【オランダ】安楽死が全死亡者の4%を占めるという調査結果 安楽死を初めて合法化した国の実態に迫る [ニライカナイφ★]
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オランダは安楽死と医師による自殺幇助(じさつほうじょ)を合法化した世界最初の国です。
そして、オランダ・ラドバウド大学医療センターのStef Groenewoud氏ら研究チームは、1月14日付の学術誌『BMJ Supportive&Palliative Care』にて、現在のオランダにおける安楽死の実態を報告しました。
その報告によると、現在オランダでは全死亡の4.4%が安楽死とのこと。
また、地域による安楽死率は25倍もの差があり、その地域差の原因にも焦点が当てられました。
オランダでは1994年に安楽死の予備法が導入され、2002年には法律として施行されました。
オランダの公式データによると、安楽死の症例数は2006年以降継続的に増加しており、全死亡における安楽死の割合は、2002年に1.9%だったものが、2019年では4.4%へと倍増しています。
しかし安楽死における地域差とその要因は知られていません。
そのため研究チームは、2013年から2017年の間に死亡したすべてのオランダの被保険者(オランダ人口の99.9%が加入)データを分析することにしました。
また、安楽死の85%はかかりつけの医師によって行われるため、それらの医師に焦点をあて、オランダの90の地域、388の自治体、および196の地区における安楽死率を算出。
さらに国のデータセットを取得して、地域差と宗教的信念や政党などの人工統計、社会経済、個人的な好み、健康要因などの関連性を調査しました。
調査の結果、2013年から2017年の間には約25,929件の安楽死があったとのこと。
女性より男性の方がわずかに安楽死を選ぶ確率が高く、安楽死を選ぶ平均年齢は2013年で71歳、2017年で73歳とわずかに増加しました。
さらに安楽死には非常に大きな地域差があるとも分かっており、安楽死数が最も多い地域は、最も少ない地域の約5倍とのこと。
しかし、この地域差は徐々に埋まってきており、これは下位地域の安楽死が急増してきたことが原因です。
もちろん、それでも依然として地域差は大きく、安楽死率にすると、上位3市町村は、下位3市町村の25倍にもなります。
そしてそれらの地域差には年齢や価値観などの様々な要素が関係していると判明。
例えば、45〜64歳の人が多い地域では、人々が安楽死を選択する確率が高く、教会に通う人の割合が高い地域では、逆に安楽死率は低下します。
また、新しく、より優れたものを追求する政治思想(進歩主義・革新主義)は、安楽死率の上昇と関連していました。
しかし、これらの要素を考慮・反映させても安楽死率には依然として7倍もの地域差があり、それを説明することはできませんでした。
そのため研究チームは、「この説明できない部分は、安楽死の不足または過剰実施、誤実施に関連している可能性がある」と述べています。
地域によっては、安楽死に対する偏った考えや圧力が生じているかもしれないというのです。
今回の結果は、安楽死を検討している国にとって重要な情報であり、施行している国の課題点を明確にするものとなりました。
https://nazology.net/archives/79941 昭和17年(1942年)1月11日 日本軍はボルネオ島タカラン、セレベス島メナドを攻撃。ジャワ島を目指します。
3月1日、今村均中将率いる陸軍主力16軍はジャワ島上陸。
わずか9日間でオランダ、アメリカ、イギリス、オーストラリア連合軍を降伏させます。
350年にわたって支配した白人(オランダ)を北方の日本人が予言通り追い出したのです
インドネシア人はオランダ軍が作ったバリケードを取り除き日本軍を歓迎しました
マレーでもクアンタンに上陸し進撃する日本軍を見て
「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声を上げました。
敗れて逃げてゆくイギリス軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました」
「日本軍は永い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、
とても白人には勝てないとあきらめていたアジアの民族に、驚異の感動と自信を与えてくれました。」
ジョヨボヨの予言は12世紀前半、東ジャワのクディリ王国の王「ジョヨボヨ」が命じて
古代インドの民族叙事詩をジャワ風にアレンジしたもので、伝承によって色々バージョンがあるようです。
日露戦争で日本が勝利し、マレーもインドネシアもこの予言に日本をだぶらせ期待を込めて待ち続けていたのではないでしょうか。
興味深いことにスリランカに「ジャヤ・セーナ(勝利の戦士)」という言い伝えがあり
「ジャヤ・セーナが東のほうから来て仏教を助ける」というもので
日本軍がコロンボを空襲し、イギリス軍を叩いたときには歓迎したといいます >>654
被害者は苦しんで死ぬのに殺人犯が安楽死とはね
宅間もそう思ってるから早期執行望んだんだろうね
執行から15分くらいぶら下がってるんだっけ 「なぜ大東亜戦争は起きたのか? インドネシア・パレンバン落下傘部隊の記録 空の神兵と呼ばれた男たち」
>欧米がアジアでどんなひどい侵略行為を行ってきたか
>そしてそれを食い止めるため、大東亜共栄圏を目指して立ちはだかったのが日本
>オランダの長年の非道な占領のなか、落下傘でインドネシア・パレンバンに降り立った日本兵たち
>フィリピンで、米軍はあのダグラス・マッカーサーの父、アーサーを司令官に据えて残忍な掃討戦を実施していく。
その象徴がサマール島事件だった。アーサーは、サマール島と隣のレイテ島の民、約十万人を皆殺しにさせた
>米国はフィリピンを植民地にしたあと、御体裁にフィリピン自治政府を作る。
大統領になったのはマニュエル・ケソン。生粋のスペイン人でフィリピンの血は一滴も入っていない
>米国も空挺作戦にはためらいを見せ、ヘリコプターが登場するや落下傘での兵員展開という発想はあっという間に消え去った。
>ただ、例外があった、日本だ。
各国と同じに日本でも落下傘部隊の歴史は短いが、ただ実施した二回が二回とも見事に成功させている。
さらに言えば、そのうちの一回は、海軍が実施している
>インドネシアには、「空から神の兵が降りてきて圧政者を倒す」という伝説がある。
日本は、オランダ支配に終止符を打つと、まず彼らにジャカルタ語を共通語にするように指導した。
オランダは四百年支配しながら、彼らに共通の言語も与えなかった。
それを日本は三年余りでやり、学校を創り、行政を学ばせた。そして警察と彼ら自身を守る軍隊「ペタ」も創設した。
彼らはそれを通して急速にインドネシア人として目覚めていった なんか安楽死の議論ってヤバいの?
工作員が幼稚な反論やコピペしてるけどw
あんたたちは苦しんで死にたい人なんでしょうけど
邪魔すんなよ ペットでも末期はなかなか死なないからなぁ。
見ているほうもきついものがある。 日本で安楽死センター作ったら老害よりも若者や中年が殺到しそうだな >>653
ボケてからでは本人意思が確認出来ないし、無理だろうが
遺言状も作成せず身辺整理もしてないようなのは
自分の意志表明の文書も残してないだろうからな。
いつ事故やら脳卒中などでボケ状態になるかわかったもんじゃないが。
大抵の人は甘く考えてそうなったら誰かが何とかしてくれる程度の認識で
何も準備しない。 >>658
>インドネシアの人々は三百年を超える長い期間、
オランダの支配下で搾取に苦しめられており、自由と解放を望んでいた。
落下傘部隊は、インドネシアの人たちから、救世主として迎え入れられた
>今村中将は、次のように言って、彼らを支援した。
「独立というものは、与えられるものではなく、つねに戦い取るべきものだ。
かれらが戦い取ることのできる実力を養ってやるのが、われわれの仕事だ」
『白い人が仕掛けた黒い罠 〜 アジアを解放した日本兵』
パレンバン オランダを蹴散らした空の神兵 見よ落下傘
飛行機を持つ国は落下傘を研究し、実戦投入した。
ヒトラーのクレタ島攻略では、制圧は成功するが、約2万人の空挺部隊は落下中に狙われ、精鋭半数を失った。
ソ連はドイツとのクルクス会戦のあと、ドニエプル川で5千人を投入し、6割を失う。
米国はノルマンディー上陸後、ライン川に2万4千人の空挺部隊を投入するが
半数近くを失い、惨敗。(マーケットガーデン作戦)
>タイは日本軍が戦時下に作った鉄橋をスクラップにしなかった。
泰緬鉄道と日本の機関車も保存している。日本製軍艦「メコン」も川のほとりに永久展示している。
タン教授は
「神のごとく振る舞ってきた英国人が青ざめ、逃げまどうのは痛快だった。」 という。 これはこれで間違いなく国が滅ぶ
政策として安易に寄りすぎなんだろう ●インドネシア・ユドヨノ大統領は、調整大臣だった平成14年当時、
山崎拓幹事長に対して「日本軍の進攻がわがインドネシアの独立につながった」と明言している。
そもそも東南アジアには、中国・韓国と全く別の歴史観が存在することを知る必要がある。《正論2005/8月号》
●マハティール(1992年香港で開かれた欧州・東アジア経済フォーラムで)…
「もし日本なかりせば、欧米諸国が世界の工業を永遠に支配していただろう。
南側諸国は貧しさを強いられ、自分たちは(欧米に)太刀打ちできないと信じていただろう。
…そうした国々でも立派にやっていけることを証明したのは日本だった。
そして東アジア諸国は挑戦し、自分でも信じられない成功を遂げた」
演説のさなかに、欧米代表が席を蹴立てて出ていった。《「世界は腹黒い」》
●「バンドン会議」とは、インドネシアのスカルノやインドのネルー、エジプトのナセルらが呼びかけて、
アジア・アフリカの29ヵ国が集まって開いたもので、戦後独立した国が殆どだった。
このため会議は独立の尊さをアピールする会合となり、大東亜戦争が称賛された会議でもあった。
これに参加した故加瀬俊一(初代国連大使)は
「この会議の主催者から、出席の案内が来た。(中略)出てみると、
アフリカからもアジア各国からも『よく来てくれた』『日本のおかげだ』と大歓迎を受けた。
日本があれだけの犠牲を払って戦わなかったら、我々は今もイギリスやフランス、オランダの植民地のままだった」
といわれたと後に講演している。 《諸君!2006/8月号》 マレー半島は長期間イギリスの植民地であり、マレー人の中には何とかして独立したいという強い思いがあった。
そのイギリス軍と戦う日本軍の勇敢な姿にマレー人は強く心を動かされ、
日本軍を歓迎し積極的に兵士に食料を提供したり、荷物を運んだり、ジャングルの道案内をしたりという具合に協力してくれた。
その結果、マレー半島の戦いはわずか70日間で終結し、後のマレー独立に大きな影響を与えた。
…このように大東亜戦争は、日本だけが戦ったのではない。アジアの国々も独立を勝ち取るために戦ったのだ。《「教科書が教えない歴史」》
GHQによって焚書になった「星港攻略記」(筑紫二郎著 有恒社 昭和17年5月刊行)の中の、
いよいよシンガポール攻略という直前の話を読んでみる。
「私達にはいつも味方があつた。それは住民である。
ジョホール・バールからやつて來た避難民の住民たちが我先にと集つて來て手傳つてくれた。
彼等は一様に『早くシンガポールを陥してくれ』と云ふ。
人力もなかなか馬鹿にならない。二日經つとなんとか飛行機が降りられるやうになつた」
例えば占領した飛行場を直そうとすると、イギリス軍ならば機械を使ってやる作業なのだが
日本軍は機械を持たないから手でやらねばならなかった。壊れている橋や道路も人力で直さなければならない。
直しながら進軍するのだが、そういう場合には現地の人が協力してくれたという。
もっとも当時のシンガポールというのは、全人口の8割は華僑だったから実際には反日的な空気が強かったに違いない。
後からここへやってきた華僑はイギリス側について、マレーの人たちはみな日本側に味方したようである。
《西尾幹二 「GHQ焚書図書開封1 米占領軍に消された戦前の日本」》 苦痛を伴う直る見込みのない病気に限り認めてあげるようにしてあげたらいいのに
もちろん希望者のみで >>2キリスト教はローマ統治者が支配する為に都合良く改変している
生まれ変わりを削除とか 日本でもやってんでしょ
病院から「もうそろそろ」って言われたから朝のお5:00頃に向かったら計ったように親父が死んだわ 筋ジスみたいにただちに死なないが悪化するばかりの病
って人もやりたがってる 家族が頼んでるパターンじゃないのか?
もう安楽死させてあげて下さいと これやるにしても超高額にしてバランスとるしかなかろ
ビンボー人はラクに殺してもやらんのだ >>620
モルヒネを上手く使えば痛みはそれほど感じないが、
倦怠感がすごいらしい。 NHKスペシャル「安楽死」見たけど、これむっちゃええで
眠るのと同じ加減で楽にゆったりまったりと死ねるんやから >>672
自分も筋ジスになったら積極的尊厳死したい。
首吊りは見つける人がかわいそうだ。 >>13
それな
鉄道に飛び込んだり、高いビルから飛び降りたり、紐を垂らして首吊ったりとかそんな非人道的な死に方はいかん!
人道的に死ねる安楽死を認めるべき! 祖父が数年前他界した 82歳のとき
ヘビースモーカーで、肺気腫だった
20年くらい前から、階段とか少し上がるだけで、何十分たっても、マラソンゴール後の人みたいに苦しそうに息してて、自宅にも鼻から酸素吸うやつつけてた
結局、そうやってどんどん弱っていったよ
病院に入ってからは、トイレに行くのがつらいから、人に介助してもらうようになり、介助してもらうのはやはり気持ちが進まず、食事量が減り、その後はベッドの横に簡易トイレ置く事に。
歩く量も減るから筋肉も弱るし、その悪循環でいろんなことが出来なくなっていったよ
オムツするようになり、その後はご飯も食べるのがやっとになり、最後は栄養点滴に
冬、病棟でインフルエンザが流行り病棟が立入禁止になり顔出せない日が続いていたら、突然病院から電話が来て容体が急変したと
入院時に自発呼吸ができなくなった場合にどうするか、祖父本人と家族に意思確認があって、
延命のためだけの措置はしないと決めてあった
そしてその日再度口頭で意思確認
危篤と呼び出された時には荒い呼吸のみで反応してるのかわからない状態になり、翌日昼過ぎに心肺停止、亡くなった
呼吸は苦しいけど、意識ははっきりしており、認知症でもなかったから、排泄の事が「シモの世話まで人にされるのは嫌だ」と辛くなるじゃん
がんのように病気そのものが進行したり痛みとの闘いならば、抗がん剤治療の苦しみがつらいからと安楽死という選択肢があるのはわかる
ただ、うちの祖父のように意識ははっきりしているけど徐々に弱る場合、果たしてどこからが安楽死のラインなのか、線引きは難しいなと思った
蘇生措置をしない事と、積極的安楽死(点滴に薬を注入して死なせる)のとは違うし
オランダでも、誰でも彼でも安楽死させてもらえるわけじゃない
「生きるのが辛いから、死なせてください」ってのはできない
進行性の病気で、痛みを抑える事以外の措置ができない患者さんの場合のみだったし、本人の意思疎通が出来ている時点で医師との確認やさまざまなカウンセリング受け、家族とも話し合いをして、医師が許可した場合にのみ安楽死を選べる
日本も今後どうするのかの議論になる場合、「死の概念」それと、いざその時を迎えたときにする決断は、本人もまわりも、健康なときの判断と、「それが今」となった時にする決断と、どちらも楽ではないと思ったよ 女優とかスポーツ選手とか、天賦の才能で輝いた人はピーク過ぎたら悲惨だしね。残りの人生ひたすら劣化する自分をごまかしながら不本意に過ごすしかない。その過程で老害化するのも多いし
やること成し遂げたら、ごきげんよう、さようなら!って去れたほうが本人も幸せだし、永遠に人々の記憶にも残る ちゃんと安楽党の候補に入れたぞ
もちろん落選したがw 安楽死でも死亡時の保険がおりるなら、団信入って長期ローン組んで、
定年退職後に死んで完済するヤツが山ほど出てくるぞ 自殺は悪とか奴隷死なせないための呪縛みたいな固定観念を早く払拭しないとね
できることはチャレンジした!精一杯生きて満足。ごきげんよう!とか、
いやぁ安らかで満ち足りたいいお別れでしたね!さようなら!
とか心から言える社会にならないと >>687
そりゃ安楽死合法化になれば保険の目論見書も変わるでしょうね。 >>1
>教会に通う人の割合が高い地域では、逆に安楽死率は低下します。
>
>新しく、より優れたものを追求する政治思想(進歩主義・革新主義)は、
>安楽死率の上昇と関連していました。
これは、革新を何をもって判断したンだろうね
新興宗教?イスラム?支持政党? >>680
だから病院は嫌だ。
栄養無理やり注入されるなんてお断り。
幸い子供がいないから自分の意志でなんとか病院に行かずに
野垂れ死ねたらいいなと思ってる。
施設なんかもそうだけど、
結局周りに雰囲気に押されて無理に食べたり
介護と称して無理に食べさせたり、拒否ると無理やり栄養送り込まれたり
することになるんだよな。
>>687
安楽死認めている国でもそろそろ死にたいからヨロシクなんてのはないけど。
しかも自分が死んでローン完済なんかするかよ。
ローン組めて正社員のまま退職出来たら、退職金で完済するだろ。 遺体の事後処理の金あって成り立つんだろ
そんなやつはただの道楽の自殺願望者だよ 人道上あって当然の権利 基本的人権の最上位として一般化させろ
病苦で辛酸を極めて死ぬのが通常などとどんな神経をしてる奴が言えるのか
もう一歩踏み込んで病いによらない自殺志願者にも安楽死の権利が認められるのが望ましい
他者からの強要など不正に使用されることのないよう手続きは厳正なものとした上で こういうのは必ず弱者に選択肢のない絶望を突きつけることになるんだから安易に同調したらいかんだろ。
積極的にい生きたいと思わなくても死にたいとも思ってない人間が、さっさと死ねよという同調圧力の元、死を選ばざるえない環境に必ずなる。
特にこれから財政問題という大正義のもと、社会的にいらないとされる人間には一銭も金を使わせないという論理がまかり通るようになるんだから必然だ。 >オランダでも、誰でも彼でも安楽死させてもらえるわけじゃない
>「生きるのが辛いから、死なせてください」ってのはできない
末期と言う要件はない 鬱病で安楽死が認めれた事例もある 積極的・消極的という区別は曖昧 新型コロナの肺炎患者にモルヒネを投与するのは
積極的安楽死に当たるのか否か 考えてみれば分かる 実際に苦痛と恐怖と迷惑を伴う自殺が毎年3万も決行されてる現実があるのに、それをせめて安らかで満ち足りたものにしようという安楽死に反対するとかどれだけサイコパスなんだよ。 もう治癒が有り得ない病気でしかも痛み止めなどが効きづらく
死を待つのも大変な状況で適応されるのに
単に自殺したいでは今の所無理だよ。
つーかいつまでこういう勘違いカキコを続けるんだろうか。 安楽死するにしても健康な人は定年までは
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