0001砂漠のマスカレード ★
2021/05/14(金) 15:48:54.64ID:HmB+5wLj9都内のJR駅に「〇〇丘/台」は無い
自由が丘、百合ヶ丘、聖蹟桜ヶ丘などの「○○丘」駅、ときわ台、八千代台などの「○○台」駅は、関東の大手私鉄に数多く存在します。高台に立地し明るい住宅地が広がっていることが連想され、関連会社として不動産部門も持つ私鉄各社による沿線のイメージアップ戦術ともいえるものです。旧国鉄を継承したJRと比較すると明らかで、都内を例にとれば「○○丘」や「○○台」と名付けられたJRの駅はひとつもありません。
私鉄各社どうしでも特徴が見られます。「丘」が付く駅名は東急電鉄、小田急電鉄、京王電鉄に多いのに対し、東武鉄道にはひとつもありません。京成電鉄も、京成本線のユーカリが丘駅(千葉県佐倉市)だけです。同駅は、開発業者の山万が名付けたニュータウンの名称に合わせ1982(昭和57)年に開業し、京成が主導して命名したわけではありません。
一方、東武と京成には「○○台」駅が多数存在します。東急、小田急、京王にも「○○台」駅はあるものの、【「丘」の多い東急・小田急・京王 vs 「台」推しの東武・京成】という図式ができあがっているのが分かります。なぜこういう特徴ができたのでしょうか。まずは「○○丘」駅の歴史を振り返ってみましょう。
東京周辺で最初に「○○丘」駅を誕生させたのは1929(昭和4)年、東京横浜電鉄(現・東急東横線)が九品仏(くほんぶつ)駅を自由ヶ丘(現・自由が丘、東京都目黒区)駅に改称した時です。九品仏浄真寺への距離がさらに近い地に、目黒蒲田電鉄(現・東急大井町線)の駅(現・九品仏駅、東京都世田谷区)が開業するため、旧・九品仏駅は付近に創立される私立の自由ヶ丘学園(現・自由ヶ丘学園高等学校)にちなんで、自由ヶ丘へと改称しました。
自由が丘、関西の雲雀丘・千里丘との大きな違いは?
自由が丘駅は「丘」ならぬ九品仏川の「谷底」に立地しています。東横線ホームの南端を緑道が横切っていますが、この緑道が旧九品仏川です。谷底の駅に臆面もなく「丘」と名付けた形です。
ただし駅周辺には丘が続いていて、駅利用者の多くは丘の住人です。そのため駅名に丘が付いていても、意外と違和感を抱きません。この命名法は東急(前身)の大発明といえ、その後同社の例では1933(昭和8)年に中丸山駅を緑ヶ丘(現・緑が丘、東京都目黒区)駅に改称したことなどが挙げられます。
他社では1934(昭和9)年開業の小田急線梅ヶ丘駅(東京都世田谷区)のほか、京王電気軌道(現・京王電鉄)が1937(昭和12)年に関戸駅を聖蹟桜ヶ丘(東京都多摩市)駅に改称するなど、各地で「○○丘」駅が生まれていきます。上記の駅は皆、付近に丘があるものの、駅自体は谷に立地しています。
東急の発明といえる証左として、関西の例を見ておきます。自由ヶ丘駅誕生以前の1916(大正5)年、箕面有馬電気軌道(現・阪急宝塚本線)に雲雀丘(兵庫県宝塚市、1961年に現・雲雀丘花屋敷駅に統合)が開業しています。ところがその後は「○○丘」駅はなかなか生まれず、1938(昭和13)年開業の信貴生駒電鉄(現・京阪交野線)星ヶ丘駅(大阪府枚方市)、同年開業の東海道線千里丘(同・摂津市)などの登場を待つことになります。そして何よりも雲雀丘駅は、「丘の上」に立地する点が自由ヶ丘駅と異なるのです。
東京私鉄の「世代」で見比べると…
また、東京の各私鉄会社誕生にまつわる「世代」的特徴も関係しています。以下、簡単に整理します。
・第一世代(SL世代)
東武、西武:明治30年前後の開業(前身会社含む・以下同)
・第二世代(街道沿いの軌道世代、当初から電車世代)
京急、京成、京王:明治30年代後半から大正初期開業
・第三世代(郊外電車の世代)
東急、小田急:大正後期から昭和初期開業
https://news.livedoor.com/article/detail/20190767/
2021年5月14日 14時5分
乗りものニュース