ヤフーニュース(伊田欣司)2/5(金) 18:05配信
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滋賀県の琵琶湖大橋から南東へ車で25分ほど走ると、湖南市の菩提寺エリアに入る。古くからの神社仏閣が多く、戦後は京都や大阪のベッドタウンとして開発されてきた地域だ。

県道を進むと斜面に縦3メートル、横7メートルのモニュメントが見えてくる。菩提寺土地区画整理組合が2001年に設置したもので、江戸時代のある国学者が模写したとされる絵図だ。その元は、室町時代の菩提寺エリアを描いた「圓滿山少菩提寺四至封疆之繪圖」だという。

ところが、この絵図には複数の“フェイク”があることが近年、明らかになった。

たとえば、絵図には、「谷村」や「中村」など近隣村々の名称が小判型の円の中に記されている。だが、このこと自体がおかしい。なぜならこれは、後世の江戸幕府が国絵図を作成する際に指示した様式だからである。

もっと明白な嘘は、制作年月日だ。絵図には、原本の絵が描かれたのは室町時代の「明応元年四月廿五日(1492年4月25日)」と記されている。だが、この日付は存在しない。明応元年は7月19日からはじまるからだ。この年の4月25日は、前の元号である延徳4年になる。なぜ、このような存在しない様式や日付が見られるのか。

この絵図には南龍王順という署名があるが、これは椿井政隆(つばいまさたか・1770〜1837)の別名だ。江戸時代後期の国学者とされる一方、偽の古文書=偽文書(ぎもんじょ)を大量に残したとされる。

昨年3月、椿井政隆の偽文書に関する本『椿井文書──日本最大級の偽文書』(中公新書)が出版され、話題を呼んだ。“江戸時代のフェイクニュース”と新聞でも取り上げられた。

著者は大阪大谷大学准教授の馬部隆弘さん。椿井文書は文書だけでなく、地図、家系図、寺社や城の絵図など、数百点におよぶと言う。

「椿井文書は、文書の体裁や字体を使い分けること、制作技術が巧妙であることなどが特徴として挙げられます。問題なのは、各地の自治体が自治体史の編纂や郷土史の根拠にするなど、現在にも影響が強く残っていることです」

菩提寺まちづくり協議会の田中秀明さん(左)と湖南市観光ボランティア「あ・ゆ・む」の会の高井義三さん

地元で語り継がれる“歴史”が真っ赤な嘘だった──そんな馬部さんの指摘によって当惑する人たちもいる。前述の菩提寺まちづくり協議会の田中秀明さんもその一人だ。同協議会は、ふるさとの歴史を知るきっかけになればと、まちづくりセンターの菩提寺歴史資料室に絵図の複製を掲げている。その内容に嘘があると指摘され、ショックは当然あると田中さんは言う。

「古図の制作年月日が実際はなかったと知ったときは驚きました。たしかに、菩提寺が焼けて200年以上も経った江戸時代後期に描かれたものなので、境内の細部は作者の想像かもしれません。ただ……、地元の歴史を伝える貴重な史料として、すでに定着していることも確かです」

偽文書は、何らかの目的をもって偽作された古文書のことだと馬部さんは言う。

「たとえば、ある村や地主がその地域の価値を高めたいと考える。そのときに、著名な寺社と過去に深い関わりがあったという“歴史”が古文書に示されていれば、効果的な説得材料になります。そんな権威づけのために事実を偽って制作された古文書は多く、椿井文書もその一つです」

たしかに周辺には七夕を思わせる名称がいくつかある。天野川(あまのがわ)をはさんで、北側の蛭子神社には「七夕石」と呼ばれる高さ60センチほどの自然石があり、南側の朝妻神社には「彦星塚」(ひこぼしづか)と呼ばれる宝篋印塔(ほうきょういんとう)がある。

この古文書の発見を、当時の中日新聞は「七夕伝説の湖北発祥説が浮上」という刺激的な見出しで報じた(湖北とは米原市と長浜市を合わせた地域の呼び名)。

しかし、馬部さんによれば、「世継神社縁起之事」は椿井文書で、内容のほとんどがフェイクだという。

「この七夕伝説は、それ以前の古文書にはまったく見当たらないのです」

たとえば、享保19(1734)年成立の『近江輿地志略』には、「朝妻川」「天川」の記述は見られるのに、七夕伝説については一切触れられていない。蛭子神社=世継神社も、祭神不詳とされていた。

ところが、1987年の「世継神社縁起之事」の発見以降、地元ではこの「七夕伝説」の伝承が町おこしや教育に活用されてきた。実際、米原市は朝妻神社の彦星塚を指定史跡としている。
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