(三枝成彰/作曲家)

 オリンピック開催招致のための票が買われる瞬間を目撃したことがある。いまから四半世紀近い昔のことだ。

 当時懇意にしていた超やり手広告マンのAさんと海外にご一緒した際に、「お客さんと食事をするので、ついてきてほしい」と言われた。招かれたのは個人宅で、相手はアジアの某国のIOC委員だという。その席でAさんが切り出したのは、間近に迫ったIOC総会のことだった。次期オリンピックの開催地が委員の投票で決まる。Aさんは「ぜひ日本に1票を」と頼み込み、相手は了承した。すでにAさんは亡くなられて久しく、もう時効だと思って記すが、票の買収が実際にあると知って驚いた。

 その1票を手に入れるため、委員の子女の米国一流大留学の斡旋や現地での生活費の算段まで広告マンが世話をするという。見事“ご成約”のあかつきには、その費用を広告代理店はクライアントの企業に負担させる。その見返りに広告代理店は、カネを出した企業のスキャンダルや、伏せておきたい不都合な情報が世の中に出ないよう、マスコミを押さえるのに一役買うという巧妙な仕組みだ。

 こうした“汚れ仕事”やネゴの類いは、政府の看板を背負った人間にはできない。それを何でも屋として請け負うのが広告代理店である。おそらく大阪万博が決まった裏にも、彼らの奔走があったのだろう。

 世界的イベントの開催で“国威発揚”をもくろむ国にとって、誘致は政権の命運を懸けた戦いになる。政府や開催都市による表の交渉とは別に、Aさんのような広告マンたちに裏でロビー活動やバックアップをしてもらえるかどうかで勝負が決まる。

 彼らにとってオリンピックはおいしい仕事だ。スポンサー各社と政府を取り次ぎ、関連イベントの制作進行を請け負い、テレビの放映権と各媒体の広告掲載を管理して莫大(ばくだい)な手数料を手にする。Aさんがいた代理店の社長は全社員に向けて、「東京オリンピックで1兆円を稼ぎ出す」と号令したとか。オリンピックは4年に1度の大きな商機。これにどう食い込むかに社運を懸けているのだろう。

■モラルも消え失せた

 一方、オリンピックで政権の支持率を上げ、次の選挙で勝ちたい政府にとって、広告代理店は便利な存在だ。政治家や役人が表立ってできない面倒なことの一切をカネ次第で丸投げできる彼らを、大いに頼みにしているところだろう。つまり両者の思惑は一致しているというわけだ。国民はまったくの置き去りである。

 2016年のリオオリンピックのとき、私はドイツにいた。ホテルでテレビをつけると、100チャンネルもあるのに大会の全中継をしている局はなかった。時代は変わり、もはやオリンピックはヨーロッパで視聴率を取れるコンテンツではない。しかし関係者はその開催に固執し躍起になっている。

 来日したバッハ会長を菅首相らが歓迎し厚遇するさまは、まるで黒船でやってきたペリーを出迎える江戸幕府の役人のようだ。バッハ会長たちにあるのは古いヨーロッパ人のエリート意識で、日本人を完全に下に見ている。植民地を視察に訪れた貴族にでもなったつもりだろうか。

 開会式の音楽担当の小山田圭吾さん辞任にも呆れたが、今回のオリンピックをめぐっては、競技場の設計と大会のロゴマークのやり直しや総合演出の交代など、選ぶ側の見識を疑うことばかりが続いている。売れることを優先して人間性などのチェックをおろそかにするからこうなるのだ。

 

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7/24(土) 9:06 日刊ゲンダイ
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