【懐パーツ】25年前、PC Watchの歴史はこの緑電子「MDC-926Rs」からはじまった [樽悶★]
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ご存知でない方のほうが多いとは思うし、覚えている方も少ないと思うのだが、PC Watchは25年前の今日、すなわち1996年4月16日に、最初のニュース記事、緑電子の「MDC-926Rs」からスタートした。
当時を知る元PC Watch編集長の話によると、正確には、この日はPC Watchが創刊した日でもプレ創刊した日でもない。そもそもPC WatchはINTERNET Watchの週末増刊号として、メール版だけでスタートしたからだ。
それがWeb版をはじめようということになって、INTERNET Watch向けに用意していた記事をHTMLに手書きで書き直し、それをゴールデンウィーク前の4月29日にまとめてアップした。よって、Web上でこの記事が閲覧できるようになったのは1996年4月29日であり、そのため記事のURLも“960429”となっているのだそうだ。
そんな経緯で、PC Watch最初の記事は緑電子のMDC-926Rsとなっている。個人的にPC Watchの過去の歴史のなかで一番興奮した記事は東芝の「Libretto 20」で、「PC WatchはLibrettoからスタートし、25年が経過した!」と高らかに宣言したかったのだが、残念ながらそれは2日目扱い。URLの日付が“960417”と、緑電子より早くなっているのにもかかわらず……だ。
筆者はPC-9800シリーズのユーザーだったので、雑誌で緑電子の名前はよく聞いていた。SCSIボードやSCSI HDDを買うとしたら、緑電子を選んでいたとは思う。しかし親に買ってもらったPC-9821/V12をゲームで快適に使おうとしたら、まずはビデオカード、それからセカンドキャッシュ、そしてメモリの増設、最後にCPUが必要だったので、当時の貯めた小遣いはすべてそれらに費やしてしまった(ちなみにゲーム性能向上に一番寄与したのは結果的にセカンドキャッシュだった)。
まあ、いくら貯めてもSCSI HDDなんて高嶺の花を買える気がしなかったし、Pentium機にCバスSCSIボードを積むことは考えもしなかったが……。
そんなわけでMDC-926Rsは筆者とは縁が遠い製品になってしまっているが、Cバス末期の製品なだけに、緑電子としてはかなり気合が入っている。Windows 95ではプラグアンドプレイに対応するが、Windows 95以外ではIRQ(割り込み)を使わないNIMモードも搭載。また、バスマスタ転送を改善し、リード速度を5倍、ライト速度を1.3倍高速化し、ODP(オーバードライブプロセッサ)搭載機でも安定した動作を実現したという。
さらに、シリアルポートも備えていて、最大2.5Mbpsで通信可能。高速通信が必要なモデムやターミナルアダプタも接続できるという、一台二役のボードだった。このため、IRQの空きが少なく、Cバススロットもそこそこ埋まっているであろう古めの486搭載PC-98のアップグレードパスとして好評を得たようだ。
さてMDC-926Rs本体だが、SCSIおよびCバスボードとしてかなり後期ということもあり、スッキリしたレイアウトとなっている。なかでも「MIDORI-7」と大きくプリントされた緑電子オリジナルのICがかなり目立つ。しかし、このチップはバスマスタ転送とシリアルポートのコントローラとなっていて、SCSI-2の機能自体はWestern Digitalの「WD33C93BJM」が提供しているようだ。
このほか目立つ実装としては、BIOSなどを保存していると思われるAtmel製フラッシュメモリ「AT29C1024-70JC」、NEC製のフィールドバッファ「μPD42280GU-30」、Texas Instrumentsのクアッドラインドライバ「SN75188」とクアッドラインレシーバ「SN75189A」、8bitバストランシーバ「74LS245」などがある。
この連載で取り上げるSCSIボードとしては、めずらしくターミネータICの実装がないが、おそらくコネクタ付近に実装されている2つの赤い集合抵抗がその役割――すなわちパッシブターミネータ――を担っていると思われる。(劉尭)
Impress Watch 4/16(金) 6:55配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20210416-00000024-impress-sci
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20210416-00000024-impress-000-1-view.jpg リブレットとか手乗りPCでウィンドウズ動いて神機だったよね スカジーは画期的な転送システムだったよな
めっちゃ早いし 外付けフロッピドライブ、MOドライブは緑電子一択でした。 >>1
緑電子というとチカブーンだな
愛しTe quiero
今日たまたま聴いた スキャナのSCSIコネクターがフルピッチ50pinで接続できなかった悲しい思い出 ノート否定派だったが中古屋のガラスケースにリブレット並んでたら欲しくてガン見してた ああ、1週間前ぐらいにあった「初めて使ったPCは何?」スレッドで
当時のHDDのことを思い出してたけど名前までは出てこなかった。緑電子か。 Librettoは時代を先取りしすぎたのよね。Win95時代でタッチパネル装備してるのまであったからね
(Libretto 50Mほほえみくん/明治生命専用モデル) あの頃の日本は勢いがあったね
月刊マイコン、月刊I/O、月刊RAM、月刊ラジオの製作、その他いっぱい >>1
これはニュースですか?
このソース系列の記事いつもあげてるけど雇われか? >>27
うーん、そのあたりはあと10年ぐらいさかのぼらなきゃ 関係ないがaiwa PV-PF24MK2 2400bpsモデムが初めて買ったモデムだった
緑はSCSIのHDD使ってたな >>1
> 緑電子
女性社員がどれも美人揃いなことで業界じゃ有名だった会社だな >>34
というかだいぶパーツ足りてないな
半生品か? SCSIはパリパリ乾いた音で好きだった
ハイカム組んだアメリカンV8みたいな感じで >>12
41歳のオッサンだよ
中学高校の頃の愛読書はDOS/V magazineだったわ
当時本で読んで知った知識は未だに地味に仕事で役立ってる PCIeみたくカードの高さや長さケチれないから仕方ない >>14
ピンクソックス シリーズ
エルフのドラゴンナイト、同級生、下級生 >>46
基盤w
基板でしょ
で、今の何の基板と比べて?
PCIeのSCSIカード? >>48
ん?スマホでも何でも良いよ
何か変なこと言ったかな? SCSIはICMばかりだったな
リブレット20はもちろん買った
俺が某PC店員の頃の話だな >>44
競合のトラブルを起こしまくって
Plug and prayとか言われてたな >>49
むちゃくちゃおかしなこと言ってる
SCSIインターフェースとスマホではやることの量も質も違う
だからパーツの数も全然違って当然
そりゃSCSIインターフェースも詰めれば詰まるんだけど、Cバスインターフェースはサイズ決まってるんだから無理に詰める意味はない ドラナイ4は名作だった。
つか今はIRQとか意識しなくなったよな。 >>53
他のサイズ決まってるものでも良いけど
必要なくても詰めてないものを見たことがなくてね >>1
SCSIなんて高級品だな、まだSASI使ってたな 割と売れてるはずなのに全く名前かあがらない日本テクサ フットワークF1のスポンサーをやっていたな
どうせ日本でしか商売をやっていないのに
無駄金を使ってたもんだ >>55
NTRに目覚めた奴に植え付けられたら種がドラナイ4だと思う
ユノはゲームも面白かったし、ストーリーも良かったけど
エンディングが余りにも冗長すぎた
もっと名作感を削ってくれれば良かったんだが >>57
1996年だと、SASIはほぼ市場には無かったような気がする。 たしか同級生2からハードディスク専用になったから
あれで一気にハードディスクの普及が進んだ >>1
基板のシルク印刷のピン番号が間違ってるなw
MIDORI-7(緑電子のカスタムASIC?)のピン番号54と53が入れ替わってる。 Cバススカジーボードとしては最終形態、最高速の部類だったと思う
ええ、もちろんオジサンも持ってましたよ
>>59
そういやそうだな
俺が工房のころにバイトしてアキバに行って買った、人生初のHDDがそれだ
画像ぐぐったら懐かしすぎた niftyで秋葉MAP作ったり秋葉の情報流してた人が
秋葉Watchの人なんだと思ってたけど もしかしたら、うちの押入れの98にも刺さっているかもしれん。 初めてのPC-98はグラフィックアクセラレータとSCSIインターフェースボードを睨んで
PCIスロットが2つあるのを選んだから結局CバスのSCSIボードは使わずじまいだったな
1996年はわからんが97年だとSC-UPCI辺りがPCIの98ユーザーの間で定番だった記憶 Oh!PCがバイブルでした
AMDで化けると下駄履かせたりして楽しかった >>40
ほぼ同い年で格好つけてそのへんの雑誌も買ってはいたけど、知らん用語だらけであんまりわかってかったから、うらやましいな。
初のPCは親に13マンで買ってもらったテラドライブ。 うちで最初に付けた外付けHDDも緑電子だったな
200MBのやつ
それより前の時代になると数十メガで100万円とかしてた 95年頃に無印9821搭載のscsiに緑電子HDD(120MB)繋いでたわ
標準ドライバーは純正じゃないとNGなんだけど有志が作った
ベンダーIDごまかせるSCSIドライバーがベクターパックに
入ってて使ってた記憶 おいらが初めて買ったパソコンが9801DS2だったと。その時、20Mとか40Mのハードディスク使ってる人が多いなか、緑電子の「横浜100」って言ったけ、100メガのハードディスク買って、それに付属していた「SOS」っていうユーティリティソフトを使った記憶が…。懐かしい。 >>76
周辺機器市場までメルコとIOに荒らされて、PC機器事業を廃業して法人としては不動産管理会社になってると昔聞いた ICMが倒産した時はスポーツ新聞にも記事が出てたな グラフィックのVoodooとか音源のSC-88とかもうちょい後だっけ?PC周りは色々あって良かったよね 緑電子のHDを購入してノートパソコンに取り付けた事ある >>80
voodooは
今値段上がってる
98も この頃、DOS/Vの記事を読んでDOS/Vが主流になり、秋葉原は終わると書いてあったが、本当にそうなったと思う。 Cバスボードに3.5インチドライブ載っけてた内臓型のHDD持ってたな というかわい脅してないで敵脅せばいいのに
脅す対象失敗して草ワロタ
相手もレイパーでワイ脅すのでお前同様住みやすくなってるし
敵に塩送ってて草、いちばちでつっこまないと
何の脅迫なんやろ相手の地位強固にしてるし
ピエロなのかなれーざーとなかまたち 緑電子か、PC98用のSCSI接続の120MBのHDDを49800円で買ったな確か マイトークを買って電話線に繋いで30分かけて炭無しのノーカットエロ画像1枚だけダウンロードした思い出があるおっさんの時代ですよね? ICMは比較的早くに飛んだんだよな
この記事が出た頃じゃね? CバスSCSIボードでHDD認識容量最大のやつ持ってたけど、SCSI-HDD買わなかったから意味なかった 今SCSIなんて使ってる人いるかな
フィルムスキャナとかが残ってるかな AKIBA PC HOTLINE はいつ頃からだ?
そっちを主に見てたが
サハロフと >>95
>ICMは比較的早くに飛んだ
1996年6月4日 約92億円の負債を抱え自己破産
1998年01月06日 経営不振の緑電子が営業権を譲渡
この時代に淘汰されていったんだな わざわざコマンドプロンプトからエロゲ起動とか
煩悩多すぎだろジジイども >>3
ウルトラマンPC、か
ガワ切り落としてハードディスクを無理矢理換装ってはやったな >>104
>切り落としてハードディスクを無理矢理
リブレットの裏切りとか懐かしい 3年前まで職場ではSCSI現役だったよ
テープドライブのバックアップ装置
今やUSB3.0の方が遥かに速いけとな 98かDOS/V選ぶかで、俺の周囲は98選んでる奴が多かった
オメーラ馬鹿だなぁ 時代はすでにDOS/Vだって言ってたのに、NEC信者が多すぎた時代 >>15
なんでSCSIをスカジーと読むのかいまだに分からん 緑電子はMO128MBのやつ ICMはHDD SyQuestリムーバブルも家にある >>5
鈴木亜久里が乗ってた頃のフットワークF1でスポンサードしてた様な >>97
マニアならいると思うけど
会社なら使ってる所がある
9801修理専門店が言ってた >>111
数年前に見学で行った研究所にあった地震の記録装置がPC98だったよ PC watchは十数年前の記事も消さずに残してくれるからありがたい Impress WatchってASCIIの元共同経営者が
設立してたのか
https://www.watch.impress.co.jp/10th/column/070122/index.htm
当時のインプレス設立のリリースには、「前の会社は『ア』から始めた
が、今度は『イ』だ」と書かれていた。「ア」とは、塚本氏が、郡司明郎
氏、西和彦氏とともに立ち上げたアスキーのことを指す。
さらに、リリース文には、「アスキーとは仲良くしたい?」の見出しを
立てて、袂をわけたアスキー・西社長(当時)の「松下・三洋の
のれん分けと同じく見守りたい」とのコメントや、「業界一部にある
全面対決の観測を否定した」と記すなど、とにかく異例のリリースで
あったことだけは覚えている。 >>102
ランチャーソフト使ってたなぁ。ψメニューとか。 >>118
HSB使って専用AUTOEXECとCONFIGでリブートさせてたな >>1
廉売機でもSCSIが標準でついてたのはMacだけか
この時代のIDEはくっそ遅かったなあ >>107
Windows用のソフトなら一部の機種依存の激しいものを除いて大半はPC-98だろうが
AT互換機だろうがどっちのハードでも動いたからな
それならPC-98用のゲームも遊べるPC-98でよくね?と思うユーザーが結構いたんじゃない?
今ならIntel MacにBootCamp入れてWindowsとMac OS両方のソフトウェアを使うようなもんだが、
PC-98の場合はほんの少し前までデファクトスタンダードだっただけにソフト資産が大きかったし >>56
すまん、正論理で言ってくれ
ないないない3連発では頭に入ってこない ついに昭和ジジババしかいなくなったImpress Watch 年金でやってるんだろ ジジババクラブのImpress 俺はその頃厨房で、FMTOWNSでここの外付けモデム使ってた記憶。んで電話代二万位使って没収された。 >>107
まぁ、PC-9801ならDA/RAクラスにHDDと86音源付いていたら、大抵のゲームが遊べたから
あえて、98=>98の買い替えって気は起きなかったな。
むしろ、PC-DOSでしか動かない洋ゲーにも魅力感じていたし。 昨年度1年間やってたケータイwatchの20周年企画はよかった 懐かしいなおいw
9821AS2にHDDつけた時、速すぎて感動したな。
容量100メガぐらいだっけ。 >>127
スカスカな基板を見たことがないってだけだよ このボード使ってた。
PC-9821Ap2に差して高速シリアルポート使うとかなりの確率でハングアップした。
仕方ないから28800のモデムを本体のシリアルポート(19200bps)につないでた(笑) みんなもう忘れてると思うけど窓の杜をやってた
やなせたかし
って奴はどこに消えたの?
すげー嫌われてた記憶があるんだけど PC-9801に繋ぐMOドライブかそれ用のSCSIカードが緑電子だった >>125
別にスカスカがわるいことだって言ってる訳じゃないんだけど何がおかしいのかな? >>141
一度休刊になって増刊として不定期発行になってから昔あったラジオライフみたいなサイズで定期発行になってた覚えがある >>1
メモリー価格の乱高下に巻き込まれて多くの周辺機器メーカーが逝ってしまった頃だね。 上級者
アスキー
DOSV power report
DOSV Magazine
Cマガジンなど
初級者
ログイン
コンプティーク
ベーシックマガジン
日経PCなど
月刊ログインとベーシックマガジンを読んでいた アスキーとかDOSVマガジンは
ただの中学生とかは
読んでも難しすぎてわからないわ
工業系知識皆無だったから
工業高校とかなら少しは読めそうだけど うちにある緑電子といえば、9821aシリーズ用SCSI HDDカゴ
某マイコンショップで、デモ用店頭展示品だった奴を貰ってきた
カードエッジコネクタだけはついてたので、自前でケーブル作ってHDD入れて使ってた 俺が最初に買ったHDDが緑電子の20MBのヤツで20万円だった。
今だったら20TBの買えるんだろうなあ。 昔は欲しい商品が次々に出て来たよなあ。
あれが本当の好景気ってやつなんだな。 >>14
リーフ、アリスソフトあたりかな
鬼畜王ランスとか >>151
ムーアの法則が効いていた時代だからね。
新製品出るたびに旧製品が陳腐化した時代。
最新を追いかけるのも楽しいし、堅実に周回遅れもまた楽しで。
いまじゃ、二世代前のグラボが高値で取引されるわ
CPUの性能は世代変わっても10%程度しか性能向上しないわで
買うだけアホらしい。 緑電子とか懐かしすぎるわ
俺が覚えてる最後の緑電子製品は
マグカップの印刷機みたいのだったけな
つか、緑電子って今なにやってんの? >>146
この時代のアスキー誌はすっかりカタログ誌に成り果ててたぞ インプレスのWEBは
前のページに戻ると
同じ場所に戻らない
クソ設計どうにかしてくれ 緑電子やICMが98用にボッタクリ価格で外付けHDDを出してたけど
DOS/Vの台頭でその商法が通用しなくなったのがこの頃 緑電子のMDC-926Rsを使っていたよ。
このSCSIとシリアルの複合CバスボードはSCSIはPC9800シリーズでは最速クラスで、シリアル端子はPC98本体のシリアルは低速なのでモデム経由でインターネット接続するのに必須だった。
また当時ハードディスクの大容量化が著しく、特に内蔵ハードディスクがIDE500MBがある機種の場合、Windows95ソフトウェアのインストールだけでも容量が足りず、高速で大容量の外付けSCSIハードディスクが必要だった。
複合ボードが当時流行したのは、PC98シリーズの廉価機種では、接続できる拡張ボードの数に制限があったため。
インターネットを最低限使用するにはグラフィックアクセラレータ、音源、SCSI、高速シリアルボードが必要だったが、それを3つのCバス拡張ボードで実現しなければならなかったので、単機能拡張ボードだと1つ足りなくなってしまうのだ。 >>158
当時ICMが倒産して、各種拡張ボードやハードディスクを在庫処分で安く買えたのが良い思い出。 >>151
Windows95の普及が空前のパソコンブームになった当時がPC業界が一番熱かった時代だと思う。
テレホーダイでインターネットに安価で定額接続できるようになり、CG、DTP、DTV、DTMといったそれまでプロでしか扱えなかった物が一般人の手に届く様になったのが、当時のライフスタイルを変えるほどのインパクトがあった。 >>93
Compu-serveの海外通話接続料金を家族に内緒で窓口まで払いに行ったw >>155
当時はインターネットが普及しはじめた頃で、カタログ雑誌の需要が高かった。
沢山のメーカーが似たような製品を沢山出していたけれど、価格、性能開きが大きく、何を選べば良いのかわからない時代だった。
例えば当時急速に普及したCD-RドライブはSCSIボードとの相性が大きく、ドライブ自体もメーカーによって品質に差が大きく、駄目なメーカーを選んでしまうと1枚が1500円ほどしたCD-R書き損じが頻発する有様だった。
特にCD-Rドライブはリコー、ビクターといった、国内有名メーカーが駄目だったので、カタログ雑誌を熟読しないとそれこそ数万円どころではすまない損失を受けかねなかった。 >>137
同時期に発売された廉価版のPC-9821Bpを使っていたけど、こちらは相性が良くノントラブルでした。 >>120
PC98ノートについていた110ピンの拡張バスに接続できるCバス拡張ボックスがあった。
現在に例えれば、サンダーボルト接続のグラフィックアクセラレータ拡張ボックスの様なイメージ。 >>107
PC-98シリーズはリース落ちの中古品が安かったんだよ。
PCAT機と同じスペックで、PC-98シリーズのデスクトップは半値で買えたのが当時の若者にとって大きかった。 >>130
パソコン通信だと通話料金が高額だったよね。 >>87
秋葉原が最後の輝きを見せたのがWindows95が発売された頃。
秋葉原全体がパソコンショップで埋め尽くされた。 >>68
ビデオ編集をやろうとするとPC-9821ではPCIバスが1本足りなくて困ったんだよな。
元から付いているグラフィックアクセラレータボードが外せない機種が殆どだったからね。 >>126
たまにCドライブ決め打ちのインストーラが…… >>148
ガキの頃、初歩のラジオ(初ラ)やラジオの製作(ラ製)を読んでた
DOS/Vマガジンが出たのは成人した後だw >>159
Windows95とその対応ソフトなら500MBあれば普通にインストール出来たよ。
当時まだフロッピーディスクが供給媒体の主流で、大きな容量を使うソフトは少なかった。 >>150
今だと16TBのHDDが4万台前半だな
性能を別にすれば8TBが1万ちょいくらいになってるから20万あれば
トータル容量で100TB以上買える >>159
PC-98シリーズでもPC-9801BX4とかPC-9821のある時期以降のモデルだと
シリアルポートも115.2kbpsに対応したからインターネット接続でモデムやTAを使うのに
ポートがボトルネックになることはなくなったな
実家で33.6kbpsのアナログモデム使ってネットやってたけど、大学で独り暮らし始めたから
ISDN引いてみたら倍くらいにスピードアップしてちょっと感動した記憶があるわw 緑電子もICMももう無いんやな
あの頃はHDDの取り込み詐欺でシノゲるような時代w >>150
HDDがギガの時代に突入した時
なんかの雑誌でそのうちテラとかペタの時代が来たりしてとか
笑い話風の記事を読んだ記憶がある >>175
ただ容量単価の下落は緩やかになってきてる
90年→00年で容量単価1/10000
00年→10年で容量単価1/200
10年→20年で容量単価1/2程度(一時期は上昇していた) >>178
メーカーとしては買収されて消滅
ブランドとしては残ってる
というかいつの間にmicrochipに買収されたのか!?
https://storage.microsemi.com/ja-jp/ >>169
PC-98でマトモなビデオ編集だとグラフィックアクセラレータ、HDDインターフェース、
ビデオキャプチャボードでPCIスロットが3つくらい必要かな?
Xv/WとかRvみたいに拡張性に全振りしててスロットが沢山ないと無理っぽかったね
RvはPCI3スロットにUltraSCSIインターフェースと100BASE-TXのNICがオンボードだから
そういう意味では恵まれてたな >>171
なーにCドライブまでHDDでドライブレター確保しとけば問題はないだろうw
俺自身は運良くそういうインストーラには出会ったことはないなあ なんという昔話だ
おれはFM-8くらいまでしか覚えてないよ NICとスルーボードのコンボカードを買うか悩んで結局買わなかった スゲー懐かしいな。
まさに青春時代、未来の夢が詰まってたわ。 1996年って結構新しいんだな。もっと老舗かと思ってたが。 > Pentium機にCバスSCSIボードを積むことは考えもしなかった……
時々でいいのでPCI持ってないPentium機があった事を思い出してあげてほしいAnユーザー
まだ動態保存機として残してあるよ
HDDは去年壊れたので、RaSCSI(自作ケーブル)でエミュレートしてる >>107
俺大学のUNIXに合わせてIBMのAptiva買ったぜ
キーボードが同じだったから入りやすかった 昔話には事欠かないよ
1994年に初めてHDDが1GBあるMacを職場で買ったとき、デカすぎて使いにくいよと言って500MBのパーティションに切った思い出
昨日写真ファイル探ってて、昔買ったMacのアクセラレータボードの写真が出てきたけど、どの機種で使ったんだったか思い出せないw あのおどろおどろしいコネクタのSCSIがUSB3.0より遅いんだからな
若い人にはなんじゃこりゃだろうな
その昔大容量を誇っていたストレージの数十倍のが手のひらに収まってそこいらのバカでも使ってるってね >>192
PCIスロットのないPentium機というとAn以外にもMATE-BとかCanBe、MATE-XやVALUESTAR辺りでいくつかあったな
その中にはシステムバスはPCIだけどスロットはCバスオンリーなんて機種もあったし
初めて初代MATE-Xを見た時はXnとXaのどっちがハイスペックなのか区別がつかんかった
どっちも同じPentium積んでたし当時はPCIスロットのこととか知らんかったから 96年とかつい最近じゃないかw
おまえら騒ぎすぎww 初めてのボーナスで買ったのがPC-9801NE/E
本体はHDDなしを買って緑電子の40MBのHDDを買った
ソフトウエアランチャーのS.O.Sってのが使いやすく、随分のちまで
使ってた気がする >>107
nanpa2とかキーボードで入れて遊んでみたかったんだろう
>>171
なのでWindowsのウイルスにはPC-98には感染しないものもとか言われてたな >>73
IDがNECって返ってこないとエラーになるのをNECOって返すやつかw >>182
以前はPMC Sierraだった気がして調べたら2016年にMicrosemiに買収されてたのか MDC-926も86ボードみたいに本体に型番書いてないんだよなぁ >>73
ドライバというか55ボードだよな
無印9821を買った猛者がいるのがすごい・・・ >>78
ハードディスク分野には進出してなかったんだよな。ICMもいたしノウハウがメモリとは違うし
アイ・オーとメルコはメモリ屋さんって棲み分けができてた。
https://i.imgur.com/VMhm01R.jpg
ランチャおいときます >>174
PC-98のNb7/5が540MBで95プリインストールだったな
ただCD媒体ソフトウェアは増えてたからCD-ROMは別途購入した
>>195
USB1.1の頃まではSCSI優勢だったのにねえ >>195
当時はシリアルよりもパラレルの方が「通信線多いから速度出せる」と思ってた
高速になるとタイミング合わせるのが困難になるというのが分かってきたのが大体この頃
PCI→PCI-express、ATA→SATAなどがこの流れ、もちろんSCSIも SAS(serial attached SCSI)に変わってる
今じゃパラレルのインタフェースなんか使ってるのはメモリくらいだわ >>209
170MBに入れてた
最小インストールで75MBだったかな >>212
そりゃ1994年製だから
EO Systemは386の仮想EMSドライバに対応してなくて、メーカに連絡して対応版送ってもらった記憶が
9801RAの頃のはなし 今調べたら2004年ごろまでPC-9800動態保存してた。
2002年11月発売のエロゲーもそれでプレイしてたから結構長く使った方だな >>214
1990年代のNECのPCは、大抵電荷コンデンサ不良で電源ユニットやメイン基板が死ぬ
今動態保存している人は、なんらかの修理をしているはず
ぶっちゃけ1980年代の製品の方が長持ちしてるよ >>212
流石に04年まで使ってたからな
2000年以降は起動時に注意が出るから、EOS.EXE /Kで起動させてた
まだ使ってる人はお試しあれ IDE-98だったワイw
内蔵してこそ気持ちいい
スカジーは外付けっていうのが美しくない >>217
SCSIでもHDDとかCD-ROMドライブとかで内蔵タイプはあったぞ
PC-98に増設したアイオーデータのSC-UPCIがUltraWideSCSIの内蔵コネクタ持ってたから、
UltraWideSCSIタイプの内蔵HDDを繋げてブートドライブにしてた 98なんか2000年からつかってない
98ノート故障 今でもMOとかテープとか残ってりゃSCSIじゃないの? >>3
いま手乗りで動くWindows10マシンは無いからね
当時の東芝の凄さがよくわかる 最初HDD10Mとかだった。
毎年ジャンジャン上がってすごいぞって
思ってた。 >>221
GPDとかOneMIXとか
UMPC界隈かつてない賑わいだけど >>107
ウインドウズはNECにもあるし、DOS/V機でないといけない強い理由はないし、
えっちなゲーム、和製ゲームもやりたいのなら98しかない
とかなんとかいってるうちに、ほとんどのソフトウエアがwin上で作られるようになって、98でなければならない理由が限りなく薄くなっていったな テクサのハードディスク使ってたわ。
なかなかよかった記憶。 >>218
もちろん知ってるで
でもIDE接続ドライブの方がスカジーより安かったからね >>227
漢字ROMで調子に乗ってたからな…
まぁマスタ的な情報だからあぁいう持ち方でもよかったんだけどディスクやメモリ容量が潤沢にある世界は中々想像できなかったやね >>227
どうやっても無理
あえて言えば、IBMがPC部門を手放した時に買えれば今のレノボポジションに行けたかも(つまり現状の反対だな)レベル >>229
そこでAEC-7720シリーズ
安価なPATA HDDをUltraSCSI/UltraWideSCSIの内蔵HDDに変換してくれるんで
PC-98使ってた時は地味に重宝した
HDDごとに取り付けなきゃいけないのがちょっと難点だったが >>209
USB接続のCD-Rドライブが大ヒットしたなあ
この時期には外付けHDDとスキャナくらいしか
SCSIの優位性を活かせるハードがなくなってた >>227
最後は値下げ競争になったから、そこで勝つには大量生産、大量販売する必要があって
コンパックとかDELLみたいに世界中に進出するしかなかった
日本といくつかの国だけじゃマーケットが狭すぎた
またはappleみたいに尖ったマシンばかり作り続けるか
シャオミやサムスンみたいに国家ががっつり支援して保護するか >>226
これな。
ハードウェアの差異を意識しない本当の意味での共通OSを作った功績はすごかったんだけどな >>241
OSを作ったのはMSの方
Windowsは色んな機種に移植された
NECもそこに乗っかった そして、>>226がいうように、Windowsが動くんならわざわざ高いPC-98買わなくていいよなーってなってった。
いまなら、Webブラウザが使えればMacOSでもスマホでもいいみたいなもんかねえ 95年頃にICMの100MBのSCSIが10万で売られていて狂気したのを思い出すよ。 94年頃緑電子のびるとn340が60000ぐらいで売っててとびついて買ったな
中身はマクスタだったらしいが2年しないうちに壊れた もうその頃はもうHDDだけ買って、適当な箱に突っ込んで使ってたわ
アキバのMac専門店でSCSIのドライブ買って、高速バスで持って帰った
1.8GBで14万円くらいだったかな。Windows95の発売ちょい前くらいの話。 これほしかったがIODATAのscsi2とrs232cの組み合わせの物を買ったわ。ビデオはIODATA製でドラゴンなんとかwwwwサウンドはWavestarにMidistar/GS着けてた。
EPSONのPC-486GRSuperまた欲しいわ。 >>250
ひょっとしてそれGA-DR2/98かDR4/98じゃね?
Trident社製でドラゴンチップの愛称で呼ばれたTGUI9660が載ったCバス用のカード
Windows95世代のPC-98になるとドラゴンチップの後継のTGUI9680XGiってのが
標準搭載のチップとして広く載るようになったけど、性能はあまり高くなかったから
某掲示板ではトロイデントとかボロイデントとか散々に言われてたw >>208
懐かしいな。まさにそのランチャを使っていた。 >>251
鋭いね、正解ですというか色々思い出した。
実際の型番はGA-DRV4/98だった。セカンドバス仕様になっていたのでなにか増設する目的で買った記憶。
性能に関しては映ればいいか位にしか思ってなかった。Cバスはカノープスのが速かったみたいですね。WindowsとFreeBSD(98)とデュアルブートしてました。 >>253
GA-DRV4/98だとTGUI9680XGiの方か
俺が買ったXa10と同じアクセラレータチップだな
PC-98は複数OSでのマルチブートが簡単にできたのはよかったね
俺もNT4.0プリインストールのRa20買ってHDDを4つのパーティションに区切って
DOS6.2/Windows3.1/95/NT4.0のマルチブートにして使ってた レガシー系のPC98じゃあWindows95は動かない。
動くのはPC9821シリーズで、i486搭載機からじゃなかったか。
SCSIの前にSASIというのがあったと思ったが。
PC9801UV2という当時のゲーミングPC(3.5''2HD 2基搭載/RAM384KB/VRAM/SB(
FM3ch/SSG3ch)搭載)の登場時、3.5''2HDが1枚1500円だった。 >>257
PC-9801シリーズでもパワーアップしてやればWindows95を動かせるものはあったはず
どの辺りまで実用レベルで動かせたかとなると微妙だけど BX2とかメモリ16MB超えられる機種なら95もそこそこ使えたはず Pentium積んでたの普通にあるから余裕でしょ。 >>192
動態保存ってことは四級塩電解コンデンサは交換したんだ
貴重なものよね >>260
PC-9801でPentium積んだモデルはないよ
BX4でPentiumODPを標準で積んだのはあったけどあれは純粋なPentiumとは呼べんしなあ 会社入ったときは30メガバイトハードディスクを
15人位で使ってて
2週間経ったファイルはモンド無用で削除 >>261
とりあえず電源が出力されてなかったので、電源ユニットの手が届く範囲の奴は交換した
SCSI HDDが死んだのでラズパイでエミュレートしてたり、
CD-ROMが死んだので、DOS/V機で使ってたのに入れ替えたり(DOS用ドライバはパッチ当てて誤魔化した)
いろいろあるけど、PC-FXGAの為には仕方ないw HDDが欲しいのに抱き合わせでスカジーボードもで買わされて糞うざかったな 兄貴にストレージつなぐとしたらUSBとSCSIどっちがいいか
教えたのを懐かしく思い出す
あの頃は一長一短だったので、USB全押しには出来なかったけど
将来性はUSBだから悩むけどUSBにしとけと教えた記憶ががが
今となってはSCSI何ソレおいしいの状態になっとるけどw >>104
ウルトラマンPCはIBMのPC110だろ >>269
PC-FXGAってISA版もあったんだよな。
まだPC-98が主流だった頃に日電が国内でDOS/V用パーツ出すとは珍しいと思ったよ。
最もこれは今は亡き日電HEの製品だったからな。 >>215
20年ほど電源を入れていないPC-9821Bpがどこかにあるはずだけど、電源入れる前にコンデンサーが液漏れしていないかチェックする必要がありそうだな。 >>232
93年の初期のソフマップワールド(店頭で配布していた無料広告誌。後に書店で販売された。)で、486ボードを搭載したPC-9801VXと486機を比較する特集を見た記憶がある。
ネタではなく、PC-9801VXを魔改造してWindows3.1マシンとして使うという真剣な企画だった(笑)。 >>192
PC-9821An高かったな。
93年に486機に興味を持って価格を調べたらなんと60万円!
憧れても手が届かない当時ハイエンドのPentium機でした。 >>275
重箱だけど1993年はまだAnは発売されてないはず
最初のPentium機のAfは定価120万くらいしてびっくりした記憶があるけど、
AnはAfより更に高速なCPU積んでたから憧れたなあ
486DX2/66MHz辺りがゴロゴロしてた時期に90MHzのPentiumとか雲の上すぎw 懐かしい。これにzipドライブ繋げてたわ。
再インストールのときにIRQ関係でよくトラブった。 >>258
起動に2分とかメモリ増設14.6MB止まりで
スワップしまくりでも一応動くちゃ動くよな >>278
最後の方はPC-9801でも16MB以上のメモリを積めるのがあったから、
そういう機種ならそれなりに動かせたかも
PC-9801BA3/BX3以降は確か64MBまで積めた気がする >>3
486DXの100MHzに換装して、携帯繋いで外出先からメールしたり、
かなり活用した
その後はiPAQとPHSで2chやったりと、モバイラーだったわ >>238
USB2.0が出る迄は1394やSCSIが多かったイメージ >>283
嫁とのハメ撮りMini-DVの吸出しに重宝したわ>>1394
ググったら、今のWindows10 PCだとハードル高いらしいね。 >>285
データが保存されてるから廃棄出来なくて
レガシー機器からデータを吸い出す会社がある。
SCSIやmo 、磁気テープ式リムーバブルディスクが山ほど置いてあった。 >>272
PC側にゲームのセーブが出来るとかを売り
にしてたけど・・・肝心のゲームが(ry >>283
FireWireの外付けHDDも結構出てたんだけど
UBS2.0が普及しだしたら消えていった
実行速度はFireWireの方が速かったんだけど
USBのカタログスペックに負けてしまった そういえばDVポート(iLink)は滅びたんだろうか? >>290
IEEE1394とiLinkとDVポートとFireWireはみんな同じ物だよ
スペック競争じゃなくて金儲けに走りすぎて、機器に搭載するのにいちいち金がかかる仕組みにしちゃったから滅んだ USBはUSBで規格乱立してひどい事になってるけどな V200を買って優越感に浸ってた俺
昨日50歳になった >>292
Type-Cに統一される気配はないしねw >>241
NECはエプソンチェック仕掛けてハードの差異を意識させてたじゃんwww >>272
1980円で投げ売りしてたときに買えばよかったと惜しむ逸品
セガのゲーム機用コントローラが繋がるやつとかも同時期だったか >>276
PC-9821Afだったっけ?
Pentium60Mhzだったのはなんとなく覚えているけど。
当時はPentiumどころか486搭載機が憧れだったな。
ポプコムの連載で三遊亭圓丈が大金で486マシンを買った話を読んで、私も札束持ってソフマップに最新型のパソコンを買いに行きたいと憧れたのを思い出した。 >>272
PC-FXGAのPC-9821用は今はドンキのT-ZONE秋葉原本店で500円まで値下がりして投げ売りされていたよ。
DOS/V版の方は秋葉原のドスパラで最期の1個を買ったのが私。
確か12000円位で安くはなかったと思う。
ISAの方は数が出回っていなかった記憶がある。 >>291
一個あたり100円位のライセンス料だったっけ?
USB2.0以降はIEEE1394の速度的な優位性が無くなってしまったから、淘汰されたのは仕方が無い。
USB2.0が登場してしばらくしてビデオカメラもハイビジョン化してメディアがテープからSDカードに変わり、より高速な転送方法が求められたのもIEEE1394衰退の原因だと思う。 >>299
いかにもパチモノ臭いブランド名だったけど、CD-Rドライブとの相性や性能は良かったみたいだね。 >>300
そうそれ
初代MATEが発売された時はAfどころかApのi486DX2/66MHzが雲の上の存在だったわ
ただCPUはいいのにメモリは14.6MBの壁を超えられなかったけどw >>293
V200は名機ですよ。いいじゃないですか。
確かハードウェアでDVD再生にも対応していたような覚えがあります。
私はXa16/R16を今世紀初頭まで使いPC-9821シリーズを卒業しました。
チップセットがワイルドキャットでグラフィックアクセラレータの性能が活かせない方です。 昔のPCショップのHDDコーナーでは振動を与えないで下さいって張り紙があったな。 AMD のAm486の133MHz(144MHz)使おう。 >>306
そういや昔は電源切る前にSTOPを押下してHDDのヘッドを退避させていたな
いつからやらなくなったのか記憶にない MDC-926Rsまだ持ってるわ
もうぶっ刺す98持ってないけど >>310
シッピングだよね
インターフェースは関係ないんじゃない? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています