【仏教】霊魂は存在する? 容認派「真言宗」「天台宗」「日蓮宗」 言及しない/否定派「浄土宗」「浄土真宗」「臨済宗」「曹洞宗」 ★6 [樽悶★]
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■「霊魂の存在の認めているか?」7つの宗教法人の公式見解
【高野山真言宗】
霊魂の存在を認める。「阿字の子が 阿字の故郷立ち出でて 叉立ち帰る阿字の故郷」と言うご詠歌があるように、阿字は全ての生命の根源であります大日如来を表し、人間は大日如来から命を与えられてこの世に生まれ、肉体の滅びる後は再び大日如来の内に帰還すると教えられている。
【天台宗】
日本仏教は日本人の霊魂観の上に成立し、それを継承することで日本民族に受け入れられてきた。死者儀礼に関与できたことも霊魂の存在を信じることなしでは成り立たない。一部に釈尊が霊魂の実在に対して否定的であった説を持ち出して、「本来の仏教は生きた人間を対象とする考えや救い」とする方もいるが、日本仏教はインド仏教と多くの点で異なっていることは勿論のこと、霊魂の存在を否定すれば仏教は単なる哲学や道徳律となって、宗教ではなくなってしまう。
【日蓮宗】
認めている。一例として、宗祖日蓮聖人が女性の信徒に宛てた手紙(息子に先立たれ、四十九日の供養の品を送ってきた事への返礼)には、死出の旅路の息子、霊山(りょうぜん)浄土にいる夫(故人)と現世の婦人が離ればなれになっていることへの哀れを思いやり、婦人も命終(みょうじゅう)の後には同じ霊山浄土で会えるように唱題(南無妙法蓮華経のお題目を唱えること)を勧めている。
【浄土宗】
浄士宗の教えは「阿弥陀仏の平等のお慈悲を信じ、『南無阿弥陀仏』とみ名を称えて、人格を高め社会のためにつくし、明るい安らかな毎日を送り、お浄土に生まれることを願う信仰」だ。この教旨からいえば、直接的に「霊魂」に関する話題に触れることはない。教義の上では「霊魂」を取り扱うことはないが、葬儀・中陰といった社会習俗と密接にかかわる事項の面においては、世の中で一般的に理解されているような霊魂観を許容しているということになる。
【真宗大谷派】
親鸞聖人は、龍樹菩薩に拠りつつ、「ことごとく能く有無の見を摧破せん」(『正信偈』)あるいは「有無をはなる」(『浄土和讃』)と、存在や死後が存在するか、しないかのどちらかにとらわれる見解を離れることを教えている。このことから考えると、自分や身近な人の死を怖れ、その死後を思うことは、とても自然なことだが、そのような私たちに向けて、「霊魂」や死後の存在の有無に対するとらわれから離れることを教えてくださっている。
【臨済宗妙心寺派】
臨済宗妙心寺派としては「断見(人の命はこの世限りのもので、死後は無になってしまうという考え方)」「常見(死後、肉体が滅びても霊魂は残り続けるという断見とは正反対の考え方)」のいずれも非仏説観点から、いわゆる「霊魂」の存在を積極的に認めていない。しかし、「人は死んだら終わり」と考えているわけではない。「霊魂」とは違う禅的な表現ですることはある。それが何かと問われればそれぞれに様々な表現があり、なかなか一つにまとめるのは難しい。「霊魂観」については今後も続く課題と受け止め、じっくりと教学的にも研究、議論を重ねていきたいと思っている。
【曹洞宗】
曹洞宗宗制において、積極的、直接的に「霊魂」の存在に言及はしない。ただし、葬送儀礼の中で戒を授ける対象を「霊位」、仏戒を受け諸仏の位に入った者を「覚霊」と位置付けたり、有縁無縁の先亡を「萬霊」とし、儀礼、供養において「霊魂」を対象にしている。曹洞宗が地方に展開する中で、僧侶は当時の民衆の要望に応える形で葬送をつとめていった。素朴な思い(亡くなった家族のみ霊を供養し、死後の安楽を願う思い)を、禅僧のもつ力でもって供養していった歴史の積み重ねが現代まで続いていることを強く受け止めねばならないだろう。教義には説かれない、民俗との複合の上に、葬送・供養が存在するのであり、「霊魂」もそうした民俗由来のものといえよう。
以上のように、同じ仏教でも宗派によって霊魂観は大きく異なることがお分かりだろう。
■霊魂を認める派認めない派の「言い分」(各宗派の霊魂観をチャート)
浄土宗の場合は宗門として霊魂の存在を明確には認めていない。臨済宗や曹洞宗などの禅宗系も、浄土宗のスタンスと似ている。それでも浄土宗の場合はまだ、霊魂の捉え方に関して寛容なほうだ。
浄土真宗に至っては、霊魂そのものの存在を否定している。
他方、真言宗や天台宗、日蓮宗は明確に霊魂の存在を認めている。それらの宗派に属する僧侶は躊躇なく、鎮魂、除霊、加持祈祷といった作法を行う。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20210813-00048783-president-soci
2021/08/17(火) 21:52:04.12
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1629253414/ 俺たちも裸で人前に出たら落ち着かないだろ?
幽霊も洋服を着た状態が楽なんだろう 真宗大谷派だけはガチ
お前らにパヨク呼ばわりされるぐらいガチ 残念なことに、池田犬作先生が日蓮の生まれ変わりであることはあまり知られていない。
それについてこんなエピソードがある。
昭和52年に池田先生が千葉の清澄寺(日蓮が幼少の頃に修学した寺)を訪れた際、千年杉に向かい木肌を撫でながら、「久しぶりだね。700年ぶりだねぇ」と呟いた。
ちなみに、この千年杉の樹齢は250年であった。 どっちでもいいけど勧誘に来るな
同じ日蓮宗でも創価学会は敵とか知らねえよ
俺を巻き込むな >>1
「容認派」ってなんで上から目線なんだよ
そこは「肯定派」だろ 次スレ乙w
|ミ, / `ヽ /! ,.──、
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真宗本願寺派 真宗大谷派 日蓮宗 蝉丸 神の人格というのもピンとこない
人の姿をとってる外来の仏教に対抗する形で
人の形をとったってあたりで良いんだよな?
人間が喜ぶことなら
神様も喜ぶであろうっていう
勝手な憶測が効果があるとしていて
じゃ、人の形でもよかろうとなるんだろうけども
もともとは人の形なんかじゃないよなぁ?
後年の人が神になっちゃうのとは違うわけで
まぁ、神道でも
人によって解釈もイメージも違うだろうしなぁ
しかし、「人格に問題があってすぐに祟りする神様」か
なかなか、おもしろいね、そういうのは >>8
樹齢800年じゃねーかw
http://www.seichoji.com/02_15_sennensugi.html
>高さが約47メートル、幹周りは約15メートルあり、樹齢およそ800年といわれています。 前スレのお返事を置いておきますね。
・・・・・・・・・・・・・・・
986ニューノーマルの名無しさん2021/08/18(水) 18:38:13.51ID:a2P9Z6k50
前スレからただいま。
>>948
魂も存在しない、輪廻転生も存在しない、
というかすべては「因」と「縁」から出来ているのみで、何も実在しない。
輪廻転生から解脱するのではなく、輪廻転生が存在するという認識から抜け出なさい、
輪廻転生が存在しないということを理解しなさい、
ということなんでしょうか。
そういう考えなら筋道が理解できます。 ブラックホールの数学的基礎でノーベル賞受賞したペンローズは
人間の意識がチューブリンという神経細胞のタンパク質の中の
分子の量子的挙動にあるという本を出版
これはさすが無いと思う 霊魂を否定してたら宗教じゃないね
なので仏教の宗派によっては否定的というのは
言い回しなどによっての誤解なんだろう >>1
既出かもしれんが、霊魂、神仏が存在するならば生臭坊主はいないよ
神父や牧師も悪いことしないよ
つまりそういうこと >>13
神に人格は無い
神にあるのは神格
神社に神様の像なんか無いし、教会に神様の像もない >>15
教えと矛盾するからだろか?
浄土行きが決定してるとか、現世で悟り開いてるはずとかで この辺が仏教は哲学に似てるなんていわれるユエン
まあいつの時代も神学が優勢ぽいが 真言宗のお葬式に興味ある
キャンプファイヤーみたいなのを想像 まぁいわゆる科学的手法で証明されてないものに対して”ない”と言うのは
ある意味真っ当とも言える 霊魂は目に見えないけどエネルギーも目に見えないだろ
だからあってもいいと思う >>19
いやいや。
霊魂は存在しない、輪廻転生も存在しない、
(輪廻転生から解脱せよというのは、輪廻転生が存在しないということを理解せよ、という意味である)
むしろ目の前にあるように見えるペットボトルもマスクもすべて実在しない、
と言い切るなら宗教と言っていいのでは。 ジャータカなんか生まれ変わりが前提で書かれてるわけで「輪廻転生は仏教ではない」とかか頑なに主張してる人は何も分かってないとおもわれ 霊魂を信じないのなら、死者に対して祈る事自体が矛盾になるからなあ >>28
葬式ではファイヤーしない。
ファイヤーは護摩壇だわ。 >>31
それは無神論または虚無主義と呼ばれるものじゃないかな
霊魂はないと言いまわってるのは
実は霊魂はある事を知っていて逆に信じなくさせて
地獄に落としてやると企んでるカルト宗教やサタン思想者かも知れないよ
聖書には世の末になるとそういった邪悪な意志持つ人間が現れる事が予言されている 霊魂とは。
レンコンがなまった語。お釈迦さまと蓮の関係が後世では
蓮の根が人々の心に宿るとされ、死後またお釈迦さまの元に戻るとされた
ー民明書房刊「レンコンのすり流し汁を食べてコロナに勝つ!」から。 >>31
ペットボトルもマスクも過去未来と永続的にそこに在るわけじゃないでしょ
誰かが持ってきて(因)、今現在そこに在るだけ(果) >>35
ファイヤーしないのか(´・ω・`)ショボーン >>36
でもこのスレの★4の ID:13J7ta740 さんに答えているレスを追っていくと
>>31が仏教界の通説らしいですよ。 宇宙線ってのはあるけど
人間の目では見えない
でも、あるらしいのよな
人間の脳と感覚器(目)では
ペットボトルもペットボトルとして
マスクもマスクとして存在するけれど
「人間の脳と感覚器」ではない
べつの形式での認知だと
まるで違った形で認識されるんじゃないか?
人間と似た生き物として、猫とか犬とか
彼らは人間には感じ取れないものも感じ取れてるはずで
その見ている世界も人間のそれとは別だろう、と
人間の見ている感じているものがすべてである
それこそが世界であるとしてしまうのは
まぁ、違うんだろうね 仏様への無礼は悟りを開くような相手だから誠意を持って謝罪したら許されるというが
(寺や仏様にはその眷族な寺社に住まう大木の変幻の木竜とかが祟りをするらしい)
神社の神様はまんま俺らレベルとブチ切れするボーダーラインは同じだから気をつけろな >>37
>>38は偶然。なんという仏縁(ー人ー) >>1
こういうの分かりやすくて凄く為になる
浄土真宗とか更には天理教とかそっち方面も教えて欲しいわ >>39
いや、「実在しない」というのは、
ン10年後に朽ちていると言う意味ではなく、
すべてが「因」と「縁」によってその一瞬一瞬にできた
波の形のようなもので、
「因」と「縁」の大元すら実在しない、
という意味では? >>33
存在とはこの世に影響を与える事が可能なもの
と定義するのはどう?
>>41
般若心経では色即是空 空即是色
あるように見えるものは実はない
ないように見えるものは実はあると説かれているね 大谷派だけど毎日アウディ乗り回してる菩提寺の生臭坊主は地獄に堕ちてほしい 記憶は人間の肉体に宿るもの。
脳機能障害の親と過ごして身に染みて解った。
すべての記憶が無くなる、それは人間を人間たらしめる要素の欠落。
肉体が無くなった後、その存在は何になるのであろうか。
仮に存在しても、霊魂や幽霊に人間らしい人格など宿るはずもない。 霊魂 は、肉体とは別に精神的実体として存在するとされる概念。
肉体から離れたり、死後も存続すると考えられている
死後も存続することはないな
死んだら無になる 仏教にもいろいろ考え方があるというのはわかった。
お釈迦様は霊魂のあるなし等、死後の世界について何も語らなかったという話も読んだ覚えがある。 >>33
ホントそれ。何で宗教が「存在」について考察しないのかが不思議。 >>9
昔、学会員に輪廻転生を小一時間説明されたことがあるから認めてると思うよ。 存在する方が面白いだろ
あると思っとけばいいんだよ
なかったらお前らの好きな異世界転生も出来ないし
信じるものは救われる >>42
いや、顕微鏡とか泡箱とかなんでもいいんだけどさ、人間の感覚では捉えられないものを見る方法なんてたくさんあるわけ
それでもなお未発見のものがあるというのも確かだろう
でも、この世に存在するものには全てロジックと因果関係があるんだよね
じゃなきゃ存在しないのと同じだからね
そこいくと霊魂なんてのは全くナンセンスなんだよね
せめてさ、こうすれば科学的に観測できるはず!みたいなのがないと 50人くらいの心霊が撮れちゃった写真があるんで霊魂だけはあると思ってる >>53
まあ幽霊が楽なら和服着て現れるかもね
>>55
ないとは言ってなかった
否定しなかったという事はあるという事
>>60
霊は量子論の量子のように確率的な存在なんだろ
なのでこうすれば必ずこうなるという事は科学的には言えないんだろう >>9
新興宗教系は生まれ変わりとか死後の世界を積極的に訴えるイメージがある
そこをつけこむ隙と見ているフシがあるというか 霊魂があるかないか議論してるがむしろこれは現代人の議論で
昔の人にとっては霊が死ななくて困るから早く死んで欲しいという非常に困った存在だった
例えば崇神初年に祟りを成した大物主は疫病で人口半減させている
しょうが無いので大物主の子孫に祭祀させてようやく治まったのである
また東欧では死なない死人の伝説が中世でも有名で沢山記録が残ってる
キリスト教会の意義は死なない死人にあの世でおとなしくしてもらう点にある
このような事例はやまほどあり古代や中世では祖霊信仰から霊魂鎮護が大問題だった訳です 空の概念こそナンセンス
現実としてあるものを仕事でもそうだし現実でこれは空で存在しないなんて出来るわけがない
そんなの引きこもりの妄想でしかないわ
やっぱり儒教の方が正しい、維新の時にみんな仏教なんてクソで
陽明学が行動学だったのもわかる 水子はいないが罪状は残る。
その罪を償う為に教団で信心しろw
みたいな思想893w >>48
「空即是色」は「ないように見えるもの」の「実在」を言っているのではなく
「万物は実在しないということのみが事実である」という意味では? >>63
だから不確定性は非科学的なもののエクスキューズにしていいものじゃないってば
それ自体は科学的に確かめられたことなんだから >>67
強いて言えば、幽霊は罪状なる教義
と、それを信じる人たちw まあ真偽は定かではないのだが葬式でやたらとカネカネ言ってるのは日本だけなんだとか
香典というのもアレは葬儀で大変なところにお香代を協力してやったのが始まりらしく他所の国ではあんましないらしいね >>67
罪状なる教義とは、即身成仏中の坊主の現世利益w >>31
古代インドにもその様に説く行者が居たそうな。
そう聞いた王様が象兵を差し向けた所、彼の者は一目散に逃げた。
王が「何ぞ幻の象に怯えるとはこれ如何に」と大いに嘲笑うと
「王よ、貴君も逃げる私の幻を見たに過ぎぬのであります」と答えた。 音波も電波も、風もみえないものなんていくらでもあるからな >>15
原始仏教から大乗仏教初期にかけての根本的な教義では、霊感の存在は認めていない。
全ては縁起によって生成と消滅を繰り返しているだけで、霊魂のようないつまでも永続的な「我」の存在は認めない。 霊魂は存在する?
容認派=霊で稼ぐ
否定派=罪状で稼ぐ お盆に先祖帰ってくるとかモロこれじゃん
真宗のアホ坊主はなんか言え 誰にも証明できないことを認めるも認めないもあるかw 神も霊も存在しない。
全て架空の物。
神や霊の存在を信じる奴は、人を殺して「ドラえもんが何とかしてくれると思った」と法廷で言ってのけたアホな犯人と同レベルの脳みその持ち主。 維新の若者も日本の従来仏教思想だったら改革はなかったわ
それくらい仏教思想は国の進む力をそぎ取る害悪
世界で仏教国が先進国なんてあり得んだろ
もう日本から仏教は追放しろや 霊魂は存在する?
容認派=折伏集団
否定派=摂受集団 >>19
自分の狭い知見で勝手に「宗教」を決めつける前にもっとちゃんといろいろ学んだほうがいいよ。何かモノ言いたいんだったら。 しかし万物は「因」と「縁」から一瞬浮かび上がった波の形に過ぎないということになると、
阿弥陀仏も一瞬浮かび上がった波の形に過ぎないし、
むしろ我々衆生は「因」と「縁」で阿弥陀仏と密接につながっていて両者に本質的な差異はないし
我々衆生は修行も念仏も悟りも必要とせず阿弥陀仏と同質になってしまうけど
個人的にそれで不服はないけど
仏教界的にはそれでええのだろうか。 魂が無いと悟れないとその次に行けないからな
パーリ語経典長部の『沙門果経』においては、釈迦がマガタ国王に仏教の沙門(出家修行者、比丘・比丘尼)の果報を問われ、
まず戒律順守によって得られる果報、次に止行(禅定、四禅)によって得られる果報を次々と述べた後に、
その先の観行(四念住(四念処))によって得られる果報を、以下のように述べている[2]。
(四禅の次に)「自身の身体が、元素から成り、父母から生まれ、食物の集積に過ぎず、恒常的でない衰退・消耗・分解・崩壊するものであり、意識もその身体に依存している」と悟れる (= 「身念住」(身念処))
(その次に)「思考で成り立つ身体(意生身)を生み出す」ことができる
(その次に)「様々な神通(超能力)を体験する」ことができる (以下、神足通)
「一から多に、多から一となれる」
「姿を現したり、隠したりできる」
「塀や、城壁や、山を通り抜けられる」
「大地に潜ったり、浮かび上がったりできる」
「鳥のように空を飛び歩ける」
「月や太陽をさわったりなでたりできる」
「梵天の世界にも到達できる」
(その次に)「神のような耳(天耳通)を獲得する」ことができる
「神と人間の声を、遠近問わず聞くことができる」
(その次に)「他人の心を(自分の心として)洞察する力(他心通)を獲得する」ことができる
「情欲に満ちた心であるか否かを知ることができる」
「憎しみをいだいた心であるか否かを知ることができる」
「迷いのある心であるか否かを知ることができる」
「集中した心であるか否かを知ることができる」
「寛大な心であるか否かを知ることができる」
「平凡な心であるか否かを知ることができる」
「安定した心であるか否かを知ることができる」
「解脱した心であるか否かを知ることができる」
(その次に)「自身の過去の生存の境涯を想起する知(宿住通(宿命通))を獲得する」ことができる
「1つ、2つ…10…100…1000…10000の過去生を想起できる」
「それも、幾多の宇宙の生成(成刧)、壊滅(壊刧)を通して想起できる」
「それも、具体的・詳細な映像・内容と共に想起できる」
(その次に)「生命あるものの死と生に関する知(死生通(天眼通))を獲得する」ことができる
「生命あるものがその行為(業)に応じて、優劣、美醜、幸不幸なものになることを知ることができる」
「生命あるものが(身口意の)業の善悪により、善趣・天界や悪趣・地獄に生まれ変わることを知ることができる」
(その次に)「汚れの滅尽に関する知(漏尽通)を獲得する」ことができる
「苦しみ(汚れ)、苦しみ(汚れ)の原因、苦しみ(汚れ)の消滅、苦しみ(汚れ)の消滅への道(以上、四聖諦)を、ありのままに知ることができる」
「欲望・生存・無知の苦しみ(汚れ)から解放され、解脱が成され、再生の遮断、修行の完遂を、知ることができる」 親鸞様あ じゃあ阿弥陀仏は何を救うんですか?(;^ω^)
「そんなの親鸞しらん」かなー
まあ阿弥陀仏が救ってくれると信じて死後を考えずに気楽に生きようよってことだろな 霊魂wwww
そんなんあるわけ無いわ
本当に霊魂、霊力があるんだったら
広島長崎で一瞬で命を落とした人たちは無念怨念だらけで
もし俺が被害者だったらアメリカの飛行機とか霊力で落として
アメリカ人観光客とか片っ端から心臓麻痺にしてやるわ
それ言うと
長年の祈りで浄化されましたとかwww
生きてるやつが勝手に判断してんじゃねーわボケが 供養しましょう
あなたの守護霊になってます
降霊させます
盆に先祖がかえってきます
もう生まれ変わってますよ
矛盾だらけの仏教 空とは存在しないという意味ではなく
全ての現象は相互依存性の中にあるのでその意味では実体は存在しないという観念のことです(ざっくり言えば)
例えば有名な仏典で紀元前2世紀のミリンダ王の問いの中に机は存在するかという名称論の哲学問答がありますが
このような考え方は古代インドでは要素に分解すると実体が消えるという問題として有名です
ブッダの卓見は物の実体の哲学からその背後に法(ダルマ)があるという視点に転換したことだと思いますよ デカルトセンパイは精神と物質の二元論を語り出し
結局神の存在を認めてしまう事になるわけ 「うしろの百太郎」の始めのほうだったかな
主人公の一太郎の親父さんの言葉
「心臓や胃、脳はここにあると言えるだろう、それでは『こころ』はどこの場所に
あるのかな」とか言っていたのがそれこそ「こころ」に残っているわ。 >>96
万物は「因」と「縁」から一瞬浮かび上がった波の形に過ぎない
という理解でいいのでしょうか。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています