【鉄道】旅情とは何か? ムーンライトながら廃止でよみがえる前身「大垣夜行」の記憶 [砂漠のマスカレード★]
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車両の老朽化で廃止
JR東日本とJR東海が2021年1月22日(金)に発表したニュースリリース「春の増発列車のお知らせ」は、全国の鉄道ファンを驚かせました。
「臨時列車の快速『ムーンライトながら』につきましては、お客さまの行動様式の変化により列車の使命が薄れてきたことに加え、使用している車両の老朽化に伴い、運転を終了いたします」
新型コロナの感染拡大で、2020年春の運行を最後に休止していた夜行快速「ムーンライトながら」が再開されることなく、廃止となったのです。
1996(平成8)年3月のダイヤ改正とともに登場したムーンライトながら。2009年3月に臨時列車となるまで、毎日運行されていました。
その前身である「大垣夜行」が誕生したのは、1969(昭和44)年10月のこと。1967年10月のダイヤ改正で東京〜大阪間の1往復と、豊橋〜東京間の夜行普通列車(上りのみ)の運転区間を短縮、電車の使用に切り替えて存続させたものです。
まだ高速バスもない時代。大垣夜行は東海道本線を移動する格安の手段でした。帰省から貧乏旅行、鉄道好きまであらゆる人がこの列車を使い、その需要たるや繁忙期には臨時列車が運転されるほどでした。
そして一部にグリーン車指定席という名前のリクライニングシートの座席があるほかは、すべてが普通の電車の自由席です。そのため、列車に乗るためには座席を確保するための強い意志が必要でした。1時間前に並べば座れないことはありませんが、よい座席を確保するなら、4〜5時間ほど前から並んでおく必要があります。
しかも、東京駅の東海道本線のホームはさまざまな列車が出入りし常に混雑しているため、邪魔にならないように並ばないといけません。
新宿駅構内にはかつて「アルプス広場」という看板のあるスペースがありましたが(2020年7月廃止)、ここはかつて信州方面への登山客を運んでいた急行アルプスの乗客を待機させていたことが由来とされています。
この急行アルプスの後継であるムーンライト信州も、2018年の最終運行で廃止されてしまいました。
知らない人と共有する「旅は道連れ」な雰囲気
東京駅で大垣夜行を待つのは大変でしたが、逆に繁忙期は楽でした。大垣夜行は繁忙期になると品川駅始発に変更され、かつての品川駅には臨時列車のためのホームがあったからです。
こちらはほかの乗客の邪魔にならずに待つことができまし、筆者も何度も利用しました。まず必須なのはお尻の下に敷くものです。だいたいキヨスクで新聞を買って使っていました。
なにしろ、スマートフォンはおろか携帯電話も普及していない時代。ヒマをつぶすには文字のある紙が欠かせません。次第に行列ができてくると、敷くものを持っていない人もいるため、新聞を分けてあげて、それをきっかけに会話をして時間をつぶすのです
大垣夜行の一番の特徴は、こうして生まれる「旅は道連れ」の雰囲気でした。
「青春18きっぷ」で乗車できる時期の大垣夜行には、だいたい貧乏旅行をする人か、なにかの夢を追っている人ばかりが集まりました。似たような趣味を持つ人間という気安さで会話は弾みます。照明がずっと点灯したままの車内で、たまたま居合わせた者同士が交流する光景は、その後のムーンライトながら、あるいは夜行バスといったほかの交通機関には存在しないものでした。
あれこれと話をしながらウトウトとして、目が覚めるのは豊橋駅を過ぎたあたりという人が多かったと思います。途中、名古屋で下車する人もいましたが、大半は終点の大垣まで。
https://news.yahoo.co.jp/articles/ce2606eb44df1eaf66f68f9860f923a80f04195a
2/14(日) 21:30配信
https://i.ytimg.com/vi/3alMUY5iJBo/maxresdefault.jpg
https://pbs.twimg.com/media/EWXQq7nUMAE6V18.jpg
http://art2.photozou.jp/pub/932/223932/photo/17592071_624.jpg
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20210122-00010007-norimono-000-20-view.jpg そこから西へ行くためには、車両の少ない米原駅へ向かう普通列車へ急いで乗り換えなければなりません。座席を確保するために走る様子は「大垣ダッシュ」として知られていました。もっとも、急がない人は1本後の普通列車でゆっくりと旅していましたが……。
米原駅からは新快速に乗り換えて姫路まで。姫路駅の中華麺を使った独特の駅そばは長旅を癒やしてくれる味でした。その姫路駅の駅そばも、今ではリニューアルして立派な店構えとなっています。
便利さと旅情のはざまに揺られて
紙の時刻表のイメージ(画像:写真AC)
そんな旅情も今は遠い記憶です。高速バスに続いて登場したLCC(格安航空会社)により、旅はさらに早く安く楽しめるようになりました。気がつけば、夜行列車も寝台列車もありません。
夜行列車の最大の利点は、移動しながら休息を取ることができることです。あまり休みを取れない社会人であれば有り難い手段だと思うのですが、そう考えない人のほうが多いようです。
さて、ムーンライトながらは消滅しましたが、2021年の春も青春18きっぷは例年通り発売されることが告知されています。春、そして夏はどこに行こうか……旅のプランを考えるために、まずは紙の時刻表を買うのも悪くないかもしれません >>2
新幹線を大垣経由にしとけばダッシュなんてアホな行為は無かったんだよなあ 試乗の際には後退(バック)してみる必要もあるな。( ´Д`)y━・~~ w
https://bestcarweb.jp/news/116618 >>1
東京で飲んで藤沢で降りるはずが熱海まで行った俺w 下りの大垣夜行は、座席に座ってるのは長旅の若者で、通路に立ってるのは酔っ払ったお父さんと決まってたな。
でもって、幸か不幸か、お父さんが席にありついて、気が付いたら静岡や浜松だったと言うのも、よくある笑い話。 >>7
大垣夜行の乗客は新幹線乗る気なんてないんだからそれは関係ないと思う 一度も乗らずに終わったな。夜行快速で乗ったことあるのはムーンライトえちごぐらいか。あれは消灯するから寝れた。 むかしは夜中に乗り換える必要のない普通列車の大阪発や東京発が2〜3本走っていたよ。 旧国鉄の特急グリーン車両が来た時がありました シートヒーター暖かかったです (´・ω・`) 大垣で慌てすぎて目が覚めたら樽見まで運ばれてたアホもいたらしいな 一回乗ったが、早朝に「大垣ダッシュ!」ってホーム走る鉄オタ見てアホかと思った。
そんな事しなくても余裕で乗り継いで座れたわ。
しかし若い連中が格安で行けたのが無くなるのか。 いっぺん乗ったな
品川発だったかな
かぼちゃ色のやつだ
イスは直角みたいなもんだったな
通路で寝てるやつが大勢いた
乗り継ぎダッシュもしたな
いい旅だった 藤沢から大垣帰るのに乗ったな
大垣でみんなダッシュしてて笑えた 90年代東京で学生やってた頃は帰省その他で良く使った
確かに>>1が言うように、夏休み期間に利用するときは、品川駅で臨時列車を待つことが多かった
本当は熱海?までの当日中の切符を買い、日付変わって18切符を車掌に見せないといけないのだが、18切符一枚で見逃してくれるのが分かったので、次からそうすることに 高校生の頃にムーンライトになる前の大垣夜行、下諏訪夜行、長岡夜行にはお世話になってたな
その後大学生になって免許取って車に乗るようになってから鉄オタ引退してしまってムーンライト
には結局乗らずじまいだったな >>22
関西までならな
18切符一枚でできるだけ遠くまで、中国地方〜九州までいくならダッシュ はやぶさを復活させてくれ
何しろ昔は西鹿児島までこの国の半分の車窓を眺められたからなぁ 昔は結構、普通夜行列車が走ってたな。
時刻表で眺めいつか乗りたいと思ってたが機会を失し次々に廃止されてしまった。
久しぶりに古い時刻表でも眺めてみようかな・・・。
でも、ノスタルジーに浸ると今の鉄道がとんとつまらんで回帰するから
気分的に損しそうだからやめとこ。 >>23
自分が学生の時はワイドビューの特急車両で
夏休みだけ走る臨時便が座席のスプリングがイカれた国鉄車両だった
指定席が取れたときは臨時便に対してちょっと優越感を持った
今思えばどっちも底辺だが 大垣夜行の旅は若いときは良い
中年以上はショボくれたのばっかりだったのは事実 前に友達と一度乗ったけど、二度と乗るまいと思ったわ。
3日履いた靴下の臭いみたいなのが漂ってるんだよなあ・・ 大垣行375M列車、カボチャ色とピーマン色のツートンカラーでした。 '95年の夏。ぎゅうぎゅう詰めのデッキで明け方に猛烈なすかしっ屁をしたのは俺だ。すまんかった。 >>1
> その需要たるや繁忙期には臨時列車が運転されるほどでした
2本のながらがおっかけおっつけで走ってたな >>9
やるねw
自分は戸塚の予定が小田原…が最長だな 週日は普通にサラリーマンは帰宅に使ってたな
夜遅いから酔客が多かったが 普通は金ありゃ時間を買うからな。
新幹線使って目的地にまで行った方が良い。
18切符は途中下車出来るのが魅力で、学生時代には経験しておいて悪くない。 165系時代のグリーン車は同じ列車に思えなかったな
減光されていて後の車両よりリクライニングして快適だった
あの頃から格差があったんだな 鉄ウォタブームって、鉄道ピクトリアルだの模型と工作だのの時代は、一部の変わり者がいるだけで、
プラットフォームを徒党を組んで占拠するってことはなかった。
18切符登場後も、そういうあおりの方向はなかった。
富士フィルムがモロに煽ったのが今に続いてると思う。
アマチュア無線は廃れたのに鉄道は困った状態のままだね。 >>6
復活させたところで乗る人がほとんどいないからな。
寝台車は飛行機より高くつくし。 なんちゃら出雲っていうのが寝台列車のこってるんだろう?
こないだ「ゆうゆうスペース」?とかいう5号車にのったは >>32
ながさき はやたま
10系寝台車は碓氷の鉄道博物館で実車のベッドに寝れるが、狭い。でも、なんか旅情ある。 goto止めて、鉄道に補助金突っ込めよ。
普通運賃だけで気軽に乗れる昼間の長距離快速を再活性化すべきだ。
米原〜岐阜〜名古屋〜静岡〜東京で、117系のような車両の長距離新快速を運用すべきだ。
近畿圏〜東京圏 往復5000円で販売! 予算化=補助金突っ込んで下支え。
16両編成で高速バス並みに安くすればいい。 ムーンライトながら時代になってもお姉さんが通路の敷物敷いて普通に熟睡してたからな
LCCや夜行高速バスでは味わえないわくわく感は確実にあった 最混雑期は一人先兵が並んで、残りの3人は先兵が確保したボックスに窓から荷物を投げ入れて席を確保していた。 あけぼの乗りたいな
夏休み、冬休みは秋田のじいちゃんの家まで行ってた
上野で弁当と本買ってわくわくした
もうじいちゃんも家もないけど MLながらが無くなったから安価で楽に東京〜大阪を移動する手段が減ったなぁ
繁盛期は夜行バスは倍以上に値上がりするし、コミケ行く時はMLながらがどんな夜行バスよりも速く東京に到着してたし 大垣の精算窓口で、小田原の定期出して精算してるおっちゃん見て涙した記憶。 俺の学生時代は東京と鹿児島を30時間で結ぶ
普通急行列車があってね、座席も固くてクタクタ
で死にそうになったが、一番安く故郷に帰れた。
すでに新幹線が岡山まで来てたが、金が無かった
ので何度も利用したわ。 当初下りは小田原から自由席になったから、小田原から乗った記憶が
今は閑散期は高速バスで2000円以下で新宿-名古屋移動できるからね 乗車券以外の切符を買わないで移動させろってのは国有鉄道だから言えたことで、
民営化しちゃったらコストに見合うカネを負担しないといけないのは仕方ないね 毎日運転の大垣夜行は種別普通で、臨時大垣夜行増便は種別快速という不思議な違いがあった 学生の頃、函館→札幌(南札幌)の快速ミッドナイトってのに18きっぷで乗ったけど雑魚寝できる車両があってよかったよ
しかも俺一人で貸し切りだった >>63
自分が学生の頃は知り合いはスカイメイト使ってたな
今は区間で料金違うみたいだけど、昔は国内線1万均一だった気が 大垣ダッシュは、ながら関係なく今でもあるのでは?18キッパーが存在するかぎり。 昔はね…
金はないけどヒマはある(主に若者)…鈍行・夜行列車
金はあるけどヒマがない(主に年配)…新幹線・特急
こういうニーズによって選べる移動手段の選択肢が今よりはあったような気がするんだが
でも今は高速バスがいっぱいあって金はないけどヒマはあるやつらはそれ使うから
たいして違いはないのか、でも高速バスは予約必須だしな
ある日ふらっと旅に出ようと夜行列車に飛び乗る、というのはもう出来ないのか
というよりもっともオッサンになってしまったら、夜行列車なんか走ってようが走ってまいが
その日突然思いついて夜汽車に乗って出発しようなんてまあほとんど思わんわ 夜行列車の座席では一睡もできなかった
本読めば酔うし車窓は真っ暗だし
一晩中何もできない地獄😵 >>42
立川で降りるはずが上野原まで行ったことある 東京から名古屋に野球観戦に行って帰りに2回乗ったけど長すぎてしんどかった
たしか途中で車内灯は少し暗くしておやすみなさいって車掌が放送していた記憶
真っ暗で車窓が見えなくてなんも面白くなかった
あと165系はシートが硬く窓からのすきま風が寒かった 大垣ダッシュやったな
みんな走り出すからつられて走った思い出 大阪発で出雲まで夜行で行ったことも有ったな…
途中からホームに雪が積もってて雰囲気が良かった
もうあんな旅が出来ないと思うと寂しい 大垣夜行懐かしい
静岡で幕の内食うのが慣例だったわ むかしは大垣から先が2両編成しかなくてダッシュしないと本当に乗れなかったりした 若い時に時刻表を見ながら、大阪�結條ヤを鈍行で行けるかな…と見つけたのかコレ
夕方に大阪を出て→大垣で乗り換えて→朝の4時過ぎに東京へ着く、普通料金だけで行けたんだよ
一度乗ったら上りはガラガラ…箱に5人しか乗ってなかった
下りは満席だったな、12時前に東京発→大阪着は昼前だったかな
夜行バスと違って中は広々、トイレも気楽に行けた 大垣夜行に旅情などない
貧乏学生が苦痛を我慢して仕方なく乗る列車にすぎない 米原でもダッシュしてた記憶
姫路で昼になって駅そば食べてひと息着けた 全席座席指定になってからは1度も乗らなかったな
逆に指定じゃない時代は通路やデッキに人が座ってて酷かった 大垣行きというと、便所でうんこしたら、便器にこびりついて流れなかった思い出しかない。
友達が小便をかけてくれたんだが流れなかった。
あのうんこはどうなったんだろう。 繁忙期には、大垣夜行の臨時大垣行きがでていたが、それでも積み残しがでて、急遽臨時の増発で113系を使って名古屋ゆきを出したという話があるとか。 コミケ行き列車だと中で寝ないでひたすらコピー誌をホチキス留めする音が響いていた >>73
いまはスマホ一つで夜行バスの予約・支払い決済ができるから、夜行列車の切符を用意するより気楽だよ 昼間に普通列車を乗り継いで景色を見ながらいったほうがまだしも気分は旅行気分
大垣夜行は人民列車の別名の通り単なる移動、旅情も何もない 去年スウェーデンやスペインで長距離夜行列車に乗ったけどそういやこういう感じだったなって思い出した
国鉄として存続してる国が羨ましい 貨物のコンテナにぶち込まれて運ばれることをイメージすると大垣夜行だ 大垣夜行も良いけど、修学旅行専用列車…なんてのも有ったんだぞ
普通列車なのに、席は新幹線と同じ3列+2列、しかも直角背もたれのボックス席、その代わりミニテーブルが付いてた…畳めないんだぞ
更に他の車両への移動は禁止、、喧嘩するからだとよ
夜走ると貨物列車待ちとかで停車時間が長くてな…明方には弁当を売りに来るし、、朝飯を2度食ったわ >>71
三島止めの新幹線逃しての最終はながらだったよな
深夜1時超えて沼津富士静岡に帰ってた >>94
スマン、、半世紀近く前の記憶だからなぁ
あの時は神田の古本屋巡りに行ったっけ、朝早すぎてすることが無くて焦った記憶がある 最終新幹線で乗り過ごしてしまったときに戻るためにある 東京から乗らないで、新宿から小田急で小田原に行って乗ってた
去年の3月28日に乗ったのが最後 >>1
グリーン車も自由席だぞ。嘘書くな。ニュースに書くことか?
普通車は何回か乗ったな。 >>7
そういう愚かなタラレバは止めたまえ
もともと国鉄は最初から岐阜羽島の位置に駅作るつもりなのを伏せていうて
運輸省のキャリアがうまく大野伴睦に働きかけて岐阜と大垣には駅作らせなかったんだけどな >>73
運転手に交渉してバスタのロータリーで直接現金で支払ってる人何人もいたよ ありゃ、ムーンライト長良消えちゃったのか
大垣夜行は20年ぐらい前サークル合宿で東京から名古屋に帰るのに2回使ったわ
みんな貧乏学生だったから
全員寝ちゃうと物騒だから交代で寝たな >>92
おっさん達がカネの無かった若い頃の思い出を語ってるんだよ。
今は夜ゴソゴソするだけで翌日に響くから夜行列車の移動なんて絶対にイヤなんだけど、あの頃は良かったよ。楽しかった。
旅情ってそういう事よ。
何年経っても豊かにならない今のガチ勢には伝わらない感情だよ。 >>103
逆に断られてる人なら2回ある
到着する日で予約しちゃう人いるんだよね 横浜出たら寝てしまって気づいたら大高あたり
ながらは割に快適だった 金がなかった若き日のほろ苦い思い出の夜行列車
生まれ故郷は遠かった。
今はラウンジでの時間調整と優先搭乗の移動が当たり前、はした金より時間が重要となったが、あの頃の夜汽車の風景が何故か懐かしい。 ボックスシートなんだよな
若い人ばかりじゃなくておっさんも乗っててそういう奴は汚い格好した見るからにクズて感じだった
あの頃は安い夜行バスも無くて仕方なく使ったけど今走らせても絶対に乗らないな
大垣夜行に旅情なんか無い >まず必須なのはお尻の下に敷くものです。
同意。
大垣夜行には乗ったことないが、学生時代、南紀ワイドで新宮夜行三連泊してケツが切れた・・・ >>110
俺が乗ってたムーンライトながらはボックスじゃなかった 大学生の時は学割周遊券で乗ったが今あっても騒音で無理だろうなあ >>101
自由席だけど当時は18きっぷでは乗れなかった
車掌が空席を随時チェックしていたから
勝手に入って乗り過ごす事も不可能 品川駅で臨時便に座ろうと2時間前から並んだりしてたな >>81
どこでも寝れる人なんで静岡あたりは爆睡してた気がする 横浜で遊んで小田原に帰るのによく乗ってた
いちばん遅い時刻の電車だったのかな
居眠りしてたら途中の平塚で前に座ってたおばさんに「平塚よ?平塚!」って起こされたのが今でも謎 >>47
新幹線に使う乗車券だって途中下車できますけどね >>115
あの頃の品川駅がまた今と違って寂しい雰囲気で >>45
急行券を買う金がないから、新宿から松本行きの夜行に乗って、南小谷、糸魚川と乗り換えたなあ。 >>9
当時熊谷在住だった知り合いの旦那は三回ぐらい能登で柏崎まで行った 基本的に深夜の夜汽車に旅情はないが
大垣夜行はまだ全然マシ
仙台へ行く夜行は怖かった
周りの怪しい風体のおっさん達が時々俺をチェックしてるんだよ
寝入ったのを見計らって財布をスるか
なんならお触りしてくるか >>112
ながらになってからは全席指定でリクライニングだったな 夏休みとかに乗って座れなかった奴らは地獄を見たはず 老若男女が狭いクロスシートに詰め込まれて長距離移動する、いわゆる夜汽車ってもう無いんだな
今度のムーンライト廃止で小説にしか出てこない過去のものになった >>112
それは、ながらじゃなくて臨時列車の方では?
繁盛期にながらの後に運航してた自由席の奴 青春18きっぷで乗ったな。
昔はウォークマンなんてなかったからでかいラジカセに電池入れてイヤホンでカセットテープ聴いたり。 50人ほどの団体で乗ったな。タイミングかち合った方々ごめんなさい。 学生時代にだけ乗ったよいい思い出本当に楽しかった私の一番楽しかった記憶 静岡で1時間位止まったかな?その時買って食べたご飯カチカチの普通の幕の内弁当がくそ美味かった 横浜だったかな?そこで0時過ぎるから車掌さんに18切符点検してもらってた
横浜までは普通乗車券買ってた記憶 スリが多いんで
ある頃から滅光しなくなって
ずっと眩しかった
乗るときは
手持ちの金を3000円くらいにして
キャッシュカードも分けて所持
万一スられても
旅先で金を下ろして
スられた方のキャッシュカードは
すぐ無効化するよう
対策してた >>135
スリなんてのがガチでいたんだ
月光のテツとか警察に徒名つけられてるようなのがいたのかな >>9>>42
オマエラすげぇな
車内放送での到着予定に飛び起きて
戸塚で降りたわ
危なかった
>>14
呑んで誤乗車した時だけだな。
あんな難民線に旅情もへったくれもないわな。 裏技的にセミコンパートメントの座席取ったりしたけど
4人相席で自分語りする若造が話しかけてきてウザかった 昔は筋金入りの団塊サヨク御用達、近年はいわゆる同人誌関連 >>139
サヨクっていうか貧乏人な。
貧乏人が帰省するのに使われた。
ていうか、そのために国鉄はわざわざ残した。
貧乏人がサヨクに傾くのはやむを得ないから。 >>136
夜行普通列車はスリの格好の漁場。
検札がないし、停車駅も多いから逃げやすい。 話題のアルペン会長と仲良しの加藤晴彦は
ジュノンスーパーボーイコンテスト審査員特別賞
この時準優勝の伊藤英明@岐阜と仲良くなり
大垣夜行で一緒に名古屋まで帰った
豆 >>4
同じ距離なら夜行寝台より新幹線のほうがコストがかからないってJRの人が言ってた。 >>124
座るには乗車1時間前には並ばないとな
通路寝は普通だし連結部で立ち寝とかいたしなあ
強者は連結部の窓枠に体育座りで寝るw 373系ながらと165系大垣夜行では違いすぎるw
名古屋で新幹線乗り換えだと広島か岡山ぐらいまでは最速だったはず リゾートしらかみ良かったけどなんか違うんだよなあ。
色気のない旅情が欲しい。 高校生の夏休みに青春18きっぷで大垣発東京行きに乗って小田原で降りる予定
満員でデッキにカバン置いてそこに座ってうつらうつらしてて気が付いたら小田原
発車するとこ、あわてて時刻表めくって次の停車駅横浜って知ったときの絶望感
緻密に組んだ日程終了w >>143
次はサンライズw
早く、夜行列車を叩き潰してゴミクズ鉄オタども涙目にしてやりてえ😄 これ使って、東京から小倉までギリギリ一日で行けたな >>31
はやぶさの名称は既に東北新幹線が使用してるから、別の名称に変える必要があるなw
那覇や彗星とかにw 走るスラム街って言われてるからね
格安バス会社の夜行バスのほうが幾分か乗り心地も良さそう 名古屋で新幹線降りてから岐阜駅まで座りたくて乗ったことしかない 通路の座席で車窓を眺める
寝台で向かいや上下の初対面の人と話す
住所を教え合い手紙を書く約束をする
スマホが登場してから旅情なんて無くなったよ >>40
ながらになる前の大垣夜行のときはギュウギュウ詰めだったり通路にゴザやマット敷いて寝てる人いたりのカオス空間だったな 大学生の時、静岡に帰省するときに乗ったな。
駅弁を買う集団にまざって降りた思いで。 サンライズだって車齢で考えたらいつ無くなるかわからんよな 同じような記事ばっかりだな。ネタ切れすぎだろ、ゴミライターw 社会人一年目は隔週で利用していた
シーズンオフのグリーン車は並ばず乗れて快適だった 大垣夜行にしてもムーンライトながらにしても旅情とは無縁だろうに
食堂車が廃止を経て連結する車両がでてきたり社内販売が減ってきて駅弁が乗ったままでは買いにくくなってきたほうがよほど身近だわ >>121
能登は随分乗ったけど、自分は上尾下車で直江津まで寝過ごした。
車掌さんはJR西日本の方で、急行券の発売や首都圏各地からのきっぷの精算、酔客対応に駆けずり回っていたのをよく覚えている。 >>128
18切符が出た頃にはとっくにウォークマンはあったが? 確かにあったみたいだな
俺がローティーンの時にウォークマン発売、18歳の頃に青春18キップ販売開始だわ
まだ高かったから初めて買ったのはシャープ?のもどきだったけどw >>68
それ、おぼえてる。女の子に「空いてます?」と聞かれた唯一の列車だったからな
今でこそ職質ナンバーワンの不審者だが当時はいい男だったんです。
C62を撮りに客レを乗り継いで青森でこれにのり長万部まで乗ったと思う 愛知や岐阜や大垣から
京都や大阪へ行く人間にとって
ながらのせいで大垣から先が座れなくて
厄介な夜行列車だったわ
ながらを始発に乗って避けても
米原駅で結局追い付かれる時刻設定だからな
やっと伸び伸びとして関西へ行ける
いっそ静岡県内を3セク化して
更に切って欲しい もはや、趣味の領域だよね。乗ることが目的に鳴ってる 平日含め毎日ながらが走ってたとか今となっては信じられん >>175
自分が豊岡発門司行山陰本線経由客レ鈍行831レに乗りに行ったときは大垣行きにそういう名前はなく単に347Mだったと思う。
ただ席確保がめんどうなのは同じでそれがいやで東海道は昼行鈍行を乗り継いだ。それで夢にまで見た福知山線は夜の通過になってしまい、
非電化の福知山線と言う最高の舞台はとうとう拝めなくなった。一生の不覚だな どうせなら大餓鬼夜行とかいう名前でコンセプト電車にしようぜ >>176
それが通称大垣夜行でしょう
そんな通称があることも知らずに乗っていた俺はジジイ >>55
間違って樽見鉄道に乗り換えたという設定なら・・・ >>183
各停の樽見鉄道で終点まで気付かずってのは無理あり過ぎ 大垣夜行もなくなったの残念だが、
網干だか播州赤穂だか上郡発の大垣行が絶滅したのが
寂しいなあ。
113系のバリバリ手回し方向幕で
フロントとリアのみの愛想なく「大垣」表示が漢のロマンを感じてた。 >>143
寝台列車は満席で運行しても新幹線の3分の1の客しか運べず、乗務員は3倍の時間拘束する
JRにとってメリットは全くない サンライズも今の車両が寿命になったら確実に廃止される 大垣夜行よりも0時01分新宿発の上諏訪行夜行の方が思い出深いな
八ヶ岳や南アルプスを登るときの定番電車。堂々と通路で寝るような猛者もいたっけ
混雑期はホームじゃ無くてアルプスの広場に並ぶこともあった
今じゃあ、アルプスの広場の名の由来を知る人も少ないだろうな 大垣駅で降りて、そこから網干行きに乗り換えると、8時半頃にはたしか京都につける 少なくとも本州3社の普通運賃の税抜き本体部分は、国鉄民営化前からほとんど手を付け
られていないはず。その間、並行私鉄の中には運賃値上げしたところもあったため、私鉄
並行区間では特定運賃据え置きのため、私鉄より安くなっているところもあるくらい。
一番利用の多い通勤通学買い物客のサービスを維持しながら、駅ビル展開など不動産など
副業を行い、少子高齢化や働き方改革に対応するための人事、労務管理、自動化の努力が
行われていることを忘れてはならない。
夜行列車を走らせるにしても、昭和のレベルでは客は満足するわけがなく、乗り心地品質
もある程度のレベルは保証しなければならないだろう。そのためには、利用者への費用負
担が求められる。今走っているサンライズの2〜3倍以上の費用負担は覚悟しなければな
らないかもしれない。鈍行だって夜行と名が付けば今のサンライズ以上の料金を請求され
てもおかしくない。夜行の停車駅は、その列車のために真夜中に人が常駐していなければ
ならないのでその経費分はかかる。昔みたいに1時間に夜行が上下合わせて6本以上停車
なんてことはあり得ないわけだから。
それでも夜行列車に乗りますか?
夜行バスがあればそれでよいではありませんか? >>169
廃止間際のときは高崎で車掌が起こして回ってたな。
それ以前では車掌に泣きついて停車駅ではない水上で降りて行った奴も見た。
タクシー代とかホテル代払うなら諦めて富山あたりまで乗ったほうがいいと思ったけど。 大垣夜行からダッシュして九州に着く頃にはヘロヘロだったな。厨房の頃に乗った824レとかも半分以上寝てたな。 91年頃だったかアニメイベント行った東京から大阪への帰路で乗ったわ
座席が銀河鉄道999みたいなL字の硬いシートで大阪に着く頃には背中がバキバキだった
しんどかったけど良い経験したと思う
18切符買って同行してくれたヲタ友に感謝… >>191
>車掌に泣きついて停車駅ではない水上で降りて行った奴も見た。
想像しただけでワロタわw >>142
数年前に歌舞伎町二丁目の有名なオッサンが亡くなった。
オッサンは昔から若いモデルや役者の卵の男の子の面倒を見てきたそうだが
彼の葬儀には誰も来ず寂しいものだった。
そんな葬儀にかつて彼の世話になって今は有名な伊藤英明が焼香にきたそうな。
芸能ニュースで見たちょっといい話し ムーンライトは散々乗ったからもういいや
ノーマルトワイライトにもう一度乗りたい >>190
バスは酔うし時間が安定しない
それにエネルギー的にも無駄だし
人件費的にも鉄道の方がお得
っていうか深夜バス価格が異常なんだと
本来倍以上の価格じゃないと話にならん
どんだけ運転手こき使ってるんだか >>169
西日本の車掌が首都圏民の面倒を見ていたというのが凄い。 >>197
また鉄道信者の妄想か
悔しかったら夜行バスから客を奪ってみろよ雑魚
所詮一般客から見向きもされず、廃止にした癖に😃 >>197
その結果が碓氷峠の旧バイパス事故だもんな >>26
?乗るときはどうやって乗ってたの?
切符?18切符? 何度乗ったかわからないくらい乗ったけど、
予備校の冬期講習の自習室に並ぶために横浜から品川まで乗ってたときがいちばん辛かったな >>201
切符でも定期でもなんでもいけたべ
自動改札通さなきゃ降りるときのことなんか考える必要はない 15年位前にケチ旅で使った。
指定席制になってたけど、
また乗りたいとは思わなかった。
やっぱりレジャーならゆとりがあったほうがいい。 インターネットが民間に普及してない時代に
ヲタが同人誌を買いに行くための
交通手段だったんだよ。
18切符と組み合わせたら費用は最安だよ。 北陸民なんで能登はよく使ったけど
最晩年のボンネット型時代はサロンカーで足を伸ばしてよく寝れました 昔はムーンライトいっぱい走ってたな
ムーンライト九州とか 15の春に新宮夜行→大垣夜行→上諏訪夜行の3連泊したのが俺がこの道に入ったキッカケだった。 >>210
あとスキー列車のシュプール号や着席通勤列車のホームライナーとかな 大垣夜行ね、名古屋だと岡崎行き最終普通列車の数本前に
大垣夜行が発車するので名古屋で飲んだ帰りに何度か
それに乗って帰ったことがあったが、こんな固い座席の
列車で東京まで行くのか、大変やなぁと夜行客を見て感心したわ。 >>190
夜間に列車が止まろうが無人でいいじゃん
日中ですら駅員との関わりなんてないのに >>215
大きな駅は屋根と壁があるから、昔から居座る者が多い
だから、改札には駅員を一人立ち番をさせておかなければならない >>3
煙草と酒と嘔吐物の臭いが漂うスラム化した車内だったからな。それを旅情と言うのは無理がある。 そもそもバスから客奪うなんて無理w
京都や大阪行きならともかく
大垣止まりって何よ?w 結局マニアックな世界だからな
一般人は新幹線や飛行機だし貧乏人は夜行バス
寂しくはあるが時代だね
夜行列車はサンライズくらいか >>1
旅情もクソもねーだろw
夜間に走るんだから、景色は何も見えませんよー( ´,_ゝ`)プッ
18切符が使えない時期は、
こんなの乗らねーよ的な超閑散列車なわけだし。
閑散期に乗るんだったら、その区間は乗車券代がまともにかかるわけなので
行って帰るだけならバスの方が安い。 もうこうなったら
もうじき余りそうな東海の6両編成の転換クロスの313に東の要らなくなった横須賀線217のグリーン車2両くっつけて大垣夜行にすればいい。 >>218
JR区界の米原まで走らせてほしかったが、実は西の快速列車が大垣まで乗り入れてたんだよね JR時代に1季節だけ米原まで延伸した
ただ、東京出発可能な上りホーム(7・8番乗り場)がすこし狭いため、上り列車への乗車待ちが滞留したため支障をきたし、結局その1季節だけとなった 347M、344Mの頃の大垣夜行で
旅情らしさがあったのは、オフシーズンの平日便
下りは小田原から、上りは豊橋あたりから
1人でボックス席を独占してのんびり出来た
165系だったから窓も開けられたし まぁサンライズも来年度で終わる可能性がある
コロナで7〜8割減ってるからながらと同じ理由で終わらせられる
旅情もコロナで様式が変わったというだけ
昭和から続いてきた鉄道での長距離移動は無くなるけど
夜行バスやLCCでの新たな旅情が始まったと受け入れるべき 救済臨によく乗ったわ
大垣到着一時間くらい早かったし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています