>>175
>・土地固有の植生や生物などの食物に繋がるようなものを表す言葉

その理屈で、「むぎ」「ひえ」「うま」は漢語の「麦」「稗」「馬」と同語源といってるよな。
でも、「きび」「あわ」「こめ」「まめ」「うし」「いぬ」「ゐ」なんて「黍」「粟」「米」「豆」「牛」「犬・狗」「猪」の音読みと全く音素の共通性が無い。
同じくらい古くから生活に結びついているのにな。
「食物に繋がるようなもの」なんてものは、む往々にして、入手の容易なものや、品質の良い珍重されるものに、名詞用が取って代わられる。
たとえば、五斗米道の“米”の実際に指すものは「粟」だ。
じゃあ日本の「こめ」はというと、もともとはマコモの種子を指していたものという説もある。ワイルドライスだよ、共通するのは水に生える植物から採る穀物、
マコモは栽培も採取も大変だが、稲は容易で、「こめ」の名詞用が取って代わられた。真正とか最上とかの接頭辞「ま」を付けて「本来の米」で「まこも」だ、と。
大陸の反対側でおなじようなことがあった。英語のcorn、同じ単語で指し示すものは、イングランドで小麦、スコットランドで燕麦、北米ではメイズだしな。

>方角や大小などの文化レベルに依らない普遍的な概念を表す言葉

非常に近縁な、語彙の7割以上共通、分岐も200年くらいの、ヤクート語と、ドルガン語。ヤクート語の北と、ドルガン語の東が同じ単語で、
ドルガン語の北はヤクート語で 「荒地 方向」に相当する語(複合語)になっている。

概念でいうと、音の高い低い・澄んでいる濁っているは、けっこう差があるよ。日本語では波長の短い音は「高い」、長い音は「低い」だけど、これが逆の言語は
結構多い。ピアノの右が高くて左が低いというのは不変ではない。
日本語の言葉の発音の濁音清音も、モンゴル語だと、g d b は澄んでいて、k t p は濁ってるという。