【奈良】飛鳥時代ののろし台跡発見!唐の侵攻を恐れた防衛施設か [チミル★]
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奈良県高取町で、丘陵上に造られた7世紀後半の飛鳥時代ののろし台跡が発見され、同町教育委員会は20日、「佐田タカヤマ遺跡」と命名、発表した。日本書紀には朝鮮半島での白村江(はくすきのえ)の戦い(663年)の敗戦後、日本が情報伝達のためにのろし台を指す「烽(とぶひ)」を設けたと記されており、専門家はこの記述に関連する防衛施設跡とみている。こうした施設の発見は全国で初めて。
※中略
奈良県立橿原考古学研究所の山田隆文指導研究員は「白村江の戦いの後に、朝廷が造った烽に関連する施設跡の可能性が高い。飛鳥時代ののろしのネットワークを研究する重要な資料になる」としている。現地説明会は行われない。
※全文は下記よりお願いいたします。
https://www.sankei.com/west/news/210120/wst2101200021-n1.html
https://www-sankei-com.cdn.ampproject.org/ii/w820/s/www.sankei.com/images/news/210120/wst2101200021-p1.jpg 江戸時代だが、米相場の相場情報の伝達にのろし使って大坂江戸間を数十分ほど
で通信できたらしい。 >>1
奈良は唐側だろw
むしろ警戒したのは九州じゃねーかw 陳寿の勘違いアホ記述のせいで元の時代でも日本のみやこの場所はシナにはバレてなかったのに 白村江って書いている>>10
大和朝廷は百済と同盟関係だったんで唐新羅と対立していた。 >>6
さすがにそれは信用できない(笑)
狼煙見てから火をくべるのにも数分は要したべ >>13
現代において再現した訳じゃないだろうから、盛っている可能性もあるが、
天候など最善の条件が整えば、不可能ではないかもしれない。
相場情報なんだから通信時間帯、レンジは限定されるから、予め用意
することは可能だろうし。 あ、旗振りだったか。
武田信玄のとゴッチャになっていたかもw 呂蒙「狼煙は上がらない。いいね?」
狼煙台「あ、はい」
どの狼煙台も一度も「烽火」を上げることなく、呉軍を荊州に入れてしまったのである。 旗振りは無理だろ。
やっぱ煙だって。
煙なら相当遠方から見えるからな。
お前ら現代のビルだらけの街並みしか知らないから想像できないんだろうよ。
そのビルが全部無い状態を想像してみ?
煙なら東京〜大阪間なんてあっという間だぞ。 江戸時代なら色付き、花火など使えるから情報乗せられるな。手旗の方がコスト安いだろうけど。 江戸時代なら望遠鏡はあったんで距離取れただろうが、狼煙より多くの中継基地を必要
とするだろうな。狼煙手旗の混合かもしれない。知らんけど。 タイムスクープハンターなら米相場の伝達だろ?とかやっちゃいそう。 産経は、奈良関連では、
なかなか良質な記事を出してくるな。
さすがは奈良の地方紙だな。(´・ω・`) >>20
フランスだったか
腕木式の信号を用いて目視で伝達してたような
定例文ならそれなりのスピードで伝えてたとか >>6の話し聞いたことがあるけどな
あと狼煙は火をあらかじめ燃やしといて上からなんかかけて煙を出すはず
通信手段なのに合図見てからあわてて火をくべるなんてするかよ 「ゴゴロー デルタフォース」とかもこうやって上げてたのか >>13
熾火で待機していれば松葉とかくべればすぐ煙上がるかと 飛鳥で狼煙あげて海外に威嚇できるとは到底おもえないが
信仰とか慣習の延長戦だったんかな >>36
新羅、唐の連合軍に攻め込まれると恐れてたんだよ。
その時に知らせるための狼煙台。 のろしとか一ヶ所つぶされたら伝達系統が崩壊するの 関羽の時でわかってるだろうに
何百年後の日本もかなりのアホで笑えないわ
はずかしいわから見なかった事で遺跡を取り潰してしまえ 海外からの侵攻を警戒するのならもっと北か西の沿岸とかじゃ
ないのか。そっちまで統治できてないから国境ギリギリの所を見るのか? 白村江でボロ負けして「このままだと日本本土に攻め込まれる」ってびびりまくって国防を必死に固めてた時期のものか >>41
狼煙ってのは情報を伝えるために存在するのであって
敵を発見するものではない 狼煙の煙が見える範囲は限定されているから
最前線の九州辺りから平城京まで
方々の山々の頂に設置された"のろし台"を伝って情報を伝達する仕組みが造られた 反撃の狼煙を上げたわけじゃないのは興味深いな。古代の日本人は特攻なぞと云う馬鹿な事はしなかったわけだ。 >>9
新羅のおうさま、ちんちん切られたんじゃ無かったっけ?
本当かよ?w こんなん奈良自体が遺跡みたいなもんなんだからどれだけ価値があるのやら なんで誇らしげにㄘんㄘん切ったんだろうw
当時の人😅わけわᓓ̸ᐠめ
自慢せんでも 白村江に攻め込んで負けたんだから、
攻め込まれると考えるのは自然。 蝦夷側攻めれば簡単に占領出来たんじゃ?
何故博多だけ?
二度と、大陸へ進出しない約束が得られれば
島なんかどうでも良かった? >>53
ちゃう。真逆。これで日本ができた。
攻め込まれないように中央集権を強めた。
歴史を書き残し、国家統合を始めた。 >>53
蝦夷すら滅んでないぞ?
ただ、日本語に変化が起きたって事は、
色々難しい事が起きたんだろうけど。
大陸からの亡命者の影響か? 白村江の時唐軍は13万もいたけど水軍は7000人だから
日本を攻めるには本格水軍の大軍を用意する必要あり なんで日本は、北魏の文化好んだんだろう?
誇らしげに源を名乗ったり
はじめて漢字まとめたのも北魏だよな? これじゃないけど、岡山県かどっかに鬼の城とかいうて、戦国時代とは違う
唐から攻め込まれる想定の城もあったよな?岡山の奴いたらなんか言え >>60
島国の占領は無理だろw
モンゴル帝国だって、「あんな強い奴ら見たことない!」
って報告したらしいからな 明日香村の国道169を少しだけ真っ直ぐ進んだ所にある高取町の坂道は、知る人ぞ知る奈良のベストスポット。
壺阪寺は、アミューズメントパークみたいだった記憶が、、境内に奈良県の主要な寺が真っ直ぐ一列に並んで見える高台があるんだっけ? 7、8年ぐらい前に仏像が盗難に遭ったのがニュースになったような気がする。 でも唐と新羅の関係が悪化して杞憂に終わる
目出度し目出度し 百済人じゃなくて
魏から亡命した人たちが
文章の仕事やってるんだよなw
七姓漢人(4世紀)
で、この人達も唐の漢字読めなかったの?
読めなかったから、白村江の戦いの捕虜から漢字学んだ?
じゃ、百済は何語使ってたんだ?
まさか、魏は漢字使ってるよな? >>41
多分地域の気象警報とかに使ってたんだろうね。
「唐からの復讐を恐れて〜」というのは軍事知識も兵站のイロハも知らない昭和歴史家の夢想だよ。
あのモンゴル軍でも九州すら落とせなかったのに、古代の軍隊が本州まで攻め込めるわけない。 >>73
元寇の際に白村江の戦いを例に出して、日本の軍隊は弱いと判断して攻め込んだんだぜ
日本が強かったのは武家社会になってから うちの近所の八尾空港こと八尾駐屯地が首都防衛の最終防衛線だったと聞いたが。高安山レーザー基地のあたりとか?
ちなみに飛鳥から天智天皇は大津に逃亡してたから飛鳥時代やなく滋賀作時代な。 負けたあとは定期的に駐留してくるのになぜ出迎えて歓待せんってので使われたんだけどね
朝鮮諸国のもそれを使わせようとして格が違うとまあくだらんことでもめるもめる
狼煙台の高さを下げるってそれ意味があんのかって解決案 >>74
元寇の時もあっさり陸まで攻めこまれ
疫病おそれて船にかえっていってたけど
弱すぎるって言われてたよ >>74
7世紀に半島覇権を巡って全盛期の唐に喧嘩売る日本が弱かったわけないだろうが。
普通に考えて数の差にすぎない。 >>1
白村江の戦いの経緯を見ると朴市秦田来津が可哀想になる
阿倍比羅夫(新潟県等)
上毛野稚子(群馬県)
阿曇比羅夫(長野県)戦死
廬原臣(静岡県)
朴市秦田来津(滋賀県)戦死
巨勢神前訳語(滋賀県)
狭井檳榔(兵庫県)
大伴部博麻(福岡県) >>67
中国には旗を掲げたり振ったり、燃やしたりしたらしいね。
狼の糞は燃えると真っ直ぐ煙が昇るので合図に使われ狼煙と呼ばれたとか。
日本にも伝わってたんだろね。 西ならわかるが飛鳥の南側なんだよな高取町
九州や瀬戸内からの伝達ではなく和歌山方面からってことかな
そうなるとここのはあまり重要ではない >>74
日本が有史以来弱かった時代はない
それは日本という国が国名を変えずに万世一系の天皇を続けてきたのでも分かる
中国や韓国なんかコロコロ国が変わってんじゃん >>28
モンテクリスト伯に、信号所の爺さんを買収して嘘の情報を流し
株で大損させて敵を破滅させるというのがある >>77
たった1日だぞw
2回目は島しか上陸出来てない >>36
当時は、携帯やスマホはないんだよ
情報伝達と記事に書いてあるだろうがwww まさか、北魏の源さんと血縁関係あったり
しないよね?
高向 玄理(たかむこ の くろまろ)とか、三國志の方の魏の
文帝の末裔らしいけど。系図では。 魏の帰化人いたのに、唐の漢字読めなかったって
どういう事なんだろうw
魏の漢字と唐の漢字は違ったって事だろうけど。 >>77
いや、あの元軍の奇襲を波打ち際で撃退したわけだから鎌倉武士は凄いよ。
しかも、菊池や島津といった九州の主力が川の氾濫で到着が遅れていたにも関わらず九州北部の武士だけで撃退したわけだからな。
元軍が船に戻ったのは、補給船からの補給が間に合わなかったから。
鎌倉武士って近隣の武士団が徒党を組んでなかなかの騎馬集団を形成して戦ったらしいよ。
鎌倉武士って世界でも珍しい重装騎兵だからね。
加えて命知らず。
そんなのが集団になってヒットアンドウエイを繰り返すわけだから元軍の矢はあっという間に尽きちゃうわけで、船からの補給がマジで間に合わなかったのよ。
で、橋頭保も確保できずに船に戻るしかなかったんだよね。 高取町って半島からの渡来人が作った町なんだろ。飛鳥時代の頃は百済系と伽�nとかがほぼ全住民なんでしょ? >>85
元は長門(山口県)にも侵攻したという記録がある。 >>92
それも読んでいて待ち構えて撃退したらしいね。
鎌倉幕府の国際的諜報能力はかなり高かったらしい。 >>92
処刑されずに生き延びた人がいる事を知った高麗が
感謝の書類を日本へ送ってるぞw ・法隆寺の仏像など、日本に残存する諸仏像は多く北魏様式である。
・日本の源氏という氏族のおこりは、北魏の太武帝が同族に源氏を名乗らせたことに影響されたものではないか。
・北魏の国家体制は、日本古代の朝廷の模範とされた。このため、北魏の年号・皇帝諡号・制度と日本の年号・皇帝諡号・制度には多く共通したものが見られる。平城京・聖武天皇・嵯峨天皇・天平・神亀など、枚挙に暇がない。
百済じゃなくて北魏 >>83
陸続きのクニは騎馬民族に攻めこまれたらひとたまりもない。
日本は、日本海に護られた天然の大要塞だ。
日本海は、蒙古、シナ人、朝鮮人などの侵略から日本を護ってきた。 ヘリからの空撮映像をテレビで見ながら国会でバカ話をしていたまゆ毛政権 >太武帝は禿髪氏と拓跋氏の源が同じであるとして、破羌に源氏の姓を与えた(ちなみに日本の源氏はこの故事に由来する)
へー知らんかった
まぁそれはそれとして禿髪氏が気になるけど >>1
そこは4世紀から朝鮮人自治区みたいな土地だぞ?
周辺はオンドルだらけ >>98
んー、それなw
鴻臚館(博多市)と太宰府市で睨み合ってる状態だったんじゃ?
663年12月〜664年6月は 戦前の日本は白村江の戦いで敗戦経験ありのに
なんで外国に一度も敗けたことがないなんて馬鹿なこと言い張ってたんだ? >>83
白村江の前と後で皇室の断絶が起こってるっていう説がある
実際これ以降唐風の政治文化と一気に体制が変わっている
万世一系は宗教としてならまあ分かるが、事実じゃないよ >>104
いい加減な大陸の学者と
一緒にしないでねw >>92
六波羅の主力をギリギリまで動かさなかったのは、全方向からの侵攻に備えてたんだという説を取る
そうして結果的に地方の守備隊だけで撃退してしまってるからな
武家の世になった日本が強かったのは間違いないよ
日本が遊牧の民にとって疫病蔓延の瘴癘の地だったってのはあるんだろうけどね この頃ならアフリカ民みたく視力5.0とかで
100km間隔設置でも問題無さそうな気がす(根拠のない想像) >>109
江戸時代の旗通信は、夜間でも松明を使って通信していたので22kmほどの間隔だったそうだがな
関西には「カンナビ」と名のつく山が多いが、そういうところはもともと通信施設だった可能性が高い >>109
問題は山脈をどう回避するかなんだよね。
海沿いに狼煙台を設置すれば見晴らしは問題がないので相当間隔を空けて設置できると思うが海からの風がネック。
だけど、瀬戸内海なら比較的穏やかな風だから可能だったんじゃないかと思う。
第一次木津川口の戦いでも、大阪湾に展開した織田軍側の船から淡路島の岩屋附近に停泊していた村上海賊の船団が見えていたらしいからね。 >>110
宍道湖の四隅に神奈備山があるが
なぜ同名かといえば狼煙山という
ことかな >>62
北魏と源氏が関係してるなんて初めて知りました
ありがとう、勉強になりました >>111
伊那谷に沿って信玄ののろし台が確認されている。
南アルプスは越えてないみたいだけど、そこそこ高い山を繋いで甲府まで通信をしたようだよ なんで外人の侵攻なん四国や九州や関東の侵攻かもしれんやん
なんで朝鮮は太平洋に近い奈良なんか狙うの?普通、日本海の対馬とか沖縄とか島からやろ?
奈良県て海あんの?大阪や四国や三重より奈良なん? 畿内の古代史をもっと明らかにしないとな
弥生時代〜奈良時代 なんで最近は白村江をハクソンコウなんていう味気のない読み方するの? >>118
狼煙はリレーで伝えるから中継の一つだったという可能性。 >>6
そういうのって軍事技術としてなら何千年も前から世界のあらゆる地域でできてたことだよ >>119
何で白村江の戦い、以前は文章書いてなかったことに
したがるんだろうWWWWW
🇯🇵日本の学者は華麗に釣ってるなw
朝鮮半島の問題?中国の問題?
どっちだろ >>62
日本人の遺伝子特に関西と四国は北京の漢民族に近いんだと
平城京の時に大量の北方中国人が渡来したのかもな >>104
日本は世界最大の古墳があるんだよ
つまり古代からそれだけの人員を動かせたことを意味している
まさに文字通りの大王だよ
朝鮮半島に攻めまくったり高句麗に碑文まであるほど
白村江の戦い以前は日本は九州と近畿で勢力が分かれていた
邪馬台国の流れを持つ九州は百済を支援して敗れた
大和朝廷の流れを持つ近畿は唐についた
そのため白村江の戦い以降、日本国内でパワーバランスが転換して近畿が中心になった
そして670年(あるいは701年とも)に近畿が九州を吸収して日本という統一国家が誕生した
唐も親唐の近畿ならということで武周時代の則天武后が日本という国名変更を認めた 都の近くに烽火(のろし)台を作っても無意味だろ?
生駒山に見張り台を作って明石市or淡路島辺りに烽火(のろし)台から烽火を瞠らないと情報伝達の意味が無いだろ? >>73
元寇が失敗に終わったのは、モンゴル軍が騎馬で攻め込んだから
もっと前の三国志時代なら歩兵中心の部隊編成だったから
それなら中国側が勝てた可能性が高いんだと >>129
知ってるよ
俺が言いたいのは、当時の日本は九州と近畿に勢力が分かれていたの
それで白村江の戦いに参戦したのは九州の倭国なの
百済を救済しようとするも敗れ倭国は力を失った
唐に反旗を翻さなかった近畿の大和朝廷は後の日本の中心になって
九州の倭国を吸収合併して日本国が誕生したんだよ 元寇で対馬や五島の島民の恨みを買った元や高麗は、
その後100年間に渡って沿岸を中心に全土が蹂躙され滅んだんやで。
日本側の記録には碌に残ってないけど、高麗史や明史といった被侵略国側の記録には、
自軍5,000名が皆殺しにされたとか首都が包囲されたとか悲惨極まりない記録が残ってるからな。
奈良が白村江の反撃を警戒するのは当然だわ。 >>135
高台でコの字になってる土塁なんて他に用途無いからな。
強い風で火が消えない様に三方が高く囲まれてんだよ。 >>136
高麗史によると高麗水軍は壱岐対馬五島の三島島民に襲撃され壊滅。
逃げた司令官は高麗王の命で処刑され死体はバラバラにされ各所に戒めとして送られたってよ。
日本どころか三島にすら勝ててないよな。 白村江の戦い、以前の漢字はどうも違うらしい。
以前からいた渡来人が読めなかった。
古代朝鮮半島の読み(古韓音)も違うらしい。
百済人渡来人読めなかったから、
白村江の戦いで捕まえた捕虜から教えてもらった。 >>41
唐の日本侵攻は、元寇と同じく朝鮮半島を策源地として対馬、壱岐を経由、博多上陸になるのは当然だろう
大宰府はこの時に整備された前線指令部
日本側は元寇と同じく博多にありたけの兵力を集中して迎え討つとこになる
唐侵攻軍は大宰府の占領をまず目指すだろう
だから大宰府と首都の飛鳥とのホットラインとして狼煙通信網の整備を行ったわけだ
白村江の敗戦で日本は本土決戦体勢にはいってまずこれをやった >>41
次に首都の飛鳥への唐侵攻軍の進撃路の防備
当然、瀬戸内海、難波津上陸が想定される
なので瀬戸内海沿いに山城群が整備された
山城なら沖合いの唐侵攻艦隊の通過を監視、狼煙通信網で首都飛鳥に急報できる
この山城は侵攻阻止ではなく、偵察と通信網の維持の為のものだと思う
この程度のものでは侵攻阻止は土台無理
博多で万一敗れたなら決戦は難波津での海戦と上陸阻止戦になる
これに敗れたらもうヤバい >>41
葛城山の山上に観測所を置けば、瀬戸内海を進撃する敵情報を敵侵攻路上の山城各所からの狼煙通信網で刻々と接近情報を受信できる
飛鳥からは葛城山からの狼煙通信は直接通信を観測可能
また難波津での決戦状況を直線観測可能
リアルタイムで首都飛鳥に送信できる
この高取の狼煙台は、首都飛鳥の南側直ぐ近くの高地にあるので狼煙通信網の終端受信施設であるはず
もうひとつの役割は、飛鳥の防衛軍司令部からの前線への作戦命令の発信施設であると思う
難波津で唐侵攻軍は上陸
その半数が第一軍として陸路竹内峠を越えて西から東の飛鳥へ向かうはず
これが最短コース
残り半数は主に兵站部隊で、食糧などの物資を船で大和川、飛鳥川を遡航して運搬する
この護衛部隊を兼ねて第二軍がその川沿いに進軍してくるだろう
奈良盆地中央を北から飛鳥にむかう
奈良盆地内に敵の侵攻を許したなら、阻止戦に使えそうな地形は特段ない
もう丸裸 >>41
竹内峠を突破されたらもう、飛鳥までは指呼の距離、あっという間に飛鳥は包囲されてしまう
竹内峠を越えてきた唐第一軍と戦っている内に、北から奈良盆地を飛鳥に襲来する第二軍に右側面を衝かれる
こうなると全滅してしまう危険が高い
包囲され皇族まで捕縛されかねない
なので近江宮に667年に遷都してる
白村江の敗戦は663年
つまり奥地に遷都して縦深防御戦略をとることにしてさらに守りを固めている訳だ
琵琶湖を更に逃れて北陸への皇族退避まで想定したのではないか?
真剣に日本滅亡も覚悟した本土決戦態勢だったのだと思う >>145
そもそも、唐の軍隊の中に大陸で降伏した日本人もいたんだけど? 白村江の戦いは663年10月
唐の対日侵攻は早くとも翌年の春
現実的には翌664年をまるまる侵攻準備にかけて
665年の春から夏にかけての侵攻になったと思う >>149
絹とか賠償金あげたら帰っていったって書いてあるじゃん
日本書紀に >>41
遣唐使もメインの航海は九州から(時に沖縄を経由して)大陸の東南へ
当時から日本と大陸を行き来する時の港は九州
もっと行き来が盛んになった後々の時代の元寇ですらそう >>136
元と高麗が倭寇で大きな被害を受けたことはともかく、
衰退と倭寇は直接関係してないよ >>77
疫病は日本側じゃなくて元側の船内で流行してたんだから
疫病を恐れるならむしろ船から出なくてはならないんじゃ >>77
あと元寇は丁度大陸でペスト発生した時期
まだペスト流行ってない日本の陸にいるのと
感染者いるかもしれない船内に三密で籠るのとだと
船内にいるほうが流行るリスク高いよ 壬申の乱は大陸の利権争いなんだろう。
大陸の資産を放棄するかどうか 白村江で戦って敗れたのは倭国で、
日本じゃないだろ、バカw
戦ってないから、日本は残った。
戦って敗れた倭国は敗戦国で日本の併合された。
棚ぼただよ。 ガ(奇・宜)、キ甲(支)、ケ乙(挙・希・居)、ソ甲(巷・嗽)・タ(侈)・チ(至)・ヌ(蕤)・ヘ甲(俾)・マ(明)・ヤ(移)・ヨ乙(已)・ロ乙(里)
古韓音があったって事は、日本や、中国とは違う、
第三勢力の漢字文化圏があったって事だが。
鮮卑族(北魏)の発音はどうなんだろ?! >>158
現在の韓国語からも導けないんだよね。
民族入れ替わった事にしたく無いから、
話が進まないw >>133
怨みをかったというより、3度目の元寇の準備に気づいて、九州の人たちが攻め込んだ。
倭寇と呼ばれて日本が悪いかのように思っている人も多いが、この攻撃で3度目の元寇はなくなった。フビライが死んだのもあるが。 >>150
それは九州に何年も居座られた後だよ
九州は占領されていた >>128
古墳と最初に書きながらなんでお前は古墳の変遷や分布を無視した
出鱈目な権力圏を語るのか >>162
福岡県って方言が多いんだよな。
狭い範囲にたくさん方言がある。
どういう事?いろんな帰化人が住んでいたのかな? のろしって燃やすとすごい臭いんじゃなかった?
何が原料なんだろ、のろし こういうのって当時の人が何の事も意味もなしに
遊びでやってて
後の人があれやこれや見当違いな理由つけてる
とかいう可能性はないんだろうか? >>38
九州人がたまに奈良に来て砂を埋めて帰るから おもしろい。言葉の変化から
人の流れが分かる。
イングランドはドイツの植民地なのか?
みたいな 何で遠い内陸の奈良なんて朝鮮が攻めに来るの?船で何日もかけ体力も消耗し少数でありえへん
朝鮮も遠い内陸の奈良より対馬や九州の離れた小さい島違うの?奈良て
朝鮮から遠回りして奈良て内陸の奈良て何で奈良なん? >>169
攻めてくるのは九州から上陸の方が都合がいいし、実際の防衛もそうだろうね。
奈良まで攻めてくることはまず無いでしょ 最終的に唐が手を引いたのは、白村江の戦いの際に
日本側が鉄器の武器を自作している事を確認し長期戦に二の足を踏んだから 世間知らずだなあ
奈良のローカル施設なのにあたかも周辺国に広く関与しているかのように印象操作している
自意識過剰なヤマト馬鹿学者がいる事よ
BC660から万世一系の天皇だとか信じてるネトウヨと同レベルの連中だろ https://note.com/sz2020/n/nbc1e6937b6be
>『旧唐書』(列伝第149上)「東夷」倭国・日本国
>【原文】
>日本國者、倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本為名。
>或曰、倭國自惡其名不雅、改為日本。或云、日本舊小國、併倭國之地。
>【書き下し文】
>日本国は、倭国の別種なり。
>其の国の日辺に在るを以て、故に日本(ひのもと)を以て名と為す。
>或は曰く、倭国、自ら其の名の雅(みやび)やかならざるを悪(にく)みて、
>改め、日本と為す。或は云ふ。
>日本は旧(かつて)小国にして、倭国の地を併せると。
白村江の戦いで古代の堂々たる大国の倭国は敗戦国になった。
それまで倭国の下だった日本が、それを契機におおきくなった。 倭国にとって「馬韓弁韓辰韓」は固有の領土だった。
だから大軍を派遣して唐新羅の連合軍と戦った。
「百済」がタダの属国だったら、
属国のために大軍を派遣しない。 ああ、偉大なる大韓が東夷の倭軍倭寇に圧勝完勝全勝した
当然の歴史である白村江の話ねwww
まあこれはね、元軍来襲やら黒船来航やらポツダム宣言に
勝るとも劣らないショックなわけでね。
だいたい>1には奈良のお話だが白村江で負けたジャップ国は
従来は交通至便な水運の都、今でいう大阪城前の難波京から
内陸は滋賀の近江大津京までヒキっちゃったくらいなわけでね。
地上最強の戦闘民族たる偉大なる大韓と東夷倭国は一衣帯水
すなわち海を通じて一直線なわけでね。
大韓海軍の戦列艦が瀬戸内海つっきって
大阪湾から艦砲射撃と揚陸作戦おこなってみねえ
海から大阪城前の難波京なんて目と鼻の先なんだからね。
のちの戦国の世に大韓・徳川連合軍が朝鮮出兵、文禄慶長戦役の報復に
大阪冬の陣夏の陣で豊臣大阪城を落としたより早く、陥落するだろうねwww
ま、史実の話はともかく、それくらい倭国はビビりまくったんだよ。
もちろん軍事施設の整備は急務だったろうね。
そして情報伝達施設たる「烽」も。>1は素晴らしい発見だと思うよ。
そして白村江の大敗という国難に迅速に応じ、
果断に軍事兵制のみならず国内体制の改革をなした
時の王朝のリアリズムは大したもんだ。
そして往時の国家指導者が今おったなら…オリンピックはやらないねwww >>177
新羅の始祖朴赫居世・瓢公は倭人だ。
はい論破w 古代の朝鮮半島にいた人々は
漢字を全く別の読み方していた。 >>171
新羅を屈服させられなかったのが、最大の要因。
朝鮮支配を諦めた段階で、日本侵攻はムリ。 >>177
チョンは恵慈や中臣鎌足を送りつけたりして
自分たちで国を守れず日本を何とか争いに引きずりこもうとしてたチキンだろ
それに今のチョンと古代のチョンは違うから
10世紀の白頭山大噴火で大量の朝鮮人は死んだ
渤海は滅び大量の靺鞨人と朝鮮人が日本に逃げ込んだほど
それで無人になったとこに満州人だのモンゴル人だのシベリア人だのが侵入して
できたのが今のお前らチョンなんだよw
高麗の王建もモンゴル人
李氏朝鮮の李成桂も満州人
今のチョンはぜーんぜん韓民族じゃねーんだよwwwwww 実は、白村江がなんと発音されたのか、どこにあったかすら判然としていない。 >>182
発音はまず、
何語での発音を問題にしているのかからだ。 古代日本の漢字読みから想像するしかない
切韻の仕組み上 つうか、唐との記録より
蝦夷との戦いの方が記録多いぞ? だいたい、漢字の「江」は、中国語なら河川を意味するが、
日本語なら「入り江」を意味する。「白村江」の「江」はどっちなんだ。
「こう」と読まれたのなら特定の場所ではないのだから、戦場を指すのにはふさわしくない。
「え」と読まれたのなら、「入り江」で朝鮮半島の地名が日本語だったことになる。 天皇の系譜がどうであれ、天皇制は存続させた方がいいと思うぞ
いらないのは宮〇〇だ。奇妙な権限をもたせないで、握っている歴史資料を
すべて公開させ、考古学調査も徹底的に行って、明らかになる歴史上の
事実関係がどうであれ、というより、その事実関係をはっきりさせたうえで、
現在の天皇の系譜を存続させることが国民の歴史教育にも最も役立つはず。 >>191
手取川の戦いの「川」はなんと読むのですか? >>191
白村江の戦いについて、日本では「白村江」と表現するが
中国人は「白江之口」と書いてる(旧唐書) >>147 >>1
当時は奈良盆地には大きな湖があった。
大阪湾から舟で遡及できた。
法隆寺も湖畔にあった。 >>195
奈良湖は単なるファンタジーだよ。
奈良盆地は腐るほど地質調査をしており
奈良盆地の北部に湿地があったことは認められているが
同じ地域から縄文土器も見つかっており、水を蓄えた湖はなかった。
元々奈良湖説の由来が、何も地質調査に基づいていなくて
奈良盆地を周回する山の辺の道という街道があるため
そこよりも水位の低いところは湖だったに違いない。
という結構短絡的な仮説 >>198
寧ろ奈良湖を証明するソースだして。
奈良盆地北部の遺跡、遺物について確認したかったら
全国遺跡総覧ってサイトで検索するといいよ。
後、法隆寺が湖畔だったというソースも欲しいな。
大雨が降って大和川が増水すると、法隆寺の門前まで推移が上がったという話は聞いたことがあるけど
法隆寺のある奈良県斑鳩町にも西里遺跡という縄文から続く遺跡がある。 >>28
WW2時
「だから戦車も車長が手旗通信すれば良くね?」
戦車のカタログスペック自体は(当時WW2初期の)ドイツと比較しても劣っていなかったのだが
ドイツ…車長が周囲を確認して指示を出し 運転手が運転して 装填手が装填して
砲手が砲を撃って 無線手が通信する
フランス…車長が周囲を確認して指示を出して装填して発砲して手旗通信して隊長車両は無線機も使って
運転手が運転したw
ついでに運転もやればワンオペできたのにw >日本では「白村江」と表現するが中国人は「白江之口」と書いてる(旧唐書)
これだとやはり、日本では、「江」は入り江として理解され、
中国人は、「河川」として理解していたことになるので、
固有名詞としてみたときに「白村江」と「白江之口」で重なるのは「白」だけになる。
ところが、「白村」という地名にしても、「白江」という河川の名前にしても、
どの場所を指しているのか、どの河川を指しているのか特定されていない。
朝鮮半島の百済の地域で「白」が含まれる名称があったところを、
それ以外の根拠もなく、「白村江」または「白江之口」と想定しているだけ。 鬼の城とか白村江後に備えた城跡ってそこそこあるな
元寇を除いて攻められなかった無能な半島人に感謝だな ところで、百済の「百」の想定される中国語の発音は、
"Middle Chinese: /pˠæk̚/"であり、
「白村江」または「白江之口」の「白」の想定される中国語の発音は、
"Middle Chinese: /bˠæk̚/"であり、日本語でも「白」が「蛋白」で「パク」
となることからも分かるとおり、"/bˠæk̚/"の"b"は容易に無声音化して"p"になる。
すると、そうなると「百」と「白」の発音の区別は消える。
当時の日本語の表記も中国語の表記も、地名の発音を反映させるように
漢字を単に当てたとすれば、「白村江」と「白江之口」で「白」が重なるだけで
場所を特定できると考えることがいかに根拠が薄いか明白となる。 >>199
ブラタモリでやってた。
>法隆寺のある奈良県斑鳩町にも西里遺跡という縄文から続く遺跡がある。
平均温度が上下すれば水面も上下するやん >>1
のろしといえば、三国志演技の関羽死亡までの下りが、まず頭にうかぶ >>204
> 平均温度が上下すれば水面も上下するやん
海に面した平野部ならまだしも、山に囲まれた盆地の中で水面が上昇したなら
今海抜20mないほぼすべての平野部は海の下だよ。 >>207
なに言っているかよく分からんが、今とは標高も微妙に違うでしょうに
>>206
小役人かよw まぁ九州から完全な盆地に逃げるいうのはないだろなあ >>208
奈良湖の発案者からして、物証があって奈良盆地が湖だったと唱えたわけではないの。
そして奈良盆地内に湿地と縄文からの集落があった物証はある。
ブラタモリでやってたって、あの番組は尽く諸説ありますって注釈入れてるし、それを鵜呑みにする方がおかしい。
奈良盆地周辺の地形も気候も調べたことがないんだろうけど、平均気温の上げ下げで
海面が上がったり下がったりすることはあっても、海から山で遮られた奈良盆地にまで海面上昇の影響があるはずもない。
奈良盆地には標高の高い山もないので、雪解水でなんとかなることもない。 >>202
日本海側、大雪だもんw
現代でも苦労するだろ。太平洋側知らなかったら まぁ完全な盆地に逃げ込むほど唐が怖かったんだろなあ
知らんけど 何で🇨🇳中国様の奴隷でいいや
になっちゃうんだろうな。
別言語の遺物出土して、歴史改竄したら恥だ。 ID:qgZ4yhWh0が、何も調べてなさそうなので、奈良湖説の由来を説明する。
まずここで言われている奈良湖は、6000年前の縄文海進のピークの頃の奈良湖ではない。
縄文海進の頃は、今よりも海面が100mほど高く、奈良盆地には海水が流れ込み塩湖だった。
これは奈良盆地のボーリングで、塩分の高い地層が見つかってる為ほぼ確定の話し。
海面が100mも高かった頃なので、海に面した平野部は軒並み海の底に水没してた頃の話し。
で、その後の奈良湖説は飛鳥時代や古墳時代でも、奈良盆地が湖だったとする説なんだが
提唱者が奈良盆地は湖だったと言い出した理由が、実はそもそもイケてない。
奈良盆地の東の端、北寄りに春日山という山があり、そこから南に下ると三輪山と言う山がある。
山辺の道と言う、春日山から天理を抜け、三輪山まで続く古道があるんだが
これが平地もあるが山間を含む古道なので、古代にはその道の脇まで湖だったのではないか?と言う
単なる仮説でしかないのが、奈良湖説の由来。
全く立証されてないし、そもそも古代の奈良盆地の中心地は、奈良盆地中部から南部。
壬申の乱による政権交代や、それ以前は九州に王朝があったとする、九州王朝説論者に都合よく使われてる玩具になってしまってる。 大陸の資料は誇張が多過ぎるよなw
食料はどうするの?
⛄冬なのに >>214
島大臣?!蘇我氏の本拠地明日香村だよな?
島に住んでたから嶋大臣じゃなかったっけ? >>218
明日香の邸宅の庭に、島を浮かべた池があったから。 漢字の読みは
隋でも相当バラバラだったみたいだな。
切韻作ったのは隋の陸法言(鮮卑族)
朝鮮半島の読み方は(古韓音)一緒にならず、
唐に占領されるまでは独自の道を歩んだ? しかしなんかスレを見ると古代ジャップ国が
偉大なる大韓の王朝を当時支配してたとか噴飯モノのことを
のたまっているネトウヨどもがおるが、そんなわけないだろwww
まず太古以来、文明力が違うところにきて、
もしね大韓半島に日本領があるなら、そのこと書きまくるだろ史書にw
それこそ針小棒大にさwww 歴史戦世論戦ってやつw
そして子孫に言い残すだろ?「レコンキスタしる」ってさ。
いつかは「半島反攻しる」「失地回復しる」って。
少なくとも古事記のね、天孫降臨のところで
「ここは韓国に近いからいい島だ」なんて神々に言わせるかよwww
もちろん弥生時代以降、いわゆる自称「日本人」とやらは
偉大なる大韓からやってきた大韓民族の渡来弥生人であるからして
その意味で倭国と偉大なる大韓の王朝に関係があるかと言われれば
それはあるのかしらんけど、ネwww >>213
言語と文字は別
この時代の日本や朝鮮がどんな言語使ってようが、
出土する文字は当然に漢字のみ しかしあんだけやって全然追撃が無かったって当時の日本は本当に無価値な辺境だったんだな
お陰でヌクヌクと発展できて本当によかったわ
海さん、日本を守ってくれてありがとう! >>224
そりゃシナ人なんて「圧倒的優位」じゃなかったら戦えない腰抜けなのに、海を越えて半島覇権を争いに来たような日本人の本拠地に乗り込む気概はないだろ。
そもそも戦後処理も唐のほうから使者を出してきて、二年後には日本人捕虜を返してる。 >>224
新羅と仲違いして、結局負けてるから、
日本に攻め込みようがない。 >>221
そりゃチョンとは文明力が全然違うわ
世界最古の縄文土器に世界最大の古墳を作れる金甌無欠の大日本帝国やぞ
今も昔も他所から文明をパクるだけのチョンには到底できんことやw 九州に上陸した唐軍が攻めて来るのを見張るのろし台が奈良にあるの?
遠すぎだろw >>1
ああ、中国の国家制度を必死こいて猿真似しまくって調子乗ったアホジャップが白村江で五万匹程コロコロされた後の話か 歪めてるw
日本→タヒね!破壊しろ
中国→イヤッホゥ!神さま〜 あんなんでもあいだにMCはさむじゃん?はさむからわかっちゃうじゃん?せざる得ないのがそもそもPRで動いてる、あのー東南アジアの軍閥まで巻き込んであるからでかいというどや だから安倍もひっかかるねん
拗れてるのはやらせと蹴って話なんだろどうせ安倍ゲートの業みたいなもんなんだろ >>225
その腰抜けに五万匹程コロコロされて遷都したジャップって…………
ジャアアアアアアアアアアアアアアアップwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>185
半島に行った連中皆殺しにされたからね
記録の残しようが無い >>230
何を言う
縄文人は遠く南米まで行ってインカ帝国を作ったという説まであるのだぞ
白村江はそもそも百済を助けに行ったのに感謝せんかい
そもそも縄文アイヌの末裔である誇り高き日本人が
チャンコロの属国事大主義の糞便洗顔民族のチョンとでは
遺伝的にも性格的にも合わんのや >>236
ああ、周辺部族襲って片端から人捕まえては心臓抉り取ってた猟奇帝国か
白人様に本能レベルで平伏すところといい、確かにジャップに似ているなぁ >>235
チョンと関わるとロクなことがない
豊臣秀吉もチョンと関わったばかりに徳川の天下になった
白村江の戦いも九州がチョンと関わったばかりに近畿の天下になった
チョンと関わったら負けという法則があるのだよ >>62
鎌倉武士の多くは鮮卑や契丹だったからだよ
倭人は馬に乗る文化ないからな
東北地方(蝦夷)からは女真族の遺跡が発見されてるんだけど
東北地方には独自の中国北方異民族との交易ルートがあって
騎馬文化なんかも独自に入ってきてた
「奥州藤原氏」ってなんなの?って
中国北方異民族だわな普通に考えて
じゃなきゃなんで藤原氏があんなところに拠点持つわけよ >>41
九州から奈良まで定距離で狼煙台を連ねるんだよ バイデンが米大統領なったんで中国は台湾を本気で取りに来るだろ
そうなれば次は尖閣がターゲットになるかもしれん
その前にこっちから出るべき
大日本帝国のように朝鮮半島と満州を併合して五族協和で中国に牽制かけるべき
まーバイデンになって一番の困るのは北チョンやけどw >>239
奥州藤原氏は、氏族としては京都の藤原氏の連枝だよ。 >>83
でもジャップさん単独で対外戦争して勝った試しないですよね
元寇?戦争ってのは守る側が基本有利ななでwwwwwwwwwwwwww 東北蝦夷を他国と断絶した縄文人って思うのは間違いだからな
だったら東北の騎馬文化はどこから輸入したんだよっての >>239
鮮卑契丹はモンゴル系
女真族はツングース系 >>242
そりゃ名門を名乗るわな
一族の祖先のうち、一番通りがいい名前を使うわ
でも確かに藤原氏が祖先にいたことは確かだろうけど、主には鮮卑や契丹の勢力だよ >>245
米英ブースト無しならジャップさん三ヶ月持ちませんよ
はい次のスライで >>6
金持ちは儲かるならなんでも思いつくもんだな。 鎌倉武士は馬と弓の文化だろ?
馬と弓の文化ってことは東北蝦夷の文化であり北方騎馬民族の文化ってことだよ
民族的背景がわかるだろ?
鎌倉武士がヤマト民族だと思ったら大間違いだわ 台湾人、「令和」の意味を噛み締めろ。
支那文明は終わり、敬意を払う対象では無くなった。 中国の「遼史」に「日本国王府」って記述が出てくるんだよ
遼ってのは契丹人の国な
つまり日本は遼の属国で、都督府が置かれてたということ
どこに?と
日本の歴史では誤魔化されてるが、「院政」ってそういうことだからな
じゃなきゃ「院政」なんてやる必要ないだろ? >>243
アホか戦争は攻める方が圧倒的に有利だわ
攻撃は最大の防御やぞ
秀吉に攻められて荒廃したままでずーと恨み続けてるお前らチョン見れば分かるやろw
日本は神風のご加護を受けた神国だぞ
モンゴル、中国、ロシア、イギリス、アメリカと世界的ヘゲモニー国と
全面戦争やってのけた誇り高き国は世界に日本以外ないわ 飛鳥時代の都って奈良あたりでコロコロしてたと思うけど痕跡ってあるの? 遼は属国の支配機関を「北面官」と「南面官」とに分けてて
日本国王府は「北面官」に属してるわけ
白河院政の武士団は「北面の武士」だろ?
じゃあ北面の武士って何人なわけ?という
北面ってのは、朝廷の北側って意味じゃないんだよ
遼から見た地域分類として日本は北側ってことだからな? そりゃ鎌倉武士ってのは鮮卑や契丹人なんだから
馬の扱いも弓の扱いも上手いし「源」を名乗るのもわかるだろ? >>251
だから高句麗由来なんだろ
埼玉に高句麗神社あるじゃん
それに群馬という地名が全てを物語ってるじゃんw >>255
言うほど明太子食わない福岡県民
言うほどきりたんぽ食わない秋田県民
言うほどたこ焼きお好み焼き食わない大阪府民
言うほど京野菜食わない京都府民
言うほど東京ばな奈食わない東京都民 この手の話はすぐに捏造されたんじゃないかと疑うようになってしまった >>258
あのー結果ありきで話してるけど
鮮卑契丹はモンゴル系な
で関東の連中にはモンゴル系と同じN系統Y染色体がほとんどねーから >>254
全てに勝利したベトナム
全てに負けて靴舐めてるジャップ ベトナムから謝罪と賠償求められる韓国さんパネェっす。 >>265
共産主義が崩壊した時点で全敗w
ベトナム戦争でベトナムが勝った!ベトナム最強!とかアホか?
米軍死者5万人、ベトナム死者200万人だぞ
米国は北ベトナムを東京や広島みたいに爆弾だけで皆殺しにして
廃墟にすることだってできたがそこまでして戦う意味もない
東南アジアの途上国ベトナムごときに >>266
ベトナムでアメリカが負けたのは
韓国軍が親米住民の村を襲撃し
大虐殺して南ベトナムの親米意識がなくなったためだ。
ベトナムはアメリカに勝った!世界最強!とかこぞって頭おかしいのがあいつら
米の若者が5万人死ぬのは無駄死にだと国内外から批判されて続けるムードじゃなくなったので撤退しただけ
あれはベトナムが勝ったんじゃなくて米国内のリベラルに当時の政府が負けたんだよ
もしアメリカが’45年当時のまま、つまり日本に平気で原爆落として焼夷弾で
手当たり次第に人間を火炙りにしていた頃のままだったらベトコンと言えど
ジャングルごと丸焼きにされてただろうよ ベトナムがアメリカを挫いたのは、限定ルールを設定できたことが大きいわな。
普通の全面戦争だったら、北ベトナムに直接上陸されて終わりだったが、ソ連の介入
全面戦争を考えるとアメリカがこれを選択するのはありえなかった。
また、北ベトナムもシャーシャーと「南ベトナムには、介入していない」と言う体裁で
日本の左翼文化人も知っていても知らんふりしていた。 日本が特アに甘かったのは、北海道より以北に1億人以上も生息する歪な状況を作り出した道義的な責任があったからだ。民族の生存能力を越えて繁殖させてしまったからな。
いつまで化石燃料のみで支えられるか分からず、大量死が新型インフルを生み、次のスペイン風邪が必ず来る。
令和とは支那文明と決別し、日本独自の文化を織る意思表示…今、パンデミックをやり過ごす防疫体制を作ってるだろ?2024年頃を目処に完成させる。
完成すれば特アの口減らしに躊躇しない。 北ベトナムがアメリカに勝てたのなら、日本も勝てたんじゃね?
みたいなことを言う人がいる。
北ベトナムが持っていた環境、ソ連の支援・米軍による本土上陸は無い・空爆も
限定的な国境付近。
対して日本は、完全包囲資源流入断絶・ソ連参戦・全土無差別爆撃・原爆・
あらゆる地への上陸の可能性。
話にならんw >>268
ジャップは害獣
ベトナム人は有色人種とはいえ人類
この差を理解しろよ。ジャップ >>275
文字通り『啓蒙』してやっているのさ
五体投地して感謝したまえよ。ジャップ 日本の主敵は戦勝国と勘違いしたバカどもではなく、新型インフル。
1997年、アラスカの凍土からスペイン風邪の犠牲者の凍結遺体が発掘され、奇跡的に病原体の分離に成功。鳥インフルだった。
2000年以降、法整備やワクチン製造の時間短縮が図られ、最低限の供給体制は出来ている。全国民に接種する体制を今、作っている。 >>274
なら名誉白人の日本人の一人勝ちやな
伊達にG7の一国やない
北チョンと仲良く寄生虫のごとく世界中でジプシーしてればいいよ
チョンもベトコンもw 新型インフルのワクチン供給体制は従来方式の最適化を追及したもので、革新的ではない。
そこで富岳の出番だ。
コロナウイルスの解析は新型インフルのリハーサル。
ワクチン製造も鶏卵ではなくカイコを使った大量生産技術が開発中。
いくらでもパクっていいが、全国民の接種は自国でやらねばならん。できるかな? 逆に、日本が遼と対等同盟を結んだ可能性はある…?
まさかw
義経チンギス・ハーン説じゃん、それ
でも、金が高麗占領しなかったのおかしいよな?
南下する方が簡単じゃ 日本の永続性を担保する一連の活動が、そのまま日本を敵視する連中を殲滅させる活動になってるのが実に日本的だろ?
助かるには日本に敬意を払う事すら不十分で、社会を日本化させるしかない。
間もなく、日本も実名社会に変わる。
特アの実名では暮らしにくくなるだろう。 >>257
それより高麗の嫌われっぷりの方が
気にならない?w
先に高麗と同盟なり、政略結婚するなりするんじゃ? 渤海からの渡来人が渤海滅亡後も日本に来てなかったっけ?
王国が変わりましたって日本に報告してる。 『日本紀略』は醍醐天皇の延長7年(929年)12月に東丹の使節が丹後国竹野郡大津浜(現在の京都府京丹後市)に来着したことを伝える。
この派遣は、東丹が遼陽城に移った後の時期に当たることから、遷都後も日本海沿岸に東丹の支配が及んでいたことがわかる。
使者はこれまで二度も渤海国使として来日したことのある裴璆(はいきゅう[3])であった。 >>96
中国史観だけじゃ もうダメだ
京都の都は、中国を模して造成されたものだし
マネにしか過ぎんよ マネは上手い
ほとんど占領か侵略に近いよ
最近 奈良や三重県で新発見されてるものは、日本の教科書を否定するものだし ぜんぜんちがうよ だって、遼成立したの916年じゃね?
思いっきり矛盾してるw >>288
日本は中国文明のまったくの模倣者ではなく自分に合わせて改変するのを
得意としていた。
科挙なんて日本には実施できないので換骨奪胎した形でしか採用できなかった
しそれもすぐに廃れた。異民族に対して防御となる都市を囲む城壁も無かった。
中国のまったくの模倣は、不可能不必要で日本の実情に合わせて
改変する必要を理解していたんだな。日本の創造性、工夫はこの辺にある。 狼煙って特殊な木を燃やすのか?
煙モクモクな木があるんか >>286
うん、亡国の民となって いったん朝鮮半島を南下してたらしいわ
古代では、中国大陸から、日本に逃れた 政治的亡命者がかなり多かったのかもね?
もう少しマジメに 調査と検証していかなきゃわからんけど
新しく発掘調査で出てきたブツは 既存の日本の教科書だけでは説明が足りんよ そうだ。日本は北魏の生き写し。
日本の武士反乱は、北魏六鎮の乱に相当する。平将門、多治経明、坂上遂高らは、中央で出世出来なくなったことに不満を持った蝦夷征伐の元エリート一族である。律令制の腐敗が日本と北魏に分断を生んだのだ。 >>290
中国とは そこがちがうけど
京の都は 模倣はしたんだよ
それは明らか過ぎるっしょ
現在の京都市中は わざとなのかw 軸もズラされてるしw ガタピシとゆうか
ヘンテコリン
素晴らしい知的文化や、文化財や 重要伝統的建造物群保存地区は 有してるけどもさ
どこかが なにかヘンテコリンw
高麗は嫌われまくりだし >>295
縮小して計画したもののそれでも日本の国力じゃ手に余って
完成を放棄したってことが原因らしい。 中国の法律参考にしても
微妙に時期を変更して日本風にしてるし
そのままってことは昔からしないんだよ >>297
え〜? なんじゃそりゃw
しかも その当時の男性たちに着せていた 衣の柄の派手さっぷりは いったい…
あの派手な色彩感覚は 高麗とか中国寄りの…なにか風な >>293
北魏っつうか、三國志の魏からの渡来人はたくさんいるぞ?
平田、丹波、谷、坂上、あたり。
身近にたくさんいるでしょ? >>301
そういや同級生に居たわ
それはまぁいいとして
律令制はアカンわ やっぱり
てゆうかさぁ
なんで よりによって、あんな派手な男と組まされなきゃいけないの?
いつまで 台本みたいな演劇とゆうか 劇団とゆうか
やらなきゃならんの?
もう、いいんとちゃうの?w >>295
戦乱で丸焼けになりました
今の凶徒は500年位前に出来たものです 狼煙とか通信手段として使えないだろ思ったら当時の狼煙を再現した映像見て腰抜かしたわ。
ガンガン煙焚くんだな。
焚き火みたいなもんだと思ってた。 >>302
律令制で一応国家の骨組みは完成したんやが?
まあ、日本は科挙や宦官などは採用しなかったけどな
日本が幸運だったのは当時の朝廷が中国の制度を完全に真似っ子
することなくゆるーい律令制に留まったこと
時代が進むにつれて人口が増え口分田の支給が間に合わなくなり
墾田永年私財法に始まる土地の私有の拡大が後の荘園制に繋がり
更には武士の台頭、幕藩体制という封建制への移行へと繋がった
事だな
ガチガチの律令制だったら有為の人材は全て科挙に吸い上げられ
地方は中央から派遣されてくる官吏による収奪に常に晒される
ことになるから何時まで経っても社会資本蓄積が起こらず近代化
の芽が育たないって事
更に中国や朝鮮半島は異民族等による王朝交代が頻繁に起こって
そのたんびに一から社会はやり直しになたw
彼らには明治維新が無理だったのはその違いが一番大きいかも 隋、唐の建国と白村江の戦いの時期は物凄い緊張感あるよな
飛鳥時代とか「なんか原始時代の人が流行りの仏教とか導入したらしいよ」みたいな甘い見方されてるのがおかしい
黒船来航の時に匹敵するくらいの国家的な危機感の上に急激なピッチで国のあり様が対応されていく姿が分かる
当時の人の驚愕と、政治的な有能さがこの時代の遺物を見ると分かってとても面白い時代 >>306
そもそも、倭というか倭人文化圏は朝鮮半島南部まであったのが
その後の新羅とかとの闘争で消えてなくなったという事実がある
てかさ今でも朝鮮半島に隣接してる対馬が日本語喋ってる日本人の土地なんだぜ?
半島南西部に倭式の前方後円墳が何基も残ってる
逆にいうと白村江の戦いで日本は半島の影響力を完全に失って
しまったという事
古墳時代の倭国の歴代大王は中国の王朝に対して朝鮮半島南部も
ワイらの支配地や、なーんて朝貢外交やってる支那 >>290
そういえば宦官って中国史で大きな影響力あるのに日本にはいないのな >>308
日本に宦官が導入されなかったのは、有名な話だろ。
なぜ真似しなかったのかはわからんが、
ともかくそのおかげで、平安貴族の紊乱社会ができた。 >>305
国衙 対 地頭の構図
秀吉の太閤検地まで国衙領残ってる。
信長の野望のやり過ぎ。
九州探題とかも権限無いけど残ってる >>306
飛鳥時代って授業じゃサクッと終わらさせるけどイベント内容の濃さとエグさで面白いよね >>224
そりゃシナ人なんて「圧倒的優位」じゃなかったら戦えない腰抜けなのに、海を越えて半島覇権を争いに来た勇猛な日本人の本拠地に乗り込む気概はないだろ。
そもそも戦後処理も唐のほうから使者を出してきて、二年後には日本人捕虜を返してる。 >>295
今の京都は最優秀民族・日本人が再設計した都市だからな。
世界一魅力的な都市に京都が選ばれても、中華都市は相手にもされてない。
シナ猿が勝手に起源(笑)主張して京都の名声にタダ乗りしようとしてるだけ。
中華都市に似ているのは北朝鮮や韓国の田舎。
オリジナルだと主張する中華都市。
見ただけで吐きそうになる。
https://i.imgur.com/VTzfbsL.jpg 後漢の滅亡から隋の統一まで事実上400年くらい中国は戦乱だったからな
日本としては何の圧力も無かった
だからいっぱしの覇権国家を気取って半島に進出することが出来ていた
そこに突如として超大国が出現したわけだからな
日本側がそれとどう向き合うのかは国家の命運をかけた選択だったわけだ
隋も唐も「日本なんて興味なかった」とか嘘だからな
思いきり覇権国家として周辺地域への軍事行動を起こしまくって野心をむき出しにしてる
「次は日本かも」と言う恐怖が常に存在していた状態
日本が侵略されなかったのは運が良かった点が多い
突厥や吐蕃の活動が唐の動きを抑制して侵略を断念させてる
要は偶然
かなり緊張感のある時代だったと思う 白村江の戦いの後とか割と本気で危なかったけど、吐蕃や突厥の問題や、それに便乗した新羅の反乱が重なって唐はそれどころじゃなくなったからな
日本は中国の事情を見て即座に和解の使節を送ってお互いの落としどころを作って安定を得てる
この辺の動きとかもかなりギリギリで面白い
飛鳥時代をただの「なんか中国のマネして律令どうにゅうしてー仏像作っただけのツマンナイ時代―」とか言う認識は勿体ない >>315
運じゃなくて地域のパワーバランスを精密に読んでいたからできたこと。
むしろ突如として出現した超大国は日本。
突厥や吐蕃にも苦しめられてたレベルの唐が海を越えて外征してくるようなヤバい島国に侵攻なんてできるわけがない。 >>318
古代にはなんべんも半島に出兵してるのに、
突如出現した超大国とか、ウリナラファンタジーかよ。(´・ω・`) >>319
半島はチンカスみたいなもんだろ。
白村江の戦いの頃には、少なくとも唐が出てきてもかまわんレベルで外征してるわけだからな。 >>320
日本を意識したから、唐が出てきたわけじゃねぇ…
白村江の前に百済王を追い落とした段階で、
唐軍はもう来とったわ。 歴史マウントを取ろうにも、日本においては死んだ文明。
メソポタミア、インダス、エジプト、支那
こんな感じで現在とは関係なくなる。
それが令和の意味。 >>320
そもそもなんで白村江の戦いが起きたのかというと
唐は高句麗を滅ぼして朝鮮半島を支配したかったが
高句麗がなかなか強くて、何度も失敗したから
高句麗の背後を脅かして高句麗を二方面から攻める戦略を取るために
新羅と同盟を結び、まずは高句麗の同盟国だった百済を攻め滅ぼすという作戦を取った
そこで百済の同盟国だったに日本とも戦うことになったのが
白村江
つまり唐なんて、それほどスーパー軍事国家というわけではなくて
朝鮮半島を支配するために正面から高句麗と戦っても勝てないくらいの力量差でしかなかったってこと
そんな唐の軍事力では渡海作戦までして日本を滅ぼすというまでの
戦略はけっこう無理があるよな
実際に白村江の後には、百済、高句麗の旧領土を支配していた唐だけど
その後、唐と敵対関係になった新羅に朝鮮半島から追い出されてしまうのだから 半島嫌いは分かるけど白村江の戦いの後の唐の侵略が無かったのは間接的に新羅の反乱が影響してる
白村江の戦いの後に吐蕃の反撃で唐が滅びかけたところに便乗して新羅が反乱を起こしてる
天武天皇は新羅が唐と対立してるのを見てこれと結んで対抗処置を取ってる
更には渤海とも繋がって唐を牽制する形を作ってる
こういう巧みな外交を背景にして唐に日本が容易でないと思わせたうえで持統天皇の頃に唐との対立策を改めて和解に転じてる
当時の二転三転する状況に日本は上手く乗り切って独立を維持してる
この辺の動きも国際的でとてもダイナミックな緊張感がある
こんなに国際的な動きしてるのってあとは明治までないからな
この後の時代は日本だけの話になる
飛鳥が閉じた原始時代の延長だと思ってる人はむしろ視野が狭い >>324
羅唐戦争は、間接的じゃなくて、直接的原因だわ。
唐は本当は旧百済領を自分で治めるつもりで、
熊津都督府を設置して、旧百済王家を長に据えたが、
新羅に追い出されて、都督府を遼東半島に撤退させた。
朝鮮半島南部の支配を放棄した段階で、
唐の日本侵攻なんて夢物語になったんだよ。 吐蕃も突厥も無かったら新羅も反乱なんて出来なかっただろうからな
そのまま新羅を先兵に日本に雪崩れ込んできた可能性が高い
日本は状況に恵まれていたといえる >>326
>吐蕃も突厥も無かったら
意味のない仮定だろうがな。
周辺民族との勢力争いが、中国史の根本なのだから、 >>326
国の面積がデカいってことは、それだけ周囲に敵が多いということだ。
>>323 の人も書いてるように唐の軍事力なんて知れてるし、新羅にてこずったレベルの東軍が日本なんかに攻め込んだら全滅して唐帝国そのものが滅亡する。
そもそも唐軍の本質は北方民族の強さだから、温暖で湿潤な南に行くほど弱くなって現地民に押し返されてる。
仮に半島を完全制圧しても、対日侵攻には使えない。
日本人とそのホームで戦うなんて無理。 北魏の年号を真似たりしてるんだよね。
単純にカッコつけただけだろうけど。
血の繋がりあるわけじゃなくて。
新羅三郎とかも 日本が朝鮮に進出して任那が飛び地だったというのは資料的に確実なものなの?
よく知らない外野がざっとアウトライン見ると、天皇の出身地がそこだって話に見えるんだけど >>328
五万匹程コロコロされたジャップさんが言うと重みがありますなあwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww >>325
アジア歳弱の倭猿を調教して番猿に仕立て上げた英米の優秀さよ https://youtu.be/5mKFY7FWLd0
源氏は水軍持ってなかったんだよな。
どうみても渡来人なんかじゃないけど。 唐はそれまで日本の半島進出の最大の障壁として存在してた高句麗を滅ぼしてるからな
隋は失敗したとは言え高句麗に攻撃を仕掛けて半島に影響力を拡大せんと言う野心を明らかに見せている
それまで南北に分断されていた中国が統一され、半島侵出の意欲を強く打ち出している
日本にとっては、それまで構築していた半島の利権、ひいては自国の安全も脅かされる恐れがある
目の前に現れた超大国に対してどう対応するか
日本にとっては緊急の課題として緊迫感をもっていただろう
実際に隋の登場に際して日本はそれまでの古墳時代のあり様を文字通り一変させて
「舐められない」
独立国としての体制を急ピッチで作り上げている
仏教や律令の採用もただの流行りにのったお遊びじゃなくて、隋への対抗策の一環
この物凄い速さの改革を見ると明治維新もかくやと言うほどの変革
当時の人ののっぴきならない危機感を感じ取ることが出来る ⚔平家は水軍持ってるから、トンデモ話で
なんと新羅人だった!とか出来るかな?
辻褄合うかな? 飛鳥時代の日本の歴史は国際的で周辺国との緊迫した駆け引きや自国の「近代化」の改革など激動の時代でとても面白い
この時代の仏教文化にしろ律令にしろ、そういう背景のもとに採用発展した物だと言う事を理解するとより興味が深まると思う >>324
安土桃山の方がヨーロッパ勢も絡んで国際的だぞ 当時の日本は半島の弱小国を挟んで高句麗という図式だから「攻めるけど攻められたことは無い」と言う状態
その小さなレベルの争いからガチの大国の侵略の可能性に直面して相当な危機感があった事が伺える
ただ属国化や従属を選ばないで対等の独立を志向したあたり、無謀とも誇り高いとも言えその選択が日本と言う国のあり様を決めたと思う
白村江の戦いの後も天智天武の二天皇は従属は選ばず対抗を選択してる事からもその姿勢が分かる >>342
征服されておくべきだった
その方が後々の為だった >>342
白村江は日本の存亡の危機から
戦った日露戦争的な戦いじゃなくて
日本の同盟国だった百済の亡命王族に頼まれて
百済再興のために戦った戦争
でも送った兵力は唐・新羅連合軍よりもかなりの劣勢で
しかも軍を二手にわけて
百済方面で迎え撃つ連合軍に正面から攻めかける軍と
新羅本国を攻める軍とに分けていることから
まず勝目のない戦い
おそらく東アジア外交の今後のことを考えて
同盟国の頼みを断ると今後の日本の外交的な立場が弱くなるから
負けるのを承知していながら、一応義理を立てるという
カッコつけのために戦ったのではないかと思う
それと唐の脅威を宣伝して国内の体制を天皇へ権力集中させる体制転換のために
戦いを利用した、この国内体制を転換するためには
白村江で負けたほうがメリットがあった
そんなことはなかっただろうか? やっぱ奈良はロマンがあるなあ
千葉民なんだが奈良に移住しようかと思ってる
できれば飛鳥川の上流のほうにしたい >>345
俺はイヤだな
<ソース>
産経新聞(2018.11.28)
最古の大壁建物跡か 奈良・高取の遺跡で発見
https://www.sankei.com/west/news/181128/wst1811280010-n1.html
〜 大陸から来た渡来人の重要施設とみられる国内最大級の 〜
建築年代は4世紀末〜5世紀初めと推定され、最古の大壁建物跡の可能性もある。
渡来人が入植を開始したのは5世紀後半と考えられていたが、大幅に早まる可能性が出てきた。
〜 省略
白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館名誉館長(考古学)は、建物の時期についてはさらに
検討が必要としながらも、「(現場に)居館や祭祀施設など渡来系の人たちが営んだ重要な
施設があったことは間違いない」とみている。
遺構は、すでに埋め戻されており、現地説明会は開かれない。 >>342
全く同感
この時代はなんとなく、現代の日本の対米国や中国との国際関係の相似形を感じてしまうよな
歴史のダイナニズムの真理みたいなものが見え隠れしてる >>343
でもさ、もし日本列島が唐に支配されてたら、その後のアジアは地獄だぞ。
その世界線だと21世紀のアジアはすべて欧米植民地、軍事兵器どころか自動車すら自力で作ろうとすると欧米が総がかりでぶっ潰す。
アジア人の仕事はせいぜい白人様の靴磨き。 >>331
日本人は最強の最優秀民族
シナチョン猿は最弱の劣等民族、顔と遺伝子と国籍が天罰 >>330
中国から見聞した朝鮮半島の記述や朝鮮側の資料(三国史記)にも
新羅や百済が倭(日本)の属国であったこと、人質を倭に送っていたことが記録されている。
歴史的には朝鮮進出の日本軍拠点が任那日本府だったというのがほぼ確実。 日本が世界の中心なんだってね。文字も日本が世界に広めたんだってね。 三国志(魏志)より
「韓在帯方之南 東西以海為限南與倭接 方可四千里・・・」
韓国は帯方郡の南にあり、東西は海に面し、南は倭と接する 領土は4千里四方・・・
https://i.imgur.com/QiHAE5I.png >>324
なんで天武天皇はそんなに国際情勢が読めたのかな?
なんで天武天皇は外国勢力と交渉できたのかな?
簡単な話で、天武天皇は朝鮮半島で「育った」からだろ?と >>342
残念
「筑紫都督府」を置かれ(都督府とは、属国を監視するための宗主国の組織)
唐の留学生が1000人来たと記紀には書かれてる
(唐から後進国の日本に留学生が1000人なんてあり得ないわけで、つまり占領軍って書きたくないから誤魔化したわけだ) >>350
五万匹程コロコロされたのにかい?ジャップよ >>349
五代十国で独立出来るからへーきへーき
ニホンハシンクッだとかバンセイッケイッとかいったアホな思い上がりだけが消えたまともな国になるよ >>344
そんな敗戦の理屈づけは、
太平洋戦争でもできそうw >>344
って白村江の敗戦を「あくまで百済メインで、倭国はちょっといっちょ噛みしただけなんだよ」と矮小化したいのが記紀の立場なんだけど
実際にはそんなことはないんだよな
百済と倭国というのは限りなく一体の同盟体になってたし、当然王族間の混血も進んでたわけだ 任那日本府の消滅以後、倭人の半島拠点は百済国内に設けられることになる
複数の皇族や天皇が百済に派遣され、駐在していたってわけだ
当然、才能ある若者が異国に住めば、現地で恋愛関係が生まれる
そして混血皇族が生まれ、その混血皇族は「両国の王族に強いコネを持つバイリンガル」として重用される 例えば敏達天皇
敏達天皇の宮は「百済大井宮」
例えば舒明天皇
舒明天皇の宮は「百済宮」
これを「日本国内にあったんだ」とする説は、意味がわからない
なぜ天皇の王宮が「百済」と名のつくいわば百済人街にあったんだ
その方が不自然だ
自然な解釈をすれば「即位前の」皇子が百済に派遣、駐在しており、
先代天皇の死にともなって帰国した
だから天皇即位直前の王宮が「百済宮」と記される >>357
現実の史実は、国家としての主体性をうしなうことはなかった訳でその
歴史を拒否したいという理由はなんぞ? >>360
任那日本府に百済の官位を持った日本人や
朝鮮三国風の名前の人がいたようだ。 しかし狼煙がこれだけ大事だと
うっかり焚き火できないな
今でも春先の農村地帯できちんと消防団の管理下で野焼きしてても
たまたま都会からきたドライブ客がな119に「火事かも」通報しちゃったりするんだよ >>364
即位前に「軽皇子」という名前をつけられた天皇が2人いる
孝徳天皇と文武天皇
「軽皇子」ってのは記紀の誤魔化なわけだ
実際には「かるのみこ」ではなく「からのみこ」つまり「韓皇子」
百済王族と倭王族の混血皇族だよ >>360
百済と日本が一体化してたって言うなら、
どうして白村江より前の扶余陥落の時に、
日本は無関与なんだよ… ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています