【軍事】刀?鉄砲?意外に知らない、戦国合戦の主力兵器 戦国合戦と城攻めのリアル(8)★2 [人気者★]
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刀?鉄砲?意外に知らない、戦国合戦の主力兵器
戦国合戦と城攻めのリアル(8)
2020.11.6(金) 西股 総生 生活・趣味 歴史
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/62740
・『長篠合戦図屏風』(部分)(Wikipediaより(ママ))
https://jbpress.ismcdn.jp/mwimgs/e/f/600m/img_ef1078c39867e3ec407fa5e9273793571261327.jpg
(城郭・戦国史研究家:西股 総生)
JBpressでの連載をまとめた『1からわかる日本の城』を発刊した西股総生先生が、知っているようで知らない、戦国武将の真相や、戦国合戦のリアルな様相を解説するシリーズ。
今回紹介するのは戦国時代の主戦力。織田信長の桶狭間や長篠の合戦に見られるように鉄砲と思われがちだが・・・武将たちは何を持ち、戦場へ出たのか?(JBpress)
〓数が揃わなかった鉄砲
前回、織田軍の鉄砲隊は長篠合戦の主役ではなかった、という話を書いた。信頼できる史料から分析すると、戦国大名の主力軍でも、鉄砲の装備率は全体の2割に満たないことがわかる。
鉄砲は、戦場の主役になるほど数が揃わなかったのだ。
では、戦国時代の主力兵器は何だったのだろうか?
もともと、武士が持つ武器の代表は弓矢であった。源平合戦の頃には、武士としての生き方を「弓馬(きゅうば)の道」などと呼んだし、
戦国武将たちが書いた手紙でも、戦争のことを「弓矢」と言ったり、武将のことを「弓取り」と呼んだりしている。
けれども、その一方で戦国時代には、戦場での活躍のことを「鑓働き」、敵陣に真っ先に乗り込む手柄を「一番槍」などと呼んでいる。
戦国時代には、武器の中で槍の存在感が高まっていたようだ。では、槍はどのくらいのウェイトを占めていたのだろう。
実は、軍勢の動員システムにかけては、織田信長よりも北条氏や武田氏といった東国大名の方が、格段に先進的であった。
北条氏や武田氏は、家臣たちの知行高を台帳によって正確に集計し、これを元にして動員すべき兵の数、持参する武器の種類と数量を、家臣の一人一人に対して割り当てる体制を整えていたのだ。
対する信長は、そのような「数字による管理」を行った形跡が、まるでない。どんぶり勘定でやっていたとしか思えない。
たとえて言うなら、北条産業や武田興産は会計システムを導入しているけど、織田商店は、まだ店先に吊したザルから現金を出し入れしている、みたいな話なのだ。
さて、先進的だった東国大名たちが残した史料を見ると、槍の装備率はおおむね4割〜5割くらいに達する。
この場合の槍は「長柄(ながえ)」と呼ばれる、5〜6mもあるもので、足軽や雑兵といった身分の低い兵たちが装備したものだ。
・月岡芳年画「芳年武者无類 山中鹿之助幸盛」(Wikipediaより)【略】
ドラマなどでは、そんな長い物を撮影現場で振り回すわけにはいかないから、野外ロケでも2mくらいの槍で済ませている。
しかし、陣笠&腹当てスタイルという、ドラマでよく見る足軽たちが持っていた槍は、本当ははるかに長かったのだ。
一方で、史料には「馬上(ばじょう)」と表される兵たちがいる。「馬上」というと、騎兵をイメージする人も多いと思うが、戦国時代の場合は「馬に乗って従軍する武士身分の兵」という意味で、騎兵ではない。
戦国時代には陣地戦や城の攻防戦が多かったので、「馬上」の者も歩兵として戦う場合がほとんどだったからだ。この、武士身分の兵たちは、もう少し短い4mくらいの槍を装備していた。
「馬上」は軍勢全体の2〜3割くらいを占めるのが普通だから、長柄部隊とをあわせると、戦国時代の軍隊の過半数は槍を装備していたことになる。
戦国時代の主力兵器は、間違いなく槍だったと言ってよい。
槍が戦場で使われるようになったのは南北朝時代の頃からであるが、鎧に対する貫通力がすぐれていたため(ママ)、戦国時代には急速に普及して、主力兵器の座を占めるようになったのである。
●西股総生『1からわかる日本の城』好評発売中!【略】
もっと知りたい!続けてお読みください
長篠合戦の主役は織田軍の鉄砲隊ではなかった?【リンク略】
1 2020/11/06(金) 13:02:13.36 https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1604635333/ 戦国時代の合戦はニンジャで決まってたからな
ニンジャの全身に焙烙玉をくくりつけて特攻させたり
フランキーと呼ばれる大砲でニンジャを撃ちこんだり
大力の兵がニンジャを振り回したり 鉄砲など恐れてはならぬ。われらには亡きお屋形さまが、信玄公がついておる。押し出せぇ! なんで日本では投石機が発達しなかったのだろう
そもそも大砲が出てくるまで
破壊するほどの城郭が無かったからか? 数が少ないから主力じゃないという論法なら、戦闘機で制空権握るのも意味ないってことになるんだが、この人大丈夫か? 意外にも、アニメ映画のクレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦の合戦描写が一番正確だ 賤ケ岳の合戦とか面白いんだよな
7本槍!!とか宣伝するけど実際は両軍が稜線に砦と柵を築いて鉄砲の撃ち合いしてたり
佐久間勢が弾薬切れで崩れて勝負が決まったところとか
戦国の後半はもう鉄砲と火力と野戦築城の時代だった 互いが槍を持って戦った事からヤリマンと名付けられ、現代ではそれが性欲が盛んな女性を指す事になった
民明書房刊 「現代語の語源 ‐性風俗編‐」 良く、騎乗している鎧武者を落馬させるために、フックのような武具を使ったと
聞いた事があるね。鎧兜を装着していると数十キロになるので落馬したら立ち上げれない。
そこを襲って首をかき切ったという。 >>6
城壁でガチガチに守る城郭は西洋とか大陸にしかないから
日本の戦国の城って近代要塞みたいに柵や土塁造ってそこに人間が詰めて守る防御施設だからね >>6
路が悪路で乾いた地中海世界と違って
雨が多く、草が直ぐにはえ、石畳街道など無く、
牛馬は不足がちで、河川沼沢が多く、
山陵は入り組み、山岳が多く、科学の知見に乏しく、西洋地中海的世界の知見とはリンクが無かったからかなあ?
運用しにくく、経済圏が未発達で、防禦施設は簡易ゆえにそんなに破壊力は必要なかった
火矢で大抵なんとかなったのでは? 砲列に槍で突っ込むジャップ
日帝ジャップは戦国時代から何も進化してなかったんだな 平安時代の甲冑は騎射を考慮に入れたもので、地面に降りての戦闘にはあまり向いては居なかった
鎌倉後期から室町時代の兵乱の連続で兵卒の不足から、臨時の兵員としての足軽などが出て来て、とにかく便利で汎用性が重んじられ
動きやすく、なんでもやれる装いに変化していき、武装もそのようになり、フォーメーションもそのように変化していった
平安時代の武士団の戦闘は、官軍が動員体制を廃した以降は私的武装集団同士の血縁地縁中心の小数者同士の戦闘が多く、騎射中心でも良かったが
生産性の向上と平安末期の人口減からの回復が銭経済の導入と連動してからは、物資の流通が活発に成り、戦闘は地元の増えた人口を加味した動員による戦争に変移していった >>6
そこそこ広くて頑丈な道路がないと運べないからでは? >>15
メフメト2世のコンスタンティノープル攻囲戦スケールデカすぎだし 友達のおばあちゃんの家で槍を見せてもらった。
あんなので殺し合うなんて、怖すぎて無理だと思った。 死亡率だと普通に射程が短い武器持ってるやつほど死亡率が高い
刀より集団で投石した方が強いレベル >>6 正解は>>15だな
悪路云々は×
西洋でも分解して運んでたし
あとの疑問は 弩 と 投槍器、なぜ使われなかったのか、だな >>23
ところがどっこい投石の技術をあげる
ような投石道みたいなもんがないし
南米のスリングのような投石機がまっ
たくない。
戦国最強兵器にも関わらず。
戦国絵巻にも全く出て来ない。 >>14
騎乗兵を引っ掻けて落とす武器というのは西洋にも多い。
そもそも落馬しただけでもかなりのダメージになる。
ただ、西洋の騎士にせよ日本の甲冑武士にせよ、彼等は騎乗してなくても恐るべき重装歩兵だったし、概して組み打ちにも長けていたので、落とした武者を襲う側も命懸けな事には変わりなかった。 >>6
戦国時代に火薬が来て「遠距離攻撃」が「輸入」された。
さかのぼって鎌倉のころまで天然要害の城、城とはいうが大きな館が主。
攻略するのが館では投石機はまあイラナイし、天然要害は基本山の上
とかなので大型投石機を配置することじたいが大変。
そこから火薬兵器にまで飛んでしまったので真ん中がない。
あと、木造なんで火計でもよかったわけだし。 ちょっと前にNHKで長槍の実験やってたな
刺すことはほぼできずにムチみたいに使ってた >>21
実は大砲の方が銃より火薬の燃焼の管理が簡単だから
銃よりはるかに早くから使われてるんだよな
レコンキスタでのグラナダ王国の城もスペイン軍の大砲で次々落ちていった
日本でも大坂城で大砲が天守に命中したりしているが
だから日本の戦国時代の頃には西洋の城はもう高い城壁なんか造らない >>14
>鎧兜を装着していると数十キロになるので落馬したら立ち上げれない。
これは誤解。60キロの人が太って100キロになったら立てなくなるかっていったらそんなことない訳で。 >>27
絵巻は今の映画だからさw
映画はフィクション 山岳付近に造る砦なんて大半が落とされてもしゃーない、時間さえ稼げれば…
という程度の防御施設だからクソ苦労して投石機を運搬したり組上げたりしたら
凄く非効率になるから攻城兵器が発達しなかったのだと思う。 >>27
スリングって元は遊牧民が使う道具なんだよね
だからロードス島の遊牧民が投石兵の傭兵になった
遊牧民がいない日本は家畜の筋やらニカワが必要な合成弓などもない
ベネチアの石弓兵も船に乗る仕事が無い時に傭兵になったのが始まりだな
技術があるから兵士を支えられる 主力は槍と弓?
現代の忍者を受け継いでる人が鎖鎌は忍者武器じゃなく侍の武器とか言ってたのは見た >>27
印地打 絵巻 で検索したら
なんぼでも出てくるやん低能 戦場予定地の石ころも排除しないと怖くて戦ができない うちの実家に戦国時代のものっぽい火縄銃があった
ボロボロだけど >>26
まず金属加工歴史の浅さ、鉄砲が入ってくる頃には当然高水準になってるけど
逆にいえば大型の鋳造設備がそろってなかった。
あと、弓や投槍だけど和弓をみればわかるのだが湿気がある。
和弓は竹だが日本の湿気では木製の弓を作るとダメになる。合成弓をつくるにしても
強力な接着材がなく、動物性の素材を使えるほど大型の動物がいない。
木製で高い強度を誇る武器は総じて作りにくい環境だった。 日本の攻城戦にトレビュシェット(投石器)が無いのは謎だな
石はもちろん火も飛ばせるし 必要なら死体も投げ込める >>27
当時の投石は印地打ちと呼ばれていて、京都白川に居た白川印地はわりと有名。
ただ、印地打ちという行為自体が呪術的な意味も持つ行為で、白川印地も賤民的な扱いをされていたらしい。
当時の投石はそういう扱いなので、高尚な道になるような文化的下地が無かったのではないかと思われ。 当時の内部忠実に再現した城に行ってみてえなぁ
安土城とかVRで再現したのないのかね >>45
ペスト患者の遺体放り込む
人類最初の生物兵器 >>27
一応各剣術流派に手裏剣術が含まれてる
使われたのかわ知らない >>37
柵とか土塁は人間自体が防御施設の一部なんだよ
これは鉄条網と塹壕とトーチカを組み合わせた近代要塞と一緒
戦記で「逆襲して防御に成功した」とあったら、それは人間が戦って追い返したってこと
「旅順攻防戦の真実―乃木司令部は無能ではなかった」って本が面白いぞ >>47
大阪名古屋安土クラスじゃながそのまま残ってる城は結構あるよ。
流石に江戸時代前の質実剛健な感じだが。
まあ安土は別格だっただろうというイメージはあるけど 投石に用いた石とか残してる武家はねえだろうし
あっても資料としてあまり意味がないような 分解で運ぶにしても日本の路は木の根が張るような路がうねうね蛇行してるのだから
馬車みたいなものに載せて運ぶことも出来ないし、
た鷹るみですべるよ >>31
ナポレオンが騎兵隊対策で作った方陣だな
チクチク刺して(牽制して)鉄砲隊がしとめる >>49
毒矢や毒もみの類はもっと古くからあったと思う >>54
武将のサイン入り石とかあったら現代でめっちゃプレミアついてたろうに 世界的に戦場で名を上げた武人は大抵槍使いだよな
なんで創作の世界ではこれを無視するんだろう クレシーの戦いの事や山城がなぜ多いのか、なぜ馬謖が山に布陣したのか
高所に上れば弓と投石の威力が格段に増し、敵からの弓と投石の射程と威力が減る
まあ飛び道具が主力なのは昔から共通やね 朝鮮出兵でも、日本方式の城を朝鮮のあちこちに築いたけど、中国軍ですら日本方式の城を攻めるのに手こずったらしいから、かなり防衛力は強かったみたい。 攻城兵器とか基本は現地生産じゃねえの
古代ローマ軍は街に立てこもる敵から見えるところで作ってびびらせたし
コンスタンティノープル陥落の時だったかはオスマン帝国の大砲は現地で生産してた
言うまでもなく大砲はその後作り置きしといて移動可能にはなったけども
日本では攻城兵器を作れるやつがいなかったのと
活躍しても誰の手柄になるかもわからん武器に
武将たちが興味を示さなかったか
……いや
それでも納得いかんね
なんでだろほんと >>10
ヤリは1の隠語
マンは万
要は1万円でヤラせる女のこと
いつのまにかマンコばっかしてる女の意味になってしまった 戦国時代の戦いの作法
名乗りを上げる
次に双方罵倒合戦からの投石 >>56
その前にテルシオという鉄砲と槍で擬似的な要塞を作る西洋を席巻した編成があった。
当時の最強国家スペインの陸戦を支え続けた戦術。
まあ、あまりに金が掛かりすぎてスペインが財政破綻したが・・・ 前期と後期では違うと聞いたけど
前期は槍、後期は銃
戦国末期の銃の保有量は、日本だけで、当時のヨーロッパ全土をはるかに上回ったとか >>27
竹千代(家康)の石合戦の話とか穴山の投石隊とか
いくらでも投石に関する話は在る、多分ココは
浅学非才な27を晒すアンカーで埋まる。 >>64
上の方に書いてあるので大体あってると思うけどね。
あと、日本の戦争って思いのほか短期のものが多く
現地で木材切り出して作ってるうちに終わってしまう。
さらにいえば国土が狭いので補給路の選択肢が多く
「攻略しないで次に行く」ことが結構可能。
兵糧攻めでいいわけで。 >>45
石弓が発達しなかったから
これ巨大にしたらすげーんじゃね
みたいな発想が生まれなかった >>10
>互いが槍を持って戦った事からヤリマンと名付けられ、
ここと、
現代ではそれが性欲が盛んな女性を指す事になった
ここを繋げる文章もうちょい頑張れよ 長槍隊が槍衾だけの防御的運用となると
弓矢に対する防御で手盾を装備しない理由が
わからんなあ
陣笠だけで矢が防げたんかね >>70
当時のヨーロッパの最強兵科は騎兵だからな
鉄砲はオマケ >>71
むっちゃ長いから上から叩き落とすんだよね。 >>50
旅行中にウサギなどをとって食べるためのサバイバル技術 >>50
回国修行してる時に手裏剣が上手じゃないと
食料を確保できなくて無理だったらしいぞ
武田惣角がそんなことを言ってたらしい まあ、日本はその代わりに火縄銃が大量に生産された。
種子島にポルトガル人が火縄銃をもたらしたが、日本は
銃の秘密「銃底」の仕組みを習得する。確か、見よう見真似で
銃を作ったが,底が抜けて制作者は片目を失ったという。
その後、輸入に頼っていた火縄銃を国産化して大量に製造。
戦国末期には50万丁に達したという。
しかも精度もよく「鳥撃ち銃」と呼ばれる。変わり種の銃も作られ
3連、4連式のもあったという。
秀吉が朝鮮に出兵した際、朝鮮には火縄銃もなく遁走し捲ったと言うね。
その後、加藤清正の配下で雑賀衆のひとりが裏切る。沙也加と呼ばれる男で
火縄銃の製法を朝鮮に教えるが、朝鮮側にはそれを作る技術も職人もいなかったと
言う。結果、秀吉の死去で秀吉軍は明と和睦を結び撤収するが、それを追撃したのが
李舜臣w
島津軍の鉄砲の一斉射撃で頓死したと言う。 >>33
お前が雑兵やってた頃、長槍は突くな、叩けってあれほど教えたのにもう忘れたかw? >>64
籠城側…高所から投石すれば普通に威力出る。投石器使うと命中率悪い上に石の無駄使い(籠城側は使える石に限りがある)
攻城側…投石器使っても敵城の城郭を破壊できるわけじゃない(幕末の大砲でも城郭を破壊できなかった)
結論、無駄だった >>65
デブかヒョロガリか知らんが匿名で書き込んでるナードの先祖が落武者狩ってるヒャッハーって色々考えさせられるな… こういう馬鹿が書いた記事見て間抜けがレスしてるのってまさに阿鼻叫喚だわ
書いた馬鹿もレスしてる馬鹿も「絶望的な白痴」という… >>76
日本の弓道の距離は28mとかだけどそれって殺傷能力のある距離で
当時の間合いから来てる。的の大きさは胴の大きさ。
水平射撃でその程度なので山なり射撃で60m(遠的という競技が残ってる)。
状況によるけどフレンドリーファイアの確立結構高いと思うのよね。 >>81
弩が大きくなったのはバリスタだけど
とにかく弾性を使ったメカニカルな機構によって何かを遠くに飛ばすって発想が出てこず
一石飛びに火縄銃・火薬文化になっちゃったのだろうってこと >>86
朝鮮も鉄砲を大量生産して、対ヌルハチ戦に投入してるぞ >>76
だから軍注状では弓による負傷が一番多かった 長篠の戦いでは鉄砲3000丁使われてたんだよな。
大阪の陣と比べると微々たるものだが、世界一の保有数なんだよな。 継国縁壱なら単独で『日の呼吸』を使って、騎馬隊でも鉄砲隊でも殲滅してるわ ttps://www.youtube.com/watch?v=nbPtGe1I38k&t=208
3:28-
それでは足軽たちがやった典型的な槍の使い方、それを今からお見せします。 >>96
ヌルハチ戦なのか?
鉄砲は元寇に来た朝鮮人が使ってるやろ。絵巻にあるじゃん。 投石器が有っても日本の城は山城に近いから山の高さと角度が取れないから駄目だろな
五稜郭みたいな城には有効そうだが >>89
それ比較が漫画にでてくるような超ド級の投石器であって
門構えを壊すだけなら投石器があってもよかった。
まあ理由はいくらでもある。 槍って、突くじゃなくて叩くんだよな?刀も斬るじゃなくてド突くw >>86
螺子の発想がなかった種子島の鍛冶は
南蛮船の船長か何かに娘を差し出してその秘密を教えてもらったらしいな >>103
保元の乱の時代にはガンダムがいただろ
ソースは平清盛の大河 火縄銃に限らずマスケット銃が主力になるのはだいぶ後だよ
第一次世界大戦でも弓兵がいたぐらいだからな
ライフリング ボルトアクション 薬莢
ここら辺が廉価になってからが銃の主役 >>102
そういうやつじゃなくて、
日本式の火縄銃を大量生産してヌルハチ戦に投入してマヌケな理由ぼろ負けしてる >>102
あれは、てつはうという名の
「焙烙弾」であるよ低能 >>111
装備の数からいえばそうだろうが殺傷力の和でいけば
大阪の陣あたりには「主力」だったと思うが >>103
そのかわりデカいジムみたいなのがあったみたい >>112
なんで負けんの?
火縄より昔なのに、てつはう強そうじゃん。 >>35
デブはただデブじゃない
小錦には小錦の体重を支えられる抜群の筋力があった
子供の頃触ったことある
スライムのごとき腐って緩んだ肉の下に
鉄壁の壁がある
鎧を着ることとはまったく違う >>90
そんな事言ったらファランクスはどうなる?
>>94
誤射はあっただろうねぇ
つか近接戦になって友軍兵と斬り合いもあったと思う
だから鎧に認識標付けてた
>>97
まあ番傘つけたら手盾なんか邪魔なのは分かるから
番傘で防いだと考えるのが自然なんだろうな
でも番傘に矢がブスプス刺さるのをただ待つのは
嫌だったろうな。。。
うわこの番傘、矢が抜けるぞーとか絶望感しかないw 名槍日本号とかはあるけど、名弓って聞かんな
なんかあんの? >>112
ああ、そういう事か。
メディア歴史家が、信長の鉄砲三段構えを否定する理由がそれなのか。
聖徳太子否定と同じ様な嫌い方だな。 雪の投げ合いが雪合戦と言うように
投げ合いが合戦のスタイル
つまり石の投げ合いがリアルな合戦 >>110
弓で大船沈没とかガンダム越えてるのでは >>109
溝の謎が解明できなかったが
刃こぼれした刀で大根グリグリやっててネジ構造に気づいた
って説が昔の科学だか学習誌に載ってた >>121
三段打ちはそもそも史料で書いてあるのが甫庵信長記っていう
あまり史料として信用できないものにしか書いてない
比較的信用できる信長公記とかは鉄砲が威力を発揮したように書いてあるけど
三段打ちをやったとかは書いてない まあつまり戦場じゃ先ず弓兵を探して叩くか
敵部隊とさっさと接敵しておけって事かな >>120
消耗度が激しすぎて、長いこと置いといたら実用に耐えなくなってしまったからでは?
だから仮に各時代ごとに弓張りの名人はいるかもしれないけど、弓の実物そのものは残らない >>120
主に狩り用だからじゃないの?
日本の弓道は精神鍛錬みたいなもんだし >>44
???
昔の鉄砲って鍛造で出来てるけども
>>94
とかっていうのはどういうこと?
弓術呼びだった頃は通し矢なんかでもエラい距離飛ばしてるし
国宝で大鎧も弓も残ってるけども木弓なんですがそれは… 戦国時代の日本は世界一の鉄砲大国だったからね
だから日本を植民地にするのをあきらめた >>120
神社の奉納物にはあるけど名弓とか聞かないね
原価が安いからかな? >>6
日本の場合は中世までは実用的な山城がメインですし、何より海外と決定的に違うのは日本には都市を守る城壁というものはありません >>123
普通にFateの宝死茶と弓の伝承で戦えそうな逸話の持ち主だわな
あれ召喚したらかなり強いのでは
女体化は勘弁だが 大阪の陣とかほぼ銃撃戦だからw
刀槍とか掃討戦にしか使えん しかし、戦国時代などは今のような「抗菌剤」も「抗生剤」もないのに
負傷した兵士はどうなったのだろうね。
感染症で死ぬ兵士も多かっただろうね。
世界で本格的に「抗菌剤」が使われるようになったのはドイツのドーマク医師が
「サルファ剤」を作ってから。
その後、第2次大戦中に、人類初の抗生剤「ペニシリン」が実用化される。
しかし、戦場では「サルファ剤」が多用されていたと言う。
懐かしの戦争ドラマ「コンバット」で衛生兵が負傷兵に振りかけていた粉は
「サルファ剤」チャーチルも敗血症で死にかけた時に、この薬で助かっている。
それまでは、どんな治療をしていたんだろう。 >>128
為朝さんの強弓だとか五人六人で弦張るんでしょ?
折れちゃうよね 頑丈な番傘用意して
これで弓矢対策は完璧だぜーと
調子に乗ってたら質量半端ない
投石で頸椎粉砕骨折したでござる >>135
小田原戦以降は総構えがデフォだ馬鹿
京都ですら御土居で囲まれた >>120
むしろ残ってるのは権威や飾り重視で実用的じゃなかったから残った
実用品は消耗品だから 刀は作るのに時間も金も掛かるし足軽が簡単に持てるものでも無い
しかし相手との間合いが長くとれるし突きは刀を振り回す動作よりも早く相手の到達する
素人がやってもそれなりの武力になるし、対費用効果も抜群だ
ボクシングでも手の長い、リーチがあるほうが断然有利だ >>120
弓は時間が経つと接着剤の膠(にかわ)が弱って壊れたり、材料の竹や木がボロくなって、長い期間良好な状態で保存出来ないんだと。
つまり、いくら名弓でも古くなると新品の弓に劣る→後世に残す価値がなくなる。 謎とき日本合戦史という本では
一番はダントツで弓矢、二番目が槍ってなってたな
刀は最後の手段つか敵の首切ったりするときに使うもの >>56
俺はナポレオンについては、詳しくないが、陣形等は、社会的背景、地形等により異なる。
王政 =戦時の傭兵は、お金次第で、裏切る可能性。散兵戦術困難。密集陣形中心、ロシア等。
↓
ナポレオンの軍隊 =市民革命により国民軍。徴兵制。構成員は自覚ある市民。裏切り、逃亡極少。
↓
密集体系や方陣に固執する必要はなく、オーダーミックス陣形を多用。
3個大隊(24個中隊) = 2880名。
最前線に3個中隊(360名)の銃を装備した散兵が散開し、その後方に、6個中隊が横隊。
左翼及び右翼に各々6個中隊が縦隊。最後方に3個擲弾兵中隊。
横隊の火力と縦隊の衝撃力の良いとこどり。
↓
一方、ナポレオンが使用した方陣としては、大隊方陣がある。
24時間以上の独立戦闘能力を有する軍団の行軍時等の陣形。
4方向のどこから敵の攻撃があっても、迅速に相手攻撃方向に合わせることが可能。
これは当時の索敵能力と補給体制からみて、最適の陣形だろ。 >>132
戦国時代のヨーロッパにはるばる日本まで出掛けて、
戦争をする余裕のある国はない >>137
秀吉の天下統一くらいの頃から大坂の陣にかけての時代、鉄砲の装備率がエグイくらい上がってるよね >>145
ユーラシアを席巻したモンゴル軍の主武器も弓矢だったけど
作り方自体伝わってないらしいね >>147
さすがに任務中の傭兵が裏切るのはない。
脱走はしまくるけど。 江戸初期とか戦国リアタイの話には
「これがあの高名なナントカがつこうてた弓でござる」みたいな自慢をする話が出てくるけど
そういうのが槍(穂先)や刀と違って現代まで残ってないのは
一代(数十年)くらいで壊れて残らなかったし
残らないのがわかり切ってるから家宝にもしなかったんやろ >>139
為朝さん弓で大船を貫通させて沈没させるからな
大体は誇張で小舟を沈めた程度だろうけど
漫画やゲームではヒョロガリや女が弓持つけど
実際に弓を好むのは怪力豪傑だからな ただ鉄砲より弓矢のほうが速射きくからな
弓矢でも距離15メートルでフライパンに刺さるから 日本における合戦は長らく武芸と勇気を競う場だったので、攻城兵器のようなものは卑怯であり、好まれなかったと思う >>153
芭蕉扇を鍋敷に使うタイプの人もいるよ?
代々受け継がれた名刀も一代で腐ってボロボロに >>157
ただ案外接近戦はしないらしいよ
飛び道具のほうが有利に決まってるしね
だから弓矢 >>152
旗色悪くなって裏切るようなやつは二度と雇われないわなw
手抜きはするだろうけどさw >>160
強い弓を引ける、命中精度が高いっていうのは武士の誉れですからな♪ >>157
そもそも土塁の城とか大がかりな攻城兵器要らんだろ ネトウヨとパヨクの条件反射的な悪口合戦より
よっぽど頭脳戦繰り広げてるな
日本人の知能は戦国時代より衰えてるわ >>163
日本の武士が馬を右から乗るのは左手に弓持つからだしね 147つづき
つまり、ナポレオンの場合、
@ 市民革命で、自覚ある市民による市民軍 → 基本陣形は、オーダーミックス。
➁ 当時の索敵能力と補給体制の制約 → 大隊方陣で、4方向に迅速に展開可能。
というのが基本陣形だろ。➁は、行軍時。@は、戦闘時。
@は、相当の訓練を要するので、ナポレオン戦争後期になり、急激な徴兵で、訓練不十分になってくると
複雑な機動が困難になる等で、散兵戦術よりも、縦隊陣形が多用されるようになる。 >>118
同じだろ。
鎧着て歩ける体力はつければいい >>76
弓を使えるのは武士だけだから数が少ないんじゃね?
兵隊の多くは重用した農民で飛んでくるのは投げやすい石ころが大半
>>136
なんか2mぐらいの槍にしか見えない物体を「矢」って言い張って飛ばしそうw
そして着弾地点で青い人の投槍みたいに炸裂するんだw
>>148
日本が東南アジア方面に進出したらインドネシア辺りで争いになる可能性が出るぐらいだね >>163
でも日本の弓は実は弱い。
鉄砲が発達したのはそのせい。
合成弓が発達してた中近東では近代まで
弓が主役。 言うても弓で死傷率が高いてのは軍忠状の話なんだろうけど
性格的に勝った側のものが残りやすいものだし
何より戦国時代当時のはあまり無いからな
あくまでも参考程度の代物だわ >>161
一々個人情報なんてチェックできないから普通に潜り込める
というか昔の軍隊は行軍するだけでどんどん人数減るんだよ
一々気にしてたら兵など雇えん 投石最強だろうけど、運搬が困難だったんだろうな。
携帯容易な小石や小さい金属球使うスリングが日本で発達しなかったのはなぜだろう。 >>152
裏切りや逃亡を防ぐには、密集体系で、監視役の大尉や中尉が監視しているというのが効果的。
なので、王政、傭兵制度では、密集体系を多用。 なぜあらゆる面で優れてる短弓が日本では使われなかったんだろうね まあ、実際
実は◯◯だった!みたいなのは話題集めだからな
聖徳太子はいなかった!みたいに >>157
そういうのは国が焼かれて身内が皆殺しにされても
言えるんかな
個人的には
武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つ事が本にて候
くらいが武士らしくていいと思うがなあ
>>170
そうか、練度が必要な弓兵は
そもそもそんなに用意出来なかった
と考えるべきか >>170
造船能力低い日本が
造船先進国のオランダが支配する
インドネシア攻撃は無茶かと >>172
オスマントルコのイェニチェリって鉄砲隊じゃね? 戦国無課金兵
ttps://public.potaufeu.asahi.com/994b-p/picture/22462161/d1bb7a95a356efdc767c4a2d98ca618a_640px.jpg >>176
集団投石というのは凄いらしいよ
マゼランとか原住民の集団投石にあってすごく苦労してる
原始的というよりめっちゃ正確で組織立ってるって >>5
最近
いちのかた
とか呼び捨てするヤツ多くて
おいちのかたさま
と呼ぶように注意したい 火器があれば女小供でも人は殺せるからね
牛産地である近畿・瀬戸内の軟弱な男たちが坂東武者や甲州武士のように馬上で長刀、手槍、弓矢を巧みに使いこなすのは到底無理だ
中世以前の中国地方が武芸達者な東男と獰猛な九州男子の草刈り場だったのも仕方がない >>133
獣由来のたんぱく質素材が多くて虫を防ぐのが大変そう
粘土や灰で埋めておけばやられにくそうだが 小谷城とか見てたら信長はよくこんなとこ落とせたなってなるよな。エグいぞあの立地 >>156 30mぐらいなら5cm以内に集中できる。
頭ザクザクになるな 戦国時代に槍、それも長槍がようつかわれたのはよく言われるけど
それって結構後期になってからじゃなかったっけ? うろ覚えだけど。
まあ戦国時代のレンジをどこに置くかによって違うけどね。
で、まあ足軽とかがファランクスみたいに長槍もってくる前は
歩兵の主要携行武器は薙刀だっけ? よく言われるけどね。
まああれは、刀もそうだけどさ乱戦とかだと非常に振り回しづらいw
危ないものと思うけどねw ぶんまわされる刃物は敵味方識別してくれないからwww >>175
ああ、俺は「傭兵団」単位くらいの話してたわ
個人事業主だとそうだろね >>183
徳川家でガレオン船建造始めてたじゃん
あれをどんどん進めて行くルートはあった >>178
動物の骨と腱使うって発想がなかったんじゃないかな 投石は少ないけど落石なら源平合戦や太平記にも腐るほど描写があるな >>183
台湾は長崎育ちの人がやれたし
船作れるようになればワンチャン
どっかの国が抜け駆けして高値で船の見本売ってくれれば良いんだがw >>172
そういう工夫された弓は卑怯ですよ
相手より有利な条件で戦うことは本来恥であります 火縄銃は連射が出来ないから使いどころが難しい
その点は弓の方が使いやすい
いろんな武器の隊を組み合わせて闘う
主力なんて戦場とお互いの在り方で変わる 日本の攻城戦なんてしょぼすぎ……
熊本城とか姫路城とかあんなん壁這い上がれるし、敵が道のとおりに進むと思いすぎ……敵だって攻城兵器持ってるのに変な小細工が多すぎる。
日本の城はよく考えられてるなんて日本人しか言わないよ……よその国は城壁で囲ってんのに日本なんて……天守閣丸見えやん…… >>138
真っ赤に焼いた鉄ごてとかを傷口に当てて焼いたりしたみたいだけど
傷口が化膿したら、後は本人の免疫力と体力勝負だったみたい
中世の時代は傷口の化膿は何よりも恐ろしいものだった
民間伝承だと戦場では傷口に「馬糞」をすり込むというのも、あったみたい
消毒というよりは止血なのかも知れないけど、効き目のほどは不明 >>173
勝った側だからこそ信用できる
何の武器がメイン武器で勝敗が決したのか分かりやすい
敗者側だと敗北後の追撃戦の負傷者が含まれて弓槍で負傷して行動不能になった奴もトドメが刀なら刀になってしまう 攻城戦で日本対中世ヨーロッパなら、絶対ヨーロッパが勝つよ >>190
たしか奉納用に朱の漆で塗ってるから持ってるんだろうね >>181
日本では資料が少なくて、竹弓を作る絵などしかない。竹弓など残らない。
鉄砲戦が主流になってから、戦弓は消えたんだってよ。
弓は儀式や弓道と言う精神鍛錬として残った。 >>120
和弓は竹なんでそこまで持たないの。
現存してたとしたら弦を張ったら割れるだろうね。
>>129
普通に人殺してたが。
あと、むしろ狩りには向いてないからな和弓。
>>150
短弓だといわれているのでたぶん動物由来の素材。
日本には大型の獣がおらんからな。 >>210
だろね……
日本は無駄なトラップありすぎて……アホすぎ…… 西洋や中国の城なら知らんが、日本の砦はよく燃えるだろうな
キャンプ場を砦や城と言っているし >>183
秀吉は本気でフィリピンのスペイン総督を攻撃するつもりだったようだが
可能だったかは別として >>182
日本古来の合戦ではあまり人が死ななかったようですね
あと、殺戮や略奪も少なかったようです
まあたいてい同族間の争いなので 「ふかふかダンジョン」で勉強した
弓は敵に重装備を強要させるものである事を 火縄銃は一般的な物でも軍用拳銃レベルの400Jぐらいの威力があったから殺傷力は充分なんだよね。
体幹部直撃したら鎧着てても助からない。大口径だと、スラッグやマグナムライフル級のもあった。
手足に当たっても千切れて死ぬ。 あ、>>166 くんが面白いことを言っているが
よくねえ、ここ2ちょんでは自称愛国者ネトウヨどもが
偉大なる大韓の文化を指して「声闘」とかいってバカにしているが
ジャップ国の戦国時代だって「言葉合戦」とかいってやってるっていうよなwww
で、「荒らしはスルー」とばかりに軍令で挑発に乗るのを禁じたりさw
ほれ、完全ロンパされて「ぐぬぬ」になると、士気落ちるでしょ?www
まあ別に日本に限らず普遍的な文化じゃないの?
まあそういうのが成立するってことは籠城ってのが可能な
文明レベルに達しないとやらないから、
ジャップ国ではなかなかなかったと思うけどね。
(籠城が可能になったのって大楠公の千早赤阪城からじゃなかったっけ?)
それ以前はなんだろ? あ、敵対する武将通しで和歌の応酬とかあったっけwww 頭に投石されれば死ぬからな
弓の名手なんて娯楽だしな >>197
弓削の道鏡の 「弓削」とは気を削って弓を作る意味であると聞いた事が有る
動物性素材だと名門意識高い系の人だと目を顰めるのではないかw?
「獣の筋で作るとか蛮族でおじゃる」
動物性素材の安定供給も難しいが
日本の多湿気候だと逆に植物性素材はすぐに育つ >>218
あたかも自分で扱ってたような言い方………… >>130
三十三間堂の通し矢というものがあるが、あれ軒のあるところでやるわけだが
天井が低いため山なりにできないからその飛距離を飛ばすこと自体が大変。
当然出来る人もいるわけだが、江戸時代に藩対抗戦とかをやるわけだが
弓のお家の武家さんが「専業」状態で訓練するレベル。
軍事専業でない雇用兵がそれをできたとはおもえない。 ガレオン船もカルバリン砲も国産してたよ江戸時代にね
作ろうと思えば作れる姿勢を見せとかないと
鎖国なんてまともに出来るわけ無い >>220
兜かぶってればそうでもないんでないの
デカイのを至近距離で食らったらアウトだろうけど >>216
そうでないと、何度も戦った川中島の戦いなんてないし
殲滅戦なら一度で地獄絵図 火縄銃いっぱいもってても硝石が輸入たよりの状態なんだからヨーロッパには勝てないよ >>215
スペイン兵自体は数百人しか居ないから蹴散らすのは楽勝
秀吉がフィリピンを植民地経営出来るかは別問題 >>165
確かに
それに城攻めは「一番乗り」以外は手柄としてあまり美味しく無いので、そんな兵器を使っている間に他者に先駆けされてはたまりませんからね笑 >>205
所詮は自己申告だし検証作業もねえし
何より戦国時代のものよりもっと前の記録もごっちゃにして
統計だしてるから史料として扱うには雑じゃね 文系の学問も大切だと思うよ
例えば【天:アメ】から降ってくるから【雨:アメ】かと思ったら
研究したら、昔は発音が違うから語源が違うとかスゴいよね
江戸時代は【ツ:tsu】を【トゥ:tu】と発音してたから
徳川綱吉は【トゥナヨシ】、田沼意次は【オキトゥグ】だと知ってビックリ
文系はスゴいわ 弓なんて火付ける時ぐらいじゃないの?
日本では狩猟が主と言われているけど >>218
貫通しない分余計タチが悪かったって話も聞くね 体内に鉛玉が残ったりして >>172
そこはクレシーの戦いの圧勝後のイングランド軍がなぜ負けたのにも繋がる
三人張りの弓以上の強弓を引ける弓矢の威力は鉄砲以上に威力がある
だがそれを引ける者が少ない
恵まれた体躯と鍛練が必要
でも鉄砲はそんな恵まれた体躯と鍛練は必要ない
だから飛び道具が主流の日本で流行った >>205
でも負傷して生き残った兵士しかカウントしてないじゃん
そして勝ち戦の場合の負傷の発生率しか調査できてない 5mとかだと集団で一斉に突き出すぐらいか?
接近されたらしんどいやん >>203
熊本城には武者返しがあるんだが
お土産にもあって美味しいんだが 少し前までは
戦国時代からは長槍が主流と言われていたがな。 >>240
三国志の時代から個人戦とグループ戦と陣形戦では戦い方が違うけど
日本では少人数の小競合いばかりだし
想像が難しいね >>237
盲管てやつだな ブラックジャックに書いてたw >>240
槍は突くのではなく叩くもの
接近されたときはあきらめて刀を使えw >>242
意味分からん。
現代のものは残っていて当たり前だろ?
戦国時代の竹弓が残っているか? >>234
飛び道具が主流じゃなければ鉄砲も流行らんよ
戦国後期はちゃんと鉄砲による負傷も反映されてるし >>203
そんな熊本城を落とせなかった西郷隆盛の悪口はやめたまえ >>86
これ見ても、秀吉の唐入りは言うほど無謀な外征とはいえない
結果、失敗し尾を引いて徳川に政権を転覆されているからマイナスイメージだけども
すくなくとも第二次世界大戦よりは世界制圧という意味では公算は高い、補給線さえ確立すれば
結果論だが、アメリカという最強国家が存在しないうちに、フィリピンまで押さえれば相当な戦果だといえよう
先にオーストラリアに入植できたかもしれない
善悪抜きな話ね >>231
そういうのも家光の時代に新井白石が必死で国産化したんだよ
外国に頼る=侵略に遭う事を昔の人はよく分かっていた >>224
100のぶで残念武器としてよく生産される >>203
今ある城の殆どが関ヶ原以降に立てた物だし
有名な一夜城なんか天守閣あるぞw あと、>>206 くんから先に面白いこと言ってるけどさ
あの、自称国家の軍師ネトウヨ軍オタくんたちが
よくそこらのスレでホルホルしているように
日本の戦国武士が世界最強かどうか知らないけどさ
種子島をたくさん持ってても偉大なる大韓や大中華や欧州が
紀元前からこさえているような城塞都市みたいの、これ落とせないよねwww
いやさ、ネットの自称軍師様が侍大将ならどう落とします?w
兵糧攻めっすかw 自分が完全アウェイの攻め手なのに?www
さらにね、日本の城郭だと山城だなんだのいって
かならずしも軍事拠点は街道と面してないけど、大陸の城塞都市って
往々にして街道直結だからw スルー出来ないんだよねwww
まあね、なかなかムツカシーと思うよ。日本武士団の海外遠征はwww >>252
フィリピンを先に攻略した方が良かった? >>238
戦いを重ねるにつれイギリスの長弓部隊の方は損耗しても補充が効かなくなったからな
一方でクロスボウは兵力の回復力が高かったんでフランスが優勢になっていった アジアの植民地をスペインやポルトガルと取り合っていたオランダは
敵の城を攻めるのに日本のサムライを雇っているからね
まあ、今でいう傭兵だね
戦慣れしていて非常に勇敢で強かったと記録に残っている
日本のサムライのおかげで落とせた城も多いと記録にある >>226
戦争で雇用兵が三十三間堂の通し矢するわけじゃないんだし
敵より高い位置に陣取って打つだけでええがな 石を使うのは、城を攻めてきた兵士を潰すために多用していたのだろうね。
姫路城などに行くと、石垣を登っていた兵士に向けて石を落とす仕掛けがあった。
日本の築城技術はその後、堀を城の周りを廻らせ敵兵が四方から攻めてこないように
しているよね。
松本城などは敵兵を侵入させて門で行く手を遮り、三方から鉄砲射撃できるように
している。それと山城の場合でも溝を幾重にも掘って攻め込めないようにしている。
そういう城の仕組みが投石機などを使えなくしていたのではないか。 >>231
本願寺の坊主がヨモギの根っこに馬の小便かけて作ってたよ!
こいつは多分時間旅行者 >>222
大型の獣がすくなく、獣由来の素材が湿気で保管に難があるから。
数と時間の都合で大量生産できる竹と言うことになる。 >>249
飛び道具、射程の長い武器のほうが有利なのは戦争の基本だね
戦艦が空母にとってかわられたように >>230
ある程度戦って不利が見え始めたら、だいたいさっさと逃げますよね笑
降伏すれば次は味方になって手柄を立てるチャンスがありますし
将棋で取った駒を使えるのはそういう感性があるからかな?笑 >>239
だから勝ち戦で十分
敗者側だと勝敗を決した後の数の暴力での追撃が含まれるから >>256
日本の城は住む所じゃないし
集合場所みたいなもんやろ 戦国時代の戦って規模の割に異様に死者少ない
中には多いのもあるが同規模の欧州や中国とかの
戦争に比べたら少なすぎる
雑兵や足軽は殺しても手柄にならないから逃げたら放置だったみたいだね 城の防衛には糞尿、熱湯、石のトリプルアタックが特に大活躍したらしいね >>252
秀吉は、明の入口の万里の長城にすらたどり着いてないがな どんぶり勘定の織田に負けたんだから
槍は主力でなくなったんじゃないのか >>270
同民族だからなあ 陣取りゲームみたいな感覚あったんじゃないのお >>252
重要なのは兵站だと思うのw
朝鮮出兵も兵站で困ってるし
一面密林ばっかりで切り開かないと田んぼとか無理です 現地人とは言葉が通じません
な場所を当時の大名が欲しがるかどうか… 5mの槍って取り回しができるような代物じゃないからな
長槍兵は実際には歩ける壁くらいの役割だ
というか現代でも歩兵の仕事はそれなんだけど 長槍は防御兵器
火縄銃は攻撃兵器
槍主体で武田の騎馬隊を壊滅させるとか無理
明らかに鉄砲が主役だったのは戦果を見れば明白
こういう嘘を平気で記事にしちまうキチガイ増えすぎやな 戦国時代に竹槍があったら無双できたのにな
なんせB29を何機も撃ち落とした超兵器 硝石は輸入だが硫黄は輸出した。だから火薬は完全輸入品とは言えない。 >>274
他民族ならやはり身分関係なく皆殺しって感じなのかな捕虜全員斬首とか当たり前だしね欧州 >>252
本気で戦って無かったんでしょ?
日本にいながら命令してくる石田に反発した加藤とか、
土人同様だった韓国にインフラ敷いたり教養身につけさせた小西みたいなのも戦ってないじゃん? >>270
むしろ鎌倉時代とかのほうが族滅のオンパレードなんだよな 船上の戦いでは溜めておいた汲み取りトイレのウンコを武器にしたってのがあるな >>240
双方槍を持って叩き合いだから槍の長さが同じぐらいなら接近はされない
接近すれば勝てると思うかもしれないが近づく前に殴られるから接近できない >>256
元寇だって蒙古に勝ったと言うけどさ、ほぼすべての蒙古軍が貧弱で弱い高麗で組まれてたなんて知らんだろね……ヌルゲーに勝って蒙古に勝利とほざくからね…… >>260
和弓で長距離射撃をするのに訓練する時間は結構なものだけどな。
しかもそれなりの威力をたもって。
インターハイでた俺でも60m先の的に当てるのは結構大変。
その時点で青春捧げて6年目。それでも殺傷力は大したことなかったと思うわ。
ちなみに和弓ってちゃんと引かないとまっすぐにさえ飛びませんので。 あとはなんだろ
>>220 くんらがいっている投石だけど、投石は強いよなw
なんつったってゴリアテだって倒しちゃうんだからwww
そして、おそらく現代の戦時国際法でも害敵手段として
禁じられてないと思うけどw いわんや当時なんであってね。
野戦であろうと攻城戦であろうと雑兵の武器として
石を投げる、これは大いにアリだろうね。
ちなみに今、ゴリアテなんて名前を出したけどw
本邦でね源平の時代でもその後でもいいけど、一騎打ちの時にね
武将が刀槍の代わりに石を持ってきたら、
これはさすがに末代までdisられるんじゃないっすかwww
ダビデ王は石を使ったからなんだとは言われないけどさw >>249
別に飛び道具が主流になっていく流れは否定しとらんよ
ただいつ増えていったのかを考えたら
戦国時代はこうだったとか言い切る気にはならん
現状ではやっぱ参考程度の代物でしかない >>266
いやだから何を知りたいのよって話。
「劣勢な軍が、押されている状態でまぐれ当たりによる負傷を発生させやすい武器は何か」
というデータに重要性があるというなら意味はあるだろうけど。 177つづき
つまり、簡単に整理すると、
銃の性能の向上。→ 「密集」している人の集団に命中させるのは容易。
密集陣形は、散兵射撃で大損害を出すようになる。
↓
しかし、傭兵の場合、散兵戦術をとれば、そのまま、逃亡の可能性。
ナポレオン軍は、市民革命による自覚ある市民軍、逃亡等の危険性少ない。
↓
ナポレオンのオーダ―ミックス陣形。 所詮日本人は身の程知らずの世間知らずなのさ……
アメリカの支配下に入ってまだ気づかないのかい?…… >>6
先ず、日本の城の大半は山城であって平地には無い
戦国末くらいから山城から統治を重要視して平城とかが出てくるが
そこらの山に投石機をどうやって運ぶんだ 温めたうんこをお城からバラまいたらしいよ
ばっちいよね >>281
キリスト教徒の捕虜殺さなかった
イスラムのサラディンが先進的すぎるからな >>283
意外と思うかもしれんが、人が死ぬのは戦争中ってより
戦争に負けてからだよ
いい戦いしているときは、そこまで死なないのだ >>270
いや世界のどこでも戦闘による死傷者なんてそんなに多くはないよ
日本が異様なんてことはない
多くの犠牲者が発生するのは戦闘後の虐殺とかがあった時 >>281
獅子心王リチャード「ヒャッハー!異教徒どもは皆殺しだ!」
捕虜処刑
サラディン「何あの蛮族怖い」
サラディンの弟「あいつらの捕虜くれ?」
サラディン「どうするの?」
弟「身代金も払えないようだし可哀想だから解放するわ」
サラディン「良いね」
今の欧州&イスラムとは逆なのが興味深いw >>106
力のない現代人による検証では
コメ一俵担げた当時の人による戦い方の検証・実験はできないのではないか、という意味か。
なかなか深いな。 火縄銃は三段式の一斉射撃より、多人数で各自バラバラで撃たれた方が厄介。
機関銃の連射に相当する。日本軍は事実上の単発であるボルトアクションライフルで
対空射撃が必要なときはこの戦法を使った。九九式小銃の対空照準器はこれ用。
一人で飛行機撃ち落とすためではない。 >>297
太平洋戦争の後半は戦争「中」じゃなかったわけね >>281
日本人に生まれた以上、わからない心理だよな。
脳に欠陥がない限り、日本人は他人に共感するもんな。凄い人は動物や虫にも共感してるし うんこって普通にBC兵器だよね
なんて汚い武器なんだ >>289
新免武蔵(宮本武蔵)は投石の傷を
悪化させて死んでるだろ >>270
日本では人口が増えて合戦の規模が大きくなるにつれて、お互いに引き抜きが盛んになりました
余程の怨恨がなければ強い方に味方する、降伏する
強い方は無駄に戦わずに味方になるなら許すって感じで
将棋と同じでやっつけたいのは玉だけ、他の駒は味方にしたいって感じですね この時代で最強の飛び道具は弓矢
でも、熟練が必要な兵器なんで鉄砲が使われるようになった 海道一の弓取り、とか、弓馬の家とか言うように
戦国時代は弓兵が基本、勝敗を決した
弓兵を粉砕する為には騎馬隊しかなかった
騎馬隊を接敵させない為に長槍を装備した
雑兵部隊を配置した
だから武士は弓と騎乗技術を磨いた
戦国時代の戦ってこんな感じかね >>290
飛び道具が主力だったってのはどの史料にも載ってるし
軍忠状はそれを裏付けたってだけの事よ 当時のイスラム世界は世界最先端と言ってよいくらいの文明圏だったからな
ヨーロッパマジ蛮族w >>287
海越え遠征だしなw
海の上の遊牧民族なんて
K1ルールで柔術家が戦わされるようなものですしw 5世紀のローマのウェゲティウスの著述によると、当時の弓の射程は180m程度だったとされているのに対し、アナバシスの記録から考えて、投石器の射程は400mを超えたと考えられる。また、投石器から弾丸が飛び出すときの初速は100km/hを越すと考えられており、ヴェジティウスによると前後を円錐形に加工した弾丸は皮革製の鎧をつけた兵士に対して弓矢よりも致命的で内臓を損傷する傷を負わせ、鎧をつけていなければ人体を貫通したという。
逆に言うと投石もプロの技で日本では印字打ちと言った。 刀で切りあいなんてしたら勝ったほうも深手負って使い物にならなくなるもんな
ロングレンジから一方的に攻撃したいわ 弓、投石、鉄砲→主力
槍→防御、叩く
刀→護身用、刺す、死体を切る >>302
実質的にね
背後の非武装地帯を無差別爆撃くらうようじゃ
以前ならこうなる前に講和だったんだが >>8
>>アニメ映画のクレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦の合戦描写が一番正確だ
確かにこれの戦闘描画はすごいよくできてる。
ストーリーも素晴らしく、未見の人は絶対に見るべし。 >>302
太平洋戦争ではあんまり死んでないぞ
大祖国戦争(独ソ戦)から見れば極めて少数
>>312
あいつらはローマを滅ぼした蛮族の直系子孫だからw
王子がうっかり「タリバンぶっ殺すの面白いw」とか言っちゃうのは遺伝 ヤリは強い
戦国合戦は刀でちゃんちゃんバラバラやってたイメージがあるが実際は槍の突きあい
刀でやりには勝てん
イメージ的には槍はライフルで刀は拳銃だな
サブウェポン 孟宗竹は現代でも生えすぎて困るくらいだからな
兎に角何でもかんでも竹を使ってたんだろ 火縄銃が一番活躍した戦いは大阪冬の陣だよ。
城からの弾幕で当初莫大な死者を生じたけど、すぐに陣地を作って第一次世界大戦の塹壕戦のようになった。その後にイギリス製の射程の長い大砲で淀君の住居に正確に命中させて和平交渉に入ったのは最近では有名かな。当時の日本の銃は野戦や馬上や行軍して発射できるものではなかった。 >>301
近世ヨーロッパのどこだったかが試みた
分隊ごとの発砲なんてのも間断のない状態を作るためだろうけど
練度が必要でなかなか上手く行かなかったと聞く
それはともかく火縄銃の特徴からして最初の1発目は斉射できたとしても
次からは各自バラバラに撃ってた可能性の方が高いね >>291
戦でのメイン武器は何だったのかって話なら撤退する前のガチの戦いが一番参考になるってだけの話な
まぐれ当たりとか意味不明すぎる
相当数の負傷者がいるのにまぐれ当たりって何だ? 投石器つっても石を運搬するにはやっぱり車輪と整備された道が必要だからな
でも日本は世界有数の森林地帯だし高所にある城にまで
攻城する側が大量の糞重たい石を運搬できるわけがない >>314
投石器(カタパルト)なのか投石器(スリング)なのか
曳火射撃みたいに礫弾とばすカタパルトもあったらしいね >>304
そうそう
あと、死体を敵の陣地に投げ込んだりとかもしてたんだって
うんことか死体とかが散らばってると病気になるって知識が当時からあったんだろうね >>320
拳銃よりは役には立つけどな、刀
1対1ならまだしも集団戦になったら刀はきついわ
変に、自殺に使われるって点が一致したりするが
武器としちゃ、シャベル>>拳銃だし >>267
まあそうだね。
時期とか規模とかにもよるんだろうけど
天守閣の機能なんか典型だけど基本的にはああいうのって
攻め込まれたりして守勢のときに逃げ込むところ立てこもるところでさ。
防御的な殺人兵器ではあるんだけど、あくまでも援軍が来るか、
向こうの兵站が尽きるまで頑張るところなんだよね。
あるいは極論すれば大名とかが火を放って腹を切るところ、なわけでね()
民草を含めた統治の場や生活の場といった大陸とは考え方は根本的に違うし
そうである以上は「城」の建築哲学が違うんだから「城攻め」についても
国内同様とはいかないだろうねえ。
>>284
攻城戦の防御側の話?
そりゃウンコかぶれば普通に士気がsagesageになるからなwww
それにさ、進撃すりゃ高確率でスカトロbukkakeになるところとか
直撃しなくてもウンコまみれの石垣とか近寄りたくないっしょw
非常にね、効率的な仕組みだと思うよ。
城内に立てこもる兵だってウンコはでるからなあw
まあ室内でそういう「武器」をこさえている方も
結構士気とかsageになりそうな気もするけどwww >>327
戦国最強の攻城兵器は、今川氏真
ファンタジスタキックで飛ばす岩は大阪城をも砕く 花の慶次の立ちションの描写,、立ちションは荒唐無稽だけどションベンかけること自体は史実どおりなんだよなw 戦国最強の槍使い鬼武蔵こと森長可が、あっさり火縄銃で狙撃されて死んだから
やっぱダメだ〜ってなったんじゃないの? >>320
槍の使い方は、クレヨンしんちゃんの映画のように陣形として使う事に意義があるぞ
達人が相手でも雑魚の陣の方が強い >>329
じゃあ朝鮮戦争
南米のどっかの国では年齢一桁の子供まで男子を総動員した所が有ったそうなw
独ソ戦の激戦地も南米のその国も美人の産地として有名になった
美人しか子孫を残せない淘汰圧の結果であるw
男が薬中アル中犯罪者になりやすいのも「戦士の遺伝子」を多く残した結果であるw >>88
おれは
槍は切るもの
刀は突くものと教わったな
槍でどう切るか分らんが
上から叩きつければ切れたのかもな >>325
隊伍が崩れた敵に襲い掛かるのに比べたら、
しっかり防御を固めている敵への攻撃成功率は低くなる。
この時、飛び道具の方が防御に関係なく負傷を負わせやすい。
勝った方の軍は接近戦への脆弱性を経験しない。
敗けた方の軍が接近戦に脆弱な状態に陥った状態で接近戦武器が発揮する役割をノーカンとするのは正当とは思わない。 石__小銃
槍__自動小銃
刀__ナイフ
弓__小隊選抜手小銃(SVD)
鉄砲_レーザー 中世のヨーロッパなんて日本以上に死傷者少ないだろw
1000人単位の戦で死者12人とかだぞw 遠距離攻撃なら、熟練兵は弓、そうでないのは鉄砲
近接兵器は槍、よほどグダグダになったら刀 実際は日本の合戦で主流だったのは、調略で城を落とす。だった訳で。
給料は少しは減るかもしれんが、(現状維持もある)我が軍に味方するなら再雇用は保証しますよ。というやつな。
殿様はさんざん変わってるが、室町時代から明治まで全く引っ越しをしなかった武士も日本中にたくさんいる。
江戸時代に、殿様が転封しても、また新たにやって来た殿様に再雇用して貰うって方式ね。 やっぱり槍の使い方は槍ブスマだと思うよ
アレクサンドロスのマケドニア式ファランクス
でも日本ではああいう集団訓練された部隊は編制できんかっただろうな >>183
攻撃は知らんけども昔ジャカルタに住んでて、文禄だの慶長の頃に堺の商船がやってきてた遺構だらけだったけども
クチンにももの凄い数が来てたそうだし、ご先祖様すげぇよ
諸説あるそうだけども、この頃の荷が無事着くかどうかで博打を張ったのが近代保険の始まりってのも面白い 賤ヶ岳の7本槍は豪将の拝郷1人を9人で倒した逸話なんだが2人は返り討ちで拝郷に殺されてる
拝郷も槍で雑兵とか殺しまくったみたいだね
9万石の大名でもあるから加藤や福島よりずっと強かったみたいね アロセールさんにボロボロにされたろお前?
ええ、私もです だから、長篠の戦いでの武田軍武将の死傷率は異常。
なんらかの新戦法が使われたと考えるのが妥当である。 >>351
あの甲冑で歩くの大変そう
1kmも歩いたら自滅やね >>347
多分斬るように振るって意味じゃないかな >>312
天動説でこり固まって処刑しまくってた百年前からイスラム天文は地動説だしなあ >>338
ガチ剣豪説あり
山賊とかがワラワラいる時代に嫁と二人で小田原まで徒歩で旅行
(嫁の実家から怖いSPさんが派遣されて「掃除」されていた可能性はあるがw)
信長に呼ばれて「蹴鞠やって見ろや」と言われて堂々と蹴鞠披露する度胸
現代なら間違いなくサッカー日本代表の器ですわw >>362
本来は数10人で槍を並べて叩くもんだけどね >>364
リフティングしながら欄干渡って歩いたんだっけ >>340
川で傷を良く洗って止血した方が、生還率高そうだわな、戦国時代は。
馬糞とか迷信から来る消毒薬だったんだろうが、生還した人の生命力の方が凄いな。
現代でも土壌に普通にあるけれど、土壌の破傷風菌とかの感染症に、
馬糞塗って生還した人は、生き残るべくして生き残った人たちだな。
すげえ生命力・免疫だw 剣道三倍段って言うぐらい槍の方が強いんだからそりゃメインウェポンになるよ 戦国最強の十文字槍「人間無骨」を操る、戦国最強の武将鬼武蔵こと森長可が
あっさり火縄銃の銃弾に倒れて死亡とか
これ結構、当時は大事件だったんだろうな >>368
治療法:気合いで治す がガチだった時代
恐ろしいなあ >>348
弓、鉄砲の撃ち合いで勝敗が決まり接近戦してる時点で勝敗が決まって追撃が始まってる
そもそも日本の戦の大半が攻城戦で
近接戦を行う野戦なんて数えるほどしかない
籠城戦も城に乗り込まれる前に降伏がほとんどだからな >>365
武技としての槍術の話だと思うよ
2m強のやつ
それ以上の長さのやつで叩くのは戦術の分野の話 信長くらいまでは相撲とか刀のなで斬りが戦闘の中心でしょ。信長も最も得意だったのは馬の遠駆けだからね。秀吉が兵糧攻めと水攻めで、家康は初めて三浦按針を味方にして攻城戦で銃と大砲を使った。野戦での銃はほぼ威嚇だと思うよ。当たんないし打ったら逃げるしかないし。 >>362
槍にも刃はあるとは言え刃筋を立てないと物を切断する能力は出ず
長い槍の先端の角度をしっかり合わせるのは難しい
結局は「叩き」になるんだろうね >>371
家康「こっこれはその味噌が移っただけだから(震え声)」 いやいや、絶対に鉄砲だろ
各だいみょうがこぞって配備進めてたんだから
それだけ需要があるということ 弓だな
手柄の順番としては弓で相手を倒すのが、その倒れた敵の首を取るより上位
槍先の功名というのもあるが、あれは足軽の長柄ではなく士分の者の槍働き >>370
甲冑が有効なら、明治維新で鎧武者が活躍しとるわな 刀は近接武器であり
他の武器を使い切ったか
敵が目の前に来るまで使う機会は無い >>352
熟練もなにも合戦やってた頃は弓足軽ってお百姓さん上がりがいたよ
>>340
花の慶次ってのは分からんが、水が少ないところだと家畜の尿を使うのでそういう話?
膀胱で漉してるし膀胱炎や尿道炎わずらってなければ無菌なわけだしね >>379
源頼政の鵺退治も弓で動き止めただけだしなw
地面に落ちたら後は部下が全部やってくれました 関ケ原の合戦頃には双方三人に一人は鉄砲持ちだっという計算があるくらい
鉄砲は主要な武器になっていた >>349
その金棒振り回してガチで大暴れした戦国武将がいなかったっけ?
三浦半島拠点の三浦氏の一族。
何でも、三浦何某さん身長2.3m、3m半くらいの金棒振り回して、
一回振り回すと10人くらいが一斉に倒れ、上から叩かれた者は、上半身と下半身がくっついたそうな。
死ぬまでに北条軍を500人くらい殺ったそうなw
漫画の世界だわなw >>203
外国の場合は都市を城壁で囲ってるいるので日本の城に該当するのは要塞かもしれませんね
ユダヤのマサダ要塞とか壮大ですよ
攻めたローマ軍も壮大な攻撃をしてますが >>340
攻城戦の守備側で、城壁をよじ登ってくる敵兵に爽やかな笑顔で立ちション引っ掛ける話 戦場の骨を掘り出したら殆どに矢傷が それが致命傷になったかどうかは別にして
女兵士?の骨もあちこちで確認されてる そもそも火縄銃でマタギって成立してなかったんだろ。マタギで成立しないもんを武器というのは無理がある。 桶狭間の奇襲も正面攻撃で嘘
武田騎馬隊も降りて戦って嘘
長篠の鉄砲三段撃ちも槍が主体で嘘
比叡山焼き討ちは死体や焼け跡が出ないので嘘
秀吉の小田原攻めも北条の城の抵抗に遭い危機的で楽勝なのは嘘
島津の戦は誇張ばかりで嘘
真田日本一の兵も誇張で嘘
〇〇や〇〇は江戸時代に創られたもので嘘
全ては嘘だった >>354
縦深を得られるほど長柄槍足軽の横隊を用意出来たかてのもあるし
だだっぴろい平原の少ない日本じゃ古代ローマ軍のように碁盤の目で部隊を並べる方が適当だろね
実際に関ヶ原にしても大阪の陣にしても伝わってる軍容では
西洋のような横隊を並べられるような構成になってねえし >>368
??
河川水はバイ菌だらけなんだけども
尿なら無菌
馬糞も迷信じゃないんだけど化学生物は苦手? >>387
ふつうは縮み上がって
出ないのに
豪快に立ちションという豪傑ぶりを表すネタ 弓と投石機じゃね
これで雑魚はだいたい吹っ飛ぶだろゲームとか映画では >>373
追撃は何でやる?
追撃で敵を殺傷するのは飛び道具ではないだろ?
死傷率の話をするのにそこをノーカンにするのは違うだろ >>390
小田原攻めが危機的とは初耳だが何かあんの? ×
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捕ゲイとは、2009年に2ちゃんねるの格闘技板に立てられたスレ「グラップラーホモexit」に投下された一連のレス。
2話の>>70が>>1と改変され、コピペとしても広まっている。
1話
70 名前:実況厳禁@名無しの格闘家:2009/12/09(水) 20:37:14 ID:wDNuZ1nq0
俺、彼氏いない暦27年のホモセックス未経験、
隠れホモで家でセンズリこくだけの情けないフニャチン野郎だったんだけど、
この前、会社に漁師の兄貴たちがフンドシで乗り込んで来て、見事、捕ゲイされちまった。
窓口の方が何だか騒がしいな?と思ったら、セミクジラみてえに黒くてブットい
チンポを乗せた神輿を担いだ兄貴たちが、オッス連呼で机や棚をなぎ倒しながら、
俺の机に向かって進んでくる。女どもがキャーキャー叫び、上司は警察に電話をしている。
俺の机の前まで来ると、兄貴は俺のスーツを強引にひん剥き、素っ裸にして
「一番銛じゃーーっ!!」の掛け声とともに、ケツにザトウクジラみてえに元気のいい
チンポがねじ込まれた。うおーっ!!すげえ痛てえ!!叫ぶ俺に構わず兄貴はガン掘り!!
他の漁師兄貴達は、捕ゲイ成功を祝う唄を歌い始めた。
女どもは全員、非常階段から退避。兄貴達が発する熱気でスプリンクラーが作動し、
まるで大海原の船上のように、あたりは水浸しになった。
「オラ!!オラ!!お前ホモなんだろ!!」激痛が徐々に快感に変わってきたころ、
入口のあたりにKKK団のコスプレをした連中が現れた。
「その人を離せ!!俺たちはノンケ・シェパードだ!残虐な捕ゲイは実力行使でやめさせてやる!!」
つづく >>384
そらまあ
鉄砲の装備率が格段に跳ね上がったのは
唐入りで明と戦ってる時期かららしいんで
それ以前と以後で軍隊の様相は変わる
朝鮮半島に行ってない家康はもはや時代遅れだった武田家の軍容に引っ張られてしまうけど 戦場の傷の化膿防止は柳の枝を煎じた汁を飲んでたんやで >>390
桶狭間は実際に行ったら解るけど、田園の中の一本道の脇道から奇襲だから正面攻撃では無いのでは? 武士のメインウェポンは弓だしね。「海道一の弓取り」は東海道で一番優れた武士という意味。 >>385
上で出したけど最上さんが有名じゃないかな
直江さんラブと棍棒で追いすがる義光さんが長谷堂合戦図屏風で描かれていたり
漫画というか小説の世界では
真田太平記の中で真田兄弟の母違いの弟設定の樋口角兵衛が棍棒使いで上田合戦で鬼のように暴れる 火縄銃は国内外に愛好家がいて、アメリカ人で詳細なデータをwebで公開してる人がいる。
口径と初速が丁度40S&W弾と同じぐらいだったから、結構な威力だね。FBIが犯人を確実に射殺するために
開発した弾だからね。 >>398
あのまま天下泰平と鎖国ではなく海外との小競り合いとかしてたらそのまま火縄銃と大砲が主力の近世軍隊に変化してたでしょうね >>403
1号線が長く続いて、桶狭間は坂の中腹にあるから
多分、今川義元の軍が長く伸びて本陣が通りかかる時に攻撃だと思う >>398
島津は地元&農閑期だと2万ほど動員するが
関が原とか朝鮮だと3000人程度しか動員していない
そういう戦いでは専業武士(ガチ勢)しか参加しないから
レア装備である鉄砲の保有率が跳ね上がっただけではないか?
兼業武士やガチの農民足軽(エンジョイ勢)が参加すれば
レア装備の保有率は激減するわけで… 動物相手に準備して射撃できない道具を、人間相手の戦いで十分に武器として活用するのは無理だろ。
マタギが火縄銃担いで山の中移動するのは想像できない。いつ火を起こすんだ。 >>380
長州征討では、幕軍側は甲冑を着て銃弾で負傷すると、鎖や鉄片が骨肉にめり込み摘出できなるなるので、みな甲冑を脱いだ。 >>400
そもそも
どこで戦ったかわかってない
桶狭間山やら田楽狭間やら地名は出てきてるけど >>395
旗色が悪いとすぐに足軽雑兵は逃げ出すから、
退路を断たれたみたいな特殊な状況下じゃないと追撃戦はほとんど起こらない >>392
>馬糞も迷信じゃないんだけど化学生物は苦手?
まじで?w
消毒効果あったのか? >>368
>>372
いやつい最近までそういう迷信みたいなの信じて実践してる人多かったぞ
うちのばあ様なんか
ヤケドしたらミソを塗れ
飲み込んだものが喉につかえたら醤油のませろ
ハチに刺されたら歯クソ(食べかす歯垢みたいなの)つけろ
頭痛の時は梅干しをこめかみに貼りつけろ
と子供の頃真顔で言われた >>395
雑魚は百姓だからなー
追撃するよりも田んぼを耕して貰った方が良いんじゃね? >>125
遺物としての弾丸もまったく発見されてないというし >>395
日本の戦の大半は攻城戦
城に乗り込み前に飛び道具の撃ち合いで終わる戦いも多い
野戦したとしても膠着してにらみ合いで終わる場合も多い
野戦が数えるほどしかない
日本の戦は接近戦できるような野戦ばっかだったと思ってるんか? 「鉄砲を捨てた日本人」
https://bookmeter.com/books/16759
16世紀後半の日本は鉄砲使用国となった。
にも拘らず江戸時代を通じて日本人は鉄砲を捨てて、刀剣の世界に舞い戻った。
武器の歴史において起るべからざることが起ったのである。
ここに軍縮の精神がある。 信長は正確に銃撃で何度か狙われている。ただかすりもしなかったらしいが。刀で暗殺を試みられたことはない。銃を購入してたことは確かなんだろうけど、多分戦闘で敵に当たるような兵器でなかったことは確かなんじゃないの。 >>414
逆。鉛剥き出しだから変形して貫通せずエネルギーの全てが人体組織を破壊する。
防弾チョッキがあれば助かるかもしれないけど。 >>414
鉛玉は柔らかいから体内でひしゃげて周辺をグチャグチャにする
あと鉛中毒の危険もある 槍は自弁だよね
太平洋戦争本土決戦の竹槍も自弁
マニュアル通りに作って持ってこい
その辺は変わらないんだね >>368
武田家の米倉丹後だかが武州松山城の戦いの際に鉄砲で腹部を撃たれ、馬の糞をといた汁を飲んで治ったとか 火縄銃の弾なんて城周辺でよく出てくるが、本物は大抵が鉛じゃないんだよね 槍は叩き殺すためにあるって花の慶次に書いてたな。
真柄直隆ぐらいの膂力がなければ太刀は不利だった。 >>112
ヌルハチ生きている時に朝鮮を攻めたっけ?
死後だと思っていた >>421
じゃあ何でいまの弾丸は丸じゃないの? 命中精度か? >>414
射出口は肉が吹き飛んで酷いことになる…らしい >>414
確か火縄銃の弾の大きさってかなりな大きさだったと思うんで、物理的エネルギーを考えたら当たれば人体が吹っ飛ぶくらいの威力があるらしいと
現代の小銃弾に比べて貫通力はおとりますけどね >>408
猟場に行ったらある程度事前に火おこしして
火縄に火つけたまま携行するんだろうな
すぐに燃え尽きるもんではないよ
蚊取り線香並みに遅いから数時間は余裕 >>420
いやいや、雑賀孫市に狙われて
足怪我してるやん >>420
世界先込め銃射撃大会というのがあってだなそこで優勝するのは当時の日本の火縄銃を
使う選手 >>414
ライフリングの有無が大きい
椎の実型の弾丸になったのは、ライフリングを効果的にする
理由が大きい
ライフリング以降は、もう弓とか甲冑とか無意味になった >>408
天草四郎の反乱のときは、普段は猟師をやってる連中が、反乱軍の銃撃手として活躍したらしい。 弓部隊が矢を射かけて、長柄槍部隊が槍で叩きまくる。刀で戦うなんてファンタジー。
刀は相手の首取るか取られるかの時しか使わない。 >>427
明の援軍として朝鮮軍がサルフの戦いに参戦してる >>420
ゴルゴ13でそれをネタにした回があったな >>425
鉄の玉なんかは丈夫だから練習に何度も使ったんじゃないか
みたいな説もあるね 井伊直政が確か関ヶ原で被弾してその後死んでる。
だからまあ弾幕でもなく、混戦でのあくまで狙撃で、かなりのレアな命中だと思われ。 思ってるよりショボかったと思う。だが上杉謙信は調べれば調べるほど面白い >>431
灰に火種(炭)を入れた竹筒を携帯してる >>371
いろんな企画で再現されてるけどマルコメとかが商品化しない時点でお察し >>428
散弾銃やショットガンは丸い弾丸のあるよ >槍が戦場で使われるようになったのは南北朝時代の頃からであるが、鎧に対する貫通力がすぐれていたため(ママ)
ママ急に出てきてどうした 弾痕が戦闘で本格的に残るようになった時代は、西南戦争以降だよ。 >>425
長篠の鉛玉調べたらタイかどっかのと一致したって話が最近無かったか? >>442
ライフリングの有無
実際、今でも散弾銃の弾は丸い
銃身に施条すると弾が回転してトルクが発生し、射程距離も命中精度も
飛躍的に大きくなる
それようの弾丸が椎の実型になった >>390
といって織田軍が今川全軍に正面攻撃で大決戦を挑んだわけじゃないだろ?
義元がいる本隊だけに決戦を強いたことすなわち奇襲なんだっつうのw
他のもただ難癖つけたいだけのことごとく浅い意見だな、話にならんよ >>396
余裕綽々で出かけた秀吉の小田原成敗は当初力攻めを禁止していた
しかし手間取るうちに徳川家康と織田信雄、伊達政宗の動向が気になり力攻めを命令
それでも韮山城などが頑強で攻略できず秀吉は焦った
小田原城も4か月以上持ちこたえ、
秀吉軍20万の内情は褒美も手柄も得られない部下の不満で溢れかえり、士気は低下していた
秀吉は焦って困り果て、最後は和睦条件で嘘をついて降伏させた
北条と約束した伊豆・相模・武蔵の所領安堵は裏切り家康に与えた
実情は危機的でめちゃくちゃだったが秀吉の横綱相撲的な楽勝戦という美談になった >>389
威力的には今の9mm拳銃にもいかないだろ
そんなんで猪や月の輪熊が致命傷うけるかよ
でもな、人間は違うんだよ
重傷にもなるし、なによりせんいが喪失する
そもそも一発で現在の価値で5000円ぐらいするから、国家単位じゃないと維持できない くっそ長い槍を扱ってた映画ったら
「天と地と」
でも見てて本当にこれ昔使ってたのか?って思ったが 赤穂浪士も主力兵器は槍
屋内では取り回しがしにくいんじゃないかと思うけど槍 >>453
ライフリング、元込め、雷管式でだいたい単発銃は80%完成
この後、ボルトアクションの手動連発になってその後単発銃は
ほぼ進化してない
日本だと30年式小銃が基本になって、終戦まで続く >>418
江戸時代に鉄砲に限らず武器が発達しなかったのは戦争がなかったから。
反核左巻きの妄想として有名な奇書を持ち出さなくてもw
砲術自体は江戸時代も沢山の流派が存在して、幕末に大活躍した。 >>457
槍はあんな感じだろうけど
行軍とか整列とかはちょっと現代的すぎやと思った
当時の軍隊であんな動きが出来たらかなり強かっただろうけど >>1
この著者、バカやろ
事実から答えを出すんじやなくて、「俺様が考える戦国はこうだ!」という思い込みがあって、そこに都合のよい事実だけを取り上げるタイム >>455
山中城とかメッチャ力攻めじゃん
力の入れ所をコントロールしてただけでしょ 明治維新のときに薩摩や長州は農民を鉄砲隊にしあげた
幕府軍はまさか農民に侍が負けるとは思っていなかっただろう >>455
小田原籠城な直前に領国分国の村々に出された北条氏の指令には、なるべく武士らしい装備で加われ、ただし武器も持ってないもは手ぶらでもかまわないとあるのが面白い >>433
> 世界先込め銃射撃大会というのがあってだなそこで優勝するのは当時の日本の火縄銃を
> 使う選手
世界前装銃射撃選手権に、インドは参加してないようだな。
ムガール帝国の火縄銃・マスケット銃の役割は日本や西洋とは違っていて、とくに狙撃に用いられた。
銃身の長い大きいものが製造され、製造後に精度が調べられ、良いものだけが使われたという。
戦場での火力は大砲が中心だったから、銃の一斉射撃という戦術は一般的ではなかった。 >>39
PJはSONY、EPSON、犬が強過ぎて入り込む余地なし 百姓達が山の上から戦を見物してて
戦が終わると負けた方の装備横取りするんでしょ?
忠誠心のかけらもない 火縄銃の製造でネジをモノにしたはずなのに他へ全く応用できなかったのは驚くほかない
尾栓ネジ以外に使い途を思いつかなかった? 馬鹿なの? 戦国武将を英雄のように扱う奴多いけど、現代でいうとヒトラーみたいなもんだからなw
民衆の命を軽く捨てる残虐な独裁者だらけなんだが
今の知事連中みたいなハゲの爺に無残に殺されるようなもんだぞ 朝鮮征伐でも結局陣地を作って鉄砲隊で防衛して殲滅するだからな。攻撃は弓と切り込み隊だ。相手が鉄砲持った陣地だと結局大坂冬の陣と一緒で大砲しか無くなる。秀吉の時代でも城の攻撃でも弓と斬り込み隊でほとんど変わらん。関ヶ原で大規模な鉄砲隊が出てきても、メインはやっぱり斬り込み隊と弓だろ。戦後は首が並ぶらしい。鉄砲で撃っても結局最後は首切りだから、まああんま意味ないんだ。 >>465
刀は他の武器に比べたらやや変わった
片手打ちの刀は無くなり、反りは浅くなった >>479
特定の民族を抹殺するとかは別にしてないけど >>462
ボルトアクションの前のレバーアクションを忘れてるぞ
戊辰戦争はレバーアクションの連発銃やろ
ボーア戦争も米墨戦争も南北戦争後期もレバーアクション >>419
西洋で麻酔がなかったころの外科治療って恐怖のあまりショック死する患者がいたらしいな >>64
秀吉は敵の目の前で城を築いて戦意を削いだ事なら
あるし、秀吉流の土木で城を落とす方向に日本は
戦法を特化させたのでは >>271
もち米のおかゆも熱くてネバネバしてて効果的とかいう話もあった >>420
蛍ニャンとか鶴ニャンとかのやばい奴らもいた でも、長柄って戦場まで持っていくの大変じゃないの?
参勤交代の長い棒を持った人達ばっかになるってことでしょ?
道が整備されたところばかりではないでしょうし、
草むらもあれば山や谷や川もあるんじゃないの?
馬車でひいてったって記録もないんじゃないの? >>483
ウィンチェスター 切り詰めた銃身で漫画の中で土方歳三がスピンコックやってるわ >>488
捕虜への拷問で熱々おでんを無理やり食べさせる某漫画を思い出した >>491
長柄槍は引きずって移動するんだよ
だから砂ぼこりが立って位置がバレやすかった >>483
レバーアクションはブローニングが設計する前は低威力の弾しか撃てなかったから
軍用として大々的に採用されてない。 だからまあ戦国時代に最も実用的な兵器が刀だった事はあらゆる側面から証明されている。剣術が最も発展した時代だし、刀の数が多かった。時代劇の殺陣なんかは戦国時代の再現と考えるとわかりやすい。鎧も基本刀向けなんだよね。 >>496
ボーア戦争の英国軍 なんなら動画でも貼ろか >>491
あと、参勤交代に長柄槍なんか持ってかないぞ
それどころか、バイトみたいに現地で人を雇っていた 江戸幕府だと、弓組鉄砲組は下級とはいえ御家人だが、長柄組である槍奉行配下八王子千人同心は人別帳は百姓で御家人ですらないから、それだけ長柄の槍がすでに軽視されていたんだと思う。 >>485
付城のことか
まあたしかに
言われてみれば付城は気の長い功囲戦だな >>420
雑賀衆に狙われて一回足をぶち抜かれてるぞ >>1
武田や北条の軍役なる根こそぎ動員より織田の金で兵士を雇う方が当時は優れていたんだよ
だいたいナショナリズムのない徴兵なんて士気だだ下がりでだからこそ武田は一瞬にして崩壊した 昔はポニーみたいな小さな馬だったってよく言われるけど今全然見かけないな
太平洋戦争あたりで血筋が途絶えた? 熱田神宮に寄ることがあるならば真柄直隆の形見とされる
「太郎太刀」を見るが良い
刃こぼれがあるぞ >>497
時代劇の殺陣は相手が鎧着てないの前提に見えるけど >>485
山城には攻城器は向いてないってだけじゃねの >>499
江戸時代になると武家向けの貸衣装屋やら贈答品のリサイクルショップも繁盛してたらしいね >>500
江戸幕府だと御先手組頭、火付盗賊改加役 >>497
アメリカに存在する日本軍からの戦利品でいまだに美品なのは拳銃が多い。
ほとんど戦闘で使われなかったから。 静岡県・久能山東照宮博物館にて展示イベント「天下人の愛刀の写し」展が開催されることを記念し、『刀剣乱舞-ONLINE-』とのコラボレーション企画開催が決定!
久能山東照宮博物館は、徳川家康公を御祭神とする久能山東照宮に付属する歴史博物館。
コラボの開催期間は2020年10月31日(土)〜2020年11月30日(月)となっており、刀剣男士「ソハヤノツルキ」等身大パネルの展示や、オリジナルグッズの販売、日本平ロープウェイゴンドラ車内にてソハヤノツルキ(CV.浅利遼太さん)の特別アナウンスなどが実施されます。 >>506
田舎にはぼちぼちいますよ
需要が少なくなったので昔ほど繁殖されなくなってますが つまり信長の野望で六角義賢(ゲーム内では雑魚)の所に居る
吉田なんとかさん(ゲーム内では雑魚)は凄いのだな >>501
八王子千人同心は江戸初期まで武士扱いだったが、
豊臣家の滅亡による軍縮&司令官の大久保長安の失脚で百姓に格下げされた >>502
平城の時代になると、付け城を作るのは普通になってゆく
対抗して、守り砲も出城をつくる
単体でポツリなんてのはない
後、天守閣なんぞ飾りで城ってのは城壁のこと
みんな意外と誤解しているがな
今でいうと、旧江戸城の皇居がもっとも防御力が高い
天守はないが城壁がちゃんと機能しているから >>505
ナショナリズムは確かにあるね
後北条の民兵徴発の場合、お国存亡の為、大途の為に、とうるさく書いてる >>497
刀はあんま使われてないはず
槍、弓、鉄砲、投石、刀、素手
くらいの順番やろ >>497
時代劇の殺陣と鎧は全然別だろ
介者剣法ってのがあるが、重心を落としてピョンピョン跳ねるように移動するヤツ >>38
和弓にニカワは必須だろ
鹿の皮を煮たニカワ >>515
五輪の書に投石に関する記述がないのは本人が書いてない説あったなw 歩兵と騎兵ってどうあっても速度が違うけど
かかれーって時は時間差で突撃するか騎兵先行が前提だったのかな?
あるいは運用場所やタイミングがまるで違うから気にしなくていいのか >>528
五輪の書は結構フィクションあるらしいです
特に吉岡一門とのくだりはかなり怪しいみたいです 近代戦でも要塞防御で石はよく使われたし、弾がなくなると投石するんだよね
塹壕戦はスコップで格闘、銃剣よりもいいと言われている >>6
だって壊したらあとで自分のものになった時に面倒やん
うっかり人に当たって死んだらましというか
次ので急に今度はアンタ味方なのねってので近くになってうらまれて仕返しされても困るから
強いうらみでもないのであれば殺す必要なんてないし
勝って捕まえたら奴隷にできるからもったいないし
裕福な家のやつなら人質にして返還のための身代金とれるし
もうだいたいでいいんだよっての手加減ができないので
投射武器は卑怯って嫌われた >>527
木曽馬でぐぐった
まあまあの大きさあるのね 海戦における戦船はどうだったのか
閑山島では朝鮮将の李舜臣に散々にやられたと聞いたが >>470
西南戦争の時は逆だった
武士の子は武士だった世襲薩摩軍に、装備は優れるが徴兵制の政府軍は勝てなかった
政府軍は警察官に変えていた武士を再動員して護衛につけ
それでようやく勝てた >>497
ありゃ俗にいう素肌剣法だ
鎧をつけて戦う介者剣法とは違いもあるよ 映画「七人の侍」で侍側の死者は全て火縄銃によるもの。
これマメな。 槍は実戦で有名なのはローマ軍の投槍兵器やファランクスでの防御の長槍なんだよね。実戦で木の長い物干し竿みたいなの持っていってもすぐ折れちゃうよ。一発だけであとは鉄の刀で殴り合うんだよ。だから鎧が必要になる。 >>530
歩騎混合の部隊ってのは今でいうと機甲師団で騎兵隊ではない
歩騎混合なら、一緒に進退する
騎馬兵は単体では弱くて周りに随伴歩兵がいてこそ威力が発揮される
(意外と戦車も単体では弱く、随伴歩兵が必要だったりする)
騎兵隊は騎兵だけで構成されている部隊で、これは移動能力が早いと
いうのが特徴
今でいうと空挺部隊なんで、歩騎混合部隊とは使い方が違う >>508
鉄砲、長柄の槍、弓、抜き手の複合
絵屏風などをみると、白兵戦では刀で戦うシーンも多かったと思われる。
長柄以外の槍は、武士の表芸として認められ、槍一筋の家柄〜など、おおよそ士分を表す言葉もある。
長柄と鉄砲だけは、維新まで武士の表芸とは遂に認められなかった。 >>519
まあゲームだからしょうがないにしても
剣豪とか武術家はね、やっぱりスコア低くなるよね。
上泉信綱とかみたいに一軍の将だったり
柳生一族みたいに国侍の一党だったりすればともかくね。
徳川将軍家剣術指南役の御子神典膳先生なんてねえ
報われないもんだといつも思うね。
(まあ、あくまで将としての評価がメインの信長の野望ではなくて
個人の技量がモノを言う「太閤立志伝」だと高評価なんだけどねw) 潤沢に銃弾薬がある場合の籠城は攻める側はまことにキツイね 島原の乱 板倉重昌も撃たれて死んでるし 百姓の主力 竹槍
太平洋戦争でも婆ちゃんは竹槍
グラマンが落ちたら、竹槍で刺し殺す >>537
薩軍の負けた政府軍なんて乃木だけじゃねえのw >>539
大海人皇子が東海道から大動員した農民に持たせたのが槍
大友皇子の精鋭を数で圧殺した >>530
日本の馬は概ね今のサラブレッドみたいな大型ではなく、速いこともないです
しかも、長時間速く走る体力もないです
甲冑着けた人を乗せてる馬なら、多分人が走って追いつけるかと >>528
生涯60余度の勝負に一度も後れを取ったことが無いって自慢してるのに
都合の悪いことはそりゃ書かないよ >>536
戦国時代の海軍は海賊を雇ってたのが主流じゃないかなあ
九鬼水軍とか村上水軍とか 船は木造 >>542
馬が人に合わせるのね
ナウシカのトルメキア戦車みたいな感じか 意外か?
槍が主力は知られているだろ。
刀は二次的に使用されていた。 >>541
だから槍と盾の密集陣形や、テルシオがあるのでは
強力な破壊力があった
あとアレクサンドロス軍とかは、槍の反対側にも刃をつけて強度を上げ破壊されにくいようにし
槍の反対側でも戦えるように工夫されていた >>506
今でも日本在来馬はいるよ。
8種いるけど、どれも個体数が少なく保護されている状態 木の棒で思い切りぶん殴られたってなかなか死なんよ。鉄なら致命傷になる。槍で刺そうとしたらすぐ掴まれちゃうよ。 >>1
長柄の槍は武将も使ってたよね
忠勝も長いの使って
傷負わず、だから
そら傷負わねーわ、みたいな
近づけずに勝つ技術は、確かに凄いが 両軍入り乱れてぶつかるとか誰が誰だかわからなくなると思うんだよなぁ
ましてや夜なんて同士討ちだらけだろう
実際の戦(いくさ)は大河ドラマのようなものじゃないはず そりゃ素人でも使いやすい、数を揃えやすい、
そんな便利武器だしな >>535
木曽馬は実は一度絶滅してる。
いまの木曽馬は戻し交配で復活させたものなので厳密に言えば当時の在来馬とは違う。 >>561
木刀で思いっきりぶん殴られたら結構死にそうだぞ ID:W2tebU0R0
レス乞食だか何だか知らんが知ったかが酷いなw 織田信長に仕えた黒人を主人公にした映画がハリウッドで企画されてるらしいが
合戦シーンにはでかい斧を持ったサモア系の兵士が絶対にいると思う。 >>563
信長のデビュー戦も紛れ込んだという説もあるよね >>10
「あの子はヤリマン」って槍で世界最強を目指す女の子のギャグマンガがあったな。
最強チャンピオンが素手無刀の「手マン」。 >>479
ヒトラーさん「暗殺怖いから拳銃持ち込み禁止な」
エースパイロット「ああ?自国の士官を信用できない奴から貰う勲章なんてねえ!」
ヒトラーさん「…スンマセン持ってて良いです」
忠勝さん「うちの婿殿の親父と弟助命して」
家康さん「駄目」
忠勝さん「じゃあ殿と戦争するわ」
家康さん「…スンマセン助命します」
同じだなw >>571
槍って叩いて使ってたんだってね、刺すというよりも 鉄の刀でぶん殴って致命傷を負わせるのが戦国の戦いだよ。そりゃ血塗れの凄惨な状況で、一撃で勝負は決まって、逃げるか追うかだろ。まさに野蛮の争い。 冷静に考えれば、日本の戦って特殊だよな
カンネーとかで有名な騎兵運用とかやらんし、弩とかも使ってないし >>563
とりあえず最初は入り乱れるのは避けようとすると思うぞ
まあ大河ドラマの合戦描写は正直隊伍乱れ過ぎだとは思う
あと戦国時代に夜戦はほとんどない >>520
街道をゆくで、同じ多摩の新選組をどう思うかと聞かれた八王子千人同心の子孫が 彼らは百姓ですから と
言っていたが、同じ百姓だったのかよw 武器の火力上がりすぎて鎧意味ねえ、機動力重視だ!
で槍の時代が終わってしまった
弓矢はかなり生き延びたが >>572
刺突の他に、叩く、薙ぎ払う、投げ槍、集団で槍衾など
色々使えるしね >>550
サラブレッドは速く走ることに特化してるから悪環境の戦闘ではそれほど役に立たんだろ
ばんえい競馬の馬みたいのじゃないと
道産子などの日本の馬はでかくはないが
悪路や荷役など長時間歩行には有利だぞ
https://pacalla.com/article/article-1244/ >>567
真壁氏幹が棒持って戦場に出たんだよな
どこの黒犬騎士団団長だよ、と 槍は銃剣に変化してつい最近まで白兵戦における主武器だったしな
槍が多かったのは、扱いが簡単だったからでは?
太閤記でも、藤吉郎が足軽を訓練して、集団戦法で戦ってる。
弓や鉄砲は強力だが、熟練者が必要。 >>585
長篠の戦いなんて昔の教科書とはもう今は全然違ってよなあ >>1
あえて主戦力というなら
合戦では短い刀、
すなわち打刀ではなかろか
たぶん合戦なんて
お上品なものではなく
ドロドロのぬたあん、などと
まるで見てきたかのように書いてみる >>575
叩いて体勢が崩れたら突く
突く場合は、走りこんで突く(いわゆる突撃) >>578
だって馬の品種的に騎馬運用は無理だもの
当時は日本在来馬しかおらんから馬の体高が120〜130cmしかない。
ポニーサイズの馬でどうしろとw >>583
幕末まで井伊の赤備えを来た彦根藩がいたろ! >>577
今の時代、多様性があってバッチリじゃないか。 西洋のハルバードも登場時はすごい画期的だった
突く、切る、叩く全部できておまけに装備してるとなんかカッコイイ!
日本だと十字槍は画期的だと思う めっちゃ避けにくそう >>590
狙う弓は熟練が必要だぬ
浴びせる弓には熟練いらないけど >>594
馬走り回れる平地での合戦てのがそもそもそんな多くなかったしなぁ >>789
俺的に銃剣は革命的だと思う
物凄い発想と進化だと感動した
鉄砲は騎兵の突撃に弱いが、刺突剣を先端に着ければ槍と兼用になるとはな
戦国時代に武将が考え付かなかったのは残念だ
雨や露に弱い鉄砲も、薬莢で雨でも使えるし進化はすげえと思った >>594
モンゴルは木曽馬と同種だが
あれで大陸席巻したぞ >>580
鉄砲が弓を完全に凌駕したのは銃剣の発想が発達したマスケット銃以降 >>598
魔界転生だと
鎌のトコで突きを受け止めて
頭を割ってたな、若山先生が >>505
織田は名古屋スタートで後には大阪まで手に入れる経済力チート
山梨+長野の武田では勝負にもならない
>>532
農民は弓使えない
庶民が弓使えるのは狩猟民と遊牧民だけ
>>562
井伊さんの負傷を聞いた本多さん「あんな重い鎧着てるから…」
軽い鎧だったら火縄銃躱せるんですかね? 鎌倉時代室町時代にやっと刀鍛冶が増えて農機具や刀が鉄で作られた。それでまともな合戦が行えるようになった。源平まではまじで組み合って短刀で刺す。 >>604
数も違うんじゃねーか?
それにモンゴルは平地多いしなぁ
ちょっと日本とは事情が違うわなぁ >>594
日本には遊牧の文化がないから、軍馬も去勢されてないしな
世界的に見れば日本の騎馬兵はかなりポンコツだったのは間違いないと思う わかってねえな
石だよ
印地打ちといって、合戦の最初に石を投げ合って
相手方が怯んだときに突撃かけるの >>600
蒙古馬はもう少し大きい
と言っても140cmぐらいまでだけど
でもって蒙古は騎乗弓が主流で騎馬戦なんかしとらんだろ >>598
材料費が高くなって糞重いという欠点がな… >>607
動員兵の弓は狙う必要はない
角度を決めて号令で撃つだけ 突然変異のでかい馬が珍重されたらしいね
偉い人はそういう馬に乗れたんだろうね >>607
それよそれ
弩はシロートでも扱える
よくアホがカモとか試しうちするだろ
なんで日本でもボーガンが普及しなかったのかが不思議でならん >>609
ステップ台地で天然の草が豊富だったから沢山繁殖出来たのは大きかろうな
ただモンゴル帝国の頃のモンゴル地方は原生林が生い茂ってたという説もある >>615
コスパは悪そーねw でも逆にうちはハルバード支給するくらいリッチですよ!アピールにはなったかも?w それ以前にペットボトルも紙皿も飯盒も無いんだぞ
レトルトも即席ラーメンだって >>604
平原の国と平野が僅かしかない日本を比べてどうする。
そもそも蒙古て主力は弓でしょ。 >>603
銃剣はつくと同時に発砲すると、関東軍だった親父が言ってた。 >>578
平坦な地形が少ないから騎兵は使いづらいからな
あと、カンネーは騎兵を使いはしたが、基本的には翼端撃滅からの
全周包囲なので別に珍しい戦法ではない
世界中でやられている戦法で
ただ、カンネーみたいに見事になってのけた例はほとんどないが
日本だと、三方ヶ原の戦いがそう
翼端撃滅から包囲殲滅を狙った徳川軍が中央突破くらって惨敗
この戦法、勝ち負けが極端に出やすい >>610
それでも騎馬文化があるだけ凄いんだよ
騎馬文化がない国は馬にまたがる人間を見て、動物を従えて扱えることに恐怖を感じる
武器が届かないので殺され放題
騎馬を見慣れている地域なら、馬を刺突、馬の進路妨害、馬の生態から尖ったもので脅すなど
いくらでも方法はあるけど なんで人殺しを美化するんだ?
現代と程遠い時代だから美化していいのか?
零戦も戦艦大和も原爆もそのうち美化されるの? >>611
弓で済んだんでしょ
デカくて強力だから
元々外国と違って、弓を作る良い材料がなくて貼り合わせて作ってたからなんだろうが
その後の状況変化で
デカいの作りゃいーじゃん、という
あり得ない発想が可能だったみたい 15世紀から16世紀。欧州。騎兵は、馬上からピストル射撃するカラコール戦術。
しかし、当時のピストルが打撃力低く、10u程度の有効射程で、効果低い。
↓
16世紀から18世紀。騎兵の抜刀突撃戦術。ピストル射撃後、サーベル突撃で騎兵の衝撃力復活。
↓
対する歩兵。銃の連続射撃能力限定。
そこで、騎兵突撃等に際して、歩兵は小銃射撃の後、後退し、やり部隊が掩護。
小銃部隊とやり部隊の相互援護が不可欠。部隊編成等、複雑化。
↓
1 戦術的解決
@ 欧州
銃部隊を10列の横隊編成にして、分業化。「反転行進射撃」。
オランダは、1959年、この新戦術に対応した歩兵大隊編成。
将校22名。マスケット銃兵200名。アルクビューズ兵200名。槍兵100名。合計522名。
銃部隊は射撃後、後退せず、射撃を継続。
➁ 日本
日本の長篠合戦。火縄銃部隊を3列横隊で連続射撃。
↓
2 技術的解決
18世紀、射撃時にも外す必要のない「銃剣」の発明。これにより、やり部隊は消滅。 源平までは一騎討ちの伝統があった。要するにまともな武器と鎧の武将が少ないから、あとはほとんど取っ組み合い。弓が威嚇。
それが刀の普及で戦闘が集団戦、刀で殴り合うになっていった。刀で殴り合ってるところを横から槍で突けばどんどん効率良くいけるのが槍が増える理由。槍対槍じゃ棒の振り回し合いで勝負にならない。 >>610
日本で騎兵が真に意味で活躍したのは、鵯越と桶狭間ぐらいですね… 印地打ちは所詮足軽技なんだよな
鉄砲もそうだけど
れっきとした侍は鉄砲や石の 威力を認めようとはしなかった もしかして海の中から槍の先に爆弾を付けて船底を突いたら撃沈できるんじゃねw >>628
お前はつまらん奴だな
ゼロ戦も大和も作ろうと思った当時はベターな兵器だよ
原爆は知らん >>585
実用面では日本の馬は良いですよね
比較的に気性も良いですし >>633
桶狭間も殆どの兵は走って追いかけたんじゃない?信長を >>601
そりゃ、馬上から射かけるなんて鍛練なしではできんでしょう >>614
木曽馬はモンゴル地方から輸入したものだよ元々 >>619
射程が短いのと
水平撃ちしか出来ないのが駄目
あと
戦場でのんびり弦を張る暇も無いしな
イメージとしては
射程短い火縄銃って感じの
使えない兵器 >>619
西洋は鉄の鎧を撃ち抜く弓が必要になったので
足で弦を引くほどに威力が進化した 630つづき
つまり、
長篠合戦では、火縄銃部隊を3列横隊にして、連続射撃を可能に騎兵突撃を防いだとされているが、
これは、オランダの1595年の歩兵大隊編成に近い発想。
織田信長が、火縄銃の先に射撃時にも使用できるやりを括り付け、やり付火縄銃を発明していれば、
戦術的大革命だったが、そうはならなかった。 >>634
騎馬隊相手にはかなり有効だったそうだな
慣れさせてない馬はパニックになる >>635
たぶん、石つぶても鉄砲も手柄として認められるのが困難だったからだと思う >>639
槍ふすまも側面を突かれるとあっけなく死ぬ
騎兵回り込みとか、待ち伏せとか、援軍到着とか、いろいろ >>628
90年代の大河ドラマは
まさにチミのような眠たいテーマの作品が多かった気がするw >>619
弩は割と組織的な工房が要るし
小規模紛争なら武士が弓を使えば良いし
戦国初期は小競り合いが多い
戦国時代が進むと鉄砲が出てくるから
弩工房復活より鉄砲鍛冶へ >>648
いや、その3段撃ちは無かったというのが最近のもっぱらの説ですぜ
ついでにいうなら武田なら騎馬隊もなかった >>611
槍を投げるのは卑怯な行為とされていました >>645
という説があるけど起源はよくわかってないんじゃなかったか? >>10
険しい山道など山岳戦を得意にした身が軽い女の部隊が尻軽女の語源 騎乗弓射は現代の流鏑馬を見ればわかるが良くて射程10メートル。基本取っ組み合いの時代の特殊技術。
剣道ってのは切るんじゃなくてぶん殴るんだよ。フィリピンでも夜討ち朝駆けは切り込み隊だ。 >>651
まあそうだろうね
タマを侍大将の額のど真ん中に命中させたところで
首を取ってこれるわけじゃないから
自然、足軽しか使わなくなる >>648
単発銃は多人数で使う場合、一斉射撃より散発の方が有効。
斉射銃は廃れて連続射撃できる機関銃が広まった。 >>656
朝倉宗滴「だから投げるときにはキッチリ仕留めるように」 >>641
ほとんど騎兵だったようです
長距離奇襲に成功した珍しい例だと伝えられています 過去レスに日本に城壁はないとか書いてあるけど
城下町が敵国側に向けて設置され城壁の役割を兼ねていたんじゃなかったっけ
鬼畜だが >>648
銃剣は突撃用の兵器だから、連射のできない火縄銃に付ける意味はない >>646
射程が短いのは火縄銃も一緒
火縄銃の有効射程は50m程度
それなら弩も変わらんし、雨の日でも使えるだけマシ
当時は弓と火縄銃がどっちが強いか武将間で議論になったくらい
弩と火縄銃なら弩だとおもうんだがな >>667
数百?数千?最後合流したのはどのくらいだったっけ?
結構馬持ってたんだな >>664
誰がやったのかわからん問題w
手柄を競う武士としては致命的
矢に名前書いとくならまだしも弾に名前彫って
敵死体の頭や胴体の中から取り出して「ほらこれわしの弾!」ってやるわけにもいかんw >>667
ググったところ司馬遼太郎の創作とのこと 桶狭間ってのは実際は丘だったらしじゃん?
谷を馬で駆け降りて襲ったわけじゃないんだよね
まあ雨も降ってたけど実際は紛れ込んだが正解なんじゃねーか? >>632
平安鎌倉期の一騎討ちの伝統なんて後世の妄想かもよ 飛び道具が古代から一貫して兵器の主力だよ
チャンバラが本当に頻繁に行われていたと錯覚するのは軍記物・講談のせい
槍は矢傷で動けなくなった奴の首を刎ねるだけ >>669
騎兵突撃からの護身に使うので意味はある >>673
え? 嘘なの?笑
高校のころ日本史でもそんな風に習ったけどw >>669
初期の重剣は銃口に直接挿すタイプなんだけど?
装着した状態では射撃できない。
それでも十分意味があった。 >>672
当たった瞬間「ヤー!」って声を上げるんだよ
それで自分が打ったぜ、と周りにアピールする >>678
元寇の時も鎌倉武士実際はかなり戦えてたらしいから一騎討ち云々はどうなんだろうな、こんなもん時と場合だろうな
入り組んで戦ってたんだから >>682
司馬遼太郎は全部ウソ
坂の上の雲なんてヤバいくらい >>678
一騎打ちは士気を高める為に、いくさ前に実際にやっていた >>670
弩は威力がない
弓は威力があって、火縄銃よりも強いくらい
火縄銃が揃えられるんなら、弩はあまり意味がない >>670
んー
結局、弩は威力が弱すぎるんだと思う
弓は弦とセットで両手で引っ張ってるから威力が高い
弩は弦を張ってるだけのパワーしか使えない
弩で弓と同じ威力を出そうとすると大型化しすぎて重くて駄目とか
そんな感じじゃないか
ちょっとした防具つければ通らないと思う 鉄パイプは日本の武器としちゃかなり優秀なんだよ。金属バットとか。1000人の鉄パイプ持った集団と1000人の金属バット持った集団が広場に集まり周りの10000人の群衆が爆竹と打ち上げ花火を次々に着火して始まる凄惨な殴り合いが関ヶ原の合戦だよ。 >>682
その数の馬はなかなか揃わないんじゃないかなあ? >>681
自分の彼女じゃないなら好き^^
でも、おっぱいはもっと好きです >>619
日本の弓は騎馬運用が基本だから
それ以前は弩も有ったよ >>686
う、司馬遼太郎はあんまり読んでないっす…
私には高校の教科書、資料集レベルの知識しかありません
あと、気になるところをちょっとググるぐらいっす 信長は、そのような「数字による管理」を行った形跡が、まるでない。どんぶり勘定でやっていたとしか思えない。
とんでもない 信長は足軽をまとめて雇い 作戦におおじて 各武将に振り分けた
四国征伐で上陸前に本能寺の変がおき 2万の足軽はすべていなくなった
反対に言えば それだけ下の者から 愛されていた
>>683
初期の銃剣は、1570年頃の発明。17世紀頃戦場でしばしば使用。
1680年ころ、射撃時にも外す必要のない銃剣の発明。 >>676
今じゃ全く普通の住宅街w
新幹線飛ばしてまで観に逝った時
現地の公園に碑が無かったら
ソレだと解らんかったわw >>685
証人をたて名乗りを上げてから戦うのは間違いなくあったと思う
手柄として認められず、恩賞にも預かれないから >>682
全部は言いすぎだった
謝罪する
でも司馬遼太郎は
その当時評価されている人物を貶して、自分推しの人物を持ち上げる癖がある
乃木希典を徹底に貶して、秋山や児玉を必要以上に持ち上げる >>689
クロスボウは人間の腕力を越えた力で引く設定のものもあるけど?
専用の工具で引く。
勿論個人で携行・使用できるサイズ。 >>694
教科書のそういうのは今は殆ど違ってきてるかな、多分。
あの有名な猿から人間になっていく絵とかあんなの今じゃ相当馬鹿馬鹿しいからなぁw 主力の武器は距離による
遠距離→銃、弓
中距離→槍
近距離→刀
常識中の常識 >>689
弩は威力有るよ
でも火縄銃より重くて、発射間隔が長くて、壊れやすいから
野戦では使い物にならない >>701
うん
それも知ってはいるけどさ・・
一発撃ったら二発目用意する前にやられちゃうじゃんw ゴーストオブツシマじゃ馬上も船上もサムライが無双してるぞ >>691
確かに…
当時の合戦って実際どんな規模だったでしょうね?
有名な武田の騎馬隊とか… 秀吉がポロッと家康に大阪城って弱点無いっすよね?って聞いたら、あんなもん堀を埋め立てれば余裕よって言ってしまって
本当に家康に埋められて結果的に豊臣家滅亡した件。利休殺しや秀次殺しや朝鮮出兵等晩年は自ら破滅に向って行ったけどな。 >>662
日本の弓は接近戦用
故に射程は軽視されるんだよね
大鎧を抜く為の威力貫通力に特化した >>700
そうなんだけど、司馬史観全開で制作された映画二百三高地で丹波哲郎が演じる児玉源太郎は
かっこええな >>703
朝鮮出兵の時の記録に日本の武士の刀術の強さばかり言及されてるからね
敵と対峙するような場面の主力は当然刀
槍にも勝つほど >>708
騎馬隊は多分ないということらいけど、仮にあったとしても長篠の戦いでは間違いなくそれはなかった。まず平地じゃない >>704
威力のある弩は、車載だったりする
個人携帯のは小弓程度の威力なので鉄砲の方が強い
基本、銃身が重くて威力をあげると携帯できなくなる >>708
下馬して戦うから基本騎馬戦は無い
馬は荷役として重要だった >>714
騎馬隊が無いわけないだろw
逆張りの馬鹿理論信じてんじゃねーよw >>719
まああったでいいけど長篠の戦いではその存在は考えられない 当たり前だろ日本の剣士は全集中の呼吸で
水や炎や雷やら風やら操るんだぜ?
勝てるわけねえよ 弓矢の方がメインじゃないの?
5メートルの棒を持って構えてもまともに動けないじゃん >>678
装備見れば一目瞭然
当時どういう戦い方してたか良く分かるよ 戦国時代になると有力戦国大名はスペインやオランダとも
貿易をするようになって鉄砲はもちろんのことカノン砲も
購入して戦に使うようになったんだよ
NHKのテレビ番組で見たよ 「司馬は嘘つきだ吉川は嘘つきだ」
こういう人は本を読むセンスが無いと思う 信長がどうしたとか、信玄は謙信はとか、そんな昔の戦国大名を英雄視してあーだコーダ言うのはここではナンセンスだと思う。
全線の将兵は、しょせん仕事として、生活の為、保身や立身出世の為にと個々に戦っていたはず 結局日本の歴史って西洋史の影響を受けて相当脚色されてるんだよ。戦国の合戦の事実はほぼイメージとしてはアフリカの首狩族の激突だね。 日本は森林や山が多いので突っ込んで乱戦が主な戦い方 >>730
TVとか映画だと馬走り回ってるからなぁw 信長の三段撃ちは実は
第二次大戦時からタイムスリップしてきた米軍からM1ガーランドライフルを供与されてたので連発で撃てたってのは内緒だからな(´・ω・`) >>713
言及されたのは鉄砲もだね
実際に鉄砲と刀は明軍に真似された なんか合戦て、現代のデモ隊と機動隊の衝突の死亡率+馬の死亡+流れ弾(これがでかそう)だったら笑うわ。 >>733
うん、降りる。まずそんな平地で戦ってない >>714
ええ…何かいい加減なことを習ってきたかもしれないな…笑 >>719
移動するのが早いってだけで
戦術的な意味はあるとは思う
有利な場所に先に入って陣地作れれば
それだけで十分
>>730
信長の付け城戦略はかなりエゲつないだろ
戦争を経済でやる
かなり近代的な戦略だよ >>713
それはルイスフロイスに朝鮮兵が皮製の防具や比較的軽装だったと言われてるね
つまり朝鮮兵は甲冑着た侍相手にするような戦いじゃなく
刀で雑兵を撫で切りするかのような糞雑魚だった
逆に明軍は鉄防具だったから盛り返された >>669
銃剣は前装式小銃で射撃間隔が長いから自己防衛の為に出来たはず 突いた方が殺傷力があるから当然。
刀じゃ一太刀で仕留められないしヘトヘトになる。 >>728
問題は史実と思って拡散しちゃう人の存在 しかしまあスレで面白いのは
(武田)騎馬軍団はあったかなかったかでここまで甲論乙駁
様々なスレで散々言われていることで
これさ、当時の侍がいたら、訊けば一発なんだけどねwww
まあいまから400年前のことでもこの通りなんだから
いまから400年後は、我々の一人でもその時代に顔を出せば
一言で完全解決されるような「2020年に○○はあったか」みたいなネタ
2420年の未来人は頭をひねって論争しているんだろうねえwww
あ、そうそうもし戦国時代の侍が騎馬軍団がいたかいないか
証言してくれたとして、気に入らない答えだったからといって
「嘘だー」みたいなことをいわないことwww
公然メンツつぶすと怖いぜ昔の日本人w
しかも命がけだからね、プライドを守ることについてはwww >>729
現代に例えたら893の抗争がそれに近いのかなぁ? >>43
戦国期の火縄銃なんて殆ど残ってない。
昔は鉄が非常に貴重だったので摩耗した銃はスクラップてして再利用したので捨て置かれるってのはあまりない。
民家に残っているのは殆どは幕末に害獣駆除に使われていたもの。 >>688
弾丸は盾を貫通するけど
矢は箆(棒の部分)が盾に引っ掛かるから貫通しない とにかく関ヶ原の合戦にしろ、大坂夏の陣にしろ、戦後に首が数万と街道沿いに並ぶと覚えておくのが良い。そんな戦争どこにもないから。 >>702
え、あれも嘘なの?
ネアンデルタール→アウストラロピテクス→…みたいなやつ >>743
馬の大きさがそもそも違うからなあ、今と昔じゃ 馬にのってばっさばっさやれたほうが格好いいからな
現実にはモンゴル兵だってほとんど馬から降りて戦った >>752
猿は猿で人は人なんだよなぁ
ネアンデルタール人はネアンデルタール人でクロマニヨン人はクロマニヨン人
まあ混血はあったらしいけどね >>737
倭刀は清では皇帝と近衛兵の常帯刀とされた >>712
ありゃ名作すぎる
丹波が仲代を叱責するシーンはヤバいわ
でも史実では第2回総攻撃では坑道爆破するとか柔軟な戦術を採用するだけじゃなく、奉天では3倍の敵を相手に押し返す猛将よ >>742
明軍が言ってるんやで>刀の強さ
その他の槍や弓は我ら(明軍)と互角と言っている バンパイヤとか鬼とか本当に居たわけよ
端的に人食いは部族は割りと居たわけね >>700
まあ小説ですからね…
でも、過去の軍記物とか自伝とか、その他の記録類もきっとフィクション入ってて、もう史実は浪漫の彼方に違いねえっす… >>761
コロポックルなんてのはちょっと前に実際発掘されてるしなぁ
あれなんていう島だったっけかなぁ
ほんの数万年前の人類 >>728
そう言うけど、司馬史観が日本人に与えた影響は絶大だからな >>746
どの資料を軸にするかで違いが出るだけで大半の事は誰も真実はわからない
一昔前は山本勘助も創作呼ばわりされてたし斉藤道三は前々から親子鷹だと指摘されてたり
学者といえども資料を読み解くセンスが無いとただ資料にこう書いてあるからこうですと答えるだけの愚物よ 侍が丁髷結ってるのは首が持ちやすいからだぞ。
そんな理由聞いたことあるか? >>766
元々は兜被る時に邪魔になるからじゃないのか? >>766
首取られてその後の持ちやすさも考えてたのかよw >>755
うーん、そうだったのか…
じゃあ、今の人間は何処から? 宇宙から降ってきたとか? >>771
そうなんだけど、その小説家が日本人の歴史観に大きな影響を与えたということ
これは間違いない 合戦で空を飛ぶ鉄の箱とか地を駆ける鉄の箱 が活躍したとか言う伝説もあるよな >>765
いや司馬遼太郎は小説家だから
むしろ史料と逆のことでもそうする必要があれば書く だから森長可は馬上で射殺されてるだろ
騎馬戦も合ったし火縄銃は威力合ったんだよ >>773
人類って今でこそ一種類だけど、何種類もの人類が存在してた >>778
大半が足軽ということで理解してもらえれば >>764
小説を読む上でその作家の世界観はとても重視してるけど
これは必ずしも全否定されるようなものでもないからな
例えば吉川の徳川家康なんてなんともロマンティックな物語だと思うが
じゃあウソかと言われるとそうとも言い切れんw見方の問題だな 丁髷は腰に結べるんだよ。
それ以外に手柄の証明がないからな。
槍とか弓とか鉄砲とかアホかって。首切ってなんぼだったんだよ。 遠距離の方が強いに決まっている
ゲームじゃねーんだよw >>773
俺らホモ・サピエンスがほかのホモ・ナンチャラと違うのは
上顎が凹んでて
舌の形を変える事で複雑な発音が可能になって
そっから言語を生み出したから!
なんだってさ >>754
それは違うぞ
モンゴル軽騎馬弓兵は基本馬での斥候と伝令潰し
で、敵防衛拠点に馬上弓でヒット&アウェイしながら時間稼ぎして防衛強化阻止
そのすぐ後にモンゴル重装兵が到着の流れや
ここらへんの記述はヨーロッパ側の話にモンゴル騎馬兵を一人倒したら数日後に大軍で報復にきたって話があるが
大軍が数日で急に来るわけないから最初からその拠点が狙われてただけだった >>764
俺は司馬はだいたい読んだが、創作として、燃えよ剣とか面白いなぁと思いながらも、史実とかけ離れていて胡散臭せえなとおもったよ。
はなっから関西人が嫌いなんで合わなかったかもしれないが所詮小説の世界だから 648つづき
1595年のオランダ歩兵大隊は、将校22名?
第2次大戦中の日本軍歩兵大隊。
@ 大隊本部 将校8名(大隊長、大隊副官、兵器将校、主計将校、軍医3名。獣医1名。)
➁ 歩兵中隊 将校4名(中隊長、小隊長3名。)
B 大隊砲小隊 将校1名。(小隊長1名)
C 重機関銃中隊 将校4名。(中隊長、小隊長3名。)
↓
合計 総兵力 1100名中 将校 17名(内 軍医3名。獣医1名。)
↓
オランダの1595年 歩兵大隊 総兵力522名中、将校22名??? 槍は刺すのでなく叩きつけるものだからな。
だから織田軍の長い槍は有効だったんだわな。
でもそれなら槍よりもさすまたの方が良くね?思うんだけど
相手の槍を絡め取りそのまま叩きつける!
将なら身動き取れなくできるし、実戦で使われなかったのだろうか? >>786
坂本龍馬なんて教科書から消えたらしいじゃん? 司馬史観で一番いかんのは秀吉贔屓がひどすぎて
家康と江戸時代の評価が低すぎることだな 火縄銃は威力有るよ
戦国末期には鉄砲足軽は経験則で鎧を着ていた方が鉄砲による被害が増すのを理解して鎧を脱いでいたくらいだし >>648
そもそも、長篠の火縄銃3段打ちは江戸時代初めの物書きの小瀬甫庵の創作なんだが
実際に長篠で活躍した大久保忠世の弟の大久保彦左衛門忠教が書いた三河物語に「偽りおおし」って書かれてるようなものが
なぜか史実のように語られてる >>790
だって
竜馬なんて
薩摩が殺した赤松小三郎のパクリだもん・・ >>777
司馬の梟の城は面白いぞ
あれで史実な部分はほんの1行にすぎんが
その1行からあれだけそうだいな物語が書ける司馬は天才だw >>628
むしろ、いちいち貶さなきゃならん理由が不明だな。
君みたいな偽善者の虫けらサヨクは、殺人事件をメインとするドラマなんて観たくもないんだろ(w? そういうコトなんだよ。
生きてて楽しいのかな。 >>796
実際は「さんざっぱらうった」が正解らしいね
3段撃ちなんてかっこよかったけどなぁ。実際は違ったんだよなぁ >>775
司馬史観てあくまで司馬さんの目を通してみた歴史の捉え方だから
気に食わなければアンチテーゼを示せばいいだけであって
嘘つきだのなんだのは全く筋違いだと思うが
小説の駒に使われた実在した人物の関係者がそれは違うって憤慨するのはまあ分からんでもない
司馬さんの書く過去が明治辺りだと小説だから許される範囲かどうかはまあ微妙だわな 死体を敵城内に放り投げて伝染病を蔓延させる恐ろしいこともやってたらしい 織田が捏ね羽柴が練りし天下餅
座して喰らうのは徳の川
徳川の弱さを揶揄した言葉ね
徳川は気が弱くハッキリと物を言えない性格だったと家臣が残した文献に残ってる
物に八つ当たりしてみたりとか
小者がゆえに臆病でコソコソしていて最後は棚ぼたで天下餅
陰湿さも気の弱さ故の特徴 ああーん
おまいらも良く覚えておくんだぞ
赤松小三郎こそ
現代日本に続く民主政治の根本なんだぞ
教科書で太字に書かれるべきなのは
赤松小三郎だ 吉川英二は戦争中海軍の工作機関に関わっていたからプロパガンダ的な側面も考慮は必要だろうな
結構情緒不安定だったみたいだ
キチガイという言葉が多く出てくるけど、どうやらキチガイに自分を投影していたような形跡があるな 武田の騎馬隊VS3段撃ちという胸踊る対決を想像したもんだけど全く違うということなんだやよなぁ
それはそれで面白んだけどさ >>739
太刀に反りがあるのは馬上で片手打ちしやすいようにだぞ
その後馬上戦闘が無くなる江戸時代以降刀の反りも弱くなる >>760
刀で戦果を得れてたのは朝鮮兵相手や
明軍来た頃には日本軍は籠城戦に移行して鉄砲攻撃になってるんや 無能ジャップはクソを投げて相手を戦意喪失させて殺したらしいなwww
朝鮮人には内緒だが >>785
モンゴルの騎兵弱いからな
勢いづいた足軽が逃げる騎兵を追いかけると
隠れていた伏兵に取り囲まれて包囲殲滅というパターン
罠だと分かっていても、手柄欲しさの足軽達が止まらない >>628
原爆はアメリカじゃ美化されまくりだろ
米兵100万の命を救った神の兵器扱いだ >>796
3段かどうかは別として、「分業」はあったかもなとは思うけどな。
16世紀のオランダの「反転行進射撃」は、そういう意味では、10段なわけで、
伊達の騎馬鉄砲隊とかは、馬上で再装填とかしてたのかな?という印象。 >>807
死ぬか去るかタダで二年間槍働きしろ
などという頭のおかしい理屈で家臣(利家)を
試し続けた男だから、銭勘定など下郎
のやるようなことはせんのだよ >>306
宮本武蔵は関ヶ原の戦いに参加してたんだよな
全く目立たないし、合戦では個人の剣技などあまり役に立たない所以 >>749 くんのネタにのっかってみると
ついでにいえば槍もほとんど残っていない。
さらにいえば刀剣はね、国宝とかあるけど
槍は確かなかったと思うよw 蜻蛉切でも日本号でもwww
まあそこらへん実践的な武器である槍と
美術品としての形式的な武器である刀の違いなんだろうね。
いわんや火縄銃なんてね、武士の武器じゃないわけでねwww
そういやこれは西洋なんかでも後代ね、
機関銃なんてのは貴族上がりの士官様とかから
これ、大変嫌悪感をもって見られたというからw
そういうのは洋の東西を問わんのかしらんねwww >>797
フィクションだから龍馬をワザと竜馬にしたんだよな >>818
ブラック起業家として時代の寵児になったわけかw 5〜6メートルの槍って
そんな持ち運びにくいものを持って
山越えの移動なんてしてたら
大変な労力だったろうに ほんの75年ほど前の日本はB29相手に竹槍で闘おうとしていたからな。
しかも日本人の誰もが、竹槍で闘うなんてアホちゃうか?とか言わないし。 >>822
長篠の戦いで3段撃ちは無かったのは間違いないんだろうけど鉄砲は大活躍した。 >>815
なんかよく分からんが日本の元寇にきたのは中国と朝鮮兵や
モンゴル騎馬兵なんか来とらん 火縄銃は当たらないと。たまに当たる話もあるが、基本当たらない。そもそもてつはうはそういう兵器なんだわ。 >>827
今の自粛警察に繋がる
超同調圧力社会ニポン >>830
てつはうってあれちゃうの?モンゴルの手榴弾みたいなやつ。違ってたらごめんw >>827
墜落するB29の残存兵を捕らえるのに竹槍は有効 中国は馬肉を食わないのに、なぜ日本人は馬肉を食うのかが不思議。
日本人はモンゴル系なのか?
日本人なら蒙古斑もはっきり出るし。 弩は西洋でも残虐って規制されそうになったからな。
キリスト教徒同士はやるなみたいに。
でも速射性のあるロングボウに負けたし戦場じゃ色んな要素絡む。
当時のマスケット銃じゃ故障や装填が遅くて騎兵に突っ込まれやすかった 竹槍が最強だな
竹藪があればいくらでも作れるし
投げてよし、守ってよし >>830
矢はもっと当たらない
弓なりに撃つから >>820
関ヶ原の時の武蔵はまだ若造でたいして強くないし西軍にいたらしいからな
下手に目立ったらそこで討ち死にだろう >>828
司馬が海音寺にある質問をした事がある
「なぜ信長はこの時期家康を助けに行かなかったんですかね?」と
すると海音寺は「梅雨だったからでしょ」と答えた
つまり信長は長篠において大量に鉄砲を投入しようとしてたと解釈してるね アホウちゃうのか殴り合いはバカだから名古屋しかやってない
あとは政治だよ >>828
最近はないかと思ったけどやっぱりおったっ
て説が有力。
同時代に国内外で火縄の交代射撃はけっ
こう行われてた。 >>835
試作品だけ作って中止にしたイギリス人は賢いな >>770
世界各国で兜被りまくってるが
あんな変なことしてるのは極1部だろ みんな大好き、劇場版クレヨンしんちゃん戦国編
、
離れた場所から鉄砲を撃っても、殺傷力ゼロだと描写しとた 大筒も今の手提げ花火と基本一緒で、何かを壊すものではなかった。火薬を使った兵器が日本にはなかったんだ。 騎馬隊の役目って機動力を生かした、偵察、伝令、側面攻撃
騎馬隊の構成員はいわばエリート集団であって主力ではない >>774
俺もそう思う
西洋の騎士の兜だって蒸れるはずだけど
あんなことしない
他の湿度の高い国でもあんなことしない 欧州の中世も槍主力だったんかね
剣と盾持ってるイメージだが >>831
ところがどっこい積んで来たんだわ。
日中両方に記録がある。
絵巻にも書かれている。 >>853
最後は入り乱れるけど最初は槍からなんじゃないか? 愛知カスには車でも食わせとけってトヨタができた
それでもクソ >>844
>同時代に国内外で火縄の交代射撃はけっこう行われてた。
それ説じゃなくて他でこうだったから長篠でもあったはずだっていう願望だよ
あったというなら長篠合戦ではこんな戦術をやってたって信頼できる史料がないと話にならない
残念ながら3段打ちをやったという信頼できる史料はない >>829
弘安の役の話じゃないよ
ユーラシアでの話し >>854
そりゃ積んでてもおかしくはないよな、多少は >>841
なのに刃牙道では
関ヶ原並かのとかほざいてた
実際は戦場でビビり倒してたくせに >>850
ドイツがベルリン市民ひとりひとりにパンツァーファウストを配ってる時に、
日本は竹槍配ってるんだぜ
いくらなんでも竹槍じゃ戦えねえよ >>827
ベトナム戦争でベトコンが米軍に勝利したように
ゲリラ戦での竹槍トラップは恐ろしい威力 >>846
月代は庶民が先行しているように思う
おそらく仏教の影響もあるのかも 歴史ってさおまえらの祖先はただサルでしかなかったって事実を追及するだけのかんたんあ学文で飽きるわw >>867
猿と人類は相当早い段階で枝分かれしてるから先祖がサルというのはどうなんかね? >>837
全国的に馬肉を食うようになったのは明治時代からだよ。
精がつくから、吉原などの色町の近くに桜鍋の名店が出来た。 >>864
市民にハルバートやで
ハルバートも竹槍も用途は一緒
撃墜して生きてるパイロットを
市民が捕獲するため そうそう日本は盾もないんだよ。
槍で刺し合うとかないんだよな。基本は両手で刀持って全力で振り下ろす動作の繰り返しだ。
致命傷を与える槍は西洋みたいに投げるか防衛用に集団で密集するか馬上で突撃するしかない。あとは金属製で西洋剣のフェンシングみたいにしかない。木の棒でどんなに長くして先端に金属付けても致命傷は絶対無理。 >>868
現存の特定の種と言うわけではなくて、人類の祖先を「サル」という一般名詞で呼ぶかどうかって問題では?
見た目的にヒトよりはサルよりな世代は存在したと思う 戦国期の鎧とか見るとリアルだなぁって思うね
無駄が無いというかそれでいてフルプレートかってくらい守られてる 武田信玄あと、10年長生きしていたら天下はどうなっていたんだろうな。流石に
包囲網敷かれても織田家が一気に滅ぶとまでは行かなそうだけど、将軍家の元
いくつかの大名が牽制し合うみたいな体制になっていたのかね。 物干し竿持ってデモ隊の先頭にいて、どんなに暴れても逮捕されるだけだ。 >>874
先祖が猿という言い方はおかしかない?猿が進化して人類になったわけではないからなぁ >>864
行き渡らない分には「無いよりマシ」だったんだろうな。
ただし刺突武器として竹槍は優秀だがな。
それで飛行機とか機関銃に立ち向かわせるのがおかしいだけで。
ただしダンケルクで壊滅しかかってたイギリス軍も船や武器足りずに
民間の漁船使ったり鉄パイプ持ってた兵士もいたらしいし、
ソ連なんか二人に一丁の銃で素手かスコップで突撃で
引いたら後ろから政治将校に射殺されるって状況だし中国も人海戦術で突っ込まされたり。
世界的にはソ連軍と日本軍が最悪の軍隊だな もっとも機能美を感じさせる鎧はロリカ セグメンタータだな そもそも人類って猿に追われて草原に進出して行ったんだよなぁ、面白い話やで >>869
フランス人は日常馬肉食うから
そっちの方の習慣が来たんでは? >>878
でも
人類の先祖はサルの先祖と一緒なんですとか言われてもな〜 いやそりゃ全員が鉄砲持ってどうすんだよ
兵科は何のためにあるんだ
2割鉄砲隊って相当な数だよ 戦術的に意識してやられたかはともかく
普通に一人が玉込めその他で他は射撃とか普通にやるだろ。
雑賀兵がやってたはずだし、信長も信賢か誰かとの戦いの城攻めで
文脈の読み方にもよるが、周りに装てんさせて銃を替えつつ
射撃したみたいな記述もあったはず >>878
「猿」の定義とは?って話よ。
「霊長目(サル目)に属する、ホモ・サピエンス以外の種」
とするならば人類の祖先は「猿」に含まれる。 >>876
もし誰々が、とかは歴史ではないので意味がない >>884
おいおいおい
武者カブトこそ究極の機能美だぞ
側面のボワボワで矢を弾いたり
一見無駄に見える仰々しい装飾で存在感アピールしたりってなw まあ鉄砲、弓矢、刀
かなり訓練が必要だけど槍なら農民でもちょっと練習したら使えそうだもんな まあ何発か当たれば全員腰を抜かして逃げるわな。それを追いかけっこで捕まえてブン殴る。泣かしのの戦ってだ。 史実にある信長の鉄甲船を4隻作ったら、日本中の鉄の2割を消費してることになるから
あれは嘘だとNHKで解説しとたわ >>885
人類ってどういうわけか「いきなり二足歩行」になったわけで、これだとどうしても猿に森では敵わんというこどて追われて草原に進出して行った
共通の祖先というならそうなるかも知れんが猿が先祖という言い方はおかしいような気がするけどなぁ >>886
大坂の陣の頃は2割よりもっと多かったはず 当時の鉄砲は性能低いから最強兵器にはなれないんだよ。
兵器が発達した幕末頃には銃器の差が勝敗分けてくるけど。
ライフル=刻みだから、ライフルじゃないんだよ。
まん丸な玉がつるつるの銃身の内部から火薬の勢いで飛び出すだけだから、
威力も乏しく風ですぐ曲がる。あんまり遠くまで飛ばない 槍は槍衾仕様だからくっそ長い
あと被害の7割は弓矢で2割が槍
あと殺傷力は高くないが投石も相当な脅威
刀はほとんど首級をとる時だけっぽいな >>864
パイプを斜めに切ったものを大量に用意していた英国 >>619
平安初期までは弩を使っていたんだがそれで蝦夷にボロ負けしたから
蝦夷の戦術は騎兵による斬撃や騎射によるヒットアンドアウェイ
連射性のない弩ではこれに太刀打ち出来なかった
その後戦いが終わり日本全国に蝦夷が傭兵みたいに散らばりそれが後の武士となる 攻城兵器がなぜ日本にはないのかって、難しい話じゃないと思うけどね。
日本は水が豊富なので結構な深度の水の堀を用意してたからだよ。
戦国時代から安土桃山時代にかけての城の設計では必ず外堀内堀は作るからね、
その際に用いられる日本の治水技術は当時は世界最先端と言っていいレベルです。
なぜ堀を作るのか?
それは敵の進入経路を確実に限定して守りやすくする為です。
そして、攻城兵器もまた掘に対しては有効な兵器とはならず
戦国時代には既に活躍の場がなかったであろう事は容易に想像できる。 >>876
謀反起こされて終わる
武田家の統治方法じゃ全国は取れない >>872
竹束や�bフ存在が無かったことに…
刀なんて使わずに竹束や�bノ隠れての飛び道具がメインだと分かる証左 >>876
全然駄目だと思うよ
せいぜいが
家康抜いたところでストップして信長にやられたと思う
信玄で考えるべきは
どの段階まで信長放置が許されるか?であって
その限界は義昭追放まで
それまでなら謙信と手打ちさえ出来れば信長を討てた 城が無かったからだろ。基本木造で戦いになれば建築は燃えたから、道具とかない。木の城とか世界中ない。 >>893
馬上の者は兜にまえだてを着けるように北条氏では指示してるね >>45
モンティパイソンでは城内に入ったトロイの木馬を投げ返していたな(´・ω・`) >>901
いや、中級以下の武士に関しては蝦夷とは限らないだろ。そもそも
出自を特定できるほどの資料ないだろうし >>907
投石は明治維新の頃でもメイン戦術の1つだったからね
もちろん現代でも効果的 >>895
俺の勝手な推測だと
他の猿と違って凹んだ上顎で言語発達
→言語による知識の累積が可能になって道具開発
→爪とか牙とかより道具使った方が強い
→道具使うには二足歩行だよねっ
って理解 いつも思うけど出自不明の知識を嬉々として語るのが5chの習わしやな 一番の武器は石だ。
そこらに落ちてる石を投げてたんだよ。
結構な威力になるし、減価ゼロだし、訓練してない農民でも出来る。
戦のほとんどは投石戦から始まって、長柄隊が衝突する感じ。でも、ほとんどは投石のみで決着がついていた。
農民殺したら稲作る人いなくなるなら、敵味方ともその当たりは考慮してた。 >>908
どうなんだろうな、天正元年の戦って武田信玄が急死したことで信長が
本願寺や浅井朝倉戦にさく余力ができたって感じだし。将軍権力の動員力
ってバカにならないので、普通に時間さえ取れれば信長と対抗しえた気がするんだよね >>910
伊達成実「前立てはムカデ一択!スペアもあるよ!」 >>59
足軽時代の秀吉が「豊臣」とサインした石が我が家の家宝(´・ω・`) >>913
>現代でも効果的
武装していない相手にしか意味ない気がするけど 日本で最初に火縄銃を取りそろえたのは石山本願寺
信長は散々やられ続けた >>917
無理だな
周辺諸国からの信用が無さすぎる >>906
山城はそもそも小規模だし、攻城兵器とか別に要らないからねw
攻城戦での堀の重要性を理解する為に重要な城と言ったら大阪城とかでしょ?
大阪城は屈強堅固な籠城戦を耐えぬけるよう設計された秀吉の自信作でしたが
堀を埋めろという要求を呑んだから簡単に陥落したんです。
日本史でもかなり間抜けな例ですけどね。 >>27
家康が直接指揮して大敗したことで有名な三方ヶ原の戦いは
緒戦で武田軍が投石して徳川織田連合軍を攻撃したのは戦国好きなら知っていると思うのだけれど・・・? >>920
道具無しで二足歩行だと
食料どうした?って話にならね?
狩猟は弱いし
果実の採取しか出来ないと思うよ
で、採取なら簡単に木登り出来る四足の方が有利 >>922
現代装備は防弾防刃だけど、ハンマーやレンガ、ブロックのような質量兵器には弱い 信長の長柄隊は以上に槍が長く初撃のみ突きであとは重量に任せて上に振り上げて叩くですけどね 銃は他の兵器に比べて鍛錬を殆ど必要としないからな
戦が長引けば長引くほど
兵の補充が容易な銃兵が重宝されるわな >>477
機械以外に、そもそも取ったり付けたりする必要が無いから。
唯一、刀の目釘は手入れで外すけど、ネジにする必要が無い。
幕末に和時計職人がネジ多用するまで、必要無いテクノロジーだった。
因みに、その和時計職人は、明治時代にTOSHIBAという会社を創業した人。 >>719
敵の側面とかから騎馬隊の馬上槍突撃を敢行すれば、なすすべもなく崩れるよね
死ぬ気で正面から馬上槍で特攻かければ、対峙する兵は恐怖すると思う
なんせ防衛に当たった兵も吹き飛ばされタダじゃすまないから
本能で体が避けるはず >>912
いや武士が蝦夷そのものではなく蝦夷の戦術を取り入れて生まれたのが武士
蝦夷がなぜあれほど優秀な騎兵だったのかは謎
一説には蝦夷の正体は大陸から渡ってきた匈奴などの遊牧民なのではというのもある >>925
大坂城なんて石山本願寺に天守閣建てただけだぞ
だから信長死後わずか一年で完成した >>931
戦車とか戦闘ヘリには無効でしょって話
というか相手が歩兵でも普通に撃ち返されたら勝てないし
効果的とは言い難い >>306
武蔵は島原の乱に小倉藩の一員で従軍して
投石を脚に受けて前線から引いてる
死んだのはそのずっと後で
肥後藩の細川家に召し抱えられた待遇で60過ぎ >>930
まあ負けの歴史なんじやねーか?人類って
不利をなんとかしてきた歴史のような気がする
二足歩行になった理由なんてないような気がする >>937
まあ、ソリの入った刀の形とかそっくりだしね >>927
徳川は驚いたらしいが、特に死傷者は出なかったらしいので、武器として採用する軍は出なかった >>938
だから変なレスしてこないでまずはGoogleでググりなよ。
大阪城の堅さは当時日本一と言っていいレベルだろ?
徳川家康も力攻めで大損害を蒙っている。そのままで残されてないのが残念な事だけどね。 >>937 天皇の血が入ってるのが武士、入ってないなら豪族
天皇に敵対したら蝦夷
という名前規則があるんや >>944
大阪城とか安土城とか江戸城とかの城の意味ってのはまた違ってきたりしてるからなぁ 鉄砲は前込めだから油断して銃身を傾けすぎると
ポロッっと弾が転がり落ちてしまってたとか。
前から弾と火薬をいれて索杖で奥に押し込んで
火皿に火薬入れてやっと射撃だけど、当時の鉄砲だから
不発が多発するわ故障しやすいわ、一回撃ったら煤とかが溜まるから
棒突っ込んでゴシゴシ掃除しないといけない。
一回射撃するのに熟練兵でも時間取られるから
ヨーロッパじゃ集団戦術で個々で当てるより弾幕張る風なのが多かったとか >>936
しかしなんで日本には盾の文化なかったのかね? >>949
隼人にはあったらしいがね
ようは意味ないからでしょ >>894
サンクス
桶狭間の奇襲も正面攻撃で嘘
武田騎馬隊も降りて戦って嘘
長篠の鉄砲三段撃ちも槍が主体で嘘
比叡山焼き討ちは死体や焼け跡が出ないので嘘
秀吉の小田原攻めも北条の城の抵抗に遭い危機的で楽勝なのは嘘
島津の戦は誇張ばかりで嘘
真田日本一の兵も誇張で嘘
賤ケ岳の戦いで柴田勝頼の敗北原因は佐久間盛政の突出ではなく前田利家の裏切り
鉄甲船は4隻創ったら日本中の鉄の2割を消費してることになるから嘘
〇〇や〇〇は江戸時代に創られたもので嘘
全ては嘘だった >>948
結構キツイので落ちることはまずなかったらしいけど >>948
鉛弾を紙に包んで装填するから
傾けても落ちないと思う >>876
一番の頼みの朝倉が家臣が寝返ったり言うこと聞かなかったりの末期状態だったので無理
結局朝倉浅井は史実通りに信長に滅ぼされ長島は壊滅
武田はもちろん長篠で信長にフルボッコにされる
ぶっちゃけ軍事的才能でいえば信玄より勝頼の方が上だしね
信玄が勝てなかった北条をボコボコにしているし
その勝頼をフルボッコにした信長に朝倉抜きで勝てるわけがない >>949
平野で戦う文化が無かったからじゃね
山岳戦なら木が盾代わりよ 槍で刺されるっていうか叩かれるっていうかね
上からバシーンバシーンってね
これが痛いのなんのってw
叩かれ過ぎて頭へこんどる奴もぎょうさんおったわw >>933
火縄銃に鍛錬は必要ないがクソ度胸が必要な武器だ
数メートル先まで近づかないと命中しないし、一度でも外すと銃剣が無いので相手に反撃出来ないまま殺される >>941
水生類人猿説
ヒトがチンパンジー等の類人猿と共通の祖先から進化する過程で、水生生活に
一時期適応することによって直立歩行、薄い体毛、厚い皮下脂肪、意識的に呼吸
をコントロールする能力といった他の霊長類には見られない特徴を獲得したとする仮説
・直立二足歩行は、海水に浸かった時に顔だけを出すのに有効
・体毛が薄く皮下脂肪が多いのは、水中で温度を保つのに都合がよい
・生後間もない乳児は水を怖がらず、水中で反射的に息を止める能力を持っている
・人の頭髪が長いのは、体が水に浸かっている時に露出している頭部を太陽光から守る為 >>949
重装歩兵がファランクスくんでぶつかり合うような平原がないしそんな人口も多くなかった >>951
桶迫間は正面攻撃ではない
長篠の戦いは3段撃ちは無かったが鉄砲が勝因 >>960
秀吉の時代で人口2000万
同時代のスペインが800万、ポルトガル100万、英国600万らしいぞ >>958
現代の実験では有効射程100mと言われてますよ。
しかも鎧を両面貫通します。 作りやすさ 槍○ 刀×
扱いやすさ 槍○ 刀×
耐久性 槍○ 刀×
集団戦法 槍○ 刀×
リーチ 槍○ 刀×
いうほど槍一択か? >>961
じゃあ正面攻撃から通常攻撃に変えます
長篠の戦いの勝因は、槍による執拗な追撃です 通常の足軽が使うような槍は金属の使用量が刀や薙刀よりも少ないので製造コストが低い >>965
10メートルでも当たればダメージが有るけど、まず当たらん >>964
その時代は西欧も盾は廃れてるよ西欧最強だったテルシオも槍持ってるだけで盾無し >>968
多分、桶狭間は「紛れ込んだ」が正解じゃねーか?
長篠の戦いは鉄砲使って「さんざっばらうった」といえ思慮あるからなぁ 主力ということでいいんでない? 変に古代ローマの戦術を絶対視してる人が居るけど、
騎馬民族の馬上弓兵にぼっこぼこにされて、200年だか支配された歴史があるのだが…
フルプレートなんてできたのは近代なんだし、盾装備が原始的すぎて鈍重だったんだろう >>974
単純に殆どの時代でヨーロッパ諸国より日本の方が人口が多いんじゃないか?
米と麦じゃ米の方が圧倒的に人口を支えられるし >>961
長篠は開戦前に徳川軍が背後を取って倍以上の兵で
武田軍を挟撃する形になったのが勝因では? >>976
織田が降伏に来たので、宴会張って待ってたのに矢の雨アラレ
今川本陣全滅、織田側被害粗ゼロ >>981
背後とったのはそっち逃げれないよぉという今まで通りの通説でいいんでない? >>955
どうなんだろうね、永禄11年の上洛戦で信長と同じくらい義昭は動員かけているし
ある程度時間さえ稼げれば将軍側の動員力がバカにならないと思うんだよ。その
場合割と武田・義昭と信長は信長不利な条件で講和したんじゃないかな。そうすると、本願寺攻略が
結構厳しい感じもする >>974
その辺の最大の違いは動員兵じゃねーかな
職業軍人なら剣に盾を持って戦えるが
その辺の農民連れてきた動員兵だと
高度な訓練が必要な武具は意味が無い
テルシオも
狙って討てばいいだけの銃と
動員兵だから出来る野戦築城の組み合わせでしかない
言われてみれば
長篠も似てるな
銃と野戦築城の組み合わせ >>977
最新鋭の拳銃でも100メートル先の的に当てるのは難しいのに、
ライフリングの無いツルツルの火縄銃で100メートル先の的に当てるのはほぼ不可能だ >>980
重装歩兵の時代なんてローマ時代で紀元前だよ
日本なんてまだ弥生時代 >>965
その程度の飛距離だったから弓と比べても
圧倒的に強力じゃなかったんだよな。
一回の射撃の面倒さもあって。
ただし弓だと人によるが、鉄砲は差がでにくい。 昔から群馬最強だったんだよんなもん
しかしベトコンがうざいので信長家康と言えども嫌った >>987
背後をとる、野戦築城してある、からの鉄砲乱れ打ち
これだね 5-6mもある槍なんて使いこなせるか?
棒高跳びの棒みたいなもんだろ
加えて当時の日本人の成人男性の身長は160cmあるかどうか
振り回してぶん殴るのも無理だと思う >>984
常備軍なら別に給与が出ているから馬を殺すと思うけど、
略奪目的の兵なら馬が欲しいのでは このスレッドは1000を超えました。
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