【朝日新聞】親鸞の御真影の返還条件で生首二つを求めた三井寺に、本願寺門徒は息子の生首を差し出した [みの★]
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「三井(みい)の晩鐘」で知られる園城寺(三井寺)に近い真宗大谷派の等正寺(とうしょうじ)に、人の頭部のミイラ「源兵衛の生首」が宝物として安置されている。500年以上前からと伝わる。
寺伝などによると、時は室町時代。京の本願寺が比叡山衆徒によって壊された。避難した蓮如(れんにょ)が、三井寺に親鸞(しんらん)の御真影(ごしんねい)を預けた。蓮如は布教の旅に出る。ようやく本願寺が再建されたため、御真影の返還を求めると、「生首二つと引き換える」。三井寺としては返還しないための方便だった。
…続きはソースで。
https://www.asahi.com/articles/ASP6V6GYPP6HPTJB00K.html
2021年6月28日 8時00分 槍を本陣に置き忘れて、返せと言ったら槍持ちの首を出せとか言い出したクソ藩w >>1
元凶は比叡山の門徒かよ
そらこんな悪辣な事やってたら信長に焼き討ちされても文句言える筋合いじゃないわ 人のものを返さないとか三井寺は朝鮮人みたいなやつだな >「まさに命をかけた殉教です。興味本位の拝観はご遠慮を」。(菱山出)
なんか怖いんだけど… その辺に落ちてる死体の首切って持っていったら
それで終わりじゃん
わざわざこの為に死ぬ必要ない
犬死 >>16
話を聞いた門徒が勝手に首切って持ってったって話じゃなかったっけか? えーと、満月寺の浮御堂訪れたときに目に付いたアレかな
光徳寺と等正寺と両願寺の三カ所が祀ってるという、しかも三寺ともに自分とこのが本物と譲らないオマケ付きの 自分じゃなくて息子の首差し出すとか、酷い親もいたもんだな。 三井寺って鉄鼠生み出して皇子呪い殺したあの三井寺?
なんつーか問題の多い寺やね 旧家は昭和で没落して新しい世代に期待してたが、再び息を吹き返してしまったな。悪貨は良貨を駆逐するのだ。 文大統領へのメッセージで、日本に生首(条約守る)を差し出せという暗喩 >>7
しかし西と東に分けられて
一気におとなしくなったな
家康はブリカス並みに賢かったんだなあ アカヒも挑戦してきたな
本願寺 敵に回すと
慰安婦問題以上に
こじれるぞ 三井寺って滋賀にあるのか。
滋賀作はこの頃からクズだったんだな。 >>39 この記事は、三井寺には嫌がられるものではあっても、本願寺に嫌がられるものではない。 いい話にでっち上げただけで、たまたま通りかかった無関係の人を襲撃して首を取ったというオチではないの? 堅田の漁師源兵衛は、浄土真宗中興の祖蓮如が法難を受け三井寺に預けた宗祖親鸞の御真影を取り戻すため、自らの首を差し出した殉教者。
本堅田の光徳寺、小関町の等正寺、三井寺町の両願寺に今も祀られている。
同じ人間の首がなぜ3つもあるのかは謎である(両願寺は現在非公開)。 >>21
一人分の真骨では到底足りないぐらいに仏舎利塔建てられてる時点でかけ離れてるかとw 生首を二つの理由付けがない
ご真影の交換なのに首まで返却
一向衆は怖いってことしか残らない 三井寺は一度引き受けておいて、何で生首を要求したの?
貰ったところで金目のものと交換できるわけでもないのに。 >>46
火を恐れる原始人みたいなこと言うなよ
道具は使いよう >>45
当時は宗派対立が激しく
殺し合いも普通
つまり仏教怖い
ミヤンマーも仏教国 元々寺社なんぞ軍事施設だぞ。信長は酷いとかの話になってるけど軍事施設と交戦しただけの話なんだよな。 堅田源兵衛
浄土真宗中興の祖である蓮如は、比叡山延暦寺から迫害を受け、大津に滞在した時期がある。その間、蓮如は数年堅田に滞在し、堅田は町を挙げて延暦寺と戦って負けている(堅田大責)。比叡山に近い堅田の地を諦めた蓮如は越前に向かい、宗祖親鸞の木像を三井寺に預けた。
その後京都に戻った蓮如は、人の首を二つ差し出すなら木像を返そうと三井寺から言われる。それを聞いた堅田の漁師源兵衛は、父親を説得して、自分の首をはねてもらう。源兵衛の父親は、息子の首を三井寺に持って行き、自分の首もはねてくれと言った。
驚いた三井寺は親鸞の木像を返し、蓮如は「真宗復興の祖は源兵衛である」と涙したという。その後源兵衛の父親は巡礼の旅に出て、旅先の広島県福山市で亡くなっている。源兵衛の首は本堅田の光徳寺に祀られた。(というのが、光徳寺に伝わる話である。) >>6
室町以前は荘園の力が強かったので、寺社や酒屋は凄く力を持ってたんだよ。
僧兵という名の武装集団を抱え、武士すらうっかり手を出せない勢力だった。
武力で言うこと聞かせた信長の頃まで暴れまわってた厄介な存在。 さすが寺が権力者と武力で争ってた時代。僧侶も血なまぐさいわw
力でねじ伏せて牙を抜いた戦国三傑は良いことをしたよ >>2
自分の願いを叶えるために子供の生首を渡すとは美しい国、日本! >>51 三井寺も三井財閥も近江由来という共通点はあるな。 >>58
中国の下僕だった事しか語れない朝鮮人には歴史の話題は辛いかw >>6
本願寺ももっと叩かれてるから目くそ鼻くそw 菅原伝授手習鑑の元ネタ?
あの話は歌舞伎好きになったきっかけ >>66
日本も冊封受けてるんだけどな
地続きでない遠隔地だから必須でなかっただけ それぞれの宗派が僧兵を持っていたわけだが、最強は比叡山という事だな。あの信長でさえ卑怯
にも夜襲をかけなければ勝機が無かったわけだし。まぁ比叡山焼き討ちもふもとの村が主にやられて
比叡山自体は大した損害は受けていない。
信長も比叡山を取り込んで比叡山に一向宗殲滅を頼めば良かったのにな。 天台宗の園城寺が親鸞の木像なんか持ってたって何の役にも立たんじゃん
なんで無理難題吹っかけてこれを渡さないと像は返さんなんて言ったんだろ な〜もあ〜みだぁあぁんぶ〜♪
な〜もあ〜みだぁあぁんぶ〜♪
な〜ぁもあ〜みだぁあんぶ〜♪ >>53
宗教対立よりなまじ近い分譲れないものが多い宗派対立が一番怖い
ユダヤ教を元にするキリストもイスラムも言わば宗派対立
完全に遠い宗教同士の方が実はうまくやれる >>75
既にドクロなので、そこまで怖くなかったりする。
生首のままなら怖いけど。(´・ω・`) >>1
叡山とか三井寺は稚児愛の巣窟だったんじゃね。
美少年を性的玩具として差し出したのならうなづけるところだが。 >>21 それな。当時の寺は寺と呼んじゃいけないと思うわ。看板だけ仏教の別物の宗教勢力 一向衆は中世からこの現代においても最大最強の不発弾
最終的に彼等と和解した信長の偉大さが逆に恐ろしい 浄土真宗みたいなインチキ仏教に騙されたあげく狂信の果てに冗談を真に受けて息子の生首を持参するって哀れな人生やなぁ。息子もおとっつぁんもインチキ破戒仏教の狂信者として地獄の業火に今も苦しんでいることであろう。 信長が軍事的に排除、秀吉が武装解除、家康が東西に分断し未だにいがみ合い一枚岩になれず。
芸術的だわ。 あの辺はやたら百済を売り物にした観光地だな 大津京近江朝も百済人てのはあるけど三井寺もそうなんだよ >>45
>登場人物全員がクズだという
蓮如「比叡山に焼き討ち食らって本願寺が焼けちゃったよ」
三井寺「それはお困りでしょう、うちにいらっしゃい」
蓮如「ありがとう、布教の旅に出るから親鸞聖人の御真影を預かってもらえるかな」
時は流れ布教の旅を終え本願寺の再建を果たした蓮如は
蓮如「そろそろ親鸞聖人の御真影を返してもらえるかな」
三井寺「じゃあ生首二つと交換な」
門徒父「じゃあ俺の首をだすわ」
門徒息子「代わりに俺の首をだしてくれ」
かくして息子の首を携え三井寺に参ったわけだが
門徒父「持参した息子の首と、私の首を打てば合わせて生首二つ、
親鸞聖人の御真影を返してもらいましょう」 仏教とはテロリストだな、ムスリム過激派を非難するどころでは無い >>47
目立ちたいんやろ。どれか二つは嘘ってことだろ。
昔の住職ってそういう人多そうだもの。 >>21
浄土真宗は親鸞教であって仏教ではないから
(´・∀・`) The door it opened slowly, my father he came in, I was nine years old〜♪
( ̄0 ̄) 借りパクした奴に2人の命差し上げたみたいな話か
どこに感動すんねんw >>99
死んだのは一人な
自己犠牲は古来最高に称賛される行為
(為政者支配階層等に好都合) 源兵衛、狂気やな
寺のわがままで首差し出した源兵衛の狂気にビビるとともに
呪いが怖くて当時の人が手厚く祀ったように思える 御真影ってただの肖像画じゃん…
そんなもんに命賭けんなよ
生首要求する方も気狂いかよ >>87
この書き込みだけで宗派が分かったわw
この宗派の信者さんは本当に特徴的な言い回しをするね 誰の首とも言われてないんだからよっしゃわかったで
後日腕の立つ人連れてって三井寺の坊主の首その場で切り落としてやれば良かったのに 探せば野垂れ死にの一人や二人見つかっただろうに
律儀に身内の首差し出さんでも >>102
源右衛門の方が怖いけどな
>>106
中世の村落は首取り用に乞食を養っていたんだけどな
信仰だから別なんだろう >>109 木像を御真影と呼んでるんだべ。(´・ω・`) >>108 力攻めしたら、御真影をぶっ壊されるだけだろ。 エロ破戒僧親鸞は比叡山で修行してたがおめこがしたくてしたくてたまらない
ある夜、観音菩薩とおめこする淫夢を見て
「阿弥陀如来はわしのためだけにおるんや!」というサイコパスの境地に到達
以後、80才を過ぎるまで寺に籠もっておめこ三昧
多くの子を残す
この親鸞のおめこの血統から悪知恵の天才、蓮如が登場
一遍上人の時宗や一向上人の一向宗教団を乗っ取り、日本最大のカルト教団をでっち上げ、織田信長と日本史上最悪の宗教戦争を引き起こし、人々を塗炭の苦しみに追い落としたのはご存知のとおり >>110
調べたら東西ともそうみたいだね
もちろん絵画もご真影(ごしんねい)らしいが
独特の呼び方をするな、記事のルビにもあるけど エロ破戒僧親鸞のおめこに対する異常な執着
おめこ大好き親鸞のおめこの血統が
日本に大きな災禍をもたらした歴史的事実
僧侶がおめこに執着し
僧侶の世襲という奇妙奇天烈な事態が生まれた
全てはおめこ 三井寺側は生首二つ持ってくれば
御影を返すと難題を持ちかけた。
これを聞いた蓮如上人に帰依していた堅田の漁師・堅田源右衛門が倅の
源兵衛の首を切り落として三井寺に持って行き、自分の首と倅の首で
親鸞御影を山科本願寺へ返すように懇願した。三井寺側は驚き、御影を
源右衛門に渡し帰らせたと伝えられている。
この源兵衛の首が光徳寺と等正寺に祀られていると伝承されている。
↑どうゆうこっちゃ?
首は一個やろ? >>115
釈迦の遺骨、ぶっしゃりは世界各地にあるが、集めるととんでもない巨人になるという
また、日本には聖徳太子が10代だったときの遺骨も現存している
そういうものなのだよ >24歳の息子源兵衛が「ならば私の首を役立ててほしい」
死人に口無し 忠義とか信仰の強さを表現するのに、親族を犠牲にする逸話のパターンはよくあるね >>104 無宗教だけど。真宗の薄らバカどもはこうやってすぐに宗教戦争に持ち込もうとする。戦国以来どんだけ人殺ししたら気が済むねん!!www >>123
実は日蓮系だろ?
真宗と並んで攻撃的だ >>113
音便で訛った誰かが偉かったんじゃね?
結願あたりもそんな気がするけど、たまに音共通しないのは伝来元と中国の国違いなのかな >>126
けちがんか
明治以降のいわゆるご真影より、ごしんねいの方がむしろ古態を残してるのかもね >>117
イエスを磔にした十字架と称するものを合計すると船一杯分とか
こういうのは洋の東西を問わずだな >>58
これはなあ……。
戦時中に昭和天皇の御真影を守ってかなりの人が命を落としてるが、近代日本だけの話じゃないんだな。というか、この話は室町時代だから500年近くの間伝統になってたんだな。 織田さんが勝ってれば
聖徳太子は仏教を輸入しなくて済んだのに >>131
笑わせたいのか
ヤバい奴なのか分からない >>133 時系列を整理せずに、断片的に歴史知識を覚えちゃってる人かな? >>136
物部守屋と間違えたと好意的にとらえよう >>1
信長の比叡山焼き討ちにも協力した三井寺(みいでら)こと園城寺(おんじょうじ)。
山門や山号の始まりも比叡山から追放されたため勝手に名乗ったもの。
戦後は水子供養でインチキボロ儲け!偽天台宗!天台密教とちゃうでー >>125 日蓮も創価学会も大嫌いですけど。
立正安国なんて釈迦とはなんの関係もないわ!!
あんた悔し過ぎて必死やねー。
真宗のインチキ仏教ぶりが広く世間にバレはじめてるからねー。www 太陽(密厳浄土)に転生したら毎日お祭り宇宙旅行楽しいこと沢山
夏のラジオ体操や盆踊りもほとんど見ないなぁ お菓子貰えて楽しかったのに 首が1つしかないのに3つの寺が主張している
長い間解決されないまま
いろいろ考えさせられる >>93
でも親鸞本人はあくまで浄土宗の人で
開宗の意思はなかったらしいけど。
息子や弟子が親鸞の死後に本人の意図を無視して
勝手に開宗したのが浄土真宗。 「ごしんえい」ではなく「ごしんねい」と読むところに注目してしまった。
前者は大部分の外人には難しい発音。 >>47
子供の頃の首、青年期の首、老年期の首が各々祀られているのだろうw 日本に古くからある寺社なんてこんなもん。オウムの同類。 >>143
親子の首だから2つだよ
ひとつはどこかに転がっていたやつだろうな 生首のミイラが実存してるから、首を打たれた人が実際にいたのは確実だよな。
現実はどういういきさつだったか気になる。
まさか美談の通りということはないと思うけど。 三井寺も本願寺も今はガチサヨ宗派同士
仲良くしなよ >>153
徳川幕府が宗教を厳密に規定する前はそういうの結構あったみたいね
宗派とか全く関係ない寺であってもお構いなしに武力や政治力で無理やり自分のところの末寺としてヒエラルキーに組み込んでカネを吸い上げると
別に改宗を強いるとかじゃなくて宗派そのままに末寺にしちゃう 御真影って天皇の肖像画のことだろ
いつ親鸞は天皇になったんだよ 親鸞って単なる法然の弟子であって
その法然も今で言う新興宗教の教祖みたいなものなのに
そこまで神格化していいの? アマゾン首狩り族の干し首みたいなのかと思えばただのドクロやん 親鸞も本願寺も、どっちも一向宗徒だろ
内ゲバか?
日本で宗教やってるやつなんかキチガイに決まってるから別にどっちでも良いけど >>165
親が死んだときに自分ちの宗派も分からんアホになっちまうぞ 死後に極楽浄土へ行くためには厳しい修行に耐えて悟りを開かなければなりません
↓
新興教団「修行なんかしなくていーんです!念仏を唱えるだけで誰でも極楽行けます!」
↓
派生した別の教団「念仏なんて唱えなくていーんです!何もしなくても信じてたら勝手に極楽行けます!」
これが親鸞 ほらな?釈迦の教えをまるで理解してない
執着は修行の妨げ。御真影は執着になるから燃やせ。
寺も本尊も執着になる
苦悩を生み出すもとになる
もやせ! >>28
彼等は遠回しのメッセージで察する能力をもちあわせていないよ。 >>1
そもそも本願寺を焼き打ちした比叡山と対立しているとはいえ
同じ天台宗の園城寺に大事なものを預けることが間違ってるわ
当時の天台宗は後に織田信長によって比叡山が焼き打ちされるほど
僧兵が横暴で酒池肉林が平気で堕落しきってた
園城寺も僧兵がいて比叡山ほど堕落してないとはいえ低レベル ブッダが嘆くな。私の教義をちっとも理解しておらんではないかと。 >>144
法然には主立った弟子が七人居た。
その死後、法統を継いだのは長老の信空(白川上人)だった。
信空が死ぬと残りの六人の弟子の内、証空、弁長、親鸞の三人の法統だけ残り他は途絶えた。
今日では浄土宗の内で弁長の系統・鎮西派が一番有力である。
証空の系統・西山派は一時は盛んだったが現在はマイナー(と言っては申し訳ないが)
西山派は念仏こそが極楽浄土に往生できる唯一の方法という『一類往生説』を説いており、
教義の違いから宗教法人浄土宗には属さず西山浄土宗と言う別法人になっている。
あれ?
念仏だけで往生すると説き、浄土宗本流とは距離を置く教団ってどこかで聞いたような?
念仏のみで往生と言う考えが法然グループの中でも一定の勢力を持っていて、
それが後の西山浄土宗や真宗に成ったと考える方が理に適っている。
真宗が急に産まれた法然の教えとは違う新興派閥とは言い切れない。 >>162
「仏教」というものをなにか救いのある特別な教えだと思うなら疑問だけど
「経営」という視点で見ると超絶有能な人たち 日本にあるのはすべて「宗派」=それぞれの独自解釈
原始の仏教とは別物 >>134
釈尊に限って言えば丈六(身長約4.8m)だから、25〜30人分くらいは許容範囲 >>158
天皇に限らないし肖像画とも限らない
(昭和天皇・香淳皇后で配布されたの写真) >>162
それを言うなら、釈迦だって初めは新興宗教の教祖だろ。 >>152
記事にはそういう風には書いてないけど2つあるのか? 冗談でも真に受けるやつが存在するから、話し方には注意しろという感じか。 比叡山って昔は凄い権力あったんだよな
だから信長にも横柄に対応した 三井寺クズやな
ほんとに生首差し出すやつはもっとクズやな >>1の続き
それを伝え聞いた門徒、堅田(現大津市堅田)の漁師源右衛門が、自分の首を差し出すと言い出した。
24歳の息子源兵衛が「ならば私の首を役立ててほしい」。
息子の首を三井寺に持参した源右衛門は「私の首も打ち取れば生首二つ。御真影を渡されたい」。
驚いた三井寺は御真影を返還したという。
頭部は厨子に入れられている。
石原信禎(のぶよし)住職(58)は「まさに命をかけた殉教です。興味本位の拝観はご遠慮を」。 >石原信禎(のぶよし)住職(58)は「まさに命をかけた殉教です。興味本位の拝観はご遠慮を」。
無理難題を吹っかけてクビ差し出させた側の立場なのに偉そうだな。 >>175
企業で例えると、
顧客120人、年商1200万、担保に取られて資産は無しの万年赤字の倒産寸前企業が新社長になった途端、
顧客8千万人、年商3兆円、日本全国の超一等地に営業所を普く持ち、資産百兆、二百兆、ともかく見当も付かない
超優良空前の巨大企業を作り上げた化け物経営者。
それが蓮如。 >>1
差し出せと言ったのもクソだが
差し出された首を保管しているのもかなりのクソっぷりだな
室町のサイコパスかよ 徳川綱吉の時代までの日本人は何かあればすぐ殺人に及ぶ恐怖の民族。
辻斬りが日常。喧嘩で死人が出る。子供の石投げ合戦ですら死人が出る・・・そんな時代。
だから命は軽い。
綱吉いなかったら日本は今でも首狩り族やってたかもしれんね。 その当時も変わり者の親子で有名だったろうな
いなくなって村人も万歳三唱だろ >>150
こいつバカだな
オウムはただのジェノサイドカルト イチャモンを伝え聞いただけでマジに受けとめた信者が
生首二つのところを若い息子に免じてひとつで済ませた
それを聞いて蓮如はどうしたんだろう >>1
差し出す方も、差し出す方で、
切る方も、切る方だ。
孔明が居たら、肉まん差し出すだろうに。 三国志でも客を歓待するのに妻の肉を差し出すとかいうのがあったような・・・ >>85
まるで今の寺が仏教をやってるような物言いだな こんなの本当に差し出したかわからんよね
二人殺して門徒ならこうやって当たり前と布教したんじゃね? シャイロックは肉1ポンドしか要求していないのに
金を借りておいて1ペニーも返さなかった韓国人みたいな奴がいたな 釈迦の説いた仏教と日本の仏教はかなり遠いところにあるんだな 貧乏な農家の不治の病の子供の首を買ったかもしれんよね 仏教は殺生を嫌うが自己の命を大切にしろとも言ってない >>211
そもそも釈迦は直接説いてなくて、弟子が釈迦が言ったことを
記録してる(という体をとっている)んだけど、その内容がまた
わけがわからないので後世の人が苦労して色々と解釈しているのよ。 これとか後年の一向一揆なんかも結局は蓮如が
教団にしちゃったせいだよね。 >>211
ブッダ曰く、「女は喋る糞嚢、近寄っただけで汚れる不浄な存在」
現代社会でブッダの教えを律儀に守ってたら炎上不可避やなw >>167
御釈迦さんは厳しい修行なんて意味無いって言ったんじゃなかった?
それはともかく時代を経ると簡単な方に簡単な方に流れていくのよな 全ての仏教って私利私欲を捨てて仏様にすがると言う教えなはずなのに どの宗派も分裂して我こそが正義
あ奴らは仏敵!と罵りあって 争いが絶えない
不思議な団体ですね >>221
お前がそう思うんならそうなんだろ、お前の中だけでな。 納税義務を免れ楽な商売で私腹を肥やすビジネスモデル
表向きは修行だの宗派の戒律なんて言ってるが脱税生臭坊主しかいないのが現実 ◯◯寺(でら)の様に寺を訓読みするのは下記の通り
三井寺(みいでら)
清水寺(きよみずでら)
飛鳥寺(あすかでら)
意外にもたった3ヶ寺しかない >>1
蓮如「本願寺が再建されるまで親鸞聖人の御真影を預かってくれない?」
.
三井寺「マジで!預かる!預かる!」
.
〜時は流れて〜
.
蓮如「本願寺が再建できたんで御真影を返してよ。」
.
三井寺「は?お前のものは俺のモノ!俺のものは俺のモノ!生首2つで返してやるよ(ギャハハハ」
.
蓮如「困った・・・」
.
源兵衛(門徒子)「ならば私のクビを役立ててほしい」 (スパーン!ゴロリン)
.
蓮如「えぇ・・・ナニソレ・・・」
.
三井寺「ちょwwwまっwwwジョークなのにwwマジ?wえ?www(ドン引き」
.
源右衛門(門徒父)「子のクビと私のクビで2つですよね?御真影返して」
.
三井寺「きも・・・むり・・・つら・・・御真影返すわ・・・」
.
等正寺「クビはこちらで弔います・・・」
.
蓮如「(カルト狂信者って・・・マジ怖ッ・・・)」 >>190
にあるように蓮如は現代で言えば超絶優秀な怪物経営者。
だから、他社の人間にしたら大変な脅威で憎くて憎くて仕方ない。
本人も生涯を通じて首を狙われ続けていた。
大津市内には堅田源右衛門の殉教像(&首)の他に犬塚の欅と言う物が有る。
蓮如を亡き者にしようと曲者が食事に毒を入れたのを忠犬が察知し、
身代わりに死んだのを塚に葬り犬塚としてそこに今では樹高10mの大ケヤキがそびえ立つ。
犬すら蓮如様をお慕い命を投げ出して救おうとするのに、ましてや人間が命を懸けずしてどうする。 >>21
ジーザスさんとムハンマドさんとトリオで現代の宗教者を助走をつけて殴るレベルw
張魯さん「道教は…まあ俺の子孫が今でも教祖やってるしまあ良いかw」 >>6
比叡山と園城寺は信長関係なく互いに何度も焼き討ちしあうくらい仲がいいぞw なんかアスペの会話な気がする
「預かってやったんだから頭下げろや」
「はいアタマ下げて来ました2つ」 落語のネタにされそうな話だよね
饅頭怖いの逆バージョン >>235
首提灯と言う演目が有る。
自分の首を提灯にして人込みの中をホイ御免よホイ御免よと通り抜けるというオチ。
元より、落語の元祖・安楽庵策伝は坊主(浄土宗)
高座というのも本来は僧が寺で説法する所を意味し、聴聞する門徒を飽きさせないように
面白い話を入れたりして僧侶は工夫した。
安楽庵策伝はその様な小咄を集めて醒酔笑(せいすいしょう)という本を出した。
更に手ぬぐいの事をマンダラと言ったりもするが、これも寺由来だろう。 >>202
しれっと真宗を代表してるけれど、本願寺教団再興中で真宗の代表格になる前だよな >>239
蓮如の年譜
1415(応永22)誕生
1457(長禄1)本願寺八世を継承(43歳)
1471(文明3)吉崎御坊建立(56歳)
1473(文明5)加賀の国の富樫家の家督争い。兄富樫正親(本願寺派が味方する兄富樫正親と高田派が味方する弟幸千代が対立。最初は幸千代が勝利する兄が逆転(58歳)
1479(文明11年)山科本願寺完成、堅田源右衛門の息子・源兵衛殉死(64歳)
1481(文明13)仏光寺14世蓮教仏光寺派48坊のうち42坊を引き連れて本願寺に合流→後の興正派
1496(明応5)大坂石山に石山御坊(後の石山本願寺)建てて隠居(81歳)
1499(明応8)山科本願寺で死去(85歳)
蓮如が本願寺八世になった時は、真宗は仏光寺派や高田が主流で本願寺派は彼らに押されて
遥か下の消滅寸前の状態だった。
それが逆転したのは吉崎御坊以後、文明年間(1469年〜1487年)の事と思われる。
堅田源右衛門・源兵衛親子の殉教はその真っ只中で蓮如が正に日の出の勢いで
爆発的に教勢を拡大していた時期に当たる。
その時点で何位かはともかく加速度はぶっちぎりでいずれ代表格に成る事は間違いなく、
実際そうなった。 >>224
逆に浅間大社をセンゲンタイシャと読むのは神社として珍しい
と言うか正直アホ 神社をわかってない >>224
壬生寺(みぶでら)
鞍馬寺(くらまでら)
中山寺(なかやまでら)
もう3つ出たよ >>240
応仁の乱(1467年)に関与していたの? 前史として山科本願寺の戦い→天文法華の乱という法華宗vs本願寺(法華宗勝利)→延暦寺vs法華宗(延暦寺勝利)という宗教トーナメントが京都であったことを忘れてはいけないな
法華宗は壊滅したけど本願寺は北陸に拠点があったんで戻ってこれたと思う
最終的には武家vs法家の異種格闘技で織田信長が1勝1分で勝利。
宗教が支配する国にはならなかったのは良かった。
多少の切支丹は入ってきたが >>105
これが正解な気がする…
仮にも宗教者が、人の命を弄ぶような事を口に出しちゃいかんと思うわ。 >>169
まあ親鸞本人は「自分が死んだら遺体は川に沈めて魚のエサにでもしろ」って言ったらしいけどもね…
自分の御真影(木像)1つの為に人の命を奪うような事は、本意ではないんじゃないかねぇ… >>246
本願寺/蓮如は東軍に与し東軍寄りの富樫政親に味方、
高田派は西軍に与し西軍寄りの富樫幸千代に味方した。 >>105
それやると戦争になって余計に多く死ぬからなあw
「こっちには喜んで首差し出す信徒が大勢おるんやぞ?」と「お話」して
返還して貰う方がお得w 坊主の首はねてただで済む訳がないのに
255さんのいうように大戦争になっちゃうよ >>240
蓮如の年譜を見ると人間五十年の時代としては極めて異質だ。
何しろ50-43=7あとわずか七年で終わりの43歳で漸く社会人デビューw
享年を見れば謙信48歳信長49歳信玄53歳秀吉61歳、家康は長生きだがそれでも73歳。
当時の常識としては門首に成った所で直ぐに示寂、想い出就任てなもんだ。
所が、その後も延々と生きてこの時点で人生のほぼ半分が残っていたとはお釈迦様でも気付くまい。
蓮如は長い下積みで貯めたエネルギーを一気に取り戻すかのように後半生は大車輪で活動し
85歳まで当時としては異例の長生きで遅咲きのハンディを十全いや千全万全に取り戻した。
ちなみに上人は生涯に五妻、13男、14女、都合27人のお子を儲けた室町時代のビッグダディでもある。
最後の子・実従は没年の前年に産まれているから84歳の時の子という事に成る。
何から何まで規格外だ。 >>130
戦時中は日本全体が一向宗メンタル。
ある意味これは日本人の特性の一つかも。 >>259
没後に亡骸を切った所、年輪がちゃんと85個有ったから85歳で間違いない。
古代の神話的長寿者と比較的最近(室町だって最近の部類)の人物で少なくとも
本願寺八世に成ってからはあらゆる行動が逐一記録されている蓮如を一緒にするのもナンセンス。
聖書創世記5章
3アダムは百三十歳になって、自分にかたどり、自分のかたちのような男の子を生み、その名をセツと名づけた。
4 アダムがセツを生んで後、生きた年は八百年であって、ほかに男子と女子を生んだ。
5 アダムの生きた年は合わせて九百三十歳であった。そして彼は死んだ。
…
27 メトセラの年は合わせて九百六十九歳であった。そして彼は死んだ。←最長寿
この部分を筒井康隆はバブリング創世記という作品でパロディにしている。
ドンドンはドンドコの父なり。
ドンドンの子ドンドコ、ドンドコドンを生み、ドンドコドン、ドコドンドンとドンタカタを生む。
ドンタカタ、ドカタンタンを生めり。
ドンタカタ、ドカタンタンを生みしのち四百六年生きながらえて多くの子を生めり。
ドカタンタン、ドカドカとドカシャバを生み、ドカシャバ、シャバドスを生み、シャバドス、シャバドビとシャバドビアを生む。
子供の頃、これを読んで呼吸困難になり危うく笑い死にしそうになった。 >>258
>最後の子・実従は没年の前年に産まれているから84歳の時の子という事に成る。
それ本当に本人の子供か…? >>261
ドンドコドコドコ!ドンドコドコドコ!
シャバドゥビシャバダバ〜シャバドゥビタッチヘンシーン >>263
DNA鑑定も無い時代だから、嘘とも本当とも証明できない。
言った者勝ちではある。
しかもバイアグラも無い時代だから、もし実子なら蓮如は化け物w
だが、蓮如ならアリかも?と思わせる所がスゴイ。
真宗十派の内、東西本願寺の大谷家は当然蓮如(=親鸞)の子孫。
西本願寺にほど近い興正寺(興正派)の華園家も蓮如の血筋が入っている。
錦織寺(真宗木辺派)の二十代木辺孝慈は西本願寺21世大谷光尊の子で22世大谷光瑞の弟。
すなわち、蓮如の子孫。
多分その後も蓮如の血統は続いている筈(未確認)
専修寺(高田派)の常磐井家は22世常磐井堯猷の妻が大谷文子(西本願寺21世大谷光尊の子)
=木辺孝慈の姉だか妹、つまり蓮如の子孫。
仏光寺(仏光寺派)の渋谷家は一時大谷家の血が入っていたようだが、
今は結局伏見家の子孫らしい。
本願寺はもちろん真宗はみんな蓮如無しでは語れない。 宗教怖え……三井寺じゃなくて本願寺のほう。完全に洗脳されとるやん。 三井とミイラを掛けてるのに誰もつっこまない?
三井寺に差し出して
光徳寺に祀られるまでの過程が知りたい >>267
一生過ぎやすい人間の代わりに五劫という長い間修行を積んで悟りを開いた阿弥陀如来に
救われて極楽に生まれるというのが浄土の教え。
五劫というのがどれくらいの長さかと言うと、
落語の寿限無に『五劫の擦り切れ」と有り、天女が三千年に一度須弥山(エベレスト)に
降り立ち羽衣で一擦りして遂に山が擦り切れて無くなるまでが一劫、
それが五回だから正に永遠にも等しい長さ。
京都に金戒光明寺という浄土宗の寺が有り、そこの阿弥陀如来像の髪は恰もアフロヘアの
ごとく伸びまくっている。
五劫の長さを凡俗の衆生にも分かり易く表現するためにこんな髪になった。
もちろん、百年も生き難い人間には無理であり阿弥陀如来にすがる他に道無し。 文楽観てる人ならおなじみの展開
現実にこんなことがあろうとは…
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