【朝日新聞】親鸞の御真影の返還条件で生首二つを求めた三井寺に、本願寺門徒は息子の生首を差し出した [みの★]
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「三井(みい)の晩鐘」で知られる園城寺(三井寺)に近い真宗大谷派の等正寺(とうしょうじ)に、人の頭部のミイラ「源兵衛の生首」が宝物として安置されている。500年以上前からと伝わる。
寺伝などによると、時は室町時代。京の本願寺が比叡山衆徒によって壊された。避難した蓮如(れんにょ)が、三井寺に親鸞(しんらん)の御真影(ごしんねい)を預けた。蓮如は布教の旅に出る。ようやく本願寺が再建されたため、御真影の返還を求めると、「生首二つと引き換える」。三井寺としては返還しないための方便だった。
…続きはソースで。
https://www.asahi.com/articles/ASP6V6GYPP6HPTJB00K.html
2021年6月28日 8時00分 >>221
お前がそう思うんならそうなんだろ、お前の中だけでな。 納税義務を免れ楽な商売で私腹を肥やすビジネスモデル
表向きは修行だの宗派の戒律なんて言ってるが脱税生臭坊主しかいないのが現実 ◯◯寺(でら)の様に寺を訓読みするのは下記の通り
三井寺(みいでら)
清水寺(きよみずでら)
飛鳥寺(あすかでら)
意外にもたった3ヶ寺しかない >>1
蓮如「本願寺が再建されるまで親鸞聖人の御真影を預かってくれない?」
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三井寺「マジで!預かる!預かる!」
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〜時は流れて〜
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蓮如「本願寺が再建できたんで御真影を返してよ。」
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三井寺「は?お前のものは俺のモノ!俺のものは俺のモノ!生首2つで返してやるよ(ギャハハハ」
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蓮如「困った・・・」
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源兵衛(門徒子)「ならば私のクビを役立ててほしい」 (スパーン!ゴロリン)
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蓮如「えぇ・・・ナニソレ・・・」
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三井寺「ちょwwwまっwwwジョークなのにwwマジ?wえ?www(ドン引き」
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源右衛門(門徒父)「子のクビと私のクビで2つですよね?御真影返して」
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三井寺「きも・・・むり・・・つら・・・御真影返すわ・・・」
.
等正寺「クビはこちらで弔います・・・」
.
蓮如「(カルト狂信者って・・・マジ怖ッ・・・)」 >>190
にあるように蓮如は現代で言えば超絶優秀な怪物経営者。
だから、他社の人間にしたら大変な脅威で憎くて憎くて仕方ない。
本人も生涯を通じて首を狙われ続けていた。
大津市内には堅田源右衛門の殉教像(&首)の他に犬塚の欅と言う物が有る。
蓮如を亡き者にしようと曲者が食事に毒を入れたのを忠犬が察知し、
身代わりに死んだのを塚に葬り犬塚としてそこに今では樹高10mの大ケヤキがそびえ立つ。
犬すら蓮如様をお慕い命を投げ出して救おうとするのに、ましてや人間が命を懸けずしてどうする。 >>21
ジーザスさんとムハンマドさんとトリオで現代の宗教者を助走をつけて殴るレベルw
張魯さん「道教は…まあ俺の子孫が今でも教祖やってるしまあ良いかw」 >>6
比叡山と園城寺は信長関係なく互いに何度も焼き討ちしあうくらい仲がいいぞw なんかアスペの会話な気がする
「預かってやったんだから頭下げろや」
「はいアタマ下げて来ました2つ」 落語のネタにされそうな話だよね
饅頭怖いの逆バージョン >>235
首提灯と言う演目が有る。
自分の首を提灯にして人込みの中をホイ御免よホイ御免よと通り抜けるというオチ。
元より、落語の元祖・安楽庵策伝は坊主(浄土宗)
高座というのも本来は僧が寺で説法する所を意味し、聴聞する門徒を飽きさせないように
面白い話を入れたりして僧侶は工夫した。
安楽庵策伝はその様な小咄を集めて醒酔笑(せいすいしょう)という本を出した。
更に手ぬぐいの事をマンダラと言ったりもするが、これも寺由来だろう。 >>202
しれっと真宗を代表してるけれど、本願寺教団再興中で真宗の代表格になる前だよな >>239
蓮如の年譜
1415(応永22)誕生
1457(長禄1)本願寺八世を継承(43歳)
1471(文明3)吉崎御坊建立(56歳)
1473(文明5)加賀の国の富樫家の家督争い。兄富樫正親(本願寺派が味方する兄富樫正親と高田派が味方する弟幸千代が対立。最初は幸千代が勝利する兄が逆転(58歳)
1479(文明11年)山科本願寺完成、堅田源右衛門の息子・源兵衛殉死(64歳)
1481(文明13)仏光寺14世蓮教仏光寺派48坊のうち42坊を引き連れて本願寺に合流→後の興正派
1496(明応5)大坂石山に石山御坊(後の石山本願寺)建てて隠居(81歳)
1499(明応8)山科本願寺で死去(85歳)
蓮如が本願寺八世になった時は、真宗は仏光寺派や高田が主流で本願寺派は彼らに押されて
遥か下の消滅寸前の状態だった。
それが逆転したのは吉崎御坊以後、文明年間(1469年〜1487年)の事と思われる。
堅田源右衛門・源兵衛親子の殉教はその真っ只中で蓮如が正に日の出の勢いで
爆発的に教勢を拡大していた時期に当たる。
その時点で何位かはともかく加速度はぶっちぎりでいずれ代表格に成る事は間違いなく、
実際そうなった。 >>224
逆に浅間大社をセンゲンタイシャと読むのは神社として珍しい
と言うか正直アホ 神社をわかってない >>224
壬生寺(みぶでら)
鞍馬寺(くらまでら)
中山寺(なかやまでら)
もう3つ出たよ >>240
応仁の乱(1467年)に関与していたの? 前史として山科本願寺の戦い→天文法華の乱という法華宗vs本願寺(法華宗勝利)→延暦寺vs法華宗(延暦寺勝利)という宗教トーナメントが京都であったことを忘れてはいけないな
法華宗は壊滅したけど本願寺は北陸に拠点があったんで戻ってこれたと思う
最終的には武家vs法家の異種格闘技で織田信長が1勝1分で勝利。
宗教が支配する国にはならなかったのは良かった。
多少の切支丹は入ってきたが >>105
これが正解な気がする…
仮にも宗教者が、人の命を弄ぶような事を口に出しちゃいかんと思うわ。 >>169
まあ親鸞本人は「自分が死んだら遺体は川に沈めて魚のエサにでもしろ」って言ったらしいけどもね…
自分の御真影(木像)1つの為に人の命を奪うような事は、本意ではないんじゃないかねぇ… >>246
本願寺/蓮如は東軍に与し東軍寄りの富樫政親に味方、
高田派は西軍に与し西軍寄りの富樫幸千代に味方した。 >>105
それやると戦争になって余計に多く死ぬからなあw
「こっちには喜んで首差し出す信徒が大勢おるんやぞ?」と「お話」して
返還して貰う方がお得w 坊主の首はねてただで済む訳がないのに
255さんのいうように大戦争になっちゃうよ >>240
蓮如の年譜を見ると人間五十年の時代としては極めて異質だ。
何しろ50-43=7あとわずか七年で終わりの43歳で漸く社会人デビューw
享年を見れば謙信48歳信長49歳信玄53歳秀吉61歳、家康は長生きだがそれでも73歳。
当時の常識としては門首に成った所で直ぐに示寂、想い出就任てなもんだ。
所が、その後も延々と生きてこの時点で人生のほぼ半分が残っていたとはお釈迦様でも気付くまい。
蓮如は長い下積みで貯めたエネルギーを一気に取り戻すかのように後半生は大車輪で活動し
85歳まで当時としては異例の長生きで遅咲きのハンディを十全いや千全万全に取り戻した。
ちなみに上人は生涯に五妻、13男、14女、都合27人のお子を儲けた室町時代のビッグダディでもある。
最後の子・実従は没年の前年に産まれているから84歳の時の子という事に成る。
何から何まで規格外だ。 >>130
戦時中は日本全体が一向宗メンタル。
ある意味これは日本人の特性の一つかも。 >>259
没後に亡骸を切った所、年輪がちゃんと85個有ったから85歳で間違いない。
古代の神話的長寿者と比較的最近(室町だって最近の部類)の人物で少なくとも
本願寺八世に成ってからはあらゆる行動が逐一記録されている蓮如を一緒にするのもナンセンス。
聖書創世記5章
3アダムは百三十歳になって、自分にかたどり、自分のかたちのような男の子を生み、その名をセツと名づけた。
4 アダムがセツを生んで後、生きた年は八百年であって、ほかに男子と女子を生んだ。
5 アダムの生きた年は合わせて九百三十歳であった。そして彼は死んだ。
…
27 メトセラの年は合わせて九百六十九歳であった。そして彼は死んだ。←最長寿
この部分を筒井康隆はバブリング創世記という作品でパロディにしている。
ドンドンはドンドコの父なり。
ドンドンの子ドンドコ、ドンドコドンを生み、ドンドコドン、ドコドンドンとドンタカタを生む。
ドンタカタ、ドカタンタンを生めり。
ドンタカタ、ドカタンタンを生みしのち四百六年生きながらえて多くの子を生めり。
ドカタンタン、ドカドカとドカシャバを生み、ドカシャバ、シャバドスを生み、シャバドス、シャバドビとシャバドビアを生む。
子供の頃、これを読んで呼吸困難になり危うく笑い死にしそうになった。 >>258
>最後の子・実従は没年の前年に産まれているから84歳の時の子という事に成る。
それ本当に本人の子供か…? >>261
ドンドコドコドコ!ドンドコドコドコ!
シャバドゥビシャバダバ〜シャバドゥビタッチヘンシーン >>263
DNA鑑定も無い時代だから、嘘とも本当とも証明できない。
言った者勝ちではある。
しかもバイアグラも無い時代だから、もし実子なら蓮如は化け物w
だが、蓮如ならアリかも?と思わせる所がスゴイ。
真宗十派の内、東西本願寺の大谷家は当然蓮如(=親鸞)の子孫。
西本願寺にほど近い興正寺(興正派)の華園家も蓮如の血筋が入っている。
錦織寺(真宗木辺派)の二十代木辺孝慈は西本願寺21世大谷光尊の子で22世大谷光瑞の弟。
すなわち、蓮如の子孫。
多分その後も蓮如の血統は続いている筈(未確認)
専修寺(高田派)の常磐井家は22世常磐井堯猷の妻が大谷文子(西本願寺21世大谷光尊の子)
=木辺孝慈の姉だか妹、つまり蓮如の子孫。
仏光寺(仏光寺派)の渋谷家は一時大谷家の血が入っていたようだが、
今は結局伏見家の子孫らしい。
本願寺はもちろん真宗はみんな蓮如無しでは語れない。 宗教怖え……三井寺じゃなくて本願寺のほう。完全に洗脳されとるやん。 三井とミイラを掛けてるのに誰もつっこまない?
三井寺に差し出して
光徳寺に祀られるまでの過程が知りたい >>267
一生過ぎやすい人間の代わりに五劫という長い間修行を積んで悟りを開いた阿弥陀如来に
救われて極楽に生まれるというのが浄土の教え。
五劫というのがどれくらいの長さかと言うと、
落語の寿限無に『五劫の擦り切れ」と有り、天女が三千年に一度須弥山(エベレスト)に
降り立ち羽衣で一擦りして遂に山が擦り切れて無くなるまでが一劫、
それが五回だから正に永遠にも等しい長さ。
京都に金戒光明寺という浄土宗の寺が有り、そこの阿弥陀如来像の髪は恰もアフロヘアの
ごとく伸びまくっている。
五劫の長さを凡俗の衆生にも分かり易く表現するためにこんな髪になった。
もちろん、百年も生き難い人間には無理であり阿弥陀如来にすがる他に道無し。 文楽観てる人ならおなじみの展開
現実にこんなことがあろうとは…
でかしゃった!でかしゃった〜〜〜〜 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています