【羽目をはずす】「えこひいき」の「えこ」って何? 知らずに使ってる謎の日本語… [BFU★]
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「羽目をはずす」の「羽目」、「こけにする」の「こけ」……その言葉、意味を知らずに使っていませんか? とっておきの漢字うんちくを、現在2021年7月号が発売中の朝日新聞出版『みんなの漢字』から15個紹介します。※監修・久保裕之(立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所)
* * *
Q 最も多くの漢字に使われている部首は何?
A 艸(そう)
漢字はいくつあるのか、その正確な数はわかっていませんが、日本で最も多くの漢字を収録している漢和辞典は『大漢和辞典』(大修館書店)で、約5万字にのぼります。その中では、「くさかんむり」などの艸部の漢字が最も多く、2200字弱です。2番目が「さんずい」などの水部で約1800字、3番目が「きへん」などの木部で約1600字です。ちなみに、最も少ないのは艮部で6字です。
Q 値引きを「勉強」というのはなぜ?
A 無理して努力するという本来の意味に基づく
「勉」は「つとめる」、「強」は「しいる」という意味なので、「勉強」はもともと「嫌でも無理して努力する」という意味です。値引きは、商人が嫌々ながら無理して行うことなので、本来の意味に基づいて「勉強」といいます。明治以降に学習の場で用いられるようになり、勉学の意味で「勉強」といわれるようになりました。
Q 「一目置く」の「一目」って何?
A 囲碁の一手
囲碁で、一つの碁石や碁盤上の一つの目を「一目」といいます。対局で実力に差がある場合、弱いほうが先に一目ないし数目を置くことができます。いわゆるハンディキャップです。そこから、相手の実力を認めて敬意を払うことを「一目置く」というようになりました。ほかにも、序盤の石の置き方を表す「布石」や、のちに自分が有利になることを見込んでわざと石を取らせる「捨て石」など、囲碁が由来の言葉はたくさんあります。
Q 和菓子の「ういろう」はなぜ「外郎」と書くの?
A 「外郎薬」という薬と色や形が似ていたから
中国の元の時代に、薬の調達を担当する「礼部員外郎」という官職がありました。その職にあった陳宗敬という人物が日本に帰化し、つくり方を伝えた薬を「外郎薬」といいました。「外」には「うい」という読みもあるのです。和菓子の「ういろう」は、色や形がその薬と似ていることからその名がついたといわれています。また、外郎薬の口直しにその和菓子を食べたことが由来とする説もあります。
Q 「一生懸命」と「一所懸命」は同じ?
A 「一所懸命」が「一生懸命」に変化
「一所懸命」は、中世の武家社会で生まれた言葉です。武士が、生活の糧とした、1カ所の領地を命懸けで守ることを表し、物事に命懸けで取り組むという意味になりました。江戸時代になると、命懸けで領地を守る機会がなくなったこともあってか、「いっしょ」が「いっしょう」と誤用されるようになり、「一生懸命」が定着したといわれています。
つづきはソースにて 生まれ変わりがあるかどうか定かではありませんが
生まれ変わっても前の記憶は無いのですから
今の人生って死んだら抹消と同等ですよね
人間はほんと精疲力尽だと思います
生きるには他の生物の殺生が必要で
なんと糞尿の量は一生分で25mプール約1杯分となります
そのうえで生きてきたことを生かされてることを肝に銘じてください
ですから生きれるなら精一杯生きたほうが理にかなってます
人間は脳が発達しすぎた成果で妄想が悪化して
偶像の神や超越的な超能力を漫画や映画などで誇張して
できもしないことを錯覚するようになりました
言葉や文字があるかないかのような紀元前の大むかしから十戒で禁戒されていたのに
手塚治虫作品や少年誌のようなアフォルズムがある漫画なら許せますが
妄想を撒き散らすだけの作品や性行為を脚色するような漫画は許せません
犠牲者として誇大妄想な厨二病がいい例です
技術を応用して空間になにかをうみだすのであれば可能ですが
物理学概論的に個人が無の状態から魔法なんて絶対にありえません
よくて肥大脳によるテレパシーや透視くらいでしょう
蛇足ですが人間は肥大した脳の影響で死亡の際は脳が死滅するまで
稀に透視能力θ(幽体離脱)を覚醒することがあります
いわゆる発信機や受信機みたいなかたちで霊は(発信機として)存在はしています
科学的に証明できるかもしれませんが先の話になるでしょう
おどろおどろしいものではなくある意味メモリーみたいなもので
色付けするのはあなた自身ですから怖がる必要はありません いい子 ひいき
↓
ええ子 ひいき
↓
え子 ひいき 職場の環境に優しい奴を優遇するってことだよ
出世したいなら周りをおだてなさい 例えば「毘沙門天」。何のことを言っているのか、さっぱりわけわかめ。 犬の古語がえのらしい。いぬころはえのころと。
エノコログサって草もあるわな。
過疎地ではまだ昭和か大正まで残ってたそうだ。
もう死んだ親父が、どっかの山奥の炭焼のおっさんが盛んに
「えの」って言ってたらしい。「えのが吠えようけん」みたいに。
意味がわかんなくて聞いたらしい。戦前の話。
途中でねこと混同したのだきっと。かなり無理があるが。 >>1
ちなみに、一目置くとは言うけれど、置き石は2個からしか無い。 高速をパワーモード全開で走り、燃費はリッター13キロくらいだけど、
ガソリン車に比べて税金が安いハイブリッド車はえこひいきだと思う。
この場合エコロジーのエコ。 ハメて嵌められた
マンコから抜けてしまう
羽目を外す >>1
ダイデンジンの胸に聞いてみな
川´・ω・) だらしがないといわれた生徒が先生に、
先生はどうなんだよと突っかかったら
私はだらしがあるんです!とキレられた
神奈川県のとある公立中学校 日本語からここまで漢語が衰退して曖昧な言語になっていってると
白川静のありがたさが身に染みる エコひいきなんだから環境のためだろ
だからしょうがない 身勝手な贔屓のことだよ
本来はエゴ贔屓と言ったが、静音化した 依怙贔屓の依怙は私利、自分だけのものの意味らしい。 >>1
「こけ」は「虚仮」で「アホ」のことじゃなかったか 俺は在日っぽい名字なので小学生〜高校まで、異常にえこひいきされていた >>23
イタリア人には、山のトイレに聞こえるらしい >>53
元記事の解説だと依存らしいよ
依存すべき相手だけを贔屓するってことかな 個人的に「負けず嫌い」が昔から謎
「負け嫌い」で良いはずで、「ず」とは何か? 由来は何で意味は何? 良い子が優遇されるのは正当な扱いで
エコ贔屓ではないだろ
ってか依怙贔屓で変換されるやん
「依怙」は不公平という意味。本来は頼るという意味の言葉。
「贔屓」は特に目をかけるという意味 「鰥」
鰥は妻を亡くした夫のこと
右は眼👁と涙😭
左の魚🐟は女を表す お菓子の外郎も陳宗敬さんの子孫が作ったって最近ネットニュースで見たけど >>32
1個だけ変なとこに置かされて後手にされちゃ不利だもんね 302考える名無しさん2020/12/15(火) 08:30:46.550
依怙贔屓(えこひいき)の「依(𛀁/ye)怙」は、「依りたのむこと。また、
頼りとするもの」(岩波古語辞典)を意味する。
他方、「失怙」という中国語の表現は、「父に死なれること」を意味するとされる。
すると、日本語の古語において「同母の子のうち年少者から見た同性の年長者」を
指すように用いられたとされ(岩波古語辞典)、「兄/姉」の漢字が当てられた
古語の「𛀁/ye」という表現は、「依りたのむこと、または頼りとすることの
できる身寄り」を想起させたものと推測することができる。
同様に「柄(𛀁/ye)」も、「(手もたれとして)『頼/た(手)のみ』に、もしくは
『頼りに/た(手)よ(依/yo)りに』」する「とって(≒"handle/support")」を
表現しており、「枝(𛀁/ye)」という表現も、歌語として使われ、平安時代
以降は「梅が枝(𛀁/ye)」や「花の枝(𛀁/ye)」などの複合語の中に残った
とされる(岩波古語辞典)ことから、やはり、「依(よ/yo)りかかるものを
支える作用をするもの(≒"support")」を想起させる表現として用いられた
のだろうと考えられる。
ちなみに、椅子(いす)の「い」も、本来、や行の「yi」と理解されるべきもの
であり、「倚(い/yi)子(す)」という表記によって、それが、人が預ける体重を
支える道具としてイメージされたことが分かる。 >>1
自然環境保全のために気に入った人に目を掛けて助けることだよ
KYを排除して職場の空気をよくし、ツーカーで心が通じるように風通しをよくして、職場を平和にする
絆の力がえこひいき 303考える名無しさん2020/12/15(火) 09:29:56.950
このように見ると、日本語は、中国語の表現を流用して、それを体系化する
ことなしには、日本語として形成されなかっただろうと考えられる。
しかし、では、日本語は、中国語から枝(𛀁だ/yeda)分かれした中国語と
同系統の言語なのかといえば、そうではない。中国語の表現を大々的に
流用するピジン言語としての「原日本語」が、中国語の用法を規範として
いて、それに依拠していたなら、現代の日本語につながる言語が形成される
ことはなく、時とともに中国語に吸収されることになり、中国語の方言と
なっていただろう。
日本語の表現は、その根幹においてさえ、中国語の表現に「由来する」もの
と考えられるものの、それを、中国語の規範を模倣することによって生じた
「派生」と見なすことはできない。というのも、ピジン言語としての
「原日本語」は、中国語から類推によって形成した表現を、中国語として
は通用しないことを承知のうえで、次々に派生させて生成することにより、
「中国語としての規範」を参照しない、独自の自律的な発音の用法を体系的に
確立しているからだ。 <羽目を外す>
江戸時代の家の外壁は板張りで、
木目が鳥の羽や目のように見えることから
その板のことを羽目板と呼んでいた。
しかし、左官の技術が発達し、
武家などでは徐々に板を剥がして塗り壁に変える家が増えてきた。
ただ、庶民の間では一般的ではなく、
庶民が家の壁を左官壁に変えることは身の丈に合わない非常識なこととされていた。
「羽目を外す」とは、羽目板を外し、左官壁にすることから転じ、今までの自分から別の自分に変える、調子に乗って非常識なことをする、という意味で使われるようになった。
これ、俺が今考えた豆な そんな阿漕な〜の「阿漕」は本当に三重県にある地名
伊勢国阿濃郡(三重県津市)の東方一帯の海岸。阿漕ケ浦。
伊勢の神宮に供える魚をとるための禁漁地であったが、ある漁夫がたびたび密漁を行なって
捕えられたという伝説がある。 582考える名無しさん2020/06/10(水) 15:51:02.080>>630
えこ(eco)ひいき
「依怙」とは自らが頼みとするもののこと
https://cjjc.weblio.jp/content/依靠
依靠
ピンインyīkào
動詞 (人・事物や自分の努力を)頼る,頼みにする,
よりどころとする.≒依凭,依托1,倚靠.
583考える名無しさん2020/06/10(水) 16:02:18.210
「えこ(eco)ひいき」は、自らが生存するために必要とする原理であって、
それ自体、善でも悪でもない。
自分の住んでいる家をシロアリに食い荒らされたら、生活が成り立たなくなって
しまうから、シロアリが家の土台に見つかったら、ただちに撲滅する
必要があるが、森に住むシロアリを「害虫」として絶滅に追いやったなら、
倒木などの分解が進まずに森の木々の再生が進まなくなってしまうだろう。
畑から効率よく作物を収穫するためには、「雑草」や「害虫」を排除する
必要があるが、その排除を全面化すれば、作物を作らない土地も、「雑草」
すら生えない荒れ地と化して、砂漠化してしまうだろう。
584考える名無しさん2020/06/10(水) 16:04:00.350
自らに都合のいい「えこ(eco)ひいき」ではない、全体的な最適解があると思うのは幻想である。
587考える名無しさん2020/06/11(木) 07:17:41.360
ecology: 生態學、環境依靠了解、我們依靠對生態的了解、生存下去 >>89
「みざる きかざる いわざる」
ってなのを思い出した。 いい加減に
確信犯
の使い方をはっきりさせて欲しい グレタさんに聞いてみなよ
世界基準の答えをくれるよ >>5
そもそもエコロジーってどういう意味?
そこが問題
正しくつかわれているか? >>104
なんてでもロジーつければ、〜学、〜論 みたいになるんやで >>70
ニッチ・・・すき間
サッチモ・・・ルイ・アームストロング 本腰を入れる
抜き差しならぬ
お前らには関係ないな >>111
つまり隙間に挟まってニカッとしてるルイ・アームストロングってこと えこひいきの「エコ」はエコノミーのことで金持ち優先主義のことだろ 値切りを「勉強」は関西しか使わないのでは
初めて聞いた時は「君は勉強不足だ」「もう少し勉強しろよ」の意味かと思って麺食らった 重複をじゅうふく読みするやつはバカに見える
相殺もそうさつ読み増えたしな 日本語はこんなのばっかだからな。
英語もあるにはあるがhit the right noteくらいしか知らん。 >>115
だあな
ぶっちゃけエコ一つとってもエコロジーとエコノミー双方で略とされてるし >>100
中国から入った言葉で本来は頼る意味だったが、不公平に変わったらしいな。 >>1
>Q 和菓子の「ういろう」はなぜ「外郎」と書くの?
>A 「外郎薬」という薬と色や形が似ていたから
いやこれは違うだろ。
菓子の外郎ができた時代の外郎薬って外郎丸という黒い丸薬だぞ。 えこひいきのえこってエコロジーなんですよね。意外にこれ知られてないですけど 羽目を外すのハメ→ハメ撮りのハメ
エコ贔屓のエコ→エコロジーのエコ Q 「私立探偵」はいるけど「公立探偵」はいないの?
A かつて警察官のことを探偵とよんでいた
へえ >>133
頼るためには相応の見返りを提供しなければ >>129
確か和漢三才図会でも、色が似てるとはしてたが形が似てるとはしてなかったよな >和菓子の「ういろう」はなぜ「外郎」と書くの?
名古屋だけど、見たことさえないよw >>1
「依怙贔屓」は「依怙」もだけど「贔屓」も意味不明だな、
と思ってぐぐったら「贔屓」は「中国の伝説の動物で亀のようなもの」「建築の土台に贔屓の像が使われた」
そうだが、それがなぜ「ひいき」の意味に転化したのかさっぱりわからん
「贔屓の引き倒し」は、土台の「贔屓」をひっぱりすぎて建築が崩壊することだそうだが >>145
名古屋名物はパクったから当然
正しくは岐阜 えこひいき
といれわると
えのきだけ を連想するわ >>147自己レス
さらにぐぐったら「ひいき」はもともと「パトロン、タニマチ」の意味
建築の土台の「贔屓」像のように、「自分を支えてくれる存在=パトロン」の意味になったのかな、
と自己解決した 艸お習字ソイチと縦横立ての?
ルールありそうなんだけどまだわからん
知ってる人おらん? 俺も羽目板の方かと思ってた(´・ω・`)
お馬さんのハミなのね >>160
貝を三つももらえるなんてウラヤマ。
中学時代、女子に「貝くれ!」と言ってひっぱたかれた奴がいたなw 貴乃花を真っ向からディスりやがって
相撲の語源はヘブライ語シュモーだから エコロジーの為と言えばどちらがいいか検証もされずレジ袋有料化が押し通る。エコひいき 「羽目をはずす」は「(馬の)はみをはずす」か
「はみ=くつわ」だから、語源は「食み」だろうな >>169
貝だらけw
贔屓の屓も古くは「尸(しかばねたれ)に贔」だったらしい。
貝はまんPじゃなく通貨を表しているとも。 人に有益な有機物を生成する場合には「発酵」と呼ばれ、有益でない、
または有害な有機物を生成する場合には「腐敗」と呼ばれる。
これこそが依怙贔屓の本質であり、エコロジーの基本だ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/発酵
>微生物が発酵食品など人間に有益な有機物を生成する過程全般を指し、
>有益でないものを生成する過程である腐敗とは区別される。 Wikipedia見ればわかる程度の内容で広告収入得たり金取ったり個人情報をマネタイズしたりする時代か >>160
東寺にいる贔屓は貝というより亀っぽいぞ。 「えこひいき」とは「えてこーひいき」の略な。これマメな。 >>183
>贔屓は龍が生んだ9頭の神獣・竜生九子の一つで、その姿は亀に似ている。
ネットの説明に。
贔屓という神獣。 縁故採用の縁故(えんこ)が短縮されての「えこ」だろ普通に考えたら。 依怙の依は依頼の依、怙は頼むこと。
贔屓は優遇すること。
依頼を優遇することから不公平を意味することになったんだろな。 えこ?考えたこともなかったな。ひいきがこだまするのかって
思ってしまった。w 外郎(ぐゎいらう→ういろう)
鮭汁(くゑいじふ(ぷ)→ケチャップ)
越後(ゑちご)
越南(ヴぇtナム) 山は何故やま?ぐらいのもの
いつの間に生まれてきたんだ >>200
羽目がないな。
ハメハメしすぎて羽目を外すになったんかな? >>23
ビシュヌ神(インドの神様)。帝釈天とか梵天とか天のつく神様はインド由来とか。 あ、やっぱりこれもそうだった
不思議な日本語の調べると大体ヘブライ語に行きつく ネコばっかり可愛がる
↓
ネコひいき
↓
ぬこひいき
↓
えこひいき 記録的◯◯って表現は天候以外で聞かないけど
使うことある? >ひょっとしての ひょっと とはなんだ?
これじゃないかな?
朝鮮語でも「혹시 ホクシ(もし・もしかしたら)」として取り入れられていて、
発音が似ているし、「Middle Chinese: /ɦwək̚/」の語末の発音から、
日本語で促音化することとも合致する。
https://en.wiktionary.org/wiki/或
Middle Chinese: /ɦwək̚/
perhaps; maybe (mostly found in news headlines)
Korean
Hanja
或 • (hok) (hangeul 혹, revised hok, McCune–Reischauer hok, Yale hok) >>221
表現の用法も発音も合致するのだから、無関係ということはないと思うよ。
で、日本語の歴史を研究している人々は、中国語と日本語のこのような
関係に気づいていないはずはないのに、しらばっくれている。
日本語は、中国語の表現を流用することによって形成されたピジン言語を
基礎としている。 >>219
スポーツの「記録的大勝利」映画や音楽や本などの「記録的大ヒット」etc.、
他のジャンルでもあるでしょ
数字でデータを出せるジャンルなら使えると思う >えげつってなに?
「えげつない」は、「ゑげつない」ではないかな。
で、この場合、「〜ない」は、程度が甚だしいことを表現し、
「ゑげつ」の「ゑげ」は、「ゑぐ(抉)る」ような作用に関連してイメージされている
ものと思える。「つ」は、「〜つつ」のように継続性を表現するのに用いられるので、
「ゑぐ(抉)るような様が続くことが甚だしい」というようなイメージで用いれて
いる表現ではないかと推測することができる。 表現の意味は、個人が決められることではないんだよ。
どう受けとめられて、流通するかの問題だからね。
日本語は、中国語の表現を大々的に流用しているにもかかわらず、
中国語としてその表現がどう使われているかという規範を無視して、
勝手に日本語として体系化しているだろう。 えっまさか勉強しまっせ引っ越しの〜て値引きしますって意味だったのか >>232
上のほうにも書かれているけど関西言葉だと思う
関東では知識としてはあっても実際にはあまり使われないが、「お勉強させていただきます」を一度くらい聞いたことがある
場所は若い頃、親といっしょに買い物に行った和服関係老舗だった記憶
東京なら普通は「本当にお買い得ですよ」「これ以上はもう無理です」程度かなあ
さすがに「もってけドロボー」は実際に聞いたことはない
東京では「水屋」は完全に茶道専門用語だけど、関西では「キッチン設備」のことを「水屋」というと聞いた 名古屋っぽいけどね
お値打ち品とか大勉強とか
引札にいつも書かれてる。 やっぱりAERAは浅いなぁ……
虚仮 が仏教用語であることの説明は?
他にも多々つっこみどころが。 >>231
(○´艸`)プークスクス|☆´艸`|クス○´艸`)○´艸`)○´艸`)○´艸`)フクスッ (○> 艸<)○o。クスクス。o○ 艸`*)艸`*)(*´艸`*)
間違いないな(○´艸`)プークスクス 関東人は本当の日本語を知らない。標準語化した日本語をいくらひねくり回してもすぐに底をつく。ここ100年ぐらいの間に作られた人工語だから底が浅いのだ。掘り下げようがない。日本語について考えるのなら近畿語をベースにしないと古語に遡ったり方言としての全国的な展開が実感できない。とは言え朝鮮語訛りのある現在の関西の日常語を近畿語と思われると困るが。 >>236
経典探せば見つかるだろう。近畿語は仏教用語陀羅化だからな。 >>179
待て、俺は最初からまんPなんて思ってもないのに巻き込むな
>>185
ずらす+刈る
他人の視線をずらす+取り払う >>25
自然破壊の太陽光発電は放置
CO2を地中固定してる木々を伐採して寿命15年もない太陽光システム あまり知られてないんですけど
依怙贔屓のエコは
エコロジーのエコなんです ecology: 環境依靠了解、我們依靠對生態的了解 まあでも現代中国語で良く使う漢字熟語は明治に日本で作られたものが5割って言う。挙句に会話で英単語をそのまま使うから老人には理解出来ないとさ。言葉は生き物ですネ。 中国の学者の研究調査では確か7割と言われるが、5割になったのかw そのうちもっと少なくなりそうだなwそんなアホな。 まあ、「ひと(人、一、均、等)」のような基本的な語彙でさえ、中国語の
「匹」(Middle Chinese: /pʰiɪt̚/)の流用なのだから、日本語から中国語の
流用を取り除いたら日本語として成立しない。 仏典用語はサンスクリット(梵語)由来が主なので縁故、依枯も古代インドの似たような発音の言葉の漢字音写かもな。 外郎は小田原名産の丸薬だぞ
名古屋のカッペは覚えておけよw >>1
効率が良いって事だろ?
バカに教えるだけムダ >「ひと(人、一、均、等)」のような基本的な語彙でさえ、中国語の
>「匹」(Middle Chinese: /pʰiɪt̚/)の流用なのだから
一見、複雑に見える、このような中国語と日本語の関係、というより、
どのように日本語が中国語の表現を流用を基礎としているかも、
いくつかの単純な原理を念頭に置くだけで、容易に理解できる。
例えば、中国語における「匹」の中古音は、「匹敵(ひってき)」の
ように「ひっ」ではなく、「ぴっ」に近いが、それだけでなく、日本語
として流用される際に、語末の閉音節が開音節に移される、つまり、
中国語では"t"で終わる語末に母音が付け加えられ(この場合は、
『ぴた・り』の「ぴた」)、なおかつその付け加えられた語末の母音が、
「あ・い・う・え・お」において変化させられて、表現として活用
されるのである。「人」は、漢字の象形としては「ふたりの『ひと』」を
表しているが、「匹」⇒「ぴた」⇒「ぴと」という関係にあり、
古語における「ぴと」という発音は、「なん・ぴと(何人)も」という
表現に現れ、「ぴた」が「ぴったり合う」様態を表現するように、
「ぴと/ひと」は、本来、「ぴったりと合わされた(もの)」を表現している。
さらに一般的な原理として、中国語の「ふ(復/覆)」が再帰表現を形成する
ために、やはり母音の「あ・い・う・え・お」の関係も利用して活用されている
ことが挙げられる。したがって、「ひたひ(額)」は、元は「ぴた・ふ(復/覆)」
を活用した名詞化としての「ぴたひ」であり、「自ずとぴったり合うもの」
を表現しおり、このことは、「ひたひ(額)」の「ひた」が「ひたむ(直向)き」
の「ひた」でもあることを意識するとイメージしやすいだろう。 誤:日本語が中国語の表現を流用を
正:日本語が中国語の表現の流用を >「ぴと/ひと」は、本来、「ぴったりと合わされた(もの)」を表現している。
このような関係を把握するなら、「ひと(等/均)し」など、形容詞に現れる
「し」が、「〜する」という動詞の「す」と同じ要素であり、やはり
「あ・い・う・え・お」の関係で組織化されていることにもすぐに気づく。
「し」は、英語に訳すなら"letting"に相当し、「ひと(等/均)し」は、
「ぴったりと合わされたようにしている」ことを表現している。 中国語の「鑒」(Middle Chinese: /kˠamH/)もやはり、語末に母音が付加されて、
日本語の「神(かみ)」という表現となっているが、この同じ"/kˠamH/"は、
「内部空間における反射作用」のイメージを想起させるものとして、「神(かみ)」
だけでなく、「釜(かま)」、「醸(か)む」「甕/亀(かめ)」、「鴨(かも)」、
「醸(かも)す」など、様々な表現に活用されている。 この値段で売るなんて商売のイロハをしらんなぁ
それじゃ商売の事をもっと勉強しますわって意味合いだと思ってた いつもネコ贔屓してますが、依怙可愛がりも好きです。 >日本語として流用される際に、語末の閉音節が開音節に移され
>なおかつその付け加えられた語末の母音が、「あ・い・う・え・お」において
変化させられて、表現として活用
される<
このことは、日本語の表現として用いられるときに既に活用されたそれぞれ
の表現が互いに無関係の脈絡で使われるようになるので、別々となった
表現の間の関係はすぐに忘れ去られることが多いが、それでも、その
個々の表現について、日本語とも中国語とも無関係の別言語を媒介させて
言い換えてみると、その共通性が「思い出される」。
例えば、「か(兼)ねる」という日本語の表現は、「兼」という漢字が
当てられ、その発音がこの漢字の音読みにもとても近いことから、
中国語の「兼」(Middle Chinese: /kem/, /kemH/)の発音を変化
させるとともに語末に母音を付加して日本語として流用しているもの
と思われる。「あ・い・う・え・お」を活用した関係で「か(兼)ね・る」と
類似した発音の表現を探して見ると、そのなかに「かな(悲)し」と「かに(蟹)」
があることにすぐに気づくだろう。だが、「か(兼)ね」と「かな(悲)し」と
「かに(蟹)」が互いに関係しているのかどうか、一見しただけでは
よく分からない。 たそかれ、をパペポで上岡龍太郎が話していたのを聞いてから
キャバクラで自慢げにネタにしていたのに
数年前からみんな知ってるって言われるようになった
マジでムカつく ここで、「か(兼)ね」という表現の実際の応用を考えてみると、その
代表的なものとして「待ちかねる」という表現がある。さらにこの
「待ちかねる」という表現において、「かねる」がどのような意味で
用いられているのかを英語で言い換えてみると、それが「届くように
引き延ばす」ことを意味する"stretch"に相当することに気づく。
するとすぐに、「かな(悲)し」は、「"stretching"を生じさせる」
こと、「『届くような引き延ばし』を生じさせる」こと、つまり、
英語にするなら、"longing"に相当するような表現であり、同様に
「かに(蟹)」も「"stretch"するもの」、つまり、「届くように
(脚を)延ばすもの」を意味する表現であると解釈できることになる。
「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」という
石川啄木の歌は、詩人の感性で、そのような「悲しみ」と「蟹」の
隠れた関係性を捉えたものと見ることができる。 >>285
これがこじつけの無理な解釈ではないことは、この解釈がすぐに応用可能である
ことからも確かめることができる。例えば、ゲーテの作品の翻訳を読んでいると
次のような記述がある。
>「近いところでは人間は行動し、自分で切り抜けなければならない。遠くに
望みをかけ、神に頼らなければならない」
ゲーテ、『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代(下)』、岩波文庫、p.215
遠くにかけた望みが実現することを、日本語で「望みが『かな(叶)ふ』」と表現する。
「〜ふ」は、>>267で説明したとおり、中国語の「ふ(復/覆)」を流用した再帰表現
であり、したがって、「かな(叶)ふ」は、「か(兼)ね」の再帰表現であることになる
ので、この場合、「遠くにかけた望み」が「かな(叶)ふ」というのは、望みが
「自らに届くように引き延ばされる」ことを表現していることになる。 このようにほんの少数の基本的な原理を念頭に置くだけで、日本語がどのように
中国語の表現を流用して形成されているのか、とても見通しよく理解できるようになる。 大丈夫? ルーツを辿ると放送禁止用語に繋がるやつじゃない? >>
誤:このことは、日本語の表現として用いられるときに既に活用されたそれぞれ
の表現が互いに無関係の脈絡で使われるようになるので、別々となった
表現の間の関係はすぐに忘れ去られることが多いが、
正:このことは、日本語の表現として用いられるときに既に活用されたそれぞれ
の表現が互いに無関係の脈絡で使われるようになるので、忘れ去られることが
多いが、 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています