グラマン社F6Fは、三菱の堀越も認めていたようだな(笑
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『零戦の遺産』(光人社NF文庫/堀越二郎海軍零式戦設計主任/昭和35年頃の執筆)

■零戦は昭和18年19年でもまだ強かった。格闘性能には、旋回性能、円滑な操縦性、
 上昇力、速度、加速度、視界、火力などがある。防弾の要求は19年頃から出てきた。

■日本の航空産業は96式戦闘機で世界水準に追いつき零戦で追い抜いた

■「設計者として零戦をよく知る私が、最もやりたいと思いかつ可能だった改造は、
 馬力向上、防弾追加、13mm機銃追加よりも、20mm機銃2丁のままで
 初速の早い二号銃(5型)に換装することだ。総重量を3000kg内外以下に抑え
 その優れたバランスを崩さず旧式化を防ぐことであった」。

■イギリスは戦闘機の生産をスピットファイアなどに絞り国のエネルギーを
 それらの性能向上に費やした。ソ連も同様。日本は機種が多すぎエネルギーが分散してしまった。

■敵機別
○対バッファロー
 緒戦の頃基地戦闘機として使われた。零戦のよい餌食
○対グラマンF4F
 艦上機らしい性格という点で零戦に似ており馬力と急降下以外では零戦勝っていた。
 よく格闘戦が行われ零戦の特徴が100%発揮された
○対カーチスP−40&ベルP38
 同じく馬力と急降下以外では零戦が勝る。一撃離脱で来ても手強い相手ではなかった
○対チャンスボードF4U
 2000馬力エンジンで相当優速で零戦にはうるさい相手になった。1.3万機作られた
○対爆撃機雷撃機ダグラスSBD艦爆、グラマンTBF艦攻、B25、B26
 零戦の好餌であった
○対B−17
 落とすが難しく緒戦の頃敵の希望だった。防弾タンク、死角ない銃など。
○対グラマンF6F
 自重4屯を超える大型戦闘機。まともに零戦と戦ってよい勝負をしたのは本機だけ。
 1943年から生産が始まり1万機作られた。零戦が圧倒されたのは性能よりは数量だった。
○対英スピット
 零戦には鎧袖一触という感じ蹴散らされた。