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やっとのことでペグー山中を踏破した一行は マンダレー街道を密かに横切り、シッタン河の東方のワダン村に終結。
ところがその日の午後4時頃、突然、銃撃を浴びました。
銃を撃ってきたのは、英国兵です。
引きつった顔や、銃を撃つ手の動きまで見えるほどの至近距離でした。
英国人達は、自動小銃や戦車砲を撃ちこんできました。

松村病院長は、白刀を振りかざして英国軍めがけて突進し、これに軍医、衛生兵らが続きました。
全員が還らぬ人となるなか、その隙に、患者たちと看護婦たちは、村外れの田んぼに隠れました。
けれどこのとき、23名いた彼女たちは、18名に減っていました。
5名は、この銃撃で還らぬ人となったのです。

敵は草むらから、さかんに撃ってきました。

二人はラングーンの英国軍の収容所の中で、隠し持っていた青酸カリをあおって自決しました。

そのときの様子を、同じ収容所にいた田中博厚参謀が手記に残しています。