【鳥取】弥生時代最大の「鉄矛」出土、国内初 祭祀で地面に突き刺す? 「儀礼の歴史に新たなページが加わった」 [樽悶★]
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中尾遺跡から出土した(左から)鉄矛、板状鉄斧、鋳造鉄斧(鳥取県倉吉市教育委員会提供)
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鳥取県倉吉市教育委員会は2日、同市の中尾遺跡で弥生時代中期(約2100年前)の竪穴住居跡から国内最大の鉄矛(長さ54.3センチ)のほか、板状鉄斧(同27.5センチ)、鋳造鉄斧(同11センチ)が出土したと発表した。
住居跡は焼けていたが、板状鉄斧は床面に突き刺さっていた。鉄矛も刺さっていた可能性があり、担当者は「当時、鉄製品は貴重で、火災なら後で回収したはず。住居廃絶に伴う祭祀に使われた可能性がある」と話している。
鉄矛は韓国南部の茶戸里遺跡で出土した鉄矛(長さ約59センチ)と形状が似ており、板状鉄斧も朝鮮半島、鋳造鉄斧は中国で作られたとみられるという。
11/2(月) 21:16配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201102-00000199-kyodonews-cul
倉吉市教委は2日、中尾遺跡(同市)の約2100年前に焼失した竪穴建物跡から、弥生時代では国内最大となる長さ54・3センチの鉄矛と、板状鉄斧(てっぷ)、鋳造鉄斧の鉄器計3点が出土したと発表した。いずれも朝鮮半島か中国製。副葬品としてではなく、竪穴建物から3種類が完全な形で見つかったのは、国内で初めて。
貴重で実用性の高い鉄器が再利用されず原形をとどめており、海外から鉄器を入手できる有力な勢力が、住居を意図的に燃やす祭祀(さいし)に使ったとみられる。内陸の丘陵地に位置する中尾遺跡が、日本海と中国山地、瀬戸内海を結ぶ交易拠点であった可能性が浮上した。
鉄矛は国内最大だった東入部遺跡(福岡市)の長さ43センチを上回った。柱穴の土に突き立てられていたとみられる。板状鉄斧は長さ27・5センチと国内最大級で、柱の根元に刃の反対側を突き刺し、刃が上を向いた状態だった。鋳造鉄斧は長さ11・0センチで、床面にあった。
愛媛大アジア古代産業考古学研究センターの村上恭通教授は「前例のない形態の出土で、儀礼の歴史に新たなページが加わった。弥生時代の交易拠点は青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡(鳥取市)など沿岸部に多いが、内陸部にも力を持つ人々がいたことを示す」と評価している。
11/2(月) 20:25配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201102-00010006-chugoku-soci
鳥取県倉吉市教委は2日、市内の中尾遺跡で、弥生時代中期の竪穴住居跡から弥生時代では国内最大となる全長54・3センチの鉄矛が出土したと発表した。朝鮮半島で作られて持ち込まれたとみられる。板状と鋳造の鉄斧(てっぷ)もそばで見つかった。これら3種の鉄器が同じ場所から完全な形で見つかるのは国内初。祭祀(さいし)で使われた可能性があり、祭祀の形態や鉄器の流通ルート解明のための貴重な資料となる。
工業団地の整備に伴い、2019年8月に発掘調査が始まった。住居跡は約2100年前のものとみられ、標高約25メートルの丘陵にある。鉄矛と、朝鮮半島からの舶来とみられる大型の板状鉄斧(全長27・5センチ)が住居内の地面に突き立てられ、住居ごと燃やされた形跡があった。当時は国内に製鉄技術はない。貴重な鉄器が住居から回収されていないことから、市教委は「家を廃絶する儀礼など、何らかの祭祀で使われたのではないか」とみる。鉄器を住居ごと燃やす祭祀の例はこれまで確認されていない。
権力の象徴とされる鉄矛は希少で、九州北部では有力者の墓から副葬品として十数例が確認されているが、住居跡から見つかるのは極めて珍しいという。
県中部に位置する中尾遺跡から北東約20キロにある鳥取市の沿岸部には、朝鮮半島や大陸との交流拠点だった青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡があり、今回発見されたものより小型の鉄斧が出土。中尾遺跡は、この遺跡と瀬戸内側を結ぶ中継拠点として鉄器がもたらされたとも考えられるという。
村上恭通(やすゆき)・愛媛大教授(考古学)は「九州の北部では副葬品や葬儀に鉄器が使われる例があるが、これほど立派な鉄器が住居に残されていたのは極めて特異」と指摘。「住居に火を放つ際、貴重品をささげてでも実現したい願いがあったのではないか。弥生時代に行われた新しい形の祭祀を考えさせられる発見だ」と話した。
現地説明会は14日午前10時から計4回あり、定員は各20人。事前申し込みが必要で、問い合わせは倉吉市教委文化財課。【野原寛史、花澤茂人】
11/2(月) 17:48配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201102-00000048-mai-soci ただの火事なら後で回収って発想もわかるけど
鉄も燃えて使い物にならなくなると
思ってただけかもしれん 地鎮祭っていうかこの土地はワシのもんじゃあってのやるしか
鉄って使い途まだ信頼性低すぎてなかったからな
だって修理やらできるとこなんてつくったとこ以外ではまず無理なんだもん
遠出になんか持っていくとごみでしかない
銅は温度低くてそこら辺の木でも集めてちょこちょこっとしたらなんとかなったし 鉄が腐らず残ったってのそこは使い途のないかなり悪い土地っていわれて忌み嫌われたんだよな
普通に水があるとこなら数年したら錆びて原型なんかなくなるから 関東では縄文弥生時代の出土があっても隠して宅地開発されて見つからないだけだからな
高い所に安全のために住んでいて密集住居があるが、ほぼ同じところへ宅地開発で家が作られ遺跡は破壊されて捨てられてきた
土建屋が田舎で土の採取で山を買って、山を崩して残った土地を地検者に戻すと言うのをやってるが、当たり前に山には遺跡があって見つかるがそれらは破壊されて捨てられてすべて消し去られてきた ていうか
縄文弥生の遺跡数は全国から出てて
1万以上ある
土器の数も半端ない
ところが
朝鮮半島にはぜんぜんない 鉾は馬上で使う場合が多いんじゃないの
徐福が持ってきたものかも >>64
関西では5世紀以前は文字が無かったから
5世紀以前の歴史なんて分かるはずないよな。 >>42
これ少し間違ってる
北東アジアから伸びてる日本に繋がってないとこは実は繋がってる
弥生時代の鉄文化を作ったのは長江から朝鮮経由のアイアンロードだけど
弥生時代を終わらせた大和王朝の鉄器技術は北東アジアから入ってる
当時の中国は銅が主流になってたし文字もあった
大和王朝は無文民族であり製鉄技術を持ってた
これはツングース系民族特有なんだよね
特にテュルク語族が無文文化とタタール製鉄を持ってるし
日本語はアルタイ諸語でテュルク語族の仲間 >>50
大和王朝の製鉄技術は匈奴から来てるんだよなあこれが >>113
いやいや、匈奴も突厥も文字を持たないがタタール製鉄を作り上げたぞ >>109
弥生時代の共通する遺跡は朝鮮南部にはあるよ
長江から日本への経由地で朝鮮にも残ってる
その後にツングースが来て、これは日本にも渡って大和王朝を作ってるから
畿内人は朝鮮人に近い遺伝子を持ってる 稲作は長江から伝わったが経由地である朝鮮の方が先に伝わったけど
技術が根付くのは稲作に向いてるより温暖な日本が先だった 大和王朝の鉄器は弥生人の鉄器の技術を数段上回ってるんだよね
そういう鉄器を作ってたのは当時は突厥しか無いんだよね
中国は加工が簡単な銅が主流になってた
文字を持たない、狼信仰(お稲荷様)、製鉄技術
天皇の祖先は明らかなんだよね >>118
古墳にしたって
朝鮮にあるものより
日本にあるもののほうが古いのあるだろ
不思議な話だよな >>122
素直に読み解けば日本本土から朝鮮半島南部がワジンの縄張りだったんだろうよ
やつらは絶対認めないけど 日本と共通してあるものが
朝鮮半島全体にあるならわかるけど
すべて南部に偏ってるものな
大陸から半島の北から来たっていうのにだ
不思議な話だよな いつも思うのだがこういう鉄器の製造元を朝鮮又は中国と言ってたりするが
根拠を示してないんだよね。
成分分析?炭素同位体計測?
当時の日本に製鉄技術が無かったから等の見解では論外。
もっと遠い場所で製造された物かもしれんし。 織田信長の使ってた火縄銃の弾の成分は
東南アジア産なんだよな
最近NHKでみて
そういうのもあるんだと思った 古代文字や神代文字はあっただろ
いきなり読み書きできるようになるわけない
中国とは鉄製造の工法が違う >>120
アルタイ語面白いなぁ
天皇一家はチビだし顔つきも全然違うもんな
縄文弥生大和と征服されていたんだな
縄文や弥生に元々あった文法って残っていないのかな
アルタイ的でないものはそうであると言えるんだろうか お?ゴッドパワーを手に入れたゴッドハンド継承者か? >>123
半島で出土する翡翠の勾玉は糸魚川産だしね
日本では縄文時代からこさえてた 実は実用的に使ってたりするという解釈はできんのかな。
当時の鉄加工のコストを考えると付加価値を生む使い方をしてそうだけど。 >>71
まあ大中華と偉大なる大韓のような先進国と
原始時代そのままの東夷倭国の差を鑑みると、
ちょっとこれは筆舌につくしがたいものがあるのでw
普通に考えて豪族とは偉大なる大韓の地域リーダーなんでしょうなあ。
その中から群雄割拠して(倭国大乱)、その最終勝者が
今に連なる「大和朝廷」なんだったと思うよ。
(まあ、継体帝のところでワンクッションあるにしてもw) >>133
考古学の世界はエロ人形も祭祀用にしちゃうから 昔は工事中に遺跡出てきたけど、工期遅れるから面倒くさいってそのまま潰して工事したらしいね >>133
今と比べて鉄器にベラボーな価値がありまくるからこそ
それを傍目には無為に神にささげることに
当時の人々は強烈な意味があると思うのかしらんwww
いやさ、いまだってでかい神社やお寺いくと
売店…じゃねえやw 社務所にいくとお札に価格差、あるじゃないですかw
なんとなく高い方が効きそうな感じ、しないっすかwww
実際の神道の神学上、仏教の教学上、どうなのかはしらんけどさwww
>>136
エロ人形? いわゆる地母神像?
それをエロってこれはどうかなあwww
だってなんぼなんでも原始人でもアレじゃダメポでしょw
がんばりゃなんとかなるのかな?www
ってか常識的に考えてね、天然物のヌードは
そこら中にあると思うんですけど原始時代www
(んま、そこまでのグラマーがいたかどうかは知らんけどさw) 出てきてしまったか…
大阪難波宮も 城周りもどうしていくか そろそろ考えていかないとね 何でも「祭祀」のインチキ考古学
・焼け落ちた民家の中に突き刺さってた
・そんな例は初めて
・鉄が貴重で焼けた後に取りにくるはずが放置された
これはなんらかの戦い(個人的な暗殺含む)の跡だろ。
殺害後に凶器を置くために地面に刺し
遺体はなんらかの理由で持ち出した
恨みのためか完全勝利の仕上げとして家屋を焼いた >>134
支那の万年属国半島が大韓とはギャグか? 地面に鋭いものを刺すというのは農耕の豊穣の儀礼ではないか? また一つ
日本が韓半島から盗んだ品が見つかったわけだが >>148
難癖、妄想書き込みのバイトは楽しいですか?在日朝鮮人君 >>143
戦いた暗殺があったという根拠がないからな
お前の書いていることも同じくインチキ妄想だよ? >>150
それを示すために書いたんだがw
確証のないものは考えられるすべての可能性に言及するべきで、それが面倒なら
一つの例だけを安易に公表すべきではない
歴史の捏造だからな
特に「祭祀」については安易に結びつけすぎで
考古学界隈でも「祭祀」の単語が出てくると笑い話になっている >>38
楽浪郡は漢領ですよ。
ウリナラファンタジーはその辺にしとくべし。 >>64
口述伝承は、どこの文化にもありますよ。
歌にして継承するの。 こんなヘンテコな形の飾りみたいな刀で殺人なんてしないだろw
普通にまっすぐの刃がありゃいいんだから 刀は現代の軍用ピストルと同様、護身用の武器に過ぎず、ほとんど出番が無かった
んだから、有力者がこれ見よがしに持つための装飾がほどこされるのが一般。
戦闘で使うのは、もっと長射程の武器。槍なら、棒の先っちょを削るだけで十分使える。 >>154
つまり、日本の歌は古代の叡智を伝えるための口伝
ウサギ美味しい〜かのかの山♪ 【行き】
邪馬台国(奈良)ー投馬国(近江)ー不弥国(摂津住吉)−奴国(因幡)−伊都国(出雲)ー末廬国(松江)から
【北に進んで】一大国(隠岐の島)
【北に進んで】日本海(東海)上にある絶海の孤島の対海(トウカイ)国(鬱陵島?)
【西に進んで】朝鮮半島沿岸を伝いながら弁韓の弁辰狗邪国(狗邪韓国)
【西に進んで】耽羅国(済州島)を南に見ながら黄海側にある帯方郡
【帰り】
朝鮮半島の黄海側にある帯方郡から
【東に進んで】耽羅国(済州島)を南に見ながら弁韓の弁辰狗邪国(狗邪韓国)
【東に進んで】日本海(東海)上にある絶海の孤島の対海(トウカイ)国(鬱陵島)
【南に進んで】一大国(隠岐の島)
【南に進んで】末廬国(島根県の松江)から
伊都国(出雲)ー奴国(因幡)ー不弥国(摂津住吉)−投馬国(近江)ー邪馬台国(奈良) 坂本龍馬が面白半分に引っこ抜いたって言う天の逆鉾は鉄製じゃなかったのか? 🇰🇷🇰🇵半島で出土した文化財が
処分されない事を祈る ウソ、ハッタリだらけの
「文献」で判断するのは
危険だぞ
「物的証拠」で判断しないと。 >>159
3世紀の関西なんて何も無い所だよ
当然、邪馬台国も無い。 『魏志』(倭人伝を含む)に書かれている
狗邪韓国から、いきなり絶海の孤島の対海国に出て
そこから南の一大国(隠岐の島)に渡り
末廬国(松江)に上陸して
伊都国(出雲)ー奴国(因幡)ー不弥国(摂津住吉)−投馬国(近江)ー邪馬台国(奈良)
というルートは、
もともと畿内にあり、神武に東征された邪馬台国が使用していたルートということになる
朝鮮半島ー対馬ー壱岐のルートは
神武の王家が先祖代々使用しているルートなので、畿内の邪馬台国は使用できなかったのだ
しかし、朝鮮半島ー対馬ー壱岐のルートを先祖代々使用してきた神武の王家には、畿内から大陸への迂回路が確立されてしまうのは都合が悪い
なので『古事記』には
神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコ、若御毛沼命)は、
兄の五瀬命(イツセ)とともに、日向の高千穂で、
葦原中国(出雲)を治めるにはどこへ行くのが適当か相談し、東へ行くことにした。
つまり、末廬国ー伊都国−奴国−不弥国−投馬国は、葦原中国(出雲)なのだ >>160
あれ平安くらいに修験者がおっ立てたやつだから鉄じゃね >>163
全国遺跡総覧の検索結果
共通条件
時代区分:弥生
遺跡種別:全選択
近畿2府4県
該当件数:6966件
九州7県
該当件数:4891件
関東1都6県
該当件数:3341件 福岡県と奈良県で比較すると、圧倒的に福岡県の方が多い。
福岡県:2637件、奈良県:617件
が、弥生遺跡の最多数は実は福岡でもなく大阪府の2791件
後、九州は福岡以外が軒並み3桁しかないのに対して
近畿では京都と兵庫が4桁ある。
他で4桁あるのは千葉県だけだったりする。
本州で一番面積も狭く、河内湾で1/3の面積が水没してる大阪府だけど、古代の大阪府は摂津と和泉の2ヶ国の弥生遺跡が膨大にある。
弥生時代の後、古墳時代に続くわけだけど、その素地は弥生時代にもきちんとある。 >>155
ヘンテコって、錆で原型がハッキリはしないが、笹穂タイプの先祖じゃないのか? >>174
九州や対馬を使用せず
古代出雲
隠岐、出雲(島根県)、因幡(鳥取県東部)、伯耆(鳥取県西部)
から大陸に行くルートが存在したことは
畿内説の有力な証明になる >>170
大阪、兵庫、京都、滋賀と古代の近畿は奈良以外の方が強いね。
名張まで抜ければまた別だけど、今の区割りだと三重だからね。 >>14
>なんでも祭祀朝鮮言っときゃいいんだから考古学は楽なもんだ
同感だなw(ただし、朝鮮に関してはよくわからん) バカの一つ覚えで「祭祀、
祭祀」だからなwww こういうスッカラカン頭で発掘やってるだけだから、20年
前に東北の旧石器時代の遺跡で珍妙この上ないトンデモ解釈を施して「わかったふり」
をしていただけなのが後でバレて、考古学の信用を失墜すたんだけどなwww 本当
にコイツラって過去の教訓に何も学んでないよな wwwwww >>1
じゃぁ、俺は『邪馬台国、カラ出張説』を掲げよう
本当は、日本に行ったことにして報告書を提出しただけ > 板状鉄斧(全長27・5センチ)が住居内の地面に突き立てられ、住居ごと燃やされた形跡
権力者を放火したクーデターの跡じゃねーの?
君主は「この王位を大地から奪う者に呪いあれ」と、鉾を抜いた者とその者の母国への呪詛を込めて憤死とか。 >>166
まだ言ってんの対馬から隠岐の島は北東
地図見なよ
>>170
大阪は仁徳天皇が埋立し土地開拓したからね
納税を止めて市民が栄えることに重点を置いた
文字もない国が意図も簡単そうに何度も朝鮮行っちゃうだもんな
大したもんだ 投票率200%かw不正工作の可能性があるなら調査はいるだろ。
どっちの陣営がやらかした事なのか白黒はっきりするまで保留になったりしてな。 弥生時代は韓人が倭人より文化文明ではるかに優れて
いたことがよくわかる >>187
すぐに作って渡っちゃうんだからそうでもない
鉄製造なんか日本独自工法で作ってるで
近畿は鉄はあんま見つかってないんだな不思議 >>184
まだ言ってんのかよ
対海国は対馬じゃねーよ >>189
じゃあ何だ
わざわざ日本海の竹島まで行くのかよ
アホじゃね >>190
朝鮮半島ー対馬ー壱岐のルートは
神武の王家が先祖代々使用しているルートなのに
邪馬台国が使用できるわけがねーだろ 『後漢書』「卷八五 列傳卷七五 東夷傳」の「光武賜以印綬」の記述にある印綬が出土しているので
「倭奴國」は九州にあり、朝鮮半島ー対馬ー壱岐のルートで大陸と行き来していた
日本の記紀では、彦火火出見尊(山幸彦)の孫の神武が、九州の筑紫城から東征し、天皇と名乗ったというのだから
「倭奴國」は、神武の祖先の九州の筑紫城だ
つまり、神武の王家は先祖代々
朝鮮半島ー対馬ー壱岐のルートで大陸と行き来していた 朝鮮半島ー対馬ー壱岐のルートは
神武の王家が先祖代々使用しているルートなので、畿内の邪馬台国は使用できず
『魏志』(倭人伝を含む)に書かれている
狗邪韓国から、いきなり絶海の孤島の対海国(対馬では無い)に出て
対海国から南の一大国(隠岐の島)に渡り、末廬国(松江)に上陸して
伊都国(出雲)ー奴国(因幡)ー不弥国(摂津住吉)−投馬国(近江)ー邪馬台国(奈良)
というルートをとった
つまり、葦原中国(古代出雲)
隠岐、出雲(島根県)、因幡(鳥取県東部)、伯耆(鳥取県西部)
から大陸に渡ったのだ
畿内説の有力な証明になる >>185
そうそう
千葉もかなり凄いよ。
北九州以外が未開の地とかって、印象操作が多くてまじで困っちゃう 畿内の邪馬台国は、奈良から投馬国(近江)不弥国(摂津住吉)を経由して因幡(鳥取県東部)に出て
伯耆(鳥取県西部)、出雲(島根県)、隠岐と
葦原中国(古代出雲)から大陸に渡った
末廬国に比定される島根県松江市から出土した、弥生後期(2世紀前半)の石板が、朝鮮半島の北部のすずりと判明したことに続き
伊都国(出雲)と奴国(因幡)の中間にある、伯耆(鳥取県倉吉)から、朝鮮半島か中国製の、弥生時代最大の鉄矛、板状鉄斧(てっぷ)、鋳造鉄斧の鉄器計3点が出土したことは
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