[そば湯]
そばを食べた後にそば湯をのむというのは、もともと信州の一部地方の習慣で、
江戸時代の中頃には、まだ一般的ではなかったようです。
なんと、そのころの江戸では、そばを食べた後には
豆腐の味噌汁をのむというのが決まり事でした。

寛延四年(1751年)に江戸の日新舎友蕎子という人が書いた
『蕎麦全書』という本には、そば湯が江戸に伝わったまさにその時のことをこう書いています。

(蕎麦全書から引用)
先年所用の事ありて信州諏訪辺を通る事あり。
信濃そばとて名物を聞居ければ、旅宿にてそばを所望せしに、其そば其製大きによし。
なるほど名物ほどの事有り。然るにそば後すぐに蕎麦湯を出して飲しむ。
予主人に問いて云江戸にては、そば切りを人に振舞時、そばの後、定って吸物とて豆腐の味噌煮を出す。
よく麺毒を解すといい伝ふ。しかるに今吸物など出さずして直にそば湯を出すはそのわけ有やと云へば、
主人云いけるは、そば後直に蕎麦湯を飲む時は食するそば直に下腹に落着てたとへ
過食するとも胸透きて腹意大きによろしき物也。

帰郷の後信濃風とてそば切を人々に振廻ふ時分には、必角そば後直にそば湯を出して饗応せしに、
江戸などにてはせぬ事故中々珍敷一興なりとて皆賞しけり。

【意訳】
先年用事があって信州の諏訪地方を旅行したことがあった。信濃そばがが名物だと聞いていたので、
旅館で注文したのだが、とてもおいしかった。なるほど名物というだけの事はある。
其の旅館では、そばの後にそば湯を飲むようにとすすめてくれた。
「江戸ではそばを食べた後は、食あたりを防ぐため豆腐の味噌汁を飲むものと決まっているのですが、なぜここではそば湯なのですか?」と
旅館の主人に聞いたら「そばを食べた後にそば湯を飲むと消化が良くなって、食べ過ぎても、腹にもたれず胃の調子がすごく良くなります」と答えた。

江戸に帰ってから、信州風のそばを食べさせてやろうと言って、そばをごちそうした時にそば湯を出したら、
江戸ではそば湯を客に出さないので、みんな珍しがってほめてくれた。

ようするにこの文章からこんな事がわかります。

◯江戸っ子の日新舎友蕎子さんは「そば湯」は飲むものだとは思っていなかった。
◯江戸では、そばを食べた後には豆腐のみそ汁を飲むものと決まっていた。
◯信州諏訪地方では消化薬としてそば湯を飲んでいた。
◯日新舎友蕎子さんは信州風の「飲むそば湯」を江戸に伝えた。