に東に進んで
出雲あたりから内陸に入って大阪湾に出る
0325ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 09:22:54.33ID:xq+uaX6k0
>>323
当時の中国人の認識は当然そうだけど

倭人伝や韓伝のもとになった報告書を作成した当時の帯方郡の役人たちは
短里相当で計算して報告してたんだからそれを否定してもしょうがない
0326ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 09:24:53.54ID:mud+LYhG0
>>300
実際には何を使っていたの?
0327ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 09:27:28.03ID:T3HAQrsP0
>>7
だってーー支那の自分たちに都合の良い大嘘記録だもん


卑弥呼がそんなに凄い人なら、卑弥呼神社は、何処にあるの。
0328ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 09:30:02.89ID:mud+LYhG0
>>325
天文方同行もある。
その時代の律令換算としていないもの
と換算しているもの
誇張としての使う場合
3種混在てところかな?
0329ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 09:31:22.35ID:wMxO5bnZ0
>>325
公孫氏が短里を使って東夷の測量した資料を作成してたんだろう
公孫氏滅亡でその資料を魏が押収
陳寿が入手して参考にしたんだろうな。
0330ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 09:39:57.27ID:imDKrUTU0
>>326
里程法の成り立ちを考えると、短里の入り込む余地がないことはすぐにわかるよ。

里程法の根本にあるのは身体尺
人間の体を基準にした単位

2歩歩いた距離が1歩
300歩が1里
0331ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 09:46:25.44ID:mud+LYhG0
>>330
時代によって違うからね。
もっと長距離では無理
当時の世界観から数学もある
科挙の試験になるのだからね。
二種使っていた。
0332ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 09:46:35.17ID:xq+uaX6k0
>>330
中国国内では短里が入り込む余地は全くないし
魏から直接派遣された役人なら間違うこともないが

帯方郡の役人はそうではなく
短里相当の基準で半島や日本での距離を計算して報告あげてるのは事実だから
それは変えようがない
0333ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 09:52:20.77ID:12JG1lLm0
>>319
平清盛が整備したのは巨大な中国船を通れるようにするためだったんじゃなかったけ?
弥生時代や当時の日本船なら瀬戸内海航行は問題なかったんじゃね?
0334ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 09:57:47.94ID:45PlGCbE0
呉や蜀と覇を争って戦っている国が、訳の分からんような里程なんぞ使わんよ
何処の地に派遣されようが、軍人はきっちり自分の任務をこなす
邪馬台国に黄色の旙を届けに来た連中だって同じこと、物見遊山に来たわけじゃない
0335ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 09:59:11.47ID:FIHFhve90
>>327
卑弥呼=アマテラスだからな
0336ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 10:06:11.05ID:wMxO5bnZ0
>>333
隋使の裴世清は巨大な中国船にしか乗らないよ
和船は使わない。
0337ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 10:08:39.29ID:wMxO5bnZ0
>>334
公孫氏は弱小で魏などの侵略に怯えていた
自国を大きく見せる為に通常の5分の1の長さの里を使用していたんだろうな。
0338ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 10:33:06.51ID:qvBXmFgt0
魏志倭人伝だけじゃわからんよね
それ以降に書かれた中国史書からも3世紀の日本を推定していかないと
0340ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 10:39:51.36ID:A+GuQaBb0
636年に魏徴が書いた隋書

百済−竹嶋−耽羅国(済州島)−都斯麻国(対馬)−一支国(壱岐)−竹斯国(筑紫)−秦王国−十余国を経て難波津−奈良

隋(581年 - 618年)の時代に、朝鮮半島から都斯麻国(対馬)に渡るのに、

一番近い釜山からではなく、遠い耽羅国(済州島)方面から東に渡る

しかも、

一支國 も 都斯麻國 の 東

魏志倭人伝の時代には、船の舳先を南に向けて進んで、南に行ってると思っていたが
それから300年近く経過して、隋の時代には
船の舳先を南に向けていても、海流に流されて東に進んでいると正しく理解できたのだろう
0341ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 10:42:32.76ID:A+GuQaBb0
訂正

636年に魏徴が書いた隋書

百済−竹嶋− 耽羅国(済州島)− 都斯麻国(対馬)− 一支国 −竹斯国(筑紫)− 秦王国 − 十余国を経て難波津 − 奈良

隋(581年 - 618年)の時代に、朝鮮半島から都斯麻国(対馬)に渡るのに、

一番近い釜山からではなく、遠い耽羅国(済州島)方面から東に渡る

しかも、

一支國 も 都斯麻國 の 東 で 壱岐では無い

魏志倭人伝の時代には、船の舳先を南に向けて進んで、南に行ってると思っていたが
それから300年近く経過して、隋の時代には
船の舳先を南に向けていても、海流に流されて東に進んでいると正しく理解できたのだろう
0342ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 10:45:17.09ID:A+GuQaBb0
魏(220年 - 265年)の時代 
 
対馬國 − 一大国(隠岐)−末廬国(松江)−伊都国(出雲)−奴国(因幡)−不弥国(摂津住吉)−投馬国(近江)を経て邪馬壱國(奈良)
0344ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 11:05:05.15ID:u/WSABj50
シナへ使者を派遣していたことから九州で間違いないだろう
0345ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 11:07:59.79ID:AbcpFk1E0
>>334
だよな。味方にも敵になっても
位置の情報は、得たいよな。
0346ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 11:08:43.11ID:AbcpFk1E0
>>342
方向が違う
0347ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 11:09:34.47ID:WqqbmjB50
>>282
妥当だな
1万2000里については遥かに遠いというだけの意味
だからといって邪馬台国は九州だろうけど
3世紀、九州邪馬台国と北九州から関東まで影響力を及ぼしつつあったヤマト王権がせめぎ合い、4世紀神功皇后の遠征により山門県のとよの後継田油津媛が死んで邪馬台国滅亡
0349ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 11:13:01.98ID:AbcpFk1E0
>>347
大和政権は奴国の分家
前方後円墳は、一族のシンボル。
0350ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 11:13:07.48ID:12JG1lLm0
>>345
自分達だけが正確な位置情報を知り、他人には偽の情報をつかませたいはずやね。
0351ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 11:14:46.84ID:70qc+DT90
>>1
邪馬台国がどこだって別にいいだろって思うが
単に当時の日本にいくつかあった国の一つに過ぎないのに

漢の役人がたまたま書物に書いたからってだけじゃん
中国様の言うことを気にしすぎw
0352ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 11:18:17.19ID:AbcpFk1E0
>>350
国防、補給路考えるとそうなる。
奴国、邪馬壹国は九州でいい。
奴国の神武(4男坊)が、吉備・東海勢で奈良を開拓。
0353ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 11:18:30.80ID:6bDOVLJ70
卑弥呼は九州北部の大族長
博多平野か佐賀平野を探せば出てくるよ
0354ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 11:18:46.94ID:bqdXLhiv0
>>346
訂正

636年に魏徴が書いた隋書によれば

隋(581年 - 618年)の時代に、朝鮮半島から都斯麻国(対馬)に渡るのに、

一番近い釜山から南に渡るのではなく、遠い耽羅国(済州島)方面から東に渡る

しかも、

一支國 も 都斯麻國 の 東 で 壱岐では無い

さらに昔の魏(220年 - 265年)の時代なら 
 
対馬國 − 一大国(隠岐)−末廬国(松江)−伊都国(出雲)−奴国(因幡)−不弥国(摂津住吉)−投馬国(近江)を経て邪馬壱國(奈良)
0355ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 11:19:29.01ID:12JG1lLm0
>>351
九州人が邪馬台国がここだと言ってる分には勝手にやってればだが、
邪馬台国畿内説や九州邪馬台国が東遷して大和政権になったとか、
日本の歴史を歪めようとしてるのは見過ごすことができんな。
0356ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 11:24:27.46ID:Csz+TJyZ0
>>282
もう一つの考え方としては、司馬懿の功績を顕彰するために、
大月氏国より遠い国から朝貢に来たことにするように陳寿が創作した可能性

洛陽から大月氏国までが16370里
洛陽から邪馬台国までが17000里(洛陽から楽浪郡5000里+帯方郡から邪馬台国12000里)

あるいは、倭奴国王の朝貢があった漢代に倭国までの距離が10000里という認識があり
魏代になってさらに2000里遠いところから朝貢があったという考え方

60日の行程に「師行三十里」あるいは「一舎=30里」をかけて1800里
10000里+500里+100里+100里+1800里=12500里≒萬二千餘里
0357ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 11:27:03.29ID:4yt6zZJi0
倭人伝で張政が確認した、倭人船寄港地間の概略里程だけではなく、
東夷伝では、韓、帯方の南 方可4千里と言う、基本的地理概念が有る。

これには、文書とは別に参照された東夷概念図と言うものが存在したはずである。
謎の単位、月行、一年行と言うのも、ここから来ていると考えるべきもの。
おそらくごく稀に出展される文献からみて、
軍事的に保存されているもので、周漢代から唐にも伝わっている。
0358ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 11:31:04.82ID:amw6aIHC0
>>354
対馬〜隠岐間と隠岐〜松江間がほぼ同じ距離で約千里ってありえないでしょう
いくらなんでも魏の使者を馬鹿にし過ぎだわ
0359ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 11:44:56.68ID:bqdXLhiv0
ちなみに

奈良大和政権の、遣隋使、遣唐使、の航海を一手に引き受けた
宗像氏の祖先は、出雲王国の6代目王「臣津野」(八束水臣津野/ヤツカミズオミツノ)の子である「吾田片隅」(アタカタス)
0361ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 11:54:09.58ID:HNOxLbZi0
>>316
海流の関係で、半島から九州に渡るには、流れのかなり上手から出ないといけないことは遥か以前から分かりきってるよね。
0362ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 11:55:46.38ID:HNOxLbZi0
>>334
軍人だろうが何だろうが正確な測量は不能にかわりないから。
0363ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 11:56:20.96ID:Dsj0BBPh0
>>262
アホらしい
堂々と結論付けてるから何か有るのかと思えば…
>>210は嘘も百個並べればどれかは通るみたいな考えの持ち主なんかねえ
0364ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 11:58:22.34ID:bqdXLhiv0
>>358
韓国全羅南道西南部の木浦市付近にあった狗邪韓国〜南に耽羅国(済州島)を望んで対馬と
対馬〜隠岐間と
隠岐〜松江間を

ほぼ同じ時間で航海したので

海を渡る約千里
0365ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 11:58:22.77ID:v6YfgYCs0
>>330
「(今で言う)2歩歩いた距離が1歩」はまだ良いけど、「300歩が1里」の理由は?
0366ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 12:09:06.07ID:HNOxLbZi0
>>364
自分が方向音痴だからといって、実際に行き来した者も方向音痴と仮定するのは無理筋。
0367高篠念仏衆さん
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2020/10/24(土) 12:12:44.42ID:t01Sw9eq0
小学生に教えられない歴史ってどうなのw

2021年
歯向かう少数民族を抑え、ちんちん削除して
王宮に住ませました。
0369ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 12:17:50.31ID:12JG1lLm0
>>361
黒潮を横切る台湾ー与那国間や伊豆沖の島に渡る場合ならそうだろうが、
対馬海流はそれほど速くないので海流の倍程度以上の速度で漕げるなら、
海流に対して垂直に渡るのは可能だろう。
0370高篠念仏衆さん
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2020/10/24(土) 12:19:03.37ID:t01Sw9eq0
江戸時代に大陸忍び込んで
かっぱらってきたんじゃないの?w
0371ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 12:25:31.16ID:wMxO5bnZ0
>>341
>難波津 − 奈良
隋書倭国伝にはそこは書かれてないな。
0372ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 12:25:58.51ID:12JG1lLm0
>>360
呉のことは良く知らないけど、倭国に行くためまず台湾に行ってしまったとかいう話?
ニセ情報で日本侵略に失敗した代表格は元だろうな。
平安時代中国船は津軽まで来てたとかいう話なのに、
必要以上に準備万端の九州を攻めた。
津軽を攻めればほとんど無防備だったろうし、
元が本当に欲しかったものはそこにあったろうに。
0373ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 12:28:51.24ID:imDKrUTU0
>>331
時代による差は有るけど、短里のような1/5、1/6に歩幅が縮む事はあり得んよ。

>>332
そんな測量を誰がやったと?
やれる人間がいたなら、もっと統一国家ができてるよ。

>>365
距離の1里は、元々300歩四方の面積の1里から、一遍の長さの1里も生み出されてる。
0374ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 12:34:48.07ID:vI1wOT1A0
邪馬台国が観光資源になるからか取り合いしてるけど冷静に考えると外国の兵を扇動しようとした国賊という考えもできるよな
近畿や四国は確実に王朝らしいものがあるから邪馬台国じゃなくてもそこを誇れば良いと思う
0375ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 12:41:36.26ID:wMxO5bnZ0
>>373
公孫氏の役人が短里で勢力圏内である東夷を測量して記録してたんだろうな。
0376ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 12:43:01.90ID:wMxO5bnZ0
>>374
3世紀の近畿や四国の王朝の痕跡って何?
0377ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 12:45:22.38ID:aM4fPXkB0
>>379

纏向古墳群
0378ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 12:46:52.91ID:imDKrUTU0
>>375
度量衡を同じ単位で異なる尺度に定めるなんて、統治者が最もやりたがらないことだよ。
0379ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 12:48:46.27ID:vI1wOT1A0
>>376
近畿は箸墓古墳とか沢山あると思うけど四国はまあたしかに古墳沢山あるのよ
ただ王朝レベルじゃないかもしれんけど邪馬台国説に四国参入してきたから無理がありすぎるなって思って
0380ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 12:51:16.04ID:vI1wOT1A0
>>377
ちょ
ジョセフジョースターの台詞当てみたいなってる
0381ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 12:55:31.31ID:wMxO5bnZ0
>>377
馬具やベニバナの花粉が出てるから5世紀以後のものだろ
古墳群とか日本列島各地にあるから古墳群だけじゃ王朝の痕跡ではないな。
0382ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 12:55:32.53ID:4yt6zZJi0
>>341
裴世清は、最初の?遣隋使船で来て、風の都合で、
対馬から壱岐に戻るとかw 迷子になってるかとも思ったけど
済州島ルートって言うのは、博多湾入るなら
五島から(壱岐?呼子松浦)〜が当たり前なんじゃないかな?

白村江戦も近いし、地理的に騙されてた可能性は有るね。
瀬戸内海行程もタイシヒコの都合でわざとゆっくり接待されながら来てるでしょw
0383ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 12:59:18.79ID:FXRnrrzG0
決定的課題!とは思えんけどねぇ、266年壱輿の遣使らは司馬炎の即位式で、天円地方思想を知るわけだ、知っていたかもしれない、そして前方後円墳が266年前後して存在する訳、今までに無い漢尺で計算された墓が、泰山で中国皇帝は円丘方丘を使い封禅を行ったのよ、またはん祀天で燃やし地で埋め水に生贄を沈めるんでしょ、そういう宗教教団でしょ、だから倭人は畏怖するんだから
0384ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 13:05:20.98ID:wMxO5bnZ0
>>378
東夷伝で同じ里で異なる長さの里が現実に使われているからな
公孫氏は漢の里の5分の1の里を使ってたな。
0385ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 13:08:43.95ID:WqqbmjB50
それにしても300年後半の実績と思われる神功皇后をわざわざ200年代卑弥呼の時代に修正して作り上げ、
わざわざ山門県の姫を討たせるなんて意味深すぎるでしょ
0386ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 13:10:30.79ID:imDKrUTU0
>>384
正確に測量してたなら、正確な地図が存在してたことになる。
公孫氏を帯方郡から追い出した後、魏はその正確な地図を手にしてるはずだなぁ
そんなものがあれば短里が残ってるはずもない。

全部民間伝承の言い伝えレベルだってことだ
0387ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 13:14:29.28ID:mDmPFSDb0
邪馬台国の南にある狗奴国が女王国に従ってない件

北九州説だとすれば北九州と南九州とで対立があることは
日本書記の熊襲とかでも書かれている

近畿説では近畿北部と近畿南部の対立が
後の歴史書では出てこない

大和政権は東の蝦夷と対立していたから、
近畿説なら東に対立があるように描くべきだが
そうはなってない
0388ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 13:20:13.58ID:wMxO5bnZ0
>>386
短里で正確に測量してたから(歩測程度だろうが)
魏が公孫氏を滅ぼした際に短里で正確に記された資料を手に入れ
それを陳寿が三國志編纂時に参考にして書いたんだよ
じゃないと韓が方可4000里とかならない。
0389ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 13:22:09.34ID:12JG1lLm0
>>387
南にあったのは化学兵器やら生物兵器等の大量殺りく兵器を持った同盟国だったろうからな。
0393ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 13:55:09.17ID:qvBXmFgt0
3世紀の魏志では狗奴国は女王国の南
5世紀の後漢書では拘奴国は海を渡って東

この辺りは適当やな
0395ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 14:10:01.60ID:FCOLs/ir0
>>355
九州人の中でも記紀を信じている人は多いよ
そもそも神武天皇が九州の人間だから
そのまま記紀の内容を信じている

そもそも日本では戦後で教科書の中身が大幅改訂されるまでは
魏志倭人伝の事は知りつつも日本書紀の中身を正史と捉えていたから

実際に戦後までは神武天皇や神功皇后の山車はあっても卑弥呼の山車はなかったし
神武天皇や神功皇后を祀る神社は存在しても卑弥呼は無視されていたのが本当のところだからね
0396ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 14:11:20.16ID:FCOLs/ir0
北九州や福岡でも同じ
卑弥呼なんて戦後に出てきただけで
戦前は神武天皇や神功皇后所縁の神社しかなかった
0397ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 14:16:52.15ID:UgZF6ods0
邪馬台国は宇土半島あたり
0398ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 14:18:59.93ID:UgZF6ods0
57号が三角方面
3号が松橋方面にまがるあたりの
小高い山が邪馬台国
昔火の国ランドがあったあたり
0399ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 14:19:38.03ID:FCOLs/ir0
広開土王碑は日本軍が戦前に発見したもの
七支刀も戦前に発見
それで当時の日本は日本書記はやっぱり正しかったとの見解しか出さなかった

戦後になぜかそれらのものは日本書紀を否定するものとして悪用された

実際に神功皇后の年代には数年から十数年の誤差がある
これは日本書記と古事記の時差からも窺い知れるのだが
(古事記と日本書紀の場合には年数にかなりの誤差がある場合がある)

まあそれを加味しても誤差は誤差として受けれても
戦前には戦前の日本書記を基調とした日本史が存在した
0400ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 14:27:06.59ID:VUdohria0
今に見ていろハニワ原人全滅だ!
0401ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 14:33:32.99ID:cc4D41MX0
ずっと一か所にいたわけじゃ無いのに。村から国へと変わる中、デカくなりすぎて卑弥呼を立てて小さな集合体が集まり国としたわけ。攻められる事を回避してジプシーのように移動もしている。宮崎→熊本北→大分てな具合。吉野ヶ里があるから佐賀にしたいだろうが、邪馬台国は佐賀ではない。
0402ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 14:35:16.79ID:2Om8rtEe0
>>388
まあ、公孫氏が短里を使っていたという証拠も、公孫氏が倭国までの距離を測っていたという証拠も、
陳寿が公孫氏の資料を入手したというのもなんの証拠もないからな

誇大化され距離を列島の実地理に合うように計算したら短里を使っていたと考えたほうが自説に都合
がよいとうだけの視野狭窄かつ姑息な説でしかない

郡使は魏から派遣された軍人である以上、郡使として倭国まで行っている以上は比較的正確な日数の報告を上げていた筈
なのにその距離が誇大化されているということは、魏が朝鮮半島を支配し、倭国が朝貢してきたのは晋の始祖である司馬懿
の軍事的な功績の結果だからでしかない
つまり、陳寿がなんらかの事情か命令を受けて、意図的に誇大化したと考える方が自然
そういった政治的事情も踏まえず、存在したことすら証明できない短里と持ち出してくるから話がおかしくなる
0403ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 14:40:49.42ID:cc4D41MX0
そもそも何故卑弥呼なる者が女王になれた(立てられたか)考えればわかる。祈祷師だったからさ。今で言う感がいい人なのかシャーマンなのかはわからないが。大自然で暮らす人々は天候に多々左右されて来たはず。太陽を操れる人だと群衆は思い込んだ。日蝕や月蝕を恐れた古代人には、自分が陽の光を操れると卑弥呼が言うたならば、何も知らぬ人々は崇め奉り王としたかもしれない。
0404ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 14:44:34.27ID:SBCFUTMD0
卑弥呼なんて戦後から言われだしたことでファンタジー仕立てにしただけ
0405ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 14:51:49.27ID:bqdXLhiv0
>>382
当たり前は当たり前じゃ無い

朝鮮半島から対馬に渡るなら、釜山からが当たり前なのに

度百濟行至竹島 南望聃羅國經都斯麻國逈在大海中 又東至一支國 又至竹斯國 又東至秦王國 其人同於華夏以為夷洲疑不能明也 又經十餘國達於海岸 自竹斯國以東皆附庸於俀
0406ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 14:56:10.86ID:xS6Daw3y0
決定的課題はな、倭人は里を知らないのに、何故?前方後円墳は漢尺なのか?だよ。中国人が企画し築造したからだよ、それから何百年物部滅ぶ位まで作られる。そこんとこ追及しないとね、わざと避けてるよね本当の事を言うのを学者達わ。中国人だよ、畿内に30か国の親魏倭王と呼ばれた女王わ。
0407ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 14:58:13.79ID:bqdXLhiv0
西晋(265年 - 316年)の時代、台与につづき五王がまだ朝貢している280年から297年の間に成立した『魏志』倭人伝
帯方郡ー韓国−対馬國−一大国−末廬国−伊都国−奴国−不弥国−投馬国を経て邪馬壱國


唐(618年 - 907年)の時代、太宗の命で編纂された『梁書』倭人伝(629年完成)
帯方郡−一支国−末廬国−伊都国−奴国−不弥国−投馬国を経て邪馬臺国


唐(618年 - 907年)の時代、太宗の命で編纂された『隋書』倭国伝(636年完成)
百済−竹嶋−耽羅国−都斯麻国−一支国−竹斯国−秦王国−十余国を経て奈良
0408ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 15:00:07.77ID:AbcpFk1E0
>>373
縮む?
換算していないだけだよ。
では、周の時代 75m 魏の時代 400m
0409ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 15:01:22.66ID:E7XqAmH90
文献で信用できるのは魏略の「倭の女王が使いをよこした」ことだけだろ
あとは伝聞資料の寄せ集めなんだからいくら読んでも参考資料にしかならん
0410ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 15:04:22.67ID:SW7sTXB60
吉野ヶ里歴史公園は一度は行ったほうがいい。よくこれだけの遺跡跡を壊さず残したもんだと感心するよ。
0411ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 15:06:59.74ID:bqdXLhiv0
魏(220年 - 265年)の時代、倭国に行くには

西晋(265年 - 316年)の時代、台与につづき五王がまだ朝貢している280年から297年の間に成立した『魏志』倭人伝によれば
帯方郡ー韓国−対馬國−一大国−末廬国−伊都国−奴国−不弥国−投馬国を経て邪馬壱國

その237年後の南朝梁(502年から557年)の時代に倭国に行くには
対馬から渡る島が一大国から一支国に変わって

それからわずか24年後の隋(581年 - 618年)の時代に倭国に行くには
一支国から日本本土に上陸する先が、末廬国から竹斯国にへと、さらに変わってる
0412ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 15:09:03.41ID:AbcpFk1E0
>>405
朝鮮半島縦断する釜山までの陸路が発達していない。
0413ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 15:10:18.30ID:bqdXLhiv0
魏(220年 - 265年)の時代、倭国に行くには

西晋(265年 - 316年)の時代、台与につづき五王がまだ朝貢している280年から297年の間に成立した『魏志』倭人伝によれば

帯方郡ー韓国−対馬國−一大国−末廬国−伊都国−奴国−不弥国−投馬国を経て邪馬壱國

その237年後の南朝梁(502年から557年)の時代に倭国に行くには
対馬から渡る島が一大国から一支国に変わって

それからわずか24年後の隋(581年 - 618年)の時代に倭国に行くには
一支国から日本本土に上陸する先が、末廬国から竹斯国にかわり、伊都国も、奴国も、不弥国も、投馬国も、出てこない
0414ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 15:13:19.07ID:UK4U1LH00
陳寿のとうちゃんわ、蜀漢の馬謖の部下で王平と一緒に孔明の指示通り山を(陣)降りましょと諌めた人で王平は元五斗米道の信者、五斗米道は巫女を取り込みヒメミコ制を実現させる、陳寿がわざわざ巫女鬼道、弟が助けると書いとるのに何を佐賀で議論しとるのじゃ?
0415ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 15:17:56.36ID:bqdXLhiv0
>>412
おいおい

度百濟行至竹島 南望聃羅國經都斯麻國逈在大海中 又東至一支國 又至竹斯國 又東至秦王國

百済へ渡り、竹島に至る。
南に耽羅国を望み、はるかな大海の中にあるツシマ国を経て、
また東のイキ国へ至る。
またチクシ国へ至り、また東の秦王国に至る

唐(618年 - 907年)の時代、太宗の命で編纂された『隋書』倭国伝(636年完成)による

隋(581年 - 618年)の時代に倭国に行く記述だぞ?
朝鮮半島縦断する釜山までの陸路が発達していないわけがねーだろ
0416ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 15:22:11.03ID:XkUksXra0
>>189
ほらまた畿内説信者が科学を否定し始めたw

古墳の年代は古墳から出土したものの中でもっとも新しいものの年代で決まる
古墳は密閉されるので後から新しい時代のものを追加で埋めることは無いからだ

また木には古木効果というものが存在し年代が大きくブレる
だが小枝の場合この古木効果が働かないため精度の高い測定ができる
その一番信頼できる試料の測定結果が4世紀後半なのだから、ホケノ山古墳は4世紀後半と見るしかない
それが科学的結論
結局、畿内説(笑)というのは文献も考古学も科学も否定しなければ成立しないお笑い学説なんだよ

Old Wood Effect(古木効果)を理解する
https://www.radiocarbon.com/jp/old-wood-effect.htm
>芯材(内側)と辺材(外側)の放射性炭素年代は異なり、芯材の方が辺材より年代が大幅に古くなります。
>炭化物や木の炭素年代測定を行う場合は、年代は特定できますが、サンプルが短命な植物や小枝がサンプルでない場合は、
>木の成長過程のどの部分をサンプリングするかによって数百年の誤差が生じる可能性があります。
>
>また、放射性炭素年代測定は試料がいつ使われたのかではなく、試料となった有機物がいつ生きていたのかを教えてくれるものです。
>測定試料と史実をリンクさせる場合は間違った結論に導かないように“古木の問題”を考慮しなくければなりません。
>伐採年とは違う年における木材の使用、木材の再利用も年代測定という観点からすると“古木の問題”となります。
>木材はいわゆる“寝かせ”の期間があります。 建築材の中には後世の建築に再利用されるものもあります。
0417ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 15:22:27.96ID:AbcpFk1E0
>>413
倭国の中心国が変わる。
邪馬壹国は、一時的なもん
梁以降は、
統合されたり名を変えたり
消えたり。大化改新以降、国名が二文字になる
0418ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 15:23:20.91ID:bqdXLhiv0
つまり

一番近いから

は、意味がねーんだよ
0419ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 15:26:42.15ID:XkUksXra0
>>373
またそんな嘘を流布しているのか
始皇帝以前は短里があちこちの国で使われていた証拠が史書に残っているんだが


533 :不要不急の名無しさん :2020/09/26(土) 15:41:24.47 ID:Qc4i4ljD0
批判も多い古田氏だがこと短里の研究に関しては正解に辿り着いていたようだ
『史記』五帝本紀 第一にある方五千里を長里で解釈すると中国全土より広くなってしまう
五帝は中国全土を網羅していなかったという始皇帝の自画自賛と矛盾する

http://nagai.sub.jp/ronbun_pdf/yamataikoku/tanli.pdf
> そして古田さんは、漢の司馬遷が紀元前 91年 ころに記した『史記』に、
> 夏・殷・周の≪古法≫に拠る「短里」と、秦・漢の≪新法≫による「長里」のあることを発見します。
> 次の通りです。
>
> 『史記』五帝本紀 第一の
> 【(帝舜の地は)方五千里にして荒服に至る 】の記述は、「短里」に拠つている。
> 『〔史記本紀 I』 五帝本紀第一、ちくま学芸文庫版 25頁〕
>
> 『史記』秦始皇帝本記 第六の
> 【古の五帝は、地は千里に過ぎず 】の記述は、「長里」に拠つている。
> 『〔史記本紀 I』 秦始皇帝本記第六、ちくま学芸文庫版 145頁 〕
>
> これは、同じ≪周以前の五帝の版図≫を、
> 「短里」の行われた『五帝本紀』では、方五千里と言い、
> 「長里」が新たに定められた『秦始皇帝本記』では、(方)千里と言い換えているのです。
> 『〔倭人伝を徹底して読む』1987年、朝日文庫版 190頁 〕
>
> そしてこの記述は、
> ≪古の五帝の版図≫は〔短里で言えば方五千里〕、〔長里で言えば方千里〕に過ぎないが、
> ≪始皇帝の版図≫は〔中国全土を網羅している〕、
> と誇つているのです。
>
> では、いつから?〔周以前からの短里〕が〔長里〕に改められたのか?と言えば、ズバリ、『史記』に次の記述があります。
> 【始皇帝は五行説に立ち、古の周が≪火徳≫であるとしたのに対し、秦はこれに勝つ≪水徳≫とし、水徳に叶うと言われる黒色と六の数を尊んで、
> 符節や法冠の長さは六寸、輿は六尺、一歩は六尺、乗車の馬の数は六匹とした】
0420ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 15:27:54.78ID:bqdXLhiv0
>>417
ちがうね

その237年後の南朝梁(502年から557年)の時代に倭国に行くには
対馬から渡る島が一大国から一支国に変わるが
末廬国−伊都国−奴国−不弥国−投馬国は変わらない

それからわずか24年後の隋(581年 - 618年)の時代に倭国に行くには
一支国から日本本土に上陸する先が、末廬国から竹斯国にかわり、伊都国も、奴国も、不弥国も、投馬国も、出てこない

つまり

伊都国も、奴国も、不弥国も、投馬国も、九州に無かった
0421ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 15:28:15.03ID:XkUksXra0
短里を否定するアホはこれでも読んどけ


536 :不要不急の名無しさん :2020/09/26(土) 15:59:32.79 ID:Qc4i4ljD0
>>533に加えて、史記以外にも始皇帝以前の記録には短里でなければ辻褄の合わない文章が存在する
例えば【戦国策】の有名な「虎の威を借る狐」のエピソードもその一つ

https://blog.goo.ne.jp/kanjikazoku/e/ed44d2edd78d311101f3e5c73f7672a2
> 今王之地方五千里 ,帶甲百萬 ,而專屬之昭奚恤 ; 故北方之畏奚恤也 ,其實畏王之甲兵也 ,猶百獸之畏虎也。

戦国諸国の一つに過ぎない荊(楚)の宣王の領土を方五千里としている
1里を430mで換算すると2150km四方ということになるが、上海市の長江河口から測っても
2150km先は成都を通り越して四川省奥地まで到達する
2150km四方は内モンゴルやウイグル、チベットを除く当時の中華圏全体よりも広い範囲である
これも短里以外では成立しない文章である
0422ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 15:29:35.86ID:XkUksXra0
短里を否定するアホはこれでも読んどけ


624 :不要不急の名無しさん :2020/09/26(土) 18:45:32.83 ID:y1B9e6n60
>>574
戦国策には戦国七雄の領土があちこちに書かれているがどれも短里
https://i.imgur.com/WpRnm2e.jpg

元資料
https://kpu.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&;item_id=4063&file_id=19&file_no=1

当時の中華という概念にはチベットもウイグルも内蒙古も含まれないので
長里でいえば方四千里程度の範囲
0423ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 15:30:05.62ID:XkUksXra0
短里を否定するアホはこれでも読んどけ


655 :不要不急の名無しさん :2020/09/26(土) 19:14:02.48 ID:y1B9e6n60
魏志韓伝に韓の大きさが方四千里と書かれているが、
三国のほぼ中央に位置する荊州・襄陽を中心に方四千里の範囲を地図に描くとこんな感じ
https://i.imgur.com/GFj713W.jpg

ほぼ中華全土に匹敵する
当然魏国よりもはるかに大きくなってしまう
魏の国の人間が韓が自国より大きいと誤認することなどあるわけがない
東夷伝が短里であることに疑いの余地は一片も無い
0424ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 15:36:44.72ID:bqdXLhiv0
対馬から渡る島が一大国から一支国に変わるが
末廬国−伊都国−奴国−不弥国−投馬国は変わらないと
南朝梁(502年から557年)の時代に倭国に行く行き方が書かれた

『梁書』倭人伝


一支国から日本本土に上陸する先が、末廬国から竹斯国にかわり、伊都国も、奴国も、不弥国も、投馬国も、通らないと
それからわずか24年後の隋(581年 - 618年)の時代に倭国に行く行き方が書かれた

『隋書』倭国伝

両方とも、唐(618年 - 907年)の時代に太宗の命で編纂された
0425ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 15:44:07.73ID:bqdXLhiv0
『梁書』倭人伝 も、『隋書』倭国伝 も

両方とも、唐(618年 - 907年)の時代に太宗の命で編纂されている

つまり

太宗の命で『梁書』倭人伝(629年完成)と『隋書』倭国伝(636年完成)を編纂した、唐(618年 - 907年)の時代の学者たちが

南朝梁(502年から557年)の時代に倭国に行くには
対馬から渡る島が一大国から一支国に変わるが
末廬国−伊都国−奴国−不弥国−投馬国は変わらない

しかし

それからわずか24年後の隋(581年 - 618年)の時代に倭国に行くには

一支国から日本本土に上陸する先が、末廬国から竹斯国にかわり、伊都国も、奴国も、不弥国も、投馬国も、通らない

といっているんだよ
0426ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 15:49:13.07ID:AbcpFk1E0
>>424
経路変えただけかもね?
0427ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 15:53:33.88ID:AbcpFk1E0
或いは、倭の中心国が移動になったとか?
0428ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 16:08:02.18ID:bqdXLhiv0
>>426
一支国から日本本土に上陸する先が、末廬国から

九州の竹斯国にかわる

のは、伊都国も、奴国も、不弥国も、投馬国も、通らなくなる

大幅な経路変更

なんだろうね
0429ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 16:11:15.91ID:IrzARaEF0
>>428
松浦半島じゃなくて博多の近くに上陸したんならそうなるんじゃね?
0430ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 16:12:40.88ID:bqdXLhiv0
訂正

南朝梁(502年から557年)の時代も
それからわずか24年後の隋(581年 - 618年)の時代も
行き先はおなじ、奈良の大和政権だけど

一支国から日本本土に上陸する先が
末廬国から九州の竹斯国にかわるのは

伊都国も、奴国も、不弥国も、投馬国も、通らなくなる
大幅な経路変更

なんだろうね
0431ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 16:14:46.74ID:bqdXLhiv0
つまり

末廬国−伊都国−奴国−不弥国−投馬国

というルートは、九州には存在しない
0432ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 16:19:01.08ID:AbcpFk1E0
>>431
過去に存在していただけだよ。
0433ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 16:19:45.28ID:wMxO5bnZ0
>>402
>つまり、陳寿がなんらかの事情か命令を受けて、意図的に誇大化したと考える方が自然

後世の人に誇大化した事を書いて残しても意味が無いだろ
君はアホかw

>>415
朝鮮半島は日本統治になるまで内陸の交通は未発達だった
河川、沿岸を舟での輸送や移動が普通だよ
朝鮮半島縦断する釜山までの陸路なんて発達してないよ。
0434ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 16:19:49.94ID:bqdXLhiv0
>>432
24年後が過去とか(笑)
0435ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 16:19:58.69ID:Q6MisiuT0
>>430
松浦に上陸してたのが博多に直行するようになっただけじゃん
あほくさ
0436ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 16:21:08.27ID:bqdXLhiv0
>>433
まーたそんなご都合理論かよ
0437ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 16:21:27.52ID:kmzSK3gt0
>>395
記紀のことはある程度信じているけど信じていないことも多い
大きなところでは天孫降臨とか小さなところでは神武天皇が宇佐に寄ったとか
なんで開門海峡を往復せなならんのだ

さてコピペ
日向国だから天孫降臨の地と言い出したのは宇佐神宮
宇佐神宮は自分の領地があった場所を高めようと色々捏造をしている
今の宮崎県民は神話の国というのを信じているが細かく調べればおかしな事ばかり
はっきり言って起源を主張するどこかの国のいうことと変わらん
これからは間違いは間違いと認めることが大事だと思う

続日本紀によれば昔の日向国は鹿児島宮崎を含む地域だった
記紀ではともに天皇家と隼人族は同族出身としている
日本書紀では特に阿多(薩摩半島南部)と特定している
ちゃんと調べれば分かることばかり

木花咲耶姫の本名である神阿多都比売
海幸彦の子孫は隼人族の阿多君
神武天皇の妃である阿比良比売は阿多小椅の妹
代々阿多(薩摩半島南部)の人間だらけ

おまけに鹿児島県南さつま市の上加世田遺跡からは久米と墨書された遺物が出土している
これは神武天皇の部下である大久米命との関連を思わせる

よって神武天皇の出身地は鹿児島県の薩摩半島
旧加世田市から旧金峰町にかけてと思われる

なお天孫降臨が現実にあったと考えるのは無理がある
それに山上に神が降り立つというのは北方系の神話

高千穂地名の変遷(改)
日向国風土記逸文(713、引用は釋日本紀1275-1301、萬葉集註釋1269)知鋪の郷(ちほと読めるから高千穂と言い出す。
本当に原本にあったか?というか500年以上たって元ネタはなんだ)
宇佐八幡宮託宣(765)高智保(たかちほと言ってるのが神主だと分かる。)
和名類聚抄(925)   智保(一般には広まっていないようで、辞書にはまだ高千穂は載らず。)
大日本史(1657〜)  日向国臼杵の郡、智保、今は高千穂の庄(虚仮の一念、岩をも通す。でも正式には智保。)
(参考)1889年(明治22年)三田井村、押方村、向山村が合併し高千穂村となる。(ようやく正式に高千穂)
0438ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 16:22:43.13ID:g5TYgANW0
>>421-423
決定的史料が出てきたな
九州説はこういうのをちゃんと出してくるから信用できる
畿内は妄想だけだもんなー
0439ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 16:24:09.86ID:AbcpFk1E0
都が北に移動しただけ。
旧中心の邪馬壹国まで行く必要性はない。
0440ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 16:24:31.75ID:wMxO5bnZ0
>>431
末廬国−伊都国−奴国−不弥国−傍国20か国−奴国
奴国−不弥国−傍国20か国−奴国・・・これが周旋5000里で倭国一周

帯方郡−投馬国−邪馬壹国・・・日数は帯方郡からの説明で里数の行程の再説明
0441ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 16:24:58.25ID:bqdXLhiv0
>>435
松浦に上陸してたのが博多に直行するようになっただけ



末廬国−伊都国−奴国−不弥国−投馬国 の5カ国で、奈良の大和政権まで行けたのが

竹斯国(筑紫)− 秦王国 − 十余国を経ないと、奈良の大和政権まで行けなくなる

とか

頭おかしいだろ m9(^Д^) プギャー! 
0442ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 16:27:53.56ID:bqdXLhiv0
むしろ

末廬国に上陸すれば
伊都国−奴国−不弥国−投馬国 の4カ国で、奈良の大和政権まで行けたのが

九州の竹斯国(筑紫)に上陸するようになって
秦王国 − 十余国を経ないと、奈良の大和政権まで行けなくなった

のほうが正しい
0443ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 16:32:34.56ID:bqdXLhiv0
たった4カ国で行くことができる奈良から近い末廬国から
奈良から十余国も離れた遠くの九州の竹斯国(筑紫)に

奈良の大和政権は、なぜ変えたのか

それは、ヤマトタケルの西征 だろうな
0444ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 16:34:07.75ID:AbcpFk1E0
>>442
奈良固定が原因?
0445ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 16:37:06.24ID:cc4D41MX0
邪馬台国は知覧節(飯野布志夫)→邪馬台国の秘密
面白い本だったよ。
0446ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 16:37:35.19ID:cc4D41MX0
知覧説ね。ごめんなさい。
0447ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 16:38:53.88ID:fQM2coUS0
ふつうに考えて
魏志倭人伝に九州の地名ばかりズラズラでているのに
いきなり邪馬台国だけが畿内になるなんて、不自然すぎるもんな
どう見ても九州説のほうが説得力あるわ
0448ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 16:40:59.83ID:AbcpFk1E0
>>447
大和政権とは別もの。
又、一時的な女王が二人いただけ。
0449ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 16:45:56.70ID:isjiB46d0
年輪ではっきり年代が特定できるような木材とか、吉野ケ里から出土してないの?
0450ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 16:52:58.44ID:AbcpFk1E0
>>447
近畿説は無いけど、
九州+日本海側(鉄)地域連合。
大乱跡が九州と青谷上寺地遺跡が激しい。
0451ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 16:56:37.43ID:A+GuQaBb0
それではなぜ

神武を祖とする奈良の大和政権は、ヤマトタケルの西征まで
対馬に近い九州の竹斯国(筑紫)を使わずに
対馬から遠いけどたった4カ国で行くことができる奈良から近い末廬国を使い続けたのか

それは

九州の竹斯国(筑紫)は、神武の本家だったから
神武を祖とする分家の奈良の大和政権は使えなかったんだよ
0452ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 16:57:49.76ID:4yt6zZJi0
航路に関しては、魏時の使譯は2回。
240年梯儁の報告 = >>32 魏の軍船による宿営で寄港地は不明。萬二千里。
247年張政の報告 = 倭人船ルートで積算萬五百里の行程で到伊都迄、常駐して帰国
循海岸 水行 歴韓国 乍南乍東 到 其北岸 狗邪韓國 七千餘里
始度一海千餘里 至對海國 所居絶㠀 方可 四百餘里
又 南渡一海千餘里 名日 瀚海 至一大國 方可三百里 
又 渡一海 千餘里 至 末盧國 有四千餘戸
東南 陸行五百里 到伊都國 有千餘戸  丗有王皆統屬女王國 郡使 往來 常所駐
東南 至奴国 百里 東行 至不彌國 百里

補足報告
使 大倭 監之 自女王國以北 特置 一大率 檢察 諸國 畏憚之 常治 伊都國 於國中有 如刺史
王遣使 詣京都 帶方郡 諸韓國 及 郡使倭國 皆臨津 捜露 傳送文書 賜遺之物 詣女王 不得差錯

607年裴世清の報告= 遣隋使 小野妹子の帰国便で、答礼使として来日。
倭人船の航路だが、帆船で黄海を横断できるもの。 帰国も608年妹子の遣隋使船。
済州島を経て対馬海峡を渡り筑紫経由〜瀬戸内海に入った。筑紫以降は別の日本船乗り継ぎ?

3回の航路はそれぞれ別であって、決まった航路が有った訳ではない。
0453ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 17:09:56.19ID:wMxO5bnZ0
>>441
博多に港が整備されて呼子に上陸する必要性が無くなったんだな。
0454ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 17:13:53.99ID:wMxO5bnZ0
>>449
年輪で年代の特定は不可能に近い
材木の周りは製材時に切り落とされてるし
木材は木を切ってから数年から数十年乾燥させてから建物に使われている
0455ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 17:14:51.49ID:7OLH8Zh30
>>447
そうそう九州北部に住んでる人は魏志倭人伝にあるルートが古代地名として今も約8割方残ってるからわかるのよw

実は笑いながら魏志倭人伝論争見てるわけ
0456ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 17:14:52.76ID:VKunKiUu0
>>441
上陸するのは筑紫って自分で言ってんじゃん。
0458ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 17:23:29.47ID:4yt6zZJi0
目的地が筑紫や福岡平野内なら、呼子や唐津で船を降りるわけが無いでしょうが?
伊都が早良辺りなら、北西5百里は糸島北岸、伊都の港は博多湾内でしょ?

張政が、僻地で下船したのは、卑弥呼の墓を見せるとか
半島進出ひかえて、軍事的に博多湾は見せられなかった とかしかない。
伊都が佐賀、吉野ケ里説はこの点まともだけど、歩くと遭難しそうw
0459ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 17:23:36.97ID:wMxO5bnZ0
>>457
20年前と鉄の出土状況は変わってないよ
最近は更に硯が北部九州地域から多数出土してるな。
0460ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 17:28:36.16ID:wMxO5bnZ0
>>458
伊都国へ魏使は向かってる
伊都国は現在の糸島市南東部
当時は志摩と伊都の間の海は遠浅で大型の船は近づけなかった
壱岐にも近く、天然の良港である呼子付近へ魏使は上陸したんだよ
呼子付近から糸島市南東部までは40km(1里80mとして丁度500里)。
0461ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 17:37:40.93ID:4yt6zZJi0
硯って中国硯かと思ったら平石だろw
墨や朱を体に塗るとかは、土器片でも良いんだし、
釣り針や矢じり? 鎌? 研ぐとかなら、携帯砥石って有るけど
ぜんぜん、絵や毛筆の為の墨汁や絵具溜まるスペースなくネ?
0462ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 17:38:21.76ID:jEeUOvub0
>>416
また科学のド素人が専門家の研究結果に難癖つけてるな

100の試料のうち残り98の試料で古木効果が同じレベルで生じるのかよ
ド素人のおまえごときが思いつくことを専門家が考慮してないとでも思ってるのか
アホらしい難癖

前半は、年代が判明してる考古遺物の共伴と測定精度の問題を
ごちゃ混ぜにしたトンチンカンな難癖
0463ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 17:42:25.71ID:heODXJzp0
九州は今も昔も僻地なの
熊襲隼人のような施政が及ばない地域に隣接しているのに、発展していたわけが無い
邪馬台国は九州かもしれんが、それはシャーマンが治めるムラにすぎない
0464ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 17:47:24.14ID:4yt6zZJi0
>>460
大型の船って言ったって、遣隋使以降の帆船じゃ無いし
その位のもんは、博多湾入ってるでしょ?
ムツゴロウ居たかなwww

遠浅じゃなくて、縄文海進とか? で船が大宰府方面まで、
川でも上って行けたって話は知ってる。
0465ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 17:50:08.42ID:AbcpFk1E0
>>464
小舟に乗り換え、ピストン。
なるほど20日は掛かる。
0466ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 17:51:27.16ID:AbcpFk1E0
>>464
伐採して材木流すからね。
0467ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 17:57:14.22ID:jEeUOvub0
>>363
罵倒するなら理由を言え

畿内説では、魏との外交時期の絹は初期ヤマト政権傘下の奴国から出て
魏から貰った可能性のある高品質の絹も纒向から出てる

九州説では、魏との外交時期の絹は、九州の候補地のどこからも出ないし、邪馬台国連合の候補地からも出ない
魏から貰った可能性のある高品質の絹もどこからも出てない

絹なんて九州説の否定要素でしかない
それなのに絹を九州説の根拠にしたいためか知らんが、全く違う時代の絹を持ち出してきたり
九州説での候補地になり得ない奴国での出土を持ち出してくる
インチキ詐欺論法やっておきながら、人を罵倒しやがる
0468ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 17:58:38.90ID:uwxCYMMx0
これだけ有名なのに、卑弥呼をまつった神社などがないのはな〜ぜ
0470ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 18:01:59.48ID:ufAyVIMC0
卑弥呼の墓は立派なものだったのか?

その南に狗奴国あり。男子を王となす、その官に狗古智卑狗あり。女王に属さず。
その八年(正始8年)、太守王頎官に到る。倭の女王卑弥呼、狗奴国の男王卑弥弓呼ともとより和せず、倭の載斯・烏越等を遣わして郡に詣り、相攻撃する状を説く。
魏は張政を倭に派遣し、難升米に詔書、黄幢を授与。

なんか狗奴国に女王なのにずいぶん苦戦しているようだが
しかも張政も軍を率いていないし

張政が日本に到着すると卑弥呼が既に死(殺されて)に墓が作られた。
(100人余りの卑弥呼の従者が同じく埋葬された おそらく卑弥呼側に加担して殺された従者)

卑彌呼以死、大作冢、徑百餘歩、殉葬者奴婢百餘人
なんか急ごしらえの塚だよな
殉教者とやらも狗奴国との戦いで死んだ卑弥呼の従事者でないのか?

大きいのは大きいのだろうけれども縦横が大きいだけで
高さがある立派な大きな塚ではなかったように思えるのだが
本当の皇族の墓ならもう少し時間をかけて丁寧に作ったと思う
0471ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 18:04:13.60ID:zMmXEsjH0
>>468
335 ニューノーマルの名無しさん 2020/10/24(土) 09:59:11.47 ID:FIHFhve90
>>327
卑弥呼=アマテラスだからな
0473ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 18:09:30.15ID:wMxO5bnZ0
>>464
縄文海進?時代が全然違うだろw

>>467
>魏から貰った可能性のある高品質の絹も纒向から出てる

高品質も低品質も絹なんて出てないよwww
嘘八百だなw
北部九州地域からは絹が多数出土している

>インチキ詐欺論法やっておきながら、人を罵倒しやがる

自己紹介w
0474ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 18:09:44.21ID:wg4mLOPr0
>>462
>100の試料のうち残り98の試料で古木効果が同じレベルで生じるのかよ
同じロットの材木なら同じように生じるだろアホ
お前は古墳築造をバラバラに寄せ集めた材木でやると思ってるのか
そもそもお前が出したソースのどこに試料が100もあると書いてあるんだ?

>ド素人のおまえごときが思いつくことを専門家が考慮してないとでも思ってるのか
専門家と言えば科学を無視できるとでも思ってるのかw
科学ってのはやり方さえ間違えなければ誰がやっても同じ結果が出るから信用されてるんだよアホ
お前の思考はゴッドハンドそのものだ

古木効果の無いもっとも信頼性の高い試料がホケノ山古墳は4世紀後半だと示してるんだから諦めろ
0475ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 18:11:49.94ID:Dsj0BBPh0
>>467
九州の事はどうでもいいからさ
魏から贈られた絹が纏向で見つかったってソースだしてくれない?
それが知りたいだけだからさ
どうせ無いんだろ?無いものは出せないわな
だから出鱈目だと言っている
0476ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 18:14:27.07ID:ufAyVIMC0
>>469
それはないね
そもそも伊勢神宮ができたきっかけは疫病が発生して各地で反乱が発生した崇神天皇の時代がきっかけ
紀元前148年 - 紀元前29年1月9日 
そこでこれを鎮めるために伊勢神宮を建築し始めたのが垂仁天皇の時代
紀元前69年1月26日 - 紀元70年8月8日

多少の誤差はあるがこの時代

それから景行天皇 そしてヤマトタケル そして仲哀天皇 そして神功皇后の200年ー270年へと続く

日本書記によると神功皇后を詐称した人間がいた時代は神功皇后の時代と書かれているからね
まあ卑弥呼の名前は載っていないけどそれらしき人間は書かれているから



伊勢神宮が作られたのは垂仁天皇
0477ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 18:15:19.31ID:12JG1lLm0
>>458
朝鮮半島から来る船とのトラブルが多かったから
ひとまず漁村で船下させてそこから歩かせたとか
理由はいろいろ考えられるんじゃね?
0478ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 18:16:16.49ID:cc4D41MX0
神代三代の山陵が鹿児島に何故あるとお思いか?高屋山陵・吾平山陵・可愛山陵。
0479ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 18:16:54.88ID:Dk/BczoW0
この鏡ってのは、太陽光を反射させて火を起こすために使われてたんじゃないの?

そりゃ虫眼鏡か??
0480ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 18:17:26.42ID:wMxO5bnZ0
>>470
卑彌呼以死、大作冢、徑百餘歩、殉葬者奴婢百餘人
直訳だと
卑弥呼が死んだので、大いに冢を作る、最短距離100歩、奴婢を100人殉葬者とした。
卑弥呼の墓が大きいなんて書かれていない。
0482ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 18:22:31.55ID:ufAyVIMC0
そもそも伊勢神宮は垂仁天皇の頃に始まり
それが嘘だったとかいう古文書は見たことがないからね
垂仁25年 
天照大神の祭祀を日葉酢媛命が生んだ皇女の倭姫命に託した。
宇陀、近江、美濃と周った倭姫命は最終的に伊勢に落ち着き伊勢神宮を建立した(元伊勢伝承)
0483ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 18:24:27.02ID:4yt6zZJi0
>魏との外交時期の絹?

景初二年六月 倭女王遣大夫難升米等詣郡
正始元年 太守弓遵 遣建中校尉梯儁等 奉詔書 印綬 詣倭国 拝仮倭王

其四年 倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪拘等八人
皇帝の権勢を自慢するために有る、
この時の返礼品を、魏志は記録していない。

既に、三国志の軍事的協力者として卑弥呼は無能。
と言う情報は、魏帝、司馬氏に届いていたのではないかな?

魏の皇帝からの、
皇帝の子分を自慢するべきお土産は二回しか、もらってない。

其八年 太守王頎到官
倭 女王卑弥呼 與狗奴國 男王卑弥弓呼 素不和 遣倭載斯烏越等 詣郡 説相攻撃状
遣 塞曹掾史張政等 因 齎詔書 黄幢 拝假 難升米 為檄告喩之

この報告は、
使大倭監之 自女王國以北 特置 一大率 檢察諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史
王遣使 詣京都 帶方郡 諸韓國 及 郡使倭國 皆臨津 捜露 傳送文書 賜遺之物 詣女王 不得差錯

この報告で、三国志における、魏と邪馬台国の国交は終わった。

魏が滅ぼしたBC200年から青銅輸入の韓、
200年辺りから進出の中国貴族の公孫氏は、日本の友好国だった。

中国の漢四郡は、高句麗が追ったが、日本は百済新羅を建国した。
これが、東亜の歴史である。
0484ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 18:35:25.95ID:ufAyVIMC0
あと日本の古墳の起源は神功皇后だと思う
先祖の墓を立派にする事業を道路を整備する土木工事ついでに三韓征伐後の落ち着いた日本で行った
それを全国の豪族が真似た
0485ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 18:45:15.39ID:B8/cIfP20
>>460
なるほど中国船の喫水はどのくらいだったんだろうな
倭人の準構造船なら博多湾に直で良かったのかな
0486ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 18:52:06.83ID:12JG1lLm0
>>478
調査、年代推定とかはしたの?
0487ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 18:53:38.34ID:vUL2PcYA0
考古学って採用は公平なんか?(笑)
0489ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 19:01:01.21ID:AbcpFk1E0
>>482
記紀は、参考程度だな。
もっと新しいかも?
0490ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 19:03:40.00ID:2ov/P3AG0
>>480
>徑百餘歩

直径120mの円墳
多分これはかなりモリモリに盛ってる。
現存する円墳で最大のものは、奈良県にある100m級と、茨城県?だったかのもので、どちらも4世紀のもの。

3世紀にそんなに巨大な円墳を作ったとするのは眉唾
0492ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 19:04:40.55ID:vUL2PcYA0
旧石器問題は解決したんか(笑)
0493ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 19:05:31.50ID:cc4D41MX0
>>488そこが大切なことなのに。鳥居に菊の御紋のついた宮内庁直轄の神社もある。歴代天皇陛下も各山陵へお見えになっている。
0494ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 19:06:10.80ID:AbcpFk1E0
>>490
あったとしても、崩れてるだろー。
そのまま残るとも思えん。盗掘もある。
0495ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 19:10:31.24ID:3t877PFk0
>>493
ほい よく存じておりますよー たしか御皇霊は三陵とも
他の神宮に収めてるんじゃなかったっけか
昔すごいところ有るんやなと調べた記憶がある
0496ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 19:10:56.79ID:AbcpFk1E0
>>482
案外、トヨだったりして?
0497ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 19:12:10.87ID:v6YfgYCs0
>>482
なんで天皇家の祖先神が大和(奈良)の地を追い出されるんだろうかねえ
0498ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 19:14:29.67ID:v6YfgYCs0
>>496
まあ伊勢神宮の外宮は「豊(トヨ)受大御神」を祀っていますがね
0499ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 19:14:46.23ID:BoRISS+60
鏡に写った
0500ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 19:23:30.84ID:3t877PFk0
>>497
曖昧な記憶で済まんが、伊勢は大和朝廷から見て真東にあって
そこが現世から異世界への入り口としたためとか読んだ記憶がある
天皇は現世の王で有るので、異世界へはお参りには行かない
これが掟だとかなんとか、、、、、ふーんとしか思わんかったがw
0501ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 19:31:44.11ID:B8/cIfP20
>>497
ずっと宮中で祀ってたならそのまま宮中で祖先神を祀ればいいのにな
0502ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 19:32:26.10ID:AbcpFk1E0
>>498
大和政権と関わってあったのが台与かもしれん。
0503ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 19:36:31.91ID:3t877PFk0
おそらく陰陽か何かで決めたんだろうけど、その割には伊勢に落ち着くまで
岡山や広島にまで元伊勢が有る どんだけウロウロしてたのかとw
0504ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 19:41:12.68ID:AbcpFk1E0
>>503
神武も奈良に至るまでウロウロ。
窮屈な宮廷だし台与と駆け落ち?
なんか韓流時代劇みたい。
0505ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 19:51:14.65ID:s3o2nnlJ0
日光東照宮みたいに反乱の危険がある勢力へ睨みを利かしていたんじゃね?
「太陽神がお前らをいつでも見張っているぞ」と
0506ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 19:51:59.70ID:wMxO5bnZ0
>>490
徑百餘歩は直径120mの円墳じゃなくて
「殉葬者奴婢百餘人」の場所が最短距離で100歩(120m)の意味だろ
殉葬者を入れた冢なんて見つかってない
卑弥呼の冢から120m以上離れた周辺に100人の奴婢が殉葬されてるんだ。
0508ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 19:56:51.08ID:wMxO5bnZ0
>>507
伊都・志摩
伊勢・志摩
二見ヶ浦
0509ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 20:26:05.43ID:v70K5Yq40
>>468
神道は祖神が朝鮮人であり邪馬台では無い
0510ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 20:29:59.78ID:GdAMr9K80
やっぱりよく見たら上から下までアホなこと喚いてる奴しかいないな

邪馬台国スレって「我こそが古代史の謎を解き明かした賢者なるぞ!」みたいなアホが延々と湧いてくるな

よくこんだけバカなこと延々と喚いてられるわ
0511ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 20:30:16.81ID:2ov/P3AG0
>>506
もう一回>>480の原文を見返そうよ。

卑彌呼以死、大作冢、徑百餘歩、殉葬者奴婢百餘人

卑弥呼が死んででかい墓を作った。
直径120mで、奴婢100人を殉葬。

念の為に書いておくと、506の解釈でも祇園山古墳は該当しないからね?
祇園山古墳自体は墳丘が直径20mくらいしかなく、周辺の集団埋葬墓含めても50mしかない。
これは発掘の時の図面で確認済み。
0512ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 20:35:44.25ID:3t877PFk0
>>509
それは初耳だな、おやがみ様が人間だとは、、、、それでどうして「神ながらの道」になるのか
説明聞きたいね
0513ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 20:38:25.19ID:v70K5Yq40
>>512
神社の起源は半島。そもそも神道そのものが渡来人が持ち込んだ文化。
上代、紀元節の二月十 一日には、宮中で韓神の祭りが行われていた。

出雲大社も伊勢神宮も元々祭神は韓神
0515ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 20:42:50.04ID:uLZX/rKQ0
吉野ヶ里遺跡は魏志倭人伝で言う、
華奴蘇奴国=神崎の国なんだわ。
0516ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 20:45:26.27ID:uLZX/rKQ0
>>511
そんなもんなんだよ。
0517ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 20:49:32.27ID:3t877PFk0
>>513
よかった、まるっきり違う解釈してんだね
それだと天皇の始祖が大国主命となってしまい
まるっきり辻褄が合わない

一人の神だったら八百万の神では無いわな
0519ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 20:57:03.78ID:uLZX/rKQ0
祇園山古墳は、元々鏡山神社があった、
鏡があった山である。
つまり卑弥呼の墓なのだよ。
そして山頂の高良大社は、
鏡割り発祥の地だ。
弥生後期〜古墳時代の破鏡の発祥とも言える。
0520ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 20:59:49.85ID:2ov/P3AG0
>>516
仮に祇園山古墳が卑弥呼の墓なら、魏志倭人伝なんてあてにならんって証拠でもあるんだけどね。

>>519
祇園山古墳から出土したとされる鏡に、三角縁神獣鏡があるのよね。
卑弥呼の鏡は三角縁神獣鏡ではないとする説とも真っ向からぶつかる事になる。

結局、卑弥呼の墓の推定は振り出しに戻る。
0521520
垢版 |
2020/10/24(土) 21:03:17.00ID:2ov/P3AG0
祇園山古墳についてアレコレ書いたけど、卑弥呼の墓ではないと100%断定してるわけでもないよ。

祇園山古墳を卑弥呼の墓だと断定的には語るには、まずい点があるわけだから、断定的に書くのは間違ってると言いたい。
0522ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 21:04:52.11ID:uLZX/rKQ0
出雲は古事記によると、
日本武尊に征服されてしまった。
その時、日本武尊が言うには、
出雲の刀は飾りは立派だが刃がないと言うわけだよ。
この時出雲が持ってたのは銅剣だろうな。
コレが山門八女の鉄剣に征服されてしまったのだ。
従って、出雲のたたら製鉄は、
山門八女から伝わったと考えていい。
0523ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 21:10:05.85ID:uLZX/rKQ0
破鏡発祥の地は高良大社であり、
おそらくは、祇園山古墳にあった鏡を割ったのが始まりだろうから、
弥生後期〜古墳時代に大量に割られた鏡が、
魏からもらった鏡としていい。
だから、三角縁神獣鏡のうちの
外来鏡の100枚が卑弥呼の鏡だろうな。
0524ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 21:15:43.52ID:uLZX/rKQ0
ちなみに、何故破鏡が正月の縁起物として行われたかと言えば、
鏡を割るものにヒントがある。
鉄の槌である、金槌の存在なのだ。
銅より鉄なんだよと言う訳だ。
今の鏡割りでも、金槌で割るのが基本だろう?
銅から鉄へと、時代の主役が移り変わっていったのだ。
0525ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 21:22:07.27ID:vLqCj/320
>>493
自分の国の歴史を調査も発掘もしない国なんてないよ。
宮内庁は日本の歴史の解明を阻害する狂信カルト。
お前はこんなスレにいるべきじゃないんだよ。
0526ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 21:23:16.06ID:E7XqAmH90
>>510
邪馬台国スレは毎度同じ基地外が常駐するからまともな奴が寄り付かなくなった
0527ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 21:28:28.71ID:5huIkbTV0
>>525
埋葬者のDNA調査なんて拒否するだろうな。
0528ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 21:32:39.71ID:3t877PFk0
>>524
なんか必死に結び付けようとしてるけど、鏡餅を金目の物で叩く(割る)のは
普通切腹を感じさせるから木槌つかうもんだぞ
そんで割るとはあんまり言わんやろ、開くとか抜くとかって言う
0529ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 21:35:14.24ID:52GzaDcT0
>>340
>百済−竹嶋−耽羅国(済州島)−都斯麻国(対馬)−一支国(壱岐)−竹斯国(筑紫)−秦王国−十余国を経て難波津−奈良

筑紫の後に「秦王国」とあるけど何か意味深だなぁ
現在の何処なんだろか?宇佐か?
0531ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 22:01:55.13ID:uLZX/rKQ0
>>528
ソレは高良大社発祥ではないぞ。
0532ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 22:05:56.10ID:uLZX/rKQ0
そもそも、鉄がないと、
巨大な古墳は築造できない。
巨大な古墳は鉄の伝播とリンクしている。
3世紀後期〜4世紀始めの事だな。
0533ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 22:17:37.11ID:DhuEerun0
>>474
そりゃ致命的だな。
最初に結論ありの小保方流で押し通そうとするのが間違いの元と。
0534ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 22:18:33.90ID:uLZX/rKQ0
卑弥呼は記紀内では、倭姫命として書かれている。
邪馬台国の卑弥呼=倭の姫命である。
天照大御神を祀って、各地を流浪し、
伊勢に伊勢神宮を建てた姫である。
実際、伊勢神宮は丹後の元伊勢籠神社から、
伊勢に鎮座したと言われており、
この元伊勢籠神社の宮司が、
丹波氏の中の海部氏である。
そして、この丹波氏は、祇園山古墳の
ある高良山の高良大社の元々の大祝家なのである。
0535ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 22:21:51.04ID:nVYCvhY/0
>>480
大作冢、徑百餘歩、殉葬者奴婢百餘人
あんたのいう
「卑弥呼の墓が大きいなんて書かれていない」
が正解

大作冢は「大い「に」冢を作った」
つまり「邪馬台国聯合の国葬として大々的に鳴り物いりで
盛大に行なった」という意味だ。
大き「な」冢を作ったのなら「作大冢」と書くはず。
https://asia-allinone.blogspot.com/2016/12/p394.html
「歩」という漢字は甲骨文字で左右の足の裏を上下に描いた象形文字
>歩は象形文字である。甲骨文字と金文の歩は両足の足跡が一つは前に一つは後ろにあることを表して、
>足が交代で前に行くことを示している。歩の本義は歩行である。歩兵、徒歩、等。
>「步步为营=歩歩為営」この成語は、言っているのは軍隊が前進する時、
>前進の一歩一歩陣地を固めながら前進することである。
>まるで人の一歩の足跡を「稳扎稳打」=穩扎穩打(着実に根をおろし、
>着実に戦う)の形容することで、注意深くあるという事である。

穩扎穩打」は毛沢東の「関于情况的通報」という論文で使われた四文字熟語。
本来の「一歩一歩陣地を固めながら前進」という字義からすると
普通の庚申の一歩= 135cmというよりは
足の寸法の2倍約50cmと考えた方がいいと思う。そこで前方後円墳の
くびた部分が50m
あるいは前方部後円部を合わせた全長が135m。
0536ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 22:25:31.71ID:uLZX/rKQ0
そして、元伊勢籠神社のある宮津の天の橋立には、
8人の天女が絹織物と酒を伝えたという天女伝説がある。
8人の天女=八女である。
八女が絹織物の先進地だった時代は卑弥呼の時代である。
実は、丹後ちりめんこそが、
邪馬台国から伝わり発展した絹織物なのである。
熊襲征伐をした、卑弥呼の弟(記紀では倭の姫巫女の甥)が、出雲を制圧し、
八女の女技術者が、丹波丹後に
絹織物と酒と天照大御神を祀る神社を伝えたのである。
0538高篠念仏衆さん
垢版 |
2020/10/24(土) 22:31:56.64ID:t01Sw9eq0
華麗に中国釣ってるんじゃないの?w
1970年代から
0539ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 22:35:24.71ID:uLZX/rKQ0
邪馬台国に謎は無い。
今でも伝わる伝承と風習が、
我々に邪馬台国の息吹を、
生き生きと吹き込んでくれるのである。
0540高篠念仏衆さん
垢版 |
2020/10/24(土) 22:35:31.78ID:t01Sw9eq0
>>510
便所のイタズラ書きが、先端科学を議論し始めるのが
5ちゃんだぞw
0541高篠念仏衆さん
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2020/10/24(土) 22:38:08.13ID:t01Sw9eq0
っていうか、🇰🇷🇰🇵朝鮮半島で日本語の物が出土して
破棄したりとかあるの?
0542ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 22:41:17.23ID:XPb2vaNo0
>>530
淡路島の製鉄所からは北部九州式の返しのついたヤスが見つかっている
瀬戸内海を制していた北部九州の海人族の遺跡だよあれは

弥生期の鉄製ヤス出土 淡路で近畿初
https://www.infokkkna.com/ironroad/2018htm/2018iron/18iron03.pdf
> エックス線写真で分析した結果、先端から約1・5センチ下方に「かえし」が見られた。
> ヤスや釣り針にかえしをつくるには高度な技術が必要といい、鉄器製造が盛んだった九州などから持ち込まれた可能性がある。
>
> 弥生期の鉄製ヤスや釣り針は、山陰や九州北部で出土する例が多い。
> 愛媛大東アジア古代鉄文化研究センターの村上恭通センター長は
> 「山陰は九州から鉄製漁具を受け入れ、漁民が鉄器の交易を促進した」と分析。
> 今回の発見で、漁具が日本海側だけでなく「瀬戸内側を伝わって来た可能性もある」と指摘する。

弥生時代の海の勢力図
http://www.gondo.com/gyarari/photo/kokunaiiseki/pic/doigahama/a2.jpg
瀬戸内海は北部九州を本拠地とする海人族の支配下

結局、目と鼻の先の淡路島に鉄器工房があっても奈良盆地内から鉄製品が全然出てこない状況に変わりはないわけで
生産された鉄器が運ばれていない以上、奈良盆地とは別勢力の遺跡と考えるしかない
0544ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 22:48:37.31ID:uLZX/rKQ0
畿内説派に言わせると、
奴国が何処かすら分からず、
金印が何故志賀島から出たのかも分からないし、
侏儒国が何処の国かも分からないし、
狗奴国も投馬国もどこかわからないのに、
教科書には邪馬台国は大和にあったと書いてあると言う。
まさに、キチガイである。
0545ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 22:49:45.52ID:XPb2vaNo0
>>530
あと滋賀も3世紀の卑弥呼の時代までには北部九州の海人族・安曇が進出している
滋賀という地名自体が安曇の聖地・志賀島に由来すると言われている

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B3%B6%E5%B8%82
> 高島市(たかしまし)は、滋賀県の西部、琵琶湖北西に位置する市。市の面積は県下一である。
>
> 古代の弥生時代の3世紀以前に古代日本を代表する有力氏族である安曇族が定着した。
> 高島の一級河川の安曇川の名称は安曇族に由来する。県名の滋賀県も安曇族に由来すると言われている。(滋賀郡の郡名の由来を参照)

当時は鉄の国産がまだ行われておらず、朝鮮半島の弁韓から全量輸入していたと言われている
半島と行き来する航海術を持つ彼ら海人族でなければ鉄原料を継続的に手に入れることはできなかった時代
0547ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 22:57:24.61ID:jF8bDx7j0
しかし九州の人ってなんでこんな邪馬台国にこだわるんだ?
天皇の出身地が九州であろうということでいいだろ
邪馬台国はヤマトだよ
間違いない
0549ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 23:02:31.19ID:XPb2vaNo0
>>547
お前のように文献も考古学も科学も無視した捏造野郎が気に入らないから
0550ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 23:02:41.61ID:B8/cIfP20
>>547
jia ra əї ək 魏晋の時代は邪馬臺国はこう発音してたらしいよ
これなんて発音するんだろうな?ヤマトっぽくはなさげ
0551ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 23:03:31.41ID:uLZX/rKQ0
奴国は那の国、那の津であり、
不弥国は宇美の国であり、
投馬国は妻国であり、
投馬国の長官副長官の
彌彌、彌彌那利は耳川美々津の豪族である。
狗奴国は隈の国であり、
狗奴国の長官の狗古智卑狗であり、
従って、それらに挟まれた山門八女と豊の国が、
当時の邪馬台国で確定しているのである。
邪馬台国の長官副長官の、
伊支馬、彌馬升が、宮崎市生目の豪族である。
熊襲征伐をした日本武尊が、
狗奴国と戦った卑弥呼の弟であり、
従って、日本武尊の叔母と書かれている
天照大御神を祀る巫女だった倭姫命が、
祭祀を司った卑弥呼である。
邪馬台国を巡る謎はどこにも無いのである。
0552ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 23:05:15.01ID:aBo7C0iB0
>>549
無視してるのは九州のボケどもだろが
0553ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 23:06:55.70ID:B8/cIfP20
>>552
古代魏晋の時代の発音を無視して現代の日本語発音でヤマトだのヒのミコだの言ってる奴らが
科学的なわけないだろw
0554ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 23:08:22.43ID:uLZX/rKQ0
金印が志賀島から出土したのは、
志賀島にある志賀海神社が、
奴国を構成していた安積族の氏神が
祀られている神社であるからで、
まさに、金印が志賀島から出るのは、
歴史の必然である。
アレも謎コレも謎だけど、
邪馬台国は大和にあったと教科書に書いてある(笑)。
畿内説派は狂っているとしか言いようが無いだろう。
0555ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 23:09:48.91ID:aBo7C0iB0
>>550
この程度の訳の分からない見解のどこが科学的なんだ
0557ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 23:12:02.14ID:XPb2vaNo0
>>552
いや畿内説(笑)の人たちですが?
0558高篠念仏衆さん
垢版 |
2020/10/24(土) 23:13:53.04ID:t01Sw9eq0
考古学は物的証拠ないと
ハッタリだらけだぞ?
0560ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 23:17:50.36ID:mSZA9bam0
>>544
奴国は博多あたりにあった那県(なのあがた)と呼ばれてた所と考えられている
金印は後漢書にある通り西暦60年くらいに漢から倭の奴国王に与えられて
恐らくその後に戦乱があって那県の近くの志賀島に隠されるか何かしたんだろ
侏儒国は淮南子という漢の地理書などにも出てくる空想的な国で
狗奴国は熊本あたりの南九州全般で投馬国は古代出雲の鞆の浦の可能性が高い

魏志倭人伝は邪馬台国を会稽東治の東つまり沖縄になるあたりと書いていて
実際の邪馬台国の位置を記してない事が明らかになっている
そして畿内からは景初三年という卑弥呼がいた頃の魏の年号が入った三角縁神獣鏡や
画文帯神獣鏡が発見されていて
考古学得t気には邪馬台国は畿内とされている
0562ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 23:21:59.61ID:XPb2vaNo0
2019年に畿内説の長老・直木孝次郎が亡くなったが、彼は「九条の会・おおさか」の発起人でもあった
どういった人たちが畿内説を唱えているか、実に分かりやすいねえ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E6%9C%A8%E5%AD%9D%E6%AC%A1%E9%83%8E
> 直木 孝次郎(なおき こうじろう、1919年1月30日[3][4] - 2019年2月2日)は、日本の歴史学者。
> 大阪市立大学名誉教授[4]。文学博士(京都大学、1969年[5])。日本古代史研究を代表する研究者[6]。

九条の会・おおさか 呼びかけ人(14名)のメッセージ
http://osaka9.org/archive/yobikakeninn.html
> 直木孝次郎 (大阪市立大学名誉教授)
> 九条を変更して骨抜きにするような、非常に危険な状態が起っている。しかし、もう戦争をするような時代ではない。
> 九条は、世界が今後進むべき方向を指し示した貴重なものである。絶対に守って行きたい。
0563ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 23:25:41.50ID:uLZX/rKQ0
邪馬台国の卑弥呼は、倭の姫命であるが、
別の名は丹波=丹婆である。
高良大社の元々の大祝家の丹波氏である。
丹波、丹後、但馬の丹の国が、
卑弥呼の一族、丹婆が進出して行った場所である。
0564ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 23:28:18.10ID:uLZX/rKQ0
侏儒国は小人の国であると言う。
弥生の小人の集団墓地が発見された遺跡がある。
種子島の広田遺跡である。
山門八女から4000里の場所にある。
侏儒国=種子国である。
0567ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 23:32:51.09ID:HdE3w5fa0
>>557
だったら学会いって言ってこいやゴミ
0570ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 23:34:40.99ID:uLZX/rKQ0
投馬国が妻国であり、
長官副長官の彌彌、彌彌那利が、
耳川美々津の豪族であると認識できないのは、
脳に問題があるからでしかなく、
またそれ故に投馬国が出雲であると
口走ってしまうのである。
もう我々にはどうする事もできない、
コレは考古学の問題ではなく、
医学の問題だからな。
0571ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 23:37:08.60ID:B8/cIfP20
>>566
アイヌ語云々はデマらしいよ ソースは知恵袋()
0573ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 23:37:39.32ID:XPb2vaNo0
>>567
>>562ではっきりしたように、キミら畿内説(笑)は危険人物の集まりなわけですw
0574ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 23:39:08.79ID:prYAJfun0
>>566
文化的に、明らかに南方系。
0575ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/24(土) 23:46:07.53ID:uLZX/rKQ0
魏志倭人伝の邪馬台国の卑弥呼の墓のある
高良大社の元々の大祝家が丹波氏であり、
また、記紀の、倭姫命の祖父祖母は丹波氏であると言う。
つながったな、寸分の狂いもなく。
もう決まりなんだよ。
コレを分からない分からない分からないと言っているのは、
アホなだけでしかない。
0576ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 23:54:27.92ID:uLZX/rKQ0
私の様な考古学の天才が、
学会の圧を全く受けずに、
自由に伝承と考古学を組み合わせて考えれば、
全ての事柄が全て一つにつながってくる。
考古学に謎は無いのである。
少なくとも、アホが、
考古学を牛耳っちゃいかんぞ。
私のレベルで、考古学を考えられる人間が、
日本の考古学会をリードすべきだろう。
0577ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/24(土) 23:56:42.11ID:zMmXEsjH0
>>566
毛人=えみし=蝦夷
0578ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 00:12:54.95ID:+erBftux0
>>576
私の様な考古学の天才が、だとよwwwwwww
頭おかしい
0580ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 00:22:48.72ID:WYXJQgD30
考古学の天才wwww
流石に大草原だな
まさに>>510で書かれてる

邪馬台国スレって「我こそが古代史の謎を解き明かした賢者なるぞ!」みたいなアホが延々と湧いてくるな
だなw
0581ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 00:26:51.23ID:VvkCgQ+a0
古代どころか宇宙も解明しとるわw

俺の宇宙理論が定説になりつつある

邪馬台国もこのまま定説になるだろう
0582ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 01:15:09.64ID:n+MK/kZs0
>>581
なんで量子論みたいなへんてこな理論でしか物理を説明できんの?
0583ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 01:21:19.40ID:E2uK3KCM0
>>474
纒向周辺のいろいろな遺跡で庄内期から布留期まで年代測定している
それらの年代測定で使った試料が合計で100ある

小枝の測定結果のみでホケノ山古墳を4世紀後半だとしてしまうと、他の遺跡の年代もすべて後ろに平行移動することになる
おまえは2試料の年代測定のみが正しく、残り98試料の年代測定は間違ってると言ってるのと同じだ

専門家は1つ2つの測定結果だけで判断せず、すべての遺跡の先後関係から整合性を見て年代を推定していった
振れ幅の大きい測定方法なんだから1つ2つの測定結果では結論は出せない
当たり前だ

おまえは振れ幅の大きい測定方法で、大きく振れた2つのみを持ち出してきて文句をつけてる
おまえがやってることは、モンスタークレーマーの難癖と同じ
0584ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 01:44:04.13ID:MBRzdxfV0
>>583
古墳を作った勢力と、後の大和朝廷は別勢力。
日本書紀には、古墳を造った記録が殆どない。あんな大事業なのに。
0585ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 02:27:46.45ID:8zA9EFfT0
>>423
短里か長里かは重要ではないと思うんだよな

帯方郡〜末蘆国 1万里
帯方郡〜邪馬台国 1万2千里

帯方郡〜狗邪韓国 7千里
倭国の周旋 5千里

畿内説だと「現実の距離的には、まだ半分程度の
北九州到着で『旅程の約8割終わった』と陳寿は考えてる」
「『朝鮮南部西岸の方が本州海岸より長い』と陳寿は考えてる」
ということになってしまう
0587ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 04:49:30.28ID:7ZBY2RT+0
>>585
方向でまず近畿はありえない。
0588ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 04:58:49.62ID:7sptw9+K0
>>541
あの半島人はウンコを肥やしにして
朝鮮語の幹から日本語の枝葉が生えてくるのが
必然的って妄想してるからwww
しかし悲しいことに朝鮮語せ「先生」を表わす
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13113362288
「ソンセンニム」の「im」はモンゴル語由来。
日本語と語順が同じで文法がよく似てる外国語は朝鮮語以外にも
モンゴル語、タミル語、シンハラ語、トルコ語など少なくない
https://spiceup.lk/sinhalatravel/
>マゲ・ナマ ・○○(私の名前は○○です )
>名前はシンハラ語で「ナマ」といい、日本語とにていますよね。
>日本語と語順は一緒で、「私の(マゲ)・名前は(ナマ)・〇〇です」となります。
>あなたの名前はなんですか?は、「あなたの(オヤーゲ)・名前は(ナマ)・何ですか(モカッダ)?」となります。
>ビル・デンナ(伝票下さい)
>お会計をする際(ビルをもらう時)にはこちら。
>「デンナ」は下さい!という意味で、色んな場面で使えます
山下達郎の「クリスマスイブ」の「サイレンナーイ(トゥ)、ホウリーナーイ(トゥ)」
替え歌 from 嘉門達夫の替え歌メドレー「さいでんなー、ほうでんなー」

トルコ語
Ben dün mektubu yazdım.(私は昨日、手紙を書いた。)
Ben(私)
dün(昨日)
mektub(手紙)
u(「を」に当たる接尾辞)*
yaz(「書く」を意味する動詞yazmakの語幹)
dı(過去形を作る接尾辞)
m(主語が一人称単数の場合に用いる人称接尾辞)
*接尾辞は日本語の文法でいえば助詞や助動詞のようなもの。
*現代の「暁=あか「つ」き」奈良時代には「暁=あか「と」き」だった。
0589ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 05:16:51.56ID:7sptw9+K0
>>587
九州説でも方向を捻じ曲げてる箇所があるし、
日数が1カ月とか怪しい記述があるから
奈良vs北九州は引き分け=友引

「先勝、友引、先負、友引」など六曜は支那の賭博師用語
0590ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 07:24:59.97ID:mcvtJY0g0
>>589
いや九州の場合は「今のところ辻褄が合いそうなのはこのルートぐらいだけどまだ研究の余地がある」のだけど
奈良の場合はあり得ないレベルで方角も距離も違うから同等に扱ったらいかん
0591ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 07:26:01.83ID:8PUWQw5+0
>>590
嘘ばかり言うな
普通に読めば九州だけはあり得ない
0592ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 07:29:18.08ID:XPU+EHJ/0
畿内説派は、脳に異常がある。
0593ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 07:31:08.10ID:mcvtJY0g0
>>591
いや普通に読んだら「九州内のどこか」が可能性高いんだけど
とりあえず奈良、というか畿内はあり得ない
対海国に相当する島が対馬以外にどこかにあったとかじゃない限り
それでも可能性は限りなく低いとは思うが
0594ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 07:33:44.64ID:8PUWQw5+0
>>593
嘘ばかり言うなって
どう読んでも九州はない
0595ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 07:35:18.12ID:XPU+EHJ/0
畿内説派は脳に異常があるからな。
関わるのは時間のムダでしかないぞ。
0597ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 07:51:41.95ID:mcvtJY0g0
>>595
このスレ見てるとほんとそう思う
九州派から出土品から邪馬台国は熊本北部とする面白い考察あったけど
畿内派からは「これは」ってレスは一度も出てない
もう何かってーと東征がどうだの天照がどうだの古事記とかの神話をもとに話するから話にならない
0598ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 07:51:53.47ID:x0WgaLeX0
九州では前方後円墳の説明がつかないし、魏が焦れ込む理由も投馬に五万戸の説明も出来ないだろう。畿内九州論をやり続ける理由は 次の段階に進めさせない天皇制が働いている為とも言える、おそらく卑弥呼は中国人巫女。倭武王は上奏に東征毛人五十五国、西服衆夷六十六国と倭種国を毛人蝦夷扱いしてる外来勢力。記紀もまた出鱈目。
0599ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 07:56:32.29ID:mcvtJY0g0
>>598
また訳のわからんこと言い出した
ほんと畿内派って頭おかしい
0601ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 08:03:14.55ID:x0WgaLeX0
では九州説では何処に卑弥呼の国があり、その後畿内の前方後円墳との繋がりを説明してくれ
0602ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 08:09:57.99ID:HdQggLQK0
そこに拘る意味がわからない。古墳は卑弥呼よりずっと後でしょ?
0603ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 08:16:07.44ID:dOslXaGm0
>>597
畿内に古墳がいくつもあって、どれが誰のか明確に分からないから、最初から「必ずそれらのどれかが魏志のいう邪馬台国の卑弥呼の墓である」という前提で、年代からしてそれに合うように辻褄を合わせてるからね。

方位が明らかに都合が悪いなら都合が悪い部分だけ誤記で片付ける。
三角縁など魏ではまるで作ってないなら、特別に作ったことにする。

完全に小保方ってる。
0604ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 08:17:49.65ID:mcvtJY0g0
とりあえず古墳と邪馬台国を結びつける必要はないよな
0605ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 08:20:25.32ID:hmd5egXY0
魏志倭人伝には卑弥呼の墓の大きさは書いてあっても前方後円墳だとか形の説明はないな
0606ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 08:22:14.70ID:5LCeWYSTO
三角縁つうと祇園山古墳から発掘されたのは1枚も無いらしいな 出土したと伝わる鏡が高良大社に保管されとったと これぶっちゃけ大陸で1枚だけ見つかった出所怪しいアレと歴史資料的には大差ないんとちゃうか
0607ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 08:25:35.95ID:5e3E/PEv0
>>584
古墳を造ったのは神武に滅ぼされたナガスネビコやニギハヤヒみたいな先住者だろうな。
0608ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 08:30:36.56ID:dOslXaGm0
>>601
「魏志のいう邪馬台国は九州のどこか」
「今のところそれ以上に細かく絞って特定することは出来ない」とするのが正しい。
先入観を排して物事を客観的に観察して
「確実に分かったことだけ分かったとする」
「確実に分からないことは分からないとする」
それが「科学的な正しい姿勢」なんだよ。

まあ、最初から結論ありで思いっきり小保方ってる者に言っても受け付けないだろうし、「受け付けてしまったら最後」だろうが、あいにくと

最初から終わってる

んだよ。
0609ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 08:34:11.42ID:7sptw9+K0
>>592
九州派は古田武彦の亡霊に獲り憑かれているwww
古田武彦は反日反天皇、反日本書紀なので
屋根裏から落ちてきた『東日流外三郡誌』に跳びついて騙されたwww
昔うちの押し入れから出てきた古新聞に屋根裏から落ちてきた
『東日流外三郡誌』関係文書が見つかったという記事を読んだことが有る。
0610ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 08:35:35.13ID:5e3E/PEv0
>>605
径100歩は卑弥呼の墓の大きさと言うよりも
100人の奴婢を殉葬した所までの距離だろう。
0611ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 08:36:09.23ID:dOslXaGm0
>>607
倭人伝と同時代のものがあるなら、それは魏志のいう邪馬台国とは別の独自の文明の名残ということで

「魏志のいう邪馬台国とは別の物」を、他に文献がないからといって「無理に魏志のいう邪馬台国とする」のは、「実際のそれらの独自の歴史を抹殺する愚行」にしかならない。
0612高篠念仏衆さん
垢版 |
2020/10/25(日) 08:36:38.28ID:PFnmI/qJ0
唐の帝国秩序[9]
1.貢賦(調庸物・貢献物)と版籍(地図と戸籍)とを定期的に中央政府に納入する内地諸州(10道315州県)

2.王朝に服属した蕃夷が貢賦(調庸物・貢献物)と版籍(地図と戸籍)を不定期に納入し、長官を世襲する羈縻諸州(800州府)
突厥・契丹・奚・渤海・回鶻・堅昆・突騎施

3.王朝から冊封を受けて中華秩序に組み込まれ貢献を定期的に行う蕃夷
靺鞨・吐蕃・室韋・新羅・南詔・吐火羅諸国

4.貢物のみを不定期に朝貢する遠夷(入蕃)
日本・林邑・扶南
この違いは何?
0613ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 08:36:46.47ID:1Rzq9/Mb0
>>608
九州のどこかという根拠は?
証拠は?
もちろん、そんなものはなく、ただの思い込みだというのも分かってるけど、一応聞いてみた
0614ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 08:37:51.20ID:XPU+EHJ/0
前方後円墳は、
豊の使者が266年に洛陽の郊外で見たとされる、
司馬炎が行った冬至と夏至の祀りを合わせて行ったとされる、
円丘方丘を合わせた祭壇で間違いないだろう。
0615ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 08:38:26.23ID:5e3E/PEv0
>>609
古田武彦は方向性は間違ってないと思うけど
細かい内容に付いては色々誤りが多いね
通説よりは益しだな。
0616ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 08:41:24.16ID:XPU+EHJ/0
従って初期の前方後円墳のうち、
最大の箸墓が卑弥呼の墓であるというロジックは最初から破綻しており、
モモソヒメが卑弥呼などというのは、
脳に異常がある事を示している事例でしかない。
0618ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 08:43:47.81ID:VvkCgQ+a0
>>596
珍説ってw 俺以外でもそう言ってる人いるのに、ググればw

はいはい記紀じたいもソースそのもの

989 ニューノーマルの名無しさん 2020/10/23(金) 15:34:28.17 ID:BBCj/vOK0
畿内厨を黙らすには古事記を出せばおk

国産みにおける九州の地名には、日が付く

山陰がスサノオ、四国がツクヨミ、そして九州はアマテラスの地だと明白w

筑紫島(つくしのしま) - 九州。
胴体が1つで、顔が4つある。顔のそれぞれの名は以下の通り。
白日別(しらひわけ) - 筑紫国。
豊日別(とよひわけ) - 豊国。
建日向日豊久士比泥別(たけひむかいとよくじひねわけ、タケヒムカヒトヨクジヒネワケ) - 肥国。
建日別(たけひわけ) - 熊曽国。
0620ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 08:48:30.53ID:MCKtUbuJ0
風土記にも記紀にも残る九州に大量に存在する女性酋長だが畿内にそういう記録は残っているのかね
0621ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 08:49:57.16ID:myiIPAv50
>>598
だって奈良神武て九州の分家(4男)みたいなもん。
初期の前方後円墳は、一族のシンボル。
0622ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 08:51:11.24ID:WYXJQgD30
>>613
九州とか言う奴と話すだけ無駄だからw
学問とかのレベルじゃない妄想をひたすら喚てるだけだから
どっかのバカブログの珍文そのまま叫んでるの見ればよくわかる
0623ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 08:52:04.92ID:XPU+EHJ/0
畿内厨のロジックは、
初期の前方後円墳のうち、
最大のモノが邪馬台国の権力者、
女王卑弥呼の墓であるというもので、
箸墓に埋葬されたモモソヒメが卑弥呼であるというもの。
しかしそこからは歴史が何もつながってこない。
0624ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 08:52:48.23ID:zkTfkSXu0
>>588
Ben はなくても語尾でわかるから不要
0625ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 08:54:06.60ID:5LCeWYSTO
天皇絡めると時系列合わなくなるから無理矢理こじつけるのやめれ ぶっちゃけ継体天皇以前に関しちゃ基本的に考慮から外した方がええ
0626ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 08:54:41.00ID:mcvtJY0g0
>>613
魏志倭人伝の記述と一致するのが一番大きいかな
0627ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 08:54:46.02ID:ZBcLIXFH0
おいやめろ
それ以上鏡の謎を探ってはならぬ
0628ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 08:57:13.15ID:SNEnzOVY0
266年に知った事はいいよね、それから畿内に東征(東遷、開拓)する理由がおかしくならない?元々壱輿は卑弥呼の宗女で同宗派を学んでいたんでしょ?それが卑弥呼の地を離れる理由がつきにくくない?、それとまともなら九州も畿内説も万世一系を信じてるのはおらんでしょ、信じてるのは利益集団か信者
0629ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 08:59:02.64ID:7sptw9+K0
>>606
出所が怪しいと言えば「漢委奴國王」印もそうだ。
黒田の殿様が作らせて家来が田んぼに埋めておいたに違いない。

弥生時代から埋まってたのならもっと早く見つかってるはず。
おれなんか田んぼで家の鍵落としたけど
2年後に備中鍬で荒田起こししてたらカチっと音がしたので
手でほじくって見たら鍵が出てきたわ。
0630ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 08:59:19.30ID:Q8IPxqBs0
邪馬台国って沢山ある豪族の1つ 何処とか判るわけが無い
何処にあるか特定も出来ない、勢力も不明

縄文時代が1万年とか2万年以上とかあって各地に豪族がいる
神武天皇なんか即位してるのが縄文時代中期〜後期。
シュメール人とかの時代
0631ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 09:00:21.57ID:zkTfkSXu0
>>630
神武即位はそんなに古くないぞ
弥生時代だよ
0632ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 09:00:43.41ID:XPU+EHJ/0
天才の私が考古学の事象を脳に入れて、
理論を組み立てた結果、
弥生後期に100人規模の殉葬が想定される、
祇園山古墳が卑弥呼の墓であり、
ソレはおよそ100歩の墳丘で、
魏志倭人伝の記述とも合う。
そして、祇園山古墳は、
元々鏡山と言われており、
鏡があった事を暗示している。
その祇園山古墳がある高良山は、
北部九州の要害の地であって、
北部九州の権力を掌握していた者の墓の在り処として相応しい。
0633ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 09:03:54.12ID:AshOni6O0
邪馬台国って魏志に出てくるから取り上げられるけど
その時代にその国が特に日本で繁栄してたとかは無関係だからな
そもそもその時代かどうかも怪しい
言い伝えを持ち帰っただけかも知れないし
0634高篠念仏衆さん
垢版 |
2020/10/25(日) 09:05:11.85ID:PFnmI/qJ0
唐のやり方と
元のやり方で
全く違うのが面白い。
0635ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 09:05:39.23ID:XPU+EHJ/0
そして、高良大社の元々の大祝家は丹波氏であり、
丹波氏の始祖の孫娘が倭姫命であり、
邪馬台国の卑弥呼である。
倭の姫巫女は天照大御神を祀っていた巫女であって、
魏志倭人伝の鬼道を司る巫女とも一致している。
また、丹波氏は、その後、丹後宮津に拠点を移して、
元伊勢籠神社を設立し、
ソレが伊勢に入って伊勢神宮を設立した。
0636ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 09:07:14.22ID:Q8IPxqBs0
日本は皇紀2680年 紀元前660年
弥生時代は紀元前4世紀〜3世紀
縄文時代はそれ以前
0637ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 09:08:39.79ID:xYzug34g0
>>630
奴国二万戸、投馬国五万戸、邪馬臺国七万戸

魏志を読めば邪馬臺国は倭国最大、さすが女王が都にしてる国と読めるよ

さして強くもない国々のひとつと考えるのも一意見だがそれは魏志を無視してるね
0638ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 09:08:45.03ID:VvkCgQ+a0
>>630
すでに特定済み

94 ニューノーマルの名無しさん 2020/10/23(金) 19:34:13.54 ID:7TXj/2qg0
すでにイワレビコがいた年代を独自に特定済み
見事に邪馬台国のあった年代に近いことが判明

あるあるの証拠w

772 不要不急の名無しさん 2020/09/17(木) 18:51:53.88 ID:EvDbnueX0
歴代天皇の在位期間は奈良時代であっても約10年と短い

50代 桓武天皇 806年退位

歴代天皇50代×歴代天皇の平均在位期間約10年=約500年

桓武退位806年−約500年=初代、神武天皇の即位(※約おおよそ)

邪馬台国があった3世紀の後半に東征?
これは興味深い
と思ったらwikiに似たようなの書いてあった、、、
0639ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 09:09:00.23ID:myiIPAv50
>>631
奴国か伊都国の4男。
本来中心国となるが、兄貴が阿保で大乱。
30国がまとまらない。嫌気さして、九州飛び出す。
仕方なく、女、王
0640ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 09:09:17.11ID:XPU+EHJ/0
丹後宮津の天の橋立には、
8人の天女が絹織物と酒の製造を伝えたという天女伝説があり、
8人の天女=八女であって、
八女が絹織物の先進地だった時代は、
卑弥呼の時代であって、
まさに邪馬台国の卑弥呼の時代からの
絹織物の継承が、日本で最も優れた絹織物の丹後ちりめんなのである。
0642ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 09:11:24.43ID:WYXJQgD30
というかまともな歴史学者も考古学者も邪馬台国なんて語らないから

学者は発掘物を集成して当時の状況を推定した話をしてるだけ
で、その頃が200年ごろで、邪馬台国の年代の頃だなという話をしてる

裏も取れない一冊だけの本を持ち出して語る学者なんていない
距離だの記載内容だのを好き勝手に弄って「確定した!」とか喚いてる時点で話にもならないレベルなのがよくわかる
0643高篠念仏衆さん
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2020/10/25(日) 09:11:30.80ID:PFnmI/qJ0
世界中に「遺伝子」をばら撒いたのは
モンゴル帝国だけどな
この頃宦官出来たと考えるのが
自然だと思うんだけど。
日本にも穴開けて拉致された記録残ってるし。
モンゴルに宦官はいない。
0644ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 09:12:47.83ID:XPU+EHJ/0
この様にして、天才の私が弥生の伝承と考古学を脳にぶち込んで物事を組み立てていけば、
全てが一つに理路整然とつながってくるのである。
この私から見ると、畿内説など、
脳に異常がある者が考えた、
浅知恵でしかなく、
全く検討にも値しないものでしかない。
0645ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 09:18:10.20ID:zkTfkSXu0
ヤマタイ国が最初から畿内にあったのか移ったのかわからんけど
畿内に出来た大和朝廷は帰化人がミカドを担いで立ち上げた政権とも言える
0646ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 09:22:06.04ID:mcvtJY0g0
>>630
魏志倭人伝の記述を見る限りは九州の少なくとも三分の一程は支配してたから豪族は豪族でも大豪族じゃなかったかね
まあだからなんだって話でもあるが
0647ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 09:22:06.66ID:xYzug34g0
教科書レベルの日本史知識なら畿内説が有力かなーとも思うが、まあ断定は出来ないかな
何しろ証拠がないし
0648ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 09:22:49.87ID:XPU+EHJ/0
倭の姫巫女の甥に日本武尊がおり、
コレが魏志倭人伝で言う歳の離れた卑弥呼の弟であって、
ソレが熊襲征伐をしたという記紀の記述が、
魏志倭人伝の狗奴国との戦いに見事に一致しているのである。
0649ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 09:23:52.57ID:mcvtJY0g0
>>633
ただ言い伝えを持ち帰っただけにしては記述が細かいんよな
邪馬台国には辿り着いてないにしてもある程度近くまで来て位置関係の説明ぐらいは受けてる節がある
0650ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 09:29:04.38ID:myiIPAv50
>>646
支配ではないよ。
共立だよ。一時的に女王が二人いたんだよ。
0651ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 09:31:41.09ID:8v89Yae60
邪馬台国について書かれているのは少なくて
・福岡から2カ月かかる
・人口は35万人
・150mの墓を造った
0652ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 09:33:10.97ID:5LCeWYSTO
>>642
その200年頃てのが眉唾物なんやてな
0653ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 09:33:18.65ID:XPU+EHJ/0
倭の姫巫女の歳の離れた弟もしくは甥、
日本武尊は、熊襲征伐のあと、
出雲に進出して行った。
コレは山門八女の部族、丹波氏の進出経路と一致する。
日本武尊曰く、出雲の刀は飾りは豪華だが刃が無いと言う。
飾りが豪華で刃のない剣=当時祭祀の道具化した銅剣銅鉾である。
山門八女の部族、日本武尊が
鉄の先進地として、鉄剣を用いて、
銅鉾文化圏の出雲を打ち破った事を示しており、
考古学的にも、出雲に打ち捨てられた、大量の銅剣銅鉾が、
コレを示している。
出雲のたたら製鉄は、日本武尊が山門八女からもたらしたと言えるのである。
0654ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 09:33:45.52ID:xYzug34g0
奴国二万戸が博多から福岡市辺りってのはまあ議論が無いんだし、それよりはるかに大きい投馬国や邪馬臺国、この辺りが女王国連合ってのをどう考えるか

あと福岡で言えば那珂八幡古墳が出現期前方後円墳と見られること、築造が3世紀半ばと推定されること
この辺
0655ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 09:38:55.78ID:XPU+EHJ/0
一方、邪馬台国には、伊支馬、彌馬升と言う、
長官副長官の部族が居た。
伊支馬=生目、彌馬升=御間城、
つまり、垂仁天皇、崇神天皇の部族である。
生目は宮崎県宮崎市の生目であり、
天皇家が日向出身の部族である事とも一致している。
0656ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 09:39:32.35ID:WYXJQgD30
アホを消してるから清々しいくらいレスが飛ぶな
見えないところで珍妙なこと叫んでるんだろうなと思うと笑える
0657ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 09:40:41.82ID:mcvtJY0g0
>>650
その根拠は?
とりあえず存在すらあやふやな神武天皇とやらの話を基にするのはNGやぞ
0659ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 09:44:23.21ID:XPU+EHJ/0
当時の投馬国=妻国には、
彌彌、彌彌那利という長官副長官が居た。
耳川美々津の部族である。
その妻国の一部族たる生目が、
山門八女の丹波氏と連合を組んでいたのが、
邪馬台国なのである。
0661ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 09:49:53.35ID:mcvtJY0g0
>>659みたいな、あやふやな話をまるで見てきたかのように話す奴もNGかなー
0662ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 09:51:34.59ID:XPU+EHJ/0
卑弥呼の時代に、天皇家の生目の部族は、
未だ邪馬台国の長官副長官だった事が確定した。
ソレが畿内に進出するのは、
この後起こった訳で、
神武の東征と言われるものは、
実際には3世紀終わりから4世紀はじめにかけて行われたものだろう。
0663ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 09:57:57.49ID:5LCeWYSTO
東征とか言いよるの雇われのマッチポンプ要員やろ 馬鹿を演じて突っ込まれる役
0664ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 09:58:26.21ID:xYzug34g0
「魏志倭人伝を普通に読む」ってそれこそ無茶苦茶難しいからな
ネイティブ中国人でも古語の専門知識や前提の歴史知識、文献の素養が無いと全く読めないし、その専門学者ですら人によって解釈は様々だし
この読み方こそ正解なんて通説は無い
0665ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 09:59:56.36ID:XPU+EHJ/0
宇佐の山手に、実際に神武が、
東征の際に陣を張ったとされる地が伝わっている。
妻垣である。
記紀には、妻国が今の宮崎県であるとは一切出てこない。
今の今ですら、投馬国がどこかわからないと言う始末だ。
しかし、この私によって投馬国は妻国=宮崎県である事が確定した。
妻垣=妻国の豪族が垣を巡らせ陣を張った場所という、
記紀以前の古い伝承に基づくであろう地名が、
東征が事実であった事を如実に示していると言えよう。
0666ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 10:03:15.91ID:WYXJQgD30
歴史書ってのは同時代の史料と読み合わせて裏を取って妥当な内容を導き出す物

単独の本一つなんて史料となりえない
こんなものをどう弄ったところで想像しにしかならんわw

だから「ぼくちゃんは素直に読んだ!これが正しい!」とか成立しねーんだよバカがw
0667ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 10:05:44.95ID:oIsADee/0
女王国より以北、その戸数、道里は略載を得べきも、その余の旁国は遠くして絶へ、詳を得べからず

とっても遠い宮崎なんかを紹介したすぐあとでこんな文章書くかね?
0668ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 10:07:02.85ID:XPU+EHJ/0
東征は作り話と言うのは、
脳に共産主義という損傷があるからだ。
私の様に、いかなる権力からもフリーな状態で、
魏志倭人伝と日本書紀と古事記と日本各地の伝承を脳にインプットして解析すれば、
東征が事実であった事が理論的に証明できるのである。
学問は自由でなければいけない、
ソレを邪馬台国論争から学んでいただきたいね。
0669ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 10:15:32.72ID:mcvtJY0g0
>>664
それもまた一理よな
真実の追求ではなく、なんらかの意図をもって訳されたら俺ら素人には分からんしな
真面目に訳してたとしても間違ってる場合もあるし
0670ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 10:16:09.26ID:WYXJQgD30
思考の順番観るとバカとの違いがよくわかる

「普通の学者」
この当時の信頼できる史書はない→考古学的発掘物を集成→発展過程を全国的に検討して時代を推定→当時の状況を推定→200年頃はこうだったろうと判断

「バカ」
倭人伝の俺解釈→すべてを都合よく俺解釈に合わせて曲解→都合のいいものだけ拾ってきて妄想を補強→邪馬台国だ

倭人伝の解釈とか言い出してる時点でもうお話にならない猿レベル
0671ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 10:16:39.19ID:XPU+EHJ/0
狗耶韓国=金官国
対海国=対馬
一大国=壱岐
末廬国=松浦
伊都国=怡土、糸島
奴国=那の津、那珂川
不彌国=宇美
投馬国=妻、都間
狗奴国=隈、球磨国
侏儒国=種子国(邪馬台国から4000里)
である事が分かっている。
じゃあ、邪馬台国が何処なの?と言えば、
上記の国じゃない場所が邪馬台国と言うことができる。
邪馬台国は、山門八女と豊の国を含む範囲が、
当時の邪馬台国なのである。
0672ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 10:20:02.32ID:XPU+EHJ/0
不弥国から投馬国まで、実際には豊の国がある。
しかし、魏志倭人伝には豊の国の記述はない。
しかし、豊の姫が卑弥呼の後、
邪馬台国の女王になっている為、
邪馬台国は豊の国を含む範囲を、
邪馬台国としている事が理論上確定したと言える。
0673ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 10:28:11.10ID:WYXJQgD30
考古学が用いられるのも要は

「倭人伝なんて全く使い物にならないから」

だからな
ぶっちゃげた話誰も内容なんてまともに取り上げてない
せいぜい遣使の年代くらいだろう
普通の歴史学ってのは文献を基にする
考古学が出張ってるのはそれがないから

なのに倭人伝の「俺解釈」とか振りかざして自信満々なバカの醜態みてると笑い死にそうになる
0674ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 10:29:07.20ID:M7PvFmeZ0
>>673
いいからお前の説を言えよ、だったらw
0675ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 10:29:08.27ID:XPU+EHJ/0
纒向は外来土器の研究によって、
当時の大陸との頻繁な交流を示さないことが確定しており、
北部九州に比べて先進地ではなかった事が確定している。
そして未だにそれを覆す発掘成果は無い。
私もそこはキッチリ抑えているので、
安心して畿内説を罵倒する事が出来る。
0676ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 10:30:15.35ID:oIsADee/0
同じ畿内説の寺澤はこう書いてるね
学界とやらの空気が伝わってくる


旧稿でも私はこのように書いた。「従来、ともすれば進化論的な継起的発展観によって、先験的にヤマト王権の核となる政治的権力を大和(あるいは大和を中心とする畿内南部)の弥生時代社会のなかに発見これ努める傾向がなきにしもあらずであった。たとえば、邪馬台国論が畿内説と九州説で論議が二分されようとも、最終的には畿内大和は勝利を手中に収めて「ヤマト王権」の面目を保たねばならない先入観があったのである」と。しかしこうした学界の傾向は37年を経た今でもさほどの転換はない。
0677ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 10:39:23.50ID:WYXJQgD30
だからまぁ

邪馬台国とか倭人伝とか言いだした時点で「あーバカの自己紹介ですね」ですむわけだ
0678ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 10:40:22.97ID:vUT3uGGC0
>>657
魏志倭人伝より。
0679ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 10:41:17.56ID:vUT3uGGC0
>>677
記紀もそうなるよ。
0681ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 10:45:10.53ID:APd1cTKA0
卑弥呼の墓なんて馬子の古墳みたいに
破壊されているんじゃないの
0682ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 10:54:04.89ID:5e3E/PEv0
>>679
記紀は魏志倭人伝以上に信用できないよな
記紀には内容が真実であるとの裏付けは全く無いんだからな
記紀と内容が合わないから魏志倭人伝は間違っているとか馬鹿だよな。
0683ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 10:55:40.91ID:vUT3uGGC0
>>637
投馬国五万戸、邪馬臺国七万戸
地の理もあるが農業、土木もかなり進んでいた。
天文、数学にも長けていたんだよ。
0684ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 10:56:45.28ID:5e3E/PEv0
>>651
>・福岡から2カ月かかる

福岡からではなく帯方郡からだよ
0685ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 11:03:40.69ID:dOslXaGm0
>>613
魏志の記述。
0687ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 11:41:02.80ID:dOslXaGm0
>>681
破壊はされないでも、継続して確定的に祭られ続けてないから、どこだか分からなくなってるのは確かなんだよね。
神社にでもなっていれば、取っ払って掘り返さないと分からんが、そんなことはしてないし。
0688ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 11:41:15.42ID:xYzug34g0
魏志倭人伝に「邪馬臺国は九州だ」って書いてるんだ
初耳だがどこに書いてるん?
0689ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 11:42:35.11ID:dOslXaGm0
>>686
そりゃ最初から小保方ってるなら、都合の悪い事実はそっぽを向くしかないからね。
0690ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 11:44:25.10ID:dOslXaGm0
>>688
半島西岸を南下して島伝いで南に海を渡った先だからね。
0691ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 11:48:08.07ID:dL+2YTdb0
>>688
元寇の時代ですら大陸の日本に対する認識はせいぜい博多までだったからな
魏志倭人伝も奴国(博多)の先があやふやになるのはこのせい。伝聞資料の寄せ集めなんだから仕方ないが
0692ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 11:49:50.91ID:Yv9AiyJw0
魏志倭人伝が信用できるわけがない
0693ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 11:54:29.40ID:mcvtJY0g0
まあ魏志倭人伝を基にすると畿内説は否定されちゃうからな
途中の行程はデタラメ
だけど邪馬台国が存在しないと困るから邪馬台国という国があるのは本当ってのが畿内派の主張だろ?
0694ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 12:01:35.33ID:IRrPfr5Q0
倭人伝に書かれた邪馬台国の話なのに畿内説ときたら
記紀によれば、240年の大倭王は大和に居たから、
世襲王ですらない、女王卑弥呼が大和朝廷の女王だという。
190年即位で247年没。 そんなものは、いないだろう。

倭人伝の女王国は、次有21国で此女王境界所盡。可7万戸。
帯方郡の南で240年の建中校尉梯儁の行軍には、女王宮まで萬2千里を要した。
この参問21国は、洲島の上に在り、周旋可五千餘里。

韓西岸で方可4千里の馬韓を過ぎ、東に3千里。対馬海峡の横断迄が、一萬里。
邪馬台国上陸後、南東500里に伊都が有る。 
丗有王皆統屬女王國 郡使 往來 常所駐

247年の張政はここで常駐、女王卑弥呼の所属国、奴国王難升米と壹與に会い
役目を終えて、帰国の途に就いた。 行程積算は、萬5百里。

魏時の使譯はこの2回。これを陳寿は記録した。
倭人伝末文
評曰
史漢著 朝鮮両越 東京撰 録西羌
魏世 匈奴 遂衰 更有 烏丸鮮卑  
爰及 東夷
使譯 時通 記述 隨事 豈常也哉
0695ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 12:01:36.14ID:dL+2YTdb0
>>656
邪馬台国スレでまともな奴以外あぼーんすると8割方あぼーんになるから面白いw
0696ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 12:04:39.82ID:KbgasJFb0
>>642
「とりあえずあぶみは無かったことにすればおk」 こういう姿勢でどういう年代の頃だと話をしてるんですかねえ
0697ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 12:07:38.46ID:j9vh6gu00
ID:WYXJQgD30みたいなノイズが大きすぎるのが問題なんだよな。
モノが全てと言いながら、すぐ「邪馬台国ですか?」「限りなく確定に近いです」という
ビジネスでメシ食ってる浅ましい土方連中が悪いんだよ。
モノが大事というなら、なんでお宝の山の九州は無視して何も出てこない近畿しか言わな
いのか。文献など、とか言いながら結局捏造の書記紀に振り回されてる。
日本の古代の姿を明確にするためには、頑迷固陋で非科学的な考古学者の切除手術を行う
しか無理だろうな。ゴッドハンドを放置することしか出来なかった、無能な学会様だからな。
0698ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 12:10:42.70ID:KbgasJFb0
>>693
近畿説は当時の魏の発音は無視してヤマトと読めるはずだという信仰に基づいてる
ていうか近畿説と邪馬台国をむずびつける根拠は、妄想からくるソコしかない
駄洒落とか親父ギャグの世界
0699ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 12:13:38.13ID:VQT+zdH50
倭武王でさえ中華の大将軍クラスであり卑弥呼は親魏倭王で格が違うんだよ。記紀には一切ハッキリとした記述は無く書く事を避けた書物であり、信用性は低い。
0702ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 12:21:52.77ID:egX3JOYC0
こんなもん分かるわけがないわw
0704ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 12:32:08.55ID:mcvtJY0g0
>>698
「邪馬台」は漢字が違う公算が高いんじゃないっけ?
今でこそ「ヤマタイコク」が当たり前になってるけどそこから間違ってる可能性がある
0705ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 12:35:53.84ID:mcvtJY0g0
>>702
正確な場所が判明することは多分ないだろうね
いかんせん日本側に記録がない
文字すらまともにない時代だから仕方ないけど
0706ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 12:40:31.65ID:IRrPfr5Q0
纏向で馬具が出ても倭人伝の記述とは無関係な畿内説的には関係なくないか?
BC200 年から半島からの青銅の搬入は有ったんだから
公孫氏が半島来たAD200年程度までには馬が居た辰韓から持ってくりゃ問題ないだろ?
むしろ、漢四郡撤退の313年以前の馬の導入に関しては正確な考古データが欲しいだろ?
0707ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 12:44:25.83ID:M7PvFmeZ0
>>688
逆に大陸半島に近い九州をすっ飛ばして
畿内って書くか?
0708ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 12:45:44.99ID:Yv9AiyJw0
>>693
魏志倭人伝を真に受けると九州説でも破綻するんだぜ?

そもそも各都市に書かれてるほどの人口が当時の九州北部で収まらない。
0709ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 12:47:04.42ID:jwgOjo5Y0
>>11
ふざけんな
おまえはクビだ
0710ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 12:53:14.35ID:5e3E/PEv0
>>666
>単独の本一つなんて史料となりえない

記紀の話かと思ったw
魏志倭人伝には魏略とかもあるよ。
0711ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 12:55:06.90ID:5e3E/PEv0
>>662
神武の東征は5〜6世紀で巨大古墳を造った豪族を滅ぼしたんだろう。
0712ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 12:56:38.40ID:5e3E/PEv0
>>708
北部九州地域全体が邪馬壹国だよ
伊都国や奴国は邪馬壹国の一部。
0713ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 12:59:02.93ID:5e3E/PEv0
>>692
魏志倭人伝を読めば読むほど畿内説は成り立たないと分かるからね。
0714ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 13:03:21.40ID:IRrPfr5Q0
記紀は、卑弥呼時代に神功皇后を併せちゃったことを
ゴメンナサイすべきだよなw

卑弥呼は190年の就任以来見たものも少ない引きこもり、
で、身内は弟一人が執政って、キャラで書いてあるのに、

神功皇后のアクティブぶりったらwww
まあ、朝廷は亭主や子供いないと
万世一系の世襲王権の話にはならんけどね。

半島進出は不可能って言うか、帯方より南や
南岸は国体が無いから弁辰韓入り混じっちゃう植民地なんだろ?

魏は246年に韓王朝滅亡させて、王政廃止してるけど、
倭人域の弁韓12諸国には王が継続してんのなw
征伐じゃなくて開拓で入ってんじゃね?
0715ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 13:06:13.86ID:Nuqk6CNU0
南朝梁(502年から557年)の時代も
それからわずか24年後の隋(581年 - 618年)の時代も

行き先はおなじ、奈良の大和政権だけど

南朝梁(502年から557年)の時代に倭国に行くのに
対馬から渡る島が一大国から一支国に変わるが
末廬国−伊都国−奴国−不弥国−投馬国は変わらないと『梁書』倭人伝に書かれている

それからわずか24年後の隋(581年 - 618年)の時代に倭国に行くときは
一支国から日本本土に上陸する先が、末廬国から竹斯国にかわり、伊都国も、奴国も、不弥国も、投馬国も、通らないと『隋書』倭国伝に書かれている

『梁書』倭人伝 も、『隋書』倭国伝 も両方とも、唐(618年 - 907年)の時代に太宗の命で編纂されている
0716ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 13:06:57.25ID:MCKtUbuJ0
どう考えても邪馬台国は熊襲連合国
卑弥呼以降女性酋長を立てるのがこの地域の伝統になった
くなこくはヤマト連合国のことで神功皇后の300年後半邪馬台国を滅ぼした
記紀の年代設定に従うなら200年後半邪馬台国のとよを殺して滅ぼした。記紀では山門県の田油津媛
0717ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 13:07:55.79ID:Nuqk6CNU0
つまり

太宗の命で『梁書』倭人伝(629年完成)と『隋書』倭国伝(636年完成)を編纂した、

唐(618年 - 907年)の時代の学者たちが

南朝梁(502年から557年)の時代に倭国に行くには
対馬から渡る島が一大国から一支国に変わるが
末廬国−伊都国−奴国−不弥国−投馬国は変わらない

しかし

それからわずか24年後の隋(581年 - 618年)の時代に倭国に行くには

一支国から日本本土に上陸する先が、末廬国から竹斯国にかわり、伊都国も、奴国も、不弥国も、投馬国も、通らない

と書き残している

一支国から日本本土に上陸する先が
末廬国から九州の竹斯国にかわるのは

伊都国も、奴国も、不弥国も、投馬国も、通らなくなる
大幅な経路変更

なんだろうね
0718ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 13:08:52.89ID:Nuqk6CNU0
>>716
もはや、邪馬台国九州説はネタ
0719ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 13:12:01.06ID:7sptw9+K0
纏向は邪馬台国の霊場祭祀場
外来土器は大和國聯合の存在を示している
0721ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 13:12:30.05ID:xhQtX1dU0
>>10
纏向は4世紀だよ
邪馬台国近畿説の学者が炭素年代法の解釈捏造して
土器編年も無視して3世紀って言い張ってるだけ
邪馬台国が北部九州なのは疑いの余地はない
邪馬台国とヤマト王権の関連性ははっきり言って歴史上は証明のしようがない
日本書紀の神武東遷を史実とみるならヤマト王権は北部九州の邪馬台国が東遷したとみるのも可能だが
証拠が何一つ考古学的に存在しない
0722ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 13:17:42.47ID:M7PvFmeZ0
>>717
当たり前だろ

もうヤマト王権が畿内にあるんだよ、その時代には

畿内へ行くルートは日本海ルートを辿る

遣隋使遣唐使の復路もこのルート
0725高篠念仏衆さん
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2020/10/25(日) 13:23:30.61ID:SuRf5uXp0
蝦夷ですら占領出来ていないのは
間違いない
0726ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 13:24:15.83ID:M7PvFmeZ0
>>724
瀬戸内海は往路
0727ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 13:26:09.30ID:7sptw9+K0
>>691
また無知を晒したなwww
九州説信者はこんなもの。

文永の役の翌年,建治1年4月15日杜世忠を正使(せいしとする一行が再び日本に来ると
長門の室津(現在の山口県豊浦町)に上陸した。
大宰府に移りさらに鎌倉に送られた一行は「龍ノ口」(当時刑場)で
全員処刑され,見せしめとして首はさらされた。
0728ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 13:26:16.39ID:Nuqk6CNU0
それではなぜ

南朝梁(502年から557年)から隋(581年 - 618年)に代わる、わずか24年の間に大和政権は、

日本本土の上陸地点を末廬国から九州に変えて、伊都国も、奴国も、不弥国も、投馬国も、通らなくなる【大幅な経路変更】をしたのか

それは、遣隋使を派遣するにあたり

末廬国は奈良からたった4カ国で近いけど、そこから対馬までが遠くて航海が大変なので

ヤマトタケルが西征して

奈良から十余国も遠く離れているけれど、そこから対馬までが近くて航海が安全な、九州の竹斯国(筑紫)に遷したのだろう
0729ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 13:30:25.26ID:n+MK/kZs0
>>713
魏志倭人伝からは九州説に比べ畿内説が不利そうだくらいしかわからんような気もするけどな。
九州説を有利にしてるのは記紀と纏向遺跡の発掘調査結果だと思うけど。
0730ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 13:33:18.74ID:Nuqk6CNU0
日本本土に上陸する先が
末廬国から九州の竹斯国にかわると
伊都国も、奴国も、不弥国も、投馬国も、通らなくなる

このことは

末廬国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国、は
南朝梁(502年から557年)の時代にも存在している

末廬国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国、は
九州の国では無い

という2つを意味している
0731ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 13:36:43.32ID:Nuqk6CNU0
南朝梁(502年から557年)から隋(581年 - 618年)に代わる、わずか24年の間に

日本本土に上陸する先が
末廬国から九州の竹斯国にかわると
伊都国も、奴国も、不弥国も、投馬国も、通らなくなる

このことは

末廬国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国、は
南朝梁(502年から557年)の時代にも存在している

末廬国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国、は
九州の国では無い

という2つを意味している
0732ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 13:40:26.36ID:Nuqk6CNU0
南朝梁(502年から557年)から隋(581年 - 618年)に代わる、わずか24年の間に

日本本土に上陸する先が
末廬国から九州の竹斯国にかわると
伊都国も、奴国も、不弥国も、投馬国も、通らなくなる

このことは

中国が、末廬国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国、と呼ぶ日本の国々は

・南朝梁(502年から557年)の時代にも存在している
・九州の国では無い

という2つを意味している
0733ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 13:40:30.24ID:8fpS/yiM0
>>714 >>1
逆だよ
神功皇后の時代に魏に長々と狗奴国との苦戦を述べて張政を派遣させた偽女王の卑弥呼が悪い
まあすぐに配下の100人共に即席の大きな穴に埋められたけどね
それで日本史に名前が出てこなかった

200年に夫の仲哀天皇を失ってずっと独身
弟の息長日子王を信頼し、妹にはトヨこと豊姫がいた

まんま魏志倭人伝に出てくる女王そのもの

200年の三韓征伐は貢物の献上と服従の意を誓わせただけですぐに日本に帰国している

実際に韓国側の資料には
208年 夏4月、倭人が国境を侵す。とある

弁韓は元より日本側の国だったし
馬韓も辰韓も日本側に組みした可能性はあるよね?

卑弥呼らしきものも実は日本書紀に出てくるし

日本書記も卑弥呼は神功皇后の時代に存在したというニュアンスの記述を残しているしね
0734ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 13:40:48.03ID:8fpS/yiM0
最後に日本書記には神功皇后が実在だとしか書いていないし
住吉大社は神功皇后が建てたものだし
神功皇后所縁の神社は多い

息子の応神天皇を祀る八幡神宮と神社に関しては多すぎるからね

昔から卑弥呼は無視されて神功皇后は奉られていた

そして卑弥呼由来の鏡は割られていた

これが答えだよ
0735ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 13:40:58.24ID:n+MK/kZs0
>>724
基本東に来るのは琵琶湖、淀川を利用するなら日本海から来た方が速いだろうな。
十分な水運システムを完備できてるなら日本海、自前の船1隻で来るなら瀬戸内海かな。
西に行くのなら瀬戸内海一択だろうけど。
0736高篠念仏衆さん
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2020/10/25(日) 13:44:07.12ID:SuRf5uXp0
不幸の歴史
純血守らないと、大陸みたいな
おかしな国になる
0737ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 13:46:29.04ID:Nuqk6CNU0
>>734
「日本(大和政権)」は古の「倭奴国(漢委奴国王)」である

国王(天皇)が自ら言うには

初代の国王は「天御中主」と名乗り、「彦瀲」に至るまで、およそ三十二代とされている

彼らは皆、尊(みこと)を尊称として、(九州の)筑紫城に存在していた

彦瀲の子の「神武」が(邪馬台国があった)大和州に移り住んでその地を治め、倭奴国王を継ぎ立ち、あらためて天皇を名乗った

これが答えです
0738ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 13:47:23.06ID:n+MK/kZs0
>>728
九州に来るなら、九州の地名を細かく書いたりもするだろうが、
大和に来るなら、九州の一番代表的な土地一個書くだけになっただけちゃう?
0739ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 13:54:10.15ID:n+MK/kZs0
>>736
純血は別に守らなくていいよ。
大陸に比べて優れた文化があるなら、それだけは守らなあかんだけで。
0740ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 13:54:27.15ID:Nuqk6CNU0
>>738
ね?

邪馬台国なんてとっくの昔に滅んでるので

南朝梁(502年から557年)の時代も
それからわずか24年後の隋(581年 - 618年)の時代も

行き先はおなじ、奈良の大和政権だけど

南朝梁(502年から557年)の時代の末廬国は、奈良からたった4カ国
隋(581年 - 618年)の時代の九州の竹斯国(筑紫)は、奈良から十余国

中国が、末廬国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国、と呼ぶ日本の国々は

・南朝梁(502年から557年)の時代にも存在している
・九州の国では無い
0741ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 13:54:52.68ID:8fpS/yiM0
>>1
記紀は案外正しかった

熊襲が強かったのも事実で実際には神功皇后の夫の仲哀天皇も何年も苦戦し
戦いの最中に死んでいるのが本当のところ
御所を山口県に構えていた

邪馬台国の位置に関しては神功皇后の有名な参謀の武内宿禰に一任していた
この武内宿禰は奇策に優れていて詳細は日本書紀などを見てくれ

魏の軍勢を警戒して張政を騙している
おそらくは敵を熊襲の本拠地におびき寄せて周囲から魏の軍勢が来た時に叩くことを想定して邪馬台国として紹介している

それに大和の子孫までもが騙されてしまっているだけ

武内宿禰はそんなに簡単に大和の場所は教えなかったし
偽女王の卑弥呼も謀反と詐欺が発覚した時点で卑弥呼とその家来100人をすぐに殺している
0742ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 13:55:18.42ID:5e3E/PEv0
>>724
瀬戸内海航路は平安時代末から
それ以前は中国の大型船は通れない。
0743ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 13:57:09.65ID:n+MK/kZs0
単に、他文化の人々を急速・大量に招き入れるのは文化を破壊される危険が伴うというだけかな。
0744ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 13:58:29.43ID:5e3E/PEv0
>>729
金印、鉄、絹、硯、中国産水銀朱等の出土品から九州説が有利なんだ。
0746ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 14:00:49.93ID:5e3E/PEv0
>>721
纏向は5世紀以後だよ
馬具やベニバナの花粉とか5世紀以後に日本に伝来した物が出土している
土器編年が間違ってるだけだろうな。
0747ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 14:01:54.30ID:Nuqk6CNU0
>>742
まあ

末廬国−伊都国−奴国−不弥国−投馬国は、奈良から日本海に抜けるルート

だろうね

出雲諸国かな
0748ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 14:03:08.66ID:8fpS/yiM0
>>737
まあどうみても日本書紀のまんまなんだけどね
それに大和に都を移動してからも天皇は九州巡幸(お里帰り)をしていた
そのお里帰りは5年くらいに及ぶ長い巡幸だった
そして各天皇により形式や時間が異なった
それを減らして関東への巡幸に時間を費やす天皇もいた

そんなもんだよ
0749ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 14:05:53.07ID:8fpS/yiM0
>>745
ただのバカが話しかけんな
ヤマタノオロチとかずっと前の事でそれこそ卑弥呼には全く関係ない話だわ
0750ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 14:05:58.84ID:Nuqk6CNU0
>>742
まあ

末廬国−伊都国−奴国−不弥国−投馬国は、奈良から日本海に抜けるルート

だろうね

大陸と奈良大和政権の航海を一手に引き受ける
宗像氏の祖先は、出雲6代主王の息子、吾田片隅(アタカタス)だから

出雲諸国かな
0751ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 14:06:27.56ID:xm4eWW7C0
唐津から筑紫のどこかに上陸地点変更?
ありえんな
壱岐から渡るには唐津の少し北の湾岸まで島伝いで来るのが圧倒的に安全
博多湾とかモーター発明されるまで無理無理
0752ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 14:12:58.94ID:Yv9AiyJw0
>>712
それは苦し紛れの言い訳にすらなってないんだよ。

東南陸行 五百里 到伊都國 官日爾支 副日泄謨觚柄渠觚 有千餘戸
東南至奴国 百里 官日?馬觚 副日卑奴母離 有二萬餘戸
南至邪馬壹國 女王之所都 水行十日陸行一月 官有伊支馬 次日彌馬升 次日彌馬獲支 次日奴佳? 可七萬餘戸

伊都国・・・官:「日爾支」、副1:「泄謨觚」、副2:「柄渠觚」 戸数:千戸
奴国・・・官:「?馬觚、副:「卑奴母離」 戸数:二万戸
邪馬台国・・・官:「伊支馬」、副1:「彌馬升」、副2:「彌馬獲支」、副3:「奴佳?」 戸数:七万戸

邪馬台国が伊都国や奴国を内包しているのであれば、官と副の名前が同列に列記している辻褄が合わない。
0753ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 14:15:55.89ID:8fpS/yiM0
>>748
この巡幸をやったのは景行天皇までかな?
仲哀天皇までかもしれない?
神功皇后以降はやらなかったかも?

例外としては

崇神天皇の時には疫病が発生して帰省どころではなくなる
垂仁天皇の時に混乱が収まり伊勢神宮を建立する

そんな感じだった
0754ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 14:15:58.23ID:KbgasJFb0
>>752
陳寿が意図をもって距離を大きく引きのばしたのだとしたら、当然人口も同じように大きく引き伸ばしてるだろうね
0755ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 14:22:18.25ID:n+MK/kZs0
>>740
梁(502年から557年)の時代に大和にやって来たのは
おそらく呉の地方公務員みたいな人だろうから
梁の歴史書には載ってないでしょ。
梁の歴史書はまだ読んでないのでよくは知らんのだけど、
単に前資料を書き写してるだけちゃうん?
0756ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 14:25:38.01ID:Yv9AiyJw0
>>754
まず一番あり得ないのは「陳寿」が改変したとする説明。

陳寿は蜀に仕えた後、西晋に仕えただけで
わざわざ魏と東夷の「過去」の外交記録を捏造する意味がない。

どっちも出典元の資料文献にあるでたらめな数字を
陳寿は何も考えずにコピペしたに過ぎないよ。
0757ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 14:30:23.32ID:XPU+EHJ/0
ちなみに、神武の東征以前に、
物部氏の祖先のニギハヤヒのミコトが、
河内を拠点として大和に進出していた
と記紀に書かれており、
コレが弥生後期の銅鉾文化圏の拡大時期と一致するので、
神武(天皇家)の東征を、より確かなモノにしているのである。
0758ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 14:30:33.80ID:mcvtJY0g0
>>749
>>745は「記紀はそういうレベルの書」と言いたいんじゃないのか
0759ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 14:33:32.50ID:n+MK/kZs0
>>754
かもしれないし、でないかもしれない。
0760ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 14:34:57.92ID:AB2J9g8Y0
邪馬台国みたいなんどうでもええがな。
0761ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 14:37:11.71ID:Yv9AiyJw0
何回も書いてるけど、中国の正史は「たいして」アテにならない。

時代が現代に近づいて行って、後の王朝の歴史書にしたって
少し調べればわかることでも、調べようともしないから間違いだらけ。

そこまでありがたがって絶対視するような文献ではないよ。
0762高篠念仏衆さん
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2020/10/25(日) 14:45:50.91ID:SuRf5uXp0
「東アジア世界」を特徴付けるものは漢字・儒教・仏教・律令制の四つ
0763高篠念仏衆さん
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2020/10/25(日) 14:49:37.71ID:SuRf5uXp0
収穫の時期になると
北方から馬乗ってやってきて
食べ物を奪っていく
0764ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 14:51:07.37ID:XPU+EHJ/0
卑弥呼の別名は丹婆だった事が面白いな。
0765高篠念仏衆さん
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2020/10/25(日) 14:53:24.21ID:SuRf5uXp0
日出處天子致書日沒處天子無恙云云


與王子爭禮 不宣朝命而還
0766ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 15:02:54.15ID:LE6hm1QV0
>>583
>纒向周辺のいろいろな遺跡で庄内期から布留期まで年代測定している
>それらの年代測定で使った試料が合計で100ある

つまりホケノ山と全然関係ない試料を持ってきてホケノ山は古いんだー!と嘘をついていたわけね
自白乙

>小枝の測定結果のみでホケノ山古墳を4世紀後半だとしてしまうと、他の遺跡の年代もすべて後ろに平行移動することになる
>おまえは2試料の年代測定のみが正しく、残り98試料の年代測定は間違ってると言ってるのと同じだ

他の遺跡の試料は古木効果の入る材木とかばかりだからその言い訳は使えない
古木効果の入らない最も精度の高い試料の測定結果がホケノ山は4世紀後半と示しているのだから諦めろ

>おまえは振れ幅の大きい測定方法で、大きく振れた2つのみを持ち出してきて文句をつけてる
>おまえがやってることは、モンスタークレーマーの難癖と同じ

小枝資料は古木効果が入らないので最も振れ幅の小さい試料だと教えてやっただろ詐欺師くん
畿内説(笑)のやっていることは振れ幅の大きい測定方法で振れ幅のより大きい信頼性の低い試料を多用することで
最も信頼性の高い試料の測定結果を否定している
畿内説(笑)のやってることはゴッドハンド藤村と同じ
0767ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 15:05:07.47ID:LE6hm1QV0
>>746
もっと古いホケノ山が4世紀後半という測定結果だからそうだろうね
0771ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 15:15:51.99ID:vUT3uGGC0
>>746
開墾は早いよ。2世紀前後。
吉備・東海系で土木工事、入植は倭国の大乱と推測。台与の時代あたりで九州連合以上の勢力を近畿に作る。まあ、元々は奴国と姻戚。
古い時期の前方後円墳は、一族のシンボル。
後になって権力の象徴になる。
0773ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 15:16:55.23ID:n+MK/kZs0
隋書確認してみたけど、秦王國がなければ
隋からの役人、九州から出てなさそうに思えるような中文やな。
0775ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 15:17:29.25ID:LE6hm1QV0
>>770
アマチュアとか関係ない
最も信頼性の高い試料の測定結果を信頼性の劣る試料の結果で覆そうというのはゴッドハンドそのもの
畿内説(笑)の捏造体質をよく表している
0776ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 15:21:20.41ID:n+MK/kZs0
>>774
奈良盆地だけと比べたら筑紫平野の方が圧倒的に広いんちゃう?
0777ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 15:22:46.89ID:vUT3uGGC0
>>757
それが泰王国かもね。
0778ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 15:23:35.83ID:KbgasJFb0
>>756
晋の始祖サマの功績を大きく見せる意図があったかもしれないね
魏の時代に曹真に対抗して大きく見せたのか
魏志を書くときに大きくみせたのか

なにしろありえない距離の伸びが起こってるからね
短理というものが使われていたのか、それとも陳寿が東夷全体を弄ったのか
0779ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 15:23:49.56ID:YxsAvwEk0
>>757
神武以前が神代(かみよ)で、神武以降が人代(ひとよ)。
明確に分けている。この意味がわかるか?
神武以前の西の権威は滅ぼされたという事。
つまり、実際に権力ファミリーが東遷したのではない。
西の旧権威を滅ぼし、東の権力がその権威を継いだという事。
0780ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 15:25:27.35ID:ZBcLIXFH0
魔鏡伝説
0781ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 15:29:13.81ID:vUT3uGGC0
>>779
戦争ばっかりで疲弊で衰退、吸収合併。
磐井の乱、白村江の戦いが、原因。
邪馬壹国は、その頃にはない。
0784ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 15:31:43.40ID:mcvtJY0g0
>>708
これはこれでアホな意見
当時で数万の人口管理できる訳ない
適当な数字だってのは誰にでも分かる
0785高篠念仏衆さん
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2020/10/25(日) 15:34:14.43ID:SuRf5uXp0
🇯🇵日本の資料はホント真面目だよね。
だいたいこんな感じだったのかなぁ?
0786ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 15:34:45.40ID:vUT3uGGC0
>>773
二大勢力圏
倭国(九州)と大和(奈良)の行き先が違うだけ。
まあ、隋時代、邪馬壹国はその頃にはない。
0787ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 15:36:15.98ID:iYMVn76W0
三角縁神獣鏡とか、金印とか、許可もらって少し削って、
正確な年代を調べるとか、できてるのかい?
0788ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 15:36:25.75ID:H5ydt6960
>>755
太宗の命で『梁書』倭人伝(629年完成)と『隋書』倭国伝(636年完成)を編纂した、

唐(618年 - 907年)の時代の学者たちが

南朝梁(502年から557年)の時代に倭国に行くには
対馬から渡る島が一大国から一支国に変わるが
末廬国−伊都国−奴国−不弥国−投馬国は変わらない

しかし

それからわずか24年後の隋(581年 - 618年)の時代に倭国に行くには

一支国から日本本土に上陸する先が、末廬国から竹斯国にかわり、伊都国も、奴国も、不弥国も、投馬国も、通らない

と書き残している
0789ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 15:38:54.59ID:LE6hm1QV0
>>787
金属は削っても意味ないから
X線とかの分析だと三角縁神獣鏡には魏の敵国だった呉の銅が使われてることが判明している
0790ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 15:39:12.43ID:vUT3uGGC0
>>776
食糧、考えると九州有利。
まあ、その後で近畿・東海・北陸含めるから
鉄、食糧も豊富になる。
0791ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 15:40:55.54ID:H5ydt6960
唐(618年 - 907年)の時代には、定期的に、奈良から遣唐使が派遣されているので、大和政権公認だろう
0793ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 15:47:17.13ID:xYzug34g0
3世紀半ばに九州が畿内より圧倒的に強かったなら、なんでその後に畿内勢力が全国統一したんだろうね

前方後円墳なんて葬祭の仕組みからヤマト式に変えてしまったんだろう
0794ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 15:47:25.60ID:H5ydt6960
本家の九州【倭奴国】筑紫城政権「漢委奴国王」の
朝鮮半島 ー 対馬国 ー 一支国(壱岐)− 北部九州 の黄金ルートを一手に引き受けていたのは阿曇氏で
祖先は、九州 【倭奴国】筑紫城 大綿津見神(豊玉彦)

分家の奈良【大和政権】神武の
朝鮮半島 ー 対馬国 ー 一支国(壱岐)− 山陰出雲 のルートを
航海を一手に引き受けていたのは宗像氏で
祖先は、出雲6代主王の息子、吾田片隅(アタカタス)
0795ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 15:47:48.61ID:n+MK/kZs0
>>786
秦王国から来るイメージは新羅と太いパイプを持っていただろう出雲〜北陸地域の勢力だからな。
百済と関係の深そうな九州北部とは別勢力に思える。
隋と九州北部勢力は仲が良く、出雲〜北陸勢力の影響が濃い
大和朝廷を隋もあまり快く思ってなかったふしが伺えるかな。
0796ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 15:49:10.64ID:H5ydt6960
>>793
「日本(大和政権)」は古の「倭奴国(漢委奴国王)」である

国王(天皇)が自ら言うには

初代の国王は「天御中主」と名乗り、「彦瀲」に至るまで、およそ三十二代とされている

彼らは皆、尊(みこと)を尊称として、(九州の)筑紫城に存在していた

彦瀲の子の「神武」が(邪馬台国があった)大和州に移り住んでその地を治め、(倭奴国王を)継ぎ立ち、あらためて天皇を名乗った

つまり

九州は本家
奈良は分家
0797ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 15:54:22.16ID:WYXJQgD30
>>787
調べてる

金印は当時の金製品に概ね該当する
尺や紐形式、文字の形状を他の印と比較してまず物としては本物だろうと思われている

ただ発掘状況が不明なために資料としては本来扱いえない物といえる
仮にどこから持ち込んできても分からないからね

三角縁は放射線による微小な成分を調べて材料の傾向を探った
それによると中国産とされていたものはそのまま当時の三国西晋時代のものと一致し、
古墳時代の?製鏡はやはり中国製の鏡と一致しない数字を出した

三角縁は中国鏡と同じ材料を使っているものと、国産の材料を使ってるものの二系統があることになる
0798ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 15:55:19.17ID:n+MK/kZs0
>>788
要するに梁が保管してた資料を基にして書いたのと
隋が保管してた資料を基に書いたのが違うから、
行先自体が違う可能性が高くなるってことだね。
ただ、隋書の方も日本列島の地勢がわかってなければ
九州から出てないと勘違いしそうだけどな。
0799ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 15:55:20.49ID:LE6hm1QV0
>>793
九州の邪馬台国が東征した結果が大和朝廷
だから畿内一帯の一宮は九州関連の神社ばかり

> 76 :日本@名無史さん :2020/10/18(日) 19:59:25.58
> 摂津国一宮 住吉神社 筑紫で生まれた住吉の神を祭る
> 河内国一宮 筑紫に降臨した天児屋根命を祭る
> 和泉国一宮 大鳥神社 天児屋命の子孫を祭る
> 山城国一宮 上賀茂下鴨神社 筑紫からの東征を助けた三島溝杭耳を祭る
> 紀伊国一宮 日前宮、国懸宮 筑紫に降臨した天道根命が持っていた鏡を祭る
>
> ここまで筑紫と東征関連。
> 例外はこれ。
> 大和国一宮 大神神社 大物主を祭る(出雲の大己貴命?)
>
> 畿内は筑紫からの入植地ですね。


> 77 :日本@名無史さん :2020/10/18(日) 20:42:01.59
> >>76
> 乙
> 大神(おおみわ)神社は多分筑後山門からだろう
> 物部氏の故地
>
> 筑後国山門郡、いわゆる筑後山門の地に「こうやの宮」と呼ばれる場所がある
> 正式名称は磯上物部神社
> 久留米の高良大社にある高良記天慶神名帳には「礒上物部神(いそのかみもののべしん)」と書かれている
> そこには5体の神像が祀られているがそのうちの一つが手に七支刀を持っていて、物部氏の像と考えられている
> 天慶神名帳によれば付近には他にも物部阿志賀野神、物部山国神、そして物部田中神が二神など物部関連の神社が密集し、
> 物部氏がこの地出身の氏族であることを示している
> https://kusennjyu.exblog.jp/22914198/
> > 大和朝廷の確立後、九州に大宰府が置かれた。この大宰府が、天慶4(941)年から7(944)年にかけて、筑後国にあった六位以上の神名を記録した。
> > この古文書が『天慶神名帳(てんぎょうしんめいちょう)』と呼ばれ、久留米市の高良神社に現在も残っている。
> >
> > その山門郡を見ると、磯上物部神(いそのかみもののべかみ)、物部阿志賀野神、物部山国神、そして物部田中神二神、なんと物部の神だけで五神がある。
> > 六位以上の神が山門郡全体で二十六前のうち、五前が物部神である。
>
> この磯上物部神社のある場所は筑後国山門郡太神村にあたり、邪馬台国があった場所と考えられる
> 地名の太神(オオガ)は古代にはオオミワと読まれていた
> 明らかに畿内大和の祖型となった地である
> https://lunabura.exblog.jp/25416518/
> >この地の旧名は筑後国山門郡太神村で、『倭妙類聚抄』には「太神郷」と出てきます。
> >「山門」には「夜万止」(やまと)、
> >「太神」には「於保美和」(おほみわ)と読み仮名がついています。
0800ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 15:56:08.44ID:Yv9AiyJw0
>>774
九州から近畿まで広い範囲を使える畿内説なら、戸数を収める「だけ」なら可能だと思うよ。

ただそんなことが趣旨なのではなく、魏志倭人伝の内容を妄信するなというだけ。
今のところ畿内だろうが、九州だろうが完全な説なんてない。
0801ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 15:56:09.54ID:ikJ3vLTR0
いくつもスレを見てると「またこいつか」って判るレスがあちこちに出てくるな
最終的にコピペみたいなレスばかりになる
0802ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 15:57:09.36ID:H5ydt6960
第4皇子の神武が奈良に分家したあと
九州の本家は、神武の兄の三毛入野命が継いでいる
0804ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 15:58:19.22ID:1Rzq9/Mb0
>>766
>つまりホケノ山と全然関係ない試料を持ってきてホケノ山は古いんだー!と嘘をついていたわけね

はあ?
最初から一貫して同じことを言ってるぞ
ようやく理解したようだが、あらためて189を読んでみろ

>他の遺跡の試料は古木効果の入る材木とかばかりだからその言い訳は使えない
>古木効果の入らない最も精度の高い試料の測定結果がホケノ山は4世紀後半と示しているのだから諦めろ

ド素人のタワゴト
そもそも年代測定に使った試料は木材以外に種実もある
それなのに、すべての試料で同じレベルの古木効果が生じてると寝ぼけたことを言ってるわけだ
寝ぼけてるのでなかったら、単なる無知

>小枝資料は古木効果が入らないので最も振れ幅の小さい試料

これおまえの捏造だよな?
学術的根拠のあるソース出してみろ
出せないなら、小枝は古木効果はなかったが、他の何らかの原因で測定精度が低かった現実を認めろ

ついでに言っておくが、今までのC14年代測定法の集大成が纒向の大型建物跡の近くで出土した桃の種だ
試料の量が多く測定精度が高い、おまえの大好きな古木効果がない、試料汚染も少ない、海洋リザーバー効果もない
すべての面で小枝を上回ってる

あらためて言うが、知識のないド素人が専門家の研究結果に難癖つけるな
0805ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 15:58:59.46ID:H5ydt6960
>>798
唐(618年 - 907年)の時代には、定期的に、奈良から遣唐使が派遣されているので、大和政権公認だろう
0807ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 15:59:17.03ID:xYzug34g0
九州説も無くはないと思うが、「3世紀に九州勢が東遷して大和朝廷になった」とか、こういうトンデモをまずは自浄作用で駆逐しないと
0808ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:00:11.12ID:KbgasJFb0
>>793
圧倒的カリスマが死んだから、忠誠心が消えてなくなったんじゃねーかな
そこまでは特に悩むようなことじゃない気がする

で、後継者争いで俺が俺がとなったときに
近畿から素性のよろしい奴(例えば漢委奴国王の末裔とか)が
カリスマの親戚つれてきて王様に立候補なんかしたらそらもうみんな心酔よ
なにしろ二代目親魏倭王の後ろ盾が漢委奴国王なんだから
0809ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:00:17.84ID:vUT3uGGC0
>>793
紀伊半島の良質な木材だよ。
土木工事で運河作り、流木。残土で古墳巨大化
大阪、東海、伊勢、吉備、北陸
九州以上の勢力拡大となる。
0810ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 16:00:37.43ID:Vnx2GIkv0
無関係な桃の種を纏向遺跡の編年に利用してこじつける畿内説w

桃の種が埋まっていたのは柵の下
https://i.imgur.com/cBG2BFm.png

纏向遺跡の大型建物と桃の種は関係ありません。
これも捏造考古学会による印象操作の一つです。
0811ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:00:41.30ID:H5ydt6960
>>803
そっ

倭国はいにしえの倭奴国・・つまり
後漢(25年 - 220年)が57年に「漢委奴国王」に任じた九州の国こそが【倭国】であり

日邊(日出の処)在るを以て、故に日本と名を為した
あるいは、邪馬台という名前が嫌で日本と言う名に国名を変えたという大和の国【日本】は【倭国】ではなく、信用なら無い国だ

に対しての返答が

「日本(大和政権)」は古の「倭奴国(漢委奴国王)」である

国王(天皇)が自ら言うには

初代の国王は「天御中主」と名乗り、「彦瀲」に至るまで、およそ三十二代とされている

彼らは皆、尊(みこと)を尊称として、(九州の)筑紫城に存在していた

彦瀲の子の「神武」が(邪馬台国があった)大和州に移り住んでその地を治め、(倭奴国王を)継ぎ立ち、あらためて天皇を名乗った

つまり

九州は本家
奈良は分家
0812ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:01:24.59ID:n+MK/kZs0
>>790
九州北部が不利だったのは統一王朝を築けなかったからだろうな。
分裂状態で足並みがそろわないためその勢力範囲を広げることができす、
その間に大和政権は着々と日本列島を手中に収めてったと考えられるかな。
0813ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:03:08.33ID:KbgasJFb0
>>807
東征は無く、倭国大乱で漢委奴国王が東の方に逃げ出したと思ってるが
近畿説では東征はどういう位置づけになってんの?荒唐無稽なでっち上げ?
0814ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:03:47.01ID:vUT3uGGC0
>>793
古い時期の前方後円墳は、一族のシンボル
それを権力の象徴に使用。
0815ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:05:29.49ID:WYXJQgD30
>>793
そもそもカン違いしてる人が多いが別に当時の大和は最強でも最先端でもない

大和を中心とする連合の形成は同レベルの勢力の政治的な連帯の結果生まれたものと考えられる
寺澤氏が指摘しているように弥生時代の大和と、古墳時代の大和は全く別のものとなっている
東瀬戸内海を中心とするクニグニが立地的な都合で大和を中心に選んだというのが実像だろう

纏向ももともと人の住めない荒れ地を祭祀と古墳築造の土地としてちょうどいいから利用しただけだと思われる
0816ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 16:05:49.15ID:Yv9AiyJw0
中国の正史とされる二十四正史の最後は「明書」
明の時代の出来事を、次の清の時代に編纂した中国最後の正史
(二十六正史という場合もあるけど)

1720〜30年頃に編纂された、比較的現代に近い歴史書であり
日本では戦国時代も終わり、江戸時代になったとの時代に編纂されている。

ここまで時代が現代字近づいてもなお中国人は日本についてまともに検証もせずに正史に載せている。

信長は関白の地位にあって山城守だった。
秀吉は平秀吉と名乗る隼人の出身。
秀吉は信長の命令で明智を滅ぼしたが
なぜか信長が明智に殺されたので、明智を滅ぼした(2回殺されてる)

原文を確認したい人はwikiソースでだれでも見れる。
0817ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:06:44.90ID:qCYxu7GV0
>>811
あまりにも時間が経ちすぎていて
ソースとしてはいまいち、という
つもりだったんだが

筑紫平野にあった邪馬台国と魏が国交を結んでいたので、
「俺たち、その末裔! よろしくね」と嘘をついたとも
解釈できるし
0818ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:09:06.86ID:vUT3uGGC0
>>812
それも大きな要因。
一時的に二人の女性が王になったんだからね。
戸数が多いから、農業政策が回りに比べ成功したいた。暦、天文、数学等にも長けていた一族かも?
0819ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:10:09.76ID:KbgasJFb0
>>816
有参謀阿奇支者、得罪信長。命秀吉統兵討之。俄信長為其下明智所殺、秀吉方攻滅阿奇支、聞変、与部将行長等乗勝還兵誅之

これ参謀阿奇支者は、安芸の毛利のことだろ
安芸と明智がごっちゃになってんだわな
0820ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:10:13.37ID:LE6hm1QV0
>>804
>最初から一貫して同じことを言ってるぞ
つまり最初から一貫して嘘を述べていたと
やはり畿内説(笑)は病的な嘘つきの集まりだな

>そもそも年代測定に使った試料は木材以外に種実もある
うんうん箸墓古墳からは1620BP(5世紀後半)の桃核が出てるねw
ちゃんと4世紀後半のホケノ山より新しいじゃないか
紅花花粉や馬具の出土とも一致してる

>これおまえの捏造だよな?
>学術的根拠のあるソース出してみろ

ソースはもう>>416で出してるんだがな
まあお前は健忘症みたいだからもう一度貼ってやるよ

Old Wood Effect(古木効果)を理解する
https://www.radiocarbon.com/jp/old-wood-effect.htm
>芯材(内側)と辺材(外側)の放射性炭素年代は異なり、芯材の方が辺材より年代が大幅に古くなります。
>炭化物や木の炭素年代測定を行う場合は、年代は特定できますが、サンプルが短命な植物や小枝がサンプルでない場合は、
>木の成長過程のどの部分をサンプリングするかによって数百年の誤差が生じる可能性があります。
>
>また、放射性炭素年代測定は試料がいつ使われたのかではなく、試料となった有機物がいつ生きていたのかを教えてくれるものです。
>測定試料と史実をリンクさせる場合は間違った結論に導かないように“古木の問題”を考慮しなくければなりません。
>伐採年とは違う年における木材の使用、木材の再利用も年代測定という観点からすると“古木の問題”となります。

>サンプルが短命な植物や小枝がサンプルでない場合は、木の成長過程のどの部分をサンプリングするかによって数百年の誤差が生じる可能性があります。
>サンプルが短命な植物や小枝がサンプルでない場合は
>小枝がサンプルでない場合は

理解できたか嘘吐きくんw

>試料の量が多く測定精度が高い、おまえの大好きな古木効果がない、試料汚染も少ない、海洋リザーバー効果もない
またそういう嘘を言い出すw
桃核ってのは桃の種のことであって、種の中身の"仁"ではない
報告書にはナイフで切り出したとあるから種の表面部分を測ってる
ゆえに土壌由来の有機酸による資料汚染は免れない
桃核の入ったツボは土中から出てきてるからな

http://www.makimukugaku.jp/pdf/kiyou-6.pdf
> モモの核試料の年代測定のための試料調製は中村(1999;2006)による。その概要を以下に述べる。
> 分取されたモモの核につき、ナイフを用いて核から数ミリ角の小破片を切り出した

種を割って中身の仁を取り出せば精度の高い測定ができるのに、それをせず土壌による汚染が明らかな表面を測定する
誤差を利用して年代を捏造しようという姿勢がありありと見えるなw
0821ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:10:38.08ID:5e3E/PEv0
>>812
朝鮮半島での戦闘で九州は疲弊して
その間に大和政権は着々と日本列島を手中に収めてったんだろうな。
0822ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:10:49.07ID:n+MK/kZs0
>>805
推古天皇時代の外交歴の目次を見ただけだが、
中国王朝の交代劇(隋→唐)に大和朝廷が一枚かんでたふしもうかがえるしな。
0823ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:12:28.53ID:TKA01kMe0
>>796
記紀ではBC660年の事と書かれている
古事記と日本書紀では神武天皇の時代では所々に数十年の誤差があると思うけど
だいたい正しいと思うよ
外国に語った話では年代の事は書かれていないからね
大まかな自分の国の歴史を話すだけにとどめているだけ

神武天皇以前は九州が本家だけど
記紀によるとそれ以降は奈良などの関西が中心になってくる

但し神功皇后以前にも天皇は九州に巡幸して本拠地(御所=都)を置いて数年滞在していた

なお魏志倭人伝における邪馬台国は偽装都市で
もし魏が攻めてきた時の場合のおとりの偽都市で
それを張政に信じ込ませたのは武内宿禰
0824ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:12:34.37ID:LE6hm1QV0
>>807
>>799の事実に全く反論できないからって中傷して逃亡はないだろうよ
そんなんだから畿内説(笑)は毎回負けてるんだと理解しなきゃ
0825ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:14:24.09ID:vUT3uGGC0
>>821
そう大和政権は、富国強兵に邁進。
戦わず勝。國譲りで勢力拡大。
大きな戦争は、していない。
ローカルな征伐物語のみ。
0826ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:14:47.11ID:n+MK/kZs0
>>807
まずは畿内説を葬ってからかな。
邪馬台国を無視して日本の古代史の解明に集中させる必要があるだろうし。
0827ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:15:12.66ID:TKA01kMe0
>>823
張政を招いた都市は偽都市で九州のある都市だった
本当の都市の位置を教えてしまうほど武内宿禰は不用心ではなく非常に用心深い性格だった

一度武内宿禰の戦の仕方を見てみるといい
戦上手で騙しの偽計の手法をよく使っている
0828ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:16:08.70ID:5e3E/PEv0
神武東征を2600年前とかは嘘だな
神武東征は5世紀前後くらいだろう
神武〜欠史八代〜天武が皇室の歴史だな
間の天皇は九州の歴史からの借用だな。
0829ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:16:16.87ID:H5ydt6960
第4皇子の神武が奈良に分家したあと
九州の本家は、神武の兄の三毛入野命が継いで

奈良の分家は
出雲6代主王の息子、吾田片隅(アタカタス)を祖先とする宗像氏が、出雲から九州までの航海を一手に引き受け

九州の本家が
九州 【倭奴国】筑紫城 大綿津見神(豊玉彦)を祖先とする阿曇氏か゛九州から朝鮮半島までの航海を引き受けていた
0830ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:17:49.25ID:5e3E/PEv0
>>823
記紀は8世紀に創られたもの
精々6世紀くらいからの歴史しか記されていない。
0831ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:19:25.95ID:5e3E/PEv0
>>825
8世紀初頭に九州の勢力の自滅で日本統一だな。
0832ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:19:46.88ID:LE6hm1QV0
九州の邪馬台国が東遷して大和朝廷になったことには>>799のように証拠がいくつもある
大和地方の支配者である倭国造が北部九州の海人族安曇と同族であることもその一つ
もし大和朝廷が在地の豪族から発展したのであれば九州のよそ者を地元の支配者になどさせないよな

倭国造
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E5%9B%BD%E9%80%A0
> 倭国造(やまとのくにのみやつこ・やまとこくぞう)は、後世の大倭国(大和国)中央部にあたる領域を支配した国造。
>
> 氏族
> 倭氏(やまとうじ、姓は直)で、国名の変遷とともに氏族名も変わった(大倭氏/おおやまとうじ・大養徳氏・大和氏など)。
> 天武天皇10年(681年)に倭竜麻呂が連姓に、12年に一族が連に、14年に忌寸姓に、さらに奈良時代には大和長岡と水守が宿禰に昇格した。
> その遠祖・椎根津彦は綿積豊玉彦命の曾孫とされ、一族は神別の地祇に類別される。また八木氏や安曇氏と同族とされる海人族の一族。
0833ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:20:20.04ID:vUT3uGGC0
>>828
纏向遺跡から2-3世紀だよ。
歴代天皇があっちこっちと移動。
計画的に開墾していた。台与の時代に
九州以上まで発展。
0834ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:21:56.55ID:n+MK/kZs0
>>815
僕は周辺地域に無い非常に有用な技術を小勢力の大和が持ってたため、
その技術を周りの国々に伝えることの引き換えとして
大和を頂点に担ぎ上げたんじゃないかなと思ってるかな。
0835ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:24:26.00ID:vUT3uGGC0
九州(奴国)と姻族関係だから並行。
700年あたりで統一。
0836ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:25:02.90ID:xYzug34g0
>>815
その連合に九州勢が入っていたか否かが畿内説と九州説の分かれ目なのかな
那珂八幡古墳など北九州のプレ含む前方後円墳の年代をどう考えるか、纏向から今のところ大陸との交流を示す出土品が少ない、とか
0837ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:25:05.85ID:LE6hm1QV0
>>833
一番古いホケノ山古墳が4世紀後半なのだから無理な相談だよそれは
3世紀までの畿内には鉄器が殆ど無いから開墾も困難
鍬の先に鉄の刃を付けていた九州と違って硬い地面を掘ることが出来ない
0838ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:26:02.41ID:TKA01kMe0
>>827
また卑弥呼が魏に使者を送り狗奴国との戦いを詳細に述べて魏の使者の派遣が決まった時に
それまで中立の立場だった神功皇后と武内宿禰は卑弥呼の処刑を決定した

その八年(正始8年)、太守王頎官に到る。倭の女王卑弥呼、狗奴国の男王卑弥弓呼ともとより和せず、倭の載斯・烏越等を遣わして郡に詣り、相攻撃する状を説く。
魏は張政を倭に派遣し、難升米に詔書、黄幢を授与。

だから張政が来た時には卑弥呼は既に武内宿禰と狗奴国の卑弥弓呼に処刑され
卑弥呼側についた兵士100人も一緒に埋葬された

極めて迅速な処刑であり張政が来た時には大きな穴の中に卑弥呼と兵士100人が埋葬されているところだった
0840ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:28:10.91ID:5e3E/PEv0
>>835
持統天皇が九州から嫁入りかな。
0841ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:30:08.21ID:TKA01kMe0
>>828
いやいや逆だよ
神武天皇などの寿命が長いのはむしろ系図が欠損していたからだ
実際にそのころの欠史八代にはその天皇の業績の部分が欠損している
それは火事での焼失によるものだ
有名なのは天皇記と国記の焼失
天皇記は完全に焼失
国記は少し焼けていて完全には残っていなかった
0842ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:31:01.48ID:Kc5KXsyK0
>>839
笑われているのは、お前だろ?
気に入らないレスは全部NGにぶち込んで
見えないふりしているお子ちゃまなんだろ?w
0843ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:31:33.40ID:vUT3uGGC0
>>836
あるわけないよ。開墾、開拓中だもん。
なんせ人がいないから吉備・東海から人集め。
吉備・東海系土器が多い理由。技術者集団の
渡来人集める。鏡を作らせ、近隣諸国の王に
を与える。
0844ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:32:09.23ID:n+MK/kZs0
>>818
僕も長江流域から直接日本列島に届いた稲があるという説から、
それはまず九州北〜西部に届いたはずだから、
九州北部が非常に高い水田稲作の知識・技術を持っていて、
余剰農産物を朝鮮半島の工業製品等と交換してたはずだと思ってるかな。
そしてその高い水田稲作の知識・技術が国譲り後神武東征によって大和に伝わり、
しばらく(数世紀?)は周辺地域に警戒されてたが、
3世紀に大和政権が発足し急激に近畿やその周辺地域が発展してったと考えてるかな。
0845ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:33:06.39ID:vUT3uGGC0
>>837
木製で出てきているよ。
0846ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:33:12.13ID:kkTIy4UG0
百済人の書いた日本書紀をマトモに受けとるなよ
0847ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:34:30.15ID:TKA01kMe0
>>837
確かに九州は早くから鉄器を制作していた
それは実は神武天皇の頃から
神武天皇の九州には早くから鉄器の文化が存在していた
それは事実
ただ畿内にも神武天皇一行が移住してから
少しづつ鉄器がもたらされていた

弁韓の鉄鉱石は九州に持ち込まれてそこで製鉄に利用されていた
0848ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:35:50.95ID:LE6hm1QV0
>>845
知ってるよ
木の農具では硬い地面は掘れないから開墾は難しいってこと
もともと湿地で地面の緩い奈良盆地内はそれでも何とかなっただろうけど、新田の開墾はね
0849ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:36:08.66ID:TKA01kMe0
>>846
うーん
日本書記は神武天皇の時代つまりBC660年から記述されている
そのころには馬韓(のちの百済)も辰韓すら存在しなかった
0851ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:36:51.85ID:WYXJQgD30
このままいつも通りアホが喚き続けてスレ終わる感じかな
毎度のアホ観察スレとして楽しめた
0852ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:38:17.92ID:kkTIy4UG0
半島から来ましたじゃまずいから南九州にしただけだよ
0853ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:38:40.31ID:vUT3uGGC0
>>848
徐々に鉄も増え行く。
米、鉄が豊富な日本海、北陸も勢力圏になっていく。
0854ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:41:20.86ID:LE6hm1QV0
>>799>>832のように、九州邪馬台国が東遷して大和朝廷になったのは状況的にほぼ確か
ではその時期はいつか、となると考古学でみるしかない

九州から本州西部への民族大移動の形跡は破鏡の分布の変遷で見ることが出来る
破鏡とは銅鏡を割った破片で、縁をナイフ状に加工したものや紐を通して首から下げるために穿孔したものだが、
弥生後期から古墳時代にかけて出土する

その分布を見ると、卑弥呼のいた弥生後期〜終末期とそのすぐ後の古墳時代前期で劇的に変化していることがわかる
図は「破鏡の伝世と副葬ー穿孔事例の観察からー」辻田淳一郎 より

弥生時代後期〜終末期
https://i.imgur.com/r08Lrgf.jpg
古墳時代前期
https://i.imgur.com/AeBKKnz.jpg

弥生時代には破鏡の分布はほぼ九州の北半分に偏っていて、本州では九州から海人族が進出していた沿岸部に限られているのに対して
古墳時代になると本州西部全域に分布が広がり、逆に九州からは減少している
九州内でも、弥生時代には熊本平野、大分大野川流域に分布していた破鏡が古墳時代になるときれいに消滅している

破鏡は鏡の破片なので支配者層の持ち物ではなく、それよりやや下級の武人等が身につけたと考えられる
弥生時代に熊本平野に破鏡があるのは狗奴国と戦闘していた邪馬台国の兵が身につけていたものだろう
それが古墳時代に無くなり本州西部に移るのは、弥生末に狗奴国が滅びて九州北部を統一した邪馬台国が本州へ東征を行ったことを示している
このことは、3世紀まで鉄器のなかった奈良盆地が4世紀に入った途端に大量の鉄器が出土するようになることとも符合する

考古学的に見て、神武東征の時期は3世紀末〜4世紀初頭頃
0856ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:42:37.83ID:TKA01kMe0
>>850
火事で焼けたから記紀書いているだろう?
古事記も日本書記も天皇記や国記などの朝廷の図書室が火事になって焼けたので
天皇が作らせたんだよ

完全修復はできなかったのが事実

だから古代部分の欠損部分が多いんだよ
神功皇后の時代にも欠損部分がある
0857ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:43:20.33ID:n+MK/kZs0
>>844 の続き
後、朝鮮半島経由で入って来た稲は山東半島で環境に適合してしまってただろうから、
暖かい地域での栽培に向かなかった可能性があり、
長江流域から直で持ち込まれた稲の方が九州〜太平洋側地域での栽培に
圧倒的に適してたんじゃないかとも考えてるかな。
0858ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:43:36.84ID:vUT3uGGC0
五穀豊穣は大和政権のスローガン、
各地で農業指導、戦争なんて愚の誇張。
まあ、それでも軍隊は必要と富国強兵に邁進。
0859ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:44:00.76ID:LE6hm1QV0
>>853
その日本海や北陸に鉄を持ってきてたのは北部九州の海人族なんだよ
鉄原料が国産化されておらず弁韓からの輸入に頼ってた時代だからね
鉄を継続的に入手出来たのは半島航路を独占していた北部九州の海人族だけ


> 825 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 22:55:12.63 ID:d3rkd5G50
> 弥生時代の鉄分布と北部九州を代表する海人族阿曇の分布がよく一致する
> 鉄は海人族とともに九州からやってきたんだな
> http://inoues.net/tango/tango_z1.jpg
> http://livedoor.blogimg.jp/kodaisikawakatu/imgs/7/b/7b77c3d5-s.jpg


> 828 :名無しさん@1周年 :2019/09/07(土) 23:01:52.61 ID:yQGATf5S0
> >>825
> 福岡の1621に対して奈良の13が光るねwwww
>
> そこから読み取れるのは、奈良は九州を支配するどころか近隣の山城や河内さえ支配できてなかったってことだな
> そして4世紀以降急に発展するのは九州の海人に征服されてその東国攻略の前線基地になったおかげ、と
0860ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:45:06.54ID:vUT3uGGC0
>>854
東征?新天地開拓だよ。
0861ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:46:42.40ID:vUT3uGGC0
>>859
その頃は当然、開拓に忙しいから眼中にない。
0863ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:48:43.73ID:kkTIy4UG0
南九州から畿内に出てきて中華に上奏文で西服衆夷、西の蝦夷六十六国とは言わないだろ?不届き者だろ、外来種だよ、その後は日本書紀を書いた人種ら、倭人には文字すら教えんのよ
0864ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:50:21.75ID:vUT3uGGC0
>>854
邪馬壹国とは関係ないよ。
大和政権内に邪馬壹国ゆかりの人物はいたかもしれない。
0865ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:51:05.80ID:TKA01kMe0
>>862
土器くらいどうでもいいだろうよ
食器なんて地産のものを使えばいいだけじゃないの?
どうしてわざわざ九州産の食器を使う必要があるの?
逆にそんなの運ぶ方が大変だよ
0866ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:51:08.11ID:vUT3uGGC0
>>862
だよな。
0867ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:51:35.79ID:LE6hm1QV0
>>862
土を捏ねて土器を焼くのはどう考えても支配者層の仕事じゃないだろう
支配者層が九州人になっても被支配者が地元民なら地元民が土器を焼くんだよ
0868ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:51:44.56ID:vUT3uGGC0
>>865
正解。
0869ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:52:29.32ID:vUT3uGGC0
>>867
正解
0870ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:55:25.97ID:MCKtUbuJ0
>>865
恣意的すぎる
土器が畿内から九州に流れているのを畿内による九州支配の根拠とし、邪馬台国東征では土器を無視するのは論理的じゃない
0871ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:56:11.39ID:n+MK/kZs0
>>865
安芸や吉備に立ち寄って何年も過ごしてるし、
畿内に入ってからは激しい戦闘も何回かしてるみたいだし、
果たして九州北部でもらった土器がいくつ橿原に無事たどり着いたのやら。
0875ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:58:22.62ID:4p8nlrbi0
>>862
数十人の人たちだけが移住した
0876ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 16:59:02.45ID:vUT3uGGC0
>>870
邪馬台国と関係ないよ。
奴国の4男から始まる新天地開拓だよ。
あるとすれば、政権内に邪馬台国ゆかりの人物がいて暦とかの仕事やっていたかも?
0877ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:01:33.14ID:xYzug34g0
記紀の神武東征が史実なら紀元前600年だから邪馬臺国と無関係
記紀の神武東征が史実じゃないならどっちみち邪馬臺国とは無関係

以上
0878ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:01:51.24ID:TKA01kMe0
>>870
土器は畿内のものがよかっただけなんじゃないかな?
よく知らないけど
それより九州で生産される鉄剣の方が重要だったと思うけど

熊襲はそれでかなり強かったから
神功皇后の夫の仲哀天皇も熊襲と何年も交戦していたし

魏志倭人伝に出てくる偽邪馬台国(熊襲の街だと思う)には馬がいなかったけど
軍馬は全部朝廷に持っていかれて張政は偽の邪馬台国に案内されたと思う

結局は張政は武内宿禰にまんまと騙された
武内宿禰は魏を恐れて本当の大和には招待しなかった
0879ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:01:59.83ID:LE6hm1QV0
>>864
それは>>799>>832の事実がある以上難しい
倭国造が九州人なのなんて大和朝廷が東遷政権である以外に説明つかない
0880ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:04:57.22ID:TKA01kMe0
>>872
日本書記にそう書いてあるからね
それを否定する事ができる証拠もないからね
土器とかまじでなんで九州産をわざわざ使う必要がある?
地元の土器使えばいいだけだし
当時の朝廷は政務や戦でそれどころではなかったし
0882ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:08:25.32ID:VvkCgQ+a0
>>854
うーんとね、投馬国出身のイワレビコが
邪馬台国の卑弥呼と出会い接しその死まで目の当たりにし
さらには再び戦乱の世に戻った状況を憂えて
卑弥呼の意志を引き継ぎつつ、平和な世を求め神武東征し始めたんだよ

だから邪馬台国東遷説ではなく

卑弥呼をアマテラスとして神格化し
邪馬台国(卑弥呼)の意志を引き継ぎ
ヤマト王権をつくったスーパーリスペクト説が正しい

神武天皇による邪馬台国スーパーリスペクト説

これが俺の結論
0883ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:09:55.58ID:TKA01kMe0
>>1
神武天皇の東征は九州から奈良まで
例え土器持っていたとしても途中で割れたと思うよ
それでわざわざ補充のために九州まで戻るわけないし
土器は地元の土器を買い使っていたと思うけどね
0884ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:10:04.23ID:vUT3uGGC0
>>879
だって戦乱跡が見つからないよ。中国文献もある
神武も奈良につくまであっちこっち滞在している。情報収集、人集めに奔走だろー。
0885ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:11:39.86ID:7sptw9+K0
>>844
明治時代に椰子の実が黒潮に乗って伊良湖岬に打ち上げられたから
>九州北〜西部に届いたはず
これは思い込みが非道過ぎるwww
アキラメロン
0886ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:12:30.11ID:XPU+EHJ/0
天皇家の東征は、妻垣の存在で、
100パー間違いのない事実となっている。
ソレはいわゆる神武の時代ではなく、
邪馬台国の時代に、
天皇家の生目や御間城の部族が
長官副長官であった以降に
行われたと考えていい。
0887ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:12:43.96ID:LE6hm1QV0
土器と言えば、畿内説(笑)の人は畿内から楽浪系土器が出土しないことをどう説明してるんだっけ?

http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku335.htm
>・出土品と大陸系遺物の存在
>これまで副葬品を伴う例は古墳時代初頭の壷棺のみです。ただし中期には壷や高坏を供献した例がある。
>大陸系の遺物はまったく出ていない。九州の弥生遺跡と比べると副葬品が少ない。
>
>(2)纒向遺跡の実態
>・大陸系遺物の出土量とその比較【対外交流のあとはみられるか】
>断面が三角形の特徴的な木鏃で、儀礼用と推定される。3・4世紀の日本ではめずらしい。朝鮮半島南部の大成洞古墳群に副葬されているような骨鏃がモデルと思われる。
>纒向からは10本以上がみつかつている。
>木鏃や土器から、朝鮮南部とのつながりがあったことが分かるが、楽浪郡あたりとの関係がないようだ。大陸系の土器が出てこない。
>纒向は大陸との交易が終わった邪馬台国時代以後の遺跡ではないか。
>九州では博多湾での交易が古墳時代の前期まで続いている。
0888ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:14:44.87ID:XPU+EHJ/0
また、天皇家の東征以前に、
銅剣銅鉾文化圏を形成した、
安積族=物部氏の進出が1〜2世紀にあったのが、
歴史の事実として確定している。
0889ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 17:15:12.14ID:TKA01kMe0
>>1
伊勢神宮の建立が垂仁天皇の頃だからね
神武天皇は必然的に紀元前の人物になるんだよな

で日本書記にもちゃんと卑弥呼は神功皇后の時代の人間とされているし
住吉神社も創立が200年代だし
源氏平家の氏神は神功皇后の息子の応神天皇だし
日本の古文書には必ず神功皇后や八幡神が出てくるしね
0891ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:16:38.04ID:n+MK/kZs0
>>879
年代鑑定とかしたの?
筑紫関連の神は鉄器の増加時期からもわかるように
大和政権誕生以後の交易で伝わってきたものだろうし、
Amazonの現地法人が日本のあちこちにできても、
アメリカが遷都してきたわけじゃないぞ。
0892ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:16:44.05ID:LE6hm1QV0
ちなみに九州では伊都国を中心に楽浪系土器が多数出土してる
伊都国の安曇海人が大陸と通交していたのは明らか

http://www.yoshinogari.jp/contents4/files/1412321758_5.pdf
>伊都国を支えた港湾集落群
> 2,000 年前の糸島半島は、現在とは異なりわずか数百m幅の細長い陸けい部で本島部とつながる、まさに島状の地形を呈していた。
>この陸けい部の東西両側には玄界灘から湾入する内海が存在したことが明らかとなってきた。
>近年では、当時の海浜部に展開した集落の発掘調査も活発で、新たな発見が相次いでいる。
>これら集落からは、大陸系や西日本〜東海にかけて国内各地からもたらされた土器、金属器をはじめとする舶載製品が発見されることが多く、
>この地域が交易活動の拠点であったことが明らかとなった。伊都国が国際貿易都市であったとする由縁である。
>
>中国銭貨と楽浪系土器の集中
>これら海浜部の集落の出土品のなかで注目する資料の一つに中国銭貨がある。
>伊都国では、新代を中心に鋳造された貨泉をはじめ、半両銭、五銖銭など合わせて20 枚以上が出土している。
>新町・御床松原遺跡と新町遺跡で5枚、元岡遺跡で9枚、今宿五郎江遺跡で6枚など、まとまった数が出土していることが特徴で、
>すでに総数は 20 枚以上にのぼり、玄界灘沿岸地域では一支国に次ぐ多さである。
>当時、中国ではすでに貨幣経済に移行しており、多くの貨幣が鋳造されていたが、わが国では、この段階には達していなかったとされ、
>出土した中国銭貨は主に青銅器鋳造の原材料に使用されたと考えられていた。
>しかし、青銅器の生産拠点遺跡での出土例がない現状では積極的に首肯できるものではなく、逆に大陸との交易活動の中核を担った
>一支国や伊都国において多く出土する現状から、これらの地域においては実際に貨幣として流通した可能性が高まっている。
>
>中国銭貨とともに出土しその注目度が増しているのが楽浪系土器である。
>楽浪系土器とは朝鮮半島北部の楽浪郡周辺で製作、使用された土器である。
>この土器が弥生時代後期から古墳時代前期にかけて、北部九州の遺跡で出土しているが、特に集中して出土するのが一支国、
>伊都国の集落遺跡である。伊都国では前述の新町・御床松原遺跡の他に今宿五郎江遺跡、深江井牟田遺跡、一の町遺跡など合わせて9カ所で出土しており、
>その多くが当時の海浜部に位置する。
>https://i.imgur.com/Ah5Akjy.jpg

で、畿内は?
0893ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:18:20.35ID:LE6hm1QV0
>>891
日本語が読めないの?

>倭国造が九州人なのなんて大和朝廷が東遷政権である以外に説明つかない
0894ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:20:57.25ID:4tLFr/Gq0
>>888
今の天皇家は東征してないからね
0895ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:21:07.53ID:n+MK/kZs0
>>889
年代鑑定してみ。
たぶん4〜5世紀にズレると思うで。
纏向遺跡の発掘で従来の紀年論の信憑性は落ちたな。
0896ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:21:54.98ID:TKA01kMe0
>>888
宗像から物部って日本書紀に出てくるし
宗像大社の祭神は宗像三姉妹と神功皇后と応神天皇
物部は饒速日の子孫
どうしてわざわざ日本書記を無視するのだか?
そもそも日本書紀での神武天皇の東征はBC660年なんだが
0897ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:22:45.59ID:XPU+EHJ/0
>>894
生目御間城の部族が宇佐逗留後に東征しているのは妻垣の存在によって確定した。
0898ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:22:49.40ID:WYXJQgD30
日本書記は大量の一書などの補完史料で記載されてる

要は大量の史料が当時存在しているという事
なんで何もかも無くなったとか思いこんでるのか不思議でならない
天皇の寿命などについては干支に合わせての繰り下げの意図が指摘されて定説化してる
分からないから適当かいたんじゃない

無くなったというならそのあとの時代になってから一書などの参考資料が現存しないで日本書紀本体だけになってしまったという点だろう
0899ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:22:52.69ID:kkTIy4UG0
神武?いつの時代の話をしているのだ?住むこと7、80年の王か?国中不服の王?壱輿の後の王 か?壱輿の後は前方後円墳が続くから東征服は無いよ、東婿入りだな
0900ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:23:13.01ID:n+MK/kZs0
>>894
例え仮にそうだったとしても、証明できないから黙って建前を受け入れるしかないな。
0901ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:23:41.06ID:5LCeWYSTO
天皇絡めるから辻褄合わなくなる
そもそも継体天皇以前は実在すら怪しいのに
0902ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:23:45.55ID:LE6hm1QV0
>>888
安曇と物部は別物だよ
>>799のとおり、筑後山門出身の豪族が物部氏
筑後山門の邪馬台国に仕えていたと見られる
0903ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:24:22.80ID:TKA01kMe0
>>895
伊勢神宮は式年遷宮しているからね
日本人じゃないから知らないのだろうね
0904ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:25:35.63ID:7sptw9+K0
>>867
神武東征は民族移住といえば大げさだが
日向を捨てて大和を目指してるんだから
腹が減っては戦は出来ぬwww
九州馬鹿は論理の展開に緻密さが無いwww
0905ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:25:55.61ID:cmer0yZ+0
だいたい、他所に出ていくのは、
そこに居場所がない若者か、
主流派から外れた負けた勢力だからな。

主流派が長年整備した中央の土地を
捨てて逃げ出すことは無い。

あるとすれば、それ以上にでかい勢力から
責められたときくらいかな。
0906ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:26:34.86ID:TKA01kMe0
>>901
いや日本書記を読んでいないから辻褄が合わないとか言っているんだろうよ
神功皇后がいないとかありえないからな
住吉大社建立しているのに
その他のいろいろな天皇所以の神社もたくさんあるんだが
全部否定するのは難しいと思うぞ
0908ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:27:45.84ID:KbgasJFb0
>>899
神武は倭国大乱の時代の王様だと思う
具体的には桓帝と霊帝の間(146年 - 189年)ごろ
神功皇后は4世紀の人だな
0909ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:28:53.12ID:4tLFr/Gq0
>>900
乙巳の変以降明らかに朝鮮系の公家が増えてるくらいしか証拠がないから黙ってるか…
0912ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:31:18.59ID:vUT3uGGC0
>>908
王ではない4男坊だよ。
戦争ばかりで嫌気さして、脱藩みたいなもん。
0913ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:31:26.31ID:TKA01kMe0
>>909
朝鮮系が増えたのは神功皇后そして応神天皇の時からだ
日本書記にちゃんと記述があるんだが

秦の始皇帝の子孫の秦氏の亡命の許可と
その救出な

関東の兵士が動員されて朝鮮半島に派遣されている
0915ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:32:24.51ID:LE6hm1QV0
>>902の補足

のちの氏姓制度に古代氏族の関係性が現れている
姓(カバネ)の中で特に有力だったのは臣(オミ)と連(ムラジ)の2つだが、この両者には外様と譜代の違いがある

https://kotobank.jp/word/氏-34455
>日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
>臣姓豪族は皇別すなわち天皇の後裔(こうえい)と称するのが一般であり、連姓豪族は神別すなわち神代の昔から皇祖の神々に奉仕した
>神の後裔と称しているが、これは江戸時代における外様(とざま)大名と譜代(ふだい)大名との違いにも比せられる。
>すなわち、臣姓豪族は天皇家と連合して大和政権を構成した有力豪族、連姓豪族は大和政権の盟主としての天皇家の地位、
>実力の向上に伴って頭角を現した家政機関のおもだった役人あがりであり、その家政機関が拡大改組されて大和政権の中枢機関となったのである。

神代の昔から皇祖に仕えた、つまり神武東征以前から皇室に付き従っていた元々の皇室の臣下が連の姓を与えられている
たとえば北部九州が本拠地の安曇氏が連姓、これは皇室が九州起源であることの根拠となる
逆に畿内の土着勢力の王家は臣姓となった豪族の中にいると考えられる

筑後山門の物部氏は大連となった連の中の連なので、当然東征前からの重臣ということになる
筑後山門の邪馬台国に仕えていたと見るのが自然だろう
0916ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:32:37.20ID:vUT3uGGC0
案外、卑弥呼と幼なじみだったりして?
0918ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:33:15.50ID:TKA01kMe0
>>914
またバカの書き込みか
いつ神功皇后が高句麗まで出兵したんだよ
0919ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:34:44.15ID:TKA01kMe0
>>916
幼馴染ではないけど同じ皇族
やがて日本書記と古事記から業績を抹殺された
0921ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:36:56.83ID:4tLFr/Gq0
>>919
民族が同じなだけで同じ皇族じゃないよな
0922ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:40:22.06ID:7sptw9+K0
>>906
日本書記は眉に唾をつけながら読まないと騙されるぞ
0925ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:45:59.16ID:TKA01kMe0
>>898
そのなくなった資料と言うのは朝廷の歴史書の数々
地方豪族には記録が残っていたが
それは一部が異なるがだいたい記紀と中身は似ていた

しかし神武天皇と神功皇后の存在を消し去りたいGHQはそれらの資料も偽書扱いした

強引に記紀の中身は嘘と断定して(特に神武天皇と神功皇后の部分)
戦後の日本の歴史教科書を作った
しかしその中身はなかりデタラメなものであった

天皇の寿命についても系図の欠損によるものなのだが
それを認めずに適当な文献の適当な解釈でごまかした

太陰暦や干支を知っているものからすればありえない解釈な
0926高篠念仏衆さん
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2020/10/25(日) 17:47:33.30ID:SuRf5uXp0
渡来人は戸籍で管理してるよ?
蝦夷は?隼人は?
0927ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:47:42.35ID:n+MK/kZs0
>>924
神武が東征したのはもっと昔で、奈良盆地は空き地まだ多かったろうから。
0928高篠念仏衆さん
垢版 |
2020/10/25(日) 17:48:57.60ID:SuRf5uXp0
秦人の戸数七千五十三戸、大蔵掾(おおくらのふびと)を以て、秦伴造(はたのとものみやつこ)となす
0929ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 17:51:05.08ID:j6qzzA+D0
方角が合ってたら九州で、距離が合ってたら近畿だっけ
星を頼りに航海してた時代だし方角を間違えることはないんじゃないの?
九州だと思うよ
0930ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:52:53.39ID:n+MK/kZs0
>>929
どっちかって言うと、距離に法則性がなければかな。
0932ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:53:48.56ID:TKA01kMe0
>>875
それはないな
船数隻で移動していたし移動時代もゆっくり
最低でも数百人はいたと思うぞ
0934ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:54:15.90ID:vUT3uGGC0
>>919
違うと思う。
台与以降で姻族関係かも?
0935ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:54:30.14ID:cmer0yZ+0
距離があってたらそもそも日本にならない。
距離を合わせたら、パプアニューギニアか
マリアナ諸島。
方向を東にしてもベーリング海
0936ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 17:55:11.06ID:APd1cTKA0
隋書倭国伝には阿蘇山のことが記載されているよね
畿内大和王権で実権を得ていたのは九州の連中ちゅう暗示だね
0939ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 17:56:28.67ID:n+MK/kZs0
>>931
戦闘相手も同人数程度しか用意できないってことで、
空き地に住む分にはそれほど抵抗がなかったってことかな。
0940ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 17:56:52.13ID:Yv9AiyJw0
>>819
そうだね。

史実を確認すればすぐわかるレベルのことすら確認しないのが、中国正史編纂のクォリティ

こんなものを絶対視して、無理に屁理屈をこねまくった挙げ句、根拠のない空想を付け足して謎は全て解けた!とか
邪馬台国本を鵜呑みにするのは滑稽ですらある。
0941ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 17:58:20.56ID:wqZWsA4C0
>>887
なんだ、畿内の可能性なんてゼロじゃん
大陸との交流が見られないのに親魏倭王とか無いわw
0942ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 17:58:22.27ID:vUT3uGGC0
>>929
近畿は方向、距離 両方とも無視だよ。
まして混乱の中国、日本、双方 国防や補給路と考えるとそれでいいのかな?
諸葛亮という軍師がいる時代。
0944ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 18:00:14.45ID:V+nOZpYq0
神功の三韓討伐で高句麗が日本の支配に入ったと日本書紀に書いてあるんだが
高句麗が終わったのは668年だから日本書紀を書いたときにはなくなってたから
その当時の人間が証拠もないからと高句麗も支配したと嘘書いたんでしょ。そんなレベルの内容でしょ記紀って。
0945ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 18:01:36.12ID:KbgasJFb0
>>940
たとえば後漢書
中国人はこの後漢書をやたら神聖視して崇めまくってるが
後漢書なんか魏志からつまみ食いしてパズルしてるもんだから
東に海を渡るとまた倭人がいる、南に狗奴国がある → 東に海を渡ると狗奴国がある
みたいなアホなことやってる

もしかしたら邪馬臺という後漢書の記載はまったくのデタラメで魏志の邪馬壱が正しいのかもな
0946ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 18:02:38.91ID:vUT3uGGC0
>>939
戦わず地元とパイプを持つ。
まさに和だろー。農業指導とか、地元民困難を
解決したり。
0947ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 18:03:48.17ID:wqZWsA4C0
>>819
最初の参謀阿奇支者は荒木村重の一件のように思える
0948ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 18:04:09.65ID:Yv9AiyJw0
>>945
時代の順は後漢の後に、三国時代だけど、後漢書が編纂されたのは、三国志編纂の後だからねぇ

どっちがどっちを見たのかは、編纂年で考えていいんじゃないかな?
0949ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 18:04:28.33ID:7sptw9+K0
>>939
神武の兄貴が流れ矢か何かに当たって怪我してるんだから
長脛彦と合戦した古戦場には神武側の鉄鏃が落ちてるはずだな
0950ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 18:05:02.24ID:TKA01kMe0
>>944
そんなことが書いてあるのはお前の妄想偽日本書記だけだろうよ
0952ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 18:07:35.27ID:TKA01kMe0
>>1
三韓征伐の三韓と言えば馬韓と辰韓と弁韓だろうよ
0953ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 18:08:50.55ID:psoer3KT0
>>915
なるほどなぁ
そう考えると天皇は九州から、というのは事実に思えるね
0954ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 18:09:12.21ID:n+MK/kZs0
>>944
たぶん戦闘に勝って支配したんじゃなく、
食料供給してやるからって支配下に入るよう勧めたんやろ。
日本への派遣労働者の提供と引き換えだろうけど。
0955ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 18:10:47.76ID:XPU+EHJ/0
>>902
残念だがソレは間違いだ。
物部氏が山門八女を乗っ取ったのは、
磐井の乱を制圧したからと考えられる。
0956ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 18:11:29.19ID:KbgasJFb0
>>948
3世紀 魏志 ヤライツ国やぞ
5世紀 後漢書 ヤマアイ国やぞ
7世紀 隋書 ヤミェツァイ国は魏志にいうヤマダイ国のことやで(言ってない)
7世紀 後漢書注 ヤマダイ国、今の名はヤマイの訛りやろなあ

それぞれの年代の発音を参考にするとこのくらい差がありそう
0957ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 18:12:10.46ID:V+nOZpYq0
広開土王碑に新羅を制した倭人が百済と結託して高句麗までせめてきたことから撃退したと
日本の敗北記録してるじゃん。日本書紀書いた人は広開土王碑が残ってるなんて知りも知らずに嘘書いてしまった
0961ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 18:13:56.62ID:TKA01kMe0
>>1
神武天皇での勘違いが多いから言うけど
神武天皇が来た時代の難波は長髄彦が仕えていた饒速日が治めていた
この饒速日は元は神武天皇の親族で同族
つまり元から難波も天皇一族が治めていた
そこのところを間違えるとおかしな事になる
0962ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 18:15:50.00ID:n+MK/kZs0
>>957
たぶん交渉が合意に至ったんで引き上げてっただけじゃね。
0963ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 18:16:00.14ID:2ukHVv1x0
>>960
畿内説はもう>>887で消えたよ
0964ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 18:17:58.00ID:n+MK/kZs0
>>961
天孫族とゆかりがあるだけで、天皇一族じゃないんじゃね?
0965ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 18:18:09.03ID:XPU+EHJ/0
まず重要な事は、考古学的事象として、
銅剣銅鉾を祭祀の道具として祀る部族の、
紀元1〜2世紀の河内大和への進出というイベントがある。
ソレは住吉神社を祀る博多湾周辺の部族達であって、
神武の東征以前に、進出していた部族が、
物部氏の祖先であるという記紀の記述を持って、
銅剣銅鉾を祀る博多湾周辺の部族が、
物部氏であるとするのが理論上正しい。
0966ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 18:18:53.53ID:TKA01kMe0
>>957
三国史記(新羅本紀)には
208年 夏4月、倭人が国境を侵す。奈解王は将軍昔利音に反撃させた。
とあるぞ
そもそも広開土王碑は日本軍が発見したものだぞ
その広開土王碑の中身に書かれているような事は日本書紀にも書かれているのだが
ただ単にお前が知らないだけだ
0967ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 18:20:28.66ID:XPU+EHJ/0
物部氏の山門八女への再進出が、
磐井の乱によって行われた。
コレが799の正しい解釈だろう。
0968ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 18:21:50.46ID:xB5oCRCj0
東アジア古層
中国北部最古層:ウラル系、縄文系
中国中部最古層:ベトナム系、タイ系

↑日本語の基層部分の構成要素
↑その後、西方からの黄河文明に駆逐される
0969ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 18:22:56.78ID:MBRzdxfV0
>>961
朝鮮半島からの渡来が一度ではなく、何度もあったということ

まず朝鮮半島(高天原)で、負けた扶余の一部族(スサノオ)が、日本列島に追放された。
その後、どうも日本列島の方が稲作に向いている(豊葦原瑞穂国)ということで、天孫族が半島から日本にやってきた。
0970ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 18:22:57.39ID:V+nOZpYq0
三国史記に卑弥呼の名前はあるけど神功の名前なんてないし
日本が新羅を侵略したのは事実。そこに高句麗も支配したと嘘書いたのが大和朝廷。
0971ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 18:23:13.40ID:APd1cTKA0
東征は連荘でしょ、饒速日≒神武?、神武≒崇神?、応神
0972ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 18:26:19.20ID:MBRzdxfV0
>>841
系図の損失じゃないだろ。
歴史を古く見せるために、紀元を辛酉革命の年にあわせたら、代数との辻褄がわ無いから百歳以上生きたことにしたんだろ。
0973ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 18:26:52.84ID:LJgyOjFO0
>>1

邪馬台国とか卑弥呼とか、中国人がつけた卑下して呼称はやめようよ
0974ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 18:27:58.11ID:XPU+EHJ/0
高良山の大祝家も、
元々丹波氏であって、
物部氏が大祝家になったのは
後の時代の事であるので、
その後の時代と言うのを、
磐井の乱の制圧以降という歴史のイベントと
結びつけるのが理論上正しい。
0975ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 18:29:03.35ID:MBRzdxfV0
>>856
そのとき『国記』は消失してないだろ、その後、後世に残すと都合の悪い誰かが焚書したんだよ。

蘇我氏が天皇家だから、国記と天皇記を所有してた。
残念なことに、日本書紀をでっち上げた一族によって、それらの書物は焚書されてしまった.。
0976ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 18:29:22.97ID:4tLFr/Gq0
>>969
中華から直でも来てるよ
0977ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 18:29:25.13ID:vUT3uGGC0
>>970
新羅で起こるた日蝕記述がほとんど合う。
倭国は、丹波の国から西に千里とある。
北九州あたりになる。
0978ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 18:31:04.92ID:7sptw9+K0
>>956
陳寿の時代から邪馬臺(ヤマド)
堆はduəi
唐代初めはヤマドゥオイ
唐代半ばからヤマtuəiトゥオイと濁音が無くなった。
それを反映してるのが源氏物語や枕草紙などの
平安時代の女流かな文学
濁点無し
930年代成立の和名抄の万葉仮名は濁音始まり清音始まりを区別してない
おそらく脳内辞書を頼りに発音してた。
0979ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 18:31:09.73ID:Yv9AiyJw0
>>956
各史書の編纂にあたって、わざわざ当時の発音を調査してまで字を当てなおす程、東夷の国に情熱を注いでたわけがないよ。

史書は膨大な量があるんだから、適当に転記してミスしまくってたんでしょ。
0980ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 18:32:58.23ID:V+nOZpYq0
卑弥呼の名前なんて中国の各書物にたくさん記録されてんじゃん
神功の名前なんか一つも書かれてないよ
0981ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 18:33:17.18ID:7sptw9+K0
>>969
騎馬民族征服王朝説は時代遅れ
0982ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 18:34:35.21ID:KbgasJFb0
>>978
邪馬壱だからヤマイッって感じ
7世紀後漢書注の李賢もヤマイの訛りと言ってる
0983ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 18:35:25.79ID:vUT3uGGC0
>>979
ありうるね。現存する最古のもんも11世紀以降がほとんど。3世紀ー7世紀の古墳から大陸や国内の竹簡など出土期待。
0985ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 18:36:17.66ID:1tiwlBUh0
>>967
無理のある解釈だな
磐井の乱は久留米だから筑後山門とは結びつかない
磐井の乱が原因なら久留米に物部氏の痕跡が集中するはず
大和郡太神村というごく狭い範囲に集中しているのを説明できない
0986ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 18:38:04.81ID:MBRzdxfV0
日本書紀以前にあったと思われる記録

「帝紀」(「帝皇日継」・「先紀」・「天皇記」)
「旧辞」(「本辞」・「先代旧辞」・「上古諸事」・「国記」)
「国史」(ふみひと)
「四方志」(よものふみ)
「旧本」(ふるふみ)
「日本旧記」(にほんきゅうき)
「譜弟」(かばねのついてのふみ)
「帝王本紀」(すめらみことのもとつふみ)
「帝記」(すめらみことのふみ)
「墓記」(おくつきのふみ)

全て焚書されてしまって、日本の古代史をわからなくしている。
0987ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 18:38:49.00ID:TKA01kMe0
>>970
そもそも卑弥呼自体が日本には存在せんのな
卑弥呼=姫子=日女子だからな
つまりただの姫子を卑弥呼と呼んで蔑称しているだけだからな

つまり日(太陽)の(女)子と日本側としては呼んでほしかった
男性は日(太陽)の子と天皇は自称していた

実際には日本側としては姫子様と呼んでほしいのな
0988ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 18:39:18.62ID:APd1cTKA0
広開土王碑からも三韓征伐は 実際起きたことなんだろう
土蜘蛛討伐は嘘混じりだけどね
0989ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 18:40:12.28ID:KbgasJFb0
>>979
各史書は基本的に後漢書に習ってるんだよ
それほど後漢書は中国人から神聖視されてる
倭人のことは超適当な魏志からの切り貼りパズルになってるのにね
0990ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 18:40:50.42ID:b5qdIZSy0
邪馬台国九州説もう負けそ、頑張れやッ!
0991ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 18:40:57.71ID:mcvtJY0g0
>>943
なんか無視してるとこあるっけ

半島から南に千里、で対馬←問題なし
対馬から南に千里、で壱岐←問題なし
壱岐から千里(方位なし)で九州に上陸←距離的には問題なし

そこから先はルートが多すぎて絞れてないけど魏志倭人伝の記述からは九州から出たとは思えないよね
0992ニューノーマルの名無しさん
垢版 |
2020/10/25(日) 18:42:33.97ID:x6MV+z7B0
結局何度やっても5ちゃんでは九州説が勝つんだな
0993ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 18:44:11.49ID:n+MK/kZs0
>>991
方角の中央値が30度くらいズレてることにいちゃもん付けてんじゃね?
0994ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 18:44:28.15ID:vUT3uGGC0
>>991
それ以外の北の国々は、九州超えている。
奴国が二度出てくる。女王の尽きる所。
神武の国かな?
0995ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 18:44:28.88ID:TKA01kMe0
>>980
>>970
そもそも卑弥呼自体が日本には存在せんのな
卑弥呼=姫子=日女子だからな
つまりただの日女(姫)子を卑弥呼と呼んで蔑称しているだけだからな

つまり日(太陽)の(女)子と日本側としては呼んでほしかった
男性は日(太陽)の子と天皇は自称していた
日子から彦と同じ事
日本の天皇の名称には日子(彦)が数多くあり

実際には日本側としては日女子(姫)子様と呼んでほしいのな
0996ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 18:45:43.65ID:dYSQ7juV0
>>992
九州説は考古学と文献学両方を根拠にしているからね
だから強い
畿内説は学者ムラでしか通じない学閥の圧力と嘘八百が根拠だからすぐに暴かれて自滅する
0997ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 18:46:28.15ID:TKA01kMe0
>>1
つまり卑弥呼とは元々は倭国の姫様と言う意味でしかない
0998ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 18:46:55.71ID:MBRzdxfV0
>>985
九州年号が、『継体』で始り、『大化』の次で終わっているのも興味深い
0999ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 18:47:48.08ID:vUT3uGGC0
>>998
統合だね
1000ニューノーマルの名無しさん
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2020/10/25(日) 18:47:59.99ID:XPU+EHJ/0
>>985
それはあり得ない。
磐井の乱は北部九州全体の戦いなんで。
キチンとそこを認識してもらわないといけないな。
10011001
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