大友遺跡人骨の核DNA分析でわかったこと
https://sicambre.at.webry.info/202107/article_9.html

 ・大友8号(佐賀県・弥生早期) ふつうに縄文人 弥生人の影響はゼロ
 ・下本山3号(長崎県・弥生後期) 縄文人と弥生人の中間
 ・弥生早期まで西北九州(長崎・佐賀県)は続・縄文時代がつづいていた
 ・弥生人との混血がはじまると、漁労依存から穀物依存の度合いが高まっていった
 ・北九州・土井ヶ浜集団と比べると、弥生後期になっても縄文人の影響がかなり残っていた

おそらく古墳時代になりヤマト(北九州・土井ヶ浜型)に民族浄化され、西北九州の残党は沖縄に南下したとおもわれる

■ 弥生時代の地域差 南九州/西北九州/北部九州・土井ヶ浜
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