【歴史】実は不思議でも何でもなかった、秀吉の「中国大返し」 ★2 [ボラえもん★]
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(城郭・戦国史研究家:西股 総生)
■ 「中国大返し」の本当のキモ
備中高松城の水攻めにあたっていた羽柴秀吉が、本能寺の変の第一報に接したのは天正10年(1582)6月3日の夜である。
明智光秀は2日の未明、本能寺に織田信長を襲い、直後に毛利方に密使を発していたが、これが秀吉軍に捕らえられたのである。
ここからの秀吉の動きは速かった。備中高松城主の清水宗高を切腹させれば包囲を解いて城兵を助ける、
との条件を毛利方に持ちかけて停戦を成立させ、6日には備前まで撤退。世にいう中国大返しの始まりである。
光秀が畿内制圧に動き出した8日、秀吉は居城の姫路城に着く。
3日後の11日、光秀が畿内諸将の支持を得られないことに焦りを募らせていた頃、
秀吉は大坂に入って摂津方面の織田方諸将を糾合にかかり、13日には山崎の合戦で光秀軍を破るのである。
秀吉の中国大返しについては、これまでも、万単位の軍勢をなぜ、これほどすばやく移動させられたのか、
兵士たちの食料をどう確保したのか、という問題が取りざたされてきた。しかし、軍勢の移動については、筆者は特段不思議だとは思わない。
なぜなら、秀吉軍は自軍の補給線を逆にたどっているだけだからだ。
まず、備前は秀吉に従っている宇喜多氏の領国で、備中戦線に対する秀吉軍の出撃拠点だ。
そうである以上、万一備中戦線が危機に陥った場合、備前まで退却することは最初から織り込み済みである。
次に、もともと近江の長浜を居城としていた秀吉は、播磨を平定し、中国方面軍司令官に任じられたことによって、姫路を居城としていた。
つまり、この時点で姫路は、備中戦線に対する後方支援基地なのである。当然、兵糧などの物資も備蓄されている。
であるならば、まず備前まで退却し、そこから腰兵糧(携行食糧)をもって姫路まで走れば腹を満たせる。
いったん兵を休ませ、姫路から腰兵糧をもって東に向かえば、2、3日で大坂に着く。
大坂は大都会だし懇意の商人などもいるから、兵糧の調達はどうにでもなる。こう考えるなら、軍勢の急速な移動そのものは不思議でも何でもない。
中国大返しの本当のキモは、秀吉の判断の速さに求めるべきだろう。
変事の第一報に接するや、ただちに戦線をペンディングさせ、軍を反転させる決断をためらわずに下し、実行に移したところが、秀吉の勝因なのである。
この秀吉の迅速な決断についても、不思議がる人が多い。6月3日夜の第一報の時点では、情報の真偽も信長の安否も確認できていないからだ。
毛利方への密書を謀略と疑うことなく撤退を決断できるものなのか?
いや、それをいうなら、このタイミングで光秀からの密使を捕まえた、という話そのものが出来すぎではないのか?
現状では、戦国史研究の第一人者のである先生方までもが、こうした点に疑問を呈し、
秀吉は光秀が謀叛することをあらかじめ知っていたのではないか、などと大まじめに論じている。
しかし、秀吉の迅速な判断と行動は、筆者にいわせれば不思議でも何でもない。
秀吉が置かれた「現場」の状況を「作戦」という観点から分析すれば、むしろ当然の判断とすらいえる。
どうも、研究室で史料や論文を読んでいる先生方は、戦場という現場で起きている事件を、「軍事」という観点から理解することが苦手のようだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8031121986b9be4fbd728e468a2aec7b70c2262f
★1が立った時間:2021/02/09(火) 12:20:46.14
※前スレ
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1612840846/ ここで秀吉が帰ってこれなかったら歴史はどうなってたんだろうな そりゃ情報戦と外交戦略よ
先の先まで読んで動くのが将の基本や 新スレが出来たから前スレ1000の反論。
武田信玄は武田信虎の息子で武田家の人間。
羽柴秀吉は羽柴家の人間で織田家の相続とは何の関係もない単なる陪臣。
だから全く参考に成らないよ。
況して秀吉は天下人に成ったとも織田家の人間抹殺してないのに。 >なぜなら、秀吉軍は自軍の補給線を逆にたどっているだけだからだ。
ドヤってるとこすまんけど、おれ小学校で普通にそう教えられたよ 人と武具とを最も早く移動させるなら船だったのに
なぜ秀吉は船を使わなかったのかが謎 中国大返し
秀吉の軍
そんなに走ったら、山崎の戦いで疲れないのかね >>6
秀吉は野戦は苦手やけど城攻めを得意としてんだよ
そもそも織田家のやり方が戦う前に敵陣営を調略で無茶苦茶にして
裏切らせてこちら陣営に引き入れた上で敵国に攻め込むやり方
孫子が言う戦う前に勝つってやり方をしてたのが信長で秀吉はそこから学んでる よく考えたら秀吉以外は中国にいた兵そのものでなくてもいいんだよな
波動の伝搬みたいなもので >>1みたいなシッタカに百歩譲って
「中国大返し」そのものは大したことないとしても
大返し途中で中川清秀高山右近の摂津勢と
明智盟友の細川筒井を手紙だけで信長は生きてると騙し味方にした一世一代の大博打が凄い
ここを見ないと>>1みたいなシッタカバカになるので注意 歴史ものって
何かの切っ掛けで夢中になり熱くなるが
冷めると何年も放ったらかしになるんだよな...(´-ω-`) 何で当然なのかを述べて無い
もし毛利の謀略なら、追撃食らう可能性があるんだぞ >>1
まあ、不思議なことではないが、
その「大返し」は、秀吉でなければ無理だったろうな。非常に大きな決断が要る。
あの、ローマ帝国で、シーザーが「サイは投げられた」と言ってルビコン川を渡り、本国ローマに攻め込んだことに匹敵するかも。
一節では、黒田長政が入れ知恵したと言われてるが。 大河の細川の動きがよく分からん。なんで明智から離れた? >>12
船使ってるぞ
兵士の武具を船で輸送して
人を身軽にして走らせてる
高松城に居た羽柴軍は3万人(宇喜多が1万)
石山城まで撤退して宇喜多軍1万人を残して(対毛利で)
羽柴軍2万人を姫路に戻してそこから山崎まで進軍
途中織田信孝、丹羽長秀、摂津衆2万が合流して羽柴軍4万VS明智軍1万2千になったけど >>1
>秀吉軍は自軍の補給線を逆にたどっているだけだからだ
それにしたって、数万を動かすのは大変だってばよ
信長死すの情報はそこそこ広がってるだろうし
それだけの人数が離脱もなく、山崎の地まで動いたってのは
すげーことだよ 信長のやり方、秀吉も
いつか殺してやろうと、いろいろ監視してたんだろww >>22
>非常に大きな決断が要る
これもそうだよね。
「え? え? どうしよ、どうしよ。毛利と和睦しても裏切られるかもしれないし」
ってなるだろうし。 光秀は最後に山中で土人に殺されたみたいだが
どこに落ち延びるつもりだったんだろう 補給線を逆にたどればというけどさ、前線に整然と隊列を組んで
軍勢を移動させるのと、一気にスピード感をもって反転移動させるの
とでは全然違うと思うけどね。 >>4
光秀が足利義昭を据えた
室町幕府が復活したんじゃないか? >>25
実際関東攻略を担当してた滝川一益は軍が四分五裂しちゃったしな >>13
切腹後 堤切って2日現地でみとどけ
姫路までひっしにで帰り 姫路で2日休憩(根回し。
山崎に 現地の見方を布陣させ 後方に布陣。
実は結構余裕。
逆に 光秀軍は 安土いったり 京都を南下したりけっこうきつい行軍してる >>13
> 中国大返し
> 秀吉の軍
> そんなに走ったら、山崎の戦いで疲れないのかね
疲れていても数を集めれば、あとは山崎近辺の武将が靡いて、そいつらに戦わせればよい。秀吉本陣は戦わなくてよい
そう読んで当たった秀吉の勝ち >>12
船が何隻いるんだよ
そんな大船団準備するより、足が付いてる奴は走らせた方が早いだろ >>4
体制整えた柴田勝家か徳川家康のどっちかが光秀討ってただろ >>21
高松城を水攻めした時の堤防を決壊させて沼地にしてるから毛利軍は追えないけどな
村上水軍も3分割して四国方面の村上水軍は秀吉側に付いてた
村上水軍が分裂してるから海軍で追えない
陸は街道全部水浸しで追えない山陰方面は南条家は羽柴に付いてる 光秀はどう考えても突発的な単独犯だよな
根回しした形跡がなさすぎる むしろ黒田官兵衛の知名度と人徳により毛利とすぐさま和平結べたからだろ。じゃなければ後ろ気にしながら軍は動かせない。 >>23
> 大河の細川の動きがよく分からん。なんで明智から離れた?
所詮は老人の光秀では、この先、付いていっても寿命が来る
光秀には天下を取れない。
味方することは危険 信長、信忠の遺体を見つけられなかったのが明智の敗因
落ち延びた噂で誰も明智に味方しなかった 毛利が変を見破って条約破る危険もあった
そうなりゃ山陰山陽は取られてただろうな >>6
秀吉も光秀も優秀だろう?
そうじゃあないと、織田軍が畿内、北陸、中部地方を征服することはできなかったと思う。 光秀に「このハゲー」罵倒してるが信長おまえもハゲじゃんと思う
ちなみにザビエルはもっと酷いハゲ >>3
謀反人の絶望の13日間をやらずに 何のための1年間だったのか。
>>4
変わらん。
織田に属した武将で 本能寺にかかわらなかった武将すべてが敵か中立になってたから
遅いか早いかだけの話。
娘婿の細川とその親は 頭まるめて喪に服す(と戦闘しない宣言
同じく娘婿の津田は 織田信孝にさくっと討たれてる。
安土から盗んだ金を朝廷に献金しても 京を護れ(戦火だすな)といわれただけ。 >>29
義昭がいた福山じゃね
「右府さまを打ちましたが、ハゲネズミの奴にやられちゃいましたわw」 光秀が信長を討つかもしれないと細川藤孝の書状で知って本能寺の変の前から引き返す準備をしていたらしいな。実際に中国を発った日は史実よりも二日前だったとか。 >>39
筒井と細川で信孝軍を堺で足止め
羽柴と明智のタイマンになってただろうな >>38
実際に現場で足軽兵を指揮実行したのが斎藤利三なんでやっぱり利三は臭いんだよね、四国問題も被害者は利三だし。
春日局は利三の娘だが家康からしたらそりゃねぇ…。 >>37
十分追撃可能だろ?
水没地域なんて限定的で
いくらでも街道に出られるだろ
https://i.imgur.com/qZHFow6.jpg >>4
とりあえず柴田の勝ち
最終的には家康の勝ち
織田四天王はどれもパッとしねぇよ >>52
秀吉が流したとされる「上様イキテル」説の方がリアリティがあったんだろうな
当時の人たちには ノルマンコンクエストのハロルド2世もこうした忙しい展開だった
他にも事例はあるかな >>38
事前に謀反の勧誘なんかしたら速攻でバレるだけ
なぜこの時かと言えば光秀の悲願は足利義昭を盛り立てて室町幕府を再興する事だから
光秀が信長に接触した理由は義昭を立てて京に登り
幕府を再興する有力な豪族として期待してたけど義昭は追放されてしまった
義昭を預かっていた毛利が敗れれば完全にチャンスは潰える
出兵前が最後の機会と判断して無理ゲーに挑戦しただけ 足利義昭が首謀で毛利と長宗我部と光秀コラボの本能寺の変の話が、最近気になった 光秀は信長の首も信忠の首も取れず、細川にも見限られた時点で詰みゲー
ほんとうっかりさん 今どき中国大返しは不思議だなんて言ってる人はいないだろ >>46
光秀はハゲで
髷が結えなかったので
ツケ髷をしていたそうだ
今で言えば、カツラ
あの小さな髷が結えるかどうかが
当時のハゲかハゲじゃないかの分かれ目w >>3
そこだけ別で、いろんなパターンをやったら面白いなw もし偽情報だったら信長を呼び寄せた上で勝手に和睦して上方に兵を向けた秀吉は謀叛人として打ち首必至 でも、へうげものには秀吉が信長を直接殺ったって描いてあったけど? 補給を逆走ってのは解るがさ
物凄い勢いで大返しした後にすぐvs光秀3万とバトルだぞ?
これがスゲーよ 光秀が密使送っても表面上は「味方」なのになんで捕らえる事が出来たのかね >>48
ホント
資料の少ないとこを
訳の分からん人物だして延々ダラダラやって
一応の資料ある部分を飛ばし飛ばし
んであまり描かれることのない本能寺後(光秀主役がなかったから当然だった)
ここを丁寧に光秀の信長への葛藤やライバル秀吉との戦いでの心情などを
描くのかと思ってた
NHkはアホ
これからも受信料は払わん 勝者の歴史だから美談にされてるだけで
明智の動向知ってて大返しする準備してたよな >>72
信長の息子である信忠の軍勢を倒してからは織田軍勢を吸収して3万にはなってるよ >>55
いや人だけなら確かに強引に追撃できるかもやけど
羽柴軍は素っ裸で走って東に移動
毛利軍が重装備で走って追いつけるか?
次に石山城(岡山城)には宇喜多軍1万人がいる
そこに街道が水浸しの沼で兵糧運ぶのが不可能な毛利軍が追撃して
石山で飢えるんだぞ
戦争って直接切り合うより兵站が重要
だから秀吉が高松城水攻めの堤防を壊して4km四方沼地ににしたのは凄い戦略的なんですよ
水害地の動画をイメージしたらなんとなく分かるかもです
荷車で兵糧運べない、村上水軍は秀吉の裏切り工作で動かせない
こんな状態で兵站無視して追撃すると全滅します 大返しが無かったら長宗我部にワンチャンあったな
引田で仙石三好を破って細川筒井と連動して信孝丹羽を挟撃し摂津を領有できる そんなことより
信長が明智光秀を冷遇する理由がわからん
わざわざ部下からの信頼をなくすとかありえない
本当なのかね?
やはり秀吉が最初から天下を取ると画策してたとしか思えない 配下「光秀が謀反をおこしました!」
秀吉「しってた」 >>70
秀吉本隊が到着する前に光秀軍とは圧倒的差があったけどね
仮に疲れて戦闘力が落ちていたとしても光秀側からはわからない
目の前に大戦力が追加されたのを見たらみんな逃げ出したくなるのは必然 >>68
本能寺起こってなかった時の秀吉の処遇はどうなってたのか 信長、秀吉、家康って司馬遼太郎の創作なのに何言ってんのお前らw むしろ秀吉が天下を取るにはこのタイミングしかなかったという
絶好のタイミング >>70
明智:15000 本能寺>安土>京>筒井と合流するため大和(無駄足)>京>山崎
羽柴:本体2万 備中で2日(先発隊は移動)>姫路で2日休養&兵糧・軍資金分配、織田陣営への根回しご
ゆったりと進軍
摂津・京周辺の織田の諸将が山崎に布陣およそ2万。
まぁ 明智が勝てるわけがない >>82
信長の息子を養子にしてるから(当時実子なし)
悪くても家督譲って隠居 >>70
ただの平民なのに関白になった時も最初は征イ大将軍になりたかったがダメで
それなら政治権力争いの隙ついて近衛の養子入りして関白に
とにかく秀吉はその時その時の最善手を打つ、ダメなら次善の手を打つ早さが凄まじい >>77
村上水軍で秀吉についたのは
三家のうちの一家だけだろ
秀吉についたとしても他の家が
毛利の兵站業務についているのを
襲ったりするかね
それほど織田家に忠誠つくすとは思えないが >>82
毛利攻めに失敗してたら光秀と交代させられてた可能性はあるが実際は勝利してたのですぐにどうこうはない 信長が生きていたら
あと数十年も信長の天下だし
普通に世襲するだろう >>76
兵隊は将棋のコマじゃない
敵から吸収しただけではすぐに忠実な部下にはならないぞ
情勢が変わればあっという間に逃げ出すだけ 意味不明な行軍なら中国大返しなんかより北畠顕家の方がよっぽどだろ >>29
秀吉が包囲してる勝竜寺からどうやって明智脱出出来たのか謎 まあ、ある程度は根回ししてただろうにほとんど味方にならなかったってことは
余程嫌われてたんだろうなとは思う ペッテングwwwww
ソリャシモの世話は士気に関わるはwwww >>6
日本人はそんなことだからマッカーサー相手に補給を絶たれて餓死させられまくって負けたんやんけ
秀吉の戦い方は実はすげえ強いんだぞ リチャードロックフェラーやデルタフォースが
とうとうアニオタニートアニオタ無職でしこりだしたし
やはりニートは強いってことや、少なくともデルタフォースよりは…
地元もニート無職いっぱいやし
リチャードのホモセ相手いっぱいやな >>82
上洛途中で気が付くから和議やぶって再び毛利攻めw
到着した信長には「誘い出して攻撃するつもりでした」と言い訳
無理かな・・・ 秀吉の動きで怪しいなって思う点
大返し以降・・・
・毛利家に領地拡大を許す
・毛利家に官位を授ける
・毛利家をご大老に命ずる
・毛利一族と秀吉一族で婚姻関係を結びまくる
毛利家をやたら重要視するのな
なんか恩があるのか弱み握られてるのか >>98
嫌われていたんじゃなくて
信長を討ちもらしているんじゃないか?という疑いがあって
もしも信長が生きていたら、あの第六天魔王が大群率いて
逆襲しにくるという恐れがあるから光秀に味方できなかっただけじゃないかと思う >>12
毛利が講話後に裏切って攻めてこないか、二日間ほど様子を見る必要があった。
水攻めの堤を切って、障害にして攻め混まれないようにはしてたけど >>104
何度も何度も裏切られても生き残って相手倒してるからなあ 山崎合戦が長引いて柴田が南下しても秀吉の天下は無くなる
本当に崖っぷちの決断だったんだろうな >>98
むしろ周りが全部味方することを確約したから実行に踏み切ったのでは >>93
次男はアレだが
長男、三男はボンクラでは無いから、信長が生きてたらそのまま織田幕府になってかもな >>97
秀吉は自分で光秀を殺すのが嫌で
勝竜寺から逃げやすいように警備手薄なとこを作ってて
そこから落ち武者狩りをしている方向へ逃がし
土民に殺させた
って所ジャパンでやってた 大阪にいた丹羽長秀と織田信孝はなんですぐ動けなかったの? >>103
毛利ってか元就亡くなって一番発言力あったであろう小早川隆景が見逃してくれたんだから
そりゃ秀吉以外の誰でも優遇するやろ 秀吉が信長の葬儀を大々的にやったのが大きかったらしい >>112
長宗我部に背後突かれる怖れがあったからじゃね? >>103
実は岡山の宇喜多の方が秀吉にすげえ優遇されてる。
雑魚大名だったのが毛利と同格の五大老になってるからな >>115
お市が葬儀やって
それに対抗して葬儀したと聞いたような
もうその頃は織田家ボロボロ >>55
秀吉軍の北側の部隊は動けないのに吉川元春が手を出せなかったのはなんでだろう
堤防切られて水で全滅するからかな?恐ろしい布陣だ >>112
一番近くにいて大軍を持ってたのにね
不思議なんだよなそこが 秀吉はどっちかって言うと経済ヤクザぽい感じがするなぁ >>116
蜀を滅ぼした英雄劉備の息子劉禅も長生きしたなw
才ある奴は死んで、ボンクラは長生きするw 秀吉の地位の後ろ盾は信長しかいなかった訳だから
信長が死んだら自分の立場は喪失すると思ったんじゃないかなあ
なら今持てる全てを利用してともかく最大の戦果を上げる事に尽力した
秀吉以外の幹部はあの瞬間にそこまで必死になる必要が無かった >>120
下手に手を出して自軍が標的に変わるのが怖かったんでしょ >>117
宇喜多直家の動きは
かなり秀吉を助けていたからな
宇喜多がまだ毛利側についている時でさえ
別所長治や荒木村重の謀反で毛利軍はそこまで進軍できずに
別所や荒木と連携して、織田軍に対抗できなかった裏にあるのは
毛利方であるはずの宇喜多直家の言動が毛利に足かせをつけていたおかげ
その頃から宇喜多家は秀吉のために働いていた >>123
姫路城にあったカネを全部使ったってとこも
人生すべてをあそこに賭けたって感じ >>1
まともな記事があって良かったわ。
前に現代ビジネスにトンチンカンな記事が出て何を馬鹿なと思ってたんだけど
一昨日にその馬鹿な記事を再掲載してやんの。
豊臣秀吉「本能寺の変を事前に知っていた」説は、やはり正しかった…!
科学の成果が、歴史を裏付けた
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/79090
>筆者は、実際の1日あたりの平均行軍距離は、前半3日間は約30km、後半5日間は約20kmだったと判断する。
>また、前半の姫路城に帰るまでに必要な物資は、ふだんから用意されていたと考える。
>そして姫路城において、6月9日からの後半の行軍に必要な物資が、総がかりで準備されたとみるべきであろう。
兵站的には敵地での包囲戦が一番大変なのにさ。
高松城を包囲してる秀吉軍は霞を食ってたとでも思ってるんだろうか? 信長の時は対抗してた毛利も上杉も
織田家内乱には介入しなかったよな
上杉の方は、反乱や対北条・対徳川で動けないのは分かるが
毛利の方は、何で? >>8
侍に出せ。言われたら、すぐに出さないと斬られる。 そもそも兵糧攻めとか城攻め得意な秀吉が兵站や補給線を軽視するわけないし
商人や草使っての情報戦得意だったんだから本能寺の変の情報も
真っ先に手に入れるわ >>3
山崎の合戦までやらなかったら
意味無いよな >>128
後から来る信長さまのために用意してた備蓄だって説もあるし
前もって何らかの理由で準備しててもおかしくはないよな
光秀の裏切りを前から気づいてた説の証拠にはならんわな >>129
策士、策に溺れる。じゃないか。
もっと揉める。と思ったけど、揉めなかった。
まあ、自分の領地だけ守れれば良い。と思ってたかもしれんが。
勝手に攻められてたし。 >>129
条約を裏切らないか、秀吉がしばらく見張ってたからな
そこで秀吉は2日ほどロスしてる。
それさら後を追おうとしても、強力な宇喜多勢が岡山で待ち構えてるから難しい。 >>3
本能寺の後にことごとく加勢要請を断られ、孤立を深めたところに秀吉軍急接近の知らせが届く、あたりの展開がドラマ化したら一番面白そうなのにな >>129
野心が足りないんだろ?
野心家なら足利義昭をかかえているんだから
この時とばかりに義昭を擁して、軍勢を京に上らせて
室町幕府の復興を大義名分にして
毛利が天下を差配していただろうな
丁度山崎の合戦の最中に秀吉軍の後ろから
足利家の御旗と毛利の旗が翻った軍勢が襲ってきたら
秀吉も一たまりも無かったな
とゲーム脳的な妄想ができるw >>127
大博打に勝った感じだな。
でも、そこで全部使い果たした感じ。
結局、もっと大局を見てた家康には勝てなかった。 >>129
光秀に呼応すれば完全に一蓮托生
毛利からみて「光秀の天下」に賭ける理由が乏しい >>13
実際、山崎の合戦の前線は池田恒興とかの摂津衆、それと四国向けに準備してた信孝と丹羽長秀が
前線や第二列を担当してて、秀吉の軍勢は主に後詰め担当なんだよね
遊軍的摂津衆と、形成中の四国方面軍を考えると、秀吉軍は軍容を保ったまま帰るだけで、大義名分から
日に日に味方する軍は膨れるのが目に見えているし、討伐軍と叛乱軍じゃ兵の士気も大違いだし、
なんとかなる可能性が高かった
それを決断したことが秀吉の凄さ
魚津城を落として松倉城も陥落間近だった勝家は秀吉と似たような状況だったが、結局身動きが取れなかった >>112
まず大前提として信孝が総大将な訳だけど、従う兵の多くは兄貴の信雄から借りた兵士だったそうな
そんな訳で織田家の一大事な訳だしまずは主人の信雄の元に集まらないとってなったり、こんな所にいられるか!俺は逃げるぞって奴も出たりでバラバラになって戦どころじゃなくなった >>139
光秀は信長に対する謀反人だけれど
毛利は足利幕府を復興する忠臣という立場に立てるだろ?
どっちが権威的に上か、どっちが正義か?となれば
織田家よりは足利家に忠誠を誓っている側だろ? >>129
トップがへたれ&信長時にかなり追い詰められて
単独で攻撃する余力があんまりなかった。
本能寺の変当時で、上杉、毛利はかなりやばかった。 >>138
朝鮮に手を出したから法則が発動した可能性が高いな 毛利家については後のことを考えると
安国寺恵瓊と小早川隆景を既に取り込んでいて
毛利とは和平結ぶって約束していただろ >>119
隆景にスルーしよう言われて反論できなくて、独断で追撃できなくても仕方ない
若い頃はバカにしてた隆元兄さんが死亡する一因(苦戦して援軍求めた)作ったって自責
もあってか後半生は不調なんだよね
有力武将や大名相手に勝ててない=功績少ない >>112
津田君を裏切者とか思ってやっちゃう混乱ぶりなので、
いろいろ疑心暗鬼と、統率力不足だよな。 >>138
秀次切腹させていなければ家康は何もできていないよ。 >>143
室町幕府の足利将軍家に権威も力も無いから
応仁の乱から無茶苦茶なんやけどな
毛利家だって安芸の守護は武田家で毛利元就がその武田を討って奪った地位
足利将軍家なんか何の意味も無いって毛利が知ってたんだろ
足利将軍家が任命した安芸武田家を潰して下克上してんだから >>1
> どうも、研究室で史料や論文を読んでいる先生方は、戦場という現場で起きている事件を、「軍事」という観点から理解することが苦手のようだ。
ここの部分なんというか… >>93
とっくに家督は長男に譲っている。
実権は信長がもっていたけれども >>39
同時に挙兵ならまだしも、秀吉があの速度で帰ってくるなら大して変わらないよ
丹後も大和も動員兵力は大したことないし、出陣準備で数日要る
それよりも摂津衆が味方した方が、兵力的にも地理的にも違う展開があったと思うな 船だろう、鉄壁で覆われた巨大船で瀬戸内海航路確保してたから、信長が乗るはずだった船を使ったんだろう >>145
あの時ガチで秀吉が台湾、フィリピン、インドネシアを占領してたらな
既に欧州が植民地にしてたし
フィリピンを占領してたスペイン兵とか500人やぞw >>46
フランシスコ・ザビエルはフサフサなんだが
遺体の頭皮には髪の毛が豊富にある >>138
家康がそこまで考えてたとは思えないな
秀次事件が起こらなければ自分が生きている間に天下取るのは無理だし豊臣政権のNo2で満足してたんじゃね?
本気で天下狙おうとしたのは秀次が死に、秀頼が育つ前に秀吉が死んでからだろう >>140
秀吉軍はウイスキーで一杯やってた
ぐらい余裕だったからな >>1
話してはその通りだが、
当時は重い甲冑や武器を自分で持って抱えて背負って、
1日40キロ以上を徒歩で移動する事を
3日間続けて大阪、京都に帰ってくる、って、
馬に乗れない歩兵たちの根性が凄いんだよ >>156
丹後の細川の兵力は1万、大和の筒井も動因兵力1万はあるぞ
明智軍1万3000人に+丹後細川、大和筒井が味方してたら兵力33000人
羽柴軍4万人と普通に戦えた
ちなみに若狭守護の武田家は明智方、近江の旧守護京極家も明智方で長浜城占領してる あの完全武装での急ぎの行軍姿をドラマとかで見るけど、あれは嘘だろうね。武具なんかな小荷駄隊とかが輸送して、戦闘間近で武装するんだろうね。鎧兜姿で1日中急ぎの行軍は無理だろうね >>162
羽柴軍は甲冑とかは全部船で輸送してるぞ
兵士は基本形装備で走ってる
羽柴水軍ってあるからな >>130
そんなわけではなく、織田信長の本隊が来てもいいように、米も武器も購入、備蓄済みだったということ
秀吉の地方軍は、毛利よりも数で圧倒的に上ではないから、相手の計略や強襲で不利になる可能性があった
その時に備えていた分を使って大返しができたから、山崎の合戦では略奪の禁止を通知するぐらい余裕もあった >>158
信長だったら
そこまで行けてた気がする
安土城天主の上層階は中国の賢人の画だったそうだから
明の征服は構想にあったろうし
それを秀吉に漏らしてたかもしれない >>112
集結中だった上に結構な兵が一夜にして逃げたらしいよ
要は軍としての規律が機能してない雑軍
動けば霧散してしまう
それをまとめるだけの力やカリスマがなかったとも言えるが >>3
しかも、3年後も生きて馬に乗って走り回っているっていうなぞエンディング
光秀が天海になったというトンデモ歴史の方がまだマシ >>112
大阪にいた津田信澄を打ち取ってる。
津田信澄は織田家序列5位 信長の弟で謀反人の信行(信勝)の子供で
近江大溝城主で、摂津大坂城代 光秀の娘婿。 歴史なんてちょっとした出来事で流れが大きく変わってしまうからな
全てが計画通りみたいな陰謀論は無理があるわな
信長の遺体が見つかったとか秀吉が毛利と和睦できなかったとか、
少しの違いで光秀が天下を取れた可能性もあるわけだ 実際は街道沿いは水やおいぎりの差し入れなんかも
有って楽ちんな移動だったらしい
箱根駅伝みたいな雰囲気 >>170
「丹波で再起を目指して」つっても、その後光秀が再起した史実が無いわけでねえ 中国大返しの行程を検証したサイトによると、兵士の走行距離は1日平均25km。
マラソンより短いんだから案外ハードルは低かったんだね。 >>172
秀吉を買っていた安国寺恵瓊が健在だったことが大きい 光秀とグルだったんだからそりゃ問題ないだろ
光秀=千利休 >>168
むしろ大和はもっとやばいっしょ
羽柴秀長が秀吉から大和もらってるからそれなりに石高あるよ >>165
侵攻中は自分でスケジュール組めるからそんなことができただろうが、
中国おお返しの段階で大急ぎで京に帰るのに甲冑を着けずに道程を動けないだろ
集めた甲冑を船積みして大阪に運んで、
そこから歩兵たちに支給するとでも?
当時は歩兵たちの武装は基本的に自己負担だぞ
だから落武者狩りとか分捕りとか当たり前にあった >>143
毛利家の祖先は大江家でどちらかといえば武士ってよりは貴族、公家寄りの家系と血
元就も幕府じゃなく天皇家に献金、産物献上してるし
毛利元就が謀神って呼ばれるのもなんとなく頷ける家系 >>176
織田信長が紀州征伐に失敗してる
鉄砲の保有率がやばいのよ 光秀が天下取れたとは思わんが
細川藤孝が光秀の味方してくれたら歴史変わったかもしれないんだよな
ヘタレ毛利家よりもこっちが動かなかった方が意外だわ >>173
1日40キロ以上を重い甲冑や武器を抱えて徒歩で移動してみろ
3日間ぶっ通しで
楽チンか? まず皆さんに考えて欲しいのは明智側に立ってどうすれば謀反を成功させる事が出来るのか。東の滝川と徳川、東北の柴田、西の羽柴ここをどう抑えるかはバカでも考える。光秀程の武将ならば確実に対策してたはず。それなのに羽柴が予想を遥かに超える速度で戻ってきた。
なぜ戻ってこれたのか??あとは分かりますね? >>129
目の前には 単独で2万用意して 自分らと対等以上の戦いをする羽柴がいる。
その奥の光秀は謀反人だから 織田家からの人望はなく滅びるだけ。
大内と陶晴賢の謀反と それをチャンスに大きくなった毛利というのを経験してるんだから
謀反人につくわけがない。
今回 チャンスは秀吉につくだけしかない。 >>182
ロンダルキアみたいな山がちのど田舎で
鉄砲多いとか、普通に攻めて落とすのは
まず無理だわな >>179
秀長は兵持ってないでしょ
文官のイメージが高いな >>186
丹羽さんも数に入れてあげて
大阪にいたし
滝川さんは外してもええやろ
信濃の豪族に帰還を邪魔してお願い
300円あげるからさ!
って書状送ればええだけやし >>180
軽装備で羽柴軍が走ってたって資料が残ってるぞ
ちなみに同じ手をもっとうまく使ったのが賤ヶ岳の戦いで
大垣から大返し
羽柴軍が50kmを4時間で戻ってる
マラソンで42.195kmを2時間で走ってる現代人
舗装もしてない山道を50kmを4時間で甲冑付けてる思うか?
マラソン選手の倍の時間だと行っても一般人から見たら結構全力で走ってる
あれは中国大返しの経験からもっとうまく発展させてるのよ >>186
毛利はともかく長宗我部とは組めるだろ
ヘタレの上杉だって士気がガタ落ちの柴田を叩いて領土拡げるチャンスだし >どうも、研究室で史料や論文を読んでいる先生方は、戦場という現場で起きている事件を、「軍事」という観点から理解することが苦手のようだ。
学問は拙速より巧遅を尊ぶからね。軍事(笑)と違って。 俺の新設
秀吉は本能寺の変を事前に知らされていて、毛利攻めの最中、舞台の半分ほどを密かに姫路に帰していた
毛利方は気づいていない
大返しでは相当な数が脱落したが、先に姫路に帰っていた兵は元気で、全体の7割くらいの兵が天王山に参戦できた >>191
九州征伐のときは
秀吉軍と秀長軍で東西2ルートを侵攻して
薩摩を目指したじゃないか? >>153
企画したプロデューサーが無能すぎ。
そしてokだすnhkも無能
脚本家は 放送開始後も本全然かけてないっていってたとおもう。
ぶっちゃけ前半の年代全部要らんし、後半の年代も今回採用したっ話全部かっと ほかにつくりようがある >>186
突発的犯行だからろくに対策してなかっただろ
だからグダグダで10日天下で終わった 朝鮮出兵も秀吉が前線で指揮してたらまた違ったんだろうか >>175
休息や集結にあてた日もあるから、移動してる日はもっと移動してる
6月7日には姫路までたどり着いたあたりが異常な速さだな 別の記録から、太閤記の中国大返しは盛っていることはわかっている。 >>163
光秀が丹波26万石+坂本でその兵力なのに、10万石そこそこの丹後でそんなに動員できないよ
根こそぎ持ってくればそれぐらい有るかもしれんが、丹後の隣は秀吉の領国の但馬で、長宗我部牽制で淡路を
陽動するぐらいだから、当然丹後にも牽制を入れてくるだろう
大和は大和で古くからの豪族がそれぞれの立場を持ってる
筒井家はその大なる家に過ぎないからね
言うことを聞かないどころか、古くからの因縁とばかりに牽制されて動けなくなる 5月17日に安土の信長に秀吉の援軍要請の使者が来て
光秀先遣隊のあとに信長本隊が備中に向かう手はずになるけど
秀吉のことだから信長の動向を逐一報告させてたと思う
安土や京都に秀吉の情報部隊がいて
信長本隊がいつごろ備中にくるかの情報を集めさせてたんだろう
6月1日に信長が京都に来て信忠と同時に京都に滞在することが
5月26日かその前にわかってたと思うんだよね
その情報を秀吉は少し遅れて知ったと思うよ
この状況で秀吉は
光秀やるんじゃね くらいのことは思ってたんじゃないかな >>186
誰も味方にならない人望のなさ
そこを何とかしないと >>191
羽柴秀長の武功って凄いぞ
但馬を単独攻略してるし
あの天空上竹田城を陥落させてる
明智光秀の丹波攻め時にも共同作戦で氷上の赤井氏を攻撃してる
鳥取城攻めで桐山城、備中高松城攻め、播磨三木城攻め、九州征伐
織田信長が伊勢長島を攻めた時は織田信長の命令で先鋒やってる
藤堂高虎が羽柴秀長軍でほぼ動いてたけどさ >>203
まず対馬が朝鮮を服従させたっていうデマをもとに朝鮮に明攻めの先鋒と
道案内させちゃったからグダグダになった ってか移動の準備はしてたんだよ
謀反を知ってておお返しをするためではなくてさ
光秀と信長が援軍として中国地方に来る予定だったし
光秀と信長が高速で移動できるように街道は整備してたし大軍が通っても大丈夫なように食料も準備してた
それを自分が最大限に使っただけ >>159
はがれてくる頭皮だったりしてw
まあイエズス会で頭をそる慣習は無いらしいし
よく見るハゲのザビエルの画は
きっとザビエルを辱める目的でオルガンチノあたりが書かせたのかもしれん >>208
関ヶ原の戦いで細川忠興軍は兵8000やったろ
あと細川藤孝は田辺城に1000で篭城してる
丹後は海があって貿易もしてるから石高だけで兵力を決めれんよ
金山あったりするしさ 大犯罪者秀吉を祭る神社は破却してその墓はあばかれるべき >>215
フランシスコ会嫌い
イエズス会はもっと嫌い >>186
どうすれば謀反が成功するか。
織田信長を殺す。家督を継いでる信忠も殺す。確実に殺す。<実行可能 成功!
織田の資金をすべて手中に抑える。<瞬間的な財産の半分くらいなら!
同僚すべてを討ち果たす。お手紙外交で 同僚が相手してる大名に相手させる。<実現不可能 将軍ですら無理だった!!!
まぁあれだ 「信長討てる」だけ見えちゃって 他が全く見えなくなった権力もったぼけ老人の暴走だよ。 >>138
家康には秀吉が地ならしをした後じゃないと天下は無理だったろうな
家康は秀吉がやったような大掛かりな殲滅、威圧行為を秀吉と言うお手本なしで出来る姿が見えてこない
日本中の厄介な宗教勢力や国人衆の強いエリアは豊臣政権下で牙を抜いていったから 光秀が呼び掛けても
「はいはい信長の罠ですね」って
取られたんじゃないの 宇喜多がカギなんだよ。
信長の死で、また毛利側に寝返ってもおかしくなかった。
むしろ寝返ったほうが安全だった。
騙されて切腹させられた清水宗治のカタキ討ちのために
怒り心頭になる恐れ濃厚だった毛利の追撃を食らうのは
宇喜多だからな。
ワシが宇喜多だったら秀吉軍壊滅させて
毛利と和睦、そのまま播磨もらうわ。
秀吉は宇喜多が裏切らなかっただけの運だけ野郎だよ。 新幹線の乗ったからやろ
筒井康隆が書いてるだろう
さからったどっかの駅長斬ったとか 秀吉なんて柴田のとこで勝手に帰ってるしな
信長を舐めてるだろ >>223
清水宗治が切腹して成立した和睦だからこそ毛利は動かないと思うよ
彼の死が無駄になるから 行軍速度より、毛利との和睦が1〜2日でまとまったことの方が不思議。 みんな知ったかぶって 自説を推奨 自画自賛 頭で考えただけの想像
本当のことなどわからない >>226
信長が処罰しなかったって事は
柴田の方にも問題があったんだろう >>1
農民から天下をとるという出来事は21世紀の現在になっても、その影響を与え続けてる。 >>129
あの時点で毛利家は
信長にとっての家康と同じくらい
秀吉にとって重要な同盟相手だった >>223
宇喜多秀家の実の母親が秀吉の側室やぞ
自分の母親を人質に取られてる様なもんで
秀家は秀吉の事を実の父親だと思ってんのに何で謀反すんだよ >>223
直家ならまだしも秀家は秀吉を裏切るようには思えないな >>234
五大老に二人入ってるからな
絶対悪い話してるわ
利家も絶対に寝返ってますわ 光秀は信長に仕えながらも義昭のことや朝廷―幕府―大名という秩序の再構築を念頭に置いてたと思う
しかしながら
いま最も勢いのある織田政権の中にいて信長には逆らうこともできなく
秀吉への援軍命令も当然のごとく受け入れ動いてたら
「あれ?いまここで本能寺に行ったら上様を討てるんじゃね?」
「そしたらどうなる。上様の首を掲げ義昭さまを京に向かい入れば幕府を再興できるな」
「幕府を再興できれば、朝廷を上様みたいに蔑ろにはしないだろうし
なにより秩序を戻せば諸大名も義昭さまの下で戦をやめんじゃね?武家の棟梁なんだからその命令を聞くべ」
「よーし、チャンスだ上様やっちゃおう」
で黒幕は特にいなかったと思ってる 本能寺の変から11日で何百キロも進軍して野戦して撃破とかやっぱり凄い
だって情報網が皆無なんだぜ
本能寺の変を察知したのだって早すぎだし、そっから逐一敵の動きや位置、兵力、畿内諸侯の動きなど把握するためにあちこちに斥候使い飛ばしまくったとしてもそれ自体がすごい 毛利にとっては防衛戦
侵攻側の秀吉軍が撤退するなら素直に撤退させるのが得
それで戦の目的は達成されるのだから
撤退する秀吉軍に下手にちょっかい出して秀吉軍が反転してきたら元の木阿弥だし
明智軍が秀吉の背後を衝くために京を捨てるかというとたぶんそれは無いよ
光秀は京都近郊から動けない >>236
アホ。
秀吉をとらえれば人質なんて解放される。
何より信長の死を知った怒りの毛利の大群が
攻めよせてくるのは備前だぞ。
裏切り上等の宇喜多家家臣が
動かなかった、それで助かったんだよ秀吉は。
まったくの運だけ野郎だよ。 針売る商人だった秀吉は情報の重要さを知ってたと思うんだよ
それで広く情報網を作ってたと思われる
秀吉は毛利軍が向かって来ている事をかなり早い段階で掴んでる
安土に救援要請が到着したのが5月17日
堤防の完成は5月20日で
翌日輝元が備中高松城近くに来たときにはすでに遅く
城へ救援軍を出すと秀吉本陣から丸見えで動けなくて
12日間にらみ合ってその間備中高松城は物資が入らない >>186
どうしたら明智の謀反が成功したか?
天皇の口から「織田信長は朝廷に害をなす朝敵だった」とハッキリ宣言させ、
御所の近くに陣を構えてれば、織田家臣たちも簡単に手出しできなかったのでは?
反織田勢力(本願寺勢とか)の協力を取り付けれなかったのも痛い。 清水一族が切腹させられているからな。
ワシが宇喜多だったら毛利相手に負け戦するより
撤退中の秀吉軍を備中で壊滅させるわ。
そのほうがはるかに安全。 >>1
清水宗治の名前を間違えるような奴の言うことなんて信じられませんわ 毛利、豊臣政権で五大老になって中国地方全部領地にしてだからなあ
ここで秀吉に恩売ったんだろうな みんな秀吉を舐め過ぎ
底辺商人やっている平民出身の小柄ねずみ顔で
六本指の男が天下とったんだぜ
調略の成功数や城攻めの上手さ見ても
情報戦や兵站線が半端ないんだよ 大返しに怪しい所があるならそもそも清洲会議で突っ込まれてたろうよ
少なくとも同時代の敵対者からみても怪しい所はなかったと見るのが自然だわ 情報網があったと同時に早く伝える早馬も用意してたんじゃないか
密使の手紙だけでは真贋が難しく動きづらいけど
秀吉が持ってた伝達の早い情報網によっても変を知れたと思うよ
密使の手紙と秀吉の情報網の両面から
信長の死は精度の高い情報で秀吉は対応できたんだろう 備中高松城が籠城戦になりそうだと察知した秀吉は、まず先発隊のみで
水攻め作戦を開始、後発隊は後から到着する手筈だった
ところが信長の一大事を知り姫路城まで来てた後発隊に引き返しを命じた
当時の状況を記録してた家来に、秀吉はそれじゃつまらないと話に尾ひれを
つけたというのが真実かもね >>254
だから抜かりがないのよ
負ければ野山に捨てられるからの〜 >>217
関ヶ原の時は丹後12万石+豊後杵築6万石で18万石だぞ
変の時の細川家は一色家と丹後を分け合って6万石ほど
そしてその一色家はすでに明智側だから、細川家が味方しても丹後半国分の上積みでしかないんだよ
兵力にして3千、根こそぎ頑張っても5千ってとこだろう
姻戚だから味方しなかったのはインパクトが大きいが、実は戦力的には大したことないのさ 信長と光秀の不仲は文献に載ってる事以上で
どちらかがそろそろ殺るのは火を見るより明らかだったんだろ
第一報を聞いた秀吉も特に驚きはなかったはず >>223
宇喜多が裏切らないと確信してるから、
毛利の抑えに残して、大返しをやってのけたんだと思うけど。
運ではないなア 団子になって隊列組んで帰ったら不可能だろうけど
金庫あけとくから一等賞はボーナスね!ってやり方だと
足に自身があるヤツはモリモリ進むだろうし人の使い方がうまい この人は史料をバカにしとるけどそもそも一次史料読んでるんかね
ざっと挙げただけでも本能寺の変直後の重要な秀吉関連の史料はこれだけあるけどこれらを読んだ上での発言とはとても思えん
・天正10年6月4日付羽柴秀吉起請文写 毛利輝元・吉川元春・小早川隆景宛
・天正10年6月5日付羽柴秀吉書状 中川清秀宛
・天正10年6月9日付羽柴秀吉書状 織田信孝宛
・天正10年6月10日付羽柴秀吉書状 中川清秀宛
・天正10年6月13日付織田信孝書状 筒井順慶宛
・天正10年6月13日付羽柴秀吉・丹羽長秀連署状 筒井順慶宛
・天正10年6月19日付羽柴秀吉・羽柴秀勝連署領知宛行状 広瀬兵庫助宛
・天正10年6月26日付羽柴秀吉書状 滝川一益宛 >>223
だが裏切り者はそう簡単に信用されないからね >>260
信長自身がヤバかったんじゃねーかなって
高山右近だったはずだが
村重がそうすんの当たり前だろって
その当たり前が何なのか分からないんだけども
当然過ぎる反感買う理由が、信長にあったみたい >>260
信長と光秀が不仲だったという当時の文献は皆無だってことくらいは
知ってるよね?
不仲説は本能寺のあと何十年も経ってから書き立てられているだけ
光秀が野心家であるというのは、同時代のフロイスが書いてる
同時代人の評価としては、野心家がクーデター起こしたというだけ >>267
不仲説は論外だけど野心説もちょっとなー
光秀の年齢は諸説あるけどどれも信長より上だしなー。当時にしたらもうおじちゃんよ 当時の戦国仕事人たちは落ち目の足利幕府からの出向者で
「〜ねばならない」「〜であるべき」の堅物教条主義者である光秀に
魅力なんかさっぱり感じてなかっただろうね。
自分だけが潔白で奇麗な生き様みたいなのが鼻について、荒くれ汗クサ武将たちには
小馬鹿にされてたんじゃないかな。
ある意味ピュアでアホなので、信長倒しもそのように仕向けられてやらされた感はある。
そして秀吉は光秀が煮詰まったらそういう行動に出る可能性も織り込み済みだったろうから
事変の一報を聞いても「やっぱりな」って感じで、事前シミュレーション通りに
大返しのミッションを円滑に遂行できたのだろう。
本能寺の変の黒幕は、信長と光秀以外のみんなw >>268
老い先短いからこそ、かもよ
こんな好機はもう二度とないと
そう思ったのかも知れん >>193
別に武具を船で運んでいないとは言っていない
しかし、全ての歩兵達が甲冑を着けずに移動したのか、ってのは、
移動中にも落武者狩りが普通にある時代に丸腰で移動すんのか?って疑義が大きい
しかも、そもそも1日40キロ以上を3日後ぶっ通しで徒歩で移動するのか楽チンなのか、
って話
不可能ではなくても、かなり困難な移動 >>268
フロイス曰く、72通りの騙し技を会得してる
と吹聴してたとかいう話でしょ
72という数字からすると言ってそうだよね
呪術なんかに出てくる数字だから
フロイス評のどこまでホントか知らんが 不思議でもなんでもない
なら、光秀も想定したはず
想定より速かった? 織田政権って謀反して失敗しても 即討たれたりしないし 許されてもいるんだけど
成功したら13日で討伐されちゃうのなw まあ、それを言うなら前線である柴田、滝川も同じだが >>200
あまり見てないけど、前半に時間かけ過ぎたってイメージがある。
親が見ているのをチラ見したときまだ桶狭間やってないのか思ったことがあるし。 >>271
時速4kmで半日(10時間)歩くと考えればさほど無理ではないかと >>269
いつも先陣切って突っ込んでいく光秀が
潔白できれいなんて思われるわけねーだろ >>246
裏切り上等は直家だけで家臣は忠実だぞ
秀家の次に継承権のある直家弟の忠家は直家にずっと従ってきていた人だから、これまた忠
さらに秀家は10歳という幼主
しかも子のない秀吉が養子に近い猶子と言ってる
これで秀吉にベットしない手はないだろう
単純に秀吉軍の方が兵力は倍以上多いってのもあるし 秀吉は本気で明を支配することを考えていたらしい
北京を首都にし、京都を副都にする
その後インドまで支配すること考えていたらしい
スケールがでかすぎる >>277
明治の夏目漱石と石川啄木ですら一晩で40km歩いてたから、戦国時代の人なら 本能寺の変から数日で明智光秀は朝廷より認められてる。普通なら主君殺し、最高官位が貰える人物を倒した事を朝廷内で議論してから判断するはずなのに早すぎる。つまり朝廷は光秀が謀反を起こす事を知ってた可能性が高い。そしてその情報を羽柴も知っていて毛利との和睦、近畿圏の諸大名への根回し、中国大返しの準備を前もっておこなってた説が1番しっくりくる。 >>217
この頃の合戦では、石高が小さくて動員兵力が少ない武将や、就職希望の浪人衆などは、大きな大名に合流してる。八千人いたとしても、純粋な細川家の家来は半分くらいだったりする。 インパール作戦の時に豊臣秀吉がいたら
どれだけ助かっていたか >>271
坂本から本能寺へ移動・謀反を起こし、安土でお宝泥棒して京都に戻り
大和にむかうが筒井の合力がかなわず戻り 山崎へ向かう明智軍にくらべたら・・・
山崎付近の織田諸将に布陣させ ゆったりと現場の後詰につき
文のやり取りで味方を増やし 名目上の総大将を織田信孝に任せて・・・
楽勝じゃね 身分の低い出の自分がこれだけの大物になれたのは信長のおかげなのに
その信長が死んでウマウマとほくそ笑む人間になったとは思いたくないな
地位が人を変えるというのはあるかもしれないが、主君が討たれて大泣きする
従来のイメージのままであって欲しい 密使がきちんと毛利家に届いてたらな
手紙将軍返り咲きだったな、光秀副将軍で >>281
江戸時代は町民のレジャーとしてお伊勢参りが流行っていたそうだが
町民男子の1日あたりの平均移動距離は10里くらいらしい
6月の日の出が概ね4:30、日の入りが19:00くらいだから
徒歩可能時間は14時間以上は取れる
兵士の強行軍で多少無理をすれば1日60kmは余裕だろうな この差よ
秀吉「上様も殿様(信忠)も無事に切り抜けて膳所まで退かれたから安心してや!柴田も既に越中を平定してこちらに進軍中や!」
光秀「この度私が本能寺の変を思い立ったのは、細川忠興などを取り立てたいがためで、それ以外に全く他意はない。
50日か100日の間には近国を平定し、その後は息子十五郎(光慶)や与一郎殿(忠興)にそれらの国々を引き渡し、私は隠居しようと思う。」 >>282
朝廷は畿内で権力もった人の言いなりだから、それほどの事もない。
武力で脅されればあっさりと認めるし、
畿内から追い払われれば、あっさり追悼の綸旨もだす。
特に室町期以降は、金も権力もなく、ただただ実力者に寄生してるだけなの。 >>288
毛利が防衛戦争でなく 侵略戦争で織田相手に本気出すかどうか・・・出さんと思うが、
いったん外に出た将軍義昭の立場で・・・
現実味のない手紙は書くけど 信長殺害の不忠者を味方に引き入れて
織田軍団すべての恨みを引き受けて勝負するか? そんな根性あるか? >>287
官兵衛に天下取りを進言されるまで呆然自失だったと言うのは
史実でかつ秀吉の本心じゃなかったかとは思う 秀吉はともかく北畠顕家の1日40kmで11日進軍はマジなの?
統率が取れてるとか兵が精強とかそういう次元じゃねぇんだけど >>290
なんか正直だなぁ、光秀
騙しテクの持ち主には見えん 毛利に恩を売ったのは正解だが、
毛利も本来は秀吉なんて成り上がりは好きじゃ無いだろうな
武家の匂いを全く感じないからな、秀吉は商人だ
だから、武家ではなく庶民のガキを可愛がり、自身のお抱えにさせて奉公させた
島津、毛利、徳川、伊達、上杉あたりの内心は軽蔑の塊だろうな 秀吉黒幕説は無理がある
光秀側にメリットがなさすぎじゃろ >>289
24時間TVの目玉が100KMマラソン。老人虐待でかのうな距離。
実際のところは 高校のイベントで24時間で85q強歩ってのがある
体力のある高校生が 10qくらいの歩行訓練を1か月くらいしたあと
1000人単位でおこなう。
4qくらい毎に休憩所・食事所を設置 保護者・近隣小中学校のボランティアで。
中国大返しの場合、大前提として 織田本体・明智軍に応援頼んでるので
京から備中へのルートに補給・休憩が万単位で可能な状態ができてるので
それを逆走するだけでいい。 >>294
しかも秀吉と違って敵と交戦しながらという
でも特に疑義が呈されたと言う話はないな 近衛の敷地を使って光秀は信長軍に発砲してるからな
光秀の野心もそうだが、義昭、公家、秀吉、らの悪魔の囁きはあったろう >>287
現代から見るとまるで秀吉が織田家を簒奪したようにも思えるけど
当時の領国の経営は浅井や毛利みたいに豪族連合が普通で
領国内で一番勢力を持ってる家がトップに立つって考え方だから
秀吉にしてみれば簒奪した意識はなかったのかもしれないね
信長がやろうとしてたことを踏襲してたフシもあるし >>296
大概成り上がりだしな
毛利なんか、特に
本気でいいトコって言ったら
島津と伊達ぐらいか そんな事より聞いて欲しい。オレの妄想上等だが龐涓は孫臏をいわゆる裏切ってないと思う。
孫臏がむしろ龐涓に対して「主を裏切ろうぜ!」って持ちかけたんだと思う。
無論龐涓は友達の孫臏か主を選ぶか迷ったろうけど結局主を選んだんだろうと考えるわけ。
怪しいからアイツは裏切り者ってのが通用するなら部下なんか誰一人持てないからね。
孫ピンの裏切りの証拠があったんだとオレは考えてるってわけだな。まあ親友だったら裏切りと
みなすのもわかるけどね。 >>301
まあ別に織田家は織田家で存続しているから簒奪と言うのは変だよ >>297
信長に警戒していたとか
そんなのはあり得ると思うけれどね
信長が全国統一してしまえば
力を持ちすぎた身内を粛清して
独裁政権を目指しそうじゃん
室町幕府は家臣に大盤振る舞いしたせいで
幕府の力が弱かったから、信長は室町幕府の二の舞はしないだろう
後の徳川のような幕藩体制、現代風にいうと地方分権というよりも
織田信長を頂点にした中央集権を敷こうすれば
秀吉も粛清される運命が待っていた可能性はあるから
それを見越したとすれば秀吉が信長を狙ったとしても
不思議じゃない、とは思う >>294
平時の戦闘部隊の移動例としては参勤交代があるが
1日の移動距離は30〜40kmくらいだったらしい
知らんけど >>302
毛利は言うても大江広元の末裔だから名家ではあるぞ >>206
とりあえず軍団長のなかで一番早く帰ってきて光秀と対峙できれば勝ちだからな。 >>302
やつらは僻地に行った蛮族の親玉
中央の名門なんて京極佐々木さんくらい
(当時はズタボロだが) >>302
まだこの時代なら
大友も健在だろう?
大友と島津は鎌倉時代から続く家だから
かなりの名家
それよりも名家なのは、佐竹だろう >>302
今川、まぁ斯波か
細川、武田
上杉や毛利は反徳川でつるんだだくだしな
黒田も伊達も秀吉より徳川だった >>271
いくら相手が丸腰でも、何千人もの大群を襲うのは落武者狩りもリスクが大きいだろ。 薩摩の末裔の生意気な意見かくと、勇人は基本気に入った人の命令しか聞かないからな。
だから島津家は気を使い倒してた。よって優秀じゃあないと身の危険があったんだわな。 本郷和人氏によると武家の名家は上から
・佐竹、武田
・島津、京極、大友
・毛利、上杉 武田家ってめちゃくちゃ名家なんだってね。
そういう印象無いけど。あと茨城だけど
「佐竹…」て印象やで。ある意味可哀そう。 >>319
武田も佐竹も由緒正しい源氏だから
徳川家康のなんちゃって源氏とは違うから >>318
上杉て長尾?長尾も毛利よりは上そうだけど 源平名乗れずに仕方無く公家の養子になって関白をねだる秀吉に武家を感じないわ 上杉は 足利尊氏の母親の家な。
西関東支配してた家。東京弁・群馬弁・新潟弁の地域を支配してた家。 >>324
足利義昭の養子になろうとして
断られてしまったんだよなw >>242
庄屋になったおれの先祖は一日一反モッコで耕していたらしい 佐竹家は茨城だと軽んじられてるで。上から下まで水戸光圀って地域柄や。 >>328
関ヶ原で西軍についたことで
戦後、秋田に移封されて
今の秋田県知事に至るだから
茨城県民は、佐竹氏の地元って意識希薄だろ 希薄だけど佐竹高校とかあって、なんかもにょる面もあるんや。 >>329
西軍についたではなく、どっちにも付かなくて様子見した。 >>18
紙切れ一枚に方や真実が書かれ方や嘘が書かれていたんだよな
どちらも信じてしまう当時の人は5ちゃんには向かないな >>325
つっても長尾景虎を養子にしての上杉家だから、ちょっと微妙。
ちなみに上杉は藤原姓で、長尾は坂東八平氏だな だから茨城では佐竹は軽んじられてるってレスやんか。
佐竹家の重さとか今はどこではどうかとかの話じゃあない。 秋田は寒かろう、と息子が暖かい肌着をよこして来ても、暑い暑いと言いながら半裸で寝てた血統 >>324
近衛の養子にはなれて関白になれても 藤原の長者にはなれなかった。
ので・・次の関白に自分の身内をおすことが無理。
しかし 翌年 豊臣の姓をもらったことにより 豊臣の長者になり・
関白就任可能な姓の長者なので 関白独占可能になってる。 藤原は豪族をペテンにかけて王権乗っ取った
ペテン師 >>301
家の奴隷同然だった秀吉が当主になったことは
簒奪以外の何者でもなかったでしょう
所詮、人の感情は現に見てきたことで決まる
少し前は汚い服着て這いずり回っていた秀吉に上に立たれたら
反発するんだよ 良いスレだわ。他だと「佐竹?」ってなるし。オレみたいなアホでも
納得できるレスが多くて楽しい。 つか50前後の嫌中世代がまさに
秀吉嫌いの名家と同じ心理状態だよね
子供の頃は見下していた対象の中国にいつの間にか追い抜かれているということを
認められない
だから何とか理由を付けて反発する
せいぜい面従腹背 >>8
米余りじゃない
単に信長直営軍と明智応援軍の毛利攻めが確定していたので、秀吉はその進軍ルートに補給部隊と兵糧を配置済みだっただけだ 佐竹は 南茨城の平野部分を支配できていない。
じっさいのところは山と海岸しかない北茨城だけ。
関東動乱のときにはうまみがない本拠地を荒らされてないから生き残れただけ。
まぁ実は金山もってたんだけどなw 清水宗治さんが、本当にかわいそう
もう少し、物事をうがった見方ができれば、自害せずに済んだし、秀吉の天下も有り得なかった >>341
織田家の当主になったわけではなく羽柴家、そして豊臣家の当主に過ぎない
織田家とは単に力関係が逆転しただけ
言いたいことはわかるけど「当主」の用語を使うと不正確になる >>347
いや穿っても何も変わらないだろ
単なる洞察力でどうにかなる状況じゃない >>339
豊臣輝元だし、豊臣家康でもあるからな
4家から急に造り初めて当時はビックリしたろうな >>347
清水宗治は自分の命を高く売りつけることができてラッキーだと思うけどね。
味方からは感謝されるし、敵からもリスペクトされただろうから、一族は安泰でしょう。 経家やら清水を見れば輝元も家臣思いの良い武将だったんだろう
安国寺だけは、毛利家内でも、あまりあの坊主の言うことは真に受けるな
と、言われていた
関ヶ原で坊主でも生首さらしたのはやはり安国寺だった そもそも丹波攻略したのは秀吉軍のおかげなんだから丹波に秀吉への内通者沢山居ただろ。明智の情報は秀吉には丸裸だったのでは? >>132
あれじゃ信長やってるのと変わらないよな 安国寺恵瓊って偉くなったけど評判悪いので、寧ろ余程才能があったんかなと思う。 >>354
たしか大河は主人公を
絶対に正義として描き
主人公が悲惨な最期を遂げるのを描くのは避けるという
方針があると聞いたことがある
だから明智光秀を大河に取り上げたときに
どうせ最後はお茶を濁すんだろうなと思っていたら
やっぱりwって感じしかしなかったw 本能寺の変は失敗したほうがいろいろ面白かったかもなw
信長の事だから真偽は気にせず怪しい奴を次々に討伐してっただろうし
そうなると義昭あたりは確定的に討伐されるとして後はどの辺まで
被害受けるんかなあ。 当時の山陽道は3m〜4mくらいのもの
全軍団が3日で姫路に帰れるわけがない
3日で帰ったのは秀吉とその側近で馬で帰ったのだろ
不思議じゃない
徒歩の兵たちは何十キロもの長い列になるから、シンガリは5、6日はかかっただろう >>356
毛利元就とか結構黒い感じ出してなかった?
絶対的な正義っていうのは歴代作でもあんまり当てはまらない気が
最期に関してはそりゃ物語の後味良くしようとするのは当たり前だろとしか >>356
主人公を絶対に正義として描き・・・
そのせいで 他が全部悪人とか無能に書き続けてる。
天下人全部・将軍・公家・天皇・濃姫・幕府官僚
登場人物全部こき下ろしても さいごのさいご大悪人であることを覆せず、
人望の無さを否定することもできず 天下人になった後の13日間を書くことができない
なんだよそれwwww 輝元が安国寺を重宝してたのを、誰かが諫言してたな 三川で >>1
麒麟 光秀背後に「巨大三日月」…天海甲冑 ネット沸く、NHK確信犯?(デイリースポーツ) - Yahoo!ニュース
「天海〜麒麟がきた」を数年後に長谷川さんでやっても面白い
長谷川さんの演技に批判もあるが信長との関係からしてあれでいい
もう少し家臣や与力大名との関係を描いてもよかった気はするが
真田丸同様に面白い大河だった >>269
戦国最大の謀反人あつかうんだから
その最後は どれだけみじめったらしいものかくんだ?って期待するだろうがw
犯罪者の末期をかかずして 大罪人の生涯かくいみあるのか?
大罪犯す意味もよくわからんかったしw >>347
少なくとも戦後輝元は最大級の感謝を示して宗治の息子の景治にこんな書状を送ってる
この名誉が広く世間に知られて主君からも激賞され宗治も生害した甲斐があったってもんだ
天正10年6月26日付毛利輝元書状 清水源三郎景治宛
この度羽柴筑前守が押し寄せ、備中高松城を取り巻いたところ、そなたの父長左衛門(宗治)は無二の覚悟でもって数日堅固に守っていたものの、
願い叶わず自害に及んだ。これにより城中の者どもは助かった。世間に広く知られたこの名誉は敵味方共に耳目を驚かせた。
古今の武勇、当家の面目、その忠功比類なく今後永遠に忘れることはないだろう。よって太刀と刀をそなたに進ぜる。詳しくは小早川隆景から申し上げる。 >>302
島津家自体は名門だが、
島津四兄弟は傍系の伊作島津家の血筋だから成り上がりだな >>1
軍事を語るならなおのこと不審に思うと思うのだが 甲冑きて中国大返しマラソンでもやって検証すりゃいいだろ
現代人がそこそこ当時の記録だせたなら出来たんだよ秀吉も 中国大返しの行軍速度は関ヶ原の時の家康の軍勢の速度と大体一緒なんだよね
家康は関ヶ原に着いた翌日普通に野戦に参加している
当時の軍事水準において、味方勢力圏内の移動としては普通、もしくは適度に頑張った程度の速度と考えていい 直江や隆景ら陪審を五体老にしたのも秀吉の嫌らしいとこだな
榊原や片倉小十郎やら、力ある家の参謀を懐柔して直臣に欲しかったか、力を削ぎたかったか
まぁ、秀長くらいしかいなかったから、七本槍とか焦って忠臣を求めてたな秀吉は
三成なんて茶坊主だしな
自身の出目を恨み呪い、派手に演じて陣にも女を連れてきた秀吉
武家の匂いが全くしない 福島や加藤の秀吉への忠誠心も疑念は沸く
ガキを騙してただけなんじゃないかと >>357
信長はそこまで残虐じゃないから、明智の一族だけで終わるんじゃね? もう満場一致で信長暗殺計画とその後の秀吉クーデターの成功が約束されていたのだろうなw
そもそも都で大事件があればその日のうちに誰かが秀吉に伝えてるだろw
信長側にいて遠目から延暦寺本願寺の延命に尽力してたとなれば朝廷の覚えめでたく摂津ルートのみな協力しただろうよw
それまでは、毛利とは安国寺より上は周知のただのプロレスだっただろうなw
それまでは本願寺のゲリラ戦で信長を倒すつもりだったが、石山陥落で信長の暗殺に切り替わったのだろうw >>369
石川数正をヘッドハンティングして、松本城を与えてるな >>212
秀長が凄いのは間違いないけど秀吉と緊密に連絡してて秀吉も秀長に事細かに指示を与えてそれを秀長か忠実に実行してたからこその軍功だな
近年見つかった賤ヶ岳の時の秀長宛の秀吉書状も普通なら軍事機密として読んだら破棄されるような内容のものだが、
ここまで詳細で具体的な指示が書かれてる書状は珍しい
・先ず二つ砦を築いて木ノ本まで段々に陣を敷きなさい。万一野戦に及んでもこれならこちらに都合が良いだろう
・塩津方面は人留をして情報が柴田方に漏れないようにせよ
・5〜10日は一人も陣から出るな。草刈りの者も出してはいけない >>374
なんか、秀吉配下の時の石川はあまり話が出てこないな
やはり、ナンパについてくる軽い女を後に軽蔑するみたいに、逆にぶれない忠臣が好きだったのかもな >>373
大河では 通説と逆転してたなぁww
あれだけはびっくりしたよ
しかしそれならそれえで なんで九州に追いやられるんだろうな。
ってことで やっぱり通説を無視しひっくり返すのは無理があるw 秀吉のことだから毛利方に信長が援軍としてくることを流してたと思うな
光秀がやってもやらなくても損はないし 清水のために毛利は軍に被害を出したくなくて
城主の切腹と領土の割譲でひくとなれば飲むとみたんじゃないか
実際秀吉と毛利の衝突はない
互いに高松城から離れたところに本陣を置いて互いを監視してただけ >>372
信長は何回も和睦を申し込んでるのに一方的に反逆しまくったのは一向宗の本願寺側だったらしいな。
当時の一向宗って今のイスラム原理主義的な過激さがあったらしいから、命を投げて抵抗しつつ、信長の家臣の切り離しもかなりやってたらしい。
そら、信長も人間不信に陥って、様々な愚行を行うわけ。
それが、あることないこと信徒によって伝えられているという話。 官兵衛は若い頃から野心が見え見えだったからでそ
直虎の高橋一生くらいのポジションだったのに自分を売り込んで出世した 江戸幕府が長く続いたのは朝廷をうまく抑えたのに尽きるw
争いの根源はいつの時代も朝廷からだからなw 勘違いしている奴が多いな。
高松城→沼城→姫路城→明石→兵庫→尼崎→天王山
だからな。
一気に天王山まで取って返したわけじゃねえからな。
それに、>>1のバカは補給路だったら安全だと勘違いし過ぎなんだよ。
戦国時代なんだから、今まで安全だった補給路が情勢の変化で急に危険になる事なんか当たり前の時代なんだよ。
事実、明智光秀は大山崎で敗戦後に補給路をたどって本拠地に向かって敗走する時に農民ごときに討ち取られてんだからな。 清水宗治の切腹があまりに見事だったから
秀吉が切腹マニアになって利休や秀次などに次々に切腹を命令
それは江戸時代にも引き継がれた
(´・ω・`) >>385
いや味方の支配地域が、その支配している味方の知らないところで急に危険になったりはしないだろ >>382
本願寺は元々京都で細々と寺をやってたんだがな。
法華経とモメてボコられて京都を追い出されたんだよ。
で、坊主たちが流浪をすることによって布教活動が広範囲になり、それが各地に広まった一因になったんだけどね。
で、摂津国の石山にちょうど良い土地があったのでそこに寺を建てたのが石山本願寺というわけ。
信長がなぜ本願寺と敵対したかといえば、信長の本拠地の尾張に原因があるんだよ。
長島の一向一揆を地図で確認してみ?
マジで信長の本拠地の清州と近すぎるから。
そんなところに自分のコントロールが効かない一向一揆が支配する地域が存在していたら天下取りどころじゃないからね。
信長は何が何でも本願寺を屈服させる必要があったのさ。 時代劇で馬が全速力でパッカラパッカラ走ってるシーンあるけど
アレ実際には馬は長い距離は走れないから
馬の全速力はせいぜい1キロ2キロが限界で競馬でも4,000b辺りが競走馬の限界じゃん >>365
島津は渡来人の惟宗氏
初代が源頼朝の隠し子と言い張って源氏を名乗った
伊達も藤原氏を言い張ってるが何ら根拠なし >>387
戦国時代の撤退戦がなぜ難しいかはその支配という概念が曖昧だったからだよ。
負けて撤退する軍はとにかく狩られる。
敵軍からだけでなく、野盗や農民からも標的にされる。
あの上杉謙信でさえ小田原城の攻略に失敗して越後に撤退する時はゲリラ戦に悩まされ大損害を被ったわけだからな。 >>103
そして最後は家を乗っ取られそうになる・・・
小早川家が秀秋を引き取って助かったけど 北畠顕家の方がすごい
南部や伊達を引き連れて京都まで戻ってくる >>351
みんな宗治の切腹真似るんだからな
正しい切腹の仕方になったんだから
侍的に実に美味しいよね >>389
まあ、当時の馬は小型だったから時代劇のサラブレッドのようにパカパカと武将を乗せて警戒に駆けたりしなかっただろうね。
実際は、荷物や兵糧を担いで従者が引いて歩いていたと思う。 >>111
キリンのラストシーンはナイナイ岡村が
光秀に竹槍を刺すと信じてたわwwwww 秀吉の兵糧攻めは時間もかかるし自軍の食糧や資金も使い込む→信長オカンムリ→秀吉何度も呼び出されて信長に怒られる→すっかり道を覚えて行き慣れる >>393
いやwwwあれは帰ることを考えずに略奪を繰り返しながらただ京都を目指しただけだからw
道中の略奪が原因で恨みを持った略奪された地域の武士たちが追撃した結果、それによって尊氏方の軍勢が膨れ上がって顕家は負けたんだよ。 >>400
大虐殺の結果ね。
そりゃ和解なんて無理だよね。 >>280
インドはムガル帝国の名君
アクバル大帝の時代だけどな 秀吉は白だと思うけどなぁ
平民出身の秀吉が逸材ひしめく織田家で
出世するには、生半可な能力じゃ無理だし
光秀謀反の報を聞き、瞬時に的確な判断をくだせるだけの
能力や家臣は秀吉には備わってる >>388
家康が岡崎捨てて浜松に本拠置いた理由であり、
岡崎の息子殺した本当の理由だろうな。 もともと秀吉はおびき出した信長を殺して宇喜多三好を配下に織田家から独立した上で毛利に寝返る気だったと思う >>200
突然のキャスト変更とオリンピック(予定)で放送回数が減ったからね
コロナで一時収録もできなかったし
初めから呪われた番組だよ 室町幕府の最後は槇島城明け渡しではなく秀吉の天下統一
明け渡しは明け渡しでしかなく足利家は将軍家のまま 秀吉は柴田陣から無断逃亡した時から覚醒したと思う。まぁ黒田官兵衛が配下について中国攻めは経過を見てても楽しい 負けて死ねば原田のように残された家族は終わり
勝っても見限られれば佐久間のように追放されて野垂れ死に
毛利に勝っても負けても未来が開けない >>391
別に敗走してるわけじゃないからな
行軍中の軍隊を襲う馬鹿もおらんだろ >>1
ところでこの人は大返しは何千何万の兵士が一斉に横一線になって仲良く走ってると思ってるのかね?
人間が一斉に同じ方向に向かうと渋滞が起きるしコンサートなんかでも大きなアリーナになると終演後出口にたどり着くのに1分で付くところを列が動かず15分ぐらいかかるとかあるし
中国大返しだけでなく美濃大返しなど羽柴秀吉は渋滞を作らせず大軍をスムーズに移動させるスキルを持っていのは確か 司馬遼太郎のせいで秀吉が人懐っこい善人になって、家康がセコい暗い悪人になっている 司馬遼太郎は尾張の秀吉を都会的で先進な軍人
それに比べて播磨は古臭い田舎者として描いている
逆のような気がしてならない >>417
そもそも秀吉が武将らしくなったのが蜂須賀党を傘下にした時からで、農民の足軽集団てより山賊や半グレ集団に近いんで毛色が違ったかもしれん
あとやたらと築城名人居たりどっちにしろ普通ではない >>419
いやいや
成金趣味でガンガン金使って お姫様大好きな秀吉と
一向宗に悩まされ続け信長に無茶な援軍頼まれつづけ いざというときのための貯蓄するしかない家康
女の趣味も 義元にあてがわれた姫様を嫌い殺し、側室は下賤な人・経産婦だいすきだぞw
そして 江戸に作った日本橋という町・・・夜盗あがりのならずものに古着扱わせたのが始まりな。
司馬遼太郎が そういうイメージもたざるを得ない現実があるんだよw お前ら東京に住んでて京都で戦さしてたら歩いて行きたいか >>77
それでも位置的に吉川元春に本気で追撃されたらかなり危険だったと思うぞ
宇喜多も動きにくいし 歴史に知見のある方の意見を聞いてみたい
山崎合戦の後、織田家筆頭家老の柴田勝家が
「俺は秀吉と争いたくはない。秀吉の天下で結構だが、
柴田家は織田家筆頭家老で功績もあるから、それ相応の
扱いをしてほしい」という態度で臨めば、
柴田勝家もNO2〜4くらいのポジションで安定した暮らしができた?
「秀吉と争いたくない」という態度を表明している柴田に対して、
秀吉が露骨に打倒や排斥の態度を示しても、天下の諸公の賛同は
得られない気がしますが、いかがでしょう? 大河でしっかりやったじゃんよ 身内?親戚の細川藤孝からの密書 >>425
歴史には詳しく無いが、
天下を確信した秀吉は確実に目の上のタンコブを消していくだろう
家康しかり 秀吉も隙あらば織田家を乗っ取って天下人になるみたいなことは常々考えていたんだろう
光秀の考えを読んでもしもの時はどう動くか決めておいたんだろう >>425
織田信孝と織田信雄が跡目争いして それに巻き込まれるから無理。
じっさい お市の方をあてがわれて巻き込まれた。 >>425
出家して高野山送られても、数年内に毒殺だろ?だったら潔くなんだと思う
当時の武士にそこまでして生き長らえるなんてなかった気がする タイムマシンが無い限り
あーだこーだ言うだけ無駄('ω') >>425
>それ相応の扱いをしてほしい
これは通らないだろうな
生かしては貰えたかもしれないけど
隠居させられて息子に家徳譲ったうえで息子も五大老入りは無理って感じだろ
前田利家みたいに仲良かったやつならともかく
秀吉から見たらただのうざい上司じゃんこいつ
まだ佐々のほうがチャンスあった 勝家はそんなタイプじゃないからなあ
2度も信長相手に戦しているし
まあ秀吉は家康ほど腹黒じゃないから
従えば丹波家のように末席程度はもらえただろうけど 秀吉が小牧長久手で家康を潰せなかったのは
世論、正義が家康側にあったからである
本気でやれば、家康を潰せたが、潰したら野心丸見えで諸将の心が離れてくのを恐れた
すなわち、秀吉自身が己の非道を認識しているからこそ、母すら家康に質に出した
ここまですれば、化かし合いだな >>428
毎日横から官兵衛が秀吉を洗脳していたに1万ペリカ 秀吉は補給路の農民とかの恩賞がよかったからともって記憶 だから協力関係がばっちり
記憶は以前のってことだけど
今の菅とは真逆 >>434
そうなの?
どう見ても、家康に裏かかれて戦略負けしてないか?
秀吉は家康とは相性良くない気がする >>430
いやいや かつての同僚が部下になるんなら それこそ権力の誇示として最高だから生かして使うよ。
そして遠国の大名としてチャンスを与えてる。
実際のところ 秀吉は天下取りをめざしてるけど 他の同僚はそれだけの力がないから直接的に目指してない。
信長の息子2人が 勘違いしたままなのでそのまま争いそれに巻き込まれるだけのはなし。
勝家が生き残るには 主家を裏切るしかない。 秀吉みたいなのが一番恐れるのが利に釣られない家康のようなタイプ 清須会議がすべてだな。
勝家は事前準備と根回しが甘すぎた。
秀吉がそれだけ優秀だったんだろ。 >>437
局所的には家康が勝ったが、政局的には戦う意義を失くしてうまくまとめた秀吉の勝ちだろうな
もちろん、武力でまともにやれば、多勢に無勢で多くの損失をしながら数で秀吉の勝ちだったろう
だが、家康は秀吉が本気で潰しに来ないことを知っていた
義が家康にある
家康を潰せなかったのは秀吉に後ろめたさがあったからだな
母を差し出した位の後ろめたさだよ
蒲生は毒殺だな
まぁ、秀吉の目の上のタンコブはやはり、信長の盟友家康であった てか、光秀って最期は落武者狩りの足軽に殺られたんやなかった? 高速道路使えば余裕で移動できるだろ
常識的に考えて >>425に結構な数のレスがついて驚いた
内容的には、なんだかんだで柴田もやられるか、
生かされたとしても屈辱的な扱いになるそうな
しかし、天下の諸侯の心は秀吉から離れそうな気がする 皆に嫌われてたから全員一致で殺すことにして実行犯が明智 >>319
源平合戦での富士川の戦いでは、武田軍がミスって水鳥の群れに突っ込んだ事になってる >>443
秀吉が天下取ってすぐに家康を駿河からまだ未開だった江戸へ左遷さしたからな
しかしそれが逆に裏目に出て
実は江戸は開発すれば
凄い良い立地だったという >なぜなら、秀吉軍は自軍の補給線を逆にたどっているだけだからだ。
ま、そりゃそうだよなwww
進軍してきた道中を、備中高松城を落城させた戦勝の軍として
あたかも凱旋したかのように戻るわけでね。誰も妨害しない。
来た道をそのまま戻るだけってわけ。
これがさ、同じポスト本能寺でも堺から両国まで
忍者(!)に護衛されてビビりながら帰ってきた
神君伊賀越えの苦難の行軍とはわけが違うよな
同じ領国帰還の道中だって「天国と地獄」の差があるってわけだ。
秀吉も家康もどちらもさっさと移動したいわけで
運動会ソングが流れてたに違いない
まさにオッフェンバックの「天国と地獄」www >>409
まあ、仕方なくなw
最後は飼い殺しでな、「信長が死んだから、京へ行くぞ!!」と義昭がいくら言っても、
スルー。 >>434
大地震で秀吉が不利になりかけて慌てて和睦したんじゃなかったっけ? てか麒麟が来るの天皇も
光秀をそそのかしといて
信長を討った後のことは見守るだけって
必ず卑劣よな? 東日本〜三河まで 圧倒的家康派
東北の大阪嫌い 関東圏(旧北条領)の秀吉嫌いはガチ
逆に東京〜静岡〜三河の家康は慕われてる
名古屋〜岐阜滋賀(彦根) 中立または信長派
名古屋はガチの中立地帯
京都〜西日本各地 圧倒的秀吉派
特に大阪の秀吉好き徳川嫌いは異常 麒麟が来るって録画だけしてまだみてないけど面白いの?
あたりまえだけど、光秀が死んだら終わりなんだよな…
そこから先が面白いのに。 >>457
違う。もとはドイツ。日本で製造しだして
日露戦争のときにうりだしたのが正露丸。 >>452
あれだって秀吉の巧みな嫌がらせだな
わざわざ家康を仲良し後北条の土地に国替えだからな
つまり、一揆でも頻繁に起これば佐々みたいに没落させる計算だったかもな ところで
>中国大返しの本当のキモは、秀吉の判断の速さ
ってそうね、まあそこだよねえ。
スピードって点で驚嘆すべきはさ。
そこで小田原評定やってたらこれは勝てるものも勝てない
ってか下手すりゃ毛利本隊とかが織田旧領もろともかっぱごうと
津波のようにやってきかねないわけでね。
明智が朝廷抑えて変な勅を濫発しまくったら
これどうなるよってこと。逆賊秀吉治罰綸旨、とかさ。
のちに秀吉が三法師たてて諸将を圧倒したみたいに
朝廷をね、抑えられたら大変なわけですよ。
これはねえ、もう乾坤一擲の人生オールインだよね。
で、まあ歴史の教科書にあるように秀吉は見事勝って
そのリワードに天下が転がってきたわけですよ。
少なくとも彼にとっては最良の結末だったろうねえ。
その余の諸将庶民にとってはどうかわからんけどさ()
人生ってさ、別に戦国大名じゃない現代の平民でもさ
存外長いけど、その長い時期の好悪を規定するチャンスってのは
案外短時間なんだよね。そういうのってあるんだよ。
ま、その一瞬のチャンスを得るために
それ以前の長々しきこもごもがあったりするんだけどさwww >>465
当たり前といえばあたりまえだよな。
信長あってこその秀吉で、信長死んで明智が誰かに打ち取られた後は
秀吉についてくれる武将なんて絶対いなかっただろ。
逆に柴田勝家なんかは、どのみち信長の息子のだれかが後継者になって自分は重用されるって思ってたと思うよ。 >>458
地震も少しはあったかも知れない
だけど、やはり、秀吉には家康は討てなかった
主君信長に長年律儀に尽くした盟友家康を討つなんて、野心バレバレだからな >>460
ひどすぎるよな。こんなに不敬なものを公共放送で流していいとか信じられん。
ほんっとNHKひどすぎる。
まぁ 天皇を悪者に書き上げたつもりでも
天皇の意図を読めない 汲めない 無能な明智になってるだけだが。
「信長を暴走させるな」の御言葉に対し 信長を暴走させる行動してるからな。 見たドラマだと信長に冷遇されひどい目に遭ってる光秀に秀吉が寄っていって
「殿の近頃のやりようは酷い。このままではまた世が乱れてしまう。誰かが何とかしなければ…誰かが」
とか呟いてたな
本能寺の一報聴いた時は「そうか…光秀殿が…そうか」と別に悪い顔でほくそ笑むする訳でもなく憐れみの演技だった
そんな感じの方が好きだな
まー有り得無いだろうが >>443
蒲生は東北への睨みだぜ
肝臓の病気と言うのか小説の落とし所だけどな
ちなみに孫は実力無しとして取り潰されとる 前半の軍の移動という中国大返しが素早かったというのは理解できるが
後半の政策の大返しが素早くできたかというのは理解できない
いくらなんでも書状を偶然読んだというくらいでは真実かどうか判断できるわけがない >>481
京に配下の者を置いていた可能性は十分にあるし
長谷川宗仁と言う茶人が早急に使者を寄越したという記録もあるらしい 史実という点からはともかく
真実という点からは秀吉がどうだったのかなんて永遠の謎だろうな >>481
事変の信憑性は 信長の生死以外については信用できる。
複数の知らせが敵味方から届いてる。
事変が起きてるのは確実として 信長が生きてても死んでても真っ先に駆けつけることで
他を圧倒する出世ができる。 信忠が逃げ切れてたらまた違ってたんだろうけどなぁ
流石にほぼ後継者だった信忠差し置いて秀吉が中心にはなれなかっただろうし >>425
史実だと本能寺の変から三ヶ月後の9月3日に柴田勝家が丹羽長秀に宛てた書状ではその時信雄と信孝の間で国境線争いが起こってたんだけど
それに対して柴田は四人の奉行(柴田・丹羽・羽柴・池田)とよく相談して解決したいと述べてるから
柴田に関してはこの時点で他の織田重臣と協力していこうという姿勢が読み取れる
が一方でこの書状の中で三法師の扱いについて意見が割れており既に両者の間に争いの火種は起こってる
・秀吉→一刻も早く三法師を安土に移すべき
・勝家→安土はまだ普請も済んでいないし畿内が完全に落ち着いて四人の奉行衆が納得した上で安土に移すべき
補足
通説では清須会議で柴田と秀吉は跡目を三法師か信孝で対立したと言われているが、
現在では清須会議は跡目を決めるための集まりではなく、三法師が成人するまでの体制作りのための会議という柴裕之の説が主流で
三法師について清須会議の時点で秀吉勝家の両者の間に対立はなかったという見方が強い
なので秀吉勝家の対立の火種は一次史料においてはこの9月3日の書状が初出じゃないかと思う
仮に柴田が下手に出たとしても信雄信孝兄弟の跡目争いや三法師の扱いで意見が割れるだろうし遅かれ早かれ秀吉が潰しにかかると思うな >>388
本願寺は全然細々ではないだろうw
当時から延暦寺ともめたり、今だとカルト教団扱いされてもいいくらいだw
で、そもそもそれくらいの脅威であれば、言い伝えられている信長像なら、本願寺は根絶されていても不思議ではないからw
そうなってないところに何らかの妙があるw 天下統一までの秀吉は神がかってるよな
日本史上最強の男だと思う 秀吉は凄いよね。
父親がどこの誰かもわからない身分から一代で天下人にまで登り詰めたんだから。
こんな奴 日本史の中で他にいる? >>434
元同僚を欲で釣ってその上に立っているだけの状態なんだから、一歩間違えたら砂上の楼閣が一瞬で崩れて自分自身が
光秀になりかねない綱渡りの状態じゃないか。
それを最後まで渡り切ることのできる天才は秀吉をおいて他には居ない。家康では無理よ。 >>482
>>484
ありがとうです
信長に対するクーデターが起きたと確信できるくらいの情報は
収集できたんですね
それならば信長軍の加勢として戻るのために電光石火で大返しした
ということもありうるのか >>480
来てくれると思ったら、細川君が来ないから、
しかたなしに書いた御手紙だから。 >>425
丹羽長秀の例を見ると解る様な…
仮に本人存命中は優遇されても子孫は冷遇されていたし… 佐々成政のさらさら越えは歴史ミステリー認定でいいと思う 少し前は光秀の記事ばかりだったけど
今度は秀吉でもすんの? >>494
仕方なしに書いたにしてはこの手紙の前半で剃髪して信長への弔意を示した細川父子に対して立腹したけど思い直したから味方してくれって書いてるね
光秀さん本音漏れてますよ >>357
信長新記でも読んどけ
もっとも未完のまま放置された挙句、作者死亡で永遠に完結しないのが確定だがw >>369
しかもロリコンだろ
でも生まれて来たのは別のタネだけどw 明智光秀、本当に織田信長を殺したのか、織田信長は本当に本能寺で死亡したのか。
そこは歴史では触れられていない。ただ、明智光秀と思われる落ち武者が秀吉の軍に負けた後に、首を取られたという事実が残っている。
明智光秀の娘は細川家に入ったが、そもそもそれは織田信長からの縁組要請だった。
細川忠興は織田信忠に仕えたものの、本能寺の変前後においては織田信忠側にはついていない。
織田信忠も、実は二条御所で自刃後の遺体が発見されなかったとか。織田信長、信忠ともに遺体が確認されていないのは確か。 >>468
家康の強みが三河衆との紐帯のような関係にあることを知っていたから、根こそぎ引っこ抜いたんだよ。 >>504
歴史上重要なのはその人物がその後登場しないことであって、
仮に逃げ延びてどこかでひっそりと暮らしたとしてもそれは死んだのと同じ事 >>506
「十兵衛さまが丹波の山奥で再起を目指してらっしゃるというのです」という台詞の寒々しかったことといったらもうねw >>452
最近の研究じゃ北条が開発進めてて言うほど未開じゃなかったと言われてる
そもそも嫌がらせで250万石も与えないやろ
秀吉は秀忠に淀殿の妹嫁がせたりして家康を本気で味方につけようとしてた >>489
ぶっちゃけ、信長、秀吉、家康
誰の家来になっていても死んでた確率のほうが高いのにな >>509
ただで250やらないよな
関東は可能性もあるし
三河武士団の力を削ぐのは
家康にとっても悪い話じゃない
秀吉の所為で、と不満は秀吉に行く上に
家康しか寄る辺が無くなる
信長は武士解体にも早い段階で着手してたからな
居城を微妙な距離でちょくちょく変えて 1叩かれてるけど
こんなに早く移動できるはずがないから黒幕は秀吉ってのよりは常識的だと思う >>1
オレい言わせても中国大返しは不思議でもなんでもないな
昔からいうだろ
サル者は追わずと 密書がマジモンだって考えた方がリスクが少ないってだけ
マジモンだったらさっさと帰らないとそこら中が敵だらけなるじゃん
援軍が光秀だったんだからwwww 光秀を援軍に寄越すって状態だったんだから
他意がなくても京都の情報は集めさせてただろしな >>424
大返し中はずっと黒田官兵衛が殿を務めてたらしいな
万が一毛利が追撃してきたら
部隊を分けて黒田官兵衛に食い止めさせて秀吉だけはなんとしても畿内入りさせるつもりだったんだろう やはり細川藤孝がキーパーソンか。あっさり光秀を裏切るし。 要因は光秀と親交のあった
四国阿波の大名でしょう
慕われる戦国武将に秀吉は
ない >>42
歴史は勝者が作る
普通に考えてそこまで広い敷地でもない本能寺で焼け焦げてはいようが遺体が見つからないなんてことはない。
正確に判別できなかったとしても似たような背格好の遺体を信長だとでっち上げて首を取ったと言って回っても良かったわけだ。光秀ほどの計略調略の達人がそれをしなかったと考えるのはどう考えても不自然。
実際焼け跡から自害した亡骸も首も見つかったろうさ
だが「明智軍は信長の遺体を見つけられなかった」ことにしたんだろ、秀吉が。
事実と違っていてもいいから、一時的にでも、
信長公は窮地を脱して生きておられる、卑怯者の反逆者明智に協力するものがあればあとでおのれの首が飛ぶぞと流布すれば、畿内での明智につこうとした勢力の抑止はできる。
一度多数派工作さえできればあとは秀吉勢力につけば忠義なる所業として扱われるので最低限保身はできる、
一方明智につけば万一信長が生きていれば確実に身の破滅、死んでたとしても大軍勢を集めつつあった多数派の秀吉軍に勝てる見込みはあるのか?と疑念が抱く。
そもそも畿内での大勢力の細川も筒井も明智家の与力大名だが明智家が機内筆頭なだけで部下ではない。
どっちについても良い立場だった。
となると、家の存続のために
明智につく不確かなメリットよりも、万一信長が生きていた場合の最悪のデメリットを回避しようとするのは当然で、藤孝にしても息子忠興の嫁が明智家のものというだけの縁で細川家を滅亡の危機に晒すことはしない。
この騒動の間に藤孝は頭を丸めているがコレは時間稼ぎで、秀吉派と光秀派のどちらが畿内で勝者となるかを見定めていた
なお、細川家のある重臣に秀吉は戦後なぜか「多大なる功績があった」と法外な褒美を与えている
まあお察し。
秀吉としては光秀派につかないだけでも大成功で、光秀としては機内を一気に手中に収めるためにアテにしていた戦力だったために致命的だった。
結局筒井やそれ以下の勢力もそれに倣いほとんど動かず、朝廷さえ取り込んでしまえば皆なびくと見積もっていた光秀の計画が破綻する
実際に安土城や二条城から接収した財宝をふんだんに献上し、朝廷から勅書を引き出すことには成功してる。
よく、光秀は発作的に恨みで信長を討ったという人がいるが、信長と当時の当主信忠を速やかに討ち、朝廷を抑えて正当性を確保して機内全域を味方につけ、周辺部にいる柴田や秀吉と言った遠征軍団と対峙するといった綿密な作戦は発作的に立てられるものではない。
畿内に残る勢力、当時四国の丹羽長秀の四国遠征軍も津田信澄との関係から場合によっては明智側につく可能性も勘定に入れての計画だったと考えるのが妥当
後世に残る資料は歴史に勝利した側が残すもので、勝利者側にとって都合が悪いことは改変され、敗北した側は勝利した側の喧伝材料として悪く描かれたり愚かだったと書き残されてるものが多い
本能寺の変や中国大返しの根拠になってる惟任退治記も秀吉が天下を抑えた後に作らせたもので、多分に事実と改変されてるとみるのが自然 >>48
なぜ本能寺の変の後をやらなかったのか
秀吉が活躍するだろ?
秀吉が活躍すると頭がカッとなって狂う民族がいるだろ?
NHKの中にそういう人が多数いるだろ?
そういうこと >>1
地政学で言ってる人居た、こちらの方が説得力あり
中国大返しの補給線は1と同じ
その拠点は海(=港)に近いところにある、
流通は陸より、水の浮力がある水軍が圧倒的に優位
武田ですら勝頼が水軍を持ってたり、信玄が契約してたレベル
秀吉が用意した補給線には、海からの調達があったと見るべき 当時の大阪って大都市なのか?
秀吉が大阪城を築いてからのイメージ。
栄えていた堺じゃ遠回りだし
石山本願寺が墜ちた後、淀川を使った京都への物流拠点としてどれほど栄えていたんだろう? 聖徳太子の頃に四天王寺が作られてたし、
難波長柄豊碕宮で孝徳天皇が大阪に遷都するくらいには、
格式のある土地だよ、少なくとも飛鳥時代から 大返しの距離は一日6時間の徒歩で休息や睡眠もしっかり取りながら走破できる距離
高松城攻めで持久戦用の補給線は十分にできていた 天王山って行ってみたら京都と大阪の境に近い狭いところなんだよな
広い戦場かと思っていたが 重臣の追放が相次いでいて、誰だって次は自分かと思うわな。秀吉がそれを知らないわけがない。
後世の人間は第一報が真偽不明だと言うけど、家臣団にいれば本当だと判断がついたんじゃないだろうか >>489
明治政府が関ヶ原の西軍の薩長だから
まず関ヶ原で遺恨のある徳川を倒して
その後に秀吉の意志を継いで大陸征服を目指した感じだからな >>111
窮鼠猫を噛む て具合にガチガチに包囲すると
必死になって味方の被害があるから
わざと逃げ道作るのも手なんだよなw
であとでゆっくり落ち武者狩りすればよいw 単に信長がパワハラワンマン社長だから
いつ刺されてもおかしくないと思ってたんだろうし
恐怖支配だから忠義はないんだろう
死を惜しんだ家臣もあんまおらんわな >>58
浅井が裏切ったときの
逃げプリからすれば
さっさと逃げているて思うのが自然だからなw
米軍て自分らが不利だとさっさと撤退するけど
それと同じようなプラグマティズムの持ち主が信長w >>79
近江を信長の親族で固めたいから光秀は
近江の領地召し上げ中国山陰地方切り取り自由てことよw
まあ通告された方は冗談ではないて思うわw
それで警護の手薄の信長を見れば誰でも討つだろw 本能寺奇襲の前に秀吉は引き返していたんじゃないか?
毛利と対峙していたのは副官以下で、秀吉は対応の大枠を指示して
とっくに京都方面に移動してた。
首実検に立ち会ったのは代理か替え玉。 そりゃ秀吉は兵卒から武勲でのし上がったんだから
チャンスは逃さないがモットーの
リスクを取っていく人間だ
主君の危機に一番槍で敵を討った奴がエライんだから
情報の確度はこだわらずに勝負に出るに決まってらな
ガセや襲撃された事実のみで動いたって忠義を口実にできるから損はないんだ 平清盛親子→源頼朝3代→(平)北条氏→(源)足利氏→(平)織田信長
→(源)明智光秀→(平)豊臣秀吉→(源)徳川15代 >>425
平民出の成り上がりにとって、譜代の筆頭家老で、信長の妹の旦那は脅威だよ。
何かあればすぐに旧織田家の家臣は離反して勝家側につくのは目に見えている。
秀吉が茶々を無理やり嫁にしたのは、決して恋愛感情だけではなかったはず。 >>495
秀吉は人に目をかけるが家に目をかける気がないし
竹中半兵衛の子息も不遇だよ しかし歴史の結果を必然で考えるのが愚で間違ってるのだがな
決断するにも確率論で考えてるに過ぎないしな
偶然の積み重ねが結果でもあるから
未来予測は不可能なんだという正しい理解が無いのがまず問題
その逆と思えばね
元々人の決断なんてのも
本人の性格やその時の気分に過ぎない事が大半なんだよな
人間には合理的判断は無理というのが行動心理学としてあるわけでさ 秀吉も一世一代の勝負だったけど。それ以上に滝川一益やら森長可やらは地獄コースだったよな。
森長可なんか自身がキチガイだから返還出来ただけだからな。 >>540
竹中重門?普通に家臣として遇されているように見えるが 正直信忠が生きていれば明智光秀やった後に征夷大将軍貰ってそこそこの施政ができてたと思うよ。 頼朝が駅路の法で各地に人馬を置いて
鎌倉京都間(430km)を最短3日での連絡手段があった
岡山市北区から安土城まで250km 2日とする
5月17日に安土に秀吉の救援要請が来るけど
5月15日に秀吉は現地から信長に救援要請の書状を出してると思われる
つまり15日に秀吉は毛利軍の出立と5万の規模を把握した可能性がある
それで信長に救援を要請した
秀吉には緻密で広範囲の情報網と
情報を伝える早さがそろっていたと思われる そうなのかー
しかし、確認作業は必要じゃないの?
和睦してノブナーさんが生きてたらやばくね?
もしもデマだったら書状があるから言い訳できるか 毛利軍の到着は5月20〜22日で本隊輝元の到着は21日
秀吉は毛利軍の動きをさぐってて
毛利軍が現着する決行前から規模を把握してたと思われる
秀吉情報網はんぱない
少し遅れてだけど岡山にいながら
京都や安土の動きを把握していてもおかしくない >>525
>難波津
河内平野は古墳時代や飛鳥時代は河内湖で生駒山山麓まで湖だったし、大阪城作った時もまだ東と南は大湿地帯だった
https://i.imgur.com/3nXohgK.jpg 大軍を動かす船腹を調達するのは大変だけど
伝令だけなら船が早いからね >>15
秀吉は山崎の戦いも数で圧倒的に勝ってるのに序盤は押されまくってるからね。長久手を考慮に入れても戦そのものの能力に疑問符がつくのはしゃあない
小谷城包囲時の数で上回る一揆勢撃退と六角撃退は評価に値するけど、兵ですらない農民だらけの一揆と潰された大名の残りカスでしかない六角撃退はそこまで評価を上げるものでもないし竹中半兵衛の存在が大きい
金ヶ崎の撤退戦(秀吉隊の金ヶ崎城配置も光秀・池田の指示だとすると)も光秀の指揮による功績の方が大きいかもと考えられる
というわけで秀吉と光秀の二者に限って言えば光秀の方が戦闘では一枚上手。ただ丹波攻略でのもたつきを考えると秀吉の城攻めと調略が三枚は上手
城攻めについては織田の財力があってのものだからそこは議論の余地があるけど 秀吉弟に但馬をやられたので地元は衰退した
別の狙いがあったのかなあ 仮に今の政治家や大企業のトップが秀吉の立場になったとして
同じように速攻動けるのがどれだけいるよ?絶対情報集めるとかでノロノロしてるぞ
やっぱすげーよ秀吉 >>550
実際姫路まで船で伝令飛ばしてすべての準備をさせた
信孝・丹羽、中川清秀辺りに対しても船やね。摂津周辺での受け入れ体制を整えさせた
あとはもう>>1にある通り最初の判断スピードと兵へのモチベーションのもたせかた。街道は最初から広くしてあるしね 光秀は5月15〜17日は安土にいて家康と
家康が説得して信長の部下になるという穴山梅雪の接待をしてた
5月17日に救援要請が来て光秀は信長から援軍準備を命じられて
17日夜には船で坂本に戻ってる
もてなしの主客は家康ではなく
武田勝頼のいとこの穴山梅雪だったと思うんだよ
だから光秀は京都や堺から珍しいものを取り寄せたりして
穴山梅雪に権威を見せるのが目的だったんじゃないか
信長も梅雪に舞を見せたり京都や堺の見物をすすめている
田舎の侍には衝撃だったかも
光秀は接待を信長の希望通り行ったと考えてる
このもてなしの席で信長が光秀を叱責したってのは創作で
間違いだと考えてる なるほど船か 連絡はその方が早いか 九鬼とかいたな もし光秀は接待で信長に叱責されてたら
親交のあった吉田兼見が日記に書いたと思うんだよ
でも正本にも兼見卿記別本にもない 光秀の出陣と、信長の本能寺滞在がリンクしないと謀反になるとはわからないので、光秀の近くで
見聞きできる密偵が居たとしても、光秀が秀満など近臣に本心を告げるまでは、誰も謀反を知らない。
信長が京都に移動するに当たって、馬廻衆という親衛隊のような大部隊を引き連れていないことも
実際に信長が移動してみないとわからないことなので、家康の饗応役解任になりましたハイ謀反決定
にはならない。
事前に知り得たかどうかを考えても、本能寺が襲われるだいぶ前は無理だろう。
ちなみに謀反を秀吉に持ちかけてたら、信長にチクられる可能性が高いし、了承していたなら細川や
畿内の諸大名に、秀吉は味方と伝えているはずだし、何より裏切られたなら黙って死ぬ理由がない。 忠臣蔵のバカ殿が何故斬りつけたかと
光秀の謀反理由は謎のままに成るんだろうな
誰も理解不能故に、色々創作する >>555
穴山梅雪が都合よく死んでくれたおかげで家康は甲信二州を切り取れた 兼見卿記別本では
信長はいったんは光秀になにも命じない休暇を与えるけど
急遽変更で馳走役を命じる
変のあと書き換えられた正本では軍事から外れて馳走役を命じられる
ちょっとの違いだけど命令される立場だと結構違う
吉田兼見はこういうのを遠慮なく書いちゃうタイプだろう 吉良上野介は領民から慕われていたと同時に、
感じは悪かったとも記録で残ってるね。
実際どうだったかは兎も角、感じの悪さは
創作だと思っていたので記録に残っては
いたことを知って驚いたっけ。 >>560
穴山は死ななくても与力衆程度の扱いだったろうし旧武田領を与えられるだけで遠慮なく甲信は全て切り取ってただろう
何より信長が死んだって時点で確定事項 光秀が家康討伐令を出してて
梅雪は京都見物から堺見物までは家康と一緒に行動してたのに
堺から京都に戻るところで家康と別行動になる
先に京都に向かった家康は途中で知り合いの堺の豪商に会って
変を知って宇治の城に一旦逃げて伊賀越えだけど
あとから向かった梅雪は知らなくて家康に間違われて土民に討たれる
跡を継いだ梅雪の子供は家康について穴山家は残る >>561
公家ってのは昔から日記書くのが趣味というか日常なんで何でも書く
だからこそ公文書や人目に晒される可能性のある手紙のやりとりにはない史料が公家筋から出てくる。平安のころからずっとだね
当然「日記」なんで誰に遠慮することもない フロイスは秀吉も光秀も野心家、独裁者とか書いてたが、家康評はあるの? そもそも全軍で移動したわけではないでしょ
補給線上には輜重部隊の人馬がいるんだから、それを見越してある程度絞って出発
途中で輜重部隊の人馬を吸収しつつ姫路に向かったんだろう
姫路城には留守居の浅野長吉と数千の兵がいたので、最悪これを先行して動かすことも考えてただろう
(実際には姫路城にいた元浪人の伊東祐兵に300程度の兵を持たせて偽旗作戦をやってる) >>6
光秀はともかく、実際に天下を獲ってのけた秀吉が弱いとな?
「弱い」という概念への哲学的挑戦かねw 穴山って一門衆だから武田的には小山田よりタチ悪いんだよね
立地的にも織田徳川進軍ルートにこれ以上ないくらいの大穴開けてるし
真田昌幸なんて死ぬほど嫌ってたと思う >>120
丹羽さんは
そんとき自分とこの軍隊から離れたとこに居たんで
変が起こったときに
末端の兵隊が自由解散の形になっちゃったんです
無能とか鈍重とか言われる
丹羽さんマジかわいそう >>567
ない
でももし評価してたとすれば家康も基本的には秀吉や光秀の禁教政策を継承してるんで同じような評価だったと思うよ
フロイスの日本史はキリスト教をどう扱ったかが全ての基準だから まあ秀吉は戦わずに勝つってやり方だ
武将の家柄出身じゃないからアホみたいに勝ちの目なくとも武士は戦わねばならん
って概念に囚われてない >>575
秀吉よえーよなって言ってる価値観が
敗戦後の現代にも残ってる時点で
我々は、アメリカに勝てる筈がなかったな 歴史家なんて明治維新 太平洋戦争の真実も知らない
勝者が作った洗脳工作の拡散員 >>19
大学の日本史の講師が言ってたけど突如虚しくなるらしい
写真や映像ある時代のことでさえこれは真実、これは捏造と争い絶えないのに当時生きてた人間はもう誰もいない、写真も何も無い、あるのは資料だけ
そこから研究したって結局は推測にすぎないわけだから 秀吉は野戦築城の天才って時点で補給線に関してはかなり独特の哲学を持ってたのがわかる >>551
光秀は娘婿の細川忠興に「多少身をかばう傾向にある」と言われるほど野戦は不得手。
秀吉は野戦乱戦に強い川並衆(蜂須賀前野坪内等)を抱えていたのが強み >>581
んだよ
誤植に至る経緯が全くわからん面白い誤植
伊達政宗の息子に宗高ってのがいたような気もするがそれでもそこが予測変換で出てくるのはちと考えにくいw >>29
持ち城の一つ勝竜寺城か、拠点の亀山城か、坂本城 柘植久慶が言うてるなら傾聴するが こいつは知らんから無視 >>3
丸薬販売とかの架空エピソード全部省いてたら
山崎までしっかり描けたはずだよなあw 家康が桶狭間の戦いでは、今川方だった。桶狭間の一帯は松平家の本拠地に近く
親戚も一杯いた。家康は敗軍の将なので、首を取って手柄にしようと親戚筋から
首を狙われ、見方勢も我先に逃げ出した。それで若き家康は死ぬ覚悟を決めた
ようだ。しかし陣に残った数十名が再起を促したので思い留まった。秀吉だって
相当危なかったのではないか。しかし黒田官兵衛や宇喜田など中国地方で臣下に
なった者たちが、秀吉を支援してくれた。これが秀吉の大返しが成功した理由
ではないか。秀吉も、このとき支援してくれた家臣を優遇している。
柴田や丹羽、佐々、滝川氏などは、冷遇している。穴山さんは謀殺されたんで
しょう。用済みだから・・・・・w 判断が早くても確信がなけりゃあんな大軍は動かさん
知ってたんだよ >>112
長秀は所領少ない(若狹と近江佐和山で20万石弱)し、信孝もこの時点では神戸家の所領しかないから、動員兵力がふたりでせいぜい5000〜8000
更に本能寺の変の一報で足軽が逃亡離散してさらに兵力が減って単独では光秀に対抗できなかった。 >>588
考えられる筋ではあるけどね
その後の信長の仇討ちに出る出る詐欺を見ても >>115
長宗我部は水軍持ってたのかな?
まだ淡路の安宅水軍がいて三好〜信長に荷担していたからそうそう本州に兵を出せる状況にないんではと。 >>170
> >>3
> しかも、3年後も生きて馬に乗って走り回っているっていうなぞエンディング
えっ、また江の失敗点を繰り返してやっちゃってたの? NHKの大河ドラマってトンでも日本史が大好きでわらえる 歴史家で一番のペテンは日本書紀 古事記 信奉
でヤマト国は奈良なんてウソなの分かったのは最近の遺跡調査
ペテン学信奉の系統は反信長だった >>596
白村江以前の歴史は全部書き換えられてるよ
あそこで古来の日本は滅亡して新羅の植民地として旧百済、高句麗民の入植地となった 「本能寺の変を事前に知っていた」説は、やはり正しかった…! 現代ビジネス
お前ら(5ch)の反応
・これ。正論。 謀反知ってすぐ大返しとか兵糧準備できるわけないよな
・本能寺はいろんな説があるけどコレは科学的
・確かに、信長死んだ!と言われて毛利の計略を疑いもせず即座に大返しとかあり得んw
・知ってて泳がせていたんだから、ある意味、本能寺の黒幕は秀吉と言える
ヤフコメの反応
・この説は、信長出陣に備えて兵糧を準備していた可能性などを全く考慮していない
・面白い珍説ですが、想像を事実のように書くのはデマといいます
・曲解に使う資料を事実らしく提示する一方、その珍説がほぼ否定される資料には一切触れない姑息な考察
・ドラマ脚本に自分の珍説使わせておいてドラマでなく事実だと喧伝し資料で否定される、それを30年繰り返してきた先生ですね
>>1の記事
先日の現代の珍説は全部論破してやんよ
お前らの反応
・いや秀吉は知ってたはず、ブツブツ… ブツブツ… >>551
山崎の戦については序盤の不利は仕方がない
秀吉としてはとにかく一番槍をつけるのが最優先だから戦場を選んで待受ける余裕はなく、光秀は少数でも防衛に有利な隘路に布陣したのだから序盤の有利は当然 >>600
秀吉黒幕論なんて5chでも一部のアホしか言っていないのに
勝手に総意にすんなよ >>575
孫氏曰く「戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。」 >>589
信長生存していたとて、上様の危機に兵を動かして真っ先に戻ってきた秀吉を責められんだろ。 「光秀謀叛」が正しい情報なら信長の生死に関わらず
毛利攻めを切り上げて光秀討伐で正解 あの時代に 信長討たれる の情報を信じてこんだけ大がかりな引き返しするには
事前に知ってたから、しかあり得ん。ガセだったらえらいことになるからな
俺のこと心配して可愛い奴なんて絶対ならない。毛利攻め放棄して勝手に和議まで結んで
こんなことしたら よくて林道勝、佐久間信盛レベルの粛清対象になるのは必定
一か八かでなんて絶対あり得ん >>606
信長の生死は関係ないよ
そんなの事前にしろ事後にしろ確実には知りようがないし
反転に必要なのは「明智光秀謀叛」その事実だけ >>606
織田家中のしのぎを削っているライバルのことなんだから、雰囲気的にある程度把握はできていたんだろ。
ただそれによって得た確信をして、知っていたとは言わんよ。 信長が油断して、チャンスが転がり込んできたから実行した、という今の定説は
シンプルで戦国時代らしくて、好ましい
事後は流動的だし、どこに帰着するか不明もいいとこだから陰謀論は
成り立たないように思うし 光秀の死体が出てこない時点でみんなグル。 大坂の息子と合流しないのもそのため。 秀吉黒幕説は置いておいて
光秀が後先のことを何も考えずに
信長を討つ、なんて変だと思わないか?
信長を討った後で何かしら自分の身、自分の家臣団が保障されるという
計算がないと、なかなかあんなことをやろうとは思わないだろう?
例えば天皇の綸旨が出る、みたいな約束はあったのに
じざ実行したら朝廷は約束を反故にしてしまったとか
そうとしか考えられないよなあ やったもん勝ちが戦国のルール
官位に威光があるのなら
足利義昭は京都でふんぞり返ってる >>613
いや光秀が官位をもらえるという意味じゃなくて
たとえ事後でも
朝廷が光秀に
信長追討令を出して、光秀が天皇の命令で
朝敵信長を討ったということするという約束があったとしたら
光秀は本能寺の変を起こしても、自分と自分の家臣団の身の安全は
保障されると思ってクーデターを起こすことは考えられるだろうね
という意味 >>614
事前に約束があっても、織田軍の主要部隊が光秀以外全部留守で、
信長、信忠が手薄で京に揃った上に、
明智が軍を動かしても怪しまれない状況なんて、
誰も作れんからな。
朝廷も寝耳に水だろ、あれは。
だいたい朝廷は京周辺で武力持った勢力にあっさりなびくのは平安末からのお決まりなので
臨時も官位も役には立たないんだよね。 現代人は歴史上の人物の判断に必然性や合理性を過剰に求めるよね
歴史上の人物だって超能力者じゃなく普通の人間だ
秀吉だって状況を全部把握できていたわけはない
最後に来るのは博打とヤケクソだよ
秀吉は博打に勝って天下人になった >>616
朝廷が信忠に将軍に任命すると伝えてあれば
あの時に信忠の京に呼び寄せて父子そろうような
状況を作って罠に嵌めた、なんてこともあり得るんじゃないかな?
本能寺の変前夜に信長は公卿を招待して、茶器を自慢しているのも
公卿との付き合いは面倒くさいと言っていた信長らしくないから
あの当時の信長は朝廷に何か用事あったんじゃないかな? 秀吉は中国との戦争では中国大返しは出来なかったな
まあ当然だが >>614
> 朝敵信長を討ったということするという約束があったとしたら
> 光秀は本能寺の変を起こしても、自分と自分の家臣団の身の安全は
> 保障されると思って
朝廷が何を言ったところで身の安全の保障にならないよ
箔はつくけど 大返し陰謀論は馬鹿げてるよね
退却途中で悪天候で足止め食らったら秀吉軍は終わりだったし
光秀が近江ではなく大坂を素早く抑えていれば
勝つ可能性は十分にあり得たよ >>601
>防衛に有利な隘路に布陣
それは参謀本部説だけどすでに否定されてるよ
少し後ろの勝竜寺城近傍で河川や堀(?)に拠って戦線を引いたというのが近年の解釈
そこまで引き込むと淀城が効いてくる 秀吉は大返しの前にも何度か軍の通行を容易にさせるための炊き出しやたいまつによる道明かりや案内人の配置などをやらせている
そして戦勝祝いと称して市価の何倍も金を払っている。
そういう信用が大事
権力で命じても物資を出し惜しむが高値で買ってくれるとなれば、正月用の備蓄米や農家の現金確保商品であるたいまつを進んで供出する >>618
信忠任官なら馬揃えとはいかないが、それなりの威容を整えるだろうな。
さらに三役推戴だっけ? の信長の返答がまだなので、
信忠の将軍職とかはないだろう。
朝廷としては、まず信長の役職を整えてからじゃないとだし。
信長が公卿との付き合いは普通にしてるよ、
そこは政治向きのお仕事なんだから、むげに断りはしない。
まあ、信長が京に来るたびに公家がご挨拶に押しかけて、
できればお金も欲しいなってのは、いつもの事だから。 もし高松で和議が成立しなかったら、光秀が天下とった世界線もあったのかな >>622
そこまで引いたから戦線が崩壊しちゃったんだよな
少数なのに広い場所で野戦するのは愚策過ぎる 秀吉が堺や京に情報網持っていた事すら想像出来ない奴いるんだな
本能寺前にも信長と逐一連絡とっているのに >>43
この時の毛利って軍資金がなく兵の士気もなく秀吉を追撃する気(力)なんてまったくなかったらしいぞ。輝元か小早川だったかが配下に当てた書状が現存しているらしい。
秀吉が信長に出陣要請したのも、自分の軍で毛利なんて降参させれるのに最後は信長に花を持たせてやろうと。
秀吉は自分が強大になりすぎると消される可能性があるからな。 大将を立てるのは大事だからな。(ちょっとそういうのとは別だが)
よくイエスマンを批判する人いるけど、それはわかるがある程度
イエスマンがいないと巨大組織のトップは潰れちゃうと思うからね。 >>612
よくあること
カエサル暗殺したブルートゥスらと同じ勘違い
狭い自分のサークル内だと、暴君信長やカエサルへの憎しみの声で溢れ、
まるで世界中が信長やカエサルを憎んでいると勘違いするんだよw
だから、光秀もブルートゥスも独裁者を暗殺すればヒーローになれるって舞い上がって暗殺実行w
しかし現実の世界の人々の大半は、英雄信長やカエサルの統治を望んでいて、
それを妨害した光秀やブルートゥスは、単にKYな暗殺者になったwww
今だと、パヨク界隈のサークル内のニホンシミンの方々も、よく勘違いしてんねwww >>629
小早川は既に調略されてた説があんよ。
北陸でも、信濃でも関東でも、一気に反信長勢力が動き出してるに
あれだけ長年戦ってきた毛利だけが全く動かないのは非常に不自然。 >>1
在野研究家のアカデミズムコンプがビンビンに伝わってきた 織田信長がキリスト教侵略軍のチカラを利用したのは確かだ その後、勝家倒して後継者争いにも勝利
ブレーンの黒田官兵衛のおかげやなw 秀吉は毛利討伐を託されていたからめちゃくちゃ軍資金を持っていたわけよ
お金があれば何でもできるってこと >>1
実際の秀吉の軍は信長の軍並みに優秀だからな
そして明智光秀の子孫は明智持ち上げすぎだから
おかしな事になる
中国大返しも秀吉なら可能なのにああでもないくでもないと駄々をこねて
結局は光秀と組んで信長を殺したとわけのわからないことを言い出すからな
黒幕説もそう、無理やり黒幕説を言い出して明智光秀は悪くないとか言い出すからね 謙信なんか、応援に駆け付ける手紙を飛脚で飛ばしたが、その手紙を持った飛脚より速く戦場に着いちゃってやっつけてしまったからな >>626
ない。
娘婿の津田(織田一門No5)大阪城代 織田信孝・丹羽長秀によりさくっと討伐。
娘婿の細川忠興とその父藤孝 信長の喪に服すと出家。嫁は幽閉(嫁は無関係だろうと山崎合戦後許される)
親交の深かったとされる大和の筒井 援軍頼まれ どうとでも取れる返事をしたが 結局無視。
他:秀吉の大返しに呼応して集結 山崎に布陣。
織田信孝・丹羽長秀が 光秀の娘婿で織田一門の津田を打ち取ってるんだわ。
つまりもうその時点で 織田信孝・丹羽長秀陣営と 光秀陣営 どっちか滅ぶまでやることは確定。
光秀陣営は 織田一門すべて かつての同僚全て うち滅ぼさなきゃ生き残れないことが確定。
逆に言うと 織田の武将全てが・・・光秀ころさなきゃ 自分とが攻め込まれる。
「だれか 討伐軍大将やれよ」状態
娘婿にあてた書状しか残ってないっていう時点で もう滅亡フラグしかない。
信長打つチャンスが見えちゃったけど その後のことが全く考え及ばなかったんだな。
権力もったぼけ老人が 「信長打てるチャンス発見!!!」「敵は本能寺にあり!!」
「あれ このあとどうしよう?」 まーだ明智子孫ガー言ってんのか
もしかして明智子孫の本に対抗して私怨丸出しかつ妄想ばっかの本出して
失笑されたアホご本人か
んなことする暇あるなら古文書の解読やれよ >>641
明智光秀の子孫はうぜーんだよ
アホな頓珍漢な説ばかり出しやがって
自覚ないアホとはお前の事だ >>1
マジで明智の子孫には謙虚さがないよな
どこまで行っても傲慢なだけだし
信長の悪口も平気で言うしな >>551
日本人はこんな認識だから、マッカーサーや英軍に補給を絶たれて餓死させられまくってんじゃん
秀吉の強さに疑問符をつけれるのは、日本人の大になる弱点だ。
工兵隊や輜重を軽視してたけど、まさにそんな認識だな。 >>575
ほんとこれ
あれだけ一方的に餓死させられまくってるのに、補給を今だ軽視して
英米は弱い、日本軍は善戦したと主張してるやからの多いことよ
旧軍の参謀肩章をつけたような連中だよ >>346
その茨城北半分だけで55万石もあったのは金山のおかげだったのか 繰り返すけどここの明智光秀ファンの数々の妄言は無視した方がいいよ
かなりのたくさんのデタラメがあるからね
光秀持ち上げているけど光秀が大軍を任せられたのは信長が光秀を最後まで信用していたことに尽きるから >>635
どっちかといと、兵站を滞りなく維持した三成の存在の方が黒田の存在より大きいけどな。 討たれた本人(信長)は気づかないだけで、
結構 噂になってたんじゃね これ秀吉が有利に戦いを進めていたと思われてるけど実際は毛利の援軍が来た時点で膠着状態になってた
すでに退却に向けて準備を始めていたんだよ >>641
まあ失笑されてるのは自称明智の子孫だな
必要以上に貶めることもないと思うが実際呉座には完膚なきまでに論破され他の研究者には余りに荒唐無稽で議論する価値もないと一蹴されてるしな >>625
光秀には親しさからくる甘えもあったんだろうな。 >>650
なんで後詰に信長が来るのに
退却の準備してるんだよ。 >>629
秀吉は信長の息子を養子にしてるからどうだろ?
ヘマしても家督を譲れば済む感はあるんじゃないかな >>626
それはないんじゃないかな。
秀吉は本領を奪われた形になってるから、迅速な撤退はどのみち行うし、和議が成ってない
状態の撤退なら、なおさら必死さが倍増した撤退作戦になるので、撤退速度が上がることは
有っても遅れることはない。
急ぎすぎて疲れてしまい、山崎での合戦は時期がずれるかもしれないが、長浜奪還の戦闘は
避けられない。
秀吉が前田利家を介して柴田勝家と連携して打倒明智に動く可能性もある。
秀吉と柴田の関係性が変わる可能性はあるけど、明智の天下が維持されるのは難しいと思う。
秀吉は信長の四男だかを養子にもらってるので、敵討ちを宣言した時に織田の身内も協力し
ないわけにもいかなくなるしね。 >>629
この頃毛利家臣が輝元に宛てた書状でも「兵粮玉薬ともに払底(欠乏)」と書かれてるから毛利の士気が落ちてたのは間違いない
軍資金の欠乏と言うよりは兵糧の欠乏による士気の低下が甚だしかった
秀吉の調略で来島水軍や塩飽水軍が離反して海からの補給ができず、陸路のみの補給では毛利全軍の兵糧が賄えなかったからな 光秀の動機は「信長を討ちたい」のではなく「自分が天下人になりたい」だったのだろう
動機が前者なら、たとえお飾りであっても織田家の誰かを次期当主として担いで挙兵する
誰も担がなかったのは自身が天下人になりたいという野心の顕れ >>658
自分の父親を殺す旗頭として担がれる息子がどこに居るか? >>658
織田家の娘婿は 山崎の合戦前にさくっと殺されてるよw 織田信長って滅茶苦茶嫌われ者だったと思うぞ。あっちこっちであいつやったんねんみたいな事を家臣達が話してたんだよ。
それを真に受けた光秀があの嫌われ者をヤれば俺の天下やんってやったら、皆があのアホホンマにやりおった知らんわってなったんだろ。 荒木村重が摂津守護ならどうなったか分からんが、摂津を支配していたのが
池田恒興な時点で、中川や高山が味方しないから
光秀は勝ち目が薄い 明智光秀は荒木村重が謀反を起こした時に
村重を説得して、一旦は村重をまた信長に帰順させているんだよな
つまり、あの時点では光秀は信長に謀反を起こす気なんて、さらさらなかったことになる
もしもあの時点からあれば、荒木村重や毛利輝元や別所長治などと連携して
光秀が挙兵していれば、信長はかなりピンチになっていただろう >>663
劣勢とはいえ毛利だからな。
まさか秀吉の撤退を何もしないで見送るとは光秀も想像だにしなかったんだろうな。
光秀は北陸の柴田を警戒した動きをしているし。だから摂津衆の取り込みにも一歩遅れた。 中国大返しの最大の功労者は荒木村重だな
あいつが謀反起こしてなければ、上方で謀反という情報を得ても即座に判断するまで踏ん切りが付かなかったかもしれない
また、あいつの家族が皆殺しにされてなければ、摂津衆は信長の生存情報が来ても明智に付いてたかもしれないし、中立を貫いた恐れもある
摂津衆が秀吉に味方しなければ、大返しで疲れ切った兵隊たちでは勝てたかわからない
>>631
なるほど、Jアノンのことか >>650え?
追い込まれていたのは後詰めに来たのに高松城を救援できない毛利の方
高松城を助けるには堤防切るために吉川が特攻するしかなかったが、
川を渡ったら秀吉軍団から包囲殲滅される陣形で、しかも背水の陣になる
さらに、調略で先鋒大将に対して疑心暗鬼の状態だから仕掛けようがない
秀吉単独で勝てた戦だったけど、個人で大功あげすぎるとヤバいから信長本体に出馬仰いだだけ
信長本体来ていたら、毛利も武田になっていたな >>668
信長様に天下統一の一端として 毛利を下す大偉業をさせる準備が整ったから
接待として援軍頼んでるんだよな。
当然 京から備中まで万の軍勢が余裕で行軍できる準備済み。 お前らなぁ
光秀を責めるんじゃなくて
秀吉を誉めろよ
そういうところだぞ それにしてもあの時代の足軽やってた人達って相当アスリートだわな
戦国時代の史跡とか古戦場巡ってみると
高所に登るだけで20代の頃でも結構辛かった
命や立志出世がかかっているとはいえ
よくもまああんな環境を走り回れたもんだと思う 今でもそうなんだから
当時も
たまたま幸運だったとか
カネのおかげとか
と言われてたんだろうな
秀吉は、日本では屈指の軍人で政治家というのに >>668
大功あげすぎるとヤバいと言うより、その先の九州平定に毛利勢を使いたいから、信長来てもらって
降伏させ助命してもらうつもりだったんじゃないか?
光秀みたいに波多野秀治を信長のもとに送るようなことをすると、毛利の首を飛ばされかねない。
信長もそういう魂胆を見抜いてたかもしれない。
光秀に出陣させたのは、秀吉の演出を光秀に見せて、お前もこういう風にやれよと言うつもりだっ
たかもw >>670
でも秀吉が黒幕だとしても
光秀が秀吉の口車にホイホイ乗って
騙されてしまうか?
光秀って、そんなアホじゃないだろ?
やっぱりオレは朝廷黒幕説が怪しいと思うんだよな 秀吉をかえして織田勢力を内紛分裂させるほうを狙うんじゃねーの
謀略すきーなやつなら
明智さんが脆すぎたんやね 恐らくこうだったんじゃないかって妄想込みで考えるのは楽しいぜよ。
例えば「敵は本願寺」言おうとしたら噛んで本能寺いっちゃったのでは、とか。
借りてた茶器割っちゃって、んで本能寺で客にみせるから返せといわれていたからとか。
キンカ頭と108回言われたらキレるつもりで、んでとうとう108回言われたからとか。 >>672
その幸運を 秀吉子飼いで独占せず
たまたま 近場に居合わせた かつての上役、織田一門、織田に降って短い摂津衆に
根回ししまくって かれらに光秀討伐の栄誉とその後に当然ある褒章を与えてるんだよな。
おかげで 実質的にそれらの棟梁になってる。 >>679
信長の息子同士が殺し合うのならわかるが、絶対的存在の信長を殺したら
たとい息子であってもその立場を追われることくらい自明ではないか。 >>677
そのあとの秀吉の摂津衆への仕打ちは薄情だけどな
池田親子・・・小牧長久手で秀吉の無謀な作戦により戦死
中川清秀・・・賤ヶ岳で囮にされて戦死
高山右近・・・マニラに追放 >>681
秀吉は摂津周辺の勢力を一掃して大坂を拠点に固めようとしたからな。 荒木村重もキリシタン
秀吉による朝鮮出兵はキリシタン武将らの力を削ぐ為の戦でもあった
実は、光秀はキリスト教に理解があったんじゃないか?戦国の世に側室を持たなかった男、そして、ガラシャがいる
戦国の世はミステリーで満載過ぎる
だが、現代で言うならば、織田信成が織田の血なんて信じられない 顔だけを見れば秀吉の子孫じゃないのか? 織田信成は秀吉っぽい では、実際の実物の明智光秀はどんな人相、顔、だったのか?
恐らく、舛添要一そのまんまみたいだろう お前ら知らんの?
細川忠興が明智の謀反を察して連絡入れてたからなんやで?
麒麟が来るで言ってたもん 明智の謀反を察して、わざわざ連絡入れたのに、秀吉に呼応して共に動かないで
ひたすら沈黙を貫く藤孝
まさに1流の蝙蝠 というか処世術w >>671
去年の年始にNHKBSの歴史番組だったかで大垣からの大返しとかの検証してて
文献どおり休憩場所休憩場所で走者におにぎり食べさせて医師の立ち合いの元
血液採取検査とかしてたな、ランナーはまあ辛そうだったが
で結果おにぎり食べさすのは理にかなってると 中国も出し、大垣もだけど、秀吉軍の大返しについては三成をもっと評価してやらんとな。 >>662
そうか? 家臣の奥さんにもお手紙書くような気さくなおっちゃんやで? そもそも影武者に行かせてて本人は中国地方に行ってないみたいな事はないんか 信長は悪口許容していた面もある(様な)ので、そこで勘違いしたのかもしれんな。
料理人の自身への悪口聞いても「提供する相手に合わせるのが筋やろ」って言って
〇したりはしなかったようだし。 >>689
三成の経理の能力は疑う余地なしだが、山崎の頃はまだ二十歳すぎの小姓
この時期はまだ官兵衛や浅野らじゃない?
三成ら秀吉小飼の小姓組が世に出るのは柴田との合戦の頃でしょ >>688
京から高松城攻めの秀吉に本能寺の変を伝えに行った使者なんかは
走りすぎてたどり着いた後に死んでしまったそうだし
相当ハードワークなんだろうな >>697
確か、本能寺の直後に浜松に亡命してるわな。 >>694
福島正則と加藤清正はそうだけど三成が世に出だしたのは従五位下治部少輔になってからだね。正確に言えば堺奉行になってからか
忍城攻めの失態が相当大きかったなんだろうなと思ってる >>698
本能寺前日の会に出席するなと言ってたらしいから >>698
確か一瞬家康が匿った云々あったな。
秀吉が近衛やら成敗する風説が流れたのもあった
兼見日記だと、確かに近衛だったかの屋敷から明智軍が鉄砲を放っている
まぁ、足利家臣明智光秀が、朝廷からも元主人である将軍家からもやれやれ言われてたのは事実だろうな >>540
蒲生氏郷とかもそうだな
秀吉は気前はいいけど、家に加増するって意識は希薄 寺焼き討ちに猛反対した光秀が本願寺側から評価がある、まぁ、実は、凄い焼き討ちしてるが
光秀みたいな生真面目に、反信長陣営が悪魔の囁きは仕掛けるのは必然だろうな
また、光秀は帰蝶の従兄弟?であり、足利将軍の家臣でもある
信長にとって自身が巨大になればなるほど、目の上のタンコブに成ったのが光秀
出目も知らない秀吉なんて光秀以上に謀反なんて全く有り得ないと考えるレベルの人間だな >>452
左遷とは言われるが、北条の民政は優秀だったし、家康は北条に最後まで融和的だったから、
領国も民情もそんなに悪いとも思えないけどね
江戸自体も、北条支配下で一門が入るほどの要衝だし、品川湊って経済的にも優位がある場所
家康が大改造したのは事実だけど、古ぼけた古城しかなかったってのも神君神話のひとつだと思うよ 左遷というより、あの石高は1大名に与えたらあかんやろ。
秀吉も気が狂ったか 蒲生も秀吉の目の上のタンコブだろうな
信長が可愛がった鶴千代、盟友家康クラスに嫌なタンコブだったろう
秀吉はヤったな蒲生 >>705
なんてったって大納言様だからな。東国に追いやったのと相殺よ
家康を立てないと政権のまとまり的にヤバいし家康をそれなりに信用してる >>707
当時の秀吉だと家康を立てなくても政治は滞りなくできた。 >>708
甘いちゅうか、気が狂ったというべきか、老いたというべきか。
自分が織田の子供に対してした仕打ちすら忘れたのか。 >>709
現実と史実認識が甘いにもほどがある
家康が大老筆頭なことによって維持されてた政権なのに
まだ武断派が多い時期に長久手で分けた効果がどれだけあるか少し考えればわかるだろうに
しかも実務もこなせる。奉行や家康以外の大老だけで政権回せるとでも思ってんの??? >>671
江戸末期から明治の頃の飛脚の写真が残ってるが、それはもうえぐい筋肉してる
女の人でも2俵とか担ぐし、旅では普通の人が未舗装路を1日40kmぐらい歩くし、今とは全く違うね
移動も労働も自分の身でやるしかないから、今で言えば常に運動してる状態だもんな 豊臣秀頼の正室(千姫)は家康の孫娘
家康との関係を重要視していたのは間違いない 目の上のタンコブには嫌な仕事をやらせて佐々待ちなんだよ
蒲生だって、めんどくさい政宗相手 誰を信用して誰を信用しないかってのは難しいやろ。
殺し殺される時代だと。そんな中で秀吉からしたら
生きてる間は家康は誠実この上ない対応してくれてたん
じゃあないかな。白装束着て遅刻する東北の野郎より
よほど信頼できるやろ。 >>711
小牧長久手の戦以降、反秀吉、家康派の大名はほぼいなくなったけどね。 >>715
その白装束野郎と蒲生の調停を任されたのが家康
信用されてたってレベルを遥かに超越してる 信長も秀吉を信用してたからな。
同じように秀吉も家康を信じてたんだろうな。
ただ、秀吉は自分がしたことを考えれば
自分の死後に家康がどう動くかくらい簡単に解っただろうに。 >>669
「接待」とかではなくて、戦果拡大のために増援投入が必要な状況だったんだと思うよ。
毛利を一気に打倒するような大軍を秀吉が指揮するわけにはいかないから信長の出陣は必須だった。 >>1
不思議に思われてるのは補給線よりも諜報にかかりもせず、の部分じゃないの? 官兵衛の策だろ?
youtu.be/s2wg-8VMDQM 秀吉政権下での家康が忠臣だったか否かは疑問だな
つまり、秀吉は家康に信長に使えた盟友家康を望んだが、朝鮮出兵させない位に気を使った位な
だが、やはり、秀吉に義は無かったからな
秀吉無き後に、家康に流れたのは当然
要約すれば、武田旧臣が家康に流れた様に織田の次は徳川だった
まぁ、人徳もあるだろう
武家の匂いが全くしない秀吉がカネだけにすがったので分かるだろう
武士は武士の心を分かるからな 敵国に攻め込む前に自分の今まで取った領地を没収されるとかめちゃくちゃだが
人を使用人くらいにしか思っていなかったんだろう >>538
> 平清盛親子→源頼朝3代→(平)北条氏→(源)足利氏→(平)織田信長
> →(源)明智光秀→(平)豊臣秀吉→(源)徳川15代
政府を会社として考えると3代までしか続かないのは当然なんだろうな >>549
そらね
江戸城(現・皇居)のお堀が典型で、
南東方面は海でしたからな、江戸も湿地帯 秀吉は結局は家康懐柔に失敗した
カネだけ投げても武家からは軽蔑されるだけ
女好き、カネ好き、で武士道は成り立たない 敵だったが味方になってくれてそうなったら最大級の信用信頼できる
って事はあるやろ。張遼とかそうじゃねーか。 信長が軽く娘をやったのは蒲生、信康位か?
五徳はちっと違うか >>521
>なお、細川家のある重臣に秀吉は戦後なぜか「多大なる功績があった」と法外な褒美を与えている
「信長を殺した男」の中で藤孝に”この企て、秀吉殿に話しませんか?細川を守るために”とか言ってる奴のことかー 曹操が関羽を懐柔しようとしたのと一緒か、以下だな
家康はそもそも秀吉に対して大義もあれば非も無い王道だからな
秀吉はカネを配り、母を差し出してまで懐柔しようとしたが、家康からしてみれば、秀吉1代限りの義でしか無いだろう 忠興がチクった説か
ガラシャはどう思ったんだろうな 秀吉は人望高い三河のせがれを恐れてたんだろう
実際、秀吉が家康にお主が羨ましい、お主には主人の為に命を賭ける部下が多数いる
とか、言ってたな
秀吉には子飼いのガキしかいない
出目を恨んでるのもあるのが、実子を殺してまでも信長に尽くした家康に恐怖しているのか?
秀吉は実子を殺せないだろう
実は、秀吉と家康は相反するパーソナリティーなのである それにしても明智秀光のような卑怯者をよくもまあ大河ドラマの主役にしてくれたな >>658 くんからハッテンしているネタだけどどうでしょうねえ。
織田一族を擁しての挙兵ってのはwww
そりゃ戦国の終盤とはいえ下剋上の気風は普通にあるから
ないかといえばないとはいえない。実力が名分を遡及して保証するんだよ
他ならぬ信長だって身内と争いまくってるでしょ。叔父や弟や母と。
だいたい織田信長の家ってのは守護代の傍系でしょ。
ゲンミツに指揮系統をたどってたら尾張一国もおさめられない。
そういうのはね、武田(親を追放したり子を粛清したりした信玄公)でも
徳川(家康公の父の死因は? 祖父の死因は?)でも
今川でも北条でも内訌はまあどこでもあったもんですな。
筋論から言えば通らないけど、
まあそこは身もふたもないリアリズムの世界だからねえ。
他ならぬ次代の天下人たる関白太閤秀吉にしてみても
清須会議じゃ三法師かついでワショーイと後見人を気取っていながら
後には他ならぬ織田秀信公を臣下にしておるではないか。
そんな秀吉がねえ、今わの際に家康公の手を取って
「秀頼をお願いいたす」なんていわれてもねえwww
結局は秀吉も明智と同じ主家御謀叛の簒奪者だったってわけさ。
そして豊臣政権の五大老であった家康公の"御謀叛"もね。
だからわかるだろ? 江戸幕府があそこまで忠義に拘ったのはwww
武士道をファナティックな主家への絶対服従に矮小化したのはwww >>736
秀吉の最大の問題は年齢だったからな
遅咲きゆえ寿命が足りなかった
あと10歳若ければ寿命までに子飼いの部下や息子が実力を付けていただろうが >>736
そーゆー部下を主人公にした大河やればいいのにね
本田忠勝とかさぁ西は立花宗茂だしてバランスとって
2人主人公体制でもいいし
なんで明智やねん!あんな屑 >>738
いや全然違うだろ
織田家の当主は秀信なんだから秀吉は織田家に弓を引いてはいない
単に織田家より地位が上になっちゃっただけ 織田秀信はなんで岐阜城に籠城しないで討って出たんだろうな。 >>705
家康は子だくさんだったから、頃合いを見て何家かに分割して、適当にイチャモンをつけて改易して、最終的には百万石以下に抑えるつもりやったんやろ
家康が長生きしたのと、秀吉が予想より早死にしたから目論見が崩れたんやろな >>741
>そーゆー部下を主人公にした大河
どうする家康君では、懐刀の石川数正と本多正信にも焦点を当てて欲しいな
武田信玄の山本勘助みたいな >>742
母まで質に出して子供を殺された成金秀吉の哀れさに震えてるのか?
まぁ、秀よりは大野はるながだろう 現代人が「大返しは簡単だった」って簡単に言うけどね
舗装された道路をマラソンシューズと快適なウエアで走るわけじゃないんだよ >>737
卑怯者がまるで英雄みたいに間違った歴史が子供や若者に植え付けられるよな >>747
上に言われて妻子を殺すヘタレ家康www 島津から女好き秀吉を揶揄した短歌だったかなんかあったな
恥知らず
もしかしたら、恥を知らないのが秀吉かも知れない
武家の匂いを全く感じない >>748
予想できることであれば光秀も何らかの対応を取ってたわな。 >>744
おじいちゃんが桶狭間で勝ったように、自分も野戦で勝てると思った。 >>739
産まれながらの殿様どころか、武士じゃないからな
小田原の陣に女をよんで軽蔑の嵐だろうな >>754
おじいちゃんは劣勢な戦を2度としなかったのに。 >>748
そうでもないんじゃないかな
第10代崇神天皇の時代に山陽道山陰道東海道北陸道が整備され、万葉の時代には綺麗な5m-20m道路が整備されてたみたいだよ >>757
まあ、そこが格の違いというやつかもね。 >>733
本能寺の変から一ヶ月後に秀吉が細川忠興に宛てた書状に出てくるこの事を言ってるんだと思うが、
これは別に陰謀とかそう言う類の話じゃなく、鳥取城攻略を始めとする因幡・伯耆攻略の際に松井康之率いる丹後水軍が兵糧搬入などで大活躍して秀吉軍に多大なる貢献をした
だから秀吉は今までの功績に対する褒賞と今後更に丹後水軍を増強する目的で松井にも領地を与えるようにと言っただけだな
天正10年7月11日付羽柴秀吉書状 長岡与一郎忠興宛
丹後一国を任せる旨の信長様の御朱印状をそなたに渡し、そなたにその周辺を知行させようとしたところ、
明智がそれを掠め取り、丹波を足がかりとして二ヶ所に城を築き所々を所領したが、
この度(細川は)公儀に対して比類なき覚悟を持ち事に当たったので、
明智が押領した領地をそなたの家来並びに矢野への知行分も含めて、そなたに加増して一職支配を認める。
但し、松井(康之)が今後も兵力を維持できるよう、これらの加増分の内三分の一を松井に与えるように。これらを伝えるためこの通り申し上げる。 桶狭間なんていう丹念に計算された博打奇襲という稀な成功例をただの運と、二度と真似しなかった信長
三方原での敗北を糧に、関ヶ原で逆にやった家康
大野の子なのに実子誕生に狂い甥をやった秀吉 信長への追悼ゆえに丸刈りにしてユーサイだからな
旧将軍足利よりも、織田信長を取ったのだよ >三方原での敗北を糧に、関ヶ原で逆にやった家康
この意味が解らん
何か学んで関ヶ原で応用したか? >>753
それは単にやれることには限りがあるってだけでは >>590
若狭の守護はこの時点では武田家やぞ
武田家当主の母親が足利義昭の妹で
本能寺の変で明智方に付いてる
だから改易されて丹羽長秀の所領になる
この時点では近江の一部だけしか長秀の領土じゃないよ
あと旧室町幕府の幕臣が明智方に味方してる
近江の旧守護京極家も明智方に付いて長浜城を攻撃
阿閉貞征も長浜城攻撃して山崎の戦いでは山崎にいるよ
負けて全員一族処刑されたけど
長浜城占領して安土城も攻撃してるから許されるはずが無い
京極家は自分の姉を秀吉の側室に差し出して助かってるけどw(めっちゃ美人) 「ついにやってやったぜ!!」→誰も味方しない→秀吉が大群で帰ってくる→もう無理ぽ 日本にお握りが普及したのは、実はこの秀吉の中国大返しで街道沿いに兵糧をまかなう臨時部隊を設えたから、って説があって(マラソンで言う給水ポイントのようなもの
おおいに感心した覚えがある >>767
対武田戦で結構経験は積んでいるのでは? >>772
おにぎりなんて弥生時代の遺跡からも出土してるじゃん >>773
わざわざ素通りして、城から兵を出させるのだよ >>771
国替え命じられてノイローゼ
「あいつ(信長)さえ居なければ…敵は本能寺にあり!」
そんな説もあった>明智光秀 >>764
武田信玄は浜松城を無視するふりして三河に進撃すると徳川家康を騙した
家康は騙されて信玄の後方から奇襲しようと浜松城を出撃したら
三方が原で待ち伏せされて大敗
関ヶ原では同じ手法を使って
石田光成は篭城戦をやろうとしてた
西軍が大津城、田辺城(舞鶴)を攻略中だったので時間稼ぎしたかった
徳川家康が光成が篭城を準備してる城を無視して大坂城に行く動きを見せた
篭城しても意味が無いと西軍が関ヶ原に出撃して家康が得意な野戦に持ち込まれた
武田信玄から家康は敵を吊りだす手法を学んだ >>774
それまでの干し飯とかとは違う、メシをそのまま握って食えるようになった、ってこと >>744
よく言われるのが岐阜城は水の手を守りにくく長期籠城戦に向かないのと攻め手が元岐阜城主の池田輝政で弱点を知り尽くしているって言う点だな
個人的には兵力で劣る織田勢だし少しでも時間稼ぎするために籠城するべきだったと思うけどね
しかも打って出るにしてもただでさえ寡兵なのに秀信は兵力分散してるし 小牧長久手で秀吉出陣に震え上がって泣きながら籠城してヘタレ狸がなんだって? >>750
徳川200年は武家最長政権
スマタ秀吉は何年か? 織田がつき 羽柴がこねし天下餅 座して喰らふのは徳の川
wwwwwwwwwwwww >>770
そうだよね、旧室町幕府の幕臣が明智方に味方してるのに・・・おい藤孝w
>>777
それよく言われるけど、三成が出てこなかったらどうするつもりだったんだろ。
三成が佐和山城を落とされるのを嫌がって出てきたと言われるけど、私情とか捨てて戦ってたんじゃないのかね。
大坂城の西軍主力と、三成の軍で挟撃されて積んでた気がするけどね。
>>779
まあ、分散させないと防衛線すら張れないからなあ。
籠城一択なんだよな。あの場面は。 まぁ、茶坊主三成が家康を相手に戦やるのに身分が低すぎたから輝元にお願いしただけで
島津、毛利、も実は、バカらしくて関ヶ原なんてやりたくなかったろうな
秀吉いないのに 島津は三成に恩があるからな。
それなりにやる気はあぅたんじゃないの。流れで西軍になったとはいえ。 豊臣姓を五大老に与えて、何の意味があったのか?
懐柔出来ないものもある 前半三分の一で登場人物多すぎ、
歴史嫌いで誰が何役やらさっぱり分からない。
聞いたことのある名前ではあるが。
本能寺って寺だよな。なんで超有名なんだよ。
変ってなんだよ変〜 本能寺が変? 島津の無言の敵中突破退却
無礼な馬上の挨拶
西国は、秀吉に振り回され過ぎだな まあ、岐阜城があと1週間持ちこたえていたらとか、大津城があと3日早く降伏していたらとか
そもそも京極が寝返らなければとか。
色々思うところがある西軍だな。 >>783
大垣城で篭城してもその西側を占領されたら兵站切られて西軍が飢えるからかな
ただ普通に考えたら東軍がそんな事したら逆に兵站切られて飢えるからそんな事できないけどな
あと西に行かれて京都を占領されたらどうなるか分からんってのもあったかも
光成が戦下手って言われるのはこの辺だろうな
ガチで時間稼ぎしたいなら滋賀県の瀬田の渡しか岐阜の長良川を利用して川を使った方が有利なのにさ
大津城、田辺城(舞鶴)に西軍6万人いるからそれが合流してから戦った方が有利やしさ
仮に秀忠の中仙道軍が合流しても+3万人で西軍有利やと思うんだけどな 戦国古町苦労譚
では秀吉の存在感あんまないけど
どうするんかね 三成は諸将の提言を全く聞かなかったらしいな
武功も、水害系云々と、兵糧運び位だろ
下手に秀吉が三成を重宝しちゃったんじゃないのか? >>765
ほとんど想定してなかったことは優勢順位が低くなるじゃんね 加藤や福島らの襲撃に逃げて家康の懐に逃げ込む才覚があるのに
戦はからっかしなのな >>787
○○の変、○○の乱の違いは、変は成功したクーデター、乱は失敗したクーデター
と聞いたことがある
それに戦国時代の寺は頑丈な塀を備えていて中立的な都市内部にある要塞
みたいな扱いだった >>793
こういう後方支援が出来る人物を重用したのが秀吉の特徴で
日本の歴史上でトップに立つ人物がこの手のタイプを重用したのは
異例中の異例 今はただ
恨みは有らぬ諸人の
難波の事は
夢のまた夢
ごっちゃになってるわw 心しらぬ 人は何とも 言わばいへ 身をも惜しまじ 名をも惜しまじ 大谷吉継から「てめー(三成)じゃ無理だ」
味方からも、こう言われてたのに何でやるか
小早川が裏切るまで確かに膠着はしてたが、
西軍は殆どやる気なし、参戦なしやろ
三成は大儀と正義を、西軍に与えられなかったね
逆に家康は対三成という大義を東軍に与えることに成功
大阪に居る東軍の華族を人質にするとか、まあ悪役ですなあ
嫌われ者として満点な身振り >>801
毛利はせっせと領土拡大に動いていたので別方向のやる気はあったようだ
三成も関ヶ原での決戦を回避して家康が到着するより前に退却すべきだった >>117
備前美作50万石で動員兵力12000〜15000以上の宇喜多を雑魚大名ってアホかと >>129
当主の輝元の器が並クラス、だから騒乱に加わるよりも羽柴に恩を売って大大名として存続する方が得だと隆景のソロバン 秀吉が苦しめられてたのは毛利方時代の宇喜多
秀吉が毛利を圧倒し始めたのは宇喜多が寝返ってから
宇喜多を雑魚と呼ぶ人がいるのは初めて見たなw >>770
若狹武田は名ばかり守護で所領は僅か。丹羽に保護されてお情けで生かされていたようなもんでしょ 三成と大谷の茶会の話はグッとくるがな
五奉行三成茶坊主の秀吉愛が凄いのか、もしくは反家康が凄いのか、もしくは野心家だったのか
三成と上杉家なんてあわない様な気も大分するのだが、マンガマエダケイジのせいか 経済から外交まで包含した、現代的な意味での「戦争」をやった日本史上で唯一の人物だと思ってる なんで三成が現場というか、戦場を仕切ったのかが謎だな。
総大将が毛利なら、現場の指揮は宇喜多でいいやんけ。
いくら内乱で弱体化したとはいえ五大老だし充分だろ。
三成は得意の後方支援の総責任者で。 >>810
俺も大勢の前でウンコ漏らしたヤツ見かけたら
ウンコもらして「なんと!漏らしてしまった!皆の衆すまんの!がはははw」
って人助けできる人間になりたい >>810
反家康も相当だったやろね。
前田がやられて次は自分の番だという自覚が宇喜多にも上杉にもあったやろうから。
残念ながら毛利にはそれすら読めてなかったみたいだがw 信長殺しの主犯が秀吉で、光秀がやったことにして始末したんじゃないの?(笑) 秀吉は最初からその予定で、信長に中国遠征に来てもらったのかもな。 >>813
俺は散々、説教めいた言葉を放ち、俺を退屈させた叔父を水風呂に招待したいわ 三成の左近の雇いか方も面白い
たった一人のメッシと、無名戦士100人と、どっちが、良いか?って話だろ
戦国はくそ面白い >>819
あのドラマにおいては信長殺した時点で観念上の光秀も死んでることになるから、その先の出来事は些末というか蛇足なのよねん 著作権者に許可をとって転載しています。
高評価、チャンネル登録していただけると泣いて喜びます(;_;)
https://www.youtube.com/channel/UCfBtR_uk63MJ2knnI_Szjtw
984951679416 唐の兜に本田平八は家康ミッツ・マングローブだっけ? >>822
大枚をはたいて名士を部下に持つことで、世間に対して自分の男を誇示するんだよ。 >>796
>変は成功したクーデター
禁門の変 「せやな 事変だろ
東京事変
互いに宣戦布告も、認めてもない公認されてない戦い でもさ、三成の部下がよく我慢したよな。
いくら左近が著名人だからといっても、いきなり半分の所領を1人で持っていくのだから。
それでも部下が三成についていくくらいだから、三成にもかなりの人望があったんやな。
色々と事実を捻じ曲げられて伝えられてそうだな。 >>810
家康と三成の関係は秀吉が死ぬまではそれほど悪くはなかったようだが、
家康が公儀権力を独占することについては、三成は許せなかった感じだね
三成というと内政の専門家のイメージが強いが、実際は諸大名と豊臣政権を繋ぐ取次役も数多くこなしていた
島津も上杉も佐竹も三成が取次をしていて、その時の恩で三成に味方した 津軽とか感動して、子孫を徳川家から匿ったくらいだからな。
三成に人望がある証拠だと思うけどなあ。 光成はめっさ優秀やろ
家康には経験の差で負けたっていうだけで
秀吉と同世代にうまれていたら茶坊主から天下人になっていた可能性もある 皆が皆、三成を嫌ってたわけではないだろうけど、毀誉褒貶が激しかったとは言えるかな
秀吉の命令を諸大名に伝える立場にあったわけだが、
秀吉の命令の中にはめっちゃ過酷なものも多かったようだし、
命じられた側からすると秀吉を恨むわけにはいかないから、三成を憎悪の標的にすることもあっただろう センゴクでは小早川隆景が秀吉に感服して
秀吉が天下とるとみて貸しを作る為に追撃しなかった説だったね >>831
面白いな
カッコつけの武士道を茶化したのも三成だろう
ラストの梅の話も
様々な解釈があるけど、現代人ぽいのかもな
ステイタス、武士道に拘らない茶坊主
いわゆる武士道を今の政治屋さんに例えるならば
石田三成は令和新撰組か?
二世三世の武家の子供じゃない人間が真剣に国を考えたのか?
興味深いし、面白い
権力を持つと腐るからな 実際毛利が追撃するとしても、城を無視して敵中突破するわけにいかないから
高松城を奪回したくらいのところで中央の決着はついてしまい、
秀吉が勝った場合には大変拙い状況に陥りそう。 本隊が必死に播磨に逃げ帰ってるのだから、
そこらへんの城とか兵站が続かなくて力攻めするまでもないよ。 宇喜多が内紛さえ起こしてなければなあ。福島程度なら瞬殺できただろうに。 >>843
前線に取り残された城とか、後詰にまかせておけばいい。 どこの馬の骨か知らん奴を古参より上にしたらヤバい典型かもな
三成自体は優秀だったろう
いきなり変な社長秘書三子が、着いて、告げ口しまくった感なのかな
みつ子は出来る子なのに >>803
毛利の領土拡大策も決して愚策ではないけどな
日本全国誰もが半日で決着がつくとは思ってなかった状況で取れるもんは取っておこうってのは別に悪くない
知恵者の黒田如水ですら関ヶ原本戦の一月半前の8月4日付の吉川広家に宛てた書状で
「この度の大乱は予想が出来ていたので別に驚きはしない」と言ってるが
関ヶ原本戦から半月後の10月4日付の吉川広家宛の書状では
「美濃方面では少なくとも10月いっぱいは戦が続くと思っていた」
と余りにあっけなく決着がついたことに対して驚きを隠せないでいる >>844
「後詰」の使い方間違ってる。
警戒戦力を張り付けて本隊を先に進めることは一応可能だけれども
まず当時の毛利軍にはそうした強引な作戦を遂行する勢いはなかったし、
また、一般に後ろに残した敵の城が増えるごとに戦力はやせ細ることになる。 秀吉は箔をつけたがるからな
東の忠勝、西の宗茂
なんて、対面は本当にあったのか 作中では細川が事前に知らせてたから秀吉も素早く対応でけた
てな感じだったな >>830
島左近だけじゃないからな
以前から、これぞという家臣には同じ事してる
その時代のプライド高い武士を
それで何人も手に入れて、感動して
武功を立てても、それ以上の禄は要らないと
言わせる男
質素な生活を送り、殿下から頂いた物は
全て使わないと不忠にあたると言って
人にくれてやる
今の政治家や官僚は耳に激痛が走る話だ
プライドあるから、高禄貰わなきゃやってられんわw
なんて言うんだから
本気でプライド高い人はこうですよ
天下一の才覚と言われた男は >>847
警戒戦力を張り付けて後詰にまかせればいい。
そもそも播磨に逃げ帰った秀吉が次いつ備前備後に来るのかもわからない。
織田政権が倒れ、早くても来るのは数年先になる可能性が高いのに、
秀吉に忠誠を誓って玉砕する城がどれだけあるかなと。
ほとんどの城がついほんの前までは毛利の支配下にあった地域やで >>846
如水のこの書状とか見る限り
本能寺の変程度は如水の予想の範疇なんだよな
秀吉が天下を取った後、如水に大国を与えなかったのが良くわかる
秀吉は如水が好きだけど一番怖かったんだろうね >>848
忠勝に関しては軍記物による後世の創作だが宗茂に関しては秀吉が天正14年9月10日付の自身の書状で「誠九州之一物(逸物)ニ候」と宗茂を激賞してる
この時点で九州征伐の秀吉主力部隊はまだ九州に上陸してなくて、寡兵で高鳥居城を落として城主の星野吉実らを討ち取った事に対して宗茂を褒めてる 細川は別格の家柄だからなぁ
勅使が飛んでくるレベル
和歌たら、文の道を滅ぼしては成らぬ
って、レベル
まぁ、凄いな >>846
毛利の場合は、東軍西軍の勝敗を決める事ができるだけのポジションにいたのだから
そのポジョンを全く利用しないで、裏でセコセコ領土拡大とかは愚策中の愚策。弁解の余地もない。
奥州や九州のど田舎にいて、中央の戦いに何の関与もできなかった
伊達や黒田とはあまりにも立場が違いすぎる。 >>855
黒田父子は思いっきり中央と関与してるけどな
小早川への調略、毛利&吉川への調略
一次史料を読めば分かるが黒田が地方にいて何もしてないなんて口が裂けても言えないな
家康とも取次の井伊直政を通して密に連携してる家康からは九州切り取り勝手の許可までもらってる
あと毛利は自身の立場を全く利用できてないどころか最大限利用してるからこそ
大友義統を九州に派兵できたし、長宗我部留守居に命じて伊予に攻め込ませることができたんだよ >>851
ちょっと前まで毛利方だったとしても既に織田についているのが現状である以上簡単ではない。
通常は抗戦するものだし、
稀に城主が即日降伏の肚を決めた場合ですら接収するのにそれなりの日数がかかる。
この時期の毛利軍は高松城を囲んでいる秀吉の軍勢に手が出せずに睨み合ってたくらいで、戦力的にそう余裕があるわけじゃない。
秀吉が舞い戻ってきて逆襲する展開にも十分警戒する必要があり、あまり大胆なことはできない。 >>849
そこはお芝居だけど、身内の不協和によって孤立し三日天下に終わることを判りやすく表現できてたと思うよ。
それに加えて劇中の十兵衛に不退転の決意があったことも表すことができていたし
秀吉に対して実力負けというよりも、不運の要素があったように見せかけるようにもなっていた。 >>801
若い頃に忍城攻めで感動したから真似したかった >>209
九州征伐の時にはすでに100万石(紀伊、大和、和泉)の領地持ちで秀長だけで最大動員3万とかなんだが 義を守りての滅亡と
義を捨てての栄華とは
天地格別にて候
北条氏綱『五箇条の御書置第一条』 そもそも信長暗殺時、秀吉は備中高松城近くに本当にいたのかどうか怪しいけどなぁ
秀吉が信長暗殺の企みをどこかでつかんで、早々と軍勢と共に戻ってきていたのかも知れないし、
場合によっては信長暗殺に関わっていたのかも知れない >>100
マックは中国に中国大返しができずフルチンで「ママ―」と逃げ帰ったじゃん >>864
強行軍なのは沼城ー姫路城間だけで
その他の区間はさほど強行軍じゃないんだよな 光秀が本能寺の変の後、どういう戦略で天下取りをする気だったんだろな
光秀単独だと包囲網になるのは自明だし周囲を固める皮算用はあったはずだが >>865
人海戦術で蛆のごとく湧いてくる自称チャイナ義勇軍に対して原爆使わせて貰えんかったからな… >>867
安土城の財宝を献上して朝廷の了解を取り付け、細川筒井ら与力衆と協力して柴田を打ち破れば
日和見していた連中がどっと馳せ参じてくる。 >>867
やっぱり黒幕は朝廷だったとしか思えないんだよな
天皇が信長は朝敵として、光秀に信長討伐令を出したとして
次々に秀吉や柴田勝家や織田信雄らへの討伐令を出せば
秀吉や勝家にしたがっていた豪族たちも反旗を翻すか、少なくとも
行動をともにすることがなくなるから
秀吉も勝家も勢力が激減してしまう
そして毛利や上杉や北条や長曾我部や大友や島津といった
地方の大名が外側から織田勢を襲い掛かる
中央政権の光秀とそういう地方の大名が合議制の幕府が出来上がる
こんな計画だったのだけれど
秀吉の動きが早すぎて朝廷がこれはヤバいってとなって
計画中止したのではないかな? 秀吉にはその能力もさることながら1人たらし人を惹きつける魅力あったのに対し
光秀は優秀ってだけでカリスマ性もなんもないからな
家康みたいにじっと堪え得て最後に勝負して漁夫の利を得る的な状況じゃないと
例え秀吉が中国大返しできなくても実質的には混乱状態に陥って天下取れなかったと思うわ >>867
柴田勝家もかつて謀反を起こしているし、親の仇を取ろうとする織田家の次男以下は怖くない。
しばらくは、織田家家臣団で集団指導体制でも考えていたんじゃないかな?
まさか、秀吉がいきなり天下取りにとんぼ返りしてくるとは予想していなかったんだろう。 6月2日未明 本能寺の変が起きて
6月3日夜〜4日未明 光秀が出した密使が捕まって
すぐ毛利方の安国寺恵瓊が来て和睦成立
6月4日午前10時ごろ 清水宗治が船の上で切腹
6月6日 取り決めどおり秀吉軍、毛利軍が一斉に退却開始
6月7日夕方 秀吉が船で姫路城到着
6月9日朝 姫路城から秀吉軍が出立開始
信長の死が不確かな状況で
秀吉は勝手に毛利と和睦を結んでいるように見える
もし信長が生きてたら上司の許可を取らずに部下がやったことになる
秀吉は岡山にいながら信長が死んだ確信を持ったのはなぜか
ってのが最近よく言われてるなぞ >>873
光秀の密使が捕まって
たまたま本能寺の変を知ったというのが
嘘くさいよな
京にいた秀吉の密偵が間違うことなく、秀吉本陣に情報を伝えたんじゃないかな? 逆だろ
信長が生きていれば、一番乗りで光秀を討てば大評価に繋がる
信長が死んでいれば天下を取れる
どう転んでも中国大返しが大正解
誰の知恵かは知らないけど >>872
>しばらくは、織田家家臣団で集団指導体制でも考えていたんじゃないかな?
さすがにそりゃ無理だ
>>870
朝廷全体ではないが、近衛前久は関わっているだろ >>876
そういう意味で書いているんじゃないと思うぞw
たとえば本能寺の変なんて、まったく起きていなく
ただのねつ造された情報を毛利方が明智の密偵というふりをして
秀吉に掴ませた、秀吉がそれを信じて毛利と勝手に和睦して
軍を引き返したら、京の信長がのんきに茶会開いていた
そんな状況を思い起こせ、ってことだろw 光秀謀反だったらまた秀吉は敵勢力に挟まれる事になるから そんな時は退却しか選択肢ないんだわ
まさか敵地/戦場に留まるなんて選択肢ない
だから姫路まで戻ってくるのは当たり前、その間に情報がどんどん入って来て畿内に戻って光秀討つのは当たり前。
中国大返しに疑問呈してるやつの感覚が分からない 別に事前に知らなくても戻って来るのが普通の選択肢だって事 京都〜岡山市北区220kmを1日半くらいで密使は着いてる
・これと同等か早い連絡手段が秀吉にあって二重に確認した
・信長親子の京都同時滞在を知っていて光秀ならやると確信があった
・仮に信長が生きていても密使の手紙があれば言い訳できると考えた
6月4日に援軍が出立すると6月1日に信長は宣言した
この日の夜信長親子は本能寺で酒飲んでる
宣言は秀吉にも行ってて光秀軍の出立情報が来てたと思われる
京都の親子同時滞在と光秀軍の出立
秀吉はこの情報を知りえたと考える方が自然だと思うよ
やれるじゃん て思うよな >>879
金が崎の戦いで信長が撤退しときも
軍議では、朝倉の謀略ではないのか?という疑問が出ているのに
自分の密偵でもない、顔も知らない自称明智の密偵の書状を確信をもって
信じられて撤退したのは不自然だと思う
つまり秀吉本陣に情報を伝えたのは秀吉の密偵だろう
秀吉が京に自分の密偵を放っていなかったはずがない >>882
だから蜂須賀稲田が阿波淡路の大邦もらってるんだろ。大阪湾の対岸に 2日の午後2時ごろまで光秀は信長の遺体を捜させてる でなかったけど
そして光秀は震える手でチマキの笹の葉を取らずに口にくわえる
そんな状況だったので光秀が毛利宛の手紙を書くよりも
先に秀吉の部下が岡山に走った可能性もある
秀吉は先発の連絡を受けて密使の警戒を強化してたんじゃないか >>884
光秀は信長の首を確保できなかったのが
失敗の始まりだったな
いきなり軍勢で本能寺を襲う前に
本能寺に忍者を侵入させておいて、信長を暗殺して
首を確保してから、軍勢で攻めておけば良かった
忍者で首を取ったとなると、いかにも卑怯な印象になるが
武士らしく軍勢で襲撃して信長を討ったことにすれば
卑怯な印象も薄まるだろうしな >>886
でも実際にいたじゃないか
伊賀もの、甲賀もの、
物語とは違うかもしれないが
伊賀や甲賀の親方に指示されて
実際に戦場働きしていた傭兵みたいな人たちもいた
暗殺に適した人材もいたはずだろ 本能寺の変に黒幕がいるって考える人は陰謀論すげぇ好きそう >>856
対面したことはあったかもしれんけど秀吉の御前で東国無双だの西国無双だの言われたってのは幕末に成立した名将言行録の創作だな
あと補足だがこの天正14年9月10日付の秀吉書状の宛先は安国寺恵瓊・黒田官兵衛・宮木宗賦の三人になってる
後年黒田家に伝わっていたこの書状を立花家が是非にと頼み込んで譲ってもらったと言う経緯がある
まあ秀吉が宗茂を名指しで「誠に九州の逸物だ」と激賞してるものだし立花の家宝として後世に伝えていきたいと思うのは当然だな >>887
今以上に情報の早さ確かさが重要なだったし、任意の土地の攪乱や放火等を担当する野伏せりみたいのを
有能な武将は多数擁していたとは思うが、暗殺がそんなに簡単にできるようなら
信長だって邪魔な部下は追放せずに忍者で殺したってよかったではないか。
部下の急死を聞いてさめざめと泣いてやれば、逆に求心力も高められたというものだ >>863
そんな寝ごと言ってるから滅ぼされるんだよw まあ忍者はデスノートではないってことだ
>>892
宋襄の仁だな。 一般に言われている、毛利側が本能寺の変について全く知らずに和睦交渉をしたというのはちがうと思う。秀吉側も、毛利が全く知らないことを前提に和睦交渉するのはリスクが大きすぎる。
おそらく安国寺恵瓊や小早川くらいにはリークしつつ和睦交渉を進め、毛利内の根回しをさせたんじゃないかな。 >>894
実際、秀吉が天下を取ってる間は毛利は安泰だったな 自軍の陣地まで補給線の逆戻りをしたのが他の軍団長よりも幸運だったけど、孝高を後詰め先馬走らせて全速力で帰還できた。光秀討伐の準備が誰よりも早く用意できた。中国大返しを天下に知らしめたのはその帰還スピードと主君の憤死後、寄騎、宇喜多の残党や国人衆の離反をさせないように褒美と所領安堵を担保したんだろ。今さらかよ >>12
瀬戸内航路は風待ちと潮の満ち引きで時間が読めない。公方様が座す鞆の浦は信長包囲網の拠点。ましてや小早川管轄の村上、河野、来島水軍が制海権を持ち、毛利と講和結んだ直後だけどリスク大。九鬼の安宅船のお迎えなんていつ来るのやら。 あっさり信長信忠父子を攻略してしまった光秀がノープランだな。頼りの藤孝も出家遮断されるし、拠点としたい安土城も焼土と化し坂本と京と福知山では伏見石山方面からの反撃に集中させるしか無い。時間をかけると北陸から柴田前田からのが備えも必要。 >>103
毛利さんは鎌倉以来の名家ですぞ。厚遇してそのまま中国十ヵ国を両川に治めさせた方がいい、四国、九州への軍事力となる。 >>898
備中高松城の戦いの時点で来島は羽柴秀吉に調略されてるだろ
それに村上水軍は有名だざ、本拠地はあくまでも芸予諸島で
備讃諸島には塩飽水軍があり、これは織田家に下ってたし
淡路島が本拠地の淡路水軍も三好家と一緒に織田家に従ってる
本能寺の変の後に淡路水軍の菅某が明智方につき洲本城を落とすも、さっさと羽柴方之土豪に駆逐されてる
なぜ九鬼水軍が出てくるのか不明 中国大返しよりこの記事の「不思議でない」部分が何かを読み解くの難しいです >>898
来島は変の二ヶ月前の4月には既に秀吉に調略されて寝返ってるぞ
4月19日付の秀吉書状で「この度の来島の忠節神妙なことだ。今後は親密に交流して決して疎略に扱うようなことはしない」って秀吉も言ってる >>878
捕まえた密偵だけではなく子飼いの者を含めて複数の情報源から明智光秀が謀叛を起こしたという情報を得て
虚偽にあらずと確信したんだと思う
明智光秀の書状を持った密偵が来るだけの時間があれば
他の人間にだって京都から秀吉の陣に行くだけの時間はあっただろうし 清水さんの子孫は以降毛利家の家臣に加えられ幕末まで続くのだから宗治さんの中国平定、講話条件は武功ものでしょう。 毛利氏家臣の玉木吉保が記した「身自鏡」(みのかがみ)の一節を紹介しよう。
本書は元和3(1617)年に成立したもので、毛利元就・輝元・秀就の三代に仕えた吉保の自叙伝として広く知られている。
本能寺の変の報を6月3日夜に知った秀吉は、翌4日に毛利氏と講和を結んだ。
吉保は、このときの秀吉と毛利氏の外交僧・安国寺恵瓊(えけい)との講和交渉のシーンを、次のように活写している。
羽柴秀吉が安国寺恵瓊を密かに(石井山の陣所に)呼んで、中国(毛利氏の領国)を平定するための私の謀を見せようと仰り、
(毛利氏家臣で)味方になった武将たちの連判状(名前と花押を据えた文書)を(恵瓊に)投げ出された。
そこから洩れている(毛利家の主な)武将は、五名にすぎなかった。恵瓊は肝を潰し、膝を震わせた。
秀吉は、このような計略はかつて日本にはなかったと思っていたところ、毛利輝元殿の御謀(おはかりごと)が深かったため、
信長がお果てになってしまったと仰り、したがって今は毛利・吉川・小早川の御三家と和睦して上方に戻り、
明智光秀を討ち果たして信長の恩に報いたいので御同心いただきたいと、起請文を作成のうえで仰った。 明智光秀の序列ってこの時点では4位だろ
どう考えても光秀主導で信長家臣軍団をひっぱっていくのはむりなんだよな
誰かを頭にたてなきゃ
柴田は信長への謀反はこりごりだから無理
丹羽は性格的に無理
秀吉、ワンチャンあり
とりあえず細川、筒井がついてこない時点で絶対に無理
細川にしても、せめて自分にだけは先に声かけておけよっておもっただろうしな >>907
信忠の予定変更で京都ってのは急遽じゃなかったけか?
相談なんてしてる時間無いだろうし
それ以前から相談してたら何処からか発覚するんじゃないかな? 秀吉って、岡山に行ってなかったんじゃないの?(笑)
信長殺して、光秀も始末して責任を押し付けた(笑) >>884
ちまき自体はコラボ商品があるみたいだが、ここは一つ「皮ごと食べられるちまき」を
商品化して欲しい、補給食に最適な秀吉のおにぎりも >>909
うん、だからどっちみち無理ゲー
信長も光秀の精神状態がここまで追い込まれているとは思わなかったんだろ
むしろ地殻に光秀いるから自軍は少なくてもいいやみたいな感じだったろうし これ昔から言われてたがようやく広まってきたな
事実は物語に比べて訴求力弱いからな 秀吉のことだ
全て計画済み、もしくは情報である程度予想がついてた
最初から戻ること前提で行動してたんだろ 昔は今以上に謀略だらけだから
裏で全てが動いていたと思って間違いない まあ、光秀が信長ヤッた時点で明智と毛利と長宗我部と別所の残党に囲まれる形になった秀吉も四面楚歌だったんだが。 >>888
むしろ黒幕がいない、陰謀などないと考えるほうが不思議
戦国時代なんて疑心暗鬼だらけ、裏切りだらけ、陰謀だらけの何でもありの世界
通説はあまりにも光秀が悪で、秀吉が善であるかのように脚色され過ぎているので
通説にはない何かがあったと推理するのは当然 当時でも光秀が天下取るなんて誰も思っちゃいないだろ
「光秀やりやがったw で、次は誰の天下だ?俺?いやいやw んなわけないw」
で、光秀の味方には誰もならずにその後を見据えていた、初めから光秀は誰の眼中にも無かった >>910
秀吉が岡山へ行ったフリをしてすぐに戻れる場所に潜んで待機し、
信長を本能寺で暗殺した上で光秀をおびき寄せて光秀に罪をなすりつけた
上で光秀も殺し、天下取ったというシナリオはありうるよね
当時は坊主とか使ってプロパガンダ情報を全国あちこちで簡単に流せたらしいので、
同様に「裏切ったのは光秀、仇を取ったのは秀吉」ってウソ情報流させとけば簡単に
民衆はだませる >>919
いや、ないだろ
秀吉だけ近くにいても秀吉軍自体は確実に備中高松城に陣取っていたんだから
結局彼らが帰ってこないと無意味なわけだし
秀吉が日々光秀を信長をあおって対立させていたくらいならまだ考えられるけど
それにあおられるほど信長も光秀も馬鹿じゃないだろうし
やはり、秀吉はいち早く情報入手して(運よく)帰ってきたってだけだと思うわ。 別に足軽兵全員が山崎に移動しなくても丹羽や信孝の兵も居るんだから、指揮する秀吉兄弟と黒田やら中村山内子飼い武将らが居りゃ何とか出来そうなんだよなw
実際宇喜多軍は姫路に逗留させてるし。 >>919
いや普通にバレバレだろそんなことしたら 駒とか
イミフなキャラが全編に出て
大河はがっかりだったな
何あのキャラ
ふざけてるのか? >>924
信孝・丹羽の四国遠征軍の兵は、本能寺の変の報を聞くや皆逃げ散ったという説があるが
信孝や丹羽が健在なのに「みんな逃げた」はいくらなんでも無いよな。多少の脱走兵はいたかもしれないけど。
信孝軍が異変を聞いて動揺しているところに秀吉が到着して掌握したうえで、実質的指揮権もかっさらったというほうが自然だな。
山崎戦における秀吉方の名目上の総大将は信孝だったし。 >>927
逃げた兵てどうなったの?
お咎めなし? >>927
逃げたって記録にあるなら逃げたんだろ
多少は残った奴もいたかもしれないが >>444
農民だったはず
まあこのころの農民は大体人殺しの経験あるような奴らばかりだけど 柴田が中国方面で秀吉が北陸担当だったら、ずいぶんと事情は違っていただろうな。 >>906
内容に原文との解離がないなら意味不明で、耄碌したボケが書いたキチガイ書にしかみえん
一級資料書どころか参考文献扱いされなくて当然だろ >>927
四国遠征用の兵が1万4千で山アの合戦時の丹羽、信孝の率いてた兵が7千だったか8千だったか
再雇用した分も考えたら混乱時には決戦出来ない程度の兵力しか残ってなかったんじゃない?
雇われ兵はすぐ逃げるからこそ弱兵なんだし >>931
これはかなり違うと思う
あと前田利家が柴田与力でなく、信孝といたらどうなったかも 堺商人って武器商人で石山本願寺とライバル関係だったんじゃないか?
その石山本願寺の硝石利権が丸々信長の物になって面白くないのは堺商人じゃないだろうか
さらに堺商人の取引相手のキリシタンもさ >>936
>石山本願寺の硝石利権
岐阜白川郷富山五箇山のおしっこだっけ >>931
その場合、秀吉に援軍要請された信長は北陸に向かって本能寺には行かなかったのかな >>906
これが真実ならば凄いな
信長の死を隠しての氷薄を踏む様な交渉では無く、堂々としたものだったのか
追撃しなかった毛利を手厚く歓迎して賛美した秀吉もたいしたもんだ 光秀援軍が決定してたんだから
光秀軍の動きを探る間者は居ただろし
援軍が来るんだから拠点には糧秣を入れてただろし
秀吉にとっては有利になる要素満載 不思議なのは、秀吉軍に加わって戦ったものより、動かなかった細川氏に最大限の感謝の手紙を書いていることかな。 >>942
秀吉は変の直後の6月27日付で味方に加わった蒲生氏郷や堀秀政、摂津衆の高山らに知行宛行状を出してるから細川だけってわけではない
まあ戦後一ヶ月ほど経ってから細川に宛てたその感謝状は現存する秀吉の書状の中では唯一の血判起請文だから余程感謝してたのは間違いないが >>900
大江広元の子孫てすごいよな。自称源氏平氏とは比べ物にならない名門だ。 >>874
長谷川宗仁が飛脚を送ってるのは常識だろ 小早川家って関ヶ原であんなに徳川氏の役に立ったのになんで取り潰されたの? 無嗣断絶
幕府は、初期は末期養子なんかも認めてないから後継者がいないとバンバン潰してる どうでもいい薬売りと医者のシーンだらだら続いて
肝心の山崎の合戦が無いとか クソ大河やっと終わって良かった
コロナで打ち切りで良かったのに
今年のもどうだか知らんけど そもそも秀吉が黒幕だったら 徳川が宣伝しないわけがないわな まず「共謀」説は光秀がその事実を伏せていた理由を説明する必要があって
大概その第一のハードルを越えられていない 普通に考えて
家臣団の誰かだろうね
疑心暗鬼になり、誰かがやらなければという空気になってたんだろうな
問題は誰が実行し、どう処理するか
まあ朝廷とか堺とかイエズス会wとかそういうのないわ 鎧とか武具一切は船に積み込んで裸一貫で走り抜けたイメージがあって
兵糧も船に積んで運んでたから先に返して行く先々で配っただけなのかと思ってたけど 毛利の謀略で信長生きてるのにいいところで勝手に講和して大返しとかやったら切腹ものの失態だもんな
電信もない時代なのに情報網がすごいわ 光秀が秀吉に静観の打診とかしてたらわからないでもないが、普通なら裏切りを通報して点数にした方がもうかるから光秀も知らせはしないか >>170
「秀吉」かて最後は田んぼみちを白装束でらんらんるーとか言いながら
駆け抜けていったぞ 黒幕説とか真面目に信じてる人いるのか
冗談だと思ってた >>200
岡村堺あの女のくだりは一切いらなかった >>961
最近一切資料も出さずにわめき散らす輩が出て来ててヤバイ 一番利益を得た奴が犯人(かも)というのは、
一番最初のとっかかり、発想の転換が有用な時にはいいけど結論をまとめるまでには忘れた方がいい単なる「発想法」でしかない 秀吉は一番の利得者って言っても山崎、清洲会議、賤ヶ岳とその才能によって勝ち続けた結果による利得だからな
全然棚ぼたじゃないってところを見てない
要するに秀吉(官兵衛)が大天才って部分を否定したいだけなんだよ
秀吉って本能寺から天下統一の部分って日本史でも最も優秀で一番の才能なんじゃないのって思うよ 光秀は本能寺近辺に1万人も侵入できないから鳥羽に明智軍本体まるっと居た説はあるからなw >>958
秀吉が反転するのに必要な情報は「明智光秀謀叛」が虚偽か真実か、それだけ
光秀謀叛が事実であれば討ち果たす優先度としては、明智>毛利
信長が存命だったとしても反転して主君の危機に駆けつけた秀吉が咎められるとはないだろう レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。