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2021/08/15(日) 12:36:17.11ID:XET3J7vv9「帝国軍人の中に共産主義者がいて、彼らが満州事変から日中戦争を起こし、さらに帝国が戦争を拡大するように導いたからだ」
と、たとえば私が付き合いの長い実証的な研究者に言ったら、その研究者は「栗原さん……。本気ですか? そんな陰謀史観で『常夏通信』書いていて大丈夫ですか?』」と心配してくれるだろう。あるいは黙殺されるか、物笑いの種になるだろう。二度と取材を受けてもらえないかもしれない。それほどのトンデモ説だ。
ところが、そういう趣旨の説明を事もあろうに天皇に言った人物がいる。近衛文麿だ。
■即時停戦を上奏した近衛文麿
44年7月のサイパン陥落後、速やかに戦争をやめるか停戦すべく連合国との交渉を始めていれば、犠牲者はもっと少なかっただろう。「後知恵で当時の人たちの決定を批判すべきではない」という批判がありそうだが、同時代の為政者層の中にも「もう戦争はやめたほうがいい」と思っていた者はいた。近衛はその一人だ。
45年2月14日。近衛は和紙8枚に主張を自筆した「近衛上奏文」を持ち、昭和天皇に上奏した。眼目を言えば「敗戦はもはや必至です。この上は一日も早く戦争を終結すべきです」ということだ。当時の庶民が公然とこんなことを言ったら、憲兵らによって即刻逮捕されるだろう。殺されたかもしれない。
近衛は開戦までに3次にわたり首相を務めた政治エリートだ。かつ、平安時代に栄華を極めた藤原氏の流れをくむ華族である。天皇との歴史的かつ心理的距離は、他の「臣民」に比べて格段に近かっただろう。であればこそ言えたことではないか。
■講和に動かなかった天皇
しかし、昭和天皇は近衛の上奏を採用しなかった。
…続きはソースで(会員記事)。
https://mainichi.jp/articles/20210811/k00/00m/040/094000c
2021年8月12日 10時00分
※同筆者による関連記事
『昭和天皇の「聖断」は「英断」だったのか 終戦の日に考えた』
https://mainichi.jp/articles/20210814/k00/00m/040/215000c
2021年8月15日 12時00分