大正時代に製造され「現役最古の車両」として活躍し、昨年引退した高松琴平電鉄(ことでん)の「20形23号」が危機に陥っている。廃車になる予定を回避して、何とかお遍路さんの休憩所として再スタートを切ったところまでは良かったが、天井のひどい雨漏りが判明。車体維持が難しくなっているという。車体を覆う木造の屋根を作ろうと、管理するNPO法人が資金を集めるため、400万円のクラウドファンディング(CF)に乗り出したが、これまでのところ、目標額達成は微妙なラインだという。

大正から令和まで

20形23号は大正14年製造。大阪鉄道(現近鉄南大阪線)でデビューし、昭和36年にことでんが譲り受けた。大正から、昭和、平成そして令和と時代の移り変わりを見守ってきた車両だ。昨年、惜しまれつつ引退し、お遍路さんの休憩所に姿を変えた。

外観は往年の塗装色であるファンタンゴレッドとオパールホワイトのツートンカラーのままで、木造の内装が郷愁を誘う。引退後も、扇風機や車内放送用マイクは使用できる状態だ。

運転席に座りハンドルも動かせる。駅のスタンプも保管されており、鉄道ファンにはたまらない空間にもなっている。

休憩所として使っているため、テーブルや映像機器などは設置したが、車体本体には、くぎ1本も打たず、できるだけ往年の雄姿を残そうと努めている。

休憩所近くに住む元会社員、西村厚二さん(60)は「幼いころからずっと乗っていた車両。高松の中心街に親に連れられ遊びに行った思い出がよみがえります。なつかしくて涙が出そう。残そうとしてくれた人がいて感謝しかない」と話していた。

私財投じて設置

四国には、四国八十八カ所をめぐるために、過酷な旅を続けるお遍路さんに、お菓子やお茶をふるまう「お接待」と呼ばれる文化がある。

休憩所は「お遍路接待」を行うNPO法人「88(エイティエイト)」が運営。20形23号は当初廃車になる予定だったが、代表の笹尾正福(まさとみ)さん(66)が熱望し、私財も投じて輸送費などを捻出し、移送してきた。

設置されているのは、高松市牟礼町大町。四国霊場第85番札所の八栗寺(やくりじ)(高松市牟礼(むれ)町)から第86番札所、志度(しど)寺(じ)(さぬき市志度)に向かう6〜7キロの道中にあたる。

歩き疲れたお遍路さんが20形23号の座席に座って、ほっと一息つく。徒歩で遍路を続けていた静岡市の元小学校教員、諏訪正則さん(56)は、歩き始めから45日目にこの休憩所に立ち寄ったという。

諏訪さんは「休ませてもらい、心に余裕が出た。すれ違う小学生のあいさつ、心温まる接待、四国遍路は文化や心の持ちようの面でも地域に根差した大切な宝だと実感した」と話していた。

亡き妻への思い

私財を投じボランティアを続ける笹尾さんの原動力になっているのは、お遍路さんへの強い思いだ。笹尾さん自身も以前、仕事の合間を探しては妻と四国遍路を続けていたという。

9年前、第58番札所、仙遊寺(せんゆうじ)(愛媛県今治市)で「病気があれば早く見つかる」という言い伝えがある井戸水を飲んだ。

わずか1週間後、妻にステージ1のがんが見つかった。「早期発見だ」といわれた。残念ながら、リンパや肺に転移して病状が悪化し6年前に他界したが「お遍路が何かを与えてくれた」という思いも残ったという。

妻との時間を振り返り、笹尾さんは「夫婦で回っていたとき、よくしてもらった。これからは私がお遍路さんをお接待したい」と話す。

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6/6(日) 11:00
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産経新聞
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